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子規の音

箱根の山を下り東京駅へ。そして鶯谷から徒歩で5,6分の正岡子規の旧居、根岸にある『子規庵』へと向かいます。

蒸し暑い夏の日も「子規に出逢える」と思うと足どりも軽くなります。すっかり変わってしまった周辺も狭い横丁の路地を抜け木の引き戸を開け、一歩足を踏み入れるとその先には小さな木造の家があり玄関を入るとさして広くない座敷と縁側。その先には子規が「小園の記」に書かれている庭が見えます。

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なんだか懐かしいような「子規の世界」に出会えます。空襲で消失し、現在の建物は昭和25年に再建されたものです。子規庵では句会、歌会などが開かれ大勢の人たちが詰め掛けたそうです。門下生の中には高浜虚子など。客間と子規の部屋、三畳の居間と妹律と母八重の部屋とこじんまりした家です。かつてこの辺りは農村風景が広がっていたそうです。命の炎を燃やし尽くした家です。

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    病牀六尺、これが我が世界である。

子規が8年半暮らした終焉の家。その雰囲気が伺えます。この部屋で「蕪村忌」などを夏目漱石などと一緒した座敷に腰を下ろし、子規が寝床の中から見たであろう庭に咲く"鶏頭"はじめ季節の花々が子規庵保存会の方々の手で美しく保存されています。ヘチマも下がっています。

    鶏頭の花のに涙を濺ぎけり
    鶏頭や今年の秋もたのもしき
    秋尽きんとして鶏頭愚也けり

死を意識した子規が鶏頭に強さや、たくましさをみいだしたのでしょうか。そして最晩年、痛みをモルヒネで和らげ、果物や草花を描いていたそうです。

皆さまは、正岡子規についてどんなイメージがあるでしょうか?俳句、松山、根岸、闘病生活・・・あるいは野球という人もいらっしゃるでしょうか。どんな困難な状況の中にあっても明るく、チャーミングでまわりの人々から愛された子規。

そんな子規を今年生誕150年の記念碑として画期的な正岡子規評伝をお書きになったのが、作家の森まゆみさんの『子規の音』です。"子規を読むことは五感の解放である"と帯に書かれています。私は夢中で読み終えました。そして、「子規庵」へと行きたくなったのです。

正岡子規は慶応3年(1867年)松山藩士の常尚と八重の長男として生まれ明治16年に上京。明治23年東京帝国大学文科大学(今の東京大学文学部)哲学科に入学します。学生時代はあまり勉強をせず、仲間と野球をしたり、旅に出るなど、東京生活を満喫していた感じがしますが、肺結核から脊髄カリエスに30代前半に病の床につき35年の生涯を終えました。26歳の時病身の子規は松尾芭蕉を追って東北を旅します。

    その人の足あとふめば風薫る
    みちのくへ涼みに行くや下駄はいて
    涼しさやむかしの人の汗のあと

いいな~~、素直なスケッチ風景。私好きです。

森まゆみさんは『子規の音』(新潮社)で書かれておられます。

昔の東京には町に音があった。
子規の句や歌を読むと、東京の町の音が聞こえてくる。
そんななつかしい音が今の東京では聞こえなくなった気がする。
子規を読むことは、私にとって五感の解放である。と。

死の直前に残した最後の俳句。

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   「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」
   「 をとゝひのへちまの水も取らざりき」

9月19日は正岡子規の命日にあたります。
「子規庵」は句会やその他の催しもありお出かけの際はお問い合わせをしてからお出かけください。

アクセス=JR鶯谷駅北口から徒歩5分
電話 03-3876-8218

そして、森まゆみさんに文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」でじっくりお話をうかがいました。
放送日は8月27日と9月3日の2回にわたり放送いたします。
日曜10時30分~11時まで。


子規の音」(新潮社)もお読みください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)