カテゴリー:『近況報告』

イギリスへの旅 ~ Part2

今回の旅は先週も載せましたように、10月からオープンする「やまぼうし」のアンティークショップの買い付け。と言っても小さなショップ。こちらは娘の担当です。友人の天沼寿子さんのご案内で、ライやペトワーズの美しい田舎街へ私はバカンス気分です。

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どこも印象的でしたが、中でも素晴らしかったのはピーターシャムナーサリーでのランチ。ガラスの温室の中で昼食。足の下はもちろん土。ダリアが満開で、あまりの素敵さに天沼さんとシャンパンで乾杯!

電車でロンドンに戻ってきました。

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はじめは中心から少し離れたハムステッドのB&Bに宿泊しました。
小さいけれどスタッフも優しく家庭的な宿でした。

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最後の日だけは、ロンドンの中心、コペントガーデン近くにあるとてもお洒落なホテルへ。「お互いこれまで頑張ってきたのですもの・・・1泊ぐらいちょっと贅沢しましょう!」と。

インテリアがとても素敵なホテル。
ここでのイングリッシュ・ブレックファーストは素晴らしかったです。
食事中、室内がざわざわ・・・ある有名な俳優さんが入っていらして隅のほうで食事をしていらっしゃいました。

ロンドン・・・といえば、たくさんの思い出がつまった街です。
もう、43年も前のことになります。
映画「007は2度死ぬ」の撮影で約7ヶ月滞在した街。
この007の経験は降って湧いたような、おとぎ話のような経験でした。
私の22歳から23歳にかけての仕事でした。
ショーンさんは当時、30代半ばくらいだったでしょうか。
まだ若かった私にとって"おじさま"という印象でした。
苦労なさった方でしたから、スタッフにも私達にも絶えず気をつかってくださいました。

ただ、辛かったことは007に出演する女優はロンドンでも最も由緒ある「ドーチェスターホテル」に泊まることになっていました。女王陛下もお泊りになるようなホテルでしたから、ジーンズで入るなんてとんでもない。きちんとハイヒールを履いていなければなりません。当時のイギリスでは、格式というものがとても厳密だったのです。

その上、私には英国の映画に出演するにあたって、いかめしい英語の教師がつきました。毎日、毎日レッスンが終わると泣きべそをかいていましたっけ。とうとうストを起こし、ホテルを台所付きのフラットに変えてもらうこと。英語の先生を若い女性に変えてほしいと訴えました。

それでハイドパークの近くに移りました。
ようやく自炊生活をすることが出来ました。

でも、「ドーチェスターホテル」での忘れられない思い出。そう、悲しくなってロビーに下りて行きボーとしていた時のことです。回転ドアが回り美しい女性が入っていらっしゃいました。辺りをオーラが輝き笑みをたたえた女性(ひと)・・・は、オードリーヘップパーンさんだったのです。
「なんて美しいの、なんてエレガントなの・・・」
悲しさなんて飛んでいってしまいました。

と、ロンドンにはたくさんの青春時代の思い出がつまっています。

ホテルの内装はすっかり変わりましたが、ロンドンに行く度にホテルの前に佇む私がいます。

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今回感じたことは、ロンドン市内にオーガニックを扱うショップやカフェやレストランが増えたこと。そこには単なる流行ではなくきちんとしたポリシーがあること。そこが素敵です。しかも、しっかりした味、お洒落なディスプレイ、健康な土、太陽、水。世界的に地産地消の時代になってきたのでしょうね。

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最後はスコーンと紅茶のクリームティーでお茶をし、機上の人となりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

イギリスへの旅 ~ Part1

イギリスへ行ってきました。
今回は友人の天沼寿子さんと娘の3人旅でした。

「箱根やまぼうし」が秋からオープンする小さな「アンティークショップ」に置く商品を見つけに。私はもっぱら観光。娘は「デポー39」を長年経営していらした
天沼さんに教えていただきながらの商品選び。

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ロンドンから100キロあまり、約2時間で行ける田舎町。
RyeとPetworthに行きました。

英国の魅力はなんといっても大自然に囲まれた田舎が美しいですね。
Ryeは中世の街に迷い込んだような佇まい。
レンガや木組みの家々がならび、窓には美しい花が咲き、本当に素敵。
もう、町全体がアンティーク。
高価な骨董品ではなく、どこの家でも使われていたような品々。
娘は一点一点、丹念に探していきます。
ライ・・・。愛らしい名前にふさわしい町でした。

Petworthは2,30分も歩けば町を一巡りできる小さな小さな美しい街。
ヴィクトリア時代のカップ&ソーサーやリネン、アクセサリー、
彼女は古い本も買っていましたっけ。

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「もっぱら観光」・・・なんて言っていた私。
やはりアンティークを目の前にすると心がトキメキます。
丁寧にひとつひとつの物を大切に後世に残すイギリス人のアンティーク
に対する想いを感じた旅でもありました。

イギリスは私にとって思い出深い街でもあります。
来週はロンドンをご案内いたしますね。

投稿者: Mie Hama 日時: 11:28 | | コメント (2) | トラックバック (0)

近畿大学の学生と若狭でのフィールドワーク

4月から始まった近畿大学での授業も無事終了し、福井県若狭の我が家でのフィールドワークをしてきました。2泊3日、好天に恵まれ学生達は大阪から直通バスで我が町まで。町の中の移動は全て自転車です。

我が家は福井県大飯町三森にあります。
ここは近くの村から農家を移築した家です。

授業では「「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマにしました。

私自身これまで素晴らしい先人から、たくさんのことを学んできました。
こうした魂に響くような出会いが、今の私を作ってくれました。

授業では

「現場を歩く大切さ」
「食は命」
「食料の自給できない国は独立国ではない」 故ド・ゴール大統領
「寝屋子制度」

など優れたビデオ作品を見ながらの勉強でした。

自然に囲まれた我が家の囲炉裏端では、米農家を営む私の農業の先生、松井栄治さんから農業の現状をじっくり伺えましたし、松井農園、酪農家を見学したり、夜は農家の若者にも参加してもらいバーベキューをしながら、若者同士、和やかななかにも現場で働いている彼らの話は学生達にとって意義ある話でした。

何よりも満天の星空・天の川も見え、流れ星に感激し、虫の鳴き声を聞きながらの夜。松井さんご一家や集落の方々の優しさに学生達は"何か"を感じてくれたことでしょう。

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:12 | | コメント (2) | トラックバック (0)

朝の山歩き

心と頭の調整が音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩きです。骨祖しょう予防を兼ねて、始めた箱根の山歩き。木々の枝の間から朝の光りがスーッと差し込んで、とても気持ちいいのです。
 
ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきり目覚める朝ばかりではありません。身体を動かすことによって身体が活性化して、不調の部分が解消されます。

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そして、毎朝歩くことで、箱根の山のエネルギーをもらっているような気がします。

背中を痛めて、身体の筋肉を鍛える大切さを知り、必要に迫られて始めた山歩きでしたが、筋肉作りだけではなく、心身の調整にまで役立ってくれているようです。

「この場所が好き!」と思える散歩コースがあると、それだけで元気になれますよ。この楽しみにはお金はかかりません。歩きやすいスニカーが一足あればそれで十分ですものね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:50 | | コメント (1) | トラックバック (0)

亜麻の花咲く町

北海道・当別町に行ってまいりました。
「浜さ~ん、亜麻の花が咲きましたよ!」とのお誘いを頂きました。

"亜麻色の髪の乙女"という歌がありましたよね。どんな色なのかしらと、ず~と思っておりました。亜麻色の髪というのは花の色ではなく、花が散ったあとの種子と茎が栗色、あるいは金色で、花は薄紫にブルーがかかったような色です。この美しい一輪の花の命は はかなく早朝から半日で散ってしまいます。

亜麻の種が日本に入ってきた年代ははっきりしないのですが、2つの説があると言われています。一つは元禄時代に薬物植物として江戸王子の薬草園で栽培されていた。もう一つはキリスト教伝来時(1549年)、西洋医術と同時にオランダ船により輸入されていた。どちらの説とも古い歴史があります。

古代ギリシャの医学の父、ヒポクラテスは「亜麻種子」を食べると胃腸の不快を解消するとして栽培を推奨したようですし、古代エジプトでは亜麻の布は「月光で織られた布」と呼ばれ広く神事にも使われていたそうです。かつてエジプトではミイラを包む布として、また女性の下着やシーツなどリネンとして肌触りがソフトだったので使われていたとか。

じつはこの町は、私も審査委員をしております"美の里づくりコンクール"で審査会特別賞を受賞されているのです。途絶えてしまった亜麻をもう一度復元させようと、農家の若手が立ち上がり、民間企業と農家が連携して亜麻の生産が始まりました。それを行政がサポートする。無農薬での栽培ですから、雑草や害虫との闘い。熱心なリーダーのもとで様々な活動が評価されたのです。
亜麻を全国に発信し、収益も上げ始めたそうです。札幌の大学生も時には除草の手伝いにみえるとか。

地域づくりはこうした連携プレーが大事なのですね。今後、亜麻の花を見に来る方、亜麻のオイルやリネンが全国に知られるように・・・と願っております。

私が伺ったときも初夏、花の開花期に合せて「亜麻まつり・イン 当別」が開催され、都市と農村の交流が行われていました。

よみがえれ!亜麻の花

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:46 | | コメント (3) | トラックバック (0)

近畿大学・答志島へのフィールドワーク

三重県鳥羽市にある離島、答志島に行ってきました。
4月から近畿大学の客員教授として講義を受け持っています。

テーマは「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」
一回目は「現場を歩く大切さ」についてでした。 

机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界があり、現場を足で歩かない限り見えてこないことがあることを、40年以上農山漁村を歩き回ったフィールドワークから私は実感しました。

現場を歩くなかで、人は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、学生に感じとってほしい・・との願いがあります。他者を理解することは、自分を理解すること。大地を歩き、人に出逢い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導きだされた問題解決法にこそ、真の力が宿るということを知ってほしいのです。

そこで、以前授業で観た民族文化映像研究所の「寝屋子」について「現場に行きたい!」との要望が学生からあり行ってきました。この島の歴史は古く、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂が

「釧着く答志の先に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」

と万葉集で詠んだ地です。

そこに「若者宿」とよばれる「寝屋子制度」があります。かつては、中学を卒業した男子が仲間を作り、頼んでどこかの家をヤド(宿)にそこに寝泊りするのです。日本には古くからあるシステムでしたが、大正期を境に減少。現存するのは、答志地区のみになってしまいました。
 
血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合う。
寝屋子同士も死ぬまで兄弟同然。

その背景には漁業という命をかけた仕事には、地域の人びとの関係性、共同性、結びつきが大切だということがあります。今も島ではこの制度は住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤になっています。もちろん時代の流れの中で少しの変化を経ても、「住民が助け合う」文化は受け継がれています。

インターンシップのレポートでは

「寝屋子の制度は日本の宝といえる文化だと思う」
「日本で薄れてしまっている人と人との関わりの大切さを実感した」
「子供たちに限らず大人たちにも人のつながり、仲間はすごく大切な存在なんだと改めて感じた」
「現在、農村や漁村では少子高齢化によって、後継者となる子供が減少しており、より一層過疎化が進むなかで寝屋子制度にヒントがあるかもしれない」

など、皆さん感想を寄せてくれました。

さて、ビデオを観て感じたことを実際に「現場を歩き」どのような思いがしたでしょう。次回の授業で聞かせてもらいます。

梅雨の中、当日は眩しいほどの太陽が海を渡ってくる風も心地よく、船着き場でかつて寝屋親であり大勢の子供たちの親だった山下正弥さんが、船が見えなくなるまで手をふって見送ってくださった姿に、暖かな人のぬくもりを感じた答志島の旅でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:35 | | コメント (6) | トラックバック (0)

木の実ナナさんの主演ミュージカル「イカれた主婦」

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先日の18日の夜、木の実ナナさんの主演ミュージカル
イカれた主婦~ANGRY HOUSEWIVES」を観てまいりました。

ひと言・・・「カッコ良かった!」
他の人たちとの"ぶつかりあい"の爆笑ミュージカル。
ロックン・ロール!!って!?
60年代聴いたローリング・ストーンズ?
初演は20年前とか。
その時には残念ながら拝見しておりません。

先日ラジオのゲスト(文化放送・浜美枝のいつかあなたと)にお越し頂きお話を伺いましたが、もうスタジオでもロックン・ローラーだったナナさん。いつも変わらぬ全力投球!のナナさん。

ナナさんのもつ魅力が十二分に発揮されており、明るいパワーだけでなく、女(母親)の悲しみや優しさ、切なさ、それでいて周りの人をあたたかく包み込むベヴの人間的魅力が舞台いっぱいに広がり、共演の木村緑子さん、彩輝なおさん、浦嶋りんこさん、山崎育三郎さん、川崎麻世さん、ROLLYさんたちとのハーモニィーも最高でした。

客席のお客さまもノッテいましたね。
「イカれた主婦」に客席は「イカれていました」。

オフ・ブロードウエイでの上演が日本に上陸し、素晴らしい舞台となっていました。東京(ル・テアトル銀座、5月23日まで)が終わると名古屋、金沢、大阪公演まで、全国に爆笑とロックン・ロールが響きわたることでしょう。

ナナさんそして皆さん!元気を、愛をありがとうございました。

PS 料理家の枝元なほみさんは来週にいたしますね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:05 | | コメント (1) | トラックバック (0)

奥入瀬渓流

先週は「サントリー・セサミンE」のコマーシャル撮影で青森県南部地方のロケに行ってきました。

築130年以上経った家で、今でもそこに暮らしておられる家をお借りしての撮影でした。黒光りする柱・梁、そして八甲田山を遠く見ながらの美しい風景。
そこでの人びとの暮らし、伝統料理。昨年は美しい棚田の風景の中でのロケ。どんなコマーシャルになるのか・・・楽しみにしていてくださいね。

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小雨が降る一日、休日となったので以前から憧れていた「奥入瀬渓流」の川沿いを十和田湖まで歩いてきました。渓流沿いにはいくつもの滝があります。雲井の滝、銚子大滝、そして阿修羅の流れの美しさ・・・雨も上がり渓流沿いには車道とともに遊歩道が整備されているので楽に歩けます。奥入瀬渓流は青森県十和田市十和田湖畔子ノ口(ねのくち)から焼山までの約14kmの渓流です。十和田国立公園に属し国指定の特別名勝及び天然記念物。

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そして十和田湖では「湖上遊覧」も楽しみました。陸からではなく湖上から見る美しい風景。西湖、東湖をゆっくり50分かけての素晴らしい旅。十和田湖は、典型的な二重カルデラ湖。周囲は約46km、最も深い所で326m。水が澄んでいました。豪快にして繊細、初春の彩りは格別でした。きっと四季折々素晴らしいことでしょう。

そして箱根に戻り、芦ノ湖の周りを今朝も2時間ほど歩きました。
"水"のある風景は心を癒してくれます。

投稿者: Mie Hama 日時: 19:02 | | コメント (1) | トラックバック (0)

近畿大学

近畿大学総合社会学部の客員教授を任命され、春からの授業が始まりました。総合社会学部は近畿大学第12番目の学部として誕生しました。
 
「道なき道を拓く」が目ざすべき旗印です。

春の光りの中、キャンパスに足を踏み入れると、ハナミズキの花が満開に咲き私を迎えてくれました。真新しい校舎、大学のスタッフの方々が笑顔で迎えてくださいました。

私は中学しか出ていません。高校や大学という学び舎で勉強をする機会には恵まれませんでしたが、社会に出てから出会った多くの先輩方、そして本や映像を通じて巡りあうことができた素晴らしい先人から、たくさんのことを学ばせていただきました。

「この人を師と仰いで人生を歩んでいきたいと一瞬にして心に決めた人」もいます。そして、多くの出会いに導かれるよう、に20歳を過ぎると仕事の合間に日本のみならず、海外にも出かけ、民芸・骨董・絵画・建築などを現場で独学で学びはじめました。

机の上の学問だけではなく、現場に赴き、この目で見、耳で聞き、肌で感じることを何よりも大切にし、多くのことを学んできた私。

「現代の先達に学ぶ・自分らしさの発見~暮らし・食・農、旅がもたらすもの」

第1回目は「現場を歩くことの大切さ」
土曜日の午後、学生達は私を迎えてくれました。
そして彼らのスピーチは問題意識をしっかり持ったものでした。

「情報量を考えると、明らかにインターネットが速くて多量だが、新聞やマスメディアだけの情報では一方的な考えに固まってしまう。やはり現場へ赴いて、多くの人びとの話にふれ、耳を傾けることが大事」

「農業体験をした経験で、スーパーに買い物に行かなければ、食料を手にできない現実を考えてしまう」

など等。

子育ては自分育てでもある・・・と思ってきましたが、こうして若者と一緒に語りあっている時間は「自分育て」だとも思えました。

学生の皆さん「美しいキャンパスを港」として、どんどんフィールドワークに出かけましょうよ。大地を歩き、人に出会い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿る・・・と思っています。

次回又会えるのを楽しみにしています。

PS. 学食のソースカツどん美味しそうでしたね!次回食べます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:23 | | コメント (0) | トラックバック (0)

小三治師匠の独演会

桜満開の4月4日(日)、アミューたちかわに落語を聴きに行ってまいりました。

「柳家小三治・独演会」
演目は「長屋の花見」「品川心中」

立川駅から歩いて15分ほどのホールまで、「もう恋なのかもしれない」というときめきを感じながら・・・市民会館のまわりの桜が満開に咲き、序奏がはじまります。

1,500名のホールは満席。まだまだ落語の聴き手としては10年ほどですので感想はひかえますが、この季節、この時代に「長屋の花見」を聴けるなんて。

人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。若者も会場には多く見られました。そんな若者にも師匠は話かけます。
そして、ホールの隅々の方にも心をくばられて・・・。

数いる噺家の中でも、最初に出会った噺家が小三治師匠であったことも、私にとっては本当に幸運でした。今は60代半ば。最高の噺家・小三治師匠に巡り会えたご縁を大切にしたいと思います。目で、耳で、一心に師匠の世界を堪能させていただいた桜満開の昼下がりでした。これからも追いかけ続けます。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:22 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「クロマグロに思う」

ワシントン条約会議でモナコ提案は否決されました。
地中海を含む大西洋産クロマグロです。
これは予想を上回る大差でしたね。

皆さんは今回の問題をどのように考えられますか?

たしかに資源が絶滅するとは思えませんが、「枯渇」することは十分考えられます。漁業で生計を立てる人々のことを考えると、安堵いたしましたが、日本がクロマグロの80%を消費しているのはたしかですし、「なくなる前に食べておかないと・・・」と言い寿司屋に飛び込んだ友人もおります。

そこで思うのです。
「トロ大好きな日本人」ですが、現実には魚離れが進んでいる食卓。
日本にはいろいろな魚があります。もっと色々な魚を食べませんか?
今回のことをきっかけに、「食のあり方、暮らし方」を考えてみませんか?

そして、国内に目を向けると三陸のマグロ漁業が危機に陥っています。
河北新報社では連載企画で「漁場が消えるー三陸・マグロ危機」を発表しました。海外の人たちに頼らざるを得ない、後継者不足の漁業。

今回の「クロマグロ」から日本の未来、世界の環境を考えるのは
他人事ではないと思うのですが・・・。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:55 | | コメント (0) | トラックバック (0)

夢を入れる筥(はこ)

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春が近づくと心がウキウキしてきます。
「さあ~何を入れましょう・・・」

それは、「箱」と書かずに「筥」と書きます。薄紅色に染めたガラスの表面に、金箔を桜の花びらを散りばめたように貼り込んだ六角形の飾り筥。私が大切にしているものたちのなかでも、特に気に入っている宝ものの一つです。

そういえば、遠い昔の少女の頃にも、そんな風に大切にしていた宝ものの箱がありましたっけ。

季節の花々を形どった色とりどりの練り菓子は、どれもきれいで美味しかったけれど、私にはそれ以上にお菓子の入っていた箱の方が、もっと魅力的だったのでした。幼い日、私の家を訪ねてきたあの美しい和服姿のお客さまは、いったい誰だったのでしょう。

きれいな和紙でできた、淡い桜色の箱。

おはじきや、千代紙や、ビーズの首飾りや・・・自分がほんとうに好きな物、
美しいと思える物だけを詰め込んで、大事に、大事に持っていたのです。
嫌なことがあって気が沈だときなど、その箱を開ければ幸せになれたの。

そして大人になって、ある時ガラス造形家の藤田喬平先生の桜色をした飾り筥が私を待っていてくれたのです。私は、その筥の美しさにみほれているうちに、子供の頃の和紙の宝箱のことを思いだしました。

もうすっかり大人になった私にも、ただ眺めているだけで嫌なことが忘れられるような、心に潤いを取り戻させてくれるような、そんな宝の筥が必要に思えたのです。

出会った瞬間に私は藤田喬平先生に

「これは何をいれるための筥ですか?」

とたずねました。

「あなたの夢を入れてください」・・・と。

先生はきっと、箱は物をいれるもの、そして、筥は、美意識とか思いを閉じ込めておくもの、と区別していらしたのかも知れません。

三月三日が近づくと、だからウキウキするのです。一年に一回だけ"夢"を入れる筥に料理を盛り、お雛さまをします。

今年は何を入れましょう。
すっかり大人の私は女友達とシャンパン・・・。筥には"いちご"、いえいえ、
やはり食いしん坊の私は料理を入れ夢を語りあいましょう。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:22 | | コメント (0) | トラックバック (0)

わが人生に乾杯

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1月末にNHKラジオ「わが人生に乾杯」の生放送に出演いたしました。
司会は山本晋也監督、パートナーは出光ケイさん。(20:05~21:25)

なにしろ生放送です。箱根の山から渋谷のスタジオへ。1時間前に入り、打ち合わせを兼ねてのおしゃべり。さすが、山本監督、映画時代の話からこれまで歩んできた私の人生、緊張を和らげてくださりながら、番組は進行していきました。

子供時代の私。小さい頃から、家事を手伝い、親に甘えることの下手だった事、貧しくとも心豊かに過ごせた時代。少女時代の私は、男の子みたいにおてんばで、気が強く、でも泣き虫でした。かまどの炎を見ながら、ふっと寂しくなり涙がポトポト。そんなとき、昔の人たちや昔のことを知りたいな・・・と思ったこと。

そして、中学生で出会った「柳宗悦の民芸」の世界。

バスの車掌から女優へ。女優をしながらも「このままやっていけるのかしら?」と才能のなさに途方にくれた日々。そんな時に出会った写真家・土門拳先生の「本物に出会いなさい」というひと言。

10代でのヨーロッパひとり旅。

「007は2度死ぬ」出演のエピソードやそこで出逢った俳優さんたち。
ショーン・コネリィーさん。スタジオでお会いしたシドニィー・ポアチエさん。
偶然ホテルでお見かけしたオードリィー・ヘップパーンさんの美しさ、など等。

私の青春の一ページです。


そして、40代からの「日本の食・農・環境問題を考える中で、日本古来の手仕事や暮らし」への思い。食の安全や安心に関心をもつ人も増えてきた時代、生産者、消費者の垣根を越えて「食・農」を考える時代になり多くの若者が取り組み始めたこと。

私は自分の足で現場を歩き、自分の目で見、自分の肌で感じ、農に生きる人たちと語りあってきたこと、などを話させていただきました。

「自然は寂しい、しかし人の手が加わると暖かになる その暖かなものを求めて歩いてみよう」
                                                     
宮本常一のこの言葉に背中を押されての旅。そして、この番組ではゲストが、自分の人生を振り返り、その気持ちを文章に綴り読むことになっているのです。

「私にとって人生とは、自分というものを探す旅のようなものかもしれません」

多くの人に導かれ、先人にも教えをいただき、あるいは骨董や民芸に手を携えてもらいながら、これまで歩んできました。たくさん笑い、たくさん勇気をもらい、たくさん楽しい時間を過ごし、たくさん学び・・・辛さも悲しみもエネルギーに換えてきました。

ひとつ山を乗り越えるたびに、新しい自分を発見したような気がしました。経験を積み、年齢を重ね、知恵も少しずつ身につけました。大きな山を目の前にしても、以前のようにたじろがなくなったのはそのせいかもしれません。がむしゃらに乗り越えるだけではなく、回り道をしたり、時に休んだり、ときに人の助けを借りたりすることも覚えたからです。

そして、旅の道程がもっと深く楽しいものにと変わって行きました。私はこれからも明るい光が差し込む方向に歩いていきます。道端に咲いている野の花の可憐さや頬に受ける風に微笑みながら、一歩一歩、明日、どんな自分に出会えるのかを楽しみに、丁寧に生きていきたいと思います。

こんなことを話させていただきました。

そして、山本監督から
「浜さん・・・貴女のわが人生とは」の問いかけに

「限りある命だということを、実感としてわかる年齢になったからこそ、自分が本当にしたいことを探し、納得できる人生を過ごしていきたいと思います」

と申し上げました。

山に戻ると星が輝いていました。そして「わが人生に乾杯」とグラスをかたむけ、今回も幸せな仕事との巡り会わせに感謝した夜です。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

沖縄で私を待っていてくれる女性たち

私にとって大切な沖縄の女友達。
出逢ってから20年は経つでしょうか。
今回は那覇ではなく宮古島で会いました。
私にとってかけがいのない女友達、皆んな40代です。

ある時は旧三月三日。女たちの浜下(はまおり)の日。
伝統行事だから、昔のような姿で。重箱に浜下りの料理をもって。

沖縄に来て癒されるのは、豊かな自然や芸術に加えて、
彼女たちとの交流が私に大いなる元気のもとを与えてくれます。

私が初めて沖縄を訪ねたのはパスポートが必要な時代でした。
民芸に出会い、偉大な先人たちが訪ね歩いた民芸の故郷を訪ねる旅が始まりました。道具と出会い、そこに暮らす人のお話を聴き、帰ってくるだけなのですが、心がいっぱいに満ちたりるのです。

今回の宮古島での一時は、さらなるエネルギィーを、愛情をいっぱい・いっぱい頂きました。宮古の島の優しさに満ちた人々。美味しい地産池消の食材を生かした料理。

ミヤコ(ミヤーク)とは「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」という意味だそうです。

「ミ(自分)ヤ(住んでいる)コ(場所・村)

宮古島には、日本本土や沖縄本島とも異なる独自の文化があります。
伝説もたくさん残っています。

まだまだ寒い箱根から、宮古の暖かさを贈ります。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:14 | | コメント (0) | トラックバック (0)

メリークリスマス

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皆さまはクリスマスをどのようにお過ごしでしょうか。

私は、箱根の森の静寂な中で迎えております。
我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりします。
木々たちは、何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり
ときには眠ったふりをして答えてくれなかったりするけれど、
木々とのおしゃべりは本当に楽しいのです。

素敵なクリスマスを!

投稿者: Mie Hama 日時: 08:42 | | コメント (0) | トラックバック (0)

箱根のクリスマス

12月2日~3日にかけて主婦の友社「ゆうゆう」のオリジナルツアーで、ここ箱根の我が家に、遠く北海道から九州まで、70名の読者の方々がお集まりくださいました。

雑誌「ゆうゆう」では4年間の連載を受け持ちました。連載開始当時60歳になったばかりの私の経験を少しでも参考にしていただけたら同じ女性として嬉しいと思ったからです。

「ゆうゆう」では、一人の人間として、ありのままの自分を語ってきました。私も読者の皆さんと同じように、人生の中で、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、 苦しかったことや悲しかったことなど・・・を共有してきました。だからでしょうか、初めてお会いした方ともすぐに仲良しになれます。

親子でのご参加、50代、60代、70代の方々。皆さんのお顔が輝いています。

女性の人生は、家族を精神的に支えることが求められるだけに、男性より悩みが複雑かも知れません。けれども、その大変さを乗り越えることで、より豊な自分になれるのではないでしょうか。今回の皆さんのお顔を拝見していると、そんな美しい輝きがありました。

家のことはしばし忘れ「ご自分へのご褒美よっ!」とお話すると大きくうなずく彼女達。 素敵な箱根の初冬の午後の一日でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:20 | | コメント (1) | トラックバック (0)

亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。

この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)

約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

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初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。

廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

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「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:55 | | コメント (1) | トラックバック (0)

「日めくり万葉集」

NHKで「日めくり万葉集」が放送されています。

NHK教育テレビ
月~金曜日  午前5:00~5:05
   日曜日  午前6:00~6:25(再放送)
BSハイビジョン
月~金曜日  午前6:55~7:00

私は春にも出演いたしましたが、10月22日(木)に撰者として箱根のいにしえの世界をご紹介いたします。


  足柄の
  箱根の山に
  粟蒔きて
  実とはなれるを
  あはなくも怪し

巻十四・三三六四  東歌・相模国歌

粟を蒔いて無事に実ったというのに逢わないなんておかしいわと、そんな思いで詠んだ女性の住まいが、我が家と同じ箱根の山というところに惹かれました。

番組では実際に竈で万葉時代の農民が主食とした粟を炊いてみました。粟が八で玄米が二の割合です。これが想像よりフワーとしていて美味しいのです。

粟は5月に種を蒔き10月から11月に収穫します。ということは、逢いたい人が半年近く逢いに来てくれない想いを詠んでいるのですね。この女性の突き抜けた大人の魅力、心のゆとりを感じます。そして、もう男が逢いに来なくても気にしないわっていう逞しい女性を想像してしまいます。

恋の歌にして詠む・・・素敵ですね。
どうぞ番組をぜひご覧ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

広島への旅

台風の前日、紅葉にはまだひと足早いのですが、広島の厳島神社に行ってまいりました。

海に浮かぶ姿が幻想的で、1400年の歴史を持つこの神様に思わず手を合わせました。背後に山をひかえ、前面が海の社殿は神々しく感じ、自然を崇拝して、山などをご神体として祀られている姿はまさに日本の宝、いえ世界の宝・・・だと実感いたしました。

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厳島神社は平成8年12月にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫の三女神です。

自然に神をみる日本古来の信仰をそのまま形にした美しい神社です。宮島は昔から神の島として崇められていたので御社殿を海水のさしひきする所に建てたといわれています。まもなく山々が紅葉し、さぞ美しいことでしょう。

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船乗り場までの裏道を散策していたら美味しい「もみじ饅頭屋」を見つけました。小豆の皮をむき、餡子にしているのです。甘さも程よく、店先では饅頭とお茶、またはコーヒーがいただけるのです。外国人2組が美味しそうにお饅頭を食べていたので私も仲間入り。

ふと、今は亡き宮島の「しゃもじ作り」の名人、三宅さんを思いだしました。
あれは23、4年前のことです。テレビの取材でお訪ねしました。そのとき三宅さんは私に向ってこう仰いました。

「浜さん、僕の作るしゃもじは、お母さんのおっぱいと同じですよ、原木から乾燥させ、おしゃもじのカタチを作ります。でも本当のおしゃもじにするのは、お母さんなのです。」

私も4人の乳児は母乳で育てましたが、意味が分かりません。

「何故ですか?」と伺うと

「よそみをしながらお乳をあげていませんか?心こめていますか?私のしゃもじも心を込めて、ご飯をついでほしいのです。」・・・と。

旅って出逢い・・・と、しみじみ思ったものです。

投稿者: Mie Hama 日時: 12:49 | | コメント (0) | トラックバック (0)

近畿大学でのオープンキャンパス

私は来年、2010年から東大阪にある近畿大学に新たに開設される「総合社会学部」で、客員教授を拝命することになりました。

そこで、私は「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマのもと、授業を担当いたします。

先日オープンキャンパスにお集まりのご父兄、高校生の前で話す機会を得ました。私が講義を担当することになる学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直したいと、今からわくわく胸をときめかせております。

私自身、男の子二人、女の子二人、計四人の子供を育てました。
四人子供がいると、まさに四人四様で、反抗期が激しい子もいれば、黙っていうことをきかない子もいるし、勉強をコツコツやる子もいれば、自分の好きなことしかやりたがらない子だっています。

同じように育てていると思っているのに、それぞれの個性が育っていて、人は実に多彩な大人への道をたどるものなのだと感じさせられることもたびたびでした。

子育てを通して自分の長所にも短所にも気づかされました。
子育ては一筋縄ではいきません。
大学生になる子供に対して何ができるのでしょうか・・・。

私は思うのです。
「親は子供の成長を認める必要があるのではないか」と。

大学に入って卒業するまでの4年間は、子供たちにとっては激動の時代です。息子、娘から小さな大人になるためのステップを歩むときです。

大学時代は、モラトリアムの時期ともいわれます。心理学者エリクソンによって導入された概念「大人になるために必要な猶予期間」。大学時代は、まさにそのモラトリアムを体験することで、自分の輪郭を把握し、これから飛び込む、きびしく、喜びに満ちた社会を生き抜く覚悟と基本的なスキルの芽を育てるときだと感じています。

もし考えにつまった時には、現場に赴きましょう。
現場を歩いて学ぶことも大事だと思います。
自分の足で歩き、目で見、肌で感じ、たくさんの人々と出会うことでの発見。

大切なのはコミュニケーション。
失敗しても試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができます。どんなことがあっても、いつも心に希望を抱き、前に進んでいける、しなやかな心と知性を、大学で身につけていただきたいと願っています。

と、こんなことを1時間お話しし、その後に高校生と語り合いました。

来年の4月、キャンパスでお目にかかれることを楽しみにしております。


 

投稿者: Mie Hama 日時: 07:34 | | コメント (0) | トラックバック (0)

リッチモンドへの旅

1週間の休暇を終え帰国いたしました。

今年の夏は「ギャルリー田澤展」と「片岡鶴太郎展」の二つの展覧会が開催され、おかげさまで多くの皆さまに、ここ箱根までお越し頂き感謝いたします。

HPにもありますように、箱根の我が家を大人の方に楽しんで頂きたい・・・
そんな思いで春から本格的に始めた"展覧会"、"コンサート"、"旅"など。
思いのほか若い方々にもお越し頂き、喫茶でのおしゃべりも楽しみになりました。

「正直な作り手たちの味」も立ち上げました。
30年近く全国の農山漁村を訪ね歩き、作り手と語り合い、自分の舌で味わった美味しいもの取り寄せ便です。
四季折々、この国の豊な食材に出合ったときの喜び。
お腹だけでなく心まで満たされる・・・
そして、めぐり合った時の作り手から感じる誇りとこだわり、誠実なお人柄、生きる姿勢、世界観や哲学まで垣間みることができることに深い感動を覚えます。

「間菜舎のコーヒー」に続き、今回は「安曇野の純正アカシア蜂蜜」をご紹介いたします。次回は「新米・浜美枝のひとめぼれ」です。ご期待ください。
詳しくはこちらをご覧下さい。

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さて、今回の旅は友人の天沼寿子さんと、リッチモンドの彼女の友人宅に宿泊させて頂きました。リッチモンドは1779年にヴァージニア州の州都に制定された、歴史ある街です。日本からはシカゴ経由で行きましたが、飛行場の大きさにドギマギ。モノレールに乗っての第5ターミナルから第1ターミナルへの移動はちょっとした冒険でした。

滞在させていただいた郊外の「ミドロシアン」周辺は、コロニアルスタイルの大きな家が木立の中に建ち美しいエリアです。
自然を愛するご家族、庭は1エーカー(1,226坪)はあるでしょうか。
どの家も手入れの行き届いた美しい庭です。
早朝散歩をしていると、ゴミ出しをしている家のご主人たちが気軽に挨拶を交わしてくれます。

なにより幸せだったのは、寝起きのままベランダに出てロッキングチェアーに揺られながら女同士のコーヒータイム。小鳥の囀りを聞きながら、植物の話、人生について、大笑いをしながらのひととき。

心から力が抜け開放感が味わえるのです。

観光地めぐりもせず、女主人の美味しい料理を頂きながらの至福の時間。
厳しい世界情勢、海外で日本のことを考えるのも意義があります。

そういえばオールドリッチモンドにも行きました。古い地域で、赤レンガの家が並びイギリスからの入植者が作った街には風情があり、違ったアメリカが味わえました。

自分自身を開放させる旅も時には素敵です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:17 | | コメント (0) | トラックバック (0)

友情について

皆さんは友情についてどんなお考えをお持ちですか?

私はわりあい慎重な性格なので、人と親しくなるまでには時間がかかることもあるのですが、いったん心を許し合うと、本当に長いご縁になります。長いお付き合いの間には、子育てに没頭したり、仕事がいそがしかったり、いろいろあります。相手だってそうです。ですから、環境が変われば、関係が疎遠になることもありました。子育ても一段落した50代になり、自分の時間が持てるようになってからは、友人とお茶を飲んだり、夕暮れどき軽くカクテルなどを飲みおしゃべりをしたり・・・。

1~2年会わない時期があっても、会えば変わらぬ友情がそこにはあります。

   "友情は積み重ねていくもの"     だと思います。

長年、私とお付き合いが続いている人を思い浮かべると、みんな「お互いさま」という感覚を持っているような気がします。お誘いをお断りすることがあっても「お忙しいのね。そっち、頑張って。でもまた声をかけるわね」と、笑顔で言ってくれる人が多いのです。同じように私も、相手の状況は「ああ、介護で大変なんだわ」とか、何となくわかりますから「体に気をつけて。またご連絡するわ」と言って、心の中でエールを送ったりします。

「お互いに相手の世界に土足で入っていかない」
「相手の状態を尊重する」

何か他人行儀じゃない?といわれることもありますが、お互いを縛りあって、それが破綻の大きな原因になってしまっては哀しいですもの。

私にとって友人は、いつも一緒に行動する関係ではなく、心の仲間なのです。このごろ、親子関係だけではなく、友情もまた積み重ねていくものだとしみじみ感じます。

そんな長年の友人であり、「カントリーアンティーク」を日本に広めた天沼寿子さんとご一緒に1週間ほどリッチモンドの彼女の友人のお宅に滞在させていただきます。自然豊かな美しい庭、素敵なアーリーアメリカンのインテリア。
とても楽しみです。

私のちょっと遅い夏休みです。
心が満たされるような友人は、心の財産だと思います。
友情に感謝!です。

次回旅のご報告をいたしますね。  

投稿者: Mie Hama 日時: 08:42 | | コメント (0) | トラックバック (0)

CCS15周年アニバーサリーパーティー

先日、日曜日の夕暮れ帝国ホテルで素敵なパーティーに出席してまいりました。

NPO法人カクテル・コミニュンケーション・ソサイティー(C・C・S)
「15周年アニバーサリーパーティー」

会場ではジャズがながれ、全国からカクテルファンが集いました。そして銀座テンダーの上田和夫さん、モーリ・バーの毛利隆雄さん、福岡からは長友修一さん、大森のバー・テンダリーの宮崎優子さん他、全国から「カクテル・アーティスト」が勢揃いし、それぞれが得意のカクテルにシェーカーをふってくださいました。

サイドカー、マティーニ、モヒート、ジャックローズ、ダイキリ、ギムレット、マンハッタン、バンブー、同じバンブーでも上田さんのバンブーと女性の宮崎さんのバンブーでは微妙にニュアンスが違い両方とも楽しませていただきました。

カクテルについては昨年のブログに載せておりますのでお読みください。

カクテルは幸せなときには、そっと寄り添ってくれます。ちょっぴり寂しいとき、辛いとき、心がいたんでいる時は背中をほんの少しおしてくれます。
「大丈夫、そのままで」・・・と。

バーテンダーはアーティストです。31名のアーティストのカクテルをほんの少しずつ、梅雨の合間のひととき夕暮れ時を楽しんでまいりました。ほろ酔いかげんで箱根の山を上って家路につきました。

皆さん、ありがとうございました。
これからも大人のカクテルを期待しております。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:08 | | トラックバック (0)

やねだん~人口300人、ボーナスが出る集落~

先日、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科主催の「やねだん学事始」のシンポジュームを聴講してまいりました。

鹿児島県鹿屋市の柳谷(やねだん)が今注目を浴びています。この柳谷を取材したドキュメンタリィー番組は南日本放送で放映され、数々の賞を受賞しました。韓・中・英語にも訳されています。私も選考委員をしております「農業ジャーナリスト賞」でも受賞されました。

日本中で問題になっている過疎集落。この集落は人口減に歯止めをかけ、独創的な地域再生を目指しました。行政の補助金に頼らず自立した集落再生を見事に描いています。

この日のパネリストは
リーダーの豊重哲郎氏 (鹿児島県鹿屋市柳谷自治公民館館長)
山縣由美子氏 (南日本放送キャスター、デレクター)
佐野眞一氏 (ノンフィクション作家)
椎川忍氏 (総務省地域力創造担当審議官)

コーディネーター
高橋紘士氏 (立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授)

製作者である山縣さんとは授賞式でもお話することができました。12年近く現場に足を運び、住民に寄り添うようにカメラを回し、痛快に!なによりも明るく、小さな取り組みを丹念にとらえています。

人口300人、うち65歳以上が4割。耕作放棄地も空き家・廃屋も目につく農村集落をボーナスが出るほどの集落へと導いたキッカケ、人々の思い。番組を上映し、それぞれのお立場からの発言は大変興味あるものでした。

これからの私たちが暮らす、この日本のあり方を再確認し、地域づくりの在りようを考えさせてくれるシンポジュームでした。

MBCからDVDが出ています。  《やねだん》3,000円

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:45 | | トラックバック (0)

田植えとなんじゃもんじゃの花

先日久しぶりに若狭の我が家へ帰ってきました。

福井県大飯町三森に私の家があります。この家も箱根の家同様、壊される寸前に出くわし譲っていただいたものです。背後に竹林、前に田んぼと佐分利川が広がります。

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この20年余り、都会に生きる消費者の一人として日本の農業というテーマに深い関心を抱き、あちこちの農村を訪ね歩くうち、私の中で少しずつ、生産に対する限りない憧れが募っていったのです。 

私自身は生産者と呼ばれる者にはなれなくても、自分のこの手で無農薬米を作るという行為に挑戦してみたら、実際の米作りの苦労や喜びがもっと理解できるのではないか、農民の方々のお心に、もう少し近づけるのではないか・・・そんな思いが膨らんで、若狭の私のお米の先生・松井栄治さんの手ほどきで素人の私も田植えから収穫までの経験をさせていただきました。

10年間・10回の経験でした。

日本のふるさとの原風景そのものの若狭三森。松井さんの田んぼの田植えもほぼ終わりました。そして、まもなく、この田んぼや木々に蛍が見事な乱舞を披露してくれます。

帰り道、近くの集落で生まれた作家・水上勉さんの"若州一滴文庫"に寄ってまいりました。

「家には電灯もなかったので、本も読めなかった。ところが諸所を転々として、好きな文学の道に入って、本をよむことが出来、人生や夢を拾った。どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。」と水上先生語っておられます。

この文庫には所蔵本・水上文学にゆかりの深い作家の絵画作品、水上作品に登場する人物の竹人形などが展示されています。

何度も通った場所です。今回は、新緑に映える「ヒトツバタゴ」別名「なんじゃもんじゃ」が満開です。まるで雪化粧のような美しい花。20年ほど前に植樹したそうです。「ヒトツバタゴ」はモクセイ科の落葉樹。中部地方や対馬地方に自生し、4つの花びらをつけます。

なぜ「なんじゃもんじゃ」なんて名前がついているのでしょうか。岐阜県瑞浪在住の方がわざわざ自動車に積んで、この花の苗木5本を一滴文庫に運んでくださったそうです。水上さんのエッセイにこのように書かれています。

「天然記念物の学名は、『ひとつ葉』となっているようですが、瑞浪市はみななんじゃもんじゃといっています。ある学者の説によりますと、冬が去って、春が逝き、ようやく青葉の頃がきたというのに、急にこの木にだけ雪がつもるようなので、これはなんじゃもんじゃ、と岐阜なまりでたまげることから生まれた名だときいています」と。 

美濃の国では、おっ魂消(たまげ)た時に"なんじゃもんじゃ"というとか。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:21 | | トラックバック (0)

ゆうゆうサロン

昨日(14日)雑誌"ゆうゆう"の読者の方々と、東京・目白の椿山荘で「旅とおしゃれと人生と」をテーマにお話をさせて頂きました。新緑の美しい庭の見える会場は、おしゃれをした女性たちでいっぱい。

第1部はスタイルスト石田純子さんの

"もっと楽しく、センスよく~大人の旅スタイル"

石田さんのアドバイスによって旅することが楽しくなりそうです。


第2部で私は"箱根の暮らしと旅での出会い"をテーマにしました。
"ゆうゆう"での4年間の連載を一冊の本にまとめてくださいました。

浜美枝 凛として、箱根暮らし

ゆうゆう読者は50歳代から60歳代。連載開始当時60歳になったばかりの私。読者の皆さんと共に身近な暮らしを見つめ直し、等身大の自分の気持ちを、ありのまま語らせていただきました。

これまであまりプライベートについて語ってこなかった私ですが、働く女性として感じたことや子育てをしながら感じてきたこと、あるいは母でも妻でも女優でもないひとりの人間として感じたことなど・・・。

ありのままを語ることは、とても新鮮であると同時に、厳しい作業でもありました。けれど、連載を通して自分を振り返ることで、私自身、しっかりリセットできたような気がします。

昨日は同世代、ちょっと下の世代、年齢を越えて同じ女性同士。とても楽しいおしゃべりができました。

私の女優時代。
「名優たちに囲まれていた60年代の東宝撮影所」。1961年の私は17歳、映画デビューの年でした。今思い出すと夢のような時代、まさにキラ星そろい・・・
スターの時代でした。
「銀座の恋人たち」
「キングコング対ゴジラ」
「クレージー作戦」
「無責任シリーズ」で植木等さんたちとの共演の時代もありました。

今のようにスタイリストの方がいるわけではなく、スタッフの方々と衣装を決めていました。当時の撮影所の雰囲気は忘れられません。映画のよき時代に仕事ができたことが、私にとって一番の収穫だったと思います。

私の憧れの中の憧れ、原節子さんを何度もお見かけしました。いつも背筋を伸ばし歩く姿が美しいのです。原さんの美しさは何かあたりをオーラで包むような「気」がありました。

そして旅の始まり。

イタリア映画に魅せられていた私は迷うことなくイタリアに向かいました。17歳のひとり旅。数々の名作を生んだチネチッタ撮影所、大フアンのマストロヤンニさんの芝居、見たい!一生懸命さが何より雄弁です。マストロヤンニさんの楽屋までたどりついたのですから。額に光る大粒の汗に、俳優の仕事の結晶のようなものをみたのです。

女優という仕事に、どこか徹底できていないでいた私の気持ちをふっきらせてくれたとでも申しましょうか。その時にご一緒に撮らせていただいた一枚の写真。私の宝ものです。

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マストロヤンニさんの額の汗に当時の「私」は突き動かされたのでした。

それからたくさんの旅をしてきました。なぜ・・・旅をするのか。私自身にとって"旅"はいつも学校でした。塾であり、思索の場でした。

いつか教わったことがあるのですが、昔、旅という字は、今の旅行の旅ではなく「賜る」という字を書いて「賜ぶ(たぶ)」と読んだそうです。人の出会い、人から必ず恩を頂く。ちょっと"おしゃれをしてこれからも心賜る旅"を続けたいと思います。

そんなお話をさせて頂きました。読者の皆さまの日ごろの思いも語っていただき、和やかに会を終えました。

ゆうゆうは今年創刊7周年になります。これからも私達女性の身近で素敵な存在でいてくださいね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 20:59 | | トラックバック (0)

「日本メキシコ友好400年記念特別企画・メキシコ音楽祭2009」

本日 5月8日紀尾井ホールでのコンサートが中止になりました。私も行く予定にしておりました。ご存知のように「新型インフルエンザ」の感染者数は、メキシコで1204人、死者44人 世界の24の国と地域で2400人を超える感染者が確認されました。これ以上感染が拡大しない事をただただ祈るばかりです。

今回のコンサートによせて帰国なさり準備に追われていたバイオリニストの黒沼ユリ子さんを文化放送「浜美枝のいつかあなたと」に1ヶ月ほど前お招きしお話を伺いました。

黒沼ユリ子さんは東京のお生まれ。
小学校在学中からバイオリンを始められ、高校1年生の時、日本音楽コンクール1位を受賞。1958年、プラハ音楽芸術アカデミーに進まれ、同校を主席で卒業されました。そこから世界的なバイオリニストの道を歩み始めます。ヨーロッパで考古学を学ぶメキシコ人男性と結婚。62年からはメキシコを本拠に世界各国で演奏活動を始められ、各地で多くの聴衆にバイオリン演奏の魅力を伝えてこられました。

2008年、メキシコ最高の音楽賞「モーツアルト・メダル」を受賞。
受賞理由のひとつとして、1980年から続けられている「子供達への音楽教育」があると伺いました。(80年に設立した「アカデミア・ユリコ」で子供達に音楽教育を行っていらっしゃいます)

1983年、ユリ子さんは日本全国に子供用のバイオリンの寄付を呼びかけました。メキシコには子供用のバイオリンがなく、大人用を使っていたそうです。日本の子どもたちから百丁のバイオリンがメキシコに届けられました。

1985年、学院の生徒たち12人が来日し、各地でお礼のコンサートを行いました。その半年後、メキシコは大地震に襲われます。
日本の子供達はさっそく義援金を集め、メキシコ大使館に贈ったそうです。

「今では、学院の卒業生は1,000人を超え、演奏者として活躍している人もいます」とユリ子さんは語られます。

ユリ子さんには「メキシコのわが家へようこそ」というご本があります。
メキシコの邸宅「カーサ・デル・ヴィオリン(バイオリンの家)」での暮らしを紹介されたご本です。メキシコの食材・食べ物がいかに豊かであるかが記されています。

「なんだか、昔、日本で食べた本物の味がするの・・パワーが貰える、というような、今風ではなく古風な味のままなの」と語られておられました。

今回の「メキシコ音楽祭2009」の副題に「400年前の人類愛記念」とあります。

今年は日本メキシコ友好400年。1609年、メキシコの帆船が千葉県御宿沖で座礁した時、地元民が総出で317名の遭難者を救出したのが友好の始まりです。

国や文化圏の違う人々の音楽祭でしたが、残念です。
友好の架け橋になっておられる黒沼ユリ子さん。
いつでも私たちはお待ちしております。

そして、これ以上「新型インフルエンザ」の感染が拡大しませんように。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:24 | | トラックバック (0)

唐津・洋々閣への旅

皆さまはゴールデン・ウイークはどのようにお過ごしでしょうか?

私の住む箱根のこの時期は身動きが取れないほどの渋滞になってしまうので、自宅でのんびり過ごすことに致しました。そんなこともあり、先週かねてから念願だった唐津の「洋々閣」に行ってまいりました。そこで「中里隆のうつわ展」が開催されているからです。

「洋々閣」は私の憧れの宿でした。

唐津には何度かお訪ねしているのですが、敷居が高い・・・宿でした。

今回ようやくその夢がかないました。この宿は九州の中でも格別の宿です。
無人駅の「虹の松原駅」から宿にたどり着くまでが、まるでドラマのようでした。

無人駅には藤の花が咲き誇り、旅人を迎えてくれます。
宿には郷土を愛する人々の愛と理想と夢が込められています。

私は、一度親しくなると、人でもものでも、長くお付き合いをさせて頂くのですが、最初の一歩がなかなか踏み出せないところがあります。意を決して泊めていただきました。

"大正解"でした。

まず、中里隆さんの素晴らしい作品に出逢えたこと。かねがね中里さんのお噂は伺っておりました。七十歳で窯変した記念すべき展示でした。
(5月31日まで開催)

世界を旅し、その土地ならではの土を用い作陶に没頭された姿が想像できます。

今回、私は"ピッチャー"をもとめました。
「用の美すなわち日常に使えてこそ"美"は存在すること」を見事に表現してくれた展覧会でした。時を忘れたように、数々の作品に見入りました。

宿のご夫妻の美意識のこだわりを拝見いたしました。
日本の美を体現しているような静謐な美しさをたたえている旅館でした。

玄関を一歩入ると「花守」になる壷の活花。

器好きにはたまらない程の"器と料理"・・・全てが満足の滞在でした。

なによりも感じたことは「宿の主人と作り手の作家との"心の通い合い"」でした。素晴らしい滞在に感謝し、清清しい気持ちで帰路につけたことに心より御礼申し上げます。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:49 | | トラックバック (0)

親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール

先日楽しいイベントに参加いたしました。

「親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール」です。

小田急電鉄が運行する 臨時列車「エコ・ロマンスカー」に一般親子50組100名をご招待し、ロマンスカーには環境大臣、箱根副町長、小田急電鉄社長、小田急箱根ホールディングス社長、気象予報士、森田正光さん、そして私でした。

このイベントは3月から始まった「箱根がエコになる!低酸素社会づくりキャンペーン」の一環として開催されました。新宿駅に集合しロマンスカーに乗り込みました。約1時間半の小さな旅です。

気象予報士ハレルヤの方々による気象実験教室、森田さんのお話「気象と地球温暖化の影響」はとても分かりやすく、楽しみながらの勉強に小学生の皆さんの目は輝いていました。

私は住民代表としてこんなお話をさせて頂きました。


「箱根に住んで30年。最初は子育てに良い自然の環境に惹かれて移り住んだのがきっかけです。

まず今日皆さんに一番お話したいと思っておりましたのは、「地産地消」のことです。「地産地消」とは、神奈川県にお住まいならなるべく神奈川で採れたもの、東京の方なら近郊のものを進んで食べるようにすれば、食べ物を遠くから運んでくるのに排出されるCO2の量を減らすことができます。

フードマイレージという言葉を知っていますか?

食べ物の量と運ぶ距離をかけたもので、この数値がとても高いのが日本なのです。日本はそれだけ遠くの国から食べ物を運んでいます。運ぶためには飛行機や船やトラックなどを使うため、沢山のガソリンが必要となり、その結果CO2排出量が増えてしまうのです。

フードマイレージを小さくするために一番良いのが「地産地消」なのです。皆さんが地元のお野菜などを進んで食べるようにしていただけると、この数値がどんどん減って環境への負担も軽くなります。

それから皆さんにお願いしたいのはご飯を残さず食べること。生ごみを出さないということもエコ活動につながります。

お父さん、お母さん達にも是非お願いしたいことがあって、実行されている方も多いようですが、日ごろからエコバックを持ち歩いて欲しいということです。

エコ活動は何も難しいことではなくて、こういった日々の生活の身近な部分にも私たちができることは沢山あります。大切なのは一人ひとりがちょっと気をつけること。皆んなで頑張っていきましょう。」

と、このような話をさせて頂きました。

ドイツの環境規制は世界一厳しいといわれます。

私も、グリーンツーリズムの旅で何度もお邪魔していますが、その徹底ぶりにはいつも舌をまいています。ドイツも、日本同様、戦後、環境破壊が進みました。しかし1980年代に入って、国をあげて自然環境保護に取り組むようになったのです。今、ドイツに広がる緑豊かな森の多くは、破壊から再生への道をたどったものだそうです。

こうした、自然環境保護を支えるのが、環境教育です。

子どもたちに自然を身近に感じてもらうために多くの学校が環境に配慮した校庭づくりをし、そこにビオトープ(生物の生息場所)を作っています。自然を身近に感じることが、自然を大切にすることの原点であるという思想がそこにあるような気がします。

ご一緒した50名の小学生の皆さんが"何か"を感じてくれたはずです。

皆さんには、この日のために特別に、特製地産地消弁当とロマンスカー・MSEランチボックスが用意され、のんびり楽しい旅でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 14:45 | | トラックバック (0)

寒椿の似合う壷

生きることは ひとすじがよし 寒椿

この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということです。

箱根の山々に吹く風も初春を感じるようになりましたが、まだまだ肌寒く、この季節に自然とその大好きな句が思い出されます。

朝、まだ冬枯れの庭にでてみると、霜柱が立っています。そんな庭に、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。寒風に吹かされながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれるようです。

モノトーンの風景のなかにあでやかに咲く寒椿にしばし見惚れ、そのひと枝を手折って家の内に戻ると、囲炉裏のある部屋の窓辺に、小さな壷が待っています。

すでに45年間私と共にあって、ずっと私の半生を見守り続けてきてくれた信楽の壷「蹲」うずくまる・・・。その素朴で荒削りな、それでいて繊細さも併せ持った花器には、冬の寒椿が一番似合うのです。

春や秋の季節にその壷に花が生けられることはほとんどなく、いつもただじっと窓辺の同じ場所に蹲って、寒椿の挿される冬を、ただひとすじに待ちつづけます。薄暗い部屋のそこだけに灯りがともったよう・・・、私はしばしその場に寄り添いながら、「蹲」と出逢った遠い昔の冬の日のことを思いだします。

この壷はかっては種壷として使われていたとか。

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投稿者: Mie Hama 日時: 11:11 | | トラックバック (0)

ばっちゃんからの贈り物

大切なものは、土と太陽の匂いがする

ばっちゃん・・・ふるさとだよりの品々が届きましたよ!

栗の渋皮煮、豆糖(みそ味)手づくりジャム、凍りもち(ついた餅を寒風で乾燥させ、砂糖醤油で味付けしたもの)おたっしゃ豆(まめで達者での願いを込めて)にんにく醤油・・・そして、おみ漬け(山形名物のつけ物・青菜の浅漬けは、納豆を混ぜたりお茶漬けでも美味しいとか)

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先日、山形県西村山郡大江町に伺ってまいりました。
県のほぼ中央に位置する村山盆地。

柏倉吉代さん(74歳)、横山みつよさん(77歳)、JA高取部長さんをはじめ30代・40代の女性達「JAさがえ西村山」のみなさまの活動を知ることができました。

加工所がある18才(じゅうはっさい)という集落名は、月布川に注ぐ十八番目の沢「十八沢」に由来したとも言われていますが、ばっちゃん達はまさに18歳!そのもの。

28年前にはじめた「もったいない、無駄なく」との思いはまさに今、求められていること。

地域の伝統を大切にし、大江町らしさをだした女性ならではの知恵と技によって、「我が家に伝わる秘伝の味」「子や孫に食べさせたい味」をモットーに受け継がれてきたのです。

"おみ漬け"・・・のなんと美味しいこと。

山形青菜はボカシ肥をいれた土づくりを条件にしているそうです。
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「土」が総てを知っています。


私は40年にわたり、日本の農山漁村を訪ねてきました。
最初は民藝に惹かれての旅でした。
やがて、農山漁村の現場を知ることになりました。

第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品を誰もが当り前に手に入れるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。

ですから、近年続出した食をめぐる数々の事故・事件は衝撃そのものです。「損得」でビジネスを考えるのではなく、「善悪」という視点から捉え、信頼で生産者と販売者と消費者が互いに切磋琢磨できる関係を作り上げる。

「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」という関係をつくりましょうよ。

けっして夢物語ではありません。

だって"ばっちゃんの贈り物"が証明してくれていますもの・・・。

全国には、こうした"正直な味"がたくさんあります。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:39 | | トラックバック (0)

成人の日によせて・・・ "どんぐりに乾杯"

我が家の子ども達はとうに巣立っていきました。
次女が成人の日を迎えた時の写真が仕事部屋に飾ってあります。
そう、あれはその頃の話です。

森を歩くことは人生を歩むことに似ていると、その日もしみじみ思ったことでした。軽井沢の野鳥の森で馬場さんという森の先生にお会いしました。野鳥の名前や習性や木々のはなし・・・。うかがいながら歩く森は、生き生きと生きる森。なかでもドングリの話は、本当に感動的でした。

ドングリの実って、ほら、先がつんととんがって、まあるく台座にのっかっていますね。あの形にはワケがあるのだそうです。

馬場さんのお話によると、こうです。

「ドングリが地面におちるときが種の旅立ちです。どうおちるかで、種の生存、繁栄が約束されます。もしドングリがただまんまるというのでは、溝やくぼみにはまって枯れてしまう。まんまるではないことで、ドングリは遠くへころがっていけるのです。親木の下にいたのでは、葉が繁ってくると成長できません。できるだけ遠くへ飛んでいくことで、ドングリはぐんぐん成長できるのです」

すごい話だと思いませんか。


"親は永遠に思い続ける"


子育てには、3つの段階があるのではないでしょうか。

おなかに命を宿してから、小学校に入るくらいまでは、親にとって子どもは守ってあげなければならない存在です。そして、小学校2~3年生から17~18歳までは親子が共に育っていく時期。子どもは反抗期などを経験しながら自分自身を発見していく時期であり、親はそうした子どもと正面からぶつかり合うことが求められるのではないでしょうか。それから、20~22・3歳までは、子どもが自立して大人になるのを、親は陰ながら見守る時期だと思うのです。

これら「肉体・精神そのすべてを守る→共に育つ→精神的に見守る」という3段階を通して、親は子どもを社会に送り出すことを、私は4人の子育てを通して学びました。そうはいっても、子育ては1本の道ではありませんから、悩んだり苦しんだり、ときには立ち止まったりしました。

子育てを通して、自分の至らなさも見えました。子どもが自立して親の元を離れていくのが、寂しいという人がいますが、私の場合はむしろ安堵感のほうがはるかに大きかった感じがします。そう思えるのは、子どもが巣立っても、母親としての役目は完全に終わるわけではないと思っているからかもしれません。

永遠に親は親であり、子どもの幸せを願い続けるものなのでしょう。


"成人の日"

親は、遠くから「がんばって」と祈るだけでいいのではないでしょうか。それ以上の親の介入は、子どもにとって障壁になりかねないものではないでしょうか。 "ドングリの世界のように"

投稿者: Mie Hama 日時: 09:37 | | トラックバック (0)

謹賀新年

2009年、新春のお慶びを申し上げます。


みなさまはどのような新年をお迎えでしょうか。
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年の初めというものは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えて、希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったりするもの。そんな癖は、私だけのことでしょうか。

子どもたちが巣立った後に、これからは思いきり自分自身のための人生に出発しなければ・・・この辺でもう一度自分をみつめ直さなければいけないな・・・とそんなことを考えつづけてきた年の初め。

今は亡き「松本民芸家具」の創始者である、池田三四郎先生のことを思いだします。先生にお会いしてたっぷりとお話をうかがうと、いつも魔法をかけられたように元気になって箱根の山に戻ることができました。

ある晴れたお正月、新宿から「あずさ号」に飛び乗り松本まで。

駅前の喫茶店に入り、クラッシックを聴きながら香ばしいコーヒーの香りを楽しみ、心のウオーミングアップをするのです。

富山県八尾の入母屋造りの大きな農家を移築して、昭和44年に建った家。

私はよく先生のお伴をして周辺の山々が見渡せる丘に登ります。

民藝運動の創始者、柳宗悦も、また、宗悦に心酔していた版画家の棟方志功も同じ丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま「自然というのは、仏か、仏でないか」、「自然以上の自然が描けたら、それが、まさに芸術と呼ぶに値するものだろうなあ」と繰り返していたといいます。

秀れた先人たちは皆、自然に対して深い畏敬の念を抱きながら、大自然を父として、母として生きてきたのです。

そして池田三四郎先生はそのご著書のなかでこう書かれています。

「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分自身が復讐されつつあるとは言えないか・・・」と。

しかし、目の前の先生はストーブに薪をくべながら

「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」

と淡々と語られました。

私は、年の始めに自分自身の過去と未来を見つめ直しているうちに、この先どういう場所に身を置くべきかを考えます。

いたずらに過ぎてしまった過去や未知の未来を思い慕うよりも、

いま自分の手にしている現在を、いま身の回りにあるものを真摯にみつめて、それらを大切に暮らしていきたいと思います。
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世界中から、戦争がなくなりますように・・・。

人々の暮らしが穏やかでいられる世の中でありますように・・・。

そんなことを願った新年です。

2009年がみなさまにとって良き年になりますように。

投稿者: Mie Hama 日時: 18:13 | | トラックバック (0)

"ゆうゆう読者"とのクリスマス

年の終わりに。

みなさまにとって今年はどんな年だったでしょうか。


私は今朝も、箱根の山を1時間たっぷり歩いてきました。

初冬の凛とした空気の中での山歩きが日課になって3年近くになりました。杉の木立の道、杉の枝の間から朝の光が差し込み、とても気持ちがよいのです。空気は冴え冴えと冷たく真っ白に雪化粧をした富士山。

以前は、ただ美しいとだけ思っていた風景が、年々深く心にしみるようになりました。


この度、4年間連載してきた雑誌"ゆうゆう"を本にまとめ、等身大の自分と向き合うことができました。

このまま、50代のスピードで走り続けていくことが私にとって幸せなのか・・・

明日もまた、今日と同じような日々が続く・・・それが当たり前だと心のどこかで思っていました。しかし、65歳になり山歩きをしながら、箱根の山のエネルギーをもらい、お気に入りの木に触って「おはよう!」と声をかけ、絶景ポイントで、ストレッチをやって・・・歩いているうちに、心からはよけいな澱みのようなものがはがれ落ち、やがて心も体も軽くなってくるのです。


今年もたくさんの旅にでました。

素敵な出会いもいただきました。

自分を見つめ、心の荷物を整理することができました。
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そして、今夜はクリスマスイブ

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先日、ゆうゆうの読者の皆さんと「箱根のクリスマス」を楽しみました。

今年も大勢の方々がご参加くださり、同世代・ちょっと下の世代の方・・・女同士のおしゃべりを楽しみました。夜のパーティーではこんなご質問も。

「浜さんの健康の秘訣はなんですか?」・・・と。

私は「まず、歩くこと。歩いて新鮮な空気と"気"を取り入れること。あとは、くよくよしない!今日嫌なことがあっても、明日にはきれいに忘れることですね」と申し上げました。

今年は暗いニュースが多かった中、日々の生活を大切にし、一歩一歩、前に進んで参りましょう。
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みなさま・・・どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

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【写真提供:主婦の友社 ゆうゆう

投稿者: Mie Hama 日時: 17:25 | | トラックバック (0)

宮城の旅

宮城を旅してまいりました。

今年、6月7,8日と「食アメ」の皆さんと鳴子を旅し、地元の方々との素晴らしい出会いの場がありました。

それから1週間後の14日8時43分ころ、岩手、宮城で震度6強の地震が発生。その後が気になっていましたが、12月26日に仙台で開催されるイベントのため、宮城を一巡り・・・というチャンスに恵まれ伺ってまいりました。鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)の方々との再会は逆に私が勇気づけられるほどのものでした。

鬼首の取り組みについては来週「NHKラジオ深夜便」で詳しくお話いたします。

東京から"はやて"で古川へ。
そこから陸羽東線リゾート列車で晩秋の柔らかな日射しの中を鳴子温泉へと向かいます。現代の湯治について熱く語る大沼さんと、これからの湯治について語り合い、農家レストラン「土風里」ではどぶろくと地元野菜の料理を堪能。ここにも豊な食材と笑顔の美しい女性たち、そして、海の豊かさを育む人たちとの出会いがあります。
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美味しい牡蠣を作るために、志津川では漁師が山に木を植えています。

"森の栄養が川や海の命を育てる"

「森は海の恋人」という素敵な本に出会ったのは20年ほど前のこと。

主人公は、唐桑町在住の牡蠣養殖業者・畠山重篤さん。畠山さんは、父から継いだ牡蠣やホタテ貝の養殖をしているのですが、1965年頃から、目に見えて海の力が衰えてきたことに気がついたそうです。

「なぜ、海がこんなに力を失ってしまったのだろう」と考えた畠山さんの脳裏に浮かんできたのが、かつて視察で訪ねたフランスのブルターニュ地方の風景だったそうです。ロワール川の河口には、見事な牡蠣が育っています。干潟にはカニや小エビ、ナマコがたわむれていました。その海を見たとき、畠山さんは「これはかつての宮城の海だ!」と感激したそうです。

それから一心に考えました。宮城の海とブルターニュの海と、一体、何が違うか。

"それは、森"

ブルターニュの山々は広葉樹の森が広がっています。
海の源は川であり、川の源は森ではないのか。

もう一度、宮城の海を生き返らせよう、そのために山の森を再生しようという運動を始め「牡蠣の森を慕う会」が生まれ、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に集い、広葉樹の植林を行ってきました。

その村は岩手県の室根村でした。
その思いが志津川の漁師たちにも受け継がれているのです。

現代の日本は、林業という産業が成り立ちにくい社会になっています。

森の豊富な栄養分が水に溶け、川を通って海に注がれ、海の生物たちを育てていくのです。農村の山々の自然が、海の自然に大きく影響していくのです。水は流れ、地球を循環していくということを、私達は忘れてはならないのです。

森、山、川、海、生物の命、そして私たちの命。そのすべてが連鎖しています。

宮城の美しい海がいつまでも守られますように・・・と願いました。
採れたての牡蠣・アワビを船上で食べ、「美味しい!」と思わず叫んでしまいました。
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塩竈では"ひがしもの"(塩竈のブランドメバチマグロ)談義。

美味しいネタとは新鮮なだけではなく、寿司屋とマグロを選ぶ「目利き」の仲買人の存在が大きいことを知りました。地酒とひがしもの・・・ごちそうさまでした!
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12月26日は杜の都「仙台」を"伊達"に演出するイベント「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン・ファイナルイベント」に参加いたします。


投稿者: Mie Hama 日時: 11:28 | | トラックバック (0)

「凛として、箱根暮らし」

これまであまりプライベートについて語ってこなかった私ですが、働く女性として感じたことや子育てをしながら感じてきたこと、あるいは母でも妻でも女優でもない、ひとりの人間として感じたことなど、等身大の私を、これまで雑誌「ゆうゆう」で連載してきました。その連載を「凛として、箱根暮らし」(写真:大倉舜二氏)として一冊の本にまとめ、その作業を通して、自分に真摯に向き合うことができました。

またこの本の出版を契機に、私の愛する箱根の家に新たな風を呼び込むような活動をスタートさせたいと強く思い始めました。今後は農と食の仕事を続けながら、日々の暮らしを豊にする様々な提案を箱根の家から行っていくつもりです。

私の10代は、生きるために何かをつかまなければと必死になった時代。
20代は自分の居場所を作ろうともがいていた時代。
そして30代は、仕事や家族のことなど、このままでいいのかと思いつつ、体力気力で何とか乗り切った時代。
40代は家族との関係も変化し、同時に次々に4人の子供たちが思春期を迎え、時に立ちつくしたりもした時代。
50代はそれまでの心の整理をしたりして、元気を取り戻した時代。

ひとつ山を乗り越えたとホッとして、顔を上げると、また別の山が前に控えているような人生を私も送ってきました。けれど連載を通して自分を振り返ることで、私自身、しっかりリセットできたように思います。

「ゆうゆう」の連載をしている4年の間に私も60歳から秋に65歳になりました。時は過ぎゆくのだとしみじみ感じます。私も、思い出が鮮やかさを増す年齢に入ったのでしょう。

いつしか孤独を感じる自分をいとしい・・・と思うことができるようになりました。その裏に、私がこうして今、生きていることに感謝する気持ちが隠れていることにも気づかされました。

これからも私らしく。
10年後の光を目指して、身の丈の暮らしをもとめてまいりたいと思います。

本日12月5日から 書店に並びます。
発行 主婦の友社 「凛として、箱根暮らし

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:16 | | トラックバック (0)

美の里づくりコンクール~岐阜県下呂市

私は、「美の里づくりコンクール」~景観を育み、生かす農村アメニティー~の審査委員として全国各地にお訪ねしております。

物質生活水準がある程度達成された今日、私たちの価値観は経済優先から生活充実優先へ、成長思考から安定志向へ、さらに物の豊かさから心の充実へと大きくシフトしてきました。量的な満足感から、より良い質を求める暮らしへと変化してきたのではないでしょうか。

現在、さまざまな景気の揺れによって多少の傾きはあるものの、暮らしの質への追求はさらに先鋭化していくでしょう。

やすらぎや快適な空間享受の経験は、私たちが手放したくないアメニティーの一つです。緑の環境下で暮らすこと、ゆとりや心地よさは誰もが願う事です。都市生活者の土離れが顕著であるのに対して、農村のアメニティー=居住快適性はより大きな暮らしの価値観になっています。

このコンクールは、農村の快適居住性を評価するものであり、当然その評価の中に住民の自主的努力が環境の保全ならびに新たな形成の動きも示していて、この表彰事業が継続されています。この20年あまりの調査において、その概念の理解とそれへ向けての努力の足跡は目をみはるものがあります。

ひるがえって見れば、都市部においてそのような、暮らしの改善や工夫、よりクリエイティブなアメニティーへの取り組みがどの位あったでしょうか。

幾多の山並みと清流の織り成す自然環境に恵まれ、先人から受け継がれてきた歴史的に価値ある文化遺産が多く残されている、そんな集落の数々をお訪ねしてきました。

岐阜県下呂市・・・馬瀬(ませ)地域。

人口1、545人、地域の95%が森林で占められています。平成8年には「馬瀬川エコリバーシステムによる清流文化創造の村づくり構想」を策定し、「山村景観」や「自然環境」の保全を展開してきたところです。

馬瀬は下呂温泉郷から、15キロ山間に入ったところ。

平成19年9月には、全国の清流の鮎の質を競う品評会「全国利き鮎会スペシャル」が東京において開催され、馬瀬川上流の鮎がグランドチャンピオン(日本一)に輝きました。観光客は釣りの4万人から30万人に急増したそうです。都会からの子どもも含め地元の子供達の夏の川遊びが脅かされつつあるといっていいかもしれません。

「日本で最も美しい村」連合に加わる馬瀬地域・西村地区では住民らが「ホタル同好会」を結成し、蛍の餌になるカワニナ保護活動も始めたそうです。

【馬瀬地方自然公園・住民憲法】も策定され、住民が一丸となって美しい環境保全に取り組んでいる姿に私は胸が熱くなる思いがいたしました。

"森が魚を育て、川が郷(むら)を興す。
旅人は静かに・・静かに・・訪ねてください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:36 | | トラックバック (0)

紅葉が深まる箱根にて

12軒の古民家を譲り受け、1本の木も無駄にしないようにと、作り上げた箱根の家。

この家に住み始めてから、30年以上の年月が流れました。4人の子どもたちも、それぞれ自分が生きる道を求め、社会に巣立っていきました。

今、箱根の家は、大人だけの静かな空間になり、また新たな表情を見せてくれています。

2年前からは、長年親しくさせていただいている京都「ギャルリー田澤」主催の展覧会も大広間で開催するようになりました。それらの会を重ねるたびに、「他にはない、この家をもっと活用して欲しい」「人々が集えるサロンを開いて欲しい」という声が、驚くほど多く寄せられました。

皆さまの声に背中を押され、振り返ってみますと、確かに、箱根の家は、家族が暮らすためというだけではなく、当時、壊され消えていくだけだった古民家がしのびなく、その美しさを何とかとどめ、次世代につないでいくことができないかという思いで建てた家であったことに、改めて気がつきました。

同時に、この箱根の家をこれからもっと活用することが、私に与えられたもうひとつの役目のような気がしてきました。


来年の春に向け、少しずつ始動していきたいと考えています。

明日に向かう力を呼び込むような、あるいは日常に彩が戻ってくるような、素敵な企画が生まれましたら、ご案内させていただきます。

写真はとある旅企画でお越し頂いた皆さまと。多くの方とより上質で、有意義なひと時を過ごせれば、と思っております。
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投稿者: Mie Hama 日時: 08:18 | | コメント (0) | トラックバック (0)

若狭路

若狭路を旅してまいりました。

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福井県大飯町三森に、私の家があります。
この家も取り壊される寸前に出くわし、譲っていただいたものです。
この家は別の場所にあったのですが、最初に借りた土地が、私の理想の立地だったんです。背後に竹林、前に田んぼと佐分利川。だから、家の方をこちらの土地によいしょ、よいしょと運んでもらいました。そうしたら、私が夢に描いた"日本の農家"が出現したというわけなんです。

浜さんはなぜ、農業や農家に感心があるのですか、という質問をたくさん頂きます。

最初は国土庁(現在は農林水産省)「農村アメニティー・コンテスト」、現在は「美の里づくりコンテスト」の審査委員を20年近くしております。

このコンテストは農村という限られた範囲だけを対象とするものではなく、この国の未来をも問う意味合いがあるんです。農業は食と、食は生命と結ばれています。農業のありようが、そこに住む人間に快適環境を与えているかを、問う審査なんです。

快適であるための基盤整備などハード面だけでなく、そこに生きる人々の生きるエネルギーのありようも含めて、つまりはその姿をアメニティーといいます。そのような政府の仕事にかかわる中で、私自身が大いに触発され、勉強しながら、自分なりにできることから始めてみようとしました。

若狭・三森の家、ここで、まず、米を作ろう、そう決心しました。

「10年はやってみよう」
凝り性の私ですから、米作りは地元のベテラン専業農家の松井栄治さんのおかげで、素人の私も田植えから収穫までの農業を知ることができました。土と水と苗、それを支配する天候。見守る人間。こういう営みの繰り返しで人類は生き延びてきたことを思うと、やはり田植えは神聖な行事だなぁと思います。
(現在は松井さんご夫妻におまかせ・・。ブランド名は「浜美枝のひとめぼれ」)

なぜ、若狭だったのか・・・。

初めはもちろん旅人としてここを訪れました。
2、3度目だったか、小浜の冬の市場に行ったことがありました。日本海の魚のおいしさに感動し、その時いただいたお酒が「濱小町」という銘柄だったんです。(残念ながら現在は造られていません)

あ、これは私のお酒、自分の酒、つまり自酒。
そのお酒とあらゆる魚の美味にうたれて、すっかり若狭フアンになったのが、最初だったと思います。若狭の新鮮な魚はもちろん美味しいのですが、この地の魚加工の歴史と技術は日本一だと思います。
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若狭は京都の台所でもあります。一塩に加工されたカレイやカマスなど絶品です。鯖街道もありました。今回も市場で魚や若狭カレイの干物などを我が家に送り、私は市場の食堂で早朝、焼きさば定食(900円)を食べました。

旅から始まり、食に感動し、そして家にたどりつき、田んぼまで。
私の旅はこうして農業にたどりついたのです。

ちょうど、そのころ農村のお母さんたちとヨーロッパの農村を訪ねる旅にでていました。そこで視察したのは、農村女性たちによる"グリーンツーリズム"でした。

都会に住む人に農村でゆっくり休暇をとってもらい、農家は現金収入を得る。EU諸国は各国とも、"グリーンツーリズム"を提唱しています。20年ほど前のことです。

私も農家のミセスたちともそんなことを話しておりました。

ようやく、世の中はファーマーズ・マーケット、農家レストラン、農家民宿へと感心がよせられる時代になり良かった!・・と思います。

片道七時間はかかる若狭までの道のりを、なんの苦もなくせっせと通っていた時代。

やっぱり若かった・・・のですね。

御食国(みけつくに)小浜は「とらふぐ王国」、昨日からズワイガニが解禁になり、浜焼きさば・鯖寿司・冬の若狭かき・・・と美味満載。
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奈良東大寺二月堂のご本尊にお供えする"お水送り"国宝めぐりも素晴らしいです。

今回の旅で私は、真言宗御室派・「明通寺」にお参りしてまいりました。静寂な中、ひとり静かに本堂でお坊さまのご説明を受けました。ゆずり木を切って、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体。国宝建造物の中はまさに旅の醍醐味を味わう空間でもありました。
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帰りは小浜線に乗り家路つきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:39 | | トラックバック (0)

「食・農・環境フォーラム、地産地消を考える in 沖縄」

先日、沖縄に行ってまいりました。

「食・農・環境フォーラム、地産地消を考える」に参加いたしました。
(主催:琉球大学農学部、琉球新報社)

フォーラムは、全国の国立大学農学部長会議の沖縄開催を契機に、市民向けの食・農・環境を考えるフォーラムを開催し、食の安全や地産地消、地元食材の見直し、環境破壊の元凶とも指摘される農業の環境対策などを議論する・・といった趣旨でした。

私の基調講演は「おいしい!を育てる食卓」

パネルディスカッションはパネリストとして琉球大学の先生方と那覇高校2年の学生さん2名。JAおきなわの方。コーディネーターは前泊琉球新報社論説副委員長。

活発な議論がおこなわれそれぞれの専門分野のお話、現場の声としてJAおきなわ経営管理委員の発言など、大変勉強になりました。また若い高校生の率直な意見に、会場も大きくうなずいておられました。
 
会場には40名の那覇高校の1年生が、私の講演を「家庭科」の授業として聞いてくださるとのこと。大変緊張いたしました。

私も4人の子供の母親です。

人が生きていくときに必要不可欠なものとして、衣食住があげられますが、
中でも食がもっとも大切なものではないでしょうか。

食べ物で人は作られ、育まれていきます。
今、沖縄の食が揺れています。
高校生はそのような現状をどのように捉えてくれるでしょうか。

沖縄料理は豚肉を中心に肉類をヘルシーにしっかり摂取して、緑黄野菜、豆腐に代表される豆類、海草類をたっぷりと取るバランスの取れたまさに「長寿食」。そうした食生活が沖縄の健康と長寿を支えてきたのです。

しかし、残念ながら男性は過去形になってしまいました。男性の全国平均寿命は2000年には26位になり沖縄クライシスと呼ばれました。データを見ると、沖縄の長寿を支えているのは65歳以上の男性と女性で、中年以下の男性は短命化の傾向にあり、高齢者が伝統的な沖縄の食文化を維持しているのに比べて、中年より若い人たちは、欧米型食生活、肉が飛びぬけて多く、野菜類は伝統食に比べてぐっと少ない。炭水化物も少ない。こうした食生活を続けると、高血圧や糖尿病といった生活習慣病を引き起こしてしまいます。

これは大人だけの病気ではなく、心配されているのは子どもの肥満。運動不足、ジャンクフードが好きだから、三大栄養素は取り過ぎになり、副栄養素が不足してしまっているのです。

また、食事の在り方も問題になっています。
最近の食卓の実態を表すのに「こ食」という言葉があります。

まず孤独の「孤食」。
家族バラバラに食事を取ることが多い。
沖縄でも大家族から核家族化が進んでいます。

二番目は個人の「個食」。
家族で別々のメニューを食べる食事が増えている。家族が同じメニューを食べるのは、精神的に食育の面でも、とても大切だと私は思います。同じ釜の飯、という言葉がありますが、同じものを食べることで、家族の絆はより固く育てていくことができますし、また、子どもはいろいろな味を覚えることができます。味覚というのも、学習なんです。小さい頃、苦いものやえぐいもの、辛いものなどが苦手でもある年齢を経た時に、しみじみ、ああ・・美味しいとおもえるようになったりします。  

記憶の積み重ねは大切です。

そして、三番目は固定的の「固食」。
「お母さん、休め」とか「ハハキトク」とか言われますが、聞いたことありますか?

オムレツ・カレー・サンドイッチ、焼きそば、スパゲッティー、目玉焼きの頭文字をとって「お母さん休め」。

ハンバーグ、ハムエッグ、ギョーザ、トースト、クリームシチューの頭文字をとって「ハハキトク」。

べつにカレーやハンバーグ自体が悪いというわけではなく、子どもの好きな、同じものだけを、つまり固定的なもの「ばっかり食べ」が問題なのです。
 
子どもの頃に本物の味の原体験を与えて、バラエティーに富んだ食品に親しむことの重要性を私たち大人は、真剣に考えなくてはならないところまできているということなのです。

では、単に昔の食生活に返ればいいのかというと、現実問題、それはなかなか難しい話。大切なことは、現代の食生活に日本伝統食の知恵を上手に取り入れて、バランスの良い食事を取り戻すこと。

そのためには、子どもたちに、食事が自分達にとってどれほど大切なものかということを教えることが大切。

"私たちのからだと心はつながっています"

食の良し悪しを判断できる力をつけてもらいたいと思います。

どう教えればいいのか。私は、「地産地消」がひとつの指針になるのではないかと思っています。地域で取れた物を地域で消費するのが食の基本です。それが、自然の摂理にかなっているのです。

最近、汚染米の不正転売問題が大きな社会問題になっていますけれど、誰がどこでどんな風に作って、どうゆう経路をたどってきたのか、それさえわかれば、汚染米が食用にまさか転用されることなどなかったはずです。

これが、トレーサビリティです。

農業には産業としての面だけではなく、自然環境を保全する役割もあります。

フードマイレージや食料を生産する過程で消費されるバーチャルウオーターの輸入を減らすことで、他国の水資源を消費し、北アフリカや中東を中心とする貧しい23カ国20億人以上の人たちが、生きるための水が足りない「水ストレス」を少しは解消できるはずです。

世界中で今も水不足が起きているのに、さらに今後、その不足状態が進む可能性が指摘されているのに、日本だけがこのまま水を買い集めていいわけがありません。

自分達の安全安心のためにも、日本農業のためにも、地産地消が理にかなっているというわけです。地産地消は古いどころか、地球上で求められている理想の食であることが分かってもらえると思います。

日本の食糧自給率は今や40%ですが、沖縄は99年までは40%を維持していましたが、2000年には33%に急落、04年からは30%も割り込み、今や28%であり、ワースト14位となっています。 とはいっても、お米やさつまいもなどの主食の低さが実は大きく影響していて、野菜は半分程度、肉類や水産物はほぼ足りているんですけれど。

この数字をこれ以上、悪くしてはいけません。

毎日のお買い物で、お母さんが必ず沖縄のものを選び、その度に「あ、沖縄のだから、これにしよう」と子供達に語りかけてください。

食べ物という身近なものから、子供達とともに農業や世界環境、自分の暮らし方を考え、そして行動していってほしいのです。

食べることは生きることであり、食べ物は命そのものであるということ。食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしい行為であり、食べ物によって私たちの体はつくられるということ。

そのことをぜひ、お母さんさちはお子さんの心と体に刻んでいただきたいのです。そうして育てられた子供たちは食べ物にたいしては、もっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合えるようになります。

私は、沖縄の人たちは、きっと、地産地消のことや食べ物の大切さを知る子どもにと育て上げられると、実は、安心しているのです。

なぜならば、沖縄に通いはじめて40年がたちますが、沖縄の人々の底力を知っているからです。

・・・とこんな話をさせて頂きました。

那覇高校の皆さん、"ありがとう"

真剣な眼差しで一緒に考えてくださいましたね。

あなたたち世代が、これからの沖縄を担ってくださるのです。拙い話でしたが、熱心に聞いてくださり感謝いたします。そして、会場に足を運んでくださった市民のみなさま、ありがとうございました。
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そして公設市場のみなさま!また、直ぐ戻ってまいります。あの時買った皮つき三枚肉、泡盛で美味しく"ラフテー"をつくりました。ノコギリガサミの味噌汁も最高でした!
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投稿者: Mie Hama 日時: 10:44 | | トラックバック (0)

日本酒で乾杯推進会議フォーラム

「乾杯の心・日本のかたち・日本の心」

先日、石毛直道代表(国立民族学博物館名誉教授)のもとフォーラムが開催され民族学者の神崎宣武さんのホスト、私は先生のアシスタントで参加させて頂きました。

「日本酒で乾杯推進会議」100人委員会には各界の方々がご参加なさっています。

昨年は歌舞伎俳優の中村富十郎さん・塩川正十郎さん、そして私がゲスト。今年は小笠原流三十一世家元 小笠原清忠さん、西舘好子さん、民族学者のクライナー・ヨーゼフさんがゲストとしてご参加くださいました。

この会から「日本酒からの手紙」というのがございます。

ニッポン人には日本が足りない、と言われています。

「和服をさりげなく着こなしてみたい」

「ほどよく美しい言葉で語りかけたい」

この国で育まれてきたよき日本文化の数々。私たちがほんの少し心がけるだけで、まだそれが取りもどせそうです。

日本酒を粋に飲んでみたいと思いませんか。
日本酒は、長い歴史の中でしなやかな感性とすぐれた技術で磨きあげられてきました。

甘くて辛い「妙味の酒」特定の料理を選ぶことなく、心身を癒し、ご縁をつなぎ、和(なごみ)に酔うお酒です。

あらたまった礼講からにぎやかな無礼講に移るとき、私たちは乾杯します。
「みなさまのご発展とご健勝を祈念して・・・」
何に向って祈るのでしょうか。カミ様?ホトケ様?ご先祖様?
ニッポン人の心の奥底に宿るものとふれあうとき、新たな力が生まれずはずです。

これからの人生をますます豊なものにするために・・・日本酒で乾杯!

そんな思いをこめての「乾杯の心・日本のかたち・日本のこころ」のフォーラムでした。

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小笠原流家元からは椅子に座っての本来の座礼の作法を再現していただきました。今日的な乾杯は、明治期におけるイギリス海軍の影響を受けて習俗化したそうです。

「上野に於ける東郷大将歓迎会及小笠原流古式凱旋式の図」風俗画報第三二八号(明治三十八十一月号)「乾杯の文化史」神崎宣武より

このように見てみますと乾杯のかたちには世界中いろいろあり興味がわきます。

クライナーさんからは、ワイン文化圏とビール文化圏の違いなど。ビールグラスを掲げて、声高らかに、というのは学生達がグラスをギャチャンとぶつけながら・・・正式な作法とは違うもの。

「祈念して」という発声がきわめて日本的であること。当たり前に発していたことでも、ずいぶん違うのですね。

西舘さんには着物で乾杯の美しいかたちなど。

私たちはどういう乾杯の作法を伝えていくか、が昨年来の宿題でもありました。

会員の皆さまからのご意見ご提案もいただきました。

内館牧子さんは「乾杯は、おめでとう、うれしいの心、盃を高々と揚げようが目元までであろうが、揚げるという意識があれば常識的に形はたもたれるもの」

伏木亨さんは「参加者の健康や幸福のみを祈るのではなく、草木虫魚獣山川海すべてに捧げたい。その目線で乾杯!」

「祈念して」は「感謝して」「ありがとう」ととらえる方が多くいらっしゃいました。

ひとつの作法にまとめることはできませんけれど、やはり、目線で乾杯のかたちは、祈念なり感謝なりの心がこもった、しかも、美しくみえるのがいちばん素敵です。

鏡開きの音頭で会場の皆さまと乾杯!

日本人のもつ美しい、こうした文化は継承していきたいと願った一日でしたし、日本人であることに幸せを感じた一日でした。

輪島からはこの日のために素晴らしい漆器・お屠蘇の作品を仕上げていただきました。日本の工芸品の奥深さ、技に感激いたしました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:55 | | トラックバック (0)

楠目ちづさん

先日素敵な華展にお邪魔してまいりました。
横浜の港が見えるホテルで一日だけの会でした。

"第十八回いけばなむらさき会華展" 家元 楠目ちづ
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楠目先生は 95歳 大正二年のお生まれ。
相変わらず美しいお姿。初めてお会いしたのは今から21年前。

楠目先生の名を人づてに耳にするたび憧れはふくらむばかり。

花という、それ自体が天によって造られた物をさらに自らの手と感性で造形していく・・・しかも景気に走らず茶室の空間にピンと張りを感じさせるものに生けていく・・・そんなお仕事を続けられる先生に一度おめにかかりたいと念じておりました。

逢いたいと強く念じれば必ず会えるというのが私の信念です。

楠目先生とお逢いして初めてとは思えなかったのも、あまりにも多くの知己ある人々が先生と私の間に介在していたのです。

それもこれも花のご縁。

  日本の美しさを花で表そう
  自分自身を花で表そう
  おしゃれを花で表そう・・・
  満足できない茶花です

美そのものを幾世代もしみこませた気品と威厳を合わせもった方だと思いました。

楠目先生は母上と二人、小倉から逗子へ転居します。

絶対安静を必要とするほど病が進んでいたので気候も温暖な海辺の家に引越したのです。

はじめてお邪魔した楠目邸の玄関。
ハッと息をのむような静寂があり、そこには花はなく、花の気配だけが漂う壷が待っていてくれたのです。

部屋には古い常滑の鉢に庭のかえでを手折って生けてあります。

晩秋の陽がさしこんで美しい影をつくっていました。

空間全体が一枚の絵のようです。

「小さな茶室に入りますとそこは俗世とは一線を画した小宇宙です。静かに爐にはお湯が煮え、仄かに湯気がたなびいて風の気配を知り、ふと生けられた花に目がとまります。古い瓢箪掛に吾亦紅と女郎花、茶室に秋がふっと舞い降りたような景色です。利休の言葉"花は野にあるように"の真意に茶花の精神がかくされています。野に咲く花の真実をとらえなさい・・とでもいうのでしょうか。この解釈と実践に修業のすべてがあるという茶花」・・・とおっしゃる楠目ちづさん。

私などにはその極意など分かりません。

「茶室に生ける茶花の姿は二時間余りの存在です。心が洗われるひとときと共にあり、終わりと共に永遠に消えてしまう。はかなさと哀れさ。そこに花の美しさのすべてがあります」

先生は植物という自然と向き合うときたくさんの距離をもっていると思いました。接近してみる。手元で見る。かざしてみる。離れて、ぐーんと離してみる。遠くに見る。茶花の精神は花材の最も美しいところを引き出すこと、だからでしょうか。

私は野歩き、山歩きが好きでよく歩きまわります。
早朝に咲く花は早朝に、夕暮れの花は夕暮れに見てこそ最も美しいと思います。花一輪、枝一本、これは神様がお造りになったもの。
それらが天から授かった美を生かすように・・・。

3年前雑誌「いきいき」で先生はわざわざ箱根の我が家にお越しくださり、私の好きな器にそれはそれは素敵に花を生けてくださいました。

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「どうしたら美しいかたちができるかと、今でも毎日悩むのですよ。そして、自分を表現できるようにならなくては、人まねでは、こころ打つものはできません。繰り返し悩み失敗する。そうして感覚は身につくものです」・・・と。

久しぶりにお逢いした楠目先生。透明なまなざしと優しい笑顔が白いおぐしにはえて本当に美しいのです。

30年先を歩んでいらっしゃる先生のお姿に、勇気づけられる思いでした。

私はこれから30年あります。
まだこれからたくさんの経験を積んで先生のように背筋を伸ばして生きていきたいと思います。

投稿者: Mie Hama 日時: 12:41 |

家の光 JA食・農オープンフォーラム in ぎふ

家の光 JA食・農オープンフォーラムinぎふ
 「食のたいせつさ!農のすばらしさ」

が9月23日岐阜市内で開催されました。
今回が5回目で全国を回っております。

このフォーラムの趣旨は生産者と消費者という枠組みを取り払い、「食と農」に心を寄せる「生活者」が集い、お互いに学びあい、語り合い、刺激しあって交流を図ることが目的です。

私、浜美枝が第1回からコーディネーターをつとめゲストをお迎えし、語りあいます。

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今回は俳優の永島敏行さん。

永島さんは大変農業に強い関心を持ち自ら実践し、子供達の「食育」にも積極的に取り組んでおられます。今回は「なぜ食料自給と地産地消が大切なのか」について話し合いました。

ご存知のように食料自給率は先進国のなかでも最低の40%。(カロリーベース)1965年には73%あったのにです。

戦後工業分野を発展させ、食料を世界中から安く買い上げてきたこと、食生活の変化など様々な要因があげられます。産地偽装や汚染米の不正転売などで、食が大きく揺れています。

「表示さえ信頼するにたるものでなくなった。一体、何を信じて判断すればいいのか」子どもに安全なものを食べさせたいと思う親たちの切実な声が全国から聞こえてきます。

日本の農業と食は、もうぎりぎりのところまで来ています。

けれど絶望するわけにはいきません。問題意識をもち私たち一人ひとりが変えていく以外には道は開けません。

会場を埋め尽くした方々からのご質問も多く寄せられました。

〇 子供達に安心できる食べ物をどのように選べばよいか?
〇 観光と農業は両立可能か?
〇 農業生産者をどのようにサポートできるか?
〇 日本で消費しきれないものを発展途上国の人たちに寄付できないか?
〇 今の日本では農業だけで生きていくことはできません。
   このことに対して何ができるか?

等など・・・活発なご意見を伺いました。

永島さんも丁寧にお答えくださいましたし、私も思うことをお話させて頂きました。

生産者からのスピーチ。岐阜県JA女性連絡協議会の会長からは地元小中学校や保育園の給食に、手作りの味噌の供給「みそ玉一玉運動」など、食育のお話。広島県の校長先生が取り組まれた「ほんとうの食育」のお話など。

不要なもの、害するものを食べつづけたら、体が悲鳴をあげます。

体と心はつながっています。

体がほんとうにほしがっているものを食べていたら体も心も安心して、健やかに成長していくことができます。だから、お母さんには、子どもたちのために、何がよくて何を避けたほうがいいか、食の良し悪しを見分ける目を持ってほしいと思います。

食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしいものです。

食べ物によって私たちの体はつくられ、食べることは生きることであり、食べ物は命そのものです。食べ物にたいしては、もっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合いたいと思います。

そんな思いを強くもったフォーラムでした。

フォーラムの後は地産地消ミニパティーが開かれ、永島さん・私の岐阜の食材によるレシピを岐阜グランドホテルのシェフが料理してくださり、またシェフのメニューもだされ皆さん大満足してくださったようです。

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私のレシピは、「ドライトマト、ナス、菌床シイタケのキッシュ」「贅沢!飛騨牛のコロッケ」「ダイコンたっぷり炊き込みごはん」。

お腹もいっぱい・・・心も満たされ、生産者、消費者といった垣根を飛び越え、日ごろ感じていることはもちろん、食や農を巡る問題にも、生活者の視点から語り合えたと思います。


     すべてに答えがでないかもしれません。
     でも、問題を私たちが共有することで、
     いつか必ず、灯りが見えてくると、私は信じます。

食と農のこれからに、希望が見出せますように、子どもたちに、本当の意味で美しく豊な未来をてわたせますように。

このフォーラムはそのような思いで開催しております。
次回は12月20日奈良で開催されます。
 
フォーラムの前に産地直売所"おんさい広場"に行きました。

岐阜市産の採れたて野菜農産物・花・米粉のパン・果物、地元大豆のこだわり豆腐など、朝採れたての野菜の美味しそうなこと!大勢のお客さんで賑わっていました。

「地産地消」は顔の見える関係・・・。
これからはこの安心感が大事ですね。
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投稿者: Mie Hama 日時: 14:20 | | トラックバック (0)

アンニョンハセヨ

韓国から帰国いたしました。

福岡・熊本・関西空港・中部空港・羽田からと総勢40名の女性達がソウルに集合いたしました。
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この研修旅行も今年で15回目。
12回はヨーロッパでの民泊・グリーンツーリズム研修。

そして、韓国では農村女性グループとの交流を目的に、農家民宿やキムチ作り体験など盛り沢山の内容で、3年目の今年はさらに絆が深まりました。


澄みきった秋空の下、 コスモスの花が沿道に咲くなかソウルからバスで約1時間の場所にある八堂(パルタン)に向かいました。この八堂はソウル市民の飲み水となる川の水質を守るために有機農業が行われています。漢江(ハンガン)の上流域に位置しています。
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車窓の景色はビル郡から農村風景へと変化し、ビニールハウス、緑の山々。

「わぁ~うちの故郷の風景に良く似ているわ」・・・との声も聞こえてきます。

私はこの八堂での「親環境農業」という言葉に興味を覚えました。

「新」ではなく「親環境」・・つまり環境に親しむってどういうこと?

一同を出迎えてくれた組合長「八堂 生命 暮らし」の代表は有機農業の団体と30年来交流を続け、日本にもしばしば訪れているとのお話。

農薬の使用を減らすため、土づくりからしっかり取り組み、堆肥を多く施用し、「農村の環境を守ることが消費者の安全」につながるとの思いから「親環境農業」に取り組んでいます。(生産者会員・約90農家 消費者会員・約1800人)

彼らの生産する有機農産物はソウル市内のスーパーで販売されています。

韓国もソウル市への一極集中で経済発展を遂げ、農家の高齢化も日本以上に深刻です。

そんななかで八堂には新規就農者も徐々に増えてきました。

「都会で仕事をしてきましたが、ストレスもあり、今は自分達の生きがいを見出し幸せに過ごしています」と語ってくれたのは30代後半のご夫妻。昨年は奥さんのお腹に赤ちゃんが。今回は可愛い女の子を抱っこしていました。

ここまで来るのは大変な道のりでした。

それを支えているのが、都会の人たちです。ソウル市民は八堂の農産物を買い支えているだけではありません。市民が負担する水道代には、「水利用負担金」という項目があり、水源地域の農業を支援するために使用されます。だいたい一戸あたり月に三千ウォン(300円)、農家が堆肥など購入する費用にあてられます。

私は市内の市場のおばちゃん、学生さん、若い女の子にも聞いてみました。

「八堂の活動って知っている?」と。

「知っているよ、私達の飲み水を守ってくれているんだ」・・・と。

八堂にダムができたのは、1973年。間もなく、行政によって周辺に住む農家に農薬や科学肥料の使用が規制され、八堂周辺の農家とソウル市には軋轢もあったと聞きました。

何が成功へと導いたのでしょう。

「都市の消費者との交流で農村が元気になり誇りがもてたこと」と組合長は語ります。

この気持ちが市民の信頼を得、また健康志向も背中をおしてくれているのでしょう。このような考え方は、日本も参考にしてすすめていくべきテーマではないでしょうか。


ソウル支庁前で「ろうそく集会」が行われたのは5月初旬からでした。米国産牛肉の輸入規制緩和策に抗議する人々の中には幼い小学生まで参加していました。

ソウル市民は国産、地場産にドライになりつつある・・と言われる中で「親環境農業」が今後さらに国民的に認知され韓国の「農・食」を守ってほしいと願いました。

八堂で栽培された有機農産物を使った料理は美味でした。

昼食後「冬のソナタ」のロケにも使われた美しい景観の南怡島を見学し、華川郡のトゴミ村では廃校になった小学校に宿泊。ここでは地元のお母さんたちが結婚式等の祭事に出される料理を作ってくださいました。
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キムチ作りを体験し、昼食は村の食堂で冷麺を。北に近いからでしょうか、これが美味しいのです。ソウル市内では食べられない味。
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そして、ユ・チョン村へと移動し、各民家へ別れての宿泊。食事をしながら韓国伝統芸能「サムルノリ」太鼓を打ちながら農家のお母さんたちが見せてくれました。お返しに日本からは浴衣を着ての盆踊り。素晴らしい交流がもてました。
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農村滞在を終え市内に戻り、昼食は石焼ビビンバ。景福宮、仁寺洞など見学し、最後の夕食はサムゲタンとチジミでお別れパーティーを。
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わずか5日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあったからでしょうか、さながら懐かしい同級会の旅のようでした。

「浜さん、私、この旅で一生つきあえる友人とであえたのよ」

「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけれど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいてくれる」・・・そんな声も聞こえてきました。


日本の農業と食は、もうぎりぎりのところまできているといわれますが、彼女たちと一緒にいると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。

"この笑顔があるのだもの、日本は捨てたものじゃない"・・・心の中でそうつぶやいていた私です。


「食アメニティーを考える会」を立ち上げて18年。海外研修(15回)

食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしいものではないでしょうか。

食べ物によってわたしたちの身体はつくられます。

食べることは生きることであり、食べ物は命そのものです。

自分の身体にたいするように、食べ物に対してはもっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合わなくてはならないのではないでしょうか。

生産者と消費者、そして流通に関わるすべての人々がともに同じ思いで食べ物を大切に思う時代こそ、"豊かさ"という言葉がふさわしいのではないかと私は思います。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:54 | | トラックバック (0)

韓国の旅

「食アメニティーを考える会」の第15回「韓国で農村女性グループと交流する研修旅行に9月4日から8日まで行ってまいります。ヨーロッパを12回、韓国は3回目です。

共通点の多い日韓の農業・もっとも近い国で、文化の共通点も多くあります。帰国したらご報告いたします。

私が韓国に通い始めて15年がたつでしょうか。

きっかけは津田塾大学の高崎宗司先生のご著書「朝鮮の土となった日本人」(草風館)を読ませていただいて、淺川巧の偉業を知ることができたのです。

このご本は民藝ばかりか、人はどう生きるべきかを知らされる本として、心に響きました。

韓国の山と民藝に身を捧げた日本人、淺川巧の足跡をわずかでもたどりたい・・・との思いから始まった旅です。最初はコスモスの咲くころでした。

旅先で知り合った、巧の墓をお守りしてくださる方、韓(はん)さんにお話をうかがいました。

「私は淺川巧とは会っていませんが、彼がいかに朝鮮を愛し、朝鮮人ばかりか、朝鮮の美術、言葉、生活、文化のあらゆることを大切にした人だったとゆうことは、みんな知っています。いろいろなお話を大人から聞いているからです。たとえば、韓国では人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があります。淺川巧が亡くなった日、大勢の方々が見送りにきてくださったために、ソウル中の煎餅がなくなったという話は、未だに語り草です」

お墓を守っていてくださる韓さんは、この話をお父さんから聞いたそうです。

それほど、朝鮮の人々に敬愛された日本人がいたことを、私は書物で知って以来、気になり旅が続いております。

朝鮮白磁の美しさを目にして、まあ、キレイというのは簡単ですが、その美しさに秘められたものをたどっていくと、そこに関わった人間が現れてくるのです。

韓国は、確かに不況なんだなあと、目に見える様子も見えますが、日本だって同じようなもの。
生活は待ったなし。庶民は日韓ともども、いろいろな工夫でどんどん新しくなっているんですね。
ソウルの町には、新しいセンスのいい店がふえたなあと、思います。

ときには泣きたくなるほど、完璧なカタチを与えられた壷の前では言葉を失います。感動のあまり、動けないことさえあります。ソウルの美術館で、あるいはさりげない骨董屋の前で、最近できたと思われる道具屋さんでも、すぐれたカタチに会えます。

韓国、そして韓国の人々も元気いっぱい。日本も負けてはいられません。

暮らしの変化がいろいろ起きていますが、"美しく暮らす"気持ちだけは捨てたくないですね。

不況でも、"美の国"の文化はしなやかに健全"であってほしい・・・と願います。

今回は総勢40名の旅です。

トゴミ村、ヨンホリ村の皆さんが待っていてくれる・・・村の市場で真っ赤な唐辛子の粉を買いましょう。キムチの漬けかたも教えていただきましょう。

おみやげ話を楽しみにしていてくださいね。

投稿者: Mie Hama 日時: 13:34 | | トラックバック (0)

「第4回東北サミット」

読売新聞東京本社主催の「第4回東北サミット」が19日、秋田県横手市で開催されました。

今年のテーマは

「発信!東北ブランド」。

約700人の来場者。6県の知事によるパネルディスカッション。
そして私は「東北―農の王国」をテーマに1時間の講演を致しました。

東京の蒸し暑さと比べて、やはり空気はおいしく、空は広く高く、遠くに見える山々の深い緑は爽やかでした。そうした東北ならではの、澄んだ環境が空気を循環し、浄化してくれるのでしょうね。

本論に入ります前に、先日の岩手・宮城内陸地震で被災なさった皆さまにお見舞いを申し上げました。土砂崩れで全壊したハウス、地震で隆起・沈降し傾いてしまった水田、畜産農家ではバルククーラー自動給餌機が破損したところもあると聞きました。それでもJA女性部の方々が避難所で自ら炊き出しを行い、地域の人を心身ともに元気づけてくださったそうです。

私はそのことを知り胸がいっぱいになりました。今、日本から失われつつある地域共同体が、こうした人々の手でしっかりと引き継がれているのだと感じさせられました。

農業は、太陽、水、土など自然のすべてがうまく調和してはじめてなりたつ生業です。

それだからこそ、地震で大きな被害をこうむってしまったのですが、自然の力を知っているからこそ、きっと、これからたくましく復興してくださるでしょう。

この困難を乗り越え、もう一度日本の農業のためにも立ち上がってください。

皆さま、がんばってください。


以下が読売新聞秋田版・地域欄に掲載された講演内容・要旨です。

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国際的な穀物高騰や中国の冷凍ギョーザ中毒事件などの影響もあり、東北の農業に対する期待はますます高まっている。東北は食料基地にほかならないからだ。

東北に、おいしくて豊かな食文化があることは、共通認識。例えば、青森ではリンゴやニンニクが有名だが、長芋もおいしいし、ゴボウやサクランボもある。東北にたくさんあるそうした特産品をもっと多くの人に知ってもらうには、ブランド化することが必要だ。

ブランド化の条件として、三つのポイントがある。まず、地域で長年愛された名産品であること。次に生活の中で日常的に使えるものであること。実際に使うために「どう調理したらおいしいか」などの情報も届けてほしい。最後に、一定の生産量があり、安定供給できること。

首都圏をターゲットにするのも大切だが、同時に、地元でブランドを確立することにも力をそそいでいただきたい。地元の人がこぞって選んで食べ、太鼓判をおすことこそが力になる。

東北には、美しくて懐かしい村や町が残っているが、住んでいる人たちは自分たちの暮らしの素晴らしさに気付かないもの。まず、「ここにこんな素敵な場所がある!」と声を上げて全国に知らせてほしい。

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このような話をさせて頂きました。

今やマーケットのカギを握るのは女性です。

車、家電、インテリア・・・これまでは男性が決定権を持っていたといわれるものまで、今や女性の意思をないがしろできない時代となりました。

ましてや、食卓に何を乗せるかという決定権を持っているのは女性です。

女性のことは女性に聞くのがベストです。

さらに、女性ならではのきめ細やかな視点が、ブランドを作る意味でも不可欠だと、私は思います。これまでも、長年、農村女性たちと語りあってきました。そうした農業に携わる女性たちと話すと、いつも感激することがあります。

それは彼女たちが、命の輝きを暖かく見守るような優しさで農業や食のことを考えているということ。

女性という性は、命をはぐくむ性だからでしょうか。

自分自身が家族に安心して食べさせたいと思うような、確かなものを、作って、販売したいという気持ちが・・・男性にこういっては申し訳ないのですが、女性のほうが強く思っているような気がします。

そして・・・

グローバルに考えることはもちろんですけれど、大切なことは、足元をきちんとみることです。

いってみればグローバルに考え、ローカルに、ドメスティックに行動することだと思います。

それが、ブランド化するために必要不可欠なことだと、私は思います。

困難なことも多いでしょうが、あせらずたゆまず、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう!

横手から奥羽本線にのり大曲、新幹線に乗り換え箱根の山に戻り、皆さまの真剣なお顔を思い出しました。

「食べることは生きることにつながる」心にとめておきたいですね。


尚、本日(29日)の読売新聞全国版にも掲載されております。

投稿者: Mie Hama 日時: 11:56 | | トラックバック (0)

"もう一度 お逢いしたい"・・・貴女に。

立秋もすぎ暦の上ではもう秋。

雨かと思えばカッと晴れ間がきたり、突然の大雨で被害が出た地域もありで・・・。被害が出た地域の皆さまにはお見舞い申し上げます。

お盆を迎えると、ふと、あの人を思い出します。

ああ。あの人にもうお手紙を書く住所はないんだわ。そんな思いが唐突に私をおそって・・・。なぜか、ものすごく悲しくなります。

その人は、森瑤子さん。

現代の女性を魅了した作家・森瑤子さんは1993年夏に亡くなって、15年も経つんですね。

あの日、東京・四谷の聖イグナチオ教会の裏側の小部屋の棺に安置され、あのいつものあでやかな瑤子さんとは違い、お化粧もなく、少女のような透明な肌にモナリザのような穏やかな笑みを浮かべた瑤子さんの最期は、いえ最期というより、私には始まりではないかと、そんなふうにも見えたのです。

たった数分間のお別れでしたのに、たくさんの思い出が頭の中を駆け巡り、いくつかの旅を思いだしました。

瑤子さんはいつも口癖のように、出会いって不思議ね、と仰っていました。

「人はいつも会うべくして会うのよ、偶然じゃないわ。あなたとだって、きっと今日、こうして会うように定められていたのだから、出会いを大切にしましょう」そうおっしゃって、お会いしたその瞬間から、もう何年来ものお友達のように接してくださったのです。

私にとって忘れられないのは、瑤子さんの与論島の別荘をお訪ねしたときのこと。

瑤子さんはお仕事をかかえていて、一日遅れで与論にいらっしゃるとのことでした。私と作家のC・W・ニコルさんご夫婦とで先に与論島に行きました。与論島の海の青さはそれはそれは美しく、引き込まれそうになるくらい魅力的です。二コルさんが先に潜り、私も水深7~8メートルほど潜ったとき、私はその海の中に見つけたのです。

誰かが、彫刻を置いていったのではないかと思ったほどの、2メートルはあろうかという女性の胸像に似た岩を。その横顔がなんとも瑶子さんにそっくりだったのです。翌日、瑤子さんにそのお話をすると、瑤子さんは「まったくしらないわ」とびっくりされて「一度見たいものね」とおっしゃいましたが、再び海中のその地点に私は戻ることができないと思いました。

その次の夜。

彼女の別荘の続きにあるプライベートビーチで、真夜中。月が煌々とあたりを照らす海で泳ぎました。水着をつけず。

瑤子さんはキレイなクロールで静かに水をかき分け、ときおり肩や背中が月明かりを受け輝いて見えたのが、未だ私の目の中に残っています。

海から上がり、夜更けまで二人でぽつりぽつりとお話をしました。瑤子さんは自分のことはさておいて、必ず「あなた、どお?」とまず、こちらにホコ先を向けます。つい甘えて、おしゃべりして、じゃあ、もうやすみましょうとなるのです。

ふと気づくと、私は何も瑤子さんのお話を聞いてさしあげられなかった、後悔したものでした。繊細で感受性に富んだ感性の人であったし、揺るぎない人という認識でしたから、彼女の内心に抱える苦悩など思い至らなかったのでした。

今なら・・・少しは大人になれた私なのに。

優しさのかたまりのような森瑤子さんでした。

私が、自分探しのエッセイ「花織の記」という本を書き上げたとき、瑤子さんにあとがきをお願いしたことがありました。お忙しい売れっ子作家にあとがきをお願いするのはためらわれましたが、ふたつ返事で書いてくださることになりました。締め切りぎりぎりの真夜中、我が家のファックスがカタカタと鳴り、瑤子さんからのファックスが届きました。

瑤子さんはワープロを使いません。特徴のある太字の万年筆で原稿用紙の升目からはみ出るようではみ出ない、躍るようなその文字が原稿から立ち上がるような気がしました。

その文章を引用させていただきます。


時に私は、講演会などで一時間半も人前で喋ると、身も心も空になり、魂の抜けた人のように茫然自失してしまうことがある。あるいは一冊の長編を書き上げた直後の虚脱感の中に取り残されてしまうことがある。そんな時、私が渇望するのは、ひたすら慰めに満ちた暖かい他人の腕。その腕でしっかりと抱きしめてもらえたらどんなに心の泡立ちが静まるだろうかという思い。

けれども、そのように慰めに満ちた腕などどこにも存在しないのだ。そこで私は自分自身の腕を胸の前で交錯して、自分で自分自身を抱きしめて、その場に立ちすくんでしまうのだ。

おそらく、美枝さんも、しばしばそのように自分で自分を抱きしめてきたのではないかと、私は想像する。今度もし、そんな場面にいきあたったら、美枝さん、私があなたを抱きしめてあげる。もし、そういう場面にいきあったら。


私にとって、この文章がお別れの文章になりました。

15年がたつのですね。

もう一度、お逢いしたい・・貴女に。

今でも町でお帽子をかぶった女性を見かけると、ハッとします。帽子が似合う人でしたから・・・

投稿者: Mie Hama 日時: 09:40 | | トラックバック (0)

鳥取を訪ねて

因幡の白うさぎ・・など民話のふるさとでもある鳥取に行ってまいりました。

これまで何度もお邪魔している鳥取。

今回は県民カレッジの講座に招かれました。

自然・歴史・温泉・食と酒・そして、人の温もりが宿る民藝。

何度伺っても多くの自然を残した雄大な風景は日本の宝です。大山のブナ林は動植物の宝庫ですし、鳥取県の約7割は森林です。森を守るため、「森林環境保全税」を導入しているとのこと。

素晴らしいですね。

四季折々の花も楽しめます。

有機・特別栽培物の生産など「環境に優しい農業」にも積極的に取り組んでおられます。


そんな、鳥取で忘れられない村に出会ったのは今から17年前のこと。

「香取村」大山北面の中腹、標高350mから1,000mにも位置する高原開拓村の美しさは、この目で見られる理想郷です。


かつて大正浪漫主義が希求した「新しき村」が芸術家、文学者によるイメージの村であったことが思い起こされました。

大山山ろくの香取村を訪れ、当時香取開拓農協組合長、三好武雄さんにお話をうかがいながら、私はふと先にあげたロマンチスト達の新しき村を思い起こしていました。

皆んなが等分に働き、汗の中に生の歓びをしるという。それが生きていることの証しと新しい村を興した詩人や文学者の夢はあえなく消えてしまいましたが、それが決して夢物語ではないことを香取村の人々は示してくれました。

昭和大不況の折の満州入植。敗戦と生き地獄のような脱出行、そして戦後の再出発・・・三好さんは昭和21年の夏、香取村のある場所に探査にたどりつき、「この場所だ」とひらめいたそうです。

戦後、食べることに四苦八苦していた時代に「金の欲しい経営より、生活が楽しめる経営へ」をスローガンにした香取村づくりのスローガンに、まさに村づくり百年の大計があるように思いました。地道なご苦労を支えたのも夢と理想があったからこそ。


百年の大計の中での村づくり・・・。

国家は果たしてそのような大計があるのでしょうか。

このごろ疑問に思います。


日本国土も又、一人一人私たちが夢と希望を託し、参加できる開拓の地であらんことを。


投稿者: Mie Hama 日時: 18:18 | | トラックバック (0)

緊急報道スペシャル~食料危機~あなたは生き残れますか

TBS緊急報道スペシャル ~ 食料危機 ~ あなたは生き残れますか

7月16日夜放送(18時55分~20時54分)に出演いたします。

司会:関口宏さん
コメンテーター:涌井雅之さん(桐蔭横浜大学特任教授)
ゲスト:
立松和平さん、永島敏行さん、
田中義剛さん、高木美保さん、
大桃美代子さん、そして私 浜美枝です。

自給率39パーセント(カロリーベース)のわが国。

なぜこのような低さになってしまったのでしょうか。

世界中で食料の争奪戦がはじまりました。

そして、環境破壊が論じられています。

私達の住むこの地球はどうなるのでしょうか!

国民ひとり一人の問題として考えてみましょう・・・という番組です。

久しぶりのテレビ出演で緊張しておりますが、私も40歳で演ずることを卒業し、子育てをしながら全国を旅し、毎日の家族の食を担い、辺りを見回すと、
とんでもない時代になっていたんですね。

日本はどこへ行こうとしているのだろう?そんなわけで私なりの勉強を始め「農・食」の道に踏み込みました。

田畑をお借りし、10年間米づくりも学びました。

そんな経験の中での今回の番組出演。

「農・食」をテーマにテレビが取り上げてくれるのは、現場を回っている私には大変ありがたいことです。

皆さん、共に考えてみませんか。 

戦後日本の食の歩み、日本の農村風景の変化、

養鶏・酪農・水産の現場、

原油高の影響が地球にもたらす事、

原油高騰の背景にあるものは「食」を揺さぶる市場経済。

食料危機が迫っています。

ぜひ来週、水曜の夜の番組をご覧ください。 

投稿者: Mie Hama 日時: 19:13 | | トラックバック (0)

何か変ですね

何故こんなに食べ物の値段が高くなるのでしょう。
何故こんなに偽装が発覚し、人々の暮らしをおびやかすのでしょう。

食料の争奪!・・・がはじまった。など等、輸入に頼りきっている私達の台所が大変な事態になっています。

第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品をだれもが当たり前に手にいれられるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。

ですから、わたしにとって、近年続出した食をめぐる数々の事件は、本当に衝撃そのものです。

なぜ、こんなことが起きてしまうのでしょう。

モラルの低下や対応の遅れが指摘されていますが、わたしは何より、笑顔で食卓を囲み、健やかに暮らすために食事を味わう・・・当たり前のことが欠落しているのではないしょうか?

本当の「本物の時代」を、自分たちの手で切り拓いていく時期にきているのではないでしょうか。

では、本物ってなんでしょう。

私は共生共栄ということではないかと思うのです。

「損得」でビジネスを考えるのではなく「善悪」という視点からとらえ、展開していくようなお互い信頼関係がきずけないものでしょうか?

切磋琢磨できる関係を作りあげられないでしょうか?
 
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」

そんなこと、夢物語でしょうか?

なぜ、命と直結している食品と、ガソリンに代わるエタノール用のとうもろこしを奪い合うのでしょうか。

資源の乏しい日本はこのままでいくと、安心して暮らせなくなります。

こうした時代、カギは「女性の視点」にあります。

子を産み育み、健やかな命を次世代につないでいこうとする女性、そして命を丸ごと抱きしめることができる女性ならではの視点を、真ん中に据えて、常にその思いに立ち戻りながらものごとを進めていけば、"何か変"は解決できるのではないでしょうか。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:21 | | トラックバック (0)

沖縄・・・「ブクブクー茶」

みなさん!沖縄のブクブクー茶ってご存知ですか?

先週、沖縄に伺ってまいりました。「沖縄伝統ブクブクー茶創立15周年」を記念し"ブクブクー茶の会"にお招き頂きました。

明治、大正、昭和の初期に主に那覇で飲まれていた、伝統文化の一つであり、庶民の間で親しまれていたお茶を、見事復活にご尽力なされた、新島正子先生はじめ安次富順子先生、保存会の皆さま、そしてこのお茶を愛する、お仲間250名ほどの会でした。

一度聞いたら忘れられない・・・名前。ユニークですよね。ブクブクー茶!山盛りの泡には驚きました。泡の上にふりかけられた落花生。泡の下にはご飯。立て方、飲み方、なんと、おおらかなのでしょうか!

しかし、今日を迎えるまでには、皆さまの大変なご苦労があったことでしょう。

〇 水を選び、泡立てが難しいこと

〇 小豆ごはんを煎るのに大変な時間がかかること

〇 当時の道具がなかったこと

〇 戦後、清涼飲料水が普及し、お茶を飲まなくなったこと

など、とくに「泡立つ水を探して」・・・玉城村(たまぐすくそん)垣花桶川(かきのはなひーじゃー)の水はサンゴ礁を伝わって採れる地下水。カルシュームをたくさん含んでいる硬水に出会います。戦後姿を消した"幻のお茶"の復活です。

私も茶せんで泡立てを体験させて頂きましたが、普通のお茶をたてるのとはチョッとコツが違い盛り上げ方が難しいのです。きめ細かな固い泡は10分から20分大きな茶せんを振ります。

ブクブクー茶には人を和らげ、ふれあいを大切にするお茶と伺いました。

特に女性に好まれ、家族の誕生日、旅立ちの祝、内輪の祝などに飲まれていたようです。

何かと殺伐とした世の中にあって、この沖縄のお茶の果たす役割はさらに大きくなるのではないでしょうか。


私と沖縄のご縁はずいぶん前にさかのぼります。

私が始めて沖縄に行ったのは今から45年ほど前のこと。まだパスポートが必要な時代でした。

10代で「柳 宗悦の・民藝運動」に心惹かれ、心の師と仰ぎ、その書の中に「沖縄こそが日本の民藝のふるさと」と記されてあると、何がなんでも沖縄に行ってみなければ、と向学心いっぱいの10代の終わりの私でした。

素敵な出逢いもたくさん頂きました。そのお一人が今回のブクブクー茶の復元にご尽力なされた

沖縄調理専門学校校長でもある新島正子先生。戦後、沖縄の郷土料理の復元にも取り組まれました。

「苦闘の歴史を経てなお、人々の記憶の底に郷土の味が残っていた。文化はけっして滅びない。占領されない」との言葉はわすれられません。今年92歳。かくしゃくとなさっておられます。

なぜか沖縄を訪ねると故郷に戻ってきたかのような安堵感を覚えます。その理由は人・・・。

特に沖縄の女性たちの、辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。面倒見がよくて、働き者で健康的な気質。そのすべてに強くひきつけられるのです。

暑い日ざしの中を歩いていても、木陰に入るとほっとします。そんな時、ビールもいいですが、

"ブクブクー茶"がほしくなります。

沖縄伝統・ブクブクー茶保存会の皆さまのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

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投稿者: Mie Hama 日時: 19:35 | | トラックバック (0)

食アメ・ネットワークの会 "鳴子の集い"

先週末、宮城県北の鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山、そして栗原市に行ってまいりました。

全国から80名の仲間が集まりました。

"食アメニティー・コンテスト"がスタートしたのは、平成三年のことでした。

当時は、アメニティーという言葉さえ、まだまだ市民権を得ておらず、「アメニティーってなんですか?」というご質問いただくことも度々でした。それから18年。

今や、多くの農山漁村の女性の方がコンテストに感心を抱き、自分たちの活動を見てほしいと、応募も積極的になされるようになりました。

農家の女性達が、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したことにより、地域全体が活性化するようになったのです。そんな女性たちの強さ、優しさ、未来へとつなげていくしなやかな力を、改めて認識した今回の旅でした。

食アメニティー・コンテストで自然発生的に生まれたのが、「ネットワーク会」です。第1回目ヨーロッパ・(ドイツ・イギリス)にグリーンツーリズムの研修旅行が終わってしばらくしたころ、参加者からもう一度、集まりたいということで、箱根の我が家にほぼ全員が集合しました。

わずか10日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあります。

仲の良い姉妹のように、話に花が咲きました。

せっかく集まるなら、そこで同じ問題にみんなできちんと取り組み、勉強をしたいという思いが大きくなり、「食アメ・ネットワークの会」がスタートしました。今年が9回目。

いつの間にか9年の月日が経ち、毎回、地産地消、食育、ファーマーズ・マーケットでの活動、地域の活性化などといった、テーマでディスカッションを行ったり、会場は女性たちの熱気でむせかえるほどです。全国での開催ですから、地域を視察し、お仲間も増えます。この頃は消費者の方、学生さん、農のサポーター・・・など、横の連帯を大切に出来るパワーも生まれました。

「浜さん、私、この会で一生付き合える友人と出会えたのよ」

何人から、この言葉を聞いたことでしょう。大人になってから、心の本音をうちあけられる友人にめぐり合うのは大変なことです。何も案ずることなく、心の奥底にしまっておいた事まで打ち明けられる・・・そんな気持ちにしてくれる、なごやかさと優しさがこの会の特徴だといえるでしょう。

「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいる。その友も同じ青空をきっと見ている。だから、頑張れる!」と参加者からお手紙をいただいたこともありました。

実は私も同じ思いです。日本の農業と食はもうぎりぎりのところまできているといわれます。

しかし、彼女たちの顔を思い浮かべると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。


食料の争奪が世界中で始まっています。ムラ存亡の危機も問われています。

日本の農業は再生可能でしょうか?

しかし、女性が必ず変える農業・農村・・・だと私は信じております。


「食は命に直結しています。農は国の根幹です」

命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いでしょうが、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう。

彼女たちは、日本の"美しく善きもの"を象徴していると私には思えます。

「食アメコンテストの会」「ネットワークの会」会長として、微力ながらこれからも皆さまと共に歩んでまいりたいと思います。

"未来の子どもたちのために"

今回は鳴子温泉、鬼首の方、岩出山の方、そして栗原市の方。大勢の方々から美味しい料理、優しいおもてなしをたくさん頂きました。現場で頑張っておられる方に勇気も頂きました。

何度、嬉しさで胸が震えたことでしょう。

ありがとうございました。心より御礼申しあげます。

また、再会できる日を楽しみに致しております。

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地震 お見舞い申しあげます

本日14日 8時43分ころ、岩手、宮城で震度6強の地震がありました。先週末、お邪魔した所です。栗原市、鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山。
鬼首はブナ原生林に囲まれた1,000m級の山々が連なっており、鳴子温泉から国道108号で入っていきます。たった一本の山道、がけ崩れなど心配しております。

地震に遭われた方々にお見舞い申しあげます。

被害が広がらない事を心よりお祈りいたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 10:26 | | トラックバック (0)

「美の里づくりコンクール」~こんなに美しいむらがありました

昭和61年にスタートした「農村アメニティーコンクール」から19年。
装いも新たに「美の里コンクール」がスタートして今回が第3回目。

主催
農林水産省
都市と農山漁村の共生・対流推進会議(オーライ!ニッポン会議)
(財)農村開発企画委員会

私は1回目から審査委員として参加しております。表彰対象は、農村漁村の美しい景観を生み出す活動や取り組みをしている団体です。

今回、農林水産大臣賞を受賞したのは福井県越前市 安養寺町(あんようじちょう)です。

"自然を奏で、未来を創造するまち"・・・をキャッチフレーズに、素晴らしい活動をしています。

集落内に自生する「さぎ草」を守り育てる活動、「さぎ草王国」、地域住民と市民とともに里山の保全活動を行う、「郷の森・里楽(りらく)」、恵まれた自然を生かした保全活動は地域住民の想いがあればこそ・・・できるのです。

住民が一丸となって取り組んできた活動が今回の受賞につながりました。

森づくり活動・ビオトープづくり・ため池整備・遊歩道整備・小学生も巻き込んだボランティアによる無理のない活動。けっして派手ではない地道な活動は今の時代、もっとも必要とされています。

私がこの町を訪ねたのは晩秋のころ、静かな佇まいを見せるこの集落には爽やかな風を感じ、人々の優しい心が伝わってきました。
作業にあたっては、

〇 機械を入れない、基本は手作業で!
〇 自己責任で行動を!
〇 持ち込まない、持ち出さない!
〇 ゆっくり、ゆっくり無理なく作業!

をキャッチフレーズに取り組んでおられます。

集落内に生息する絶滅危惧種の「アベサンショウウオ」「ハッチョウトンボ」などの保護活動も積極的に行われています。

表彰式に臨まれた方々のなんて素敵な笑顔。

「今日、東京に来るまで、『まさか・・・』と信じられませんでしたけど、喜びと同時に、これからの町づくりのプレーシャー(笑)になります。10年ほど前、若者たちが町に出て行くのに、何とかせないかん!との思いが集落の個人個人に生まれ"遊び心でやろう!"との思いからスタートしました。しかし、どんなに頑張っても山の中はゴミ捨て場になってしまう・・・困ったものです」・・・と。

日本列島全体でみますと、空洞化する集落が増えています。

耕作放棄地も広がってきました。

「限界集落」という言葉に抵抗を感じつつも、中山間地域に占める限界的・危機的集落はグローバル化の流れにのみこまれそうです。

そんな時代だからこそ、安養寺の皆さん・・・ありがとう!と申し上げたくなります。

子供たちが植えた"ひまわり"に未来を託したいと思います。
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投稿者: Mie Hama 日時: 08:19 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新しい女性の時代へ

浄土真宗本願寺派が出版している「御堂さん」という冊子で女性論の特集が組まれ、私もその中に原稿を書かせていただきました。2008年5月号


新しい女性の時代へ

最近「女性の品格」が流行語になりました。

それだけ女性の品格がなくなったということでしょうか?

でも、一体品格とは何でしょう。

好きな言葉はたくさんありますが、中でも私が大切にしているのが、月並みではありますが、「ありがとう」と「どうぞ」という言葉です。どちらも、相手に感謝と敬意の気持ちをこちらが抱いていることを伝える言葉です。

私は、仕事柄、旅に出ることも多いのですが、はじめての土地であっても「ありがとう」あるいは「どうぞ」というたったひとことがきっかけで、暖かい人と人の絆が生まれます。それは国内だけには限りません。

世界中のどこであっても、「サンキュー」「プリーズ」「メルシー」「シルブ、プレ」と声にするだけで、人は笑顔になり、その場に、優しい空気がふんわりと生まれます。そうしたときには、こんな優しい言葉をもっていることのありがたさに、感謝の気持ちが私の胸にあふれます。

でも、最近、「ありがとう」や「どうぞ」という言葉を使わなくなった人が少なくなってきたような気がしませんか。また、たとえば肩と肩がぶつかったときにとっさに「失礼!」「すみません」という言葉が出ない大人も、残念なことに最近、増えてきているようです。

スーパーや駅などで、誰とも会話をしなくても、ことがすむ時代になったからでしょうか。まるでそこに他人などいないかのようにふるまう人が少しずつ増えてきているようです。それと時期を同一にして、新聞報道などによると、突然、感情を爆発させる人も増えてきたといわれます。

顔と顔を見つめて会話を交わすという、生のコミュニケーションを、私たちは、もっと大切にしなくてはならないのではないでしょうか。生のコミュニケーションは、私たちを切磋琢磨してくれます。相手の気持ちを汲み取ることを訓練すると同時に、自分の感情をコントロールする力をはぐくんでくれます。

家庭で、学校で、仕事場で、あらゆる場にコミュニケーションは不可欠なものであるはず。それでも、自分の感情を適切な方法で開放したり、抑えたりすることが難しいという人が増加していることを考えると、不幸にもそうした機会に恵まれなかったり、自らその機会を放棄してしまうケースが、現代では少なくないということなのかもしれません。

けれど、自分の感情に自分自身が翻弄されてしまい、相手に感情をぶつけてしまうようでは、何より本人がさびしく、幸せな状態とはいえません。

家庭で、あるいは学校で、もう一度、コミュニケーションの大切さを再認識する時期がきているのではないでしょうか。

ところで、感情をコントロールすることは、感情を出さないということとは違います。大切なのは、ひたすらおとなしくして我慢を強いることではなく、その人、そしてその場にあったもので、伝えるべきことをきちんと伝えることだと私は思っています。

私は4人の子どもの母親として、長い子育てを経験しました。子どもの心をはぐくむだけでなく、この時期、子育てを通して私自身も多くのことを教えられました。たとえば、同じ言葉であっても、相手(子ども)が受け入れられない状態ではなく、受け入れられる状態になるまで待って、はじめてその言葉をかけることで、水が大地にしみこむように、こちらの思いが伝わっていくことも、失敗を通して学びました。

そうした発見や学びの数々が、それ以降の私の人生をより豊かなものにしてくれたのは、いうまでもありません。育児は育自だといわれますが、まさにそのとおりでした。そして、いくつになっても人は学ぶことができるということも、改めて感じさせられました。

人はひとりでは生きられません。互いに支え、支えられて、生きていきます。穏やかに、心優しく暮らすためにも、温かなコミュニケーションが不可欠です。感情が激したときには、直接誰かにぶつける前に、どんな理由でこれほど感情が揺れているのかを考えてみてはどうでしょう。厳しい言葉は、その場を暗く沈ませてしまいます。そうした言葉をなるべく使わず、思いを伝えるために、言葉を選ぶようにしませんか。

そして「ありがとう」「どうぞ」という言葉を、意識して日に何度も声にしてみてほしいのです。声にすると言葉が相手だけでなく、自分自身をも優しく包んでくれるのを感じるはず。その場を明るく暖かく照らしてくれる言葉をいつもあなたのそばにおいてください。

写真は本日の散歩で訪ねた箱根湿生花園にて
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投稿者: Mie Hama 日時: 01:42 | | トラックバック (0)

「環境農業と都市農業」について

5月10日東京都庁で、「都市農地保全自治体フォーラム」が開催されました。

東京の農地が、この10年間で約1、400ha減少しているそうです。食の安全が揺らぎ始めた今、自分たちの健康にたいする危機意識から農業に高い関心を持つ人が増えてきました。近年になって、東京近郊の市民農園などが活況を呈しているのは、その表れではないでしょうか。

都市の農地を守ることは、私たちの緑の環境、食の環境、ひいては健康を守ることです。これから私たちは生産者・消費者の垣根を越えて、何より自分たちのため、未来の子どもたちのために、都市農業を盛り立てていかなくてはなりません。官民一体となってヘルシーで美味しくて、心地よい、農的生活を積極的に楽しんでいきたいですね。

都市住民にとってかけがえのない存在である都市の農地を守るにはどうしたらよいか・・・そんな、話をさせて頂きました。

環境保全とか、都市農地というと、なんだかとても難しいことのように思われがちなんですね。でも、実は、まったく難しいことなんかではなくて、私たちの暮らしにとって、環境保全も、都市農地も、とても身近なものだということを、まずはじめに知っていただきたいんです。

たとえば、今朝、みなさん、何を召し上がっていらっしゃいましたか?

納豆ご飯? ハムエッグにサラダに、トースト?鯵の干物に、豆腐の味噌汁?

こうした私たちが毎日何気なく食べるものとも、密接に関係しているのが、環境保全と都市農地なんです。なぜかといいますと、食をはぐくむのが農業であるからなんですね。そして農業は環境の中に含まれる......。

つまり、食と農、そして環境は切っても切り離せないものなんです。

食といいますと、今、多かれ少なかれ、みなさん誰もが、日本の食に不安をお感じになっているのではないでしょうか。

たとえば中国の農薬入りギョーザ問題。
この問題は、昨年、日本中の食卓を文字通り、震撼させました。

中国産野菜の残留農薬問題が改めて明らかになったんですね。日本では使われなくなった危険な農薬が使われているとか、特定の農薬を禁止しても、広い国土すぎて徹底できないとか、収穫前の本来ならば農薬をかけてはならない時期に、何度も農薬が使用されている現状があるとか、中国でもお金持ちは健康のために、自国の野菜を食べず、輸入したオーガニックの野菜をもっぱら食べている、それほど農薬のついた野菜は恐ろしいとか、農薬をとるための特殊な洗剤が、中国では自衛のために人気を集めている、などなど、様々な情報も入ってきました。

そして、問題は、ギョーザだけではなく、野菜から加工食品にまで問題が及んでいるという現実が、徐々に浮かび上がってきました。いつのまにか、本当に多くの農水産物・加工食品が中国から輸入されていたことにも驚かされました。

あまりに多すぎて、実態もなかなかつかめず、いったい、どの食べ物に、何がどのくらい使われているか、まったくわからないというような状態だということもわかってきました。さらに、家庭で食べるものばかりではなく、外食産業では中国からの原料を使わずに調理できないほど、浸透していることも明らかになりました。しかし、ことは中国だけではありません。

スーパーやデパートの食品売り場に行くと、いつもつやつやした野菜がバラエティ豊かに並んでいますよね。赤や黄色のパプリカ、青々としたアスパラガスやブロッコリー、大きなしいたけや水煮のたけのこや、袋にいっぱい入ったニンニク......。けれど、その表示を見ると中国だけでなく、タイ、チリ、韓国、エクアドルなど、遠くの国から輸入されたものが実に多いんです。しかもこうした輸入品は運搬の料金をプラスしても国産品よりも安かったりします。

こうしたことから想像できるのは、人件費の安い国で栽培されたものなのか、或いは、できうるかぎり、機械化して大規模に作られたものであろう、ということ、なんですね。

そして、そのひとつひとつの野菜がどこでどう育てられたものかということを、消費者には知るすべがないという意味において、問題となっている中国野菜と同じなんです。

いまや、日本の食糧自給率は、カロリーベースで39%。食料自給率が低いということは、極端にいいますと、こういうことなんだなぁと、現実をつきつけられたような気がしました。

食べ物を人に、他の国にゆだねるということは、たとえ量は確保できても、どんなものかというクォリティに関するところまでは、なかなか把握しきることができない。いってみれば、どんなものかわからないものを食べなくてはならないというリスクが極めて高い状況を作ってしまうということなんですね。

しかも、これからの世界状況のことを考えると、その量さえ、将来にわたって確保できるかどうか。本当のところは誰にもわからないのではないでしょうか。

世界には、現在、食料不足の国がたくさん存在しています。

洪水や旱魃、天候不良、それから内乱といたような問題のために、収穫があがらず、緊急援助を必要としている国もあります。

先日、大型サイクロンに襲われ、何万人もの人的被害を出したミャンマーなどは、まさにそれにあたりますよね。本当に大変お気の毒なことだと思いますが、同時に、人事ではないと感じます。

国連世界食糧計画(WFP)が国際連合食糧農業機関(FAO)の統計に基づき作成したハンガーマップという地図があるんですね。

これは世界の飢餓状況を表した世界地図で、栄養不足人口の割合により国ごとに5段階で色分けされています。

飢餓人口の割合が最も高い赤色に分類された国では、全人口の35パーセント以上もの人々が栄養不足の状態に陥っているのですが、なんと世界には飢餓状態の国が20カ国以上あり、現在でも多くの人々が飢餓に苦しんでいるというんですね。

さらにこの地図によると、国民の3人に1人が栄養不足状態にある国が、世界に20カ国以上もあり、特にアフリカ大陸や、中央アジアに集中しているということも、ひとめでわかります。

飢餓の原因として、自然災害や紛争だけでなく、HIV/エイズの蔓延による労働人口の減少等も深刻化しています。

国連人口基金は2006年版の世界人口白書で世界の人口が65億4,030万人を突破したとする推計値を発表していますが、その5人に1人、子どもも含め、12億人がひどく貧しい状態で、1日1ドル未満で生活し、 5億人が飢餓か、栄養不足に苦しんでいるといわれるんですね。

そして、世界の人口は今このときも、発展途上国を中心に大変な勢いで増加していて、2,050年には世界人口が90億7590万人に達すると推計されています。

こうした人口の増加、そして発展途上国の消費水準の向上から、世界の食料需要は、今後、大幅に増加すると見込まれているんですね。では、それら食料需要を満たすために、何らかの手が打たれているかというと、世界の耕地面積および穀物収穫面積は、ほぼ横ばい。

今後、大幅に増加する可能性は低いと見込まれているんです。つまり、このままでは食料がますます不足してしまうということが考えられるわけです。

その上、近年、バイオエタノールの材料として食料が使われるようになり、そこに投資のお金が流れ込んで、食料品の値段が世界的に大幅に上がっています。小麦、バター、マヨネーズなど、次々に食料品がこの春、値上げになりました。1品についてはたとえ10円の値上げであっても、いくつもの食べ物が一度に値上げされたのですから、本当に驚きました。

これから電気やガスなども値上げだといいますから、家計にとっては大打撃ですよね。これは日本ばかりではありません。

この春、エジプトでパン不足が深刻化したというニュースが届きました。パンを買う順番が来るのを待っている間にいらだった人々が争って、大変な事態に陥ったとも伝えられています。政府補助を受けていないパンの価格は場合によっては50パーセントも上昇しており、社会が暴発しかねない危険域にまでパン危機が到達したことを示しているといわれています。

また、世界最大のコメ輸出国であるタイでは、輸出を拡大することで国内消費用のコメの不足する危険性が指摘され、今後、米の価格上昇、輸出拡大が続くようであれば、今年後半にも輸出規制が必要といわれはじめました。タイの米が輸出されなくなるわけです。

コメ輸出については、インドやカンボジアが禁止、中国やベトナムは輸出制限措置をとっています。ひしひしと、これからの時代、食料確保が難しい時代になりそうな感じがしませんか。

フランスの故ド・ゴール大統領は、かつて「食糧の自給できない国は独立国ではない」といいました。みなさんは、その言葉をどうお感じになりますか。

1960年には、穀物の自給率はイギリス、ドイツ、イタリア等のヨーロッパ諸国と日本は約60~70%と、そう変わるものではありませんでした。

しかしながら、現在では先進国はのきなみ増産し、100%以上、自国で穀物をまかなうことができるようになっています。

国連の2,003年の食糧需給表によりますと、
オーストラリア 272%、
フランス 176%、
ドイツ 132%、
アメリカ 127%。
そしてわが国の穀物自給率はといいますとわずか24%なんですね。
必要な分の4分の1に満たない数字です。

先進工業国は食糧自給ができるというのが、いまや世界の常識なのに、日本は農産物自給率をあげるどころか、大きく引き下げているんです。

日本は目の前の経済的豊かさを求めて走って来た結果、敗戦の痛手から見事に立ち直り、経済力を持つ国になったけれども、その繁栄と引き換えに、農業をおきざりにしてしまったということが言えるのではないでしょうか。

けれども、私たちはあきらめるわけにはいきません。私たちは、自分たちのみならず、子どもや孫の世代のためにも、農業を、この国によみがえらせなくてはならないんですね。

農業は人が生きていくうえでもっとも基本になる技術であり、食料の安定なくして社会の安定、さらには国民の安心と健康もありえないからです。

また、土と水、生物によって支えられる農業生産は、自然の循環機能を基礎とした、社会活動の動脈とも言える存在です。

ですから、農業に従事する人が減り、耕作地が減り、生産量が減ったといっても、こと、この問題に関しては、絶望して放棄するわけにはいかないんですね。

農業をよみがえらせるために、何より大切なのは、国民のコンセンサスだと、私は思っています。私たちひとりひとりが、消費者とか生産者の垣根を取り払い、自分たちのために、日本の農業を守り、育てていくという気持ちを持ち、行動を始めるということが、絶対に必要なんですね。

そして、この問題を解決するキーワードは、「地産地消」という言葉ではないかと、私は思っています。

地産地消とは、「地域生産―地域消費」を短くした言葉で、その地域でとれた作物を、その地域で消費するというのが、食の基本だという考え方です。

「四里四方(約16km四方)で取れるものを食べることが健康に良い」という「身土不二」(しんどふじ)の考え方が地産地消の原点とも言われています。 「地産地消」そして「身土不二」には、その土地に住む人が、その力湧き出た水を飲み、その土地でその水で育った食べ物を食べることこそ、自然の摂理にかなっているという思いもこめられています。

なんと言っても、近くで栽培されたものなら、生産者の顔が見えますし、どんな栽培されたものなのかもわかります。また、近くで栽培されたものは、旬のもののはずですから、栄養価が高く、季節感を大切にして、四季を楽しむことで、健康につなげることもできます。

さらにそれぞれの地域には、地域で生産された産物を使った伝統的な郷土料理や家庭料理など、地域特有の食文化が多く存在しています。

これらは、季節のうつろいとともにもたらされる様々な農林水産物をぜいたくに使ったものが多く、まさにその土地の風土を感じることができる貴重な文化です。

こうした食文化も守ることができるんですね。
地産地消、身土不二のよさは食の面だけではありません。

農業には、産業としての面だけでなく、水源のかん養、洪水調節、大気の浄化などの自然環境の保全、美しい景観の形成、文化の伝承等の多面的な機能があるんですね。このように、地域の環境を保全する機能を持つ、自分のすぐ近くにある農業を守ることもできるんです。

では、これから私たちはどうしたらいいのでしょうか。
私は、10年間に渡って毎年夏、全国の農村の女性たちと共に、ヨーロッパのグリーンツーリズムの研修旅行を行ってきたのですが、その中で、ひとつ強く感じたことがありました。

それは都市に住む人に、農業の魅力、農地の大切さを感じてもらうには、現地に赴き、そこの空気を呼吸し、風をほほに受け、農家の人たちと触れ合うに限るということです。

まさに、百聞は一見にしかず、なんです。アルプス地方から始まったグリーンツーリズム運動は、今ではイギリスやドイツ、オーストリア、イタリアなど、ヨーロッパ各地に確実に根をはりました。

さわやかな緑の風が吹き渡り、牛や羊がのんびりと草を食む丘。
とれたての新鮮な野菜や果物が並ぶ食卓。
農家のキッチンで自家製のバターやヨーグルト、ジャムを作る楽しみ。

田舎の親類の家に遊びに行くような気軽さで農村に出かけ、しかも自然の中でのんびり低料金で過ごすことができるグリーンツーリズムは、いまや、ヨーロッパの人にとって、非常に人気が高いんですね。宿泊するだけではありません。たとえばフランスなどでは、日帰りで楽しむ人もとても多いんです。

私にはフランスのパリに住んでいる友人がいて、ヨーロッパに行くたびにそこのお宅に遊びにうかがったり、メールでもしょっちゅう連絡をとりあっているんです。彼女を通して知ったことなのですが、実はパリは、農業を非常に身近に感じることができる町なんですね。

たとえば今、パリで人気なのが、オーガニックのマルシェなんです。

毎週日曜日だけ開かれる「ビオ・マルシェ(オーガニック市)」には、大勢の人々が集まります。パリ郊外のオーガニック農家の人々が自分たちの作ったものを直接売る、いわゆるファーマーズマーケットが多いんです。

旬の野菜、果物、ベリー類などがたくさん並びます。
私も、時間が許せば、このマルシェにいつも足を伸ばします。
日本のお友達へのお土産をここで買うこともあります。それがとても喜ばれたりするんです。

買物せずにのんびり歩いたとしたら、15分くらいで通り過ぎてしまいそうなところですが、さっと通り過ぎる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。すごく楽しいんです。買物や試食、お店の人とのおしゃべりで、立ち止まったり、笑ったり。2時間くらいは優に楽しめてしまうんですね。

そして、そこに並べられているものの、素晴らしいこと。 野菜やハーブなど植物は、その土地の土と水と空気で育つんだなぁということが、よくわかります。美しい水、透きとおった空気をたっぷり食べて育った植物は本物の味がするんですね。

そしてこのマルシェに集う人は、嬉しいことに、何を食べるか、どこのものを食べるかということを、自分で積極的に選択している人たちなんです。マルシェには野菜類だけでなく、本物のハムやチーズ、オリーブオイル、さらにはバラの香りのバスソルトや蜂蜜など、どれも欲しくなってしまうくらい、美味しくて、おしゃれで、楽しいんですね。そのためビオ・マルシェは、他の市場より少々お高めなのですが、可愛くて安全・安心なものが沢山あると、老若男女とわず、人気がどんどんあがっています。

また、フランスでは最近、パリから車で1時間ほどいった農園に休日、多くのパリジャン、パリジェンヌが集まるんだそうです。農家といっても、野菜、果物、畜産、それにワイン用のブドウ畑など、いろいろあります。そういった農場を紹介する特別のガイドブックもいろいろ出版されているとか。

家族で訪れる人もいるし、10代の子供達のグループが訪ねたり、グループ、あるいはカップルで楽しむ人もいます。

田舎の広い農場は、森や山、川がすぐ近くにあるから、都会での仕事に疲れた人にとっては、自然に接する絶好の機会なんですね。中でも、オーガニックの農場はダントツの人気なのだそうです。

話がちょっと横にそれますが、ヨーロッパでオーガニック農業がさかんなのは、農業を身近に感じている消費者が多いからではないかと、私は思っているんです。

農業で生産されたものが自分たちの命を守り、育ててくれると実感しているからこそ、健康を維持するために、積極的に意識的に「本当に体にいい食べ物=オーガニックフード」を選んで買う、グリーンコンシューマーとなるのだと思うんです。

こうして消費者と生産者との関係が近くなると、美味しくて安全なものを生産する農家を消費者がさらに積極的に応援したり保護したりする動きが、自然に生まれてくるんですね。そのため、フランスのみならず、オーガニック先進国のイタリア、イギリス、ドイツでは、オーガニックファームの耕地面積は、増えつつあるんです。

生産者と消費者ががっちりタッグを組んで、自分たちがいいと思う農業を発展させているわけなんですね。

ところで、日本ではまだまだ、農家民泊を経験した人は多くないので、農家で消費者がどう過ごすかということを想像するのは、ちょっと難しいかもしれません。それをわかっていただくために、まず消費者にとって農家で過ごすメリットは何かということを考えてみたいと思います。

私は、やはり第一のメリットは、生産者と直接会って一緒に食事をしたり、交流することではないかと思うんです。いつも自分が食べている農産物を栽培する農家で、それらがどうやって作られているかを見たり、体験したり。農場でとれたての食材を思いっきり味わったり。さらには、ジャム作りなどを楽しんだり。

そうした時間を過ごすことで、農家の人がどんな気持ちで作物に接しているかもわかり、信頼関係や食への理解が深まります。食べ物に対する見方が大きく変わる人も少なくありません。食べるときは、感謝して、味わって食べるようになる人も少なくありません。

またいろんな作業を体験しながら、自然環境全体=人と大地、動植物、空気や水のつながりを体感できます。一方、農家の生産者にとっても、消費者との交流はメリットがいっぱいあります。

まず、自分たちが作ったものを、目の前で味わってもらえる喜び。生産現場を見てもらいながら、消費者の本音や、普段どんな基準で食材を選んでいるかを知ることもできます。また生産者たちの本音や思いも、ふれあいを通して直接消費者に伝えることができます。訪問者がいることで、より安全、安心に心がける決意が強まるし、手を抜かないよう、努力を重ねるので、作物の質もアップするんですね。もちろん、農業とは別の現金収入も生産者にとっては大きな魅力です。

さらに、都市農地は、生産者と消費者のみならず、東京に暮らす人々にとっても、多くの恵みを与えてくれます。たとえば、ヒートアイランド現象に代表される都市の温暖化が顕在化し、社会問題となっている現在、都市農地はそれ自体が持つ気候緩和機能の面でも注目されているんですね。

農地が持つ気候緩和機能というのは、農地がその周辺大気の温度・湿度等をより快適に調整する機能のことです。農地で栽培される作物には、光や熱吸収により、周囲の気温を低下させる働きがあるんですね。水田はもちろん、畑などの緑地でも、そうなんです。

緑地には、二酸化炭素を吸収し酸素を発生させるだけでなく、大気汚染物質である亜硫酸ガスや二酸化窒素等も吸収し、無害な物質に変える働きがあるんです。 また、住宅密集地に隣接する農地などですと、畑が、風の通り道となり、熱がたまるのを防いでくれます。 その心地よさは、都市農地に隣接する市街地や住宅密集地にお住まいの方なら、実感されているのではないでしょうか。

温暖化が問題になっている今、今なお残る都市農地を維持することは、都市の温暖化の有効な対策の一つとして、本当に重要なんですね。今、東京の様々な地区で、農業の生産者と消費者とが手をつなぎあう試みがたくさん行われています。農家の生産支援ボランティアの育成を目指して研修をしたり、市民農園を農家に開設してもらったり、子どもたちの体験農業、あるいは体験型農園の開設など、実に多彩なプログラムが繰り広げられているんですね。

こうした取り組みに、さらに多くの人が参加するようになってほしいと願わずにいられません。より多くの人に、農業が素晴らしい生業であることを知ってもらい、都市農地で過ごす楽しさを味わってもらい、消費者生産者の枠を超えて、農業のサポーターを増やしていきたいものですよね。そのために、こうした取り組みをひとつにつなぐネットワークのようなものが必要なのではないでしょうか。

手をつなぎあい、情報を共有し、励まし高めあうようなネットワークを作り上げてほしい。それが私の願いです。

私は、先ほど農業をあきらめないといいましたが、今は本当に大切な時期だと思っています。将来に農業や都市農地をつないでいくために、一時もムダにはできない重要なときなんですね。

今、何をできるか、何をするかで、将来が変わってしまうといえるほど、過渡的な時期なんです。万が一にも、手遅れになってしまうようなことがないように、今がギリギリの時期だということを念頭にいれ、アクションを起こしていかなくてはなりません。

官民一体となって、台地に根ざしたあらゆる知恵を出し合い、都市農地を守り、育てていきましょう。私たちのために、私たちの子や孫のために。

消費者の方々は、まずは、都市農地を、ぜひ訪ねてみてください。都市農地を楽しみ、味わいつくしてください。そしてリピーターになってください。

生産者の方々は、そうした人々を快く受け入れ、緑の中で過ごす楽しみを、そして農業の奥深さを少しずつ伝えていってください。

写真はパリ在住のカメラマン・斉藤より子さんの提供です。
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投稿者: Mie Hama 日時: 23:03 | | トラックバック (0)

作家のC・Wニコルさんの「アファンの森」で

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ゴールデン・ウイークの最中、ニコルさんの森に行ってきました。

素晴らしい天候に恵まれ黒姫も美しく、穏やかな風が森を吹きぬけます。
「アファン」とはケルトの言葉で"風が通るところ"という意味だそうです。

今回は5月16日放送のNHK「生活ほっとモーニング」の収録です。

この森にはじめて伺ったのが、20年ほど前。息子森(シン)と一緒でした。
20年経った森は光が燦燦と降りそそぎ美しい森となっていました。

ニコルさんは、ご自分の森の片隅に炭焼き窯を設けて、ご自分の手で炭を作り、その炭火の恩恵の中から日本の暮らし、文化を見出していらっしゃいました。その時、彼が私に語ってくださった忘れられない言葉があります。それは、

「浜さん。木を切って始まる文化もあるけれど、それによって文化を失うこともあるよね。森を失ったら、文化は完全に滅びます。」

その時ニコルさんはとても分かりやすく、森の大切さについて私に語ってくれました。日本の面積の約7割は森林です。原生林はわずか1%、日本列島の大昔を語る大切な証言者です。無数の生き物の原点です。戦のさなかも、木を切り、それを炭に代えて、無数の家の復興に使い、森は一心に人間に寄与しました。国破れて山河ありですね。自然にたすけられたのに、私たち人間は傲慢になっていないでしょうか。
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ニコルさんは黒姫の森林の中に家を建て、森を守り、子どもたちの未来へと繋げていっているのです。"日本の森は病んでいる"・・・との思いから。

私はニコルさんの考えに深く感動し、自分なりに愛する樹木に何ができるかを、いつも考えてきました。壊されて、燃される寸前の民家の磨かれた柱や、芸術的なカーブの梁なども、あわやのところで、多少救うことができました。これらもかつては樹木でした。

 "木には精霊が宿っている"と、私は信じています。

20年たった森は見事に甦っていました。

森の中でニコルさんの焼いてくださった長野産そば粉の"・パンケーキ"にたっぷりのラム酒いりのフルーツをのせ・・・美味しかったこと。「ごちそうさまでした」。
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そして、これからもニコルさんの描く森は深化し続けるでしょう。
後ろ髪をひかれつつ、黒姫を後にしました。

帰りの電車では黒姫にさよならしながら、ビールで乾杯!です。
ぜひ、番組でご覧ください。
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投稿者: Mie Hama 日時: 09:27 | | トラックバック (0)

柳青める日の築地散歩

都会の隅田川沿いにかつて仕事場があったせいでしょうか、たまに築地界隈を散歩したくなります。ゴールデンウイークのある日、周辺を散歩しました。お休みの日は静かでお散歩には最適です。
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この頃思うのですが、都会であっても、ちょっとした空間に花や木など緑がずい分豊かになったと思いませんか。地下鉄の階段を上がったところなど小さなスペースながら花がキレイに寄せ植えされていたり・・・。住宅の庭や軒先、商店の傍ら、幼稚園の園庭、小学校の庭にも。五月の光のまばゆさが緑に照りかえして、本当にキレイです。

この季節、この時節、不況のさなかにあって、失業中の方々や会社が困難な事態に陥っていらっしゃる方もおられる昨今、あふれるばかりの陽射しや花々は沈みがちな方々の気持ちをいくらかでも安らかにしてくれるかもしれません。

植物は人間なしでも生きてきました。もちろん丹精込めて、人に作られたものも多いのですが、彼らの多くはひとりで生命を永らえてきました。ひるがえって、人間は果たして、緑や花などなくても生きていけるでしょうか。これは絶対にありえません。有史以来、人間は植物なしで生きてこられたためしはないのです。樹木の恩恵のもとに私たちは生かされているわけです。

光さんさんの中、緑が豊かに生い茂る木の下を歩くのは本当に気持ちのよいことです。

築地界隈は近年、大きな変貌を遂げています。

明石町小学校の跡地にはマンションが建っていました。その入り口に、なんとガス燈が!明治の名残が一燈だけ残されていました。記念碑のように立っているそのガス燈は、東京市の銀座れんが街の完成を機に芝・浜崎町にガス製造所が設けられ、京橋から金杉橋にガス燈85基が設置されたのが東京での始まりだそうです。
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それ以前、横浜の居留地では明治五年にガス燈が灯っています。明石町小学校跡地に当時のガス燈が一基残されておりました。高さ三・四メートルの鋳鉄製。西洋の香りがするデザインです。近くには当時の建築様式の教会など。今から百三十年以上も前のこと。

現代は、みんな見える明るさが求められますが、かつては見えないことも「見える」ことのニュアンスが含まれていたのではないでしょうか。闇、ほのぐらさ、手さぐり、ぼんやり、おぼろ、・・・明治から平成へ。明るさと暗さの間にある情緒も大きく変化し、人間の心の機微も少なからず当時とは違ってきていると思います。

ガス燈といえば、霧のロンドンを舞台にした名画「ガス燈」。

私は名画座で昔みたのですが、1944年の映画でした。なんと私の生まれた翌年の映画。自分でいうのもイヤですが、ずいぶん昔の映画ですね。それにしてもイングリット・バーグマンの美しさにはため息がでました。

気持ちよい風にふかれて、築地市場へ。
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子どもが幼かった頃、お正月のおせちの食材を抱えきれないほど持って箱根の我が家に帰ってきましたっけ。お昼は市場の中の"てんぷらや"さんで「かきあげ丼」。

帰りはある歌を口ずさんでいました。

柳 青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
誰を待つ心 可愛いガラス窓
かすむは 春の青空か
あの屋根は輝く 聖路加か
はるかに 朝の虹もでた
誰を待つ心 淡き夢の町東京

「夢淡き東京」 この曲は昭和21年 
作詞/サトウハチロー
編曲/古関裕而作
歌/藤山一郎

隅田川べりは遊歩道が完備されています。川の流れをゆりかもめがかすめる季節。そして、びっくり・・・。銀座にはもっとたくさんの柳が残っていると思っていたのですが、ハナミズキや他、華やかな木々に変わっているのですね。
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でも西銀座通りは柳並木が。
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5月5日は「銀座柳まつり」が開催されます。五月、川の流れさえ淡き町、東京です。


投稿者: Mie Hama 日時: 11:19 | | トラックバック (0)

箱根のコメザクラ

箱根の山々のコメザクラが満開になり、可愛らしい花は恥ずかしそうに下を向いて咲いているのです。早朝の山歩きでこの1週間存分に楽しませてもらいました。

今日の雨で散ってしまうのでしょうね。

満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがよくあるんです。

「何故そんなことを思うのかしら、不思議ですね」と、以前、作家の水上勉先生にお話すると、先生は、「桜は、散ってさくからね。生命が長いと思わせますね。春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのじゃないかなぁ。散るはかなさではなく、散ってまた咲くことに、憧れるんですよ」とおっしゃいました。

花の命ははかなくて・・・などという言葉もありますが、たしかに人間の生命のほうがずっとはかない。桜の花は毎年春が来れば必ず生き返って咲きます。「散る」とは「咲く」こと。樹齢何百年という木々の桜が花を満開に咲き誇らせている姿に、私たちは生命の永遠を感じ、そのことに深く安堵するのでしょうね。

岐阜と富山の県境にある御母衣ダム。いまから40年ほど前に、庄川上流の山あいの静かな村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖底に沈むことになったのです。350戸にも及ぶ人々の家や、小・中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命にある中で、樹齢400年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせ続けることをゆるされたのでした。

桜へのひたむきな思いによって荘川桜の移植を成功させた男たちの姿を水上先生は、小説「櫻守」にかかれました。

そして私がはじめて御母衣ダムに荘川桜を見にいったのは、いまから30年ほど前、移植されてからすでに何年か経った春のことでした。

湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。ああこれがあの桜・・・と。

樹齢400年の老桜とは思えないほど花が初々しかったのが、とても印象的でした。

毎年4月25日頃から5月10日ころまで、庄川桜の壮麗に咲き誇る姿は、その木の秘められた歴史を知るものには格別感動的です。

ふるさとは水底となり移り来し この老桜咲けとこしえに   
                            高碕達之助

花が美しければ美しいほど、一方でとても哀しくなるのです。

私が行ったときも、満開の桜の木の下でじっと座り続けているおばあちゃんを見かけました。

あの時、おばあちゃんは先祖が育てた木をみながら、桜の木を相手に、村の思い出話を語り合っていたのかもしれません。

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投稿者: Mie Hama 日時: 00:44 | | トラックバック (0)

山桜

山桜の蕾が・・・。

東京のぽかぽかと暖かい陽気とは箱根はちょっと違い、朝晩はまだ少しの冷え込みが感じられます。

先日、仕事の合間をぬって千鳥が淵の桜を愛でてまいりましたが、私の住む箱根は山桜が蕾を開きかけております。まだ、箱根は春到来・・・に少しの時間が必要のようです。

居間の窓から見える富士山は今日も真っ白な雪の帽子をかぶっているし、朝、庭に出て日陰の霜柱を踏む音に、ふっと、いつにない寂しさを覚えたのは、この箱根の長い冬の暮らしのせいでしょうか。

子どもたちの巣立ちを見届けた母鳥は早朝の山歩きの途中で鶯の鳴き声に、そっと耳を傾け、安堵しながらも、そこはかとない孤独感のなかで春を待ちわびているのです。

子育ての時代を卒業して、「正真正銘自由の身よ」・・・と爽やかな開放感に浸っている私。

親元を離れて暮らしている子ども達。

私は不安など微塵もなく、仕事への夢と希望の日々ですが・・・。

ちょっと、寂しい・・・。

「ママが寂しいなんて、全然似合わないわ。明日も仕事でしょう。頑張って」と凛としたその声に、母親の私は、娘がいつの間にか甘える側から甘えられる側にまわっていることに気づいて、ジンと感慨にひたります。

山の桜が開花したらご報告いたしますね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 23:12 | | トラックバック (0)

四月は、ひとり、発つ日

新入社員らしき若い人が目につきます。

女性はグレイのスーツに白いブラウス、男性は濃紺やチャコールグレイのスーツ。昨日まではラフなサンダルを履いていたお嬢さんも、今日はおとなしいパンプス。

染めていた髪の毛もすっかりもとの黒い髪に戻して、晴れて正社員として登場しました。電車の中で見かけた何人かの新入社員らしき人は、全身で緊張していました。

そんな新人さんのソワソワも初々しく、陰ながら、"頑張ってね"と心の中で応援させて頂きました。

私は好きな言葉はたくさんありますが、中でも私が大切にしているのが、月並みではありますが,「ありがとう」と「どうぞ」という言葉です。

仕事柄、旅にでることが多いのですが、はじめての土地であっても「ありがとう」あるいは「どうぞ」というたったひと言がきっかけで、暖かい人と人の絆が生まれます。

それは国内だけには限りません。世界中のどこであっても「サンキュー」「プリーズ」「メルシー」「シルブ、プレ」と声にするだけで、人は笑顔になり、その場に優しい空気がふんわりと生まれます。そうしたときには、こんな優しい言葉をもっているありがたさに、感謝の気持ちが私の胸に溢れます。

どんな時代でも、顔と顔を見つめて会話を交わすという、生のコミュニケーションを大切にしたいものです。

生のコミュニケーションは、私たちを切磋琢磨してくれます。心優しく暮らすためにも、温かなコミュニケーションが不可欠です。

「ありがとう」「どうぞ」・・・という言葉を、意識して日に何度も声にしてほしいと思います。声にすると言葉が相手だけでなく、自分自身をも優しく包んでくれるのを感じるはずです.

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:10 | | トラックバック (0)

沖縄観光

今日の私は少し「ノリ」が違います。なぜか、と申しますと先週末大好きな沖縄に行き、沖縄のお惣菜を端から端まで、食べちゃったんです。と、言っても真面目な仕事でうかがったのですが。

一年に2、3回は旅する沖縄なのに毎回ウキウキしてしまう私です。

さあ~何食べようと、考える間もなく、テーブルはいっぱいになります。ああ、帰ってきた、そんな感じがする沖縄。なぜ懐かしいのかしらと、自分でも不思議に思うんです。通い続けて36年近くになります。決っして飽きることのない深い魅力は、この地から、この海から、この風から、沖縄の人々がみずから生み出しただろうエネルギィーが伝わってくるからです。

今回の講演の演題は「沖縄に魅せられて」です。

沖縄への観光客の7割がリピーターです。これからのシニア世代、いえ、成熟した大人の方々へ、どのような旅をご提案できるか・・・。そんなお話をさせて頂きました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:19 | | トラックバック (0)

雪景色の箱根

この冬は例年より雪の多い季節でした。

雪が降ると、山に登る道がチェーン規制になったりして不便も感じますが、雪の箱根はなかなか素敵です。

小田原からバスに乗り、宮下を過ぎるころには空気も匂いも一変します。

夜空は、時には「冬の月」であったり、樹木の枝に降りつもる雪であったり、「星が」煌々と輝いていたり・・・、まさに「星冴ゆる」夜、静寂な里に暮らす喜びを感じます。

冬ごもりした箱根は静謐そのものです。

でも、早朝の赤富士が見られてた時など"春はもうすぐ"・・・と思います。

春を待ち望んでいる花々との出逢いが楽しみです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 01:12 | | トラックバック (0)

「旅は数珠球・・・壷と椿の花」

旅は自己発見である、とはよく言いますが、私にとって、旅こそ自己形成の場ではないかと今でも思えるのです。

学問も、才能も、家柄も、財産も、何もなくて、ただころがりこんできた時の運のようなものにおされて芸能界に入って、右も左も自分が立つ場所さえわからず、さあここですよ、右むいて左むいて、笑って泣いて、さあこの台詞・・・となにやら人形みたいに動かされて、16歳の私は、ただ渦の中に落とされた小石のようなものでした。

めまぐるしいスケジュールの中で、必死で何か杭があるならつかまりたい。なにか小さな木の葉でもいい、つかまっていないと押し流されそうな怖さだけは確実にあったように思えるのです。

この不安の思春期の中で何につかまられるか、何をつかむかで、その後のある程度の方向は定まってくるものではないでしょうか。

私にとって、それはひとつの”壷”だったのです。

いまになって、あれは私の人生の道標であったと思えるのです。

デビューして2年目くらいの冬のこと。
社会派のカメラマン、土門拳先生に雑誌の表誌を撮っていただけるという幸運に恵まれました。場所は京都・苔寺。その日は光がだめだというので、お休み。

「ついて来るかい?」
「これから本物というものを見せてあげよう」

16、7の小娘には何が本物なのかわかろうはずもありません。

ついていった先が、祇園石段下、四条通りに面した美術商「近藤」でした。

お香の匂いがかすかに漂ってひんやりしているけれど、どこか暖かな店。その店に入った途端、ひとつの”壷”の前で、私は動けなくなってしまったのです。誰の作品で、何焼きで、何年頃のなどということは何も分かりません。

ただその”壷”のありように胸打たれてしまったのです。

そこにある壷は、それを見ている私そのもののような気がしたのです。

身動きもならず、ただうずくまるだけの自分。

それでいてその内側に爆発しそうな力を秘めて、体でそれを表すすべもなく、うずくまるしかないという形の心をそこに見たのです。

身じろぎもせず、その壷を見入っている私に、近藤さんが教えてくださいました。

「この壷の名は”蹲”(うずくまる)。
古い信楽で、作者不詳」・・・と。

その壷にはどうしても寒椿を活けたかった。

何日かたつと、突然ポトリと花が落ちるあの姿、と”蹲”の無欲な姿。

結局、当時頂いていた東宝からのお給料を一年分前借して私のそばにやってきたのです。

夢のようなある冬の出来事でした。

今朝、庭に咲く椿を活けてみました。

あれから、かれこれ半世紀がたちます。

旅は数珠球・・・小さな旅から大きな旅まで、私を豊かにしてくれます。 

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:19 | | トラックバック (0)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

箱根の森の中に家をたてて、もう30年になろうとしています。

今年のお正月も”箱根駅伝”ではじまりました。早朝から富士山が青空のもと美しい姿を湖に映し、ランナーを迎えます。今年もドラマが生まれました。

悲劇や番狂わせ、箱根駅伝はいつもドラマティック。

「銀座百点」1月号にかつて早稲田大学の選手として箱根駅伝を走った映画監督の篠田正浩さんが、作家の三浦しをんさんとの対談でこのように話しておられます。

「正月を選ぶということは、基本的に神事なんですよ。箱根駅伝は、新しい年に精進潔斎した若人が神輿を担ぐように襷をつないで、箱根、つまり富士へ向かって走るでしょう。一種の富士講、イニシエーションだと思いませんか。選手たちが神さまの美しい魂というか神聖なものをわれわれの代表として富士山に取りに行き、それを都会に持ち帰ってきてくれる。駅伝は、日本の文化までもを孕んでいる」・・・と。

今年はどんな年になるのでしょうか。昨年気になる言葉が新聞、テレビなどで報道されるようになりました。

「限界集落」
 
消滅の危機にさらされている集落。そんな集落を救え・・と38都道府県の146自治体が「全国水源の里連絡協議会」を設立し、始動したと新聞記事にありました。たしかに高齢化が進み、田畑の跡地は荒廃し消滅の危機にさらされている現実は旅するなかで実感いたします。

しかし、「限界集落」・・・という言葉をそこに暮らす方々はどのような思いで聞かれておられ るのでしょうか。

人間の歴史の中には、絶えず過ちをおかします。しかし、その過ちを修正する能力はあるかも知れません。もう少し、ふっくらと柔らかな、優しい言葉はないものでしょうか。

日本全体が都市化現象にあります。自然と乖離した生活の中で、自分たちが食べているものの、姿が見えないような暮らしは果たして幸せといえるでしょうか。

見ることは知ること。今年も旅の下にいたいと願っております。

今年も良い年でありますように。

投稿者: Mie Hama 日時: 14:31 | | トラックバック (0)

アンチエイジング医学を学ぶ


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先日”健康長寿を目指して”アンチエイジング医学を学ぶ”という市民公開講座が東京三田でNPO法人「日本抗加齢協会」の主宰で開催され私も招かれ伺いました。

アンチエイジング医学とは?       講師  米井壽一氏  
健康で豊かな骨を守るために       講師  鈴木敦詞氏
アンチエイジングのための栄養と食事 講師  白澤卓二氏

お三方の先生の後、私は私のアンチエイジング生活~「明日を素敵に生きる」をテーマにお話させて頂きました。

会場は専門分野の方、若い方々、そして私達世代。熱心にお聴きになられておりました。その時の内容を記します。


このたび、ここでお話させていただくにあたりまして、改めて、自分の生き方を振り返り、年を重ねること、いつまでも若々しくあることなど、様々なことを考えてみました。

若々しくありたいというのは、女性のみならず、多くの人が望まずにはいられないことでしょう。一方、年を重ねることの豊かさも、みなさま、お感じになっているのではないでしょうか。

実は、あさってが、私の誕生日で、……64歳になるんですね。20代のころ、60代の先輩方を見ると、雲の上の年齢という感じがしましたが、いまや、私もその年齢になっているわけです。

でも、それは、私にとって、決して、悲しいことでもさびしいことでも、ないんですね。若いときには見えなかったことが見えてくる、本当にそういうありがたいことが、たくさんあるんですね。

若い頃に比べて、気持ちのコントロールも上手になりましたし、自分が必要としているもの、していないもの、興味を持つもの、もたないもの、楽しいこと、楽しめないことが、年を重ねるごとにわかってきたようにも、感じます。

経験を重ね、考えを深めてきて、自分の輪郭というものが、くっきりとしてきたと言い換えてもいいかもしれません。そして、自分というものがわかってくると同時に、若いときよりも、もっと優しくなれるような気がします。

たとえば人の気持ちを慮ることもできるようになってきたような気がしませんか。若い頃は私を含めみなさん、自分のことでいっぱいいっぱいで、人のことまでなかなか気が回らないでしょう。そういう余裕がないのが、若さの一面だと思うんです。

でも、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、たくさんの経験を重ね、そのたびに、考えを深め、人間として弾力をそなえて、自分自身のことも少しずつ見えてくると、人は、他の人にも自然に素直に心を開くことができるようになるのではないでしょうか。

でも、年を重ねるということには、身体が老いてくるという誰もが避けられない厳しい一面もあるんですよね。あ、身体も心も変わったな、と私が始めて意識したのは、40代前半のころだったと思います。

今は、夫婦で協力して子育てを行う時代になりましたが、当時は、子育てと家事は女性の役目。男性ばかりではなく、女性も、もちろん、私もそれを当たり前のこととして思っていました。けれど、4人の子どもを育てながら、女優の仕事を両立させるのは、実際には並大抵のことではありませんでした。

私は実の両親に同居してもらい、子育てを手伝ってもらったのですが、それでも、次には何をして、その次には何をして……という具合に、しなくてはならないことと、時間においまくられることが続いていたんです。その疲労が、40代の前半に、ピークを迎えてしまったのだろうと思います。

もちろん、そこには私の個人的な状況もあると思うんですね。体がふたつ欲しいような日常だけれど、この幸せは絶対に手離してはならないと、私はすごく強く思っていたんです。ですから、心にも身体にも相当、力が入りすぎていたのかもしれません。

その上、私は不器用なくせに、完璧をめざしたがるところがあって、しかも、あのころの私は今よりもずっと融通がきかなかったんですね。いいわ、もうここまでにするわ、ということができなかった。

ピンとはりつめていてばかりでは疲れてしまうのがわかっていても、自分を緩めることができなかったんです。そのために、忙しさの中で、自分自身が磨耗してしまったのでしょう。

それまでずっと前に向かって走り続けてきた私が、ある日、立ち止まり、一歩も進めないような状態になってしまったのです。身体に鉛が入ったようで、動くことさえ辛く、お日様が大好きだったのに、外にも出て行きたくなくなりました。
子どもたちの話を聞くことも辛くなってしまったのですね。

たぶん、今にして思えば、欝っぽくなっていたのでしょう。それでも、仕事はありますし、子どもたちには待ったなしでご飯を作って食べさせなくてはならない。それが仕事を持っているということであり、母親なんですね。

夜、倒れこむようにベッドにたどり着いたり、子どもたちが眠った後、女友達の家に車を飛ばして、少し休ませてもらったりもし……思えば、数ヶ月のことなのですが、長く暗いトンネルの中を手探りで歩いているような気がしました。幸いなことに、すべてを受け入れてくれる年上の女友達がいてくれたおかげで、少しずつ元気を取り戻すことができました。

女性の身体は40歳を過ぎる頃から、女性特有の精神的、肉体的変化を左右するふたつのホルモン、エストロゲンと呼ばれる卵胞ホルモンと、プロゲステロンと呼ばれる黄体ホルモンの分泌が変化するために、微妙な変化を感ずるようになるということを、私はその後になってしりました。

40歳を過ぎる頃から、徐々に排卵をしなくなると、エストロゲンの生産が次第に減少し、黄体の形成もなくなり、黄体ホルモンの分泌もやがてなくなっていくのですね。けれど、エストロゲンと黄体ホルモンの分泌を司る脳下垂体前葉は、従来どおり、機能が減退してきた卵巣に対して、よりいっそうの刺激を与え、機能を回復せよと命じるんです。

脳下垂体前葉は自立神経中枢とも密接な関係を持っていますから、そのために自律神経の働きに狂いが生じて、様々な、私が味わったような症状に悩まされてしまうこともおきうるのだということも、知りました。

まさに疲労がピークに達したその時期に、身体のほうにも変化が訪れたというダブルパンチだったわけです。そのために、40代前半で私はうつうつと悩んでしまったというわけなんですね。

悩んでいる真っ最中のあのとき、そうしたサジェスチョンがあったら、少しはラクになれたのかと思いますと、ちょっと残念なんですね。自分の身体に何が起きているか、それを知るだけでも、心構えが違うではありませんか。

原因がわからないと、こんな風に鬱々してしまうのは、自分が悪いからではないかと、さらに自分をせめたりもしがちですよね。いや、そうではなくて、身体に変化が起きているために、心のコントロールがうまくいっていかないのだと、わかれば、それなりに別の対処があったと思うんです。

最近になって、女性の身体の変化、特に40代以降の身体の変化についての、研究と情報開示が進み、私、本当によかったと思っているんです。今、更年期という言葉を、なんのてらいもなく口にすることができる女性たちが増えてきていますよね。

私たちの時代は、まるで「生理がなくなると女も終わり」みたいな風潮があって、更年期などとは、とても口にだせなかったんですもの。今、そんなこと思う女性は少しずつ、少なくなっているのではありませんか。

更年期は女性なら必ず通らなければならない生理的変化の過程ですが、それは同時に、女性に与えられたすばらしい、女の一生の中でもっとも華やかな時期でもあるという認識が、だんだん広がっているんですね。

それは、その年齢の女性に対する社会的偏見、医学知識の誤解などを今、きれいに払拭しつつあるからだと思うんです。

そして今、女性としての自信、社会人として自信が、更年期以降の女性を生き生きと輝かせ、年齢を超えたその人独特の人間的魅力になるという考え方に変わってきているのではないでしょうか。

老化に対する考え方も変わってきているように思います。対処法を知っていれば、無駄な心配をしなくてすむからでしょう。

仕事でおつきあいのあるたとえば女性誌の編集者などは、「私、更年期で、ホットフラッシュがひどいんですよ。そろそろホルモン療法を始めようかしら」と、なんでもない表情でおっしゃるんですよ。

すると隣にいる同年輩の女性たちと「あら、私も」「どこの医者にかかっている?」「いい先生、いる?」という具合に、話がはずんだりもするんです。

そういう女性たちの姿を見るにつけ、自分の身体の状態を的確に把握し、それに対して対処するすべを知っているということが、いかに大切かということを考えさせられます。と同時に、医学の情報を精査して、きちんとキャッチしておくことが、本当に重要だなぁと思うんですね。

少し、私の個人的なことをお話させていただきます。

私が、老いを最初に意識したのは、50歳を超えたあたりだったでしょうか。まず、私は目に異常を感じました。「緑内障」の初期だったんです。幸い、点眼薬で治ったのですが、目に不安があるというのは、非常に精神的に重いものがのしかかったようなものだと感じました。

そこで、いろいろ考えまして、それを機に、車の運転をやめることにいたしました。私は、こう見えましても、運転にはちょっと自信があったんです。我が家は箱根ですので、箱根から箱根新道をとおり、東名を飛ばして、仕事に毎日行っていたんですね。

また我が家は12件の古民家を譲り受けて作り上げたものなのですが、古民家を訪ね歩いていた時期には、地方に古いぼろぼろのマークⅡをおいておき、それに乗って、どんな山道も走り歩きました。それが出来なくなるという寂しさ、足回りが悪くなり、世界が縮んでしまうような怖さもありましたが、私は私ひとりの身体ではないんですよね。

何より先に子どもたちの母親であり、子どもたち4人が社会人となり、独り立ちをするまで見守っていかなければならないわけです。その役割を果たすためにも、安全第一をとったわけなんです。

それからもいろいろありました。中でも、ショックだったのが、60歳になって、転倒しまして、背骨を骨折してしまったことです。あの日、私は会合がありまして、ピンヒールの高い靴を履いていたんです。ちょうど、雨上がりで、建物の床が濡れていたんですね。

そのときに、何かの拍子にバランスを崩してしまったんです。しかも転んだ後、すぐに病院に行けなかったんです。背中が痛くて、本当に辛かったのですが、講演の仕事がずっと詰まっていまして、しかもそれが地方だったんです。私たちの仕事は代わりがないものですから、穴をあけるわけにはいきません。

飛行機で地方に飛び、それから今度は電車で別の地方に向かい、それぞれのところで仕事をし、それからまた飛行機に乗って帰ってまいりました。それから病院に直行しますと、即、入院といわれました。「すぐ入院してください! 安静です!」と。

最初に無理をしたのと、年齢的に骨がもろくなる時期だったのが重なって、なかなか骨がくっつかず、完治まで長くかかりました。そのときに、骨粗しょう症にならないために、できるだけのことをしようと、決心しました。

女性は、ホルモンのバランスが大きく変化する閉経後、骨の量が急激に減るため、骨粗しょう症になる人の割合が高くなるそういう知識は、持っていたのですが、まさか、自分がそのために準備をしなくてはならないなんて、思わなかったんです。

けれど、背中を痛めて、それが現実味を帯びて、迫ってきました。骨粗しょう症(骨粗鬆症)とは、皆さん、ご存知だと思いますが、骨がスカスカになり骨折しやすくなる病気です。骨全体が弱まってしまうため、骨折してしまうと、折れてしまった骨が元に戻るまでにさらにさらに時間がかかるようになってしまうのだそうです。

また、骨折が原因で日常生活行動(ADL)の低下を起こしたり、さらには寝たきりになってしまうことが、今や大きな社会問題となっているんですね。お年寄りが、転んで、足の骨を折ったのがきっかけで、寝たきりになって、痴呆が進んでしまったという例を耳にしたことはありませんか。そういう例が、本当に多いのだそうです。

背中を痛めたのを機に、私がはじめたのが、毎朝の山歩きです。箱根の山を私は、箱根にいる限り、毎朝、1時間から1時間半、歩いているんですね。山ですから、アップダウンもあり、足元も平らではなく、最初は1時間歩くと、へとへとだったのですが、今ではもっと歩きたいと思うほど、体力が戻ってきました。

自然に抱かれて、きれいな山の空気を呼吸する喜びもしみじみと感じられるようになりました骨折が直った直後は、もうヒールの高い靴をはくのはよしましょうと思ったのですが、体力の回復と共に、そうしたお洒落心もまた目覚めてきました。

街を歩くときには歩きやすい靴をはいていますが、パーティや会合などには、私の好きなピンヒールの靴に履き替えて出ることも、このごろではたびたびです。

人生、塞翁が馬(さいおうがうま)といいますが、まさに、私は、骨折のおかげで、骨の老化に気づき、それをストップするべく、早めに手をうてたのではないかと思います。また、50代で車をやめたことも、むしろ、私にとってはよかったと思うんです。

車では通り過ぎてしまう風景を見ることができるようになりましたし、電車やバスを楽しむ喜びも改めて味わっています。

この会のテーマは「アンチ・エイジング」ですが、やはり、年をとれば失うものもあるんですね。

それを認めないのではなく、むしろ老いをもしっかり受け止め、その上で、カバーしていく手段を講じて、いつまでも生き生きと生きていくことが大切ではないかと、私は思います。

それには心の健康と、正しい情報と、ホームドクターの存在が、絶対に必要だと思うんです。

私には、信頼するウィメンズクリニックの先生と、整形外科の先生がおりまして、おふたりに会うだけで、私はホッとするようなところがあるんです。特に、ウィメンズクリニックの先生とは20年来のお付き合いで、私の体のことなら、私よりもよくわかっていらしてくださるんです。

その先生のところには、3週間に1度、伺いまして、チェックしていただいています。身体の悩みから心の状態まで、お話しすることもありますし、同じ女性の先輩でもあるその先生から、これからの女性の身体の変化を実体験としてうかがうこともあります。

何も変調がなくても、そんな風に私は通い続けているわけです。病気になってから病院へ行くというのが、これまでの常識でしたが、私の場合は、病気にならないために、病院に通っているという感じです。状態をひどくしないために、先生に対処法を教えていただいていると、いいかえてもいいかもしれません。

ホームドクターからはもちろんですが、私は雑誌や本を通しても、新しい医学情報を積極的に取り入れようとしています。

40代のあのとき、自分の身体の状況がわからなかったために、症状を重くしてしまったのではないかという、反省があるからなんです。また、私は仕事柄、たとえば肌の状態などにとても敏感にならざるをえないところがあるのですが、そのおかげと申しましょうか、心の健康と身体は密接につながっていると、日々、感じさせられるんですね。

撮影の前に、仕事や家庭でごたごたしたときなどは、肌がたちまちつやを失ってしまいます。夜更かしや、不摂生も、端的に肌の状態に表れます。そうかと思いますと、何か楽しいことを控えて、心が明るく踊っているようなときには、肌は生き生きと輝き始めるんです。

今は美肌ブームで、洗顔やマッサージの重要性が指摘されない日はありませんが、もちろん、ご興味のある方はそれをしっかりやっていただいて、でもそれだけに気を使うのではなく、心の持ち方に留意することも必要ではないでしょうか。

ありあまる物質、過剰な情報、あおられる競争意識……現代は、このようにめまぐるしく、非常にストレスの多い生活環境であることは事実です。人と比較することなく、自分のペースで、自分流に生き、瑣末なことは「気にしない」ようにして、そして「謙虚である」ことを大切にするスタンスが、この現代を明るく生きていくために、私は必要だと思っています。

また、食も大切です。

私は、農と食を今の自分のテーマにしているのですが、ときに「女優なのになぜ、農と食がテーマなのですが?」と聞かれることがあります。それは、食べたもので人は作られるからなんですね。農と食は、私たちの命と密接に結びついているものだからなんです。

若々しく美しく生きるために、私がもっとも大切にしているのは、食といって過言ではないかもしれません。そして、食べるということは、人生最大の楽しみのひとつでもありますよね。

今は、これが美容食だ、健康食だという情報がテレビをはじめとしたマスメディアから流れっぱなしの時代ですから、多くの人がそれに翻弄されている面もあると思うんです。

でも、ちょっと後になって、それが断片的な知識に過ぎず、それだけ食べるのはむしろ弊害が多いことがわかったりもします。何十年も食べてきたもので、私たちの身体は作られているわけで、劇的に変化させようというほうが、無理があるんですね。

大事なのは、もっと当たり前の普通の食事ではないでしょうか。野菜をたっぷり、精製された、たとえば砂糖などは少なめにする、そして栄養バランスの取れた食事こそが王道だと思うんです。

そして、野菜なら、なるべくケミカルを使わずに素直に栽培されたものを、食べたい。そしてみなさんにも、ぜひ、それをおすすめしたいんです。

それから睡眠。年齢を重ね、無理がきかなくなり、疲れやすくなったら、ちゃんと睡眠をとり、身体をやすめてあげることが本当に大切だと思います。

そして若々しくあるために、もっとも大切なのは、限りある人生を一生懸命に真剣に、前向きに生きていこうという意欲を持つことではないでしょうか。そういう意欲を持っていれば、身体の不快、心の不快に対しても、いち早く、懸命な対策をたてて実行して、自分の生きる内外の環境を整えようとするのではないでしょうか。

先ほど申し上げたように、私はもうすぐ64歳ですが、今が本当の意味での青春だと思っているんですよ。人から見たら、足りないところがまだまだたくさんあるでしょうけれど、20代よりはるかに今のほうが理解力、応用力、判断力があると実感できますし、身の丈を知っているので、無理をせず、自分のペースで進んでいけます。

この青春は、数々の人生経験が培ってくれた贈り物、あるいはご褒美のように感じます。今の青春を、これからも私は一生懸命、歩いていきたい。そういう仲間がどんどん増えて欲しいと思っております。

みなさん、これからも一生懸命、前向きに一歩一歩、歩いていきましょう。

投稿者: Mie Hama 日時: 23:48 | | トラックバック (0)

第20回 東海道シンポジューム箱根宿大会

第20回 東海道シンポジューム箱根宿大会が私の住む箱根で開催されました。私もお招きを受け「東海道箱根宿」について話をさせて頂きました。

箱根に住むようになり、30年になりました。子育てをしながら、女優の仕事を続けていましたし、普通に考えますと、東京都心に住むほうがずっと便利でした。

でも、箱根に住んではどうだろうか。そう、思い始めたら、箱根が私にぴったりの場所に思えてきたのです。山から小田原に下りれば、新幹線で東京まですぐですし、箱根は自然環境に恵まれ、ゆっくりと子育てができる場所でもあります。 
美しい山々に囲まれ、湖もあり、温泉もある箱根は、癒しの場所であり、10代の頃の私の趣味のひとつであった水上スキーもできるリゾートでもあります。しかも、箱根は古くからの宿場町だからでしょうか。人が訪ね、人が帰っていく。そういう風通しのよさが、町の中にどこか感じられました。

歴史ある町でありながら、その歴史ゆえに、他のところから来る、よそものに対してもどこか開かれているように、私は感じていました。もしかしたら、箱根に居を定めた最大の理由は、箱根が古くから「宿場町」だったからかもしれません。

旧東海道の杉並木の道は私の毎朝の散歩コース。人生のほぼ半分を私は箱根で過ごし、今ではすっかり箱根人になりました。

さて、東海道の歴史は古く、律令時代から、東海道は諸国の国分を駅路で結ぶ道であったといわれます。箱根路は、800年頃、富士山の噴火によって足柄が通行不能になって開かれたものなのですね。でも、箱根路は、距離は短くても、ご存知のように天下の剣。急峻ですから、足柄路が復興され、ともに街道筋として利用されたそうです。

源頼朝が鎌倉に政権を樹立すると、東海道は京都と鎌倉を結ぶ幹線として機能するようになりました。そして、江戸時代になり、事実上の首都が江戸に移ると、東海道は五街道の一つとされ、京と江戸を結ぶ、日本の中で最も重要な街道となりました。

江戸時代の東海道は、日本人にとって憧憬をかきたてずにはおかない存在ではないでしょうか。私も、江戸時代の東海道に惹かれるひとりです。

その理由のひとつに、浮世絵の風景があるのではないかと思います。初代、歌川広重が描いた東海道の各宿場の風景画です。これらのシリーズは、広重が描いた作品のなかでも有名なものですが、爆発的な売れ行きで、以後、「狂歌入り東海道」「行書東海道」「豆版東海道」などが次々刊行されたといいます。

そして、これらの浮世絵の流行によって、人々の間に、旅や東海道そのものに対する感心がいっそう高まったのでしょうね。実際、その絵を見ていますと、四季の移ろい、気象の変化、各地の風物が伝わってくると同時に、旅する人たちやそれを迎える地元の人たちの様子も伝わってきて、江戸時代の庶民が絵を通して、旅に憧れを抱くのが、わかるなあ・・という気がいたします。

そして、江戸時代といえば落語。

中でも柳家小三治師匠の高座は特別。江戸時代、庶民の生活は大変だったですよね。でも、生活は大変でも、笑い飛ばしてしまう庶民の力強さがあるんです。それが落語の中に感じられる。

それから、江戸の人々の遊び上手なこと。ものはなくとも、精神がとても豊かな面もあるんですよね。

落語をきいていると、文化の成熟ってなんだろうと、考えさせられることも少なくありません。落語の中に、旅ものが多くあるんですね。小田原や箱根近辺が舞台のものですと、町内の面々がそろって大山参りにいくことになって起きる騒動を語る「大山詣り」、仲のいい三人が旅に出て、小田原の宿・鶴屋善兵衛に泊まる「三人旅」やはり小田原の宿が舞台の「抜けすずめ」「竹の水仙」・・。

さらに「御神酒徳利」。大磯が舞台の「西行」そして箱根、箱根山がでてくる「盃の殿様」あげればキリがないほどです。
落語の「旅もの」は、江戸庶民にとって、憧れの旅へのいざないでもあったわけですが、現代に生きる私たちにとっても、江戸時代の旅にいざなってくれるものなのですね。

私も小さな旅を含めたら、1年の半分は旅しているといっていいほど、今も旅に出ることが多いのですが、それほど旅好きな人間なのですが、落語を聴いていると、とても羨ましくなったりするのです。何にうらやましさを感じるかというと、それは、やはり、“歩いて移動する旅”という点なんです。

歩くことで見えてくる・・・・。

歴史ある町には、その歴史が、文化ある町にはその文化が、目には見えなくても、しっかり刻まれていて、それは歩くことによってのみ、感じ取ることができるのです。

町の匂い、町の佇まい、町の奥行き、町の存在感といったものが歩くと発見できるのです。  私は、それを町の記憶と、ひそかに呼んでいます。

たとえば箱根の町に、私が感じる町の記憶はと申しますと、箱根は後世に「天下の剣」といわれた箱根山の往来は、困難を極めたところです。車だとすぐですが、ちょっと歩くだけでも、その一端がうかがいしれます。

笠をかぶり、杖をつき、わらじをはいて、荷物をかつぎ、旅した人たちの大変さ。それでも前へ前へと進もうとする人の姿。ときに、足を止め、富士山の美しさにため息をつき、芦ノ湖の静かな水面に心慰める・・・そんな、当時の旅人の気持ちに近づける・・・。

歩いた後はぜひ、温泉に肩までつかり、お湯のよさと、「一夜湯治」の贅沢を味わってもらいたいと思います。江戸時代から、何万人という人が歩いて旅した記憶というのは、日本の記憶でもあるんですね。

東海道という道は、それだけの重さと豊かさを持ったものなんです。

自分の住む町や村に誇りを持つということで、歴史を知り、文化を知り、そこで営まれてきた人々の暮らしを知り、今と繋がっていることを認識してはじめて、自分の住む土地が好きだといえるのではないでしょうか。

私は、箱根人として、旧東海道の杉並木が残されていることを誇りに思います。

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:47 | | トラックバック (0)

私の信仰と円空上人

先週に続き「円空さん」についてお話いたします。

私にたったひとつ、信仰があります。

それは木。

木に何か人知を超えた天空の意志を感じるのです。

太古に通じる水脈から命を得、時空を越えて屹立する木、その精に。円空が彫り、極めた果てに見出したものに心ひかれます。木に刻まれた平穏の深さと無垢、無音の歓喜。それこそ木の精霊との出逢い。円空の会心の笑みをみる思いがします。

円空上人は今から三00年ほど前の漂泊の僧でした。1632年に美濃に生まれ、大飢饉のさなかに少年期を過ごし、母を早く亡くしたこともあり、幼くして、寺に奉公したのですが、32歳にして出家。

岐阜、志摩、東北、北海道までも、巡礼の旅を歩きました。どこえいっても厳しい迫害にあったそうです。それでも彼は12万体造仏祈願という途方もない仕事を自らに課し、全国各地でたくさんの木彫りの仏像を残したのです。

辺境の地や離れ島、山間の地などに住む人々の病苦や貧困を救おうとして造仏だったのかもしれません。

また、円空さんは、白山信仰、観音信仰にも帰依しました。

岐阜県美並村(現郡上市)の洞泉寺にあったのは、円空さんの手になる「庚申座像」でした。この仏さまは横座りをして、小首をちょっとかしげて微笑んでいらっしゃる。お顔には幾重にもシワが刻まれていますが、それがなんとも優しいこと。前に立った人がみな、ふっと笑顔に変わるのです。

「比丘尼(びくに)像というのが、ありますがその方が、円空が恋した女性ではないかという節があります。青年円空の人間くさい一面を想像させて、私はあれこれと思いを巡らすのです。

そして、飛騨路の旅の宝物。千光寺の「お賓頭盧さん(おびんずるさん)」

無病息災を願う千光寺のなで仏です。表情の優しさは人の心を抱きしめるような安らぎに満ちています。
多くの人がこの仏さまをなで、心の平安を祈ったことでしょう

私の大好きな仏像です。

千光寺を最初に訪れたのは、NHKの日曜日美術館で円空を取り上げたときでした。坂道の途中に天然記念物の五本杉がそびえ立ち樹齢1000年の木とか。

この木に聞けば、円空さんってどんな人?ここでどう過ごしたの、と、みんな聞けそうな気がしました。あの時も全山、紅葉にもえ、晩秋の飛騨路の夕暮れは早く、さっきまで真紅に燃えていた紅葉があっという間に暮れなずんできました。

"また、おびんずるさん撫でにきます"

円空さんの造仏の鉈の音を感じながら千光寺をあとにしました。

旅先で出逢う宝物。木の仏像
円空上人の旅のあと。

これからも、円空さんの歩いた道を旅したいと思います。

投稿者: Mie Hama 日時: 00:26 | | トラックバック (0)

古川への旅

旅の空の下に友がいます。私を待っていてくれる人が・・・


今週末は飛騨、古川に行ってまいりました。

"古き日本の美"を感じる旅。

NHK朝ドラマ「さくら」の舞台となった飛騨の匠の街、飛騨古川は風情の漂うレトロな街。そこで、朝日新聞の読者の方々22名と「和ろうそく懐石の夕べ」をご一緒いたしました。

宴席は宮川沿いの老舗割烹宿。郷土料理を味わいながらの楽しい宴でした。

そして、クライマックスは友人所有の「円空さん」を抱かせていただいた事。
 
今年の飛騨の紅葉は遅れており残念ながら「息を呑むような素晴らしさ」とはいきませんでしたが、それでも秋の日差しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれましたし、奥飛騨から少しずつ紅葉が街におりてきておりました。

私と古川のご縁はもう30年近くなります。

これで飛騨古川を訪ねるのは何度目になるでしょう。

高山本線古川駅はいつも私を下車させてしまうんです。

私の心の故郷と呼べる土地がいくつもあるのですが、飛騨古川もそのひとつです。引き寄せられるように、何十回とこの町を訪れ、今では、この町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染み渡るまでになりました。

「浜さん、僕たち、映画を作りたいのですが、どうやって作ったらいいのか分かりません。相談にのってください」唐突に話しかけられたあの日から、古川の青年たちは私の大切な友になったのです。

当時、青年。いま、みんな中年の仲間。

題して、「ふるさとに愛と誇りを」という1時間30分ものフイルムでした。

大層みごとなものでした。彼らが生まれ育った町がくっきりみえてくる大作・・。

あなたは持てますか?ふるさとに愛と誇りを。

端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば御岳山、乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。

木々の間をぬう風は凛と澄み切って、そこにいるだけで心身が浄化されるような町なのです。

私はこの町にいる間中、山や木に守られている・・・という、いわくいいがたい安心感に包まれ、心が素直になっていくのを感じます。以前、この飛騨古川への旅路で、円空仏に出逢ったとき、自分でも思いがけないほど感動したものです。

その"円空さん"をしっかりと抱かせていただけたのです。

ろうそくの灯りのもとで。

町の飛騨市美術館では「円空仏展」も開催されていました。

円空上人については、次回ゆっくりお話をしたいと思います。

昨年は胸にしみるような紅、光を封じ込めたような黄色、しかも葉の色は刻々と変化して・・・どこを見回しても錦絵さながらの風景が広がり、四季のある国に生まれた幸せを思わずにはいられませんでした。きっと、11月半ばか下旬にはこのような風景に出逢えるでしょう。

もう一度戻ってきたい古川を後にいたしました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 00:32 | | トラックバック (0)

柳家小三治師匠

"これはもう「恋」なのかもしれません"

雑誌「ゆうゆう」にそう告白してから、4年がたつでしょうか。

友人に寄席に連れていってもらい、柳家小三治師匠の落語を聴き、すっかり感激し、魅せられ夢中になってしまいました。足しげく寄席に通い、気がつくと「追っかけ」に夢中です。

先日も上野の鈴本演芸場のトリを聴きに着物を着て出かけてまいりました。演目は「お茶汲み」でした。

独演会はもちろん出来るかぎり参ります。大変人気があるかたですから、チケットを取るのも至難の業です。
前売り券があるときはとにかく電話。気合でとります。立ち見で聴くことも。

だいたい、私はひとつのことにのめり込むたちなのですが、これほど胸をときめかせるものに出会ったのは、正直初めてかもしれません。

落語家は舞台の上に、しゃべりとしぐさだけで、ドラマの世界を作りあげるのですが、何が素敵かって、師匠の場合、そのドラマのふくらみが・・・ああ、言葉が見つからない・・・本当に素晴らしいの。豊かなの。

たとえば師匠がある人物の言葉を話すでしょう。すると、その言葉だけでなく、当の人物が持つ空気感というのかしら。そういうものまで、じんわりと、伝わってくるのです。

その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。

それから何といっても、師匠の人間性なんでしょうね、芸に品格も感じられるのは。

落語の本編が始まる前の"まくら"も楽しみです。師匠の横顔がのぞけて、フアン心理をも存分に満足させていただけるのです。

気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・・。扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも、胸がキュンとしたりして。

こんなふうに思いっきり"好き"っていえる人がいるって、本当に幸せ。"恋?"そうね。もうこれは「恋」なのかもしれません。


そこで、ご案内です。この度 落語研究会 「柳家小三治」全集 のDVDがTBS・小学館から発売
されました。10枚組みのDVDと写真集・インタビュー記事・・・「追っかけ」にとっては、まさに「宝物」・・・。

これからの人生、舞台とDVDで甘い夢がみられます。

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投稿者: Mie Hama 日時: 17:17 | | トラックバック (0)

日本酒で乾杯推進会議・フォーラム

"乾杯三態・日本のかたち 日本の心"が10月2日に開催され全国から多くの方が参集されました。

この会は平成16年に発足し、代表に国立民族学博物館名誉教授・石毛直道氏、歌舞伎俳優・市川団十郎氏はじめ各界からのメンバーで構成され、「100人委員会」が中心となり、「日本酒で乾杯!」という言葉を象徴にし、日本の文化のよいところを広く啓蒙していく活動を進めていこうというものです。

私も今年から100人会のメンバーに入れて頂き、先日のフォーラムになりました。今回のフォーラムはホストに民族学者の神埼宣武氏、銀山温泉藤屋女将・藤ジニーさん。

ゲストは歌舞伎俳優 中村富十郎氏、塩川正十朗氏、そして私、浜美枝でした。

中村富十郎氏からは、歌舞伎のなかでの飲酒の演じ方などをご紹介して頂き、塩川さんからは、酒宴の席に出られる機会の多い中で、どのような乾杯、献杯の形があるのか・・・・又神埼さんからは乾杯の歴史などの興味深いお話がありました。

私には全国を旅する中でどのような日本酒とのかかわりがあるのか・・・好きな酒器は?というようなご質問がございました。

そこで、こんな話をさせて頂きました。

日本酒は、私にとってほかのお酒とは一線を画す、特別なものという気がいたします。成人式に初めて飲む日本酒。結婚式の三三九度。家を新築するときに建て前の儀式の前に飲み交わすお酒。日本人の慶事になくてはならないのが、日本酒だと感じます。

と同時に、お神酒とよばれるように、日本酒は聖なるものという意識が私には強くあるんですね。

私は、古民家12軒を譲り受け、その材料を使って作った箱根の家に住んで30年になります。今でこそ、古民家作りは静かなブームになっていますが、当時はそんなノウハウはなく、設計から施工にいたるまで、すべて手探りの家なのです。

私も工事前から箱根の家の近くにアパートを借りて、そこに寝泊りし、とにかくできる限りのことをしました。施工に入る前に、古い柱や梁の一本一本を、自分の手で磨きました。そして、土地の神様である箱根神社のお神酒で一本一本、清めました。

日本酒で清める事で、土地の神様に守っていただけるような気がいたしました。

私は、今朝も箱根の山を約1時間歩いてきたのですが、その道筋にある箱根神社九頭龍神社の分院には、いつもお神酒が置かれています。日本酒が聖なるものであり、聖なる者にささげるものだという思いが、今も脈々と受け継がれているのを感じずにはいられません。

また、私は40年にわたって、日本全国を旅してきたのですが、旅をすると、いつもいろいろな方がお迎えくださって、地元のお酒で乾杯となります。

一期一会の出会いに、そしてその地を訪ねることができたことに感謝して、私も「乾杯」させていただきますが、そのときのお酒はまるで賜りもののような気がいたします。

美味しく場を楽しいものにしてくれるだけでなく、人生の句読点にもなる場に必ず登場し、杯を合わせる日本酒は、私にとっても非常に重要な意味を持つものであると、改めて感じます。

「日本酒で乾杯推進会議趣意書」の中にこのように書かれております。

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"最近のニッポン人には日本が足りない"と多くの心ある日本人は、今日の日本、明日の日本に危惧の念を抱いているのではないでしょうか。

日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していく作法や風習もグローバルスタンダードとか高度情報化社会というものの表面的な形にとらわれて次第に失われていこうとしています。

私たち日本人は集まって食事をするとき乾杯します。「みなさまのご発展とご健勝を祈念して」何に向かって祈るのでしょうか。

神様、仏様を対象とする特別の宗教心ではありません。

我々の人知や人間の力を超えたものすべてに対して謙虚に祈るのではないでしょうか。

「日本酒で乾杯!」という言葉を象徴にし、日本の文化のよいところを広く啓蒙していく活動を進めていくことが今程必要な時はありません。

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私自身、和服をさりげなく着て箱根の我が家で囲炉裏を囲み日本酒で"乾杯!"と言いながら仲間たちと酌み交わす時間は至福のひとときです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 01:19 | | トラックバック (0)

韓国 食アメの旅

昨年同様、9月初旬に、コスモスの花が美しく咲く韓国に行ってまいりました。

"食アメニティーを考える会14回・韓国で農村女性グループと交流する会"

総勢40名です。毎年一度、ヨーロッパでグリーンツーリズムを学ぶ会を12回行い、昨年から韓国のパルタン地域、華川郡トゴミ村の自然学校、龍湖里(ヨンホリ)村では農家民泊・・と4泊5日の旅です。

私は、これまで40年にわたり、日本の農山漁村を歩いてきました。

最初は民藝に惹かれての旅でした。

日本の民藝運動の創始者である柳宗悦先生が書かれた本に、中学時代に出会いました。無名の人が作った道具に美を感じる・・・用の美の世界に惹かれ、感動し、以来、人々の暮らし、そして道具というものに、ずっと興味を持ち、その思いを育んできました。

「あちらに古い美しい道具があるよ」

「あそこのお蔵を見せてくださるそうだよ」と誘われれば、仕事の合間を縫って駆けつけました。

日本の古く美しい道具を見たいと始めた旅の行き先は、もっぱら日本の農山漁村でした。やがて私は、そこでごく自然に、農や食の現実に触れることになりました。

「今、農業は大変でね」とか、「国の政策がこうだから」とか、「跡継ぎがいなくて」 等々。おしんこをご馳走になりながら、サツマイモをいただきながら、農家のおばあちゃんや おかあさん、おじいちゃんや、おとうさんから、胸の内をお聞きするにつけ農の厳しさ、又楽しさ、ときには政治に左右される農のありようなどを、実感するようになったのです。

縁あって農政ジャーナリストの会の会員となり、政府の各種審議会の委員も務めさせて頂きました。

現場を歩くうちに農山漁村の女性たちとたくさんの出会いを重ねてきました。それは、私にとって、女性たちの強さ、優しさ、未来へとつなげていくしなやかな力を、改めて再認識する日々でもありました。

そこで生まれたのが「食アメニティーコンテスト」であり、研修旅行で知り合った人たちとの「ネットワークの会」です。
私は会の会長をさせていただいておりますが、横の連帯を大切に、 "農業をもっと元気にしたい" "食を正面から取り組みたい"など思いを同じにする全国の女性達の交流の場となっています。

「浜さん、私、この会で一生つきあえる友人と出会えたのよ」

「ひとりでは淋しいときもあるけれど、同じ思いの友がいる。自分の味方になって励ましてくれる友がいる」などという声を聞くことが出来ます。

自然発生的に生まれた会も今や全国で活動する女性たちをつなぐ線の役割を果たしているのではないかと自負しております。

前置きが長くなりましたが、そんな仲間との韓国の旅でした。

台風9号が上陸する朝、羽田からの出発となりました。秋風が立ち、美しい韓国の農村地帯が私達を迎えてくれました。大好きなコスモスが一面に咲き、韓国の美しい季節です。

今日は韓国の「親(しん)環境農業」についてお話いたします。

パルタン地域は、ソウル市民の飲み水となる川、ハンガンの上流にあたります。ハンガンの水はソウル市、周辺都市に住む2000万人の飲み水となります。この地域では、ハンガンの水質を守るために、環境を守るための農業が1994年から行われてきました。

農薬や化学肥料の使用抑制、糞尿の排出禁止などの規制強化をきっかけに、最初は12軒の農家が「環境を保護し、水質を保全しながら自分たちも生計を立てられる方法」をめざし、パルタン上水源有機運動本部を設立、今では生産者会員が100軒という組織になりました。

日本ではまだあまり知られていないのですが、韓国では有機農産物をはじめとする親環境農業による農産物の生産、そして有機農産物の消費拡大のため活動など、実に積極的に行われているんですね。

日本では、2001年4月から有機認証制度が始まりました。しかし、販売価格に反映されにくいため、マーケットの広がりは思ったほど進んではいません。

韓国では、国家主導の下、生産者へのバックアップが充実しています。その追い風をうけ、消費者の認識も近年、目をみはるほど向上してきました。特に、パルタン地域の親環境農業は、ソウルに住む都市の消費者を巻き込む
形で推進していて、特に市民が負担する水道代には、「水利用負担金」という項目があり一戸あたり月約360円負担します。

町で出会った若者に、この負担金、パルタンのことを聞いてみました。「もちろん知っていますよ」。「ソウルに住む主婦でパルタンのこと、知らない女性はいませんよ」との事。市民の信頼を得ての農業、環境保全が行われているのですね。

長年、日本の農業に携わってきた私にとっては、羨ましいような思いがございました。

安全な農産物を食べるためには、農村の環境を守ることが不可欠だということ、その底流に流れているのは、消費者の理解なしの農業の未来はない・・・ということ。それをあらためて認識した旅でした。

自然学校内の食堂で韓国のオモニにキムチ作りも体験させて頂きました。本場の冷麺の美味しかったこと。
最後の日の夕ご飯はサムゲタンとチジミで、韓国の食も満喫。南大門市場で粉唐辛子などどっさりおみやげを買って家路につきました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 00:31 | | トラックバック (0)

敬老の日に思うこと

私には全国、いえ外国にも20人から30人のおばあちゃんがいます。

あちらこちらのおばあちゃんを訪ねるのが楽しいし、旅の途中で、さまざまな温もりもいただいた、忘れられないおばあちゃんがたくさんいらっしゃいます。

もう、だいぶ前、私は「日本人再発見の旅」という企画で全国各地のおばあちゃんをお訪ねしました。その企画は「おばあちゃんの宝もの」といいまして、おばあちゃんの人生で大切にしてきたコトやモノ、思い出でを聞かせていただくというものでした。

その中から、忘れられないひとりのおばあちゃんのお話をさせて頂きます。

今は亡き松崎せいさんは、島根県の松江にお住まいでした。
松崎さんの宝物は姉様人形。

松崎さんが嫁いだ家が傾いたとき、この家のおばあさまが内職として紙人形作りに取り組みました。

松崎さんが嫁いだ家には、松平家の奥女中として高い教養と行儀作法を身につけたおばあさまがいて、その方が姉様人形の作り方を教えてくださったのでした。

子供、娘、女の紙人形がひとつの箱におさめられています。女の一生がお下げと桃割れと島田、三つの髪型で表現されていていました。古裂れと綿を和紙にくるんで頭を作り、これに鼻をつけて上張りし、その上に胡粉を塗って顔ができます。

髪は半紙に墨を塗り、かつらを作ります。使うノリはご飯を練ったもの。それは可愛い紙人形でした。お会いしたとき、松崎さんは84歳でしたが、肩凝りしらず、目もよく見えて、細かい手仕事を器用にこなしていらっしゃいました。

「人形作りで、自分も作られたかもしれません」と語ってくださいました。

私がお年寄りにひかれるのには、ある原体験というか、原風景があります。

幼児期を過ごした川崎の下町で私は近所のおばあちゃんに育てられたのではないかと思います。母は仕立て仕事で忙しかったのです。ワタナベのおばあちゃんは、いつも私の長い髪を手のひらですいてくれ、キレイにお下げに結ってくれました。志村のおばあちゃんは、夜に宿題を見てくれました。

母が忙しかった分、私は町内のおばあちゃんに育てられたも同然です。55年の歳月が過ぎても、私の後頭部から両サイドの髪の毛にキレイにキュキュとお下げに結ってくれたおばあちゃんの手のあとを感じることができるのです。


感触の記憶は確かです。


おばあちゃんになるのも、悪くはないなと思う、この頃です。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:03 | | コメント (0) | トラックバック (0)

広島のこと

夏の照りつける太陽の中、8月末広島を訪ねました。
"広島市民文化大学"のお招きを頂きました。
昭和18年生まれの私にとって、広島、長崎は特別な場所です。
当日は広島記念公園内の広島国際会議場フェニックスホールで1500名の方々が待っていてくださいました。
思わずこんな言葉からお話をさせて頂きました。

本日、こちらに着きまして、気がついたら、空を見上げておりました。私は、この地、広島に、夏にお伺いすると、夏空を見上げずにはいられないんです。

まぁるく広がる青い空、もくもくと浮かんだ入道雲。そしてその下に広がる家並み、ビル。人々の活気あふれる表情。
そうした風景を目に焼きつけ、安堵すると同時に、62年前のことを思わずにいられません。時を経ても、決して風化することのない痛みを、この土地は経験してきたからです。

私は今、63歳です。終戦のときは1歳。戦争の記憶をたどるには幼すぎる年齢です。でも、なぜか強烈に覚えているというか、私の心に戦争の悲惨さが深く刻まれているのは、おそらく次のような体験を経ているからでしょう。

終戦の年の3月、東京は東京大空襲にあいました。我が家は、その空襲に襲われたまさに、下町にありました。私の家では、ダンボール工場を営んでいたのですが、すべてを失いました。家も、道具も、わずかな写真も、一つ残らず灰になってしまったのです。
 
でも、空襲の前日に、我が家は親戚の家に疎開して、家族の命が助かりました。下町では大勢の人がなくなったというのに、我が家は全員、無事だったんです。

物心ついたころから、母や祖母から、その話を何度も何度も繰り返し聞かされました。また、「私たちの命は、もらった命よ」と、母はことあるごとに、私たち子供にいってきかせてくれました。

祖母も「なくなった人たちに申し訳ない」と繰り返していました。
 
そのためでしょうか。私が実際に経験したわけではないのに、下町の空襲や近所の人々との永遠の別れのことまで、まるで見てきたことのように記憶されてしまったのです。
 
そしてここ、広島の土地に立つと、私も母や祖母と同じことを思わずにはいられません。自分の命がもらった命である、と。そして、自分の胸に問わずにはいられません。亡くなった多くの人たちに申し訳ないと思うような生き方をしてはいないか、と。

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投稿者: Mie Hama 日時: 16:21 | | トラックバック (0)

やまぼうし

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箱根の山々の緑が日一日と、濃くなっています

とご挨拶してからちょうど一年がたちました。
我が家の庭の”やまぼうし”の白、ピンクの花が美しく咲いています。
この季節は箱根の山々の緑も濃く、早朝の山歩きをしておりますと、
何とも言えない緑の匂いが心地よく山暮らしの幸せを実感いたします。
”やまぼうしの花咲いた”を出版したのは昭和57年の今頃の季節。

箱根の山が
ふんわりと山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私は山法師のように
咲きたいのです

箱根の森の中に家を建てて、三十年になろうとしています。
ここでは日時計がなくて、年時計があって、春が来るたびにひとまわりするような時計に支配されているよう感覚があります。
樹々の色味の変化で春の訪れを感じ、台所から見える富士山も、刻一刻と変化します。
思い出がたくさんつまった台所も、巣立っていった四人の子供たちの台所から、”私のための”台所にリホームしよう・・・と思いたち山法師の花ではないのですが、10年一区切り・・・と思いきりました。
私には何十年に一度こういうことがあるのです。
”ああ、ほんとうに親としてひとつの役が終わった”
63歳になり、人生のしまい方を少しずつ、考えはじめたのかもしれない
とも、感じます。
思い出や家族と暮らした豊かな時間は、私の中でしっかりと刻まれているから・・・
役目を終えたものを処分し、身軽になる。
そこからまた新しい自分が見えてくる。
時間に迫られて、ゆったりと木々と語れなかった時代から今又
こうして、山法師の花を見ていると、忙しさの中で落としてきてしまった
ことも見えてきます。
まだまだ旅の下、これからも素敵な出逢いがあるでしょう。

多分終の棲家になるはずの我が家で、
「私らしく生きるために、現実としっかり向き合うことが必要なのかも・・・」
と、そんなことを思っております。

爽やかな緑の風を仕事場から感じ、
思わず”カンパリグレープ”をつくり”やまぼうし”の樹の下で飲みました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 20:48 | | トラックバック (0)

植木等さん追悼

 3月27日、植木等さんが亡くなられました。私は、10代の終わりから20代の半ばにかけての7年間に、植木さんの14本の映画にご一緒させていただきました。植木さんの訃報を聞き、いろいろな思いが胸にこみあげてきました。
 
 植木さんと初めてご一緒させていただいたのは、東宝入社3年目、18歳のときのことでした。テレビの「シャボン玉ホリデー」で活躍され、「スーダラ節」が大ヒットし、映画「ニッポン無責任時代」でスターとしての地位を確立した植木さん。
 
 しかし、その素顔は違いました。私は仕事場での植木さんしか存じませんが、植木さんは他の俳優やスタッフとお酒や食事を共にすることもなく、撮影が終わった「じゃ、また明日」とさっと家路につく人でした。また撮影の合間には、撮影所のセットの片隅ですっと背筋を伸ばし、腕組みをしたまま、目を閉じて静かに佇んでいらっしゃいました。その姿を見て、ふと仏像に似ていると、感じたこともありました。無責任男が「動」ならば、素の植木等は「静」だったのです。
 
 ときどき、植木さんは目を開けて「浜ちゃん」と新人女優だった私に声をかけてくださいました。決して言葉数は多くはなかったのですが、そのひとことひとことに心にしみるような滋味がありました。私がいただいたギャラで、お釈迦さまの生涯を辿るためにインドを旅した話をすると、植木さんは驚いたように目を開き、「お釈迦様もそんな風に旅をして歩いたんだよね。仏教とは難解な思想じゃなく、とても人間的なものなんだよ」とうなずいてくださいました。そして仏教の教えや生命に対する考え方を、小さな声で、まるでひとり言葉をかみしめるように、語ってくださいました。
 
 植木さんは三重県の浄土真宗のお寺の生まれで、お父様は平和や差別解消を説かれ、投獄されたこともあったほどの信念の人物だということを後に知りました。植木さんが口癖のように私に何度もおっしゃったのが、まさにそのことでした。「浜ちゃん、人間はね、心が自由じゃなければいけないよ」 今、この原稿を書きながら、あのときの植木さんの声が聞こえるような気がします。
 
 そんな植木さんでしたが、監督の「よーい、スタート!」でカメラが回りはじめたとたん、軽妙なしぐさと高笑いで無責任男を演じられるのでした。その変わりようは天才的でした。当時の東宝では、黒沢明さんや成瀬巳喜男さんといった巨匠が活躍しておられ、大ヒットしていても娯楽作品は格下に見られるような傾向がありましたが、そのことについても植木さんは私に「やっていることはばかばかしくても、それで他人様が喜んでくれるなら、いいじゃないか」といって、私を励ましてくださいました。つたない演技ではありましたが、これらの映画に出演させていただいたことを今、私は心から誇りに思えるのは、植木さんのあのときの言葉もあってのことだと感じます。「多くの方に喜ばれ、大声で笑ってもらう。それもいいじゃないか」 植木さんの言葉に、私はどれだけ勇気づけられたでしょう。
 
 最後に植木さんにお会いしたのは数年前、私がパーソナリティをつとめるラジオにお招きしたときでした。「やぁ、浜ちゃん、元気?」とスタジオに入ってこられて、近況を穏やかな口調でお話くださいました。素敵に年齢を重ねてこられた姿に胸が熱くなりました。そして収録が終わると「それじゃぁ、またね」とおっしゃって、植木さんはすっとスタジオを出られました。かつてとまったく変わりませんでした。
 人は生まれ、いずれ去っていきます。これはどうしようもないこと。それでも寂しさを感じる気持ちは心の奥底から湧き上がってきます。

 植木等さん、ありがとうございました。

 植木さんに会って教えていただいたことが、私の人生に豊かさをもたらしてくれました。これからも多くの言葉を心に刻み、歩んで行きたいと思います。
                       

投稿者: Mie Hama 日時: 21:02 | | トラックバック (0)

山歩きと地球温暖化

この冬は、箱根も雪が少なく、快晴の日が続いています。おかげさまで、ツンツンと地面から飛び出した霜柱をシャキッシャキッと踏みしめながら、毎朝、山歩きも楽しんでいます。真っ白に雪化粧した富士山もそれはそれは美しく見えます。

以前は1時間歩くと、たっぷり歩いたという気持ちになったのに、このごろではもっと歩きたいと思う自分がいることに、嬉しい驚きも。毎日続けていくうちに、体に力ができてきたのかもしれません。いくつになっても、筋肉は鍛えられるといいますが、本当にそうなんだわ、と感じます。

でも、こうも暖かいと、地球が変わり始めているという事実を、つきつけられているようで、やはり、不安を感じずにはいられません。

先日、アメリカの元・副大統領で大統領候補でもあったアル・ゴア氏のドキュメンタリー映画「不都合な真実 (An Inconvenient Truth)」を見てきました。この映画は、ゴア氏の講演活動を追い、具体的なデータとともに地球温暖化対策の必要性を訴えたものです。 二酸化炭素などの温室効果ガスが増えたために、地球の気温が上がる地球温暖化現象。地球温暖化は、海面の上昇や異常気象、生態系の変化といった事態を引き起こし、やがては植物や動物、そして人類は危機的な状況という事態に……。

環境のために、そして地球のために、この日このときから、私たちは自分たちがやれることをやっていかなくてはならない。それが、スクリーンを通してひしひしと伝わってきました。映画のエンドロールにもあったように、「変わる勇気を持つ」ことが、何より大切なのではないかしら。

時間にゆとりがあるときには、私も小田原から我が家までタクシーではなくバスを利用するようになりました。タクシーなら30分で着くところを、バスは1時間以上もかけて登っていきます。過ぎ行く風景をのんびりと眺めたり、途中のバス停で乗降するおばあさんやおじいさんの様子を垣間見たり。それもなかなか楽しいんです。部屋の暖房の設定温度もさらに一度、下げました。箱根の冬は、そうはいっても寒いけれども、あったかいソックスとセーターがありますもの、大丈夫。

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アル・ゴア 枝廣 淳子

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投稿者: Mie Hama 日時: 20:50 | | トラックバック (0)

韓国のたび

9月21日から25日まで食アメニティ・ネットワークの女性たちと、韓国の親環境農業とグリーンツーリズムの研修に行ってきました。
最初にお訪ねしたのは、ソウル郊外の八堂(パルタン)地域。ソウル市民の飲み水となる漢江(ハンガン)の上流にあたり、ハンガンの水質をまもるために、環境を守るための親環境農業が行われている地域です。
水質保全のための親環境農業への取り組みに対し、行政も低利融資をするなど、積極的に支援、農協もまたデパートや大型量販店、農協の店舗などに親環境農産物販売コーナーの設置を義務付けるなど販路開拓の支援を実施していました。
伺ってみて、「自分たちの飲み水の安全性を確保するために、農薬や化学肥料の使用制限をして作られている農作物」ということへの理解が消費者に広く進んでいることに驚きました。消費者の理解があるからこそ、若干価格が高い農産物も喜んで受け入れてもらえるという、流れがシステムとして作り上げられていたのです。この「わかりやすさ」が成功のカギではないかと考えさせられました。
韓国のグリーンツーリズムの現状を知るために訪れたのは、江原道華川郡の土雇米マウルとヨンホリ村。土雇米マウルでは廃校を宿泊所にして旅行客を呼び寄せ、ヨンホリ村では農家民泊用の建物を建設して、グリーンツーリズムを展開していました。ヨーロッパやわが国のグリーンツーリズムと異なるのは、農家民宿や農業体験といったプログラムで利益をあげるのではなく、宿泊を通して信頼関係を築き、その後に農産物の産直に力を入れている点です。そのため、宿泊者とはできるかぎりの時間を交流にあてられています。
私たちも2つの村で、思いがけないほどの歓待を受けました。共にキムチを作ったり、祭りに参加させてもらったり。言葉は違っても、両国に不幸な歴史があったけれども、人と人とが出会うことで、また新たな歴史の一ページが始まるのだと感じるほど、素晴らしい出会いがそこにはありました。人に熱い韓国の人たちが、こうしたグリーンツーリズムを通して、産直の農産物を手にするようになるというのも、納得できて、それぞれの文化や慣習にあったグリーンツーリズムのあり方があるということも感じさせられました。
日本の農村を40年に渡り、歩いてきた私にとって、アジアの農業がこれからのテーマのひとつになりそうだと予感させてくれるような、素晴らしい旅となりました。韓国の土雇米マウルとヨンホリ村から箱根の我が家に、農産物を送っていただくことはさすがにできませんが、年に1回くらいは親しくなった村の人たちの顔を見に行きたいなぁと思っています。

投稿者: Mie Hama 日時: 16:52 | | トラックバック (0)

花図鑑-薄(すすき)

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薄は私にとって、子ども時代のある風景と結びついた特別な植物です。戦後間もないころ、日本全国、どこでもそうだったのですが、我が家も貧しくて花を買う経済的余裕などありませんでした。けれど、母は野原や道端で積んできた野の花を一輪か二輪と活けて、暮らしに彩をそえてくれました。
ある年の秋、「今日はお花見だから」と母と私とで丸い小さな団子をいくつも作り、父の徳利にさした薄と並べました。そして満月が空に昇り、爽やかな風が部屋を吹きぬけ......なんでもない父の白い徳利が月の光に照らしだされ、薄がそよとそよぎ、私は幼心にモノトーンの美しい絵を見ているような気がしました。薄をみるたびに、私は、美しい暮らしに目覚めたその日のことを思い出すのです。
箱根にある仙石原湿原植物群落は国の天然記念物に指定されています。その近くには「箱根湿性花園」があり、シーズンごとに多くの人で賑わうのですが、特に秋は見ごたえがあります。まるで薄の海ではないかと思うほど、一面の薄が穂をゆらすのです。その光景は自然の美しさだけでなく、力強さをも感じさせてくれるほどです。
薄はまた、秋の七草のひとつです。別名として尾花という名前も持っています。穂が尾の形に似ているからでしょう。
秋の七草は、萩 尾花、葛、なでしこ、女郎花、藤袴、桔梗の7つ。

「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝顔の花」 (山上憶良) 
 
という歌があります。「朝顔」はヒルガオ科のアサガオ(平安時代に渡来)ではなく、キキョウであろうとされています。
 
イネ科 Poaceae  ススキ属
花言葉は「勢力・活力」

投稿者: Mie Hama 日時: 17:58 | | トラックバック (0)

花図鑑-ダリア

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photo provided by 季節の花300

夏の花というと、まっさきに思い出すのが、ダリアとカンナとひまわりです。
今から20年以上も前のことですが、奥三面という集落に3年間の間、通ったことがありました。新潟の村上市からバスで約50分、それから山道を行き、さらに村営の船で三面川を約30分、のぼり、船を下りて、さらにバスで約1時間行った先にある42戸ばかりの集落。この奥三面がダム建設のために水没することを知り、水没する前にその村のことを知りたいと、何度も何度も通いました。夏休みにはまた小さかった4人の子どもを連れて、約2週間、民泊もしました。山に流れる清らかな川で、子どもたちは毎日遊び、どちらが前か後ろかわからないほど、真っ黒に日焼けしたものです。その夏、村のいたるところに咲き乱れていたのが、ダリアとカンナとひまわりでした。
その花の風景といったら......ことばを失うほど、胸にしみる鮮やかさでした。私にはそれらの花が、水没する前の最後の短い夏を惜しむかのようにして暮らす集落の人々の姿と重なってみえました。ダリアもカンナもひまわりも、大らかで、伸びやかな花なのに、夏に出会うたびに、胸がキュンと切なくなってしまうのはそのためでしょうか。
今はこぶりなダリアが多く売られていますが、私は、大きく育つダリアに、やはりひかれます。ちなみにダリアはメキシコ原産で、メキシコの国花でもあります。

菊科。
花言葉は「エレガント、華麗」

投稿者: Mie Hama 日時: 20:45 | | トラックバック (0)

花図鑑-朝顔

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『朝顔』
先日、若狭の家にいったら、その軒先に、朝顔が花をいくつもつけていました。こぼれダネから芽をだしたのでしょうか。気がつかず、支柱もたててあげなかったので、地面をはうようにツルを伸ばしていました。でも、それだからこそなおのこと、野のたくましさと、花の可憐さが際立って、感じられました。
朝顔は奈良時代の末期に中国からもたらされたとか、朝鮮の百済から持ち込まれたとかいわれています。最初は薬用として栽培されていたのですが、江戸時代の文化・文政年間(1804~30)には品種改良に人々は熱狂しました。朝に開いて、昼にはしぼんでしまう朝顔に、町民から武士、僧侶にいたるまで、夢中になって、争うように朝顔を求めたといわれます。日本人の心をつかむ何かを、この花はもっているのかもしれません。

「朝顔に つるべとられて もらひ水」 加賀千代女

ヒルガオ科    
昼顔(ひるがお)科。

花言葉は「愛情・平静」

投稿者: Mie Hama 日時: 23:29 | | トラックバック (0)

『農業改革と国際農業交渉 タウンミーティング』

私はこれまで40年以上、日本の農村を歩いてまいりました。お訪ねした市町村は1200にものぼります。また、農山漁村の伝統食などの“食”によって経済的自立をはかろうとする女性グループをバックアップする、食アメニティ・ネットワークを主催して、今年で16年目になります。
そんなご縁で、農業ジャーナリストとしての仕事も続けてきました。農業ジャーナリストとして、私に他の方々と違うところがあるとしたら、ひたすら現場を歩き、多くの農業従事者、そうした方々の生の声を常に耳にしていることではないかと思います。

5月14日、品川インターシティホールにて開かれた「農業改革と国際農業交渉 タウンミーティング イン東京」に、中川昭一農林水産大臣、農業法人「清水農場」経営清水紀雄さんと共に、農業ジャーナリストとして出席しました。
農業者の高齢化と減少が進む一方、国外に目を向けるとWTOやEPAなどの国際交渉によるグローバル化が進展しており、国際化の流れにも対応しうる農業と、その中で豊かで健全な食生活を実現することが、今、求められています。このために、いかに私たちは取り組んでいくべきだろうということについて、熱い論議がかわされました。
私も、次のようなことを述べさせていただきました。

『農は食であり、食の先には人々の暮らしがあります。どこで、どんな風に育てられたどんな食材を、どう調理して、誰といつ食べているのかといった食文化は、すなわち日本という国のあり方を物語るものなんですね。さらに土・水・生物によって支えられる農業は、自然の循環機能を基礎とするものであり、環境の動脈といっていいほど、非常に重要なものでもあります。
しかし20世紀、日本の農業は勢いを失ってしまいましたが、21世紀は農業の時代にしていかなくてはなりません。最近になって、多くの農村の女性たちがファーマーズ・マーケットやグリーンツーリズムなど、新たな農業のあり方に果敢に取り組みはじめるなど、新しい波が少しずつ起きています。今こそ、生産者・消費者それぞれがひとりの人間として市民として、自分たちの食を考え、日本をもう一度、農の国にするために、行動していかなくてはと思います。
農は命。「食育」も必要です。女性の力にも期待しています。
そして、いつか、生産者・消費者という枠を越えて、「農は命である」或いは「食は命を育む」という思いを共有していく社会にしていきたい。そのためにも、農業が今、どういう状況なのか。情報をオープンにして、交流の場を作っていくことが必要です。微力ながら、私も行動していければと思っています』
この詳細、あるいは「食育」「外食産業」「家で調理をするために」「有機野菜」「BSE、鳥インフルエンザ問題」「スローフード」「グリーンツーリズム」「地産池消」「遺伝子組み換え食品」などの各論については、こちらをクリックしてください。

投稿者: Mie Hama 日時: 21:50 | | トラックバック (0)

花図鑑-やまぼうし

毎朝、私は箱根の山を1時間ほど歩きます。山の緑の空気を胸いっぱいにすって、土の感触を確かめるながら1歩1歩、足を踏み出していくうちに、自分が自然にリセットされるような気がします。散歩の時間が、今ではかけがえのない自分との対話の時間となりました。
その道々、私の心を明るくしてくれるのが、植物の姿です。山にはいろいろな木や草がしげっており、四季おりおり、さまざまな表情を見せてくれます。
また、我が家の庭にも、それぞれの季節を感じさせてくれる植物がたくさん。そんな庭で過ごす時間もまた、心を休める大切なひとときでもあります。それから、旅に出たときにも、小さな野の花を見つめている自分に気がつき、はっとすることもあります。
植物には、人の心に優しく作用する不思議な力があるのではないでしょうか。私はその力に、特に強く感応してしまう性質(たち)なのかもしれません。
私の心を温かく照らしてくれる草花や木をご紹介します。


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『ヤマボウシ』

私がいちばん好きな花、それがこのヤマボウシの白い花です。
5月の中旬から 6月の中旬頃が花の季節といわれますが、箱根では6月の半ばに例年咲いてくれます。
中央の丸い花穂が坊主頭、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、
比叡山延暦寺の「山法師」になぞらえられ、この名前となったのだとか。
でも、下から見上げたのでは、この花の形まではわからないのですが、横、
あるいは上から見ると、本当にきれいな形をしていることに驚きます。
10年に1度くらいの割合で、箱根の山が真っ白になるほど、よく咲いてくれる年が訪れます。それはそれは心に染み入るような美しい風景です。中国名は「四照花」。満開のとき、四方を白く照らす様子を表現している名前だと聞きました。なるほど、と深く納得させられるネーミングだと思いませんか。
秋には赤い実がなります。

水木(みずき)科
学名:Cornus kousa
(Cornus:ミズキ属、 kousa:昔の箱根の方言で、ヤマボウシを「クサ」と呼んだことからついた学名だそうです。
箱根住民としてちょっと嬉しい学名です)
・6月15日の誕生花   
・花言葉は「友情」

投稿者: Mie Hama 日時: 10:09 | | トラックバック (0)