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画家・竹久夢二 幻の油彩画 


『西海岸の裸婦』

先日「岡山市社会福祉協議会」に招かれ講演にお邪魔してまいりました。市民の皆さんの参加と支え合いによる誰もが生き生きと暮せる福祉のまちづくりを目指しておられます。会場いっぱいの皆さまの笑顔が素晴らしく、100歳の時代といわれる今日、お互いが支え合う・・・大切なことですね。

さて、以前にも書きましたが、最近の私は仕事の時はなるべく前日入りして、その街を散策いたします。

岡山駅に着いてホテルに荷物を預けすぐに向かったのは「夢二郷土美術館」。数日前の新聞に書かれていた『西海岸の裸婦』についての記事が興味深く行きたい!と思い伺いました。白壁になまこ壁、赤レンガ造りの三角屋根の魅力的な建物。建物は夢二生誕100年を記念して開館されたそうです。

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大正ロマンを代表する画家で詩人の竹久夢二(1884~1934)の油彩画『西海岸の裸婦』をX線調査した結果、始めは下腹部に布をかけた絵にしようとし、後に全裸に描き直した跡が見つかったという記事でした。

「それはナゼなのか?」興味がわきます。美人画で知られる夢二が初めて本格的に取り組んだ裸婦画。より完全な構図を模索していたと新聞には載っていました。そして「完全な裸体を描くことに日本人として抵抗があったのではないか」とも書かれています。

白人女性があおむけに寝そべる姿は夢二らしい作品。本物の絵を前にして見つめてみると、やはり布はないほうが美しいです。絵の横にはX線の分析も観ることができます。私は個人的には、夢二がその肌の白さを、美しさを描くのに悩んだように見受けられます。

修復後の初公開です。美術館の中には夢二の描いた、油彩画、水彩画、スケッチ、屏風、掛け軸など、彼が詩人画家でデザイナーとしても素晴らしいことが良く分かります。岡山市内を流れる旭川湖畔を歩きながら夢二が悩み、迷った姿を想像しながら後楽園からバスで戻りました。

そして、翌朝一番の路面電車に乗りました。

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小川裕夫さんのお書きになった『路面電車の謎』によると、昨今の路面電車が見直されるきっかけをつくったのは"岡山電気軌道(岡電)"なのだそうです。「日本一短い路面電車」の路線総延長は4・7キロ。現在のJR岡山駅が中心部と離れた場所にあることから、駅と中心部をつなげる目的で明治45年に岡山駅前~城下(しろした)間に開業し、当時の距離は約1キロだったそうです。

徒歩なら10分の距離。路線は少しづつ延びて現在にいたっているそうです。岡電は開業以来、一度も社名変更なし。日本一短い路面電車でありながら、他社との合併もなく、合理化や利用客を増やす取り組み、パンダグラフもいち早く導入。全車をワンマン運転化などして住民の大切な足になっています。

私が感心したのは地下街と駅が直結しているのです。岡山駅から帰るときには雨に濡れずにすみますものね。企業努力がなされていることがわかりますし、多くのアイデアが他社のお手本になっているのも良く分かります。1991年路面電車では初の女性運転手も誕生したそうです。早朝6時15分始発の路面電車に乗りながら朝の街を眺めるのも素敵です。

"旅ってやめられませんよね~"

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

民藝の日本 柳宗悦『手仕事の日本』を旅する

日本橋高島屋で9月11日まで開催されている展覧会に行ってまいりました。

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展示即売があることもあり、皆さん熱心に産地からのたくさんの素晴らしい民芸の品々をかごの中に入れておられました。

柳宗悦を中心に陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチらが提唱した民芸運動は、美術品ではなく名もない工人がつくった生活道具がもつ"用の美"。旅しながら蒐集したそれらの民芸品が一堂に会しています。

高島屋は、民藝運動の当初から彼らに共感し、民藝の普及に応援してきたようです。展覧会場には芹沢桂介の日本民藝地図が飾られていて、柳を中心に北海道から沖縄までくまなく旅したことがよく分かります。『人の手のぬくもり』にねざした「用の美」へ、また感心が高まってきたことを感じます。

「私と民藝」は、女優になるちょっと前、中学二年生のときに出会った一冊が、もしかしたら民藝運動に夢中になる土台を作ってくれたのかもしれません。柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」をくり返し読みました。

「手仕事の日本」の冒頭では『この一冊は戦時中に書かれました。紀してある内容は大体昭和十五年前後の日本の手仕事の現状を述べたものであります。戦争は恐らく多くの破壊を手仕事の上に齎らしたと思います。それ故私がここに記録したものが見出されます。例えば沖縄の場合の如き今では想い出語りとなったものが多いでありましょう。しかし、どの地方においても、失われた幾許(いくばく)かのものは、必ずや起ちあがる日があるに違いありません』ではじまります。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。若かった私にはむずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、たしかなものだったように思います。私が柳さんの本を読みながら思い浮かべていたのは、日常、私が「美しいなぁ」と感じる風景でした。

たとえば、父の徳利にススキを挿し、脇にはお団子を飾り、家族で楽しんだお月見の夜・・・。

昭和55年から3年間、土曜の朝8時からの担当した毎日放送ワイド番組「八木治郎ショーいい朝8時」の中で「手作り旅情」・・・日本の伝統工芸を訪ねて・・・は私の最も好きな枠であり、私の旅への想いのすべてをかけたものだったと自負しています。

それも、柳宗悦の用の美を求める旅に大きく影響を受けています。

高島屋の会場で真剣に、また笑顔でそうしたモノとの出会いを楽しんでおられる方々を拝見していると、時代はまた「手のぬくもり」を求めていることに気づかされます。

ご興味のある方は「手仕事の日本」が講談社学術文庫からでており読みやすいです。日本文化が世界的に注目される現代、柳宗悦の示唆に富む想いをもう一度手にしたいと思う展覧会でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

岩波ホールで映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を観てまいりました。

エミリ・ディキンスン。米国を代表する詩人ですが、生前発表された作品はごくわずか。

1886年、ほとんど無名のまま55歳で亡くなり、彼女のクローゼットの引き出しに入っていた1800編近くの詩稿が見つかり世の脚光を浴びた・・・というくらいの私の知識ですが、彼女の人生そのものに興味がわき詩を読むと、正直であろうとするがゆえの孤立、孤独。

あの時代を果敢に生き抜いた力強さを感じます。映画の冒頭では、既成のキリスト教の枠組みではなく自分の信念のもとに神と向き合い、また信仰や女性のあり方に正直に心の中の真実と向き合う。

今の時代とは違い、南北戦争・・・あの時代のアメリカでそのような女性がいたことに驚きを覚えますが。理屈はともかく、武満徹さんが詩から着想をえて「そして、それが風であることを知った」を作曲し、サイモン&ガーファンクルは彼女にまつわる歌「エミリー・エミリー」「夢の中の世界」をアルバムにおさめています。

美しい映像、そして監督・脚本はイギリス人のテレンス・ディヴィス。撮影監督・美術監督・衣装デザイナー・・・素晴らしいスタッフです。ロケは実際にエミリが暮した館がロケにも使われています。マサチューセッツ州アマストの名士の家に生まれ、ほとんど外部との接点はなく、その館で暮らしたそうです。

女であること、愛への憧れ、生と死・・・。名声への葛藤。映画なのですが、監督は私的なドラマを深く掘り下げ、観る側の私たちをスクリーンの奥へと誘っていきます。エミリを演ずる女優シンシア・ニクソンが素晴らしく、エミリとオーバーラップしてしまいます。

そのはず、シンシアはエミリの大フアンで彼女の詩をすべて読んでいたそうです。このような映画はあまり語らずに、ご覧になる方の五感で観ていただきたいです。監督がエミリ・ディキンスンへの深い敬愛が感じられ、心地よく観られるのでしょうね。

1シーンだけお話しますね。エミリが心を許し、緊張感もほぐれるシーンで印象的な室内でのランプの明かり・・・この場面を観るだけですべてを感じとれるシーン、素敵です。それから主演のシンシアの朗読は、さらに深みをまし秀逸です。


  心はまず 喜びを求める
  それから 痛みを容赦してもらうこと
  それから 苦しみを鈍らせる
  この小さな鎮痛剤の粒

  それから 眠ること
  それから もしそれが
  心の審判者のご意志なら
  死の特権をここへ

魂の自由を考えさせられる映画でした。

映画公式サイトはこちら

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

福島県 飯館(いいたて)村へ

東京電力福島第一原発事故の避難指示が、一部地域を除き解除されたのは今年3月31日でした。あれから6年半あまり。私はこの飯館村に最初にお邪魔したのは25年ほど前のことでした。

飯館村は、阿武隈山系北部の高原に開かれた自然豊かな美しい村でした。当時、国土庁が主催する「農村アメ二ティーコンクール」で最優秀に輝いた村です。私も審査委員の末席でこの村を訪ねました。第一印象は開かれた美しい村であることも当然ですが、村民が主役で、行政と共に歩む姿に感動を覚え、その記憶は鮮明に脳裏に焼きついています。

スローガンは『までいの村』。

までいとは「心を込めて」「手間隙を惜しまず」「つつましく」といった意味が込められています。その心が、村民一人ひとりにいきわたっていることを教えられました。

この飯館村は、昭和31年に飯曾村と大館村の2つの村が合併してできました。いち早く「女性が人生を楽しめる村」へと、「若妻の翼」を立ち上げ農村女性をヨーロッパ研修へと送りだしています。

当時、農家の女性の多くは自分の銀行口座さえない時代でした。封建的、閉鎖的な東北の農村では、率先して弱い立場の女性の世界を広め「これからの農村の担い手は女性」と行政がバックアップしたのです。そのおおらかさとたおやかさ、土に根ざした強さ・・・それが飯館の女性たちです。

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私は、福島市内から車で県道原町川俣を抜け飯館村に入りました。正直に申せば、目に入る最初の光景は家や畑はバリケードの中です。あれほどの美しい田んぼや畑には除染された土がシートをかぶり積まれています。"ヒマワリ畑"がひろがりますが、これも除染後の土を守る対策でしょう。胸が締め付けられました。

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しかし、村でただ一軒の手打ちうどん「ゑびす庵」に入って一変しました。このお店は震災時は、村役場が出張所に移転する6月下旬まで営業し、いち早く避難指示解除がなされるとすぐにまた村で営業を再開されたそうです。

「みんなのいこいの場にしたい」と高橋さんご夫妻と息子さんが60年の村の老舗を守っています。そして、そこで今は他に避難している村のコーラスグループの女性たちとご一緒し、どんな困難にも女性たちは元気だわ~!と嬉しくなりました。

あの日から大変なご苦労があったでしょう・・・でも「までい」の心と行動で、村の再建に向かう管野典雄村長のご案内でオープンしたての道の駅「までい館」にお邪魔いたしました。杉をふんだんに使い、屋根の上のガラス張り、天井からは季節の花玉が下がり、花や野菜などを直売するコーナー。

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何よりも驚いたのは「トイレを見てくださいよ」と笑顔で仰る村長の言葉で入らせていただきましたが、綺麗なこと!

やはり、ここにも『人が集う場所』がありました。住民の笑顔を写したパネル、花々で彩られたこの「までい館」は村づくりの一歩です。

村長は「村民に帰村を押し付けることはできません。私は新たな村づくりの一つひとつに心を込め情熱を注いでいけば、必ず、徐々に10人、20人と戻ってきてもらえると思います」とおっしゃり、その言葉に25年前の行政マンの哲学が生きています。

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水田放牧実証もはじまりました。

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そして花卉農家の高橋日出男さんのハウスを訪ねました。生産者の念願だった村産の花作りがはじまりました。避難先でも花づくりをし出荷もしていたそうですが、先日東京の大田市場に初出荷し、好評だったカスミソウやリンドウなどが順調に育っています。家族で帰村しました。「100歳になった母が"ふるさとに戻りたい"という言葉に背を押され、自分の好きな村で、自分の好きなことをして生きていけることに喜びを感じています」と笑顔で語る日出男さん。抱えきれないほどのお花をいただきました。何だか・・・とても幸せ。お母さまのスギノさん、いつまでもお元気で!

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そして、今回訪問の目的でもある花火大会の会場へと向かいました。この7年振りの『飯館村 はやま湖花火大会』に招かれました。皆さまどんなお気持ちで打ちあがる花火をご覧になっていらしたのでしょうか。

避難指示解除がなされても多くの問題、課題が残されています。

"帰還か否か"

コミニティーが分断されているところもあります。精神的に悩む方も多いといわれます。私たちにはとうていその深い悩みにははいれません。ただただ、この問題を社会全体で向き合っていくべきだと強く思いました。

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自然の息づかいが聞こえる飯館村。

『までいの村に"陽"はまた昇る』ですね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

子規の音

箱根の山を下り東京駅へ。そして鶯谷から徒歩で5,6分の正岡子規の旧居、根岸にある『子規庵』へと向かいます。

蒸し暑い夏の日も「子規に出逢える」と思うと足どりも軽くなります。すっかり変わってしまった周辺も狭い横丁の路地を抜け木の引き戸を開け、一歩足を踏み入れるとその先には小さな木造の家があり玄関を入るとさして広くない座敷と縁側。その先には子規が「小園の記」に書かれている庭が見えます。

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なんだか懐かしいような「子規の世界」に出会えます。空襲で消失し、現在の建物は昭和25年に再建されたものです。子規庵では句会、歌会などが開かれ大勢の人たちが詰め掛けたそうです。門下生の中には高浜虚子など。客間と子規の部屋、三畳の居間と妹律と母八重の部屋とこじんまりした家です。かつてこの辺りは農村風景が広がっていたそうです。命の炎を燃やし尽くした家です。

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    病牀六尺、これが我が世界である。

子規が8年半暮らした終焉の家。その雰囲気が伺えます。この部屋で「蕪村忌」などを夏目漱石などと一緒した座敷に腰を下ろし、子規が寝床の中から見たであろう庭に咲く"鶏頭"はじめ季節の花々が子規庵保存会の方々の手で美しく保存されています。ヘチマも下がっています。

    鶏頭の花のに涙を濺ぎけり
    鶏頭や今年の秋もたのもしき
    秋尽きんとして鶏頭愚也けり

死を意識した子規が鶏頭に強さや、たくましさをみいだしたのでしょうか。そして最晩年、痛みをモルヒネで和らげ、果物や草花を描いていたそうです。

皆さまは、正岡子規についてどんなイメージがあるでしょうか?俳句、松山、根岸、闘病生活・・・あるいは野球という人もいらっしゃるでしょうか。どんな困難な状況の中にあっても明るく、チャーミングでまわりの人々から愛された子規。

そんな子規を今年生誕150年の記念碑として画期的な正岡子規評伝をお書きになったのが、作家の森まゆみさんの『子規の音』です。"子規を読むことは五感の解放である"と帯に書かれています。私は夢中で読み終えました。そして、「子規庵」へと行きたくなったのです。

正岡子規は慶応3年(1867年)松山藩士の常尚と八重の長男として生まれ明治16年に上京。明治23年東京帝国大学文科大学(今の東京大学文学部)哲学科に入学します。学生時代はあまり勉強をせず、仲間と野球をしたり、旅に出るなど、東京生活を満喫していた感じがしますが、肺結核から脊髄カリエスに30代前半に病の床につき35年の生涯を終えました。26歳の時病身の子規は松尾芭蕉を追って東北を旅します。

    その人の足あとふめば風薫る
    みちのくへ涼みに行くや下駄はいて
    涼しさやむかしの人の汗のあと

いいな~~、素直なスケッチ風景。私好きです。

森まゆみさんは『子規の音』(新潮社)で書かれておられます。

昔の東京には町に音があった。
子規の句や歌を読むと、東京の町の音が聞こえてくる。
そんななつかしい音が今の東京では聞こえなくなった気がする。
子規を読むことは、私にとって五感の解放である。と。

死の直前に残した最後の俳句。

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   「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」
   「 をとゝひのへちまの水も取らざりき」

9月19日は正岡子規の命日にあたります。
「子規庵」は句会やその他の催しもありお出かけの際はお問い合わせをしてからお出かけください。

アクセス=JR鶯谷駅北口から徒歩5分
電話 03-3876-8218

そして、森まゆみさんに文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」でじっくりお話をうかがいました。
放送日は8月27日と9月3日の2回にわたり放送いたします。
日曜10時30分~11時まで。


子規の音」(新潮社)もお読みください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

若狭の暮らしを若者たちに託して

人間には「デジャ・ヴュ」(既視感)という、まだ世界中の誰にも解明されていない、不思議な感覚があります。

一度もみたことのない風景の筈なのに、自分自身の感覚の中では、「絶対にいつかどこかで、同じ風景を見たことがある」という親しみ深い、そして確信に満ちたあの感覚。それが、いまの私の若狭の家がある"おおい町・三森"の「風景」なのでした。

それは、25年ほど前の、ある秋の日の夕刻。テレビの取材の仕事で、小浜から京都の綾部までの道を車で走っていた時のことでした。なだらかな山並みの前には美しい竹林があり、周りは水田に囲まれていて、そこに数本立っている柿の古木には、ふたつ、みっつと実がなっていて・・・。

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「私、ここの風景を知っている!昔、ここに住んでいたことがあるのかもしれない・・・」そんな思いにかられました。もちろん住んだことはありません。箱根での暮らしが10年も続いた頃に、今度はもっと純粋な日本の「素朴な農家」にも住んでみたいな、と願い始めている自分に気づきました。古民家を移築し「やまぼうし」と名づけた私のもうひとつの家。

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そして、きちんと農業を学んでみたい!米作りの実際を体験したい、と田んぼはわずか7畝でしたが、地元の信頼する農家のご夫妻に農業のイロハを手ほどきいただきました。村社会での暮らしも経験し、この地に私の長年の夢を実現させました。

手植え、手狩り、はさかけ・・・。その間の水の管理、草取りなど、様々な作業があり、休む間もないことを肌で知りました。米作りにともなう農村の営みや文化、折々の機微、人々の絆の強さ、さらに花一本、草一本、虫一匹にも役割があることを学びました。

私は2010年から4年間、近畿大学・総合社会学部で客員教授をつとめさせていただきました。そこで、「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマのもと授業を担当させていただきました。なによりも、私自身がもう一度学びなおすことができるのではないか、と思ったのです。

そして、大切にしたことは「フィールドワーク」でした。今はIT時代で、人と人が目を合わせて語ったり、笑ったりするコミュニケーション力が不足した若者が増えているといわれています。

立ち止まったり寄り道したり。

しかし、自分の足で現場を歩き、目で見、肌で感じ、たくさんの人々との出会い、わかること、発見もあるでしょう。そんな思いで4年間若狭の「やまぼうし」でのフィールドワークが続き、学生たちは社会へと羽ばたいて行きました。そんな彼らが2011年から『近大農園』を誕生させ『やまぼうし農園』へと・・・OBになっても後輩へとその精神を受け継いでくれています。毎年の米作り、野菜作り、集落のみなさんとの語り合い、今年の夏もいっぱい汗をかきましたね。間もなく早稲の収穫もはじまります。

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そんな彼らと久しぶりに若狭で再会ができました。初めて出会う学生さんも大勢いました。楽しかったです。語り合いましたね!月の光りを浴びながらのバーベキュー。

卒業していく4年生、これから始まる新入生の皆さん。

失敗しても、試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができます。そうして健やかな心を支え、育ててくれるのは、本を読んだ知識も大切ですが、現場での体験もかけがえのないものです。『人と人の温かい絆がうまれるのは現場』からでもあるのです。

みなさんに逢えてよかった!
ありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

レオナルド×ミケランジェロ展

前回は「夜の寄り道」をご紹介いたしましたが、今回はその続きです。

私は月に2回は浜松町にある文化放送ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」の収録に箱根の山から東京に行きます。東京へは月に3,4回は出かけるのですが、収録や打ち合わせが終了してからの時間は至福のひと時。映画、美術館、時には落語・・・その日はめいっぱい愉しみます。

だいたい東京駅周辺、丸の内、銀座、日本橋、ちょっと足を延ばして根津や谷中など下町へ・・・そう渋谷の映画館だったり、と毎回計画をたてるのが楽しみです。これも子育て終了!自分への"ごほうび"タイムですね。

先日は、丸の内の「三菱一号館美術館」に寄り道をしてまいりました。展示室は、明治期のオフィスビルが復元されているため、落ち着きがあり小さな展示室が連なっているために作品との距離が近く、じっくりと向き合えるのが嬉しいです。

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この日はイタリア・ルネッサンスの芸術家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と「ミケランジェロ・ブオナローティ」の競演です。二人は23歳の年の差がありますが、作品をじっくり拝見しているとお互いが良きライバルであり意識していたことを教えてくれる展覧会の企画です。

個人的にはミケランジェロの「レダと白鳥)の頭部のための習作」に興味を覚えました。彫刻を重要視し、数々の作品は見ておりますが、この絵にはドラマがあるようです。ダ・ビンチの「少女の頭部(岩窟の聖母)天使のための習作」。この2作品を比べると、今回の展覧会の意図が読み取れる気がします。解剖学的な手法のダ・ビンチ、優美なスタイルにその美を感じるミケランジェロ。この巨匠をじっくり対比してみられる・・・これはめったにないチャンスでした。

会場は熱心に食い入るように見つめる人々でいっぱいでした。とくに中年の男性が多く、美術の新たな魅力を感じているのでしょうか。

黄昏どき、いつものようにワインを一杯!幸せ気分で山に戻ってまいりました。

美術館公式ページ
http://mimt.jp/lemi/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 「甘き人生」

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(画像出典:映画公式サイト

久しぶりに本格的なイタリア映画の傑作を観ました。

監督は今年78歳になるマルコ・ペロッキオ。舞台はトリノ。1969年、裕福な家庭に育った9歳のマッシモは母親の愛情をたっぷり受けて育ちました。ところが、その母親が急死してしまいます。原題は「Fai bei sogni(よい夢を)」

実話にもとづいた近年イタリアでもっとも売れた小説の映画化です。神父が母親は天国にいると伝えても、少年にはその喪失感を受け止めることができません。

時が経ち90年代、ローマ。大人になった少年マッシモは、新聞記者となり、スポーツ記者を経て、サラエボの内戦を取材しますが、帰国後、パニック障害に襲われます。病院に慌てて電話し、それから病院で、精神科医のエリーザと運命的な出会いをします。

それまで人を愛することができなかったマッシモが、この出会いによって次第に心を解き始めます。父親の死、幼い頃の思い出がある家を売ろうとし、過去のトラウマとまた向き合うことになるのです。そして家の荷物を整理していてあるものを発見するのです・・・。

母の謎の死をめぐるミステリー、パニック障害、戦争のトラウマ、過去と現在、60年代から90年代のイタリア。社会の変貌を監督はその背景を見事に演出し、素晴らしい作品です。

それにしても、よく言われるイタリアの男性は大人も子供も「マンモーネ」つまり「お母さん子」。母親と息子の関係性はイタリアの文化であり、この映画の深層心理を知るうえで大変興味深いテーマでもあります。

主演のヴァレリオ・マスタンドレリア(マッシモ)
精神科医のベレニス・ベジョ(エリーザ)
母親のエマニュエル・ドゥヴォス

それぞれが見事な演技です。3人ともこれまで様々な賞を受賞しています。そして、私の関心は映像美です。室内のインテリア、窓外の雪、寺院の陰、川の流れ、それらすべてが物語には必然の見事なシーン。

私がマルコ・ベロッキオ監督の作品を始めて観たのは70年代末の『夜よ、こんにちは』だったと記憶しております。それは赤い旅団のテロと当時の首相モーロ誘拐事件を描いた作品でした。

偶然、モーロ誘拐事件が起きた日、私は一人旅でミラノのドーモ広場の近くに泊まっていました。街中が大騒ぎになり、何が起きたのか、イタリア語の分からない私は英語の通じるホテルに飛び込み事情がわかりました。『荷物をまとめて早く国境を出なさい!』とホテルマンに言われ大急ぎで駅に向かい、夜行列車でスイス経由パリへと脱出したのです。

正面から政治、社会問題を採り上げたこの作品は忘れられません。その監督が78歳にして今回このような映画を撮られるなんて・・・素敵すぎます。

映画の中でも忘れられない言葉・・・セリフ。
母を亡くし心にぽっかり穴のあいた少年に向かって神父がさとします。

『もし(だったら)ではなく、「にもかかわらず」で』と。

監督はイタリア北部の町で生まれ、ミラノの大学では哲学を学んでいて、途中で映画に転向したそうです。

素晴らしい映画を観せていただきました。

有楽町スバル座、渋谷ユーロースペースほかで。
スバル座は8月4日まで。(予定)

映画公式サイト
http://www.amakijinsei.ayapro.ne.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

世界報道写真展

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恵比寿にある 東京都写真美術館で開催されている「世界報道写真展」を見てまいりました。

オランダで毎年開かれるコンテスト。今回は世界各地の125の国と地域から約5千人のプロカメラマンが参加したそうです。大賞には、昨年12月、トルコ・アンカラの美術館でスピーチ中の駐トルコ・ロシア大使が暗殺される前後を写した写真が大賞を受賞しました。

テレビや新聞でこの報道は見ましたが、実際のオリジナルプリントの前に立つと、やはり臨場感が胸に刺さります。足元に撃たれて横たわる大使。壁の近くに大使がかけていたのでしょうか、眼がねが落ちています。組写真ですからなおさらその光景が「報道写真」として鮮烈に見えます。入り口を入ってすぐ右側にあります。

足を進めると「人々の部」ではイスラム国(IS)の恐怖と食糧難によってやむなく故郷を去ることになった5歳の少女。大きく見開いた瞳。「私には夢がない。もう何も怖いものはない。」と、静かに言う。このコメントを読み写真を見ていると涙が零れてきました。私には夢がない・・・なんと残酷なことでしょうか。写真のもつ力・・・カメラマンの目。

「自然の部」ではスペイン・大西洋北東、カナリア諸島沿岸で捨てられた漁網にからまったアカウミガメ。深いブルーの海とカメ。自然が人間の手によって傷つけられています。

私たちが普段目にすることのない写真の数々。ニュース性のあるものだけではなく、じっくり時間をかけての取材写真も見られます。崩れおちている建物、傷ついた人々。平和に暮している私たちの日常とは遠い光景ですが、これが「今」世界に起きている現実であることに衝撃をうけます。

会場には若い人たち。また外国人も多く、静かに目をこらして写真に見入っていました。

物音ひとつなく、世界の現実にふれる・・・毎回見にくる写真展ですが、「世界の現実」に接することのできる貴重な展覧会です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

追憶の旅 倉敷

十代の頃から旅を続け、訪ね歩いた町々はいったいいくつぐらいになるでしょう。一人旅で、帰りの汽車賃を心配しての旅もありました。おなかに子どもを宿しての旅。再び子を妊って、一人は手を引いての旅もありました。リュックを背負い二人になった子を連れての旅。やがて三人、四人めの子たちを引き連れての夜行列車やマイクロバスでの旅。なぜ、大変な思いをして旅に出るの?と。私自身、なぜと問われて明確に自分の気持ちを言い表せないのですが、言ってしまえばキザですが、どんな旅の空にも素晴らしい出逢いがあるから・・・なのです。

倉敷の町へ最初に訪れたのは十代の終わりの頃だったでしょうか。

倉敷・・・そこが大層美しい町であるという人伝えの話だけが私のガイドブックだったのです。急行も止まらない小さな町だった倉敷になぜ大原美術館があるのだろう。なぜこの町にたくさんの倉屋敷が建ち並ぶのだろう。この町のある秩序、この町で出逢った一枚の絵は二十代に入ろうとしていた私を今日まで生かしてくれた力だったと思います。そして、恐らくこれからも私の中の"美しさとは何か"を決定しつづけるでしょう。

倉敷をお訪ねする回数が増えるにつれ、私は気になりはじめたことがありました。倉敷の町の掘割の、ちょうど町の扇の要のような位置に素晴らしい趣のある旅館が建っていることに気がついたのです。

その名は「旅館くらしき」意を決して泊めていただいたのは、泊まってみたいと思ってから、十五年も後といえば、あきれられますよね。でも、待ったかいがありました。日本の美を体現しているような静謐な美しさをたたえている旅館でした。私が通されたのは、すがすがしく清められた和の空間でした。太い梁と壁に囲まれた部屋には、障子越しの光りがやわらかく差しこみ、床の間には力強くたおやかな花が生けてありました。

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この旅館を取り仕切っていらしたのは、畠山繁子さん。五年前に旅立たれました。繁子さんのことを、いまは亡き司馬遼太郎さんは「旅館くらしきの女将は行を耐えるように倉敷を守っている」とお書きになっています。きれいに櫛のはいった白髪をひとつにまとめられ、白の半襟は、まぶしいほどの白さでした。倉敷の由緒ある仕出し料理の店の娘として育ちご結婚されて間もなく「砂糖蔵を守るためにも"旅館くらしき"をはじめてくれないか」と大原美術館当主の大原総一郎氏にたのまれます。

"繁子さんにお逢いしたい"・・・。そんな思いで旅に出ました。 玄関に佇むとそのお姿が現れます。あなたのいらっしゃらない宿には泊まることはできませんでした。お隣りのカフェであの時と同じようにコーヒーをご一緒にのみながら、たくさんの貴重なお話をうかがったことなどを思い出しておりました。遠い未来を視野に入れ、ものを見つめ、考え、育ててきた繁子さんの心のありようを、すこしでも頂戴したいと思っています。

この頃、このように「追憶の旅」がしたくなります。

放っておけば、美しいものもやがて死に絶えてしまいます。つねにその時代時代の人たちが、風を通し、磨きつづけないと、美は存続し得ないものだと私は思います。

大原美術館では、時を忘れたようにエルグレコの「受胎告知」のほか数々の作品に見入りました。そして隣接している工芸館では民藝の世界に浸れました。

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柳の新芽が掘割に美しく映え、川をめぐる白壁の家や倉に初夏の陽が照りかえし、倉敷は変わらない美しさをたたえていました。

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倉敷から出雲に行き、出雲大社に参拝し「追憶の旅」はおわりました。

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幻の名城を訪ねて

列島縦断「幻の名城」を訪ねて 山名美和子 (集英社新書)

城は攻防の砦である。戦国動乱の時代、城を舞台に幾多の戦いがくりひろげられ、勝者と敗者を生み、次第に姿を変えていく。やがて数百年の歳月が過ぎ、たくさんのドラマを秘めたまま、草木に埋もれ、土に覆われ、開発の波にさらされ、城址は朽ち果てていった。

で、始まる本です。

山名さんは、東京のお生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、教員を務め、作家になられました。1994年、「梅花二輪」で第19回歴史文学賞入賞。これまでにも数々の歴史小説があります。

今回はご自分の足で全国を歩かれ、地図を片手に国宝や重要文化財に指定されている城ではなく、今は石垣や土塁を残すだけという歴史に埋もれた城や後に再建された城がほとんどの旅です。

今は形として残っていない「幻の名城」の典型が安土城。京都に向かう東海道新幹線に乗ると、進行方向右側の琵琶湖の湖畔の山に「安土城跡」と看板があります。私はそれほど歴史には詳しくはありません。ただ鉄筋コンクリートの造りのお城には魅力を感じません。

安土城、津和野城、会津若松城、はじめ南海の王国「琉球」の今帰仁城など・・・山名さんほどはぜんぜん歩いてはおりませんが、旅の途中での城跡めぐりは大好きです。戦国時代の息づかいを感じ、思いを馳せ、金沢城など石垣の美には惚れ惚れいたします。

東京にも江戸城をはじめ随分たくさんのお城があったのですね。そして、ご本の中に出てくる私の住む箱根の足元の「小田原城」。現在の立派な城は明治の廃城で解体され、新たに江戸時代の外観を基に再建された3層4階の美しいお城ですが、現在の城址より西に1.2kmの位置に築かれていたのですね。周辺の城址公園には何度も桜を観には行っているのですが、緑に覆われた木立の中へは行ったことがなく、今回はじめて土塁と大堀切が残っている道を歩いてきました。

そうか・・・謙信、信玄、秀吉も落とせなかった城・・・。関八州を支配した北条五代の権威と栄華の跡に立ち、600年の歴史を感じることができました。

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箱根と足柄の山々に囲まれ、海を見渡し、「いいところに築城したのね~」と、ひとりつぶやいておりました。私にとって小田原の街は城下町の面影を残した心地よい町です。かつては薬種商、呉服商、鍛冶屋や木工職人なども呼び寄せたとのこと。町には現在でも寄木細工の職人さんや、伝統を受け継ぐ職人さんが活躍している町なので、ちょくちょくバスで下山し散策し、買い物をし、お茶して帰る、そんな小田原が好きです。

丘を下り帰りには昨年5月に工事を終了した美しい小田原城をひとめぐりし、箱根のわが家に戻ってまいりました。

ということで、ラジオのゲストにお招きし、山名さんから全国の「幻の名城」のお話をうかがいました。

文化放送 日曜日 10時半~11時 明後日7月2日放送です。
そして、ご本で日本全国の城址を訪ねてください。

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映画「セールスマン」

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イランの名匠アスガー・ファルハディ監督作品「セールスマン」を観てまいりました。

日常生活が外部の侵入者により突然破壊される生活。仲のよい若い夫婦の穏やかな暮らしが一変していく。演じるのは夫・エマッド(シャハブ・ホセイニ)とテヘランで暮す女性・ラナ(タラネ・アリドゥスティ)。

この映画は本年度アカデミー賞「外国語映画賞」受賞。第69回カンヌ国際映画祭脚本賞&男優賞W受賞作品です。

素晴らしい映画でした。緊張感に満ちていて、実にリアルな演技によって引き込まれていく。仲の良かった夫婦の間に溝をつくり、復讐に燃える夫。なぜタイトルが「セールスマン」なのか・・・。映画をみて初めてわかりました。アーサー・ミラーの「セールスマンの死」からひもとかれていきます。

主人公は高校の国語教師。自由時間には妻のラナとともに地域の小劇場で役者活動もしている。舞台は劇作家アーサー・ミラーのピューリッツアー賞受賞作「セールスマンの死」からはじまります。監督と主演女優はトランプ大統領の入国制限令に抗議して受賞式をボイコットしながら「別離」に続いて2度目の外国語映画賞を受賞して話題をよびました。

乱開発により隣の建設工事で崩壊の恐れが生じ、二人は新しいアパートに引越します。公演にむけ稽古をし、ひと足早く家に帰ったエマは悲劇に襲われます。名誉を重んじるイラン社会。作品では夫は一人で犯人を捜し、悲劇的な結果になるのですが、主演したラナ役のタラネ・アリドゥスティはインタビューでこのように語っています。

「暴行された女性は自分の行動に問題があったのかと悩み、何か発言しても相手に受け入れてもらえないのではと自信をなくしてしまう。それは世界中かわらないはずです」。

とにかく脚本が素晴らしいです。そして現代のイランの状況、現代的なライフスタイルと伝統的な価値観の狭間で生きる人々、夫婦の姿を監督は見事な作品に仕上げています。

映画が始まると女優達がスカーフを髪にまいていなければ、どこかヨーロッパの映画かと思わせる洗練されたセンスの良いスクリーン。しかし、しばらくすると「名誉と恥」という伝統的な世界が見えてきて、人間の根源的な愛、生き方を深く静かに考えさせられた映画でした。そして、そこには紛争のたえない民族対立がくすぶる現代に監督は"ヒューマニズム"をこめてこの映画を現代のわれわれに問いかけてくれました。

渋谷のBUNNKAMURAル・シネマで観たのですが、観終わってからはしばらくサスペンスから抜け出せず、白ワインを飲み、心を静めてから箱根の山に戻ってきました。

映画公式サイト
http://www.thesalesman.jp

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鎌倉 明月院

梅雨に入り、まだ雨は少ないですが、この時期はあじさいの花が満開になり、しっとりとした美しい季節でもあります。

先日、早朝バスで箱根の山を下山し、大船経由で北鎌倉の「明月院」に行ってまいりました。駅から路線伝いを歩き途中から左に山合いにおれ10分ほど歩くと「紫陽花寺」とよばれる明月院に着きます。ちょうど見ごろを迎えていました。

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明月院は臨興寺の庵として約850年前に北条時頼公によってこの地に建立されました。江戸時代には、既に住職がいない状態だったので、現在は明月院のみが残されています。国指定史跡です。

6月上旬から7月中旬頃が開花時期ですが、今年は1週間ほど遅れているのでこの週末から来週までが見頃だと思います。

『明月院ブルー』といわれるように庭一面、どれも濃い青色です。院内には約2500株が咲くと言われています。どれも「ヒメアジサイ」という日本古来の品種です。土地の酸性が強いと青くなるといわれます。そんな環境で「明月院ブルー」になったのでしょう。

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禅寺である明月院には「悟りの窓」と呼ばれる丸窓があります。ここからの眺める本堂裏のお庭も美しく四季折々の風景はまさに「悟り」の窓にふさわしいです。裏には枯山水。さらに奥には今が見ごろの「花菖蒲」が美しいです。

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この季節は訪れる観光客が多いので、朝早めに行くことをおすすめいたします。そして、この季節は、足元が滑りやすいので履き慣れた靴、動きやすい服装でお出かけください。

アクセスは大船駅から横須賀線で1つ目の「北鎌倉駅」で下車します。
拝観時間は(9時~16時まで)6月は(8時半~17時まで延長)

秋はキンモクセイ・ヒガンバナ・ハギなど、モミジの紅葉もとても美しいそうです。また秋になったら出かけてみたいです。

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映画「光」ひかり

久しぶりに日本映画を観ました。

今年70回目を迎えたカンヌ国際映画祭で"コンベンション部門"に選出され、今やカンヌ映画祭ではなくてはならない存在感をみせる河瀬直美監督が挑んだ映画。

1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞カメラ・ドールを受賞し、数々の賞を受賞してきた監督の最新作が『光』です。

多少かつては映画の世界に身を置いた経験のある私としては映画ついての感想は簡単には語れません。ひと言、言えることは『河瀬監督"ありがとうございました"』・・・ということ。

視力を失いゆくカメラマンとひとりの若き女性のまさに珠玉のラブストーリーなのですが、美佐子(水崎綾女)は視覚障害者に向けた「映画の音声ガイド」の仕事をし、平凡で単調な生活を送っています。そこで出会った、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)との物語です。

これから映画をご覧になる方もいらっしゃるでしょうからストーリーはこれ以上書きませんが、映画を観ていて私は錯覚しました。これって映画?ドキュメンタリー?って。

主役の写真家を演ずる永瀬正敏さんは撮影1ヶ月くらい前から準備をはじめ、(もちろんその前から視覚障害者の方々から教わり、ビデオを観たり、と研究は重ねています)2週間ほど前からロケ地の奈良に入り実際撮影するアパートに住み、主人公の雅哉としての生活をします。彼女もそうだったそうです。撮影もシーン毎に順番に撮っていったそうです。

永瀬さんは語ります。

「僕はありがたいと思います。順撮りで撮影していただき、気持ちの流れをとても大切にしてもらえますし、こういう現場は他にあまりないので、また、役を演じるのではなく、役そのものになって生きられる、そうゆう現場を僕たちの為に必死になって作って頂ける、本当に感謝しかありません。」と。

撮影が終わってからもなかなか社会復帰できなかった・・・。とか。そして「あの現場は確実に"光り輝く爪痕"を残しました。」とも語っておられます。

撮影は『対岸』で第38回(2012度)木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・百々新(とどあらた)氏。これが劇場用映画デビュー。カメラワーク・光り・構成、なるほど「そうなのね~」と納得しました。とことん光りにこだわったロケ地、セットとなる部屋、「用意、スタート」の掛け声のない現場。。。

河瀬直美監督の映画への深い洞察力、愛情・・・20代でカンヌ映画祭デビュー、そして20年の時を経てカンヌに集まる人々を魅了する理由(わけ)が多少わかりました。視覚障害者の「音声ガイド」というジャンルも私は始めて知りました。劇中映画「その砂の行方」に登場する藤竜也さんも素晴らしい存在感です。

クランクアップは11月14日午後7時半、その日は68年ぶりに月が地球に再接近するエキストラ・スーパームーンの日だったそうです。あの月の『光』も祝福してくれたのですね。


おつかれさまでした。
そして、"ありがとう"

映画公式サイト
http://hikari-movie.com/

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上野の森 恩賜公園

上野公園に行ってまいりました。

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目的は、東京博物館の建物を改めて観ること。
国立博物館平成館で開催されている「茶の湯」特別展を見ること。
そして午後からは津軽三味線、高橋竹山さんの二代目襲名二十周年記念コンサートを聴くこと。
どっぷり上野の山の緑と美術と音楽を堪能できた一日でした。

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皆さまの中には東京国立博物館へ行かれた方も多いかと思いますが、この博物館を旧薩摩藩士が創ったことご存知でしたか?

私はまったく知りませんでした。明治15年(1882年)に完成したのですが、そこに至るまで、時代の流れに翻弄されながら外交官の道を断たれ男のもうひとつの夢が実現したのです。これは『日本博物館事始め』という教科書には載っていない明治の物語です。

作者は西山ガラシャさん。西山さんは1965年、名古屋市生まれ。10代のころから小説を書き始め、8年まえから本格的な活動をされておられますが「ガラシャ」インパクトのあるお名前はやはり、戦国の世を生きた明智光秀の娘「細川ガラシャ」に強く惹かれたからだそうです。

小説 日本博物館事始め」(日本経済新聞出版社)は、薩摩藩士だった町田久成という男が主人公です。これが、何ともかっこいい(姿かたちだけではなく)私好みの殿方なのです!

時は明治。新政府は神道を国教として保護したため、廃仏毀釈が吹き荒れ、数多くのお寺が打ち壊されました。さらに、西洋に追いつけ追い越せという風潮のもと、日本伝統の貴重な文化財が海外に流れていきます。町田久成はそうした光景に心を痛め、幕末、イギリス留学中にみた大英博物館のような場所を日本で創ることを決意し、奮闘が始まっていくのですが・・・それはぜひ本をお読みください。

私はいっきに読み終えました。なにしろ町田久成の魅力的なこと。現代ではどうでしょう・・・これほどの志をもって国家の文化財に情熱を注げる人がいるでしょうか?なんて少しミーハーですね、私。そこで、やはり直接お話が伺いたくてラジオのゲストにお越しいただきました。

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改めて、この小説を読み、お話を伺い"なぜ上野の山"に博物館を?の疑問がとけました。入館し常設展「日本の美術の流れ」を観ながら建物をじっくり拝見し、それから外のケヤキの樹の下のベンチに座り当時の様子を想像しました。

「ガス灯が、上野公園内を照らしはじめた。精養軒で開かれる舞踏会に向かうのか、着飾った人たちの姿が見える。人力車も数台集まっている。」
「開館式に噴水の池には、目に鮮やかな錦鯉が放たれた。午前九時五十分、明治天皇が馬車にて黒門にご到着になった。」と書かれています。

久成は心に決めていたとおり博物館完成後、館長を辞し仏門にはいるのです。館長の職についていたのはわずか七ヶ月でした。建物の横に"初代館長"とある像の名前は別の人物でした。

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そして、隣の建物、平成館で特別展「茶の湯」を拝見。日本の美の粋・国宝「曜変天目」はじめ名品がずらり、私は少し荒々しく力強い高麗茶碗がとても好きでした。

初夏の日を浴びてそよぐ若葉や枝や幹を渡る風が心地よく木陰を歩き、上野駅前の文化会館の小ホールへと向かいます。

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ホールは満席で、高橋竹山さんの津軽三味線の音色に唄に、聞き惚れました。17歳で初代竹山師匠に弟子入りし、師匠とともに25年間世界を舞台にさまざまなジャンルに挑戦し続けている二代目竹山さん。まさに初代竹山の魂を引き継ぎ、観客とともに紡ぎだす津軽三味線の新たな夜明けを感じるコンサートでした。コラボした作曲家でピアニスト、ヴォーカリストの小田明美さんも素晴らしかったです。

一日の休養日で、こんなにたくさんの幸せをいただける・・・感謝しながら箱根の山に戻りました。

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オリーブの樹は呼んでいる

スペイン映画「オリーブの樹は呼んでいる」を観てまいりました。

祖父が大切にしていた樹齢2000年の樹を父が売ってしまった。スペイン、バレンシアからドイツへ。オリーブの樹を取り戻すため、孫娘と仲間たちの旅が始まります。樹が売られてから話すことをやめた祖父。20歳の孫のアルマ(アンナ・カスティーリョ)が、祖父を救うため先祖代々から引き継がれてきたオリーブの樹を取り戻すことに・・・。

現在のスペインの経済環境はけっしてよくはありません。スペイン人にとって"オリーブの樹"はアイデンティティそのものです。その古木を引き抜き売るという行為は現地の人々にとって身を切り離されるような思いでしょう。

この物語はフィクションですが、10年ほど前、脚本家のポール・ラヴァーティが、高速道路の脇やオフイスの庭などに装飾的に置かれているオリーブの樹について「どうしてこんなところに置かれているの?」と疑問に思ったといいます。

その違和感が映画の始まりだったそうです。カタルーニャ地方で2000年頃から不況の煽りで、オリーブの樹の伐採がさかんに行われていることを新聞記事で読みショックを受け、その記事をずーと持っていて、いつかオリーブの樹をテーマに映画を撮ろうと、今回の監督でもあり妻のイシアル・ボジャインに語っていたそうです。彼女は数々の賞を受賞する監督ですが、以前は女優としても活躍していました。

監督は語ります。

『現在、スペインは無政府、カオス状態です。それにたいしてデモをしたり、闘う姿勢をとる若者もいます。しかしアルマはそういう知識も持ち合わせない女の子。スペイン最大の建築産業が崩壊して以来、農家の人々は自然を切り崩して利益を得なければならない状況を目の当たりにして、自然を守りたい、でも自分の力ではどうしょうもないないという怒りを感じてきました。アルマも同じで祖父への感情、愛情が行動に移るのです。』と。

スペインのオリーブは「太陽の樹」と呼ばれ、古代エジプトでは、女神イシスがオリーブの栽培を教えたといいます。『平和の象徴』です。しかし、品質は最高であっても価格は原油と同様に変動し、収穫作業は想像以上に重労働であるため、現代の経済社会では、機械収穫をしない小規模の家族経営の農家では老夫婦の引退とともに放棄されている畑が多くみられるようです。

そして、環境に優しい企業だとアピールするために、わが家のシンボルツリーにするために、オリーブを植えようと樹を買う人がいて、その樹の中にはスペインから引き抜かれて来た樹齢1000年、2000年のものもあるそうです。

映画はゴヤ賞新人賞に輝いたアルマ役アンナ・カスティーリョの魅力も輝き、配役が素晴らしいですし、温かかなユーモアと人間ドラマが繰り広げられます。家族の絆、傷をもった家族を認め合う。そして未来への希望が見えてくる・・・そんな映画です。

この映画で『何かが変えられることを』教えられました。

映画公式HP
http://olive-tree-jp.com/

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げっとうの花咲く沖縄

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この季節に沖縄を訪れると"げっとうの花"がハイビスカスなどと美しく咲き、「第二のふるさとに戻ってきた」かのような安堵感を覚えます。

5月15日、この時期に今年も行ってまいりました。12日から3日間、平和行進がありました。沖縄の施政権が米国から日本に返還された『沖縄県の本土復帰』から満45年を迎えました。

私は沖縄に着いたらまず訪ねるところが公設市場です。(最近は海外からの観光客で賑わっています)そこで働くおばあ・・・果物や野菜を持ってくるおばあ、土産物屋さんの看板娘になっているおばあ、優しく おおらかなで働き者の、沖縄の愛しきおばあたち。お年寄りのパワー溢れる笑顔が似合う町、沖縄。

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私が親しくさせていただいている仲間の女性たちは働きながらボランティア活動をしています。彼女達とのお付き合いも30年近くになります。そう20代の頃からなのです、皆さん。彼女たちは夢を語り、その実現に向かい真摯に努力を続けています。長い年月の間には山も谷もあったでだろうに、希望の光りが消えることはありませんでした。私の大切な・大切な友人たちです。

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは昭和37年。まだパスポートが必要な時代でした。国際通りは舗装されておらず砂埃をあげ車が右側通行で走っていました。

中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は先生の著書の中で琉球文化と工芸の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。私はこの地に最初に降り立った日のことを忘れることができません。

苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていました。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動をおぼえました。

工芸の中で強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて穴すれすれに水を入れても水はこぼれないのに、それ以上入れてしまうと、一滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗。

人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目に医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのです。

身の丈を知り、八分目を良しとし、他者をも生かす、共生共栄の考え方がここにはあります。

そして、私の好きなことば。 "ザリガナ" 「女の人生ザリガナ。だからザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ でないとね。」と語ってくださったのは94歳でその生涯を終えられた沖縄読谷村の花織(はなうい)を戦後見事に復元した与那嶺貞さん。

ザリガナとはもつれた糸。ザリガナ サバチヌヌナスル イナグ。もつれた糸をほぐして布にする女性のこと、と私に教えてくださいました。根気よく糸をほぐすためには、辛抱も優しさも必要でしょう。そればかりではなく、ほぐした後にどんな織物を織るかと、未来へとつなぐ希望も感じられます。

辛抱・優しさ・希望、のすべてが含まれたこの言葉、今、もっとも必要ではないでしょうか。

とくにこの時期、沖縄を訪ねるたびに本土との温度差を感じる私です。

どうぞ、未来へと平和を手渡していってください。

帰りには市場で買った豚の三枚肉で"ラフテー"が作りたくて、うずうずしている私。 "またすぐに帰ってきま~す!"と機上の人となりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ターシャ・テューダー~静かな水の物語

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[画像出典:映画公式サイトより]

アメリカを代表する絵本作家ターシャ・テューダー。
私がもっとも憧れる人、尊敬する女(ひと)。

ターシャを世界的に有名にしたのは、絵本だけではありません。1971年、56歳のターシャは、バーモント州の山奥に土地を購入し、その後、息子のセスが建てた18世紀風の農家に移り住み、2008年92歳でこの世を去るまで植物や動物をこよなく愛し、私が理想とする"スローライフの暮しを実践し、また子ども4人を育てながらも四季折々の行事を大切にし、それはそれは素敵に暮しに取り入れているのです。

生誕100年となる2015年には、ターシャの世界を紹介する展覧会が日本でも2年をかけ巡回し、全国で約38万人の人々が魅了されました。

この度の映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』を観てまいりました。

タイトルの<静かな水>・・・とは「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の速さで進むこと」というターシャの言葉からとられているそうです。監督の松谷光絵さんが10年間にわたり取材してきた"自然体"の"等身大"のターシャには感動します。

パンフレットにはこのように書かれています。「思う通りに歩めばいいのよ」と微笑む、自由な精神あふれる<スローライフの母>がのこしてくれた、「人生を存分に楽しむヒント」をあなたに・・・・と。

映画の中に登場する絵本や書籍、料理のレシピ集やライフスタイル本などわくわくします。そして、宝石のようなことばの数々。

 一生は短いんですもの。
 やりたくないことに時間を
 費やすなんて、もったいないわ。

 何かに夢中になるのは
 大事なことです。
 何でもいいの。
 それが人を前に進ませます。

 家事も仕事も完璧になんて、
 いくわけがありません。
 だいたい、世の中に、
 完璧なものなんてないでしょう。
 開花したばかりの花や、生まれた
 ばかりの赤ん坊くらいじゃない?

 やりたい仕事は、
 労働ではなく
 楽しみになるのです。

 心は一人ひとり違います。
 その意味では、人はいつも
 "ひとり"なのよ。

 近道を探そうとしないこと。
 価値のあるよいことはみんな、
 時間も手間もかかるもんです。

ね、素敵でしょ!

私は昨年6月に「孤独って素敵なこと」(講談社)を出版しました。"終わりに"でこのようなことを書きました。

孤独だからこそ、自由でいられます。自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることができます。家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。

こうして自分自身を振り返ると、ターシャ・テューダーさんから多くのことを学び、影響を受けてきたことに気づかされます。

箱根の自然に生かされ、スポットライトの下の自分よりも、箱根の古民家に一人いる時間が好きです。

有楽町 カドカワシネマ他にて

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

未来よこんにちは

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映画「未来よこんにちは」を観てまいりました。

主人公である高校の哲学教師のナタリー(イザベル・ユペール)、同じ哲学教師の夫が恋人ができたといって家を出てしまう。25年連れ添った夫。もうあまり若くない大人の女性の人生の日常に突然訪れた喪失感。

一人暮しの母親が認知症の兆候を見せ、夜中も授業中にも電話でナタリーを呼び出し、狂言自殺を繰り返す。ナタリーの唯一の慰めは愛弟子で哲学教師になった魅力的な青年。ときめき。青年は教師をやめ、アルプスで仲間と自給自足の生活を送っている。その素敵な風景、自由な暮しに惹かれて美しい田園を訪ねるが・・・

この映画はフランスの女性監督ミア・ハンセンが、まだ30代半ばでありながら50代の女性の揺れ動く心理を見事にとらえ成熟した映画に仕立て、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞。主演のイザベル・ユペールも主演女優賞を受賞。老いることへの不安も見せず、辛く、悲しく、切ない物語をみごとなまでに凛々しく、爽快に生きる主人公への共感を感じさせます。

現実には孤独で、涙することもある。仕事がうまくいかないこともある。いろいろあるなかで手にした"自由"ひとりの孤独をパワーとして生き抜く姿に拍手喝采!どんなことがあっても前へ前へと進む・・・そのすがすがしく、人生は過ぎ行くことばかりではなく、時には残酷なほどの時間の積み重ねだけれど、それを"自分の人生"として受け入れることの大切さをイザベル・ユペールが見事に演じています。

未来を信じ切なくてもそこには愛があり、ユーモアがあり、そして・・・未来がある。

美しい風景、インテリア、パリの空気。音楽もセンスいい。そうそう、忘れてはならないのは母親を演じたエディット・スコブが素晴らしいです。観終わったあと、背筋が伸びました。大人の女性にお薦めの映画でした。

この日はラジオ収録後に観ましたので、友人達(素敵な女友達)にもお薦めしシャンパンで乾杯し最終の新幹線で山に戻りました。花冷えのする夜でしたが、夜桜が皇居のお堀に舞っていました。水面に浮かぶ桜吹雪・・・散りゆく姿が美しく、いずれくる老いも怖くはありません。映画っていいですね。   


映画公式HP
http://www.crest-inter.co.jp/mirai/
BUNNKAMURAル・シネマ他にて。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

高橋竹山さん

津軽三味線奏者の二代目・高橋竹山さんが先日ラジオのゲストにお越しくださいました。

その竹山さんが5月27日に上野の「東京文化会館小ホール」でCHIKUZAN二代目襲名・二十周年記念コンサートを開催されます。私も伺います。

竹山さんは幼い頃に三味線に出会い11歳で稽古をはじめたそうですが、17歳の時に津軽三味線の初代・高橋竹山のLPのレコードを聴いたことがきっかけで弟子入りを志望し18歳で内弟子となり、陸奥湾に面する青森県平内町で内弟子生活をスタートします。

初代の演奏も私は何度か聴かせていただいているのですが、青森弁でのトークも素晴らしく"日本的"な津軽三味線が時にはポルトガル伝統歌謡であるファドのような音色だったり、スコットランドの民謡のようであったり・・・ジャズのテンポだったり・・・と心をわしづかみにされます。

竹山さんは内弟子生活6年を経て自立。その後も師匠とともに渋谷ジャンジャンをはじめアメリカやフランスでも演奏し「エジンバラ・フェスティバル」やアメリカのジャズフェスティバルにも参加し、数年前にはアイルランドの詩を津軽三味線で歌にもなさいました。

『竹山の魂を引き継ぐ二代目の新たな夜明け!』とパンフレットには書かれています。さまざまなジャンルの音楽家、舞踏、新劇の人々と共演し三味線と唄の新しい世界を聴くことができます。

東京文化会館 小ホール
5月27日(土)14時 開演 全席指定
詳しくは、「二代目高橋竹山オフィシャルウェブサイト」をご覧ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落語と法話

先週、京都で「柳家小三治 柳家三三親子落語会」があり、ようやく入手したチケットで行ってまいりました。

演目は小三治師匠は「馬の田楽」、三三師匠は「道場破り」。

京都でのお二人の落語を聴くのははじめてです。桜の蕾もまだ固く"夜桜"にはあと少し。でも会場は華やかさの中にも落語好き・・・独特の雰囲気があり胸をときめかせながら開演を待ちました。

小かじさんの「たらちね」から始まり三三師匠。そしておっかけに夢中の小三治師匠が登場するともう胸はドキドキ・・・今回の"まくら"は1時間。落語に入る前の"まくら"・・・今回もじっくり聴かせてくださいました。

人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのでしょう。そして、師匠の噺を聴きながら、会場が京都・・・ということもあるのかもしれませんが、師匠のお噺の内容には"笑いの法話"を感じたのです。

77歳の師匠の歩んでいらした道の後ろから、そっと耳をすませて聴かせていただくような感覚。これは「法話」でした。冷え込む京都の夜でしたが、心は満たされホカホカ。このご縁を大切にしたいと思いました。

そして、翌日は早朝に私がとても好きなお寺さん『法然院』へ。

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うっそうとした森を背景に、自然を生かした庭園。手水鉢に季節の花「椿」が浮かんでいます。法然院は、京都の東山山麓、鹿ヶ谷にあり、哲学の道から歩いて行き山のほうに折れると、幅広の石段の隅に「法然院」と刻まれた石柱が立っているだけです。石段を一歩一歩と踏み出すと木々の間から渡る風が心地よく、笹のさわさわと鳴る音に心が静まります。

総門には扉がありません。山側に墓地を谷側に竹林を抜けると茅葺屋根が見えてきます。境内の墓地には、作家の谷崎潤一郎や稲垣足穂、哲学者の九鬼周造など、お墓がいくつもあります。皆さん、この場所が好きでお墓に入りたいと願ったと聞いております。

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山門を入ると、両側に白い盛砂があります。『白砂壇(びゃくさだん)』水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているといわれます。京都の市街地にほど近い場所にありながら、この静けさ。文化人や学者が好まれたのがわかるような気がします。法話も随時聞くことができるので"もしかしたら"と思い見てみると午後からとのことでしたので出直しました。

このお寺の貫主・梶田真章さんの法話を以前にも聞かせていただいております。あくまでも自然体、穏やかな笑みを絶やさずに語ってくださいます。

『共に生きる~絆と縁、愛と慈悲』

「法然院」は鎌倉時代の初め、法然房源空上人によって開祖され、色々な歴史を経て今日にあります。梶田真章貫主のお考えで境内では音楽やアートなどさまざまな催しも行われています。30分の法話でしたが、心に染み渡るおはなしでした。

ありのまま」という本もだされています。
「佛教は、人生をいかに楽に生きるかを教えてくれる知恵なのです」と書かれています。

人付き合いや恋愛。仕事に勉強。人生への不安。
人それぞれに、大なり小なり、悩みはあると思います。
悩むのだけれど、悩み傷つくこともあるのだけれど、ありのままに、心豊かに生きていきたい。多くの人がそう願っているのではないでしょうか。

この本は「ていねいに暮す」について書かれています。
日々心がけたい私の思いの答えがちりばめられています。

   落語の"まくら"と"法話"

石段を一歩づつ下りながら、深呼吸をしました。
このご縁に感謝です。
法話をしてくださったご住職の横には『縁起』と書かれていました。
そう・・・人も動物も、植物も、みんな支えあって生きているのですよね。

桜満開の京都も素敵ですが、ちょっと早いとこの静けさです。


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仕事帰りの寄り道

子供が幼い頃は、仕事を終えるとまっしぐらに家に帰り、ジャケットを脱ぎエプロンに着替え台所に・・・という毎日でした。

子どもたちが巣立った今、このような幸せの時間を神さまに与えていただき感謝の日々です。私の仕事は地方も多く、また東京には毎月かならず2日は出かけます。文化放送のラジオ"浜美枝のいつかあなたと"の収録があるのです。毎回素敵なゲストをお迎えしてのトークは、寺島アナウンサーとともに楽しみな時間です。だいたい2時前には終了するので、箱根の山に戻るまでの時間は私にとって至福のときです。

映画、落語、美術館・・・観たい・聴きたいところはあらかじめ調べ手帳に書いておきます。たまには友人とのお食事なども。

仕事帰りの寄り道美術館」(自由国民社)素敵な本です。

いつもより早く仕事がおわったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。
(仕事帰りの寄り道美術館より)

東京駅周辺・銀座・品川・六本木・渋谷・恵比寿・上野・秋葉原・竹橋・両国・馬喰町・・・少し足をのばして吉祥寺や三鷹など、日常からすこし自分を解放し"自分に向き合う"時間。たまらなく好きです、こういう時間が。

ラジオのゲストの素敵なお話でちょっと興奮している自分に、一息いれるお茶の時間。都会にも緑がたくさんあります。春の日差しにやわらかく包まれてのひととき、これから出逢う絵画に思いを馳せ心のウォーミングアップ。

先日は丸の内にある「三菱一号館美術館」へ"オルセーのナビ派展"を観にいきました。

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展示室は、明治期のオフィスが復元されているので見やすい小さな展示室が連なります。もとは1894年、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計。多くのレンガが使用され窓や階段も当時の技術の確かさが感じられ、よくここまで復元できたと思います。一号館広場も素敵です。

19世紀末のパリで、前衛的な芸術活動に取り組んだナビ派。ゴッホやセザンヌ、アールヌーボーの装飾芸術の陰にかくれた"ナビ派の運動"の全体像を観ることができる日本で始めての展覧会です。日本絵画の影響を受けたといわれるピエール・ボラールの「格子柄のブラウス」なども華やかさの中の日常が素晴らしいです。オルセーのナビ派コレクションの充実に目をうばわれます。

ゆっくり観て帰りは併設されている心地よいカフェでアートの余韻を楽しみます。かつて銀行の営業室として利用されていたそうですが、高い天井、クラシカルな空間は、ひとり余韻を楽しむにはもってこいの場所。歩きながら東京駅までの道のり・・・心地よい気分で「そう、明日もがんばろう」なんて思いで山に戻りました。

三菱一号館美術館 公式ホームページ
http://mimt.jp/

展示は5月21日までです。

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日本民藝館

仕事帰りに渋谷から京王井の頭線に乗り、駒場にある日本民藝館に行ってまいりました。

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創設80周年特別展『柳宗悦と民藝運動の作家たち』が開催されています。バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、棟方志功、片野元彦、黒田辰秋、金城次郎らの作品が展示され、民藝の美に触発された作家たちの仕事が身近で見られます。中央の部屋のダイニングテーブルに置かれた作品。それぞれの部屋にかざられている作品、どれもが『用の美』そのもの。

中学時代、図書館で出会ったのが柳宗悦さんの本でした。『民藝とは何か』もまったく理解しておらず、民衆が日常的に用いた工芸品の美しさにただただ惹かれていきました。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本人」をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の創始者として知られる方です。西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、.「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。むずかしいことなど当時わかるはずもなく、私が感じる「美しいな~」と感じる風景。たとえば、父の徳利にススキを挿し、脇にはお団子を飾り、家族で楽しんだお月見の夜・・・。ススキを活けた徳利に、月の光があたったときなど、曲面に反射する光りのおもしろさに「わぁ、きれい」・・・と感嘆していました。

地方を旅するとその地方文化の価値が美しいと感じてきたのもやはり「民芸運動」に触発されたからでしょう。

近頃また「民芸」に注目が集まり、日本民藝館の今回の展覧会にも大勢の方が作品に見入っておられました。私はこの40年近くひたすら"なぜ用の美にこれほど惹かれるのか"を考えてきました。今回は民藝館に3時間ほどお邪魔し、椅子に座りながらその空間を楽しみました。柳宗悦は「作家の品と民藝品」でこのように述べています。

「人間はとかく、ものを分別して考えますもので、何事をも二つに厳しく区別して了います。ものを分別して判断する以上、之は避け難いことでありますが、どうして吾々は分けるより、分けないで見る慣わしを、もっと身につけないのでしょうか」と。

濱田庄司も河井寛次郎も『無銘の境地』に心を徹していったのでしょう・・・ということも書かれています。だから署名をしないし、落款もしるさなかったのでしょうね。物事には有名・無名とかの区別ではなく「美しい・・・と感じる心」が大切だということを私は民藝から学びました。

最初にお話し申し上げたように、女優としての不安のさなか「民藝」が私を優しく包みこんでくれました。

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帰りぎわ民藝館の玄関を出ると白木蓮の花が満開でした。そして、わが家へと箱根の山を上がってくると淡雪が漆黒の闇の空を舞っていました。まるで牡丹の花のようでした。

もし「民藝」にご興味のある方は「民藝とは何か」柳宗悦著(講談社学術文庫)が読みやすく入門書になります。

特別展は3月26日(日)まで。
日本民藝館の公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/

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海は燃えている

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久しぶりに静かな感動をおぼえる映画に出会いました。
また、報道では伝えられない真実を知ることができました。

想像力に富み、現代を生きる私たちに必要な映画。今すぐ見なくては!
(女優メリル・ストリープ 、第66回ベルリン国際映画祭審査委員長)
 
やさしい映画。お互いを思いやり、手を差伸べ合うことがたいせつ。そう気づかされる(フランシスコ・ローマ法王)

印象派の絵画のように、観るものを夢中にさせる(ニューヨークタイムス)

無関心への有効な一撃 (リベラ シオン)

この映画は、第66回ベルリン国際映画祭・金熊賞(グランプリ)を受賞。監督はジャンフランコ・ロージ。1964年、エリトリア国マスマラ生まれ。独立戦争中、13歳で家族と離れてイタリアへ避難。青年期をローマ、イスタンブールで過ごします。その後ニューヨークに移住し数々の国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しています。

あるとき、私は地中海に面したチュニジアに行きたくて計画をたてていました。具体的に決めさぁ行こう!というときに「アラブの春(ジャスミン革命)」が2011年に始まり残念ながら見送らざるをえませんでした。2015年のノーベル平和賞がチュニジアだけに与えられました。民主化に成功した「国民対話カルテット」が受賞の理由です。

この映画はチュニジアからもっとも近い、地中海のシチリア南方にあるイタリア領最南端の島・ランペドゥーサ島が舞台です。面積は鹿児島の与論島とほぼ同じくらい。島の人口は5500人に対して年間5万人を超える難民、移民がやってきます。

監督が始めてこの島に行ったのが2014年秋、国際映画祭で上映する10分の映画を撮るためだったそうです。そこで出会ったひとりの医師が20年もの間、救助された移民、難民の上陸に全て立会ってきたことを知ります。病院にいくも者、難民センターに行く者、死亡した者を振り分けるのは彼です。彼は相手が映画監督とは知らずに医療施設、人道救護などについて語ります。

濃密な話し合いの後、「自分の手で触れるよう」にと誰にも見せたことのない写真を見せられ、それを胸がはり裂かれるような思いで見つめ、これは自分の次回作にしなければ・・・と思ったそうです。そして1年半、島で暮らし地元の人々と知り合い、語り合い、その日常生活、リズムなどを経験します。映画の重要な役割を担う少年との出会い、島に暮す少年の慎ましい日常や医師、島民たちの暮らし・・・などがベースになっています。

その一方で、アフリカからの難民がヨーロッパへの通り道として上陸する島。その島を舞台に、現代社会が抱える問題についても描かれています。真正面からではなく、過剰なナレーションもなく、主観も入れず、静かに映像は、私たちに語りかけます。人間の尊厳、優しいまなざし・・・ロージ監督が映す画は、淡々としながら威厳があり、私は「どこか人事のように思っていた」ことに深いため息がでました。

それにしても美しい映像です。難民と島民が二重構造で描かれ、大量の死が私たちの間近にあることを知らずに生活していることを、考えさせられました。

渋谷・文化村で3月中旬頃まで上映されています。

映画の公式サイト
http://www.bitters.co.jp/umi/

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ラ・ラ・ランド

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(写真出典:映画公式サイトhttp://gaga.ne.jp/lalaland/)
 
映画『ラ・ラ・ランド』を観てまいりました。

アカデミー賞主演女優賞はじめ数々の賞を受賞した作品。

まず冒頭のシーンではタイトルが出る前に圧倒され魅了されました。その高速道路でのシーンでは埋め尽くされた車の列が映し出され、車の屋根やボンネット、そして道路で群集が踊り歌い、それを4分40秒まるでノーカットのように見せる映像とメロディーにいっきに心奪われます。本格的なミュージカル。かつてウエストサイドストーリーや数々のアメリカのミュージカルを見ていた60年代。日本でも「かつてない衝撃」と絶賛された「セッション」から2年、熱望していたデイミアン・チャゼル監督の最新作が『ラ・ラ・ランド』です。

舞台はハリウッド。映画スタジオのカフェで働く女優を目指すミア(エマ・ストーン)。オーデションを何度も受け続け夢に向かって進む彼女(アカデミー主演女優賞受賞)。そしてピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)。渋滞の高速道路で中で偶然出逢ったふたり。今回の映画はニューヨークではなくロサンゼルスが舞台。だからでしょうか、二人の出会いと恋、夢、それを「冬」から「秋」へと季節ごとに章分けで描かれるのですが、原色を強調した色彩がとても美しいのです。

衣装・部屋・照明、景色、空の色・・・かつてのハリウッドミージカルを彷彿させる豪華なセット。歌と踊りだけではなく、ふたりが夢を実現させるためには別れも訪れる。切ない人生と夢をドラマティックに描いていきます。それにしてもライアンが弾くピアノの見事なこと!「ずっと習いたかったピアノを習える絶好のチャンスに飛びついた」と語っていますが3ヶ月の猛レッスンであそこまで弾きこなすとは見事なプロ根性です。エマ・ストーンの踊りと歌も完璧すぎないリアルさが心地よいです。直前まで舞台「キャバレー」に出演していたとのこと。

先日、鈴木清順監督が93歳でなくなりました。

この「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督は、清順監督の美学に刺激され影響をうけたといわれています。それが、何かは・・・観ての楽しみにしてください。久しぶりに音楽への愛、情熱を堪能いたしました。

そうそう、映画の開巻、画面が横に長く広がり、『シネマスコープ』と出てきます。このワイドスクリーンはハリウッドの黄金時代のミュージカル大作に多く使われていました。しかし、見事なまでに「今」の時代のミュージカル映画です。

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「蜂蜜と遠雷」

今週は東京でラジオの収録、大阪での講演と旅が続き、新幹線の中で至福の時が持てました。

そうなのです、この2週間あまり私にとって時間ができると読み続けていた本、恩田陸さんの「蜂蜜と遠雷」は第156回直木賞受賞作品です。

この作品についてのコメントは、私のつたない文章では到底表現することは不可能です。人生で始めて経験する感覚。生まれて初めての読書体験。ただただ感動するばかりです。

演奏シーンを文字が追いかけながら・・・頭の中には素晴らしい音楽が響きわたりその演奏に引き込まれてゆく・・・文字の中から音楽が響く・・・こんなことってあるのでしょうか。

舞台となるのは3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールが舞台です。世界の若手の登竜門として注目をされているコンクール。オーデションに参加するそれぞれの人物。そこにはドラマがあり、審査員たちが困惑するほどの演奏。小説ですから詳しく内容は書きません。

帯には『私はまだ、音楽の神様に愛されているのだろうか? ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描ききった青春群像小説』と書かれています。

ある新聞のインタビューに著者の恩田陸さんは答えておられます。

「日本人の耳は、虫の声や松籟、風やせせらぎなど、通常ノイズ(雑音、騒音)として処理されるものを音楽として聴いていると言われている。自然界の音から、某かの意味を読みとってきたとも言い換えられる。」

「言葉は、楽譜のようなものだ。ある人にとってその言葉が「意味のある」ものならば、必ずそこに音楽を聴くことできる。人は、文章を通して自分の頭の中に至上の音楽を鳴らすことができる。そのことは、読んでくれた皆さんが、実感してくれ、この賞をいただけたことで、ある程度証明できたのではないかと思う」と。

クラッシク音楽には詳しくない私。小説の中に出てくる曲目も半分は聴いたことがないのですが、知識がなくとも、知らなくとも、頭の中にはその音楽の素晴らしさが聴こえ、その風景がみえてくるのです。

寝る前には本を読み、CDを聴きながら一日が終わります。

いつもの椅子の横に読む本を2冊くらい置きながらが日常なのですが、この「蜂蜜と遠雷」は読み終わるのがもったいなくて、別の場所に置き大切に・・・大切に読んでおります。

あと20ページくらいで終わってしまいます。エンディングが待ちどうしいのですが、週末の楽しみにとっておきます。

この作品は構想から10年近くの歳月がかかったそうです。

恩田 陸さん"ありがとうございました"  
至福のときをいただきました。

そして、また旅に持参し、日本の風景の中で読み直したいと思います。


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映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』

ニューヨークでファッションモデル兼フォトグラファーとして活動しながら6年間もビルの屋上を寝床にしていたマーク・レイ(当時52歳)。

これはドキュメンタリー映画です。

世界一スタイリィッシュなホームレス、マーク・レイ。彼はストリートスナップの撮影やファッションショーの取材をする傍ら役者業もこなす。若い頃からモデルとして活動してしてきた長身でルックスもよく、チャーミングな彼がなぜ、屋上で寝袋にくるまってホームレス?どうみたってその姿は一見、成功したニューヨークの富裕層にしか見えない・・・。

朝は公園での洗顔、わが家のごとくジムや公衆トイレを活用し、身なりを整える。ジムのコインローカー4つに入れた全財産。家財道具は何一つ持たず、たまには友人たちと素敵なレストランでの食事をとるくらいの余裕はあり・・・かつては「ミッソーニ」のモデルやフランス版ヴォーグ誌にも載ったこともあるマーク・レイ。マンハッタンにアパートを借りたり、家を持とうとはしない。持てない。

そんな彼に元モデル仲間で、オーストリア出身のトーマス・ヴィルテンゾーンはニューヨークで久しぶりにマークと再会し、彼の秘密を知り驚愕したといいます。

3年間ホームレスの彼に密着し、この作品が生まれました。「何でも起り得る街、ニューヨーク」。しかし、このようなストーリーが映画になるなんて私には想像もできませんでした。3年間200時間を超える映像を編集して作られたこの作品は「ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭2014で審査委員賞」「キャツピュール・フイルムフェスティバル2014、ベスト・ドキュメンタリー賞」を受賞します。

映画の中の会話はすべてマーク・レイが発することば。二人は20年以上前、共に男性モデルとしてファッション業界で働いていて輝かしい人生を共に追い求めていて、ニューヨークで再会した時のマークはホームレス。しかも50代前半の彼はまだ見栄えもするルックスで立派な服装(1着だけもっていて)落ちぶれた様子など微塵もなかったそうです。あり得ない話・・・だと監督は思ったそうです。そしてすぐに、彼のニューヨークでの生活をドキュメンタリー映画を撮りたいと思ったそうです。

監督は語ります。

「友人として私を信頼し、自分の物語を世界に紹介してくれたマークにはお礼を言っても言い足りないほどだ。これほどの長期間に渡る冒険を始める時に沸いてくる障害や疑念をすべて捨て去った。まさに冒険だった。キャノンEOS 5D MarkIIと音声レコーダーを持ち、マークと私2人だけで、彼の人生を記録していった」と。

すべて撮り終わってからの編集が素晴らしいのです。監督はこうも語ります。

「私は、マークの個性をこちらが判断したり、こうだと込めつけたりすることなく、余計なベールいっさいかけずありのままを見せたいと思っていたが、同時に彼を、一個人としての枠を超えて、物語を語る上での媒体として使いたいと思っていたのだ。」

      無上の喜びを追求せよ
       だがそれには
    悪夢の中で生きる覚悟がいる

      BY マーク・レイ


音楽は俳優クリント・イーストウッドの息子、カイル・イーストウッドのニューヨークジャズがこの作品にぴったりの即興演奏で心地よいです。

それにしても・・・ニューヨークの光と影。モノが溢れた世の中、アメリカでは貧困が拡大し、1%の持てる富裕層とその他99%の階層との落差。現代のアメリカが抱える問題。とにかく映画の中のマーク・レイは多少の影も見せますが、幸せそうなのです。考えさせられたドキュメンタリー映画でした。

映画公式ホームページ

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パリ・恋人たちの影

皆さま(同世代の方)は1960年代はどんな映画をご覧になっていましたか?

私は圧倒的にヌーヴェルヴァーグが多かったです。女優になりたての頃、所属していた東宝の方に「カンヌ映画祭」に連れて行っていただき、「監督週間正式出品作品」でジャン・リュック・ゴダール、ロマン・ポランスキー、フランソワ・トリュフォー監督などに強烈な印象を受けました。

その時代『ヌーヴェルヴァーグの"恐るべき子ども"』といわれたのが今回の"パリ、恋人たちの影"の監督で16歳で短編映画監督としてデビューした、フリップ・ガレル監督なのです。68歳になった彼の最新作です。

共同脚本、撮影監督は「昼顔」「満月の夜」「勝手ににげろ・人生」など数々の名作を世に送り出し映画界をリードしてきたベテランたち。

モノクロの映像美に、いえモノクロだからこそ映る透明感のある色に、魅惑的に描く監督に脱帽です。ストーリーは骨子だけとりだせば、どうということのない夫婦とそこにかかわる男と女。ある意味フランスらしい物語。

主人公は中年の映画監督ピエール。その彼に寄り添うように妻マノンは彼の才能を信じ、第二次大戦中の対独レジスタンスに参加した老人の記録映画を撮っています(これが後の話に大きくかかわってきます)そんな彼が若い娘と恋に落ち、また妻も別の男と通じていて・・・それを知った夫は妻に詰め寄り男と別れさせる。

監督はインタビューで語っています。「私にとって女性と男性は対等です。社会はつねに男性には寛容ですが、女性にだって同じ権利があるはずです」

モノクロ・女優たちはノーメイク、ガレルの目は絶えず愛をテーマに撮り続けてきて、68歳になりその研ぎ澄まされた感性の中に哀しみや愛おしさが体現されていて、映画を観終わり傷つきながらも、孤独を抱えながら、愛に光りをあて続けてきた監督がとらえた世界は宝石のように見えました。

ガレル監督らしい素敵な映画を堪能できました。監督の息子ルイ・ガレルのナレーションが秀逸です。(渋谷のシアター・イメージフォーラム他にて)

映画公式ホームページ
http://www.bitters.co.jp/koibito/

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豊かな人生を送るヒント

主婦の友社から出ている雑誌「ゆうゆう」が創刊15周年を迎えられました。

"おめでとうございます"

50代からの女性の上手な年齢の重ね方、生き方、暮し方などを紹介してくれる素敵な雑誌です。私も時々出させていただいておりますし、暮れにはひと足早い「クリスマス会」をわが家で読者の方々とお茶をご一緒して楽しいひとときを過ごします。

今回、創刊から現在までを振り返り、人気のあった企画をピックアップし、『豊かな人生を送るヒント』として一冊のムック本がでました。

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「人生、面白がってこそ」では作家の素顔、佐藤愛子さん、瀬戸内寂聴さん、曾野綾子さん、田辺聖子さん。やはり人生の達人です。拝読し学ぶことばかり。

「50代からの友達づくり」は内館牧子さんと吉永みち子さんの対談。「私たち、性格も生活信条も違う。でも違うからこそ話していて面白い!」と吉永さん。『友達とは?』を教えてくださるお二人。私は大ファンなのです、お二人の。憧れます、こうゆう友情に。つい"おひとりさま"を怖がりすぎる・・・と内館さん。「友達はいなければ、いないでもいい」。そんなふうに思うことも実は必要じゃないかな」とおっしゃる吉永さん。お二人とも仕事を持ち、様々な人生を経験して・・・今日を素敵に生きていらっしゃいます。

「言葉が紡ぐ女優の人生」には市原悦子さん、草笛光子さん、八千草薫さん、岩下志摩さん、松坂慶子さん、浅丘ルリ子さん、木の実ナナさん、中尾ミエさん。

「生きる力が沸く 元気習慣」では私が尊敬する生活評論家、今年95歳の吉沢久子さんと消費生活アドバイザーの河部絢子さんとの対談。

「くよくよしない、ストレスをためない。きちんと食べて、ちゃんと寝ることが大事。」と吉沢さんはおっしゃいます。ある意味65歳になってから本格的に仕事に没頭できたのではないでしょうか。「基本的にはのんきな性格」だとか。でも吉沢さんの生き方には「人生のエッセンス」がいっぱい。そうですよね・・・くよくよしたってはじまりませんものね。思わず読みながらうなずく私。

「ひとり達人の極意」や、定年夫と楽しく暮す「妻の心得帳」などなど。

そして、人生を味わい深くする「映画の時間・本の時間」
私は映画の時間で出させていただいております。 
「映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます」
私が今まで10代の頃から観てきた映画。
大人の恋の気分にひたりたいとき  『カサブランカ』
青春のきらめきに再会したいとき  『追憶』
セクシーな男性に魅了されたいとき 『ドクトル・ジバゴ』
人生に緊張感をもちたいとき    『クロワッサンで朝食を』

まだまだご紹介したい映画はたくさんあるのですが・・・。

そして、感動した新作映画のお話などを昨年インタビューしていただきました。映画にたいする想いや、魅力についてなど。私は出演するより観るほうが好き(笑)です。古い映画でも何度も何度も見直すと過去の自分を振り返ったり、そのときの自分に重ねたりして毎回感動を得られます。

『ゆうゆう創刊15周年スペシャル』(主婦の友社・定価540円)  
お手にとってご覧ください。素敵な一冊です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはお正月どのようにお過ごしになられましたか。

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元旦の明け方、庭に出てみると日の出前の光がほのかに茜色に染まり「初晴れ」の予感がいたしました。そう・・・元旦は箱根の山は穏やかな光が射し、富士山も素晴らしい姿を見せてくれました。

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私のお正月は箱根神社に参拝し、お節をいただき、2、3日は「箱根駅伝」の応援。わが家のすぐ下が駅伝のゴール地点です。今年もたくさんの感動を選手の皆さんからいただきました。

そして、5日は恒例になっている上野の鈴本演芸場に平成29年正月初席「吉例落語協会初顔見世特別公演」を聴きに行きました。

お正月は多彩な顔ぶれ。粋曲は柳家小菊さん。三味線の音色に和服姿の小菊さんの都都逸から、柳家権太郎さん、お正月らしい太神楽社中の寿獅子舞い、そして・・・もう恋なのかもしれないというときめきをくださる柳家小三治師匠。

追っかけに夢中です!人間国宝の師匠には失礼なのですが、人間の可愛らしさ、愛おしさをこれほど体現してくださる方がいらっしゃるでしょうか。師匠の「噺のマクラ」の面白さといったら・・・日常の出来事や、興味のあること、普通にとりとめもなく話すだけなのに、胸をときめかせてくれます。

師匠の落語は、登場人物のもつ空気感というものまでじんわり伝わってきます。時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じとれます。"そこに生きている人たち"の会話を聴いて、思わずクスッとしてしまう。

『笑う門には福来る』と昔から言われますが、新年を迎え演芸場に笑い声が響きます。

先週のある新聞に「笑う門には健康来る」と掲載されていました。医学的に「笑い」は様々な健康効果があるそうですね。新年を迎え、今年は去年よりも「明るくよい年にしたい」と願う人たちのような気がしました。さぁ~、皆さんも大きな声を出しで笑ってみましょう!

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そして、演芸場では紙切りの林家正楽さんの"お客さまのご注文"での紙切りが続きます。門松、鶴、可愛い女の子は「ピコ太郎」のご注文。

正月初席のトリは小三治師匠からお弟子さんの三三師匠へとバトンタッチされました。

人生のすべてがあるといわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。

今年は世界中で様々なことが起こるであろうと予測されます。

落語のように「人間に対する優しさ」で解決できないものでしょうか。

七草粥をいただきながら、豊作や無病息災を祈りました。
2017年が皆さまにとって幸多かれとお祈り申し上げます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

感謝をこめて

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一年間書きつづったブログをお読み頂き感謝申し上げます。

2016年もあと二日。皆さまはどのような年でしたでしょうか。
世界に目をはせれば色々なことがあった年でした。

私は今年も旅を続けました。
人に出逢い、人から恩をいただき、今年も終わろうとしております。

旅は昔から賜ぶ(たぶ)と書いて、旅。
旅をつづけるなかで、いろいろなことを与えてくださった方々にも感謝いたしますし、今度は私も差し上げられるようになりたいと、いま、思っております。

いただく心より、ちょっとだけ、差し上げられる心のほうを多めにしていきたいな、これからの旅に対する私の心構えです。

明日は除夜の鐘を聴きつつ年越し蕎麦を食べ、来年の夢や目標を静かに考えたいと思います。

2017年、来るべき年が平和で皆さまにとって佳い年になりますように、寒さ厳しき折から、ご自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

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古川祭り・ユネスコ無形遺産

「山・鉾・屋台行事」がユネスコの無形文化遺産に33件が登録されました。全国をこれまで旅をしてきて、こうした素晴らしい祭りに私は何度も出会ってきました。木工・漆・染物など伝統技術によって継承されてきた祭り。まさにこれらの祭りは「地域の宝」です。

その33件の中に飛騨古川の「古川祭りの超し太鼓・屋台行事」も入りました。

あれは40年ほど前になるでしょうか。古民家探しの旅の途中、飛騨高山の先の古川町でひと休みしていたら、ある青年がやってきました。「僕たちどうしても映画を作りたいんです。」

彼は青年会議所のメンバーの一人でした。「何の?」「ふるさとを見直す映画です」。その真剣なふるさとを思うまなざしに引き込まれてしまい技術的にはお手伝いできないけれど、仲間を紹介しささやかなお手伝いをし、8ミリの超大作「わがふるさとに愛と誇りを」は2年半の歳月をかけて、出来上がりました。

制作予算なんか全くないも同然、青年会議所のメンバーも持ち出しでの映画作りでした。街の人たちも皆んな手弁当。自分たちの生まれ育った町、その中で何を受け継ぎ、何をのばしていこうか・・・真剣です。

旅先で知り合った大切な仲間たちが私の生涯の友です。

大ヒット映画アニメ「君の名は」では架空の田舎町になっておりますが、飛騨古川であることは観てすぐにわかりました。駅、図書館・・・田園風景。映画のヒットにより土日ともなると若い観光客が町中に溢れていると古くからの友人の手紙にありました。

今回の無形遺産登録はどこの地でもそうですが、自分たちの暮す町の文化を守る・・・という強い熱意が伝わります。

古川祭りは気多若宮神社の例祭として毎年4月19、20日に行われ、それはそれは厳かで、勇壮です。

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[写真提供:飛騨市公式観光サイト]

神社本殿での神事、古式ゆかしい「御神興行列」(飛騨の匠の技が随所に施されている屋台)と「起こし太鼓」(毎年3月第1日曜日)。

起こし太鼓が動き出すと男達の熱気が広がり町中が高揚感に包まれます。男性が主役の祭りですが、家を守る女性は子ども達にお菓子をくばったり・・・と陰で支えます。飛騨古川は老若男女すべてが協力しあう、それが古川祭りです。

その祭りを長年守ってきた中には私の仲間たちもいてくれます。

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[写真提供:飛騨市公式観光サイト]


新たな取り組みも行われ、飛騨の里に欧米人観光客も多く訪れています。それは「よそ者」の新しい息吹が入り、新たな仕掛けが里山の風景をさらに魅力的な街へと変身させているのです。

どこでも高齢化の傾向が強まる中で"キーパーソン"が求められています。自分たちの手でこの町の未来は作る・・・と動きはじめたところがいくつも出てきました。

幸せな町には幸せな人生があります。

"がんばって!"と応援したいです。
そして、無形遺産を守り続けてください。

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ひと足早い、クリスマスの集い

先日、雑誌「ゆうゆう」(主婦の友社)の読者40名の方々が我が家の「やまぼうし」にお越しくださいました。40名いっぺんには無理なので20名を2回に分けてのお集まりでした。

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楽しかった!です。同世代、ちょっとお姉さま、親子で・・・北は山形から、南は宮崎、四国と全国からお集まりいただきました。

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地元のお気に入りのケーキと一緒にコーヒータイム、そして私が少しお話しさせていただき、クリスマスのデコレーション、お花などで飾り、皆さん、おひとりお一人との記念撮影。女学生時代に返ったような雰囲気でした。夜は近くのホテルに宿泊。私も夕食前に伺い"乾杯"をさせていただきました。

その時にもお話しいたしましたが、女性が1泊で、家を空け旅に出るのは大変なことです。私は申しました。『日ごろのご褒美よ!』って。

私の好きな言葉「逢えてよかった」 

そう読者の方々と肩を抱き合い、お互いに健康に感謝し、そして出逢えたことに、今年の締めくくりの出会いに心から感謝いたしました。

こうして、クリスマスの飾りも子どもが小さい時には"子ども達のため"でも皆んなが独立してからはこうして"女同士のため"

少し早いクリスマスをお楽しみください。

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マイ・ベストフレンド

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素敵な映画を日比谷で観てまいりました。

女性にとって、時に本当に必要なのは、
恋人より夫より家族よりも、何でも話せる女友達かもしれない。
人生の途中でどんなことがあっても、信頼できる友達がいれば、
笑顔の力で乗り越えていけるーーーー。

(パンフレットより)

オーストラリア出身の女優トニ・コレットとアメリカ・カリフォルニア州出身のドリュー・バリモアの二人の友情を描いた作品です。

トニ・コレットの母親役には、あのイギリス出身のジャクリーン・ビセット。1944年生まれ、ロマン・ポランスキー監督の「袋小路」(66)で正式デビュー。

フランソア・トリュフォー監督の名作「映画に愛をこめてアメリカの夜」(77)に出演しフランスの最高位勲章レジオンドヌール勲章を受勲するなど、私は以前からとても興味を持って拝見してきた女優さん。

女の友情は移ろいやすく、もろく、でも確かな人生での友情は存在することを教えてくれます。

親友の二人。対照的な人生を送りつつも、それぞれ幸せに暮してきた二人に突然、ある日ミリー(トニ・コレット)に乳がんが見つかる。

ジェス(ドリュー・バリモア)は不妊治療が実をむすび・・・。「幸せ」と「不幸」が同時に訪れ、周りの人々の想いや「死生観」を監督のキャサリン・ハードウイックが女性監督ならではの繊細で、でもユーモアをもって、まるで主人公の二人が子どものころからの親友であったかのような(二人はこの映画で初競演し、本当の親友になったそうです)自然体の演出に喝采!です。

暗くなりがちなストーリーを癌になったあとのミリーが圧巻の演技。ヘア&メイクも素晴らしいです。トニ・コレットは役のためには美しい髪をバリカンで実際に刈ってしまう・・・女優根性がスゴイ!また美しい。笑ったり、涙したり、考えたり・・・素敵な午後の映画鑑賞でした。

何よりも『愛の尊さ』を教えてくれます。

11月18日より、東京・TOHOシネマズ・シャンテほか全国ロードショー
映画公式サイト http://mybestfriend.jp/


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ポーラ美術館

箱根・仙石原の自然の中に佇む「ポーラ美術館」で現在素敵な企画展が開催されています。

『ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ(境界線への視線)』です。

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出典:ポーラ美術館公式サイト

20世紀初頭の都市の周縁には、移民や貧困者が住み付き首都が拡張されていったのだそうです。現在のパリを歩くと、都市の風景はその当時の面影を絵画や写真では見るこたができても産業革命以前の"古きパリ"を見つけることは中々できません。この展覧会では19世紀末から20世紀初頭にかけての「境界の時代」を観ることができます。パリは変革のときだったのですね。

パリに1913年到着した越境者レオナルド・フジタ(藤田嗣治1886-1968)もまた境界線に惹かれた一人です。展覧会ではフジタの「巴里城門」が展示されています。パリに着いて翌年に描かれた作品。城壁の外側からの寂しい情景は寂寥感がにじみます。フジタの越境者としての原風景なのでしょうか。

また、フジタの働く子ども達を描いた「小さな職人たち」の小作品も素晴らしいです。少年少女の頃から生活のために働き始め、仕事に打ち込む姿を優しいまなざしで描くフジタ。パリという都市の変革を支えてきた子ども達。「乳白色のフジタ」にはない初期の作品は心に響きます。

そして、今回の展覧会で一番興味をもったのは「写真家アジェ」でした。アジェは古い都市のみではなく、消えゆく運命にあるすべてに目をむけました。アジェの写真が、フジタをはじめルソーや多くの芸術家たち、アヴァンギャルドの一派にもいかに影響を与えたかがよく分かる展覧会です。パリの下町、マリー橋、サクレ・クール寺院、くず屋・・・などなど、現在は感じることのできないパリの郷愁を見せてくれます。

強羅からバスで、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けその先にあるポーラ美術館は光の降り注ぐ自然と共生している美術館です。アプローチブリッジを渡り、ガラス張りのエントランスホールを抜けると地下2階まで太陽の光が降り注ぐホール。この美術館は常設展も素晴らしいです。ルノアールやピカソ、クロード・モネなど印象派の絵画を堪能できます。

今回は午後からでしたので散策できませんでしたけれど"風の遊ぶ散歩道"が全長670メートル、ブナやヒメシャラ、ヤマボウの木々を小鳥達がさえずり、自然の中で心休まる散策ができます。

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箱根に住み40年の私は、この晩秋から初冬にかけての季節がとても好きです。紅葉の美しい季節、のんびりと散策と美術館にいらっしゃいませんか?
小さな旅ができます。

2017年3月3日まで
開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
会期中無休
ポーラ美術館公式サイト

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

映画「男と女」

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皆さま~・・・あの"ダバダバダ~"のメロディーで知られるクロード・ルルーシュ監督の『男と女』が、50年ぶりに鮮やかな映像と音でよみがえりましたよ!

日本初公開は50年前の10月15日だったそうです。その記念すべき10月15日、恵比寿ガーデンプレイス内「YEBISU GARDENN CINEMA」で初日を迎えました。50年前公開の時、私は22歳。主役のアヌーク・エーメのシックな衣装に魅せられ、メロディーに酔い、俳優達の演技やスピーディなレース展開に強烈な印象を受けました。公開時29歳だった若き監督、クロード・ルルーシュ。

早朝一番のバスで芦ノ湖の向こうに美しく見える赤富士を眺めながら下山し、恵比寿の劇場に向かいました。10月15日・1回目の上映です。早朝の秋晴れの美しい都会は清々しく、まさに映画日和でした。上映までの1時間は周辺を散策し、お茶を飲み、50年前の自分自身を振り返りました。「007は2度死ぬ」への出演が決り私の人生が大きく舵を切り、新たな道へと進みはじめた時期だったと思います。

10時10分、映画が始まると「男と女」ではなく、いきなり1台の車(フェラーリ275GTB)が夜明けのパリをアクセル前開で走りぬける8分28秒のルルーシュ監督の幻の短編・ドキュメンタリー『ランデヴー』が始まります。「男と女」から10年後、ルルーシュ自らがハンドルを握り、豪快なエンジン音、ハンドルの振動が観る側に伝わり、凱旋門、コンコルド広場、オペラ座、ピガール広場と駆け抜けていくのです。助手席にいるような錯覚になり、すでにここから『男と女』は始まっています。

1966年フランスから生まれた名作。初デジタル・リマスター版。1967年アカデミー賞外国語映画賞&オリジナル脚本賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞&主演女優賞など、賞を総なめにしたラブストリーは強烈な印象を与えました。

ただ・・・今回私は50年ぶりににこの映画を観て思ったのは「私ってなんと子どもだったのかしら」ということでした。『男と女』の心のひだ・・・うつろう想い、愛、まったく理解できていなかったことに気づかされました。そして、フランス映画のもつ奥の深さや、大人の機微。素敵です。

今、この年齢になりもう一度観ることができた幸せ。
(シニア料金で観るのが申し訳ないです(笑)
最高の"自分へのご褒美"の日でした。

当時の監督は、破産寸前で映画を撮るお金もまったくなく低予算で作られたことなどが、初日のサプライズで明かされました。そう・・・主役のアヌーク・エーメの夫役ピエール・バルーが来日され壇上で語ってくださいました。エピソードや音楽も手がける彼は歌まで口ずさんでくれました。キャストも含めわずか13、4人のスタッフでの撮影、主役の二人は車の中のシーンなどではライトを手に持ち照明もつとめたこと、ロケはわずか3週間ほどだったこと、などなど、今年83歳のピエールは「今でも当時の仲間とは仲良く交流がありますよ」と語ってくれました。飛行機の都合で当日の朝、成田に着きそのまま映画館に駆けつけてくださいました。

人生ってコツコツと積み重ねてくると、神さまがご褒美をくださいますね。
そんなラブリーな一日、日暮れ前にまた芦ノ湖の向こうの富士山を眺めながら家路へとつきました。


映画の公式サイト
http://otokotoonna2016.com/

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世界報道写真展2016 沈黙が語る瞬間

恵比寿にある東京都写真美術館に行ってまいりました。

JR恵比寿駅東口から動く通路を歩き、恵比寿ガーデンプレイスの中に東京都写真美術館(TOKYO PHOTOGRAPHIC ART MUSEUM)はあります。

そこには静かに"沈黙が語る瞬間"がモノクローム・カラーで展示されています。

「日常生活」「一般ニュース」「自然」「人々」「スポーツ」「長期取材」「現代社会の問題」「スポットニュース」それぞれの部門での出展です。

会場に一歩足を踏み入れると、直視できないほどの衝撃を受けたり、自然の部では伐採行為や農地への転用、山火事により森林が奪われ、オランウータンの生息環境は危機に瀕している写真には胸がしめつけられます。

そして、世界報道写真大賞「スポットニュースの部1位」は、オーストラリア人の一枚のモノクロ写真でした。

2015年8月28日、レスケ(ハンガリー南部)で撮影された写真の前では言葉を失います。ウオーレン・リチャードソンはセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と幼い子どもを撮影しています。

有刺鉄線付きのフェンスが出来上がる前に、ハンガリー側へと渡ろうとするのですが、その赤ちゃんを手渡そうとする瞬間を捉えています。警備員に見つからないよう、フラッシュはたけません。月明かりをたよりに捉えた瞬間。男性が子どもを手渡す瞬間。見事な報道写真ですが、これが現実なのですね。涙が溢れてきました。

「長期取材」の部1位は写真家メアリー・F・カルバードの作品です。写真の横にはこのようなコメントが書かれていました。

「内なる戦い。米軍内では女性に対する性的暴行事件が頻発している。性的暴行について指揮官に訴えることは困難。もしくは無駄だと考える女性が多く、報告があった場合でも法廷にまで持ち込まれることはほとんどない。軍隊での性的トラウマ(MST)は、長期にわたり精神的な問題を引き起こす可能性がある。」

このように書かれています。
自殺を図った娘の写真をベッドに置き呆然と立ち尽くす父親の姿。

世界で今、何がおきているのか、真実はなんなのか・・・
会場には若い人たちが真剣に写真に見入っていました。     

10月23日(日)まで
東京都写真美術館

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映画「ハドソン川の奇跡」

「ハドソン川の奇跡」を観てまいりました。

監督クリント・イーストウッド  主演トム・ハンクス。
実際に起きた有名な飛行機事故をどう映画化するのか興味深く観に行きました。

2009年1月。米ニューヨーク・マンハッタンの上空を鳥の群れが衝突し、乗員と乗務員155人を乗せエンジンは停止し、ハドソン川へと不時着を決断する機長。着水は成功し全員の命が奇跡的に救出されます。

ここまでは日本のニュースでも知られていたので「スゴイ!奇跡だわ。」と当時思いました。英雄となった機長のその後は目にすることはありませんでしたが、映画でその後の事故調査会にかけられこのような状況があったことを映画で知りました。

まさに「裁判映画」を観るようです。大げさなアクションはありませんが、イーストウッドの演出は人間的な内面、葛藤、こうした極限状況にある危機の中でこそのその人の持っている人間性、心意気が見事に描かれています。

リアルに再現された機内も監督の手法はあくまでも冷静に、でも緊迫感あふれています。編集が見事です。カメラワークも素晴らしいです。

それにしても今年86歳のイーストウッド!この静かなエネルギーは奇跡だと思います。そうそう副操縦士のアーロン・エッカートも素晴らしいです。彼は言います。

「僕は、ジェフ・スカイルズに幸せになってもらいたいと思って演じました」と。

実在する人間を演じるということは機長のトム・ハンクスも同様だったと思います。そして、監督のクリント・イーストウッドはインタビューにこのように語っています。「なぜいま"ハドソン川の奇跡"を描こうと思ったのですか?」

『単純にいい物語だからだ。それ以外に説明しようがないね。もし若いときにこの企画に出会っていても、描くことはできたかもしれない。だが、いまのほうが監督としてたくさんの経験を積んでいるし、主人公も年配のパイロットだから理解しやすい。いまのほうがいい仕事ができると思いたいね』と。

人間には年齢ってないのかも知れませんね、情熱を持ち続けているあいだは。

映画公式ホームページ
http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/

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瑞浪芸術館

先日、岐阜県瑞浪の「瑞浪芸術館」に招かれお邪魔してまいりました。

江戸時代の茅葺民家を現代のセンスで移築し造られています。

設計は建築家の中村好文さん。温もりのある建築で知られる中村さんの作品は私の住む街の"菜の花ギャラリー"でも出会っているので、その素晴らしさに思わず"素敵"とつぶやいておりました。

中村さんはおっしゃいます。「人ってなんだろう?人の暮らしってなんだろう?ってことを考えるのが建築家の仕事だと思うんです。ステータスシンボルとしての住宅にはあまり興味がない」と語っておられます。そうですね・・・よく分かります。

私も40年ほど前に築120年~150年の古民家を移築するにあたり、これからの新しい時代の人たちに心地よい家を、との思いで職人さんと一緒に家づくりをいたしました。萱・漆喰・鉄、この芸術館はNPOが運営し、参加型の芸術館として、公開講座やワークショップ、現代作家のコレクションギャラリーとして、またコンサートや様々なイベントも行われております。入り口には野の花が活けられ、その奥には大きな壷にススキが。昔の美しい日本とモダンなスペース、そのコントラストが素晴らしい空間を演出しています。

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今回お招きをいただいたのは「森と日本人」がテーマです。

パンフレットには「古来より日本人は、神道・仏教・芸術において自然を神として崇め、あらゆる命の根源として森を大切にしてきました。森はあらゆる生物生存の元であります。今こそ、日本人の数千年来の森と共生する生き方を思い返す時なのです」と書かれています。

昨年は作家のC.W.二コルさんが基調講演をなさいました。彼は黒姫のアファンの森の再生に一生を捧げていらっしゃいます。私も何度もお邪魔いたしました。今年は6月に天皇・皇后両陛下が森をお訪ねになられました。

私は「箱根暮らし」をテーマに今まで出会った人、モノなどを話させていただきました。会場は60名が入ればぎっしり。地元はもとより名古屋からも大勢の方がお越しになられました。講演後はスタッフお手製のケーキとハーブティーで和やかなひとときを過ごしました。何だか・・・心があったかくなる時間の流れでした。

皆さま、素敵な出逢いをありがとうございました。

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翌日は瑞浪芸術館の理事長であり陶芸家の近藤精宏さんのご案内で中山道を歩きました。日本橋から数えて四十七番目の宿「大湫(おおくて)」、奥深い山の中にひっそりと佇んでいます。

本陣跡、大杉、歌川広重が描いた二つ岩、古い格子戸の家並みが続き、往時の風情が伝わってきます。どの家の前の道路も綺麗に履かれていて清々しい気持ちになります。このようなところを外国の方々にも見せて差し上げたい・・・美しい日本をみていただきたいとも思いました。

半原の集落では「半原操り人形浄瑠璃保存会」の方々で郷土芸能として保存・受け継がれてきた岐阜県重要無形民族文化財の人形を拝見しました。300年の村民の思いが伝わります。日本を旅していると郷土に伝わる伝統芸能の「火を絶やしてはならない」という深い思いをしらされます。

この辺りは国道や鉄道など近代交通が発達しておらず、交通は不便な場所だから反面、この静かで落ち着いた街並みが今もこうした往時の姿を拝見できるのでしょう。

『美しい日本』をこれから私たちはどのように残していくことができるのでしょうか。

瑞浪から中央線に乗り名古屋へ、車窓からは刈られた田んぼ、はさ掛けされた稲、初秋の旅を終えて家路につきました。

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『熱中世代』

先日、BS朝日の「熱中世代」にお招き頂き収録をすませました。

番組は作家・演出家の鴻上尚史さんとアナウンサーの進藤晶子さんの進行でした。とても素敵なおふたり!

正直申しますと私はテレビの仕事はとても緊張するのです。これだけ長くテレビに出させて頂いているのに・・・なぜでしょうか。やはり40歳で演じることを卒業し、分野が多少違うからでしょうか。

1時間番組での出演、箱根にも事前に取材があり、どんな番組に仕上がっているのか楽しみです。

子供時代・女優時代、そして「熱中世代」の50代からの暮し方や、現在の心境など『孤独って素敵なこと』の本のお話もさせていただきました。

熱中世代は50代からなのでしょうか。私はこの秋には73歳になりますが、"熱中"することが多くて、自分でもあきれております。お時間がございましたらご覧ください。

放送日 9月18日(予定)
BS朝日 8:00~9:00  
『熱中世代』

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映画 「イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~」

『カサブランカ』(42)を始め、アカデミー賞主演女優賞に輝いた『ガス燈』(44)、『追想』(56)など、どれも夢中で観た映画です。

イングリッド・バーグマンの大ファンの私には素晴らしいプレゼントの映画です。ドキュメンタリー映画・・・といっても彼女の女優として、人間として、ひとりの女性として、そして、何よりも4人の子の母親として、今までみることの出来なかった彼女の素顔、素直な言葉、意思、どれをとっても本物の"イングリッド・バーグマン"がスクリーンから抜け出てくるのです。

このような映画を撮ったスティーグ・ビョークマン監督に感謝と乾杯!です。そして、最初のご主人との間に生まれた長女(スウェーデン生まれ)、そして夫と幼い娘がありながらイタリア人監督と恋に落ち妊娠して生まれた長男。さらに双子の姉妹。

当時大スキャンダルになりアメリカを追われイタリアに7年住み、激しい非難を浴びても毅然と愛に生き、母であり、演じることを愛し、生涯現役であり続けた女優・イングリッド・バーグマン。映画の中ではそれぞれの子供達が愛する母を語る姿に胸がしめつけられます。"母に愛されていた"ことを実感できる言葉で語ります。

不思議なことって起こるものですね。
1915年8月29日にスウェーデンに生まれ、1982年、67歳の誕生日8月29日にこの世を去ったバーグマン。そして、私がこの映画を観た日が偶然8月29日。

私は映画を観る日はなるべく1時間前には近くまで行き、心のウォーミングアップをします。たまたま手にしたプログラムでそのことを知りました。8月29日。

2015年、生誕100年を迎えました。イングリットは写真、フィルム、日記、手紙、幼い頃の作文や自作の劇など思い出の品を大切に保管してありました。

そして、写真家の父親の影響で自らも写真を録り、ホームビデオ、フィルムもまわしています。特に子供達の作品はモノクロームですが、本人も素顔で撮影されているのです。この膨大な資料は子供達の手によって大切に保管されていたからこそ、今回の映画につながったのですね。

そこには自分に嘘をつかない人生が映し出されています。

当時、保守的なアメリカでも自分の人生を貫き、正直に生き、愛し合った監督とも別れ、三番目の夫はスウェーデン生まれの演劇プロデューサー。「熱いトタン屋根の上の猫」の上演がきっかけで出逢い結婚。75年に離婚後もバーグマンを支えたといわれています。すべて出逢った人たちとの関係に正直だったから愛されたのでしょう。

「愛に生きた女優」ではありますが、映画の中のバーグマンは素顔が輝くひとりの魅力的な女性(ひと)です。

子供達が語る母は「母は一緒にいて楽しい人」「生涯、勇気を持ち続けた人」「母を一言で表現するなら"チャーミング"ね」と。

日焼けを気にもとめず、海やプールで子供達と戯れる姿は神々しいほどの美を感じます。これほど家族を愛したのには幼いころの環境が影響しているのかもしれません。幼くして母、そして父、身内の人を失い、自力で学び世に出て脚光を浴びます。

彼女の「私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけ」この言葉にすべてが表れています。

家族を愛し、勇気と冒険心を忘れずひたすら誠実に生きた"イングリド・バーグマン" フアンにとってはたまらなく魅力的な映画でした。

渋谷文化村、ル・シネマで上映中です。
http://ingridbergman.jp/

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久留米への旅

先日 西日本華道連盟、西日本新聞社、テレビ西日本様のお招きで久留米での講演に伺ってまいりました。

この頃のいつもの私のパターンなのですが、講演前はなるべく前日入りして、その街を散策させていただきます。今回は運よく「石橋美術館物語1956久留米からはじまる」の最終日に間に合いました。60年の石橋美術館としては幕を閉じ、新たに久留米市美術館として生まれ変わります。

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石橋美術館はブリジストンの創業者・石橋正二郎が郷里久留米市に建設寄贈した美術館です。

最終日だからでしょうか、市民の方々でいっぱいでした。子供も鑑賞し楽しめるよう様々な工夫がされていて、東京の美術館とはまた異なる部分があり温かみを感じます。

ふるさとの画家・青木繁の「海の幸」や坂本繁二郎の「放牧三馬」、安井曾太郎の「りんご」、それにセザンヌ、黒田清輝、ピカソ、クロード・モネ、アンリー・ルソーなど等、素晴らしい作品を市民の方が熱心に見入っていました。

こうした芸術が生活の中に溶け込んでいることが良く分かります。絵画鑑賞の後、青木繁旧居向かいました。

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青木繁が多感な少年期を過ごし、その芸術の才能を育んだふるさとの家。ここは「青木繁旧居保存会」のボランティアの皆さんの管理により運営されています。いかに地元の人たちに愛された画家であるかが良くわかります。

そして、会場の久留米シティプラザ ザ・グランドホールには会場いっぱいのお客さまが出迎えてくださいました。

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伺うところによりますと、西日本華道連盟は昭和24年華道を通じて日本文化の交流と発展を目的として結成されたそうです。流派を超えての親睦団体で、韓国、台湾、モナコ、ハワイ、中国などとも交流し、活動を続けておられます。

日本の「食」もそうですが、世界を旅すると「日本文化」は憧れと尊敬を持って語られます。まず、大切なことはそれらの文化を私たちが深く知ることですね。

『明日を素敵に生きるには』がテーマでした。

会場の皆さんの笑顔がとても素敵です。

いろいろお話しをさせていただき、最後に私の大好きな中原淳一さんのお話をさせていただきました。今まで挿絵など絵画に夢中でしたが、60歳代になって展覧会で改めて、以前は気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。

『愛すること』  中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人の一人一人に愛情をこめて作って欲しいのです。窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。

世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。

ファッションだけでなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。「それいゆ」や「ひまわり」は、まさに女性のありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づきます。

「愛情深い女性でいてください」このフレーズが心に残ります。

同時代を生きてきた会場の皆さま、少し先輩の方、お若い方、とても素敵な出逢いをいただきました。

壇上を美しい花で飾ってくださった方々、心より御礼を申し上げます。またいつかお目にかかれますことを願っております。

ひとつだけ、心残りは名物の「久留米ラーメン」が食べられなかったことでしょうか・・・。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 「ニュースの真相」

何しろ主演がケイト・ブランシェットとロバート・レッド・フォードです。

ジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。アメリカで現在も続く「60ミニッツ」は1968年から放送が始まり、現在も続くアメリカCBSテレビの報道番組です。この番組に長年携わってきたプロデューサーの自伝がベースです。

ブッシュ大統領(当時)の過去の軍歴詐称疑惑。番組のプロデューサーを演ずるのが、ケイトブランシェット。そして花形キャスター、ダン・ラザーをロバート・レッドフォードが見事に演じます。時は2004年、再選活動を展開中のブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑の大スクープを放ったのです。

この事件は世界で広く報道され、そのスクープがしかし一転して、誤報か?とバッシングに遭い、二人は番組から去らざるをえなくなります。大スクープから誤報とその過程を追うドラマは「ニュースの真実」とはなにか・・・を真正面から取り上げます。

孤立無援での真実への追求、あの事件にはこのようなことがあったのか、と思い出させてくれるのと、ドラマ仕立てにはなっているものの、報道陣の覚悟と良心が感じ取れ、同じ問題が生じたら日本では、このような映画がはたして撮れるだろうか・・・と考えてしまいました。

今年のアカデミー作品賞受賞作品は「スポットライト」もジャーナリストが主人公で実話が基になっています。スポットライトは新聞記者の勝利で終わっていますが、「ニュースの真実」は違います。主人公のプロデューサー、メアリー・メイプスはこのように語っています。

『ケイト・ブランシェットやロバート・レッドフォードのような俳優が、私たちを演じてくれるなんて・・・驚いて言葉もでなかったは。私はCBSという組織とジャーナリズム、そしてジャーナリストの仕事の清廉性や重要性を信じていたわ。』と。

彼女は2004年にテレビ局を解雇になってから2005年にエミー賞グレイシー賞、多くの賞において認められています。後年、本作の原作となった自伝「大統領の疑惑ー米大統領選を揺るがせたメディア界ー大スキャンダルの真実」を出版。現在は、テキサス州ダラスで夫と息子とともに暮しています。

インタビューで印象的だったケイト・ブランシェットのことば。

『男性が優位にある業界は多いと思うわ。メディアやニュース、特にテレビニュース業界は、明らかにそうだと思う。小さい男性社会ね。でも、私がこの映画で一番気にいっている点の一つは、メアリーが母親であること、あるいは女性であることに関してくどくどと言及していないことね。女性であることはこの映画の空気感の一部に過ぎないの。だって主人公が男性なら、奥さんや子供が登場したとしても、それは些細な側面に過ぎないはずでしょ?それよりだいじなのはストーリー。それをジェームズ(監督)はわかってるの。メアリーはあくまでも敏腕プロデューサーで、ジャーナリスト。実在の彼女が求めるストリーを観客に見せたいならそうするはず。彼女はもちろん女性だけどね』と。

女は度胸!と感じた映画でもありました。

脚本家 ジェームズ・ヴァンダービルトの初監督作品です。
素晴らしい映画でした。

映画公式HP http://truth-movie.jp/
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映画 「トランボ」

皆さまはこの猛暑の中、どのようにお過ごしでしょうか。

暦の上では立秋、「残暑」の波は少しずつ小さくなるのでしょうか。私の住む箱根はお蔭さまで朝夕は初秋を感じさせてくれます。

この夏はどこへも遠出はせず、ラジオの収録以外は「映画三昧」をしております。収録後だったり映画のはしごをしての"うだるような暑さ"も映画館は天国です。前回の「めぐりあう日」から「エイミー」そして今回は「トランボ」。

"永遠の妖精"オードリー・ヘップパーンの「ローマの休日」は誰が脚本を書いたのか、私は知りませんでした。そして、ハリウッド激動期の内幕を伝えるこの映画を観るまで知らないことばかりでした。

ソ連との冷戦下の1947年、共産主義者を弾圧する赤狩りが始まり、その標的にされたのがトランボ達。「ローマの休日」を書いたのは、クレジットには脚本家イアン・マクレバラン・ハンターとありますが実は違っていたのです。

1940年代~1950年代のハリウッドを舞台にした「トランボ ハリウッドにもっとも嫌われた男」は数奇な運命を辿った一人の映画人の実像とその苦悩、そして復活、家族愛、実話です。

偽名で書いた脚本、三年後には再びアカデミー賞を受賞しています。映画には実在する俳優たち、ジョン・ウェインやカーク・ダグラス、監督のサム・ウッドなどが登場し、あの時代のハリウッドの様子が良く分かる映画です。しかし・・・私はこのような状況はほとんど知りませんでした。主演のトランボ役のブライアン・クランストンは本作についてインタビューでこのように語っています。

『私は役を引き受ける時に3つの要素を考える。1つ目は脚本そのもの。感動したか?人生が少しよくなったような気持ちで劇場を後にすることができるだろうか?2時間だけでも心配事を忘れさせてくれたなら、それは価値がある2時間だ。

2つ目はセリフ。とても変わった物語でも、うまく語る必要はある。

3つ目はキャラクターだ。本作がそのすべてを満たしていることは間違いなかった。大作ではないが大きなメッセージを秘めている。その裏に大きな思想があり、人権を求めて闘うことの大切さや、この国の憲法修正第一条の意義についても語っている。言論の自由は常に守らねばならない、どんな法律もこの自由を侵すものであってはならない、政府の行いについても同じだ。これがトランボの主張なんだ。』と。

"自由を勝ち取った国、アメリカ"そんなイメージでアメリカ映画を観ていました、これまで。私はどちらかというとヨーロッパやアジアの映画が好きでよく観ます。しかし、このような映画がアメリカで創られことに驚き、またヒューマンとは何か・・・を考えさせられた映画でした。最後の彼のスピーチには思わず涙がこぼれました。


日比谷で観ましたが、中高年の人たちでいっぱいでした。

トランボの妻を演じるダイアン・レインも素晴らしいです。来週は「ニュースの真相」を観ます。今年のアカデミー作品賞は「スポットライト」でした。どちらもジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。「大統領の陰謀」で主演したロバート・レッドフォードのフアンの私には楽しみです。

映画ってやはり素晴らしいですね。

この季節、子供の頃、お盆に乗せられた西瓜をむしゃぶりつき種を飛ばしっこしたことなどを思いだします。帰省なさった方は気をつけてお帰りください。

そして、今年も8月15日「終戦日」が巡ってきます。暗い歴史やテロの続く世界の現状から目をそらすことなく心にとどめておくために、大切にしたい「終戦日」ですね。

映画公式HP http://trumbo-movie.jp/
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めぐりあう日

映画『めぐりあう日』を岩波ホールで観てまいりました。

「冬の小鳥」でデビューした韓国系フランス人の監督ウニー・ルコントの2作目の映画です。1作目で、その瑞々しさ・・・監督自身の生い立ちをめぐる映画。一人の女性の生き方に深く感銘を受け、6年ぶりの2作目を待ち望んでおりました。出生めぐる世界は前作と同様ですが、今回の主役を演ずる女優セリーヌ・サリットが繊細な心のひだを見事に演じています。

パリで理学療法士として働きながら夫と暮すパリを離れてフランスの北部の港町に8歳の息子を連れて引越します。生みの実母を探しに。そこにはフランスの法律で実母を探す困難な状況に阻まれます。

そんな彼女のもとをある一人の女性が治療で訪れます。理学療法という実際に肌に触れてする治療。アラブ系の8歳の息子の転向先の学校で給食の世話をする老女。とにかく脚本が素晴らしいし、カメラワークも心象風景のごとく観客を誘います。

主人公が悩んでいる時のシーンは特に胸が締め付けられるような感覚になります。映画ですからストーリーは細かくは書きませんが、移民の問題、養子縁組など現代社会がかかえるテーマもおり込まれ素晴らしい映画でした。

1回目11時からの回でしたが中高年の女性たちでいっぱいでした。
映画ってやはりいいですね。

映画の公式HP
http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/

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『徹子の部屋』

先日、テレビ朝日で「徹子の部屋」の収録をしてまいりました。

東宝時代の星由里子さんとご一緒でした。40年振りの再会です。

私はバスの車掌のあと東宝にスカウトされ「若い素肌」でデビューしたのですが、「ここは自分のいる場所だろうか。いてよい場所なのだろうか。」場違いのような気がしてふと逃げ出したくなってしまうことがしばしばでした。ですから星さんとも他の俳優さんとも一緒に食事したり、遊びに行く・・・ということもありませんでした。

星さんは年齢は同じでも2年早くデビューなさっています。彼女の人生とは間逆な生き方をしてきた私。でも黒柳徹子さんという芸能界の大先輩のリードで楽しい収録でした。

振り返ると40歳で演ずるという女優を卒業しましたが、社会参画は現在にいたるまでしてまいりました。働くことが好きな私。一期一会、多くの方々との出逢いで現在の私は生かされております。

「孤独って素敵なこと」でもその思いは書かせていただきましたが、これからも「暮らしの美」を感じつつ、自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生がはじまったという気持ちを大切に一日一日を大切に歩んでいきたいと思います。

『徹子の部屋』の放送は8月1日の予定です。  
テレビ朝日12時から。
ぜひご覧ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

『フェルメールに逢いたくて・・・デルフトの街へ』

私が始めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりのヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上も過ぎたのに、やはりフェルメールは心に寄り添ってくれている・・・そう感じ、このたび出版した「孤独って素敵なこと」の"終わりに"にも以下のようなことを書きました。

『フェルメールの朝を思わせる清浄な光。
何げない日常に注ぐ眼差しの温かさ。
それらの中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだ・・・と。
そう気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。
そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。』

やはり・・・行きたい。

この目でフェルメールが暮らした街を歩き、光を浴び、その空気にふれてみたい・・・と、オランダ・デルフトに行ってまいりました。

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ヨハネス・フェルメールは1632年にデルフトで生まれ、1675年43歳の生涯をとじました。フェルメールの日記や手紙は全く残されていません。現在私たちが知っているのは、その他の記録と絵画からわかりうる事のみなのです。でもその絵画の中から当時の人々の暮らしが見えてきます。

航海術の発達にともなって、世界の海へと乗り出したオランダ。

17世紀は好奇心の時代。新発見と発明に満ちていました。交易により裕福な市民は世界から物を集め新しい世界観をもたらします。インド・トルコ・中国・日本・・・アジアからもたらされたスパイス、トルコの絨毯、日本や中国の陶磁器など等・・・。どれほど豊かだったことか。

フェルメールはそんな時代デルフトに生まれたのです。そして、生涯をデルフト・マルクト広場周辺で過ごします。

私が泊まったホテルは広場の前の新教会のすぐ裏にある中庭のある花に囲まれた小さなホテル。アットホームで親切なスタッフの人たちでした。教会との間には細い運河が流れ、フェルメールの「小路」にあるような建物が300年経た今でも同じように時を刻んでいます。

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フェルメールの絵をみると『気持ちが和らぐ』のはデルフトに来てみて分かりました。300年前とあまり変わらない人々の暮らしぶり。高層建築やネオンサインはあまり見えず、看板も目立ちません。絵に似たような風景がいまだに街中に残っているのには驚きました。

早朝、教会の鐘で目を覚まし、ホテルから歩いて2,3分のところにあるフェルメールの生家に行ってみました。(今はアンティークショップになっています)

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お父さんは織工、居酒屋・宿屋の主人、そして美術商でもあり当時の芸術家たちはその居酒屋・宿屋フライング・フォックス(空飛ぶ狐亭)の常連でフェルメールは、そうした芸術家たちの中で育ったのです。

そして、一生をデルフトで過ごしました。

生家のすぐ隣がギルド(組合)ハウス。フェルメールも同業者達とよく集まった場所です。現在はフェルメールセンターになっています。

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フェルメールが子供のころ走り回って遊んだであろう小路。また子供たち(11人)を連れて散歩したであろう道、教会、広場、市庁舎などがそのまま残っています。新教会はフェルメールが洗礼を受けた教会。

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そして、フェルメールのお墓がある旧教会へ。歩いても5,6分です。
まずは運河をはさんだ隣のプリンセスホフ博物館へ。何と幸運なのでしょうか・・・いつもはアムステルダムの美術館にある私の一番お気に入りの『小路』がデルフトに里帰りしていたのです。真近でみることができました!(フラッシュなしなら撮影可)。

この博物館は16世紀から19世紀のデルフト陶器やタイルが展示されていて素晴らしいのです。私は翌日この絵「小路」を描いたであろう場所にも行ってみました。諸説ありますが、一番新しい情報です。

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小さな運河を隔てたところに建つ旧教会。ステンドグラスからこぼれる光の中にフェルメールは眠っています。

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ひとり静かに自分と相対する時間です。

『孤独って素敵なこと』を書き終え、こうして旅に出て、背負ってきた荷を少しずつ降ろし、なんでもないフェルメールの日常に接して、そこに暮す人々に出逢えて・・・。

その日常がほんとうに愛おしくて。
それは、フェルメールが光によって私たちの目を導いてくれるからでしょうか。
やはり、先送りせず、行動してよかった。

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旅の最後はデルフトから30分ほどのハーグにある2014年にリニュアルオープンしたマウリッツハウス美術館で珠玉の作品「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)と「デルフトの眺望」(1660年~1661年)をゆっくり、じっくり時間をかけて観ました。

新しくなった美術館はシックな室内、木の階段・手すりが落ち着きます。至福のひと時でした。ハーグでのランチはコロッケ。そして食べてみたかった屋台で玉ねぎのみじん切りといっしょに"ニシン"。

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帰りは路面電車に乗りデルフトへと戻ってきました。

「デルフト眺望」を観たあとなので、描かれたと思われるスヒー運河の向こうに広がる光景がみたくて行きました。(夏の夕暮れ、7時過ぎに描かれたであろうといわれています)

遠くに新教会、街並み・・・その光景を目にやきつけ旅を終えました。

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今回の旅ではオランダに住む50年来の友人ご夫妻との再会は何よりも嬉しいことでした。友情に深く感謝する旅でもありました。

投稿者: Mie Hama 日時: 16:12 | | コメント (4) | トラックバック (0)

『フェルメールのふるさと、デルフトへ』

今年になってすぐ、東京で開かれていた「フェルメールとレンブランド展」に行き、はっとしたことがありました。

私が初めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりにヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上が過ぎたのに、やはりフェルメールはしっくりと心に寄り添ってくれるのを感じました。

フェルメールの、朝を思わせる静謐な光。
何気ない日常に注ぐ眼差しの温かさ。17世紀のオランダの慎み深く堅実なくらしぶり・・・。

フェルメールの生まれた街、デルフト。運河が流れる街。「デルフトの眺望」を描いた港。フェルメールの絵にも登場するデルフト焼きのタイル。あの時代の必需品であり、そのブルー&ホワイトのタイルの美しさに魅せられ数枚の古いタイルを手に持ち帰った昔。そこに暮す人々の堅実さ。清潔さ。大都会とは違う小さな街での人々の暮らしは10代の私にとって、それはそれは魅力的でした。お金がなくスープとパン・・・の夕食。でも「エンデン(豆)スープ」のなんと美味しかったことか。パンを浸して飲むスープ(ちょっとお行儀が悪いのですが)。酪農王国のオランダはチーズも美味しいのです。

前回このブログに書いた「孤独って素敵なこと」の本が書店に並び、私自身の人生を振り返り、あらためてフェルメールの絵を観てみると絵の中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだと・・・気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。

『デルフトの街に身を置きたい』との思いにかられて、フェルメールの眠る教会の近くの小さなホテルに宿泊し、光を・・・風を・・・匂いを・・・感じてまいります。

次回のブログでご報告させていただきますね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『孤独って素敵なこと』

講談社から本を出版させていただきました。

以前、朝日新聞の取材で、60代に入ってから身の丈にあう暮らしを求めてきたという話しをまとめていただきました。その記事のタイトルに、私がふとつぶやいた言葉「孤独って、素敵なこと」という言葉をつけてくださいました。そしてその記事を目に止められた講談社の編集の方が「本を書いてみませんか」と、私に声をかけてくださったのです。

孤独のありようも、年齢とともに変化します。

若い時代の孤独と、今感じる孤独は、ちょっと違っています。それは年齢を重ねるいうこと自体に、やはり寂しさと厳しさがつきまとっているからではないでしょうか。

体がこれまでのように動かなかったり、以前ならすぐに記憶して忘れることなどないはずのことでも、ふとした拍子に抜け落ちてしまったり・・・・・。

人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。今まで両手に抱えていたものを、年齢とともに少しずつ手放し、坂道を下りていく・・・おそらく、この年齢で向き合うのは、そうしたことも同時に思い起こさせるような、生命体としての変化であり、根源的な孤独なのでしょう。

私にとって、孤独はもはや友人のようなもの。

そして孤独の明るい面を、ゆったりと自覚できるようになりました。
 
 孤独だから自由でいられます。
 自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることもできます。
 家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。

子供のころから竈の番をまかされ、中学卒業後バスの車掌になり、たまたま女優になり、「ここは自分のいる場所なのだろうかいていい場所なのだろうか・・・」と、ふと思い、箱根の芦ノ湖のそばに居を定め40年近くなります。
そんな自分自身を振り返ってみました。本の表紙の写真は篠山紀信さんが撮ってくださいました。同時代を呼吸してきた篠山さんと、この年齢で再会できたことも嬉しいことでした。

これからも自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生が始まったという気持ちで、一日一日を大切に歩んでいきたいと思っております。
宜しければ書店でお手にとってみてください。

それから、7月4日発売の『週刊現代』でノンフィクション作家の石井妙子さんが箱根にお越しくださりインタビューをして記事にまとめてくださいました。8ページです。
先日「原節子の真実」を出版された素敵な方です。

これからの人生が楽しみになりました。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

映画・裸足の季節(仏、トルコ、独)

原題は英語の「mustamg」 野生の馬

黒海海岸の小さな村を舞台に美しい五人姉妹の物語。封建的な思考や因習。私が大都会のイスタンブールからカッパドキアや小さな村々、遺跡など10日間ほどの旅をしたのは、もう30年ほど前のこと。そうした旅ではまったく見えてこなかったトルコの現在でも、このようなある意味重いテーマがあることを知り、多少の衝撃を覚えました。

はつらつと美しい少女たちの受難の物語なのですが、閉寒的な環境に反抗する彼女達の姿を軽妙かつ瑞々しいタッチで描いた監督が素晴らしいのです。しかもこの映画が長編デビュー作とは信じられません。5人姉妹の少女のうち1人をのぞいてまったく演技の経験がないなんて信じられません。少女たちの溢れんばかりの存在感が各国マスコミに賞賛されたのは当然でしょう。

第88回アカデミー賞外国語映画賞受賞(2016年)
ゴールデングローブ賞受賞(2016年)

トルコ・アンカラで生まれ、フランス・パリで映画を学んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督。彼女が少女時代に実際体験した出来事が投影されているそうです。脚本も手がけ、撮影中は自身の妊娠も重なり、プロデューサーの交代など大変な現場だったとか。無事クランクアップし、米バラエティー誌が選ぶ「注目すべき映画監督10人」に選ばれています。世界がその才能の誕生に狂喜し絶賛した監督。これから目が離せません!。カンヌ国際映画祭では並みいる強豪をおしのけてアカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、自国語以外の作品がフランス代表となったのは『黒いオルフェ』(59年)以来、56年ぶり2度目の快挙。

自由を奪われた美しい5人姉妹の。甘美でほろ苦い反逆の青春映画です。

10年前に両親を事故で亡くした5人姉妹が祖母の家で叔父と一緒に暮らしています。13歳になる末っ子のラーレの大好きな担任の先生がイスタンブールの学校に転任する日の帰り道、姉妹は海で男子学生と一緒に遊びます。艶やかな髪、光を浴びていきいきと輝く姿。生命力溢れる存在を縛り付ける大人の世界。反逆する美しい少女たち。いまだに女性を家事に従事させて子供を生産する機械に・・・そのような思考が存在するのです。

監督は語っています。「トルコのすべての人が同じ考え方をしている訳ではありません。保守的で家父長制度がいまだに根付いているところもあれば、とても自由な女性がいることもあります。しかし、女性自身で男尊女卑の掟をつくり、その存在に加担しているのです」と。中東の女性たちにも言えますね。

それらを見事にはねのけ、瑞々しく、チャーミングに未来へと向かう少女たち、繊細で力強く生きる姿に大人の私たちが勇気づけられます。

ストーリーは詳しくは書きませんね。重いテーマなのに観終わったあとの清々しさはなぜなのでしょうか。久しぶりにみた素敵な青春映画ですし、若い彼女達の演技に乾杯!

監督、ありがとう!素晴らしい映画を観ることができました。   
和光裏のシネスイッチ他で上映中。

映画の公式ホームページ

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

甲府への小さな旅

先日、山梨中央銀行さまのお招きで甲府へ行ってまいりました。

この頃は、慌しくその地にお邪魔するのではなく、なるべく前日入りをして その街の空気や風、どんな暮らしをなさっておられるのか・・・そして食べ物などを楽しむ時間をつくるようにしております。

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講演会の前日、早く箱根の山を下り、新宿からあずさ号に乗り甲府にお昼頃着き、荷物を置いてまず向かったのが、武田神社に参拝いたしました。甲斐の名将・武田信玄を祀っている神社です。信虎・信玄・勝頼の三代が63年に渡り国政を執った由緒ある館跡。境内には当時からの堀や石垣、古井戸などが残っています。

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そして山梨県立美術館へ。1978年の開館以来「ミレーの美術館」として広く親しまれています。常設でミレーの絵が観られます。あの有名な「落穂拾い・夏」「種をまく人」など約70点のミレー作品を収蔵。収穫された穀物の大きな山を背景に描いているものの、ミレーは落穂を拾う貧しい女性たちを描いています。いつも農民に寄り添って描く姿が共感をよぶのでしょうね。緑豊かな公園の中にあり、岡本太郎らの彫刻作品も随所にみられ、富士山も見えました。南アルプス、八ヶ岳など四方を山々に囲まれた盆地甲府。時間がゆるせばたくさんの美しい山があるので次回はぜひ楽しみたいです。

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バスで駅まで戻り新しく生まれ変わった北口広場に隣接した「甲州夢小路」を散策しました。古民家の移築、明治・大正・昭和の城下町を再現したレトロな雰囲気を楽しみました。しっかり職人さんたちの手で造られたことが分かります。私は・・・といえば、まず入り口の"甲州ワイン"を一杯!白ワインをいただきました。駅前のちょうちん横丁にも行ってみたかったです。夜は郷土料理"ほうとう"野菜もたっぷりの家庭料理で心がぽかぽか、幸せ気分でした。果物も野菜も、そして水の美味しさで豊かな気分になれる山梨。翌日が本番ですから夜遊びは出来ません(笑)

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当日、会場には600名近い皆さまが迎えてくださいました。

「明日を素敵に生きるには・・生きがいとアンチエイジング」がテーマでした。このごろ、つくづく思うことは"ご縁"って大切、ご縁があって人は生きていられるのですね。皆さまは50代、60代、70代、そして80代の方もいらしたかも知れません。穏やかで明るい雰囲気が会場いっぱいに広がっていました。70代になって思うことは「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える!その方が、前を向く行動になる」としみじみ思うようになりました。

「三六五日・三六五人に会いなさい」

画家の岩田専太郎先生の教えです。演技のイロハも知らずに、飛び込んだ映画界は、決して私にとって居心地よい場所ではありませんでした。「背中を伸ばして」と言われればピンと背筋をたて、「もっと颯爽と歩いて」といわれれば膝をひっこめて歩き・・・まるで自分が自分でないようで、やりがいを感じることのできない10代後半。「先生私女優をやめたいのです。ちっとも上手にできないし、今なら違う職業につけそうな気がします」と。すると先生は「そうだね、あまり君は上手ではないね。やめてもいいよ、君はなにをやってもいいんだ。ただひとつ、これだけは覚えておきなさい。人生というものは、生涯学ぶものだよ。毎日ひとり、365日で365人の人に出逢いなさい。人に会うことで、君は何かを見つけていくことができるだろう。そして答えは自分でさがせばいい」と。

その言葉が、自分を縛っていたカセから自由にしてくれたように思います。

 何をやってもいい。
 答えは自分で探すもの。
 人生は学びの連続。
 これからどう生きていくかで人生が変わる・・・。
 
岩田先生が教えてくださったのです。

仕事に恵まれ、愛する家族もいますが、これまで思い通りにならないこともたくさんありました。苦しいこと、哀しいこと、悔しかったこと、そうしたものをバネにして生きてきました。様々な経験が私を磨いてくれてきたのでしょう。
人を愛し、何よりも自分を愛してあげる・・・大切なことのように思います。

あっという間に1時間半が過ぎました。

今回も素敵な出逢いをいただきました。
皆さま『ありがとうございました。どうぞお元気で!そして、人生を楽しみましょう!』

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

沖縄に恋焦がれて

沖縄に行ってきました。

初夏、沖縄の祭り~海人の祭典・ハーリー(爬竜船・はりゅうせん)競漕が終わると梅雨が明けるといわれます。3泊の滞在中は真っ青な空と海。街路樹には沖縄の花・ホウオウボク(鳳凰木)が赤色五弁の花を咲かせ出迎えてくれます。

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なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、第二の故郷に戻ってきたかのような安堵(あんど)感を覚えるのでしょうか。その理由は"人"だと思います。特に沖縄の女性たちの辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。その全てに強くひきつけられるのです。

まだ、舗装されていなく砂埃のたつ国際通りに立ったのは半世紀以上前のことでした。

『民藝のふるさとは沖縄にあり』と民芸運動の創始者である柳宗悦氏は語っています。壷屋焼や宮古上布、芭蕉布、紅型など、沖縄の手仕事の健全さに心を奪われた柳宗悦。沖縄は自分が思い描いた民芸の理想郷「美の王国」だと思い通い続けたのでしょう。

沖縄にいると"今の私""未来の私""そして"過去の私"に出会えます。

今回は敬愛してやまない読谷村に暮らした今は亡き与那嶺貞さんの13回忌、どうしても与那嶺さんがひたすら機を織り続けた仕事場の跡にたってみたかったのです。そして、仕事が終わる夕方、ご一緒に手をつなぎ歩いた道を歩いてみたくなったのです。1984年のこと、読谷村で与那嶺貞さんにお会いしました。人間国宝になられてからも何ひとつ変わることなくひたすら『花織』を織りつづけていらした貞さん。

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与那嶺さんは、5~600年前に南洋から伝わってきた織物「花織」を再現することに一生懸命でした。与那嶺さんがその織物を蘇らせようとしたとき、その織り方を知る人は一人もなく、昔から残されていた一枚のちゃんちゃんこがあるだけでした。織り方が複雑で難しく途絶えてしまったのでしょうから、再現するのも大変なご苦労だったそうです。与那嶺さんは、あの沖縄が焦土と化した戦争を生き延び、涙も涸れてしまった戦後を子供を抱えて再び生きなおした方です。ご主人は戦争で亡くされておられます。"戦争で何もかも失ったけれども、父親が私に授けてくれた教育だけは、誰も奪えませんでした"とおっしゃられました。工芸学校で学んだ技術が、後年、幻の「花織」再現に結びついたのです。

手をつなぎ歩きながら私にこう語りかけてくださいました。
「浜さん、女の人生はザリガナね」・・・と。こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女としてそれを丹念にほぐしていきましょう。そうすれば「ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ」"もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女"。もつれた糸を一心にほぐしながら、美しい美しい布を織り上げる。泣く涙も涸れてしまった沖縄の女性たちは、こうして自らを励まして戦後を生きてきたのです。

こんがらがった糸を切りたくなるとき、私はいつも与那嶺さんの優しいまなざしを思い浮かべます。

丹念にほぐしていけば  花のヤシラギ(布)をウイルサビル(織ることができる)"

読谷村では焼き物を見て、読谷のソーキそばを食べ、風にふかれ、村を後にしました。

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4月下旬から行方不明となっていた女性が遺体で発見されました。
それは、日常普通に暮す界隈で起きた残忍な事件でした。このようなことが起こりうるのでしょうか。どんなにか恐怖だったことでしょう。人の命がこのように扱われてよいのでしょうか。これまでにも、米軍人・軍属による事件は多発しています。

私の滞在中に県議選が行われました。「平和で豊かな社会を築く」「日米地位協定の改定を」「基地縮小着実に進める」など。それぞれの思いを胸に新たな一歩を踏み出しました。今回のような許すことの出来ない事件、基地問題など・・・本土にいて感じる感覚の温度差も強く感じた沖縄滞在でした。

93歳で現役のまま亡くなった与那嶺貞さんたちのご苦労が、現代へときちんと受け継がれているでしょうか。私たち日本人の一人ひとりの問題だととらえているでしょうか。

最後の夜は働くボランティアグループの30年来の女友達たちと飲み、食べ、沖縄の未来について語りあいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

私のお買い物・小田原

箱根の自宅の一角にオフイスを移して10年以上がたちました。仕事は東京起点のことが多いので、箱根からバスで下山し小田原、そして東京~地方へとしょっちゅう移動しているのですが、以前は通りすぎるだけだった小田原がいつのまにか自分の街になっていることに最近気がつきました。

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新幹線に乗る前には時間に余裕がある時は駅の地下街「ハルネ小田原」の『菜の花ビレッジ』に寄り道。ショップでは素敵な器やカジュアルな洋服を拝見。奥にある「ムーンカフェ」では焙煎したての珈琲の味わいはもちろん、販売されている和菓子と一緒にいただきます。珈琲を飲みながら自由に手に取れる雑誌や本・・・すべてが行き届いていて、テーブルには野の花が活けてあり、ほっと私の心をなごませてくれます。お店のお嬢さんたちの優しさも嬉しいです。お饅頭を一個だけ購入して、東京に向かう新幹線でいただくことも。

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一日お休みの日はキャリーバックを引いてバスで下山しやはり地下街のJAかながわ西湖直売所『朝ドレファーミ』には新鮮な野菜が揃っていますし、朝摘みたての花があります。だいたいひと束300円くらいで、自分で新聞紙に包んで持ち帰ります。庭に咲いているような花なのですごく嬉しいです。

駅の1階にあるスーパーでは地元の魚が販売され、まさに『地産地消』です。遠くからエネルギーを使い運ばれてくる海外の品はフードマイレージが先進国の中で一番の日本は考えなければいけませんね。

いずれにしても、慌しい時代には見過ごしてきた『地元の街・小田原』は歴史もあり、古い建物も保存されていて快適です。

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そうそう・・・あとお薦めは繁華街からちょっとはずれた国道一号線沿いにある『勝寿司』は、魚大好きな私をいつも大満足させてくれるお店です。カウンターとテーブル2つとこじんまりしたお店ですが、入り口にはご主人自らが摘んだ野の花が飾られ、店内は清潔で清々しいです。「地魚セット」が2400円。ランチなど嬉しいですね。もちろんわさびは、おろしたての本物。ご主人のお人柄もあって地元のお客さま多いのですが、近頃、観光客も増えてきました。

この頃はお休みの日はこうして地元で過ごすことが多くなりました。これなら80代になっても90代になっても楽しめそうです。そうありたいです・・・ね。

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信州の旅

先日、長野県にある八十二銀行の財団法人八十二文化財団に招かれ、長野市内での講演に行ってまいりました。最近は子育て時代と違い、時間にもゆとりが持て、また以前のように日帰りでバタバタと出かけなくても良い環境になってきました。

初夏の日を浴びてそよぐ若い葉、新樹、まさに今年一番美しい新緑の日でした。「これは1泊で信州プチ旅行をしたいな~」と思いたち新幹線に乗り込みました。長野の手前、上田駅下車。そこには東御市和(とうみしかのう)で農園カフェレストラン「ヴィラデスト ガーデンファームアンドワイナリー」を営んでおられる玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんが出迎えてくださいました。

抄恵子さんとは園芸の師匠村田ユリさんの門下生仲間。といっても私は落第生。植物のことなど何ひとつ勉強せず・・・抄恵子さんはそこでしっかり学び、現在の素敵なヴィラデストのガーデンをつくられたのでした。

もう27、8年ほど前になるでしょうか、初めて農園をお訪ねしたのは。軽井沢の追分から上田に抜ける林道から横道に車を走らせたのは偶然でした。私は舗装されたまっすぐな道よりも、がたがた揺れるような曲がりくねった遠回りの道が好きで、選んでそういう道を探してしまうところがあるのです。

20代後半から30代にかけて4度の出産をし、子育てをし、家をつくって、女優という仕事を続ける・・・我ながらよくやったと思います。 30代後半から心因性のアレルギーに悩まされるようになったのは、こうしたもろもろの無理を重ねてきてしまったのです。夜中に音楽をかけながら車を飛ばし・・・細い横道沿いを進んでいくと目の前に、はっとするような美しい農場が開け、思わず車を止めました。それが今は亡きユリおば様との出逢いでした。

ユリさんは当時70代。ポタニカルアートやフラワーアレンジメントの先駆者であり、エッセイストとしても知られ、ジャーマンアイリスの専門家でもありました。それらは後に知ったことです。お会いした瞬間、私はこの方をずっと知っていたような気がしたのです。お会いできたことを御代田の大地に感謝し、それから長いお付き合いがはじまりました。

あるとき、疲れ果てて夜遅くユリさんの家に着いたことがありました。
その時ユリさんは、ご自分の庭で採れたハーブを木綿の袋につめ、それをお風呂に入れて「気持ちいいわよ、お入りなさい」と進めてくださいました。ゆっくりお風呂に入ったあとベッドに入ると、枕の下にも、また別のハーブがしのばせてありました。ハーブの香りに包まれ、そっと抱きしめられるような気持ちになり、その晩、数年間なかったような深い眠りにいざなわれました。寒い夜、暖炉に薪をくべ、暖かい火に一緒にあたりながら、ワインを飲んだりおしゃべりをしたり。

その頃に玉村ご夫妻と出逢いました。4人で豊男さんが腕をふるってくださる料理でワインとおしゃべりをし豊かな時間でした。ユリさんは昼間はほとんどの時間を畑で過ごしていました。手を土色に染め、額に汗を光らせていました。ユリさんがいてくれると思うだけでほっと体から力が抜けるようになりました。

今、私はユリさんと出合ったころの、ユリさんの年齢になりました。40代の私のために、自分の空間と時間をすっと差し出してくださったユリさんのような大人に、私もなれただろうか。そういう人生を歩んできただろうか・・・と思うのです。

近所に住む抄恵子さんは足繁く通い、植物の勉強をしっかりとなさり現在の美しいガーデンができあがったのです。年は私が上ですがまるでお姉さまのよう。

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美味しいランチをいただき、庭を散歩させていただきました。

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モッコウバラのアーチの奥にはアルプスの山々が雪をかぶり、リナムが一面に咲き、カリフォルニアポピー、シジミバナ、ルバーブ、ジャーマンアイリス、セイヨウミミナグサ、キャットミント、ベロニカ、オダマキ・・・・など等、抄恵子さんの愛情が降り注がれたガーデンでした。

上田から長野、そしてM夫妻の住む黒姫でのんびりさせていただき、翌日の朝、皆さまが待っていてくださる長野市内のホールへと向かいました。600名満席の方々の笑顔に迎えられ『明日を素敵に生きる』をテーマにお話をさせていただきました。もう、会場の皆さまこそ素敵に生きていらっしゃいます。お顔が輝いていらっしゃいました。

皆さまに「逢えてよかった」素敵な出逢いをありがとうございました。

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フローラル

青葉を渡る風に、初夏の心地よさを感じるこの季節。GWも終わり、また日常生活に戻りましたね。このGWはお仕事だった方もいらっしゃることでしょう。ご苦労さまでした。

私は前回も書きましたが、小さな旅、掃除、映画・・・そしてGW最後の8日は鎌倉に行ってまいりました。鎌倉鶴岡八幡宮東門を出てすぐにある娘のショップ、"フローラル"で『一日花屋さん&アンティークガレージセール』が開かれていたからです。

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8日は「母の日」。asuka yamanakaさんのお花を子供たちがプレゼントしてくれました。暮らしの中で花のない生活ほど寂しいことはありません。庭で摘んだ花をそっと花瓶に活け"幸せ"と思わずつぶやいている時もあります。でもasukaさんのなんて素敵なお花なのでしょうか・・・。子供たちに感謝した日でした。そして、母親でいさせてくれて"ありがとう"とも思った日でした。

思えば昭和57年6月に出版した本「浜美枝の育児エッセイ・やまぼうしの花咲いた」からずいぶんの年月が経ちますが、つい最近のようでもあり・・・
前書きでこんなことを書いています。

「親と子のあいだに自然を介在させることで、双方がどんな育ち方をするのか、最も密着度の高い関係に自然という巨大な存在があることで、親子関係がどんなふうになっていくのか、観てみたいという試みもありました。本に書かれた育児法やしつけの論理を超えたものが伝えられないか。さまざまな壮大なもくろみを含んだ移転でもありました。もちろん、まだまだ答えのでるような段階ではありません。私自身も含めて四人の子供たちも、箱根の移りゆく自然に夢中ですし、親子関係も、自然の存在をかたわらに置いて、相当密着感の強い時期です。」

ぼちぼち40歳になろうとしていた私。

子供たちは皆、その年齢を超えていたり、間もなく迎える年齢になっていたり・・・

子育てのもっとも濃密な10年は、闘いの十年であり、夢見心地の十年であり、大自然のいのちのサイクルからみれば、たったの十年でした。

フランスの哲学者であり文学者でもある、シモーヌ・ボーヴォワール女子の名言に"女は初めから女ではなく、女になっていく"というのがありますが、まさに母親もまた然り。"母親になっていく"ものだとつくずく思います。

鎌倉からの帰り道、匂うような初夏の風のさわやかさが私を包み込み"山から母の日のプレゼント"もいただきました。「残花(ざんか)」は春に咲いた桜が、散り残っていることを指す春の季語だそうですね。

散り残っている。

そうね、素敵に散り残りたいと思った母の日でした。

次回の「一日花屋さん&アンティークガレージセール」は5月28日(土)に
予定しているそうです。私も"お店番"に行きたいな~と思っておりますがお天気にもよりますね。

詳細はフローラルにお問い合わせください。

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おしゃべりと掃除、そして映画

皆さまはゴールデンウイークをどのように過ごされましたか?

旅行に出かけられた方、家でのんびりされた方、都内で楽しまれた方。いろいろでしょうね。私は前半は30年来の群馬の友人宅で彼女と心おきなく"おしゃべり"をし、久しぶりの楽しい時間でした。

そして、後半は日ごろ気にながら中々手をつけなかったキッチンの隅々(見てみぬふり)や大好きな器やグラス磨き・・・など。まとまった時間がないとできなかった事いたしました。そして一日は山を抜け出し"映画の"はしご"をしました。

スポットライト・世紀のスクープ』と『グランドフィナーレ』。

「出演するより観るほうが好き」な私。

60代になったあたりから自分の時間が増えて、映画を楽しむ機会が多くなりました。そして映画を観たあとの余韻を楽しむために近くのカフェに立ち寄り、白ワインやコーヒーを飲みながらプログラムをめくり、出演者や監督など製作人の想いをじっくり読む・・・至福のときです。だから映画はいつも「ひとり」で。

私は昔からジャンヌ・モローが大好き。彼女の最近作2012年に公開された「クロワッサンで朝食を」は素敵でした。ジャンヌ・モロー演じるパリの老夫人は、新しい家政婦の用意した朝食のパンが気に入らない。「こんなスーパーで買ったものではなくパン屋の焼きたてのクロワッサンでなければ食べない」と激しく拒否をする。

「これは単にパンにこだわっているのではなく、自分自身の人生へのこだわり、これだけは譲れないという生き方。フランス女性らしい自立心をもち、一筋縄ではいかない人生を背筋を伸ばして歩きつづけている、いい女。ジャンヌ・モローそのもの。」

私はこう思っているのです。

映画は大きなスクリーンで観るにかぎる・・・でもあとどのくらい山を下り映画館に行けるでしょうか。90歳でも出来たらいいな~。いけなくなったら家で観る映画のDVDを少しずつ集めています。「カサブランカ」「追憶」大好きなオマーシャリフの「ドクトル・ジバゴ」、そしてジャンヌ・モローの全ての作品。

まだまだ旅は出来ます。映画の舞台になった場所を旅したい!カサブランカのモロッコや青春の思い出のローマ。インドは「マリーゴールドホテルで会いましょう」を2度も見ました。政情が不安で行けなくなってしまったトルコ、など等。

映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます。

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スポットライト 世紀のスクープ

今回観た映画『スポットライト』は巨大権力に立ち向かう記者の覚悟、これぞ新聞記者の正義、ジャーナリズムの勝利。真実に基づいた記者たちの取材活動の記録。ピュリツアー賞受賞の記録を映画化。

ボストン・グローブという新聞社。真実の究明という地味な作業を丹念にトム・マッカーシー監督は抑制のきいた演出に真実が見えてきます。実在の記者からOKをもらったそうです。カトリック神父による児童の性的虐待と真実。巨大なカトリック教会全体を巻き込んだ事件。おさえられた演出、劇映画としての本物のドキメンタリータッチがあります。米アカデミー賞で作品賞、脚本賞受賞。報道のあり方を考えさせられた作品でした。日本でも「報道の自由」が問題になっています。2時間8分の映画は時間の長さをまったく感じませんでした。秀逸!

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もう1本は『グランドフィナーレ

さすがアカデミー賞に輝く名優たち、カンヌに愛されたイタリアの奇才パオロ・ソレンティー監督。今年83歳のマイケル・ケイン風格と老いに向かって生きていく有名な老作曲家。親友の映画監督のミック。

舞台はスイス・アルプスの麓にある高級ホテル。「老いること・生きること」の意味を素晴らしい映像美で魅せます、ユーモアをたっぷりに。その映像美が心の心理を見事に描いているのです。そして、大事なシーンでなんと!ジェーン・フォンダが登場し、2人のフィナーレが待ち受けています。(ご覧になる方のために詳しくは書きませんね。)

とにかく、80歳を超えた男を愛おしく、感じました。そして老いを生きる意味を考えました。傑作です。

やはり、映画って素敵ですね。

と、いうわけで私の休暇はおわりました。
6月には講談社から本が出版されます。「孤独って素敵なこと」ぼちぼち最終校了があがってきます、ドキドキ・・・。

満開の山桜も散り、初夏の若葉をつけた葉桜。風にそよぎながら太陽の光に透ける青葉が心地よい季節です。

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根津美術館

初夏を思わせるような爽やかな日、ラジオ収録後に南青山にある根津美術館に行ってまいりました。

特別展『国宝燕子花屏風』が開催されています。
この季節だけの公開です。(4月13日~5月15日)

本館は2009年、建築家・隈研吾氏の設計で改装され、切妻造の屋根は寺院建築を思わせる建物で入り口のアプローチは竹が植えられ和のテイストが素敵です。

実業家で茶人の初代 根津嘉一郎の収集品が展示されています。

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根津美術館といえば、国宝「燕子花屏風」を毎年この時期思い浮かべます。総金地の大きな画面に青と緑をつかったカキツバタ。 尾形光琳筆のこの絵の前の椅子に座り何時間でも観ていたくなります。

江戸時代の半ば、18世紀初頭の京都で尾形光琳によって生み出された作品。その鮮烈な色彩、落ち着きのある構図や色使いは呉服商の家に生まれ育ったからでしょうか、どこか染織を思わせます。光琳のセンスは抜群だと思います。六曲一双の屏風の立体的な構成は静かさの中に、観る者を誘ってくれるようです。

光琳の名前から一字をとって「琳派」と名付けたれた流派。17世紀前半の京都の町衆文化の中で活躍した本阿弥光悦・俵屋宗達、19世紀光琳に憧れた酒井抱一など、琳派の影響を受けた同時代の作品も楽しめます。

 からころも
 きつゝなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ
               (伊勢物語より)

「歌をまとう絵の系譜」も存分に味わえます。

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絵を堪能したした後は庭園の散策をしました。自然の傾斜を生かした池を中心とした日本庭園。茶室も4棟あり石仏、石塔、石灯篭などがあり、この季節の「燕子花・藤の花」が見ごろです。茶室でいただいた一服のお抹茶とアジサイのお菓子。季節を満喫いたしました。

都会にありながら、和の空間を楽しめ心静かな時間でした。
ゴールデンウイーク、都会にいらしたらお薦めです。
表参道から徒歩6、7分です。

根津美術館公式HP
http://www.nezu-muse.or.jp/

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映画 さざなみ

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切なく、しかし素敵な映画です。
原題は「45 YEARS」。
結婚して45年。夫と重ねた歳月の意味。
この映画は愛の問題。生き方の問題。妻はともに時を刻み続けようとしているのに・・・。

冒頭のシーン、イギリスの静謐でいかにもイギリスらしい小さな地方都市の風景に魅せられます。現役を退き穏やかな老夫婦に"さざなみ"がヒタヒタと・・・迫ってきます。

45年連れ添った夫婦はいつも通りの静かな生活。朝は愛犬を散歩させ、食事を楽しみ、夜はワインを飲みながらの穏やかな会話。多くを語らずともお互いに心は通じあっている。

そんなある日夫ジェフ(トム・コートネイ)に一通の手紙が届きます。妻ケイト(シャーロット・ランプリング)が手渡します。スイスの雪山で氷漬けの死体が発見されたとの知らせ。

それはケイトと結婚する前の恋人のカチャ。50年以上前、ジェフとの旅行で、クレパスに消えた彼女。

この映画で ベルリン映画祭主演女優賞と主演男優賞に輝いた二人。

45年、ともに年を重ねてきたふたり・・・それが根底からゆらぐのです。「僕のカチャ」と呟く夫。過去は知りたくない・・・と思いつつ、聞かずはいられないケイト。「もしもそんなことにならなければ結婚していた?」と聞くケイト。夫はためらうことなく肯定する。深夜、物音で目を覚ましたケイト。夫が屋根裏部屋でカチャの写真を探しているのです。自分達には思い出の写真などないのに・・・「見せて」と手を伸ばし出された写真をケイトはわずかに目を向け、「ありがと」とひと言。

月曜日から土曜日までのストーリー。警察からの身元確認の手紙が届いてからの夫婦の心模様が描かれているのですが、シャーロット・ランプリングの演技、いえ演技を忘れ彼女自身のストーリーのような、やはり演技なのでしょうが、老いと孤独と、男と女の違い、静かに静かに、その表情から"さざなみ"を隠しているものの、切ないほど・・・胸が張裂けるような思いを見事に演じているシャーロット・ランプリングに感嘆するしかありません。

全編、妻の視点からの演出。脚本・監督アンドリュー・ヘイは静かに控えめにしかし説得力のある演出。

男性にこれほどまでに女の気持ちがなぜ理解できるのか・・・と、思わず思ってしまった私でした。土曜日は結婚45周年の祝賀パーティー。はたして、どんなスピーチになるのでしょう。

愛と絆って何なのでしょうか。
年月の積み重ねって何なのでしょうか。
いくつになっても男と女。そして・・・孤独。
結婚って、夫婦って何なのでしょうか。

久しぶりに"成熟した大人の映画"を観ました。

1946年生まれのシャーロット・ランプリング。円熟した凄みのある演技。今演じるからこのような素晴らしい映画が生まれたのでしょうね。

1943年生まれの私が今観られたからなおさら感動するのでしょうね。
ありがとう!シャーロット・ランプリングさん。

銀座和光裏のシネ・スイッチ他で上映中です。

http://sazanami.ayapro.ne.jp/

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鎌倉・鶴岡八幡宮

先日(30日)鶴岡八幡宮の段葛(だんかずら)が舗装や桜の植え替えなど全面改修を終え、竣工式と通り初めが行われたので観に行ってまいりました。

まだ初々しい桜並木。かつての桜は老木になり根が傷んでしまったので全て植え替えられました。長さ465mの段葛の両脇に177本のソメイヨシノが見ごろを迎えていました。

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人のいない、式典の前を鎌倉でアンティークショップをやっている娘に朝早く撮影してもらいました。約1年半ぶりの改修を終えた姿です。段葛は八幡宮から南に延びる「若宮大路」の中央を通る歩道で、この1年半は被いかぶされ歩けませんでした。「道の上に道を置く形式」の段葛。鎌倉幕府を開いた源頼朝が1182年、妻・北条政子の安産を祈願して造ったとされています。

神事の後、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんや宮司たちが通り初めを南側の鳥居から八幡宮に向かって歩き、舞殿では吉右衛門さんが祝いの舞を披露しました。厳かの中にも華やいだ舞台。素晴らしい舞いでした。

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境内は人・人・人。その中で爪先立ちしながら拝見し、木遣師さんの歌声に送られ東の鳥居を出て右へ30mほど行くと娘のショップ「フローラル」があり、ひと休み。花曇の午後のひとときを堪能いたしました。

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帰りはフローラルから鎌倉駅まで段葛を歩いてみました。土だった路面が雨水を吸収しやすい歩道へと変わり、とても歩きやすく"歴史の一歩"を踏みしめながら箱根の山に戻ってきました。

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孤独だからこそ人生を深く愛することができる

1年前、「浜さん、これまでの人生を振り返る本を書いてみませんか」とある編集者からご連絡をいただきました。

「孤独って素敵なこと」というタイトルがつけられた新聞の私のインタビュー記事を目にとめられたとのことでした。老いの辛さ、孤独に向かいあうことの苦しさが取り上げられることが多い現代にあって、孤独を楽しむような私の生き方考え方に興味をもってくださったのです。

老いの孤独というものは、年齢を重ねた人が必ず出会わざるを得ない根源的なものであると、私も感じます。若い時のように体がしゃきしゃき動かなかったり、何か記憶するために時間がかかるようになったり。人生の残り時間を意識させられることも少なくありません。環境も変化していきます。

わたしを導いてくださった人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。この年齢になると、孤独はもはや友人のようなもの。墨を流したような漆黒の箱根の夜、針を落とす音さえ聞こえてきそうな静寂の中で、囲炉裏の火を眺めていると、自分で自分を抱きしめたいような気持ちになることもあります。

孤独であるからこそ、自分と対峙する時間をもて、自らの考えを深め、ポジティブに生きることができると感じています。

本を書くにあたり、なぜ、私はこういう考え方をするようになったのだろうかと、自分の人生を振り返ることから始めました。

長屋暮らしの子供時代。中学を卒業してバス会社に入り、翌年女優デビューしたこと、芸能界に慣れることができず、息苦しさを感じていたこと・・・遠い記憶は時とともに淡く薄れてゆくものと思っていたのに、改めて過去に向き直ると、セピア色の写真にふわりと色がのるように、その時の空気の匂いまでが蘇り、当時私が抱いた感情がどっと胸にあふれてきたのに驚かされることもたびたびでした。ときには、ぐさりと心にナイフが突き刺さるような痛みを覚えることもありました。

自分の心を整理し、少しずつ文字に綴り・・・すると自分はどのように形作られてきたのかということがおぼろげながらわかってきたのです。

6月発売予定の「孤独って素敵なこと」、本の表紙は写真家の篠山紀信さんが撮影してくださいます。先日スタジオにお邪魔しご挨拶をしてまいりました。37、8年ぶりでしょうか、お会いしたのは。同時代を呼吸してきた篠山さんとはあっという間にお互いに距離が短まり、来月箱根での撮影が楽しみになりました。

昨日(17日)は「箱根やまぼうし」に20名ちかい同世代、少しお若い方、先輩がたが短い"旅"を楽しんでくださいました。部屋を掃除し、花を活け、お待ちする・・・こうした時間が私にとって至福のときです。

こうして箱根の家はいつも、私を包み、そっと支えてくれています。

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『フェルメール』

六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで「フェルメールとレンブランド・17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を観に行ってまいりました。

フェルメールの傑作『水差しを持つ女』が日本初公開です。「日本人はフェルメールが好き」とよく言われます。私もそのひとりです。静謐な朝の光が射しこむ窓辺でひっそりと控えめに佇む女性。テーブルの上にはシックな赤の厚手のクロス。身支度前なのでしょうか、箱からのぞく真珠のアクセサリー。思ったより小さな絵画は、フェルメールが部屋に飾れるように描いたからでしょうか。私達日本人がフェルメールに惹かれるのは『日常』を美しく、また画家本人が愛おしく日常を暮らしていたからでしょうか。

10代の終わりの頃、ヨーロッパ一人旅をし、オランダ・アムステルダムの国立美術館で観た「牛乳を注ぐ女」を観た時の感動!厨房の窓辺で体格のいい女性が器にミルクを注いでいる姿。テーブルの上には硬くなった古いパンが置かれ、青のスカート・・・。「小路」では古い街並みの小路に女性が洗濯でもしているのでしょうか、質素な生活感の中にフェルメールが暮らしたデルフトの街の風景が素敵だったことを思いだします。そして、お金がなかったからですが、街角の屋台のようなところで食べた「スープ」の美味しかったっこと。豆と玉ねぎとベーコンがことこと煮て作られたスープにパンをつけ立ったまま食べました。あのスープはもう一度食べたいです。

フェルメールといえば『真珠の耳飾りの少女』でしょうか。窓からの光を受け、赤い唇の光沢、そして真珠の耳飾の反射光(これはハーグ・マウリッツハイス美術館蔵)も私達を虜にしますね。

17世紀オランダは「黄金時代」でした。スペインから独立したばかり。世界の海へと乗り出していったオランダはプロテスタントを国教として栄え、世界中の品々が運びこまれ豊かな国へとなっていきますが、人々の暮らしは慎み深く、堅実で労働を美徳とされてきました。そのような姿をフェルメールは描き続けたのですね。そして、絵の中に描かれている"箒"をみると、この国の人々の掃除好きで清潔感のある暮らしぶりが分かります。

フェルメールは1632年、画商で宿屋を営む家に生まれ、デルフトの町中で育ち、結婚をし、11人の子供を持ち、30代で多くの絵を描き、43歳で亡くなります。市内の新教会で洗礼を受け、旧教会に眠っています。オランダ人らしく大変几帳面な人だったようですね。何よりも暮らしを大切にした画家だと思います。そうした人柄が絵画の中から読み取れます。

私の友人のKさんご夫妻はデルフトの町から車で15分くらいの町にお住まいです。日本人のご主人にオランダ人の奥さま。もう40年来の友人です。彼女にオランダ人気質を伺うと興味深いお話が聞けます。オランダ人は家は、何といっても居心地の良さを大切にします。贅沢はせず自分達で古い住宅を買ったらドアを外し、ペンキ塗り直し、トイレやバスルームを新しくし、徹底的に快適な家に自分達でリホームします。壊したり、作ったり、ペンキをぬったりということは、たいていの人は自分でします。むしろ新築を買うより高くついてしまうのですが、歴史ある建物を大切にします。

そして、多くのオランダ人は3週間位の休暇をとりますが、ホテルなどに泊まらず車に食料をいっぱい詰めて込んでキャンプ場に宿泊する人たちも多いそうです。倹約家で、"生活を豊かに楽しむ達人"かもしれません。コーヒー好きで知られていますが、カフェでのお茶より家でゆっくり飲み、そのお金はお花にかけます。ほんとうに花好きな国民性です。ここにもフェルメールの時代から"日常の美"はかわりません。もちろん若い人たちは変化してきているのでしょが・・・。日照時間が短く、暗くて長い秋冬の日が続くので、人々は太陽や光に敏感なのでしょう。今回の展覧会でフェルメールの絵を観ながら、前回のブログ『民芸』と共通点があるように思いました。

7、8月はバカンスで町も静かになるそうです。デルフトの町は以前一度だけ行ったことがありますが、短い滞在だったのでフェルメールの世界に浸れませんでした。伺うとアムステルダムのような大都会でなければ古い街並みの中の小さなホテルの屋根裏部屋などは朝食付きで5000円くらいで泊まれるようです。いつものように"暮すように旅する"ことができそうです。

そう・・・夏休みはデルフトに行き、朝の光を思う存分味わってみたい、と思った展覧会でした。

3月31日(木)までです。3階のチケット売り場では30分ほど並びました。


六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーの公式サイト
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『美の法門』 柳宗悦の美思想

寒さがゆるみ、春の訪れを感じる午後、打ち合わせを終えその足で渋谷駅へと向かいました。井の頭線に乗り換え2つ目の駅「駒場東大前」で下車し、住宅街をのんびり歩いて10分ほどで「日本民藝館」に着きます。歩きながらミモザや梅の花など見ながら"あ~やっと春が動きはじめたわ"とウキウキしながら道。40年近く何度も歩いた道です。

創設80周年特別展が開催されています。
3月21日までは「美の法門」
4月2日~6月12日までは「朝鮮工芸の美」
6月21日~8月21日までは「沖縄の工芸」
9月1日~11月23日までは「柳宗悦・蒐集の軌跡」
そして最後は来年1月8日~3月26日まで「柳宗悦と民藝運動の作家たち」です。

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私にとっては夢のような1年間です。

中学時代、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるままに振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」を繰り返しよみました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の推進者として知られた方です。西洋美術にも造詣が深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊にも携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民藝」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのです。

私は中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、すっかり感激してしまったのです。もちろん中学生ですから、むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、たしかなものだったように思います。

さらに年月を重ね、工芸の美から、仏教美学へと興味がわいてきました。この世を「美の国」にしたいという願いを抱き「手仕事の工芸」は「精神生活」にもつながるもの・・・と感じました。難しい宗教の話ではなく『美の法門』(岩波文庫版・新編・美の法門)を読み冒頭から「美と醜との二がないのである」で始まり、なんだか私の頭はこんがらがってしまいましたが、『美しさは何も他力的なもののみではない。いわば自力美の一道も別にあるはずである。』という言葉に深くうなずけました。

名もなき人々の生む器への深い愛情と畏敬の気持ちは、こうした仏教・仏への道なのでしょうか・・・。

本館、西館の建物は(登録有形文化財)そして、西館の石屋根長屋門の建物は柳宗悦が最後まで暮らした建物です。民藝仲間と語りあったであろうリビングのテーブル・椅子、そして蔵書の数々。西館(旧柳宗悦邸)も展覧会開催中の第2水曜・第2土曜・第3水曜・第3土曜は入場できます。2階の部屋からは梅、椿の花が美しく咲き誇っていました。

阿弥陀仏・円空仏や柳のコレクションの陶器や布など、"美の空間"に身を置くのも素敵ですね。

10代のころの自分に出会えたような時間でした。

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映画 CAROL

「キャロル」を有楽町のTOHOシネマズみゆき座で観てまいりました。

私はキャロル役のケイト・ブランシェットのファンです。オーストラリア・メルボルン生まれ。「エリザベス」でイングランド女王エリザベス一世を見事に演じ、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞に輝き、大人の女を見事に演じられる演技者です。また大女優キャサリン・ヘップパーンを演じアカデミー助演女優賞を受賞するなどの実力者です。最近では「ブルージャスミン」(13年ウディ・アレン監督)で主演女優賞に輝いています。

日本経済新聞(夕刊)シネマ万華鏡には「近年まれな、しっとりとした情念をたたえた恋愛映画の秀作である。題材は女性同士の愛だが、これ見よがしの描写はいっさいなく、にもかかわらず、切迫した人間的エモーションを生々しく伝えてくる。本年屈指の一本。」と書かれていました。

舞台は1952年のニューヨーク。その時代の背景・美術、きめ細やかなセット。衣装は華やかではないのですが、シックでその時代の上流社会の大人のエレガンスを堪能できます。

原作は「太陽がいっぱい」で有名パトリシア・ハイスミス(私はこの原作者が女性であったことを知りませんでした)。ミステリー作家で今回の「キャロル」は彼女の唯一の恋愛小説だそうです。心理描写が繊細で、女性にしか書けない・・・と思わせる見事さ。脚本はすべて原作に忠実かといえばそれは違い、トッド・ヘインズ監督の繊細な計算されつくした描写は見事です。

このように書かれています。原作では(ふたりの視線が出会ったのは、ほぼ同時だった)しかし監督は、この出会いの場面で、若きテレーズにキャロルを見つめさせ、その後キャロルが彼女の視線に気づく。監督の言葉をかりれば"視線と視点"「視点の変化」が効果的に観客をこの映画を自然に導いて"心の旅"へと誘ってくれる。

クリスマスを間近に控えた高級百貨店の玩具売り場でアルバイトをするテレーズ役のルーニー・マーラー。彼女の美しさと演技力に魅了されます。二人の出会いはキャロルの忘れた手袋を届けたことから、お礼に昼食に誘われます。初めての会話なのに互いの境遇を知ります。キャロルには別居中の夫がいますが、離婚すれば娘の親権を奪われる可能性があります。ただ飾り物のように振舞うことだけを求められているような上流階級の妻の座。テレーズには結婚を求める恋人がいますが、なにか人生の方向が見出せません。

"心に正直に生きるための旅に出るふたり"

画面展開が素晴らしいのです。
映画ですから詳しくは書きませんね。

ただ、レスビアン・・・とかたずけられない人間のガラス細工のような繊細でもろくで、しかし"真実"に向かう姿勢には感動をおぼえます。

舞台となった1950年代はまだ世の中には偏見があり受け入れられなかった愛。

ちなみに原作者のパトリシア・ハイスミスもレスビアンだったとか。それにしても主演女優の二人の素晴らしい演技。人間が自然に恋におちてお互いを必要とした世界が見事に表現されていて、女性の心理をよく理解している監督が見事です。

ケイト・ブランシェットのファンの私には贅沢な映画でした。

仕事で東京に出かける時は、時間を作って映画館や美術館に足を向けます。ほんとうは舞台もコンサート、落語にももっと行きたいのですが、限られた時間の場合はこの二つが至福の時間に変わります。

今を大事に丁寧に生きたい・・・と切に思うようになりました。
やりたいと思ったら、いつかと先送りせず、即、行動する・・・それが、この頃の私です。

映画公式HP
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<画像出典・公式HPより>

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愛しき人生のつくりかた

映画「愛しき人生のつくりかた」
なんて優しくて、ウイットにとんだ映画なのでしょうか。
これぞフレンチ・コメディーですね。

パリで暮らす、ごく普通の家族、そして普通の暮らしのなかでの人間模様。

クリスマスを目前に最愛の夫に先立たれ、冒頭は葬儀のシーンから。モンマルトル墓地。この墓地には、小説家スタンダールや画家のドガ、多くの有名人が眠っています。そして、映画作家フランソワ・トリュフォーも眠っています。監督は「普通の人々の日常が私を魅了するのです」と語るジャン・ポール・ルーヴ(監督・脚本・(ホテルの主人役)主人公の祖母を演じるのは(マドレーヌ役)アニーコルディー。1928年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ベルギー国王よりパロネス(女性版「男爵」)の称号を贈られています。

彼女は、ある日突然、姿を消してしまいます。親友のように仲の良い孫をマチュースピノジ(ロマン役)が演じています。彼はこう語っています。脚本のどこに惹かれましたか?

「普遍的なテーマの数々に感動しました。生、死、時間の流れの速さ、生命の危機、世代を超えた関係が描かれ、考察されています。それらは僕自身のことと響きあっています。台詞は軽快で可笑しくて、原作よりコミカルです。」と。

そのロマンの両親、退職したことを受け入れられず、自覚できない父。多くの女性が自己投影できるユーモアと感受性豊かな現代女性の母。夫婦の溝。そして再会。

フランス語の分からない私にはそのユーモアのニュアンスが分からず残念ですが、原題は「思い出」「記憶」「かたみ」」などとなっています。人生の哀しさや、理不尽さを主人公のマドレーヌは自分の望みを妨害されることには我慢ができなくなって自由を選び、少女時代の思い出の場所に旅に出ます。年をとったからといって、生きることをあきらめなければならないことはありません。フランス式の「家族の絆」とは日本とは少し違いますね。マドレーヌには3人の息子がいますが、息子たちは老婆(といっていいのかいら・・・)引き取ろうとはしませんし、彼女もそれを望みません。

この潔い生き方に共感できます。

振り返ると、私は人生の節目のときに、よくパリを歩きました。美しい街並み、美術館の数々。マルシェをのぞき食材を買い「暮らすように旅する」ことが最高の贅沢な時間です。そして、思うのです。日本人の慎ましさ、思いやりといった美徳だけでは通じない、個人主義の厳しさ。街ゆくひとがかもし出すぴりっとした雰囲気・・・。適度な緊張感。

この映画はまさにそうした家族のありよう、自分自身の生き方、家族の喪失を乗り越え、新たにつながる絆の予感を感じます。さわやかで温かさのこもる映画。孫が愛する祖母を捜しにノルマンディーへと向かいます。その美しい海辺の町、「エトルタ」その美しい風景に魅せられ画家モネ、クールベらが作品に残しています。

渋谷の文化村の"ル・シネマ"の午後の回で観て、そのままエレベータで地下に降り、吹き抜けになったテラスで白ワインを一杯飲み山に戻ってきました。

孤独って素敵なことですね。

映画の公式HP
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【イングリッシュ・ガーデン】 英国に集う花々

パナソニック汐留ミュージアムで素晴らしい【ボタニカル・アート】の花々が観られます。

私が「007は2度死ぬ」の撮影でロンドンに滞在していた間、郊外にあるキュー植物園には何度となくも足をはこびました。世界中から集められた植物を広大な敷地内を散歩しながら、また温室の中でもみることができます。225年という歳月をかけ造園された歴史ある空間に身を置くとイギリス人の植物に対する想いが肌で感じることができます。

今回、汐留ミュージアムではキューの美術コレクションの中から"ボタニカル・アート"(植物画)が多く出品されて、その歴史を知るチャンスですし、室内調度や服飾品、日常生活に使うタイルや陶器、植物をモチーフにしたドレスなど身近に感じられとても素敵です。

キュー王立植物園は2003年にユネスコ世界遺産にもされました。

イギリス郊外などを旅すると、小さな家や邸宅など、どの家々も良く手入れされ花が咲き誇り、その美しさに見惚れます。

゙自然の美゙の庭園、庭作りはイギリス人にとって植物への夢と憧れるなのでしょうね。私たち日本人にも共通する点があります。

会場では、アネモネ、チューリップ、ザクロ、ケシ、マーガレット、ダリアなど美しい花々が咲き誇っています。またデザインが素敵です。いつの時代にも植物、花々は心を癒してくれます。

植物の世界を理解するには非常に素晴らしい展覧会でした。新橋駅からも歩いてすぐです。ほんのひととき、花々に囲まれ心を癒してみてはいかがでしょうか。

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パナソニックミュージアムの公式HP

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田中一村 記念美術館

鹿児島で仕事があり終了後、一日休みをとり奄美大島の「田中一村美術館」へ行ってきました。鹿児島空港から約1時間で奄美へ到着。車で7,8分の奄美パークの一角に美術館はあります。

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2001年にオープンしてから今回は4度目です。田中一村のことを知ったのはNHKの「日曜美術館」でした。その時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。「これって日本画?」従来の日曜美術館で観る絵画とはまったく異なり、その画像からうけるあまりにも異端といってもよい画風に衝撃を受け、また感動を覚えました。『実物が観たい』そんな思いをかなえてくれたのが巡回展でした。昭和60年だったと記憶しております。福岡の岩田屋に日帰りで観に行きました。目の前にテレビで見た作品の数々。テレビで見たときとはまた違う静謐で亜熱帯の植物を描きながら、そこには一村の生き方、奄美での暮らしはストイックといってもいいほどの生活なのに、絵の中には人物は描かれていないのに人々の温もりが感じられる作風。ただただ涙がこぼれるほどの感動を昨日のことのように思い出します。

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一村の過ごした奄美での19年の歳月。50歳という年を迎えての奄美行き。"なぜなのだろう"という疑問。奄美の地に深く身をまかせ、ガジュマロの大木、ビロウ樹、鳥や魚、亜熱帯の植生のもつエネルギー。日本画ではあるのにどこかモダン。すべてが驚きと感動の展覧会でした。

これほどの才能の持主がなぜ存命中に世に認められなかったことが不思議でなりませんでした。それからです、「田中一村」の追いかけを始める旅がはじまったのです。本、新聞、映画、売るための絵を描くことなく、誰ひとり看とることなく台所で食事の支度中に倒れその69歳の生涯を終えたのです。生計を立てるため大島紬の染色工として働き、朝、夕と散歩をしその自然を観察し、魚屋さんのご夫婦に鮮度の良い美しい色をした魚を描かせてもらったり・・・そこに一村の純粋で妥協を許さない厳しさ、自然を知り尽くした画家の目を感じることができます。

前回の奄美では終の棲家、倒れた家や一村が歩いたであろうと思われる山にかこまれた熱帯林の道。そこには「南国の明るさ」はなくむしろ静謐な空気を感じ、ただただ一村の存在を感じたくての旅でした。

1908年7月22日栃木生まれ1977年9月11日没。
千葉に暮らし、若きころからその才能はすでに確立されていたように思います。恵まれた家庭環境にはなく、若き日「米邨(べいそん)となのっていた時代」の襖絵を今回見ることができました。南画を描いた時代、東京美術学校(現・東京芸術大学)の同期には東山魁夷、橋本明治などがいました。でも中央画壇からはなれ南の島奄美へ。それはなぜ・・・

かつて読売新聞に「果たせぬ望みへの静かな諦めと一種の悟り」と書かれていました。

水辺の上に立つ美術館。
ひとり静かに思う存分独りじめできた一村の絵との出会い。
エネルギーがわいてきました。
奄美の湿気を含んだ風に見送られ帰路につきました。

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松の内

雪一日 日和一日も松の内   原 石鼎

と申しますが、皆さまは新年をどのようにお迎えになられましたか。

お正月らしい晴れやかな空気は昨日まで(関東では)。我が家では昨日(7日)、玄関のお飾りをはずし2016年仕事はじめです。と、申しましても私は12日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」の収録が仕事始めですが、その前にゲストにお招きする方の本をお正月から読み始めております。

それにしても、暖かなお正月でしたね。

元旦、御節で新年を祝い、私のお正月は「箱根駅伝」で始まります。本格的に箱根に戻り、この十年は2日、3日は私にとっての大事な駅伝応援です。私の住む箱根町は駅伝のゴール・スタート地点です。2日は選手が元箱根に着くまでは、ラジオ、テレビでの観戦。そして、新春の陽光にてらされアンカーがゴールにさしかかる前に家を出て選手をむかえます。

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昨年、「山の神」としてその名をとどろかせた青山学院の神野大地選手が、あの険しい箱根の山を美しい走りで目の前を駆け抜けてゴール。おめでとう!と思わず声にだしてしまいました。故障に苦しんだ1年、そして重圧。その重圧をはねのけての堂々とした5区のゴールでした。

箱根湯本駅から本格的な坂が始まります。標高差は約860mに及びます。選手一人ひとりにドラマがあります。たった5秒差で襷を渡せなかった神奈川大学の選手はさぞ悔しかったでしょう。沿道にはたくさんの応援する人々、富士山もその走りを応援するような美しさで迎えます。往路は青学の圧勝でした。10位までのシード権争いでは、順大、日体大、帝京大がトップ10に返り咲きました。

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3日早朝、まだ月、星が見える6時過ぎにはスタート地点に行きました。私は8時スタートまでのこの時間が至福のひと時です。昨年は-5度の寒さでしたが、今年はそれほどの寒さもなく、周辺を歩きました。テレビクルーやラジオクルー、そして各新聞社のカメラマンの方々などがスタートに向けて様々な取材や準備をしています。こうしたことが、画面や紙面、そしてラジオ生中継にいかされるのです。前日の走者が周辺に集まることもあります。私のもっとも好きなところは応援する人たちです。最後の走者が終わるまで大きな声で応援し続けます。

2016年「第92回東京箱根間往復大学駅伝」は往復217.1キロ、
青山学院大が往路に続いて完全優勝で連覇を達成しました。

なぜここまでこられたのか・なぜあれほどまでに"のびのび"と選手が走れるのでしょうか。それはやはり原監督の哲学にあるのでしょうか。原監督はたえず「陸上界を変えたい」とおっしゃっています。監督は奥さんとともに選手寮に住み寝食を共にしています。奥さんは選手達の母親代わり。ビジネスの世界に長く身を置いた監督は陸上界のあしき因習にとらわれることなく、専門トレーナを招き、独自のトレーニングを続けてきたといいます。何よりも、その信頼関係は選手にとってどんなにきつく辛い練習も笑顔に変えられるだけの環境が整っているのでしょう。

「箱根駅伝」は優勝したチームだけではなく、挫折や栄光、さまざまな経験をする若者達選手に私達は眩しいような"何か"を与えてくれます。選手たちはもう来年に向けて始まっているのでしょうね。4年生は人生の新たなスタート地点に立ちましたね。ありがとう!選手の皆さん!

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そして、4日は夜明けとともに箱根神社に参拝します。
"どうぞ2016年が世界平和でありますように"と、祈願いたしました。

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5日は恒例の上野「鈴本演芸場・新春爆笑特別興行」で初笑い。落語、漫才、曲独楽、に講談、ものまね、お正月ならではの寿獅子、林家正楽師匠の紙きりでは、お客様からの要望で「箱根駅伝」「猿と門松」など。粋な三味線は小菊さん。そして、落語家の贅沢なこと。柳家権太郎・喬太郎師匠。そして・・・追っかけを自認する柳家小三治師匠に、トリは弟子の柳家三三師匠。並んだかいがありました。

幸せ・幸せ。
さ~あ、今年も"がんばろう"というルンルン気分で山に戻ってまいりました。

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松の内最後の朝は「七草粥」をいただきました。

春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)若葉をそろえ、包丁でトントントン。豊作や無病息災、長寿を祈ります。

皆さま健康にご留意され今年も佳き年にいたしましょう。


まどろめるわれを見守り福寿草   河部みどり女

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新年のご挨拶

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新年おめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
今年も佳き年でありますよう 心よりお祈り申し上げます。

70代となりまた一つ歳を重ね、より自然に等身大の自分に向き合えていることに気が付きました。

年齢を重ねるのもよいものだと日々しみじみ感じます。

今の私だからこそできるチャレンジを忘れず、今年も新しいステージに向かって歩んでいきたいと思います。

春風が吹くころ、本が一冊、船出する予定です。

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今年を振り返って

2015年クリスマス

行きずりに聖樹の星を裏返す    三好潤子

「クリスマスツリー」だと音数が多すぎるので、俳句では「聖樹・せいじゅ」と詠まれることが多いそうです。「聖樹」私は山の中に住んでいるのでこの方がしっくりきます。箱根の芦ノ湖のそばに居を定めて40年近くの月日がたちます。子供が幼かったころは小雪舞うなかで雪遊びをしたり・・・、和ろうそくに灯りをともしクリスマスケーキを食べたり・・・懐かしい思い出です。今朝など垣根に植えられた山茶花が真っ赤な花をつけています。クリスマスがなぜ冬なのか、冬至の祭りと深い関係がある、と本で読んだことがあります。

春の訪れを待ちながら、静かにこの2015年を振り返ります。

私はクリスチャンではありませんが、24日のイブの日は築地の聖路加病院の中にある教会で静かに今年を振り返ります。近くに事務所があったから散歩コースでよく行きました。今年も早朝山を降り教会でひとり静かに過ごしました。

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2015年は自然災害や豪雨による多くの方が被災され尊い命も奪われました。世界に目を向ければ無差別なテロで犠牲になられた方々がおられます。

天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられました。

今年の四月、天皇皇后両陛下が、元日本の植民地で太平洋戦争の激戦地だったパラオ共和国を訪問し、元日本兵や遺族の見守る中、日本の慰霊碑だけではなく、アメリカ軍の慰霊碑にも献花されました。そのときの「ここパラオの地において、私どもは、先の戦争でなくなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」というお言葉を聞き、父のことを思いだしました。

私の父は無事、復員することができましたが、しばらくの間、立ち直ることができませんでした。そして亡くなるまでの間ずっと、戦争のことはひとことも口にしませんでした。戦争が終わって帰ってきた兵の中に、過去の辛い経験を生々しく思い出して不安や恐怖、睡眠障害といった精神的ストレスPTSD(心的外傷)を抱えている人が多くいることも知られるようになりました。父もまた、そうした状況にあったのかもしれないと、今になって思います。晩年は穏やかに暮らし83歳で亡くなりました。

皇居・宮殿での記者会見で天皇陛下は「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と仰られておられます。

戦後70年の節目を迎えたこの1年。

世界の平和を祈ります。

イブの日は息子のお嫁さんが作ってくれたクリスマスケーキ(聖菓・せいか)を家族でいただきました。

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今年も私の思いを綴ったブログをお読みいただき感謝申し上げます。

良い新年をお迎えくださいませ。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

映画 『アンジェリカの微笑み』

今年106歳でとうとう亡くなったマノエル・ド・オリヴィイラ監督の長編映画です。舞台は監督の故郷ポルトガル。監督が101歳のときの幻の傑作です。構想から60年のときを経て、いま私達の前に現れました。

ポルトガル、ドロウ河流域の町を舞台に、ユダヤ人青年イザクが、若くして死んだ女性アンジェリカの遺体の写真撮影を頼まれたことから、彼女の虜になってしまう物語。彼女の美しさに魅入られ、思いを募らせる彼に応えるかのように幻影が現れます。半世紀以上を経て、この脚本を監督自身が現代の物語に書き直し、映画化したものです。

100歳を超えてもこの瑞々しい感性はどこからくるのでしょうか。ドロウ河の印象的な風景、モノクロームの幻想シーン。主演のイザクを演じているのは監督の孫。アンジェリカはスペインの人気女優ピラール・ロベス・デ・アジャラ。

ふたりが抱き合って川の上を飛ぶモノクロームのシーン。夜が来て、明け方近く、イザクがベッドで寝ていると小鳥が迷い込んみ、飛び去るのと入れ違いに彼女が天井近くに現れる。差し伸べてもつかめない彼。そこから一気にストリーは展開していきます。  宗教、生と死、愛、政治的な背景。私はポルトガルのユダヤ人について何ひとつしりませんでした。ひとつ間違えば怪異になるテーマをオリヴィラ監督は見る者を映画的な、映像のもつ至福のときへと誘ってくれます。

この映画の感想はなかなか表現が難しいです。

ただ、生きている幸せを感じさせてくれたこと。平和について。愛について。社会を取り巻く様々な側面をもっと知らなければ・・・と気づかせてくれたこと。イメージの美しさに魅力を感じ、早々と箱根の我が家に戻ってきました。黄昏の山の稜線を眺めて106歳で亡くなったマノエル・ド・オリヴィラ監督は私達にどんなメッセージを託してくださったのでしょうか・・・。
やはり、映画は好きです。人生の一部です。

http://www.crest-inter.co.jp/angelica/

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盛岡への旅

先日、北日本銀行様のお招きで盛岡に行ってまいりました。

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『きたぎんレディースサークル連絡協議会』の主催でした。
ホテルの会場には220名ちかい女性の方々が出迎えてくださいました。
やはり、"女性同士"始めてお目にかかる気がせず和やかな雰囲気の中での講演会でした。テーマは「明日を素敵に生きるには」です。

今日11月20日は私の72歳の誕生日です。
しみじみ思うのですが、「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになること」を考えるほうが、前を向く行動になるように思います。そう、今日(こんにち)の私の足元を照らし、導いてくださった先輩たち。そんな"人との出逢いが宝もの"としみじみ思います。そんな出逢いのお話をさせていただきました。

子育て時代には「早く家に帰らなくては」と慌しい思いもすることもありましたが、4人の子どもたちが、みな社会に巣立った今は、旅の仕方も少し変わってきました。

これまでのように早く移動して・・・・・ではなく、それぞれの土地が持つ味わいを楽しみたいという気持ちが強くなってきたとも感じられます。

仕事で出かけるときにも、時間がゆるせば前日にその土地に入り、町や村を歩いたり、名所旧跡を訪ねたり、市場に寄ってみたり。夜には地元の居酒屋にふらりと立ち寄ったりすることも増えてきました。

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今回は盛岡。
まず最初にすることは巡回バスに乗って一巡り。
盛岡は何度もお邪魔しているのですが、農村部が多く街中は数回です。盛岡都心巡回バス「でんでんむし号」は駅前から右回り、左回りと、15分間隔で出ています。1乗車100円、1日フリーは300円。お勧めです。行きたい場所はだいたいどこもバス停があります。

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そして歩いて楽しむ街・盛岡。

街の中をサラサラと流れる中津川。このほとりや城址の公園がお気に入りの散歩コースだった宮沢賢治。「モリーオ市」と呼んだ、夢の中の盛岡。花巻市に生まれた宮沢賢治は、多感な青春の日々を過ごした盛岡を『ポラーノノ広場』で(うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎら光る草の波)と描いた夢の中の盛岡。花巻に戻ってからも、賢治は青春の地、盛岡をたびたび訪れたそうです。

この街で恋にめざめ、文学に夢を馳せた石川啄木。
新婚生活を過ごした家も(でんでんむし)バス亭からすぐです。

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中津川をはさんで左岸は、城下町の商人街として栄えた街。周辺の「赤レンガ」の建物は重要文化財です。ザルやカゴ、箒にタワシなどの生活雑貨の店は入り口に箒がきちんと並べられています。江戸時代後期の建物が懐かしく温かみがあります。私は亀の子タワシを買いました。

盛岡名物南部せんべい(私はゴマせんべいが大好き!)、岩手を代表する伝統工芸品・南部鉄器のお店、ムラサキの根を染料につかう「紫根染」の伝統技法でつくられた染物のお店・・・など。

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ちょっとお腹がすいたので「盛岡冷麺」もいいのですが、せっかく新そばの時期(わんこそば)が有名なお店ですが、さすがに私には無理なのでザルそばと出汁卵焼き、アナゴのそば巻き。ほんとうは、ちょっと"冷酒"といきたいところでしたが、がまんしました。そして、中津川沿いには素敵な小さなギャラリーがいくつもあります。産地から直接仕入れている紅茶専門店でほっとひと休み。

橋を渡って右岸へと。

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とても行きたかったお店「光原社」
柳宗悦が提唱した「民藝」。柳と交流を深めた故・及川四郎氏創業の「光原社」。本店同様姉妹店でも『北の光原社』には、織物、陶磁器、漆器、鉄器など全国各地の逸品がそろっています。外国の民芸品もあるのでモダンな雰囲気がします。

陽も落ちかけた夕暮れ、北ホテルの近くの"ナイショ"にしておきたい小さな・小さな喫茶店「KARUTA]で、1杯目はオリジナルブレンド、2杯目は深入りのコーヒーをいただき「でんでんむし」に乗って駅近くのホテルに戻りました。

古都盛岡の情緒が残る町歩き、小春日和の一日でした。

旅は賜る(たまわる)もの。
人に出会い人から恩をいただく・・・遠くにいかなくても、驚きや発見、新たな喜びや感動を覚えることこそが私にとっての旅であり、人生の果実を味わうひとときではないかと今、感じています。

『きたぎんレディースサークル』でお逢いした方々、ありがとうございました。

そして盛岡の街なかで出会った皆さま、素敵な宝をたくさんいただきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

秋の京都

この季節は「秋思・しゅうし」とよぶとか。

実りの秋、収穫の秋。花は実となり枯れ葉となりどこか寂しい思いがいたしますが、心が幸せで満たされるような展覧会に行ってまいりました。

『石井麻子のニットアート展』です。

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石井麻子さんには過去に何度か我が家の箱根やまぼうしで、展覧会をしていただき、そのたびに心惹かれる天使たちが舞い降りてきます。着るとラブリーな気持ちにさせてくださるセーターやベスト。私のクローゼットでは石井さんの天使たちが仲良く一年中微笑んでくれています。

今回の京都文化博物館でのニットアート展では2003年から製作をはじめたニットタペストリー27枚が展示されました。パリからスタートし「京都姉妹都市シリーズ」は9都市。春夏秋冬プラハ、グアダラハラ、韓国、キエフ、フィレンツエ、西安、ボストン、ケルン、京都など。

そして我が家のやまぼうしのために製作してくださった「箱根・HAKONE」。深い青の色が湖や空、そして寄木細工の文様。素敵です。宇(そら)で遊ぶ天使たち、天使の森深く迷いこんだような感覚にとらわれる素晴らしい手仕事。心がほっとして思わず微笑んでいる私。

世界の平和を祈り、そして古都の、歴史、文化、自然に学びながら、「畏敬の念」を持って製作に立ち向かうことは至福という言葉以外ありません。とおっしゃる石井さん。行く秋を足の赴くままに旅をさせていただきました。

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そして、翌日は早朝京都御苑の周りを散策し、向かった先は今回の旅の楽しみのひとつであった千年の都に伝わる秘法を紹介する、秋の「京都非公開文化特別公開」のひとつ、来年生誕300年を迎える江戸中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう・1716~1800)の天井画が初公開されているのです。

10月30日~11月8日
江戸中期の奇才と呼ばれた若冲。謎の絵師です。

今回初公開された、浄土宗信行寺の天井絵「花卉図」。本堂の一画に、格子状に区切った167面は一枚が38㌢の角の板で、中央を円形の画面として植物が描かれています。

朝一番で行ったのですが、すでに1時間待ちの行列。頭上に花々が降り注ぐように描かれています。アヤメ、ボタン、ユリ、シュウカイドウ、ヒマワリ、キク、ナンテン・・・若冲らしいこだわりもうかがえます。ボタンは正面から描かず、後ろ姿。アヤメは茎をくるりと丸めて下をむいているのです。本堂で檀家のひとたちが祈る場所にはそのような構図がふさわしいのでしょうね。

それにしても・・・あの「若冲」の本来の作品とはかなり違います。最晩年のこの作品がもしかしたら、もっとも「若冲」の本質的な絵なのかもしれません。信行寺はこれまで、劣化を防ぐために公開せずにきたそうです。美術を学ぶ人たちから『拝観のチャンスを』との願いを受け一度だけの公開となりました。

本堂の一画にすべて異なる植物を外国人も京都の人も、私のような観光客も、若冲のその晩年の絵に魅せられました。

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その足で錦小路の市場へと向かいました。
若冲は高倉錦小路の青物問屋の長男に生まれますが、15歳ごろから絵を学び弟に家業は任せ、絵に専念し動植物を描き続け、その手法はだれも真似のできない様々なアイデアで描いていきます。

私は今回の天井画を観て初めて「若冲の心」の入り口にたてたような気がしました。
謎の人物でもなく、奇抜でもなく「人間若冲」をかいま見ることができました。

紅葉にはもう少し・・・冬が間近まできている気配はありますが、心はぽかぽか・・・丹波の栗きんとんとお抹茶をいただき京都を後にしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落葉美術館

長野から、しなの鉄道に乗り、りんごの実る木々の合間をぬってワンマンカーはひたすら黒姫に向けて走ります。

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何度も何度も通った道。

このたび黒姫に住む友人ご夫妻から10年間閉館していた「落葉美術館」が今回を最後に1年に1日だけではなく、1週間開館するので「見にいらっしゃらない?」とお誘いを受け黒姫に行ってまいりました。毎秋、11月3日に一日だけのオープン。なかなかタイミングがなく今まで残念な思いをしてきました。今回は10日28日(水)~11月3日(火)・午前10時30分から午後4時まで。(入場無料)

私は初日の28日に行ってきました。
黒姫駅には友人が出迎えてくださり車で7、8分の「落葉美術館」へと。

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紅葉は見事で山の上から裾野に降りてきています。雑木林の入り口から平山英三・平山和子ご夫妻のアトリエへと向かいます。サクサクサク・・・と落ち葉を踏みしめ歩きます。手入れのゆきとどいた庭と建物。入り口を入り磨かれたガラス窓の向こうには紅葉した樹々。土間と画室が展示室になっています。水彩絵の具を使って原寸で描かれている落ち葉の絵。落ち葉の表情は繊細で、その姿が忠実に描かれています。

友人ご夫妻は車を運転し、よく平山ご夫妻と落ち葉拾いをなさったそうです。ご自宅に帰られて色の変わらないうちに奥さまが克明に落ち葉のすがたを忠実に描きしるす・・・。葉の大きさによって描ききれない時は、きれいに包んで冷蔵庫で採ったときの印象を保存されるそうです。

美しい落ち葉に出逢った喜びが絵から伝わってきます。やまぶどう、こぶし、いたやかえで、くり、メイプル、おおばやなぎ、いたやかえで、はりぎり、ほおのき、やまぼうし、はうちはかえで、もみじ、さわぐるみ、おおばかめのき・・・など等。落ち葉の表情が繊細で、こんなに豊かな表情をしているとは驚きです。色が鮮やかさを保つために画室はなるべく暖房をしないようにするとか。落ち葉の季節は零下の日もありストーブはかかせません。落ち葉のしめりけにも気をくばられるのでしょうね。

東京から移り住んで30年あまり。お目にかかったことはありませんが、黒姫の落ち葉に魅せられて描き続けていらっしゃる和子さんのお姿を想像いたします。

敷地の雑木林には沢が流れています。黒姫の雪解け水なのでしょうか。
私も落ち葉のシャワーを浴びながら、こんなに美しい落ち葉があることに感動いたしました。落ち葉は秋だけではなく冬や春、夏の林にも出逢えるそうですね。

箱根の紅葉も美しいのですが、黒姫の雑木林は、また趣があります。
まもなく黒姫も雪におおわれます。

展示室の壁にこんな言葉が書かれていました。

 自然がつくりだした一枚一枚の落ち葉の意匠は美しく不思議で
 林のなかは、つきることのない美術館です。
 私どもは黒姫で出会った美しい落葉のすがたを描きしるして、
 住まいの一隅に落葉美術館としてまとめております。
 小さな美術館ではございますが、林のなかの、ほんとうの落葉の
 美術館の分館のひとつともなればと思っております。

                          平山英三
                          平山和子

やがて消えていく落ち葉に、70代になり自然への敬慕がつのります。

そして長野から途中下車し、上田の玉村豊男、抄恵子さんご夫妻の「ヴィラデスト・ガーデンファーム」にお邪魔して秋の花が美しく咲くお庭を散策し、コーヒーをいただき、晩秋の山の風が心地よい夕暮れ帰路につきました。

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80代になられた平山ご夫妻。
もう、落ち葉の絵を観ることはできませんが、どうぞお元気でこれからも黒姫の落ち葉を描きつづけてください。そして、生きていることの幸せを与えてくださったことに深く感謝申し上げます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

輝く農山漁村の女性たち

輝く農山漁村の女性たち
~こだわりの地域特産品はこうして生まれる~

というテーマで、山口県からお招きを頂きうかがってまいりました。

第1部は"農の風景~輝く農山漁村女性たちへのエール~"と題して私がお話をさせていただきました。

第2部は現場で活躍している女性たちとのトークセッション"こだわりの地域特産品はこうして生まれる!" こんなお話を私はさせていただき、また活躍している地元のジャム屋さんをご紹介させていただきました。

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山口県は、豊かな自然環境に恵まれ様々な地域資源が溢れています。ある意味恵まれすぎているかもしれません。山の幸、海の幸、温暖な自然環境。暮らしの中で培った知恵や技、そして地域資源を活かした特産品づくりを進めています。

私はこれまで40年近く農村漁村にお邪魔し女性たちと語りあってきました。歩いていると、農業の半分は女性が支えているのに、「自分の銀行口座」もなく、家族に遠慮して暮らしている・・・と思えることもありました。"もっと光をあててほしい!"と「食アメニティー」を立ち上げ、国にも協力していただき、農山漁村の伝統食など「食」によって経済的自立をはかろうとする女性たちを応援してまいりました。

確かに日本の農業・漁業は高齢化、担い手不足という側面もあります。TPPでの合意で、はたして日本の環境に即した生産ができるのか、安い生産物が輸入されて、確かに消費者としては嬉しいのですが、「食料」は工業品ではありません。海外からの輸入がストップした場合、担い手はすぐにはできません。広大な敷地を持つアメリカやオーストラリアとは違います。そして、世界中たとえばフランスもイタリアも「農業国」です。大型化してできる限界も日本の場合いはあります。何よりも、この美しい日本の景観は何で生まれているのでしょうか。外国からの観光客は何に魅力を感じて旅をしてくれるのでしょうか。そんなことを思いながらの40年でした。

『これからは、生産だけで食べていけない時代がくる!』と思い農村女性たちとヨーロッパへ"グリーンツーリズム"の勉強に13年通い学んできました。いまではあたり前のような「農家民泊・農家レストラン」。そこに女性の活躍の場があります。

女性たちには底力があります。「命を育む」という意味がよくわかります。今回のテーマである「六次産業化」は生産、加工、販売すべて完結いたします。地域に根ざしたやり方で、勢いを失いつつある・・・と言われた時代から、新たな「農業のあり方」を考えはじめ行動に起こしています。

食を取り巻く状況は確実に変化しています。ファーマーズマーケットでの食堂経営など、六次産業化は日本全国で大きなうねりになってきました。大量に生産し、市場に流す、一過性のイベントに頼るのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。

地域の食材を生かした加工品や料理を生み出すことで、地域内に人と人のつながりが生まれ雇用や起業を促進するレストランやカフェが生まれます。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

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ご紹介した地元、山口県周防大島のジャム屋さんです。
この周防大島は民俗学者、宮本常一のふるさと。私も何度か資料館にはお邪魔しております。

最初にこのジャム屋さんを知ったのは、地元の方からではなく東京でした。「知っている?山口の島で作っているジャム、フレッシュですご~く美味しいのよ」という話でした。私は毎朝、ヨーグルトにジャムは欠かせません。気になってある時訪ねました。

正直言ってジャムは日本全国のどの農村でもよく作られています。果実を栽培する地域では、誰もが真っ先に思いつくのがジャムです。イチゴの産地、りんごの産地、桃、梨、ぶどう・・・果実の産地に行けば必ずジャムを作っています。

「周防大島のジャム」はどこが違い、都会の人も興味をおぼえるのか。
松嶋匡史さんと奥さんの智明さん。ご主人は京都出身の元サラリーマン。奥さんの故郷での開業は新鮮な果物が入手しやすいということで始めたそうです。新婚旅行でパリに行き、たまたまジャム専門店に入ったとき、作り方、売り方が違っていたそうです。

高齢化率日本一の島に現れたジャム屋さん。ここまでくるのは大変なご苦労があったと拝察いたします。ジャムの主原料は、島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れること。契約農家は52軒にのぼり、かつては加工用ミカンでは1キロ、10円ほどしかならなかったのが、ジャムづくりに適した果実を栽培してもらい、キロ100円で買いとるとのこと。お店で試食もできます。パンにつけて食べる焼きジャム。季節の新鮮なジャム。年間120種類。生産量は10万個。店頭で半分売り、ネット販売が2割、卸やパン店への販売が3割。広島のパン屋さんとのコラボ。パテシエの雇用。

「こだわったジャムにはブランド価値がある。お客さんもこだわりのもの作りに価値を感じて買ってくださる」とおっしゃいます。均一化され、どこにでもある物ではなく「つくり手も買い手も喜ぶ」大切なことだと思います。

トークセッションでは、それぞれのゲストの方の事例発表を伺い、地域に根ざしたすばらしい活動をなさっておられました。それを地域の豊かさにどう繋げていくのか・・・大変興味があります。

六次産業化については国が支援し、各自治体で積極的に推進されています。現実的にはまだまだです。販売先の開拓、メニュー開発など六次産業化には問題が山積しています。やはり「無理のない等身大」のところから進み、ひたむきに、愛情をもって、そして消費者のニーズをしっかりリサーチする経営努力も大切でしょう。

ご一緒した方々は何よりも、ご自分の暮らす故郷を愛しておられます。

山口にはまだまだ眠っている宝が山のようにあると感じました。

『輝く農山漁村の女性たち』に参加させていただき、会場の皆さまとご一緒に日本の未来・山口の未来について考えました。次回伺うときには「新たな宝」を教えてくださいね。

皆さま、貴重なときをありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

片岡鶴太郎 四季彩花

片岡鶴太郎さんの展覧会がパナソニックの空間演出ソリューション特別展が汐留ミュージアムで開催されています。
先日拝見しに行ってまいりました。

画業20周年を迎えられた鶴太郎さんは、絵画だけではなく陶器、ガラス器、染色・・・とそれぞれの分野で制作を続けておられます。今回の展覧会は、美しい日本の四季への思いが込められた作品の数々。そして、今回は初めての試み、最先端のテクノロジーによって4Kを含む各種映像・照明、その空間演出は今までの個展とは異なり、新たな世界が広がる素晴らしい展覧会でした。

鶴太郎さんは高校卒業後、片岡鶴八に弟子入り。3年後、東宝名人会、浅草演芸場に出演し。その後、バラエティー番組を足掛かりに大衆の人気者になり、現在は幅広いキャラクターを演じられ役者としても活躍中です。

あれは、7年前のことでした。我が家で対談をさせて頂いたのが始めての出会いでした。なぜか、とても気になる存在でした。展覧会で作品を拝見して、「どういう心の移り変わりがあったのかしら・どのようにしてこの世界にお入りになったのかしら」など等。

『40歳で始めて絵を発表したものですから、40歳というのは、僕にとって人生の区切りであり、新たな始まりでした。恵まれた芸能生活もある時、40歳の手前で、同時に全部無くなり、引き潮の中でポツンと取り残されたような、何ともいえない、無常観がたまらなく悲しかった。これからの人生、何を頼りに、何を求めて生きていったらいいのか・・・人生の中にポツンと置かれた孤独感と焦り、そんな時2月の寒い朝、ロケで家を出る時に、何か視線を感じ振り返ると、お隣の庭に朱赤の椿が咲いていたのです。"花という命"と始めて語り合えた・・・「この花を描ける人になりたい」そう思ったのがきっかけです』と。

不思議なご縁を感じました。

私も40歳の時に演じるという女優業を卒業いたしました。
そして、人生のギアーテェンジをいたしました。17歳で始めて出会った古信楽"蹲"には寒椿を生けます。

鶴太郎さんと偶然新幹線の中でお会いし、おしゃべりをしていたら共通の画家が好きで、思わず私は鶴太郎さんに「我が家のスペースで展覧会をしてください。生活空間の中で鶴太郎さんの絵を拝見したいのです」と、申し上げておりました。描く絵は野に咲く花であったり、野菜や魚、そこには私は専門的なことは分かりませんが、細密画ではなく、深いところを見ていながら、どこかで思い切って省く・・・そこに見る側を優しさで包み込むようなそんな絵。

それから我が家"やまぼうし"の空間で5回の展覧会をさせていただきました。

2015年3月、書の芥川賞といわれる「第10回手島右卿賞」を受賞されました。
絵画だけではなく書も魅力的な展覧会です。

人は人生の中で何度か壁に阻まれます。
その時に救われるのが芸術なのではないでしょうか。

今回の展覧会はそんな優しさに満ちた会場でした。

2015年9月17日~10月18日(日)まで。  
パナソニック汐留ミュージアムにて開催中。
☆新橋駅から歩いて5~6分です。
http://panasonic.co.jp/es/museum/shikisaika/

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「青春18きっぷ・ポスター紀行」  飛騨路への旅

待っていた一冊の本がやっと届きました。
JR「青春18きっぷ」ポスター紀行(講談社)
25年分のポスターが一挙に掲載!されているのです。
皆さんは旅をなさる時、もちろん新幹線や飛行機が多いでしょうね。
私も使いますが、時間が許せば普通列車でのんびり旅がいいですね。
とくに無人駅のようなローカル線に乗り、お互い旅人同士、目があい挨拶を交わす・・・列車がホームに入り、その列車もどこか遠くから旅してきたようなそんな感じ。駅や渡り廊下に貼ってあるポスターに旅情をかきたてられてずい分旅をしてきました。

青春18きっぷ

本を眺めていたら、高山本線も出てきました。

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「そうだ、飛騨に行こう!」と思い立ち2泊3日で行ってまいりました。
小田原から名古屋までは新幹線で。そして高山本線で高山まで。沿線の景色をぼ~と眺めながら。7割は外国の方には驚きました。奥飛騨から乗鞍のほうまで足をのばすのでしょうか。

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「円空さん」に逢いたくて、高山の街のはずれ車で20分ほどの千光寺に向かいます。旅先には宝ものがあります。その宝物に逢いに行く旅もあると思います。飛騨路の旅の宝物は円空さん。飛騨びとの心に住む円空仏は、まさに木から生まれた仏さま。人々はエンクさんエンクさんといって親しんでいます。

円空さんは1632年、岐阜の羽島の生まれといいます。少年期は大飢饉のさなかであったり、美濃の洪水にみまわれて母を亡くしたりで大変不幸でした。幼くして寺に奉公を余儀なくされたのもそんな事情が重なったのでしょう。その寺を後に出奔するのですが、恋愛がからんでいたという説もあります。そのあたりが青年円空の人間くさい一面を想像させえて、私はあれこれと思いを巡らすのです。

生涯12万体の仏像を全国で彫ったといわれています。辺境の地、離れ島、山間僻地・・・人々の貧困、病苦を救おうと一心に彫りつづけました。想像を絶する旅を続けて、村を訪ね、人と出逢い、交流の中で仏の教えを説いたのでしょう。素朴な仏像はおもちゃとして用いられたかもしれません。

千光寺の宝物殿には円空が立木に梯子をかけてそのままオノをふるって造仏したとされる「立木仁王像」。そして、私の大好きな「おびんずるさん」無病息災を願う千光寺のなで仏。表情の優しさは人の心を抱きしめるような安らぎに満ちています。そうなのですね・・・旅の先には宝ものがあります。ここ千光寺の円空さんに会う他に、こちらの住職さんも会いたい人なのです。端正なお顔立ちと良い声の持ち主で、大下住職は12歳のときにこの寺に入られ修行をつんでこられた方。

以前伺ったことがあります。

『人は一生のうち三度ほど生命の無常を感じます。私は12歳のときに死について考えました。つまり生について考えるということです。それが仏門に入ったきっかけです。寺から中学に通い、やがて高野山へ修業にでました。』

今回もお話を伺うだけで何だかとても心が落ち着きました。
"また、おびんずるさん撫でにきます"と心の中でつぶやき千光寺を後にしました。

そして、旅の空の下には友がいます。私を待っていてくれる人が・・・。
秋の陽射しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれます。

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私には心の故郷と呼べる土地がいくつかありますが、この飛騨古川の街に引き寄せられるように、何十回とこの街を訪れ、今ではこの町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染みわたります。

地方創生・・・という言葉さえない時代に若者たちとの町づくりに夢中になり40年が経ち、若者へとバトンタッチされています。
『ふるさとに愛と誇りを』という8ミリ映画が完成して40年。

端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。

『青春18きっぷ』から半世紀がたっても心は変わりません。

「旅情は距離がつくる」と書かれています。
旅先で自分の過去の記憶が現在いまこうして暮らしている私の心を刺激してくれます。

やっぱり旅は素敵です。


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伊藤若沖

江戸中期に京都で活躍した絵師『若沖』

没後200年だった2000年(平成12年)、京都博物館で開催された大回顧展で観て以来、夢中になったのですが、いまひとつ謎の部分が多くよく人物像がわかりませんでした。

この度、作家の澤田瞳子さんが『若冲』(文藝春秋)をお書きになりました。
夢中で読みました。もちろん小説ですからフィクションですが、その大胆な発想は「若沖」の人物像が変化した」ことが執筆の動機になったそうです。
澤田さんに是非ともお会いしたくラジオのゲストにお招きいたしました。

澤田さんは、1977年、京都生まれ、現在も京都にお住まいです。
同志社大学文学部・文化史学専攻卒業。
時代小説 アンソロジー(作品集)の編集などに携わったのち、2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。翌年、第17回中山義秀文学賞を最年少で受賞しました。

2012年、『満つる月の如し、仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。翌年、新田次郎文学賞を受賞。その他『泣くな道真』など、精力的に時代小説を発表しています。

日本美術の人気背景に、女性作家の江戸時代に活躍した絵師を題材にした作品が次々に発表されています。男性作家の描き方とは違うスケール、社会や歴史にも切り込んだ、そして直木賞候補にもなった澤田さんの『若冲』のように絵のもつ奇抜で強烈な印象をさらに"人間若沖"が読み取れ興味深く読みました。

澤田さんは京都暮らしなので子どものころから若沖の絵に親しんでいたそうです。歌手なら、路上ライブからいきなり日本武道館でのデビュー!的なブレーク。

小説を書くにあたって、過去帳などの資料を読み込み、そこに若沖の絵に「翳り」を感じたともおっしゃいます。書かれた記録が少ない中、私など素人は「どうしてこんなお話が生まれるのかしら・・・」まるで若沖そのまんま!のようなストーリー展開なのです。

京都錦市場の老舗青物問屋の長男として生まれますが、家業は2人の弟に任せて、絵を描くことに没頭。84歳で亡くなるまでが謎でしたが、この小説に描かれている『若沖』で小説ですが私自身は納得できる、そして魅力ある内容のお話が伺えました。2週にわたり放送いたしますので、ぜひ澤田さんのお話を楽しみにお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
9月13日、20日放送。

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流れ星

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初秋の夜半は一年の中で流れ星が一番見られる季節です。

箱根の森に住み40年近くがたちます。

流れ星は、探してもなかなかみつかりません。
でも、ふっと夜中目が覚め、庭に出て星空を眺めていると一時間もしないうちに見つけられます。
夜空を一瞬流れ飛ぶ「流れ星」。
「流れている間に願いごとをすれば必ず叶う」と聞いたことがあります。

下の息子がまだ赤ちゃんの頃、夜泣きが収まらず、おんぶして庭に出て、「ほら、お星さまキレイね」と背中に語りかけてみると、もうスヤスヤ寝ているのです。あのときも流れ星をみたように思います。

今はひとり、夜半の星空をひとり占めできます。
澄んだ夜空は心地よいのです。

ずい分以前のことですが、詩人でエッセイストの今は亡き松永伍一さんと教育雑誌で「子どもの個性を育てる」をテーマに対談をしたことがございます。自然のふところに親と子が立ち、そんな環境の中での子育てを願ってのことでした。

先生はおっしゃいまいた。

「自然によっていのちが生かされていることを、あまり論理的に言ってしまうと、逆に子どもの物差しが自然に目盛をつけてしまうから、流れ星を見て「流れ星って素敵ね」と子どもが言ったら「ほんとにいいね。でも宇宙の中であれも大変なドラマだよね」というぐらいで止めておくことが大切です。すると、それを受けて子どもは、自分なりに論理づけをしていきます。そうやって子どもが少し論理的に言ってきたら、ようやくこちらも論理的に対応するという「待ちの姿勢」が大事なのです。大人はせっかちに「こうあってほしい」「こうしなさい」と親の願望と命令形で目線が下を向いて言葉が出てきているんです。なるべく、親として子どもと目線を同じ高さにしなくてはいけませんね。」

こんなお話をしてくださいました。

『自然を相手にすると待たされるものです。』

子育てもそうでした。

今のお母さんたちは大変です。
情報はふんだんにあるし、物差しもたくさんあります。
おんぶして「お星さまきれいね」・・・というくらいのゆとりを差し上げたいですね。

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映画「あの日のように抱きしめて」

「東ベルリンから来た女」の監督ペッツォルトの今度の作品も衝撃的です。画面転換は淡々としておりますが、アウシュヴィツに収監された女性のベルリンへの帰還という、大変デリケートなテーマでホロコーストの直接的な影響を見せつけられ、心は乱されますし、ドイツでこのような映画が製作されることに驚きます。

主演の二人の芝居が素晴らしいのです。「東ベルリンから来た女」同様主演女優はニーナ・ホス。夫役にはやはり前作と同じロナルト・アフェルト。

ル・パリジャンの評には「心を乱す、胸が張り裂けるような力強いメロドラマ。狂気の愛と失われたアイデンティティー、裏切り、そして残された希望の物語」と書かれています。

漆黒の闇の中を痛々しく包帯に顔を巻かれたネリー。
アウシュヴィツから生還した妻と、変貌した妻に気づかない夫。
再会を果たした二人は、悲しみを乗り越え再び愛をとり戻せるのか。
失われた愛を探すニーナが感動的に演じています。

優しくも切なさすぎます。

明日8月15日、文化村ル・シネマで封切られます。
私は試写で観ましたが、もう一度大きなスクリーンで観ます。
それにしてもドイツ人たちの癒えない傷を引きずっている、そのことに胸が痛みます。

削ぎ落とされたセリフと無駄のない演出、愛の真理。
亡命作曲家による"優しくささやいて、愛を語るときは"という歌詞。

戦争というテーマの中に心が大きく揺さぶられました。
明日は8月15日。
終戦記念日に私たちは何を思うのでしょうか。

公式サイト http://www.anohi-movie.com/
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長岡の大花火

戦後70年の今年の長岡花火にはどうしても行きたくて、昨年から計画しておりました。「子どもたちに繋ぐ平和の願い・70年祈り続けたふるさとの花火」とあります。いままで何人かの人から聞いておりました。「長岡の花火は一度は観るべき」と。

長岡生まれ、長岡育ちのノンフィクションライター、温泉エッセイストの山崎まゆみさんの著書「白菊」を読みますます観たくなりました。

1945年8月1日午後10時30分から1時間40分もの間にわたった空襲。市街地の8割が焼け野原と化し1486人の尊い命が失われました。花火が空へ向ける花「白菊」。夜空に白一色のきれいな円を描き静かに消えていく様には涙がこぼれました。

長岡花火は空襲で亡くなった人への慰霊・鎮魂の花火です。一日の蒸し暑い日が終わりに近づき、薄くくれ始めた夜空に向け、女性のアナウンスが響きわたります。「平和への祈りと戦災殉職者への慰霊をこめてお送りします。」

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食べていた「花火弁当」とお米の里・長岡のお酒スパークリングワインを飲み終え静かに迎えます。

『打ち上げ、開始でございます』

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「ドン、ヒュー、バーン
 
花火音がゆっくりと、ゆっくりと、静かに鳴った。
花火玉が炸裂する音とともに、白い花弁が飛び出し、白い尾を引く。
空に咲いた一輪の白い花は、ふんわりとしていて、やわらかいで、丸くて、清楚な印象すら残す。
一発目の後、間をあけて、もう一輪の花が咲く。

ドン、ヒュー、バーン。

観客は歓声をあげることはない。胸の前で手を合わせて、まるでじっと見守るように、空を見上げる。」
                                  
山崎まゆみ「白菊」より

この「白菊」は伝説の花火師の生涯をたどり、感動の真実にせまるノンフィクションです。

この花火大会は毎年8月2日、3日の2日間開催され、2日間で2万発が咲きます。全国各地からバスを仕立てて見学に訪れ、市内は大混雑になり、車は全く動かなくなります。訪れる人は30万人近くとか。朝から桟敷席を取る人、信濃川の土手沿いに観覧席が用意されるも全くたりません。ビルの屋上や家の屋根、路地に座る人・人・人。

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正三尺玉花火は直径90センチメートル、重さ300キロ。巨玉が上空に打ち上げられるのは1日2発、2日間で4発です。そして「ナイアガラ」信濃川に架かる長生橋と大手大橋延長650メートルの花火はナイアガラの滝を再現しています。

復興祈願花火「フェニックス」は平成16年10月23日に発生した中越大震災からの復興への祈りを込めて空高く上がります。

シンセサイザーの曲にのり軽やかに打ち上げられる花火。

そんな長岡花火を「裸の大将」の愛称で知られる放浪の画家・山下清が1950年に「長岡花火」と題して貼り絵で描いています。河川敷に座る人は小さく、そして繊細に描かれています。花火は大きく咲いています。川面に映る花火の色の美しいこと。山下清はどんな思いでこの花火を見たのでしょうか。

慰霊と平和への願いを込めて打ち上げられる花火。

私は1943年11月20日生まれ。下町の亀戸の我が家も空襲で全てを失いました。全国で尊い命が奪われました。戦争はぜったいにあってはなりません。

今回、私はお弁当・送迎バスがある宿に泊まることができました。1年前から計画し、この花火を通し、平和への祈りを捧げることに感謝した花火大会でした。

帰りのバスから漆黒の闇の空に星が輝いていました。

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夕暮れの美術館

ラジオの収録、打ち合わせなど東京での仕事を終え、ホッと一息。そういうときには東京駅近くの美術館へ。そして、観終わったあとのカフェでの白ワインを一杯・・・至福のひとときです。

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三菱一号館では 「"狂ってたのは、俺か、時代か?"画鬼暁斎展」が開催されています。

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831-1889)は幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じてその正統的な修業後、幕末には「画鬼」とよばれたそうです。

そして、今回大変興味深かったのは三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)との交流でした。暁斎に弟子入りして絵を学び、師の作品を広く海外に紹介したこと。日本文化をこよなく愛し、日本人の女性と結婚し、そしてその師弟愛。コンドルと暁斎の親密な交流がみられる「暁斎画日記」コンドルが旅先で絵を描く暁斎を写生した作品も素晴らしいです。

100年ぶりにメトロポリタン美術館が所蔵する暁斎の水墨画が里帰りしました。

個人的には暁斎がコンドルに贈った「大和美人図屏風」(京都国立博物館寄託)が好きです。閉館も近かったので早足になりましたが、やはりこの絵の前で見入っていた若い外国の人もいました。

『画鬼』といわれた河鍋暁斎。正直あまり全貌は知りませんでしたが、今回の展覧会で理解できました。

この美術館の展示室は、明治期のオフイスビルが復元されているため、小さな展示室が連なり、作品との距離が近くじっくり向き合えるのが嬉しいです。

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陽の落ちかけた夕暮れどき、仕事帰りの出逢いの場、美術館。
建物に刻まれた歴史を愉しみながらの一杯の白ワインは人生の幸せを感じさせてくれます。

丸の内を歩きながら東京駅へと向かいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『思うこと』

先日、スタジオジブリから原稿依頼がありました。
小冊子『熱風』の8月号です。

ご存知のようにスタジオジブリはアニメーションの制作会社で、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」など数々の名作を生みだしている制作会社です。

アニメーション以外にも出版も手がけておられます。『熱風』は「スタジオジブリの好奇心」というキャッチフレーズのもと、毎月書店などに配布している非売品です。

今回の特集は「木の家を愛する者として」です。
皆さまご存知でしたか?
「省エネ法」の義務化により、2020年から「昔ながらの日本の木の家」が建てられなくなってしまうそうです。私は知りませんでした。

省エネ法・・・とは
省エネを推進ということで一般家庭でも2020年から、北海道から沖縄まで「冬は暖房を20度以上、夏は冷房を27度以下」に保てる建築にしなければならなくなり、かかるエネルギー消費量(冷暖房、換気、給油、照明)の上限数値も決められており、基本的には断熱材を完全に入れた建物にした上で、消費電力の少ない新しい省エネルギー対策済み家電(エコ家電)を導入しなければ数値はクリアできなくなってしまうのだそうです。

つまり薪ストーブやこたつ、扇風機などは「省エネルギー対策効果の良くない設備」ということになるそうなのです。断熱材が入らない土壁や真壁、ガラス戸の縁側と障子など昔ながらの日本の家の作りは「省エネルギー対策がされていない建築」としてマイナス判定となり、国が決めた数値をクリアできません。

もちろん省エネへの取り組みはとても大切なのですが、数奇屋造り、土壁、昔ながらの古民家など、日本の伝統的な家作りができなくなってしまう・・・ということだそうです。

信じられません。

日本の景色や建築技術の伝承も変えてしまいかねないのです。

私は「趣のある美しい街並みをつくるのは伝統の力と人々の熱意」だと思っております。

図書館で、柳宗悦先生の本に巡り合い、民藝という美の世界を10代で知り、以来、今まで50年、日本全国様々な町や村をお訪ねしてきました。

日本が高度成長期、私が旅していたころ、古いものは価値がなく、新しいものがよしとされた時代。地方では何百年も人々の暮らしを守ってきた古民家が壊されていった時代でもありました。

ダムの底に沈んだ村もありました。

ようやく日本が、まさにジブリが描いてきた「美しい日本の風景・暮らし」が大切だということで見直されつつある時代、このような法律が成立しようとしているのです。

日本の風土にあった伝統的、あるいは歴史的な家が今後、作れなくなってしまう可能性があるということを知り、胸が痛くなりました。

『家はもっとも大きな民藝』。人々の暮らしの在り方を物語る、私たちの文化の基本です。もちろん、それぞれの暮らしのあり方は様々です。でも、ヨーロッパなどに行くと古き良きものは大切な財産・・・自分たちの手で修理し、壁を塗り、補修しながら暮らしています。美しい景観が保全されています。

最近は海外からの観光客も増えています。
観光地だけではなく、日本の里山に人気が出始めました。

"え、こんなところにも外国の人が"・・・という光景にも出会います。それは、私たち日本人にとっても「心のふるさと」のような場所です。

「国が数値を決め、日本の風景が大きく変わろうとしています」

文化を一度断ち切ってしまうということは、それを作ったり修復したりする技術も手放すことでもあります。

2015年8月10日配布の『熱風』8月号をご覧ください。
そして、このブログをご覧くださっている皆さまのご意見もお聞かせください。

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ミュシャとラリック

盛夏
本格的な夏の暑さがやってきます。

ここ箱根は爽やかな風が心地よいです。

先日、あまりにも気持ちよい午後、仙石原にあるラリック美術館まで行ってまいりました。

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我が家からは、バスで小涌園で「観光施設めぐりバス」に乗り換え、強羅駅を出ると、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けると美術館がいくつもあります。
ポーラ美術館。ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアム、そしてラリック美術館。40年前に箱根に居を定めたときから、折りに触れ、訪ねたのが美術館です。

もちろん美しい風景、そして温泉地の温かなホスピタリティー、ホテルのラウンジでいただく一杯のコーヒー。毎日この幸せを実感しながら暮らしております。

7月14日はフランス革命の記念日。
日本では「巴里祭り」と呼びますね。かの有名な王妃マリーアントワネットも処刑されました。市民は、王や貴族による圧政から自由を獲得しました。

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時代は1860年。ミュシャとラリックは同じ年に誕生しました。

ミュシャは自然豊かなチェコ南部の村。ラリックはフランスのシャンパーニュ地方の村に誕生しました。今回の展覧会は開館10周年を記念しての世界初の2人の企画展です。2つの才能が箱根で出逢うのです。二人とも長い下積み生活を経て一代で名声を得ます。

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出典:箱根ラリック美術館

アール・ヌーヴォーの時代だけではなく、その後も活躍し続けるのですが、共通するのは二人とも大女優サラ・ベルナールにその才能を見出されます。ラリックは、ジュェリー制作から、ガラス工芸家。ミュシャはポスターのデザインから、祖国のための絵画制作へと。今回の展覧会ではそうした時代背景のもと、根底には『芸術で人々の心や生活を豊かにしたい』との想いが共通しています。

私はこの二人を比べてみたことがなかったし、その精神性にまでは思いがいたりませんでした。

素晴らしい企画展です。

「遠国のパリで輝いたユリの冠 百二十年の時を経て、いま箱根に」とあります。これは19世紀末のパリで、異なる分野で活躍していたふたりが、世紀の大女優サラ・ベルナールのために共同制作した唯一の作品です。秘められたストーリーもよく理解できます。

午後の木漏れ日を感じながらのラリック美術館。
お時間があったら、お薦めの展覧会です。

そのあとのカフェでのティータイム、もしくは遅めのランチもお薦めです。

2015年12月13日(日)まで
箱根ラリック美術館:公式サイト

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農村女性たちと、青森・岩手への旅

「ハッピースマイル川村綾子さんをお訪ねする会」

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「これからの農村を担うのは女性ではないかしら」と思ったのは30年ほど前のことです。「民藝」の故郷を訪ね、美しい農村風景や日々、日常に使う道具類を見たくての旅でした。

勝手口から「こんにちは~」と訪ね、時にはお宅に泊めていただいたこともありました。桑の木を植え、繭を育て、さらにはその絹糸で美しい紬を織り上げている女性。山からつんできた素材を丹念に処理し、手間ひまかけて、美しい食べ物に作り上げ、素材のよさを生かした味わいにする女性。伝統食の掘り起こしを一生懸命にしていた女性たち。その素晴らしさに感動を覚えました。

こうして生み出されたものが商品となり、地域経済にとって重要な地場産業となり、農村を活性化させてきた女性たち。そうした彼女たちの知恵と工夫が、地方の新しい活力になっているのです。

なによりも、形がそろわない、曲がったもの、熟しかけたもの、加工すれば美味しい餅や味噌になり、ジャムになり捨てていたものが生かされます。
個人の収入は、その女性の口座に振り込まれます。

「女性の力を見直し、光をあてる」

私が農村女性とのかかわりのはじまりでした。「食アメニティー」を立ち上げ、国の協力のもとに「食アメニティーコンテスト」事業の開始やヨーロッパへの「グリーンツーリズム」の研修旅行にも行ってまいりました。

『自分の預金口座を持ちたい』
『自分たちの手で、自由に売れる店がほしい』
『お客さんと直接話をして触れ合いたい』

そんな声をたくさん聞いた時代でした。

今では当たり前のような6次産業化や地産地消。そんなことを全国の「農・食」に関わる生産者、生活普及員の方々、また応援団の方々と共に目指してきました。この20年、旅を通して深い絆で結ばれた仲間たちです。同志です。

世の中の流れが確実にその方向に進んできたので「食アメ・ネットワーク」の会も一応幕を閉じました。でも、その深い絆は「ハッピースマイル・80歳を越えた女性たちを訪ねる」という目的で続いています。今回は、熊本・長野に続き、青森の川村さんをお訪ねしてきました。

農家の嫁として大変なご苦労があったはずです。

82歳の川村さんは元気溌剌、現在は福祉分野で活動されています。
「いつもこころに太陽を・農村で働く女性たちへ」を読ませていただきました。「名川チェリーセンターー101人会」を発足させ、食と関わり、軌道にのせ「自分の口座」を持ち「女性たちが変わった」とおっしゃる川村さん。数々の賞も受賞しました。

後進に道をゆずり、会長である最後の日、トラックの助手席に乗り込むと、ご主人がにこっと笑顔で「ご苦労さんだったね。がんばったね。」と労ってくださり、目から涙があふれでたそうです。

こうして、日本の農業を陰で支え日本の農業の今日があるのです。
お金だけのためではないのです。
子や孫たちの世代へ何を引き継いでいくべきか・・・。

今回の旅では「さくらんぼの摘み取り」、「小岩井農場見学」、「盛岡冷麺の麺打ち体験」など、楽しみながら学びの場でもありました。さくらんぼの種類の豊富さ、ご苦労・・・など。

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そして、私は初めての"小岩井農場めぐり"でそのあゆみを知りました。不毛の原野を創始者たちは土壌改良し、林業・酪農、一世紀以上のたゆまぬ努力が今日の小岩井農場なのですね。

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今回も仲間たちと素晴らしい旅ができました。
さらに絆が深くなりました。

70歳を過ぎた私にこれから何ができるでしょうか・・・。
「農の国・美しい日本」は守っていきたいと思いました。
そして、若者たちにそんな日本を手渡していきたいと思いました。

皆さん、ありがとございました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

長野・安楽寺での講演

長野県駒ヶ根市上穂栄町にある「安楽寺」で第35回安楽寺佛教講演会に招かれ伺ってまいりました。中央線あずさ号に乗り、茅野で下車。ご住職が駅にお迎えくださいました。車で約1時間。

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前泊し、まずお寺の本堂でお参りをさせていただき、お寺の歴史や本堂壁画を拝見いたしました。12枚の釈尊の生誕から涅槃に至る生涯が描かれており、それは素晴らしい壁画でした。

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ご住職とお話をさせていただくと同じ時代、私は20代~30代にかけてインド北部、お釈迦さまの歩かれた道、悟りを開かれた場所などを10年間、毎年1月下旬の乾季に訪ねていたのですが、ご住職も歩かれ、最近、21年ぶりにいらしたとのこと。

カルカッタ美術館はもちろん、列車を乗り継ぎ土ぼこりにまみれ歩いた地方の小さな美術館など。ガンダーラの仏に感動し、川で身体を洗い、最終バスが来なくてトラックの荷台に乗り街へと戻ってきたこともありました。

「今は昔ほど治安がよいとはいえませんが・・・。」とのこと。
青春時代のよい思い出です。

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当日、本堂には400名ちかくの方々がお集まりくださり『逢えてよかった』というテーマでお話させていただきました。少し先輩の年代、同世代、少し下の方。「かまどでご飯を炊いた経験」のある方々です。

「逢えてよかった」 
私はこのことばが大好きです。

ある時、富山県、宇奈月の手前、裏山という町にある善功寺というお寺の住職さん一家を訪ねたときのことです。無人駅の裏山に5歳の友人の息子さんが、私を向かえに着てくれました。

雪山さんご一家です。
ご主人の雪山さんは以前、新聞記者をなさっていたかたで、私がギリシャでの仕事のときに同行してくださった記者さん、というのが最初の出逢いでした。以来、お寺にはいられてからも今度は家族ぐるみのお付き合いをしていただきました。

コンニチハ、とぺこんと頭を下げて、ちゃんと先に立って私をお寺まで案内してくれます。200メートルくらいなのですが、5歳の坊やがエスコートしてくるのはうれしいことです。

食卓でごはんを食べているとき5歳の坊やがききました。

この中でいちばん先にうまれたのはだあれ
おじいちゃんよ

その次は?
おばあちゃんよ

そのつぎは?
お父さんよ

その次は?
お母さんよ

その次は?
お姉さんよ

その次は?
お兄ちゃんよ

5歳の坊や期待に目を輝かせ
その次は?

ボクよ
みんな、逢えてよかったね。

私はぼろぼろ涙を落としてしまいました。

『みんな逢えてよかったね。』

あれから30年の月日が流れました。
友人の雪山さんは若くして亡くなりました。
いつか、人は別れがきます。
そして、立派に成長されたお子さまがた。

私は、いつもその言葉を、詩のように思い起こすのです。子どものことで悩んだり、育児がうまくいかなかったりした昔。家族関係がちょっとばかりギクシャクしたときなど。

私の子ども時代、物はなかったけれど心は豊かだった・・・ことや、バスの車掌時代、油でまみれた作業着を着て家路に着く人たち、終バスではこっくり・こっくり居眠りをしていましたっけ。そして皆なさんの命をあずかる運転手さん。
みんな働く仲間、同志のような存在でした。

本堂の仏さま。
お釈迦さまの壁画。

静謐な空間の中で心がみなさんとひとつになったような気がいたしました。
皆さんに「逢えてよかった」
ありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

10日間のイギリスの旅

この季節のイギリスはバラが満開です。

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古きよきものを守る頑なまでの保守性。
ビートルズに代表される音楽。
斬新な発想はいつきてもこの国の魅力です。
交通がどんなに渋滞していても、辛抱強く待つ忍耐力。
きっと波乱にみちた歴史がこのような人間性を生みだすのかしら・・・と思いました。

10代の頃からイギリスを、とくに田舎を歩き、ブラック&ホワイトの木組みの家は、箱根の我が家「やまぼうし」にも大きな影響を与えてくれました。

今回の旅の目的のひとつに、美しい季節の田園風景に出会い、その美しさを思う存分味わいたいという気持ちがありました。村や街は丘陵地帯に点在しています。イギリス人が『心の故郷』と呼ぶエリアのひとつにコッツウォルズ地方があります。ロンドンから西へ約200km。オックスフォード郊外から始まり西端はチェルトナム。

美術工芸デザイナーのウィリアム・モリスが"イギリスで一番美しい村・ハイブリー"だと語っています。

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清らかな流れに沿って並ぶ家々。水鳥が遊ぶ清流。花々に彩られた石造りの家。何だか、時がとまったような風景です。森と牧草地の緑に囲まれた村々はどこもため息がこぼれ、イギリスのカントリーサイドの美しさを思う存分味わえました。

そして、かつて羊毛産業で栄えた美しい街バースへ。娘が嬉しいサプライズ!私の大好きなベアーとの出会いをセッティングしてくれ専門ショップへ。
出逢えました、可愛いベアーちゃんに。
箱根の我が家に一緒に帰りましょ。

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アンティークに囲まれた小さなホテルでの昼食はやはりラム料理。

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そして、娘のショップ"フローラル"の買い付けでアンティークフェアが開催されているニューアークへ。途中リンカーンの街に寄り道。この街のリンカーン大聖堂の(夕方なので中には入れませんでしたが)周りを散策いたしました。周辺の家々の庭も手入れされ、花々が綺麗です。

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さぁ~、いよいよアンティークフェア会場です。
早朝から初日は開場前からぎっしりの人が並びます。私もアンティークが好きですが、このようなフェアには中々来られないので、もう夢中になってしまいました。

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ヴィクトリア時代の陶器、ガラス、古い刺繍の布、その他あらゆるものが並びます。このフェアには国内はもちろん、海外からも買い付けや、個人のアンティークファンもみえます。

歩き疲れてカフェでひと休み。
真夏日のような陽射し、青空が拡がり美しい雲。日陰の風は爽やかな涼気を運んでくれます。

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2日間のフェア終了後、ロンドンへ戻る途中で2つ目の私の目的「古いレンガ探し」。広いスペースの広場、倉庫にはレンガ・レンガ・レンガ。歴史のある国ですから想像はしておりましたが、けた外れの量です。地域、年代別、形・・・と最初はその量に圧倒されましたが、目がなれてくると、それぞれの表情があり楽しくなってしまいます。

日本の家屋にも合う、特に古い我が家の民家に合いそうなレンガ探し。見つかりました!約150年前のレンガです。我が家とほぼ同じ年代のレンガはシックで落ち着いています。我が家の庭の隅の小さなスペースにこのレンガを使いたいと思います。イギリスの田舎家と日本の古民家、どちらも違和感なくしっくりきます。

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翌日は私がぜひ行きたかったレストラン「ピーター・シャムナーサリー」ヘ。ロンドン郊外にあり、温室を改装したり、温室そのままだったり、足元は土のままです。

花の鉢植えやガーディニンググッズも売っているショップがあります。
私は美しい本を見つけました。"イングリッシュローズ"の本です。

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このレストランは以前、今は亡き友人、天沼寿子(ひさこ)さんに始めて連れてきていただいた思い出のレストランです。そのときの感動が忘れられません。

バラの花ビラを浮かせたシャンパンで彼女と乾杯!
"貴女とまたここを訪れたかった"  
料理は平目のムニエル・フレッシュトマトとオリーブ添え。

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この旅の最後はライの街へ。
その前にロンドンのコロンビア・フラワーマーケットへ。
早起きをしたので朝食はマーケット近くのカフェで。せっかくなのでベーシックなイングリッシュブレックファースト。(でもかなりのボリュームです)

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男性が新聞紙に包まれた花を手にしている姿はカッコイイですし、道行く人々が花を抱いて家路につく姿は幸せそうです。バラ、ピオ二ー、アジサイの鉢植えやサボテンなど、市場は活気にあふれていて私まで幸せのおすそ分け。

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今回の旅はレンタカーを借りて娘の運転での旅です。

午後からはロンドンから南へ約200km南下してライの街へ。
石畳の坂道と中世の家並み。丘の教会を取りかこむように白壁に黒い木組みの家やレンガの家がぎっしり並んでいます。可愛いアンティークショップもたくさんあり、ついつい覗いてしまいます。

このライの街は12世紀には交易のために良港として発展してきました。宿泊するB&Bは手入れされた美しい庭、馬が放牧されているのどかさ。部屋はブルーを基調に可愛らしいです。これまでもイギリスではこうしたB&Bに泊まっておりますが、だいたい朝食付きで2人90ポンド。
(18,000円くらいです)

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ライの街に住む素敵な夫人アン・リンガードさんにお会いするために来ました。夫人も亡き友人のご紹介です。夫人はもと大きなアンティークショップのオーナーで今はリタイアされておられますが、娘のために1年かけてアンティークを集めてくださっています。80歳代の夫人は愛らしい手入れの行き届いた家にひとり暮らし。背筋ののびた生き方に学びます。そう・・・こうして私のこれからの歩む道の足もとを照らしてくださるのですね。

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今は亡き友人の三回忌を終えて、こうして思い出の地、イギリスを訪ね、友情に深く感謝した旅でもありました。

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イギリスへの旅

イギリスの旅に出かけております。

バラのもっとも美しいこの季節、コッツウォルズからリンカーン、ポートベロー、ライの街など田舎を周っております。

今回の旅は鎌倉の娘のアンティークショップ"フローラル"のお店の買い付けに便乗です。

イギリスはグリーンツーリズムの研修で農村女性たち30名ほどで13年間視察で周り、田舎の美しさを勉強しながら堪能いたしましたし、折にふれ訪ねる場所です。

そして、古き良きものを大切に大切に使うイギリス人の暮らしが見えてくるマーケット巡りは至福の旅でもあります。

写真は今は亡き、親友だった「デポ39」のオーナーでありアンティークの世界を世に広めてくださった天沼寿子さんと2010年7月にご一緒に旅したときのものです。

「レナさんがショップをするのなら、私がイギリスを案内してあげる」そうおっしゃって彼女に様々なことを教えてくださいました。

私の楽しみはシャンパンを飲みながら農園のカフェでのランチやおしゃべり・・・もういらっしゃらないのね・・・寿子さんは。

旅のご報告は次回のブログをご覧ください。

そして、多分"フローラル"のダイアリーは随時更新されると思いますのでご覧くださいませ。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (1) | トラックバック (0)

山のホテル

ひとりで過ごす静か時間。

青葉を渡る風に、湖面を渡る風に心地よい5月。

40年前に箱根に居をさだめたときから、折に触れ、「山のホテル」を利用させてもらいました。子供たちを小学校や幼稚園に送り出してから仕事に出るまでのわずかな時間に、富士山を望みながら、お茶をいただき、心をリフレッシュしたこともありました。

先日、「山のホテル」がリニューアルしたというので、家から30分ほどテクテク歩いて行ってまいりました。

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杉並木を歩いていると、樹木からは、フィ一トンチッドという芳香成分が発散されるそうですね。この緑豊かな場所を歩いていると森林浴をしているようで、心が安らぎます。

もとは岩崎小彌太男爵の別邸だった山のホテル。長い歴史と伝統、そのホスピタリティが息づいているのでしょう。いつ行っても、すぐに素の自分にもどれるような寛ぎを感じさせてくれます。

子どもたちが大きくなってからは新緑、ツツジ、シャクナゲ、バラ、紅葉など、四季折々美しい姿を見せてくれる見事な庭園を歩くことが増えました。丘陵の特性を生かして造られたホテルの庭園は、旧岩崎邸時代から引き継いだものだとか。芦ノ湖や富士山と庭のコントラストが本当に美しいのです。今の季節はツツジ、シャクナゲが満開です。

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歩いて植物をより身近に感じてもらいたいと、今回のリニューアルでは、園路がよりなめらかになり、階段だったところがスロープに変わり、さらに歩きやすくなっていました。

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ラウンジでの一杯のコーヒーをしみじみいただき、こうして過ごすひとりの時間、自分が活性化していくのがわかります。心を癒し、慰め、そしてそっと背中を押してくれる・・・

私のとっておきの「山のホテル」にいらっしゃいませんか。美しい風景と温かなホスピタリティの中で過ごす時間をぜひゆっくり味わってください。

「箱根やまぼうし」では5月は素敵な展覧会やイベントをご用意して皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

沖縄への旅

 『ジョイネス沖縄創立5周年記念チャリティー』イベントに招かれ沖縄に3泊4日で行ってまいりました。

"暮らしを愉しむ~食・飾・職~"がメイーンテーマです。

『ジョイネス』は「エンジョイ(楽しむ)とジョイフル(嬉しい、喜ばしい)と「ネクセリー(必要)」の合成語です。

ジョイネス沖縄とは、年齢性別問わず、地域社会のニーズに関心のあるメンバーで構成されているボランティア団体です。ソロプチミストやベンチャークラブなど地域で素晴らしい活動をなさっておられる方々とのお付き合いも27年がたちます。その方たちもジョイネスのメンバーです。伺うたびに思うのですが、皆さんボランティアを気負わず楽しんでなさっておられる姿には頭が下がります。

誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える・・・80代の方もお元気に参加なさっておられます。

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"うりずん"(爽やかな風)のこの季節、飛行場から真っ先に行く場所、それは公設市場です。エネルギー溢れる市場のおばちゃんたちが"また来たの~"と迎えてくれます。この匂い、言葉、笑顔・・・。美しい色の魚、豚、など等。ユンタク(おしゃべりすること)しながらの至福の時間です。

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは、昭和37年、まだパスポートがいる時代でした。中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は、先生が著書の中で琉球文化と工芸品の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。

この地に最初に降り立った日のことを、私は忘れることができません。苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていたのです。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動を覚えました。

それ以降、何度も何度も、通わせていただいています。そして、気がつくと、いつしか沖縄にすっかり魅了され、心許せる友人にもめぐり会い、沖縄は私の第二の故郷とも思う地になっていました。

工芸品の中で、強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて、穴すれすれに水をいれても、水はこぼれないのに、それ以上いれてしまうと、1滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗です。

人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目、医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのだと思います。やがて、沖縄を深く知るにつれ、八分目という考え方が、暮らしのすみずみにまで彩られていることに気がつきました。

身の丈を知り、八分目を良しとし、他者も生かす、共生共栄の考え方がここにはある・・・と思いました。

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市場を出て、"やむちん通り"の壷屋焼物博物館へと向かいます。(写真撮影可)民藝運動の柳宗悦、浜田庄司、芹澤銈介など、大きな影響を受けた壷屋焼きです。人が手を使い、火を使い、自然を素材として作り続けてきた"やきもの"(現在は都市化のために工房は読谷村に移っています)

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スージグワー(路地)には緑が輝き、うりずんの風が抜け、ゲットウの花がいい香り。

そして本番の日は大木綾子さんのコーディネートによるテーブルウエア展。やはりゲットウの花に迎えられ素敵な「おもてなし」全て沖縄の工芸品です。

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私もお話をさせていただきました。
会場いっぱいのお客さま。笑顔・笑顔・笑顔。本当にすてきな笑顔です。

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1階では会員の方、また大勢のかたによる販売ブースも出て大賑わいでした。皆さま"お疲れさまでした"

今回も沖縄料理を堪能いたしました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

鎌倉路地フェスタ

風薫る素敵な季節になりましたね。
ゴールデンウイーク、皆さまは何処か旅をなさるのでしょうか。

私は初夏を思わせる一日、鎌倉まで行ってまいりました。
鎌倉路地フェスタ」が4月25日から5月5日まで開催されています。

鎌倉駅周辺から小町~二階堂~浄妙寺をつなぐ、路地の魅力を再発見しながらの路地散策をし、素敵なショップを覗きながらスタンプラリー。以前も書きました娘のショップ「フローラル」も参加しております。

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アートスペース、漆芸を扱うお店、可愛らしい小物やさん、手づくりショップや、カフェ、和食屋さん、鎌倉を拠点に活動する劇団のお芝居、アーティストのパフォーマンス・・・など等。古くて素敵なお屋敷の庭を見ながらの散策は楽しかったです。花が咲き、小鳥の囀り、心がはずみます。

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歩きつかれてカフェに入り、ワインをのみながら"春の暮"一日が終わろうとする夕暮れのワインは格別です。そこへ「ねり歩き隊」が楽器を奏でて通ります。

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こうして小さな旅は終わりました。
夜は娘と私の大好きなカジュアルレストランで、ピザ・グリルソーセージ、そして緑の濃いサラダ・・・もちろん赤ワインも一杯。鎌倉駅からも歩いて4,5分。お庭があり緑に包まれての食事は気持ちよく美味しいです。

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路地フェスタの公式マップは鎌倉駅東口の観光案内所に置いてあります。
ゴールデンウイーク、旅の計画のない方、ブラっと小さな旅はいかがでしょうか。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

パプーシャの黒い瞳

岩波ホールで観た映画『パプーシャの黒い瞳』(ポーランド)。

ロマの女性詩人・・・。放浪の民、ロマ族は文字を持たない民族です。迫害にあい悲劇的な人生を歩むのですが、この映画を観終わったときの感想をどう表現すればよいのでしょうか。モノクロームの映像は上空から幌馬車の隊列や、深い森を俯瞰で捉えていきます。"息をのむほどの美しさ"なんてことばで表してはいけないのでしょね・・・きっと。

実在の人物、ブロニスワヴァ・ヴァイス、愛称パプーシャの悲劇的な生涯が描かれています。

ロマ(ジプシー)の人々の世界を私はほとんど知りませんでした。大昔から迫害され続けている少数民族でロマ人は北インド出身で5世紀頃から放浪を始め、イラン、ピザンチン帝国を経て、ギリシャ、ヨーロッパで生活している人々。現在はほとんどが定住している。そして、優れた民族音楽の才能に秀でている。それくらいでしょうか、私の認識は。

今回この映画を見て初めてしりました。パプーシャの存在を。

解説
言葉を愛したがゆえに、一族の禁忌を破った女性がいた。書き文字を持たないジプシーの一族に生まれながら、幼い頃から、文学に惹かれ、言葉を愛し、こころの翼を広げ、詩を詠んだ少女ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)。

愛称は"パプーシャ"
ジプシーの言葉で"人形"という意味だ。彼女は成長し、やがてジプシー女性として初めての「詩人」となる。しかし、その天賦の才能は、ジプシーの社会に様々な波紋を呼び、彼女の人生を大きく変えることになった。

映画では激動のポーランド現代史と、実在したジプシー女性詩人パプーシャの生涯が描かれる。

はじめは目まぐるしく変わる時代背景に戸惑いを覚えますが、それも、パプーシャの口からこぼれる詩に映画の中へ中へと惹き込まれていきます。

「いつだって飢えて いつだって貧しくて
旅する道は 悲しみに満ちている
とがった石ころが はだしの足を刺す
弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる
すべてのジプシーよ 私のもとおいで
走っておいで 大きな焚き火が輝く森へ
すべてのものに 陽の光が降り注ぐ森へ
そして私の歌を歌おう  
あらゆる場所から ジプシーが集まってくる
私の言葉を聴き 私の言葉にこたえるために」

「父なる森よ 大いなる森よ
私を憐れみ 子宮を塞いでください」

15歳で結婚したパプーシャは夫を拒んだ。

絵画のように美しい映像。 民族音楽の旋律に・・・「終わらないで、もう少し観させて」と心の中でつぶやいていた私。

監督はポーランドを代表する映画監督で、これまで発表した映画全て国際映画祭で受賞している。今回は妻のヨハンナ・コス・クラウゼと共同で脚本・監督を務めた。彼女は昨年12月に61歳で亡くなりこれが遺作となりました。
監督がこのような言葉を残しています。

「この映画は伝記的作品ではありません。社会政治的な映画でも、民族学的な野心を持った映画でもありません。私たちは、創造することの勇気について、それに伴う孤独と痛みについて、さらに報われない愛情について、そして、人間の幸福について描いたのです」と。

ラストシーンは、幌馬車での一行の果てしない静かな歩み、最後の歌。モノクロームの美しい・美しいロングショットの映像。

しばらく席を立つことができませんでした。

あえて私は"ジプシー"と書きました。

現在も世界を震撼とさせている出来事が続き、流浪の民が生まれています。

"ことば"のもつ意味を、偏見について、考えさせられた映画でした。

☆1回目の(11時)上映も満席にちかかったです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

桜七日

桜の盛りの短さを「桜七日」というのだそうですね。

花曇の一日、鎌倉に行ってきました。満開の桜は多少散っておりましたが、でも見たい!と思い出かけてきました。前回ご紹介したアンティークショップ「フローラル」は上の娘のショップです。

ね、聞いてください。私は人生始めて「人力車」に乗りました。鎌倉駅から程近くにある彼女のショップまでの30分、下の娘と彼女の愛犬ルビーと一緒に勇気を出して乗せていただきました。桜の綺麗な路地を走っていただきました。

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歩いて眺めるより多少高いので、花が手にとどきそうです。

四季とともに暮らしている私たち。
誰でも桜にはたくさんの思い出があるでしょう。私も全国各地でそれぞれの桜を愛でてまいりました。この歳になっても新たな感動を覚えます。

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そして、フローラルに着きました。
イギリスの田舎などを旅しておりますと、小さな街の片隅にあるアンティークショップに出会うともうだめです。ついつい長居をし、おしゃべりしながら手にはカップ&ソーサーを持っているのです。そういうショップはだいたい初老の美しいマダムがオーナーで店番をしています。黒のカシミアのセーターにパールのネックレス。「いいな~、いつか私もこんな人生を歩みたい・・・」何度思ったことでしょうか。残念ながらかないませんでしたが、娘がそんなショップをやっております。ですから暇があるとついつい出かけたくなるのですね、きっと。

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人力車を曳いてくれた青年は心美青年!でした。

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アニョーパスカル 復活祭のお菓子

鶴岡八幡宮からほど近く、静かな住宅街の中の小さなアンティークショップ・フローラルのブログで可愛らしいお菓子を見つけました。フランス・アルザス地方のイースターのお菓子です。

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イースターと言えば、うさぎや卵のモチーフだと思っていた私。

カトリックで、イエス・キリストが3日目に復活したことを祝う行事・イースター。旧約の時代、エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が、モーセに率いられてエジプトを脱出したとき、神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが、子羊の血を戸口に塗ったヘプライ人(ユダヤ)の家だけは過ぎ越したという故事に由来し「過ぎ越しの祭り」に羊がアルザス地方では定着したそうです。

アルザス地方では、この地方特産の陶器の型で焼かれ、粉砂糖をふられて、リボンをつけたなんとも素朴で可愛らしいお菓子です。私は息子達がアルザスの学校に通っていた時期があり何度も訪れているのですが、このイースターの時期には行っていなかったのですね。始めて知りました。

パティシエの田中玲子さんが焼いたこの御菓子、私もいただきました。素朴で優しい甘さ・・・美味しいです。

イースターは、毎年日付が変わる移動祝日で、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と決められているそうで、今年は、4月5日です。"宗教的に大切なお祝いの行事であるのと同時に、厳しい寒さに耐えた冬が終わり、草木が芽吹き、春がやってくることへの喜びと、命を慈しみ感謝を捧げる行事でもあるのではないでしょうか"(フローラルのブログより)

お花見を存分に楽しむ日々、命を慈しみ感謝する心は世界中変わりはありませんね

鎌倉FLORALのサイト
http://www.floral-antiques.jp/ 

パティシエ・田中玲子さんのサイト
http://www.patisserie-r.com/

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『インドの仏』

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上野の桜は三分咲きくらいでした。
東京国立博物館(表慶館)に特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏仏教美術の源流」を観にゆきました。

まるで"初恋のひと"に50年ぶりに出逢ったようなトキメキです。

私は20歳のころからインドに旅するようになりました。ガンダーラ美術の不思議な力に魅せられ、この美術が生まれた国を見てみたいというそれだけの理由で旅立ったのでした。スニーカーをはき、デイバックを背負い、簡易宿泊所のようなところに泊まり、ひたすら歩きました。

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現地の女性たちにまじってガンジス川で水浴びをし、川面を渡ってくる風に吹かれました。インドでは川にはすべてが委ねられていました。川は産湯であり、飲み水であり、体を清めるものであり、遺体や遺灰も川に流れ、自然に戻っていく・・・・・。

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頭上に広がる真っ青な空を感じながら、静寂に満ちた流れをみつめ、生きて今、自分がこうしてあることに感謝する気持ちがひたひたと心を満たすのを感じました。

インドの東の玄関口カルカッタ(コルカタ)当時の人口は約800万。失業者も多く道路整備も遅れ、雨季になると町中が水浸しになる(私の10年間の旅は乾季の1月がほとんどでした)しかし、そこには溢れるエネルギーを感じました。地面に吸いつくような力強さ、たくましさがありました。

私は鉄道、バスで地方の小さな美術館を訪ねることが多く言葉には困りました。英語はほとんど通じずヒンドゥ語しか読めない北インドの人たちも困るんです。

アープ カイセ ハイ (おはよう ナマステ)
ダンニャワード     (ありがとう)
ラーム ラーム     (さよなら)
ヤー アドヒク      (高すぎる)

とにかく50年ほど前のこと。農村部はのどかで治安も良く、最終のバスはいくら待っても現われずトラックの助手席に乗せてもらい埃まみれになりながら首都に戻ってきたこともありましたっけ。運転席にはヒンドゥ教の神さまがプロマイドのようにペタペタ飾ってあるのです。

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コルカタ・インド博物館には何度も何度も通いました。
インドの仏教美術は日本とは異なります。仏教を開いたブッダの生涯を知りたくて、北インドを何度も訪ねました。29歳で出家し、菩提樹の木の下で悟りを開き、教えを説き、80歳で没するまで、ガンジス川流域を旅し続けました。

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タージマハールで夜明けを待ったこともありました。紺、群青と空気の色が変わり、白い光と赤い光が空にさしこみ、白亜の建物がふっと浮かびあがりました。パタパタという鳥の羽ばたきがあたりから聞こえ、不意にその中にかすかな衣擦れの音も交じっていることに気づきました。目をこらすと、建物からまっすぐに伸びる水路のまわりを、色とりどりのサリーを着た女性たが10人ほど歩いていました。祈るように首をたれ、しずしずと歩みを進める姿は建物と一体となって見えました。

あれは夢だったかのか、幻だったのか。限りなく美しく厳かな光景に、地球と人の営みの神秘に肌が泡立つような気がしました。

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今回の展覧会では、紀元前2世紀から14世紀の長い期間の仏教美術を観ることができます。私が10代で感動した、ガンダーラでつくられたもの、豊潤で彫りの深い顔立ち、優しさに満ちた仏から、入り口正面に佇む「仏立像」5世紀ごろサルナートでつくられたこの仏にはときめきます。各時代で大きく変化していく「インドの仏」をたっぷり観ることができます。

 インドでは13世紀ころに消滅した仏教美術がアジアに広まり、これから日本の仏像を見るときに今回の展覧会で観た『生命感に宿る美意識』(日本経済新聞)を肌で感じ取ることができます。

ブッダの姿が目に焼きつき、50年前の青春時代の自分自身とも出会え、至福のときでした。
5月17日まで。


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ヴィラデストへの小さな旅

日ましに春めくこの頃ですが、我が家の庭は落ち葉の中からクロッカスやスミレが可憐に顔を出し、もうしばらくしたら山桜も咲き本格的な春の到来です。

長野県東御市(とうみし)在住の玉村豊男・抄恵子さん。
「ヴィラデスト」と名づけた農園のオーナー。

その農園では洋野菜、ハーブなど栽培しレストランでいただく料理の野菜はほとんど自家製。2004年には「ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリー」も開設し、いまでは周りの農園でもワイン用ブドウの栽培が盛んに行なわれております。「豊男さん、抄恵子さんに逢いたいな~」と思い、上田まで出かけてきました。

上田から10分も車を走らせるとイタリアやフランスの田舎道のような、ブドウ、クルミの樹々が春を待ちわびています。抄恵子さんに上田の駅にお迎えをいただき、車中これまでのつもる話をしていると、アッというまに到着。

ご夫妻とは旅仲間です。上海、タイ、サンタフェ・・・たくさんの旅をご一緒させていただいてきました。飲み、食べ、笑って・・・とにかく楽しいのです、ご一緒にいることが。

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2年ぶりにお邪魔させていただきました。前回は初夏だったのでガーデン一面に花が咲き、それはそれは美しく、さり気なく咲いているようで、実は庭作りの大変さはよく分かります。ナチュラルガーデンのように自然の中に自生しているように、さり気なく、でも計算された庭。花・・・・・花の世界がどれほど深遠か、神秘的か。春を待ち温室に咲くミモザやクリスマスローズはレストランのテーブルに幸せをはこんでくれます。

エッセイスト、画家、農園主、ワイナリーオーナーの豊男さんがみずからお客さまをもてなし、抄恵子さんがマダムとして店内のお客さま、スタッフとの心配りなど素敵なカップルです。

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その日のランチコースメニュー(3,600円)

野菜づくし「春のヴィラデスト」
地元産の野菜のさまざまに黒酢のドレッシング。

鮮魚のポワレ 海老とレモングラスのスープ仕立て。

鮮魚の皮をパリっと焼き、海老の風味とレモングラスの香りを
生かした軽やかなスープ

メレンゲの中のアイスクリーム

すべて地元長野県産の食材にこだわっておられます。
ワインは一杯だけ!  
カフェからの景色もご馳走です。

帰りは「ヴィラデスト・プリマべーラ・メルロー2012」を抱えて帰ってきました。まだ雪を頂いた鳥帽子岳がいつまでも見送ってくれました。

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豊男さん 抄恵子さん、そして美味しいお料理を作ってくださったスタッフの方々「ありがとうございました」

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『愛して飲んで歌って』

昨年91歳で亡くなったアラン・レネ監督の遺作。
愛して飲んで歌って』を岩波ホールに観に行ってまいりました。

世を去る前月のベルリン国際映画祭コンベンション部門に出品されアルフレット・バウアー賞を受賞しています。この賞は新しい視野を開いた映画に贈られる賞。

90歳で監督したこの映画。ちょっと意地悪な人間観察に素敵なユーモア、カラフルで大胆な演劇風のセット。舞台はヨークシャー郊外。ある春の日、ジョルジュ・ライリーという高校教師が末期がんで余命わずか、ということが判明した時から、彼をめぐって3組の男女の物語が始まります。

その昔、「去年マリエンバードで」を観たときは難解でちょっと戸惑った私。今回はレネの遺作だから・・・と思い観にいったら肩透かしをくわされたような軽やかな喜劇。物語の世界は実写で映しだされ、次ぎにイラスト、次ぎは舞台のような書き割りを大胆に使い、舞台空間へと観るものを誘う・・・。ここまで読んで皆さん、この映画のイメージってわきます?ただただレネのしなやかな感性に感嘆し、90歳にして監督は何を観客に伝えようとしたのか・・・

プログラムを読んでいたら翻訳者の南 弓さんが書いておられます。
「この映画が単なる軽いコメディに終わらないのは、うわべの陽気さの陰に、人生の甘くはない真実や過去へのノスタルジー、果たせなかった夢への思いが見え隠れするからだ、理想や情熱を捨て、現実と折り合って生きていく・・・それは誰でも身に覚えがあることだろう。それでも人生には喜びがあるということも、この映画は教えてくれる」と。

そうですよね、人間がもっている嫉妬、滑稽さ、ずるさ、そしてなによりも愛おしさ。『人生っていろいろあっても喜びがある』ことを教えてくれます。
映画ですからストーリーは詳しくは書きません。"ラストシーン"をお見逃しなく。

神保町の岩波ホール、朝の1回目でしたがほぼ満席。中高年の方々が、きっとレネ監督フアンなのでしょうね、エレベーターの中で首をかしげる人、満面の笑みを浮かべるご夫人、私は映画館を出てスキップしたくなるような気分で地下鉄に乗り、三越前で乗り換えの時に遅いランチを「白ワインとニース風サラダ」で乾杯しました。

レネは次回作も準備していたそうですよ、90歳にして。なんて素敵なの。素晴らしい人生に幕を下ろしたアラン・レネ監督に感謝いたします。
原作は、レネの大好きな英国の劇作家アラン・エイクボーーンの戯曲です。

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公式サイト http://crest-inter.co.jp/aishite/index.php

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『冬・山陰への旅』

前回のブログで酒井順子さんの著書「裏が、幸せ。」をご紹介いたしました。「日本の大切なものは日本海側にこそ存在する」とありました。

「あ~行きたいな、日本海へ」

子どもたちが独立し、家族のために食事を作ることから解放され、仕事が終わるやいなや、あわてて家にトンボ返りする必要もなくなりました。

出雲大社や伊勢神宮にも毎年、お伺いできるようになりました。山陰の冬のイメージは、日本海の荒海、雪深い里山、厳しさがまず思い浮かびます。「そうだ、厚着をして日本海を見に行こう!出雲大社にお参りに伺おう」と、小さなバックを持ち4泊5日の旅をしてきました。

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山陰本線に乗り、出雲へと向かいます。穏やかな海、窓から見える沿線には水仙が咲き、「冬の日本海へ・・・」の意気込みとはうらはらに澄んだ青の海を眺め、石州瓦の連なる集落を見ながらの旅のはじまり。

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まずは神々の国出雲市へ。バスで出雲大社正門から参道の中程にある「祓戸神・はらえどのかみ」に心身の汚れを祓い清めていただきます。樹齢400年はたつ松の並木の中を進み手水舎で手を清め、拝殿へ。いつもは朝、夜明けとともにお参りをするのですが、今回は昼間の参拝。太陽が真上から照らしてくださいます。神代から続く歴史と脈々と伝承される文化が心に染み入ります。

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清涼な出雲大社にお参りを済ませた夜、地元の居酒屋で宍道湖のシジミ、ウナギの蒲焼。元気で、ひとり旅ができ、新しい経験を重ね、おいしく日本酒をいただける・・・感謝の気持ちが、私に力を与え、再生してくれるような気がします。

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翌日は松江へ。「お茶人のもてなしの心を教えられた松江」へ。まず"ぐるっと松江・堀川めぐり"こたつに足を延ばし、やかた舟に乗り込みました。水の都・松江。町中を水が流れるのを見るのがとても好きです。その町の時の流れのように川がゆるやかに蛇行し、さあ、ゆっくりしようよと語りかけてくれるような気がするのです。

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松江市内には中海と宍道湖を結ぶ大橋川や天神川、京橋川などの堀川が縦横に町を行き交い、他所とは違う落ち着きとうるおいを旅人に味合わわせてくれます。水は風景にいのちをあたえるような気がします。風景ばかりかそこに住む人々に、暮らしのうるおいさえ感じさせます。宍道湖の水面の神々しい輝き、掘割のゆったりした水の流れ・・・松江の歴史と文化の深さを感じます。お昼は割り子蕎麦。蕎麦と日本酒はバツグン、とくにお昼のお酒は。

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松江では、どこかのお宅へちょっとお邪魔した折に、さり気なくお抹茶をすすめられます。一服のお茶にかわりはないのですが、日常のお抹茶の寛ぎは格別のものです。藩主・不味公は人を修めるには武力よりも文化。つまり茶道を人に勧め、広めたものなのでしょうか。不味流とし、一般家庭すみずみまで茶道が行き渡っているように思います。今回の旅の締めくくりは不味公ゆかりの茶室「明々庵」でゆったりと時間(とき)が流れていくのを楽しみつつ家路へとつきました。やはり、日本海の静けさがそこにありました。

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『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』

東京に仕事があり、帰りに丸の内三菱一号館美術館に印象派コレクションを観に行ってきました。私は米首都ワシントンには行ったことがなく、今回の展覧会を楽しみにしておりました。

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印象派のルノアールやモネ、そしてあとに続く「ポスト印象派」のセザンヌなどの作品、今回は日本初公開の作品が半数以上です。ナショナル・ギャラリーを創設した富豪のアンドリュー・W・メロンの娘エイルサ・メロン(1901~69年)が個人的に蒐集した作品を寄贈しました。大変な貢献をした彼女が、私邸の壁に飾っていた作品が多くあります。

私は三菱一号館の佇まいが大好きです。小さな展示室が連なっています。ワシントン・ギャラリー東館1階もそうなのだそうです。親しみやすい小さな作品、家族や友人たちの肖像、庭の景色、果物や花など、親しい友人の邸宅に招かれ観るような作品ばかり。エイルサの死後、彼女のコレクションはギャラリーに入ったのですが、その美意識、数奇な運命など大変興味をおぼえます。

「私的な日常」を感じとることができますし、なによりも"優しい気持ち"にさせてくれます。この美術館は観るものを温かく包み込むような建物。明治期のオフイスビルが復元され歴史に刻まれた建物も楽しめます。

耳寄りな情報。5周年記念イベントでは4月6日は先着555人に記念品プレゼント。午後6~9時は、来場者全員が3階展示室の作品写真を撮影ができ、館内のカフェで生演奏とワンドリンクサービスがあるそうです。

ルノワールの『花摘み』『ブドウの収穫』の前にたち仕事帰りにちょっと寄り道・・・このうえなく幸せを感じました。

2月7日~5月24日まで。
月曜休館(4月6日、5月4日、18日は開館)
午前10時~午後6時。金曜は午後8時まで。

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『箱根ラリック美術館・冬の特別展示』

「ヌーヴォーの灯りとデコの光りー空間で感じるイルミネーション」

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早朝、目覚めて窓の外を眺めると小雪が舞っていました。夜明けとともに私が一番最初にすることは、小鳥の食事。滑らないように用心しながら裏庭に出て"ひまわりの種"をあげにいきます。木陰から小鳥達がその姿を見つめています。「チッチ、ごはんよ~」と話しかけます。姿が見えなくなるといっせいに何羽も飛び交います。やがて雲の合間から陽が射し青空が見えてきました。

休日の朝、「そうだわ、今日は美術館に行きましょう。」箱根に住んでいて幸せなことのひとつに、美術館があること。バスを乗り継ぎ約1時間、私の好きな「ラリック美術館」があります。

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「ルネ・ラリック(1860-1945)が活躍した時代、ヨーロッパを中心に、ふたつの新しい装飾スタイルが生まれました。19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡したアール・ヌーヴォーと、1910年代半ばから主流となっていったアール・デコです。」と書かれています。

特別展として、アール・ヌーヴォーとアール・デコのテーマに沿って、イルミネーションを展示しているとのこと。1階には「ベル・エポックの部屋」、マントルピースやテーブル、イス、ドーム兄弟の照明器具など等。落ち着いた灯りの部屋、平日なので一人静かに心和まされました。

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2階の企画展示室では、ラリックのアール・デコ作品と、新進気鋭の和紙照明作家、柴崎幸次さんの作品が見事にコラボレーションしています。柴崎氏の作品は、和紙を何層にも重ね貼りされていて、陰影があり、その立体感は不思議な世界です。シャープで暖かく、「こんなコラボもあるのね」と、真ん中のイスに座り魅せられました。

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「美術館でひとりの時間を楽しむ」なんと贅沢な時間なのでしょうか。美術館を出ると、光が木々の枝の間からきらきらと差し込み、青空の中に遠く雪山が白く明るく光を出しています。この美術館にはお洒落なレストラン&カフェ「LYS(リス)」も隣接していて、ここで一杯のシャンパンと美味しいランチをいただくのが至福のひとときです。この日は前菜は甘えびとカニのクネル、ポテトと白菜のポタージュ。そして、めったにいただかない 和牛ロースのグリエ・エシャロットシェリーソース。

本当に贅沢な時間です。こうした時間は、私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のようなものです。帰るときには「さぁ、またがんばってまいりましょう」と元気が戻ってきます。

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「かながわ里地里山シンポジューム」~未来に引き継ごう!私たちの里地里山

神奈川県主催のシンポジュームが新百合ヶ丘のホールで開催され、私も講演、シンポジュームに参加してまいりました。

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450人のホールいっぱいの人。県内で活動を行なっている団体・大学・企業による活動、研究発表もありました。私は講演で「美しい暮らしを通した里地里山の魅力」についてお話をさせていただきました。

箱根の森の中に家を建てて、もう40年になろうとしています。これまで箱根の山の自然に満足していたので、実は地元の里地里山を知る機会が以外に少なく、全国を旅してまいりましたが今回改めて県の方にお願いして、事前に三ヶ所だけでしたが伺いました。

素晴らしい里地里山・・・が皆さんの手で守られていました。里地里山はそう簡単に保全できるわけではありません。集落と農地、水路、ため池、雑木林、それら全てが一体となって始めて「美しい里地里山」になるわけです。長い時間と労力がかかります。

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平塚市土屋の「里山をよみがえらせる会」では田畑の復元保全・雑木林の復元・田植え、稲刈り体験・野菜作り体験などに取り組まれています。なかでも素晴らしかったのは雑木林に遊具を手づくりで造り、市内の幼稚園などに開放していること。地元小学校、大学と連携した「生き物調査」などを実施しているとお話をうかがいました。

農家の方やリタイアしたおじいさんたちが孫の笑顔をみるように作業をし、女性たちは手づくりの漬物などを準備し迎えてくださいました。この季節ですと、落ち葉で山を滑り台かわりにするなど、子どもたちにとってその想い出は一生忘れることがないでしょう。

南足柄市大雄町の「五本松・原花咲く里山協議会」は様々な活動を通して地域の活性化をはかっているとのこと。箱根町・畑宿の「箱根旧街道畑宿里山と清流を守る会」など等、足元に「美しい景観」があったのですね。

これまで私は全国を旅し、様々な美しい景観を保全し、守ってこられた地域をみてまいりました。しかし、近年は鳥獣被害、農産物の価格低迷、農家の高齢化、水田の耕作放棄が増加していることも事実です。逆にそうした棚田を利用した再生や付加価値のある野菜作り、6次産業化などで女性が主役になり「農家レストラン・農家民泊」など新たな挑戦も活発ですし、若者がまったく新しい視点で「田舎」を演出しています。

『自然こそは私たちが身動きできなくなった時に飛び込める、おおきなふところ』と私はいつも思っています。そして以前こんな言葉を聞きました。『山が荒れると川が荒れる。川が荒れると海が荒れる。そしていつしか人の心も荒れる』と。人も、ものも、自然も、愛されてこそ輝きをますものだと思います。そして、長くお付き合いをすればするほど、深く、楽しく付き合えることができるのではないでしょうか。

パネルディスカッションでも、活発な意見交換、提案があり有意義な一日でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

旅気分 『東京駅100年の記憶とハヤシライス』

旅に出たいな~!という思いに駆られたときの大切なスポットがあります。
東京駅です。

構内にある「東京ステーションギャラリー」で東京駅開業百年記念「東京駅100年の記憶」が開催されています。(2015年3月1日まで)

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近代建築史や絵画、写真、東京駅が出てくる文学など、あの赤レンガの丸の内の駅舎がどのように記憶されているか・・・。2012年秋に復元工事が終わり、新しいスタートをきりました。関東大震災と第二次世界大戦をくぐり抜けてきた建築当時のレンガが使われています。

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歴史的建造物としての100年の記憶。昭和39年10月1日に新幹線ひかりが東京駅から大阪へと始めて時速200キロで走った記憶。その前の「ツバメ」で京都まで行った記憶。私が初めて新幹線に乗って京都まで行ったのは昭和42年春だったと記憶しています。食堂でカレーライスを食べながら見た富士山の美しさに感嘆しながらのひとり旅。多くの人が食い入るように見つめています。きっとご自分の人生に重ねあわせているのでしょうか・・・。

東京駅は、旅の拠点や毎日通勤に通う駅、というだけではない"何か"を感じさせてくれる場所です。ギャラリー館内を巡れば、当時のレンガが語りかけてくれます。重厚なのにモダン。心地よさと、レンガを通して二度と起こしてはいけない戦争。今回の展覧会も素敵です。

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そうそう、もしいらしたらお薦めのスポットを。それは美術館へ入った人しか見られない風景です。ギャラリー2階の回廊からの眺め。美しいドームが干支の彫刻、レリーフなど身近に見る美しさには目をみはります。見下ろすと床面に描かれた文様。以前はジュラルミンと鉄板で仕上げられていたドームの内部を床面に転写したとのこと。おしゃれ。その2階から人々の行き交う姿を見ているだけで100年の歴史を感じます。ギャラリーを出て外から眺める東京ステーションを一望すれば心がウキウキしてきます。

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そして、私の秘密基地。
駅中にある日本食堂のカウンターに座り"ハヤシライス"をいただくのです。カウンターには全国の路線地図が置かれています。その地図を見ながら全国にいる友人達のことを思ったり、美しい風景を思い描いたり、壁面にはかつての食堂の写真などが飾られています。もう、もうすっかり旅気分です。

投稿者: Mie Hama 日時: 19:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはどのようなお正月をすごされたでしょうか。
七草粥も食べ、さ~あ、今年も健康で過ごしましょう!などとつぶやいている私です。

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元旦は家族で祝い2日、3日はそう・・・私にとって欠かせない「箱根駅伝」の応援です。毎年ドラマがあり若者たちの熱き思いとひたむきさには観ているこちらが勇気と感動をいただきます。

それにしても・・・今年の5区を走破した神野選手には驚きました。青山学院の選手一人ひとりが今までのマラソンのイメージを大きく変えましたね。監督は選手たちと寝食を共にし、現代の若者に理解できる指導があったればこそ、と思いました。参加した選手、それぞれにドラマがあり私たちに爽やかな力を与えてくれます。ありがとう!

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そして、箱根神社に参拝。年末年始の初詣はすごい人なのです。私は毎年4日夜明けとともに静謐な中、神社へと向かいます。凍てつく芦ノ湖周辺を歩き、冬ざれの墨絵のような世界・・・。山の木々は葉を落とし、身の引きしまった空気がたまらなく好きです。

昨年71歳になったとき運転免許書を返納しました。「これからの20年は、よりいっそうスローな暮らしを楽しめばいい。旅もローカル線でいい。」不要なものを整理して、生活を縮小することで、すっきりするだけでなく、エネルギーを蓄えられるような気もします。よどんでいた空気がなくなり、新たに気が巡りだしたような気持ちがします。

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箱根で静かに暮らすのが、私の幸せのひとつの形。それは確かなのですが、ただ静かにしているのを私はまだまだ望んではいないのでしょう。昨年の冬はとりわけ箱根に雪が多かったのですが、今年はどうでしょうか。でも、箱根のこの山の中に暮らすことで、光が木々の枝の間からきらきらと差込み、青空の中に雪山が白く明るく光り出すたびに、私は毎回、再生のイメージを感じます。10年後の光を目指して、再スタートしてみたいと思ったりもするのです。

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"皆さまにとって今年も幸多かれとお祈り申し上げます"

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマスクルーズ横浜

24日・25日と「ぱしふぃっくびいなす」でワンナイトクルーズをしてまいりました。雑誌"ゆうゆう"の読者の皆さまとご一緒に1泊2日の短い旅でしたが充実した時間でした。

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雲ひとつない青空に真っ白い翼を広げているような優美な船の姿に吸い込まれるように乗船。出港までの時間をお借りし、編集長のリードで読者の皆さまにお話をさせていただきました。

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全国からお集まりの皆さま。50代、60代、70代、そして84歳のお元気で素敵なご主人とご一緒に参加なさった奥さま。お一人おひとりがそれぞれの人生を歩んでこられ今回の旅は"ご自分へのご褒美"なのでしょう・・・きっと。

華やかな生演奏と共に、いつもと違った特別なクリスマス。メインダイニングでの夕食。楽隊がパレードして周遊してくれます。船内では映画やダンス、そしてメリークリスマスコンサートなど等。日常をつかの間忘れ楽しみました。

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私は25日の午前中は船内で映画を観ました。以前一度観た映画ですが『カルテット!人生のオペラハウス』。監督ダスティン・ホフマン。引退した音楽家たちが暮らす「ビーチャム・ハウス」には、カルテット(四重奏)3人の仲間達が暮らしている。そこへもう一人新たな入居者がやってきた。彼女はかつて仲間たちを裏切り、傷つけ、大スターであったころの影を引きずり心から寄り添えない葛藤をかかえ・・・その先はこれからご覧になる方もおられるかもしれないので、ここまで。2度目だからでしょうか、より内容の機微が深く感じられました。監督は"全ての音楽家に捧げる"そんな思いで撮った映画だそうです。仕事収めの25日にこの映画を観られたのも幸せでした。そして、何よりも同世代の読者の皆さんとお茶をしながらお互いに語り合えたこと・・・嬉しかったです。今年も人々に出会い、ものに教えられ、旅することも多かった年です。


明日何が起こるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれない・・・文字通り、まったく予測がつかない年代、それが70代だと思っています。80代へ向かい、いくつもやりたいことはあります。自分にとって大切に思っていることをさらに追求したいとも思いはじめました。船旅、観た映画のせいでしょうか・・・「命に限りがあることを深く実感」できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら・・・そんなことを思いました。

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船は駿河湾を抜け三浦半島から浦賀水道を通りベイブリッジの下を通過し横浜港へと静かに入港しました。

来年は私の干支"未年"です。

このダイアリーをご覧いただきありがとうございました。皆さまにとって来る年も佳い年でありますように。寒さ厳しき折から、いっそう御自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

東京都庭園美術館

この日をどんなに待ち望んでいたことでしょう。約3年に及ぶ休館から11月22日にリニューアルオープンした東京都庭園美術館。

この美術館は建物も庭も本当に素敵です。
建物は旧・朝香宮邸で、アールデコ様式。
ルネ・ラリックのガラスのレリーフや照明器具。
壁面をおおうアンリ・ラバンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフのおもしろさ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線・・・建物全体が宝石といってもいいほどです。

都会の真ん中にこのような美しい美術館があるなんて・・・。
何度この美術館を訪れたことでしょうか。
その空間に自分を置く、そこのソファーに座って自分を休める。
それだけで充分幸せなのです。

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その日は霧雨が降り傘をさしながら目黒駅から歩いて約10分。
初冬の紅葉の名残を踏みしめながら足早になってしまいます。
今回は12月25日までは本館のみ撮影が許されています。
自分の宝箱にしまいたくて、どうしても早く行きたかったのです。
休館中に行なった調査・修復活動から朝香宮邸建築に携わったアーキテクツ(設計・技術者たち)がどのような思いで建設を行い、その改修に携わったかを観られるということです。

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まず外壁の塗りなおしが美しいのです。
「リシン掻き落とし」の手法が見事です。
正面玄関ガラスレリーフの扉はルネ・ラリックの作品。
床全体のモザイクは細かい天然石。
応接室の寄木張り、壁紙、照明器具、隅棚は今回修復されたものだそうです。

各部屋の修復にはどれ程、職人さんたちの情熱と技と愛情が注ぎこまれていることでしょうか。日仏合作の美術館。ひと部屋・ひと部屋を目を凝らしながら見ても、まだまだ観たりません。当時の人でしかできなかったであろう技術を現代に蘇えらせ、輝きを放ってそこに存在している空間。こればかりはぜひ・ぜひ、ご自分で体験してみてください。

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新館には、新たなショップとカフェがオープンしました。
そして小さな子どもたちを美術館に誘うプログラムも用意されています。
これは嬉しいですね。パリの美術館などで子どもたちが床に座り静かに絵を鑑賞している姿は素敵です。カフェでシフォンケーキとコーヒーでリラックス。

至福のひととき、ルネ・ラリックの作品に見送られ帰路につきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

山口県下松(くだまつ)市を訪ねて

下松市制施行75周年記念講演及びシンポジュームにお邪魔してまいりました。

下松市は工業で栄え人口も県内では増加傾向にありますが、これからは第一産業の農業にも力を入れていきたいと町全体で取り組んでいます。"にんにく"の生産・加工にも取り組まれています。

『「まち」と「さと」が共に発展する下松を目指して』がテーマです。

私は「都市農村交流・6次産業における女性の活躍の重要性」について話させていただきました。ちょっと硬いテーマですが、要は「農村は私たちの心の故郷」、そしてそこには女性が担う役割が大きい。女性の活動・活躍なくしてこれからの農村は再生できません」ということです。

日本の農業は勢いを失いつつあります。他方では新たな「農業のあり方」も考えはじめられ行動に移されております。私は、これまで全国各地の農村女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。「農」は自然・環境・食・伝統・歴史・政治・未来・人間・美・健康・教育などあらゆる方向から考えられるテーマです。

農は食であり、食の先には人々の暮らしがあります。どこで、どんな風に育てられた食材を、どう調理して、誰といつ食べているのか、といった食文化は、すなわち日本という国のあり方を物語るものです。さらに土、水、生物によって支えられる農業は、自然循環機能を基礎とするものであり、環境の動脈といってもいいほど非常に重要です。自然災害の多い昨今、だからといって「工場」で生産し、効率をアップ、それでよいのでしょうか。今、食を取り巻く状況は確実に変化しつつあります。大量に生産し市場に流す、一過性のイベントにたよるのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。地元の食材を活かした加工品や料理を生み出すことで地域内に人と人のつながりが生まれ、雇用や起業を促進するレストランやカフェも生まれています。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

私は3つの事例をご紹介しました。萩・「地域に根ざし三見(さんみ)シーマザースの活動」。"海のおかあさんたち"という意味ですね。浜の人口は630人、高齢化率も40パーセントを超えていますが、様々な工夫がみてとれます。何よりも"美味しい"し皆さんお元気です!

そして、岐阜県山県市の美山地区に残る伝統素材「桑の木豆」を地域の味として伝えていこうと頑張っている「ふれあいバザール」の女性たち。1997年4月のオープン以来の黒字経営です。生産者に85%支払い、残りの15%で市から借りている建物の家賃やスタッフの人件費などすべてまかなっている、つまり「行政に頼らず自立している」そこが素晴らしいのです。他県からも大勢のサポーターがみえます。非常にバランスのとれた「人と産業と環境」を感じ、「農のある暮らし」を、いわゆる観光地とは一味も二味も違う、暮らしの広がりと農村の未来がそこにはありました。こうした活動は全国各地にあり、"女性が主役"です。

今回どうしても訪ねたい場所がありました。下松からおよそ1時間。高齢化率 日本一の島に現われた人気店です。民俗学者の宮本常一の故郷でもある周防大島。『瀬戸内ジャムズガーデン』「よく、ま~こんな不便なところに・こんなお店を・・・」と気になっておりました。正直、全国どこでも作られている「手づくりジャム。」スーパーにはお手ごろのジャムが棚にずら~と並んでいます。何がどう違うのでしょうか。週末などカフェには人が入りきれないほどですし、平日私がお訪ねした時はバスでお客さんがみえていました。

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ご主人の松嶋匡史さん、奥さまの智明さん。京都出身のサラリーマンだった彼は新婚旅行で入ったパリのジャム屋さんに驚き、品数の多さ、組みあわせの美しさに魅せられます。いつかは・・・・と夢を持ち続け、奥さまの故郷の島での開業。実家はお寺さん。副住職でもある智明さん。お産で実家に帰ったとき、島には豊富な柑橘類があることに気づきます。お産後すぐにジャム作りに挑戦。いまでは年間120種類のジャムが店内に並べられています。

人気の秘密はフレッシュな季節のジャムが試食もでき、不要な添加物は一切使用しない。砂糖は種子島の黒糖。ジャムの原料は島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れる(52軒)。普通、加工用ミカンの出荷価格は1キロ10円ほどにしかならなかったのがジャム作りに適した果実を栽培してもらい、1キロ約100円で買い取る。農家もある程度保障され、意欲が増し、若者も農業へ参入。カフェにはパテェシエの女性も。島の若者とコラボして消費者の嗜好にあった商品開発続けています。

『ここでしかできないことを』

そう、起業する場合は都会の真似をしてもだめですよね。やはり大切なことは足元にある地域資源を活かし、雇用を生む。地方の時代といわれていますが、そこに暮らす人たちが、自分たちの暮らす土地に愛着と新しい発見なくして、輝きに満ちた街づくりはできませんよね。

冬は「東和金時」の美味しい季節。
「焼きジャム」は冬の定番商品。

最後の別れぎわにご夫妻はおっしゃられます。

「島へ移住する人や島で何かをしようとする人を応援することで恩に報いたいです」・・・と。この優しさがジャムにこめられているように思いました。お客さまもその優しさを感じるのでしょう。カフェの前の美しい瀬戸内の海を見ながら、ジャムを抱え幸せな気持ちになりました。そんな女性やご夫婦の活動をご報告させていただいたシンポジュームでした。

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HPでも商品は購入できます。
瀬戸内ジャムズガーデン

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

会津若松

先日、会津若松商工会議所のお招きで講演に行ってまいりました。

私は地方にお邪魔する時はできる限り前日に入り街を散策いたします。その街の風、匂い、人々の暮らしを拝見いたします。身体にその街の空気が・・・そっと私を包んでくれます。今回も新幹線で郡山へ。

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駅で"ふくしま路・おとなの秋ごはん"を買い磐越西線快速で会津若松へと向かいました。美しい山々を見ながらの駅弁は最高!です。福島県を三つの地域に分けたとき、もっとも内陸部にあり、猪苗代湖や磐梯山などに囲まれ、四季折々、風光明媚な景色が広がる会津地方。磐梯山はうっすらと雪をかぶり、紅葉した木々、伺うたびにその美しさに胸が震えるようで会津には日本の原風景があるなぁといつも関心させられます。

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ホテルに荷物を置き町中を散策しました。鶴ヶ城には400年前の石垣が残っております。「絵ろうそく」の名人のおじいちゃんとよもやま話をし、酒蔵や奥会津で採れるぜんまいを買ったり、そしてぜったいに外せない味噌の満田屋さんで"みそ田楽"と地酒を少々いただきました。満田屋さんは江戸末期創業の味噌専門店です。実は我が家の味噌は30年ほど前からこちらの味噌を愛用させていただいているのです。店内に囲炉裏があり秘伝の味噌だれをぬり、炭火で焼いてくれます。香ばしく懐かしい味が広がります。「会津さこらっしょ」・・・囲炉裏を囲んで"みそ田楽"と書いてあります。

そしてまた街の散策。七日町駅からの散策路はほんとうに歩いていて楽しいのです。夜はちょっと秘密ですが・・・女将さんひとりでやっている居酒屋に。おでんと日本酒を燗していただき1合だけ。至福のときです。

さて、今回は「会津と日本~食といのち」というテーマでお話しをさせていただきました。じつは事前に関係者の方から2011年3月11日の東日本大震災や放射能事故による風評被害がひどく、農産物を含めその他の商品が売れず、また観光客を含めた来街者も風評被害で少なくなっている状態と伺っておりました。あれからもうすぐ四年の月日がたちますが、今もまだ家に戻れず会津若松で避難生活をなさっている方々がいらっしゃることを、私たちはいつも胸に刻んでいかなくてはならないと思いました。

会津若松は福島第一原発から100kmと離れており、原発と会津の間には阿武隈山系、奥羽山脈など大きな山脈が連なっていて、それが盾になってくれたことなどから、放射線量も東京よりもほんのわずかに高いだけの基準にとどまっています。最初はきちんとした情報が消費者に伝わらなかったこともあり風評被害という未曾有の危機にさらされました。

会津は幕末のときも、本当に大変な思いをなさいましたが、大震災までは、人口約12万5000の地方都市に毎年平均350万人もの観光客が訪れておりました。とくに修学旅行などの教育旅行に関しては大勢訪れておりました。さすが、オンリーワンの歴史と文化を持つ町だと感じさせます。大河ドラマ"八重の桜"効果で放映中は一時、わっと人がおしかけ、おすなおすな状態になっても、放映が終わりしばらくすると人の興味が移ってしまい、波がひくように観光客が減ってしまいます。

もう一度会津に行きたい。
あの町を散策したい。
あの風景を見て、会津の風にふかれたい。
会津の人々に会いたい、あの言葉を耳にしたい。
あの味を味わいたい。

そんな日はそこまで来ています。何よりも町の方々の熱いふる里への想い、情熱があり、「風評被害・・・なんて後ろ向きではいけませんよね!前を向き美しい街、里山を守っていきます」と力強く語ってくださった表情は輝いていました。しなやかな強さを持つ会津人気質。豊かな風土。時間はかかってもいい方向へとしっかり進んでいかれることでしょう。素晴らしい旅をさせていただきました。

『おあいなはんしょ』(いらっしゃいませ)
『よぐきらったなし』(よくおいでくださいました)

この美しい会津弁に魅せられます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

マダム・マロリーと魔法のスパイス

素敵な映画に出逢いました。

私は月に2回はかならずラジオの収録のために山を降り東京に向かいます。素敵なゲストとのトーク、その高揚感のあとはコーヒーを飲みながらひと息。そのあと時には映画であったり展覧会、そしてチケットが取れていれば"追っかけ"をしている柳家小三治師匠の落語を聴きに。音楽会・芝居・・・など等。幸せな時間です。まっすぐに山に戻ることはほとんどありません。それもひとりで・・・。

今回は映画です。美しい南フランスを舞台に『ショコラ』の名匠ラッセ・ハルストレムが監督、スティーヴン・スピルバーグが制作。おいしい料理が心に奇跡をおこします。

マダム・マロリーのフランス料理店の向かいにインド料理店がオープン。オープニングから美しい田園風景に釘付けになり、やがて文化や習慣の異なる人々のやりとり。映画ですから詳しくは書きませんね。でも、未知の世界の料理でも、それは人の心と技が織りなす料理。もうもう・・・映画が終わったらそのままインド料理かフランス料理が食べたくなります。

ミッシェランの星に輝く名店を守る、誇り高き女主人マダム・マロリーを演ずるのは世界的な名女優・ロンドン生まれでエリザベス二世に扮した「クイーン」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたヘレン・ミレン。

フランスでインド料理店を成功させたい頑固な家長にはインドを代表する俳優オム・プリ。子どもたちや小さな街に暮らす人々。監督・脚本・撮影監督・美術・音楽、特に料理も主役でもありますし、素材がなによりも命。実際にこの映画が撮影された小さな田舎町には、本物のマルシェが週一度ひらかれるそうです。マルシェをお目あてに国境を越えてお買い物に来るひともいるとか。料理や素材の撮影はとても難しいし、食べる姿はもっと難しいと思うのですが、変にアップにはせず、日常の一コマのよう。しかし厨房はリズミカルでスピーディー。画面は繊細で静かな表現が印象的です。何よりも映画を観終わったあと、とても幸せな気分にしてくれることです。グローバリズムが浸透し、多くの人が希望を胸に世界各地に移民している時代。習慣・歴史・文化の異なる人たちを理解するのには、料理を通して知ることも大切なのかもしれません。

お薦めの映画です。
角川シネマ有楽町他で12月12日まで。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

ミラノ 霧の風景

「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。

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横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。

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私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。

1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。

「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。

「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。

私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。

そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。

そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。

「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」

会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。   

11月24日まで。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

アンティークフェアーIN新宿

10月10日(金)から12日(日)までの3日間、アンティークフェアが新
宿で開催されます。

娘の鎌倉のショップ「FLORAL」(フローラル)も初めて出店いたします。

FLORALは小さなスペースですが、西洋アンティークから和骨董まで、160もの店舗が出店するそうです。とても楽しそうなので、これから私も店番をかねて行ってみようと思います。今日(10日)はお昼ごろから夕方まで。明日(11日)はお昼頃数時間行く予定です。フローラルはエリア「B」だそうです。

私がアンティークに目覚めたのはいつの頃からでしょうか。
「なぜ骨董がすきなのですか?民芸に惹かれるのですか?」
これまで多くの方から尋ねられました。

私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思いこんでいるわけではあ
りません。ただ、私が「いいなあ」とため息をついたり、ちょっと無理してで
もほしいと思うものが、アンティークだったり民芸のものだったりすることが多
いのです。

でも考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながらいきつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。そのものに、人を魅了する力があったから、たいせつに丁寧に、グラス・器なら器が人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。

気が向いたら覗いてみてください。
その前に「FLORAL」のブログをご覧ください。
新宿でお逢いできたら嬉しいです。

http://blog.floral-antiques.jp/

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本酒で乾杯

10月1日、「日本酒で乾杯推進会議」が明治記念館で開催されそのフォーラムに私も出席させていただきました。
テーマは『和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~』です。

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基調講演は西村幸夫氏(東京大学副学長)、テーマは「世界文化遺産と無形文化遺産のこれまでとこれから」でした。大変興味深く、世界の文化遺産の知らない世界のお話を聴かせていただきました。

パネルディスカッションのテーマは「祭りと酒菜」。料亭「青柳」のご主人、小山裕久氏と京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏。コーディネータは民俗学者の神埼宣武氏。そうそうたる方々ですが「和食と日本酒」について楽しく分かりやすいお話でした。

そもそも、この推進会議は私たち"最近のニッポン人には日本が足りない"、"多くの心ある日本人は今日の日本、明日の日本に危惧の念をいだいているのではないか・・・"ということで日本酒造組合中央会を中心に「100人委員会」が10年前に発足しました。各界の方々が参加し、日本文化や良き伝統を守りたい・・・という思いで生まれました。

日本酒は美味しく飲む前にまず、神仏にお供えします。そこから始まる文化ですよね。日本の四季の行事には、やはり日本酒は欠かせません。そういう意味で日本酒は非常に身近であるのと同時に、特別なお酒だという思いが私の中にはあります。だからでしょうか、私は日本酒をいただきながら、「人々の祈り」たとえば「人々の幸福を願ったり」「人とのつながりを大切にしたい」といった「美しい」心みたいなものを一緒に味わっているような気がすることがあります。こんなお酒はほかにはありません。

私が日本酒をたしなむようになったのは民藝の柳宗悦先生の考え方に憧れ、先生の足跡を追うようになった頃からです。美しい暮らしの道具が見られるのは地方が多くお酒の場のお誘いをいただくようになりました。共にお酒をいただくことで、人は非常に親しくなれることを知りました。そのお宅のおばあちゃんがナスやキュウリの漬物をどんぶりにどっさりだしてくれるんですけど、ほんとうに美味しい!こういう酒の肴が最高です。

それから強く印象に残っているのは、30歳のころ、女性6~7人でで金沢を旅して芸者さんにも来ていただいて(女性割引!があるのですよ(笑))踊りやお三味線、笛などをそのお座敷で聞きながら、懐石料理と日本酒をいただきました。日本酒の作法といいましょうか、飲み方の美しさを、そのときに学びました。以来、人と親しく交わり、美しくいただく。それが私の憧れる日本酒の飲み方となりました。

「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。日本人の食生活も大きく変化してきました。日本では、世界中の料理、お酒を飲むことができます。そこでもう一度『國酒』としての日本酒を考えてもいいかもしれませんね。日本の風土の恵みの米と水でつくられているお酒。「地産地消」そのものですものね。日本酒の海外への輸出も増えているそうですが、それは「日本文化」の輸出でもあります。

女性も日本酒を粋に飲んでみませんか。
シャンパン・ビールで乾杯も素敵ですが「日本酒で乾杯!」なんてお洒落ですよね。皆さんのお話を伺いながら、あらためて「和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~」を考えました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。

ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの"ときめき"です。

15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。

24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。

会場のファンは古典落語はもちろんですが、この"まくら"も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。

そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。

同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (9) | トラックバック (0)