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オリーブの樹は呼んでいる

スペイン映画「オリーブの樹は呼んでいる」を観てまいりました。

祖父が大切にしていた樹齢2000年の樹を父が売ってしまった。スペイン、バレンシアからドイツへ。オリーブの樹を取り戻すため、孫娘と仲間たちの旅が始まります。樹が売られてから話すことをやめた祖父。20歳の孫のアルマ(アンナ・カスティーリョ)が、祖父を救うため先祖代々から引き継がれてきたオリーブの樹を取り戻すことに・・・。

現在のスペインの経済環境はけっしてよくはありません。スペイン人にとって"オリーブの樹"はアイデンティティそのものです。その古木を引き抜き売るという行為は現地の人々にとって身を切り離されるような思いでしょう。

この物語はフィクションですが、10年ほど前、脚本家のポール・ラヴァーティが、高速道路の脇やオフイスの庭などに装飾的に置かれているオリーブの樹について「どうしてこんなところに置かれているの?」と疑問に思ったといいます。

その違和感が映画の始まりだったそうです。カタルーニャ地方で2000年頃から不況の煽りで、オリーブの樹の伐採がさかんに行われていることを新聞記事で読みショックを受け、その記事をずーと持っていて、いつかオリーブの樹をテーマに映画を撮ろうと、今回の監督でもあり妻のイシアル・ボジャインに語っていたそうです。彼女は数々の賞を受賞する監督ですが、以前は女優としても活躍していました。

監督は語ります。

『現在、スペインは無政府、カオス状態です。それにたいしてデモをしたり、闘う姿勢をとる若者もいます。しかしアルマはそういう知識も持ち合わせない女の子。スペイン最大の建築産業が崩壊して以来、農家の人々は自然を切り崩して利益を得なければならない状況を目の当たりにして、自然を守りたい、でも自分の力ではどうしょうもないないという怒りを感じてきました。アルマも同じで祖父への感情、愛情が行動に移るのです。』と。

スペインのオリーブは「太陽の樹」と呼ばれ、古代エジプトでは、女神イシスがオリーブの栽培を教えたといいます。『平和の象徴』です。しかし、品質は最高であっても価格は原油と同様に変動し、収穫作業は想像以上に重労働であるため、現代の経済社会では、機械収穫をしない小規模の家族経営の農家では老夫婦の引退とともに放棄されている畑が多くみられるようです。

そして、環境に優しい企業だとアピールするために、わが家のシンボルツリーにするために、オリーブを植えようと樹を買う人がいて、その樹の中にはスペインから引き抜かれて来た樹齢1000年、2000年のものもあるそうです。

映画はゴヤ賞新人賞に輝いたアルマ役アンナ・カスティーリョの魅力も輝き、配役が素晴らしいですし、温かかなユーモアと人間ドラマが繰り広げられます。家族の絆、傷をもった家族を認め合う。そして未来への希望が見えてくる・・・そんな映画です。

この映画で『何かが変えられることを』教えられました。

映画公式HP
http://olive-tree-jp.com/

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

げっとうの花咲く沖縄

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この季節に沖縄を訪れると"げっとうの花"がハイビスカスなどと美しく咲き、「第二のふるさとに戻ってきた」かのような安堵感を覚えます。

5月15日、この時期に今年も行ってまいりました。12日から3日間、平和行進がありました。沖縄の施政権が米国から日本に返還された『沖縄県の本土復帰』から満45年を迎えました。

私は沖縄に着いたらまず訪ねるところが公設市場です。(最近は海外からの観光客で賑わっています)そこで働くおばあ・・・果物や野菜を持ってくるおばあ、土産物屋さんの看板娘になっているおばあ、優しく おおらかなで働き者の、沖縄の愛しきおばあたち。お年寄りのパワー溢れる笑顔が似合う町、沖縄。

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私が親しくさせていただいている仲間の女性たちは働きながらボランティア活動をしています。彼女達とのお付き合いも30年近くになります。そう20代の頃からなのです、皆さん。彼女たちは夢を語り、その実現に向かい真摯に努力を続けています。長い年月の間には山も谷もあったでだろうに、希望の光りが消えることはありませんでした。私の大切な・大切な友人たちです。

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは昭和37年。まだパスポートが必要な時代でした。国際通りは舗装されておらず砂埃をあげ車が右側通行で走っていました。

中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は先生の著書の中で琉球文化と工芸の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。私はこの地に最初に降り立った日のことを忘れることができません。

苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていました。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動をおぼえました。

工芸の中で強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて穴すれすれに水を入れても水はこぼれないのに、それ以上入れてしまうと、一滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗。

人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目に医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのです。

身の丈を知り、八分目を良しとし、他者をも生かす、共生共栄の考え方がここにはあります。

そして、私の好きなことば。 "ザリガナ" 「女の人生ザリガナ。だからザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ でないとね。」と語ってくださったのは94歳でその生涯を終えられた沖縄読谷村の花織(はなうい)を戦後見事に復元した与那嶺貞さん。

ザリガナとはもつれた糸。ザリガナ サバチヌヌナスル イナグ。もつれた糸をほぐして布にする女性のこと、と私に教えてくださいました。根気よく糸をほぐすためには、辛抱も優しさも必要でしょう。そればかりではなく、ほぐした後にどんな織物を織るかと、未来へとつなぐ希望も感じられます。

辛抱・優しさ・希望、のすべてが含まれたこの言葉、今、もっとも必要ではないでしょうか。

とくにこの時期、沖縄を訪ねるたびに本土との温度差を感じる私です。

どうぞ、未来へと平和を手渡していってください。

帰りには市場で買った豚の三枚肉で"ラフテー"が作りたくて、うずうずしている私。 "またすぐに帰ってきま~す!"と機上の人となりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ターシャ・テューダー~静かな水の物語

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[画像出典:映画公式サイトより]

アメリカを代表する絵本作家ターシャ・テューダー。
私がもっとも憧れる人、尊敬する女(ひと)。

ターシャを世界的に有名にしたのは、絵本だけではありません。1971年、56歳のターシャは、バーモント州の山奥に土地を購入し、その後、息子のセスが建てた18世紀風の農家に移り住み、2008年92歳でこの世を去るまで植物や動物をこよなく愛し、私が理想とする"スローライフの暮しを実践し、また子ども4人を育てながらも四季折々の行事を大切にし、それはそれは素敵に暮しに取り入れているのです。

生誕100年となる2015年には、ターシャの世界を紹介する展覧会が日本でも2年をかけ巡回し、全国で約38万人の人々が魅了されました。

この度の映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』を観てまいりました。

タイトルの<静かな水>・・・とは「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の速さで進むこと」というターシャの言葉からとられているそうです。監督の松谷光絵さんが10年間にわたり取材してきた"自然体"の"等身大"のターシャには感動します。

パンフレットにはこのように書かれています。「思う通りに歩めばいいのよ」と微笑む、自由な精神あふれる<スローライフの母>がのこしてくれた、「人生を存分に楽しむヒント」をあなたに・・・・と。

映画の中に登場する絵本や書籍、料理のレシピ集やライフスタイル本などわくわくします。そして、宝石のようなことばの数々。

 一生は短いんですもの。
 やりたくないことに時間を
 費やすなんて、もったいないわ。

 何かに夢中になるのは
 大事なことです。
 何でもいいの。
 それが人を前に進ませます。

 家事も仕事も完璧になんて、
 いくわけがありません。
 だいたい、世の中に、
 完璧なものなんてないでしょう。
 開花したばかりの花や、生まれた
 ばかりの赤ん坊くらいじゃない?

 やりたい仕事は、
 労働ではなく
 楽しみになるのです。

 心は一人ひとり違います。
 その意味では、人はいつも
 "ひとり"なのよ。

 近道を探そうとしないこと。
 価値のあるよいことはみんな、
 時間も手間もかかるもんです。

ね、素敵でしょ!

私は昨年6月に「孤独って素敵なこと」(講談社)を出版しました。"終わりに"でこのようなことを書きました。

孤独だからこそ、自由でいられます。自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることができます。家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。

こうして自分自身を振り返ると、ターシャ・テューダーさんから多くのことを学び、影響を受けてきたことに気づかされます。

箱根の自然に生かされ、スポットライトの下の自分よりも、箱根の古民家に一人いる時間が好きです。

有楽町 カドカワシネマ他にて

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

未来よこんにちは

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映画「未来よこんにちは」を観てまいりました。

主人公である高校の哲学教師のナタリー(イザベル・ユペール)、同じ哲学教師の夫が恋人ができたといって家を出てしまう。25年連れ添った夫。もうあまり若くない大人の女性の人生の日常に突然訪れた喪失感。

一人暮しの母親が認知症の兆候を見せ、夜中も授業中にも電話でナタリーを呼び出し、狂言自殺を繰り返す。ナタリーの唯一の慰めは愛弟子で哲学教師になった魅力的な青年。ときめき。青年は教師をやめ、アルプスで仲間と自給自足の生活を送っている。その素敵な風景、自由な暮しに惹かれて美しい田園を訪ねるが・・・

この映画はフランスの女性監督ミア・ハンセンが、まだ30代半ばでありながら50代の女性の揺れ動く心理を見事にとらえ成熟した映画に仕立て、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞。主演のイザベル・ユペールも主演女優賞を受賞。老いることへの不安も見せず、辛く、悲しく、切ない物語をみごとなまでに凛々しく、爽快に生きる主人公への共感を感じさせます。

現実には孤独で、涙することもある。仕事がうまくいかないこともある。いろいろあるなかで手にした"自由"ひとりの孤独をパワーとして生き抜く姿に拍手喝采!どんなことがあっても前へ前へと進む・・・そのすがすがしく、人生は過ぎ行くことばかりではなく、時には残酷なほどの時間の積み重ねだけれど、それを"自分の人生"として受け入れることの大切さをイザベル・ユペールが見事に演じています。

未来を信じ切なくてもそこには愛があり、ユーモアがあり、そして・・・未来がある。

美しい風景、インテリア、パリの空気。音楽もセンスいい。そうそう、忘れてはならないのは母親を演じたエディット・スコブが素晴らしいです。観終わったあと、背筋が伸びました。大人の女性にお薦めの映画でした。

この日はラジオ収録後に観ましたので、友人達(素敵な女友達)にもお薦めしシャンパンで乾杯し最終の新幹線で山に戻りました。花冷えのする夜でしたが、夜桜が皇居のお堀に舞っていました。水面に浮かぶ桜吹雪・・・散りゆく姿が美しく、いずれくる老いも怖くはありません。映画っていいですね。   


映画公式HP
http://www.crest-inter.co.jp/mirai/
BUNNKAMURAル・シネマ他にて。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

高橋竹山さん

津軽三味線奏者の二代目・高橋竹山さんが先日ラジオのゲストにお越しくださいました。

その竹山さんが5月27日に上野の「東京文化会館小ホール」でCHIKUZAN二代目襲名・二十周年記念コンサートを開催されます。私も伺います。

竹山さんは幼い頃に三味線に出会い11歳で稽古をはじめたそうですが、17歳の時に津軽三味線の初代・高橋竹山のLPのレコードを聴いたことがきっかけで弟子入りを志望し18歳で内弟子となり、陸奥湾に面する青森県平内町で内弟子生活をスタートします。

初代の演奏も私は何度か聴かせていただいているのですが、青森弁でのトークも素晴らしく"日本的"な津軽三味線が時にはポルトガル伝統歌謡であるファドのような音色だったり、スコットランドの民謡のようであったり・・・ジャズのテンポだったり・・・と心をわしづかみにされます。

竹山さんは内弟子生活6年を経て自立。その後も師匠とともに渋谷ジャンジャンをはじめアメリカやフランスでも演奏し「エジンバラ・フェスティバル」やアメリカのジャズフェスティバルにも参加し、数年前にはアイルランドの詩を津軽三味線で歌にもなさいました。

『竹山の魂を引き継ぐ二代目の新たな夜明け!』とパンフレットには書かれています。さまざまなジャンルの音楽家、舞踏、新劇の人々と共演し三味線と唄の新しい世界を聴くことができます。

東京文化会館 小ホール
5月27日(土)14時 開演 全席指定
詳しくは、「二代目高橋竹山オフィシャルウェブサイト」をご覧ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落語と法話

先週、京都で「柳家小三治 柳家三三親子落語会」があり、ようやく入手したチケットで行ってまいりました。

演目は小三治師匠は「馬の田楽」、三三師匠は「道場破り」。

京都でのお二人の落語を聴くのははじめてです。桜の蕾もまだ固く"夜桜"にはあと少し。でも会場は華やかさの中にも落語好き・・・独特の雰囲気があり胸をときめかせながら開演を待ちました。

小かじさんの「たらちね」から始まり三三師匠。そしておっかけに夢中の小三治師匠が登場するともう胸はドキドキ・・・今回の"まくら"は1時間。落語に入る前の"まくら"・・・今回もじっくり聴かせてくださいました。

人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのでしょう。そして、師匠の噺を聴きながら、会場が京都・・・ということもあるのかもしれませんが、師匠のお噺の内容には"笑いの法話"を感じたのです。

77歳の師匠の歩んでいらした道の後ろから、そっと耳をすませて聴かせていただくような感覚。これは「法話」でした。冷え込む京都の夜でしたが、心は満たされホカホカ。このご縁を大切にしたいと思いました。

そして、翌日は早朝に私がとても好きなお寺さん『法然院』へ。

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うっそうとした森を背景に、自然を生かした庭園。手水鉢に季節の花「椿」が浮かんでいます。法然院は、京都の東山山麓、鹿ヶ谷にあり、哲学の道から歩いて行き山のほうに折れると、幅広の石段の隅に「法然院」と刻まれた石柱が立っているだけです。石段を一歩一歩と踏み出すと木々の間から渡る風が心地よく、笹のさわさわと鳴る音に心が静まります。

総門には扉がありません。山側に墓地を谷側に竹林を抜けると茅葺屋根が見えてきます。境内の墓地には、作家の谷崎潤一郎や稲垣足穂、哲学者の九鬼周造など、お墓がいくつもあります。皆さん、この場所が好きでお墓に入りたいと願ったと聞いております。

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山門を入ると、両側に白い盛砂があります。『白砂壇(びゃくさだん)』水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているといわれます。京都の市街地にほど近い場所にありながら、この静けさ。文化人や学者が好まれたのがわかるような気がします。法話も随時聞くことができるので"もしかしたら"と思い見てみると午後からとのことでしたので出直しました。

このお寺の貫主・梶田真章さんの法話を以前にも聞かせていただいております。あくまでも自然体、穏やかな笑みを絶やさずに語ってくださいます。

『共に生きる~絆と縁、愛と慈悲』

「法然院」は鎌倉時代の初め、法然房源空上人によって開祖され、色々な歴史を経て今日にあります。梶田真章貫主のお考えで境内では音楽やアートなどさまざまな催しも行われています。30分の法話でしたが、心に染み渡るおはなしでした。

ありのまま」という本もだされています。
「佛教は、人生をいかに楽に生きるかを教えてくれる知恵なのです」と書かれています。

人付き合いや恋愛。仕事に勉強。人生への不安。
人それぞれに、大なり小なり、悩みはあると思います。
悩むのだけれど、悩み傷つくこともあるのだけれど、ありのままに、心豊かに生きていきたい。多くの人がそう願っているのではないでしょうか。

この本は「ていねいに暮す」について書かれています。
日々心がけたい私の思いの答えがちりばめられています。

   落語の"まくら"と"法話"

石段を一歩づつ下りながら、深呼吸をしました。
このご縁に感謝です。
法話をしてくださったご住職の横には『縁起』と書かれていました。
そう・・・人も動物も、植物も、みんな支えあって生きているのですよね。

桜満開の京都も素敵ですが、ちょっと早いとこの静けさです。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事帰りの寄り道

子供が幼い頃は、仕事を終えるとまっしぐらに家に帰り、ジャケットを脱ぎエプロンに着替え台所に・・・という毎日でした。

子どもたちが巣立った今、このような幸せの時間を神さまに与えていただき感謝の日々です。私の仕事は地方も多く、また東京には毎月かならず2日は出かけます。文化放送のラジオ"浜美枝のいつかあなたと"の収録があるのです。毎回素敵なゲストをお迎えしてのトークは、寺島アナウンサーとともに楽しみな時間です。だいたい2時前には終了するので、箱根の山に戻るまでの時間は私にとって至福のときです。

映画、落語、美術館・・・観たい・聴きたいところはあらかじめ調べ手帳に書いておきます。たまには友人とのお食事なども。

仕事帰りの寄り道美術館」(自由国民社)素敵な本です。

いつもより早く仕事がおわったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。
(仕事帰りの寄り道美術館より)

東京駅周辺・銀座・品川・六本木・渋谷・恵比寿・上野・秋葉原・竹橋・両国・馬喰町・・・少し足をのばして吉祥寺や三鷹など、日常からすこし自分を解放し"自分に向き合う"時間。たまらなく好きです、こういう時間が。

ラジオのゲストの素敵なお話でちょっと興奮している自分に、一息いれるお茶の時間。都会にも緑がたくさんあります。春の日差しにやわらかく包まれてのひととき、これから出逢う絵画に思いを馳せ心のウォーミングアップ。

先日は丸の内にある「三菱一号館美術館」へ"オルセーのナビ派展"を観にいきました。

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展示室は、明治期のオフィスが復元されているので見やすい小さな展示室が連なります。もとは1894年、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計。多くのレンガが使用され窓や階段も当時の技術の確かさが感じられ、よくここまで復元できたと思います。一号館広場も素敵です。

19世紀末のパリで、前衛的な芸術活動に取り組んだナビ派。ゴッホやセザンヌ、アールヌーボーの装飾芸術の陰にかくれた"ナビ派の運動"の全体像を観ることができる日本で始めての展覧会です。日本絵画の影響を受けたといわれるピエール・ボラールの「格子柄のブラウス」なども華やかさの中の日常が素晴らしいです。オルセーのナビ派コレクションの充実に目をうばわれます。

ゆっくり観て帰りは併設されている心地よいカフェでアートの余韻を楽しみます。かつて銀行の営業室として利用されていたそうですが、高い天井、クラシカルな空間は、ひとり余韻を楽しむにはもってこいの場所。歩きながら東京駅までの道のり・・・心地よい気分で「そう、明日もがんばろう」なんて思いで山に戻りました。

三菱一号館美術館 公式ホームページ
http://mimt.jp/

展示は5月21日までです。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本民藝館

仕事帰りに渋谷から京王井の頭線に乗り、駒場にある日本民藝館に行ってまいりました。

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創設80周年特別展『柳宗悦と民藝運動の作家たち』が開催されています。バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、棟方志功、片野元彦、黒田辰秋、金城次郎らの作品が展示され、民藝の美に触発された作家たちの仕事が身近で見られます。中央の部屋のダイニングテーブルに置かれた作品。それぞれの部屋にかざられている作品、どれもが『用の美』そのもの。

中学時代、図書館で出会ったのが柳宗悦さんの本でした。『民藝とは何か』もまったく理解しておらず、民衆が日常的に用いた工芸品の美しさにただただ惹かれていきました。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本人」をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の創始者として知られる方です。西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、.「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。むずかしいことなど当時わかるはずもなく、私が感じる「美しいな~」と感じる風景。たとえば、父の徳利にススキを挿し、脇にはお団子を飾り、家族で楽しんだお月見の夜・・・。ススキを活けた徳利に、月の光があたったときなど、曲面に反射する光りのおもしろさに「わぁ、きれい」・・・と感嘆していました。

地方を旅するとその地方文化の価値が美しいと感じてきたのもやはり「民芸運動」に触発されたからでしょう。

近頃また「民芸」に注目が集まり、日本民藝館の今回の展覧会にも大勢の方が作品に見入っておられました。私はこの40年近くひたすら"なぜ用の美にこれほど惹かれるのか"を考えてきました。今回は民藝館に3時間ほどお邪魔し、椅子に座りながらその空間を楽しみました。柳宗悦は「作家の品と民藝品」でこのように述べています。

「人間はとかく、ものを分別して考えますもので、何事をも二つに厳しく区別して了います。ものを分別して判断する以上、之は避け難いことでありますが、どうして吾々は分けるより、分けないで見る慣わしを、もっと身につけないのでしょうか」と。

濱田庄司も河井寛次郎も『無銘の境地』に心を徹していったのでしょう・・・ということも書かれています。だから署名をしないし、落款もしるさなかったのでしょうね。物事には有名・無名とかの区別ではなく「美しい・・・と感じる心」が大切だということを私は民藝から学びました。

最初にお話し申し上げたように、女優としての不安のさなか「民藝」が私を優しく包みこんでくれました。

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帰りぎわ民藝館の玄関を出ると白木蓮の花が満開でした。そして、わが家へと箱根の山を上がってくると淡雪が漆黒の闇の空を舞っていました。まるで牡丹の花のようでした。

もし「民藝」にご興味のある方は「民藝とは何か」柳宗悦著(講談社学術文庫)が読みやすく入門書になります。

特別展は3月26日(日)まで。
日本民藝館の公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/

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海は燃えている

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久しぶりに静かな感動をおぼえる映画に出会いました。
また、報道では伝えられない真実を知ることができました。

想像力に富み、現代を生きる私たちに必要な映画。今すぐ見なくては!
(女優メリル・ストリープ 、第66回ベルリン国際映画祭審査委員長)
 
やさしい映画。お互いを思いやり、手を差伸べ合うことがたいせつ。そう気づかされる(フランシスコ・ローマ法王)

印象派の絵画のように、観るものを夢中にさせる(ニューヨークタイムス)

無関心への有効な一撃 (リベラ シオン)

この映画は、第66回ベルリン国際映画祭・金熊賞(グランプリ)を受賞。監督はジャンフランコ・ロージ。1964年、エリトリア国マスマラ生まれ。独立戦争中、13歳で家族と離れてイタリアへ避難。青年期をローマ、イスタンブールで過ごします。その後ニューヨークに移住し数々の国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しています。

あるとき、私は地中海に面したチュニジアに行きたくて計画をたてていました。具体的に決めさぁ行こう!というときに「アラブの春(ジャスミン革命)」が2011年に始まり残念ながら見送らざるをえませんでした。2015年のノーベル平和賞がチュニジアだけに与えられました。民主化に成功した「国民対話カルテット」が受賞の理由です。

この映画はチュニジアからもっとも近い、地中海のシチリア南方にあるイタリア領最南端の島・ランペドゥーサ島が舞台です。面積は鹿児島の与論島とほぼ同じくらい。島の人口は5500人に対して年間5万人を超える難民、移民がやってきます。

監督が始めてこの島に行ったのが2014年秋、国際映画祭で上映する10分の映画を撮るためだったそうです。そこで出会ったひとりの医師が20年もの間、救助された移民、難民の上陸に全て立会ってきたことを知ります。病院にいくも者、難民センターに行く者、死亡した者を振り分けるのは彼です。彼は相手が映画監督とは知らずに医療施設、人道救護などについて語ります。

濃密な話し合いの後、「自分の手で触れるよう」にと誰にも見せたことのない写真を見せられ、それを胸がはり裂かれるような思いで見つめ、これは自分の次回作にしなければ・・・と思ったそうです。そして1年半、島で暮らし地元の人々と知り合い、語り合い、その日常生活、リズムなどを経験します。映画の重要な役割を担う少年との出会い、島に暮す少年の慎ましい日常や医師、島民たちの暮らし・・・などがベースになっています。

その一方で、アフリカからの難民がヨーロッパへの通り道として上陸する島。その島を舞台に、現代社会が抱える問題についても描かれています。真正面からではなく、過剰なナレーションもなく、主観も入れず、静かに映像は、私たちに語りかけます。人間の尊厳、優しいまなざし・・・ロージ監督が映す画は、淡々としながら威厳があり、私は「どこか人事のように思っていた」ことに深いため息がでました。

それにしても美しい映像です。難民と島民が二重構造で描かれ、大量の死が私たちの間近にあることを知らずに生活していることを、考えさせられました。

渋谷・文化村で3月中旬頃まで上映されています。

映画の公式サイト
http://www.bitters.co.jp/umi/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ラ・ラ・ランド

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(写真出典:映画公式サイトhttp://gaga.ne.jp/lalaland/)
 
映画『ラ・ラ・ランド』を観てまいりました。

アカデミー賞主演女優賞はじめ数々の賞を受賞した作品。

まず冒頭のシーンではタイトルが出る前に圧倒され魅了されました。その高速道路でのシーンでは埋め尽くされた車の列が映し出され、車の屋根やボンネット、そして道路で群集が踊り歌い、それを4分40秒まるでノーカットのように見せる映像とメロディーにいっきに心奪われます。本格的なミュージカル。かつてウエストサイドストーリーや数々のアメリカのミュージカルを見ていた60年代。日本でも「かつてない衝撃」と絶賛された「セッション」から2年、熱望していたデイミアン・チャゼル監督の最新作が『ラ・ラ・ランド』です。

舞台はハリウッド。映画スタジオのカフェで働く女優を目指すミア(エマ・ストーン)。オーデションを何度も受け続け夢に向かって進む彼女(アカデミー主演女優賞受賞)。そしてピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)。渋滞の高速道路で中で偶然出逢ったふたり。今回の映画はニューヨークではなくロサンゼルスが舞台。だからでしょうか、二人の出会いと恋、夢、それを「冬」から「秋」へと季節ごとに章分けで描かれるのですが、原色を強調した色彩がとても美しいのです。

衣装・部屋・照明、景色、空の色・・・かつてのハリウッドミージカルを彷彿させる豪華なセット。歌と踊りだけではなく、ふたりが夢を実現させるためには別れも訪れる。切ない人生と夢をドラマティックに描いていきます。それにしてもライアンが弾くピアノの見事なこと!「ずっと習いたかったピアノを習える絶好のチャンスに飛びついた」と語っていますが3ヶ月の猛レッスンであそこまで弾きこなすとは見事なプロ根性です。エマ・ストーンの踊りと歌も完璧すぎないリアルさが心地よいです。直前まで舞台「キャバレー」に出演していたとのこと。

先日、鈴木清順監督が93歳でなくなりました。

この「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督は、清順監督の美学に刺激され影響をうけたといわれています。それが、何かは・・・観ての楽しみにしてください。久しぶりに音楽への愛、情熱を堪能いたしました。

そうそう、映画の開巻、画面が横に長く広がり、『シネマスコープ』と出てきます。このワイドスクリーンはハリウッドの黄金時代のミュージカル大作に多く使われていました。しかし、見事なまでに「今」の時代のミュージカル映画です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「蜂蜜と遠雷」

今週は東京でラジオの収録、大阪での講演と旅が続き、新幹線の中で至福の時が持てました。

そうなのです、この2週間あまり私にとって時間ができると読み続けていた本、恩田陸さんの「蜂蜜と遠雷」は第156回直木賞受賞作品です。

この作品についてのコメントは、私のつたない文章では到底表現することは不可能です。人生で始めて経験する感覚。生まれて初めての読書体験。ただただ感動するばかりです。

演奏シーンを文字が追いかけながら・・・頭の中には素晴らしい音楽が響きわたりその演奏に引き込まれてゆく・・・文字の中から音楽が響く・・・こんなことってあるのでしょうか。

舞台となるのは3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールが舞台です。世界の若手の登竜門として注目をされているコンクール。オーデションに参加するそれぞれの人物。そこにはドラマがあり、審査員たちが困惑するほどの演奏。小説ですから詳しく内容は書きません。

帯には『私はまだ、音楽の神様に愛されているのだろうか? ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描ききった青春群像小説』と書かれています。

ある新聞のインタビューに著者の恩田陸さんは答えておられます。

「日本人の耳は、虫の声や松籟、風やせせらぎなど、通常ノイズ(雑音、騒音)として処理されるものを音楽として聴いていると言われている。自然界の音から、某かの意味を読みとってきたとも言い換えられる。」

「言葉は、楽譜のようなものだ。ある人にとってその言葉が「意味のある」ものならば、必ずそこに音楽を聴くことできる。人は、文章を通して自分の頭の中に至上の音楽を鳴らすことができる。そのことは、読んでくれた皆さんが、実感してくれ、この賞をいただけたことで、ある程度証明できたのではないかと思う」と。

クラッシク音楽には詳しくない私。小説の中に出てくる曲目も半分は聴いたことがないのですが、知識がなくとも、知らなくとも、頭の中にはその音楽の素晴らしさが聴こえ、その風景がみえてくるのです。

寝る前には本を読み、CDを聴きながら一日が終わります。

いつもの椅子の横に読む本を2冊くらい置きながらが日常なのですが、この「蜂蜜と遠雷」は読み終わるのがもったいなくて、別の場所に置き大切に・・・大切に読んでおります。

あと20ページくらいで終わってしまいます。エンディングが待ちどうしいのですが、週末の楽しみにとっておきます。

この作品は構想から10年近くの歳月がかかったそうです。

恩田 陸さん"ありがとうございました"  
至福のときをいただきました。

そして、また旅に持参し、日本の風景の中で読み直したいと思います。


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映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』

ニューヨークでファッションモデル兼フォトグラファーとして活動しながら6年間もビルの屋上を寝床にしていたマーク・レイ(当時52歳)。

これはドキュメンタリー映画です。

世界一スタイリィッシュなホームレス、マーク・レイ。彼はストリートスナップの撮影やファッションショーの取材をする傍ら役者業もこなす。若い頃からモデルとして活動してしてきた長身でルックスもよく、チャーミングな彼がなぜ、屋上で寝袋にくるまってホームレス?どうみたってその姿は一見、成功したニューヨークの富裕層にしか見えない・・・。

朝は公園での洗顔、わが家のごとくジムや公衆トイレを活用し、身なりを整える。ジムのコインローカー4つに入れた全財産。家財道具は何一つ持たず、たまには友人たちと素敵なレストランでの食事をとるくらいの余裕はあり・・・かつては「ミッソーニ」のモデルやフランス版ヴォーグ誌にも載ったこともあるマーク・レイ。マンハッタンにアパートを借りたり、家を持とうとはしない。持てない。

そんな彼に元モデル仲間で、オーストリア出身のトーマス・ヴィルテンゾーンはニューヨークで久しぶりにマークと再会し、彼の秘密を知り驚愕したといいます。

3年間ホームレスの彼に密着し、この作品が生まれました。「何でも起り得る街、ニューヨーク」。しかし、このようなストーリーが映画になるなんて私には想像もできませんでした。3年間200時間を超える映像を編集して作られたこの作品は「ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭2014で審査委員賞」「キャツピュール・フイルムフェスティバル2014、ベスト・ドキュメンタリー賞」を受賞します。

映画の中の会話はすべてマーク・レイが発することば。二人は20年以上前、共に男性モデルとしてファッション業界で働いていて輝かしい人生を共に追い求めていて、ニューヨークで再会した時のマークはホームレス。しかも50代前半の彼はまだ見栄えもするルックスで立派な服装(1着だけもっていて)落ちぶれた様子など微塵もなかったそうです。あり得ない話・・・だと監督は思ったそうです。そしてすぐに、彼のニューヨークでの生活をドキュメンタリー映画を撮りたいと思ったそうです。

監督は語ります。

「友人として私を信頼し、自分の物語を世界に紹介してくれたマークにはお礼を言っても言い足りないほどだ。これほどの長期間に渡る冒険を始める時に沸いてくる障害や疑念をすべて捨て去った。まさに冒険だった。キャノンEOS 5D MarkIIと音声レコーダーを持ち、マークと私2人だけで、彼の人生を記録していった」と。

すべて撮り終わってからの編集が素晴らしいのです。監督はこうも語ります。

「私は、マークの個性をこちらが判断したり、こうだと込めつけたりすることなく、余計なベールいっさいかけずありのままを見せたいと思っていたが、同時に彼を、一個人としての枠を超えて、物語を語る上での媒体として使いたいと思っていたのだ。」

      無上の喜びを追求せよ
       だがそれには
    悪夢の中で生きる覚悟がいる

      BY マーク・レイ


音楽は俳優クリント・イーストウッドの息子、カイル・イーストウッドのニューヨークジャズがこの作品にぴったりの即興演奏で心地よいです。

それにしても・・・ニューヨークの光と影。モノが溢れた世の中、アメリカでは貧困が拡大し、1%の持てる富裕層とその他99%の階層との落差。現代のアメリカが抱える問題。とにかく映画の中のマーク・レイは多少の影も見せますが、幸せそうなのです。考えさせられたドキュメンタリー映画でした。

映画公式ホームページ

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パリ・恋人たちの影

皆さま(同世代の方)は1960年代はどんな映画をご覧になっていましたか?

私は圧倒的にヌーヴェルヴァーグが多かったです。女優になりたての頃、所属していた東宝の方に「カンヌ映画祭」に連れて行っていただき、「監督週間正式出品作品」でジャン・リュック・ゴダール、ロマン・ポランスキー、フランソワ・トリュフォー監督などに強烈な印象を受けました。

その時代『ヌーヴェルヴァーグの"恐るべき子ども"』といわれたのが今回の"パリ、恋人たちの影"の監督で16歳で短編映画監督としてデビューした、フリップ・ガレル監督なのです。68歳になった彼の最新作です。

共同脚本、撮影監督は「昼顔」「満月の夜」「勝手ににげろ・人生」など数々の名作を世に送り出し映画界をリードしてきたベテランたち。

モノクロの映像美に、いえモノクロだからこそ映る透明感のある色に、魅惑的に描く監督に脱帽です。ストーリーは骨子だけとりだせば、どうということのない夫婦とそこにかかわる男と女。ある意味フランスらしい物語。

主人公は中年の映画監督ピエール。その彼に寄り添うように妻マノンは彼の才能を信じ、第二次大戦中の対独レジスタンスに参加した老人の記録映画を撮っています(これが後の話に大きくかかわってきます)そんな彼が若い娘と恋に落ち、また妻も別の男と通じていて・・・それを知った夫は妻に詰め寄り男と別れさせる。

監督はインタビューで語っています。「私にとって女性と男性は対等です。社会はつねに男性には寛容ですが、女性にだって同じ権利があるはずです」

モノクロ・女優たちはノーメイク、ガレルの目は絶えず愛をテーマに撮り続けてきて、68歳になりその研ぎ澄まされた感性の中に哀しみや愛おしさが体現されていて、映画を観終わり傷つきながらも、孤独を抱えながら、愛に光りをあて続けてきた監督がとらえた世界は宝石のように見えました。

ガレル監督らしい素敵な映画を堪能できました。監督の息子ルイ・ガレルのナレーションが秀逸です。(渋谷のシアター・イメージフォーラム他にて)

映画公式ホームページ
http://www.bitters.co.jp/koibito/

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豊かな人生を送るヒント

主婦の友社から出ている雑誌「ゆうゆう」が創刊15周年を迎えられました。

"おめでとうございます"

50代からの女性の上手な年齢の重ね方、生き方、暮し方などを紹介してくれる素敵な雑誌です。私も時々出させていただいておりますし、暮れにはひと足早い「クリスマス会」をわが家で読者の方々とお茶をご一緒して楽しいひとときを過ごします。

今回、創刊から現在までを振り返り、人気のあった企画をピックアップし、『豊かな人生を送るヒント』として一冊のムック本がでました。

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「人生、面白がってこそ」では作家の素顔、佐藤愛子さん、瀬戸内寂聴さん、曾野綾子さん、田辺聖子さん。やはり人生の達人です。拝読し学ぶことばかり。

「50代からの友達づくり」は内館牧子さんと吉永みち子さんの対談。「私たち、性格も生活信条も違う。でも違うからこそ話していて面白い!」と吉永さん。『友達とは?』を教えてくださるお二人。私は大ファンなのです、お二人の。憧れます、こうゆう友情に。つい"おひとりさま"を怖がりすぎる・・・と内館さん。「友達はいなければ、いないでもいい」。そんなふうに思うことも実は必要じゃないかな」とおっしゃる吉永さん。お二人とも仕事を持ち、様々な人生を経験して・・・今日を素敵に生きていらっしゃいます。

「言葉が紡ぐ女優の人生」には市原悦子さん、草笛光子さん、八千草薫さん、岩下志摩さん、松坂慶子さん、浅丘ルリ子さん、木の実ナナさん、中尾ミエさん。

「生きる力が沸く 元気習慣」では私が尊敬する生活評論家、今年95歳の吉沢久子さんと消費生活アドバイザーの河部絢子さんとの対談。

「くよくよしない、ストレスをためない。きちんと食べて、ちゃんと寝ることが大事。」と吉沢さんはおっしゃいます。ある意味65歳になってから本格的に仕事に没頭できたのではないでしょうか。「基本的にはのんきな性格」だとか。でも吉沢さんの生き方には「人生のエッセンス」がいっぱい。そうですよね・・・くよくよしたってはじまりませんものね。思わず読みながらうなずく私。

「ひとり達人の極意」や、定年夫と楽しく暮す「妻の心得帳」などなど。

そして、人生を味わい深くする「映画の時間・本の時間」
私は映画の時間で出させていただいております。 
「映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます」
私が今まで10代の頃から観てきた映画。
大人の恋の気分にひたりたいとき  『カサブランカ』
青春のきらめきに再会したいとき  『追憶』
セクシーな男性に魅了されたいとき 『ドクトル・ジバゴ』
人生に緊張感をもちたいとき    『クロワッサンで朝食を』

まだまだご紹介したい映画はたくさんあるのですが・・・。

そして、感動した新作映画のお話などを昨年インタビューしていただきました。映画にたいする想いや、魅力についてなど。私は出演するより観るほうが好き(笑)です。古い映画でも何度も何度も見直すと過去の自分を振り返ったり、そのときの自分に重ねたりして毎回感動を得られます。

『ゆうゆう創刊15周年スペシャル』(主婦の友社・定価540円)  
お手にとってご覧ください。素敵な一冊です。

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寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはお正月どのようにお過ごしになられましたか。

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元旦の明け方、庭に出てみると日の出前の光がほのかに茜色に染まり「初晴れ」の予感がいたしました。そう・・・元旦は箱根の山は穏やかな光が射し、富士山も素晴らしい姿を見せてくれました。

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私のお正月は箱根神社に参拝し、お節をいただき、2、3日は「箱根駅伝」の応援。わが家のすぐ下が駅伝のゴール地点です。今年もたくさんの感動を選手の皆さんからいただきました。

そして、5日は恒例になっている上野の鈴本演芸場に平成29年正月初席「吉例落語協会初顔見世特別公演」を聴きに行きました。

お正月は多彩な顔ぶれ。粋曲は柳家小菊さん。三味線の音色に和服姿の小菊さんの都都逸から、柳家権太郎さん、お正月らしい太神楽社中の寿獅子舞い、そして・・・もう恋なのかもしれないというときめきをくださる柳家小三治師匠。

追っかけに夢中です!人間国宝の師匠には失礼なのですが、人間の可愛らしさ、愛おしさをこれほど体現してくださる方がいらっしゃるでしょうか。師匠の「噺のマクラ」の面白さといったら・・・日常の出来事や、興味のあること、普通にとりとめもなく話すだけなのに、胸をときめかせてくれます。

師匠の落語は、登場人物のもつ空気感というものまでじんわり伝わってきます。時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じとれます。"そこに生きている人たち"の会話を聴いて、思わずクスッとしてしまう。

『笑う門には福来る』と昔から言われますが、新年を迎え演芸場に笑い声が響きます。

先週のある新聞に「笑う門には健康来る」と掲載されていました。医学的に「笑い」は様々な健康効果があるそうですね。新年を迎え、今年は去年よりも「明るくよい年にしたい」と願う人たちのような気がしました。さぁ~、皆さんも大きな声を出しで笑ってみましょう!

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そして、演芸場では紙切りの林家正楽さんの"お客さまのご注文"での紙切りが続きます。門松、鶴、可愛い女の子は「ピコ太郎」のご注文。

正月初席のトリは小三治師匠からお弟子さんの三三師匠へとバトンタッチされました。

人生のすべてがあるといわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。

今年は世界中で様々なことが起こるであろうと予測されます。

落語のように「人間に対する優しさ」で解決できないものでしょうか。

七草粥をいただきながら、豊作や無病息災を祈りました。
2017年が皆さまにとって幸多かれとお祈り申し上げます。

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感謝をこめて

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一年間書きつづったブログをお読み頂き感謝申し上げます。

2016年もあと二日。皆さまはどのような年でしたでしょうか。
世界に目をはせれば色々なことがあった年でした。

私は今年も旅を続けました。
人に出逢い、人から恩をいただき、今年も終わろうとしております。

旅は昔から賜ぶ(たぶ)と書いて、旅。
旅をつづけるなかで、いろいろなことを与えてくださった方々にも感謝いたしますし、今度は私も差し上げられるようになりたいと、いま、思っております。

いただく心より、ちょっとだけ、差し上げられる心のほうを多めにしていきたいな、これからの旅に対する私の心構えです。

明日は除夜の鐘を聴きつつ年越し蕎麦を食べ、来年の夢や目標を静かに考えたいと思います。

2017年、来るべき年が平和で皆さまにとって佳い年になりますように、寒さ厳しき折から、ご自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

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古川祭り・ユネスコ無形遺産

「山・鉾・屋台行事」がユネスコの無形文化遺産に33件が登録されました。全国をこれまで旅をしてきて、こうした素晴らしい祭りに私は何度も出会ってきました。木工・漆・染物など伝統技術によって継承されてきた祭り。まさにこれらの祭りは「地域の宝」です。

その33件の中に飛騨古川の「古川祭りの超し太鼓・屋台行事」も入りました。

あれは40年ほど前になるでしょうか。古民家探しの旅の途中、飛騨高山の先の古川町でひと休みしていたら、ある青年がやってきました。「僕たちどうしても映画を作りたいんです。」

彼は青年会議所のメンバーの一人でした。「何の?」「ふるさとを見直す映画です」。その真剣なふるさとを思うまなざしに引き込まれてしまい技術的にはお手伝いできないけれど、仲間を紹介しささやかなお手伝いをし、8ミリの超大作「わがふるさとに愛と誇りを」は2年半の歳月をかけて、出来上がりました。

制作予算なんか全くないも同然、青年会議所のメンバーも持ち出しでの映画作りでした。街の人たちも皆んな手弁当。自分たちの生まれ育った町、その中で何を受け継ぎ、何をのばしていこうか・・・真剣です。

旅先で知り合った大切な仲間たちが私の生涯の友です。

大ヒット映画アニメ「君の名は」では架空の田舎町になっておりますが、飛騨古川であることは観てすぐにわかりました。駅、図書館・・・田園風景。映画のヒットにより土日ともなると若い観光客が町中に溢れていると古くからの友人の手紙にありました。

今回の無形遺産登録はどこの地でもそうですが、自分たちの暮す町の文化を守る・・・という強い熱意が伝わります。

古川祭りは気多若宮神社の例祭として毎年4月19、20日に行われ、それはそれは厳かで、勇壮です。

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[写真提供:飛騨市公式観光サイト]

神社本殿での神事、古式ゆかしい「御神興行列」(飛騨の匠の技が随所に施されている屋台)と「起こし太鼓」(毎年3月第1日曜日)。

起こし太鼓が動き出すと男達の熱気が広がり町中が高揚感に包まれます。男性が主役の祭りですが、家を守る女性は子ども達にお菓子をくばったり・・・と陰で支えます。飛騨古川は老若男女すべてが協力しあう、それが古川祭りです。

その祭りを長年守ってきた中には私の仲間たちもいてくれます。

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[写真提供:飛騨市公式観光サイト]


新たな取り組みも行われ、飛騨の里に欧米人観光客も多く訪れています。それは「よそ者」の新しい息吹が入り、新たな仕掛けが里山の風景をさらに魅力的な街へと変身させているのです。

どこでも高齢化の傾向が強まる中で"キーパーソン"が求められています。自分たちの手でこの町の未来は作る・・・と動きはじめたところがいくつも出てきました。

幸せな町には幸せな人生があります。

"がんばって!"と応援したいです。
そして、無形遺産を守り続けてください。

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ひと足早い、クリスマスの集い

先日、雑誌「ゆうゆう」(主婦の友社)の読者40名の方々が我が家の「やまぼうし」にお越しくださいました。40名いっぺんには無理なので20名を2回に分けてのお集まりでした。

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楽しかった!です。同世代、ちょっとお姉さま、親子で・・・北は山形から、南は宮崎、四国と全国からお集まりいただきました。

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地元のお気に入りのケーキと一緒にコーヒータイム、そして私が少しお話しさせていただき、クリスマスのデコレーション、お花などで飾り、皆さん、おひとりお一人との記念撮影。女学生時代に返ったような雰囲気でした。夜は近くのホテルに宿泊。私も夕食前に伺い"乾杯"をさせていただきました。

その時にもお話しいたしましたが、女性が1泊で、家を空け旅に出るのは大変なことです。私は申しました。『日ごろのご褒美よ!』って。

私の好きな言葉「逢えてよかった」 

そう読者の方々と肩を抱き合い、お互いに健康に感謝し、そして出逢えたことに、今年の締めくくりの出会いに心から感謝いたしました。

こうして、クリスマスの飾りも子どもが小さい時には"子ども達のため"でも皆んなが独立してからはこうして"女同士のため"

少し早いクリスマスをお楽しみください。

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マイ・ベストフレンド

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素敵な映画を日比谷で観てまいりました。

女性にとって、時に本当に必要なのは、
恋人より夫より家族よりも、何でも話せる女友達かもしれない。
人生の途中でどんなことがあっても、信頼できる友達がいれば、
笑顔の力で乗り越えていけるーーーー。

(パンフレットより)

オーストラリア出身の女優トニ・コレットとアメリカ・カリフォルニア州出身のドリュー・バリモアの二人の友情を描いた作品です。

トニ・コレットの母親役には、あのイギリス出身のジャクリーン・ビセット。1944年生まれ、ロマン・ポランスキー監督の「袋小路」(66)で正式デビュー。

フランソア・トリュフォー監督の名作「映画に愛をこめてアメリカの夜」(77)に出演しフランスの最高位勲章レジオンドヌール勲章を受勲するなど、私は以前からとても興味を持って拝見してきた女優さん。

女の友情は移ろいやすく、もろく、でも確かな人生での友情は存在することを教えてくれます。

親友の二人。対照的な人生を送りつつも、それぞれ幸せに暮してきた二人に突然、ある日ミリー(トニ・コレット)に乳がんが見つかる。

ジェス(ドリュー・バリモア)は不妊治療が実をむすび・・・。「幸せ」と「不幸」が同時に訪れ、周りの人々の想いや「死生観」を監督のキャサリン・ハードウイックが女性監督ならではの繊細で、でもユーモアをもって、まるで主人公の二人が子どものころからの親友であったかのような(二人はこの映画で初競演し、本当の親友になったそうです)自然体の演出に喝采!です。

暗くなりがちなストーリーを癌になったあとのミリーが圧巻の演技。ヘア&メイクも素晴らしいです。トニ・コレットは役のためには美しい髪をバリカンで実際に刈ってしまう・・・女優根性がスゴイ!また美しい。笑ったり、涙したり、考えたり・・・素敵な午後の映画鑑賞でした。

何よりも『愛の尊さ』を教えてくれます。

11月18日より、東京・TOHOシネマズ・シャンテほか全国ロードショー
映画公式サイト http://mybestfriend.jp/


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ポーラ美術館

箱根・仙石原の自然の中に佇む「ポーラ美術館」で現在素敵な企画展が開催されています。

『ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ(境界線への視線)』です。

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出典:ポーラ美術館公式サイト

20世紀初頭の都市の周縁には、移民や貧困者が住み付き首都が拡張されていったのだそうです。現在のパリを歩くと、都市の風景はその当時の面影を絵画や写真では見るこたができても産業革命以前の"古きパリ"を見つけることは中々できません。この展覧会では19世紀末から20世紀初頭にかけての「境界の時代」を観ることができます。パリは変革のときだったのですね。

パリに1913年到着した越境者レオナルド・フジタ(藤田嗣治1886-1968)もまた境界線に惹かれた一人です。展覧会ではフジタの「巴里城門」が展示されています。パリに着いて翌年に描かれた作品。城壁の外側からの寂しい情景は寂寥感がにじみます。フジタの越境者としての原風景なのでしょうか。

また、フジタの働く子ども達を描いた「小さな職人たち」の小作品も素晴らしいです。少年少女の頃から生活のために働き始め、仕事に打ち込む姿を優しいまなざしで描くフジタ。パリという都市の変革を支えてきた子ども達。「乳白色のフジタ」にはない初期の作品は心に響きます。

そして、今回の展覧会で一番興味をもったのは「写真家アジェ」でした。アジェは古い都市のみではなく、消えゆく運命にあるすべてに目をむけました。アジェの写真が、フジタをはじめルソーや多くの芸術家たち、アヴァンギャルドの一派にもいかに影響を与えたかがよく分かる展覧会です。パリの下町、マリー橋、サクレ・クール寺院、くず屋・・・などなど、現在は感じることのできないパリの郷愁を見せてくれます。

強羅からバスで、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けその先にあるポーラ美術館は光の降り注ぐ自然と共生している美術館です。アプローチブリッジを渡り、ガラス張りのエントランスホールを抜けると地下2階まで太陽の光が降り注ぐホール。この美術館は常設展も素晴らしいです。ルノアールやピカソ、クロード・モネなど印象派の絵画を堪能できます。

今回は午後からでしたので散策できませんでしたけれど"風の遊ぶ散歩道"が全長670メートル、ブナやヒメシャラ、ヤマボウの木々を小鳥達がさえずり、自然の中で心休まる散策ができます。

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箱根に住み40年の私は、この晩秋から初冬にかけての季節がとても好きです。紅葉の美しい季節、のんびりと散策と美術館にいらっしゃいませんか?
小さな旅ができます。

2017年3月3日まで
開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
会期中無休
ポーラ美術館公式サイト

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

映画「男と女」

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皆さま~・・・あの"ダバダバダ~"のメロディーで知られるクロード・ルルーシュ監督の『男と女』が、50年ぶりに鮮やかな映像と音でよみがえりましたよ!

日本初公開は50年前の10月15日だったそうです。その記念すべき10月15日、恵比寿ガーデンプレイス内「YEBISU GARDENN CINEMA」で初日を迎えました。50年前公開の時、私は22歳。主役のアヌーク・エーメのシックな衣装に魅せられ、メロディーに酔い、俳優達の演技やスピーディなレース展開に強烈な印象を受けました。公開時29歳だった若き監督、クロード・ルルーシュ。

早朝一番のバスで芦ノ湖の向こうに美しく見える赤富士を眺めながら下山し、恵比寿の劇場に向かいました。10月15日・1回目の上映です。早朝の秋晴れの美しい都会は清々しく、まさに映画日和でした。上映までの1時間は周辺を散策し、お茶を飲み、50年前の自分自身を振り返りました。「007は2度死ぬ」への出演が決り私の人生が大きく舵を切り、新たな道へと進みはじめた時期だったと思います。

10時10分、映画が始まると「男と女」ではなく、いきなり1台の車(フェラーリ275GTB)が夜明けのパリをアクセル前開で走りぬける8分28秒のルルーシュ監督の幻の短編・ドキュメンタリー『ランデヴー』が始まります。「男と女」から10年後、ルルーシュ自らがハンドルを握り、豪快なエンジン音、ハンドルの振動が観る側に伝わり、凱旋門、コンコルド広場、オペラ座、ピガール広場と駆け抜けていくのです。助手席にいるような錯覚になり、すでにここから『男と女』は始まっています。

1966年フランスから生まれた名作。初デジタル・リマスター版。1967年アカデミー賞外国語映画賞&オリジナル脚本賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞&主演女優賞など、賞を総なめにしたラブストリーは強烈な印象を与えました。

ただ・・・今回私は50年ぶりににこの映画を観て思ったのは「私ってなんと子どもだったのかしら」ということでした。『男と女』の心のひだ・・・うつろう想い、愛、まったく理解できていなかったことに気づかされました。そして、フランス映画のもつ奥の深さや、大人の機微。素敵です。

今、この年齢になりもう一度観ることができた幸せ。
(シニア料金で観るのが申し訳ないです(笑)
最高の"自分へのご褒美"の日でした。

当時の監督は、破産寸前で映画を撮るお金もまったくなく低予算で作られたことなどが、初日のサプライズで明かされました。そう・・・主役のアヌーク・エーメの夫役ピエール・バルーが来日され壇上で語ってくださいました。エピソードや音楽も手がける彼は歌まで口ずさんでくれました。キャストも含めわずか13、4人のスタッフでの撮影、主役の二人は車の中のシーンなどではライトを手に持ち照明もつとめたこと、ロケはわずか3週間ほどだったこと、などなど、今年83歳のピエールは「今でも当時の仲間とは仲良く交流がありますよ」と語ってくれました。飛行機の都合で当日の朝、成田に着きそのまま映画館に駆けつけてくださいました。

人生ってコツコツと積み重ねてくると、神さまがご褒美をくださいますね。
そんなラブリーな一日、日暮れ前にまた芦ノ湖の向こうの富士山を眺めながら家路へとつきました。


映画の公式サイト
http://otokotoonna2016.com/

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

世界報道写真展2016 沈黙が語る瞬間

恵比寿にある東京都写真美術館に行ってまいりました。

JR恵比寿駅東口から動く通路を歩き、恵比寿ガーデンプレイスの中に東京都写真美術館(TOKYO PHOTOGRAPHIC ART MUSEUM)はあります。

そこには静かに"沈黙が語る瞬間"がモノクローム・カラーで展示されています。

「日常生活」「一般ニュース」「自然」「人々」「スポーツ」「長期取材」「現代社会の問題」「スポットニュース」それぞれの部門での出展です。

会場に一歩足を踏み入れると、直視できないほどの衝撃を受けたり、自然の部では伐採行為や農地への転用、山火事により森林が奪われ、オランウータンの生息環境は危機に瀕している写真には胸がしめつけられます。

そして、世界報道写真大賞「スポットニュースの部1位」は、オーストラリア人の一枚のモノクロ写真でした。

2015年8月28日、レスケ(ハンガリー南部)で撮影された写真の前では言葉を失います。ウオーレン・リチャードソンはセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と幼い子どもを撮影しています。

有刺鉄線付きのフェンスが出来上がる前に、ハンガリー側へと渡ろうとするのですが、その赤ちゃんを手渡そうとする瞬間を捉えています。警備員に見つからないよう、フラッシュはたけません。月明かりをたよりに捉えた瞬間。男性が子どもを手渡す瞬間。見事な報道写真ですが、これが現実なのですね。涙が溢れてきました。

「長期取材」の部1位は写真家メアリー・F・カルバードの作品です。写真の横にはこのようなコメントが書かれていました。

「内なる戦い。米軍内では女性に対する性的暴行事件が頻発している。性的暴行について指揮官に訴えることは困難。もしくは無駄だと考える女性が多く、報告があった場合でも法廷にまで持ち込まれることはほとんどない。軍隊での性的トラウマ(MST)は、長期にわたり精神的な問題を引き起こす可能性がある。」

このように書かれています。
自殺を図った娘の写真をベッドに置き呆然と立ち尽くす父親の姿。

世界で今、何がおきているのか、真実はなんなのか・・・
会場には若い人たちが真剣に写真に見入っていました。     

10月23日(日)まで
東京都写真美術館

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映画「ハドソン川の奇跡」

「ハドソン川の奇跡」を観てまいりました。

監督クリント・イーストウッド  主演トム・ハンクス。
実際に起きた有名な飛行機事故をどう映画化するのか興味深く観に行きました。

2009年1月。米ニューヨーク・マンハッタンの上空を鳥の群れが衝突し、乗員と乗務員155人を乗せエンジンは停止し、ハドソン川へと不時着を決断する機長。着水は成功し全員の命が奇跡的に救出されます。

ここまでは日本のニュースでも知られていたので「スゴイ!奇跡だわ。」と当時思いました。英雄となった機長のその後は目にすることはありませんでしたが、映画でその後の事故調査会にかけられこのような状況があったことを映画で知りました。

まさに「裁判映画」を観るようです。大げさなアクションはありませんが、イーストウッドの演出は人間的な内面、葛藤、こうした極限状況にある危機の中でこそのその人の持っている人間性、心意気が見事に描かれています。

リアルに再現された機内も監督の手法はあくまでも冷静に、でも緊迫感あふれています。編集が見事です。カメラワークも素晴らしいです。

それにしても今年86歳のイーストウッド!この静かなエネルギーは奇跡だと思います。そうそう副操縦士のアーロン・エッカートも素晴らしいです。彼は言います。

「僕は、ジェフ・スカイルズに幸せになってもらいたいと思って演じました」と。

実在する人間を演じるということは機長のトム・ハンクスも同様だったと思います。そして、監督のクリント・イーストウッドはインタビューにこのように語っています。「なぜいま"ハドソン川の奇跡"を描こうと思ったのですか?」

『単純にいい物語だからだ。それ以外に説明しようがないね。もし若いときにこの企画に出会っていても、描くことはできたかもしれない。だが、いまのほうが監督としてたくさんの経験を積んでいるし、主人公も年配のパイロットだから理解しやすい。いまのほうがいい仕事ができると思いたいね』と。

人間には年齢ってないのかも知れませんね、情熱を持ち続けているあいだは。

映画公式ホームページ
http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/

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瑞浪芸術館

先日、岐阜県瑞浪の「瑞浪芸術館」に招かれお邪魔してまいりました。

江戸時代の茅葺民家を現代のセンスで移築し造られています。

設計は建築家の中村好文さん。温もりのある建築で知られる中村さんの作品は私の住む街の"菜の花ギャラリー"でも出会っているので、その素晴らしさに思わず"素敵"とつぶやいておりました。

中村さんはおっしゃいます。「人ってなんだろう?人の暮らしってなんだろう?ってことを考えるのが建築家の仕事だと思うんです。ステータスシンボルとしての住宅にはあまり興味がない」と語っておられます。そうですね・・・よく分かります。

私も40年ほど前に築120年~150年の古民家を移築するにあたり、これからの新しい時代の人たちに心地よい家を、との思いで職人さんと一緒に家づくりをいたしました。萱・漆喰・鉄、この芸術館はNPOが運営し、参加型の芸術館として、公開講座やワークショップ、現代作家のコレクションギャラリーとして、またコンサートや様々なイベントも行われております。入り口には野の花が活けられ、その奥には大きな壷にススキが。昔の美しい日本とモダンなスペース、そのコントラストが素晴らしい空間を演出しています。

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今回お招きをいただいたのは「森と日本人」がテーマです。

パンフレットには「古来より日本人は、神道・仏教・芸術において自然を神として崇め、あらゆる命の根源として森を大切にしてきました。森はあらゆる生物生存の元であります。今こそ、日本人の数千年来の森と共生する生き方を思い返す時なのです」と書かれています。

昨年は作家のC.W.二コルさんが基調講演をなさいました。彼は黒姫のアファンの森の再生に一生を捧げていらっしゃいます。私も何度もお邪魔いたしました。今年は6月に天皇・皇后両陛下が森をお訪ねになられました。

私は「箱根暮らし」をテーマに今まで出会った人、モノなどを話させていただきました。会場は60名が入ればぎっしり。地元はもとより名古屋からも大勢の方がお越しになられました。講演後はスタッフお手製のケーキとハーブティーで和やかなひとときを過ごしました。何だか・・・心があったかくなる時間の流れでした。

皆さま、素敵な出逢いをありがとうございました。

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翌日は瑞浪芸術館の理事長であり陶芸家の近藤精宏さんのご案内で中山道を歩きました。日本橋から数えて四十七番目の宿「大湫(おおくて)」、奥深い山の中にひっそりと佇んでいます。

本陣跡、大杉、歌川広重が描いた二つ岩、古い格子戸の家並みが続き、往時の風情が伝わってきます。どの家の前の道路も綺麗に履かれていて清々しい気持ちになります。このようなところを外国の方々にも見せて差し上げたい・・・美しい日本をみていただきたいとも思いました。

半原の集落では「半原操り人形浄瑠璃保存会」の方々で郷土芸能として保存・受け継がれてきた岐阜県重要無形民族文化財の人形を拝見しました。300年の村民の思いが伝わります。日本を旅していると郷土に伝わる伝統芸能の「火を絶やしてはならない」という深い思いをしらされます。

この辺りは国道や鉄道など近代交通が発達しておらず、交通は不便な場所だから反面、この静かで落ち着いた街並みが今もこうした往時の姿を拝見できるのでしょう。

『美しい日本』をこれから私たちはどのように残していくことができるのでしょうか。

瑞浪から中央線に乗り名古屋へ、車窓からは刈られた田んぼ、はさ掛けされた稲、初秋の旅を終えて家路につきました。

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『熱中世代』

先日、BS朝日の「熱中世代」にお招き頂き収録をすませました。

番組は作家・演出家の鴻上尚史さんとアナウンサーの進藤晶子さんの進行でした。とても素敵なおふたり!

正直申しますと私はテレビの仕事はとても緊張するのです。これだけ長くテレビに出させて頂いているのに・・・なぜでしょうか。やはり40歳で演じることを卒業し、分野が多少違うからでしょうか。

1時間番組での出演、箱根にも事前に取材があり、どんな番組に仕上がっているのか楽しみです。

子供時代・女優時代、そして「熱中世代」の50代からの暮し方や、現在の心境など『孤独って素敵なこと』の本のお話もさせていただきました。

熱中世代は50代からなのでしょうか。私はこの秋には73歳になりますが、"熱中"することが多くて、自分でもあきれております。お時間がございましたらご覧ください。

放送日 9月18日(予定)
BS朝日 8:00~9:00  
『熱中世代』

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映画 「イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~」

『カサブランカ』(42)を始め、アカデミー賞主演女優賞に輝いた『ガス燈』(44)、『追想』(56)など、どれも夢中で観た映画です。

イングリッド・バーグマンの大ファンの私には素晴らしいプレゼントの映画です。ドキュメンタリー映画・・・といっても彼女の女優として、人間として、ひとりの女性として、そして、何よりも4人の子の母親として、今までみることの出来なかった彼女の素顔、素直な言葉、意思、どれをとっても本物の"イングリッド・バーグマン"がスクリーンから抜け出てくるのです。

このような映画を撮ったスティーグ・ビョークマン監督に感謝と乾杯!です。そして、最初のご主人との間に生まれた長女(スウェーデン生まれ)、そして夫と幼い娘がありながらイタリア人監督と恋に落ち妊娠して生まれた長男。さらに双子の姉妹。

当時大スキャンダルになりアメリカを追われイタリアに7年住み、激しい非難を浴びても毅然と愛に生き、母であり、演じることを愛し、生涯現役であり続けた女優・イングリッド・バーグマン。映画の中ではそれぞれの子供達が愛する母を語る姿に胸がしめつけられます。"母に愛されていた"ことを実感できる言葉で語ります。

不思議なことって起こるものですね。
1915年8月29日にスウェーデンに生まれ、1982年、67歳の誕生日8月29日にこの世を去ったバーグマン。そして、私がこの映画を観た日が偶然8月29日。

私は映画を観る日はなるべく1時間前には近くまで行き、心のウォーミングアップをします。たまたま手にしたプログラムでそのことを知りました。8月29日。

2015年、生誕100年を迎えました。イングリットは写真、フィルム、日記、手紙、幼い頃の作文や自作の劇など思い出の品を大切に保管してありました。

そして、写真家の父親の影響で自らも写真を録り、ホームビデオ、フィルムもまわしています。特に子供達の作品はモノクロームですが、本人も素顔で撮影されているのです。この膨大な資料は子供達の手によって大切に保管されていたからこそ、今回の映画につながったのですね。

そこには自分に嘘をつかない人生が映し出されています。

当時、保守的なアメリカでも自分の人生を貫き、正直に生き、愛し合った監督とも別れ、三番目の夫はスウェーデン生まれの演劇プロデューサー。「熱いトタン屋根の上の猫」の上演がきっかけで出逢い結婚。75年に離婚後もバーグマンを支えたといわれています。すべて出逢った人たちとの関係に正直だったから愛されたのでしょう。

「愛に生きた女優」ではありますが、映画の中のバーグマンは素顔が輝くひとりの魅力的な女性(ひと)です。

子供達が語る母は「母は一緒にいて楽しい人」「生涯、勇気を持ち続けた人」「母を一言で表現するなら"チャーミング"ね」と。

日焼けを気にもとめず、海やプールで子供達と戯れる姿は神々しいほどの美を感じます。これほど家族を愛したのには幼いころの環境が影響しているのかもしれません。幼くして母、そして父、身内の人を失い、自力で学び世に出て脚光を浴びます。

彼女の「私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけ」この言葉にすべてが表れています。

家族を愛し、勇気と冒険心を忘れずひたすら誠実に生きた"イングリド・バーグマン" フアンにとってはたまらなく魅力的な映画でした。

渋谷文化村、ル・シネマで上映中です。
http://ingridbergman.jp/

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久留米への旅

先日 西日本華道連盟、西日本新聞社、テレビ西日本様のお招きで久留米での講演に伺ってまいりました。

この頃のいつもの私のパターンなのですが、講演前はなるべく前日入りして、その街を散策させていただきます。今回は運よく「石橋美術館物語1956久留米からはじまる」の最終日に間に合いました。60年の石橋美術館としては幕を閉じ、新たに久留米市美術館として生まれ変わります。

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石橋美術館はブリジストンの創業者・石橋正二郎が郷里久留米市に建設寄贈した美術館です。

最終日だからでしょうか、市民の方々でいっぱいでした。子供も鑑賞し楽しめるよう様々な工夫がされていて、東京の美術館とはまた異なる部分があり温かみを感じます。

ふるさとの画家・青木繁の「海の幸」や坂本繁二郎の「放牧三馬」、安井曾太郎の「りんご」、それにセザンヌ、黒田清輝、ピカソ、クロード・モネ、アンリー・ルソーなど等、素晴らしい作品を市民の方が熱心に見入っていました。

こうした芸術が生活の中に溶け込んでいることが良く分かります。絵画鑑賞の後、青木繁旧居向かいました。

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青木繁が多感な少年期を過ごし、その芸術の才能を育んだふるさとの家。ここは「青木繁旧居保存会」のボランティアの皆さんの管理により運営されています。いかに地元の人たちに愛された画家であるかが良くわかります。

そして、会場の久留米シティプラザ ザ・グランドホールには会場いっぱいのお客さまが出迎えてくださいました。

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伺うところによりますと、西日本華道連盟は昭和24年華道を通じて日本文化の交流と発展を目的として結成されたそうです。流派を超えての親睦団体で、韓国、台湾、モナコ、ハワイ、中国などとも交流し、活動を続けておられます。

日本の「食」もそうですが、世界を旅すると「日本文化」は憧れと尊敬を持って語られます。まず、大切なことはそれらの文化を私たちが深く知ることですね。

『明日を素敵に生きるには』がテーマでした。

会場の皆さんの笑顔がとても素敵です。

いろいろお話しをさせていただき、最後に私の大好きな中原淳一さんのお話をさせていただきました。今まで挿絵など絵画に夢中でしたが、60歳代になって展覧会で改めて、以前は気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。

『愛すること』  中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人の一人一人に愛情をこめて作って欲しいのです。窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。

世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。

ファッションだけでなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。「それいゆ」や「ひまわり」は、まさに女性のありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づきます。

「愛情深い女性でいてください」このフレーズが心に残ります。

同時代を生きてきた会場の皆さま、少し先輩の方、お若い方、とても素敵な出逢いをいただきました。

壇上を美しい花で飾ってくださった方々、心より御礼を申し上げます。またいつかお目にかかれますことを願っております。

ひとつだけ、心残りは名物の「久留米ラーメン」が食べられなかったことでしょうか・・・。

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映画 「ニュースの真相」

何しろ主演がケイト・ブランシェットとロバート・レッド・フォードです。

ジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。アメリカで現在も続く「60ミニッツ」は1968年から放送が始まり、現在も続くアメリカCBSテレビの報道番組です。この番組に長年携わってきたプロデューサーの自伝がベースです。

ブッシュ大統領(当時)の過去の軍歴詐称疑惑。番組のプロデューサーを演ずるのが、ケイトブランシェット。そして花形キャスター、ダン・ラザーをロバート・レッドフォードが見事に演じます。時は2004年、再選活動を展開中のブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑の大スクープを放ったのです。

この事件は世界で広く報道され、そのスクープがしかし一転して、誤報か?とバッシングに遭い、二人は番組から去らざるをえなくなります。大スクープから誤報とその過程を追うドラマは「ニュースの真実」とはなにか・・・を真正面から取り上げます。

孤立無援での真実への追求、あの事件にはこのようなことがあったのか、と思い出させてくれるのと、ドラマ仕立てにはなっているものの、報道陣の覚悟と良心が感じ取れ、同じ問題が生じたら日本では、このような映画がはたして撮れるだろうか・・・と考えてしまいました。

今年のアカデミー作品賞受賞作品は「スポットライト」もジャーナリストが主人公で実話が基になっています。スポットライトは新聞記者の勝利で終わっていますが、「ニュースの真実」は違います。主人公のプロデューサー、メアリー・メイプスはこのように語っています。

『ケイト・ブランシェットやロバート・レッドフォードのような俳優が、私たちを演じてくれるなんて・・・驚いて言葉もでなかったは。私はCBSという組織とジャーナリズム、そしてジャーナリストの仕事の清廉性や重要性を信じていたわ。』と。

彼女は2004年にテレビ局を解雇になってから2005年にエミー賞グレイシー賞、多くの賞において認められています。後年、本作の原作となった自伝「大統領の疑惑ー米大統領選を揺るがせたメディア界ー大スキャンダルの真実」を出版。現在は、テキサス州ダラスで夫と息子とともに暮しています。

インタビューで印象的だったケイト・ブランシェットのことば。

『男性が優位にある業界は多いと思うわ。メディアやニュース、特にテレビニュース業界は、明らかにそうだと思う。小さい男性社会ね。でも、私がこの映画で一番気にいっている点の一つは、メアリーが母親であること、あるいは女性であることに関してくどくどと言及していないことね。女性であることはこの映画の空気感の一部に過ぎないの。だって主人公が男性なら、奥さんや子供が登場したとしても、それは些細な側面に過ぎないはずでしょ?それよりだいじなのはストーリー。それをジェームズ(監督)はわかってるの。メアリーはあくまでも敏腕プロデューサーで、ジャーナリスト。実在の彼女が求めるストリーを観客に見せたいならそうするはず。彼女はもちろん女性だけどね』と。

女は度胸!と感じた映画でもありました。

脚本家 ジェームズ・ヴァンダービルトの初監督作品です。
素晴らしい映画でした。

映画公式HP http://truth-movie.jp/
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映画 「トランボ」

皆さまはこの猛暑の中、どのようにお過ごしでしょうか。

暦の上では立秋、「残暑」の波は少しずつ小さくなるのでしょうか。私の住む箱根はお蔭さまで朝夕は初秋を感じさせてくれます。

この夏はどこへも遠出はせず、ラジオの収録以外は「映画三昧」をしております。収録後だったり映画のはしごをしての"うだるような暑さ"も映画館は天国です。前回の「めぐりあう日」から「エイミー」そして今回は「トランボ」。

"永遠の妖精"オードリー・ヘップパーンの「ローマの休日」は誰が脚本を書いたのか、私は知りませんでした。そして、ハリウッド激動期の内幕を伝えるこの映画を観るまで知らないことばかりでした。

ソ連との冷戦下の1947年、共産主義者を弾圧する赤狩りが始まり、その標的にされたのがトランボ達。「ローマの休日」を書いたのは、クレジットには脚本家イアン・マクレバラン・ハンターとありますが実は違っていたのです。

1940年代~1950年代のハリウッドを舞台にした「トランボ ハリウッドにもっとも嫌われた男」は数奇な運命を辿った一人の映画人の実像とその苦悩、そして復活、家族愛、実話です。

偽名で書いた脚本、三年後には再びアカデミー賞を受賞しています。映画には実在する俳優たち、ジョン・ウェインやカーク・ダグラス、監督のサム・ウッドなどが登場し、あの時代のハリウッドの様子が良く分かる映画です。しかし・・・私はこのような状況はほとんど知りませんでした。主演のトランボ役のブライアン・クランストンは本作についてインタビューでこのように語っています。

『私は役を引き受ける時に3つの要素を考える。1つ目は脚本そのもの。感動したか?人生が少しよくなったような気持ちで劇場を後にすることができるだろうか?2時間だけでも心配事を忘れさせてくれたなら、それは価値がある2時間だ。

2つ目はセリフ。とても変わった物語でも、うまく語る必要はある。

3つ目はキャラクターだ。本作がそのすべてを満たしていることは間違いなかった。大作ではないが大きなメッセージを秘めている。その裏に大きな思想があり、人権を求めて闘うことの大切さや、この国の憲法修正第一条の意義についても語っている。言論の自由は常に守らねばならない、どんな法律もこの自由を侵すものであってはならない、政府の行いについても同じだ。これがトランボの主張なんだ。』と。

"自由を勝ち取った国、アメリカ"そんなイメージでアメリカ映画を観ていました、これまで。私はどちらかというとヨーロッパやアジアの映画が好きでよく観ます。しかし、このような映画がアメリカで創られことに驚き、またヒューマンとは何か・・・を考えさせられた映画でした。最後の彼のスピーチには思わず涙がこぼれました。


日比谷で観ましたが、中高年の人たちでいっぱいでした。

トランボの妻を演じるダイアン・レインも素晴らしいです。来週は「ニュースの真相」を観ます。今年のアカデミー作品賞は「スポットライト」でした。どちらもジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。「大統領の陰謀」で主演したロバート・レッドフォードのフアンの私には楽しみです。

映画ってやはり素晴らしいですね。

この季節、子供の頃、お盆に乗せられた西瓜をむしゃぶりつき種を飛ばしっこしたことなどを思いだします。帰省なさった方は気をつけてお帰りください。

そして、今年も8月15日「終戦日」が巡ってきます。暗い歴史やテロの続く世界の現状から目をそらすことなく心にとどめておくために、大切にしたい「終戦日」ですね。

映画公式HP http://trumbo-movie.jp/
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めぐりあう日

映画『めぐりあう日』を岩波ホールで観てまいりました。

「冬の小鳥」でデビューした韓国系フランス人の監督ウニー・ルコントの2作目の映画です。1作目で、その瑞々しさ・・・監督自身の生い立ちをめぐる映画。一人の女性の生き方に深く感銘を受け、6年ぶりの2作目を待ち望んでおりました。出生めぐる世界は前作と同様ですが、今回の主役を演ずる女優セリーヌ・サリットが繊細な心のひだを見事に演じています。

パリで理学療法士として働きながら夫と暮すパリを離れてフランスの北部の港町に8歳の息子を連れて引越します。生みの実母を探しに。そこにはフランスの法律で実母を探す困難な状況に阻まれます。

そんな彼女のもとをある一人の女性が治療で訪れます。理学療法という実際に肌に触れてする治療。アラブ系の8歳の息子の転向先の学校で給食の世話をする老女。とにかく脚本が素晴らしいし、カメラワークも心象風景のごとく観客を誘います。

主人公が悩んでいる時のシーンは特に胸が締め付けられるような感覚になります。映画ですからストーリーは細かくは書きませんが、移民の問題、養子縁組など現代社会がかかえるテーマもおり込まれ素晴らしい映画でした。

1回目11時からの回でしたが中高年の女性たちでいっぱいでした。
映画ってやはりいいですね。

映画の公式HP
http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/

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『徹子の部屋』

先日、テレビ朝日で「徹子の部屋」の収録をしてまいりました。

東宝時代の星由里子さんとご一緒でした。40年振りの再会です。

私はバスの車掌のあと東宝にスカウトされ「若い素肌」でデビューしたのですが、「ここは自分のいる場所だろうか。いてよい場所なのだろうか。」場違いのような気がしてふと逃げ出したくなってしまうことがしばしばでした。ですから星さんとも他の俳優さんとも一緒に食事したり、遊びに行く・・・ということもありませんでした。

星さんは年齢は同じでも2年早くデビューなさっています。彼女の人生とは間逆な生き方をしてきた私。でも黒柳徹子さんという芸能界の大先輩のリードで楽しい収録でした。

振り返ると40歳で演ずるという女優を卒業しましたが、社会参画は現在にいたるまでしてまいりました。働くことが好きな私。一期一会、多くの方々との出逢いで現在の私は生かされております。

「孤独って素敵なこと」でもその思いは書かせていただきましたが、これからも「暮らしの美」を感じつつ、自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生がはじまったという気持ちを大切に一日一日を大切に歩んでいきたいと思います。

『徹子の部屋』の放送は8月1日の予定です。  
テレビ朝日12時から。
ぜひご覧ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

『フェルメールに逢いたくて・・・デルフトの街へ』

私が始めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりのヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上も過ぎたのに、やはりフェルメールは心に寄り添ってくれている・・・そう感じ、このたび出版した「孤独って素敵なこと」の"終わりに"にも以下のようなことを書きました。

『フェルメールの朝を思わせる清浄な光。
何げない日常に注ぐ眼差しの温かさ。
それらの中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだ・・・と。
そう気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。
そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。』

やはり・・・行きたい。

この目でフェルメールが暮らした街を歩き、光を浴び、その空気にふれてみたい・・・と、オランダ・デルフトに行ってまいりました。

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ヨハネス・フェルメールは1632年にデルフトで生まれ、1675年43歳の生涯をとじました。フェルメールの日記や手紙は全く残されていません。現在私たちが知っているのは、その他の記録と絵画からわかりうる事のみなのです。でもその絵画の中から当時の人々の暮らしが見えてきます。

航海術の発達にともなって、世界の海へと乗り出したオランダ。

17世紀は好奇心の時代。新発見と発明に満ちていました。交易により裕福な市民は世界から物を集め新しい世界観をもたらします。インド・トルコ・中国・日本・・・アジアからもたらされたスパイス、トルコの絨毯、日本や中国の陶磁器など等・・・。どれほど豊かだったことか。

フェルメールはそんな時代デルフトに生まれたのです。そして、生涯をデルフト・マルクト広場周辺で過ごします。

私が泊まったホテルは広場の前の新教会のすぐ裏にある中庭のある花に囲まれた小さなホテル。アットホームで親切なスタッフの人たちでした。教会との間には細い運河が流れ、フェルメールの「小路」にあるような建物が300年経た今でも同じように時を刻んでいます。

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フェルメールの絵をみると『気持ちが和らぐ』のはデルフトに来てみて分かりました。300年前とあまり変わらない人々の暮らしぶり。高層建築やネオンサインはあまり見えず、看板も目立ちません。絵に似たような風景がいまだに街中に残っているのには驚きました。

早朝、教会の鐘で目を覚まし、ホテルから歩いて2,3分のところにあるフェルメールの生家に行ってみました。(今はアンティークショップになっています)

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お父さんは織工、居酒屋・宿屋の主人、そして美術商でもあり当時の芸術家たちはその居酒屋・宿屋フライング・フォックス(空飛ぶ狐亭)の常連でフェルメールは、そうした芸術家たちの中で育ったのです。

そして、一生をデルフトで過ごしました。

生家のすぐ隣がギルド(組合)ハウス。フェルメールも同業者達とよく集まった場所です。現在はフェルメールセンターになっています。

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フェルメールが子供のころ走り回って遊んだであろう小路。また子供たち(11人)を連れて散歩したであろう道、教会、広場、市庁舎などがそのまま残っています。新教会はフェルメールが洗礼を受けた教会。

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そして、フェルメールのお墓がある旧教会へ。歩いても5,6分です。
まずは運河をはさんだ隣のプリンセスホフ博物館へ。何と幸運なのでしょうか・・・いつもはアムステルダムの美術館にある私の一番お気に入りの『小路』がデルフトに里帰りしていたのです。真近でみることができました!(フラッシュなしなら撮影可)。

この博物館は16世紀から19世紀のデルフト陶器やタイルが展示されていて素晴らしいのです。私は翌日この絵「小路」を描いたであろう場所にも行ってみました。諸説ありますが、一番新しい情報です。

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小さな運河を隔てたところに建つ旧教会。ステンドグラスからこぼれる光の中にフェルメールは眠っています。

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ひとり静かに自分と相対する時間です。

『孤独って素敵なこと』を書き終え、こうして旅に出て、背負ってきた荷を少しずつ降ろし、なんでもないフェルメールの日常に接して、そこに暮す人々に出逢えて・・・。

その日常がほんとうに愛おしくて。
それは、フェルメールが光によって私たちの目を導いてくれるからでしょうか。
やはり、先送りせず、行動してよかった。

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旅の最後はデルフトから30分ほどのハーグにある2014年にリニュアルオープンしたマウリッツハウス美術館で珠玉の作品「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)と「デルフトの眺望」(1660年~1661年)をゆっくり、じっくり時間をかけて観ました。

新しくなった美術館はシックな室内、木の階段・手すりが落ち着きます。至福のひと時でした。ハーグでのランチはコロッケ。そして食べてみたかった屋台で玉ねぎのみじん切りといっしょに"ニシン"。

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帰りは路面電車に乗りデルフトへと戻ってきました。

「デルフト眺望」を観たあとなので、描かれたと思われるスヒー運河の向こうに広がる光景がみたくて行きました。(夏の夕暮れ、7時過ぎに描かれたであろうといわれています)

遠くに新教会、街並み・・・その光景を目にやきつけ旅を終えました。

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今回の旅ではオランダに住む50年来の友人ご夫妻との再会は何よりも嬉しいことでした。友情に深く感謝する旅でもありました。

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『フェルメールのふるさと、デルフトへ』

今年になってすぐ、東京で開かれていた「フェルメールとレンブランド展」に行き、はっとしたことがありました。

私が初めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりにヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上が過ぎたのに、やはりフェルメールはしっくりと心に寄り添ってくれるのを感じました。

フェルメールの、朝を思わせる静謐な光。
何気ない日常に注ぐ眼差しの温かさ。17世紀のオランダの慎み深く堅実なくらしぶり・・・。

フェルメールの生まれた街、デルフト。運河が流れる街。「デルフトの眺望」を描いた港。フェルメールの絵にも登場するデルフト焼きのタイル。あの時代の必需品であり、そのブルー&ホワイトのタイルの美しさに魅せられ数枚の古いタイルを手に持ち帰った昔。そこに暮す人々の堅実さ。清潔さ。大都会とは違う小さな街での人々の暮らしは10代の私にとって、それはそれは魅力的でした。お金がなくスープとパン・・・の夕食。でも「エンデン(豆)スープ」のなんと美味しかったことか。パンを浸して飲むスープ(ちょっとお行儀が悪いのですが)。酪農王国のオランダはチーズも美味しいのです。

前回このブログに書いた「孤独って素敵なこと」の本が書店に並び、私自身の人生を振り返り、あらためてフェルメールの絵を観てみると絵の中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだと・・・気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。

『デルフトの街に身を置きたい』との思いにかられて、フェルメールの眠る教会の近くの小さなホテルに宿泊し、光を・・・風を・・・匂いを・・・感じてまいります。

次回のブログでご報告させていただきますね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『孤独って素敵なこと』

講談社から本を出版させていただきました。

以前、朝日新聞の取材で、60代に入ってから身の丈にあう暮らしを求めてきたという話しをまとめていただきました。その記事のタイトルに、私がふとつぶやいた言葉「孤独って、素敵なこと」という言葉をつけてくださいました。そしてその記事を目に止められた講談社の編集の方が「本を書いてみませんか」と、私に声をかけてくださったのです。

孤独のありようも、年齢とともに変化します。

若い時代の孤独と、今感じる孤独は、ちょっと違っています。それは年齢を重ねるいうこと自体に、やはり寂しさと厳しさがつきまとっているからではないでしょうか。

体がこれまでのように動かなかったり、以前ならすぐに記憶して忘れることなどないはずのことでも、ふとした拍子に抜け落ちてしまったり・・・・・。

人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。今まで両手に抱えていたものを、年齢とともに少しずつ手放し、坂道を下りていく・・・おそらく、この年齢で向き合うのは、そうしたことも同時に思い起こさせるような、生命体としての変化であり、根源的な孤独なのでしょう。

私にとって、孤独はもはや友人のようなもの。

そして孤独の明るい面を、ゆったりと自覚できるようになりました。
 
 孤独だから自由でいられます。
 自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることもできます。
 家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。

子供のころから竈の番をまかされ、中学卒業後バスの車掌になり、たまたま女優になり、「ここは自分のいる場所なのだろうかいていい場所なのだろうか・・・」と、ふと思い、箱根の芦ノ湖のそばに居を定め40年近くなります。
そんな自分自身を振り返ってみました。本の表紙の写真は篠山紀信さんが撮ってくださいました。同時代を呼吸してきた篠山さんと、この年齢で再会できたことも嬉しいことでした。

これからも自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生が始まったという気持ちで、一日一日を大切に歩んでいきたいと思っております。
宜しければ書店でお手にとってみてください。

それから、7月4日発売の『週刊現代』でノンフィクション作家の石井妙子さんが箱根にお越しくださりインタビューをして記事にまとめてくださいました。8ページです。
先日「原節子の真実」を出版された素敵な方です。

これからの人生が楽しみになりました。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

映画・裸足の季節(仏、トルコ、独)

原題は英語の「mustamg」 野生の馬

黒海海岸の小さな村を舞台に美しい五人姉妹の物語。封建的な思考や因習。私が大都会のイスタンブールからカッパドキアや小さな村々、遺跡など10日間ほどの旅をしたのは、もう30年ほど前のこと。そうした旅ではまったく見えてこなかったトルコの現在でも、このようなある意味重いテーマがあることを知り、多少の衝撃を覚えました。

はつらつと美しい少女たちの受難の物語なのですが、閉寒的な環境に反抗する彼女達の姿を軽妙かつ瑞々しいタッチで描いた監督が素晴らしいのです。しかもこの映画が長編デビュー作とは信じられません。5人姉妹の少女のうち1人をのぞいてまったく演技の経験がないなんて信じられません。少女たちの溢れんばかりの存在感が各国マスコミに賞賛されたのは当然でしょう。

第88回アカデミー賞外国語映画賞受賞(2016年)
ゴールデングローブ賞受賞(2016年)

トルコ・アンカラで生まれ、フランス・パリで映画を学んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督。彼女が少女時代に実際体験した出来事が投影されているそうです。脚本も手がけ、撮影中は自身の妊娠も重なり、プロデューサーの交代など大変な現場だったとか。無事クランクアップし、米バラエティー誌が選ぶ「注目すべき映画監督10人」に選ばれています。世界がその才能の誕生に狂喜し絶賛した監督。これから目が離せません!。カンヌ国際映画祭では並みいる強豪をおしのけてアカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、自国語以外の作品がフランス代表となったのは『黒いオルフェ』(59年)以来、56年ぶり2度目の快挙。

自由を奪われた美しい5人姉妹の。甘美でほろ苦い反逆の青春映画です。

10年前に両親を事故で亡くした5人姉妹が祖母の家で叔父と一緒に暮らしています。13歳になる末っ子のラーレの大好きな担任の先生がイスタンブールの学校に転任する日の帰り道、姉妹は海で男子学生と一緒に遊びます。艶やかな髪、光を浴びていきいきと輝く姿。生命力溢れる存在を縛り付ける大人の世界。反逆する美しい少女たち。いまだに女性を家事に従事させて子供を生産する機械に・・・そのような思考が存在するのです。

監督は語っています。「トルコのすべての人が同じ考え方をしている訳ではありません。保守的で家父長制度がいまだに根付いているところもあれば、とても自由な女性がいることもあります。しかし、女性自身で男尊女卑の掟をつくり、その存在に加担しているのです」と。中東の女性たちにも言えますね。

それらを見事にはねのけ、瑞々しく、チャーミングに未来へと向かう少女たち、繊細で力強く生きる姿に大人の私たちが勇気づけられます。

ストーリーは詳しくは書きませんね。重いテーマなのに観終わったあとの清々しさはなぜなのでしょうか。久しぶりにみた素敵な青春映画ですし、若い彼女達の演技に乾杯!

監督、ありがとう!素晴らしい映画を観ることができました。   
和光裏のシネスイッチ他で上映中。

映画の公式ホームページ

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

甲府への小さな旅

先日、山梨中央銀行さまのお招きで甲府へ行ってまいりました。

この頃は、慌しくその地にお邪魔するのではなく、なるべく前日入りをして その街の空気や風、どんな暮らしをなさっておられるのか・・・そして食べ物などを楽しむ時間をつくるようにしております。

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講演会の前日、早く箱根の山を下り、新宿からあずさ号に乗り甲府にお昼頃着き、荷物を置いてまず向かったのが、武田神社に参拝いたしました。甲斐の名将・武田信玄を祀っている神社です。信虎・信玄・勝頼の三代が63年に渡り国政を執った由緒ある館跡。境内には当時からの堀や石垣、古井戸などが残っています。

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そして山梨県立美術館へ。1978年の開館以来「ミレーの美術館」として広く親しまれています。常設でミレーの絵が観られます。あの有名な「落穂拾い・夏」「種をまく人」など約70点のミレー作品を収蔵。収穫された穀物の大きな山を背景に描いているものの、ミレーは落穂を拾う貧しい女性たちを描いています。いつも農民に寄り添って描く姿が共感をよぶのでしょうね。緑豊かな公園の中にあり、岡本太郎らの彫刻作品も随所にみられ、富士山も見えました。南アルプス、八ヶ岳など四方を山々に囲まれた盆地甲府。時間がゆるせばたくさんの美しい山があるので次回はぜひ楽しみたいです。

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バスで駅まで戻り新しく生まれ変わった北口広場に隣接した「甲州夢小路」を散策しました。古民家の移築、明治・大正・昭和の城下町を再現したレトロな雰囲気を楽しみました。しっかり職人さんたちの手で造られたことが分かります。私は・・・といえば、まず入り口の"甲州ワイン"を一杯!白ワインをいただきました。駅前のちょうちん横丁にも行ってみたかったです。夜は郷土料理"ほうとう"野菜もたっぷりの家庭料理で心がぽかぽか、幸せ気分でした。果物も野菜も、そして水の美味しさで豊かな気分になれる山梨。翌日が本番ですから夜遊びは出来ません(笑)

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当日、会場には600名近い皆さまが迎えてくださいました。

「明日を素敵に生きるには・・生きがいとアンチエイジング」がテーマでした。このごろ、つくづく思うことは"ご縁"って大切、ご縁があって人は生きていられるのですね。皆さまは50代、60代、70代、そして80代の方もいらしたかも知れません。穏やかで明るい雰囲気が会場いっぱいに広がっていました。70代になって思うことは「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える!その方が、前を向く行動になる」としみじみ思うようになりました。

「三六五日・三六五人に会いなさい」

画家の岩田専太郎先生の教えです。演技のイロハも知らずに、飛び込んだ映画界は、決して私にとって居心地よい場所ではありませんでした。「背中を伸ばして」と言われればピンと背筋をたて、「もっと颯爽と歩いて」といわれれば膝をひっこめて歩き・・・まるで自分が自分でないようで、やりがいを感じることのできない10代後半。「先生私女優をやめたいのです。ちっとも上手にできないし、今なら違う職業につけそうな気がします」と。すると先生は「そうだね、あまり君は上手ではないね。やめてもいいよ、君はなにをやってもいいんだ。ただひとつ、これだけは覚えておきなさい。人生というものは、生涯学ぶものだよ。毎日ひとり、365日で365人の人に出逢いなさい。人に会うことで、君は何かを見つけていくことができるだろう。そして答えは自分でさがせばいい」と。

その言葉が、自分を縛っていたカセから自由にしてくれたように思います。

 何をやってもいい。
 答えは自分で探すもの。
 人生は学びの連続。
 これからどう生きていくかで人生が変わる・・・。
 
岩田先生が教えてくださったのです。

仕事に恵まれ、愛する家族もいますが、これまで思い通りにならないこともたくさんありました。苦しいこと、哀しいこと、悔しかったこと、そうしたものをバネにして生きてきました。様々な経験が私を磨いてくれてきたのでしょう。
人を愛し、何よりも自分を愛してあげる・・・大切なことのように思います。

あっという間に1時間半が過ぎました。

今回も素敵な出逢いをいただきました。
皆さま『ありがとうございました。どうぞお元気で!そして、人生を楽しみましょう!』

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

沖縄に恋焦がれて

沖縄に行ってきました。

初夏、沖縄の祭り~海人の祭典・ハーリー(爬竜船・はりゅうせん)競漕が終わると梅雨が明けるといわれます。3泊の滞在中は真っ青な空と海。街路樹には沖縄の花・ホウオウボク(鳳凰木)が赤色五弁の花を咲かせ出迎えてくれます。

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なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、第二の故郷に戻ってきたかのような安堵(あんど)感を覚えるのでしょうか。その理由は"人"だと思います。特に沖縄の女性たちの辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。その全てに強くひきつけられるのです。

まだ、舗装されていなく砂埃のたつ国際通りに立ったのは半世紀以上前のことでした。

『民藝のふるさとは沖縄にあり』と民芸運動の創始者である柳宗悦氏は語っています。壷屋焼や宮古上布、芭蕉布、紅型など、沖縄の手仕事の健全さに心を奪われた柳宗悦。沖縄は自分が思い描いた民芸の理想郷「美の王国」だと思い通い続けたのでしょう。

沖縄にいると"今の私""未来の私""そして"過去の私"に出会えます。

今回は敬愛してやまない読谷村に暮らした今は亡き与那嶺貞さんの13回忌、どうしても与那嶺さんがひたすら機を織り続けた仕事場の跡にたってみたかったのです。そして、仕事が終わる夕方、ご一緒に手をつなぎ歩いた道を歩いてみたくなったのです。1984年のこと、読谷村で与那嶺貞さんにお会いしました。人間国宝になられてからも何ひとつ変わることなくひたすら『花織』を織りつづけていらした貞さん。

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与那嶺さんは、5~600年前に南洋から伝わってきた織物「花織」を再現することに一生懸命でした。与那嶺さんがその織物を蘇らせようとしたとき、その織り方を知る人は一人もなく、昔から残されていた一枚のちゃんちゃんこがあるだけでした。織り方が複雑で難しく途絶えてしまったのでしょうから、再現するのも大変なご苦労だったそうです。与那嶺さんは、あの沖縄が焦土と化した戦争を生き延び、涙も涸れてしまった戦後を子供を抱えて再び生きなおした方です。ご主人は戦争で亡くされておられます。"戦争で何もかも失ったけれども、父親が私に授けてくれた教育だけは、誰も奪えませんでした"とおっしゃられました。工芸学校で学んだ技術が、後年、幻の「花織」再現に結びついたのです。

手をつなぎ歩きながら私にこう語りかけてくださいました。
「浜さん、女の人生はザリガナね」・・・と。こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女としてそれを丹念にほぐしていきましょう。そうすれば「ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ」"もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女"。もつれた糸を一心にほぐしながら、美しい美しい布を織り上げる。泣く涙も涸れてしまった沖縄の女性たちは、こうして自らを励まして戦後を生きてきたのです。

こんがらがった糸を切りたくなるとき、私はいつも与那嶺さんの優しいまなざしを思い浮かべます。

丹念にほぐしていけば  花のヤシラギ(布)をウイルサビル(織ることができる)"

読谷村では焼き物を見て、読谷のソーキそばを食べ、風にふかれ、村を後にしました。

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4月下旬から行方不明となっていた女性が遺体で発見されました。
それは、日常普通に暮す界隈で起きた残忍な事件でした。このようなことが起こりうるのでしょうか。どんなにか恐怖だったことでしょう。人の命がこのように扱われてよいのでしょうか。これまでにも、米軍人・軍属による事件は多発しています。

私の滞在中に県議選が行われました。「平和で豊かな社会を築く」「日米地位協定の改定を」「基地縮小着実に進める」など。それぞれの思いを胸に新たな一歩を踏み出しました。今回のような許すことの出来ない事件、基地問題など・・・本土にいて感じる感覚の温度差も強く感じた沖縄滞在でした。

93歳で現役のまま亡くなった与那嶺貞さんたちのご苦労が、現代へときちんと受け継がれているでしょうか。私たち日本人の一人ひとりの問題だととらえているでしょうか。

最後の夜は働くボランティアグループの30年来の女友達たちと飲み、食べ、沖縄の未来について語りあいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

私のお買い物・小田原

箱根の自宅の一角にオフイスを移して10年以上がたちました。仕事は東京起点のことが多いので、箱根からバスで下山し小田原、そして東京~地方へとしょっちゅう移動しているのですが、以前は通りすぎるだけだった小田原がいつのまにか自分の街になっていることに最近気がつきました。

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新幹線に乗る前には時間に余裕がある時は駅の地下街「ハルネ小田原」の『菜の花ビレッジ』に寄り道。ショップでは素敵な器やカジュアルな洋服を拝見。奥にある「ムーンカフェ」では焙煎したての珈琲の味わいはもちろん、販売されている和菓子と一緒にいただきます。珈琲を飲みながら自由に手に取れる雑誌や本・・・すべてが行き届いていて、テーブルには野の花が活けてあり、ほっと私の心をなごませてくれます。お店のお嬢さんたちの優しさも嬉しいです。お饅頭を一個だけ購入して、東京に向かう新幹線でいただくことも。

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一日お休みの日はキャリーバックを引いてバスで下山しやはり地下街のJAかながわ西湖直売所『朝ドレファーミ』には新鮮な野菜が揃っていますし、朝摘みたての花があります。だいたいひと束300円くらいで、自分で新聞紙に包んで持ち帰ります。庭に咲いているような花なのですごく嬉しいです。

駅の1階にあるスーパーでは地元の魚が販売され、まさに『地産地消』です。遠くからエネルギーを使い運ばれてくる海外の品はフードマイレージが先進国の中で一番の日本は考えなければいけませんね。

いずれにしても、慌しい時代には見過ごしてきた『地元の街・小田原』は歴史もあり、古い建物も保存されていて快適です。

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そうそう・・・あとお薦めは繁華街からちょっとはずれた国道一号線沿いにある『勝寿司』は、魚大好きな私をいつも大満足させてくれるお店です。カウンターとテーブル2つとこじんまりしたお店ですが、入り口にはご主人自らが摘んだ野の花が飾られ、店内は清潔で清々しいです。「地魚セット」が2400円。ランチなど嬉しいですね。もちろんわさびは、おろしたての本物。ご主人のお人柄もあって地元のお客さま多いのですが、近頃、観光客も増えてきました。

この頃はお休みの日はこうして地元で過ごすことが多くなりました。これなら80代になっても90代になっても楽しめそうです。そうありたいです・・・ね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

信州の旅

先日、長野県にある八十二銀行の財団法人八十二文化財団に招かれ、長野市内での講演に行ってまいりました。最近は子育て時代と違い、時間にもゆとりが持て、また以前のように日帰りでバタバタと出かけなくても良い環境になってきました。

初夏の日を浴びてそよぐ若い葉、新樹、まさに今年一番美しい新緑の日でした。「これは1泊で信州プチ旅行をしたいな~」と思いたち新幹線に乗り込みました。長野の手前、上田駅下車。そこには東御市和(とうみしかのう)で農園カフェレストラン「ヴィラデスト ガーデンファームアンドワイナリー」を営んでおられる玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんが出迎えてくださいました。

抄恵子さんとは園芸の師匠村田ユリさんの門下生仲間。といっても私は落第生。植物のことなど何ひとつ勉強せず・・・抄恵子さんはそこでしっかり学び、現在の素敵なヴィラデストのガーデンをつくられたのでした。

もう27、8年ほど前になるでしょうか、初めて農園をお訪ねしたのは。軽井沢の追分から上田に抜ける林道から横道に車を走らせたのは偶然でした。私は舗装されたまっすぐな道よりも、がたがた揺れるような曲がりくねった遠回りの道が好きで、選んでそういう道を探してしまうところがあるのです。

20代後半から30代にかけて4度の出産をし、子育てをし、家をつくって、女優という仕事を続ける・・・我ながらよくやったと思います。 30代後半から心因性のアレルギーに悩まされるようになったのは、こうしたもろもろの無理を重ねてきてしまったのです。夜中に音楽をかけながら車を飛ばし・・・細い横道沿いを進んでいくと目の前に、はっとするような美しい農場が開け、思わず車を止めました。それが今は亡きユリおば様との出逢いでした。

ユリさんは当時70代。ポタニカルアートやフラワーアレンジメントの先駆者であり、エッセイストとしても知られ、ジャーマンアイリスの専門家でもありました。それらは後に知ったことです。お会いした瞬間、私はこの方をずっと知っていたような気がしたのです。お会いできたことを御代田の大地に感謝し、それから長いお付き合いがはじまりました。

あるとき、疲れ果てて夜遅くユリさんの家に着いたことがありました。
その時ユリさんは、ご自分の庭で採れたハーブを木綿の袋につめ、それをお風呂に入れて「気持ちいいわよ、お入りなさい」と進めてくださいました。ゆっくりお風呂に入ったあとベッドに入ると、枕の下にも、また別のハーブがしのばせてありました。ハーブの香りに包まれ、そっと抱きしめられるような気持ちになり、その晩、数年間なかったような深い眠りにいざなわれました。寒い夜、暖炉に薪をくべ、暖かい火に一緒にあたりながら、ワインを飲んだりおしゃべりをしたり。

その頃に玉村ご夫妻と出逢いました。4人で豊男さんが腕をふるってくださる料理でワインとおしゃべりをし豊かな時間でした。ユリさんは昼間はほとんどの時間を畑で過ごしていました。手を土色に染め、額に汗を光らせていました。ユリさんがいてくれると思うだけでほっと体から力が抜けるようになりました。

今、私はユリさんと出合ったころの、ユリさんの年齢になりました。40代の私のために、自分の空間と時間をすっと差し出してくださったユリさんのような大人に、私もなれただろうか。そういう人生を歩んできただろうか・・・と思うのです。

近所に住む抄恵子さんは足繁く通い、植物の勉強をしっかりとなさり現在の美しいガーデンができあがったのです。年は私が上ですがまるでお姉さまのよう。

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美味しいランチをいただき、庭を散歩させていただきました。

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モッコウバラのアーチの奥にはアルプスの山々が雪をかぶり、リナムが一面に咲き、カリフォルニアポピー、シジミバナ、ルバーブ、ジャーマンアイリス、セイヨウミミナグサ、キャットミント、ベロニカ、オダマキ・・・・など等、抄恵子さんの愛情が降り注がれたガーデンでした。

上田から長野、そしてM夫妻の住む黒姫でのんびりさせていただき、翌日の朝、皆さまが待っていてくださる長野市内のホールへと向かいました。600名満席の方々の笑顔に迎えられ『明日を素敵に生きる』をテーマにお話をさせていただきました。もう、会場の皆さまこそ素敵に生きていらっしゃいます。お顔が輝いていらっしゃいました。

皆さまに「逢えてよかった」素敵な出逢いをありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

フローラル

青葉を渡る風に、初夏の心地よさを感じるこの季節。GWも終わり、また日常生活に戻りましたね。このGWはお仕事だった方もいらっしゃることでしょう。ご苦労さまでした。

私は前回も書きましたが、小さな旅、掃除、映画・・・そしてGW最後の8日は鎌倉に行ってまいりました。鎌倉鶴岡八幡宮東門を出てすぐにある娘のショップ、"フローラル"で『一日花屋さん&アンティークガレージセール』が開かれていたからです。

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8日は「母の日」。asuka yamanakaさんのお花を子供たちがプレゼントしてくれました。暮らしの中で花のない生活ほど寂しいことはありません。庭で摘んだ花をそっと花瓶に活け"幸せ"と思わずつぶやいている時もあります。でもasukaさんのなんて素敵なお花なのでしょうか・・・。子供たちに感謝した日でした。そして、母親でいさせてくれて"ありがとう"とも思った日でした。

思えば昭和57年6月に出版した本「浜美枝の育児エッセイ・やまぼうしの花咲いた」からずいぶんの年月が経ちますが、つい最近のようでもあり・・・
前書きでこんなことを書いています。

「親と子のあいだに自然を介在させることで、双方がどんな育ち方をするのか、最も密着度の高い関係に自然という巨大な存在があることで、親子関係がどんなふうになっていくのか、観てみたいという試みもありました。本に書かれた育児法やしつけの論理を超えたものが伝えられないか。さまざまな壮大なもくろみを含んだ移転でもありました。もちろん、まだまだ答えのでるような段階ではありません。私自身も含めて四人の子供たちも、箱根の移りゆく自然に夢中ですし、親子関係も、自然の存在をかたわらに置いて、相当密着感の強い時期です。」

ぼちぼち40歳になろうとしていた私。

子供たちは皆、その年齢を超えていたり、間もなく迎える年齢になっていたり・・・

子育てのもっとも濃密な10年は、闘いの十年であり、夢見心地の十年であり、大自然のいのちのサイクルからみれば、たったの十年でした。

フランスの哲学者であり文学者でもある、シモーヌ・ボーヴォワール女子の名言に"女は初めから女ではなく、女になっていく"というのがありますが、まさに母親もまた然り。"母親になっていく"ものだとつくずく思います。

鎌倉からの帰り道、匂うような初夏の風のさわやかさが私を包み込み"山から母の日のプレゼント"もいただきました。「残花(ざんか)」は春に咲いた桜が、散り残っていることを指す春の季語だそうですね。

散り残っている。

そうね、素敵に散り残りたいと思った母の日でした。

次回の「一日花屋さん&アンティークガレージセール」は5月28日(土)に
予定しているそうです。私も"お店番"に行きたいな~と思っておりますがお天気にもよりますね。

詳細はフローラルにお問い合わせください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

おしゃべりと掃除、そして映画

皆さまはゴールデンウイークをどのように過ごされましたか?

旅行に出かけられた方、家でのんびりされた方、都内で楽しまれた方。いろいろでしょうね。私は前半は30年来の群馬の友人宅で彼女と心おきなく"おしゃべり"をし、久しぶりの楽しい時間でした。

そして、後半は日ごろ気にながら中々手をつけなかったキッチンの隅々(見てみぬふり)や大好きな器やグラス磨き・・・など。まとまった時間がないとできなかった事いたしました。そして一日は山を抜け出し"映画の"はしご"をしました。

スポットライト・世紀のスクープ』と『グランドフィナーレ』。

「出演するより観るほうが好き」な私。

60代になったあたりから自分の時間が増えて、映画を楽しむ機会が多くなりました。そして映画を観たあとの余韻を楽しむために近くのカフェに立ち寄り、白ワインやコーヒーを飲みながらプログラムをめくり、出演者や監督など製作人の想いをじっくり読む・・・至福のときです。だから映画はいつも「ひとり」で。

私は昔からジャンヌ・モローが大好き。彼女の最近作2012年に公開された「クロワッサンで朝食を」は素敵でした。ジャンヌ・モロー演じるパリの老夫人は、新しい家政婦の用意した朝食のパンが気に入らない。「こんなスーパーで買ったものではなくパン屋の焼きたてのクロワッサンでなければ食べない」と激しく拒否をする。

「これは単にパンにこだわっているのではなく、自分自身の人生へのこだわり、これだけは譲れないという生き方。フランス女性らしい自立心をもち、一筋縄ではいかない人生を背筋を伸ばして歩きつづけている、いい女。ジャンヌ・モローそのもの。」

私はこう思っているのです。

映画は大きなスクリーンで観るにかぎる・・・でもあとどのくらい山を下り映画館に行けるでしょうか。90歳でも出来たらいいな~。いけなくなったら家で観る映画のDVDを少しずつ集めています。「カサブランカ」「追憶」大好きなオマーシャリフの「ドクトル・ジバゴ」、そしてジャンヌ・モローの全ての作品。

まだまだ旅は出来ます。映画の舞台になった場所を旅したい!カサブランカのモロッコや青春の思い出のローマ。インドは「マリーゴールドホテルで会いましょう」を2度も見ました。政情が不安で行けなくなってしまったトルコ、など等。

映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます。

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スポットライト 世紀のスクープ

今回観た映画『スポットライト』は巨大権力に立ち向かう記者の覚悟、これぞ新聞記者の正義、ジャーナリズムの勝利。真実に基づいた記者たちの取材活動の記録。ピュリツアー賞受賞の記録を映画化。

ボストン・グローブという新聞社。真実の究明という地味な作業を丹念にトム・マッカーシー監督は抑制のきいた演出に真実が見えてきます。実在の記者からOKをもらったそうです。カトリック神父による児童の性的虐待と真実。巨大なカトリック教会全体を巻き込んだ事件。おさえられた演出、劇映画としての本物のドキメンタリータッチがあります。米アカデミー賞で作品賞、脚本賞受賞。報道のあり方を考えさせられた作品でした。日本でも「報道の自由」が問題になっています。2時間8分の映画は時間の長さをまったく感じませんでした。秀逸!

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もう1本は『グランドフィナーレ

さすがアカデミー賞に輝く名優たち、カンヌに愛されたイタリアの奇才パオロ・ソレンティー監督。今年83歳のマイケル・ケイン風格と老いに向かって生きていく有名な老作曲家。親友の映画監督のミック。

舞台はスイス・アルプスの麓にある高級ホテル。「老いること・生きること」の意味を素晴らしい映像美で魅せます、ユーモアをたっぷりに。その映像美が心の心理を見事に描いているのです。そして、大事なシーンでなんと!ジェーン・フォンダが登場し、2人のフィナーレが待ち受けています。(ご覧になる方のために詳しくは書きませんね。)

とにかく、80歳を超えた男を愛おしく、感じました。そして老いを生きる意味を考えました。傑作です。

やはり、映画って素敵ですね。

と、いうわけで私の休暇はおわりました。
6月には講談社から本が出版されます。「孤独って素敵なこと」ぼちぼち最終校了があがってきます、ドキドキ・・・。

満開の山桜も散り、初夏の若葉をつけた葉桜。風にそよぎながら太陽の光に透ける青葉が心地よい季節です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

根津美術館

初夏を思わせるような爽やかな日、ラジオ収録後に南青山にある根津美術館に行ってまいりました。

特別展『国宝燕子花屏風』が開催されています。
この季節だけの公開です。(4月13日~5月15日)

本館は2009年、建築家・隈研吾氏の設計で改装され、切妻造の屋根は寺院建築を思わせる建物で入り口のアプローチは竹が植えられ和のテイストが素敵です。

実業家で茶人の初代 根津嘉一郎の収集品が展示されています。

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根津美術館といえば、国宝「燕子花屏風」を毎年この時期思い浮かべます。総金地の大きな画面に青と緑をつかったカキツバタ。 尾形光琳筆のこの絵の前の椅子に座り何時間でも観ていたくなります。

江戸時代の半ば、18世紀初頭の京都で尾形光琳によって生み出された作品。その鮮烈な色彩、落ち着きのある構図や色使いは呉服商の家に生まれ育ったからでしょうか、どこか染織を思わせます。光琳のセンスは抜群だと思います。六曲一双の屏風の立体的な構成は静かさの中に、観る者を誘ってくれるようです。

光琳の名前から一字をとって「琳派」と名付けたれた流派。17世紀前半の京都の町衆文化の中で活躍した本阿弥光悦・俵屋宗達、19世紀光琳に憧れた酒井抱一など、琳派の影響を受けた同時代の作品も楽しめます。

 からころも
 きつゝなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ
               (伊勢物語より)

「歌をまとう絵の系譜」も存分に味わえます。

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絵を堪能したした後は庭園の散策をしました。自然の傾斜を生かした池を中心とした日本庭園。茶室も4棟あり石仏、石塔、石灯篭などがあり、この季節の「燕子花・藤の花」が見ごろです。茶室でいただいた一服のお抹茶とアジサイのお菓子。季節を満喫いたしました。

都会にありながら、和の空間を楽しめ心静かな時間でした。
ゴールデンウイーク、都会にいらしたらお薦めです。
表参道から徒歩6、7分です。

根津美術館公式HP
http://www.nezu-muse.or.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 さざなみ

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切なく、しかし素敵な映画です。
原題は「45 YEARS」。
結婚して45年。夫と重ねた歳月の意味。
この映画は愛の問題。生き方の問題。妻はともに時を刻み続けようとしているのに・・・。

冒頭のシーン、イギリスの静謐でいかにもイギリスらしい小さな地方都市の風景に魅せられます。現役を退き穏やかな老夫婦に"さざなみ"がヒタヒタと・・・迫ってきます。

45年連れ添った夫婦はいつも通りの静かな生活。朝は愛犬を散歩させ、食事を楽しみ、夜はワインを飲みながらの穏やかな会話。多くを語らずともお互いに心は通じあっている。

そんなある日夫ジェフ(トム・コートネイ)に一通の手紙が届きます。妻ケイト(シャーロット・ランプリング)が手渡します。スイスの雪山で氷漬けの死体が発見されたとの知らせ。

それはケイトと結婚する前の恋人のカチャ。50年以上前、ジェフとの旅行で、クレパスに消えた彼女。

この映画で ベルリン映画祭主演女優賞と主演男優賞に輝いた二人。

45年、ともに年を重ねてきたふたり・・・それが根底からゆらぐのです。「僕のカチャ」と呟く夫。過去は知りたくない・・・と思いつつ、聞かずはいられないケイト。「もしもそんなことにならなければ結婚していた?」と聞くケイト。夫はためらうことなく肯定する。深夜、物音で目を覚ましたケイト。夫が屋根裏部屋でカチャの写真を探しているのです。自分達には思い出の写真などないのに・・・「見せて」と手を伸ばし出された写真をケイトはわずかに目を向け、「ありがと」とひと言。

月曜日から土曜日までのストーリー。警察からの身元確認の手紙が届いてからの夫婦の心模様が描かれているのですが、シャーロット・ランプリングの演技、いえ演技を忘れ彼女自身のストーリーのような、やはり演技なのでしょうが、老いと孤独と、男と女の違い、静かに静かに、その表情から"さざなみ"を隠しているものの、切ないほど・・・胸が張裂けるような思いを見事に演じているシャーロット・ランプリングに感嘆するしかありません。

全編、妻の視点からの演出。脚本・監督アンドリュー・ヘイは静かに控えめにしかし説得力のある演出。

男性にこれほどまでに女の気持ちがなぜ理解できるのか・・・と、思わず思ってしまった私でした。土曜日は結婚45周年の祝賀パーティー。はたして、どんなスピーチになるのでしょう。

愛と絆って何なのでしょうか。
年月の積み重ねって何なのでしょうか。
いくつになっても男と女。そして・・・孤独。
結婚って、夫婦って何なのでしょうか。

久しぶりに"成熟した大人の映画"を観ました。

1946年生まれのシャーロット・ランプリング。円熟した凄みのある演技。今演じるからこのような素晴らしい映画が生まれたのでしょうね。

1943年生まれの私が今観られたからなおさら感動するのでしょうね。
ありがとう!シャーロット・ランプリングさん。

銀座和光裏のシネ・スイッチ他で上映中です。

http://sazanami.ayapro.ne.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (1)

鎌倉・鶴岡八幡宮

先日(30日)鶴岡八幡宮の段葛(だんかずら)が舗装や桜の植え替えなど全面改修を終え、竣工式と通り初めが行われたので観に行ってまいりました。

まだ初々しい桜並木。かつての桜は老木になり根が傷んでしまったので全て植え替えられました。長さ465mの段葛の両脇に177本のソメイヨシノが見ごろを迎えていました。

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人のいない、式典の前を鎌倉でアンティークショップをやっている娘に朝早く撮影してもらいました。約1年半ぶりの改修を終えた姿です。段葛は八幡宮から南に延びる「若宮大路」の中央を通る歩道で、この1年半は被いかぶされ歩けませんでした。「道の上に道を置く形式」の段葛。鎌倉幕府を開いた源頼朝が1182年、妻・北条政子の安産を祈願して造ったとされています。

神事の後、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんや宮司たちが通り初めを南側の鳥居から八幡宮に向かって歩き、舞殿では吉右衛門さんが祝いの舞を披露しました。厳かの中にも華やいだ舞台。素晴らしい舞いでした。

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境内は人・人・人。その中で爪先立ちしながら拝見し、木遣師さんの歌声に送られ東の鳥居を出て右へ30mほど行くと娘のショップ「フローラル」があり、ひと休み。花曇の午後のひとときを堪能いたしました。

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帰りはフローラルから鎌倉駅まで段葛を歩いてみました。土だった路面が雨水を吸収しやすい歩道へと変わり、とても歩きやすく"歴史の一歩"を踏みしめながら箱根の山に戻ってきました。

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孤独だからこそ人生を深く愛することができる

1年前、「浜さん、これまでの人生を振り返る本を書いてみませんか」とある編集者からご連絡をいただきました。

「孤独って素敵なこと」というタイトルがつけられた新聞の私のインタビュー記事を目にとめられたとのことでした。老いの辛さ、孤独に向かいあうことの苦しさが取り上げられることが多い現代にあって、孤独を楽しむような私の生き方考え方に興味をもってくださったのです。

老いの孤独というものは、年齢を重ねた人が必ず出会わざるを得ない根源的なものであると、私も感じます。若い時のように体がしゃきしゃき動かなかったり、何か記憶するために時間がかかるようになったり。人生の残り時間を意識させられることも少なくありません。環境も変化していきます。

わたしを導いてくださった人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。この年齢になると、孤独はもはや友人のようなもの。墨を流したような漆黒の箱根の夜、針を落とす音さえ聞こえてきそうな静寂の中で、囲炉裏の火を眺めていると、自分で自分を抱きしめたいような気持ちになることもあります。

孤独であるからこそ、自分と対峙する時間をもて、自らの考えを深め、ポジティブに生きることができると感じています。

本を書くにあたり、なぜ、私はこういう考え方をするようになったのだろうかと、自分の人生を振り返ることから始めました。

長屋暮らしの子供時代。中学を卒業してバス会社に入り、翌年女優デビューしたこと、芸能界に慣れることができず、息苦しさを感じていたこと・・・遠い記憶は時とともに淡く薄れてゆくものと思っていたのに、改めて過去に向き直ると、セピア色の写真にふわりと色がのるように、その時の空気の匂いまでが蘇り、当時私が抱いた感情がどっと胸にあふれてきたのに驚かされることもたびたびでした。ときには、ぐさりと心にナイフが突き刺さるような痛みを覚えることもありました。

自分の心を整理し、少しずつ文字に綴り・・・すると自分はどのように形作られてきたのかということがおぼろげながらわかってきたのです。

6月発売予定の「孤独って素敵なこと」、本の表紙は写真家の篠山紀信さんが撮影してくださいます。先日スタジオにお邪魔しご挨拶をしてまいりました。37、8年ぶりでしょうか、お会いしたのは。同時代を呼吸してきた篠山さんとはあっという間にお互いに距離が短まり、来月箱根での撮影が楽しみになりました。

昨日(17日)は「箱根やまぼうし」に20名ちかい同世代、少しお若い方、先輩がたが短い"旅"を楽しんでくださいました。部屋を掃除し、花を活け、お待ちする・・・こうした時間が私にとって至福のときです。

こうして箱根の家はいつも、私を包み、そっと支えてくれています。

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『フェルメール』

六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで「フェルメールとレンブランド・17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を観に行ってまいりました。

フェルメールの傑作『水差しを持つ女』が日本初公開です。「日本人はフェルメールが好き」とよく言われます。私もそのひとりです。静謐な朝の光が射しこむ窓辺でひっそりと控えめに佇む女性。テーブルの上にはシックな赤の厚手のクロス。身支度前なのでしょうか、箱からのぞく真珠のアクセサリー。思ったより小さな絵画は、フェルメールが部屋に飾れるように描いたからでしょうか。私達日本人がフェルメールに惹かれるのは『日常』を美しく、また画家本人が愛おしく日常を暮らしていたからでしょうか。

10代の終わりの頃、ヨーロッパ一人旅をし、オランダ・アムステルダムの国立美術館で観た「牛乳を注ぐ女」を観た時の感動!厨房の窓辺で体格のいい女性が器にミルクを注いでいる姿。テーブルの上には硬くなった古いパンが置かれ、青のスカート・・・。「小路」では古い街並みの小路に女性が洗濯でもしているのでしょうか、質素な生活感の中にフェルメールが暮らしたデルフトの街の風景が素敵だったことを思いだします。そして、お金がなかったからですが、街角の屋台のようなところで食べた「スープ」の美味しかったっこと。豆と玉ねぎとベーコンがことこと煮て作られたスープにパンをつけ立ったまま食べました。あのスープはもう一度食べたいです。

フェルメールといえば『真珠の耳飾りの少女』でしょうか。窓からの光を受け、赤い唇の光沢、そして真珠の耳飾の反射光(これはハーグ・マウリッツハイス美術館蔵)も私達を虜にしますね。

17世紀オランダは「黄金時代」でした。スペインから独立したばかり。世界の海へと乗り出していったオランダはプロテスタントを国教として栄え、世界中の品々が運びこまれ豊かな国へとなっていきますが、人々の暮らしは慎み深く、堅実で労働を美徳とされてきました。そのような姿をフェルメールは描き続けたのですね。そして、絵の中に描かれている"箒"をみると、この国の人々の掃除好きで清潔感のある暮らしぶりが分かります。

フェルメールは1632年、画商で宿屋を営む家に生まれ、デルフトの町中で育ち、結婚をし、11人の子供を持ち、30代で多くの絵を描き、43歳で亡くなります。市内の新教会で洗礼を受け、旧教会に眠っています。オランダ人らしく大変几帳面な人だったようですね。何よりも暮らしを大切にした画家だと思います。そうした人柄が絵画の中から読み取れます。

私の友人のKさんご夫妻はデルフトの町から車で15分くらいの町にお住まいです。日本人のご主人にオランダ人の奥さま。もう40年来の友人です。彼女にオランダ人気質を伺うと興味深いお話が聞けます。オランダ人は家は、何といっても居心地の良さを大切にします。贅沢はせず自分達で古い住宅を買ったらドアを外し、ペンキ塗り直し、トイレやバスルームを新しくし、徹底的に快適な家に自分達でリホームします。壊したり、作ったり、ペンキをぬったりということは、たいていの人は自分でします。むしろ新築を買うより高くついてしまうのですが、歴史ある建物を大切にします。

そして、多くのオランダ人は3週間位の休暇をとりますが、ホテルなどに泊まらず車に食料をいっぱい詰めて込んでキャンプ場に宿泊する人たちも多いそうです。倹約家で、"生活を豊かに楽しむ達人"かもしれません。コーヒー好きで知られていますが、カフェでのお茶より家でゆっくり飲み、そのお金はお花にかけます。ほんとうに花好きな国民性です。ここにもフェルメールの時代から"日常の美"はかわりません。もちろん若い人たちは変化してきているのでしょが・・・。日照時間が短く、暗くて長い秋冬の日が続くので、人々は太陽や光に敏感なのでしょう。今回の展覧会でフェルメールの絵を観ながら、前回のブログ『民芸』と共通点があるように思いました。

7、8月はバカンスで町も静かになるそうです。デルフトの町は以前一度だけ行ったことがありますが、短い滞在だったのでフェルメールの世界に浸れませんでした。伺うとアムステルダムのような大都会でなければ古い街並みの中の小さなホテルの屋根裏部屋などは朝食付きで5000円くらいで泊まれるようです。いつものように"暮すように旅する"ことができそうです。

そう・・・夏休みはデルフトに行き、朝の光を思う存分味わってみたい、と思った展覧会でした。

3月31日(木)までです。3階のチケット売り場では30分ほど並びました。


六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーの公式サイト
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『美の法門』 柳宗悦の美思想

寒さがゆるみ、春の訪れを感じる午後、打ち合わせを終えその足で渋谷駅へと向かいました。井の頭線に乗り換え2つ目の駅「駒場東大前」で下車し、住宅街をのんびり歩いて10分ほどで「日本民藝館」に着きます。歩きながらミモザや梅の花など見ながら"あ~やっと春が動きはじめたわ"とウキウキしながら道。40年近く何度も歩いた道です。

創設80周年特別展が開催されています。
3月21日までは「美の法門」
4月2日~6月12日までは「朝鮮工芸の美」
6月21日~8月21日までは「沖縄の工芸」
9月1日~11月23日までは「柳宗悦・蒐集の軌跡」
そして最後は来年1月8日~3月26日まで「柳宗悦と民藝運動の作家たち」です。

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私にとっては夢のような1年間です。

中学時代、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるままに振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」を繰り返しよみました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の推進者として知られた方です。西洋美術にも造詣が深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊にも携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民藝」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのです。

私は中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、すっかり感激してしまったのです。もちろん中学生ですから、むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、たしかなものだったように思います。

さらに年月を重ね、工芸の美から、仏教美学へと興味がわいてきました。この世を「美の国」にしたいという願いを抱き「手仕事の工芸」は「精神生活」にもつながるもの・・・と感じました。難しい宗教の話ではなく『美の法門』(岩波文庫版・新編・美の法門)を読み冒頭から「美と醜との二がないのである」で始まり、なんだか私の頭はこんがらがってしまいましたが、『美しさは何も他力的なもののみではない。いわば自力美の一道も別にあるはずである。』という言葉に深くうなずけました。

名もなき人々の生む器への深い愛情と畏敬の気持ちは、こうした仏教・仏への道なのでしょうか・・・。

本館、西館の建物は(登録有形文化財)そして、西館の石屋根長屋門の建物は柳宗悦が最後まで暮らした建物です。民藝仲間と語りあったであろうリビングのテーブル・椅子、そして蔵書の数々。西館(旧柳宗悦邸)も展覧会開催中の第2水曜・第2土曜・第3水曜・第3土曜は入場できます。2階の部屋からは梅、椿の花が美しく咲き誇っていました。

阿弥陀仏・円空仏や柳のコレクションの陶器や布など、"美の空間"に身を置くのも素敵ですね。

10代のころの自分に出会えたような時間でした。

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映画 CAROL

「キャロル」を有楽町のTOHOシネマズみゆき座で観てまいりました。

私はキャロル役のケイト・ブランシェットのファンです。オーストラリア・メルボルン生まれ。「エリザベス」でイングランド女王エリザベス一世を見事に演じ、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞に輝き、大人の女を見事に演じられる演技者です。また大女優キャサリン・ヘップパーンを演じアカデミー助演女優賞を受賞するなどの実力者です。最近では「ブルージャスミン」(13年ウディ・アレン監督)で主演女優賞に輝いています。

日本経済新聞(夕刊)シネマ万華鏡には「近年まれな、しっとりとした情念をたたえた恋愛映画の秀作である。題材は女性同士の愛だが、これ見よがしの描写はいっさいなく、にもかかわらず、切迫した人間的エモーションを生々しく伝えてくる。本年屈指の一本。」と書かれていました。

舞台は1952年のニューヨーク。その時代の背景・美術、きめ細やかなセット。衣装は華やかではないのですが、シックでその時代の上流社会の大人のエレガンスを堪能できます。

原作は「太陽がいっぱい」で有名パトリシア・ハイスミス(私はこの原作者が女性であったことを知りませんでした)。ミステリー作家で今回の「キャロル」は彼女の唯一の恋愛小説だそうです。心理描写が繊細で、女性にしか書けない・・・と思わせる見事さ。脚本はすべて原作に忠実かといえばそれは違い、トッド・ヘインズ監督の繊細な計算されつくした描写は見事です。

このように書かれています。原作では(ふたりの視線が出会ったのは、ほぼ同時だった)しかし監督は、この出会いの場面で、若きテレーズにキャロルを見つめさせ、その後キャロルが彼女の視線に気づく。監督の言葉をかりれば"視線と視点"「視点の変化」が効果的に観客をこの映画を自然に導いて"心の旅"へと誘ってくれる。

クリスマスを間近に控えた高級百貨店の玩具売り場でアルバイトをするテレーズ役のルーニー・マーラー。彼女の美しさと演技力に魅了されます。二人の出会いはキャロルの忘れた手袋を届けたことから、お礼に昼食に誘われます。初めての会話なのに互いの境遇を知ります。キャロルには別居中の夫がいますが、離婚すれば娘の親権を奪われる可能性があります。ただ飾り物のように振舞うことだけを求められているような上流階級の妻の座。テレーズには結婚を求める恋人がいますが、なにか人生の方向が見出せません。

"心に正直に生きるための旅に出るふたり"

画面展開が素晴らしいのです。
映画ですから詳しくは書きませんね。

ただ、レスビアン・・・とかたずけられない人間のガラス細工のような繊細でもろくで、しかし"真実"に向かう姿勢には感動をおぼえます。

舞台となった1950年代はまだ世の中には偏見があり受け入れられなかった愛。

ちなみに原作者のパトリシア・ハイスミスもレスビアンだったとか。それにしても主演女優の二人の素晴らしい演技。人間が自然に恋におちてお互いを必要とした世界が見事に表現されていて、女性の心理をよく理解している監督が見事です。

ケイト・ブランシェットのファンの私には贅沢な映画でした。

仕事で東京に出かける時は、時間を作って映画館や美術館に足を向けます。ほんとうは舞台もコンサート、落語にももっと行きたいのですが、限られた時間の場合はこの二つが至福の時間に変わります。

今を大事に丁寧に生きたい・・・と切に思うようになりました。
やりたいと思ったら、いつかと先送りせず、即、行動する・・・それが、この頃の私です。

映画公式HP
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<画像出典・公式HPより>

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愛しき人生のつくりかた

映画「愛しき人生のつくりかた」
なんて優しくて、ウイットにとんだ映画なのでしょうか。
これぞフレンチ・コメディーですね。

パリで暮らす、ごく普通の家族、そして普通の暮らしのなかでの人間模様。

クリスマスを目前に最愛の夫に先立たれ、冒頭は葬儀のシーンから。モンマルトル墓地。この墓地には、小説家スタンダールや画家のドガ、多くの有名人が眠っています。そして、映画作家フランソワ・トリュフォーも眠っています。監督は「普通の人々の日常が私を魅了するのです」と語るジャン・ポール・ルーヴ(監督・脚本・(ホテルの主人役)主人公の祖母を演じるのは(マドレーヌ役)アニーコルディー。1928年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ベルギー国王よりパロネス(女性版「男爵」)の称号を贈られています。

彼女は、ある日突然、姿を消してしまいます。親友のように仲の良い孫をマチュースピノジ(ロマン役)が演じています。彼はこう語っています。脚本のどこに惹かれましたか?

「普遍的なテーマの数々に感動しました。生、死、時間の流れの速さ、生命の危機、世代を超えた関係が描かれ、考察されています。それらは僕自身のことと響きあっています。台詞は軽快で可笑しくて、原作よりコミカルです。」と。

そのロマンの両親、退職したことを受け入れられず、自覚できない父。多くの女性が自己投影できるユーモアと感受性豊かな現代女性の母。夫婦の溝。そして再会。

フランス語の分からない私にはそのユーモアのニュアンスが分からず残念ですが、原題は「思い出」「記憶」「かたみ」」などとなっています。人生の哀しさや、理不尽さを主人公のマドレーヌは自分の望みを妨害されることには我慢ができなくなって自由を選び、少女時代の思い出の場所に旅に出ます。年をとったからといって、生きることをあきらめなければならないことはありません。フランス式の「家族の絆」とは日本とは少し違いますね。マドレーヌには3人の息子がいますが、息子たちは老婆(といっていいのかいら・・・)引き取ろうとはしませんし、彼女もそれを望みません。

この潔い生き方に共感できます。

振り返ると、私は人生の節目のときに、よくパリを歩きました。美しい街並み、美術館の数々。マルシェをのぞき食材を買い「暮らすように旅する」ことが最高の贅沢な時間です。そして、思うのです。日本人の慎ましさ、思いやりといった美徳だけでは通じない、個人主義の厳しさ。街ゆくひとがかもし出すぴりっとした雰囲気・・・。適度な緊張感。

この映画はまさにそうした家族のありよう、自分自身の生き方、家族の喪失を乗り越え、新たにつながる絆の予感を感じます。さわやかで温かさのこもる映画。孫が愛する祖母を捜しにノルマンディーへと向かいます。その美しい海辺の町、「エトルタ」その美しい風景に魅せられ画家モネ、クールベらが作品に残しています。

渋谷の文化村の"ル・シネマ"の午後の回で観て、そのままエレベータで地下に降り、吹き抜けになったテラスで白ワインを一杯飲み山に戻ってきました。

孤独って素敵なことですね。

映画の公式HP
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【イングリッシュ・ガーデン】 英国に集う花々

パナソニック汐留ミュージアムで素晴らしい【ボタニカル・アート】の花々が観られます。

私が「007は2度死ぬ」の撮影でロンドンに滞在していた間、郊外にあるキュー植物園には何度となくも足をはこびました。世界中から集められた植物を広大な敷地内を散歩しながら、また温室の中でもみることができます。225年という歳月をかけ造園された歴史ある空間に身を置くとイギリス人の植物に対する想いが肌で感じることができます。

今回、汐留ミュージアムではキューの美術コレクションの中から"ボタニカル・アート"(植物画)が多く出品されて、その歴史を知るチャンスですし、室内調度や服飾品、日常生活に使うタイルや陶器、植物をモチーフにしたドレスなど身近に感じられとても素敵です。

キュー王立植物園は2003年にユネスコ世界遺産にもされました。

イギリス郊外などを旅すると、小さな家や邸宅など、どの家々も良く手入れされ花が咲き誇り、その美しさに見惚れます。

゙自然の美゙の庭園、庭作りはイギリス人にとって植物への夢と憧れるなのでしょうね。私たち日本人にも共通する点があります。

会場では、アネモネ、チューリップ、ザクロ、ケシ、マーガレット、ダリアなど美しい花々が咲き誇っています。またデザインが素敵です。いつの時代にも植物、花々は心を癒してくれます。

植物の世界を理解するには非常に素晴らしい展覧会でした。新橋駅からも歩いてすぐです。ほんのひととき、花々に囲まれ心を癒してみてはいかがでしょうか。

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パナソニックミュージアムの公式HP

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田中一村 記念美術館

鹿児島で仕事があり終了後、一日休みをとり奄美大島の「田中一村美術館」へ行ってきました。鹿児島空港から約1時間で奄美へ到着。車で7,8分の奄美パークの一角に美術館はあります。

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2001年にオープンしてから今回は4度目です。田中一村のことを知ったのはNHKの「日曜美術館」でした。その時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。「これって日本画?」従来の日曜美術館で観る絵画とはまったく異なり、その画像からうけるあまりにも異端といってもよい画風に衝撃を受け、また感動を覚えました。『実物が観たい』そんな思いをかなえてくれたのが巡回展でした。昭和60年だったと記憶しております。福岡の岩田屋に日帰りで観に行きました。目の前にテレビで見た作品の数々。テレビで見たときとはまた違う静謐で亜熱帯の植物を描きながら、そこには一村の生き方、奄美での暮らしはストイックといってもいいほどの生活なのに、絵の中には人物は描かれていないのに人々の温もりが感じられる作風。ただただ涙がこぼれるほどの感動を昨日のことのように思い出します。

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一村の過ごした奄美での19年の歳月。50歳という年を迎えての奄美行き。"なぜなのだろう"という疑問。奄美の地に深く身をまかせ、ガジュマロの大木、ビロウ樹、鳥や魚、亜熱帯の植生のもつエネルギー。日本画ではあるのにどこかモダン。すべてが驚きと感動の展覧会でした。

これほどの才能の持主がなぜ存命中に世に認められなかったことが不思議でなりませんでした。それからです、「田中一村」の追いかけを始める旅がはじまったのです。本、新聞、映画、売るための絵を描くことなく、誰ひとり看とることなく台所で食事の支度中に倒れその69歳の生涯を終えたのです。生計を立てるため大島紬の染色工として働き、朝、夕と散歩をしその自然を観察し、魚屋さんのご夫婦に鮮度の良い美しい色をした魚を描かせてもらったり・・・そこに一村の純粋で妥協を許さない厳しさ、自然を知り尽くした画家の目を感じることができます。

前回の奄美では終の棲家、倒れた家や一村が歩いたであろうと思われる山にかこまれた熱帯林の道。そこには「南国の明るさ」はなくむしろ静謐な空気を感じ、ただただ一村の存在を感じたくての旅でした。

1908年7月22日栃木生まれ1977年9月11日没。
千葉に暮らし、若きころからその才能はすでに確立されていたように思います。恵まれた家庭環境にはなく、若き日「米邨(べいそん)となのっていた時代」の襖絵を今回見ることができました。南画を描いた時代、東京美術学校(現・東京芸術大学)の同期には東山魁夷、橋本明治などがいました。でも中央画壇からはなれ南の島奄美へ。それはなぜ・・・

かつて読売新聞に「果たせぬ望みへの静かな諦めと一種の悟り」と書かれていました。

水辺の上に立つ美術館。
ひとり静かに思う存分独りじめできた一村の絵との出会い。
エネルギーがわいてきました。
奄美の湿気を含んだ風に見送られ帰路につきました。

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松の内

雪一日 日和一日も松の内   原 石鼎

と申しますが、皆さまは新年をどのようにお迎えになられましたか。

お正月らしい晴れやかな空気は昨日まで(関東では)。我が家では昨日(7日)、玄関のお飾りをはずし2016年仕事はじめです。と、申しましても私は12日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」の収録が仕事始めですが、その前にゲストにお招きする方の本をお正月から読み始めております。

それにしても、暖かなお正月でしたね。

元旦、御節で新年を祝い、私のお正月は「箱根駅伝」で始まります。本格的に箱根に戻り、この十年は2日、3日は私にとっての大事な駅伝応援です。私の住む箱根町は駅伝のゴール・スタート地点です。2日は選手が元箱根に着くまでは、ラジオ、テレビでの観戦。そして、新春の陽光にてらされアンカーがゴールにさしかかる前に家を出て選手をむかえます。

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昨年、「山の神」としてその名をとどろかせた青山学院の神野大地選手が、あの険しい箱根の山を美しい走りで目の前を駆け抜けてゴール。おめでとう!と思わず声にだしてしまいました。故障に苦しんだ1年、そして重圧。その重圧をはねのけての堂々とした5区のゴールでした。

箱根湯本駅から本格的な坂が始まります。標高差は約860mに及びます。選手一人ひとりにドラマがあります。たった5秒差で襷を渡せなかった神奈川大学の選手はさぞ悔しかったでしょう。沿道にはたくさんの応援する人々、富士山もその走りを応援するような美しさで迎えます。往路は青学の圧勝でした。10位までのシード権争いでは、順大、日体大、帝京大がトップ10に返り咲きました。

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3日早朝、まだ月、星が見える6時過ぎにはスタート地点に行きました。私は8時スタートまでのこの時間が至福のひと時です。昨年は-5度の寒さでしたが、今年はそれほどの寒さもなく、周辺を歩きました。テレビクルーやラジオクルー、そして各新聞社のカメラマンの方々などがスタートに向けて様々な取材や準備をしています。こうしたことが、画面や紙面、そしてラジオ生中継にいかされるのです。前日の走者が周辺に集まることもあります。私のもっとも好きなところは応援する人たちです。最後の走者が終わるまで大きな声で応援し続けます。

2016年「第92回東京箱根間往復大学駅伝」は往復217.1キロ、
青山学院大が往路に続いて完全優勝で連覇を達成しました。

なぜここまでこられたのか・なぜあれほどまでに"のびのび"と選手が走れるのでしょうか。それはやはり原監督の哲学にあるのでしょうか。原監督はたえず「陸上界を変えたい」とおっしゃっています。監督は奥さんとともに選手寮に住み寝食を共にしています。奥さんは選手達の母親代わり。ビジネスの世界に長く身を置いた監督は陸上界のあしき因習にとらわれることなく、専門トレーナを招き、独自のトレーニングを続けてきたといいます。何よりも、その信頼関係は選手にとってどんなにきつく辛い練習も笑顔に変えられるだけの環境が整っているのでしょう。

「箱根駅伝」は優勝したチームだけではなく、挫折や栄光、さまざまな経験をする若者達選手に私達は眩しいような"何か"を与えてくれます。選手たちはもう来年に向けて始まっているのでしょうね。4年生は人生の新たなスタート地点に立ちましたね。ありがとう!選手の皆さん!

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そして、4日は夜明けとともに箱根神社に参拝します。
"どうぞ2016年が世界平和でありますように"と、祈願いたしました。

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5日は恒例の上野「鈴本演芸場・新春爆笑特別興行」で初笑い。落語、漫才、曲独楽、に講談、ものまね、お正月ならではの寿獅子、林家正楽師匠の紙きりでは、お客様からの要望で「箱根駅伝」「猿と門松」など。粋な三味線は小菊さん。そして、落語家の贅沢なこと。柳家権太郎・喬太郎師匠。そして・・・追っかけを自認する柳家小三治師匠に、トリは弟子の柳家三三師匠。並んだかいがありました。

幸せ・幸せ。
さ~あ、今年も"がんばろう"というルンルン気分で山に戻ってまいりました。

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松の内最後の朝は「七草粥」をいただきました。

春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)若葉をそろえ、包丁でトントントン。豊作や無病息災、長寿を祈ります。

皆さま健康にご留意され今年も佳き年にいたしましょう。


まどろめるわれを見守り福寿草   河部みどり女

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新年のご挨拶

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新年おめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
今年も佳き年でありますよう 心よりお祈り申し上げます。

70代となりまた一つ歳を重ね、より自然に等身大の自分に向き合えていることに気が付きました。

年齢を重ねるのもよいものだと日々しみじみ感じます。

今の私だからこそできるチャレンジを忘れず、今年も新しいステージに向かって歩んでいきたいと思います。

春風が吹くころ、本が一冊、船出する予定です。

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今年を振り返って

2015年クリスマス

行きずりに聖樹の星を裏返す    三好潤子

「クリスマスツリー」だと音数が多すぎるので、俳句では「聖樹・せいじゅ」と詠まれることが多いそうです。「聖樹」私は山の中に住んでいるのでこの方がしっくりきます。箱根の芦ノ湖のそばに居を定めて40年近くの月日がたちます。子供が幼かったころは小雪舞うなかで雪遊びをしたり・・・、和ろうそくに灯りをともしクリスマスケーキを食べたり・・・懐かしい思い出です。今朝など垣根に植えられた山茶花が真っ赤な花をつけています。クリスマスがなぜ冬なのか、冬至の祭りと深い関係がある、と本で読んだことがあります。

春の訪れを待ちながら、静かにこの2015年を振り返ります。

私はクリスチャンではありませんが、24日のイブの日は築地の聖路加病院の中にある教会で静かに今年を振り返ります。近くに事務所があったから散歩コースでよく行きました。今年も早朝山を降り教会でひとり静かに過ごしました。

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2015年は自然災害や豪雨による多くの方が被災され尊い命も奪われました。世界に目を向ければ無差別なテロで犠牲になられた方々がおられます。

天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられました。

今年の四月、天皇皇后両陛下が、元日本の植民地で太平洋戦争の激戦地だったパラオ共和国を訪問し、元日本兵や遺族の見守る中、日本の慰霊碑だけではなく、アメリカ軍の慰霊碑にも献花されました。そのときの「ここパラオの地において、私どもは、先の戦争でなくなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」というお言葉を聞き、父のことを思いだしました。

私の父は無事、復員することができましたが、しばらくの間、立ち直ることができませんでした。そして亡くなるまでの間ずっと、戦争のことはひとことも口にしませんでした。戦争が終わって帰ってきた兵の中に、過去の辛い経験を生々しく思い出して不安や恐怖、睡眠障害といった精神的ストレスPTSD(心的外傷)を抱えている人が多くいることも知られるようになりました。父もまた、そうした状況にあったのかもしれないと、今になって思います。晩年は穏やかに暮らし83歳で亡くなりました。

皇居・宮殿での記者会見で天皇陛下は「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と仰られておられます。

戦後70年の節目を迎えたこの1年。

世界の平和を祈ります。

イブの日は息子のお嫁さんが作ってくれたクリスマスケーキ(聖菓・せいか)を家族でいただきました。

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今年も私の思いを綴ったブログをお読みいただき感謝申し上げます。

良い新年をお迎えくださいませ。

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映画 『アンジェリカの微笑み』

今年106歳でとうとう亡くなったマノエル・ド・オリヴィイラ監督の長編映画です。舞台は監督の故郷ポルトガル。監督が101歳のときの幻の傑作です。構想から60年のときを経て、いま私達の前に現れました。

ポルトガル、ドロウ河流域の町を舞台に、ユダヤ人青年イザクが、若くして死んだ女性アンジェリカの遺体の写真撮影を頼まれたことから、彼女の虜になってしまう物語。彼女の美しさに魅入られ、思いを募らせる彼に応えるかのように幻影が現れます。半世紀以上を経て、この脚本を監督自身が現代の物語に書き直し、映画化したものです。

100歳を超えてもこの瑞々しい感性はどこからくるのでしょうか。ドロウ河の印象的な風景、モノクロームの幻想シーン。主演のイザクを演じているのは監督の孫。アンジェリカはスペインの人気女優ピラール・ロベス・デ・アジャラ。

ふたりが抱き合って川の上を飛ぶモノクロームのシーン。夜が来て、明け方近く、イザクがベッドで寝ていると小鳥が迷い込んみ、飛び去るのと入れ違いに彼女が天井近くに現れる。差し伸べてもつかめない彼。そこから一気にストリーは展開していきます。  宗教、生と死、愛、政治的な背景。私はポルトガルのユダヤ人について何ひとつしりませんでした。ひとつ間違えば怪異になるテーマをオリヴィラ監督は見る者を映画的な、映像のもつ至福のときへと誘ってくれます。

この映画の感想はなかなか表現が難しいです。

ただ、生きている幸せを感じさせてくれたこと。平和について。愛について。社会を取り巻く様々な側面をもっと知らなければ・・・と気づかせてくれたこと。イメージの美しさに魅力を感じ、早々と箱根の我が家に戻ってきました。黄昏の山の稜線を眺めて106歳で亡くなったマノエル・ド・オリヴィラ監督は私達にどんなメッセージを託してくださったのでしょうか・・・。
やはり、映画は好きです。人生の一部です。

http://www.crest-inter.co.jp/angelica/

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盛岡への旅

先日、北日本銀行様のお招きで盛岡に行ってまいりました。

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『きたぎんレディースサークル連絡協議会』の主催でした。
ホテルの会場には220名ちかい女性の方々が出迎えてくださいました。
やはり、"女性同士"始めてお目にかかる気がせず和やかな雰囲気の中での講演会でした。テーマは「明日を素敵に生きるには」です。

今日11月20日は私の72歳の誕生日です。
しみじみ思うのですが、「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになること」を考えるほうが、前を向く行動になるように思います。そう、今日(こんにち)の私の足元を照らし、導いてくださった先輩たち。そんな"人との出逢いが宝もの"としみじみ思います。そんな出逢いのお話をさせていただきました。

子育て時代には「早く家に帰らなくては」と慌しい思いもすることもありましたが、4人の子どもたちが、みな社会に巣立った今は、旅の仕方も少し変わってきました。

これまでのように早く移動して・・・・・ではなく、それぞれの土地が持つ味わいを楽しみたいという気持ちが強くなってきたとも感じられます。

仕事で出かけるときにも、時間がゆるせば前日にその土地に入り、町や村を歩いたり、名所旧跡を訪ねたり、市場に寄ってみたり。夜には地元の居酒屋にふらりと立ち寄ったりすることも増えてきました。

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今回は盛岡。
まず最初にすることは巡回バスに乗って一巡り。
盛岡は何度もお邪魔しているのですが、農村部が多く街中は数回です。盛岡都心巡回バス「でんでんむし号」は駅前から右回り、左回りと、15分間隔で出ています。1乗車100円、1日フリーは300円。お勧めです。行きたい場所はだいたいどこもバス停があります。

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そして歩いて楽しむ街・盛岡。

街の中をサラサラと流れる中津川。このほとりや城址の公園がお気に入りの散歩コースだった宮沢賢治。「モリーオ市」と呼んだ、夢の中の盛岡。花巻市に生まれた宮沢賢治は、多感な青春の日々を過ごした盛岡を『ポラーノノ広場』で(うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎら光る草の波)と描いた夢の中の盛岡。花巻に戻ってからも、賢治は青春の地、盛岡をたびたび訪れたそうです。

この街で恋にめざめ、文学に夢を馳せた石川啄木。
新婚生活を過ごした家も(でんでんむし)バス亭からすぐです。

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中津川をはさんで左岸は、城下町の商人街として栄えた街。周辺の「赤レンガ」の建物は重要文化財です。ザルやカゴ、箒にタワシなどの生活雑貨の店は入り口に箒がきちんと並べられています。江戸時代後期の建物が懐かしく温かみがあります。私は亀の子タワシを買いました。

盛岡名物南部せんべい(私はゴマせんべいが大好き!)、岩手を代表する伝統工芸品・南部鉄器のお店、ムラサキの根を染料につかう「紫根染」の伝統技法でつくられた染物のお店・・・など。

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ちょっとお腹がすいたので「盛岡冷麺」もいいのですが、せっかく新そばの時期(わんこそば)が有名なお店ですが、さすがに私には無理なのでザルそばと出汁卵焼き、アナゴのそば巻き。ほんとうは、ちょっと"冷酒"といきたいところでしたが、がまんしました。そして、中津川沿いには素敵な小さなギャラリーがいくつもあります。産地から直接仕入れている紅茶専門店でほっとひと休み。

橋を渡って右岸へと。

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とても行きたかったお店「光原社」
柳宗悦が提唱した「民藝」。柳と交流を深めた故・及川四郎氏創業の「光原社」。本店同様姉妹店でも『北の光原社』には、織物、陶磁器、漆器、鉄器など全国各地の逸品がそろっています。外国の民芸品もあるのでモダンな雰囲気がします。

陽も落ちかけた夕暮れ、北ホテルの近くの"ナイショ"にしておきたい小さな・小さな喫茶店「KARUTA]で、1杯目はオリジナルブレンド、2杯目は深入りのコーヒーをいただき「でんでんむし」に乗って駅近くのホテルに戻りました。

古都盛岡の情緒が残る町歩き、小春日和の一日でした。

旅は賜る(たまわる)もの。
人に出会い人から恩をいただく・・・遠くにいかなくても、驚きや発見、新たな喜びや感動を覚えることこそが私にとっての旅であり、人生の果実を味わうひとときではないかと今、感じています。

『きたぎんレディースサークル』でお逢いした方々、ありがとうございました。

そして盛岡の街なかで出会った皆さま、素敵な宝をたくさんいただきました。

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秋の京都

この季節は「秋思・しゅうし」とよぶとか。

実りの秋、収穫の秋。花は実となり枯れ葉となりどこか寂しい思いがいたしますが、心が幸せで満たされるような展覧会に行ってまいりました。

『石井麻子のニットアート展』です。

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石井麻子さんには過去に何度か我が家の箱根やまぼうしで、展覧会をしていただき、そのたびに心惹かれる天使たちが舞い降りてきます。着るとラブリーな気持ちにさせてくださるセーターやベスト。私のクローゼットでは石井さんの天使たちが仲良く一年中微笑んでくれています。

今回の京都文化博物館でのニットアート展では2003年から製作をはじめたニットタペストリー27枚が展示されました。パリからスタートし「京都姉妹都市シリーズ」は9都市。春夏秋冬プラハ、グアダラハラ、韓国、キエフ、フィレンツエ、西安、ボストン、ケルン、京都など。

そして我が家のやまぼうしのために製作してくださった「箱根・HAKONE」。深い青の色が湖や空、そして寄木細工の文様。素敵です。宇(そら)で遊ぶ天使たち、天使の森深く迷いこんだような感覚にとらわれる素晴らしい手仕事。心がほっとして思わず微笑んでいる私。

世界の平和を祈り、そして古都の、歴史、文化、自然に学びながら、「畏敬の念」を持って製作に立ち向かうことは至福という言葉以外ありません。とおっしゃる石井さん。行く秋を足の赴くままに旅をさせていただきました。

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そして、翌日は早朝京都御苑の周りを散策し、向かった先は今回の旅の楽しみのひとつであった千年の都に伝わる秘法を紹介する、秋の「京都非公開文化特別公開」のひとつ、来年生誕300年を迎える江戸中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう・1716~1800)の天井画が初公開されているのです。

10月30日~11月8日
江戸中期の奇才と呼ばれた若冲。謎の絵師です。

今回初公開された、浄土宗信行寺の天井絵「花卉図」。本堂の一画に、格子状に区切った167面は一枚が38㌢の角の板で、中央を円形の画面として植物が描かれています。

朝一番で行ったのですが、すでに1時間待ちの行列。頭上に花々が降り注ぐように描かれています。アヤメ、ボタン、ユリ、シュウカイドウ、ヒマワリ、キク、ナンテン・・・若冲らしいこだわりもうかがえます。ボタンは正面から描かず、後ろ姿。アヤメは茎をくるりと丸めて下をむいているのです。本堂で檀家のひとたちが祈る場所にはそのような構図がふさわしいのでしょうね。

それにしても・・・あの「若冲」の本来の作品とはかなり違います。最晩年のこの作品がもしかしたら、もっとも「若冲」の本質的な絵なのかもしれません。信行寺はこれまで、劣化を防ぐために公開せずにきたそうです。美術を学ぶ人たちから『拝観のチャンスを』との願いを受け一度だけの公開となりました。

本堂の一画にすべて異なる植物を外国人も京都の人も、私のような観光客も、若冲のその晩年の絵に魅せられました。

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その足で錦小路の市場へと向かいました。
若冲は高倉錦小路の青物問屋の長男に生まれますが、15歳ごろから絵を学び弟に家業は任せ、絵に専念し動植物を描き続け、その手法はだれも真似のできない様々なアイデアで描いていきます。

私は今回の天井画を観て初めて「若冲の心」の入り口にたてたような気がしました。
謎の人物でもなく、奇抜でもなく「人間若冲」をかいま見ることができました。

紅葉にはもう少し・・・冬が間近まできている気配はありますが、心はぽかぽか・・・丹波の栗きんとんとお抹茶をいただき京都を後にしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落葉美術館

長野から、しなの鉄道に乗り、りんごの実る木々の合間をぬってワンマンカーはひたすら黒姫に向けて走ります。

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何度も何度も通った道。

このたび黒姫に住む友人ご夫妻から10年間閉館していた「落葉美術館」が今回を最後に1年に1日だけではなく、1週間開館するので「見にいらっしゃらない?」とお誘いを受け黒姫に行ってまいりました。毎秋、11月3日に一日だけのオープン。なかなかタイミングがなく今まで残念な思いをしてきました。今回は10日28日(水)~11月3日(火)・午前10時30分から午後4時まで。(入場無料)

私は初日の28日に行ってきました。
黒姫駅には友人が出迎えてくださり車で7、8分の「落葉美術館」へと。

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紅葉は見事で山の上から裾野に降りてきています。雑木林の入り口から平山英三・平山和子ご夫妻のアトリエへと向かいます。サクサクサク・・・と落ち葉を踏みしめ歩きます。手入れのゆきとどいた庭と建物。入り口を入り磨かれたガラス窓の向こうには紅葉した樹々。土間と画室が展示室になっています。水彩絵の具を使って原寸で描かれている落ち葉の絵。落ち葉の表情は繊細で、その姿が忠実に描かれています。

友人ご夫妻は車を運転し、よく平山ご夫妻と落ち葉拾いをなさったそうです。ご自宅に帰られて色の変わらないうちに奥さまが克明に落ち葉のすがたを忠実に描きしるす・・・。葉の大きさによって描ききれない時は、きれいに包んで冷蔵庫で採ったときの印象を保存されるそうです。

美しい落ち葉に出逢った喜びが絵から伝わってきます。やまぶどう、こぶし、いたやかえで、くり、メイプル、おおばやなぎ、いたやかえで、はりぎり、ほおのき、やまぼうし、はうちはかえで、もみじ、さわぐるみ、おおばかめのき・・・など等。落ち葉の表情が繊細で、こんなに豊かな表情をしているとは驚きです。色が鮮やかさを保つために画室はなるべく暖房をしないようにするとか。落ち葉の季節は零下の日もありストーブはかかせません。落ち葉のしめりけにも気をくばられるのでしょうね。

東京から移り住んで30年あまり。お目にかかったことはありませんが、黒姫の落ち葉に魅せられて描き続けていらっしゃる和子さんのお姿を想像いたします。

敷地の雑木林には沢が流れています。黒姫の雪解け水なのでしょうか。
私も落ち葉のシャワーを浴びながら、こんなに美しい落ち葉があることに感動いたしました。落ち葉は秋だけではなく冬や春、夏の林にも出逢えるそうですね。

箱根の紅葉も美しいのですが、黒姫の雑木林は、また趣があります。
まもなく黒姫も雪におおわれます。

展示室の壁にこんな言葉が書かれていました。

 自然がつくりだした一枚一枚の落ち葉の意匠は美しく不思議で
 林のなかは、つきることのない美術館です。
 私どもは黒姫で出会った美しい落葉のすがたを描きしるして、
 住まいの一隅に落葉美術館としてまとめております。
 小さな美術館ではございますが、林のなかの、ほんとうの落葉の
 美術館の分館のひとつともなればと思っております。

                          平山英三
                          平山和子

やがて消えていく落ち葉に、70代になり自然への敬慕がつのります。

そして長野から途中下車し、上田の玉村豊男、抄恵子さんご夫妻の「ヴィラデスト・ガーデンファーム」にお邪魔して秋の花が美しく咲くお庭を散策し、コーヒーをいただき、晩秋の山の風が心地よい夕暮れ帰路につきました。

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80代になられた平山ご夫妻。
もう、落ち葉の絵を観ることはできませんが、どうぞお元気でこれからも黒姫の落ち葉を描きつづけてください。そして、生きていることの幸せを与えてくださったことに深く感謝申し上げます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

輝く農山漁村の女性たち

輝く農山漁村の女性たち
~こだわりの地域特産品はこうして生まれる~

というテーマで、山口県からお招きを頂きうかがってまいりました。

第1部は"農の風景~輝く農山漁村女性たちへのエール~"と題して私がお話をさせていただきました。

第2部は現場で活躍している女性たちとのトークセッション"こだわりの地域特産品はこうして生まれる!" こんなお話を私はさせていただき、また活躍している地元のジャム屋さんをご紹介させていただきました。

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山口県は、豊かな自然環境に恵まれ様々な地域資源が溢れています。ある意味恵まれすぎているかもしれません。山の幸、海の幸、温暖な自然環境。暮らしの中で培った知恵や技、そして地域資源を活かした特産品づくりを進めています。

私はこれまで40年近く農村漁村にお邪魔し女性たちと語りあってきました。歩いていると、農業の半分は女性が支えているのに、「自分の銀行口座」もなく、家族に遠慮して暮らしている・・・と思えることもありました。"もっと光をあててほしい!"と「食アメニティー」を立ち上げ、国にも協力していただき、農山漁村の伝統食など「食」によって経済的自立をはかろうとする女性たちを応援してまいりました。

確かに日本の農業・漁業は高齢化、担い手不足という側面もあります。TPPでの合意で、はたして日本の環境に即した生産ができるのか、安い生産物が輸入されて、確かに消費者としては嬉しいのですが、「食料」は工業品ではありません。海外からの輸入がストップした場合、担い手はすぐにはできません。広大な敷地を持つアメリカやオーストラリアとは違います。そして、世界中たとえばフランスもイタリアも「農業国」です。大型化してできる限界も日本の場合いはあります。何よりも、この美しい日本の景観は何で生まれているのでしょうか。外国からの観光客は何に魅力を感じて旅をしてくれるのでしょうか。そんなことを思いながらの40年でした。

『これからは、生産だけで食べていけない時代がくる!』と思い農村女性たちとヨーロッパへ"グリーンツーリズム"の勉強に13年通い学んできました。いまではあたり前のような「農家民泊・農家レストラン」。そこに女性の活躍の場があります。

女性たちには底力があります。「命を育む」という意味がよくわかります。今回のテーマである「六次産業化」は生産、加工、販売すべて完結いたします。地域に根ざしたやり方で、勢いを失いつつある・・・と言われた時代から、新たな「農業のあり方」を考えはじめ行動に起こしています。

食を取り巻く状況は確実に変化しています。ファーマーズマーケットでの食堂経営など、六次産業化は日本全国で大きなうねりになってきました。大量に生産し、市場に流す、一過性のイベントに頼るのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。

地域の食材を生かした加工品や料理を生み出すことで、地域内に人と人のつながりが生まれ雇用や起業を促進するレストランやカフェが生まれます。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

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ご紹介した地元、山口県周防大島のジャム屋さんです。
この周防大島は民俗学者、宮本常一のふるさと。私も何度か資料館にはお邪魔しております。

最初にこのジャム屋さんを知ったのは、地元の方からではなく東京でした。「知っている?山口の島で作っているジャム、フレッシュですご~く美味しいのよ」という話でした。私は毎朝、ヨーグルトにジャムは欠かせません。気になってある時訪ねました。

正直言ってジャムは日本全国のどの農村でもよく作られています。果実を栽培する地域では、誰もが真っ先に思いつくのがジャムです。イチゴの産地、りんごの産地、桃、梨、ぶどう・・・果実の産地に行けば必ずジャムを作っています。

「周防大島のジャム」はどこが違い、都会の人も興味をおぼえるのか。
松嶋匡史さんと奥さんの智明さん。ご主人は京都出身の元サラリーマン。奥さんの故郷での開業は新鮮な果物が入手しやすいということで始めたそうです。新婚旅行でパリに行き、たまたまジャム専門店に入ったとき、作り方、売り方が違っていたそうです。

高齢化率日本一の島に現れたジャム屋さん。ここまでくるのは大変なご苦労があったと拝察いたします。ジャムの主原料は、島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れること。契約農家は52軒にのぼり、かつては加工用ミカンでは1キロ、10円ほどしかならなかったのが、ジャムづくりに適した果実を栽培してもらい、キロ100円で買いとるとのこと。お店で試食もできます。パンにつけて食べる焼きジャム。季節の新鮮なジャム。年間120種類。生産量は10万個。店頭で半分売り、ネット販売が2割、卸やパン店への販売が3割。広島のパン屋さんとのコラボ。パテシエの雇用。

「こだわったジャムにはブランド価値がある。お客さんもこだわりのもの作りに価値を感じて買ってくださる」とおっしゃいます。均一化され、どこにでもある物ではなく「つくり手も買い手も喜ぶ」大切なことだと思います。

トークセッションでは、それぞれのゲストの方の事例発表を伺い、地域に根ざしたすばらしい活動をなさっておられました。それを地域の豊かさにどう繋げていくのか・・・大変興味があります。

六次産業化については国が支援し、各自治体で積極的に推進されています。現実的にはまだまだです。販売先の開拓、メニュー開発など六次産業化には問題が山積しています。やはり「無理のない等身大」のところから進み、ひたむきに、愛情をもって、そして消費者のニーズをしっかりリサーチする経営努力も大切でしょう。

ご一緒した方々は何よりも、ご自分の暮らす故郷を愛しておられます。

山口にはまだまだ眠っている宝が山のようにあると感じました。

『輝く農山漁村の女性たち』に参加させていただき、会場の皆さまとご一緒に日本の未来・山口の未来について考えました。次回伺うときには「新たな宝」を教えてくださいね。

皆さま、貴重なときをありがとうございました。

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片岡鶴太郎 四季彩花

片岡鶴太郎さんの展覧会がパナソニックの空間演出ソリューション特別展が汐留ミュージアムで開催されています。
先日拝見しに行ってまいりました。

画業20周年を迎えられた鶴太郎さんは、絵画だけではなく陶器、ガラス器、染色・・・とそれぞれの分野で制作を続けておられます。今回の展覧会は、美しい日本の四季への思いが込められた作品の数々。そして、今回は初めての試み、最先端のテクノロジーによって4Kを含む各種映像・照明、その空間演出は今までの個展とは異なり、新たな世界が広がる素晴らしい展覧会でした。

鶴太郎さんは高校卒業後、片岡鶴八に弟子入り。3年後、東宝名人会、浅草演芸場に出演し。その後、バラエティー番組を足掛かりに大衆の人気者になり、現在は幅広いキャラクターを演じられ役者としても活躍中です。

あれは、7年前のことでした。我が家で対談をさせて頂いたのが始めての出会いでした。なぜか、とても気になる存在でした。展覧会で作品を拝見して、「どういう心の移り変わりがあったのかしら・どのようにしてこの世界にお入りになったのかしら」など等。

『40歳で始めて絵を発表したものですから、40歳というのは、僕にとって人生の区切りであり、新たな始まりでした。恵まれた芸能生活もある時、40歳の手前で、同時に全部無くなり、引き潮の中でポツンと取り残されたような、何ともいえない、無常観がたまらなく悲しかった。これからの人生、何を頼りに、何を求めて生きていったらいいのか・・・人生の中にポツンと置かれた孤独感と焦り、そんな時2月の寒い朝、ロケで家を出る時に、何か視線を感じ振り返ると、お隣の庭に朱赤の椿が咲いていたのです。"花という命"と始めて語り合えた・・・「この花を描ける人になりたい」そう思ったのがきっかけです』と。

不思議なご縁を感じました。

私も40歳の時に演じるという女優業を卒業いたしました。
そして、人生のギアーテェンジをいたしました。17歳で始めて出会った古信楽"蹲"には寒椿を生けます。

鶴太郎さんと偶然新幹線の中でお会いし、おしゃべりをしていたら共通の画家が好きで、思わず私は鶴太郎さんに「我が家のスペースで展覧会をしてください。生活空間の中で鶴太郎さんの絵を拝見したいのです」と、申し上げておりました。描く絵は野に咲く花であったり、野菜や魚、そこには私は専門的なことは分かりませんが、細密画ではなく、深いところを見ていながら、どこかで思い切って省く・・・そこに見る側を優しさで包み込むようなそんな絵。

それから我が家"やまぼうし"の空間で5回の展覧会をさせていただきました。

2015年3月、書の芥川賞といわれる「第10回手島右卿賞」を受賞されました。
絵画だけではなく書も魅力的な展覧会です。

人は人生の中で何度か壁に阻まれます。
その時に救われるのが芸術なのではないでしょうか。

今回の展覧会はそんな優しさに満ちた会場でした。

2015年9月17日~10月18日(日)まで。  
パナソニック汐留ミュージアムにて開催中。
☆新橋駅から歩いて5~6分です。
http://panasonic.co.jp/es/museum/shikisaika/

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「青春18きっぷ・ポスター紀行」  飛騨路への旅

待っていた一冊の本がやっと届きました。
JR「青春18きっぷ」ポスター紀行(講談社)
25年分のポスターが一挙に掲載!されているのです。
皆さんは旅をなさる時、もちろん新幹線や飛行機が多いでしょうね。
私も使いますが、時間が許せば普通列車でのんびり旅がいいですね。
とくに無人駅のようなローカル線に乗り、お互い旅人同士、目があい挨拶を交わす・・・列車がホームに入り、その列車もどこか遠くから旅してきたようなそんな感じ。駅や渡り廊下に貼ってあるポスターに旅情をかきたてられてずい分旅をしてきました。

青春18きっぷ

本を眺めていたら、高山本線も出てきました。

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「そうだ、飛騨に行こう!」と思い立ち2泊3日で行ってまいりました。
小田原から名古屋までは新幹線で。そして高山本線で高山まで。沿線の景色をぼ~と眺めながら。7割は外国の方には驚きました。奥飛騨から乗鞍のほうまで足をのばすのでしょうか。

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「円空さん」に逢いたくて、高山の街のはずれ車で20分ほどの千光寺に向かいます。旅先には宝ものがあります。その宝物に逢いに行く旅もあると思います。飛騨路の旅の宝物は円空さん。飛騨びとの心に住む円空仏は、まさに木から生まれた仏さま。人々はエンクさんエンクさんといって親しんでいます。

円空さんは1632年、岐阜の羽島の生まれといいます。少年期は大飢饉のさなかであったり、美濃の洪水にみまわれて母を亡くしたりで大変不幸でした。幼くして寺に奉公を余儀なくされたのもそんな事情が重なったのでしょう。その寺を後に出奔するのですが、恋愛がからんでいたという説もあります。そのあたりが青年円空の人間くさい一面を想像させえて、私はあれこれと思いを巡らすのです。

生涯12万体の仏像を全国で彫ったといわれています。辺境の地、離れ島、山間僻地・・・人々の貧困、病苦を救おうと一心に彫りつづけました。想像を絶する旅を続けて、村を訪ね、人と出逢い、交流の中で仏の教えを説いたのでしょう。素朴な仏像はおもちゃとして用いられたかもしれません。

千光寺の宝物殿には円空が立木に梯子をかけてそのままオノをふるって造仏したとされる「立木仁王像」。そして、私の大好きな「おびんずるさん」無病息災を願う千光寺のなで仏。表情の優しさは人の心を抱きしめるような安らぎに満ちています。そうなのですね・・・旅の先には宝ものがあります。ここ千光寺の円空さんに会う他に、こちらの住職さんも会いたい人なのです。端正なお顔立ちと良い声の持ち主で、大下住職は12歳のときにこの寺に入られ修行をつんでこられた方。

以前伺ったことがあります。

『人は一生のうち三度ほど生命の無常を感じます。私は12歳のときに死について考えました。つまり生について考えるということです。それが仏門に入ったきっかけです。寺から中学に通い、やがて高野山へ修業にでました。』

今回もお話を伺うだけで何だかとても心が落ち着きました。
"また、おびんずるさん撫でにきます"と心の中でつぶやき千光寺を後にしました。

そして、旅の空の下には友がいます。私を待っていてくれる人が・・・。
秋の陽射しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれます。

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私には心の故郷と呼べる土地がいくつかありますが、この飛騨古川の街に引き寄せられるように、何十回とこの街を訪れ、今ではこの町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染みわたります。

地方創生・・・という言葉さえない時代に若者たちとの町づくりに夢中になり40年が経ち、若者へとバトンタッチされています。
『ふるさとに愛と誇りを』という8ミリ映画が完成して40年。

端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。

『青春18きっぷ』から半世紀がたっても心は変わりません。

「旅情は距離がつくる」と書かれています。
旅先で自分の過去の記憶が現在いまこうして暮らしている私の心を刺激してくれます。

やっぱり旅は素敵です。


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伊藤若沖

江戸中期に京都で活躍した絵師『若沖』

没後200年だった2000年(平成12年)、京都博物館で開催された大回顧展で観て以来、夢中になったのですが、いまひとつ謎の部分が多くよく人物像がわかりませんでした。

この度、作家の澤田瞳子さんが『若冲』(文藝春秋)をお書きになりました。
夢中で読みました。もちろん小説ですからフィクションですが、その大胆な発想は「若沖」の人物像が変化した」ことが執筆の動機になったそうです。
澤田さんに是非ともお会いしたくラジオのゲストにお招きいたしました。

澤田さんは、1977年、京都生まれ、現在も京都にお住まいです。
同志社大学文学部・文化史学専攻卒業。
時代小説 アンソロジー(作品集)の編集などに携わったのち、2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。翌年、第17回中山義秀文学賞を最年少で受賞しました。

2012年、『満つる月の如し、仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。翌年、新田次郎文学賞を受賞。その他『泣くな道真』など、精力的に時代小説を発表しています。

日本美術の人気背景に、女性作家の江戸時代に活躍した絵師を題材にした作品が次々に発表されています。男性作家の描き方とは違うスケール、社会や歴史にも切り込んだ、そして直木賞候補にもなった澤田さんの『若冲』のように絵のもつ奇抜で強烈な印象をさらに"人間若沖"が読み取れ興味深く読みました。

澤田さんは京都暮らしなので子どものころから若沖の絵に親しんでいたそうです。歌手なら、路上ライブからいきなり日本武道館でのデビュー!的なブレーク。

小説を書くにあたって、過去帳などの資料を読み込み、そこに若沖の絵に「翳り」を感じたともおっしゃいます。書かれた記録が少ない中、私など素人は「どうしてこんなお話が生まれるのかしら・・・」まるで若沖そのまんま!のようなストーリー展開なのです。

京都錦市場の老舗青物問屋の長男として生まれますが、家業は2人の弟に任せて、絵を描くことに没頭。84歳で亡くなるまでが謎でしたが、この小説に描かれている『若沖』で小説ですが私自身は納得できる、そして魅力ある内容のお話が伺えました。2週にわたり放送いたしますので、ぜひ澤田さんのお話を楽しみにお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
9月13日、20日放送。

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流れ星

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初秋の夜半は一年の中で流れ星が一番見られる季節です。

箱根の森に住み40年近くがたちます。

流れ星は、探してもなかなかみつかりません。
でも、ふっと夜中目が覚め、庭に出て星空を眺めていると一時間もしないうちに見つけられます。
夜空を一瞬流れ飛ぶ「流れ星」。
「流れている間に願いごとをすれば必ず叶う」と聞いたことがあります。

下の息子がまだ赤ちゃんの頃、夜泣きが収まらず、おんぶして庭に出て、「ほら、お星さまキレイね」と背中に語りかけてみると、もうスヤスヤ寝ているのです。あのときも流れ星をみたように思います。

今はひとり、夜半の星空をひとり占めできます。
澄んだ夜空は心地よいのです。

ずい分以前のことですが、詩人でエッセイストの今は亡き松永伍一さんと教育雑誌で「子どもの個性を育てる」をテーマに対談をしたことがございます。自然のふところに親と子が立ち、そんな環境の中での子育てを願ってのことでした。

先生はおっしゃいまいた。

「自然によっていのちが生かされていることを、あまり論理的に言ってしまうと、逆に子どもの物差しが自然に目盛をつけてしまうから、流れ星を見て「流れ星って素敵ね」と子どもが言ったら「ほんとにいいね。でも宇宙の中であれも大変なドラマだよね」というぐらいで止めておくことが大切です。すると、それを受けて子どもは、自分なりに論理づけをしていきます。そうやって子どもが少し論理的に言ってきたら、ようやくこちらも論理的に対応するという「待ちの姿勢」が大事なのです。大人はせっかちに「こうあってほしい」「こうしなさい」と親の願望と命令形で目線が下を向いて言葉が出てきているんです。なるべく、親として子どもと目線を同じ高さにしなくてはいけませんね。」

こんなお話をしてくださいました。

『自然を相手にすると待たされるものです。』

子育てもそうでした。

今のお母さんたちは大変です。
情報はふんだんにあるし、物差しもたくさんあります。
おんぶして「お星さまきれいね」・・・というくらいのゆとりを差し上げたいですね。

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映画「あの日のように抱きしめて」

「東ベルリンから来た女」の監督ペッツォルトの今度の作品も衝撃的です。画面転換は淡々としておりますが、アウシュヴィツに収監された女性のベルリンへの帰還という、大変デリケートなテーマでホロコーストの直接的な影響を見せつけられ、心は乱されますし、ドイツでこのような映画が製作されることに驚きます。

主演の二人の芝居が素晴らしいのです。「東ベルリンから来た女」同様主演女優はニーナ・ホス。夫役にはやはり前作と同じロナルト・アフェルト。

ル・パリジャンの評には「心を乱す、胸が張り裂けるような力強いメロドラマ。狂気の愛と失われたアイデンティティー、裏切り、そして残された希望の物語」と書かれています。

漆黒の闇の中を痛々しく包帯に顔を巻かれたネリー。
アウシュヴィツから生還した妻と、変貌した妻に気づかない夫。
再会を果たした二人は、悲しみを乗り越え再び愛をとり戻せるのか。
失われた愛を探すニーナが感動的に演じています。

優しくも切なさすぎます。

明日8月15日、文化村ル・シネマで封切られます。
私は試写で観ましたが、もう一度大きなスクリーンで観ます。
それにしてもドイツ人たちの癒えない傷を引きずっている、そのことに胸が痛みます。

削ぎ落とされたセリフと無駄のない演出、愛の真理。
亡命作曲家による"優しくささやいて、愛を語るときは"という歌詞。

戦争というテーマの中に心が大きく揺さぶられました。
明日は8月15日。
終戦記念日に私たちは何を思うのでしょうか。

公式サイト http://www.anohi-movie.com/
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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

長岡の大花火

戦後70年の今年の長岡花火にはどうしても行きたくて、昨年から計画しておりました。「子どもたちに繋ぐ平和の願い・70年祈り続けたふるさとの花火」とあります。いままで何人かの人から聞いておりました。「長岡の花火は一度は観るべき」と。

長岡生まれ、長岡育ちのノンフィクションライター、温泉エッセイストの山崎まゆみさんの著書「白菊」を読みますます観たくなりました。

1945年8月1日午後10時30分から1時間40分もの間にわたった空襲。市街地の8割が焼け野原と化し1486人の尊い命が失われました。花火が空へ向ける花「白菊」。夜空に白一色のきれいな円を描き静かに消えていく様には涙がこぼれました。

長岡花火は空襲で亡くなった人への慰霊・鎮魂の花火です。一日の蒸し暑い日が終わりに近づき、薄くくれ始めた夜空に向け、女性のアナウンスが響きわたります。「平和への祈りと戦災殉職者への慰霊をこめてお送りします。」

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食べていた「花火弁当」とお米の里・長岡のお酒スパークリングワインを飲み終え静かに迎えます。

『打ち上げ、開始でございます』

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「ドン、ヒュー、バーン
 
花火音がゆっくりと、ゆっくりと、静かに鳴った。
花火玉が炸裂する音とともに、白い花弁が飛び出し、白い尾を引く。
空に咲いた一輪の白い花は、ふんわりとしていて、やわらかいで、丸くて、清楚な印象すら残す。
一発目の後、間をあけて、もう一輪の花が咲く。

ドン、ヒュー、バーン。

観客は歓声をあげることはない。胸の前で手を合わせて、まるでじっと見守るように、空を見上げる。」
                                  
山崎まゆみ「白菊」より

この「白菊」は伝説の花火師の生涯をたどり、感動の真実にせまるノンフィクションです。

この花火大会は毎年8月2日、3日の2日間開催され、2日間で2万発が咲きます。全国各地からバスを仕立てて見学に訪れ、市内は大混雑になり、車は全く動かなくなります。訪れる人は30万人近くとか。朝から桟敷席を取る人、信濃川の土手沿いに観覧席が用意されるも全くたりません。ビルの屋上や家の屋根、路地に座る人・人・人。

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正三尺玉花火は直径90センチメートル、重さ300キロ。巨玉が上空に打ち上げられるのは1日2発、2日間で4発です。そして「ナイアガラ」信濃川に架かる長生橋と大手大橋延長650メートルの花火はナイアガラの滝を再現しています。

復興祈願花火「フェニックス」は平成16年10月23日に発生した中越大震災からの復興への祈りを込めて空高く上がります。

シンセサイザーの曲にのり軽やかに打ち上げられる花火。

そんな長岡花火を「裸の大将」の愛称で知られる放浪の画家・山下清が1950年に「長岡花火」と題して貼り絵で描いています。河川敷に座る人は小さく、そして繊細に描かれています。花火は大きく咲いています。川面に映る花火の色の美しいこと。山下清はどんな思いでこの花火を見たのでしょうか。

慰霊と平和への願いを込めて打ち上げられる花火。

私は1943年11月20日生まれ。下町の亀戸の我が家も空襲で全てを失いました。全国で尊い命が奪われました。戦争はぜったいにあってはなりません。

今回、私はお弁当・送迎バスがある宿に泊まることができました。1年前から計画し、この花火を通し、平和への祈りを捧げることに感謝した花火大会でした。

帰りのバスから漆黒の闇の空に星が輝いていました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

夕暮れの美術館

ラジオの収録、打ち合わせなど東京での仕事を終え、ホッと一息。そういうときには東京駅近くの美術館へ。そして、観終わったあとのカフェでの白ワインを一杯・・・至福のひとときです。

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三菱一号館では 「"狂ってたのは、俺か、時代か?"画鬼暁斎展」が開催されています。

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831-1889)は幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じてその正統的な修業後、幕末には「画鬼」とよばれたそうです。

そして、今回大変興味深かったのは三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)との交流でした。暁斎に弟子入りして絵を学び、師の作品を広く海外に紹介したこと。日本文化をこよなく愛し、日本人の女性と結婚し、そしてその師弟愛。コンドルと暁斎の親密な交流がみられる「暁斎画日記」コンドルが旅先で絵を描く暁斎を写生した作品も素晴らしいです。

100年ぶりにメトロポリタン美術館が所蔵する暁斎の水墨画が里帰りしました。

個人的には暁斎がコンドルに贈った「大和美人図屏風」(京都国立博物館寄託)が好きです。閉館も近かったので早足になりましたが、やはりこの絵の前で見入っていた若い外国の人もいました。

『画鬼』といわれた河鍋暁斎。正直あまり全貌は知りませんでしたが、今回の展覧会で理解できました。

この美術館の展示室は、明治期のオフイスビルが復元されているため、小さな展示室が連なり、作品との距離が近くじっくり向き合えるのが嬉しいです。

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陽の落ちかけた夕暮れどき、仕事帰りの出逢いの場、美術館。
建物に刻まれた歴史を愉しみながらの一杯の白ワインは人生の幸せを感じさせてくれます。

丸の内を歩きながら東京駅へと向かいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『思うこと』

先日、スタジオジブリから原稿依頼がありました。
小冊子『熱風』の8月号です。

ご存知のようにスタジオジブリはアニメーションの制作会社で、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」など数々の名作を生みだしている制作会社です。

アニメーション以外にも出版も手がけておられます。『熱風』は「スタジオジブリの好奇心」というキャッチフレーズのもと、毎月書店などに配布している非売品です。

今回の特集は「木の家を愛する者として」です。
皆さまご存知でしたか?
「省エネ法」の義務化により、2020年から「昔ながらの日本の木の家」が建てられなくなってしまうそうです。私は知りませんでした。

省エネ法・・・とは
省エネを推進ということで一般家庭でも2020年から、北海道から沖縄まで「冬は暖房を20度以上、夏は冷房を27度以下」に保てる建築にしなければならなくなり、かかるエネルギー消費量(冷暖房、換気、給油、照明)の上限数値も決められており、基本的には断熱材を完全に入れた建物にした上で、消費電力の少ない新しい省エネルギー対策済み家電(エコ家電)を導入しなければ数値はクリアできなくなってしまうのだそうです。

つまり薪ストーブやこたつ、扇風機などは「省エネルギー対策効果の良くない設備」ということになるそうなのです。断熱材が入らない土壁や真壁、ガラス戸の縁側と障子など昔ながらの日本の家の作りは「省エネルギー対策がされていない建築」としてマイナス判定となり、国が決めた数値をクリアできません。

もちろん省エネへの取り組みはとても大切なのですが、数奇屋造り、土壁、昔ながらの古民家など、日本の伝統的な家作りができなくなってしまう・・・ということだそうです。

信じられません。

日本の景色や建築技術の伝承も変えてしまいかねないのです。

私は「趣のある美しい街並みをつくるのは伝統の力と人々の熱意」だと思っております。

図書館で、柳宗悦先生の本に巡り合い、民藝という美の世界を10代で知り、以来、今まで50年、日本全国様々な町や村をお訪ねしてきました。

日本が高度成長期、私が旅していたころ、古いものは価値がなく、新しいものがよしとされた時代。地方では何百年も人々の暮らしを守ってきた古民家が壊されていった時代でもありました。

ダムの底に沈んだ村もありました。

ようやく日本が、まさにジブリが描いてきた「美しい日本の風景・暮らし」が大切だということで見直されつつある時代、このような法律が成立しようとしているのです。

日本の風土にあった伝統的、あるいは歴史的な家が今後、作れなくなってしまう可能性があるということを知り、胸が痛くなりました。

『家はもっとも大きな民藝』。人々の暮らしの在り方を物語る、私たちの文化の基本です。もちろん、それぞれの暮らしのあり方は様々です。でも、ヨーロッパなどに行くと古き良きものは大切な財産・・・自分たちの手で修理し、壁を塗り、補修しながら暮らしています。美しい景観が保全されています。

最近は海外からの観光客も増えています。
観光地だけではなく、日本の里山に人気が出始めました。

"え、こんなところにも外国の人が"・・・という光景にも出会います。それは、私たち日本人にとっても「心のふるさと」のような場所です。

「国が数値を決め、日本の風景が大きく変わろうとしています」

文化を一度断ち切ってしまうということは、それを作ったり修復したりする技術も手放すことでもあります。

2015年8月10日配布の『熱風』8月号をご覧ください。
そして、このブログをご覧くださっている皆さまのご意見もお聞かせください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (5) | トラックバック (0)

ミュシャとラリック

盛夏
本格的な夏の暑さがやってきます。

ここ箱根は爽やかな風が心地よいです。

先日、あまりにも気持ちよい午後、仙石原にあるラリック美術館まで行ってまいりました。

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我が家からは、バスで小涌園で「観光施設めぐりバス」に乗り換え、強羅駅を出ると、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けると美術館がいくつもあります。
ポーラ美術館。ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアム、そしてラリック美術館。40年前に箱根に居を定めたときから、折りに触れ、訪ねたのが美術館です。

もちろん美しい風景、そして温泉地の温かなホスピタリティー、ホテルのラウンジでいただく一杯のコーヒー。毎日この幸せを実感しながら暮らしております。

7月14日はフランス革命の記念日。
日本では「巴里祭り」と呼びますね。かの有名な王妃マリーアントワネットも処刑されました。市民は、王や貴族による圧政から自由を獲得しました。

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時代は1860年。ミュシャとラリックは同じ年に誕生しました。

ミュシャは自然豊かなチェコ南部の村。ラリックはフランスのシャンパーニュ地方の村に誕生しました。今回の展覧会は開館10周年を記念しての世界初の2人の企画展です。2つの才能が箱根で出逢うのです。二人とも長い下積み生活を経て一代で名声を得ます。

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出典:箱根ラリック美術館

アール・ヌーヴォーの時代だけではなく、その後も活躍し続けるのですが、共通するのは二人とも大女優サラ・ベルナールにその才能を見出されます。ラリックは、ジュェリー制作から、ガラス工芸家。ミュシャはポスターのデザインから、祖国のための絵画制作へと。今回の展覧会ではそうした時代背景のもと、根底には『芸術で人々の心や生活を豊かにしたい』との想いが共通しています。

私はこの二人を比べてみたことがなかったし、その精神性にまでは思いがいたりませんでした。

素晴らしい企画展です。

「遠国のパリで輝いたユリの冠 百二十年の時を経て、いま箱根に」とあります。これは19世紀末のパリで、異なる分野で活躍していたふたりが、世紀の大女優サラ・ベルナールのために共同制作した唯一の作品です。秘められたストーリーもよく理解できます。

午後の木漏れ日を感じながらのラリック美術館。
お時間があったら、お薦めの展覧会です。

そのあとのカフェでのティータイム、もしくは遅めのランチもお薦めです。

2015年12月13日(日)まで
箱根ラリック美術館:公式サイト

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

農村女性たちと、青森・岩手への旅

「ハッピースマイル川村綾子さんをお訪ねする会」

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「これからの農村を担うのは女性ではないかしら」と思ったのは30年ほど前のことです。「民藝」の故郷を訪ね、美しい農村風景や日々、日常に使う道具類を見たくての旅でした。

勝手口から「こんにちは~」と訪ね、時にはお宅に泊めていただいたこともありました。桑の木を植え、繭を育て、さらにはその絹糸で美しい紬を織り上げている女性。山からつんできた素材を丹念に処理し、手間ひまかけて、美しい食べ物に作り上げ、素材のよさを生かした味わいにする女性。伝統食の掘り起こしを一生懸命にしていた女性たち。その素晴らしさに感動を覚えました。

こうして生み出されたものが商品となり、地域経済にとって重要な地場産業となり、農村を活性化させてきた女性たち。そうした彼女たちの知恵と工夫が、地方の新しい活力になっているのです。

なによりも、形がそろわない、曲がったもの、熟しかけたもの、加工すれば美味しい餅や味噌になり、ジャムになり捨てていたものが生かされます。
個人の収入は、その女性の口座に振り込まれます。

「女性の力を見直し、光をあてる」

私が農村女性とのかかわりのはじまりでした。「食アメニティー」を立ち上げ、国の協力のもとに「食アメニティーコンテスト」事業の開始やヨーロッパへの「グリーンツーリズム」の研修旅行にも行ってまいりました。

『自分の預金口座を持ちたい』
『自分たちの手で、自由に売れる店がほしい』
『お客さんと直接話をして触れ合いたい』

そんな声をたくさん聞いた時代でした。

今では当たり前のような6次産業化や地産地消。そんなことを全国の「農・食」に関わる生産者、生活普及員の方々、また応援団の方々と共に目指してきました。この20年、旅を通して深い絆で結ばれた仲間たちです。同志です。

世の中の流れが確実にその方向に進んできたので「食アメ・ネットワーク」の会も一応幕を閉じました。でも、その深い絆は「ハッピースマイル・80歳を越えた女性たちを訪ねる」という目的で続いています。今回は、熊本・長野に続き、青森の川村さんをお訪ねしてきました。

農家の嫁として大変なご苦労があったはずです。

82歳の川村さんは元気溌剌、現在は福祉分野で活動されています。
「いつもこころに太陽を・農村で働く女性たちへ」を読ませていただきました。「名川チェリーセンターー101人会」を発足させ、食と関わり、軌道にのせ「自分の口座」を持ち「女性たちが変わった」とおっしゃる川村さん。数々の賞も受賞しました。

後進に道をゆずり、会長である最後の日、トラックの助手席に乗り込むと、ご主人がにこっと笑顔で「ご苦労さんだったね。がんばったね。」と労ってくださり、目から涙があふれでたそうです。

こうして、日本の農業を陰で支え日本の農業の今日があるのです。
お金だけのためではないのです。
子や孫たちの世代へ何を引き継いでいくべきか・・・。

今回の旅では「さくらんぼの摘み取り」、「小岩井農場見学」、「盛岡冷麺の麺打ち体験」など、楽しみながら学びの場でもありました。さくらんぼの種類の豊富さ、ご苦労・・・など。

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そして、私は初めての"小岩井農場めぐり"でそのあゆみを知りました。不毛の原野を創始者たちは土壌改良し、林業・酪農、一世紀以上のたゆまぬ努力が今日の小岩井農場なのですね。

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今回も仲間たちと素晴らしい旅ができました。
さらに絆が深くなりました。

70歳を過ぎた私にこれから何ができるでしょうか・・・。
「農の国・美しい日本」は守っていきたいと思いました。
そして、若者たちにそんな日本を手渡していきたいと思いました。

皆さん、ありがとございました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

長野・安楽寺での講演

長野県駒ヶ根市上穂栄町にある「安楽寺」で第35回安楽寺佛教講演会に招かれ伺ってまいりました。中央線あずさ号に乗り、茅野で下車。ご住職が駅にお迎えくださいました。車で約1時間。

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前泊し、まずお寺の本堂でお参りをさせていただき、お寺の歴史や本堂壁画を拝見いたしました。12枚の釈尊の生誕から涅槃に至る生涯が描かれており、それは素晴らしい壁画でした。

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ご住職とお話をさせていただくと同じ時代、私は20代~30代にかけてインド北部、お釈迦さまの歩かれた道、悟りを開かれた場所などを10年間、毎年1月下旬の乾季に訪ねていたのですが、ご住職も歩かれ、最近、21年ぶりにいらしたとのこと。

カルカッタ美術館はもちろん、列車を乗り継ぎ土ぼこりにまみれ歩いた地方の小さな美術館など。ガンダーラの仏に感動し、川で身体を洗い、最終バスが来なくてトラックの荷台に乗り街へと戻ってきたこともありました。

「今は昔ほど治安がよいとはいえませんが・・・。」とのこと。
青春時代のよい思い出です。

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当日、本堂には400名ちかくの方々がお集まりくださり『逢えてよかった』というテーマでお話させていただきました。少し先輩の年代、同世代、少し下の方。「かまどでご飯を炊いた経験」のある方々です。

「逢えてよかった」 
私はこのことばが大好きです。

ある時、富山県、宇奈月の手前、裏山という町にある善功寺というお寺の住職さん一家を訪ねたときのことです。無人駅の裏山に5歳の友人の息子さんが、私を向かえに着てくれました。

雪山さんご一家です。
ご主人の雪山さんは以前、新聞記者をなさっていたかたで、私がギリシャでの仕事のときに同行してくださった記者さん、というのが最初の出逢いでした。以来、お寺にはいられてからも今度は家族ぐるみのお付き合いをしていただきました。

コンニチハ、とぺこんと頭を下げて、ちゃんと先に立って私をお寺まで案内してくれます。200メートルくらいなのですが、5歳の坊やがエスコートしてくるのはうれしいことです。

食卓でごはんを食べているとき5歳の坊やがききました。

この中でいちばん先にうまれたのはだあれ
おじいちゃんよ

その次は?
おばあちゃんよ

そのつぎは?
お父さんよ

その次は?
お母さんよ

その次は?
お姉さんよ

その次は?
お兄ちゃんよ

5歳の坊や期待に目を輝かせ
その次は?

ボクよ
みんな、逢えてよかったね。

私はぼろぼろ涙を落としてしまいました。

『みんな逢えてよかったね。』

あれから30年の月日が流れました。
友人の雪山さんは若くして亡くなりました。
いつか、人は別れがきます。
そして、立派に成長されたお子さまがた。

私は、いつもその言葉を、詩のように思い起こすのです。子どものことで悩んだり、育児がうまくいかなかったりした昔。家族関係がちょっとばかりギクシャクしたときなど。

私の子ども時代、物はなかったけれど心は豊かだった・・・ことや、バスの車掌時代、油でまみれた作業着を着て家路に着く人たち、終バスではこっくり・こっくり居眠りをしていましたっけ。そして皆なさんの命をあずかる運転手さん。
みんな働く仲間、同志のような存在でした。

本堂の仏さま。
お釈迦さまの壁画。

静謐な空間の中で心がみなさんとひとつになったような気がいたしました。
皆さんに「逢えてよかった」
ありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

10日間のイギリスの旅

この季節のイギリスはバラが満開です。

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古きよきものを守る頑なまでの保守性。
ビートルズに代表される音楽。
斬新な発想はいつきてもこの国の魅力です。
交通がどんなに渋滞していても、辛抱強く待つ忍耐力。
きっと波乱にみちた歴史がこのような人間性を生みだすのかしら・・・と思いました。

10代の頃からイギリスを、とくに田舎を歩き、ブラック&ホワイトの木組みの家は、箱根の我が家「やまぼうし」にも大きな影響を与えてくれました。

今回の旅の目的のひとつに、美しい季節の田園風景に出会い、その美しさを思う存分味わいたいという気持ちがありました。村や街は丘陵地帯に点在しています。イギリス人が『心の故郷』と呼ぶエリアのひとつにコッツウォルズ地方があります。ロンドンから西へ約200km。オックスフォード郊外から始まり西端はチェルトナム。

美術工芸デザイナーのウィリアム・モリスが"イギリスで一番美しい村・ハイブリー"だと語っています。

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清らかな流れに沿って並ぶ家々。水鳥が遊ぶ清流。花々に彩られた石造りの家。何だか、時がとまったような風景です。森と牧草地の緑に囲まれた村々はどこもため息がこぼれ、イギリスのカントリーサイドの美しさを思う存分味わえました。

そして、かつて羊毛産業で栄えた美しい街バースへ。娘が嬉しいサプライズ!私の大好きなベアーとの出会いをセッティングしてくれ専門ショップへ。
出逢えました、可愛いベアーちゃんに。
箱根の我が家に一緒に帰りましょ。

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アンティークに囲まれた小さなホテルでの昼食はやはりラム料理。

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そして、娘のショップ"フローラル"の買い付けでアンティークフェアが開催されているニューアークへ。途中リンカーンの街に寄り道。この街のリンカーン大聖堂の(夕方なので中には入れませんでしたが)周りを散策いたしました。周辺の家々の庭も手入れされ、花々が綺麗です。

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さぁ~、いよいよアンティークフェア会場です。
早朝から初日は開場前からぎっしりの人が並びます。私もアンティークが好きですが、このようなフェアには中々来られないので、もう夢中になってしまいました。

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ヴィクトリア時代の陶器、ガラス、古い刺繍の布、その他あらゆるものが並びます。このフェアには国内はもちろん、海外からも買い付けや、個人のアンティークファンもみえます。

歩き疲れてカフェでひと休み。
真夏日のような陽射し、青空が拡がり美しい雲。日陰の風は爽やかな涼気を運んでくれます。

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2日間のフェア終了後、ロンドンへ戻る途中で2つ目の私の目的「古いレンガ探し」。広いスペースの広場、倉庫にはレンガ・レンガ・レンガ。歴史のある国ですから想像はしておりましたが、けた外れの量です。地域、年代別、形・・・と最初はその量に圧倒されましたが、目がなれてくると、それぞれの表情があり楽しくなってしまいます。

日本の家屋にも合う、特に古い我が家の民家に合いそうなレンガ探し。見つかりました!約150年前のレンガです。我が家とほぼ同じ年代のレンガはシックで落ち着いています。我が家の庭の隅の小さなスペースにこのレンガを使いたいと思います。イギリスの田舎家と日本の古民家、どちらも違和感なくしっくりきます。

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翌日は私がぜひ行きたかったレストラン「ピーター・シャムナーサリー」ヘ。ロンドン郊外にあり、温室を改装したり、温室そのままだったり、足元は土のままです。

花の鉢植えやガーディニンググッズも売っているショップがあります。
私は美しい本を見つけました。"イングリッシュローズ"の本です。

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このレストランは以前、今は亡き友人、天沼寿子(ひさこ)さんに始めて連れてきていただいた思い出のレストランです。そのときの感動が忘れられません。

バラの花ビラを浮かせたシャンパンで彼女と乾杯!
"貴女とまたここを訪れたかった"  
料理は平目のムニエル・フレッシュトマトとオリーブ添え。

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この旅の最後はライの街へ。
その前にロンドンのコロンビア・フラワーマーケットへ。
早起きをしたので朝食はマーケット近くのカフェで。せっかくなのでベーシックなイングリッシュブレックファースト。(でもかなりのボリュームです)

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男性が新聞紙に包まれた花を手にしている姿はカッコイイですし、道行く人々が花を抱いて家路につく姿は幸せそうです。バラ、ピオ二ー、アジサイの鉢植えやサボテンなど、市場は活気にあふれていて私まで幸せのおすそ分け。

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今回の旅はレンタカーを借りて娘の運転での旅です。

午後からはロンドンから南へ約200km南下してライの街へ。
石畳の坂道と中世の家並み。丘の教会を取りかこむように白壁に黒い木組みの家やレンガの家がぎっしり並んでいます。可愛いアンティークショップもたくさんあり、ついつい覗いてしまいます。

このライの街は12世紀には交易のために良港として発展してきました。宿泊するB&Bは手入れされた美しい庭、馬が放牧されているのどかさ。部屋はブルーを基調に可愛らしいです。これまでもイギリスではこうしたB&Bに泊まっておりますが、だいたい朝食付きで2人90ポンド。
(18,000円くらいです)

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ライの街に住む素敵な夫人アン・リンガードさんにお会いするために来ました。夫人も亡き友人のご紹介です。夫人はもと大きなアンティークショップのオーナーで今はリタイアされておられますが、娘のために1年かけてアンティークを集めてくださっています。80歳代の夫人は愛らしい手入れの行き届いた家にひとり暮らし。背筋ののびた生き方に学びます。そう・・・こうして私のこれからの歩む道の足もとを照らしてくださるのですね。

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今は亡き友人の三回忌を終えて、こうして思い出の地、イギリスを訪ね、友情に深く感謝した旅でもありました。

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イギリスへの旅

イギリスの旅に出かけております。

バラのもっとも美しいこの季節、コッツウォルズからリンカーン、ポートベロー、ライの街など田舎を周っております。

今回の旅は鎌倉の娘のアンティークショップ"フローラル"のお店の買い付けに便乗です。

イギリスはグリーンツーリズムの研修で農村女性たち30名ほどで13年間視察で周り、田舎の美しさを勉強しながら堪能いたしましたし、折にふれ訪ねる場所です。

そして、古き良きものを大切に大切に使うイギリス人の暮らしが見えてくるマーケット巡りは至福の旅でもあります。

写真は今は亡き、親友だった「デポ39」のオーナーでありアンティークの世界を世に広めてくださった天沼寿子さんと2010年7月にご一緒に旅したときのものです。

「レナさんがショップをするのなら、私がイギリスを案内してあげる」そうおっしゃって彼女に様々なことを教えてくださいました。

私の楽しみはシャンパンを飲みながら農園のカフェでのランチやおしゃべり・・・もういらっしゃらないのね・・・寿子さんは。

旅のご報告は次回のブログをご覧ください。

そして、多分"フローラル"のダイアリーは随時更新されると思いますのでご覧くださいませ。

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山のホテル

ひとりで過ごす静か時間。

青葉を渡る風に、湖面を渡る風に心地よい5月。

40年前に箱根に居をさだめたときから、折に触れ、「山のホテル」を利用させてもらいました。子供たちを小学校や幼稚園に送り出してから仕事に出るまでのわずかな時間に、富士山を望みながら、お茶をいただき、心をリフレッシュしたこともありました。

先日、「山のホテル」がリニューアルしたというので、家から30分ほどテクテク歩いて行ってまいりました。

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杉並木を歩いていると、樹木からは、フィ一トンチッドという芳香成分が発散されるそうですね。この緑豊かな場所を歩いていると森林浴をしているようで、心が安らぎます。

もとは岩崎小彌太男爵の別邸だった山のホテル。長い歴史と伝統、そのホスピタリティが息づいているのでしょう。いつ行っても、すぐに素の自分にもどれるような寛ぎを感じさせてくれます。

子どもたちが大きくなってからは新緑、ツツジ、シャクナゲ、バラ、紅葉など、四季折々美しい姿を見せてくれる見事な庭園を歩くことが増えました。丘陵の特性を生かして造られたホテルの庭園は、旧岩崎邸時代から引き継いだものだとか。芦ノ湖や富士山と庭のコントラストが本当に美しいのです。今の季節はツツジ、シャクナゲが満開です。

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歩いて植物をより身近に感じてもらいたいと、今回のリニューアルでは、園路がよりなめらかになり、階段だったところがスロープに変わり、さらに歩きやすくなっていました。

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ラウンジでの一杯のコーヒーをしみじみいただき、こうして過ごすひとりの時間、自分が活性化していくのがわかります。心を癒し、慰め、そしてそっと背中を押してくれる・・・

私のとっておきの「山のホテル」にいらっしゃいませんか。美しい風景と温かなホスピタリティの中で過ごす時間をぜひゆっくり味わってください。

「箱根やまぼうし」では5月は素敵な展覧会やイベントをご用意して皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

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沖縄への旅

 『ジョイネス沖縄創立5周年記念チャリティー』イベントに招かれ沖縄に3泊4日で行ってまいりました。

"暮らしを愉しむ~食・飾・職~"がメイーンテーマです。

『ジョイネス』は「エンジョイ(楽しむ)とジョイフル(嬉しい、喜ばしい)と「ネクセリー(必要)」の合成語です。

ジョイネス沖縄とは、年齢性別問わず、地域社会のニーズに関心のあるメンバーで構成されているボランティア団体です。ソロプチミストやベンチャークラブなど地域で素晴らしい活動をなさっておられる方々とのお付き合いも27年がたちます。その方たちもジョイネスのメンバーです。伺うたびに思うのですが、皆さんボランティアを気負わず楽しんでなさっておられる姿には頭が下がります。

誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える・・・80代の方もお元気に参加なさっておられます。

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"うりずん"(爽やかな風)のこの季節、飛行場から真っ先に行く場所、それは公設市場です。エネルギー溢れる市場のおばちゃんたちが"また来たの~"と迎えてくれます。この匂い、言葉、笑顔・・・。美しい色の魚、豚、など等。ユンタク(おしゃべりすること)しながらの至福の時間です。

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは、昭和37年、まだパスポートがいる時代でした。中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は、先生が著書の中で琉球文化と工芸品の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。

この地に最初に降り立った日のことを、私は忘れることができません。苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていたのです。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動を覚えました。

それ以降、何度も何度も、通わせていただいています。そして、気がつくと、いつしか沖縄にすっかり魅了され、心許せる友人にもめぐり会い、沖縄は私の第二の故郷とも思う地になっていました。

工芸品の中で、強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて、穴すれすれに水をいれても、水はこぼれないのに、それ以上いれてしまうと、1滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗です。

人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目、医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのだと思います。やがて、沖縄を深く知るにつれ、八分目という考え方が、暮らしのすみずみにまで彩られていることに気がつきました。

身の丈を知り、八分目を良しとし、他者も生かす、共生共栄の考え方がここにはある・・・と思いました。

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市場を出て、"やむちん通り"の壷屋焼物博物館へと向かいます。(写真撮影可)民藝運動の柳宗悦、浜田庄司、芹澤銈介など、大きな影響を受けた壷屋焼きです。人が手を使い、火を使い、自然を素材として作り続けてきた"やきもの"(現在は都市化のために工房は読谷村に移っています)

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スージグワー(路地)には緑が輝き、うりずんの風が抜け、ゲットウの花がいい香り。

そして本番の日は大木綾子さんのコーディネートによるテーブルウエア展。やはりゲットウの花に迎えられ素敵な「おもてなし」全て沖縄の工芸品です。

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私もお話をさせていただきました。
会場いっぱいのお客さま。笑顔・笑顔・笑顔。本当にすてきな笑顔です。

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1階では会員の方、また大勢のかたによる販売ブースも出て大賑わいでした。皆さま"お疲れさまでした"

今回も沖縄料理を堪能いたしました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

鎌倉路地フェスタ

風薫る素敵な季節になりましたね。
ゴールデンウイーク、皆さまは何処か旅をなさるのでしょうか。

私は初夏を思わせる一日、鎌倉まで行ってまいりました。
鎌倉路地フェスタ」が4月25日から5月5日まで開催されています。

鎌倉駅周辺から小町~二階堂~浄妙寺をつなぐ、路地の魅力を再発見しながらの路地散策をし、素敵なショップを覗きながらスタンプラリー。以前も書きました娘のショップ「フローラル」も参加しております。

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アートスペース、漆芸を扱うお店、可愛らしい小物やさん、手づくりショップや、カフェ、和食屋さん、鎌倉を拠点に活動する劇団のお芝居、アーティストのパフォーマンス・・・など等。古くて素敵なお屋敷の庭を見ながらの散策は楽しかったです。花が咲き、小鳥の囀り、心がはずみます。

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歩きつかれてカフェに入り、ワインをのみながら"春の暮"一日が終わろうとする夕暮れのワインは格別です。そこへ「ねり歩き隊」が楽器を奏でて通ります。

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こうして小さな旅は終わりました。
夜は娘と私の大好きなカジュアルレストランで、ピザ・グリルソーセージ、そして緑の濃いサラダ・・・もちろん赤ワインも一杯。鎌倉駅からも歩いて4,5分。お庭があり緑に包まれての食事は気持ちよく美味しいです。

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路地フェスタの公式マップは鎌倉駅東口の観光案内所に置いてあります。
ゴールデンウイーク、旅の計画のない方、ブラっと小さな旅はいかがでしょうか。

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パプーシャの黒い瞳

岩波ホールで観た映画『パプーシャの黒い瞳』(ポーランド)。

ロマの女性詩人・・・。放浪の民、ロマ族は文字を持たない民族です。迫害にあい悲劇的な人生を歩むのですが、この映画を観終わったときの感想をどう表現すればよいのでしょうか。モノクロームの映像は上空から幌馬車の隊列や、深い森を俯瞰で捉えていきます。"息をのむほどの美しさ"なんてことばで表してはいけないのでしょね・・・きっと。

実在の人物、ブロニスワヴァ・ヴァイス、愛称パプーシャの悲劇的な生涯が描かれています。

ロマ(ジプシー)の人々の世界を私はほとんど知りませんでした。大昔から迫害され続けている少数民族でロマ人は北インド出身で5世紀頃から放浪を始め、イラン、ピザンチン帝国を経て、ギリシャ、ヨーロッパで生活している人々。現在はほとんどが定住している。そして、優れた民族音楽の才能に秀でている。それくらいでしょうか、私の認識は。

今回この映画を見て初めてしりました。パプーシャの存在を。

解説
言葉を愛したがゆえに、一族の禁忌を破った女性がいた。書き文字を持たないジプシーの一族に生まれながら、幼い頃から、文学に惹かれ、言葉を愛し、こころの翼を広げ、詩を詠んだ少女ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)。

愛称は"パプーシャ"
ジプシーの言葉で"人形"という意味だ。彼女は成長し、やがてジプシー女性として初めての「詩人」となる。しかし、その天賦の才能は、ジプシーの社会に様々な波紋を呼び、彼女の人生を大きく変えることになった。

映画では激動のポーランド現代史と、実在したジプシー女性詩人パプーシャの生涯が描かれる。

はじめは目まぐるしく変わる時代背景に戸惑いを覚えますが、それも、パプーシャの口からこぼれる詩に映画の中へ中へと惹き込まれていきます。

「いつだって飢えて いつだって貧しくて
旅する道は 悲しみに満ちている
とがった石ころが はだしの足を刺す
弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる
すべてのジプシーよ 私のもとおいで
走っておいで 大きな焚き火が輝く森へ
すべてのものに 陽の光が降り注ぐ森へ
そして私の歌を歌おう  
あらゆる場所から ジプシーが集まってくる
私の言葉を聴き 私の言葉にこたえるために」

「父なる森よ 大いなる森よ
私を憐れみ 子宮を塞いでください」

15歳で結婚したパプーシャは夫を拒んだ。

絵画のように美しい映像。 民族音楽の旋律に・・・「終わらないで、もう少し観させて」と心の中でつぶやいていた私。

監督はポーランドを代表する映画監督で、これまで発表した映画全て国際映画祭で受賞している。今回は妻のヨハンナ・コス・クラウゼと共同で脚本・監督を務めた。彼女は昨年12月に61歳で亡くなりこれが遺作となりました。
監督がこのような言葉を残しています。

「この映画は伝記的作品ではありません。社会政治的な映画でも、民族学的な野心を持った映画でもありません。私たちは、創造することの勇気について、それに伴う孤独と痛みについて、さらに報われない愛情について、そして、人間の幸福について描いたのです」と。

ラストシーンは、幌馬車での一行の果てしない静かな歩み、最後の歌。モノクロームの美しい・美しいロングショットの映像。

しばらく席を立つことができませんでした。

あえて私は"ジプシー"と書きました。

現在も世界を震撼とさせている出来事が続き、流浪の民が生まれています。

"ことば"のもつ意味を、偏見について、考えさせられた映画でした。

☆1回目の(11時)上映も満席にちかかったです。

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桜七日

桜の盛りの短さを「桜七日」というのだそうですね。

花曇の一日、鎌倉に行ってきました。満開の桜は多少散っておりましたが、でも見たい!と思い出かけてきました。前回ご紹介したアンティークショップ「フローラル」は上の娘のショップです。

ね、聞いてください。私は人生始めて「人力車」に乗りました。鎌倉駅から程近くにある彼女のショップまでの30分、下の娘と彼女の愛犬ルビーと一緒に勇気を出して乗せていただきました。桜の綺麗な路地を走っていただきました。

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歩いて眺めるより多少高いので、花が手にとどきそうです。

四季とともに暮らしている私たち。
誰でも桜にはたくさんの思い出があるでしょう。私も全国各地でそれぞれの桜を愛でてまいりました。この歳になっても新たな感動を覚えます。

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そして、フローラルに着きました。
イギリスの田舎などを旅しておりますと、小さな街の片隅にあるアンティークショップに出会うともうだめです。ついつい長居をし、おしゃべりしながら手にはカップ&ソーサーを持っているのです。そういうショップはだいたい初老の美しいマダムがオーナーで店番をしています。黒のカシミアのセーターにパールのネックレス。「いいな~、いつか私もこんな人生を歩みたい・・・」何度思ったことでしょうか。残念ながらかないませんでしたが、娘がそんなショップをやっております。ですから暇があるとついつい出かけたくなるのですね、きっと。

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人力車を曳いてくれた青年は心美青年!でした。

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アニョーパスカル 復活祭のお菓子

鶴岡八幡宮からほど近く、静かな住宅街の中の小さなアンティークショップ・フローラルのブログで可愛らしいお菓子を見つけました。フランス・アルザス地方のイースターのお菓子です。

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イースターと言えば、うさぎや卵のモチーフだと思っていた私。

カトリックで、イエス・キリストが3日目に復活したことを祝う行事・イースター。旧約の時代、エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が、モーセに率いられてエジプトを脱出したとき、神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが、子羊の血を戸口に塗ったヘプライ人(ユダヤ)の家だけは過ぎ越したという故事に由来し「過ぎ越しの祭り」に羊がアルザス地方では定着したそうです。

アルザス地方では、この地方特産の陶器の型で焼かれ、粉砂糖をふられて、リボンをつけたなんとも素朴で可愛らしいお菓子です。私は息子達がアルザスの学校に通っていた時期があり何度も訪れているのですが、このイースターの時期には行っていなかったのですね。始めて知りました。

パティシエの田中玲子さんが焼いたこの御菓子、私もいただきました。素朴で優しい甘さ・・・美味しいです。

イースターは、毎年日付が変わる移動祝日で、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と決められているそうで、今年は、4月5日です。"宗教的に大切なお祝いの行事であるのと同時に、厳しい寒さに耐えた冬が終わり、草木が芽吹き、春がやってくることへの喜びと、命を慈しみ感謝を捧げる行事でもあるのではないでしょうか"(フローラルのブログより)

お花見を存分に楽しむ日々、命を慈しみ感謝する心は世界中変わりはありませんね

鎌倉FLORALのサイト
http://www.floral-antiques.jp/ 

パティシエ・田中玲子さんのサイト
http://www.patisserie-r.com/

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『インドの仏』

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上野の桜は三分咲きくらいでした。
東京国立博物館(表慶館)に特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏仏教美術の源流」を観にゆきました。

まるで"初恋のひと"に50年ぶりに出逢ったようなトキメキです。

私は20歳のころからインドに旅するようになりました。ガンダーラ美術の不思議な力に魅せられ、この美術が生まれた国を見てみたいというそれだけの理由で旅立ったのでした。スニーカーをはき、デイバックを背負い、簡易宿泊所のようなところに泊まり、ひたすら歩きました。

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現地の女性たちにまじってガンジス川で水浴びをし、川面を渡ってくる風に吹かれました。インドでは川にはすべてが委ねられていました。川は産湯であり、飲み水であり、体を清めるものであり、遺体や遺灰も川に流れ、自然に戻っていく・・・・・。

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頭上に広がる真っ青な空を感じながら、静寂に満ちた流れをみつめ、生きて今、自分がこうしてあることに感謝する気持ちがひたひたと心を満たすのを感じました。

インドの東の玄関口カルカッタ(コルカタ)当時の人口は約800万。失業者も多く道路整備も遅れ、雨季になると町中が水浸しになる(私の10年間の旅は乾季の1月がほとんどでした)しかし、そこには溢れるエネルギーを感じました。地面に吸いつくような力強さ、たくましさがありました。

私は鉄道、バスで地方の小さな美術館を訪ねることが多く言葉には困りました。英語はほとんど通じずヒンドゥ語しか読めない北インドの人たちも困るんです。

アープ カイセ ハイ (おはよう ナマステ)
ダンニャワード     (ありがとう)
ラーム ラーム     (さよなら)
ヤー アドヒク      (高すぎる)

とにかく50年ほど前のこと。農村部はのどかで治安も良く、最終のバスはいくら待っても現われずトラックの助手席に乗せてもらい埃まみれになりながら首都に戻ってきたこともありましたっけ。運転席にはヒンドゥ教の神さまがプロマイドのようにペタペタ飾ってあるのです。

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コルカタ・インド博物館には何度も何度も通いました。
インドの仏教美術は日本とは異なります。仏教を開いたブッダの生涯を知りたくて、北インドを何度も訪ねました。29歳で出家し、菩提樹の木の下で悟りを開き、教えを説き、80歳で没するまで、ガンジス川流域を旅し続けました。

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タージマハールで夜明けを待ったこともありました。紺、群青と空気の色が変わり、白い光と赤い光が空にさしこみ、白亜の建物がふっと浮かびあがりました。パタパタという鳥の羽ばたきがあたりから聞こえ、不意にその中にかすかな衣擦れの音も交じっていることに気づきました。目をこらすと、建物からまっすぐに伸びる水路のまわりを、色とりどりのサリーを着た女性たが10人ほど歩いていました。祈るように首をたれ、しずしずと歩みを進める姿は建物と一体となって見えました。

あれは夢だったかのか、幻だったのか。限りなく美しく厳かな光景に、地球と人の営みの神秘に肌が泡立つような気がしました。

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今回の展覧会では、紀元前2世紀から14世紀の長い期間の仏教美術を観ることができます。私が10代で感動した、ガンダーラでつくられたもの、豊潤で彫りの深い顔立ち、優しさに満ちた仏から、入り口正面に佇む「仏立像」5世紀ごろサルナートでつくられたこの仏にはときめきます。各時代で大きく変化していく「インドの仏」をたっぷり観ることができます。

 インドでは13世紀ころに消滅した仏教美術がアジアに広まり、これから日本の仏像を見るときに今回の展覧会で観た『生命感に宿る美意識』(日本経済新聞)を肌で感じ取ることができます。

ブッダの姿が目に焼きつき、50年前の青春時代の自分自身とも出会え、至福のときでした。
5月17日まで。


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ヴィラデストへの小さな旅

日ましに春めくこの頃ですが、我が家の庭は落ち葉の中からクロッカスやスミレが可憐に顔を出し、もうしばらくしたら山桜も咲き本格的な春の到来です。

長野県東御市(とうみし)在住の玉村豊男・抄恵子さん。
「ヴィラデスト」と名づけた農園のオーナー。

その農園では洋野菜、ハーブなど栽培しレストランでいただく料理の野菜はほとんど自家製。2004年には「ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリー」も開設し、いまでは周りの農園でもワイン用ブドウの栽培が盛んに行なわれております。「豊男さん、抄恵子さんに逢いたいな~」と思い、上田まで出かけてきました。

上田から10分も車を走らせるとイタリアやフランスの田舎道のような、ブドウ、クルミの樹々が春を待ちわびています。抄恵子さんに上田の駅にお迎えをいただき、車中これまでのつもる話をしていると、アッというまに到着。

ご夫妻とは旅仲間です。上海、タイ、サンタフェ・・・たくさんの旅をご一緒させていただいてきました。飲み、食べ、笑って・・・とにかく楽しいのです、ご一緒にいることが。

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2年ぶりにお邪魔させていただきました。前回は初夏だったのでガーデン一面に花が咲き、それはそれは美しく、さり気なく咲いているようで、実は庭作りの大変さはよく分かります。ナチュラルガーデンのように自然の中に自生しているように、さり気なく、でも計算された庭。花・・・・・花の世界がどれほど深遠か、神秘的か。春を待ち温室に咲くミモザやクリスマスローズはレストランのテーブルに幸せをはこんでくれます。

エッセイスト、画家、農園主、ワイナリーオーナーの豊男さんがみずからお客さまをもてなし、抄恵子さんがマダムとして店内のお客さま、スタッフとの心配りなど素敵なカップルです。

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その日のランチコースメニュー(3,600円)

野菜づくし「春のヴィラデスト」
地元産の野菜のさまざまに黒酢のドレッシング。

鮮魚のポワレ 海老とレモングラスのスープ仕立て。

鮮魚の皮をパリっと焼き、海老の風味とレモングラスの香りを
生かした軽やかなスープ

メレンゲの中のアイスクリーム

すべて地元長野県産の食材にこだわっておられます。
ワインは一杯だけ!  
カフェからの景色もご馳走です。

帰りは「ヴィラデスト・プリマべーラ・メルロー2012」を抱えて帰ってきました。まだ雪を頂いた鳥帽子岳がいつまでも見送ってくれました。

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豊男さん 抄恵子さん、そして美味しいお料理を作ってくださったスタッフの方々「ありがとうございました」

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『愛して飲んで歌って』

昨年91歳で亡くなったアラン・レネ監督の遺作。
愛して飲んで歌って』を岩波ホールに観に行ってまいりました。

世を去る前月のベルリン国際映画祭コンベンション部門に出品されアルフレット・バウアー賞を受賞しています。この賞は新しい視野を開いた映画に贈られる賞。

90歳で監督したこの映画。ちょっと意地悪な人間観察に素敵なユーモア、カラフルで大胆な演劇風のセット。舞台はヨークシャー郊外。ある春の日、ジョルジュ・ライリーという高校教師が末期がんで余命わずか、ということが判明した時から、彼をめぐって3組の男女の物語が始まります。

その昔、「去年マリエンバードで」を観たときは難解でちょっと戸惑った私。今回はレネの遺作だから・・・と思い観にいったら肩透かしをくわされたような軽やかな喜劇。物語の世界は実写で映しだされ、次ぎにイラスト、次ぎは舞台のような書き割りを大胆に使い、舞台空間へと観るものを誘う・・・。ここまで読んで皆さん、この映画のイメージってわきます?ただただレネのしなやかな感性に感嘆し、90歳にして監督は何を観客に伝えようとしたのか・・・

プログラムを読んでいたら翻訳者の南 弓さんが書いておられます。
「この映画が単なる軽いコメディに終わらないのは、うわべの陽気さの陰に、人生の甘くはない真実や過去へのノスタルジー、果たせなかった夢への思いが見え隠れするからだ、理想や情熱を捨て、現実と折り合って生きていく・・・それは誰でも身に覚えがあることだろう。それでも人生には喜びがあるということも、この映画は教えてくれる」と。

そうですよね、人間がもっている嫉妬、滑稽さ、ずるさ、そしてなによりも愛おしさ。『人生っていろいろあっても喜びがある』ことを教えてくれます。
映画ですからストーリーは詳しくは書きません。"ラストシーン"をお見逃しなく。

神保町の岩波ホール、朝の1回目でしたがほぼ満席。中高年の方々が、きっとレネ監督フアンなのでしょうね、エレベーターの中で首をかしげる人、満面の笑みを浮かべるご夫人、私は映画館を出てスキップしたくなるような気分で地下鉄に乗り、三越前で乗り換えの時に遅いランチを「白ワインとニース風サラダ」で乾杯しました。

レネは次回作も準備していたそうですよ、90歳にして。なんて素敵なの。素晴らしい人生に幕を下ろしたアラン・レネ監督に感謝いたします。
原作は、レネの大好きな英国の劇作家アラン・エイクボーーンの戯曲です。

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公式サイト http://crest-inter.co.jp/aishite/index.php

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『冬・山陰への旅』

前回のブログで酒井順子さんの著書「裏が、幸せ。」をご紹介いたしました。「日本の大切なものは日本海側にこそ存在する」とありました。

「あ~行きたいな、日本海へ」

子どもたちが独立し、家族のために食事を作ることから解放され、仕事が終わるやいなや、あわてて家にトンボ返りする必要もなくなりました。

出雲大社や伊勢神宮にも毎年、お伺いできるようになりました。山陰の冬のイメージは、日本海の荒海、雪深い里山、厳しさがまず思い浮かびます。「そうだ、厚着をして日本海を見に行こう!出雲大社にお参りに伺おう」と、小さなバックを持ち4泊5日の旅をしてきました。

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山陰本線に乗り、出雲へと向かいます。穏やかな海、窓から見える沿線には水仙が咲き、「冬の日本海へ・・・」の意気込みとはうらはらに澄んだ青の海を眺め、石州瓦の連なる集落を見ながらの旅のはじまり。

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まずは神々の国出雲市へ。バスで出雲大社正門から参道の中程にある「祓戸神・はらえどのかみ」に心身の汚れを祓い清めていただきます。樹齢400年はたつ松の並木の中を進み手水舎で手を清め、拝殿へ。いつもは朝、夜明けとともにお参りをするのですが、今回は昼間の参拝。太陽が真上から照らしてくださいます。神代から続く歴史と脈々と伝承される文化が心に染み入ります。

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清涼な出雲大社にお参りを済ませた夜、地元の居酒屋で宍道湖のシジミ、ウナギの蒲焼。元気で、ひとり旅ができ、新しい経験を重ね、おいしく日本酒をいただける・・・感謝の気持ちが、私に力を与え、再生してくれるような気がします。

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翌日は松江へ。「お茶人のもてなしの心を教えられた松江」へ。まず"ぐるっと松江・堀川めぐり"こたつに足を延ばし、やかた舟に乗り込みました。水の都・松江。町中を水が流れるのを見るのがとても好きです。その町の時の流れのように川がゆるやかに蛇行し、さあ、ゆっくりしようよと語りかけてくれるような気がするのです。

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松江市内には中海と宍道湖を結ぶ大橋川や天神川、京橋川などの堀川が縦横に町を行き交い、他所とは違う落ち着きとうるおいを旅人に味合わわせてくれます。水は風景にいのちをあたえるような気がします。風景ばかりかそこに住む人々に、暮らしのうるおいさえ感じさせます。宍道湖の水面の神々しい輝き、掘割のゆったりした水の流れ・・・松江の歴史と文化の深さを感じます。お昼は割り子蕎麦。蕎麦と日本酒はバツグン、とくにお昼のお酒は。

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松江では、どこかのお宅へちょっとお邪魔した折に、さり気なくお抹茶をすすめられます。一服のお茶にかわりはないのですが、日常のお抹茶の寛ぎは格別のものです。藩主・不味公は人を修めるには武力よりも文化。つまり茶道を人に勧め、広めたものなのでしょうか。不味流とし、一般家庭すみずみまで茶道が行き渡っているように思います。今回の旅の締めくくりは不味公ゆかりの茶室「明々庵」でゆったりと時間(とき)が流れていくのを楽しみつつ家路へとつきました。やはり、日本海の静けさがそこにありました。

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『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』

東京に仕事があり、帰りに丸の内三菱一号館美術館に印象派コレクションを観に行ってきました。私は米首都ワシントンには行ったことがなく、今回の展覧会を楽しみにしておりました。

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印象派のルノアールやモネ、そしてあとに続く「ポスト印象派」のセザンヌなどの作品、今回は日本初公開の作品が半数以上です。ナショナル・ギャラリーを創設した富豪のアンドリュー・W・メロンの娘エイルサ・メロン(1901~69年)が個人的に蒐集した作品を寄贈しました。大変な貢献をした彼女が、私邸の壁に飾っていた作品が多くあります。

私は三菱一号館の佇まいが大好きです。小さな展示室が連なっています。ワシントン・ギャラリー東館1階もそうなのだそうです。親しみやすい小さな作品、家族や友人たちの肖像、庭の景色、果物や花など、親しい友人の邸宅に招かれ観るような作品ばかり。エイルサの死後、彼女のコレクションはギャラリーに入ったのですが、その美意識、数奇な運命など大変興味をおぼえます。

「私的な日常」を感じとることができますし、なによりも"優しい気持ち"にさせてくれます。この美術館は観るものを温かく包み込むような建物。明治期のオフイスビルが復元され歴史に刻まれた建物も楽しめます。

耳寄りな情報。5周年記念イベントでは4月6日は先着555人に記念品プレゼント。午後6~9時は、来場者全員が3階展示室の作品写真を撮影ができ、館内のカフェで生演奏とワンドリンクサービスがあるそうです。

ルノワールの『花摘み』『ブドウの収穫』の前にたち仕事帰りにちょっと寄り道・・・このうえなく幸せを感じました。

2月7日~5月24日まで。
月曜休館(4月6日、5月4日、18日は開館)
午前10時~午後6時。金曜は午後8時まで。

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『箱根ラリック美術館・冬の特別展示』

「ヌーヴォーの灯りとデコの光りー空間で感じるイルミネーション」

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早朝、目覚めて窓の外を眺めると小雪が舞っていました。夜明けとともに私が一番最初にすることは、小鳥の食事。滑らないように用心しながら裏庭に出て"ひまわりの種"をあげにいきます。木陰から小鳥達がその姿を見つめています。「チッチ、ごはんよ~」と話しかけます。姿が見えなくなるといっせいに何羽も飛び交います。やがて雲の合間から陽が射し青空が見えてきました。

休日の朝、「そうだわ、今日は美術館に行きましょう。」箱根に住んでいて幸せなことのひとつに、美術館があること。バスを乗り継ぎ約1時間、私の好きな「ラリック美術館」があります。

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「ルネ・ラリック(1860-1945)が活躍した時代、ヨーロッパを中心に、ふたつの新しい装飾スタイルが生まれました。19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡したアール・ヌーヴォーと、1910年代半ばから主流となっていったアール・デコです。」と書かれています。

特別展として、アール・ヌーヴォーとアール・デコのテーマに沿って、イルミネーションを展示しているとのこと。1階には「ベル・エポックの部屋」、マントルピースやテーブル、イス、ドーム兄弟の照明器具など等。落ち着いた灯りの部屋、平日なので一人静かに心和まされました。

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2階の企画展示室では、ラリックのアール・デコ作品と、新進気鋭の和紙照明作家、柴崎幸次さんの作品が見事にコラボレーションしています。柴崎氏の作品は、和紙を何層にも重ね貼りされていて、陰影があり、その立体感は不思議な世界です。シャープで暖かく、「こんなコラボもあるのね」と、真ん中のイスに座り魅せられました。

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「美術館でひとりの時間を楽しむ」なんと贅沢な時間なのでしょうか。美術館を出ると、光が木々の枝の間からきらきらと差し込み、青空の中に遠く雪山が白く明るく光を出しています。この美術館にはお洒落なレストラン&カフェ「LYS(リス)」も隣接していて、ここで一杯のシャンパンと美味しいランチをいただくのが至福のひとときです。この日は前菜は甘えびとカニのクネル、ポテトと白菜のポタージュ。そして、めったにいただかない 和牛ロースのグリエ・エシャロットシェリーソース。

本当に贅沢な時間です。こうした時間は、私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のようなものです。帰るときには「さぁ、またがんばってまいりましょう」と元気が戻ってきます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「かながわ里地里山シンポジューム」~未来に引き継ごう!私たちの里地里山

神奈川県主催のシンポジュームが新百合ヶ丘のホールで開催され、私も講演、シンポジュームに参加してまいりました。

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450人のホールいっぱいの人。県内で活動を行なっている団体・大学・企業による活動、研究発表もありました。私は講演で「美しい暮らしを通した里地里山の魅力」についてお話をさせていただきました。

箱根の森の中に家を建てて、もう40年になろうとしています。これまで箱根の山の自然に満足していたので、実は地元の里地里山を知る機会が以外に少なく、全国を旅してまいりましたが今回改めて県の方にお願いして、事前に三ヶ所だけでしたが伺いました。

素晴らしい里地里山・・・が皆さんの手で守られていました。里地里山はそう簡単に保全できるわけではありません。集落と農地、水路、ため池、雑木林、それら全てが一体となって始めて「美しい里地里山」になるわけです。長い時間と労力がかかります。

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平塚市土屋の「里山をよみがえらせる会」では田畑の復元保全・雑木林の復元・田植え、稲刈り体験・野菜作り体験などに取り組まれています。なかでも素晴らしかったのは雑木林に遊具を手づくりで造り、市内の幼稚園などに開放していること。地元小学校、大学と連携した「生き物調査」などを実施しているとお話をうかがいました。

農家の方やリタイアしたおじいさんたちが孫の笑顔をみるように作業をし、女性たちは手づくりの漬物などを準備し迎えてくださいました。この季節ですと、落ち葉で山を滑り台かわりにするなど、子どもたちにとってその想い出は一生忘れることがないでしょう。

南足柄市大雄町の「五本松・原花咲く里山協議会」は様々な活動を通して地域の活性化をはかっているとのこと。箱根町・畑宿の「箱根旧街道畑宿里山と清流を守る会」など等、足元に「美しい景観」があったのですね。

これまで私は全国を旅し、様々な美しい景観を保全し、守ってこられた地域をみてまいりました。しかし、近年は鳥獣被害、農産物の価格低迷、農家の高齢化、水田の耕作放棄が増加していることも事実です。逆にそうした棚田を利用した再生や付加価値のある野菜作り、6次産業化などで女性が主役になり「農家レストラン・農家民泊」など新たな挑戦も活発ですし、若者がまったく新しい視点で「田舎」を演出しています。

『自然こそは私たちが身動きできなくなった時に飛び込める、おおきなふところ』と私はいつも思っています。そして以前こんな言葉を聞きました。『山が荒れると川が荒れる。川が荒れると海が荒れる。そしていつしか人の心も荒れる』と。人も、ものも、自然も、愛されてこそ輝きをますものだと思います。そして、長くお付き合いをすればするほど、深く、楽しく付き合えることができるのではないでしょうか。

パネルディスカッションでも、活発な意見交換、提案があり有意義な一日でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

旅気分 『東京駅100年の記憶とハヤシライス』

旅に出たいな~!という思いに駆られたときの大切なスポットがあります。
東京駅です。

構内にある「東京ステーションギャラリー」で東京駅開業百年記念「東京駅100年の記憶」が開催されています。(2015年3月1日まで)

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近代建築史や絵画、写真、東京駅が出てくる文学など、あの赤レンガの丸の内の駅舎がどのように記憶されているか・・・。2012年秋に復元工事が終わり、新しいスタートをきりました。関東大震災と第二次世界大戦をくぐり抜けてきた建築当時のレンガが使われています。

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歴史的建造物としての100年の記憶。昭和39年10月1日に新幹線ひかりが東京駅から大阪へと始めて時速200キロで走った記憶。その前の「ツバメ」で京都まで行った記憶。私が初めて新幹線に乗って京都まで行ったのは昭和42年春だったと記憶しています。食堂でカレーライスを食べながら見た富士山の美しさに感嘆しながらのひとり旅。多くの人が食い入るように見つめています。きっとご自分の人生に重ねあわせているのでしょうか・・・。

東京駅は、旅の拠点や毎日通勤に通う駅、というだけではない"何か"を感じさせてくれる場所です。ギャラリー館内を巡れば、当時のレンガが語りかけてくれます。重厚なのにモダン。心地よさと、レンガを通して二度と起こしてはいけない戦争。今回の展覧会も素敵です。

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そうそう、もしいらしたらお薦めのスポットを。それは美術館へ入った人しか見られない風景です。ギャラリー2階の回廊からの眺め。美しいドームが干支の彫刻、レリーフなど身近に見る美しさには目をみはります。見下ろすと床面に描かれた文様。以前はジュラルミンと鉄板で仕上げられていたドームの内部を床面に転写したとのこと。おしゃれ。その2階から人々の行き交う姿を見ているだけで100年の歴史を感じます。ギャラリーを出て外から眺める東京ステーションを一望すれば心がウキウキしてきます。

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そして、私の秘密基地。
駅中にある日本食堂のカウンターに座り"ハヤシライス"をいただくのです。カウンターには全国の路線地図が置かれています。その地図を見ながら全国にいる友人達のことを思ったり、美しい風景を思い描いたり、壁面にはかつての食堂の写真などが飾られています。もう、もうすっかり旅気分です。

投稿者: Mie Hama 日時: 19:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはどのようなお正月をすごされたでしょうか。
七草粥も食べ、さ~あ、今年も健康で過ごしましょう!などとつぶやいている私です。

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元旦は家族で祝い2日、3日はそう・・・私にとって欠かせない「箱根駅伝」の応援です。毎年ドラマがあり若者たちの熱き思いとひたむきさには観ているこちらが勇気と感動をいただきます。

それにしても・・・今年の5区を走破した神野選手には驚きました。青山学院の選手一人ひとりが今までのマラソンのイメージを大きく変えましたね。監督は選手たちと寝食を共にし、現代の若者に理解できる指導があったればこそ、と思いました。参加した選手、それぞれにドラマがあり私たちに爽やかな力を与えてくれます。ありがとう!

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そして、箱根神社に参拝。年末年始の初詣はすごい人なのです。私は毎年4日夜明けとともに静謐な中、神社へと向かいます。凍てつく芦ノ湖周辺を歩き、冬ざれの墨絵のような世界・・・。山の木々は葉を落とし、身の引きしまった空気がたまらなく好きです。

昨年71歳になったとき運転免許書を返納しました。「これからの20年は、よりいっそうスローな暮らしを楽しめばいい。旅もローカル線でいい。」不要なものを整理して、生活を縮小することで、すっきりするだけでなく、エネルギーを蓄えられるような気もします。よどんでいた空気がなくなり、新たに気が巡りだしたような気持ちがします。

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箱根で静かに暮らすのが、私の幸せのひとつの形。それは確かなのですが、ただ静かにしているのを私はまだまだ望んではいないのでしょう。昨年の冬はとりわけ箱根に雪が多かったのですが、今年はどうでしょうか。でも、箱根のこの山の中に暮らすことで、光が木々の枝の間からきらきらと差込み、青空の中に雪山が白く明るく光り出すたびに、私は毎回、再生のイメージを感じます。10年後の光を目指して、再スタートしてみたいと思ったりもするのです。

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"皆さまにとって今年も幸多かれとお祈り申し上げます"

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマスクルーズ横浜

24日・25日と「ぱしふぃっくびいなす」でワンナイトクルーズをしてまいりました。雑誌"ゆうゆう"の読者の皆さまとご一緒に1泊2日の短い旅でしたが充実した時間でした。

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雲ひとつない青空に真っ白い翼を広げているような優美な船の姿に吸い込まれるように乗船。出港までの時間をお借りし、編集長のリードで読者の皆さまにお話をさせていただきました。

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全国からお集まりの皆さま。50代、60代、70代、そして84歳のお元気で素敵なご主人とご一緒に参加なさった奥さま。お一人おひとりがそれぞれの人生を歩んでこられ今回の旅は"ご自分へのご褒美"なのでしょう・・・きっと。

華やかな生演奏と共に、いつもと違った特別なクリスマス。メインダイニングでの夕食。楽隊がパレードして周遊してくれます。船内では映画やダンス、そしてメリークリスマスコンサートなど等。日常をつかの間忘れ楽しみました。

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私は25日の午前中は船内で映画を観ました。以前一度観た映画ですが『カルテット!人生のオペラハウス』。監督ダスティン・ホフマン。引退した音楽家たちが暮らす「ビーチャム・ハウス」には、カルテット(四重奏)3人の仲間達が暮らしている。そこへもう一人新たな入居者がやってきた。彼女はかつて仲間たちを裏切り、傷つけ、大スターであったころの影を引きずり心から寄り添えない葛藤をかかえ・・・その先はこれからご覧になる方もおられるかもしれないので、ここまで。2度目だからでしょうか、より内容の機微が深く感じられました。監督は"全ての音楽家に捧げる"そんな思いで撮った映画だそうです。仕事収めの25日にこの映画を観られたのも幸せでした。そして、何よりも同世代の読者の皆さんとお茶をしながらお互いに語り合えたこと・・・嬉しかったです。今年も人々に出会い、ものに教えられ、旅することも多かった年です。


明日何が起こるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれない・・・文字通り、まったく予測がつかない年代、それが70代だと思っています。80代へ向かい、いくつもやりたいことはあります。自分にとって大切に思っていることをさらに追求したいとも思いはじめました。船旅、観た映画のせいでしょうか・・・「命に限りがあることを深く実感」できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら・・・そんなことを思いました。

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船は駿河湾を抜け三浦半島から浦賀水道を通りベイブリッジの下を通過し横浜港へと静かに入港しました。

来年は私の干支"未年"です。

このダイアリーをご覧いただきありがとうございました。皆さまにとって来る年も佳い年でありますように。寒さ厳しき折から、いっそう御自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

東京都庭園美術館

この日をどんなに待ち望んでいたことでしょう。約3年に及ぶ休館から11月22日にリニューアルオープンした東京都庭園美術館。

この美術館は建物も庭も本当に素敵です。
建物は旧・朝香宮邸で、アールデコ様式。
ルネ・ラリックのガラスのレリーフや照明器具。
壁面をおおうアンリ・ラバンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフのおもしろさ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線・・・建物全体が宝石といってもいいほどです。

都会の真ん中にこのような美しい美術館があるなんて・・・。
何度この美術館を訪れたことでしょうか。
その空間に自分を置く、そこのソファーに座って自分を休める。
それだけで充分幸せなのです。

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その日は霧雨が降り傘をさしながら目黒駅から歩いて約10分。
初冬の紅葉の名残を踏みしめながら足早になってしまいます。
今回は12月25日までは本館のみ撮影が許されています。
自分の宝箱にしまいたくて、どうしても早く行きたかったのです。
休館中に行なった調査・修復活動から朝香宮邸建築に携わったアーキテクツ(設計・技術者たち)がどのような思いで建設を行い、その改修に携わったかを観られるということです。

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まず外壁の塗りなおしが美しいのです。
「リシン掻き落とし」の手法が見事です。
正面玄関ガラスレリーフの扉はルネ・ラリックの作品。
床全体のモザイクは細かい天然石。
応接室の寄木張り、壁紙、照明器具、隅棚は今回修復されたものだそうです。

各部屋の修復にはどれ程、職人さんたちの情熱と技と愛情が注ぎこまれていることでしょうか。日仏合作の美術館。ひと部屋・ひと部屋を目を凝らしながら見ても、まだまだ観たりません。当時の人でしかできなかったであろう技術を現代に蘇えらせ、輝きを放ってそこに存在している空間。こればかりはぜひ・ぜひ、ご自分で体験してみてください。

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新館には、新たなショップとカフェがオープンしました。
そして小さな子どもたちを美術館に誘うプログラムも用意されています。
これは嬉しいですね。パリの美術館などで子どもたちが床に座り静かに絵を鑑賞している姿は素敵です。カフェでシフォンケーキとコーヒーでリラックス。

至福のひととき、ルネ・ラリックの作品に見送られ帰路につきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

山口県下松(くだまつ)市を訪ねて

下松市制施行75周年記念講演及びシンポジュームにお邪魔してまいりました。

下松市は工業で栄え人口も県内では増加傾向にありますが、これからは第一産業の農業にも力を入れていきたいと町全体で取り組んでいます。"にんにく"の生産・加工にも取り組まれています。

『「まち」と「さと」が共に発展する下松を目指して』がテーマです。

私は「都市農村交流・6次産業における女性の活躍の重要性」について話させていただきました。ちょっと硬いテーマですが、要は「農村は私たちの心の故郷」、そしてそこには女性が担う役割が大きい。女性の活動・活躍なくしてこれからの農村は再生できません」ということです。

日本の農業は勢いを失いつつあります。他方では新たな「農業のあり方」も考えはじめられ行動に移されております。私は、これまで全国各地の農村女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。「農」は自然・環境・食・伝統・歴史・政治・未来・人間・美・健康・教育などあらゆる方向から考えられるテーマです。

農は食であり、食の先には人々の暮らしがあります。どこで、どんな風に育てられた食材を、どう調理して、誰といつ食べているのか、といった食文化は、すなわち日本という国のあり方を物語るものです。さらに土、水、生物によって支えられる農業は、自然循環機能を基礎とするものであり、環境の動脈といってもいいほど非常に重要です。自然災害の多い昨今、だからといって「工場」で生産し、効率をアップ、それでよいのでしょうか。今、食を取り巻く状況は確実に変化しつつあります。大量に生産し市場に流す、一過性のイベントにたよるのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。地元の食材を活かした加工品や料理を生み出すことで地域内に人と人のつながりが生まれ、雇用や起業を促進するレストランやカフェも生まれています。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

私は3つの事例をご紹介しました。萩・「地域に根ざし三見(さんみ)シーマザースの活動」。"海のおかあさんたち"という意味ですね。浜の人口は630人、高齢化率も40パーセントを超えていますが、様々な工夫がみてとれます。何よりも"美味しい"し皆さんお元気です!

そして、岐阜県山県市の美山地区に残る伝統素材「桑の木豆」を地域の味として伝えていこうと頑張っている「ふれあいバザール」の女性たち。1997年4月のオープン以来の黒字経営です。生産者に85%支払い、残りの15%で市から借りている建物の家賃やスタッフの人件費などすべてまかなっている、つまり「行政に頼らず自立している」そこが素晴らしいのです。他県からも大勢のサポーターがみえます。非常にバランスのとれた「人と産業と環境」を感じ、「農のある暮らし」を、いわゆる観光地とは一味も二味も違う、暮らしの広がりと農村の未来がそこにはありました。こうした活動は全国各地にあり、"女性が主役"です。

今回どうしても訪ねたい場所がありました。下松からおよそ1時間。高齢化率 日本一の島に現われた人気店です。民俗学者の宮本常一の故郷でもある周防大島。『瀬戸内ジャムズガーデン』「よく、ま~こんな不便なところに・こんなお店を・・・」と気になっておりました。正直、全国どこでも作られている「手づくりジャム。」スーパーにはお手ごろのジャムが棚にずら~と並んでいます。何がどう違うのでしょうか。週末などカフェには人が入りきれないほどですし、平日私がお訪ねした時はバスでお客さんがみえていました。

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ご主人の松嶋匡史さん、奥さまの智明さん。京都出身のサラリーマンだった彼は新婚旅行で入ったパリのジャム屋さんに驚き、品数の多さ、組みあわせの美しさに魅せられます。いつかは・・・・と夢を持ち続け、奥さまの故郷の島での開業。実家はお寺さん。副住職でもある智明さん。お産で実家に帰ったとき、島には豊富な柑橘類があることに気づきます。お産後すぐにジャム作りに挑戦。いまでは年間120種類のジャムが店内に並べられています。

人気の秘密はフレッシュな季節のジャムが試食もでき、不要な添加物は一切使用しない。砂糖は種子島の黒糖。ジャムの原料は島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れる(52軒)。普通、加工用ミカンの出荷価格は1キロ10円ほどにしかならなかったのがジャム作りに適した果実を栽培してもらい、1キロ約100円で買い取る。農家もある程度保障され、意欲が増し、若者も農業へ参入。カフェにはパテェシエの女性も。島の若者とコラボして消費者の嗜好にあった商品開発続けています。

『ここでしかできないことを』

そう、起業する場合は都会の真似をしてもだめですよね。やはり大切なことは足元にある地域資源を活かし、雇用を生む。地方の時代といわれていますが、そこに暮らす人たちが、自分たちの暮らす土地に愛着と新しい発見なくして、輝きに満ちた街づくりはできませんよね。

冬は「東和金時」の美味しい季節。
「焼きジャム」は冬の定番商品。

最後の別れぎわにご夫妻はおっしゃられます。

「島へ移住する人や島で何かをしようとする人を応援することで恩に報いたいです」・・・と。この優しさがジャムにこめられているように思いました。お客さまもその優しさを感じるのでしょう。カフェの前の美しい瀬戸内の海を見ながら、ジャムを抱え幸せな気持ちになりました。そんな女性やご夫婦の活動をご報告させていただいたシンポジュームでした。

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HPでも商品は購入できます。
瀬戸内ジャムズガーデン

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

会津若松

先日、会津若松商工会議所のお招きで講演に行ってまいりました。

私は地方にお邪魔する時はできる限り前日に入り街を散策いたします。その街の風、匂い、人々の暮らしを拝見いたします。身体にその街の空気が・・・そっと私を包んでくれます。今回も新幹線で郡山へ。

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駅で"ふくしま路・おとなの秋ごはん"を買い磐越西線快速で会津若松へと向かいました。美しい山々を見ながらの駅弁は最高!です。福島県を三つの地域に分けたとき、もっとも内陸部にあり、猪苗代湖や磐梯山などに囲まれ、四季折々、風光明媚な景色が広がる会津地方。磐梯山はうっすらと雪をかぶり、紅葉した木々、伺うたびにその美しさに胸が震えるようで会津には日本の原風景があるなぁといつも関心させられます。

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ホテルに荷物を置き町中を散策しました。鶴ヶ城には400年前の石垣が残っております。「絵ろうそく」の名人のおじいちゃんとよもやま話をし、酒蔵や奥会津で採れるぜんまいを買ったり、そしてぜったいに外せない味噌の満田屋さんで"みそ田楽"と地酒を少々いただきました。満田屋さんは江戸末期創業の味噌専門店です。実は我が家の味噌は30年ほど前からこちらの味噌を愛用させていただいているのです。店内に囲炉裏があり秘伝の味噌だれをぬり、炭火で焼いてくれます。香ばしく懐かしい味が広がります。「会津さこらっしょ」・・・囲炉裏を囲んで"みそ田楽"と書いてあります。

そしてまた街の散策。七日町駅からの散策路はほんとうに歩いていて楽しいのです。夜はちょっと秘密ですが・・・女将さんひとりでやっている居酒屋に。おでんと日本酒を燗していただき1合だけ。至福のときです。

さて、今回は「会津と日本~食といのち」というテーマでお話しをさせていただきました。じつは事前に関係者の方から2011年3月11日の東日本大震災や放射能事故による風評被害がひどく、農産物を含めその他の商品が売れず、また観光客を含めた来街者も風評被害で少なくなっている状態と伺っておりました。あれからもうすぐ四年の月日がたちますが、今もまだ家に戻れず会津若松で避難生活をなさっている方々がいらっしゃることを、私たちはいつも胸に刻んでいかなくてはならないと思いました。

会津若松は福島第一原発から100kmと離れており、原発と会津の間には阿武隈山系、奥羽山脈など大きな山脈が連なっていて、それが盾になってくれたことなどから、放射線量も東京よりもほんのわずかに高いだけの基準にとどまっています。最初はきちんとした情報が消費者に伝わらなかったこともあり風評被害という未曾有の危機にさらされました。

会津は幕末のときも、本当に大変な思いをなさいましたが、大震災までは、人口約12万5000の地方都市に毎年平均350万人もの観光客が訪れておりました。とくに修学旅行などの教育旅行に関しては大勢訪れておりました。さすが、オンリーワンの歴史と文化を持つ町だと感じさせます。大河ドラマ"八重の桜"効果で放映中は一時、わっと人がおしかけ、おすなおすな状態になっても、放映が終わりしばらくすると人の興味が移ってしまい、波がひくように観光客が減ってしまいます。

もう一度会津に行きたい。
あの町を散策したい。
あの風景を見て、会津の風にふかれたい。
会津の人々に会いたい、あの言葉を耳にしたい。
あの味を味わいたい。

そんな日はそこまで来ています。何よりも町の方々の熱いふる里への想い、情熱があり、「風評被害・・・なんて後ろ向きではいけませんよね!前を向き美しい街、里山を守っていきます」と力強く語ってくださった表情は輝いていました。しなやかな強さを持つ会津人気質。豊かな風土。時間はかかってもいい方向へとしっかり進んでいかれることでしょう。素晴らしい旅をさせていただきました。

『おあいなはんしょ』(いらっしゃいませ)
『よぐきらったなし』(よくおいでくださいました)

この美しい会津弁に魅せられます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

マダム・マロリーと魔法のスパイス

素敵な映画に出逢いました。

私は月に2回はかならずラジオの収録のために山を降り東京に向かいます。素敵なゲストとのトーク、その高揚感のあとはコーヒーを飲みながらひと息。そのあと時には映画であったり展覧会、そしてチケットが取れていれば"追っかけ"をしている柳家小三治師匠の落語を聴きに。音楽会・芝居・・・など等。幸せな時間です。まっすぐに山に戻ることはほとんどありません。それもひとりで・・・。

今回は映画です。美しい南フランスを舞台に『ショコラ』の名匠ラッセ・ハルストレムが監督、スティーヴン・スピルバーグが制作。おいしい料理が心に奇跡をおこします。

マダム・マロリーのフランス料理店の向かいにインド料理店がオープン。オープニングから美しい田園風景に釘付けになり、やがて文化や習慣の異なる人々のやりとり。映画ですから詳しくは書きませんね。でも、未知の世界の料理でも、それは人の心と技が織りなす料理。もうもう・・・映画が終わったらそのままインド料理かフランス料理が食べたくなります。

ミッシェランの星に輝く名店を守る、誇り高き女主人マダム・マロリーを演ずるのは世界的な名女優・ロンドン生まれでエリザベス二世に扮した「クイーン」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたヘレン・ミレン。

フランスでインド料理店を成功させたい頑固な家長にはインドを代表する俳優オム・プリ。子どもたちや小さな街に暮らす人々。監督・脚本・撮影監督・美術・音楽、特に料理も主役でもありますし、素材がなによりも命。実際にこの映画が撮影された小さな田舎町には、本物のマルシェが週一度ひらかれるそうです。マルシェをお目あてに国境を越えてお買い物に来るひともいるとか。料理や素材の撮影はとても難しいし、食べる姿はもっと難しいと思うのですが、変にアップにはせず、日常の一コマのよう。しかし厨房はリズミカルでスピーディー。画面は繊細で静かな表現が印象的です。何よりも映画を観終わったあと、とても幸せな気分にしてくれることです。グローバリズムが浸透し、多くの人が希望を胸に世界各地に移民している時代。習慣・歴史・文化の異なる人たちを理解するのには、料理を通して知ることも大切なのかもしれません。

お薦めの映画です。
角川シネマ有楽町他で12月12日まで。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

ミラノ 霧の風景

「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。

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横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。

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私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。

1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。

「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。

「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。

私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。

そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。

そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。

「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」

会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。   

11月24日まで。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

アンティークフェアーIN新宿

10月10日(金)から12日(日)までの3日間、アンティークフェアが新
宿で開催されます。

娘の鎌倉のショップ「FLORAL」(フローラル)も初めて出店いたします。

FLORALは小さなスペースですが、西洋アンティークから和骨董まで、160もの店舗が出店するそうです。とても楽しそうなので、これから私も店番をかねて行ってみようと思います。今日(10日)はお昼ごろから夕方まで。明日(11日)はお昼頃数時間行く予定です。フローラルはエリア「B」だそうです。

私がアンティークに目覚めたのはいつの頃からでしょうか。
「なぜ骨董がすきなのですか?民芸に惹かれるのですか?」
これまで多くの方から尋ねられました。

私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思いこんでいるわけではあ
りません。ただ、私が「いいなあ」とため息をついたり、ちょっと無理してで
もほしいと思うものが、アンティークだったり民芸のものだったりすることが多
いのです。

でも考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながらいきつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。そのものに、人を魅了する力があったから、たいせつに丁寧に、グラス・器なら器が人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。

気が向いたら覗いてみてください。
その前に「FLORAL」のブログをご覧ください。
新宿でお逢いできたら嬉しいです。

http://blog.floral-antiques.jp/

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本酒で乾杯

10月1日、「日本酒で乾杯推進会議」が明治記念館で開催されそのフォーラムに私も出席させていただきました。
テーマは『和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~』です。

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基調講演は西村幸夫氏(東京大学副学長)、テーマは「世界文化遺産と無形文化遺産のこれまでとこれから」でした。大変興味深く、世界の文化遺産の知らない世界のお話を聴かせていただきました。

パネルディスカッションのテーマは「祭りと酒菜」。料亭「青柳」のご主人、小山裕久氏と京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏。コーディネータは民俗学者の神埼宣武氏。そうそうたる方々ですが「和食と日本酒」について楽しく分かりやすいお話でした。

そもそも、この推進会議は私たち"最近のニッポン人には日本が足りない"、"多くの心ある日本人は今日の日本、明日の日本に危惧の念をいだいているのではないか・・・"ということで日本酒造組合中央会を中心に「100人委員会」が10年前に発足しました。各界の方々が参加し、日本文化や良き伝統を守りたい・・・という思いで生まれました。

日本酒は美味しく飲む前にまず、神仏にお供えします。そこから始まる文化ですよね。日本の四季の行事には、やはり日本酒は欠かせません。そういう意味で日本酒は非常に身近であるのと同時に、特別なお酒だという思いが私の中にはあります。だからでしょうか、私は日本酒をいただきながら、「人々の祈り」たとえば「人々の幸福を願ったり」「人とのつながりを大切にしたい」といった「美しい」心みたいなものを一緒に味わっているような気がすることがあります。こんなお酒はほかにはありません。

私が日本酒をたしなむようになったのは民藝の柳宗悦先生の考え方に憧れ、先生の足跡を追うようになった頃からです。美しい暮らしの道具が見られるのは地方が多くお酒の場のお誘いをいただくようになりました。共にお酒をいただくことで、人は非常に親しくなれることを知りました。そのお宅のおばあちゃんがナスやキュウリの漬物をどんぶりにどっさりだしてくれるんですけど、ほんとうに美味しい!こういう酒の肴が最高です。

それから強く印象に残っているのは、30歳のころ、女性6~7人でで金沢を旅して芸者さんにも来ていただいて(女性割引!があるのですよ(笑))踊りやお三味線、笛などをそのお座敷で聞きながら、懐石料理と日本酒をいただきました。日本酒の作法といいましょうか、飲み方の美しさを、そのときに学びました。以来、人と親しく交わり、美しくいただく。それが私の憧れる日本酒の飲み方となりました。

「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。日本人の食生活も大きく変化してきました。日本では、世界中の料理、お酒を飲むことができます。そこでもう一度『國酒』としての日本酒を考えてもいいかもしれませんね。日本の風土の恵みの米と水でつくられているお酒。「地産地消」そのものですものね。日本酒の海外への輸出も増えているそうですが、それは「日本文化」の輸出でもあります。

女性も日本酒を粋に飲んでみませんか。
シャンパン・ビールで乾杯も素敵ですが「日本酒で乾杯!」なんてお洒落ですよね。皆さんのお話を伺いながら、あらためて「和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~」を考えました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。

ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの"ときめき"です。

15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。

24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。

会場のファンは古典落語はもちろんですが、この"まくら"も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。

そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。

同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (9) | トラックバック (0)

仕事帰りの寄り道 美術館

いつもより早く仕事が終わったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。
                      
(自由国民社「仕事帰りの寄り道 美術館」 プロローグより)

そうですね、私はお気にいりの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。ちょっと疲れたとき、何となく鬱々しているとき、美術館の建築をみたいとき、美術館にはオシャレなカフェも併設されていて、ときにはそこでお茶をいただくときも。

私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のような存在が美術館です。素敵な本に出会いました。
それが「仕事帰りの寄り道美術館」です。

たしかに、この20年近くで街にはアートがあふれ身近な存在になりました。
大きな展覧会だけではなく日常的にアートにふれる機会ができました。だから・・・ふらっと寄り道がしやすくなりました。この本には東京の美術館がエリアごとに写真とイラストマップ付きで掲載されています。カフェの情報も素敵です。仕事、仕事、仕事・・・そんな日常、隠れ家的なアートスペースから、明治期のオフィスビルが復元された展示室、新しい才能を発掘しつづける美術館など等、満載です。

つい先日気になっていた展覧会に仕事を早めに終えて娘と一緒に丸の内にある「三菱一号館美術館」に行ってきました。

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ここの素晴らしいところは、作品との距離が近く、じっくり作品と向き合えるところ、明治の建築が素晴らしく建物、廊下、鉄筋階段、天井など、まるで個人の館に招かれたよう。

9月23日で終わってしまう『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』です。

1865年ローザンヌで生まれ、一時期フランスに帰化し、「アンダーグランドのスイス人」ともいわれ、20年ほど前にブリジストン美術館で版画作品を観て感動したことを覚えています。けっして、広く知られてはいませんが、今回のこれほど大きな回顧展は日本で始めてです。しかも「三菱一号館美術館」での開催はもっともふさわしい場所のような気がいたします。絵の感想は申し上げません。ただ本にあるように「仕事帰りの寄り道」にはふさわしい美術館です。なぜって、アートの余韻をたっぷり楽しめるカフェがあるからです。

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クラシカルな雰囲気の中で、明治時代のハイカラ文化も味わえ、私は"白ワインとナポリタン"をいただきました。陽が落ちての中庭のライトアップも素敵でした。心がとても豊かになりました。

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ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」に出版社・自由国民社の徳田祐子さんにご出演いただき企画された意図などお話を伺いました。

『夕方の美術館は、自分を見つめる場所かもしれませんね』というお話が印象てきでした。

放送は文化放送・9月21日(日曜・10時半~11時) 
「浜 美枝のいつかあなたと」

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8) | トラックバック (0)

湯布院映画祭

先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。

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かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。

私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。"懐かしいわ~"皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。

暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。

実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。

ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。

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翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。

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ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま"ありがとうございました"
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。

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【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

徹子の部屋

テレビ朝日 『徹子の部屋』にお招きいただきました。
(放送日は9月25日になりました)

9年ぶりの出演です。
1週間ほど前にお声をかけてくださった局のMデレクターが箱根の我が家に打ち合わせにお越しくださいました。「あのとき、10年後の浜さんをお招きしたいと思っていました」と。

子ども時代の空襲で焼け出されたこと、川崎での長屋暮らしのこと、戦争がやっと終わり、ものはないけれども、みんな貧しかったけれど、元気に働いて・・・・・。

昭和がすべてよかったなどとは思いませんし、戦争にとられて死ぬ人がひとりもいない平成には、それだけでかけがいのない素晴らしさがあると感じる・・・こと。

子供たちが社会へと巣立っていき、ハッと気が付くと、60代に。65歳になったとき、今後のことを考え、自分のスペースのリフォームに着手したこと。70代に入ってからいっそう丁寧にくらしたいと思うようになったこと。これからも人々と出会い、ものに教えられ、思索し、旅に出たいです・・・・とそんなお話をさせて頂きました。

当日、スタジオで徹子さんに久しぶりにお目にかかりました。ひとつの番組をあれだけ長く続けておられるのには大変なご努力があられるでしょう。相手を気遣い、"本音"を引き出す話術はやはりプロです。どんな内容が放送されるかは、な・い・しょ!

ただ私は40歳で演ずることを卒業しているので、テレビ出演はやはり緊張いたします。あんなにテレビにお世話になっていたのに・・・。

久しぶりのテレビ出演、ご覧くださいませ。
あ~~終わってよかった。
ホッとしてその日はひとりワインで乾杯!しました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8) | トラックバック (0)

-高野山

念願がかない高野山に行ってまいりました。
宗教を深く勉強しているわけでもなく、なぜ高野山なの・・・と自分に問うても分かりません。『お大師さまを慕って』の旅でした。

14、5年前になるでしょうか。一冊の本に出会いました。「空海・日本人こころの言葉」(村上保壽著)です。現代語訳つきでしたので読みやすく心に響く言葉がちりばめられていました。

『人は必ず何かのご縁にめぐりあう』
『現状が変わる時節は必ずくる』
『そもそも冬枯れの樹木は、いつまでも枯れているのではありません。春になれば、芽ばえて花が咲きます。厚い氷でも、いつまでも凍っていることはありません。夏になれば解けて流れだします』(現代語訳)
『生あるものすべてが親である』・・・など。

「この世にいるのも今や残り少なくなった。そなたたちよ、よく暮らして慎んで仏法を守るがよい。わたしは永く山にかえるであろう」と弟子たちに言い残し、御年62歳で高野山奥之院に入定されます。

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大阪・難波から特急に乗り1時間20分、終点の極楽橋に着きます。そしてケーブルカーに乗り換え高野山駅までわずか5分。特急は深山幽谷の深い山間を抜け、ケーブルカーは800m、勾配は急なところで30度。車窓から永年の風雪にたえたヒノキの巨木林・高山植物などを見ながらのぼります。冬はその険しい道を修行僧は歩いて登るとか。日本語の案内の後フランス語での案内。ケーブルでもフランス人が家族でいらしていました。大自然にかこまれた高野山駅。夏の涼風が身体の疲れを包み込んでくれます。弘法大師をここで身近に感じます。きっと今も昔も変わらないのでしょうね、駅って。駅からはバスでそれぞれの宿坊に向かいます。周囲1000メートル級の峰々にかこまれた曼荼羅浄土。

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宿坊に着くと若いお坊さんが「お風呂にはいられますか、それとも夕食を先になさいますか」と丁寧にたずねられましたが「すみません大門まで行ってきます」と、早々に歩いて行きました。夕陽に映える壮麗な大門を見たく、坂を駆け上りました。

「わぁ~間に合った!」数秒ごとに違った色を映し出す大門。千年の昔からこの絶妙な夕陽を目にした人々。高野山の街並みの西端に国の重要文化財大門。両脇に配置された仁王さまは江戸の名工・仏師による大作、三百年近くの永きにわたり参拝者を温かくお迎えしてくれているのですね、睨みをきかして。ここが『聖地への入口』ということを感じさせてくれます。

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人口約4000人、そのうちお坊さまが1000人。
暮六つを告げる六時の鐘の音を聞きながらの夕食は高野山名物の精進料理。翌朝は宿坊での勤行、そして朝ごはん。東西6キロ、南北3キロの盆地に117の寺院、役場や銀行に学校、そしてコンビニもあります。「一山境内地」、総本山の境内に全てが存在します。

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まず向かった先は「壇上伽藍」。ここはお大師さまが高野山を開いたときに最初に整備した神聖な場所だと聞きました。そして「金堂」裏堂の曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」。まだ参拝客も少なく森厳な空気がひろがります。そして「根本大塔」。巨大な朱色の外観だけでなく燦然と輝く大日如来、まわりを取り囲む四仏、柱の十六菩提。壇上伽藍を抜け、通りにでると左手に金剛峯寺など見どころがたくさんあります。天皇・上皇の応接間である書院上段の間、四季の花や鳥、弘法大師入唐の模様が描かれています。豊臣秀次が自決した柳の間、そして2千人分の食事をまかなう台所。奥へ進むと「ひと休みなさいませ」とお茶とお菓子をいただきながら庭をながめ、次は高野山1200年の至宝が見られる「霊宝館」へ。世界遺産高野山に現存する貴重な仏像・仏画をはじめとした文化遺産が収蔵され、一般公開されています。

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商店街の酒屋へ寄り道し「地酒は何がありますか?」と聞き、本場のごま豆腐や高野豆腐などなど帰りに買うお土産の下調べ。

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さぁ~いよいよお大師さまのおわします奥之院へと向かいます。

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奥之院に通じる表参道は静寂そのものです。見上げればあたりを埋め尽くすような杉。あたりはひんやりとした空気に包まれ静寂のひとこと。一歩一歩歩いていくと両側には苔むした石塔が延々と続きます。石塔には皇族や公家、大名などに加え企業の名まであります。始まりの一の橋はたった数メートルの橋ですが、ここから聖地がはじまる・・・と思わず帽子を取り一礼し、歩くことおよそ40分。いよいよ御廟に到着です。合掌、礼拝し、橋を渡り灯篭堂を抜け、お大師まの御廟の前へ。私はここに辿りつくまで何年の月日が経ったのでしょうか。

観光客や外国の人もいらっしゃるし、遍路姿の人、そしてお年寄りや若者も。

私は今回なぜ高野山に行ったのでしょうか。
空海という方はどんな方だったのでしょうか。
宗教を超えプロデューサー的な役割を果たした方・・そう思えました。

「空海・日本人のこころの言葉」の最後にこう記されています。

空海の祈り 高野山万灯会と入定
八三二年(天長九)八月二十二日、空海は、思いをこめて「高野山万灯会の願文(がんもん)」を書き、弟子たちを率いて万灯万華会を修法します。

『虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん』
(生きとし生けるすべてのものが悟りを得て幸せになれば私の願いも尽きるであろう)

人は自らの心に迷う、と空海は述べていますが、迷いの原因が自らの心の中にあることを知れば、人生ってけっこう面白く、興味深く、また優しく生きることができるかも知れません。

行きと同じようにケーブルカーに乗り、特急に乗り、大阪から箱根の山に戻りました。同じ杉の木立をバスの車窓から眺めていたら、"お大師さまを慕って"の旅が身近な旅に感じられ"理屈"はどうでもよく、心の中を心地よい風が吹いていました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

普段着のパリ

パリから戻りました。

昨年は9月に遅い夏休みをアパートを借りパリで過ごし、とても快適だったので、今年は少し早い夏休みを昨年同様アパートを借り9日間過ごしました。着いたらすぐに荷物を置き近所のスーパーで、水・ミルク・くだもの、パン屋さんでクロワッサンとパン・オ・レザンを買います。これは大好きなパンです。今回見つけたコーヒー豆屋さんで1週間分の豆を挽いてもらい、日本から持参したテーブルクロスをテーブルにかけてできあがり。そうそう、お花屋さんで一輪のバラを買えば幸せな気分になれます。

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翌日からはまず美術館めぐり。パリにいると一日、5~6時間はあるきます。20世紀初頭の印象派の殿堂「オルセー美術館」はかつての駅舎を再利用した美術館。ポール・セザンヌの「りんごとオレンジ」、ミレーの「落穂拾い」、ゴッホが療養のために過ごした村の教会を描いた「オーヴェルの教会」などなど。見逃せないのがアール・ヌーボーの家具。時間が経つのも忘れ4時間たっぷり見てからセーヌ川に沿ってシテ島へ。

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ゴシック建築の傑作「ノートルダム寺院」は観光客でいっぱいなのでパスし、裏側から見る寺院の美しさにいつも感動します。そして、サンルイ島に渡りウィンドーショッピング。お昼はオニオングラタンスープが美味しかったです。

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私はパリでは友人と会っての会食はお昼。早寝早起きで快適です。最後の日の夕食をのぞいて、もったいないかもしれませんが夕食は抜き。軽く部屋でチーズと赤ワインを一杯でじゅうぶん。

翌日はオランジェリー美術館へ。オープン30分前に並び一番で入るようにします。静謐な空気の中で絵と向き合うと心が豊かになります。今回もモネの「睡蓮」の前でイスに座り「水平線も岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を表現したといわれる絵の前で、かつて戦争に傷ついた人々に自然の前で瞑想へと誘う安らぎの場を提供したモネ。淀んだ水に花咲く睡蓮の佇む風景には心が穏やかになり、私も疲れが肩からスーと抜けていきます。幸せ・・・。

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帰りの骨董屋さんや、ギャラリーのお店が並ぶサンジェルマンデュプレまでの散歩も落ちつきます。

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日曜日はオーガニック専門のビオマルシェへ。石鹸、ナッツなどをお土産に買いました。

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パリに来たら1度は行くレトロな雰囲気漂うアーケード街、パサージュ。ガラス張りのドーム天井や足元のタイルのモザイクが美しいのです。今回は1826年にオープンしたギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。

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そして7月14日の革命記念日にパリにいたので、凱旋門からコンコルド広場までのパレードを見るために、アパートから1時間近く歩き(周辺は地下鉄もストップ)シャンゼリゼ通り沿いの柵の近くでパレードが見れました。パリ人、地方からパレードを見に来た人、私のような観光客、人で溢れています。騎馬隊の美しい行進が大統領を乗せた車を護衛します。上空には戦闘機がフランスの国旗、三色の色を轟音とともに駆け抜けていきます。今年は第一次世界大戦から100年目の大きな節目の年。テーマは「戦争と平和」でした。各国からパレードに参列していましたが、日本も自衛隊が3名参加したことに私は少なからずショックを覚えました。初めての参加とのこと・・・。

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夜は暗くなる11時からエッフェル塔を中心に花火大会。私もエッフェル塔が良く見える友人の家に招かれ花火を見学しました。テーマはやはり「戦争と平和」でした。夜空に月も美しく輝いていました。打ち上げられる花火を見ながら、"どうぞ、紛争のない平和な世界になりますように"と祈りました。

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この季節はセールの時期でもあります。私はとても気にいった手袋を買いました。秋が来るのが楽しみです。今回の旅も移動はほとんどバスでした。外の風景を眺めながら楽しめました。疲れたらひとやすみ。カフェーでコーヒーを飲みながら街行く人を眺めながら時間が止まったような不思議な気分にしてくれるパリ。時に中世の路地の残る街に迷いこむと「ここがパリ?」という信じられない静けさに出逢います。

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今回の旅は、平和について考える旅でもありました。日常生活に埋没しているとついつい忘れがちのこと・・・。

そして、長年の友情にも感謝した旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:40 | | コメント (6)

「花咲く ラリックと金唐紙」

箱根ラリック美術館 特別企画展で素敵なルネ・ラリックの作品と金唐紙作品のマリアージュ。

ご案内には「花咲き、鳥たちが歌う。「花鳥風月」の世界あふれるルネ・ラリックの作品。それは自然をこよなく愛する彼がたどり着いた美の境地でした。明治時代、西洋に日本からもたらされた日本工芸の粋、金唐紙。自然の草花から生まれたきらびやかに浮きたつ文様は、まるでラリックに直接影響を与えたかのようです。洋と和の名品が織りなすハーモニーをお楽しみいただけます。」

金唐紙については漠然とは知っていました。江戸末期から明治にかけて日本で発展した工芸和紙。旧岩崎邸や旧前田公爵邸などに使われていて海外に輸出品としてイギリスなど海外でも高く評価されていた和紙。日本国内でも鹿鳴館や国会議事堂といった建築物の壁紙としても使用されていましたが、アール・ヌーボーの衰退、ライフスタイルの変化、その後はあまり見かけることはなくなりました。

もともとはヨーロッパの金唐皮(ギルトレザー)をルーツとしてその皮の質感を手漉きの和紙で表現された高級和紙。1873年にウイーン万博で話題を集めたとの事。その後その金唐紙がどのような道をたどったのでしょうか。

今回の展覧会で謎がとけました。二十世紀半ばに生産が途切れた金唐紙を見事に復元したのが今年80歳になられる上田尚さんです。30年の歳月をかけ復元に取り込まれてきました。明治、大正期の金唐紙は上田氏によって新たな命を吹き込まれました。

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強羅から施設巡りバスに乗り、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けるとポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森ミュージアムを経てラリック美術館に着きます。我が家からバスを乗り継いで約1時間。「花咲く ラリックと金唐紙」展に行ってまいりました。梅雨の日の合間の晴れた日、木漏れ日が心地よく「幸せだわ~」とつぶやいていました。室内に入ると「花鳥風月」の世界。ルネ・ラリックの花器「きんぽうげ」と金唐紙「鳥とアイリス」。春夏秋冬の上田氏の作品の前にラリックの花器。西洋と日本、和と洋がこんなに似合うなんて・・・明治時代にタイムスリップしたかのようです。

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<写真提供:箱根ラリック美術館>

ラリック美術館の企画展にはいつも魅了させられます。ゆっくり時間をかけ拝見できました。そして・・・その後のお楽しみ。年に数回ではありますが、美術館に併設されてある"カフェ・レストラン LYS"でのひととき。遅いランチをいただきます。ひとり庭を眺めながらのシャンパン。至福のひとときです。「明日からの仕事頑張ろう~」などとかってにつぶやき、冷製トウモロコシのポタージュ、和牛フィレ肉グリエ香草マデラソース、そして・・・普段めったに頂かないデザートはタルトフロマージュ"ル・リアン"美味しいのです、とてもとても。チーズケーキでこんな美味しいの始めてです。山本シェフ、ご馳走さまでした。ティータイムも素敵そうですね。

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美しい作品に出逢い、美味しい食事ができて・・・本当に幸せです。70代に入ってからはこのような時間を大切にしたいと心から思うようになりました。「本物と出会う」ことの大切さをしみじみ実感できた"小さな旅"でした。

皆さまも箱根ラリック美術館にお越しになりませんか。
期間 2014年6月14日(土)~12月7日(日)
夏の箱根、紅葉の箱根、初冬の箱根、どの季節でも素敵です。
http://www.lalique-museum.com/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

生誕120年記念  濱田庄司展

駒場東大前の「日本民藝館」で濱田庄司 生誕120年を記念して展覧会が開催されており、初日に行ってまいりました。

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作家言「個人の作家の仕事には香りが欲しい」  濱田庄司

民藝運動の創始者・柳宗悦は「私の解する限り、濱田ほどすべてに均整にとれた人物はすくない」と濱田を賞し、濱田自身は「自分は或技術を修得するのに十年みっしりかかった。しかし、それを洗い去るのに二十年でも足りない」と語る。「この<技術を洗い去る>という事こそ作家としての大きな良心だと言って良い」と柳宗悦は語っています。

十代で民藝(民衆的工芸)運動に出会い、民衆の(地方の)日用雑器の中から美を見出した民藝運動。柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどその友情は生涯続き、民藝館の初代館長が柳宗悦。そして柳亡き後二代目館長を務めたのが濱田庄司です。

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民藝館の玄関に立つとそのざわめきが聞こえてきます。
生前濱田庄司の奥様を益子に訪ねたことがあります。「夜遅く、からころからころ・・・と下駄の足音でお客さまの人数が分かり大忙しで酒のつまみを用意したものですよ」と優しく微笑みお話してくださったことが忘れられません。

濱田は二十二歳の時に河井のいる京都へ。そしてリーチとともに渡英。セント・アイヴィスという古い小さな港町の丘に日本風の窯を築き、リーチと共に作陶生活を三年半にわたり続けます。陶芸家というよりご本人は「陶工」と称していたそうです。沖縄・英国・京都・益子・・・それぞれの土地でその土地の土・空気・水で作られた作品の数々。蒐集した作品。それらは無垢の美に裏打ちされています。観るものの心にその美がどれほど大切か・・・を語りかけてくれます。暮らしの大切さを教えてくれます。

時間をかけてのんびり民藝館にいらしたらいかがでしょうか。椅子にかけ吹き抜ける風の爽やかなこと。

五十年、慕いつづけてきた民藝の世界。幸せなひとときでした。

2014年6月17日(火)~8月31日(日)まで
開館時間 10時ー午後5時(入館は16時30分まで)
休館日   月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌日振替休館)
京王井の頭線駒場東大前西口から徒歩7分

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

やまぼうし

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やまぼうしの花が満開です

箱根の山が
ふんわりと
山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私も山法師(やまぼうし)のように
咲きたいのです

これは32年前、育児エッセイ「やまぼうしの花咲いた」という本を出したときに冒頭で書いたことばです。

箱根の森の中に家を建てて、40年になります。
"やまぼうし"は十年に一度見事に開花すると聞き、私もそうありたいと願ったことでした。今年はその十年の一度にあたるのでしょうか・・・。庭一面、箱根の山全体にまるで夏の真っ白な帽子をかぶったように美しく咲き誇っています。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞられたとか。中国では「四照花」。枝いっぱいに花が咲いたときの、四方を照らす様子を表現しているそうです。花言葉は「友情」。

子どもたちは次々に社会へ巣立っていきました。ハッと気が付くと60代でした。さらに、70代になった現在明日何が起きるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれなし・・・文字通り、まったく予想がつかない年代、それが70代です。

自分たちの時代から次の世代へ世の中が移り変わるという一抹のさみしさをふと感じたりすることもありますが、息子たちと住みはじめ、家がもう一度、若やぎ、華やぎはじめました。何百年もの間、人々の暮らしを見守ってきた柱や梁を使った12軒の家に宿っていた"木の精"がそこここに優しく息づいているような・・・そんな家での暮らし。70代に入ってからいっそう丁寧に日々暮らしたいと思うようにもなりました。これからの十年、いくつもやりたいことはありますが、もっとも心惹かれるのはやはり私の原点「本物と出会う旅」といえそうです。

人々に出会い、ものに教えられ、思索する・・・旅は私にとって学びの場。命に限りがあることを深く実感できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら。そう信じながら、常に新鮮な気持ちで、でも無理をせずにこれからも進んでいきたいとおもいます。

この「箱根やまぼうし」はパブリックスペースとして、アーティストたちなど広く活用していただいております。そう・・・80代になったら、90代になっても皆さまを笑顔でお迎えできるよう、せっせと山歩きもいたしましょう。 やまぼうしの花を愛でながら。

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横浜イングリッシュガーデン

まるで絵本の中に紛れ込んだよう、イギリスの田舎のガーデンにいるようです。先日早朝オープンが6月8日までと知り行ってまいりました。
(8:00~9:30まで)通常は10:00~18:00までです。

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植物に出逢うのは早朝にかぎります。庭一面、バラの香りに包まれていい匂い。ローズウォーターのシャワーを浴びているようです。横浜駅からわずか15分の都会の中にこんな素敵なガーデンがあるなんて。初めて行きました。1100品種、1600本以上のバラを中心に、横浜の気候風土にあった草花や樹木がちりばめられています。

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色ごとに5つのエリアに分かれて植栽されています。白バラを主役に、白いろの宿根草や白の植物の組み合わせは楚々とした美しさです。純白・象牙色・酔白・青白・・・なんて素敵なの。クレマチス、箱根の紫陽花はこれからですが、アジサイとバラの競演も初夏の装いです。ピンク、紫、黄色、ブルー、オレンジさまざまな色の組み合わせがほんとうに素晴らしいです。早朝だったのでカメラのシャッターを押す方々が6名。そして私と娘。

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帰り際ガーデナーの方々が脚立に乗り、剪定をしている姿を拝見し、細やかな手入れがなされていることをしりました。

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植物は私たちに心の豊かさ、優しさ、潤いを与えてくれます。7月、8月、9月はエキナセアやカンナやダリア・トロピカルブランツなどが見頃だそうです。横浜駅から無料直通バスが運行しているのでアクセスも便利です。
素敵なお花を皆さまにおすそ分け。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

鎌倉散策~鎌倉文学館と報国寺

新緑を揺らす風が心地よく鎌倉まで行ってまいりました。

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まず向かったのが娘の小さなアンティークショップ「フローラル」。
私自身がこういうショップをやるのが夢でしたからついつい足が向きます。

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そして、歩いて10分ほどの報国寺へ。ここは鎌倉竹の寺として知られ、海外の人にも人気のスポットです(ミッシェラン・三ツ星)。

境内に一歩入ると見事な竹林。
爽やかな5月の風が吹きぬけ気持ちよいお寺の庭です。
そして"やぐら"と呼ばれる鎌倉時代の墳墓も素晴らしいです。
散策はゆっくり抹茶でも頂きながら過ごしたかったのですが、午後は鎌倉文学館に行く予定でしたので、今回は庭散策だけでした。

(鎌倉駅から京急バス乗車10分、浄明寺バス停下車徒歩3分)

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そして、お薦めは道路反対側の釜めし「多可邑(たかむら)」の海鮮釜めし。
もう・・・絶品です。

あぶらとり一枚もらふ薄厚かな    日野草城

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そんな汗ばむような陽気でしたが、釜めしをフウフウ言いながら娘とお昼を食べて駅まで戻り、江ノ電で鎌倉文学館へと向かいました。

鎌倉文学館は、国登録有形文化財で旧前田公爵家別邸。鎌倉ゆかりの文学者の展示がされており、建物に入るまでの道のりが素敵。青葉を渡る風に"薫風"とでもいうのでしょうか、かぐわしい香りを運んでくれ、心地よいこと。

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今回、文学館では特別展「愛とブンガク」が開催されていたのです。

夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、立原正秋、川端康成・・・など館内のご挨拶に「江戸から明治へ時代が移り、西洋から近代的な"愛"の概念が輸入され、日本に"恋愛"という言葉が誕生したといわれます。

それから100年有余年、「ブンガク」の大きなテーマ"愛"について多くの小説が書かれてきました。そうした作品を、現代の女性作家が見つめなおします」このように書かれていました。

中沢けい、高樹のぶ子、小川洋子、角田光代、柳美里など現代を代表する女性作家の方々の解釈が大変興味深かったです。

私、恋愛小説って大好きです。トルストイの『アンナ・カレーニナ』など意味も分からず読んだ少女時代。もちろん、いろいろなジャンルの小説は好きです。柳美里さんは、芥川龍之介を「小説の中の"暮らし"」と題して書かれています。
高樹のぶ子さんは立原正秋を「花と刃(やいば)」と題して書かれています。
立原正秋の「薪能」は好きな小説です。

館内を回ると作家の直筆の原稿を見ることができます。そこに作家の息づかいや、空気間、鼓動など五感が感じられ至福のひとときでした。

愛は一直線である。  夏目漱石「野分」より

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そして何より気持ちがよかったのが、広大な敷地に手入れされた庭園とバラ園の散策。ほぼ満開に近いバラ。その薔薇の種類は194種、234株に及ぶそうです。

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心地よい風に送られて、江ノ電に乗り鎌倉の散策を終えて箱根の山に戻りました。小さな旅気分。

「愛とブンガク」特別展は7月6日まで。
バラまつりは5月14日から6月8日まで。

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映画のハシゴ

ゴールデン・ウイーク、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。旅に出かけた方もいらっしゃるでしょう。私は先週、今週と映画のハシゴをしました。

「あなたを抱きしめる日まで」
「美しい絵の崩壊(試写)」
「8月の家族たち」
そして見落していた「大統領執事の涙」

ひょんなことで女優になってしまった私。そう、スカウトされたのです。私は中学を出てすぐ働いていました。一年間、バスの車掌になりました。必要に迫られて働きました。 生きることに一生懸命でした。生活がかかっていましたから。中卒でできる仕事というのは、あの時代でも非常にすくなかったのです。バスの車掌になり三年間勤め上げると、試験を受けて、ガイドになることができたのです。なによりもお給料がよかったのです。大卒の方が一万二千円の時代に、私は九千円いただいていました。

それまでに観た映画は「路傍の石」と「赤い靴」ぐらいでした。才能もなければ、基礎の勉強もしていなかった私は、一方でやめたほうがいいのではないかという思いも捨てきれずにあったのです。

そんな頃、仕事で画家の岩田専太郎先生に出会いました。
私はおもわず先生にこう申し上げたのです。
「私、女優をやめたいのです。才能もないし、ちっとも上手なわけもありません。女優を辞めても今なら違う職業につけそうな気がします」と。

すると先生は、「そうだね。君はへただねぇ」とおっしゃるじゃありませんか。先生は、こうもおっしゃいました。「浜君、人生というものは、生涯学ぶものだよ。何をやってもいい。仕事を替えてもいいよ。君は女優として、あまりうまくないから、大成しないかもしれない。でもね、365日、365人の人に出会いなさい。会うことで、キミは何かをみつけていくだろう。答えは自分で探すしかないのだから」・・・と。今、思うと、そのときの岩田先生の言葉が私を前へと進ませてくれたのだと思います。

映画もそうですね。
歳を重ねてから観るとより深く、より愛おしく、そして感動を与えてくれます。
10代から観続けてきた映画。映画のない人生って考えられません。
本と映画が私の青春でした。でも70歳になってから観てこそ胸にさらに響いたのでしょうか。

ストーリーはあえて載せませんが、ハシゴした映画を少しご紹介。

あなたを抱きしめる日まで
50年間隠し続けた秘密を告白し、奪い去られた息子を探す旅に出た主婦フィロミナ。主演はイギリスを代表する女優ジュディ・デンチ。旅を共にする皮肉屋で信仰心がない元エリート記者はスティーヴ・クーガン。監督はやはりイギリスを代表する・スティーヴン・フリアーズ。

美しい絵の崩壊
原作は歴代最高齢(88歳)でノーベル文学賞を受賞した英国の女性作家ドリス・レッシング。彼女が83歳の時の作品。これほどまでに瑞々しい感性にただただ感動しました。美しい絵はいかにして崩壊し、どんな結末を迎えるのか。親友同士の母親と、その若き息子たち。純粋ゆえに禁断の愛の行方は。(5月31日ロードショー)

8月の家族たち
主演はメリル・ストリープとジュリア・ロバーツ。この二人の名前を聞くだけで胸がドキドキします。彼女たちの芝居・演技はただ息を呑むばかり。豊かでリアルで確かな演技力には、最近観た映画の中でも圧巻。信じられない贅沢な2時間でした。家族とは何か?を考えさせられるテーマです。

大統領執事の涙
オバマ大統領が来日したその時間に観ていた映画です。人権問題をこのような角度から捉えた映画も少ないし、見終わった後に生きる強さ、忍耐、優しさ・・・さまざまなことを与えてくれました。

そう、5月10日ロードショーのアカデミー賞主演女優賞受賞のウディ・アレン監督最新作の『ブルージャスミン』も観たいです。

演ずるという女優を卒業し30年がたちますが、ますます映画が愛おしくなります。

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鎌倉路地フェスタ

鎌倉は四季折々、何度訪ねても新しい発見があり出逢いがあります。

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今回はおしゃれ雑貨店からおいしい食事処など、鎌倉駅から路地マップ片手に散策し、スタンプラリーを押していただきながら楽しい一日を過ごしてきました。

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7番目は娘のショップ「フローラル」では普段は英国アンティークを中心に作家ものの素敵なアクセサリーを扱っておりますが、フェスタ用に「リバティープリント・ビンテージファブリックとミャンマーの職人さんが手づくりで作ったカゴ」を出品していました。私はカゴが大好き、リバティーの布もラブリーで大好き!思わずひとつ購入してしまいました。

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カフェでは美味しいコーヒーを飲み、鎌倉の路地を満喫いたしました。路地ってそこに暮らす人々の匂いがしますし、咲いている日常の花を愛でる・・・素敵な空間だと思います。

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そうそう、鎌倉といえば一度はいただきたかった美鈴の和菓子。鎌倉の茶人御用達の名店で知られています。出来上がったばかりの美しい春の生菓子を買い、茅ヶ崎の息子夫婦のところに寄り、コーヒーでいただきました。

花より団子・・・ではないのですが、鎌倉の神社は花を愛でるには「花神社散策」も素敵ですね。桜が終わり今の季節ですと妙本寺の「カイドウ」、光照寺の「レンギョ」、そして4月下旬になれば安養院の「ツツジ」。浄智寺の「シャガ」梅雨どきの「花ショウブ」。大好きな光明寺の「ハス」・・・。

私の住む箱根は今、コメ桜とコブシが満開です。
いつか小さな旅、鎌倉に泊まって「早朝座禅」も経験してみたいです。
4月19日から4月29日まで

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

春の野菜

初春も過ぎ、日差しが増し、湖を渡る風もきらきらと輝いているような季節。
「風光る」この季節は春の野菜も長かった冬からいっきに輝きを増します。

週末に来客があるので、久しぶりに築地市場に行ってきました。子どもたちが小さいころは東京と箱根を往復し、築地での買い物が楽しみでもありました。

私たちの体は食べもので作られます。体だけでなく、心のもちようも、食事の内容で変わってくると思います。

心も?
そう。食べたもので、人の気持ちも変化しますよね。
「食って大切だなぁ」とつくづく思います。

とくに春先の苦味、えぐみ、そして新芽や芽ぶきの香りがします。
これって日本の食の大切な味だと思うのです。

今回のお客さまはレバノンからご夫妻で我が家にお越しくださいます。イスラムの方なので豚は召し上がりません。そして、日本人の方。

市場には春の豆類がいっぱい。絹さや、スナップえんどう、そら豆、グリンピース、やわらかな緑色をした春の豆類は美しいですね。山菜も出回っています。新じゃがと新玉ねぎも美味しいですね。そう、新じゃがと鶏肉のごま煮。きゅうりと鮭のおすしにグリンピースを散らしましょう。野菜がお好きなご夫妻なので、日本の春の野菜をたっぷり召し上がっていただきましょう。根菜のマリネもいいですね。

と、書いておりますが今年の冬は関東も大雪が降り、生産者の方々に甚大な被害を与えました。今回の雪害で農業をリタイアする農家も出てきていると聞きます。

野菜農家も高齢化が進んでいます。重くて、収穫作業が大変な、だいこん、白菜などはとくにそうだといいます。農業者の平均年齢は67歳か68歳です。いつリタイアしてもおかしくないのですが、きつい作業でも黙々と野菜作りをしてくださっています。市場で美味しそうな野菜を見ながら、ふと、これからの日本の農業の未来を考えてしまいました。栽培面積がこれ以上減らないように・・・どうしたらよいのでしょうか。

さぁ「いただく命」を大切に料理をしましょう。旬の野菜で。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6)

長野・善光寺への旅

「食アメ二ティー・コンテスト」がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は「アメニティーってなんですか?」というご質問をいただくこともたびたびでした。

私は40年にわたり、全国の農山漁村を歩いてまいりました。
そんな中で気がついたことがあります。
それは地域の活性化に果たす女性の役割が非常に大きいこと。
特に女性が司る食の果たしている役割が非常に重要であるということです。
新しいチャレンジは、なかなか理解されにくいものです。
それが大変素晴らしいことであっても、家族や近所の人は、日常を共にしているがゆえに、その素晴らしさに気がつかないこともあります。

もし、日本の様々な場所で、女性たちがそれぞれひたむきに活動していることに光りをあてることができたら、活動している人たちを元気づけ、今から活動したいと思っている人たちを励ますことができるのではないかしら。そして、そのような女性たちを指導している人、サポートしている人たち・・・皆んなで力をあわせれば、「日本の農業を元気にすることができる」・・・と思いました。

今でこそ、農村女性に光があたり六次産業化も普通になりました。それでも、表に出たくても出られない女性たちが大勢います。「農業を影で支えているのが女性」であっても。そこで国と農村開発企画委員会の方々のご賛同を頂き生まれたのがこの「食アメコンテスト」という事業でした。

伝統食を守り、地域の食を守り、新たなビジネスを起こし・・・などなど素晴らしい活動がこの20年で活発に動きだしました。
「自分の銀行口座」をもつ人も現れました。

自分たちのための変化だけではありません。
農山漁村の女性たちが、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したために、地域全体が活性化し、生きがいを見つけ、生き生きとした表情で都会の消費者との交流を持ち、意見交換を活発にし、この20年やってまいりました。

そんな中から「もっと勉強がしたいわ」と仲間が集い「食アメネットワーク」の会も生まれました。ヨーロッパや韓国などグリーンツーリズムの勉強や農村女性との交流など多くのことを学んでまいりました。

この会も「そろそろ卒業ね」と私は申し出て一昨年解散しました。
でもこの友情には終わりがありません。
「ハッピースマイルを訪ねる会」として80歳以上のお元気な仲間を訪ねる旅に変わりました。昨年は熊本・天草にお訪ねし、今年は長野で集合しました。

遠く、沖縄から、天草から全国から参集し幸せな2泊3日の旅でした。

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今回は宿坊に泊まりました。
善光寺永代宿坊・常智院。
夜はお寺の奥さまの手づくりの精進料理です。

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弥生 桃の膳
お迎えは さくら茶 結びこぶ さくら餅 かきあられ

夕食は甘酒で乾杯
向付 くるみのおさしみ 生こんにゃく 生わかめ じゃが芋のなます 
梅ぶ 胡麻豆腐 黒豆の含め煮 クコの実 山椒の佃煮
汁 おぼろ月夜汁 わらび豆腐 しら玉 菜の花 おぼろこぶ

そして桃ごはん
八寸風 湯麩田楽 ふきのとう天ぷら くず桜せんべい
煮物 生うど 高松産生うどの豆乳ピーナツクリームかけ

最後のデザートは杏仁寄せ いちごペースト添 杏のシロップ漬けでした。

朝食の精進おとしも、それはそれは美味しくいただきました。
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。

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翌朝は早朝4時に起き「善光寺の朝」を静かに迎えました。
善光寺が一日のうちで最も生き生きとその本来の姿を見せるのは朝だといわれます。古(いにしえ)より伝えられてきた信仰の息吹を、五感で感じられます。太陽が昇ってきます。

法要の前には本堂前で「お数珠頂戴」といって導師を務める住職が数珠を頭に撫でてくださいます。

日の出とともに始まる「お朝事」一時間の毎朝のお勤め。私たちも本堂でご参拝させて頂き朝の清新な空気、静謐な空間。堂内に響き渡る読経や木魚の音を体いっぱいに取り入れ農村女性たちと、すべてに感謝し手を合わせました。

命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いかもしれませんが、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩んでいる貴女たち。

けっして派手ではありません。
華やかでもありません。

けれど、春が近づいたときに、くっと大地から首を伸ばして、寒風にもめげずに、あたり一面に甘い香りを漂わせながら咲き誇る、一本の水仙の花のように。これからも手をたずさえ、私たちの愛しい日本のために生きていきましょう。

みなさん、ありがとう。素敵な旅でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

種蔵棚田の村・宮川村を訪ねて

春の足音があちこちから聞かれるというのにこの大雪。
箱根に住んで40年になりますが初めての経験です。
家の前の道路は1m以上の雪・庭は歩けないほどの雪。

車も通れず、バスは運休。陸の孤島状態が5日間ほど続き、こういう時って"ご近所の力"ですね。皆さん総出でまず歩ける小路の雪かき。
私などはなんの役にも立たず息子に委ねました。

そんな中、中頓別から旭川、そして飛騨の奥へ、そのまま羽田のホテルに泊まり、サッポロへ。前日まで猛吹雪の札幌でしたが私が出発する日は晴天に恵まれ、結局すべての仕事をクリアできました。奇跡ですね。

でも・・・1週間は帰宅できず自然の猛威には人間はなすすべはありませんね。今でも孤立している集落があります。雪とともに暮らしている雪国の方は知恵もありますが、慣れていないとほんとうに大変です。

「棚田と板倉の里  ~伝えたいこの香り、残したい風景~」

板倉が並ぶ風景と石積みされた棚田は深い雪にすっぽり埋まり美しい冬景色。今回も「美の里づくりコンクール」の現地調査で伺いました。

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岐阜県の北部、飛騨市宮川町にある種蔵(たねくら)集落は、石積みの棚田と板倉郡が特徴的な、日本の原風景とも言うべき農村風景が残り大変美しい山里です。

宮川町内の有志で組織される会「種蔵を守り育む会」はやはり高齢化が進み、地域では管理できなくなったた急峻な斜面や荒廃地などの草刈作業が、ボランティアの人たちによって行なわれています。

不耕作地の水田を利用し植虫環境のためのビオトープの造成、不耕作地は高冷地に適している蕎麦・あぶらえ或いは大豆など昔から種蔵集落にしかない紅かぶ等の栽培をしています。冬の3月には田の石積みの雪庇落などを行い、種蔵集落の保存に集落住民ボランティア・行政が一丸となって守る姿に頭が下がります。

この村で生まれ育ち、最長老のおじいちゃんは95歳、近くの集落から嫁いできたおばあちゃんは93歳。炬燵に入れていただきながら昔の集落、種蔵のことなどお話が伺えました。

人間の背丈ほど積もっている雪。
人口11世帯22人

この美しい集落を次世代に伝えていくために、周辺地域住民や都市住民とともに飛騨文化の原風景守っていただきたい・・・と切望いたしました。

春、深い雪に覆われていた石積み棚田が、雪解けとともに顔を出し始めます。雪解けに始まり桜、夏は深緑に鮎、秋は紅葉、冬は雪景色と自然豊かな村です。

以前お邪魔したのは夏、夕立を待っていましたとばかりにカエルが「ゲコゲコ」と鳴きだし夕焼けに映える棚田の美しさに息をのむ思いがしました。
風のように迫る緑に夏を感じ、ミズバショウの群生地、ブナ林・・・五感で感じることの素晴らしさ。

こうした"村の宝"を私たちはどう守り伝えていったら良いのでしょうか。

宮川村までのアクセスは高山本線坂上駅下車。列車の到着時刻に合わせて村営バスが運行されています。新宿からは車ですと約5時間です。

新芽がむくむくと伸びる音が聞こえてきそうです。
おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでもお元気で!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

音威子府そして中頓別町へ

音威子府・・・と書いて「オトイネップ」と発音するその村の語源はやはりアイヌ語からきているのでしょうか。

旭川から宗谷本線の列車に乗り北上していきます。
アナウンスがかかり「途中野生の蝦夷シカが飛び出し、急ブレーキがかかることもありますからご注意ください」・・・と。

いいな~こういう旅って。

北海道の北の果て、そんな慣れない呼び名の森林の村。
人口826人の村。
列車は天塩川に沿って走ります。
一度は訪れたかった村です。

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そう、この森林の村で、森の風倒木や海に流れ着いた流木を使って木の彫刻を続けている芸術家がいることを、しかもその人がイギリス人であることを、私はまったくしりませんでした。 衝撃的な出会いはいつもそんな風に、あの日鎌倉に吹いていた心地よい初夏の風のように、さり気なく、そして思いがけなく訪れるようです。

真っ白な雪の上で朽ちた木が赤々と燃える色彩のコントラスト。
積み重ねた流氷の炉の中で威勢よく炎をあげる立枯れた木々。そして、ナラやニレ、ダテカンパなどの風倒木を彫って作った数々の造形物・・・。

その鎌倉の展覧会で見たデビット・ナッシュの芸術世界は、木を素材に選び、自然界を制作の場に選びながら決してありきたりな自然主義者としては片づけられない、ダイナミックな、まさに人の心を魅きつけずにはおかないものでした。

英国はウエールズ地方の鉱山の町に生まれ育ったというナッシュ。
彼が日本の自然に魅せられて、音威子府の森を創作現場に選んだのは単なる思いつきではないようです。その地に生きる村人たちと深い交流を重ねながら、枯れ木や流木や風倒木といった死に行く木々に、新たな生命力を与え続けたナッシュの芸術世界。

鎌倉近代美術館でそれを目の当たりにした私は、何故かいつまでもその場を立ち去ることができませんでした。そう・・・20年ほど前のことです。

音威子府・・・いつかは訪ねたいと思っていました。

今回はさらにその先にある魅力的な町、中頓別町(なかとんべつちょう)に招かれて伺いました。列車は音威子府で降り車で40分ほど走ると宗谷地方の南部に位置する開拓の町。8割が森林です。

町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖からでる川)。
酪農の町でもあります。
人口1,911人。四方を山に囲まれ唯一海に面していない町です。

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まず最初に迎えてくれたのは中頓別町で捕獲された大きな熊。
公民館には雪深い中、300名近い住民の方々が待っていてくださいました。

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時には-37℃・・・などとニュースになる町でもあります。四季の自然の中で大地を耕しながら自分たちの暮らしの文化を大事に守り続ける人たち。

こういった町にお邪魔すると、拠って立つ所を見失いがちな都会に住む私たちよりも、豊かさの中に日本人の原点やアイデンティティを持っていらっしゃる・・・そう感じました。

帰り際、この会をお手伝いくださったお母さんたちと1時間ほどおしゃべりをさせて頂きました。手づくりのお新香や絞りたての牛乳、その牛乳で作った熱々のお豆腐のなんと美味しかったことか。

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"ご馳走さまでした!" 
またお会いしたいですね。

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テーブルウエア・フェスティバル2014

東京ドームで「テーブルウエア・フェスティバル2014」が開催されています。

暮らしらしを彩る器展~ (2月2日~10日まで)

テーブルセッティングによる食空間提案で、石坂浩二さんや料理研究家の江上栄子さんなど各界の著名人が、個性豊かなテーブルセッティングを披露されていますし、食空間コンテストも開催され会期中は約30万人の方々が入場されます。私も15年程前に4回ほど参加いたしました。

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今回はその中に沖縄のブースが設けられ、沖縄の工芸品を使っての作品の数々を見ていただいています。

沖縄の工芸に魅せられ通い始めて40年以上がたちます。
柳宗悦の著書の中に「沖縄は民芸のふるさと」と記されていました。
織物・染色・ガラス・漆・焼き物・シーサーなど・・・魅力的な工芸がたくさんあります。

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今回は私の大切な「パナリ焼き」をお貸しし会場に展示してあります。19世紀中頃まではつくられていたパナリ焼き。八重山に生まれた焼き物。素朴ですが、かたつむりや貝殻を練りこみ、手捻りてつくられているからでしょうか、素朴な中にも気品と暖かさがありとても好きです。

初日の日にトークイベントに参加いたしました。

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沖縄では、「うとぅいむち(おもてなし)」の心で親子孫たびを応援しています。
ヒガン桜が咲く春キャンペーンとして三世代の方に沖縄の旅を楽しんで
いただきたいという趣旨で、私も昨年からお手伝いしております。
来年は二人の孫を息子夫婦と一緒に連れて行きたいと思っています。

そんな沖縄の魅力を会場でお話させて頂きました。
と同時に素晴らしい沖縄の工芸の魅力も一緒に。

週末、ご興味のある方はお出かけください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

出雲への旅

息子夫婦と三人で出雲へ旅してきました。今回の旅の目的は、出雲大社への参拝と「民芸のふるさと出雲の窯を訪ねる」旅でした。

昨年は二回、ひとりで大社に詣でました。
不思議なことがあります。
かならずお参りする早朝は真っ赤な太陽が社殿の間から照らしてくれます。
まだ夜が明ける前に駅前から一番のバスで「正門前」で下車します。
夜明け前の静謐な空気がとても好きなのです。

遅くなっても前日に駅前のビジネスホテルに泊まります。
そうすると朝一番の駅前から出る6時36分のバスに乗れます。
出雲大社は昨年「平成の大遷宮」「本殿遷座祭」が60年ぶりに行なわれました。バスを降り大鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめ本殿へと向かいます。
行燈の灯りが足元を照らし、そして朝焼けの雲が向かえてくれます。

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今回は息子がカメラを持参してくれたので、私がいつも旅用のコンパクトカメラではなく、写真が素敵。

どこからともなく"蝋梅"のなんともよい匂いが漂ってきます。
花の少ない極寒期の蝋梅、その在りかを探したくなります。

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拝殿から本殿へ。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
天照大神の子の天穂日命を祖とする大社。
本殿内北西には御客座五神が祀られています。

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本殿の周りを一周して神楽殿の注蓮綱はそれは見事です。
お参りをすませて一畑電車・電鉄出雲駅から9時08分の電車で川跡駅で乗り換え出雲市駅に向かいます。

そうそう・・・今回大発見がありました。
私がひとりの時はレトロな駅でのんびり電車を待つのですが、二人が近くのパン屋さんを見つけ、焼きたてのパンを買ってきれくれました。熱々のカレーパンの"美味しかった"こと。早くから開いているのですね。次回は自分で行ってみましょう。

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午後からは穏やかな田園地帯のなかに窯元があります。
出西窯。風景に馴染む日本家屋の工房で誰でも自由に見学ができ、工房の東側にはレンガを積み上げた大きな登り窯があり現在でも使われています。

明日の暮らしもままならない戦後まもない頃、地元の幼馴染の青年たち5人が「何もないここから、自分たちで何かできないか」と。最初から陶芸に特別な想いがあったわけではないようです。

ある日松江の工芸家に「君たちの仕事には、美しさも志もない」と指摘され、民芸運動の創設者・柳宗悦の本を渡されたそうです。出西窯を訪れた陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎から指導を受けます。後にバーナード・リーチらとも交流をもち 「日常に溶けこむ、気取りのない存在感」を五人の青年たちが探し続けて「用の美」へと辿りつき現在へとつながっています。

私も柳宗悦に出会って50年。
「用の美」を追い求め続けています。
今回息子夫婦とこのような旅ができる幸せをかみしめました。
お嫁さんは目を輝かせ普段使いの器を選びます。
鮮やかな瑠璃色は「出西ブルー」と呼ばれ人気があります。

美意識の革命によって生まれた新しい価値観
暮らしを豊かにする民芸の美

と書かれていました。

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帰りがけ出雲の豪農、山本家の屋敷を一部改装し藍染め、木工品、農具など暮らしの民芸館を拝見しました。ご当主が遠くで大豆を干し収穫している姿に日本の暮らしの美を感じました。

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そして・・・夜は居酒屋さんへ。
宍道湖のシジミ、ウナギ、のどぐろの一夜干し、大山の焼き鳥。
お酒は地酒で出雲富士と豊の秋。

翌日は寒風にまじってちらりと舞い降りる雪、"風花"に見送られ家路へとつきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

工芸からKOGEIへ

これまで、私の生活にはりをもたせてくれ、ときに慰めてくた工芸。
美しいと愛でる心を育んでくれた工芸。

私は以前、毎日放送ワイド番組「八木治朗ショー・いい朝8時」に3年出演し、このショーのなかで追いつづけた「手づくり旅情~日本の伝統工芸を訪ねて」は私の旅への想いのすべてをかけたものだったと自負しています。

お訪ねした家々、何軒になるでしょう。
みつめさせていただいた手づくりする人々の手元、一体幾人になるでしょう。

私が旅というものの得もいわれぬ魅力にのめりこんで三十年余り。自分の足と目で探し歩いてきたものが"日本の日本的なるもの"に気づいて以来、私はこの小さな島国日本にかぎりない愛着を持ちはじめました。

いろいろなヒトやモノとの出逢いもありました。
その方が人間国宝であったり、倉敷・花むしろであったり、大島紬であったり、京都の樽、西陣織、那智黒硯。そして北海道・平取のアイヌの花ござ・・・数えきれないほどの素晴らしいヒトとモノとの出逢い。美しいものをもとめ、日本中を旅してまいりました。

私の胸のなかで浮かんでは光を放ち、また浮かんでは光を放ち・・・・・。

新しいモノがどんどん生産され、あきれば捨てられ、消費することが豊かさであると信じた時代もありました。

ひとつの道具を愛して、使いこみ、人から人へ、そしてつぎの時代に伝えていく「モノとの濃密な関係」が、失われつつあった時代。

暮らしの技や知恵を教えていただくための旅を70歳になった今でも続けています。人恋しく、風景恋しく、モノ恋しく旅行鞄を引っ張り出す私。

先日、北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で開催されている
『工芸からKOGEIへ』を見にいってきました。

日本伝統工芸展60回記念し、「伝統工芸の"今"、そして"未来"を考える」
シンポジュームもひらかれました。

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出品作家97名。
陶芸、染色、漆芸、金工、木工、竹工、人形、など日本を代表する方々です。

『工芸からKOGEIへ』
どんな思いでこのタイトルになさったのでしょうか。
それは見る側、一人ひとりの思いだとおもいます。

会場には外国人が熱心に覗き込み、日本の美に魅せられていたのが印象的でした。

千鳥が淵を散策し、冬の木漏れ日が心地よい昼下がりのひとときでした。

2月23日まで開催されています。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

『寒月』と『穏やかな海』

冷え冷えとした箱根の夜、庭に出て月を眺めるのが好きです。
コートをはおり、研ぎ澄まされた三月月を見ながらその美しさに見惚れてしまいます。

そして朝の凛とした空気に「何だか穏やかな海が見たいわ」・・・と思ってしまう私。

このごろ時間が出来ると鎌倉に行くことが多くなりました。バスで下山し、小田原から東海道本線に乗り湘南の海を眺めながら大船で乗り換え鎌倉へ。

娘が鶴岡八幡宮からほど近く、鎌倉宮に向かう美しい散歩道を歩いていくと静かな住宅街の中に小さなショップをオープンしました。

『FLORAL』

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イギリスのアンティーク・ビンテージをメインにアジア、中東の手づくりの
中々素敵な作品がおいてあるのです。

お昼休みに近くのイタリアンでランチをしながらおしゃべり。
ここはお薦めです。
ランチコースで前菜からパスタ・メインそして夜にはぜったい無理なデザートまでいただきました。

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観光スポットから少し外れているので比較的静かですが、それでも満席でした。

今回の目的の一つは近くの荏柄天神社へのお参りです。
友人たち二人のお子さんが受験生です。
荏柄天神社は学問の神様。

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桜並木の散策道を抜けると左手にあります。
石段を上ると荏柄天神社。
境内には樹齢九百年のご神木の大銀杏と梅の木が小さな蕾をいっぱいつけ一輪が咲き始めていました。

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源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行なったそうです。

学問成就に霊験があると鎌倉時代より信奉され、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とこの鎌倉の荏柄天神社が有名です。

受験シーズンだからでしょうか、親御さんや、おばあちゃん・おじいちゃん、そして受験生でいっぱいでした。私にも子どもが4人おりますので、よく分かります。親が出来ることって、夜食に暖かな、消化によいものを作ってあげる・・・
それぐらいしか出来ませんよね。

そして、お参り。
風邪をひかないように、普段通りで受験に望んでほしい。
友人のお子さんたちに、お守りと祈願鉛筆を買って帰ってまいりました。

そうそう・・・帰り道、娘のショップの近くの八百屋さんで「焼き芋」が焼けて
いました。ホクホクのお芋をバックにしのばせて夕暮れの芦ノ湖を見ながら家路につきました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

謹賀新年

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謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
昨年11月で私は70歳になりました。
皆様に導かれ、今の私があると改めて感じています。
感謝の心を忘れず、暮らしを楽しみ、
年齢を重ねたからこそ見える新たな風景を味わい、
『美意識と本当の豊かさ』を求めながら、
人生という旅をこれからも元気に歩んでまいります。

カルチャーの発信地・箱根の「やまぼうし」もおかげさまで、
多くの方に喜んでいただいております。
今年も新たな企画をたくさん用意していますので、どうぞお楽しみに。

今年も笑と希望にあふれた佳き年でありますように。

浜 美枝

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

沖縄への旅

私が初めて沖縄を旅したとき、まだパスポートが必要でした。
民芸に目覚め、そのふるさとともいえる沖縄へ行き、先人(柳宗悦や濱田庄司)の足跡を追ってみたかったのが、私にとっての初めての沖縄でした。

戦争で大きな痛手を受けながらも、多くの生活道具が残されていました。
もちろん生活文化のすべてが。
沖縄を旅して出会った道具は「用の美」そのもの。
ガラス器、焼き物、漆器、紅型、舞踊、琉球の歌の数々、屋根の上に置かれたシーサー。沖縄が激しい戦火に見舞われながらも、決して失われなかった美の継承をみるにつけ、「文化は決して占領されない・・・」と思いました。

今回は沖縄観光コンベンションビューローの企画。
『春のおきなわ 親子まご旅 』 の視察でした。

沖縄は どこよりも早く桜の季節が到来、ヒガン桜が本島北部から咲き始めます。そして、海開きと小さなお子さんを連れての旅にはふさわしい季節です。

私も子供が小さな時に4人を連れてゆきました。どうしても好きな場所に何十回も通ってしまうので、今回あらためて沖縄の魅力の再発見でした。
「わ~、孫を連れてきたいわ」と思わず叫んでしまいました。

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最初に向かったのが本島北部の本部町(もとぶちょう)にある「海洋博公園」。
1975年(昭和50年)に「沖縄国際海洋博覧会」が開催され、海の万博ということで覚えていらっしゃいますか?その跡地に作られた公園です。広大な公園の中を電気遊覧車が走ります。

「沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館」ではジンベイ鮫やマンタが泳ぐ巨大な水槽。浅瀬に棲むナマコやヒトデなどには子供たちが直接触れて楽しめます。そして普段見ることのない深海魚もみれ、もう大人が夢中になってしまいます。

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そして、それは美しい熱帯ドリームセンターの3つの温室には常時2000株以上の熱帯・亜熱帯の花々が咲きほこっています。ランの種類の多いこと。湿生植物、水生植物・・・今度は一日かけてゆっくり見たいです。

沖縄では、ご家族3世代に優しいホテルが充実しているのには正直驚きました。私もそうでしたが、子供が小さい時は食事や細かいことに気を使います。それをじゅうぶん楽しませてくれるプログラムは有難いですね。

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そして、読谷村では陶器市が開かれていました。「読谷山窯」の赤瓦と青い空のコントラストが美しいこと。緑豊かな自然の中で出会う登り窯。日常に使える器が素敵です。

読谷村には20年以上通ったでしょうか。
今は亡き人間国宝・花織の与那嶺 貞(よなみねさだ)さんを訪ねて。

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古民家を移築した百年古家 大家・うふやーでは沖縄そば、ソーキソバ。
子供たちが楽しめる工芸体験など・・・
春の沖縄・親子孫旅で、新たな発見、体験、学びができますね。

日常から少し離れ、家族の絆・思い出をつくれることができる・・・と実感致しました。

すぐには無理ですが、私も孫が二人います。
再来年の春には計画をたてたいと思いました。

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沖縄には、本州にいては分からない、もうひとつの歴史があります。
一度や二度では分からない深い歴史ではありますが、やはり足を運んで、肌で感じて、沖縄が背負わされた歴史もまた、次世代の子供たちに知って欲しいと思うのです。

今年最後の旅が「沖縄」で締めくくれました。
心惹かれるものがたくさんあって、毎年何回も沖縄を旅します。

今年最後のブログです。
どうぞ皆さま、来年2014年も佳い年でありますように。

投稿者: Mie Hama 日時: 15:00 |

京都・「ギャルリー田澤のクリスマス」

『ギャルリー田澤』は私にとってずっとずっと憧れの場所でした。
お店の前を行ったり来たり・・・
京都は私を骨董の世界へと導いてくれた場所。
10代のころ京都に降りたったとき、思わず立ち尽くしたのを私は覚えています。そこには日本の美しく繊細な街並みが広がっていました。
木造の町屋がずらりと並び表通りには、昔ながらの看板やたたずまいを残したお店がつづいていました。

鴨川の流れが日差しに反射してキラキラと光っていました。
橋を渡り二条通りを歩いていたら「ギャルリー田澤」に出逢いました。
店の入り口のしつらえ、そのセンスの良さに目を奪われました。
それから数年はお店の前をやはり行ったり来たり。

ある夏の日、美しく打ち水がされた店内へと足がひとりでに向くのです。
にこやか迎えてくださる田澤ご夫妻。

そこには『和魂洋彩』を唱えるご夫妻の美の世界が広がっていました。

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ガラス・ランプ・古伊万里やラリック・バカラのお皿やグラス・・・
卓上ランプに灯りがともり「なんて美しいの・・・」とつぶやいていました。
赤褐色のバカラのランプの肌にひじょうに細かく描かれた文様を見ているだけで、心が静かになごんできます。

和室には絨毯が敷かれ洋風のしつらえ。
お茶をなさっているからこその美意識。

世界で一番美しいギャルリーだと思います。

「西洋では、アール・ヌーヴォーあるいはアール・デコと決めたら、食器から家具まで全部を統一します。洋食のテーブルセッティングだって全部同じスタイルでフルコースをそろえますが、日本にはそういうのを嫌って、ちがうものを組み合わて、そこに調和のあるテーマを見出すという感覚を大事する傾向があります。これは日本独特の文化です」と、今は亡き田澤長生さんは語られました。

クリスマスの季節が来るのが毎年楽しみです。
美しく飾られた花々・・・昼間と夜とでは表情が変わるセッティング。

胸がぽっーとあたたかくなった気がする午後から夕暮れの時間でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

北海道・置戸(おけと)町への旅

羽田から女満別空港に向かいます。
上空から見る釧路湿原、阿寒湖。
神秘的です。穏やかな午後の陽射しをあびまもなく迎える凍てつく冬を感じさせてくれます。こうゆう瞬間を天からの贈り物・・・と感動を戴きます。

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今回はオケクラフト30周年記念「暮らしと文化を楽しむサロン」に招かれました。

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農林業の振るわない過疎化の著しい町村に、住民自らが「心豊かな暮らし」をめざし、町おこしとして、置戸の町にクラフトを・・・と内外の100人以上の人々が学んできました。工業デザイナーの故秋岡芳夫の町づくりの提案がオケクラフトの誕生へと繋がっていきました。

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とにかく"美しい町"なのです。

面積の87%が森林に囲まれた自然豊かな町です。
清らかな流れの川。
建物、一つ一つは個性的ですが、町全体に気品を感じます。
人口3300人という規模がちょうどいいのでしょうか、看板も木彫りでセンスよく掃除の行き届いた町。
住民が自分たちの暮らす町を愛しているのがよく分かります。
・・・風。ではなく「どま工房」にはどこか人の匂いと温かさが感じます。
オケクラフト共同工房では研究生が自立するまでサポートをしています。
工芸館で拝見した素晴らしい作品のかずかず。

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1983年には「町民憲法推進大会」が開かれ秋岡さんが「木と暮らしのデザイン」をテーマに講演され、それ以来町づくりに貢献なさってきました。

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工芸的な視点での町づくり・・・簡単なようで実はとても難しいことを全国をまわってきた私にはよくわかるのです。
得てして同じような駅、道路沿いの看板、田んぼの真ん中に大きな看板。
工場が丸見え。そのことを考えると、この置戸の町の何と美しいことか。

そして、美味しいのです。

NHK「プロフェショナル仕事の流儀」で話題になった"日本一"置戸の給食。40年味覚を育てるプロの技・佐々木十美さんを中心に素敵な器に数々の料理が盛られ、住民の方々とご一緒に昼食をいただきました。
「食器と食のつながり」美しい料理の数々。地産地消、地元で採れた馬鈴薯やタマネギ、ヤーコンなど秋の味覚。

どれひとつとっても、大人たちが「未来をになう子供たち」へ。という思いが伝わってきます。

豊かな自然があり、豊かな自然から生まれる暮らしがあり、季節ごとの祭りや行事を大切にし、そこに暮らす人の笑顔があり、大きく深呼吸したくなる町。私にとっては「手仕事」のある町に出逢う幸せ。

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素敵な一日を過ごさせていただきました。

置戸の皆さま、ありがとうございました。
また春になったら伺いたいです。

買わせていただいたクラフトもさっそく使わせていただいておりますよ!

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

飛鳥Ⅱの旅・船内での講演

今年はお正月早々、友人達と飛鳥に乗り"お伊勢さん"にお参りに行き今回が2度目の飛鳥での旅でした。

JA新潟女性組織協議会主催のお招きでした。
参加者は650名。
同じ「食・農・環境」に関わっておられる方々、それだけで気持ちが通じ嬉しい出会いをいただきました。

私は名古屋経由で鳥羽港へ。そこで皆さまと合流いたしました。
翌朝2回の講演でした。

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『明日を素敵に生きる』というテーマでお話をさせていただきました。

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以前、歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えられておりました。「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上り坂と捉えるか、下り道ととらえるか・・・」でずい分ちがう・・・「もう・・・なのか、まだ・・・なのか・・・」でも違う、と。

私は、箱根の山を時間が許すかぎり歩いておりますが、ときにはだらだら道を歩いておりますと、足元に咲く可憐な花をみつけたり、急な山道を息を切らしながら上っていると、雲の流れに目奪われたり、その日、その日の自然を体ごと受け止められる自分でありたいと思います。

輝いて「明日を素敵に生きる」とは、いかに自分らしく生き抜くことではないでしょうか。

私は四十歳のときから、演ずることを卒業し、新たな人生の扉を開けました。

30代は子育てをし一緒に旅をし、家作りをし、毎日の食を担い、子供の勉強を見、やれやれと辺りを見回すと、「日本はどこへいこうとしているのだろう」と思いました。

それから勉強を始め、「農」の道に踏み込み、田畑をお借りし10年間米作りを学び農村の女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。

農村漁村と都市を結びつけ、生産する皆さんと消費する皆さんが、手をつなぐことの大切さを実感しました。

あれから30年の歳月がたちました。

「農」は自然、、環境、食、伝統、歴史、政治、未来、人間、美、健康、経済、教育などあらゆる方向から考えられるテーマなのです。

私は"明日を素敵に生きる"ための三つの「食・職・飾」を提案させていただきました。

食べることは生きること、食は命そのものです。

職は社会参画すること。

飾は心を飾ること、感動を忘れず、愛する心をもつこと。

そうなのです・・・分かっていても、ああ、今日は、予定通りできなかったわ。
なぜ、あれをこうしなかったのかしら。
そんなことを思いながら、夜、布団にはいることもあります。

なんでも自分でやらなければ、気がすまないし、それがきちんとできなければ、自分に対してイライラ。そのあげく、くよくよしてしまう。

でも、70歳を迎え今の私だったら、今日は考えるのをやめて、ワインでも飲んでゆっくり寝てしまおうと、思えるようになりました。

全部、自分でしようと思わなくてもいい。
完璧にできないことだってある。

この当たり前なことが、あるとき、心の中にストンと落ちてきてくれたのでした。
心の深いところに届くと、なんの抵抗もなく、するりと納得できてしまうんですね。

そんな日常のあれこれをお話させていただきました。
同じ女性として、同じ空間の中で「明日を素敵に生きてゆきたい」との思いを深めることができました。

皆さん、ありがとうございました。
また今度は新潟に遊びにうかがいますね。

幸せな気持ちで横浜港、飛鳥を下船いたしました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

「モネ、風景をみる眼」

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樹々が黄色や茶色に色づきかけてきた箱根の山。
朝庭に出てみると、美しい光を感じ思い立って「そうだわ・・・ポーラ美術館に行ってみましょう」というわけで先日行ってきました。

「モネ、風景をみる眼」が開催されています。

ポーラ美術館と国立西洋美術館の共同企画です。
箱根の森でモネの風景を観る・・・贅沢な時間です。

「モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしい眼なのか」
セザンヌの言葉です。

我が家からバスに乗り強羅駅からまたバスに乗り換え「こもれび坂、ひめしゃら林道」のバス停を抜けるとポーラ美術館があります。

私は美術館、神社仏閣などはなるべく朝一番で行きます。
そこには静謐な空気、風、匂いがするからです。

9月に2週間パリに行き、オランジェリー美術館でモネの睡蓮を見て、今回出展されている「サン・ラザール駅の線路」が描かれたその駅に降り立ち、白い煙を上げて走る列車ではありませんでしたが、じゅうぶん雰囲気に浸れました。

あるときは、ジヴェールのモネの家の美しい黄色に塗られた食堂に飾ってある浮世絵をみて、モネの深い浮世絵への興味に心が動かされ、庭を歩きなぜ私はモネにひかれるのかしら・・・と思ったものです。庭には藤や牡丹を植えて日本風の太鼓橋をかけ日本が好きだったことがわかります。

光や風、煌く水辺の風景。

後年、モネは語っています。
「私の眼はしだいに開かれた。自然を理解し、愛することを知ったのだ」・・・と。

私は不思議に思うことがあります。モネは収穫や農耕の風景をよく描きます。
でも、農民や労働を表現している絵がありません。
なぜかしら・・・風景に人物を描かないのは。きっと、光の効果を熟知しているからなのかしら。

見惚れているうちに、感動のこころでいっぱいになりました。
歳を重ねていくにつれて感動のこころが広がるように思います。

11月24日まで開催されています。
http://www.polamuseum.or.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | トラックバック (0)

鎌倉への小さな旅

娘のアンティークショップ 「フローラル」が箱根やまぼうしから鎌倉に移転いたしました。

鎌倉にはこれまで何回か海沿い、お寺巡り、花の季節と行っておりますが、四季折々表情の違う街との出逢いがあります。今回はあらためてショップまでの道のり、小さな旅をしてきました。

小田原から東海道本線に乗り大船へ。
車窓から見る湘南の海・・・。息子達が湘南の海近くに住んでおりますので孫と一緒に海まで散歩したり、海岸で砂遊びをしたり・・・。箱根の山では味わえない楽しみがあります。今度はさらに、その先に鎌倉が私のフィールドに入ってきました。

「私の小さな旅」は目的に直行するのではなく、寄り道から旅が始まります。喫茶店であったり、花屋さんであったり、パン屋さんであったり・・・。

けっこう嗅覚には自信があります。あまりハズレ・・・がないのです。と、いうより何というのでしょうか「ウン?何か違うな」と思ったらパス。「気になるな~」と思ったら入る。それだけのことです。では、ショップまでの短い私の旅をご案内いたしますね。

大船駅で横須賀線に乗り換えて北鎌倉を通過します。ここは以前に北条時宗が創建した「円覚寺」でお話をさせて頂いたことがございます。駅から歩いてすぐ。線路沿いを観光客の方々が散策していたり、買い物カゴをさげて歩く人、生活の香りがして好きな沿線です。

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二つ目の駅が鎌倉。駅を降りてロータリーを渡り、小町通りは人・人・人。若宮大路を真っ直ぐに進み、まずは「鶴岡八幡宮」へ向かいます。

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以前蓮の花の美しい時期に行ったことがあります。石段を上りお参りをし、鎌倉の街並みが見えます。八幡さまで結婚式をあげたカップル・・・素敵ですね。

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そして八幡さまの真横に鎌倉彫りの『博古堂』さんがあります。もう25年ほど前でしょうか。手作りの職人さんを訪ねるテレビ番組でお訪ねしたことがあります。木と漆、使うほどに艶をおびて美しくなる鎌倉彫。私はそのときに先代に作っていただいた箱型の鏡台と手鏡は今でも使っています。深い艶が魅力的です。

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そして、金沢街道を歩いていると私好みの素敵な喫茶店に出逢いました。散歩途中、喉を潤したくなりました。お店の名前は「Life」。水出しのアイスコーヒーの美味しいこと。伺うとコーヒー好きのオーナーが北海道から自家焙煎した豆を取り寄せ、専用のドリップで7~8時間かけて淹れられるとのこと。美味しいはずです。その後もう一杯、ホットコーヒー「ブラジル」をいただきました。落ち着いたお店で30分近くお邪魔してしまいました。あまり教えたくない・・・などと思ってしまいました。

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金沢通りをさらに進み、美味しそうなパン屋さんを見つけました。ドイツパンの「ベルグフェルド」。クロワッサンに「二度楽しめる」と書いてありました。
「ンン?二度?帰りに買っていこう!」・・・と。

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そしてちょっと手前の肉屋さんと八百屋さんの間の狭い路地を入ってすぐ右に小さなショップ「フローラル」があります。

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彼女はアンティークが好きでイギリスに買い付けに行きます。
アンティーク・ヴィンテージの食器やカトラリー、ティ&コーヒーカップやグラス。世界各国の素敵な手仕事の品。アクセサリーもとても好きです。私はカップ&ソーサーを一客とトレーを買いました。トレーの刺繍の美しいこと。

やっぱり女性は"ラブリー"が好きです。

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そうそう、帰りに買ったクロワッサン、サクサクとしっとりが二度味わえるのです。始めて食べた食感。娘に教えてもらいすぐ近くにフランス風のパン屋さんに寄り、やはりパリ風のクロワッサンを一つ買いバスに乗って(バス停は岐れ路"素敵な名前ね。)帰路につきました。

鎌倉にいらしたら「FLORAL」フローラルにお立ち寄りください。
小さな・小さな可愛いショップです。

電話0467-91-5181
OPEN 11:00~18:00 
火曜お休み

詳しくはHPをでご覧ください。
http://www.floral-antiques.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

土門拳記念館

土門拳記念館の開館30周年記念企画講演会に招かれ山形県酒田市に行ってまいりました。酒田市内から鳥海山を見ながら最上川を渡り、飯森山公園の中を抜けて行くと記念館があります。

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酒田で土門拳先生のお話をさせていただけるなんて・・・夢のようです。

    『人の歴史は出逢いの歴史』


誰の人生も、振り返ってみると、いつも偶然のようにして出逢った人に導かれて「忘れられない出逢い」の積み重ねで、その歴史を形作っていくものだと思います。

もし、あの人と出逢わなかったら、今日の私はなかったかもしれない・・・と感ずる人との出逢いの思い出を、誰もが必ず持っているのではないでしょうか。

写真家・土門拳さんとの出逢いは、私にとってまさにその後の人生を決定づけるそんな出逢いでした。

16歳になって間もないときのことでした。
立ち寄った本屋さんでふと手にとった一冊の写真集。「筑豊の子どもたち」と題されたその本が、なぜか私の心を惹きつけました。

昭和三十年代のまだ日本全体がとても貧しい時代でした。
ザラ紙に刷られたモノクロ写真の一枚一枚から、生き生きと表情豊かに何かを語りかけてくる炭鉱の子どもたち・・・。

写真集の表紙は、小学四年生のるみえちゃん。
電灯代わりのろうそくに、マッチで火をつけるるみえちゃんと、それを見守る三つちがいの妹・・・。姉妹のもの憂いた佇まいと無邪気さ、美しさと底知れぬ悲しみ、一枚一枚の写真が、悲しさと子供達の愛らしさを伝えていました。

私はまだ幼く、これらをなんと評していいものか、言葉をみつけることさえできませんでしたが、厳しい現実にさらされて、それをたたじっと見つめ、向かい合う子供たちの姿に、戦後の日本が抱えて、そして忘れさろうとしたもののなにかを、私は感じていたのかもしれません。

それらの写真はその時の私の日常からは遠い別世界のようであり、またとても身近なもののようであり・・・・多感な少女の心に強烈な印象を残したことだけは確かだったように思います。

そして私はそのときはじめて、社会派カメラマンという職業に興味を抱き、また「土門拳」という偉大な写真家の名を、はじめて知ったのでした。

"お逢いしたい"・・・と思いました。

それから間もなく運命の時はあまりにもさり気なく、予期せぬ早さでやって来ました。「婦人公論の表紙撮影で京都に行くよ」。と東宝の人に言われ、そこにカメラマンとして、思いがけない「土門拳」という名が記されていたのです。

あんな写真集を出された方に、この私が撮って貰えるなんて・・・と、女優という仕事に就くことになった幸運を、有難いと思いました。あの頃は、たった一枚しか使わない表紙の写真を撮るのに三日間という予定を組んだ優雅な時代です。

初日は素晴らしい天候でした。
「あ~今日で先生とはお別れだわ」とがっかりしたのですが、イメージする陽の光ではなく中止になりました。

先日の講演のあと、第2部でお弟子さんでいらした藤森武さん、堤勝雄さんから伺うと撮影の場所が苔寺でしたから、晴れていると陽の光が違うとのこと。妥協を許さない先生の仕事ぶりを身近で感じることができました。

「ついて来るかい?」と、京都の町を散歩に出掛けられる気楽さで誘ってくださいました。

連れていってくださったのは四条通の「近藤」という骨董のお店でした。
あの日以来、通い続けた私にとってかけがえのないお店。

『ものには本物とそうでないものと、二つしかない。本物に出会いなさい』と先生のお言葉。

骨董と私の最初の出会いは京都でした。

土門拳記念館では『古寺巡礼』、とっておきセレクションが2013年9月11日~12月15日まで開催されています。

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そして出会いの結実「女優と文化財」、婦人公論の表紙になった女優たちの写真展も同時開催されています。

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私は信楽の大壷と一緒に、苔寺の庭で・・・と、やく50年前の自分と出逢いました。

「室生寺に始まり室生寺に終わる」

といわれます。

病に倒れられ車椅子での撮影、「室生寺雪の鎧坂金堂見上げ」も大好きな写真。古寺巡礼の写真の一枚一枚に本物の日本人を撮ろうとする土門先生の気魄がせまってきます。風景には穏やかなお姿が重なります。

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写真を追って室生寺、京都のお寺・・・と私の旅はつづきます。

四季おりおりの「土門拳記念館」には何度かうかがいました。建築としての記念館も素晴らしいのです。鳥海山を池の水面に映し、土門先生と交友のあった方々。イサム・ノグチの彫刻、勅使河原宏氏の庭園、父上の蒼風氏のオブジェ。飯森山公園の美しい風景。

もっともっとこの空間にいたい・・・そんな思いで帰路につきました。
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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

飛騨路への旅

パリから戻り、4年間つとめた近畿大学の客員教授としての最後の講義を土曜日に終わらせ、大阪から名古屋経由で飛騨古川に行ってきました。

古川は高山から西へ16キロ。
有名な高山の影に隠れていて目立たなかったのですが、私はそのことがとてもよかったなぁ、と勝手に思っているのです。
観光地づれしない、初々しさといいましょうか。
家々の営みが、こんなに美しいなんて!と、感動なさると思います。
城下町として栄えた名残が町並みに残っています。
観光地化されない良さが、旅人をくつろがせると、いつも私は思っています。
住んでいる人たちがその町を愛していないと、町は美しくなりません。

城下町として発展してきた古川の町は、鯉の泳ぐ瀬戸川を挟んで碁盤割りに町内が区画され、出格子の商家や白壁土蔵の造り酒屋が続くしっとりと落ち着いた雰囲気の町です。

飛騨の匠の流れをくむ「木の匠」たちの手による木造建築によって町が構成され、一軒一軒が木ならではの品格と優しさ、強さを秘めた家並みで構成されています。

ご縁ができる土地ってあると思いませんか?
私は全国に何ヶ所か、世界に何ヶ所かもっています。
何度行っても新しく、そして懐かしい所。心からくつろげて、癒される所。
そんな旅先を持っていることが、心の財産だと思っています。
その財産のひとつが飛騨古川なのです。 

この地名を耳にすると、私の胸はキュンと高鳴ります。

高山本線に乗り、秋のふるさとを目指しました。
車窓からは、黄金色にかがやく稲穂。
一面に咲いたコスモスが、風に吹かれて軽やかに揺れ、紅色の彼岸花が沿線に咲いています。川の流れも穏やかです。

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駅に降り立つと仲間が「おかえりなさい」と迎えてくれます。

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私が民藝に目覚めた中学生の頃からの夢の家。
柳宗悦先生の本に触発された匠の技による"美"の実現。
太い柱、使い込んだ床、磨くほど味わいをます道具達。
それらで構成された家を作りたくて旅を続けていた40年ほど前。
そのために廃屋探しで飛騨地方や北陸を旅していたとき、ふと降り立った町。
その町で、ある青年に声をかけられたんです。

「浜さん、ボクたち映画を作りたいのです。タイトルだけは決まっているんです。『わがふるさとに愛と誇りを』っていうんです。」

青年は、私が女優というだけで映画作りもすると思ったわけです。頼まれた私はびっくりしましたが、彼らの熱意に打たれ協力することになりました。そのときの出会いがご縁で、私は飛騨古川の応援団として今でもお付き合いが続いているのです。

知り合いの映画技術者など紹介し、できるだけのことをお手伝いし、8ミリで2時間の大作が完成しました。その日の感動が、以後40年過ぎても、私を古川に引き寄せるのです。

何に引き寄せられるかといいますと、これは何処へいってもそうですが、そこに生きる人々の心映えです。それが旅人である私の最高の魅力なのです。

お付き合いが40余年もの歳月に及ぶと、仲間は親戚のようになり、同世代の仲間ですから、人生の折々の楽しみや悲しみも共有するようになっています。

今回も彼らと旅の話や家族の話・・・これからの町づくりをどう若者に繋いでいくか、などなど。

第二のふるさと・古川の町並みを誇らしく思います。
懐かしい友を訪ねる旅をしてきました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:21 | | コメント (0) | トラックバック (0)

パリの旅

パリから戻りました。

遅い夏休みを二週間とっていました。
本当はエジプト行きを計画していたのですが、今回は取りやめました。

「さ~て、古希の自分への"ご褒美"はどこにしましょ」・・・と考え、ジャンヌ・モローの映画「クロワッサンで朝食を」を観て「そうだ、パリに行こう」ということでアパートを借りて行ってきました。

「暮らしているような旅」を以前経験してから今回が二度目。

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6階の部屋から見える建物が"パリに来た"・・・と思わせてくれます。
まず荷物をとき、自宅から持参した大好きなテーブルクロスをかけ、近くで買った花を飾り「自分の部屋」の出来上がり。

花とテーブルクロスは旅に欠かせません。

近くのスーパーで水・牛乳・果物を買い、そして美味しそうなパン屋さんを見つけるのが最初にすること。パン屋さんはパリっ子がならんでいるところにハズレはありません。

「クロワッサンで朝食を」! ジャンヌ・モローのようにはいきませんがまずクロワッサンとパレオレザンを一つずつ買いました。

一週目はセーヌ川の右側にあるサントノーレ通りの端っこのアパート。
この界隈は美術館にどこも歩いていけるのです。

初日は「オルセー美術館」へ。
1900年のパリ万博の際に建造された鉄道の駅舎が美術館に転用されています。

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「落穂拾い」に魅せられ、工業化する社会状況の中で昔どうりの農作業をする人びとが描かれ、なんだか懐かしく、短い生涯を終えたゴッポの自画像、ローヌ川の月星夜・・・。一日中いてもあきません。

翌日はベルサイユ宮殿の庭園などを手掛けたル・ノートルによって造られた「チュイルリー公園」をゆっくり初秋の花々を見ながら散歩し、「睡蓮」のためにモネが構想した光溢れる「オランジェリー美術館」で睡蓮の前に佇み、印象派の絵画を楽しみました。そのままシテ島まで歩き、ノートルの大聖堂のバラ窓のステンドグラスに魅せられ、裏側から観る寺院の優美さにうっとり・・・。

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小さな橋を渡って、サンルイ島のカフェでお茶して・・・パリらしい文房具屋さんでは「かわいい~」とエンピツやノートを"自分へのごほうび・ごほうび"と大量に買い込み、セーヌ川に浮かぶシテ島の中にある花市で見つけた花ではなく、アンティークの布で出来た大きな・大きな花のバッグに一目ぼれ。裏の小路を抜け、古本市を見ながらアパートへ。この日は18000歩も歩きました。

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右岸では友人に案内していただき「パサージュ」巡りが素敵でした。
ノスタルジックな雰囲気のアーケード街。
19世紀に建設されたガラス張りのアーケイド。
古きよき面影を残すお店が連なっていました。
もっともパリらしい場所です。

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二週目からは左岸のアパートに。
コンコルド広場から地下鉄で4つ目。"ラ・モット・ピケ"
(銀座一丁目から恵比寿へ、)というところでしょうか。
友人が引越しを手伝ってくださいました。ありがた~いです。
ここは以前と同じ部屋。
テラスからエッフェル塔、モンパルナスの丘が一望できます。
ワンルームですが、どちらのアパートも快適です。
夜は8時過ぎまで暗くならないし、朝は7時半過ぎにようやく明るくなります。

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朝食・夕食は基本的には自炊し、昼食をしっかりとり、夕食はワインとチーズ位がちょうどいいです。水曜・日曜は直ぐ傍にマルシェが開かれるので、さっそく果物、生ハム、チーズなどを買いました。スーパーよりも新鮮でかなり安いです。地元の人びとが買い物カゴを持って買いにきます。

アパートの前が地下鉄駅、バス停も目の前なので共通のチケット(カルネ)を10枚買いどこに行くにも便利です。

朝、下を走る電車で目覚めます。

1週目は動きまわったので、2週目はのんびり過ごしました。
6時ころに起き、まずミルクたっぷりのコーヒーを一杯。
7時前には開く近くのパン屋さんにクロワッサンを買いに行き、出来立ての美味しいこと。朝食をとりながら10時ころまでのんびり本を読んで過ごします。

今回、何冊かの本の中から河合隼雄さんの「"老いる"とはどういうことか」をいっきに読みました。

こんなページに出会いました。

ある六十歳近いご婦人が、次ぎのような夢を報告されたことがある。
「夕陽が美しく沈んでゆくのを見ていて、ふと後ろを振り向くと、もう一つの太陽が、東から昇ってくる」。この夢はこの方の置かれている状況をあまりにもよく表現しているように思われた。これから老いてゆく、ということは「落日(らくじつ)」によって示すのが適切である。しかし、その一方では「私の人生これからはじまるのだ」といわんばかりに、日が昇ってくるのだ。

そうですね・・・。
50代までは、家庭・育児・仕事・・・など、自分のことなど考える余裕がなかったのかもしれません。私自身は多くの旅をしてきましたが、心からの解放はできなかったのかもしれません。二つの太陽のイメージは、まさに、私にぴったり!と思わず大きくうなずいていました。

一日一ヶ所・のんびり旅です。

バスに乗り、モンマルトルの丘が終点(裏側に着くので静かな住宅街を抜けていけます)。途中下車して常設市場に寄り、モネの絵と同じ駅の風景をみて、ルネ・ラリックゆかりの地旧ラリック邸も訪ねました。ラリック作の扉も素晴らしくうっとりしてしまいました。映画人の多い住宅街、Montmartreで下車し、丘の上からパリの街を一望し、歴史に名を残すアーティストの集まった時代に思いを馳せ、ゴッホが弟テオと過ごした家も見学し、モンマルトルのカフェでいただいた「オニオンスープ」の美味しかったこと。

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ある日はビオカフェで友人とランチをいただきながらのんびりとおしゃべりを。今回、オーガニックマルシェなど、スーパーでもビオの商品の多さに驚きました。食品だけでなく生活まわりの品々、市民がビオに深い関心を持っていることを知りました。

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エッフェル塔までは歩いて30分ほど。
周辺はカフェやレストランの他、おしゃれなショップも充実しています。
近くから見上げても、遠くから前景を見ても、その美しさに圧倒されます。

いつか階段で・・・と思いながらまだ実現していません(いえ、もう無理でしょうけれど)。日曜日はパリジェンヌマラソン大会を見に行き、セーヌ川でランチクルーズを楽しみました。(思いっきり観光客になりました)

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私のお薦めは、エッフェル塔から歩いてすぐの「ケ・ブランリー美術館」。
アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ大陸の美術、文化を中心としたコレクションが見事です。庭も自然に作られていて、カフェも素敵。

最後の日はやはり大好きな サンジェルマン・ドゥ・プレ界隈の散策。
たくさんギャラリーや本屋さんもあり素敵なカードを見つけました。
かつてフランス文化の中心地として多くの芸術家が集まった場所です。

まずは、サンジェルマン・ドゥ・プレ教会へ。
教会の正面にあるカフェ「レ・ドゥ・マゴ」はかつてピカソや詩人ランボーをはじめ、文化人や芸術家が出入りしてしていたところ。私も椅子にすわりエスプレッソを飲み幸せな気分を味わいました。

私はフランス語が話せません。
でも、このごろでは英語で会話してくれます。
「ひとり歩きの会話集フランス語」を片手に身振り・手振りでの旅です。

一番の楽しみは教会の横の小路を入ったところにあるアンティークショップに行くことです。15年ほど前にブラっと入りマダムと話をしていて、手縫いのベットカバーから始まり、毎回、ひとつずつ、大きな赤のクッションカバー、次ぎは花がらのカバー・・・と、今箱根のベットの上においてあるものはここで見つけたものです。

パリに来て思うことは、年を重ね70代、80代になっても、果物屋さん、パン屋さん、アンティークショップのマダム、ギャラリーのマダムなど、誇りをもって仕事をしていることです。そして、おしゃれも忘れません。下町のお母さんたちの元気は日本も一緒。誇りを持って生きることと頑固なことはちょっと違うかもしれませんね。

「老いる」とはどういうことか。
老いが多様的であるように、私は私でありつづけたい、死がくるまで。
そんなことを感じながらの二週間の旅でした。
そして、"美しいもの"を見ることの大切さも実感しました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 13:22 | | コメント (3)

クロワッサンで朝食を

ジャンヌ・モロー主演の映画「クロワッサンで朝食を」を観てまいりました。

彼女の存在そのもの、その生き方が女性の憧れであり半世紀を超えて第一線を走り続けています。

ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、「恋人たち」、「危険な関係」、トリュフォーの「突然炎のごとく」でふたりの男の間で揺れる女を。「黒衣の花嫁」のジャンヌ・モロー。1968年トリュフォー監督作品。私が25歳の時に観た大好きな映画。

老いすら美しい彼女。
誇り高く、背筋を伸ばし、女であることを捨てない・・・いえ捨てずに生きることの大切さを感じさせてくれる映画。「クロワッサンで朝食を」のストーリーはあえて書きません。

ただ、パリのような大人の街、環境だから可能なのでしょうか。

監督のイルマル・ラーグが、ある実話にもとずいて描かれた作品です。
今回の映画の中で着ているシャネルのスーツ・バッグはすべて自前だそうです。その空間はまるで彼女自身の自宅のよう。

60年間にわたって女優を続けてなお輝きをますジャンヌ・モローに乾杯!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

学生たちと若狭でのフィールドワーク

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近畿大学・総合社会学部の客員教授をお受けして4年目。
今年ですべての講義が終了いたします。

初回に「この美しいキャンパスを港として、どんどんフィールドワークに出かけましょう」と毎年、答志島と若狭へ出かけてきました。

「自分らしさの発見ー暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマに学んできました。

"この目で見て、この耳で感じる"・・・それを何度も繰り返してきました。
その中から人の暮らしが見えてきます。

「現場を歩く大切さ」
「食は命」

講義を担当させていただき、学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直すことができました。

TPP交渉も始まりました。
国家百年の計・・・と安倍総理はおっしゃっています。
農業の衰退は国を滅ぼします。
農業をはじめとして、私たちはどんな国を目指そうとしているのでしょうか。

"美しい日本の暮らし"

私たちが生きて暮らしているこの日本という国を、「誇りに思っている」と胸を張っていえる人がどれだけいるでしょうか。

私たちの子の世代に、孫の世代に、一体何を、誇りを持って受け継ぐことができるのか・・・。「物」と「お金」を必死で追い求めた時代。それを得ただけでは心から幸福にはなれないことに、若者は気づきはじめました。

この4年間、若者から多くのことを学ばせてもらいました。
ありがとう。

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今回の若狭での経験を簡単ですが、感想文として寄せてくださいました。


私は今回の大飯町でのフィールドワークに参加して普段大阪にいるだけは感じることや、学ぶことのできない多くの体験をすることができました。様々な人との出会いもあり、お話を聞けたり、体験もでき、私にとってはとても貴重な経験になりました。大飯町の人はどの方もあたたかい人ばかりでまた交友関係が広くみんなが仲の良いように感じました。これも大飯町の魅力なのだと思えました。お世話になった方々、貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。機会があればまた大飯町に訪れたいです。
【植田 直弥】

今回のインターンシップで多くのことを学びましたが、その中でも最も感じたことは、食の大切さです。農家の人たちに関する映像を見たり、実際に農家の人の話を聞いたりして、とても苦労して作っていることを知りました。そんな国内の農家のために私たちができることは、できるだけ国産のものを買うことにあると思います。また、それは私たちにとっても安心を買うことにつながると思うので良いことだと思います。
【川端 達也】

今回の福井県でのインターンシップでは多くの貴重な経験をする事ができ、またとても楽しかった。竹紙作りや畜産農家の方に聞いた、苦労話やTPPへの思い。ほかにも多くの事を学ぶ事ができた。松井さんのおっしゃった「何にもないけれど、探せば何でもある」ということをしっかりと理解し学べたと思う。
【橋本 拓也】

私は、大阪に住んでいるのであまり自然と触れ合う経験があまりなかったのですがフィールドワークで見渡す限りの田園風景、山々の中を自転車で駆け巡り、様々な場所に行きそこで滝に打たれたり竹で紙を作ったりなど、たくさんの体験ができました。そしてたくさんの人たちの出会いもありました。訪れた場所でお話を聞き、バーベキューにいらっしゃった人たちとの交流や、案内してくださった松井さんの農業やおおい町の話を聞かせてもらい良い経験ができました。このフィールドワークは私にとってとても貴重な経験になりました。
【濵口 洋平】

今回の体験を通して、どれだけ自然が大事なものであるかということと、人と人との関わりの大切さを学んだ。三日間という短い日数の間だったけれども、その間にたくさんの新しい人と関わりを持つことができたし、松井さんからたくさんのことを学ばせていただいた。三日間本当に楽しかった。ありがとうございました。
【古川 恵里那】

今回のフィールドワークでは自然の素晴らしさを感じるだけではなく、現地の方々からお話を伺うことで自分の知らないことが数多くあることに気づきました。そのなかでも特に畜産や農業の一部を実際に見学することが出来、興味深く感じました。この2泊3日の経験を通して学んだことをしっかりと受け止め、考えることでこれからに生かしていきたいです。
【森田 勇佑】

おおい町では、目にするもの、食するものすべてが都会とは大きく異なっていました。若州一滴文庫を訪れたり、滝を見たり、畜産農家での見学、釜の見学、渡辺淳先生のアトリエにお邪魔させていただくなど貴重な体験を数多くさせていただきました。食べ物も新鮮でとてもおいしかったです。ぜひまたおおい町を訪れたいです。
【渡邊 絵梨奈】

やまぼうしのフィールドワークは、都会ではできないことを体験することができました。また、のどかな風景を自転車で進むのは爽快でした。ここでの体験は今後の人生の糧になると思います。最後に、楽しく、スムーズに過ごせたのは、松井さん家族をはじめ、若狭のお世話になった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
【塩澤 洋佑】

今回のフィールドワークは去年に引き続き二回目で、お手伝いとして参加させて頂きました。去年の内容には無かった椎茸工場の見学や紙すき・絵付け体験など、二回目の参加でもとても学ぶことの多い機会だったと思います。今回のフィールドワークに関わって下さった多くの方々、誠にありがとうございました。
【仲 勇至】

授業では二回目、実際に訪れるのはもう何回目かわからない福井県おおい町ですが、行く度に新たな発見がある素敵なところだと感じます。自転車で風を感じながら、おおい町で様々な体験をすることができました。今回は特に地元の方たちとお話できたのがすごく印象的でした。貴重なお話を聞くこともできてこれからのことを考えるよい機会となりました。ここでの出会いを大切にしていきたいと思いました。
【井實 彩嘉】

都会から離れ、大自然のなかで過ごした三日間は心身ともにリラックスできた時間になりました。おおい町は、見渡す限り山と田んぼで何もないように見えたが、学びがたくさんありました。それは地元では見れない農家を営むひとたちであったり、自分が知らないおおい町の文化です。この三日間は非常に濃く、考え、感じる三日間になりました。
【高本 典愛】


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

京都・相国寺へ

暦の上では8日から秋になりますが、実際は一番暑い夏の日。
それでも、ふと山は秋が近づいていることを感じさせてくれます。

そんな真夏日の早朝、京都・相国寺にお邪魔してまいりました。
座禅をくんだあとの皆さまの前で6時からお話をさせていただきました。

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畳の講堂に座る方々の清々しいお顔を拝見しながら、緊張は致しましたが皆さまとのご縁に感謝いたしました。

6日は広島で、本日9日は長崎でそれぞれ平和記念式典が行なわれます。
太平洋戦争が終わって、今年で68年。
夏の盛りに、戦争は終わったのですね。

蝉の鳴く境内を歩き、美しく咲く蓮の花を見ながら講堂へと向かいます。
世界で唯一の核被爆国として、平和への祈りを捧げ、平和への思いを深く考えました。

そして、人と人との出逢いの素晴らしさを改めてからだで受け止めました。

臨済宗相国寺派大本山・相国寺
法堂(重文)は桃山時代の遺講で我が国最古の法堂、入母屋造りの唐様建築で本尊釈如来は運慶作です。

豊臣秀頼によって再建されたもので、現存する法堂の中で最古のものだそうです。

話を終え、お粥をご馳走になり法堂にお参りさせていただきました。
天井には狩野光信によって描かれた龍の図がそれは見事です。
「鳴き龍」として有名です。

手を叩き、その音に心静まり感動の瞬間でした。

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前日に見た相国寺・承天閣(じょうてんかく)美術館で開催されている「伊藤若仲の名品展」も素晴らしかったです。若仲に多大な影響を与えたお寺さん。

鴨川の流れが朝の陽射しに反射してキラキラ光っていました。
そして町を見守るように、しっとりと四方を取り囲む山々・・・

初秋の到来が待ちどうしい京都の二日間でしたが、大きな希望ももたらしてくれた旅でした。講堂でご一緒した皆さま・・・ご縁をありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

伊勢湾に浮かぶ「答志島」への旅

大阪の近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持って、今年で4年目になります。

私が大切にしていることは、机を前にして考えることも大事ですが、自分の足で歩き、体感し、考えることです。
最初の年から最も取り組みたかったフィールドワーク。

今年も「寝屋子制度」(ねやこせいど)を学びに答志島に学生達と行ってまいりました。

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授業を終えて、近鉄で三重県鳥羽市へ。
そこから離島・答志島へは船で約30分です。

大都会で暮らす彼らはまず、その自然の風にふかれ磯の匂いに心地良さそうです。

答志島の答志町答志地区に古くから伝わる寝屋子制度。
この制度は何時からかは判明していませんが、百年以上前からこのしきたりが続いています。

かつては西日本には何箇所かあったようですが、現在はここだけに残っている制度です。

寝屋子という若者宿は、高校(かつては中学校)を卒業した同年齢の子を集め仲間を作り、受け入れを承諾してくれた寝屋親の自宅で寝起きをし、夜の共同生活を一緒に体験し、適齢期を迎えるまで共に暮らします。20代半ばとされる解散後も親密な関係は継続されます。

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農業や漁業が生活の基盤であった時代には、人びとはお互いに助け合わなければ生きていけなかったのです。

現在は少子化で形は変えていても存続している制度です。

NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも話題の海女漁ですから夫婦単位の漁業です。「命綱」を夫に託して潜ります。何かが生じた場合は、仲間が駆けつけます。

『血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のようにつきあいます』

ネヤコ同士も死ぬまで兄弟です。
なぜ、このような制度が現在まで続いているのでしょうか。

社会構造の変化などで、共同体の崩壊が進み、地域の子供は地域が育てる
という「地域の教育力」が低下しているといわれますが、学生達と泊まった民宿の下が空き地になっていて、元気な男の子達の遊ぶ声がし、見守る大人たち。

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毎回私たちを迎えてくださる、かつて寝屋親の山下正弥さんはおっしゃいます。

「自分勝手な人間にならん様に生きているのは自分も誰かに支えられていると言う事。それを忘れずに助け合いながら生きていくのが寝屋子です」・・・と。

学生たちに優しく語りかけてくださいます。

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一日、島を案内してくださり、島の人たちに声をかけられ、心のこもった料理を食べ、学生達の心のなかに"何かが"残ったはずです。

現地に赴き、その人たちの話を聞く。その実際を肌で感じてみる。

そこで得た知識、知恵、経験をもとに、共同体的な関係を切り捨てる近代化ではなく、共同体的な関係が生きている近代化をもう少し模索しても良いのではないでしょうか。

私はとても大切なことだと思います。

一泊二日でしたが、今回も学生達と素晴らしい旅が出来、優しさに包まれ幸せな時を過ごせました。

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島の皆さん! ありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

出雲への旅

今回は島根県浜田市で開催された「ルーラル・ミーティングin島根」のパネルディスカッションに参加するために行ってまいりました。

島根県には棚田百選に選ばれた美しい棚田がいくつもあります。
私たちを日本の原風景へと誘ってくれます。
しかし、過疎化や後継者問題で、それぞれの悩みもありますが、集落の方々は地域住民の熱心な町・村おこし運動によって再生に取り組んでいる姿に尊敬と感動を覚えます。

既に国の都市化政策が行き詰まりを見せるようになった近年は、若者の意識も大きく変化してきました。

人間が人間らしく生き、日本という国のこれ以上の荒廃を防ぐためには、農山漁村の再びの活性化こそが私たちに課せられた急務の課題という気がします。

私たちのアイデンティティーとは、一体何でしょう。
私たちの原風景はどこにあるのでしょうか?

素晴らしいディスカッションに参加させていただきました。
皆さま、どうもありがとうございました。

そして浜田から出雲市へと向かいました。

どうしても今年お参りをしたかった『出雲大社』
神々のふるさと、出雲の旅がはじまります。

祈りを結ぶ社・・・出雲大社。
神代の昔から古社、神話が語り継がれ、約六十年ぶりの大遷宮が行なわれている出雲大社。社殿の新築、修造にあわせご神体や御神座が移され社殿が蘇えりました。

縁結びの神さまとして知られる大国主大神がお還りになった年です。

今年のお正月は伊勢神宮に参拝しました。

私はいつもそうですが、できれば早朝のお参りがしたいのです。ですから遅くなっても前日の夜にはその町に入り、朝一番でまいります。駅前のビジネスホテルに泊まり、出雲市駅前からバスで大社へ。

(ちょっと余談ですが・・・前日の夜は居酒屋にひとりで行き、地元の食べ物、地酒をいただきます。そうして体ごとその町に馴染みます。今回もあたり!宍道湖で採れたシジミ、とウナギを食べました)

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バスで約30分、正門前で降り、勢留の大鳥居を一歩踏み入れば、そこは神域です。

昔は、芝居小屋が立ち並び参拝客が足を止めて集まったことから、人の勢いが留る「勢留」と呼ばれたそうです。

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静謐な早朝、神々が息付く参道の玉砂利を踏み締め御本殿へと向かいます。
やはり御本殿を仰ぎみるのには早朝がいいですね。

朝が生まれた瞬間の清々しい境内は、緑にあふれています。

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国宝に指定されている本殿の大屋根は、松ヤニやエゴマ油、石灰を混ぜた伝統的な塗装、「ちゃん塗り」が施され色鮮やかな鬼板や千木がひときわ目をひきますし、檜皮(ひわだ)を重ねた屋根の枚数は約六十四万枚もあるそうですが、何よりも境内全体に匂う檜の香りに感動いたします。

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そして、お参りをしている時です。
それまで雲におおわれていた空に太陽の光が射し、体中を包んでくれるではありませんか。

なんて幸せなの。


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帰りは一畑電車に乗りのどかな小さな旅。
出雲市駅に戻り、天皇や皇族に献上した「献上そば・羽根屋」で出雲そば「割子そば三段」を食べて駅前からバスで飛行場に向かいました。

そういえばいつからでしょうか・・・「出雲縁結び空港」と名前がかわったのは。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

ルネ・ラリック『日曜日の庭・クレール・フォンテーヌへの招待状』

箱根に暮らして、何が幸せってやはり美術館が身近にあることでしょうか。
朝の陽射しが気持ち良いわ・・・そうだ、バスにのって美術館に行きましょう!
先日、仙石原のラリック美術館に行ってまいりました。

私は、映画も落語もショッピングも美術館も、もっぱら「おひとりさま」。
たまには、気の合う友人とご一緒しますが、ひとりなら自分のペースで誰にも気兼ねをすることなく、気ままに行動できます。

素敵な展覧会が始まったばかり。

ルネ・ラリックは当初、アール・ヌーヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博してしていました。豪華なダイヤやルビーではなくエナメル(七宝)細工や金といった身近な素材を使い、花や昆虫など身近な自然をモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリーなどつぎつぎに発表しました。

なかでも自然をモチーフにした、器、グラスなどはどれも造形的に美しく思わず手にとってしまいたくなります。

ラリック美術館の今回の企画展は

「ラリックが家族と休日を楽しんだパリ郊外のクレールフォンテーヌ。ラリック作品の原風景は、その静けさに包まれた自然の中にありました。水辺や庭で感じたイメージは、自然豊かな地で育ったラリックの創作意欲を駆り立たせ、ほどなく作品として私たちの前に姿を現したのです。」

と、書かれています。

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写真提供:箱根ラリック美術館

今回の展覧会では、作品とともに、植物の押葉標本や、制作のヒントにした写真(複製)や詩などが一緒に拝見できます。自然の光あふれる空間で、陽の移ろいを感じつつ、背景の箱根の草花と一緒にラリックの世界を満喫いたしました。

伺うと、午後3時から4時くらいの光が美しいそうです。
6月1日~12月01日まで開催していますから、初秋の午後にでもまた行ってみましょう。

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帰りは思わず深呼吸をし、カフェでランチをいただきました。・・・ワインを一杯だけ。こういう時間があるから頑張れるのですね、・・・と言い訳ですが。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

奈良・唐招提寺への旅

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大阪・近畿大学の授業があったので、大阪に前日入りし奈良に行ってまいりました。

目的は「唐招提寺・国宝 鑑真和上座像 御影堂障壁画」の特別開扉を拝見するためです。

大阪から近鉄で西の京駅下車、歩いて700メートルくらいです。
木陰を歩くと爽やかな風が。こうして同じ道を何回歩いたことでしょう。

唐招提寺は修学旅行生もあまりいないし、奈良の中では室生寺につぐ好きなお寺さんです。

今回の大きな目的は、奈良時代に渡来した唐の高僧、「鑑真和上坐像」の摸像を2年以上かけて制作し、当時の技法を忠実に再現し、いろいろその謎が解き明かされた・・・と知って、その模造の「御影像」も拝見しその謎が知りたかったことです。

そして、私の大好きな「鑑真和上」を参詣すること。

以前、NHKの番組で唐招提寺を取材させていただきました。
御影堂の室内は静謐そのもの。
画家・東山魁夷が構想から12年の歳月をかけて描かれた障壁画。
ただひとり静かに、心鎮めて拝見できたのは至福のひとときでした。

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境内の木々の緑は初夏の陽光を浴び、白や淡いピンクの蓮。
菖蒲が池で花を咲かせています。

平成の大修理(00年~09年)も終わり正面に見える金堂(国宝)、参道の玉砂利を踏み締めて進むと、金堂の屋根の美しさ、偉容に圧倒されます。

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金堂の横から苔むした庭を歩き、御影堂へと進みます。
今年は6月5日に開眼供養を行い、7日から公開。国宝像も5~9日まで特別公開されたのです。並ぶのを覚悟で行ったのですが、人は多いもののスムーズに入れました。

なぜ、私は「鑑真和上」に惹かれるのでしょうか。
慈愛にみちたお姿。

742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されますが、当時の航海は極めて難しく5度の失敗を重ね盲目の身になられても、意思は固く6度目の航海で来朝を果たされます。

辿りついた海岸が鹿児島の南"秋目"だったとされていますが、不思議ですね、私は007の映画のロケ地が同じ秋目の海岸だったのです。ご縁を感じます。

東山画伯が、日本の美しい景色の象徴として鹿児島上陸の地、坊津の秋目浦を描いた厨子絵「瑞光・ずいこう」などをみつめながら進むと、「鑑真和上」が静かに佇んでおられます。お焼香をする方、和上の前で静かに座禅を組む方・・・私も20分ばかりその前で正座しながら拝顔いたしました。

やはり"慈愛"にみちたお姿でした。

廊下に座りしばらく庭を拝見しました。
そして、謎について想いをめぐらせました。

日経新聞(夕刊)5月20日に掲載されていた記事をもう一度読み返しました。

和上の死期が迫っていることをさとった弟子たちは、容姿だけではなく、精神性をも映す御影の制作に取り組みます。

「和上像は興福寺の阿修羅像など他の脱活乾漆像とは技法、造形方法が違う」と新聞には載っていました。

漆は少なめ、素手で形づくられたこと、ひげの一本一本が、描かれ、衣の糸のほつれまで表現されていることが分かったそうです。袈裟も、様々な生地の切れ端を縫い合わせた「糞掃衣・ふんそうえ」だったことが判明されたと書かれています。

清貧にして質実な鑑真・・・なぜ私が惹かれてやまないのかが少しわかりました。

外に出て、帰りに模像の"身代わり像"を拝顔いたしました。美しい袈裟をまとい彩色された鑑真和上座像の模像のまつげや無精ひげの再現など、魅了されました。

奈良ホテルのラウンジでシャンパンを飲みながら緑深い庭を見てから大阪の喧騒の中へと戻ってまいりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

信州・長野の旅

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長野を2泊3日で旅をしてまいりました。

今回の旅は南健二さんの写真展、柳宗悦展、そして玉村豊男さんの"ヴィラベスト"を訪ねるのが目的の旅でした。

ラジオ収録後、東京駅から長野まで新幹線に飛び乗り南ご夫妻と松本へ。

南さんは何十年も、C.W.ニコルさんに寄り添うように、彼の写真を撮り続けてきました。今年はニコルさんの来日50年記念で、
「けふはここ、あすはどこ、あさつてはC.W.ニコル x 山頭火の世界」というタイトルで写真集を出版されました。

この写真集を見せていただいたとき、ニコルさんと南さんと共に、アファンの森を歩いた数々の日のことが走馬灯のように脳に蘇えり、胸が熱くなりました。

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松本でのギャラリーで見る写真、一枚一枚の何と自然体なことでしょう。
お二人の間には深い信頼関係がなければこうはいきません。
素晴らしい写真展でした。

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松本で宿泊し、翌朝向かった先は、喫茶店「珈琲まるも」です。
この「まるも」にはたくさんの思い出があります。
ありすぎて、とても書ききれません。
松本駅に降りると、いつも女鳥羽川沿いの喫茶店に向かいます。

信州・松本は、私にとって癒しの土地です。
心にふと迷いが出たとき、都会に疲れたとき、私はすぐ特急あずさ号に飛び乗って、信州・松本に旅立つのです。

香り高いコーヒー、そしてクラッシック音楽が静かに流れ、今着いたばかりの旅人をすぐこの土地の人としてさりげなくなごませてくれる、そんな喫茶店なのです。

尊敬する池田三四郎先生にお会いするのに、こうして心のウオーミングアップをいたしました。この喫茶店には英国ウインザー調のテーブルや椅子があり、かつて松本深志高校の青年たちが熱っぽく語りあっただろう雰囲気が伝わってきます。そして、使い込まれた松本民芸家具の椅子に座ると、こんな声が聞こえてきます。

「その椅子は、私がウインザー調の椅子にのめり込んだ最初の頃の作ですよ。50数年浜さんも含めて十万人もの人が座ったんじゃないかな。多くの人に使われても、ビクともしません。自然に磨かれて、皆さんに座っていただいて、なかなか味がでているでしょう・・・」

あのときの先生の声と笑顔が忘れられません。
先生には民藝の世界を30年近く教えていただきました。
先生にお会いするだけで心安らぐ思いがしました。
民藝運動の創始者、柳宗悦先生、濱田庄司先生たちのもと天国でどんなお話をなさっているかしら・・・興味深いです。

確か、私が「美しいとは何か」を問いかけたときでした。

「一本のネギにも、一本の大根にも、この世の自然の想像物のどんなものににも美があるんですよ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」・・・先生は、淡々と語っていらっしゃいました。私はまだまだ未熟だと思ったのでした。

先生はいつも高慢な精神を戒め、そこにあるものの、あるがままの美しさの会得を教えてくださるのです。

道端の名もなき草花や、すれ違う動物や昆虫。
私たちもそこに置かれている。それが大切なのだと。

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お蕎麦を食べてから柳宗悦展ー暮らしへのまなざし」を観にゆきました。

「天然に従順なるものは、天然の愛を享ける」

無名の職人たちの手によって生み出された日用雑器に美を見出し、独自の審美眼により新しい美の概念と工芸理論を展開した、柳宗悦。私の十代のころからの憧れです。素晴らしい展覧会でした。

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そして、松本民芸館へと向かいました。

ここからふるさとの山となる青葉 (山頭火)

人生の喜びを学んだ私の松本の旅でした。
そして一路黒姫へ。

四季の移り変わりを全身で感じる南さん宅に泊めて頂き、お酒と美味しい料理。とても嬉しかったです。とても幸せでした。

ありがとうございました。

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翌日は黒姫から長野、そして上田へと向かいました。
駅には玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんがお迎えに来てくださり、『恵の雨』をお土産にヴィラデスト・ガーデンファームアンドワイナリーへ。

ガーデンには、ルピナス、ムスカリ、サクラソウ、アウリニア、セイヨウミミナグサ、黄色の可憐な花、ギンバカゲロウ、りナムが満開でした。
オダマキも色々な種類があるのですね。
クレマチスも竹の垣根に美しく咲いています。
ため息が出るほど美しいガーデンです。

ランチは農園のカフェで抄恵子さんと久しぶりにおしゃべりをしながらの食事です。ご夫妻が丹精こめてつくってきたガーデンを眺めながら、地元産の野菜の美味しいこと・・・もちろんお肉も。

次回は刻々と変化する夕やけの景色の中、豊男さんが葡萄から生産したワインを飲みながら・・・など想像してしまいました。

実りある豊かな旅でした。

今年は私にとって大きな節目の年です。
旅は「賜る」からきたとか。

たくさんの幸せをありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:03 | | コメント (2)

片づけ

皆さまはこのゴールデン・ウイークをどのようにお過ごしですか?

国内旅行、それとも海外?
近場での小さな旅・・・それぞれでしょうね。
私は、日ごろ旅が多いのでこのお休みは箱根で『片づけ』です。

朝は山を1時間、たっぷり歩いてきます。
春の山々は、厳しい冬を越えて訪れたのどかな季節。
新緑・芽ぶき、エネルギーに満ちているようです。
そして、「惜春」でもあります。

さ~あ、気合を入れてこれから5日間は家の中の片づけ、物の整理!
洋服・靴・・・5年前にこの整理をして、いらないものがなくなった場所から、
風が吹き込んできたように感じがして、空間がすっきりしたのと同時に、
私自身もまた生まれ変わったような気持ちになったのが心地よく
今回の休みの日は「整理」に取り組みます。

区切りをつけたいとか、自分を変えたいと思ったときには、
物がよどんでいる自分の空間を見直し、不要なものを処分してみるのもいいかもしれません。それが新しい自分に合う一番の近道かもしれないとさえ思います。

年齢を重ねると共に、自分の限界がわかってきました。
若いころに、能力の限界に突き当たるのは、とても辛いこと。
無限の可能性を信じて進んでいきたいと思う時期ですし、努力する時間がまだたくさん残されています。

11月で私は70歳を迎えます。
身の丈を知ることは大切です。でも、人は変化し続けます。
そこが生きる面白さの一つなのではないかしら・・・。

物を整理することで見えてくることがあるかもしれません。
といっても、思い切りが悪く、出してはしまい、しまっては出す、
の繰り返しになりそうですが・・・。 

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

近畿大学

「近畿大学・総合社会学部」で、客員教授をつとめさせて頂き、明日から始まる授業で4年目を迎えます。

「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマです。

まず、私が学生にはじめに話したことは

「机の上の学問だけでなく、現場に赴き、この目で見、
耳で聞き、肌で感じながら多くのことを学んでほしい」

ということです。
それは、私自身がそうして人生を歩み、学んできたからです。

「大地を歩き、人に出会い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる
切実な現実から導き出された問題解決にこそ、真の力が宿る」と。

キャンパスを港としてフィールドワークにでかけましょうよ。
そして、この3年間それを行動に移してきました。

三重県・答志島の寝屋子制度。

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若狭・三森の我が家での2泊3日の合宿。

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参加した生徒のレポートでは

「多くの知識を学んだというよりは、本当の自分の肌で
「自然の大切さ」みたいなものを感じることができた」

「囲炉裏や縁側があって、昔は当たり前だったのに
少なくなっているのが寂しい」

「専業農家の話を直接聞き、新規参入した若者に話しが聞け、
都会暮らしの自分たちには「農・食」は遠い存在だったけれど、
TPPの意味、など大切なことだと感じた」

「大学の4年間で、私は地域経済をどのようにすれば
活性化できるのか、経済がなりたつ農山漁村のことを学びたいし、
やはり現場を歩く大切さを実感した」

等など様々な感想が寄せられました。
農業にはまったく縁のなかった彼ら。

日本の社会は全体が大きな転換期を迎えています。

人びとを支えている歴史、風土、地域共同体のありよう。
同時に、それらを通して自分が見えてくること、
自分が何を大切にし、何を美しいと感じ、何を求めて生きているのか。

人は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、常に感じてほしい。そして、生きる力を育んでほしい。

食・農・に関心が薄い・・・といわれる大学生。 
でも、私の実感としてはそのような環境に恵まれていないだけで、彼らは生きることに一生懸命です。

IT時代で、人と人が目を合わせて語ったり、笑ったりするコミュニケーション力が不足しているだけ。失敗しても試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができる。そうした健やかな心を支え、育ててくれるのは、人と人の温かい絆が生まれる現場。

大学を卒業すれば、多くの学生さんは社会にと羽ばたいて出ていきます。

だからこそ、どんなこことがあっても、いつも心に希望を抱き、前に進んでいける、しなやかな心と知性を、大学で身につけていただきたいと私は願っています。

私が講義を担当させていただくのですが、学生たちとのやりとりを通して、「私もまたもう一度学び直すことができるのではないか」・・・とわくわく胸をときめかせています。

残された1年、楽しみながら頑張ります。  

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

八ヶ岳・夢宇谷へ。

早春のある日、箱根から山中湖、河口湖を抜けて
八ヶ岳に行ってまいりました。

一面の菜の花畑が広がる大地。
足もとで咲く可憐な菫。春の息吹を感じつつの小さな旅。

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森を抜けると私の大好きな「夢宇谷(むうだに)」につきます。
夢宇谷・・・とは夢の広がる谷、という意味でつけられたそうです。
オーナーは世界中をエネギィッシュに飛び回っている幸義明さん。
森を切り拓き、自ら創作場を造り、そして、蒐集した骨董や世界の
作品がところ狭しと飾られています。

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今回はイスタンブールから届いた
「アナトリアン・キリム・パッチワーク」を見たくてでかけました。
幸さんもトルコのめずらしいこの絨毯が好きで自ら選んできたそうです。

アナトリア地方のキリムのパッチワーク。
オールド絨毯を切り取り、パッチワークしてつくられたカーペットです。
パッチワークですから、造り手のセンスで作品が変わります。

素敵な色づかい、風合い、トルコならではのセンスが魅力的でした。
帰り道、桜が舞い散り、春風とともに家路につきました。


夢宇谷 Weekends Gallery 「MUU」
山梨県北杜市大泉
TEl:0551-38-0061
ご興味のある方はお問い合わせください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

天草のスーパースマイルを訪ねる旅

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熊本県天草に行ってまいりました。

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90歳を迎えた味噌名人の横山さん。
84歳の野崎さん。
そして、惣菜一筋笑顔のチャーミングな吉永さんも80代。
皆さん天草にお住まいです。

長野から、宮城から、東京、岐阜とそして熊本・天草の方々。
総勢30名ちかくの集まりでした。
皆さん、持ち寄りで美味しい・それはそれは美味ばかりの手作りの料理。
採れたての魚や貝などテーブルに溢れるほどのお料理でした。

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30年ほど前に「これからの農を支えるのは女性の力」と思い、農・食の問題を勉強してまいりました。

スタートしたときはには、個人的な興味だったものが、いつしか社会的な関心へと高まっていきました。農業を営む多くの人々と知り合い、生の声をたくさん耳にするようになりました。

30年の間に農業がどう変化したのか、生産者と消費者の両方から見ることができました。政府関係の各委員や農業関連のジャーナリストとも交流が生まれ、各種の研究会で勉強させて頂きました。

その間に、だんだんとわかってきたことがあります。
それは、農業が、何より、生命とかたく結ばれている、"母なる業"であること。

そして農業のあり方が、この国に住む人間の環境を左右すること。

農業こそが私たちの未来の鍵を握っているということ。

私は20年ほど前から、主に女性たちで、農山漁村に伝わる「食」をテーマに、生産者と都会の消費者とで交流しあう「食アメニティ活動」を行なっているのですが、ここに集う女性たちの素晴らしさにはいつも目を見張ります。

彼女たちは、自分の手で作った素材や山々から摘んできた素材を丹念に処理し、手間をかけて、素材を生かした味わいを生み出します。ひとつの無駄もなく、産物を使いきろういうその姿勢は見事なばかりです。

「グリーンツーリズム」を学ぶためにイギリス・ドイツ・イタリア・オーストリア・オランダ・フランス、そして韓国でも女性たちとの交流を深め学んできました。

そんな仲間が全国にいてくださいます。

真摯に生きてきた女性たちならではの知恵と工夫。
女性のおおらかさとたおやかさ、土に根ざした強さとでもいうのでしょうか。
合理性や効率を追求しがちな男性社会にはない、命を育む者が持つ底力ようなものを感じています。

今、日本は岐路にあります。
「農は命に直結している」・・・ことだけは忘れないでください。

バスの車窓から見た美しい海は忘れられません。

皆さん、ありがとうございました。
また伺いますね。
スパースマイルの皆さま・・・お元気で!

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8)

小浜市の伝統行事と食

先日、福井県若狭で「小浜市の伝統行事と食」というシンポジュームに招かれ伺ってきました。

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「若狭のよもやま話」・・・と題して、民俗学者の神埼宣武さんとご一緒に若狭・小浜の伝統文化や食について興味深いお話が伺えました。

豊かな歴史と自然に育まれた若狭小浜は「御食国」「鯖街道」「社寺と町並み」など伝統行事が各地区で守られ、海・山・里が一体となって文化が守られている地域です。

私が若狭に通い始めたのはかれこれ20年ほど前でしょうか。
京都でもなく、北陸の各都市とも違うこの地、初めはワケもなく惹かれ、京都と金沢を行き来する間に何度も途中下車して寄り道してきた歴史があります。

四季折々の空の色。
海辺の町のおかずの匂い。
この地に釘づけになったのです。
旅人でありながら住み着くことを考えるほどこの地に惹かれてしまったのです。

特に夏の終わりの「地蔵盆」のことは人づてに聞いていました。
その頃に訪ねたい・・・と思いうかがったのが17年前です。

ゆく夏を惜しむかのように鉦や太鼓で送る子らの念仏が今も心に残ります。
「伝えなければすぐに途絶えてしまう」
そういう思いで守られてきた伝統行事です。

14歳までの少年たちが8人、小部隊を組んでとり行われます。
15歳からは青年会に入ります。

地蔵盆で男子は社会の仕組みを知るらしいです。

8月20日の地蔵洗いと厨子洗いに始まり旗づくり。行灯をつるす松をとりに山へ行く。子供たちだけでワッショイ、ワッショイととってくる。お堂建て。このお堂で子供たちは泊まります。

この行事は男の子が成長する大切な通過儀礼であり、それが伝統。
子どもの祭りだから大人は"手をださない"子ども任せ。

子供たちはカネやタイコではやしたて、町ゆく人、旅人を引きとめて、
そなえてもらうよう願います。

「な~もじぞう、な~もおけそこ」という不思議な呪文。
夏の終わりの祭りです。
見事な彩色地蔵は、やはり若狭小浜の独特の風習。

私は思うのです。
"都会を追い求めないで"・・・と。

日本の食文化は、ひとつの食材を「走り・旬・名残」とうつろいの中で楽しみます。季節の食材を大切に慈しんできました。

今の教育現場では「食育」という言葉が使われます。
もちろんそれも大切です。
でも・・・こうした日常の暮らしの中から子供たちが成長していくことを大人たちは大切にしてほしい・・・と感じた若狭の旅でした。

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浜からの風を感じながら、お魚市場での買い物。
焼鯖づしを買いローカル線に乗り、帰路につきました。

(車中で焼鯖づしとビールで乾杯!)です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

映画『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

素敵な映画を観てきました。

「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」 TOHOシネマズシャンテで。
インドが舞台です。

ごく普通に生きてきた熟年7人の男女が自分の意思でインドへと旅立ちます。
それぞれの事情を抱えてやって来た男女7人。乗り継ぎ便の欠航のため、満員の長距離バスで目的地ジャイプールにようやくたどり着きます。あふれる音・色彩のなかそこで待ち受けていた想像を超えた体験。

監督は「恋におちたシェイクスピア」(98)でアカデミー賞7部門獲得したジョン・マッデン、1949年英国ポーツマス生まれ。キャストは英国の名優たち。

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中でもイブリンを演じるジュディ・デンチは最高です。
「恋におちたシェイクスピア」ではアカデミー賞助演女優賞を受賞していますし、「007シリーズ」で上司M役を演じています。

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夫が亡くなり自分は無一文だと突然しらされ、少ない出費で長く暮らせそうな
可愛らしいホテルを目指してインド行きを決意するのですが、そこで待ち受けていたホテル・・・・とは。

すべて前向きに受け入れて挑戦していく姿に感動するのです。
主人公は"旅人"です。

「この国は感覚を刺激してくる」・・・と彼女は言います。

とても良くわかります。

私がインド通いを始めたのは10代終わりのころから約10年間でした。
パトナー、ナーランダー、ラージギル、ブッタガヤー、ベナレス、サルナート
おもにインドの北部を周っていました。長距離バスにのり、人で溢れる列車に乗り、ガンダーラや石仏など地方の像を訪ね歩き、終バスが来なくて村の家に泊めてもらったり・・・。
人なつこい人々。貧しくとも、逞しく、くったくない笑顔。

ガンジス河に朝日が昇るのをインドの人たちと拝み、沐浴の意味を考え若かった私に、「人が死ぬ」ことの意味を考えさせてくれました。

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映画の舞台はデリーの少し下のジャイプールが舞台です。
ユネスコ世界遺産登録されている美しい・・・というより、エネルギーのかたまりのような街。華麗な寺院、色鮮やかなサリーが溢れる万華鏡のような街。

7名がインドに来て45日が過ぎたころ、それぞれの人生が輝きはじめた
時に突然終わりがきます。

ひとり一人の生きてきた人生。
選択はさまざまです。

私もこの年齢になってみて、この映画のもつ魅力が理解でき、感動し、生きる力をもらい、幸せについて考えました。

なんか・・・いいな~。
忘れかけていた胸の奥の奥のほうの切なさが心地よい映画でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:00 | | コメント (2)

18ひつじ《私たちの時代》

先日、36年続いてきた18年生まれのひつじ会で古希の集いが開催されました。53名の"ひつじたち"

事務局からこんなメッセージが配られました。

18ひつじ 《私たちの時代》

私たちは、太平洋戦争の最中、昭和18年ひつじの年に生まれました。
真珠湾攻撃の華々しい戦果の後、ミッドウエイ海戦に破れ、ガダルカナル島を攻略され、戦争の帰趨に暗雲が漂い始めた時期です。
その後、父は戦場に送られ、残された母と子は空襲の中を逃げまどいながらも終戦を迎えました。 外地で終戦を迎えた"18ひつじ"は更に引き上げという苦難を味わいました。

もちろん、私たちに戦争の記憶はありません。そして、戦後、日本のゼロから出発。貧困の時代から高度成長を経て、豊かな時代へ。日本の成長と私たちの成長は重なっています。生まれて70年、激動の時代を生き抜いた"18ひつじ"は本当に幸せ者だと思いませんか。


「18ひつじ古希の集い」

さまざまな職業の人の集まりです。
ファイティング原田さんは、エデル・ジョフレを破って世界バンタム級チャンピオンに。2階級制覇。彼が22歳の時。
私、浜美枝がイギリス映画「007は二度死ぬ」に出演したのは24歳の時。
昭和44年には東大紛争安田講堂崩落。
昭和45年大阪万博。
昭和47年あさま山荘事件・田中角栄列島改造論。沖縄日本復帰。

そして、昭和52年我々が34歳の時に「18ひつじ会」が発足しました。

昭和64年昭和天皇崩御。
ベルリンの壁崩壊。

そして、事務局の方が一人ひとりに生まれた日の新聞を用意してくれました。
私の生まれた日の毎日新聞には、ほとんどが戦争に関する記事でした。

この間、天に召された仲間もいます。
私が大好きだった女優・大地喜和子さんも。

みんなで献杯をしました。

戦争真っ只中にあって生まれた私たち。
でも、世界を見渡せば戦争は続いています。
逃げまどう子どもたちがいます。

どうぞ・・・平和な世界が訪れますように。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:35 | | コメント (2)

C・W・ニコルさん

20日(水)東京で「C・Wニコル来日50周年、アファン財団設立10周年」の記念パーティーが開催され、私は司会をつとめさせていただきました。

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会場にはニコルさんの友人・知人・関係者、またアファンの森を応援してくださっている人たち、300名近い方々が全国から集まられました。

私がニコルさんと始めてお会いしたのは30年ほど前のことでしょうか。
対談をして、とても記憶に残るお話をしてくださいました。

"強くなりたかったら森へ行け"と小さな頃おばあさまに教えられたニコルさん。木と兄弟になるために木に抱きついてお願いしたそうです。

"兄弟になってくれ"と。
木の脈を感じ、木の声を聞いたそうです。

「耳をすますと、木が答えてくれますよ・・・木を抱くことは自分より強いものの存在を感じとることだった。」とおっしゃいます。座談会のときにうかがったお話です。そういう自然との接触が今日のニコルさんの心の基盤なのです。

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彼が日本に住むと決めたのは、ひとえに自然の美しさ。
住んでみて分かったこと、住んできた歳月の中で急速に変化したことの多くがニコルさんの最初の思いや憧れを打ち砕くものでした。

"愛していればこそ、その破壊ぶりに噴りを感じる"と、当時語ってくださいました。

私にはよくわかるのです。
私も全国を歩いていて、壊されていく家々を何度も、何十回、いえ何百回と見てきましたから・・・。

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パーティーで素敵なスピーチをしてくださった、アメリカ出身で日本文学と日本文化研究においては第一人者であり、3・11以降コロンビア大学退職後に日本国籍を取得されたドナルド・キーン氏のお話は、私たちが忘れかけている"日本の美"について語ってくださいました。そして、ニコルさんの現在の活動に賞賛の言葉を贈られました。

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森づくりを始めて28年、長野県信濃町黒姫の荒廃した里山の再生活動を行なってきたアファンの森財団。

そのアファンの森をニコルさんと二人三脚でつくられた森のパートナー、松木信義さんが黒姫から苦手な都会の会場に駆けつけてくださいました。

松木さんは15歳から森で生きてこられた方です。
80歳になろうとしている松木さんは、引退して森を去りましたが、いつでも必要な時は駆けつけてくださるそうです。「松木さんほど森を知っている人は誰もいないのです」・・・とニコルさん。

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そして、歌手の加藤登紀子さんはニコルさんと一緒に東松島で津波被害にあった学校を高台に移し「森の学校」づくりに協力し、パーティーで「鳴瀬未来中学校校歌」をお披露目してくださいました。

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最後に「ニコルズバンド」の曲にのり、ニコルさんの素敵な歌声を聴きながら閉会いたしました。だれもが、名残惜しくなかなか会場を後にできませんでした。

22歳で日本の地を踏んでから50年。
アファンの森はこれから先、50年、100年経ち「たとえ自分はもういないとしても、将来に向けてなにか素晴らしいことが出来るはず森は未来だ」とニコルさんはおっしゃいます。

そうですね、将来の子供たちのために、私たちは今何をなすべきか・・・。
ニコルさん、ありがとう!!
そして、これからも宜しくお願いいたします。

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「僕、72歳の赤鬼はもう年寄りです」な~んて言わないでくださいね。
人間として憧れています。ニコルさんの"木を抱く"生き方に。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:18 | | コメント (3)

生誕100周年記念 『中原淳一展』

日本橋三越本店・新館7階ギャラリーで18日(月)まで展覧会が開催されています。

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「時を越えて魅了するモダン&チャーミング」

と書かれております。

戦前から戦後にかけて、ファッションデザイナー、人形作家、インテリアデザイナーなど多彩な才能を発揮した中原淳一。

展覧会があると、仕事の合間をぬってはよく見にゆきます。
今回も早速行ってまいりました。

昭和21年に「それいゆ」が発刊され毎号、爆発的に売れ、全国に中原フアンが広がりました。私も小さな頃から「それいゆ、ひまわり」のファンでした。でも、本屋さんで表紙を眺めているだけ・・・。だってとても高価な本でしたから、私には。

生前、女優になりたてのころにお目にかからせていただきましたが、憧れの先生は雲の上の存在でした。中原先生のお描きになった挿絵はすべて好きで、さまざまなおしゃれのヒントを本からいただいたものです。でも、あるとき展覧会で、改めて、以前は気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。


そんな文章をご紹介いたします。

『愛すること』     中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。

朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人のひとり一人に愛情をこめて作って欲しいのです。

窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。

世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。


飾とは、ファッションだけではなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。

「それいゆ」や「ひまわり」はまさに女性にありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づきます。

「愛情深い女性でいてください」
このフレーズがこころにのこります。


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【出典:中原淳一・若き日の名作選『中原淳一と少女の友』より】

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

山陰への旅・美の里コンクール

今回の旅は山陰地方です。

第8回「美の里づくりコンクール」現地調査です。

(財)農村開発企画委員会主催、農林水産省後援

全国から応募のあった20事例から書類審査を経て、上位6事例を決定します。どこも素晴らしい活動をなさっておられるので、甲乙つけがたいのですがその中から3事例に対して現地調査を行います。

審査基準は

1:美しい農山漁村の景観の総合的な保全・形成への寄与

2:多様な主体の参画による景観保全・形成

3:地域資源を活かした景観保全・形成

4:景観を活かした地域経済の活性化

前身の「農村アメニティーコンクール」から数えると30年近く、私は審査に参加しております。農山漁村ならではの自然景観、居住景観の魅力を活かして都市住民等と活発に交流しているところも多くみられます。何よりも「自分たちの暮らしている故郷を愛している」こと。

今回も委員が3ヶ所に別れ現地にお邪魔いたしました。
私は写真家の沼田早苗委員とご一緒に、島根県浜田市旭町都川(つかわ)地区。もう1ヶ所は浜田市三隅の室谷(むろだに)集落です。

広島駅から石見交通バスで瑞穂インターで下車。
都川地区は、中国山地の山懐に抱かれた清流の豊かな農山村です。
ご多分に洩れず、過疎と高齢化は進んでいますが、集落の景観の美しいこと。全国棚田百選にも選ばれた歴史的風致、「石垣棚田」は見事としかいえません。

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中国地方で江戸時代に盛んに行なわれた「たたら製鉄」の原料を採集した「鉄穴(カンナ)流し」に由来するものです。この美しい棚田はおよそ200年前、たたら製鉄が目的で鳥取城からやってきた侍によって作られたと言われています。高いところでは5メートルはあるでしょうか。その石垣にハシゴをかけ草取りをするのは、ご高齢の方々。手で1本1本抜いていくのです。

このような貴重な歴史的遺産をもくもくと守る姿に頭の下がる思いがいたします。

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そして、伝統芸能「石見神楽」を田代神社に奉納する「大蛇」を拝見しました。広島の神楽団体との共同公演などをして都会の人たちとの交流をはじめています。今では、毎年旧小学校の体育館には入りきれない程の観客がきてくれるとの事です。

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たくさんの創意工夫があります。

その中で"縁側喫茶"があります。5月~11月までの第1、第3日曜日に豊かな自然を眺め、縁側でお茶と漬物での「おもてなし」評判をよび、いまでは30名近い人が訪れ、目の前に広がる手入れされた棚田での、耕作の苦労話や、じいちゃん・ばあちゃん達の話にゆったりしたと時間のなかで「心地よい」ときを楽しんでいるようです。

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お話を伺っていて、関心させられたのは、あくまでも「自然体」なのです。問題はたくさんあるはずです。ご苦労だってたくさんあるはずです。

イベント的な無理な発想ではなく「自分たちの暮らし」を守りながら生きがいを見つけての暮らし。
ほんとうの豊かさを教えていただきました。
郷土料理の美味しかったこと・・・。

都会の人に「極上の癒し」を楽しんでもらっている姿が想像できます。
神楽を観ながら「どぶろく」も振舞われました。
「いつもこうして楽しんできたのですよ」と。

雪深いこの地域では、待望の春の訪れを待って、「春の風物詩」石積み棚田での田植えがはじまるのでしょう。


『三隅・室谷集落』
浜田から山陰本線・三隅駅下車、15分ほどの山間に室谷の集落があります。三隅の「むろだに」は、今年も元気です。を活動のキャッチフレーズに、棚田は現在1,000枚に減ってはいるものの、室谷連合自治会は、上室谷、下室谷、諸谷の3集落の自治体から成り、現在66戸、人口約160名、高齢化率35%の組織です。

この地の人々は情が厚く、地域の結びつきが強いため、人々の地域興しに対する意識は高く、様々な活動がなされています。

棚田は米作りなど生産の現場であるだけではなく、独自の景観にはこれまでの数百年の歴史と文化が蓄積されて、それがこの地に住む人々の誇りとなっていることが伺えます。

前会長の「一番大切なのは、両谷の棚田が、遠くから見にきてくださるほどの財産であることに地元の人に知ってほしいことです。住民が誇りを持つことが何よりの村づくりだと思います」・・・と。

子どもたちも元気です。
残念ながら小学校が統合され春からは三隅まで通うことになりますが、集落で周りの大人たちから暖かく見守られたきた思い出はしっかりと胸にきざまれたことでしょう。

昼食の、郷土食研究会の婦人方による心のこもった「むろだに会席膳」も美味しかったです。

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棚田を見渡せばその先に日本海も一望でき、自然と見事に調和した日本の原風景は後世に語り継がれていくでしょう。過疎の問題を解決していくためにも、都会の人々の役割は大きいです。


『桃源郷のような集落』を訪ね、この先からはプライベートの「ひとり旅」です。三隅から山陰列車に乗り込み「益田」へと向かいました。このごろ、なぜか、ローカル列車に乗り、ひとり旅がしたいのです。

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「旅はうかうかしてはいけない」

と言ったのは周防大島の貧しい農家に生まれ、73歳の生涯を地球を4周分を歩いた民俗学者・宮本常一の父親が、息子が15歳で故郷を離れる際、に言った言葉です。

汽車の窓からは家々の人の営みがみえます。
田畑を見れば、その土地の産業や豊かさが伺えます。

休みをとって益田に行こう!

と思ったのは、グラフィックデザイナーで作家、居酒屋文化の本を多数出されている太田和彦さんから
「ひとり旅 ひとり酒」が送られてきました。
「益田、浦島太郎と日本一の居酒屋。」と書かれているではありませんか。

旅のお好きな浜さんへ。
とひと言がそえられていました。

もう~ダメです。
2泊3日の旅を計画しました。

今回は天候に恵まれ、春のぽかぽか陽気。
まず向かったのは益田市内から30分ほどの「唐音の蛇岩」で有名な西平原町の唐音水仙公園で200万株のスイセンが見頃を迎えていました。

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日本海沿いの丘陵を埋めるように咲くスイセン。
潮風に乗って爽やかな香りが漂います。
上から岩石のあるところまで歩きます。地元住民が1990年から約3ヘクタールの公園に植え付けはじめ、少しずつ増やしてきたのです。

スイセンの香りを後に、向かったのは太田さんご推薦の雪舟作庭の「萬福寺」と「医光寺」。

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広縁に座り、雪舟が住職を勤めた寺で静かに庭を眺め、日本庭園の美を堪能しました。本をなぞるように、本堂に置かれた「釈迦涅槃図」を拝見し、離れがたい衝動に"このまま居たい"と呟いてしまいました。

素晴らしい・・・。
もう一度来よう!と思いました。

夜は居酒屋『田吾作』へ。
詳しくは太田さんのご本をお読みください。

ひとり旅ひとり酒

これも真似して、翌日の昼食にもう一度行ってしまいました。
イカ丼の美味しかったこと。
列車に乗る前に「石見美術館」へ。
石州瓦が使われた美しい美術館です。

駅前の魚市場のおばちゃんに、カレイとキスをさばいてもらい、持参し家路に着きました。

日本は美味しい! 美しい! 優しい!
そんな素敵な「美しい日本の暮らし」を皆で守っていきたいと思った旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

心とからだを元気にしてくれる食

千葉県柏にある麗澤大学・麗澤オープンカレッジに招かれ先日伺ってまいりました。

「地域にひらかれる、大学の知性」

大学で学びたい夢を、ぜひ実現のものに・・・をテーマに大勢の方が学ばれています。5、6、70代の男性・女性、ホールは大勢の方が参加してくださいました。

私は「食料危機」をテーマの柱にしてお話をいたしました。
1時間45分。
「食料危機」といっても、ピンとこないかも知れません。
スーパーに行けば、野菜も肉も魚も卵もあふれんばかりに並べられています。
コンビニにも様々な種類のお弁当が彩り豊かに並んでいます。

街にでれば、和食、中華、洋食、ハンバーガーや牛丼、ドーナッツなどのファストフードの店が数えきれないほど軒を並べています。ですから、「カロリーベースで日本の自給率は約4割」と言われても、実感がわきません。

でも、この数字は座して待っていて、なんとかなるだろうではすまない数字です。先進国で最下位なのですから。

「でも国産牛、国産豚、国産の鶏肉、卵。そういうものがあるから大丈夫ですよね」という方が結構います。ラベルを見ると、確かに国産と書いてあります。

問題はこれらの家畜のエサは何かということなのです。
ほとんどが「輸入」ものです。
醤油の原料の大豆、砂糖の原料のサトウキビやサトウダイコン。
これらもほとんどが輸入ものです。

もし、輸入がストップしたら、食べものはスーパーやコンビニの棚から無くなってしまう。

農の現場は、高齢化・過疎化が進んでいます。
農業従事者の平均年齢は65・8歳です。

もちろん地域でがんばって農業をビジネスとしてなりたたせている若者も多くいますが、米作農家に限れば平均70歳です。皆さんお元気で本当に若いのですが、10年後ほとんどの方々が引退を余儀なくされることが予想されます。

この20年で農業従事者の数は約900万人から560万人に激減しました。

日本の耕作放棄地は今、40万ヘクタールに拡大してしまいました。
埼玉県(37万ヘクタールくらい)より広いのです。
一度放棄して荒れてしまった土地を、また畑に戻すのは至難の業です。

日本の農業が衰退したら、「輸入すればいい」という考えをもつ人もいらっしゃいます。日本は電化製品や車を輸出しているのだから、食糧も輸入してバランスをとればいいという考え方もあります。

養鶏業者、ブロイラー飼養業者も激減しています。
それには輸入飼料の値上げが大きくかかわっています。
酪農家もしかりです。
2006年秋、国際的穀物価格が高騰しました。
トウモロコシから始まり、大豆、小麦にも飛び火しました。
その背景としては、

・中国・インドなど経済発展にともなう食肉消費増大と飼料穀物需要の拡大。

・バイオエタノール原料向けのトウモロコシ利用激増と飼料穀物の不足。

・トウモロコシのエタノール化にともなうアメリカにおける大豆からトウモロコシ作りへのシフト。

・オーストラリアなど穀物輸出国の異常気象による小麦収穫量などの激減。

米を主食とするフィリッピンは米が値上がりして、暴動になりかねなかったのは2008年のことでした。世界的に見ても、今、米や穀類の不足が大きな問題になっています。

『自給できない国、それは国際的な圧力にさらされる危険を抱える国なのです』といったのは、アメリカのブッシュ大統領。息子さんではなくお父さんのほうです。

そのアメリカに日本の食は依存しています。

フードマイレージ。「輸送に要した距離×重さ」
日本は約9、000億トンキロメートル。韓国の3,4倍、アメリカの3,7倍。

生産地と食卓の距離が遠くなるほど、輸送時に地球温暖化ガスや大気汚染の原因と考えられている二酸化炭素(CO2)や二酸化窒素(N02)が排出され、環境に悪影響を及ぼします。

『今、日本はフードマイレージが世界一』です。

そして、バーチャル・ウォーター(仮想水)
食料を輸入することは仮想水も輸入されるということです。

ロンドン大学のアンソニー・アラン氏が提唱した概念とされています。

日本が輸入しているバーチャル・ウォターは、国内の年間水使用量と同程度になるとの試算もあります。

100グラムの輸入牛肉ステーキを食べるのは、他国の2,5キロの穀物を食べ、他国の2トンの水を飲んでいるのと同じということになります。

輸入に食料を頼っている日本の輸入しているとされるバーチャル・ウォターも世界的に見てぬきんでて多いのです。

でも、私は日本の食に絶望はしていません。
あきらめるわけにはいかないのです。

私のまわりには、日本の農業の未来を信じ、汗水流すことをいとわず、上質な野菜を、卵を、果物を、肉を作る人が大勢がいます。安心して食べられる食べ物、丁寧に食べたくなる安全な食べ物。

『日本の食を育てるために』

何が私たちにできるでしょうか。

それは「地産地消」・・・です。
トレーサビリティ。
地域で取れたものを地域で消費する。

できるだけ近くでとれたもの、できるだけ誰がどんなふうに栽培したものかわかるものを購入する。

ひとりひとりの力は微力であっても、みんながこうしたことを心がければ、他国の水資源を消費し、北アフリカや中東を中心とする貧しい23カ国20億人以上の人たちが、生きるための水が足りない「水ストレス」の解消に少しは役立つはずです。

自分たちの安全安心のためにも、日本農業のためにも、世界のためにも、「地産地消」が理にかなっている・・・と私は思います。

農業は日本の「文化」の根幹です。
日本は生物の多様性に恵まれた国です。

他の命と大地とはつながっているということを、多くの人が感じ取っている国です。

『自然の恵みのもとで培われてきた日本人の感性がこれほど試される時代』はありません。

このようなお話をさせて頂きました。

それは、私が4人の子どもの食を担い「食と命は直結している」と子育て時代に実感したからです。

皆さんのお考えを伺いたいです。

広大な、緑多いキャンパスの中を通り、受講くださった方々と何だかお互い共有できた幸せを胸に箱根に戻ってまいりました。

皆さま"ありがとうございました"
また、お逢いしたいです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 17:58 | | コメント (2)

『飛騨の円空』千光寺とその周辺の足跡

東京国立博物館(上野公園)で4月7日まで展覧会が開催されています。
雪のまだ残る上野の森に箱根から出かけていきました。

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  「深い森に育まれた仏たち」

正面を入って、最初に出逢うのが私の大好きな「おびんずるさん」です。
賓頭盧尊者坐像。(びんずるそんじゃざぞう)
撫で仏とも呼ばれ、頭やからだがつやつやし、首をかしげて口端しを上げ笑みをたたえています。円空仏のほほえみは、見つめるほどこちらに移ってくるようです。

25年ほど前に始めて円空さんの足跡をたどる旅に出ました。
私にとって円空さんは、遠い過去の仏像というより、今なお生きている僧侶であり、どこかで仏様を彫り続けているお方のような気がしてならないのです。

なぜ、私が円空さんの仏像にひかれ始めたかとといいますと、それは木に始まります。

仏様以前に、信仰に似た気持ちを樹木に抱いたのです。
木には何か人知を超えた天空の意思を感じるのです。
その木に宿った魂のすべてが一刀の鑿(のみ)によって命を刻む・・・・・。

私が旅先で円空に魅せられた最初は、岐阜の千光寺でのことでした。
千光寺は飛騨の高野山の異名があるくらいで、その奥深さと神秘的な佇まいは底しれないものがありました。

何百年もの歳月を経た木がそこに生きていたからです。
身動きできないくらい感動したものでした。

円空さんは、江戸時代初期。寛永9年(1632年)美濃の国、郡上郡、美並村に木地師の子どもとして生まれたと推定されています。

私はかなり円空さんに恋してきましたから、さまざまな伝聞の中から、彼の人間らしい側面が出てこないかしらといつもあちこちの資料を見ては、想像たくましくしているのです。

円空さんだって男性です。
仏門に入ったら恋心は関係ないのかしら、と思うのは、円空さんの木像の中に女性の姿が何体もあるのですね。

幼くして仏門に入られた円空さん。
美濃の大洪水でおかあさんを亡くしています。
幼くし寺に奉公を余儀なくされたのもそんな事情ゆえだったのかもしれません。

円空歌集には、

「わが母の命に代わる袈裟なれや法のみかげ万代をへん」

と詠まれており、母との死別が円空の仏縁を濃くしたのだろうといわれています。

母亡き後、身を寄せていた寺を出奔するのですが、そこには恋愛がからんでいたという説もあり・・・。私には、青年・円空にはおおいに悩みがあったほうが自然に思えるのです。

だから、人々の悩みを受け入れ、その優しさが、温かさが、人をなごませ、喜ばせ、また他の人の喜びを引き出すのではないでしょうか。

仏像を拝見しますと、これは宗教とか哲学とかではなく、とても分かりやすい希望や未来「なごみ」や「やすらぎ」、日々の気持ちを表したものかなと、思いました。

博物館から外にでると、清々しい気持ちになり、箱根の我が家へと向かいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:30 | | コメント (5)

伊勢神宮・初詣

お伊勢行きたや伊勢路がみたい
せめて一生に一度でも

と謳われたように、特に伊勢から遠い関東や東北、九州の人々にとって、お伊勢さんへは一生に一度はぜひ行ってみたい特別な場所でした。

今年、平成二五年秋はいよいよ第六二回『式年遷宮』です。
2000年間鎮守の森とともにある"お伊勢さん"は、私たちの心のふるさとです。

昨年もお参りしたのですが「海から朝日を拝み、お伊勢さんに行きたい!」と思っていたところ素晴らしい企画がありました。「飛鳥Ⅱで行く伊勢志摩~初詣クルーズ」です。さっそく友人達にお声をかけ総勢13名で参加いたしました。

陸から行くお伊勢詣も素晴らしいですが、おだやかな伊勢の海からのお参りも素晴らしかったです。 

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横浜港を正午に出港し、翌日が初詣。
船内では友人達との楽しい語らい。
日頃はのんびりと、おしゃべりをしたり食事をご一緒したり・・・といかないのですが、この2泊3日の旅ではさらに友情が深まりました。

コースは二つに分かれ、
「伊勢神宮初詣(内宮)とおかげ横丁散策」
「伊勢神宮参拝(外宮)と夫婦岩」
です。

昨年は陸から、夫婦岩、外宮、そして内宮へと参拝しました。
今年はゆっくり 豊受大神宮(外宮)にお参りしたかったのです。

豊受大御神は天照大御神のおめしあがりになる食物の守護神であり、私たちの生活をささえる一切の産業をおまもりくださる神さまです。

毎日朝夕の2度、神さまにお供えする食事はすべて手作り。
お田植えから始まる米、塩、醤油、野菜そして海の幸。
毎朝おこした清浄な火で調理されます。

私の住む箱根には箱根神社があります。
月三回のお参りは清々しい早朝のお参りです。

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旅の多い私は行く先々で"鎮守の森"を探します。

神社の森を、大地を鎮めるという意味で鎮守の森というのだそうです。
旅先での緑の山々や清らかな川、そして美しい風景は、懐かしさや心を癒してくれます。

その一番大きな鎮守の森が伊勢神宮ではないかしら。
風を受け、木に触りそこに神さまを感じる・・・
それは日本に古くからある八百万神の信仰なのでしょう。
大自然の中に神さまがいらっしゃる・・・と旅をしていて感じます。

『式年遷宮』の年、どうしても行きたかったところが「せんぐう館」でした。
どうして20年に1回神さまはお引越しされるのかしら・・・?と思っていました。

全てを新しく造り替え、ご神体を新宮に遷すのにはいろいろな説がありますが、私は「永遠の匠たち」の展示室を見て納得できました。当代を代表する匠たちの最高の技を伝承していくこと。木目の美しい檜材をつかった外宮殿舎配置模型など、息をつめて見入ってしまいました。我が国の伝統工芸が全てこうして後世に継承させるのには最適な年数なのでしょう。

もう一点は『原点回帰説』。
旧暦でおよそ20年、個々の人生(歴史)において、社会的に20年を一区切りとして新しい転換期が訪れるという人生観に基づき、一つの時代ごとに生命が更新されるという説。

私はまず、この二点が納得できるものでした。
下宮をお参りされたら、ぜひお勧めです。

冬から春へ・・・立春「二月 如月」は新しい"とし"が始まります。

"立春大吉"

毎年二月十七日は宮中や全国の神社で「祈念祭」が行なわれます。
来月もう一度、お伊勢さんにお参りしたいわ・・・と思いつつ神々しい空気が感じられる式年遷宮が行なわれる伊勢神宮を後にしました。

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最後に、二見浦の夫婦岩へ。
二見の名の由来は、倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて諸国巡幸した折にこの土地に立ち寄り、その美しさに何度も振り返り見たためとも言われています。

この岩の間から眺める朝日はそれは美しいそうです。
近くの御塩浜では今日でも、海の恵みの御塩づくりが行なわれています。

『飛鳥Ⅱ 伊勢志摩 初詣クルーズ』
朝日を拝みながら横浜港へと入港し「日本人の心と祈り」の旅を終え、清々しい新年の幕開けです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:35 |

レ・ミゼラブル

皆さま
年の瀬を迎え、何かとご多忙のことと存じます。

大掃除も終え、テレビの映像で観る北国の冬ざれの様子に、冬の長い雪国の友を想います。荒涼とした雑木林、雪深い中で息をひそめ、春を待ちます。

思いたったように映画を観に東京に行ってきました。

「レ・ミゼラブル」です。

20年ほど前にロンドンでの舞台を観ております。
仏の文豪ヴィクトル・ユゴー大河小説を、1985年にロンドンでミュージカル劇になり大ヒットした作品です。監督は『英国王のスピーチ』でアカデミー監督賞受賞のトム・フーパーが映画化しました。

ひと言。

胸を打たれ、音楽の持つ力の凄さ、キャスト、スタッフのアンサンブルは見事としか言えません。心の奥深いところを、生と死、革命、格差社会、自己犠牲などを捉え、現代社会においても共通する部分があり、共感できるのかも知れません。映画ならではのリアリズム。役者の歌は現場で収録されているから尚更リアルに感じるのでしょう。

時代を超え、多くの人々に愛され続ける理由は何でしょう?
というインタビューに

主役のジャン・バルジャンを演じたヒュー・ジャックマンはこう答えています。

「人間の魂が持つ真の強さと美しさを謳っているからじゃないかな。繰り返し訪れる苦難にあえぎながらも、そこに自分の強さと世の善を見出そうとするキャラクターたちの姿を通して、人間の素晴らしさと魂の底力を感じ取り、勇気付けられるんだ。彼らは挫折しても、決して諦めず前に進んでいく。」・・・と。

今年最後の映画に満足しました。

どうぞ皆さま良い新年をお迎えくださいませ。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:00 |

長岡エンジン02

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「長岡エンジン02」に招かれ、温泉エッセイスト・山崎まゆみさんとのトークに参加致しました。

テーマは「ニッポン女旅学~暮らすように旅する」

まゆみさんは秘湯や、町の銭湯のような湯でおじいちゃん、おばあちゃんなどと混浴し、その土地の文化を紹介しているとてもチャーミングな女性です。私も一人旅が多いので「暮らすように旅する」は大賛成。温泉の入りかたから、入浴のコツ、など楽しいお話が伺えました。

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いつものことながら仕事の前日には到着し、周辺を散策しました。
まずは長岡市内の朝市へ。秋の味覚キノコ、食用菊など豊富な野菜に出合いました。その後はまゆみさんと、友人、女性3名で「寺泊」に行きました。

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鎌倉ゆかりの寺泊は歩くにかぎります。
民俗資料館から白山愛神社、古くから海上安全の神として崇拝されてきた神社。江戸時代の寺泊は、江戸や大阪、四国を出帆し、能登半島を廻って、北海道へ交易した北前船の寄港地であり、海上交通の要津として栄えた場所でもあります。

眼下に日本海。遠く佐渡が見えます。
多くの歌人が逗留されたところでもあります。

良寛はすでに家運が傾いていた生家には立ち寄らず

来てみれば
わがふるさとは荒れにけり
にわもまがきも 落ち葉のみして

と詠み半年後、いずこともなく行方を絶ってしまいます。
再び放浪の旅から寺泊に帰ってきたのは45歳くらいのときだったといいます。

かつて遊郭のあった路地を通り、群生する石路や藪椿を見ながら高台に出ると急に視野が広がり街なみや港が一望に見渡され、佐渡も手に取るように眺められます。

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そして、街に下り魚の市場通り(通称=魚アメ横)では取れたての魚は圧巻でした。

午後には長岡市内に戻らなければいけないので、今回は温泉はパス。そのかわり、お昼に食べたキンキの焼き魚の美味しいこと!!!
油がのっているのに新鮮だから身がプリプリしているのです。真冬の2月ころにはタコの内臓が食べられるそうです。これは食堂、市場にも出回らず、漁師さんたちの楽しみの味とか。

あ~!食べたいな。
今度は雪深い2月に行ってみたいです。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:25 |

萩への旅

今回の旅はちょっと硬いテーマ。

全国農村アメニティー・シンポジュームで「農業の危機の克服に向けて」~農業と集落の再生へ~という会に出席いたしました。
第一部の講演は萩の野村市長と私でした。
そして第二部はシンポジューム。

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私はこのような仕事のときはなるべく早めに現地入りし、現状をしっかりと見せていただくようにしています。2日前に萩入りし、まずはどうしても拝見したかった山口県立萩美術館・浦上記念館で開催されている「古萩・江戸の美意識」展に行きました。

「一楽・二萩・三唐津」と謳われ、侘び数奇に適う茶の湯のお道具として高い評価を得てきた萩焼の茶碗。これほど見事なお茶碗をこれだけ一同に拝見したのは初めてです。

"江戸の美意識"

その多様性にとんだ豊かな美意識に圧倒され、声も出ないほどの感動でした。その後は小雨降る中の城下町を散策。国指定史跡に指定されており、周辺は今も江戸時代の地図がそのまま使える程町筋が残っています。萩藩御用達の豪商菊屋家やなまこ壁の土蔵、高杉晋作誕生の地、など往時の面影をとどめたものがたくさんありました。

夜は旅の楽しみのひとつ、一人でのんびり、地のものをいただき、熱燗でのひととき。至福の時間です。40年近く旅を続けてきて、その町を知るにはこの"ひとりの時"がとても大切なのです。

翌日は役場の方のご案内で萩市内を1日かけて拝見したしました。
萩市は合併により、東京23区くらいの広さです。
旧萩市中心部は平坦な地形が多いですが、ほとんどが山間地にあります。

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そして、6つの離島「萩・六島村」。
農林水産業と観光都市として有名ですが、山間地においては過疎化が進み、耕作放棄地も増えてきました。高齢化も進み、これから何が必要か・・・そんなことを考えながらの一日でしたが、はじめに向かったのが、「萩をまるごと詰め込んだ市場」の"萩しーまーと"。鮮魚や水産加工品、地元産の野菜に果物。地元生産者が集結して運営されているこの市場は漁港直結だからでしょうか、町の市場より安く新鮮です。鮮魚は持ち帰れないので乾物のあれこれ、野菜、果物などを箱根に持ち帰りました。

そして、地域に根ざした三見(さんみ)シーマザーズで昼食。海のお母さんたちの作る定食の美味しいこと!日本海を見ながら獲れたての魚は最高ですが、ここも高齢化率は40%を越えています。
漁業者は40名程度で、中心は60歳から70歳、若者は6~7名です。
でも、海のお母さんたちは元気いっぱい。
創意工夫した、いか寿司やあじの押し寿司など・・・美味しかった!
おばちゃんたち・・・ご馳走さまでした。

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生産現場は「千石台だいこん産地」とトマト生産者を訪ねました。
千石台は戦後開拓でこの土地に入り、農業共同組合を設立し、黒色火山灰土が大根の生産にふさわしい・・・ということでがんばっておられます。トレーサビリティーへの確立にも積極的です。

周りを山々に囲まれての収穫。
共同体のシステムが和む地域でもありますが、朝は3時には起きて収穫し、新鮮な野菜を消費者に届ける・・・土とともに生きる人たちの顔は輝いています。

「山口あぶとトマト」の生産現場も徹底した土づくりを基本にし、選果場のパート等が地域の雇用の場を創出していました。熱いハウスの中での作業も女性は「すごいですよ、頑張りは女性のほうが上です」とご案内くださった男性が語ってくださいました。部会全員がエコファーマーに認定されています。

最後に合併には入らなかったお隣の阿武町まで足を延ばし、友人達にお会いしてきました。元気に加工品をつくり、こちらも頑張っておられました。

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帰りは菊ヶ浜の海岸線を見ながらホテルに戻りました。
ここは「日本の夕日百選」に選ばれた絶景です。

本番のシンポジュームでは『農のある風景』~これからの地域活性化に向けて~というテーマでお話をさせていただきました。

○グリーンツーリズムについて。
気候風土の違い、生活スタイルの違い、休暇にたいする意識の違い、日本では週単位の長期休暇制度が確立されていませんから、ヨーロッパとは比較できませんが、これからの新しいライフスタイルとして、「農」のあるライフスタイルは人びとの望むところです。そのためには農村は美しく、農村が農村でなければなりません。「都会の人たち」のために農村があるのではなく、そこで暮らしている方々が快適に過ごす事が重要です。「主人公はあくまでも自分たち」を守っていただきたいと思います。

○『農村は、私たちの心の故郷』です。
共にヨーロッパでグリーンツーリズムを学んできた仲間の女性の活動を報告しました。岐阜県山県市美山のとびきり魅力的な女性たち「ふれあいバザール」。バザールが発足して今年で15年が経ち、女性ならではの素晴らしい底力、しなやかさには目をみはります。オープン以来の黒字経営。生産、加工、食堂経営とサポーターの生産者、地元の方々、他県の人・・・非常にバランスのとれた「人と産物と環境」を感じる活動です。

○最後に、「なんもない・・・」から「クールな田舎へ」をテーマに「クールな田舎をプロデュースする」独自の理念を挙げ、交流人口の増加を目指して観光コンサルティング会社「美ら地球」(ちゅらぼし)をスタッフ6名と立ち上げ今年で3年目を迎え、活動をしている方々をご紹介しました。
リーダーの方は国立大学院を卒業後、5年前までは米国や日本のコンサルティング会社で企業変革の支援プロジェクトや社員研修などを担ってきましたが、「ちょっと休み、日常と異なる世界に身を置きたい・・・」とそんな思いで奥さんと約2年世界を旅し、日本の「イナカ」に対する外国人の関心の高まりと、海外で日本の地方を知る機会の乏しさを実感したといいます。
    
「自分も戦前からの暮らしや文化が残る地域に住み、海外の人との橋渡しする仕事がしたい」そう思い飛騨古川に築約100年の家を購入し自宅も兼ねて起業しました。

木造建築は、飛騨のみならず、世界に誇る日本の財産です。

そんな古民家が空き家になってきました。
飛騨民家プロジェクト」を立ち上げ、「飛騨民家のお手入れお助け隊」ではボランティアが都会から来て、梁、柱、床などを磨き、美しい町並みを保存し、「古民家貸し出し」に大きな反響があり、IT企業を誘致しました。これは地元の建設会社と共同です。環境省などが主催したエコツーリズム大賞、特別賞にも選ばれた「飛騨里山サイクリング」は外国人には地元住民との交流が出来ると好評だそうです。
    
少子高齢化や都市への人口流失、地方を取り巻く現状は厳しさを増していますが、「否定的なイメージしか持たれていない田舎も、実は我々や次の世代の生活の場としてすごく理想的。必要な役割を担っていきたい」・・・と語ります。

これから、新たな世代に挑戦の場を準備することも大切でしょう。
地方部の景観や営みの存続、継承は「需要側」の間だけではなく「供給側」にも問題があるのかもしれません。

飛騨古川に素晴らしい若者たちが"新しい風"を吹き込みます。
今回の3日間の旅では、私自身大いに学び、刺激を受け、また「現場を歩く大切さ」を実感致しました。
民族学者、宮本常一は山口県周防大島の出身です。
心の師を持つ幸せも実感しながらの旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 06:38 | | コメント (4)

八幡平のブナの紅葉

一度は訪れたかった秋田、八幡平の紅葉を見てまいりました。

平地とちがい、高山の紅葉はそれはそれは美しいのです。けっして平地では見ることの出来ない色彩。その鮮やかさに言葉を失うほどでした。大沼周辺、夕日が射すブナ林の紅葉、黄・緑・紅・赤・・・

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今回の旅は女友達3人と一緒でした。

私は20年前から農村・漁村の女性たちと勉強会を重ねてまいりました。その女性たちと15年間「グリーンツーリズム」の研修でヨーロッパ、また国内を旅し、共に学んできた仲間です。

グリーンツーリズムとは「自然環境や農村景観といった農山漁村の良さを残した場所で、都会の人が農家民宿など体験し、楽しんでもらうこと」です。そんな仲間の一人が八幡平で素敵なホテルをご夫妻で経営しています。と、言っても生易しいものではありませんでした。

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8年前、大雪の中、二人は八幡平にやってきました。
だれもいないホテルの館内は静まり返り、震えるように冷えきっていました。
二人で決心してきたからには何とか活気のある、温かみのホテルにしようと考え、「湯めぐりツアー」がはじまりました。千葉や埼玉からバスで訪れます。

健康をテーマに、近隣の温泉にご案内し、なによりも大切な「食」は地元の食材で。料理してくださる方たちも地元の女性たち。美味しいのです、とても。

お客さまの中には、故郷のない又は遠のいた方たちも多いそうです。

『おかえりなさい、高原の我が家へ』と出迎えてくださるご夫妻の優しさはきっと故郷へ帰ってきたような、温かみを感じるからでしょうか、リピーターが多いと伺いました。90歳代の方、若い人たち、中高年のご夫妻など、食堂は家族が集って食事をしているようなそんな和やかさです。

「生きているということは、生きた言葉をかわし合っていること」と以前、お坊さまに伺ったことがありました。

八幡平は標高1、613m、北東北の高地にある豪雪地、雪解けは遅く6月ころに春の訪れを迎えます。厳しい環境を耐え抜いた花々、きっと凛と輝いているのでしょうね。

その頃はミズバショウ、ヒナザクラ、ワタスゲなど高山植物の花が一面に咲き誇るそうです。

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春になったら、八幡平山頂の「花あるき」をしましょう、と友と誓ってローカル線に乗り、盛岡では女同士「盛岡冷麺」を食べ家路につきました。

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友人のホテルは
十和田・八幡平国立公園『八幡平高原ホテル』です。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:05 | | コメント (2)

昼下がりの湿生花園

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片岡鶴太郎展の会期中ですが、ふっと秋の山野草や花々が見たくてバスに乗りました。我が家からですと小涌園で下車して「観光施設めぐりバス」に乗り換え、彫刻の森を経由し強羅駅、そしてポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森、大好きなラリック美術館を通り、終点の「湿生花園」に着きます。

箱根に住み間もなく40年になりますが、何が幸せって生活空間の近くにこれだけの美術館があること、そして植物に囲まれていること・・・。もし、これらがなかったら穏やかに子育てができたかしら。

子供たちは社会人になり、ずい分と月日がたちました。
箱根の自然は、私自身にも多くの恩恵を与えてくれました。
樹木や花々、雲や富士の山々は、どんなときもやすらぎをくれます。

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湿生花園は、仙石原地区に位置します。
山に囲まれた仙石原は、二万年前は湖の底だったそうです。今は干上がった状態ですが、一部残った湿原が湿生花園として、日本の湿原植物を中心に約千五百種の山野草が収集されています。川や湖沼など水湿地に生育している日本の植物や、草原や林、めずらしい外国の山草も含めて多様な植物が四季折々に繁り、花を咲かせ、私はここにくるとえもいわれぬ「至福の時間」を体験できます。

園内の木々もうっすら色づきはじめています。
台が岳に一面広がるススキの穂が午後の太陽の光をうけ銀白色に輝いています。

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まず目に入ってきたのは、真っ白な今が見頃を迎えた「ダイモンジソウ」。
北海道~九州の山地の湿った岩地に生える多年草。
薄暗い林内で咲くこの花は可憐です。
白いブラシのような「サラシナショウウマ」名前の由来は、若芽を茹で、水でさらして食べたことから・・・とか。
コムラサキ、ヤマトリカブト、リンドウ、イワシャジン、小さくて可憐なダイモンジソウの花がひっそりと咲き、ヤマトリカブトの濃紫が目をひきます。

秋の企画展「どろぼう草と秋草展」が11月10日まで開催されています。
帰りに「コムラサキ」(紫式部ともいいます)の苗を買ってきました。
バスの車窓からは夕日で赤く染まった芦ノ湖がとても美しい姿で迎えてくれました。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:23 | | コメント (4)

始発電車を待ちながら

東京ステーションギャラリーが5年の時を経て新しいギャラリーとして誕生しました。丸の内北口ドーム内に入り口を移し、以前より広くでも以前の赤レンガを残しつつ設備も充実したスペースとしてのオープン。

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先日、行ってまいりました。

「東京駅と鉄道をめぐる現代アート9つの物語」
2012年10月1日(月)~2013年2月24日(日)

9名の個性豊かなアーティストたちが東京駅と鉄道・・・という独自の切り口での作品が展開されていて、新しい物語が紡ぎだされています。

大洲大作「光のシークエンス」の前で、思わず胸がキュンとしてしまいました。

旅の出発点であり、終着駅でもある「東京駅」。
鉄道の旅の素晴らしさは、なんといっても車窓の風景です。流れ行く車窓から見た風景のかずかず。ある時には郷愁を感じ、またある時には、人の営みを身近に感じ、ある時には雨に濡れる車窓から旅の匂いを感じ・・・窓に踊る光やスピード感、その土地の風物や生活に滲む情感が心を揺さぶります。

大正三年(1914年)辰野金吾博士設計により丸の内に建った趣のある立派な駅舎。関東大震災や戦争の災禍を堪え抜いた姿は、単なる建築物というより、私たち日本の歴史を共有してきたシンボルとして、感動すら覚えた駅舎が100年の歴史を経て平成18年から始まった駅舎保存、修復工事を終え、新しい「東京駅」に生まれ変わりギャラリーも創建当時の煉瓦をそのまま生かした展示室となっているのは嬉しかったです。

展示を観ての帰りは回廊を出て、ドームの内部を見ながら人々の行き交う姿に旅情をかきたてられます。ノスタルジックな雰囲気とマッチしながらもモダンな設備を備えた素晴らしい美術館です。

次回は『東京ステーションホテル』のバーに行きましょう。
一杯のカクテルに会いに。

『カメリア』でのカクテルの再会は楽しみです。バーのカーブした窓、昔のぼこぼこしたガラスは残っているのかしら。そこに映る外の風景、電車が入ってくる、出ていく。それだけの風景なのですが、なぜか味わいがあるんです。厚ぼったいガラスの向こうにユトリロの絵のような電車がボーッと浮かび上がり、うっとりしてカクテルをいただくわけです。

カメリアのキャプテン杉本さん。
また、「ハスカップ・ユーリンス」を作ってください。北海道のハスカップにワインとウォッカとレモンをカクテルしたもの。

北海道への旅情が募る、一杯でした。
通勤客に混ざって、改札口でなかなかさよならできない恋人同士、週末の二人だけの旅に出発する恋人たち。

駅はドラマの始発駅であり終着駅。
いつの時代も駅は、出会いや別れの交差点なんですね。

あ~、又旅に出かけたくなったわ、そんな午後の昼下がりでした。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:18 | | コメント (2)

秋の一日

秋の日はつるべ落としといわれますが、この季節、本当に、ストンと夕闇が訪れます。小田原ではまだ空の夕焼けの赤が残っていても、バスが我が家の近くの停留場に着くころには、とっぷりと日が暮れています。

けれど闇が濃ければ濃いほど、月はいっそう冴え冴えと光はじめます。満月のときなど、光の粒が空から四方に放出されているかのように。

停留場から我が家までは細い道を数分歩くのですが、月がそっと背中を押してくれる、そんな気さえするほど、その光は優しさに満ちています。

我が家の石段をあがると、空がさっと開けて・・・・・家に入ってしまうのが惜しいような気がしてならず、夜風に髪を揺らしながら、全身で月の光を浴びながら庭にしばし佇んでしまうこともたびたびです。

月に照らされて浮きぼりになる富士山や箱根の山々の稜線。
まるで濃淡の水墨画のようなみごとさです。
自然が見せる幻想的な風景に思わず言葉を忘れてしまいます。

『中秋の名月』
どうでしょうか・・・雲などに隠れてしまうと「無月・むげつ」
雨が降ってしまうと「雨月・うげつ」
ほんのり明るい風情もまたいいものです。

ススキを飾り、おだんごをつくりましょう。
生卵を割り入れて、汁と薬味で「月見うどん」をたべましょう。
子どものころのように。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:15 |

本屋さん

この頃、山を下り小田原から新幹線に乗るとき少し早めに駅に着き、本屋さんをのぞく時間がとても幸せな気分にしてくれます。

棚を見ながら、今興味のありそうな本を探す。至福の時です。
先日、そんな私の隣で小学3,4年生の男の子が何やら熱心に厚い本を真剣に読んでいました。

「へ~え、子どもが大人のどんな本に興味があるのかしら」と、とても気になりました。「・・・ちゃん帰るわよ」とおかあさんの声がしてもまだ読み続けていました。ようやく諦め本を閉じ帰っていきました。その本を見て見ると「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著。「何処で彼はこの本を見つけたのだろう」と思いながら自分自身の子どものころのことを思い出していました。

我が家は空襲で焼け出され、無一文になったので子どものころに本を買ってもらえるような環境にはありませんでした。憧れの中原淳一さんの「それいゆ」「ひまわり」やピーターパン、赤毛のアンなど欲しい本がいっぱいありました。でも、買えずに本屋さんに行ってはそっと眺めていた記憶。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時放送)に素敵なお客さまをお迎えしました。

ノンフィクション作家の稲泉連さんです。

稲泉さんは、1979年、東京のお生まれ。
早稲田大学文学部を卒業後、ノンフィクション作家の道に歩まれ、2005年「ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死」で、大宅賞を受賞。その他にも数々の作品を書かれています。

この度、東日本大震災で被災した本屋さんの歩みを取材した「復興の書店」を上梓されました。

「とにかく現場をみなければ」との思いで、稲泉さんは向かいます。

岩手、宮城、福島のうち、被災した書店は391店もあり、3つの県の書店総数のおよそ90%を占めるそうです。廃業に追い込まれた本屋さんも多い中、震災直後に店を開いた書店では、どこも「この状況で本なんて売れるわけがない」と思ったそうです。ところが本を求める人は想像以上に多く、本は『生活必需品』 だったのです。

あのときはまだ仙台市内でも食べるものがなく、多くの人たちが街中をひたすら歩いて、スーパーの列に並んでいたそうです。そんなときでも、リュックサックを背負った人たちがぎっしりと本屋さんに並んでいたそうです。食料や水を求めるのと同じように。

4月から始まる小中学校の生徒達のために「何があっても教科書だけは・・・・」という書店もたくさんあったと伺いました。

緊急発売されたグラフ誌、写真週刊誌、お礼状の書き方の本、中古車情報誌、住宅情報誌、そして、「ジャンプ」や「マガジン」などの漫画週刊誌は全く数が足りない状況だったそうです。

「紙の本や雑誌の大切さを、あらためて知った気がしたんです」という本の中に書かれている言葉には、街の再生を願う人々の心を表しています。中でもとても印象深いお話として、書店で働く人の「本がある日常、普通の時間が欲しかったんじゃないかな、って思うんです」という話し。

「テレビや新聞では、ずっと津波の映像や不安になる情報が流れていました。もちろんそれは必要な情報だけれど、そうではないものも欲しかったんですよね、きっと。あのとき、世の中は自粛、自粛といわれていて、大変な現状に堪えたり抗ったりするために何かをしたり楽しんだりしてはいけない雰囲気でした。でも、大変な現状に堪えたり抗ったりするためには、やっぱり力が必要なんです。その力を養うために本が必要とされたんじゃないか、と感じるんです」・・・と。

考えさせられました。

「東北人」の人と人の支え合い、繋がりなど、被災者の方々の思いをそのようにマスメディアを通して知りましたが、「復興の書店」にも書かれていますが、「自分のため」という思いを押し隠さざるを得ない被災生活だからこそ、多くの人たちがひとりの世界へ入って、心の充電をするためのツールとして、本を求めたのでしょうね。

稲泉 連さんのお話は、本に対する愛情の数々が感じられ 『復興の書店』(小学館)を上梓されたことに感動を覚えた時間でもありました。

(放送は9月30日(日)10時半~11時)

投稿者: Mie Hama 日時: 06:11 |

私の休日

昔、女優だった頃、夜のふけるのも忘れて映画論をたたかわせた青春。
芸術論を交わした仲間達も、皆んな60代、70代。
若かった私に映画の面白さを熱い言葉で語ってくれました。
10代の終わり東宝のスタッフとジャン=リュック・ゴダール監督を我が家にお迎えし、フランス映画の真髄を聞かせていただいたこと・・・走馬灯のように思い出されます。

『映画が好き』・・・な私。
40歳で演ずることを卒業しても映画を観るのは人生の最大の喜びです。

先日、東京に映画を観に行きました。
そんな日は映画鑑賞のかけもち。
2本、いえ時には3本という日もあります。

朝一番で観た映画『最強のふたり
2011年11月、フランスで公開された映画がいきなり年間興収第1位に躍りでたそうです。分かります。誰もが愛さずにはいられない映画。実話に基づいた物語です。

スラム街出身で無職の黒人青年ドリスとパリの邸宅に住む大富豪の身体障害者・フィリップ。フリップを演じるフランソワ・クリュゼはパリ出身の1955年生まれ。
事故で首から下がまひした傲慢な大富豪と、これまた働く気などさらさらなく失業手当てを受けるのが狙いだった黒人青年ドリス。
ドリス演じるオマール・シーは1978年生まれでフランスはイヴリーヌの出身。コメディアンとして活躍する彼の演技がそれはそれは魅力的です。

相容れない二人がお互いを認め合い本音で生きる姿は感動的です。
ユーモアに富んだ最強のふたり。
最強のふたりに訪れる突然の別れ・・・ですが、
後はあまりお話いたしませんね。

泣いて、笑って、そして、観客に生きることの素晴らしさ、パワーを与えてくれます。対等な人間として、強い絆で結ばれている『最強のふたり』。観終わったら何だか嬉しくなり映画館の近くの喫茶店に入り、余韻をかみしめました。

昼食をはさんで、歩いてもう一本の映画を観るために劇場へ。

あなたへ

高倉健さん205本目の映画。
半世紀にわたり観客を魅了し続けた俳優さんです。
私も一本だけご一緒させていただいたことがあります。
今でも初日の日のことが忘れられません。

東京駅八重洲口の近くにあった小さな旅館で支度をしていたら、廊下に座り「失礼致します」と仰る高倉健さん。ご挨拶くださったのです。

当時は五社協定があり私は東宝から東映の映画に出演させていただいたのです。そんな私にお気使いくださり恐縮致しました。その佇まいに謙虚で静謐な人間味あふれる俳優さん、そんな印象を受けました。

「あなたへ」は長年ご一緒に映画を撮ってきた降幡康男監督。
81歳の高倉健さん。
77歳の降幡監督。
長い間、友情と信頼と情熱で結ばれてきたお二人。

妻を亡くしその遺言に沿って、妻の故郷長崎へと車を走らせます。
道中でさまざまな人との出会い。
映像の美しさ、日本の景色の美しさを通して心のひだが描かれます。
家族や社会でのしがらみ・・・人は様々なことを背負って生きています。

放送作家の水野十六さんはおっしゃいます。
『独立一作目の「八甲田山」以降「あなたへ」に至るまでの35年間、真っ直ぐに貫かれてきたのは「人を想う心」。多くのものを捨ててきた高倉さんが選んだのは、この「心」だったのだ。』

年を重ね、孤独を知り、生きる辛さを知り、そして「人を想う心」の温もりを与えてくれた映画でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:50 | | コメント (2)

『夢へ。いっぽ、いっぽ。宮崎』

口蹄疫ウイルスの終息宣言から8月27日で2年がたちました。

2年前の4月20日、侵入経路が今もわからない口蹄疫ウイルスが発生しました。復興の現状と宮崎の農業の将来像を語り合う「夢へ。いっぽ、いっぽ。宮崎 シンポジウム~口蹄疫からの飛翔」に宮崎日日新聞にお招きいただきました。

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宮崎のみなさんが我が子のように育ててきた牛や豚が次々に感染し、約30万頭の牛や豚を処分するという、考えられないほどの大きな犠牲を払いやっとのことで口蹄疫ウイルスを封じ込めました。

宮崎日日新聞社の報道からは、口蹄疫の本当の生々しい姿を、県民に寄り添いながら地元紙としてまさに「県民一丸となって難局を乗り切るために役割を果たす」という熱い思いが一文字一文字から伝わってきました。

私は当初から口蹄疫問題に大きな危機感を抱いていました。
行政の危機管理の低さ、そして国が口蹄疫対策本部を設置して、初会合を開いたのは約1カ月後。
農場は消毒用の消石灰で真っ白になり、県民は感染拡大を恐れて外出を自粛。畜産農家だけではなく収入が途絶えた商工業者も多かったと聞いています。

復興が進みつつありますが、まだまだこれから。
「農業は国の根幹を支える聖なるなりわい」と私は思っています。
当事者でなくても自分の問題としてとらえ『記憶を風化させてはならない』と考えます。

シンポジウムでは口蹄疫からの復興に力を傾ける、酪農家の川上典子さん(JA尾鈴理事)、そして口蹄疫発生を機に企業を退社して実家へ戻り農業を続ける土器美里さん、口蹄疫で沈んだ町経済の再起を目指す三原明美さん(川南町商工会女性部長)、3名のパネリストの方々とご一緒でした。

『夢へ。拓こう 宮崎農業の新たな地平』

お一人お一人のお話を伺っていると胸が熱くなりました。
会場の皆さんの元気なお顔を拝見して、ホッとすると同時に、よくぞ、皆さんあの困難な時期を乗り越えてくださったと、感謝の気持ちでいっぱいです。

『口蹄疫は、あらゆる危機管理に対する警鐘であった』とも感じます。

私たち国民一人ひとりがけっして風化させてはならない・・・と心から思った一日でもありました。

宮崎は農業で、日本を支えているのです。
どうぞ、その誇りを胸に、これからも一歩一歩、歩いていっていただきたいと願います。

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宮崎の皆さま、ありがとうございました!

投稿者: Mie Hama 日時: 10:10 |

『近畿大学の学生たちと』

近畿大学で客員教授として授業を受け持ち今年で3年目になります。
私自身の学びの場でもあります。

私は中学しか出ていません。
大学や高校という学び舎で勉強する機会には恵まれませんでしたが、社会に出てから出会った多くの先輩方、そして本や映像を通して巡りあうことができた素晴らしい先人たちから、たくさんのことを学ばせていただきました。

そんな経験から机の上の学問だけでなく、現場に赴き、この目で見、耳で聞き、肌で感じながら多くのことを学んでほしい。

大地を歩き、人に出会い、話しを聞き、語り合い、その中から見えてくる切実
な現実から導かされた問題解決にこそ、真の力が宿っているということを学生
の皆さんに感じ取ってほしい・・・。

キャンパスを港として、フィールドワークに出かけましょう!といい続け今年も私の若狭の家での合宿をおこないました。

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近畿大学総合社会学部のチャレンジ
「社会と人と自然を見つめるチカラを磨く総合社会学部」
『道なき道を拓く』は学部長の荒巻裕先生の言葉です。
出会う喜び、学ぶ喜び、語る喜びが満ちた新学部を築きます。

現代の先達に学ぶ・自分らしさの発見「暮らし・食・農・旅がもたらすもの」
をテーマに様々なことを学生たちと学んできました。

この夏のフィールドワークでの学生達の感想をお読みください。


環境系専攻1年 井實 彩嘉
福井に着いてまず目の前に入ってきたのは広大な自然の風景でした。
広がる緑の田畑山々は私たちの疲れを癒してくれました。
気温は大阪に劣らず暑かったけれど、風は爽やかでとても気持ちがよかったです。農道を自転車で走っているときも、自分が田んぼの中にいるようでした。これこそ日本の夏休みだと感動していました。
今回おおい町の案内をしてくださった松井さんはとても明るい方で、私もたくさんの元気をもらいました。大変大きな農園を持ってらっしゃることもそうですが、その交友の広さには驚きました。農業をやっている方はもちろん、畜産業や漁業、芸術家の方々までたくさんの出会いがありました。みんなあたたかい方ばかりで、おおい町の人の良さがにじみ出ていたような気がします。
最後のバーベキューの時もたくさんの人が集まってくれ、本当に楽しく過ごせました。最近農業を始めた方々のお話も聞くことができました。今まで講義を聞いて、多くの問題と向き合ってきましたが、実際に現場に行ってみないとわからない多くのことを感じました。どれもこのインターシップでしか学べないような経験ばかりでした。また改めて地域コミュニティの大切さを感じました。この体験と出会いをこれからも大切にし、生かしていきたいと思います。


社会マスメディア系専攻2年 奥野 隼平

福井県の大飯町。私が、この町を知ったのは日本の原発再稼働問題でのことでした。この大飯町は、原発問題に実際に直面していた町だった。
ニュースを見ている限りでは、この大飯町がどんな町であるか全くわからなかった。しかし、このインターンシップではたまたまこの大飯町に行くことができた。とても運がいいと思った。
実際に、この大飯町はとても自然豊かな町であった。行きつくところみんな田んぼや山や畑で緑で覆われていた。そこには、たくさんの虫もいて、中には蜂のような危険な虫もいたが、本当に多くの虫に囲まれて生活できた。都会では、最近は虫が減ってきていて、本当に少しの間であったが自然に帰ることが出来た。
また、今回のインターンシップで、とても大きなものを手に入れたように感じた。それは、都会にはない田舎でしかない地域の結びつきである。都会暮らしでは、どうしても地域一体となって行動できない。現に、隣に住んでいる人の顔さえ知らない状況である。しかし、田舎の人たちは本当に近所づきあいが盛んであると思った。これは、都会も見習わなければならないのもあるが、田舎の人たちの温かさにとても感動を覚えた。


環境系専攻3年 小田島 史弥
私はこのインターンシップを通じて、多くのことを学ぶことができました。まず福井県はとても自然の豊かな場所で、私たちとは正反対の生活を送っていることが分かりました。
最初に感じたことは都会に住んでいる中で普段、どれだけたくさんのものに依存しているかと言うことです。食で言えば、スーパーなどのお店に頼る人がほとんどだと思います。しかし向こうでは農業が盛んで食べ物は自分で作り、また収穫した野菜や米は別の農家と交換するなどお互い支え合いの心を持っていることが分かります。ある農家の人は自分の作った野菜を美味しいと言ってくれる人がいると作りがいがあるとも仰っていました。このことから人間関係の大切さに気付かされました。またこの三日間でお祭りやバーベキューなど楽しいイベントも盛りだくさんで、インターンシップのメンバーとも交流を深めることができる良い機会になりました。


環境系専攻2年 仲 勇至
普段大阪に住んでいて自然と触れ合うことがまったく無かったので、今回のやまぼうしでのフィールドワークはとても貴重な経験となりました。
田んぼ道を自転車で走りながら風景を楽しみ、山を登り滝に打たれたりして自然と触れ合ったことや、ブルーベリーの収穫の手伝いや田んぼの雑草を抜いたりして農業を体験できたこと、地元の「大火勢」という祭りを見に行ったことなど、どれも楽しく、また良い経験となることばかりでした。
その中でも一番印象に残っていることは、実際に農業を営んでいる方々からのお話を聞けたことです。環境系専攻なので、農業も進路の一つとして考えていたのですが、あまり農業にいいイメージを持っていなくて、前向きには考えていませんでした。しかし、話を聞いていると、食べ物にも困らないし生計も十分立てることができ、自分の好きなことを一生懸命できる良い仕事だということを知りました。もし将来、職に就くことが困難になり、どうすることもできなくなったら、思い切って農業をするということも考えようと思います。


環境系専攻1年 西村 直

今回やまぼうしへのフィールドワークを行って学び、懐かしさを感じ、そして驚くこともありました。やまぼうし付近の道路が北海道ほどではありませんが、真っ直ぐな道があり、車も動いている数が少なく、静かで気持ちがよかったです。特に自転車の移動がそう感じさせたのかもしれません。
そこでいろんな所を回りました。きのこの里、ブルーベリー農園、牧畜などを見たりしました。きのこの里では長いすべり台に滑り楽しみました。一番印象に残っているのは、各農園を回ったことです。例えば、ブルーベリーを収穫したり、牛に餌をあげたり、松井農園では、トマトを収穫し、草をむしり、綺麗なトルコキキョウを見せてもらいました。幼稚園や小学校の時にこういった体験をしたことはありましたが、大きくなるに連れて離れていきました。
そして最後のバーベキューでお世話になった人達が来て下さったときはこの地域には多くのつながりがあるなと思いました。このフィールドワークを通じて農業の大変さを知り、また子供の頃にあった気持ちを思い出しとてもいい経験になりました。


環境系専攻3年 西村 陽菜

やまぼうしでのフィールドワークはとにかく楽しかったです。もちろん農家の方のお話を聞いたり、様々な施設を巡ったりして、農業というものを身近に感じることができ、多くのことを学ぶことも出来ました。また、福井県では何もしていなくても、自然のにおいや緑豊かな風景を見たり感じたりすることで癒され、清々しい気持ちになりました。
そして、私はやっぱり自然が好きなのだと実感しました。お世話をしていただいた松井さんは、私たちのことを一番に考えてくれていて、おかげでとても楽しくフィールドワークを終えることが出来ました。お祭りにも行くことが出来たし、そこで見た花火は今まで見たことがないくらい綺麗で、あの映像は脳裏に焼き付いています。地元にいるだけでは体験できないことを、たくさん体験できたフィールドワークになり、とてもいい経験になったと思います。また、福井県にいきたいです。最後に、現地でお世話になった方々に本当に感謝しています。


環境系専攻3年 藤道 美那
私は幼い頃に何度か、家族で福井県にある海水浴場を訪れた事がある。海は透明度が高く、様々な魚が泳いでいるのを何度か見かけて感動したことを今でも覚えている。そんな幼少期の記憶から、福井県は海が綺麗な所であるという印象は前々から持っていた。
今回、インターンシップの合宿で久し振りに福井県を訪れることになり、すごく楽しみにしていた。海を訪れることは無かったが、バスで移動している時に一瞬だけではあるが見ることができてそれだけでも嬉しかった。しかし、海以上に感動する事が待っていた。到着してすぐに私の目に飛び込んできたのは、辺り一面に広がる山々、透き通るような青空、そして青々とした田園風景であった。私はずっと住宅街で育ってきたこともあり、昔から自然豊かな土地に憧れを持っていた。そんな私にとって、そこはまさに理想の空間であった。合宿中の移動はほとんど自転車であり、農道を自転車で走り抜ける時の爽快感はとても言葉では言い表し難いほどである。自然から力を貰ったのか、合宿中はほとんど疲れを感じる事はなく、むしろどんどん身体を動かしたいという気持ちになる事ができた。福井県は海だけでなく、山や田園等の景観も素晴らしいことを知った。
このインターンシップのキーワードの一つである、「食」の面でも色々と考える事があった。今回の合宿では農業を営んでおられる松井さんに大変お世話になったのだが、松井さんの農園を訪問させていただいた際にトマトを味見することができた。やはり、地元のスーパー等で売られているものとは全然違って調味料をつけなくても美味しく頂くことができた。また、朝ご飯は福井県の周辺で採れた作物をいくつか使ってメンバーで手分けして何品か調理したのだが、皆で机を囲んで食事を摂ったのも調味料の一つとなり、どれもすごく美味しかった。地産地消は環境に優しいだけではなく、食べ物を美味しく頂けるのだということを感じた。
さらにもう一つ、「人とのつながり」の面でも考えさせられた事があった。前回の答志島合宿にも感じていたのだがそこに住む人々は皆、周辺の人と仲が良く互いに支えあいながら生きている。私の住んでいる地元ではとても考えられないことである。私たちのような見知らぬ者に対しても同様に温かく接してくれる人が多いように感じた。年々、地域同士のつながりが希薄になってきていることを感じていたが、そこではそういったことは全く感じられなかった。
今回の合宿で改めて自然を守らなくてはいけない事、食の大切さ、人とのつながりについて学んだ。講義でも学ぶ事はたくさんあったが、合宿で実際に体験や実感をすることによってこれらのことは本当に大切なんだと思えた。今後生活していく上でとても大きなヒントを得たと思う。そして、そうした地域をこれからも守っていかなければならないと思った。また機会があれば、福井県を訪れたいと思う。


環境系専攻1年 三谷 信悟

僕は今回の福井県でのフィールドワークを通して自然と人に囲まれた暖かい時間を過ごせました。まず都会とは違い自転車での移動も蒸し暑さがあまりなく風が気持ちよくて爽快でした。辺り一面に広がる田んぼを見ながらのサイクリングは暑さを忘れるくらいでした。滝を見に行く時には自転車をおして登りきり滝に到着した時には疲れもとれるくらい爽やかな空気でした。水も澄んでいて綺麗でした。
そして近大農園の稲はとても立派に育っていました。思っていたよりも広くて驚きました。様々な場所へ僕たちを案内するために車で送ってもらったり話をしたりして初対面にも関わらずみなさん優しい人でした。農業の話はもちろん、絵や陶芸など幅広く話を聞くことができて以前よりさらに関心が深まりました。数日間、たくさんの人のフォローがあり貴重な話も聞くことができました。改めて自然の恩恵を感じ取ることができて今後の参考にもなりそうなインターンシップだったと思います。

社会マスメディア系専攻2年 山内 和磨
やまぼうしでは大阪ではあまり体験出来ないような自然にたくさん触れることが出来て、とても感動的でした。やまぼうしに着いて、自転車を渡された時は、「えっ、これ?」と思いましたし、とても暑かったですが、今思い返せば、自転車だったからこそより多くの自然と触れ合うことが出来たのではないか他にもさまざまな形で自然と触れ合えて、とても楽しかったです。
中でも、牛との触れ合いは滅多に経験できることではないので、とても印象的でした。実物の牛は私の想像していたものよりも大きくて驚きましたが、人懐っこくてとてもかわいかったです。大火勢花火大会もとても印象深かったです。あんなに近くで、あんなにたくさんの花火を見たことはなかったですし、地元の同世代の方々とも親交を深めることが出来てよかったです。
やまぼうしでは本当に貴重な体験が出来ました。私は生れてからずっと大阪に住んでいます。確かに、交通面や物を買うことなどはとても便利かもしれませんが、やまぼうしのような自然に囲まれた環境はほとんどありません。大学に入り、福井県、広島県から大阪に引っ越してきた友人と心斎橋のアメリカ村に行った時、友人は「なんか臭くない?」と言ったのですが、私にとっては普通なのでとても驚きましたが、やまぼうしに行った時、その言葉の意味がわかりました。やまぼうしはとても素晴らしい場所でした。また行きたいと思います。

社会マスメディア系専攻3年 寺西 香須未
私は大阪生まれ大阪育ちなので、幼い頃から身近に自然を感じることなく過ごしてきました。いつも遊ぶのはアスファルトの上が普通でしたが、このフィールドワークで大飯町に行ってもし私が小学生の時こんな環境の中で遊べていたらもっと楽しかっただろうなぁと思いました。
大飯町は自然がいっぱいで大阪では感じることのできないマイナスイオンをたくさん感じることが出来ました。自転車を暑い中みんなで漕いでいると小学生の夏休みを体験しているような懐かしい気持ちに胸がウキウキしました。また大火勢祭りでは今までで見た中で一番すごい花火を見ることが出来てすごく感動しました。
最後の夜は松井さんの家族の方やたくさんの方とお話ししながらバーベキューや花火をして日頃聞けないお話をしたりこのフィールドワークに参加して仲良くなった友達とたくさん話せてすごく楽しかったです。松井さん、私たちを暖かく迎えてくださって本当にありがとうございました。松井さんの家族は皆さんすごく素敵で心がすごくホカホカしました。

社会マスメディア系専攻2年 山田萌
おおい町に着いてからの主な移動手段は自転車で、暑くて大変だろうなと思っていました。しかし実際は、自然の豊かな風景をじっくり眺めながら移動できて気持ちよかったです。都会だとビルなどの建物が立ち並び遠くの景色まで見ることは難しいですが、おおい町では広々とした田畑やその向こうにある山々を見ることができ、とても開放的でした。
農家を営むいろいろな方からお話をうかがっていると、農業という職業が身近に感じられました。今まで、農業は親から受け継いでいくものだと思っていましたが、お話を聞かせてくださった方の中には、親は農業をやってないという方もいました。また、「自分に合った会社なんてほとんどなく、就職するのなら自分が会社に合わせなければならないが、農業は自分のペースでできる」とおっしゃっている方もいました。もちろん農業にも、大変なことやつらいことがあると思いますが、今回のフィールドワークで今まで知らなかった農業の魅力を感じることができました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:37 |

夏が似合う女性(ひと)

灼熱の太陽がジリジリ肌を焦がす季節を少し過ぎ、夏の名残りを感じるこの季節になると、森瑤子さんを思い出します。
彼女は私が知っている女性のなかで、誰よりも夏が似合う女性でした。

貴女とお別れしてからこの夏で20年が経つということが信じられません。
それは、お知り合いになってまだ間もない頃に、与論島の彼女の別荘にお邪魔したときの印象があまりにも強烈だったせいかもしれません。

「浜さん、ヨロンに遊びに来ない?裸で泳がせてあげる。」
仕事を通じての出会いだったこともあり、まだお友達と呼べるほどの親しい会話もかわしていない搖子さんから突然そんなお誘いを受けて、私は心底びっくりし、長いあいだ憧れ続けていた上級生から声をかけられた女学生のように、半ば緊張しながらも素直にうなずいていたのでした。

白い珊瑚礁に囲まれて熱帯魚の形をした、あまりにもエキゾチックな匂いのする与論島。サトウキビ畑の真ん中にある空港に降り立つと、真っ白なつば広の帽子を小粋にかぶり、目のさめるような原色のサマードレスを着た搖子さんが待っていてくれました。

「この島は川がないでしょう。だから海が汚れず、きれいなままなの。娘たちにこの海を見せてやりたくて・・・」

私は搖子さんの言葉を聞きながら、母親の思いというものは誰でもいつも同じなんだなと感じ、急に彼女がそれまでよりもとても身近な存在に思えたのでした。

長いあいだの専業主婦の時を経て、突然作家となり、一躍有名人になられて、そして仕事がとても忙しかったことで、搖子さんは絶えずご主人や娘さんたちに対して後ろめたさのようなものを抱え続けていらっしゃるように私には思えました。

妻として母親としての役目を完璧にこなしていた搖子さん・・・そんな女性に会ったことがありません。

そう、都会の男と女の愛と別れを乾いた視点で書き続けた森搖子という作家は、個人に戻ればどこまでも子どもたちのことを思う「母性のひと」であったのです。

十代の頃から社会に出て働き続けてきたせいか、他人に甘えることのとても下手な私。心にどんなに辛いことがあったとしても、涙を流すのはひとりになってから。他人さまの前ではいつも背筋をシャンと伸ばして、爽やかな笑顔でいることが仕事を持つ女の美徳と信じ込み、ずっと長いこと、肩肘張って生きてきたような気がします。

あの頃の私は妻としても母親としても、そして仕事の上でも実にさまざまな悩みごとを抱えていて、激しい精神のスランプ状態に陥っていたのですが、そのことを誰にも言えずしひとり苦しんでいた時期でした。

真夜中、月が煌々とあたりを照らす海で泳ぎましたね・・・裸で。
静かに水をかき分け、ときおり肩や背中が月明かりを受けて輝いて見えたのが、私の目の中に残っています。

あの夜、まさに私の内のすべてを見抜いてくださっていた搖子さん。
甘えることのできるひとをみつけた嬉しさでいっぱいの私でしたのに、搖子さんはそれからあまり間を置かず、永遠に私の前から姿を消されてしまったのです。

与論の島に眠る搖子さん、お逢いしたいです

でも、瑤子さん、安心してくださいね。私、あと少しで60代を過ぎる今、ようやく自分の泣き顔を他人(ひとさま)に見せることができるようになりました。

そうしてもいいのよ、教えてくださったのは搖子さん、あなたです。
今までよりも、生きていくことがずっと楽になりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:46 |

鎌倉・円覚寺

円覚寺(山号・瑞六鹿山円覚興聖禅寺)に伺ってまいりました。
円覚寺はJR横須賀線「北鎌倉」から徒歩2分ほどのところにあります。
入り口の石段を登る総門をくぐると、重厚な山門がそびえ立ち、往時の隆盛を伝えています。

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今回は「夏季講座」に招かれてお話をさせていただきました。

この円覚寺創建の主な目的は、蒙古襲来で戦没した多くの霊を敵味方なく弔うことで、高僧無学祖元によって開山されました。

階段を一歩一歩進むと、鎌倉・室町・そして明治へと円覚寺がたどった歴史の中に身を置くことができます。

梅雨も明け、山門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれますが私などは、煩悩を取り払うこともできず、もちろん娑婆世界を断ち切ることなど到底できず、仏殿にお参りし会場に向かいます。妙香池を左手に見、国宝の舎利殿(お釈迦様の歯がまつられている)へと。舎利殿は関東大震災で倒壊しましたが、昭和四年に復元されています。

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会場の方丈(本来は寺の住持の住む建物)では現在は各種儀式・行事・法話座禅などに使われています。畳に500名ほどの方が座り、まず官長さまのお話をうかがいます。

私は「自然とともに生きる」をテーマにお話をさせていただきました。

なぜ都会を離れ箱根に住まいを移したか。百年、百五十年という貴重な歴史を持つ家々が、住みにくい、維持が大変、跡継ぎがいない・・・などの理由で次々に捨てられていった悲しい時代でした。土地のおばあちゃんに「何とかこの家を守ってほしい」と、手を合わされたこともありました。

煤を払い、水で洗いました。手は真っ黒になり、爪にも煤が入り込んで・・・。当時女優の仕事が入ると、あわててマニュキュアを塗って出かけていく日々でした。一本一本梁や柱の木材を箱根神社のお神酒で清めて・・・
40年ほど前のことです。

「木の霊」・・・木々がうっそうと繁る森の中に立つと、私には木々一本一本が立木像に見え、ざわざわとなる木の騒ぎ、耳に響き渡る瞬間があります。樹齢何百年という大木のそばに行くと、その太い幹に、そっとからだをすりよせたい衝動にかられます。

人生には様々なことが起こります。
私もまた、子育てに悩んだり、夫と小さな諍いをしたり、仕事で行き詰まりを感じたときなど、はっとすると、目に涙があふれていたことだってありました。

人は絶えず、死と隣り合わせに生きていて、穏やかな日々を過ごせるということが、奇跡のような幸せであると、しみじみ感じます。

円覚寺では官長さまの法話と座禅をくむことができます。

ゆったりと流れた時間・皆さまと共有した空間・・・
木々に囲まれた境内、緑深い匂い。
幸せな刻でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:35 |

旅する女

素敵な本に出逢いました。
旅する女』筒井ともみ著(講談社)

お会いしたくて先日ラジオのゲストにお招きいたしました。
「浜美枝のいつかあなたと」(文化放送 日曜10時半~11時)

『女たちは、自分のための自由な旅をもとめて動きだした!』とあります。

筒井さんは、1948年東京生まれ。
叔母に女優の赤木蘭子さん、叔父に俳優の信欣三さんを持ち、大学卒業後、シナリオライターの道に進みました。

1996年、「響子」、「小石川の家」で、第14回向田邦子賞を受賞。
2004年には映画「阿修羅のごとく」で第27回日本アカデミー賞・最優秀脚本賞を受賞されています。

著書も「舌の記憶」、「食べる女」、「おいしい庭」など数多くあります。

何よりも毎日の食事をとても大切にされている筒井さん。
「料理とは聖なる祝祭」とのこと。

「旅する女」は、ある1人の個人旅行のコーディネーターが突然亡くなってしまい、彼女を頼りにしていた依頼者4人が、その後、自分のために新しい人生を求めて動き出す物語です。

たとえ今、少し元気がない人でも、優しく背中を押してもらえるような素敵な小説でした。

とにかくセクシーでスリリング。
本来ならば、スタジオでのお話の様子をみなさんに聞いていただくのですが、う~ん、むずかしです。
筒井さんの声、お話の間、そして、"ことば"
表現できません。
ぜひぜひラジオをお聴きください。(7月29日・日曜放送)

それよりも驚いたことがございます。
筒井さんのご本「おいしい庭」での一文です。

「子供のころ、梅雨の庭に出て紫陽花の傍らにしゃがんでいたのを覚えているそれも一回や二回じゃなくて、雨が降ると小さな傘をさして度々しゃがんだ。母から許しが出ると、その紫陽花の花を二つほど切り取る。ついでにもう一本、花のついていない太めの茎をえらんで切る。玩具にするためだ。 葉っぱをとって茎だけになったものを一、二センチの長さでポキポキと折る。それをそっと持ち上げると、納豆がネバをひくように樹液がのびて、折った筈の茎がスダレのようにつながるのだ。それを顔の前にぶら下げてまたジワッと見る。それだけのことだけれど、梅雨にしかできない悪戯でけっこう楽しかった。」

私もまったく同じ経験をしたことを思い出しました。
友達と遊ぶよりひとり遊びが好きなヘンな子・・・でした、私。
筒井さんも同じ・・・ヘンな子だったのかも知れませんね。 

庭の紫陽花が美しく咲いています。
白と薄紫の花をそっと切り、リビングに活けました。
なんだか・・・胸がキュンとしてしまいました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:26 | | コメント (1)

伊勢湾に浮かぶ答志島

近畿大学・総合社会学部の客員教授として講義を受け持って今年で3年目です。アッというまの3年。前半期、月2回の講義です。

その中でも楽しみの一つが、フィールドワーク。

勝手に私が『師・先生』と仰いでいる方が民俗学者の宮本常一です。名著「忘れられた日本人」(岩波文庫)を読み、足元を見つめ直すきっかけを与えてくださいました。何より「現場」を大切になさった方です。旅程はほぼ16万キロ。地球を4周に及ぶといわれています。ときには辺境と呼ばれる土地で生きる古老を訪ね、その一生を語ってもらい、黙々と生きる多くの人々を記録にとどめました。私など足元にも及びませんが、宮本さんは、常に「主役になるな。主流になるな」という言葉でもって、自分を戒めておられたそうです。

学生達には「現場を見てほしい」・・・と常々思っています。
授業で「寝屋子制度」について学びました。

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授業を終えて、近鉄で鳥羽に向かいます。佐田浜から市営定期船で30分ほどで伊勢湾に浮かぶ「答志島」に着きます。船上で「わ~あ、私この授業を受けていなかったら一生この島には来なかったかもしれません」という学生。

私が始めて島を訪ねたのが17年ほど前のこと。
この島には「寝屋子制度」が日本で唯一残っているところです。
「若者宿」とよばれ、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りする集団。仲間を作り、頼んでどこかの家を宿にし、毎晩そこで寝泊りします。その若者達を預かり、宿を提供するのが、「寝屋親」です。血のつながりはありませんが、生涯、親子のような付き合いをします。

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なぜ寝屋子制度はできたのでしょうか。
漁業は、板底一枚下は地獄と言われる危険な仕事。
いざ、という時に、理屈よりさきに身体が海に向かいます。

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今回もお世話になったかつて漁師歴50年の山下正弥さんも、荒波の中で奥さんが海に落ち寝屋子に助けられたそうです。

「まあ~時代が変わったから多小の変化はありますが、今も島の精神的な居場所になっています」と話してくださいました。

民宿に泊まり、島の方々の優しいもてなしを受け、お話を聞き、島を散策し、たった2日間でしたが学生達は「何か」を感じとってくれたようです。

「無縁社会」が話題になる現代社会ですが、この島は違います。

答志の島に生まれ、育ち、寝屋親をし、海で生き抜いた正弥さんは言います。

「漁業が元気でなければ、この制度もなくなる・・・」と。

早朝ひとり港の周りを散策していると、かつては海に潜っていた海女のおばあちゃんが声をかけてくださいます。「おはよう」と。顔中のシワは人生の宝です。80代でも現役の海女さんがいらっしゃいます。路地を歩きながら、干した魚を見ながら、「幸せってこういうところにあるのだわ」と思いました。

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埠頭の桟橋でいつまでも見送ってくださった正弥さん。
学生達にたくさんの宝をありがとう・・・と感謝いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:10 | | コメント (2)

旅は曼荼羅

朝、ベッドの上で目覚めると、一番先に思うのは、ここはどこ?
日本列島は仕事の旅。講演や取材で訪ねる先々で知り合った人々との交流は果てしなく続き、二度目三度目はプライベートな旅に変わっていきます。

旅は一期一会とよく言いますが、そういう思いを深く味わうためにはそれなりの旅の工夫がいると思います。地球上には無数の旅先があります。人より少し多くを旅している私ですが、訪ねたところはまだまだ少ないです。行ってみたいところにこと欠かないのですから、恐らくこれからも旅を続けることでしょう。

あちらにはいつもときめきがある。あちらに行って、こちらの私がみえてくる。旅先で現実をふりかえると、現実の問題もよりくっきりと整理されよくみえてくる。なんだ、そうだったのかと、自分の進む道がみえてくることもあります。迷い道があるから広場に出られて、まわり道をするから目的地が恋しくなるのです。

関西での仕事の帰り、京都へ寄り道をしてきました。
『法然院』は、京都東山の鹿ヶ谷にある浄土宗の山寺です。
銀閣寺から南禅寺や永観堂のある南方へ10分ほど歩いたところ。

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山門までの石段を一歩一歩と進むと初夏の風が心地よく、青い樹木一色。
山門をくぐると、両側に白い盛砂があります。
水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているそうです。

白砂壇(びゃくさだん)

そう・・・、気持ちよい空気の流れです。
桜や紅葉の季節ではないので人もそれ程多くはありません。
ガイドブック片手の海外からの旅行客が数人。
境内には蔵、隅に古い石塔が佇んでいました。

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今回も法然院 貫主・梶田真章住職の法話を聞かせていただくのが目的でした。昨年の3・11以降、心のざわつきが治まらず、おはなしを伺ったのが最初でした。

「私を存在させているのは私ではなく、周りとのご縁で生かされているのです。なるべく他の存在を生かすように、生きとし生けるものに慈しみと悲しみの心を向けなさいとお釈迦様は説きました。それが慈悲です・・・」と。そして、「あらゆる命とかかわりあう」こともお話しくださいました。

清々しい気持ちで法然院を後にし、夕暮れ人の少ない哲学の道を散歩して帰路につきました。そうそう・・・哲学の道には"おいしい"スポットがたくさん集まっています。私はまる豆かんを食べました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:26 | | コメント (2)

夏椿に魅せられて

先日、岡山山陽新聞社主宰の「山陽レディース倶楽部文化講演会」に招かれ伺ってきました。

岡山シンフォニーホール、2000名の会場は女性たちで満席。
「農と食の文化を考える~心とからだを元気にしてくれる食」というテーマでお話をさせていただきました。

私はこの40年、全国にお邪魔しておりますが、その土地に伺う時その街の空気をすいたくてなるべく前日に入ります。

新幹線から岡山の駅に下り立ち、お椀をふせたような小さな山がぽこぽこと続いている風景を拝見するたびに、ああ帰ってきたとつぶやきたくなるような懐かしさを感じます。そしてまるく高く広がっている空を見ると、心がふわっとひろがっていくような開放感にいつも包まれます。

今回もそうでした。そして地元の新聞を読みます。
山陽新聞・朝刊、岡山市民版に「ナツツバキ涼しげ」・・・とカラー写真と記事が載っておりました。

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北区一宮の徳寿寺の境内でナツツバキが開花。とあります。ナツツバキのことは知っておりましたが、梅雨時に咲く花で、なかなかタイミングがなく今まで見たことがありませんでした。

さっそく早朝、徳寿寺にまいりました。6時すぎでしょうか。お寺のおばあさまにご挨拶いたしましたら、裏庭にご案内してくださいました。真っ白な可憐な花がこの梅雨時に爽やかに朝日を浴び咲いておりました。
おばあさまが、「ご覧になって、花びらに紅をひいたように赤がありますでしょ」と教えてくださいました。

艶ぽい・・・。

ナツツバキはツバキ科の落葉高木。
朝に咲いて夕方には落下する一日花のため、平家物語で世の無常の象徴である「沙羅の花」とされた。と記事に載っていました。

足元には落下したナツツバキ。
また幸せな時間がもてました。

岡山でお食事をいただくと、その美味しさに驚かされます。何気ないメニューであっても。お野菜もお魚も卵もお肉も本当においしくて、関心してしまうのです。それも道理、岡山の販売農家数は、中国地方では一番多く、全国でも十六番目。およそ6万戸の農家がこの地で生産にがんばっていらっしゃる。

桃太郎伝説誕生の地にふさわしい、気品あふれる白さととろけるような味わいが特徴の岡山白桃。そして、エメラルドグリーンの房と豊かな芳香で「果物の女王」と呼ばれるマスカットの素晴らしい味わい。これらの果物は芸術品だとさえ思えます。

また、岡山県は全国に先駆けて、有機無農薬農業に取り組んだ県です。私たち、安全で安心なものを求める消費者にとっては、「おかやま有機無農薬農産物」はまさに信頼のブランド農産物です。私は、岡山にうかがうと、ヨーグルトを必ずと言っていいほど、いただきます。ジャージー牛の牛乳で作られていて、甘く、深いコクがあるのです。岡山はジャージー牛全国第1位の県であるからです。

さらに、ママカリ・牡蠣・タコ・鯛・アナゴ・シャコなど瀬戸内海の魚介類のおいしいこと。

海・山・川の自然に恵まれた岡山の豊かさを感じさせていただきました。

会場の女性たち、みなさん それらを生かし、親から子へ子から孫へとつないでいらっしゃる方々ばかり。 
会場の皆さま!ありがとうございました。またお逢いしたいです。

投稿者: Mie Hama 日時: 06:32 |

女性たちが元気で美しい山間の町

岐阜県山県市の美山地域に残る伝統素材「桑の木豆」を、地域の味として伝えていこうと頑張っているの女性たちのいる「ふれあいバザール」をお訪ねしてきました。

バザールが発足して15年です。
美しい山の町という、まさにその名の通りの町です。

私を迎えてくださったのは、20年来の友人、元山県農業改良普及センターの山岡和江さん。美山の女性たちの頑張りは山岡さんの指導のお陰かも知れません。

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山岡さんがまず連れていってくださったのが、「あじさいの山寺・三光寺」境内花園では、二百余品種・一万余株にも及ぶ「山アジサイ・額アジサイ」が花曼荼羅のように咲いていました。初めて見る「岩がらみ、そしてブルースカイ・紅花甘茶・白妙」など等あじさいを見ながら庭の木の下で、、ところてんを頂きながら至福のひとときでした。

ふれあいバザールの女性たちとは、私が「食や暮らしや環境」に興味のある女性たちとヨーロッパ研修にでかけて知り合い、その情熱・実行力・優しさに感動していらいのお付き合いです。

田園暮らしに関して、ヨーロッパのライフスタイルは日本に比べて、一日の長があります。農業が暮らしとあいまって、豊かな生活環境の創出に素晴らしい知恵が発揮されているのです。その環境作りを学ぼうと、英国・ドイツ・フランス・イタリアなどの田園の暮らしぶりや、さまざまな農業環境を視察し、あちらの女性たちとの交流の旅を20年近く、延べ200名くらいの女性たちの参加でした。

そんなご縁で、美山には以前にも伺っております。
みやま・・・古代から美濃森下紙が漉かれ、貴族や寺社に尊ばれたという町です。

美山は品と豊かさとセンスのある町です。
気持ちよく余所者を受けとめ、なごませてくださる。
「ふれあいバザール」がまさにそうした空間なのです。
周囲を山々に囲まれ、山百合が咲き温かな空気、人々の、えも言われぬ優しさ。そんな場所にあります。

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建物に入ると左手側に地元でとれた新鮮な野菜や加工品などが並び右手側が食堂。この地域でしか栽培していない「桑の木豆」、国産そば粉の手打ちそば。これを目当てに大勢の人たちが訪れます。店舗前の駐車場は午前中から静岡名古屋など他県ナンバーの車でいっぱいです。奥の厨房ではすべて手作りでそばを打ち、山菜天ぷらを揚げ、てきぱきと働く姿の美しいこと。

1997年4月のオープン以来の黒字経営です。
生産者に85パーセントは支払い、その残りの15%で市から借りている建物の家賃やスタッフの人件費、などすべて賄われています。建物の改修や駐車場の整備など行政に頼らず自立しています。そんな経営を学びたいと、全国からの視察が相次ぎ、注目を集めています。リーダーの藤田好江さんとも長いお付き合いです。彼女はじめ、皆さんが兼業農家か趣味で農作物を栽培しています。

皆さんバザールで生き生き働いています。
皆さんの『とびきりの笑顔』が何よりのおもてなしです。
生産・加工・販売、そして食堂経営。
理想的なかたちです。

そばは毎朝、200名分を手打ちで作り、天ぷらは摘みたての桑の葉やミズキ、ダイコンの葉、水菜、どくだみの葉もすべてカラッと揚がっています。藤田さんはお客さんが「美味しい・美味しい」と言って食べてくれるだけで幸せです・・・と。

『食は命そのもの。農を考えることは、未来を考えること』だと私は思っています。

「ふれあいバザール」のみなさん!そしてサポーターの生産者や地元の方々、他県の人。皆さんありがとう!また伺いますね。

美山という町で私は、非常にバランスのとれた「人と産物と環境」を見せていただきました。東京から名古屋から岐阜へ。岐阜から入っていく夢回廊などと呼びたい、いわゆる観光地とは一味も二味も違う、暮らしの広がりと農村の未来がそこにひろがっているそんな旅をしてまいりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 20:17 | | コメント (2)

六月の杜・明治神宮御苑

東京での仕事の合間、東京の森を散策してきました。

私はこの森が大好き。ニューヨークのセントラルパークやパリのブローニュに負けない、いや勝っているかもしれない美しい森です。

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原宿駅に降り立ち、神宮橋を渡り、右手奥に第一鳥居が見えてきます。この鳥居をくぐると、もう一瞬のうちに森に抱かれる感じがして、心がゆったりとしてきます。昼下がりのひととき・・・初夏の風が心地よく、椎の木、樫の木、楠などが、豊かな葉をしげらせて私を迎えてくれます。外国の方々も多く、明治神宮までの参道を樹木を見ながら歩いています。

明治神宮は、大正九年(1920年)、なんと今からおよそ100年前に明治天皇と昭憲皇太后を祀るために造られた神宮です。面積は約七十ヘクタール。当時、この辺りは代々木御料池のあった所で、武蔵野の一部だったそうです。おしゃれの町、原宿も原宿村だったんですね。この辺一帯は、農地や草地で林は少ししかなく、荘厳な神社を造るためには、林の造成が必要だったんですね。

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樹木の多くは全国の篤志家の献木だったそうです。
荘厳な森林というのは、すぐできるわけではありません。
神宮造営のために、当時の最先端の林学・農学・植物学者から造園家まで、多くの人々が森造りに参加したのですね。

ここに、人の手によって神宮の森の造成が始まり、庭園とゆうよりもっと昔の森林の状態を再現しました。当時の資料によると、東京市の小学生児童の献木は五千件以上あったそうです。それらの樹木が、今の神宮の南北両参道に植えられたそうです。参道を歩くとき、小さな手で造成現場に献木を持って行った小学生の姿が目に浮かびました。

昔、昔のみなさん、有難う。
豊かな樹木を見ると、思わず大正時代の多くの先達に感謝したくなります。

六月はなんといっても菖蒲です。
見ごろは中旬ころ。
私は何度も通いました。現在は百五十種にも増え、あまりの美しさに息を飲む、そんな感動が体験できます。

鬱蒼と繁る樹木の一本一本に、"ありがとう"と声をかけ、気持ちがスーッとしました。
たくさんの酸素が神宮全体をキレイにしているように感じました。
たった2時間の小さな旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:45 |

石川梵写真展 「人の惑星」

素晴らしい写真展に行ってまいりました。
石川梵写真展「人の惑星(ほし)」です。

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石川さんには以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」にもご出演いただき素晴らしいお話をうかがいました。

石川さんは1960年のお生まれ。
AFP通信社、東京支局のカメラマンを経た後、フリーランスになります。辺境の民と、その祈りの世界をライフワークにこれまで撮影してきた国々は60ヶ国以上。「ライフ」や「パリマッチ」をはじめ、国内外の主要誌で作品を発表しています。

1997年に発表した写真集「海人(あま)ザ・ラストホエール・ハンターズ」では、日本写真協会新人賞。2012年度日本写真協会賞作家賞を受賞なさいました。

また、インドネシア・レバンタ島の村人が銛(もり)一本で鯨を仕留める姿を綴った「鯨人」を去年出版され、読者を(私も)興奮の世界にいざなうと評判を呼びました。石川さんが19年もかけて取材した、インドネシアの東にあるレバンタ島は、日本から5000キロも離れていて、到着するのに最短でも3日かかるとか。島の大きさは沖縄本島くらいだそうです。そこのラマレラ村で暮らす人々が、銛一本で鯨を仕留め古くからの生活を守っています。そしてクジラ漁の撮影に成功してから「クジラの心」を撮りわすれていたことに気付き、また村へと出かけます。命がけの取材だったそうです。

そして、石川さんは、去年の東日本大震災で、震災の翌日から現地に入り2ヶ月間取材を行いました。

「THE DAYS AFTER」では、「いったい何でこんなことになったのか。神の怒りか、自然のきまぐれか、地球の怖さをだれよりも知っている自分が、目の前で繰り広げられた光景を受け止めることができなかった。」と語っております。

ニュースカメラマンではなく、ジャーナリストとして「静かに永く、この出来事を後世に伝えたい」と今でも現場に通っています。

今回の展覧会は「人の惑星(ほし)」です。

魂が揺さぶられるような、心をわしずかみにされるような・・・しかし心が温かくなるような写真展です。石川さんはおっしゃいます。

「荒ぶる地球と、それに対峙し、生きてきた人間。実はそれは、今回の震災にも通じるものです。地球とはどんなに恐ろしく、優しく、人間は自然に翻弄されつつも、こんなに強い生き物か、その先にある祈りの心まで一緒に見つめてほしい。そんな願いを込めた今回の写真展です」と。

『石川梵写真展「人の惑星(ほし)』 
2012年5月8日(火)~6月13日(水) 
キャノンギャラリーS 
開館10時~17時30分 
休館・日曜・祝日
入場無料   
品川駅から港南口に出て右手に真っ直ぐ進み徒歩
約8分ほど、右手のキャノンビルの1Fです。

投稿者: Mie Hama 日時: 12:05 | | コメント (1)

嬉しい初夏の贈りもの

皆さまはゴールデンウイークをどのようにお過ごしですか。

私は4月28日が今期初めての近畿大学の講義だったので大阪へ。
新たな学生、昨年講義を受けてくれた学生たちとの再会・・・と素敵な出会いがありました。そして帰りに、新緑の美しい京都へ寄り道をして箱根の山に戻ってきました。

『初夏の訪れ』を感じさせてくれる美味しい、野の味、山の味がどっさり届いておりました。

美しい山と書く地、美山からの贈りものです。
女性たちが元気で美しい山間の町です。
こちらの農村女性たちとのお付き合いももう随分と長い年月が経ちます。
食や暮らしや環境に興味のある女性たちと、ヨーロッパ研修に出かけ出逢った方々です。

岐阜県美山町は、美山町、高富町、伊自良村の三町村が合併し山縣市になりました。

美山は品と豊かさとセンスのある町です。
以前にも訪ねておりますが、、古代から美濃森下紙が漉かれ、貴族や寺院に尊ばれたという町。自然豊かで、その地に初めて降り立ったとき、町のみなさんの笑顔があちらこちらから私を包んでくれたこと・・・今でも忘れられません。

『ふれあいバザール』の女性たち。
生産から加工まで幅広く行い、そして食堂でいただく手打ちそばや天ぷらなどの美味しいこと・・・愛情たっぷりの味は忘れられません。

そんな彼女たちが季節毎にそれはそれは美しく、美味しいモノを送ってくださいます。手打ちそば、桑の木豆みそ、蕗みそ、クッキー・・・そして旬の新鮮な野菜の豊かさに感動します。テンプラの多彩さにもびっくり。
「つくし」はハカマをしっかり取り、卵とじや佃煮風に煮ました。

『あ~~幸せ!』とつぶやいてしまいました。
バザールの皆さま、"ごちそうさまでした!"

6月14日に一泊で伺いますね。
その時にはまた美味しい「おふくろの味」を楽しみにしております。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:30 |

美の里づくりコンクール

ものの豊かさが貨幣価値のみで測れないことを知ることが文化ではないでしょうか。私は仕事がら日本中の農村や漁村、山村を訪ね歩いてきました。

多くの深訪から、ものの豊かさは、生産・消費されたものの貨幣価値のみでは測れない・・・と気づかされます。

旧国土庁が主催した「農村アメニティーコンクール」から、現在では農林水産省、農村開発企画委員会主催の「美の里コンクール」の審査委員を続ける中で、農村地域の活性化と農村の快適環境を保全し形成するという運動を応援し続けてまいりました。やがて25年がたちます。

現在、さまざまな景気の影響によって多小の傾きはあるものの、暮らしの質への追求はこれからさらに進んでいくでしょう。

今、自分たちが手にしているこの土や緑を大切に暮らしながら、自分たちの町や村を愛して、そこに未来の可能性を見出していこう・・・そんな気運が感じられます。

過疎化や後継者問題、たくさんの悩み、問題山積しているのも事実ですが、地方の皆さんのお顔が輝いています。地域住民の熱心な村・町おこし運動によって見事に再生している事例を、尊敬と感動のうちに拝見しています。

今年入賞した中から優秀な3事例をご紹介いたします。

『山形県 白鷹町』 いきいき深山郷づくり

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集落78戸、深山地区では全戸が「深山活き生き行きたくなる郷」をめざして~のどかな暮らしと風景づくり~に取り組んでいます。地区に残る自然や景観、伝統や技術、農業や食など、日常の暮らしに磨きをかけ来訪者との出逢いの場をつくり、まず住民が気持ちよく暮らし続ける環境を整備し、その魅力を外部に発信しています。

「深山の色」を決めよう!と考え美しい集落となっています。

○ 地区内の環境整備
○ 石仏の調査復元
○ 深山和紙の伝承保存
○ 農家民宿の運営
○ 耕作放棄地対策
○ 国重要文化財「深山観音堂」の保存

など等、様々な取り組みが行われています。

この地域ほど少子高齢化という課題をうまく解消した地域はありません。
現在78戸の世帯に対して30戸が後継者と同居し、内17戸が三世代同居。
大きな理由として、同世代の仲間が地域に残ったり戻ったりしていること。

暮らしやすい環境に努力しているのでしょう。
のどかな風景を維持管理するのは大変なことです。
「標識がひとつも無い自慢をまもれるか」
これは集落、皆さんの大変な努力です。

田植えが終わったあとの棚田の田んぼもさぞ美しいことでしょう。


『奈良県・明日香村』

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石舞台古墳の背後の高台からの眺めがまさに「美しい日本の郷」です。
古代史の舞台となった明日香村の景観を修復・保全することを目的に内外のボランティアが活動しています。6集落で計21ヶ所の景観を修復・保全しこの10年間で延べ2,300人が参加し、歴史ある郷を守ってくれています。

「国際作業キャンプ」が見事に成功しています。
この目的は、英国ナショナル・トラストの作業キャンプ(ワーキング・ホリデー)のように、歴史的文化遺産のある風光明媚な場所で、ちょっぴり汗をかきながら、古代ロマンに思いをはせつつ、泊り込みで作業し、景観保全・修復に貢献する。そうした達成感は素晴らしいことですね。

日本人の心の故郷・・・明日香。

川沿いの草刈、雑木の伐採、清掃、荒廃した竹林を伐採して山桜を植え・・・とこうした活動なくして"ふる里"は守れません。この村の方々はオープン・マインドで外からの方々を暖かく向い入れ、お互いに文化財を守っているのでしょうね。素敵な活動です。


『北海道 鶴居村(つるいむら)』

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鶴居村は、道東の太平洋の釧路市の北西部40キロに位置し、南部は釧路湿原です。酪農を基幹産業とし美しい村です。村の名前が示すとうり、特別天然記念物タンチョウの生息繁殖地で、普通にタンチョウの飛来を見ることができます。村民一丸となって「クリーン作戦」にも取り組み美しい村づくりに積極的です。

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何といっても"美味しい村"です。
「鶴居のむらレシピ」を見ると、わあ~食べたい・美味しそう!と思わずゴクリ。じゃがいも、キャベツ、玉ねぎ、人参、ズッキーニ・・・畑でとれたての野菜に牛乳、そして大好きなチーズ。カボチャのリゾットや、ミルクチーズフォンデュ、デザートには牧草ロールケーキ・・と牧草地に大きな布を敷いてピクニック。

ここには日本有数の広大な自然環境があり、丘陵地帯が織りなす景観は、フランスの田舎を旅しているような気分になります。

鶴居村は2600人の小さな村です。
一人ひとりがこだわりを持ち活動しているのです。
欧州にも引けを取らない牧歌的酪農郷です。

たまには長期休暇をとって、のんびり観光ではない滞在をしたいですね。
そんなことを思わせてくれる理想郷です。

この3例だけではありません。
日本全土に、美しく心やすまる"故郷"がたくさんあります。

そんな故郷を守っている地域の方々のご苦労を思う時、心から感謝いたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 06:48 | | コメント (2)

韓国への旅

3泊4日の旅でした。

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明日4月7日(土)、全国ロードショーにさきがけ、池袋コミュニティ・カレッジで映画『道~白磁の人~』(監督・高橋伴明)を観ながら、淺川巧の話しをいたします。ナビゲーターは近衛はなさん、私はゲストとして出演いたします。

変革の今が求める"真のグローバリズム"淺川巧。
歴史に秘められたヒューマンストーリーが、明かされる!とあります。

何度も何度も通い続けた韓国。
7年前、コスモスの季節にも韓国に行き、ソウルのインチョム空港から東に80キロ、忘憂里(マウーリィー)の丘にある淺川巧の墓に詣でました。

朝鮮人を愛し、朝鮮人に愛された人・浅川巧。
朝鮮の土となった日本人」(高崎宗司著)を読み、どうしてもお墓参りがしたかったのです。巧は1931年4月2日、40歳(1891~1931)の若さで世を去ります。

民芸の創始者である柳宗悦に朝鮮の器や鉢、そして白磁の美しさを紹介し、「用の美」に対する目を開かせたのは、淺川巧だといわれています。

朝鮮総監府の技手であった巧は、緑化運動に成果を上げるかたわら朝鮮民族文化の美を見出し、朝鮮陶磁器の研究家である兄伯教と共に朝鮮半島の何百もの窯跡を調査し「朝鮮の膳」「朝鮮陶磁器名考」といった本を著し、日本に紹介しました。

私は、美しい暮らしに惹かれ、道具を愛するひとりにすぎません。
しかしこれらの体験の中で、ひとつ思ったことは、朝鮮の美はやはり民族の歴史と無縁ではないということ。巧は、普段から朝鮮服を身につけ、朝鮮料理を食べ、朝鮮語をマスターすることにより朝鮮の人からも慕われ、時には朝鮮人と間違われることもあったそうです。巧は荒廃した山野に植林をし、山林を緑化復元し、わずかの給料から貧しい子供たちに与え学校に通わせました。

7年前に訪ねた林業試験場。
住んでいた家の前でお話を伺ったり、真冬の零下15、6度の寒空の下で偶然出会った淺川巧の墓守をしている韓さんからのお話。あちらでは人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があるのですが、巧の葬儀の日、大勢の人々が見送りにきてくださり、ソウル中の煎餅がすっかりなくなったという逸話を聞きました。それほどまでに人々に愛された人でした。

私が韓国を訪ねる際にまず行くところは下町の「銭湯と市場」です。
私が子供時代に銭湯に行くと、母が娘の、娘が母の背中を流す姿を目にしました。その光景が今の韓国にはそのまま残っているのです。
懐かしさと暖かさで心がいっぱいになります。

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市場では元気なお母さん達に出会い、屋台で欲しいものを指さし、いただく・・・
大満足です。

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かつて景福宮の中にあった「朝鮮民族美術館」は現在「韓国民族博物館」として内外の人々が多く訪れます。蒐集された「陶磁器」などは「国立博物館」へと移されていました。

懐かしいソウルにに出会いたくて「北村韓国村」(プッチョン・ハンオクマウル)を歩き、韓国刺繍を展示する私設博物館や食堂で韓国のり巻きを食べたり・・・と巧ゆかりの土地を訪ね、彼がみたであろう山や川を目に焼きつけ、風の匂いを感じました。かつて彼が通った林業試験場はテニスコートになっておりました・・・。

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命日の前日、巧が眠る忘憂里の丘でお墓参りができました。

李朝白磁の壷がかたどられて巧の墓の傍らに『韓国の山と民芸を愛して、韓国の人の心の中に暮らして生きて去った日本人。ここ韓国の土になりました。』とハングル文字で刻まれています。

墓には韓国の人が献花されていました。

民族の美はその民族固有のものですが、国境を越え、厳しい政治状況さえ超えてその美を味わい、敬愛することはできるのですね。
美というものは、変わることなき人類の共通言語だと感じることのできた旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:31 |

原発と若狭 水上勉の一滴

日本経済新聞 3月5日の「時流 地流」に「原発と若狭 水上勉の一滴」
という記事があり、その中で水上作品の挿絵や本の装丁を手がけた地元在住の画家・渡辺淳(すなお)さん(80)の企画展が開かれていることが書かれていました。

京都に行くたびに時刻表を見ては湖西線へ飛び乗り、若狭に通い始めたのはもう24、5年前のことです。

それは不思議なご縁からの始まりでした。

三月のある日、信州野尻湖湖畔は、夭折の画家・野田英夫の記念碑建立の
式典で賑わっていました。

そろそろ春の兆しもみえようという頃なのに、一夜にして白銀の冬へ逆
戻り。信じられないほどの美しい雪の舞い方で、降りしきる雪が地に舞い
下りる寸前、氷片となって枝々に付着し、木という木が季節のフィナーレを祝う飾りをつけたかのような輝きをみせていた夜でした。

今は亡き松永伍一先生、「ハラスのいた日々」で読み知っていた(?)中野孝治先生、そして水上勉先生・・・居並ぶ先生たちと同席させていただくことに恐縮しましたが、その話題のあまりに興味深く、尽きない面白さに、しんみりしたり笑いころげたり、心に深く感じること大で、ついつい夜更けまで座に加えていただきました。

美しい若狭に原発ができたこと、水上先生の故郷に「若州一滴文庫」が設立されていること・・・等などお話を伺い「行ってみたい」・・・と即座に思いました。

当時私は800年も続いた集落がダム建設のために水中深く沈む。そのために村を捨てざるを得ないおばあさまと最後の日を共にしたことなどを思い出していました。

人間はなぜ人間の力で抗いえない巨大な文明を持ってしまったのだろう。

一滴文庫へ向かう前にまず、原発へ立ち寄ります。中へ入ることはできませんからゲートまで。あたりの、あまりにも美しい海とのどかな漁村の風景に息をのんでしまいました。

それから私の若狭通いがはじまります。
そんな時に出逢ったのが渡辺淳さんです。

結局、その若狭の地に古民家を移築し、田んぼをお借りして、専業農家の方にお手伝いをお願いしてのお米作りもいたしました。様々なことを経験し、感じ、考えてきました。

都会で働いている時とはまったく別の時計を持ちたくて、若狭という田舎に家を持つことにしたのです。

渡辺淳さんは郵便配達をしながら、炭焼きをしながら絵を描き続けてこられました。若狭の自然を友として暮らしながらいつも素晴らしい絵を描いていらっしゃる渡辺淳さんは、川の魚や虫や、木や草の一本一本と親しく語り合うことのできる人です。現在は子供たちに優しく絵の指導もなさっておられます。

縁側に座り淳さんとのおしゃべりの時間は至福のひとときです。

私たちは今回の福島第一原発の事故に大きなショックをうけました。

新聞記事には「先を急ぐように文明の開発に明け暮れる現代。今こそ足元を見つめ直さなければならない」と語られておられます。そして、杉野記者に別れ際、こんな言葉をかけられたそうです。

『この谷の この土を喰(く)い この風に吹かれて 生きたい』・・・と。

久しぶりに淳先生とおしゃべりをいたしました。
「まだまだ雪の残る若狭、早く蕗の薹の顔がみたいですね」と。

東日本大震災の復興計画が一日も早く前へ進むことを祈っております。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:58 |

今和次郎~採集講義展

パナソニック汐留ミュージアムで素晴らしい展覧会を見てまいりました。

東日本大震災被災地の復興が急がれているなかで、考えさせられる展覧会でした。

今和次郎の名前を知ったのは40年ほど前のことでしょうか。
民藝運動の創始者・柳宗悦の足跡を訪ねての旅の途中でした。
14歳の時に、図書館で著書「用の美」という民藝の考え方に魅了されました。
気がつくと、各地の伝統工芸を伝承する人々を訪ね歩き、後の私のライフワークのひとつになっていました。

当然各地の民家を訪ねるわけです。
そこで「今和次郎」の名前を知るのです。

民家研究の第一人者で、当時、すでに失われつつあった民家を克明に調査スケッチしていたのです。しかも、そこに暮らす人々の行動、暮らしぶり、モノをなど私が知りたいことが全て記されていました。
調査・・・という視点ではなく「そこに暮らす人々とともに、同じ目線」で問題点やこれからの暮らし方を提案していました。

『考現学』の創始者であり・画家・建築・デザイン・・・に優れた才能の持ち主ということは後に知りました。
『考古学』にたいして『考現学』という概念です。

今和次郎は1888年(明治21年)青森県弘前の生まれ。
18歳で上京し、24歳で東京美術学校を卒業。
26歳で早稲田大学の講師となった後、助教授となり定年退職するまでの46年余りの間、デッサン・造園・建築デザイン、住居学、工芸、服飾、舞台美術、映画など様々な分野に携わりました。また、テレビの草創期に自ら出演し建築についてわかりやすく解説したりもしていました。

代表的著作『日本の民家』では民家のデッサンだけではなく周りの景観、道具、台所で働く農村女性の姿、また小さな部屋での暮らし方など、北国生まれの今ならでの暖かな視線を感じます。

最初は柳田國男たちと一緒に民家研究の旅を続けていたといわれていますが、今和次郎は、柳田國男から破門されたといいます。何故・・・と当時思いましたが、私にはすぐに納得がいきました。柳田の民俗調査と今の調査では異なるからではないでしょうか。

民家探訪地図を見ると、北海道から九州の南まで68ヶ所をくまなくスケッチしています。一人で全国の農山漁村に出向いています。
今回災害に遭った三陸地方にも足をはこんでいます。
朝鮮半島の民家も訪ねています。

『日本の民家』を刊行した翌年、関東大震災があり、彼自身が被災者となり焼け跡に立つのです。「東京の土の上に、じっと立ってみた」と言います。

全てを失いこれからの新たな生活再建を焼け跡から考えました。
それが「バラック装飾社」の表現活動へと続いていくわけです。

全てを失い新たな生活を立て直そう・・・と人々は一歩一歩と歩み始める姿を記録しています。あくまでも『人間の生活』が主体です。

今回の展覧会で改めて考えました。

自然の猛威の前には人間はあまりにも無力であることをしらされます。
復興計画には行政・国の感覚、計画と、そこで暮らしてきた人々の歴史文化、暮らしそのものへの思いが両立するのだろうか・・・と。

もし、現在ここに『今和次郎』がいてくれたら、どんな復興計画をたててくれるだろうか・・・。
人々に寄り添い復興に力をかしてくれるだろうか・・・。
きっと彼なら「美しい日本」への道に光りをあててくれるだろう・・・そう思いました。

3月11日を迎えるにあたり

人びとが大切にしてきた美しいものを次世代に伝えるために私たちはどうすればいいのか。
若い人に心を受け継いでもらうために何が必要か。

そんなことを考えながらの展覧会鑑賞でした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:13 |

『森は海の恋人』

畠山重篤さん、この度の「フォーレストヒーローズ(森の英雄たち)賞」の受賞おめでとうございます。

気仙沼のカキ養殖家・畠山さんに国連賞が授与されたのです。

『森は海の恋人』(北斗出版)という素敵な本にであったのは20年ほど前でしょうか。この本は、宮城県の唐桑町と岩手県の室根村を舞台に、海の美しさを取り戻すべく立ち上がった地元の人々の運動を描いたものです。

主人公は畠山重篤さん。
父親から継いだ牡蠣やホタテ貝の養殖をしていたのですが、昭和40年頃から、目に見えて海の力が衰えてきたことに気がついたそうです。魚の漁獲高が減り、貝の成長も悪くなり、多くの生命を育む海の力がすっかり衰退してしまったのです。

「直接お話を伺いたい」・・・そんな思いで文化放送にご出演いただきました。
それ以来何度かシンポジウムでもお話を伺ってきました。

「なぜ、海がこんなに力を失ってしまったのだろう」と考えた畠山さんの脳裏に浮かんできたのが、かつて牡蠣の養殖の視察で訪ねたフランスのブルターニュ地方の風景でした。

ブルターニュ地方には、フランス最長の河川であるロワール川が流れています。そのロワール川の河口には、見事な牡蠣が育っています。干潟にはカニや小エビ、ナマコがたわむれていました。その海を見たとき、畠山さんは「これはかつての宮城の海だ!」ととても感激したのだそうです。

畠山さんはそれから一心に考えました。
宮城の海と、一体、何が違うのか。
そして、ひとつのことに思いあたったのです。

"それは、森"・・・と。
海の源は川であり、川の源は森ではないのか。

宮城の海を生き返らせよう、そのために山の森を再生しようという運動が始まりました。「牡蠣の森を慕う会」が生まれ、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に集い、広葉樹の植林を行ってきました。その村こそ、岩手県の室根村でした。海を取り戻そうと、海で働く人々が山に登り、木を植え始め、今や全国から人々が集まり植林をしています。

私も実際にその森を見に伺いました。広葉樹の木々でした。これらの木々の1本1本が、森となり、土を育て、水を育て、その水が川に、そして海に注がれていくのだと思ったとき、胸が震えたのをよく覚えています。

3月11日、東日本大震災がおきました。
畠山さんは震災でお母さまを亡くされ、養殖施設も失いました。

震災3ヶ月後に東京で行われたシンポジウムには駆けつけ、私たちの前で『大丈夫、海は生きています』と力強く語られました。『恨んでなんかいませんよ』・・・とも。

毎年6月に行われる植樹祭には約1200人が参加し、港や養殖施設の復興にも多くのボランティアが駆けつけてくれているそうです。

『森の栄養が川や海の命を育てる』と教えてくれたのは畠山さんです。
畠山重篤さん この度の受賞まことにおめでとうございます。
そして、困難のなかこれからも頑張ってください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:02 |

イギリスへの旅

イギリスを旅してまいりました。

今回の旅の目的はヨーロッパ最大のアンティークフェア。
「やまぼうし」のスタッフに同行してきました。
昨年はイベントの時などにアンティークショップをオープンしておりましたが、この春からはネットショップもオープンする予定ですのでどうぞご期待ください。詳細はHPにてお知らせ致します。

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ロンドンから北へ約250キロ。初日は小雪舞う寒い日でしたが、朝は8時半からゲートに並んでの入場です。素敵な商品の数々に出会えました。

45年ほど前に「007は二度死ぬ」の撮影で半年近くロンドンに滞在していました。週末になると市内の骨董市巡りが楽しみのひとつでもありました。「西洋骨董」と呼ばれるアンティークからもっと身近な「生活骨董」にいたるまで、とても奥の深い世界です。私たちが買ってきたものは日常に使えるアンティークばかりです。

かねがね不思議に思っていたことは「よくこれだけのものが残っているわね・・・」ということです。枯渇しないのかしら。でも会場に来る人たちを見ているとよく分かります。イギリス人は本当にアンティークが好きなのです。

日常の台所まわり。椅子やテーブル、絵画、そしてアクセサリーなどなど、多くのものが人から人へと代々受け継がれていきます。そして、歴史的にはさすがかつての大英帝国、供給される品の量が豊富です。

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そして最終日はロンドンから150キロほど離れたところにある「ライ」の街に行きました。

その途中で、私がどうしても訪ねたかった「ピーターシャムナーサリー」に寄りました。ここはもとは温室だった所をレストランにかえた場所。足元は土のまま、雑貨も置いてあります。可愛らしい長靴もあったのですが、持ち帰るのに大変なので諦めました。ロンドンから30分ほどのところで、予約を取るのが難しいレストランです。私たちはオープンに合わせて訪れ、カフェで紅茶だけをいただきました。

いつか余裕のあるときに、ここでシャンパンでも飲みながらランチをするのが私の夢です。

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イギリスの食事は「美味しくない」と言われていますが、私はそう思いません。ロンドンでは「オーガニックレストラン」が根付いていますし、地方のレストランでも美味しい料理が食べられます。あの安くて、しかもボリューム満点のフィッシュ&チップスも良い油を使っているレストランで食べれば絶品です。美味しい・・・イギリス滞在中には必ず一度は食べます。

英国の伝統と異文化の融合で、美味しいイギリスを味わえます。

そして念願だった「ライ」に到着。
この街は2度目ですが、可愛らしいショップがいくつもあり、石畳の美しい街です。 

あっという間の8日間でしたが、イギリス人の「日々、丁寧に暮らすことが心豊かなこと」だとも教えられたような気がする旅でした。

これまで暮らしの技や知恵を教えていただくために世界中を旅してきました。箱根に古民家を建て、子育てをし、そして今こうして美しいモノ達を「やまぼうし」を通して皆さまと共有できる幸せをかみしめております。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:32 | | コメント (4)

風にそよぐ草

神保町の岩波ホールで映画を観てきました。
開演30分前から列が出来ていて満席でした。

アラン・レネ監督の「風にそよぐ草」

レネ監督といえば、私がまだ女優になりたての頃のヌーベルバーグ全盛時代に数々の作品が発表されましたが、若い私には哲学的すぎ、難解でよく理解できませんでした。

それが、今年86歳で撮った作品「風にそよぐ草」のなんと瑞々しく軽快で、モダンで、イキで「大人のための恋愛喜劇」と書かれています。

ヒロインのマグリット演じるサビーヌ・アゼマは1946年パリ出身。
私生活では、アラン・レネ監督のパートナーでもあります。

相手役の初老の紳士ジョルジュを演じるのはアンドレ・デュソリエ。
1946年仏・アヌシー出身。

アスファルトの亀裂に生えている雑草が風になびく様子がバックにクレジットタイトルが流れ、人々の足・足、足音。

中年の歯科医。
彼女はパリの街角でひったくりにあいバックを盗まれてしまいます。
捨てられた彼女の財布を拾う初老の紳士。
ストーリーはそこから始まります。
財布に入っていた飛行機操縦免許の彼女の写真を見て恋に落ちます。

美術、照明、なによりも中年女性の美しさ、艶やかさのクローズアップを見事に映し出すカメラワーク。

私は「なぜひび割れたアスファルトから草がそよいでいるのかしら?」と思い続けて映画を観ていました。

分かりました、ラストシーンで。

制作意欲は衰えず、すでに最新作の撮影も終えているとか。
軽やかで、艶やかで、ウイットにとんだ大人の映画。
『人生の終わり方』・・・は「生きる処方箋」とでもいうのでしょうか。
久しぶりに観た大人の恋愛喜劇でした。

アラン・ レネ監督は人