カテゴリー:『近況報告』

Mie's Living
P&D

最近のトラックバック

検索



アーカイブ

このブログのフィードを取得
[フィードとは]

Powered by
Movable Type 5.13-ja

template by tokyobuddha

c 2006 blog.hamamie.jp
All Rights Reserved.

未来よこんにちは

170414movie.jpg

映画「未来よこんにちは」を観てまいりました。

主人公である高校の哲学教師のナタリー(イザベル・ユペール)、同じ哲学教師の夫が恋人ができたといって家を出てしまう。25年連れ添った夫。もうあまり若くない大人の女性の人生の日常に突然訪れた喪失感。

一人暮しの母親が認知症の兆候を見せ、夜中も授業中にも電話でナタリーを呼び出し、狂言自殺を繰り返す。ナタリーの唯一の慰めは愛弟子で哲学教師になった魅力的な青年。ときめき。青年は教師をやめ、アルプスで仲間と自給自足の生活を送っている。その素敵な風景、自由な暮しに惹かれて美しい田園を訪ねるが・・・

この映画はフランスの女性監督ミア・ハンセンが、まだ30代半ばでありながら50代の女性の揺れ動く心理を見事にとらえ成熟した映画に仕立て、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞。主演のイザベル・ユペールも主演女優賞を受賞。老いることへの不安も見せず、辛く、悲しく、切ない物語をみごとなまでに凛々しく、爽快に生きる主人公への共感を感じさせます。

現実には孤独で、涙することもある。仕事がうまくいかないこともある。いろいろあるなかで手にした"自由"ひとりの孤独をパワーとして生き抜く姿に拍手喝采!どんなことがあっても前へ前へと進む・・・そのすがすがしく、人生は過ぎ行くことばかりではなく、時には残酷なほどの時間の積み重ねだけれど、それを"自分の人生"として受け入れることの大切さをイザベル・ユペールが見事に演じています。

未来を信じ切なくてもそこには愛があり、ユーモアがあり、そして・・・未来がある。

美しい風景、インテリア、パリの空気。音楽もセンスいい。そうそう、忘れてはならないのは母親を演じたエディット・スコブが素晴らしいです。観終わったあと、背筋が伸びました。大人の女性にお薦めの映画でした。

この日はラジオ収録後に観ましたので、友人達(素敵な女友達)にもお薦めしシャンパンで乾杯し最終の新幹線で山に戻りました。花冷えのする夜でしたが、夜桜が皇居のお堀に舞っていました。水面に浮かぶ桜吹雪・・・散りゆく姿が美しく、いずれくる老いも怖くはありません。映画っていいですね。   


映画公式HP
http://www.crest-inter.co.jp/mirai/
BUNNKAMURAル・シネマ他にて。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

高橋竹山さん

津軽三味線奏者の二代目・高橋竹山さんが先日ラジオのゲストにお越しくださいました。

その竹山さんが5月27日に上野の「東京文化会館小ホール」でCHIKUZAN二代目襲名・二十周年記念コンサートを開催されます。私も伺います。

竹山さんは幼い頃に三味線に出会い11歳で稽古をはじめたそうですが、17歳の時に津軽三味線の初代・高橋竹山のLPのレコードを聴いたことがきっかけで弟子入りを志望し18歳で内弟子となり、陸奥湾に面する青森県平内町で内弟子生活をスタートします。

初代の演奏も私は何度か聴かせていただいているのですが、青森弁でのトークも素晴らしく"日本的"な津軽三味線が時にはポルトガル伝統歌謡であるファドのような音色だったり、スコットランドの民謡のようであったり・・・ジャズのテンポだったり・・・と心をわしづかみにされます。

竹山さんは内弟子生活6年を経て自立。その後も師匠とともに渋谷ジャンジャンをはじめアメリカやフランスでも演奏し「エジンバラ・フェスティバル」やアメリカのジャズフェスティバルにも参加し、数年前にはアイルランドの詩を津軽三味線で歌にもなさいました。

『竹山の魂を引き継ぐ二代目の新たな夜明け!』とパンフレットには書かれています。さまざまなジャンルの音楽家、舞踏、新劇の人々と共演し三味線と唄の新しい世界を聴くことができます。

東京文化会館 小ホール
5月27日(土)14時 開演 全席指定
詳しくは、「二代目高橋竹山オフィシャルウェブサイト」をご覧ください。

P1100449.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落語と法話

先週、京都で「柳家小三治 柳家三三親子落語会」があり、ようやく入手したチケットで行ってまいりました。

演目は小三治師匠は「馬の田楽」、三三師匠は「道場破り」。

京都でのお二人の落語を聴くのははじめてです。桜の蕾もまだ固く"夜桜"にはあと少し。でも会場は華やかさの中にも落語好き・・・独特の雰囲気があり胸をときめかせながら開演を待ちました。

小かじさんの「たらちね」から始まり三三師匠。そしておっかけに夢中の小三治師匠が登場するともう胸はドキドキ・・・今回の"まくら"は1時間。落語に入る前の"まくら"・・・今回もじっくり聴かせてくださいました。

人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのでしょう。そして、師匠の噺を聴きながら、会場が京都・・・ということもあるのかもしれませんが、師匠のお噺の内容には"笑いの法話"を感じたのです。

77歳の師匠の歩んでいらした道の後ろから、そっと耳をすませて聴かせていただくような感覚。これは「法話」でした。冷え込む京都の夜でしたが、心は満たされホカホカ。このご縁を大切にしたいと思いました。

そして、翌日は早朝に私がとても好きなお寺さん『法然院』へ。

170331kyoto.jpg

うっそうとした森を背景に、自然を生かした庭園。手水鉢に季節の花「椿」が浮かんでいます。法然院は、京都の東山山麓、鹿ヶ谷にあり、哲学の道から歩いて行き山のほうに折れると、幅広の石段の隅に「法然院」と刻まれた石柱が立っているだけです。石段を一歩一歩と踏み出すと木々の間から渡る風が心地よく、笹のさわさわと鳴る音に心が静まります。

総門には扉がありません。山側に墓地を谷側に竹林を抜けると茅葺屋根が見えてきます。境内の墓地には、作家の谷崎潤一郎や稲垣足穂、哲学者の九鬼周造など、お墓がいくつもあります。皆さん、この場所が好きでお墓に入りたいと願ったと聞いております。

170331kyoto2.jpg

山門を入ると、両側に白い盛砂があります。『白砂壇(びゃくさだん)』水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているといわれます。京都の市街地にほど近い場所にありながら、この静けさ。文化人や学者が好まれたのがわかるような気がします。法話も随時聞くことができるので"もしかしたら"と思い見てみると午後からとのことでしたので出直しました。

このお寺の貫主・梶田真章さんの法話を以前にも聞かせていただいております。あくまでも自然体、穏やかな笑みを絶やさずに語ってくださいます。

『共に生きる~絆と縁、愛と慈悲』

「法然院」は鎌倉時代の初め、法然房源空上人によって開祖され、色々な歴史を経て今日にあります。梶田真章貫主のお考えで境内では音楽やアートなどさまざまな催しも行われています。30分の法話でしたが、心に染み渡るおはなしでした。

ありのまま」という本もだされています。
「佛教は、人生をいかに楽に生きるかを教えてくれる知恵なのです」と書かれています。

人付き合いや恋愛。仕事に勉強。人生への不安。
人それぞれに、大なり小なり、悩みはあると思います。
悩むのだけれど、悩み傷つくこともあるのだけれど、ありのままに、心豊かに生きていきたい。多くの人がそう願っているのではないでしょうか。

この本は「ていねいに暮す」について書かれています。
日々心がけたい私の思いの答えがちりばめられています。

   落語の"まくら"と"法話"

石段を一歩づつ下りながら、深呼吸をしました。
このご縁に感謝です。
法話をしてくださったご住職の横には『縁起』と書かれていました。
そう・・・人も動物も、植物も、みんな支えあって生きているのですよね。

桜満開の京都も素敵ですが、ちょっと早いとこの静けさです。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事帰りの寄り道

子供が幼い頃は、仕事を終えるとまっしぐらに家に帰り、ジャケットを脱ぎエプロンに着替え台所に・・・という毎日でした。

子どもたちが巣立った今、このような幸せの時間を神さまに与えていただき感謝の日々です。私の仕事は地方も多く、また東京には毎月かならず2日は出かけます。文化放送のラジオ"浜美枝のいつかあなたと"の収録があるのです。毎回素敵なゲストをお迎えしてのトークは、寺島アナウンサーとともに楽しみな時間です。だいたい2時前には終了するので、箱根の山に戻るまでの時間は私にとって至福のときです。

映画、落語、美術館・・・観たい・聴きたいところはあらかじめ調べ手帳に書いておきます。たまには友人とのお食事なども。

仕事帰りの寄り道美術館」(自由国民社)素敵な本です。

いつもより早く仕事がおわったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。
(仕事帰りの寄り道美術館より)

東京駅周辺・銀座・品川・六本木・渋谷・恵比寿・上野・秋葉原・竹橋・両国・馬喰町・・・少し足をのばして吉祥寺や三鷹など、日常からすこし自分を解放し"自分に向き合う"時間。たまらなく好きです、こういう時間が。

ラジオのゲストの素敵なお話でちょっと興奮している自分に、一息いれるお茶の時間。都会にも緑がたくさんあります。春の日差しにやわらかく包まれてのひととき、これから出逢う絵画に思いを馳せ心のウォーミングアップ。

先日は丸の内にある「三菱一号館美術館」へ"オルセーのナビ派展"を観にいきました。

170324art.jpg

展示室は、明治期のオフィスが復元されているので見やすい小さな展示室が連なります。もとは1894年、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計。多くのレンガが使用され窓や階段も当時の技術の確かさが感じられ、よくここまで復元できたと思います。一号館広場も素敵です。

19世紀末のパリで、前衛的な芸術活動に取り組んだナビ派。ゴッホやセザンヌ、アールヌーボーの装飾芸術の陰にかくれた"ナビ派の運動"の全体像を観ることができる日本で始めての展覧会です。日本絵画の影響を受けたといわれるピエール・ボラールの「格子柄のブラウス」なども華やかさの中の日常が素晴らしいです。オルセーのナビ派コレクションの充実に目をうばわれます。

ゆっくり観て帰りは併設されている心地よいカフェでアートの余韻を楽しみます。かつて銀行の営業室として利用されていたそうですが、高い天井、クラシカルな空間は、ひとり余韻を楽しむにはもってこいの場所。歩きながら東京駅までの道のり・・・心地よい気分で「そう、明日もがんばろう」なんて思いで山に戻りました。

三菱一号館美術館 公式ホームページ
http://mimt.jp/

展示は5月21日までです。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本民藝館

仕事帰りに渋谷から京王井の頭線に乗り、駒場にある日本民藝館に行ってまいりました。

170317mngei01.jpg

創設80周年特別展『柳宗悦と民藝運動の作家たち』が開催されています。バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、棟方志功、片野元彦、黒田辰秋、金城次郎らの作品が展示され、民藝の美に触発された作家たちの仕事が身近で見られます。中央の部屋のダイニングテーブルに置かれた作品。それぞれの部屋にかざられている作品、どれもが『用の美』そのもの。

中学時代、図書館で出会ったのが柳宗悦さんの本でした。『民藝とは何か』もまったく理解しておらず、民衆が日常的に用いた工芸品の美しさにただただ惹かれていきました。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本人」をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の創始者として知られる方です。西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、.「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。むずかしいことなど当時わかるはずもなく、私が感じる「美しいな~」と感じる風景。たとえば、父の徳利にススキを挿し、脇にはお団子を飾り、家族で楽しんだお月見の夜・・・。ススキを活けた徳利に、月の光があたったときなど、曲面に反射する光りのおもしろさに「わぁ、きれい」・・・と感嘆していました。

地方を旅するとその地方文化の価値が美しいと感じてきたのもやはり「民芸運動」に触発されたからでしょう。

近頃また「民芸」に注目が集まり、日本民藝館の今回の展覧会にも大勢の方が作品に見入っておられました。私はこの40年近くひたすら"なぜ用の美にこれほど惹かれるのか"を考えてきました。今回は民藝館に3時間ほどお邪魔し、椅子に座りながらその空間を楽しみました。柳宗悦は「作家の品と民藝品」でこのように述べています。

「人間はとかく、ものを分別して考えますもので、何事をも二つに厳しく区別して了います。ものを分別して判断する以上、之は避け難いことでありますが、どうして吾々は分けるより、分けないで見る慣わしを、もっと身につけないのでしょうか」と。

濱田庄司も河井寛次郎も『無銘の境地』に心を徹していったのでしょう・・・ということも書かれています。だから署名をしないし、落款もしるさなかったのでしょうね。物事には有名・無名とかの区別ではなく「美しい・・・と感じる心」が大切だということを私は民藝から学びました。

最初にお話し申し上げたように、女優としての不安のさなか「民藝」が私を優しく包みこんでくれました。

170317mngei02.jpg

帰りぎわ民藝館の玄関を出ると白木蓮の花が満開でした。そして、わが家へと箱根の山を上がってくると淡雪が漆黒の闇の空を舞っていました。まるで牡丹の花のようでした。

もし「民藝」にご興味のある方は「民藝とは何か」柳宗悦著(講談社学術文庫)が読みやすく入門書になります。

特別展は3月26日(日)まで。
日本民藝館の公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

海は燃えている

170310movie.jpg

久しぶりに静かな感動をおぼえる映画に出会いました。
また、報道では伝えられない真実を知ることができました。

想像力に富み、現代を生きる私たちに必要な映画。今すぐ見なくては!
(女優メリル・ストリープ 、第66回ベルリン国際映画祭審査委員長)
 
やさしい映画。お互いを思いやり、手を差伸べ合うことがたいせつ。そう気づかされる(フランシスコ・ローマ法王)

印象派の絵画のように、観るものを夢中にさせる(ニューヨークタイムス)

無関心への有効な一撃 (リベラ シオン)

この映画は、第66回ベルリン国際映画祭・金熊賞(グランプリ)を受賞。監督はジャンフランコ・ロージ。1964年、エリトリア国マスマラ生まれ。独立戦争中、13歳で家族と離れてイタリアへ避難。青年期をローマ、イスタンブールで過ごします。その後ニューヨークに移住し数々の国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しています。

あるとき、私は地中海に面したチュニジアに行きたくて計画をたてていました。具体的に決めさぁ行こう!というときに「アラブの春(ジャスミン革命)」が2011年に始まり残念ながら見送らざるをえませんでした。2015年のノーベル平和賞がチュニジアだけに与えられました。民主化に成功した「国民対話カルテット」が受賞の理由です。

この映画はチュニジアからもっとも近い、地中海のシチリア南方にあるイタリア領最南端の島・ランペドゥーサ島が舞台です。面積は鹿児島の与論島とほぼ同じくらい。島の人口は5500人に対して年間5万人を超える難民、移民がやってきます。

監督が始めてこの島に行ったのが2014年秋、国際映画祭で上映する10分の映画を撮るためだったそうです。そこで出会ったひとりの医師が20年もの間、救助された移民、難民の上陸に全て立会ってきたことを知ります。病院にいくも者、難民センターに行く者、死亡した者を振り分けるのは彼です。彼は相手が映画監督とは知らずに医療施設、人道救護などについて語ります。

濃密な話し合いの後、「自分の手で触れるよう」にと誰にも見せたことのない写真を見せられ、それを胸がはり裂かれるような思いで見つめ、これは自分の次回作にしなければ・・・と思ったそうです。そして1年半、島で暮らし地元の人々と知り合い、語り合い、その日常生活、リズムなどを経験します。映画の重要な役割を担う少年との出会い、島に暮す少年の慎ましい日常や医師、島民たちの暮らし・・・などがベースになっています。

その一方で、アフリカからの難民がヨーロッパへの通り道として上陸する島。その島を舞台に、現代社会が抱える問題についても描かれています。真正面からではなく、過剰なナレーションもなく、主観も入れず、静かに映像は、私たちに語りかけます。人間の尊厳、優しいまなざし・・・ロージ監督が映す画は、淡々としながら威厳があり、私は「どこか人事のように思っていた」ことに深いため息がでました。

それにしても美しい映像です。難民と島民が二重構造で描かれ、大量の死が私たちの間近にあることを知らずに生活していることを、考えさせられました。

渋谷・文化村で3月中旬頃まで上映されています。

映画の公式サイト
http://www.bitters.co.jp/umi/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ラ・ラ・ランド

170303movie.jpg
(写真出典:映画公式サイトhttp://gaga.ne.jp/lalaland/)
 
映画『ラ・ラ・ランド』を観てまいりました。

アカデミー賞主演女優賞はじめ数々の賞を受賞した作品。

まず冒頭のシーンではタイトルが出る前に圧倒され魅了されました。その高速道路でのシーンでは埋め尽くされた車の列が映し出され、車の屋根やボンネット、そして道路で群集が踊り歌い、それを4分40秒まるでノーカットのように見せる映像とメロディーにいっきに心奪われます。本格的なミュージカル。かつてウエストサイドストーリーや数々のアメリカのミュージカルを見ていた60年代。日本でも「かつてない衝撃」と絶賛された「セッション」から2年、熱望していたデイミアン・チャゼル監督の最新作が『ラ・ラ・ランド』です。

舞台はハリウッド。映画スタジオのカフェで働く女優を目指すミア(エマ・ストーン)。オーデションを何度も受け続け夢に向かって進む彼女(アカデミー主演女優賞受賞)。そしてピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)。渋滞の高速道路で中で偶然出逢ったふたり。今回の映画はニューヨークではなくロサンゼルスが舞台。だからでしょうか、二人の出会いと恋、夢、それを「冬」から「秋」へと季節ごとに章分けで描かれるのですが、原色を強調した色彩がとても美しいのです。

衣装・部屋・照明、景色、空の色・・・かつてのハリウッドミージカルを彷彿させる豪華なセット。歌と踊りだけではなく、ふたりが夢を実現させるためには別れも訪れる。切ない人生と夢をドラマティックに描いていきます。それにしてもライアンが弾くピアノの見事なこと!「ずっと習いたかったピアノを習える絶好のチャンスに飛びついた」と語っていますが3ヶ月の猛レッスンであそこまで弾きこなすとは見事なプロ根性です。エマ・ストーンの踊りと歌も完璧すぎないリアルさが心地よいです。直前まで舞台「キャバレー」に出演していたとのこと。

先日、鈴木清順監督が93歳でなくなりました。

この「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督は、清順監督の美学に刺激され影響をうけたといわれています。それが、何かは・・・観ての楽しみにしてください。久しぶりに音楽への愛、情熱を堪能いたしました。

そうそう、映画の開巻、画面が横に長く広がり、『シネマスコープ』と出てきます。このワイドスクリーンはハリウッドの黄金時代のミュージカル大作に多く使われていました。しかし、見事なまでに「今」の時代のミュージカル映画です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「蜂蜜と遠雷」

今週は東京でラジオの収録、大阪での講演と旅が続き、新幹線の中で至福の時が持てました。

そうなのです、この2週間あまり私にとって時間ができると読み続けていた本、恩田陸さんの「蜂蜜と遠雷」は第156回直木賞受賞作品です。

この作品についてのコメントは、私のつたない文章では到底表現することは不可能です。人生で始めて経験する感覚。生まれて初めての読書体験。ただただ感動するばかりです。

演奏シーンを文字が追いかけながら・・・頭の中には素晴らしい音楽が響きわたりその演奏に引き込まれてゆく・・・文字の中から音楽が響く・・・こんなことってあるのでしょうか。

舞台となるのは3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールが舞台です。世界の若手の登竜門として注目をされているコンクール。オーデションに参加するそれぞれの人物。そこにはドラマがあり、審査員たちが困惑するほどの演奏。小説ですから詳しく内容は書きません。

帯には『私はまだ、音楽の神様に愛されているのだろうか? ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描ききった青春群像小説』と書かれています。

ある新聞のインタビューに著者の恩田陸さんは答えておられます。

「日本人の耳は、虫の声や松籟、風やせせらぎなど、通常ノイズ(雑音、騒音)として処理されるものを音楽として聴いていると言われている。自然界の音から、某かの意味を読みとってきたとも言い換えられる。」

「言葉は、楽譜のようなものだ。ある人にとってその言葉が「意味のある」ものならば、必ずそこに音楽を聴くことできる。人は、文章を通して自分の頭の中に至上の音楽を鳴らすことができる。そのことは、読んでくれた皆さんが、実感してくれ、この賞をいただけたことで、ある程度証明できたのではないかと思う」と。

クラッシク音楽には詳しくない私。小説の中に出てくる曲目も半分は聴いたことがないのですが、知識がなくとも、知らなくとも、頭の中にはその音楽の素晴らしさが聴こえ、その風景がみえてくるのです。

寝る前には本を読み、CDを聴きながら一日が終わります。

いつもの椅子の横に読む本を2冊くらい置きながらが日常なのですが、この「蜂蜜と遠雷」は読み終わるのがもったいなくて、別の場所に置き大切に・・・大切に読んでおります。

あと20ページくらいで終わってしまいます。エンディングが待ちどうしいのですが、週末の楽しみにとっておきます。

この作品は構想から10年近くの歳月がかかったそうです。

恩田 陸さん"ありがとうございました"  
至福のときをいただきました。

そして、また旅に持参し、日本の風景の中で読み直したいと思います。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』

ニューヨークでファッションモデル兼フォトグラファーとして活動しながら6年間もビルの屋上を寝床にしていたマーク・レイ(当時52歳)。

これはドキュメンタリー映画です。

世界一スタイリィッシュなホームレス、マーク・レイ。彼はストリートスナップの撮影やファッションショーの取材をする傍ら役者業もこなす。若い頃からモデルとして活動してしてきた長身でルックスもよく、チャーミングな彼がなぜ、屋上で寝袋にくるまってホームレス?どうみたってその姿は一見、成功したニューヨークの富裕層にしか見えない・・・。

朝は公園での洗顔、わが家のごとくジムや公衆トイレを活用し、身なりを整える。ジムのコインローカー4つに入れた全財産。家財道具は何一つ持たず、たまには友人たちと素敵なレストランでの食事をとるくらいの余裕はあり・・・かつては「ミッソーニ」のモデルやフランス版ヴォーグ誌にも載ったこともあるマーク・レイ。マンハッタンにアパートを借りたり、家を持とうとはしない。持てない。

そんな彼に元モデル仲間で、オーストリア出身のトーマス・ヴィルテンゾーンはニューヨークで久しぶりにマークと再会し、彼の秘密を知り驚愕したといいます。

3年間ホームレスの彼に密着し、この作品が生まれました。「何でも起り得る街、ニューヨーク」。しかし、このようなストーリーが映画になるなんて私には想像もできませんでした。3年間200時間を超える映像を編集して作られたこの作品は「ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭2014で審査委員賞」「キャツピュール・フイルムフェスティバル2014、ベスト・ドキュメンタリー賞」を受賞します。

映画の中の会話はすべてマーク・レイが発することば。二人は20年以上前、共に男性モデルとしてファッション業界で働いていて輝かしい人生を共に追い求めていて、ニューヨークで再会した時のマークはホームレス。しかも50代前半の彼はまだ見栄えもするルックスで立派な服装(1着だけもっていて)落ちぶれた様子など微塵もなかったそうです。あり得ない話・・・だと監督は思ったそうです。そしてすぐに、彼のニューヨークでの生活をドキュメンタリー映画を撮りたいと思ったそうです。

監督は語ります。

「友人として私を信頼し、自分の物語を世界に紹介してくれたマークにはお礼を言っても言い足りないほどだ。これほどの長期間に渡る冒険を始める時に沸いてくる障害や疑念をすべて捨て去った。まさに冒険だった。キャノンEOS 5D MarkIIと音声レコーダーを持ち、マークと私2人だけで、彼の人生を記録していった」と。

すべて撮り終わってからの編集が素晴らしいのです。監督はこうも語ります。

「私は、マークの個性をこちらが判断したり、こうだと込めつけたりすることなく、余計なベールいっさいかけずありのままを見せたいと思っていたが、同時に彼を、一個人としての枠を超えて、物語を語る上での媒体として使いたいと思っていたのだ。」

      無上の喜びを追求せよ
       だがそれには
    悪夢の中で生きる覚悟がいる

      BY マーク・レイ


音楽は俳優クリント・イーストウッドの息子、カイル・イーストウッドのニューヨークジャズがこの作品にぴったりの即興演奏で心地よいです。

それにしても・・・ニューヨークの光と影。モノが溢れた世の中、アメリカでは貧困が拡大し、1%の持てる富裕層とその他99%の階層との落差。現代のアメリカが抱える問題。とにかく映画の中のマーク・レイは多少の影も見せますが、幸せそうなのです。考えさせられたドキュメンタリー映画でした。

映画公式ホームページ

170210movie.jpg


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

パリ・恋人たちの影

皆さま(同世代の方)は1960年代はどんな映画をご覧になっていましたか?

私は圧倒的にヌーヴェルヴァーグが多かったです。女優になりたての頃、所属していた東宝の方に「カンヌ映画祭」に連れて行っていただき、「監督週間正式出品作品」でジャン・リュック・ゴダール、ロマン・ポランスキー、フランソワ・トリュフォー監督などに強烈な印象を受けました。

その時代『ヌーヴェルヴァーグの"恐るべき子ども"』といわれたのが今回の"パリ、恋人たちの影"の監督で16歳で短編映画監督としてデビューした、フリップ・ガレル監督なのです。68歳になった彼の最新作です。

共同脚本、撮影監督は「昼顔」「満月の夜」「勝手ににげろ・人生」など数々の名作を世に送り出し映画界をリードしてきたベテランたち。

モノクロの映像美に、いえモノクロだからこそ映る透明感のある色に、魅惑的に描く監督に脱帽です。ストーリーは骨子だけとりだせば、どうということのない夫婦とそこにかかわる男と女。ある意味フランスらしい物語。

主人公は中年の映画監督ピエール。その彼に寄り添うように妻マノンは彼の才能を信じ、第二次大戦中の対独レジスタンスに参加した老人の記録映画を撮っています(これが後の話に大きくかかわってきます)そんな彼が若い娘と恋に落ち、また妻も別の男と通じていて・・・それを知った夫は妻に詰め寄り男と別れさせる。

監督はインタビューで語っています。「私にとって女性と男性は対等です。社会はつねに男性には寛容ですが、女性にだって同じ権利があるはずです」

モノクロ・女優たちはノーメイク、ガレルの目は絶えず愛をテーマに撮り続けてきて、68歳になりその研ぎ澄まされた感性の中に哀しみや愛おしさが体現されていて、映画を観終わり傷つきながらも、孤独を抱えながら、愛に光りをあて続けてきた監督がとらえた世界は宝石のように見えました。

ガレル監督らしい素敵な映画を堪能できました。監督の息子ルイ・ガレルのナレーションが秀逸です。(渋谷のシアター・イメージフォーラム他にて)

映画公式ホームページ
http://www.bitters.co.jp/koibito/

170127movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

豊かな人生を送るヒント

主婦の友社から出ている雑誌「ゆうゆう」が創刊15周年を迎えられました。

"おめでとうございます"

50代からの女性の上手な年齢の重ね方、生き方、暮し方などを紹介してくれる素敵な雑誌です。私も時々出させていただいておりますし、暮れにはひと足早い「クリスマス会」をわが家で読者の方々とお茶をご一緒して楽しいひとときを過ごします。

今回、創刊から現在までを振り返り、人気のあった企画をピックアップし、『豊かな人生を送るヒント』として一冊のムック本がでました。

170120yuuyuu.jpg

「人生、面白がってこそ」では作家の素顔、佐藤愛子さん、瀬戸内寂聴さん、曾野綾子さん、田辺聖子さん。やはり人生の達人です。拝読し学ぶことばかり。

「50代からの友達づくり」は内館牧子さんと吉永みち子さんの対談。「私たち、性格も生活信条も違う。でも違うからこそ話していて面白い!」と吉永さん。『友達とは?』を教えてくださるお二人。私は大ファンなのです、お二人の。憧れます、こうゆう友情に。つい"おひとりさま"を怖がりすぎる・・・と内館さん。「友達はいなければ、いないでもいい」。そんなふうに思うことも実は必要じゃないかな」とおっしゃる吉永さん。お二人とも仕事を持ち、様々な人生を経験して・・・今日を素敵に生きていらっしゃいます。

「言葉が紡ぐ女優の人生」には市原悦子さん、草笛光子さん、八千草薫さん、岩下志摩さん、松坂慶子さん、浅丘ルリ子さん、木の実ナナさん、中尾ミエさん。

「生きる力が沸く 元気習慣」では私が尊敬する生活評論家、今年95歳の吉沢久子さんと消費生活アドバイザーの河部絢子さんとの対談。

「くよくよしない、ストレスをためない。きちんと食べて、ちゃんと寝ることが大事。」と吉沢さんはおっしゃいます。ある意味65歳になってから本格的に仕事に没頭できたのではないでしょうか。「基本的にはのんきな性格」だとか。でも吉沢さんの生き方には「人生のエッセンス」がいっぱい。そうですよね・・・くよくよしたってはじまりませんものね。思わず読みながらうなずく私。

「ひとり達人の極意」や、定年夫と楽しく暮す「妻の心得帳」などなど。

そして、人生を味わい深くする「映画の時間・本の時間」
私は映画の時間で出させていただいております。 
「映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます」
私が今まで10代の頃から観てきた映画。
大人の恋の気分にひたりたいとき  『カサブランカ』
青春のきらめきに再会したいとき  『追憶』
セクシーな男性に魅了されたいとき 『ドクトル・ジバゴ』
人生に緊張感をもちたいとき    『クロワッサンで朝食を』

まだまだご紹介したい映画はたくさんあるのですが・・・。

そして、感動した新作映画のお話などを昨年インタビューしていただきました。映画にたいする想いや、魅力についてなど。私は出演するより観るほうが好き(笑)です。古い映画でも何度も何度も見直すと過去の自分を振り返ったり、そのときの自分に重ねたりして毎回感動を得られます。

『ゆうゆう創刊15周年スペシャル』(主婦の友社・定価540円)  
お手にとってご覧ください。素敵な一冊です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはお正月どのようにお過ごしになられましたか。

170113newyear.jpg

元旦の明け方、庭に出てみると日の出前の光がほのかに茜色に染まり「初晴れ」の予感がいたしました。そう・・・元旦は箱根の山は穏やかな光が射し、富士山も素晴らしい姿を見せてくれました。

170113newyear2.jpg

私のお正月は箱根神社に参拝し、お節をいただき、2、3日は「箱根駅伝」の応援。わが家のすぐ下が駅伝のゴール地点です。今年もたくさんの感動を選手の皆さんからいただきました。

そして、5日は恒例になっている上野の鈴本演芸場に平成29年正月初席「吉例落語協会初顔見世特別公演」を聴きに行きました。

お正月は多彩な顔ぶれ。粋曲は柳家小菊さん。三味線の音色に和服姿の小菊さんの都都逸から、柳家権太郎さん、お正月らしい太神楽社中の寿獅子舞い、そして・・・もう恋なのかもしれないというときめきをくださる柳家小三治師匠。

追っかけに夢中です!人間国宝の師匠には失礼なのですが、人間の可愛らしさ、愛おしさをこれほど体現してくださる方がいらっしゃるでしょうか。師匠の「噺のマクラ」の面白さといったら・・・日常の出来事や、興味のあること、普通にとりとめもなく話すだけなのに、胸をときめかせてくれます。

師匠の落語は、登場人物のもつ空気感というものまでじんわり伝わってきます。時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じとれます。"そこに生きている人たち"の会話を聴いて、思わずクスッとしてしまう。

『笑う門には福来る』と昔から言われますが、新年を迎え演芸場に笑い声が響きます。

先週のある新聞に「笑う門には健康来る」と掲載されていました。医学的に「笑い」は様々な健康効果があるそうですね。新年を迎え、今年は去年よりも「明るくよい年にしたい」と願う人たちのような気がしました。さぁ~、皆さんも大きな声を出しで笑ってみましょう!

170113newyear3.jpg

そして、演芸場では紙切りの林家正楽さんの"お客さまのご注文"での紙切りが続きます。門松、鶴、可愛い女の子は「ピコ太郎」のご注文。

正月初席のトリは小三治師匠からお弟子さんの三三師匠へとバトンタッチされました。

人生のすべてがあるといわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。

今年は世界中で様々なことが起こるであろうと予測されます。

落語のように「人間に対する優しさ」で解決できないものでしょうか。

七草粥をいただきながら、豊作や無病息災を祈りました。
2017年が皆さまにとって幸多かれとお祈り申し上げます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

感謝をこめて

161125mtdaikan.jpg

一年間書きつづったブログをお読み頂き感謝申し上げます。

2016年もあと二日。皆さまはどのような年でしたでしょうか。
世界に目をはせれば色々なことがあった年でした。

私は今年も旅を続けました。
人に出逢い、人から恩をいただき、今年も終わろうとしております。

旅は昔から賜ぶ(たぶ)と書いて、旅。
旅をつづけるなかで、いろいろなことを与えてくださった方々にも感謝いたしますし、今度は私も差し上げられるようになりたいと、いま、思っております。

いただく心より、ちょっとだけ、差し上げられる心のほうを多めにしていきたいな、これからの旅に対する私の心構えです。

明日は除夜の鐘を聴きつつ年越し蕎麦を食べ、来年の夢や目標を静かに考えたいと思います。

2017年、来るべき年が平和で皆さまにとって佳い年になりますように、寒さ厳しき折から、ご自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

古川祭り・ユネスコ無形遺産

「山・鉾・屋台行事」がユネスコの無形文化遺産に33件が登録されました。全国をこれまで旅をしてきて、こうした素晴らしい祭りに私は何度も出会ってきました。木工・漆・染物など伝統技術によって継承されてきた祭り。まさにこれらの祭りは「地域の宝」です。

その33件の中に飛騨古川の「古川祭りの超し太鼓・屋台行事」も入りました。

あれは40年ほど前になるでしょうか。古民家探しの旅の途中、飛騨高山の先の古川町でひと休みしていたら、ある青年がやってきました。「僕たちどうしても映画を作りたいんです。」

彼は青年会議所のメンバーの一人でした。「何の?」「ふるさとを見直す映画です」。その真剣なふるさとを思うまなざしに引き込まれてしまい技術的にはお手伝いできないけれど、仲間を紹介しささやかなお手伝いをし、8ミリの超大作「わがふるさとに愛と誇りを」は2年半の歳月をかけて、出来上がりました。

制作予算なんか全くないも同然、青年会議所のメンバーも持ち出しでの映画作りでした。街の人たちも皆んな手弁当。自分たちの生まれ育った町、その中で何を受け継ぎ、何をのばしていこうか・・・真剣です。

旅先で知り合った大切な仲間たちが私の生涯の友です。

大ヒット映画アニメ「君の名は」では架空の田舎町になっておりますが、飛騨古川であることは観てすぐにわかりました。駅、図書館・・・田園風景。映画のヒットにより土日ともなると若い観光客が町中に溢れていると古くからの友人の手紙にありました。

今回の無形遺産登録はどこの地でもそうですが、自分たちの暮す町の文化を守る・・・という強い熱意が伝わります。

古川祭りは気多若宮神社の例祭として毎年4月19、20日に行われ、それはそれは厳かで、勇壮です。

161224hida1.jpg
[写真提供:飛騨市公式観光サイト]

神社本殿での神事、古式ゆかしい「御神興行列」(飛騨の匠の技が随所に施されている屋台)と「起こし太鼓」(毎年3月第1日曜日)。

起こし太鼓が動き出すと男達の熱気が広がり町中が高揚感に包まれます。男性が主役の祭りですが、家を守る女性は子ども達にお菓子をくばったり・・・と陰で支えます。飛騨古川は老若男女すべてが協力しあう、それが古川祭りです。

その祭りを長年守ってきた中には私の仲間たちもいてくれます。

161224hida2.jpg
[写真提供:飛騨市公式観光サイト]


新たな取り組みも行われ、飛騨の里に欧米人観光客も多く訪れています。それは「よそ者」の新しい息吹が入り、新たな仕掛けが里山の風景をさらに魅力的な街へと変身させているのです。

どこでも高齢化の傾向が強まる中で"キーパーソン"が求められています。自分たちの手でこの町の未来は作る・・・と動きはじめたところがいくつも出てきました。

幸せな町には幸せな人生があります。

"がんばって!"と応援したいです。
そして、無形遺産を守り続けてください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

ひと足早い、クリスマスの集い

先日、雑誌「ゆうゆう」(主婦の友社)の読者40名の方々が我が家の「やまぼうし」にお越しくださいました。40名いっぺんには無理なので20名を2回に分けてのお集まりでした。

161209yuuyuu1.jpg

楽しかった!です。同世代、ちょっとお姉さま、親子で・・・北は山形から、南は宮崎、四国と全国からお集まりいただきました。

161209yuuyuu2.jpg

地元のお気に入りのケーキと一緒にコーヒータイム、そして私が少しお話しさせていただき、クリスマスのデコレーション、お花などで飾り、皆さん、おひとりお一人との記念撮影。女学生時代に返ったような雰囲気でした。夜は近くのホテルに宿泊。私も夕食前に伺い"乾杯"をさせていただきました。

その時にもお話しいたしましたが、女性が1泊で、家を空け旅に出るのは大変なことです。私は申しました。『日ごろのご褒美よ!』って。

私の好きな言葉「逢えてよかった」 

そう読者の方々と肩を抱き合い、お互いに健康に感謝し、そして出逢えたことに、今年の締めくくりの出会いに心から感謝いたしました。

こうして、クリスマスの飾りも子どもが小さい時には"子ども達のため"でも皆んなが独立してからはこうして"女同士のため"

少し早いクリスマスをお楽しみください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

マイ・ベストフレンド

161125movie.jpg

素敵な映画を日比谷で観てまいりました。

女性にとって、時に本当に必要なのは、
恋人より夫より家族よりも、何でも話せる女友達かもしれない。
人生の途中でどんなことがあっても、信頼できる友達がいれば、
笑顔の力で乗り越えていけるーーーー。

(パンフレットより)

オーストラリア出身の女優トニ・コレットとアメリカ・カリフォルニア州出身のドリュー・バリモアの二人の友情を描いた作品です。

トニ・コレットの母親役には、あのイギリス出身のジャクリーン・ビセット。1944年生まれ、ロマン・ポランスキー監督の「袋小路」(66)で正式デビュー。

フランソア・トリュフォー監督の名作「映画に愛をこめてアメリカの夜」(77)に出演しフランスの最高位勲章レジオンドヌール勲章を受勲するなど、私は以前からとても興味を持って拝見してきた女優さん。

女の友情は移ろいやすく、もろく、でも確かな人生での友情は存在することを教えてくれます。

親友の二人。対照的な人生を送りつつも、それぞれ幸せに暮してきた二人に突然、ある日ミリー(トニ・コレット)に乳がんが見つかる。

ジェス(ドリュー・バリモア)は不妊治療が実をむすび・・・。「幸せ」と「不幸」が同時に訪れ、周りの人々の想いや「死生観」を監督のキャサリン・ハードウイックが女性監督ならではの繊細で、でもユーモアをもって、まるで主人公の二人が子どものころからの親友であったかのような(二人はこの映画で初競演し、本当の親友になったそうです)自然体の演出に喝采!です。

暗くなりがちなストーリーを癌になったあとのミリーが圧巻の演技。ヘア&メイクも素晴らしいです。トニ・コレットは役のためには美しい髪をバリカンで実際に刈ってしまう・・・女優根性がスゴイ!また美しい。笑ったり、涙したり、考えたり・・・素敵な午後の映画鑑賞でした。

何よりも『愛の尊さ』を教えてくれます。

11月18日より、東京・TOHOシネマズ・シャンテほか全国ロードショー
映画公式サイト http://mybestfriend.jp/


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ポーラ美術館

箱根・仙石原の自然の中に佇む「ポーラ美術館」で現在素敵な企画展が開催されています。

『ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ(境界線への視線)』です。

1104pola1.jpg

出典:ポーラ美術館公式サイト

20世紀初頭の都市の周縁には、移民や貧困者が住み付き首都が拡張されていったのだそうです。現在のパリを歩くと、都市の風景はその当時の面影を絵画や写真では見るこたができても産業革命以前の"古きパリ"を見つけることは中々できません。この展覧会では19世紀末から20世紀初頭にかけての「境界の時代」を観ることができます。パリは変革のときだったのですね。

パリに1913年到着した越境者レオナルド・フジタ(藤田嗣治1886-1968)もまた境界線に惹かれた一人です。展覧会ではフジタの「巴里城門」が展示されています。パリに着いて翌年に描かれた作品。城壁の外側からの寂しい情景は寂寥感がにじみます。フジタの越境者としての原風景なのでしょうか。

また、フジタの働く子ども達を描いた「小さな職人たち」の小作品も素晴らしいです。少年少女の頃から生活のために働き始め、仕事に打ち込む姿を優しいまなざしで描くフジタ。パリという都市の変革を支えてきた子ども達。「乳白色のフジタ」にはない初期の作品は心に響きます。

そして、今回の展覧会で一番興味をもったのは「写真家アジェ」でした。アジェは古い都市のみではなく、消えゆく運命にあるすべてに目をむけました。アジェの写真が、フジタをはじめルソーや多くの芸術家たち、アヴァンギャルドの一派にもいかに影響を与えたかがよく分かる展覧会です。パリの下町、マリー橋、サクレ・クール寺院、くず屋・・・などなど、現在は感じることのできないパリの郷愁を見せてくれます。

強羅からバスで、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けその先にあるポーラ美術館は光の降り注ぐ自然と共生している美術館です。アプローチブリッジを渡り、ガラス張りのエントランスホールを抜けると地下2階まで太陽の光が降り注ぐホール。この美術館は常設展も素晴らしいです。ルノアールやピカソ、クロード・モネなど印象派の絵画を堪能できます。

今回は午後からでしたので散策できませんでしたけれど"風の遊ぶ散歩道"が全長670メートル、ブナやヒメシャラ、ヤマボウの木々を小鳥達がさえずり、自然の中で心休まる散策ができます。

1104pola2.jpg

箱根に住み40年の私は、この晩秋から初冬にかけての季節がとても好きです。紅葉の美しい季節、のんびりと散策と美術館にいらっしゃいませんか?
小さな旅ができます。

2017年3月3日まで
開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
会期中無休
ポーラ美術館公式サイト

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

映画「男と女」

161021movie2.jpg

皆さま~・・・あの"ダバダバダ~"のメロディーで知られるクロード・ルルーシュ監督の『男と女』が、50年ぶりに鮮やかな映像と音でよみがえりましたよ!

日本初公開は50年前の10月15日だったそうです。その記念すべき10月15日、恵比寿ガーデンプレイス内「YEBISU GARDENN CINEMA」で初日を迎えました。50年前公開の時、私は22歳。主役のアヌーク・エーメのシックな衣装に魅せられ、メロディーに酔い、俳優達の演技やスピーディなレース展開に強烈な印象を受けました。公開時29歳だった若き監督、クロード・ルルーシュ。

早朝一番のバスで芦ノ湖の向こうに美しく見える赤富士を眺めながら下山し、恵比寿の劇場に向かいました。10月15日・1回目の上映です。早朝の秋晴れの美しい都会は清々しく、まさに映画日和でした。上映までの1時間は周辺を散策し、お茶を飲み、50年前の自分自身を振り返りました。「007は2度死ぬ」への出演が決り私の人生が大きく舵を切り、新たな道へと進みはじめた時期だったと思います。

10時10分、映画が始まると「男と女」ではなく、いきなり1台の車(フェラーリ275GTB)が夜明けのパリをアクセル前開で走りぬける8分28秒のルルーシュ監督の幻の短編・ドキュメンタリー『ランデヴー』が始まります。「男と女」から10年後、ルルーシュ自らがハンドルを握り、豪快なエンジン音、ハンドルの振動が観る側に伝わり、凱旋門、コンコルド広場、オペラ座、ピガール広場と駆け抜けていくのです。助手席にいるような錯覚になり、すでにここから『男と女』は始まっています。

1966年フランスから生まれた名作。初デジタル・リマスター版。1967年アカデミー賞外国語映画賞&オリジナル脚本賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞&主演女優賞など、賞を総なめにしたラブストリーは強烈な印象を与えました。

ただ・・・今回私は50年ぶりににこの映画を観て思ったのは「私ってなんと子どもだったのかしら」ということでした。『男と女』の心のひだ・・・うつろう想い、愛、まったく理解できていなかったことに気づかされました。そして、フランス映画のもつ奥の深さや、大人の機微。素敵です。

今、この年齢になりもう一度観ることができた幸せ。
(シニア料金で観るのが申し訳ないです(笑)
最高の"自分へのご褒美"の日でした。

当時の監督は、破産寸前で映画を撮るお金もまったくなく低予算で作られたことなどが、初日のサプライズで明かされました。そう・・・主役のアヌーク・エーメの夫役ピエール・バルーが来日され壇上で語ってくださいました。エピソードや音楽も手がける彼は歌まで口ずさんでくれました。キャストも含めわずか13、4人のスタッフでの撮影、主役の二人は車の中のシーンなどではライトを手に持ち照明もつとめたこと、ロケはわずか3週間ほどだったこと、などなど、今年83歳のピエールは「今でも当時の仲間とは仲良く交流がありますよ」と語ってくれました。飛行機の都合で当日の朝、成田に着きそのまま映画館に駆けつけてくださいました。

人生ってコツコツと積み重ねてくると、神さまがご褒美をくださいますね。
そんなラブリーな一日、日暮れ前にまた芦ノ湖の向こうの富士山を眺めながら家路へとつきました。


映画の公式サイト
http://otokotoonna2016.com/

161021movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

世界報道写真展2016 沈黙が語る瞬間

恵比寿にある東京都写真美術館に行ってまいりました。

JR恵比寿駅東口から動く通路を歩き、恵比寿ガーデンプレイスの中に東京都写真美術館(TOKYO PHOTOGRAPHIC ART MUSEUM)はあります。

そこには静かに"沈黙が語る瞬間"がモノクローム・カラーで展示されています。

「日常生活」「一般ニュース」「自然」「人々」「スポーツ」「長期取材」「現代社会の問題」「スポットニュース」それぞれの部門での出展です。

会場に一歩足を踏み入れると、直視できないほどの衝撃を受けたり、自然の部では伐採行為や農地への転用、山火事により森林が奪われ、オランウータンの生息環境は危機に瀕している写真には胸がしめつけられます。

そして、世界報道写真大賞「スポットニュースの部1位」は、オーストラリア人の一枚のモノクロ写真でした。

2015年8月28日、レスケ(ハンガリー南部)で撮影された写真の前では言葉を失います。ウオーレン・リチャードソンはセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と幼い子どもを撮影しています。

有刺鉄線付きのフェンスが出来上がる前に、ハンガリー側へと渡ろうとするのですが、その赤ちゃんを手渡そうとする瞬間を捉えています。警備員に見つからないよう、フラッシュはたけません。月明かりをたよりに捉えた瞬間。男性が子どもを手渡す瞬間。見事な報道写真ですが、これが現実なのですね。涙が溢れてきました。

「長期取材」の部1位は写真家メアリー・F・カルバードの作品です。写真の横にはこのようなコメントが書かれていました。

「内なる戦い。米軍内では女性に対する性的暴行事件が頻発している。性的暴行について指揮官に訴えることは困難。もしくは無駄だと考える女性が多く、報告があった場合でも法廷にまで持ち込まれることはほとんどない。軍隊での性的トラウマ(MST)は、長期にわたり精神的な問題を引き起こす可能性がある。」

このように書かれています。
自殺を図った娘の写真をベッドに置き呆然と立ち尽くす父親の姿。

世界で今、何がおきているのか、真実はなんなのか・・・
会場には若い人たちが真剣に写真に見入っていました。     

10月23日(日)まで
東京都写真美術館

1007TOPM.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「ハドソン川の奇跡」

「ハドソン川の奇跡」を観てまいりました。

監督クリント・イーストウッド  主演トム・ハンクス。
実際に起きた有名な飛行機事故をどう映画化するのか興味深く観に行きました。

2009年1月。米ニューヨーク・マンハッタンの上空を鳥の群れが衝突し、乗員と乗務員155人を乗せエンジンは停止し、ハドソン川へと不時着を決断する機長。着水は成功し全員の命が奇跡的に救出されます。

ここまでは日本のニュースでも知られていたので「スゴイ!奇跡だわ。」と当時思いました。英雄となった機長のその後は目にすることはありませんでしたが、映画でその後の事故調査会にかけられこのような状況があったことを映画で知りました。

まさに「裁判映画」を観るようです。大げさなアクションはありませんが、イーストウッドの演出は人間的な内面、葛藤、こうした極限状況にある危機の中でこそのその人の持っている人間性、心意気が見事に描かれています。

リアルに再現された機内も監督の手法はあくまでも冷静に、でも緊迫感あふれています。編集が見事です。カメラワークも素晴らしいです。

それにしても今年86歳のイーストウッド!この静かなエネルギーは奇跡だと思います。そうそう副操縦士のアーロン・エッカートも素晴らしいです。彼は言います。

「僕は、ジェフ・スカイルズに幸せになってもらいたいと思って演じました」と。

実在する人間を演じるということは機長のトム・ハンクスも同様だったと思います。そして、監督のクリント・イーストウッドはインタビューにこのように語っています。「なぜいま"ハドソン川の奇跡"を描こうと思ったのですか?」

『単純にいい物語だからだ。それ以外に説明しようがないね。もし若いときにこの企画に出会っていても、描くことはできたかもしれない。だが、いまのほうが監督としてたくさんの経験を積んでいるし、主人公も年配のパイロットだから理解しやすい。いまのほうがいい仕事ができると思いたいね』と。

人間には年齢ってないのかも知れませんね、情熱を持ち続けているあいだは。

映画公式ホームページ
http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/

160930movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

瑞浪芸術館

先日、岐阜県瑞浪の「瑞浪芸術館」に招かれお邪魔してまいりました。

江戸時代の茅葺民家を現代のセンスで移築し造られています。

設計は建築家の中村好文さん。温もりのある建築で知られる中村さんの作品は私の住む街の"菜の花ギャラリー"でも出会っているので、その素晴らしさに思わず"素敵"とつぶやいておりました。

中村さんはおっしゃいます。「人ってなんだろう?人の暮らしってなんだろう?ってことを考えるのが建築家の仕事だと思うんです。ステータスシンボルとしての住宅にはあまり興味がない」と語っておられます。そうですね・・・よく分かります。

私も40年ほど前に築120年~150年の古民家を移築するにあたり、これからの新しい時代の人たちに心地よい家を、との思いで職人さんと一緒に家づくりをいたしました。萱・漆喰・鉄、この芸術館はNPOが運営し、参加型の芸術館として、公開講座やワークショップ、現代作家のコレクションギャラリーとして、またコンサートや様々なイベントも行われております。入り口には野の花が活けられ、その奥には大きな壷にススキが。昔の美しい日本とモダンなスペース、そのコントラストが素晴らしい空間を演出しています。

0923mizunami01.jpg

今回お招きをいただいたのは「森と日本人」がテーマです。

パンフレットには「古来より日本人は、神道・仏教・芸術において自然を神として崇め、あらゆる命の根源として森を大切にしてきました。森はあらゆる生物生存の元であります。今こそ、日本人の数千年来の森と共生する生き方を思い返す時なのです」と書かれています。

昨年は作家のC.W.二コルさんが基調講演をなさいました。彼は黒姫のアファンの森の再生に一生を捧げていらっしゃいます。私も何度もお邪魔いたしました。今年は6月に天皇・皇后両陛下が森をお訪ねになられました。

私は「箱根暮らし」をテーマに今まで出会った人、モノなどを話させていただきました。会場は60名が入ればぎっしり。地元はもとより名古屋からも大勢の方がお越しになられました。講演後はスタッフお手製のケーキとハーブティーで和やかなひとときを過ごしました。何だか・・・心があったかくなる時間の流れでした。

皆さま、素敵な出逢いをありがとうございました。

0923mizunami02.jpg

翌日は瑞浪芸術館の理事長であり陶芸家の近藤精宏さんのご案内で中山道を歩きました。日本橋から数えて四十七番目の宿「大湫(おおくて)」、奥深い山の中にひっそりと佇んでいます。

本陣跡、大杉、歌川広重が描いた二つ岩、古い格子戸の家並みが続き、往時の風情が伝わってきます。どの家の前の道路も綺麗に履かれていて清々しい気持ちになります。このようなところを外国の方々にも見せて差し上げたい・・・美しい日本をみていただきたいとも思いました。

半原の集落では「半原操り人形浄瑠璃保存会」の方々で郷土芸能として保存・受け継がれてきた岐阜県重要無形民族文化財の人形を拝見しました。300年の村民の思いが伝わります。日本を旅していると郷土に伝わる伝統芸能の「火を絶やしてはならない」という深い思いをしらされます。

この辺りは国道や鉄道など近代交通が発達しておらず、交通は不便な場所だから反面、この静かで落ち着いた街並みが今もこうした往時の姿を拝見できるのでしょう。

『美しい日本』をこれから私たちはどのように残していくことができるのでしょうか。

瑞浪から中央線に乗り名古屋へ、車窓からは刈られた田んぼ、はさ掛けされた稲、初秋の旅を終えて家路につきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『熱中世代』

先日、BS朝日の「熱中世代」にお招き頂き収録をすませました。

番組は作家・演出家の鴻上尚史さんとアナウンサーの進藤晶子さんの進行でした。とても素敵なおふたり!

正直申しますと私はテレビの仕事はとても緊張するのです。これだけ長くテレビに出させて頂いているのに・・・なぜでしょうか。やはり40歳で演じることを卒業し、分野が多少違うからでしょうか。

1時間番組での出演、箱根にも事前に取材があり、どんな番組に仕上がっているのか楽しみです。

子供時代・女優時代、そして「熱中世代」の50代からの暮し方や、現在の心境など『孤独って素敵なこと』の本のお話もさせていただきました。

熱中世代は50代からなのでしょうか。私はこの秋には73歳になりますが、"熱中"することが多くて、自分でもあきれております。お時間がございましたらご覧ください。

放送日 9月18日(予定)
BS朝日 8:00~9:00  
『熱中世代』

IMG_2065.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

映画 「イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~」

『カサブランカ』(42)を始め、アカデミー賞主演女優賞に輝いた『ガス燈』(44)、『追想』(56)など、どれも夢中で観た映画です。

イングリッド・バーグマンの大ファンの私には素晴らしいプレゼントの映画です。ドキュメンタリー映画・・・といっても彼女の女優として、人間として、ひとりの女性として、そして、何よりも4人の子の母親として、今までみることの出来なかった彼女の素顔、素直な言葉、意思、どれをとっても本物の"イングリッド・バーグマン"がスクリーンから抜け出てくるのです。

このような映画を撮ったスティーグ・ビョークマン監督に感謝と乾杯!です。そして、最初のご主人との間に生まれた長女(スウェーデン生まれ)、そして夫と幼い娘がありながらイタリア人監督と恋に落ち妊娠して生まれた長男。さらに双子の姉妹。

当時大スキャンダルになりアメリカを追われイタリアに7年住み、激しい非難を浴びても毅然と愛に生き、母であり、演じることを愛し、生涯現役であり続けた女優・イングリッド・バーグマン。映画の中ではそれぞれの子供達が愛する母を語る姿に胸がしめつけられます。"母に愛されていた"ことを実感できる言葉で語ります。

不思議なことって起こるものですね。
1915年8月29日にスウェーデンに生まれ、1982年、67歳の誕生日8月29日にこの世を去ったバーグマン。そして、私がこの映画を観た日が偶然8月29日。

私は映画を観る日はなるべく1時間前には近くまで行き、心のウォーミングアップをします。たまたま手にしたプログラムでそのことを知りました。8月29日。

2015年、生誕100年を迎えました。イングリットは写真、フィルム、日記、手紙、幼い頃の作文や自作の劇など思い出の品を大切に保管してありました。

そして、写真家の父親の影響で自らも写真を録り、ホームビデオ、フィルムもまわしています。特に子供達の作品はモノクロームですが、本人も素顔で撮影されているのです。この膨大な資料は子供達の手によって大切に保管されていたからこそ、今回の映画につながったのですね。

そこには自分に嘘をつかない人生が映し出されています。

当時、保守的なアメリカでも自分の人生を貫き、正直に生き、愛し合った監督とも別れ、三番目の夫はスウェーデン生まれの演劇プロデューサー。「熱いトタン屋根の上の猫」の上演がきっかけで出逢い結婚。75年に離婚後もバーグマンを支えたといわれています。すべて出逢った人たちとの関係に正直だったから愛されたのでしょう。

「愛に生きた女優」ではありますが、映画の中のバーグマンは素顔が輝くひとりの魅力的な女性(ひと)です。

子供達が語る母は「母は一緒にいて楽しい人」「生涯、勇気を持ち続けた人」「母を一言で表現するなら"チャーミング"ね」と。

日焼けを気にもとめず、海やプールで子供達と戯れる姿は神々しいほどの美を感じます。これほど家族を愛したのには幼いころの環境が影響しているのかもしれません。幼くして母、そして父、身内の人を失い、自力で学び世に出て脚光を浴びます。

彼女の「私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけ」この言葉にすべてが表れています。

家族を愛し、勇気と冒険心を忘れずひたすら誠実に生きた"イングリド・バーグマン" フアンにとってはたまらなく魅力的な映画でした。

渋谷文化村、ル・シネマで上映中です。
http://ingridbergman.jp/

160909movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

久留米への旅

先日 西日本華道連盟、西日本新聞社、テレビ西日本様のお招きで久留米での講演に伺ってまいりました。

この頃のいつもの私のパターンなのですが、講演前はなるべく前日入りして、その街を散策させていただきます。今回は運よく「石橋美術館物語1956久留米からはじまる」の最終日に間に合いました。60年の石橋美術館としては幕を閉じ、新たに久留米市美術館として生まれ変わります。

0902kurume1.jpg

石橋美術館はブリジストンの創業者・石橋正二郎が郷里久留米市に建設寄贈した美術館です。

最終日だからでしょうか、市民の方々でいっぱいでした。子供も鑑賞し楽しめるよう様々な工夫がされていて、東京の美術館とはまた異なる部分があり温かみを感じます。

ふるさとの画家・青木繁の「海の幸」や坂本繁二郎の「放牧三馬」、安井曾太郎の「りんご」、それにセザンヌ、黒田清輝、ピカソ、クロード・モネ、アンリー・ルソーなど等、素晴らしい作品を市民の方が熱心に見入っていました。

こうした芸術が生活の中に溶け込んでいることが良く分かります。絵画鑑賞の後、青木繁旧居向かいました。

0902kurume2.jpg

青木繁が多感な少年期を過ごし、その芸術の才能を育んだふるさとの家。ここは「青木繁旧居保存会」のボランティアの皆さんの管理により運営されています。いかに地元の人たちに愛された画家であるかが良くわかります。

そして、会場の久留米シティプラザ ザ・グランドホールには会場いっぱいのお客さまが出迎えてくださいました。

0902kurume4.jpg

伺うところによりますと、西日本華道連盟は昭和24年華道を通じて日本文化の交流と発展を目的として結成されたそうです。流派を超えての親睦団体で、韓国、台湾、モナコ、ハワイ、中国などとも交流し、活動を続けておられます。

日本の「食」もそうですが、世界を旅すると「日本文化」は憧れと尊敬を持って語られます。まず、大切なことはそれらの文化を私たちが深く知ることですね。

『明日を素敵に生きるには』がテーマでした。

会場の皆さんの笑顔がとても素敵です。

いろいろお話しをさせていただき、最後に私の大好きな中原淳一さんのお話をさせていただきました。今まで挿絵など絵画に夢中でしたが、60歳代になって展覧会で改めて、以前は気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。

『愛すること』  中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人の一人一人に愛情をこめて作って欲しいのです。窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。

世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。

ファッションだけでなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。「それいゆ」や「ひまわり」は、まさに女性のありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づきます。

「愛情深い女性でいてください」このフレーズが心に残ります。

同時代を生きてきた会場の皆さま、少し先輩の方、お若い方、とても素敵な出逢いをいただきました。

壇上を美しい花で飾ってくださった方々、心より御礼を申し上げます。またいつかお目にかかれますことを願っております。

ひとつだけ、心残りは名物の「久留米ラーメン」が食べられなかったことでしょうか・・・。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 「ニュースの真相」

何しろ主演がケイト・ブランシェットとロバート・レッド・フォードです。

ジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。アメリカで現在も続く「60ミニッツ」は1968年から放送が始まり、現在も続くアメリカCBSテレビの報道番組です。この番組に長年携わってきたプロデューサーの自伝がベースです。

ブッシュ大統領(当時)の過去の軍歴詐称疑惑。番組のプロデューサーを演ずるのが、ケイトブランシェット。そして花形キャスター、ダン・ラザーをロバート・レッドフォードが見事に演じます。時は2004年、再選活動を展開中のブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑の大スクープを放ったのです。

この事件は世界で広く報道され、そのスクープがしかし一転して、誤報か?とバッシングに遭い、二人は番組から去らざるをえなくなります。大スクープから誤報とその過程を追うドラマは「ニュースの真実」とはなにか・・・を真正面から取り上げます。

孤立無援での真実への追求、あの事件にはこのようなことがあったのか、と思い出させてくれるのと、ドラマ仕立てにはなっているものの、報道陣の覚悟と良心が感じ取れ、同じ問題が生じたら日本では、このような映画がはたして撮れるだろうか・・・と考えてしまいました。

今年のアカデミー作品賞受賞作品は「スポットライト」もジャーナリストが主人公で実話が基になっています。スポットライトは新聞記者の勝利で終わっていますが、「ニュースの真実」は違います。主人公のプロデューサー、メアリー・メイプスはこのように語っています。

『ケイト・ブランシェットやロバート・レッドフォードのような俳優が、私たちを演じてくれるなんて・・・驚いて言葉もでなかったは。私はCBSという組織とジャーナリズム、そしてジャーナリストの仕事の清廉性や重要性を信じていたわ。』と。

彼女は2004年にテレビ局を解雇になってから2005年にエミー賞グレイシー賞、多くの賞において認められています。後年、本作の原作となった自伝「大統領の疑惑ー米大統領選を揺るがせたメディア界ー大スキャンダルの真実」を出版。現在は、テキサス州ダラスで夫と息子とともに暮しています。

インタビューで印象的だったケイト・ブランシェットのことば。

『男性が優位にある業界は多いと思うわ。メディアやニュース、特にテレビニュース業界は、明らかにそうだと思う。小さい男性社会ね。でも、私がこの映画で一番気にいっている点の一つは、メアリーが母親であること、あるいは女性であることに関してくどくどと言及していないことね。女性であることはこの映画の空気感の一部に過ぎないの。だって主人公が男性なら、奥さんや子供が登場したとしても、それは些細な側面に過ぎないはずでしょ?それよりだいじなのはストーリー。それをジェームズ(監督)はわかってるの。メアリーはあくまでも敏腕プロデューサーで、ジャーナリスト。実在の彼女が求めるストリーを観客に見せたいならそうするはず。彼女はもちろん女性だけどね』と。

女は度胸!と感じた映画でもありました。

脚本家 ジェームズ・ヴァンダービルトの初監督作品です。
素晴らしい映画でした。

映画公式HP http://truth-movie.jp/
160826movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 「トランボ」

皆さまはこの猛暑の中、どのようにお過ごしでしょうか。

暦の上では立秋、「残暑」の波は少しずつ小さくなるのでしょうか。私の住む箱根はお蔭さまで朝夕は初秋を感じさせてくれます。

この夏はどこへも遠出はせず、ラジオの収録以外は「映画三昧」をしております。収録後だったり映画のはしごをしての"うだるような暑さ"も映画館は天国です。前回の「めぐりあう日」から「エイミー」そして今回は「トランボ」。

"永遠の妖精"オードリー・ヘップパーンの「ローマの休日」は誰が脚本を書いたのか、私は知りませんでした。そして、ハリウッド激動期の内幕を伝えるこの映画を観るまで知らないことばかりでした。

ソ連との冷戦下の1947年、共産主義者を弾圧する赤狩りが始まり、その標的にされたのがトランボ達。「ローマの休日」を書いたのは、クレジットには脚本家イアン・マクレバラン・ハンターとありますが実は違っていたのです。

1940年代~1950年代のハリウッドを舞台にした「トランボ ハリウッドにもっとも嫌われた男」は数奇な運命を辿った一人の映画人の実像とその苦悩、そして復活、家族愛、実話です。

偽名で書いた脚本、三年後には再びアカデミー賞を受賞しています。映画には実在する俳優たち、ジョン・ウェインやカーク・ダグラス、監督のサム・ウッドなどが登場し、あの時代のハリウッドの様子が良く分かる映画です。しかし・・・私はこのような状況はほとんど知りませんでした。主演のトランボ役のブライアン・クランストンは本作についてインタビューでこのように語っています。

『私は役を引き受ける時に3つの要素を考える。1つ目は脚本そのもの。感動したか?人生が少しよくなったような気持ちで劇場を後にすることができるだろうか?2時間だけでも心配事を忘れさせてくれたなら、それは価値がある2時間だ。

2つ目はセリフ。とても変わった物語でも、うまく語る必要はある。

3つ目はキャラクターだ。本作がそのすべてを満たしていることは間違いなかった。大作ではないが大きなメッセージを秘めている。その裏に大きな思想があり、人権を求めて闘うことの大切さや、この国の憲法修正第一条の意義についても語っている。言論の自由は常に守らねばならない、どんな法律もこの自由を侵すものであってはならない、政府の行いについても同じだ。これがトランボの主張なんだ。』と。

"自由を勝ち取った国、アメリカ"そんなイメージでアメリカ映画を観ていました、これまで。私はどちらかというとヨーロッパやアジアの映画が好きでよく観ます。しかし、このような映画がアメリカで創られことに驚き、またヒューマンとは何か・・・を考えさせられた映画でした。最後の彼のスピーチには思わず涙がこぼれました。


日比谷で観ましたが、中高年の人たちでいっぱいでした。

トランボの妻を演じるダイアン・レインも素晴らしいです。来週は「ニュースの真相」を観ます。今年のアカデミー作品賞は「スポットライト」でした。どちらもジャーナリストが主人公で実話が基の映画です。「大統領の陰謀」で主演したロバート・レッドフォードのフアンの私には楽しみです。

映画ってやはり素晴らしいですね。

この季節、子供の頃、お盆に乗せられた西瓜をむしゃぶりつき種を飛ばしっこしたことなどを思いだします。帰省なさった方は気をつけてお帰りください。

そして、今年も8月15日「終戦日」が巡ってきます。暗い歴史やテロの続く世界の現状から目をそらすことなく心にとどめておくために、大切にしたい「終戦日」ですね。

映画公式HP http://trumbo-movie.jp/
160812movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

めぐりあう日

映画『めぐりあう日』を岩波ホールで観てまいりました。

「冬の小鳥」でデビューした韓国系フランス人の監督ウニー・ルコントの2作目の映画です。1作目で、その瑞々しさ・・・監督自身の生い立ちをめぐる映画。一人の女性の生き方に深く感銘を受け、6年ぶりの2作目を待ち望んでおりました。出生めぐる世界は前作と同様ですが、今回の主役を演ずる女優セリーヌ・サリットが繊細な心のひだを見事に演じています。

パリで理学療法士として働きながら夫と暮すパリを離れてフランスの北部の港町に8歳の息子を連れて引越します。生みの実母を探しに。そこにはフランスの法律で実母を探す困難な状況に阻まれます。

そんな彼女のもとをある一人の女性が治療で訪れます。理学療法という実際に肌に触れてする治療。アラブ系の8歳の息子の転向先の学校で給食の世話をする老女。とにかく脚本が素晴らしいし、カメラワークも心象風景のごとく観客を誘います。

主人公が悩んでいる時のシーンは特に胸が締め付けられるような感覚になります。映画ですからストーリーは細かくは書きませんが、移民の問題、養子縁組など現代社会がかかえるテーマもおり込まれ素晴らしい映画でした。

1回目11時からの回でしたが中高年の女性たちでいっぱいでした。
映画ってやはりいいですね。

映画の公式HP
http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/

160805movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『徹子の部屋』

先日、テレビ朝日で「徹子の部屋」の収録をしてまいりました。

東宝時代の星由里子さんとご一緒でした。40年振りの再会です。

私はバスの車掌のあと東宝にスカウトされ「若い素肌」でデビューしたのですが、「ここは自分のいる場所だろうか。いてよい場所なのだろうか。」場違いのような気がしてふと逃げ出したくなってしまうことがしばしばでした。ですから星さんとも他の俳優さんとも一緒に食事したり、遊びに行く・・・ということもありませんでした。

星さんは年齢は同じでも2年早くデビューなさっています。彼女の人生とは間逆な生き方をしてきた私。でも黒柳徹子さんという芸能界の大先輩のリードで楽しい収録でした。

振り返ると40歳で演ずるという女優を卒業しましたが、社会参画は現在にいたるまでしてまいりました。働くことが好きな私。一期一会、多くの方々との出逢いで現在の私は生かされております。

「孤独って素敵なこと」でもその思いは書かせていただきましたが、これからも「暮らしの美」を感じつつ、自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生がはじまったという気持ちを大切に一日一日を大切に歩んでいきたいと思います。

『徹子の部屋』の放送は8月1日の予定です。  
テレビ朝日12時から。
ぜひご覧ください。

160729tesuko.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

『フェルメールに逢いたくて・・・デルフトの街へ』

私が始めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりのヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上も過ぎたのに、やはりフェルメールは心に寄り添ってくれている・・・そう感じ、このたび出版した「孤独って素敵なこと」の"終わりに"にも以下のようなことを書きました。

『フェルメールの朝を思わせる清浄な光。
何げない日常に注ぐ眼差しの温かさ。
それらの中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだ・・・と。
そう気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。
そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。』

やはり・・・行きたい。

この目でフェルメールが暮らした街を歩き、光を浴び、その空気にふれてみたい・・・と、オランダ・デルフトに行ってまいりました。

0715holland01.jpg

ヨハネス・フェルメールは1632年にデルフトで生まれ、1675年43歳の生涯をとじました。フェルメールの日記や手紙は全く残されていません。現在私たちが知っているのは、その他の記録と絵画からわかりうる事のみなのです。でもその絵画の中から当時の人々の暮らしが見えてきます。

航海術の発達にともなって、世界の海へと乗り出したオランダ。

17世紀は好奇心の時代。新発見と発明に満ちていました。交易により裕福な市民は世界から物を集め新しい世界観をもたらします。インド・トルコ・中国・日本・・・アジアからもたらされたスパイス、トルコの絨毯、日本や中国の陶磁器など等・・・。どれほど豊かだったことか。

フェルメールはそんな時代デルフトに生まれたのです。そして、生涯をデルフト・マルクト広場周辺で過ごします。

私が泊まったホテルは広場の前の新教会のすぐ裏にある中庭のある花に囲まれた小さなホテル。アットホームで親切なスタッフの人たちでした。教会との間には細い運河が流れ、フェルメールの「小路」にあるような建物が300年経た今でも同じように時を刻んでいます。

0715holland02.jpg

フェルメールの絵をみると『気持ちが和らぐ』のはデルフトに来てみて分かりました。300年前とあまり変わらない人々の暮らしぶり。高層建築やネオンサインはあまり見えず、看板も目立ちません。絵に似たような風景がいまだに街中に残っているのには驚きました。

早朝、教会の鐘で目を覚まし、ホテルから歩いて2,3分のところにあるフェルメールの生家に行ってみました。(今はアンティークショップになっています)

0715holland03.jpg

お父さんは織工、居酒屋・宿屋の主人、そして美術商でもあり当時の芸術家たちはその居酒屋・宿屋フライング・フォックス(空飛ぶ狐亭)の常連でフェルメールは、そうした芸術家たちの中で育ったのです。

そして、一生をデルフトで過ごしました。

生家のすぐ隣がギルド(組合)ハウス。フェルメールも同業者達とよく集まった場所です。現在はフェルメールセンターになっています。

0715holland04.jpg

フェルメールが子供のころ走り回って遊んだであろう小路。また子供たち(11人)を連れて散歩したであろう道、教会、広場、市庁舎などがそのまま残っています。新教会はフェルメールが洗礼を受けた教会。

0715holland05.jpg

そして、フェルメールのお墓がある旧教会へ。歩いても5,6分です。
まずは運河をはさんだ隣のプリンセスホフ博物館へ。何と幸運なのでしょうか・・・いつもはアムステルダムの美術館にある私の一番お気に入りの『小路』がデルフトに里帰りしていたのです。真近でみることができました!(フラッシュなしなら撮影可)。

この博物館は16世紀から19世紀のデルフト陶器やタイルが展示されていて素晴らしいのです。私は翌日この絵「小路」を描いたであろう場所にも行ってみました。諸説ありますが、一番新しい情報です。

0715holland06.jpg

小さな運河を隔てたところに建つ旧教会。ステンドグラスからこぼれる光の中にフェルメールは眠っています。

0715holland07.jpg

ひとり静かに自分と相対する時間です。

『孤独って素敵なこと』を書き終え、こうして旅に出て、背負ってきた荷を少しずつ降ろし、なんでもないフェルメールの日常に接して、そこに暮す人々に出逢えて・・・。

その日常がほんとうに愛おしくて。
それは、フェルメールが光によって私たちの目を導いてくれるからでしょうか。
やはり、先送りせず、行動してよかった。

0715holland08.jpg

旅の最後はデルフトから30分ほどのハーグにある2014年にリニュアルオープンしたマウリッツハウス美術館で珠玉の作品「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)と「デルフトの眺望」(1660年~1661年)をゆっくり、じっくり時間をかけて観ました。

新しくなった美術館はシックな室内、木の階段・手すりが落ち着きます。至福のひと時でした。ハーグでのランチはコロッケ。そして食べてみたかった屋台で玉ねぎのみじん切りといっしょに"ニシン"。

0715holland09.jpg

帰りは路面電車に乗りデルフトへと戻ってきました。

「デルフト眺望」を観たあとなので、描かれたと思われるスヒー運河の向こうに広がる光景がみたくて行きました。(夏の夕暮れ、7時過ぎに描かれたであろうといわれています)

遠くに新教会、街並み・・・その光景を目にやきつけ旅を終えました。

last.jpg

今回の旅ではオランダに住む50年来の友人ご夫妻との再会は何よりも嬉しいことでした。友情に深く感謝する旅でもありました。

投稿者: Mie Hama 日時: 16:12 | | コメント (4) | トラックバック (0)

『フェルメールのふるさと、デルフトへ』

今年になってすぐ、東京で開かれていた「フェルメールとレンブランド展」に行き、はっとしたことがありました。

私が初めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりにヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上が過ぎたのに、やはりフェルメールはしっくりと心に寄り添ってくれるのを感じました。

フェルメールの、朝を思わせる静謐な光。
何気ない日常に注ぐ眼差しの温かさ。17世紀のオランダの慎み深く堅実なくらしぶり・・・。

フェルメールの生まれた街、デルフト。運河が流れる街。「デルフトの眺望」を描いた港。フェルメールの絵にも登場するデルフト焼きのタイル。あの時代の必需品であり、そのブルー&ホワイトのタイルの美しさに魅せられ数枚の古いタイルを手に持ち帰った昔。そこに暮す人々の堅実さ。清潔さ。大都会とは違う小さな街での人々の暮らしは10代の私にとって、それはそれは魅力的でした。お金がなくスープとパン・・・の夕食。でも「エンデン(豆)スープ」のなんと美味しかったことか。パンを浸して飲むスープ(ちょっとお行儀が悪いのですが)。酪農王国のオランダはチーズも美味しいのです。

前回このブログに書いた「孤独って素敵なこと」の本が書店に並び、私自身の人生を振り返り、あらためてフェルメールの絵を観てみると絵の中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだと・・・気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。

『デルフトの街に身を置きたい』との思いにかられて、フェルメールの眠る教会の近くの小さなホテルに宿泊し、光を・・・風を・・・匂いを・・・感じてまいります。

次回のブログでご報告させていただきますね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『孤独って素敵なこと』

講談社から本を出版させていただきました。

以前、朝日新聞の取材で、60代に入ってから身の丈にあう暮らしを求めてきたという話しをまとめていただきました。その記事のタイトルに、私がふとつぶやいた言葉「孤独って、素敵なこと」という言葉をつけてくださいました。そしてその記事を目に止められた講談社の編集の方が「本を書いてみませんか」と、私に声をかけてくださったのです。

孤独のありようも、年齢とともに変化します。

若い時代の孤独と、今感じる孤独は、ちょっと違っています。それは年齢を重ねるいうこと自体に、やはり寂しさと厳しさがつきまとっているからではないでしょうか。

体がこれまでのように動かなかったり、以前ならすぐに記憶して忘れることなどないはずのことでも、ふとした拍子に抜け落ちてしまったり・・・・・。

人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。今まで両手に抱えていたものを、年齢とともに少しずつ手放し、坂道を下りていく・・・おそらく、この年齢で向き合うのは、そうしたことも同時に思い起こさせるような、生命体としての変化であり、根源的な孤独なのでしょう。

私にとって、孤独はもはや友人のようなもの。

そして孤独の明るい面を、ゆったりと自覚できるようになりました。
 
 孤独だから自由でいられます。
 自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることもできます。
 家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。

子供のころから竈の番をまかされ、中学卒業後バスの車掌になり、たまたま女優になり、「ここは自分のいる場所なのだろうかいていい場所なのだろうか・・・」と、ふと思い、箱根の芦ノ湖のそばに居を定め40年近くなります。
そんな自分自身を振り返ってみました。本の表紙の写真は篠山紀信さんが撮ってくださいました。同時代を呼吸してきた篠山さんと、この年齢で再会できたことも嬉しいことでした。

これからも自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生が始まったという気持ちで、一日一日を大切に歩んでいきたいと思っております。
宜しければ書店でお手にとってみてください。

それから、7月4日発売の『週刊現代』でノンフィクション作家の石井妙子さんが箱根にお越しくださりインタビューをして記事にまとめてくださいました。8ページです。
先日「原節子の真実」を出版された素敵な方です。

これからの人生が楽しみになりました。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

映画・裸足の季節(仏、トルコ、独)

原題は英語の「mustamg」 野生の馬

黒海海岸の小さな村を舞台に美しい五人姉妹の物語。封建的な思考や因習。私が大都会のイスタンブールからカッパドキアや小さな村々、遺跡など10日間ほどの旅をしたのは、もう30年ほど前のこと。そうした旅ではまったく見えてこなかったトルコの現在でも、このようなある意味重いテーマがあることを知り、多少の衝撃を覚えました。

はつらつと美しい少女たちの受難の物語なのですが、閉寒的な環境に反抗する彼女達の姿を軽妙かつ瑞々しいタッチで描いた監督が素晴らしいのです。しかもこの映画が長編デビュー作とは信じられません。5人姉妹の少女のうち1人をのぞいてまったく演技の経験がないなんて信じられません。少女たちの溢れんばかりの存在感が各国マスコミに賞賛されたのは当然でしょう。

第88回アカデミー賞外国語映画賞受賞(2016年)
ゴールデングローブ賞受賞(2016年)

トルコ・アンカラで生まれ、フランス・パリで映画を学んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督。彼女が少女時代に実際体験した出来事が投影されているそうです。脚本も手がけ、撮影中は自身の妊娠も重なり、プロデューサーの交代など大変な現場だったとか。無事クランクアップし、米バラエティー誌が選ぶ「注目すべき映画監督10人」に選ばれています。世界がその才能の誕生に狂喜し絶賛した監督。これから目が離せません!。カンヌ国際映画祭では並みいる強豪をおしのけてアカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、自国語以外の作品がフランス代表となったのは『黒いオルフェ』(59年)以来、56年ぶり2度目の快挙。

自由を奪われた美しい5人姉妹の。甘美でほろ苦い反逆の青春映画です。

10年前に両親を事故で亡くした5人姉妹が祖母の家で叔父と一緒に暮らしています。13歳になる末っ子のラーレの大好きな担任の先生がイスタンブールの学校に転任する日の帰り道、姉妹は海で男子学生と一緒に遊びます。艶やかな髪、光を浴びていきいきと輝く姿。生命力溢れる存在を縛り付ける大人の世界。反逆する美しい少女たち。いまだに女性を家事に従事させて子供を生産する機械に・・・そのような思考が存在するのです。

監督は語っています。「トルコのすべての人が同じ考え方をしている訳ではありません。保守的で家父長制度がいまだに根付いているところもあれば、とても自由な女性がいることもあります。しかし、女性自身で男尊女卑の掟をつくり、その存在に加担しているのです」と。中東の女性たちにも言えますね。

それらを見事にはねのけ、瑞々しく、チャーミングに未来へと向かう少女たち、繊細で力強く生きる姿に大人の私たちが勇気づけられます。

ストーリーは詳しくは書きませんね。重いテーマなのに観終わったあとの清々しさはなぜなのでしょうか。久しぶりにみた素敵な青春映画ですし、若い彼女達の演技に乾杯!

監督、ありがとう!素晴らしい映画を観ることができました。   
和光裏のシネスイッチ他で上映中。

映画の公式ホームページ

160624movie.jpg


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

甲府への小さな旅

先日、山梨中央銀行さまのお招きで甲府へ行ってまいりました。

この頃は、慌しくその地にお邪魔するのではなく、なるべく前日入りをして その街の空気や風、どんな暮らしをなさっておられるのか・・・そして食べ物などを楽しむ時間をつくるようにしております。

160616yamanashi1.jpg

講演会の前日、早く箱根の山を下り、新宿からあずさ号に乗り甲府にお昼頃着き、荷物を置いてまず向かったのが、武田神社に参拝いたしました。甲斐の名将・武田信玄を祀っている神社です。信虎・信玄・勝頼の三代が63年に渡り国政を執った由緒ある館跡。境内には当時からの堀や石垣、古井戸などが残っています。

160616yamanashi2.jpg

そして山梨県立美術館へ。1978年の開館以来「ミレーの美術館」として広く親しまれています。常設でミレーの絵が観られます。あの有名な「落穂拾い・夏」「種をまく人」など約70点のミレー作品を収蔵。収穫された穀物の大きな山を背景に描いているものの、ミレーは落穂を拾う貧しい女性たちを描いています。いつも農民に寄り添って描く姿が共感をよぶのでしょうね。緑豊かな公園の中にあり、岡本太郎らの彫刻作品も随所にみられ、富士山も見えました。南アルプス、八ヶ岳など四方を山々に囲まれた盆地甲府。時間がゆるせばたくさんの美しい山があるので次回はぜひ楽しみたいです。

160616yamanashi3.jpg

バスで駅まで戻り新しく生まれ変わった北口広場に隣接した「甲州夢小路」を散策しました。古民家の移築、明治・大正・昭和の城下町を再現したレトロな雰囲気を楽しみました。しっかり職人さんたちの手で造られたことが分かります。私は・・・といえば、まず入り口の"甲州ワイン"を一杯!白ワインをいただきました。駅前のちょうちん横丁にも行ってみたかったです。夜は郷土料理"ほうとう"野菜もたっぷりの家庭料理で心がぽかぽか、幸せ気分でした。果物も野菜も、そして水の美味しさで豊かな気分になれる山梨。翌日が本番ですから夜遊びは出来ません(笑)

160616yamanashi4.jpg

当日、会場には600名近い皆さまが迎えてくださいました。

「明日を素敵に生きるには・・生きがいとアンチエイジング」がテーマでした。このごろ、つくづく思うことは"ご縁"って大切、ご縁があって人は生きていられるのですね。皆さまは50代、60代、70代、そして80代の方もいらしたかも知れません。穏やかで明るい雰囲気が会場いっぱいに広がっていました。70代になって思うことは「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える!その方が、前を向く行動になる」としみじみ思うようになりました。

「三六五日・三六五人に会いなさい」

画家の岩田専太郎先生の教えです。演技のイロハも知らずに、飛び込んだ映画界は、決して私にとって居心地よい場所ではありませんでした。「背中を伸ばして」と言われればピンと背筋をたて、「もっと颯爽と歩いて」といわれれば膝をひっこめて歩き・・・まるで自分が自分でないようで、やりがいを感じることのできない10代後半。「先生私女優をやめたいのです。ちっとも上手にできないし、今なら違う職業につけそうな気がします」と。すると先生は「そうだね、あまり君は上手ではないね。やめてもいいよ、君はなにをやってもいいんだ。ただひとつ、これだけは覚えておきなさい。人生というものは、生涯学ぶものだよ。毎日ひとり、365日で365人の人に出逢いなさい。人に会うことで、君は何かを見つけていくことができるだろう。そして答えは自分でさがせばいい」と。

その言葉が、自分を縛っていたカセから自由にしてくれたように思います。

 何をやってもいい。
 答えは自分で探すもの。
 人生は学びの連続。
 これからどう生きていくかで人生が変わる・・・。
 
岩田先生が教えてくださったのです。

仕事に恵まれ、愛する家族もいますが、これまで思い通りにならないこともたくさんありました。苦しいこと、哀しいこと、悔しかったこと、そうしたものをバネにして生きてきました。様々な経験が私を磨いてくれてきたのでしょう。
人を愛し、何よりも自分を愛してあげる・・・大切なことのように思います。

あっという間に1時間半が過ぎました。

今回も素敵な出逢いをいただきました。
皆さま『ありがとうございました。どうぞお元気で!そして、人生を楽しみましょう!』

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

沖縄に恋焦がれて

沖縄に行ってきました。

初夏、沖縄の祭り~海人の祭典・ハーリー(爬竜船・はりゅうせん)競漕が終わると梅雨が明けるといわれます。3泊の滞在中は真っ青な空と海。街路樹には沖縄の花・ホウオウボク(鳳凰木)が赤色五弁の花を咲かせ出迎えてくれます。

IMG_3548.jpg
IMG_3571.jpg

なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、第二の故郷に戻ってきたかのような安堵(あんど)感を覚えるのでしょうか。その理由は"人"だと思います。特に沖縄の女性たちの辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。その全てに強くひきつけられるのです。

まだ、舗装されていなく砂埃のたつ国際通りに立ったのは半世紀以上前のことでした。

『民藝のふるさとは沖縄にあり』と民芸運動の創始者である柳宗悦氏は語っています。壷屋焼や宮古上布、芭蕉布、紅型など、沖縄の手仕事の健全さに心を奪われた柳宗悦。沖縄は自分が思い描いた民芸の理想郷「美の王国」だと思い通い続けたのでしょう。

沖縄にいると"今の私""未来の私""そして"過去の私"に出会えます。

今回は敬愛してやまない読谷村に暮らした今は亡き与那嶺貞さんの13回忌、どうしても与那嶺さんがひたすら機を織り続けた仕事場の跡にたってみたかったのです。そして、仕事が終わる夕方、ご一緒に手をつなぎ歩いた道を歩いてみたくなったのです。1984年のこと、読谷村で与那嶺貞さんにお会いしました。人間国宝になられてからも何ひとつ変わることなくひたすら『花織』を織りつづけていらした貞さん。

160610okinawa03.jpg

与那嶺さんは、5~600年前に南洋から伝わってきた織物「花織」を再現することに一生懸命でした。与那嶺さんがその織物を蘇らせようとしたとき、その織り方を知る人は一人もなく、昔から残されていた一枚のちゃんちゃんこがあるだけでした。織り方が複雑で難しく途絶えてしまったのでしょうから、再現するのも大変なご苦労だったそうです。与那嶺さんは、あの沖縄が焦土と化した戦争を生き延び、涙も涸れてしまった戦後を子供を抱えて再び生きなおした方です。ご主人は戦争で亡くされておられます。"戦争で何もかも失ったけれども、父親が私に授けてくれた教育だけは、誰も奪えませんでした"とおっしゃられました。工芸学校で学んだ技術が、後年、幻の「花織」再現に結びついたのです。

手をつなぎ歩きながら私にこう語りかけてくださいました。
「浜さん、女の人生はザリガナね」・・・と。こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女としてそれを丹念にほぐしていきましょう。そうすれば「ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ」"もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女"。もつれた糸を一心にほぐしながら、美しい美しい布を織り上げる。泣く涙も涸れてしまった沖縄の女性たちは、こうして自らを励まして戦後を生きてきたのです。

こんがらがった糸を切りたくなるとき、私はいつも与那嶺さんの優しいまなざしを思い浮かべます。

丹念にほぐしていけば  花のヤシラギ(布)をウイルサビル(織ることができる)"

読谷村では焼き物を見て、読谷のソーキそばを食べ、風にふかれ、村を後にしました。

160610okinawa04.jpg

4月下旬から行方不明となっていた女性が遺体で発見されました。
それは、日常普通に暮す界隈で起きた残忍な事件でした。このようなことが起こりうるのでしょうか。どんなにか恐怖だったことでしょう。人の命がこのように扱われてよいのでしょうか。これまでにも、米軍人・軍属による事件は多発しています。

私の滞在中に県議選が行われました。「平和で豊かな社会を築く」「日米地位協定の改定を」「基地縮小着実に進める」など。それぞれの思いを胸に新たな一歩を踏み出しました。今回のような許すことの出来ない事件、基地問題など・・・本土にいて感じる感覚の温度差も強く感じた沖縄滞在でした。

93歳で現役のまま亡くなった与那嶺貞さんたちのご苦労が、現代へときちんと受け継がれているでしょうか。私たち日本人の一人ひとりの問題だととらえているでしょうか。

最後の夜は働くボランティアグループの30年来の女友達たちと飲み、食べ、沖縄の未来について語りあいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

私のお買い物・小田原

箱根の自宅の一角にオフイスを移して10年以上がたちました。仕事は東京起点のことが多いので、箱根からバスで下山し小田原、そして東京~地方へとしょっちゅう移動しているのですが、以前は通りすぎるだけだった小田原がいつのまにか自分の街になっていることに最近気がつきました。

160527odawara1.jpg

新幹線に乗る前には時間に余裕がある時は駅の地下街「ハルネ小田原」の『菜の花ビレッジ』に寄り道。ショップでは素敵な器やカジュアルな洋服を拝見。奥にある「ムーンカフェ」では焙煎したての珈琲の味わいはもちろん、販売されている和菓子と一緒にいただきます。珈琲を飲みながら自由に手に取れる雑誌や本・・・すべてが行き届いていて、テーブルには野の花が活けてあり、ほっと私の心をなごませてくれます。お店のお嬢さんたちの優しさも嬉しいです。お饅頭を一個だけ購入して、東京に向かう新幹線でいただくことも。

160527odawara2.jpg

一日お休みの日はキャリーバックを引いてバスで下山しやはり地下街のJAかながわ西湖直売所『朝ドレファーミ』には新鮮な野菜が揃っていますし、朝摘みたての花があります。だいたいひと束300円くらいで、自分で新聞紙に包んで持ち帰ります。庭に咲いているような花なのですごく嬉しいです。

駅の1階にあるスーパーでは地元の魚が販売され、まさに『地産地消』です。遠くからエネルギーを使い運ばれてくる海外の品はフードマイレージが先進国の中で一番の日本は考えなければいけませんね。

いずれにしても、慌しい時代には見過ごしてきた『地元の街・小田原』は歴史もあり、古い建物も保存されていて快適です。

160527odawara3.jpg

そうそう・・・あとお薦めは繁華街からちょっとはずれた国道一号線沿いにある『勝寿司』は、魚大好きな私をいつも大満足させてくれるお店です。カウンターとテーブル2つとこじんまりしたお店ですが、入り口にはご主人自らが摘んだ野の花が飾られ、店内は清潔で清々しいです。「地魚セット」が2400円。ランチなど嬉しいですね。もちろんわさびは、おろしたての本物。ご主人のお人柄もあって地元のお客さま多いのですが、近頃、観光客も増えてきました。

この頃はお休みの日はこうして地元で過ごすことが多くなりました。これなら80代になっても90代になっても楽しめそうです。そうありたいです・・・ね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

信州の旅

先日、長野県にある八十二銀行の財団法人八十二文化財団に招かれ、長野市内での講演に行ってまいりました。最近は子育て時代と違い、時間にもゆとりが持て、また以前のように日帰りでバタバタと出かけなくても良い環境になってきました。

初夏の日を浴びてそよぐ若い葉、新樹、まさに今年一番美しい新緑の日でした。「これは1泊で信州プチ旅行をしたいな~」と思いたち新幹線に乗り込みました。長野の手前、上田駅下車。そこには東御市和(とうみしかのう)で農園カフェレストラン「ヴィラデスト ガーデンファームアンドワイナリー」を営んでおられる玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんが出迎えてくださいました。

抄恵子さんとは園芸の師匠村田ユリさんの門下生仲間。といっても私は落第生。植物のことなど何ひとつ勉強せず・・・抄恵子さんはそこでしっかり学び、現在の素敵なヴィラデストのガーデンをつくられたのでした。

もう27、8年ほど前になるでしょうか、初めて農園をお訪ねしたのは。軽井沢の追分から上田に抜ける林道から横道に車を走らせたのは偶然でした。私は舗装されたまっすぐな道よりも、がたがた揺れるような曲がりくねった遠回りの道が好きで、選んでそういう道を探してしまうところがあるのです。

20代後半から30代にかけて4度の出産をし、子育てをし、家をつくって、女優という仕事を続ける・・・我ながらよくやったと思います。 30代後半から心因性のアレルギーに悩まされるようになったのは、こうしたもろもろの無理を重ねてきてしまったのです。夜中に音楽をかけながら車を飛ばし・・・細い横道沿いを進んでいくと目の前に、はっとするような美しい農場が開け、思わず車を止めました。それが今は亡きユリおば様との出逢いでした。

ユリさんは当時70代。ポタニカルアートやフラワーアレンジメントの先駆者であり、エッセイストとしても知られ、ジャーマンアイリスの専門家でもありました。それらは後に知ったことです。お会いした瞬間、私はこの方をずっと知っていたような気がしたのです。お会いできたことを御代田の大地に感謝し、それから長いお付き合いがはじまりました。

あるとき、疲れ果てて夜遅くユリさんの家に着いたことがありました。
その時ユリさんは、ご自分の庭で採れたハーブを木綿の袋につめ、それをお風呂に入れて「気持ちいいわよ、お入りなさい」と進めてくださいました。ゆっくりお風呂に入ったあとベッドに入ると、枕の下にも、また別のハーブがしのばせてありました。ハーブの香りに包まれ、そっと抱きしめられるような気持ちになり、その晩、数年間なかったような深い眠りにいざなわれました。寒い夜、暖炉に薪をくべ、暖かい火に一緒にあたりながら、ワインを飲んだりおしゃべりをしたり。

その頃に玉村ご夫妻と出逢いました。4人で豊男さんが腕をふるってくださる料理でワインとおしゃべりをし豊かな時間でした。ユリさんは昼間はほとんどの時間を畑で過ごしていました。手を土色に染め、額に汗を光らせていました。ユリさんがいてくれると思うだけでほっと体から力が抜けるようになりました。

今、私はユリさんと出合ったころの、ユリさんの年齢になりました。40代の私のために、自分の空間と時間をすっと差し出してくださったユリさんのような大人に、私もなれただろうか。そういう人生を歩んできただろうか・・・と思うのです。

近所に住む抄恵子さんは足繁く通い、植物の勉強をしっかりとなさり現在の美しいガーデンができあがったのです。年は私が上ですがまるでお姉さまのよう。

160520sinsyu1.jpg

美味しいランチをいただき、庭を散歩させていただきました。

160520sinsyu2.jpg

モッコウバラのアーチの奥にはアルプスの山々が雪をかぶり、リナムが一面に咲き、カリフォルニアポピー、シジミバナ、ルバーブ、ジャーマンアイリス、セイヨウミミナグサ、キャットミント、ベロニカ、オダマキ・・・・など等、抄恵子さんの愛情が降り注がれたガーデンでした。

上田から長野、そしてM夫妻の住む黒姫でのんびりさせていただき、翌日の朝、皆さまが待っていてくださる長野市内のホールへと向かいました。600名満席の方々の笑顔に迎えられ『明日を素敵に生きる』をテーマにお話をさせていただきました。もう、会場の皆さまこそ素敵に生きていらっしゃいます。お顔が輝いていらっしゃいました。

皆さまに「逢えてよかった」素敵な出逢いをありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

フローラル

青葉を渡る風に、初夏の心地よさを感じるこの季節。GWも終わり、また日常生活に戻りましたね。このGWはお仕事だった方もいらっしゃることでしょう。ご苦労さまでした。

私は前回も書きましたが、小さな旅、掃除、映画・・・そしてGW最後の8日は鎌倉に行ってまいりました。鎌倉鶴岡八幡宮東門を出てすぐにある娘のショップ、"フローラル"で『一日花屋さん&アンティークガレージセール』が開かれていたからです。

160513floral.jpg

8日は「母の日」。asuka yamanakaさんのお花を子供たちがプレゼントしてくれました。暮らしの中で花のない生活ほど寂しいことはありません。庭で摘んだ花をそっと花瓶に活け"幸せ"と思わずつぶやいている時もあります。でもasukaさんのなんて素敵なお花なのでしょうか・・・。子供たちに感謝した日でした。そして、母親でいさせてくれて"ありがとう"とも思った日でした。

思えば昭和57年6月に出版した本「浜美枝の育児エッセイ・やまぼうしの花咲いた」からずいぶんの年月が経ちますが、つい最近のようでもあり・・・
前書きでこんなことを書いています。

「親と子のあいだに自然を介在させることで、双方がどんな育ち方をするのか、最も密着度の高い関係に自然という巨大な存在があることで、親子関係がどんなふうになっていくのか、観てみたいという試みもありました。本に書かれた育児法やしつけの論理を超えたものが伝えられないか。さまざまな壮大なもくろみを含んだ移転でもありました。もちろん、まだまだ答えのでるような段階ではありません。私自身も含めて四人の子供たちも、箱根の移りゆく自然に夢中ですし、親子関係も、自然の存在をかたわらに置いて、相当密着感の強い時期です。」

ぼちぼち40歳になろうとしていた私。

子供たちは皆、その年齢を超えていたり、間もなく迎える年齢になっていたり・・・

子育てのもっとも濃密な10年は、闘いの十年であり、夢見心地の十年であり、大自然のいのちのサイクルからみれば、たったの十年でした。

フランスの哲学者であり文学者でもある、シモーヌ・ボーヴォワール女子の名言に"女は初めから女ではなく、女になっていく"というのがありますが、まさに母親もまた然り。"母親になっていく"ものだとつくずく思います。

鎌倉からの帰り道、匂うような初夏の風のさわやかさが私を包み込み"山から母の日のプレゼント"もいただきました。「残花(ざんか)」は春に咲いた桜が、散り残っていることを指す春の季語だそうですね。

散り残っている。

そうね、素敵に散り残りたいと思った母の日でした。

次回の「一日花屋さん&アンティークガレージセール」は5月28日(土)に
予定しているそうです。私も"お店番"に行きたいな~と思っておりますがお天気にもよりますね。

詳細はフローラルにお問い合わせください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

おしゃべりと掃除、そして映画

皆さまはゴールデンウイークをどのように過ごされましたか?

旅行に出かけられた方、家でのんびりされた方、都内で楽しまれた方。いろいろでしょうね。私は前半は30年来の群馬の友人宅で彼女と心おきなく"おしゃべり"をし、久しぶりの楽しい時間でした。

そして、後半は日ごろ気にながら中々手をつけなかったキッチンの隅々(見てみぬふり)や大好きな器やグラス磨き・・・など。まとまった時間がないとできなかった事いたしました。そして一日は山を抜け出し"映画の"はしご"をしました。

スポットライト・世紀のスクープ』と『グランドフィナーレ』。

「出演するより観るほうが好き」な私。

60代になったあたりから自分の時間が増えて、映画を楽しむ機会が多くなりました。そして映画を観たあとの余韻を楽しむために近くのカフェに立ち寄り、白ワインやコーヒーを飲みながらプログラムをめくり、出演者や監督など製作人の想いをじっくり読む・・・至福のときです。だから映画はいつも「ひとり」で。

私は昔からジャンヌ・モローが大好き。彼女の最近作2012年に公開された「クロワッサンで朝食を」は素敵でした。ジャンヌ・モロー演じるパリの老夫人は、新しい家政婦の用意した朝食のパンが気に入らない。「こんなスーパーで買ったものではなくパン屋の焼きたてのクロワッサンでなければ食べない」と激しく拒否をする。

「これは単にパンにこだわっているのではなく、自分自身の人生へのこだわり、これだけは譲れないという生き方。フランス女性らしい自立心をもち、一筋縄ではいかない人生を背筋を伸ばして歩きつづけている、いい女。ジャンヌ・モローそのもの。」

私はこう思っているのです。

映画は大きなスクリーンで観るにかぎる・・・でもあとどのくらい山を下り映画館に行けるでしょうか。90歳でも出来たらいいな~。いけなくなったら家で観る映画のDVDを少しずつ集めています。「カサブランカ」「追憶」大好きなオマーシャリフの「ドクトル・ジバゴ」、そしてジャンヌ・モローの全ての作品。

まだまだ旅は出来ます。映画の舞台になった場所を旅したい!カサブランカのモロッコや青春の思い出のローマ。インドは「マリーゴールドホテルで会いましょう」を2度も見ました。政情が不安で行けなくなってしまったトルコ、など等。

映画の"ときめき"は、私に栄養を与えてくれます。

160506movie1.jpg

スポットライト 世紀のスクープ

今回観た映画『スポットライト』は巨大権力に立ち向かう記者の覚悟、これぞ新聞記者の正義、ジャーナリズムの勝利。真実に基づいた記者たちの取材活動の記録。ピュリツアー賞受賞の記録を映画化。

ボストン・グローブという新聞社。真実の究明という地味な作業を丹念にトム・マッカーシー監督は抑制のきいた演出に真実が見えてきます。実在の記者からOKをもらったそうです。カトリック神父による児童の性的虐待と真実。巨大なカトリック教会全体を巻き込んだ事件。おさえられた演出、劇映画としての本物のドキメンタリータッチがあります。米アカデミー賞で作品賞、脚本賞受賞。報道のあり方を考えさせられた作品でした。日本でも「報道の自由」が問題になっています。2時間8分の映画は時間の長さをまったく感じませんでした。秀逸!

160506movie2.jpg

もう1本は『グランドフィナーレ

さすがアカデミー賞に輝く名優たち、カンヌに愛されたイタリアの奇才パオロ・ソレンティー監督。今年83歳のマイケル・ケイン風格と老いに向かって生きていく有名な老作曲家。親友の映画監督のミック。

舞台はスイス・アルプスの麓にある高級ホテル。「老いること・生きること」の意味を素晴らしい映像美で魅せます、ユーモアをたっぷりに。その映像美が心の心理を見事に描いているのです。そして、大事なシーンでなんと!ジェーン・フォンダが登場し、2人のフィナーレが待ち受けています。(ご覧になる方のために詳しくは書きませんね。)

とにかく、80歳を超えた男を愛おしく、感じました。そして老いを生きる意味を考えました。傑作です。

やはり、映画って素敵ですね。

と、いうわけで私の休暇はおわりました。
6月には講談社から本が出版されます。「孤独って素敵なこと」ぼちぼち最終校了があがってきます、ドキドキ・・・。

満開の山桜も散り、初夏の若葉をつけた葉桜。風にそよぎながら太陽の光に透ける青葉が心地よい季節です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

根津美術館

初夏を思わせるような爽やかな日、ラジオ収録後に南青山にある根津美術館に行ってまいりました。

特別展『国宝燕子花屏風』が開催されています。
この季節だけの公開です。(4月13日~5月15日)

本館は2009年、建築家・隈研吾氏の設計で改装され、切妻造の屋根は寺院建築を思わせる建物で入り口のアプローチは竹が植えられ和のテイストが素敵です。

実業家で茶人の初代 根津嘉一郎の収集品が展示されています。

160429nezu1.jpg

根津美術館といえば、国宝「燕子花屏風」を毎年この時期思い浮かべます。総金地の大きな画面に青と緑をつかったカキツバタ。 尾形光琳筆のこの絵の前の椅子に座り何時間でも観ていたくなります。

江戸時代の半ば、18世紀初頭の京都で尾形光琳によって生み出された作品。その鮮烈な色彩、落ち着きのある構図や色使いは呉服商の家に生まれ育ったからでしょうか、どこか染織を思わせます。光琳のセンスは抜群だと思います。六曲一双の屏風の立体的な構成は静かさの中に、観る者を誘ってくれるようです。

光琳の名前から一字をとって「琳派」と名付けたれた流派。17世紀前半の京都の町衆文化の中で活躍した本阿弥光悦・俵屋宗達、19世紀光琳に憧れた酒井抱一など、琳派の影響を受けた同時代の作品も楽しめます。

 からころも
 きつゝなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ
               (伊勢物語より)

「歌をまとう絵の系譜」も存分に味わえます。

160429nezu2.jpg

絵を堪能したした後は庭園の散策をしました。自然の傾斜を生かした池を中心とした日本庭園。茶室も4棟あり石仏、石塔、石灯篭などがあり、この季節の「燕子花・藤の花」が見ごろです。茶室でいただいた一服のお抹茶とアジサイのお菓子。季節を満喫いたしました。

都会にありながら、和の空間を楽しめ心静かな時間でした。
ゴールデンウイーク、都会にいらしたらお薦めです。
表参道から徒歩6、7分です。

根津美術館公式HP
http://www.nezu-muse.or.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 さざなみ

160415sazanami.jpg

切なく、しかし素敵な映画です。
原題は「45 YEARS」。
結婚して45年。夫と重ねた歳月の意味。
この映画は愛の問題。生き方の問題。妻はともに時を刻み続けようとしているのに・・・。

冒頭のシーン、イギリスの静謐でいかにもイギリスらしい小さな地方都市の風景に魅せられます。現役を退き穏やかな老夫婦に"さざなみ"がヒタヒタと・・・迫ってきます。

45年連れ添った夫婦はいつも通りの静かな生活。朝は愛犬を散歩させ、食事を楽しみ、夜はワインを飲みながらの穏やかな会話。多くを語らずともお互いに心は通じあっている。

そんなある日夫ジェフ(トム・コートネイ)に一通の手紙が届きます。妻ケイト(シャーロット・ランプリング)が手渡します。スイスの雪山で氷漬けの死体が発見されたとの知らせ。

それはケイトと結婚する前の恋人のカチャ。50年以上前、ジェフとの旅行で、クレパスに消えた彼女。

この映画で ベルリン映画祭主演女優賞と主演男優賞に輝いた二人。

45年、ともに年を重ねてきたふたり・・・それが根底からゆらぐのです。「僕のカチャ」と呟く夫。過去は知りたくない・・・と思いつつ、聞かずはいられないケイト。「もしもそんなことにならなければ結婚していた?」と聞くケイト。夫はためらうことなく肯定する。深夜、物音で目を覚ましたケイト。夫が屋根裏部屋でカチャの写真を探しているのです。自分達には思い出の写真などないのに・・・「見せて」と手を伸ばし出された写真をケイトはわずかに目を向け、「ありがと」とひと言。

月曜日から土曜日までのストーリー。警察からの身元確認の手紙が届いてからの夫婦の心模様が描かれているのですが、シャーロット・ランプリングの演技、いえ演技を忘れ彼女自身のストーリーのような、やはり演技なのでしょうが、老いと孤独と、男と女の違い、静かに静かに、その表情から"さざなみ"を隠しているものの、切ないほど・・・胸が張裂けるような思いを見事に演じているシャーロット・ランプリングに感嘆するしかありません。

全編、妻の視点からの演出。脚本・監督アンドリュー・ヘイは静かに控えめにしかし説得力のある演出。

男性にこれほどまでに女の気持ちがなぜ理解できるのか・・・と、思わず思ってしまった私でした。土曜日は結婚45周年の祝賀パーティー。はたして、どんなスピーチになるのでしょう。

愛と絆って何なのでしょうか。
年月の積み重ねって何なのでしょうか。
いくつになっても男と女。そして・・・孤独。
結婚って、夫婦って何なのでしょうか。

久しぶりに"成熟した大人の映画"を観ました。

1946年生まれのシャーロット・ランプリング。円熟した凄みのある演技。今演じるからこのような素晴らしい映画が生まれたのでしょうね。

1943年生まれの私が今観られたからなおさら感動するのでしょうね。
ありがとう!シャーロット・ランプリングさん。

銀座和光裏のシネ・スイッチ他で上映中です。

http://sazanami.ayapro.ne.jp/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (1)

鎌倉・鶴岡八幡宮

先日(30日)鶴岡八幡宮の段葛(だんかずら)が舗装や桜の植え替えなど全面改修を終え、竣工式と通り初めが行われたので観に行ってまいりました。

まだ初々しい桜並木。かつての桜は老木になり根が傷んでしまったので全て植え替えられました。長さ465mの段葛の両脇に177本のソメイヨシノが見ごろを迎えていました。

160401kamakura1.jpg

人のいない、式典の前を鎌倉でアンティークショップをやっている娘に朝早く撮影してもらいました。約1年半ぶりの改修を終えた姿です。段葛は八幡宮から南に延びる「若宮大路」の中央を通る歩道で、この1年半は被いかぶされ歩けませんでした。「道の上に道を置く形式」の段葛。鎌倉幕府を開いた源頼朝が1182年、妻・北条政子の安産を祈願して造ったとされています。

神事の後、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんや宮司たちが通り初めを南側の鳥居から八幡宮に向かって歩き、舞殿では吉右衛門さんが祝いの舞を披露しました。厳かの中にも華やいだ舞台。素晴らしい舞いでした。

160401kamakura2.jpg

境内は人・人・人。その中で爪先立ちしながら拝見し、木遣師さんの歌声に送られ東の鳥居を出て右へ30mほど行くと娘のショップ「フローラル」があり、ひと休み。花曇の午後のひとときを堪能いたしました。

160401kamakura3.jpg

帰りはフローラルから鎌倉駅まで段葛を歩いてみました。土だった路面が雨水を吸収しやすい歩道へと変わり、とても歩きやすく"歴史の一歩"を踏みしめながら箱根の山に戻ってきました。

160401kamakura4.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

孤独だからこそ人生を深く愛することができる

1年前、「浜さん、これまでの人生を振り返る本を書いてみませんか」とある編集者からご連絡をいただきました。

「孤独って素敵なこと」というタイトルがつけられた新聞の私のインタビュー記事を目にとめられたとのことでした。老いの辛さ、孤独に向かいあうことの苦しさが取り上げられることが多い現代にあって、孤独を楽しむような私の生き方考え方に興味をもってくださったのです。

老いの孤独というものは、年齢を重ねた人が必ず出会わざるを得ない根源的なものであると、私も感じます。若い時のように体がしゃきしゃき動かなかったり、何か記憶するために時間がかかるようになったり。人生の残り時間を意識させられることも少なくありません。環境も変化していきます。

わたしを導いてくださった人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。この年齢になると、孤独はもはや友人のようなもの。墨を流したような漆黒の箱根の夜、針を落とす音さえ聞こえてきそうな静寂の中で、囲炉裏の火を眺めていると、自分で自分を抱きしめたいような気持ちになることもあります。

孤独であるからこそ、自分と対峙する時間をもて、自らの考えを深め、ポジティブに生きることができると感じています。

本を書くにあたり、なぜ、私はこういう考え方をするようになったのだろうかと、自分の人生を振り返ることから始めました。

長屋暮らしの子供時代。中学を卒業してバス会社に入り、翌年女優デビューしたこと、芸能界に慣れることができず、息苦しさを感じていたこと・・・遠い記憶は時とともに淡く薄れてゆくものと思っていたのに、改めて過去に向き直ると、セピア色の写真にふわりと色がのるように、その時の空気の匂いまでが蘇り、当時私が抱いた感情がどっと胸にあふれてきたのに驚かされることもたびたびでした。ときには、ぐさりと心にナイフが突き刺さるような痛みを覚えることもありました。

自分の心を整理し、少しずつ文字に綴り・・・すると自分はどのように形作られてきたのかということがおぼろげながらわかってきたのです。

6月発売予定の「孤独って素敵なこと」、本の表紙は写真家の篠山紀信さんが撮影してくださいます。先日スタジオにお邪魔しご挨拶をしてまいりました。37、8年ぶりでしょうか、お会いしたのは。同時代を呼吸してきた篠山さんとはあっという間にお互いに距離が短まり、来月箱根での撮影が楽しみになりました。

昨日(17日)は「箱根やまぼうし」に20名ちかい同世代、少しお若い方、先輩がたが短い"旅"を楽しんでくださいました。部屋を掃除し、花を活け、お待ちする・・・こうした時間が私にとって至福のときです。

こうして箱根の家はいつも、私を包み、そっと支えてくれています。

160318tour.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

『フェルメール』

六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで「フェルメールとレンブランド・17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を観に行ってまいりました。

フェルメールの傑作『水差しを持つ女』が日本初公開です。「日本人はフェルメールが好き」とよく言われます。私もそのひとりです。静謐な朝の光が射しこむ窓辺でひっそりと控えめに佇む女性。テーブルの上にはシックな赤の厚手のクロス。身支度前なのでしょうか、箱からのぞく真珠のアクセサリー。思ったより小さな絵画は、フェルメールが部屋に飾れるように描いたからでしょうか。私達日本人がフェルメールに惹かれるのは『日常』を美しく、また画家本人が愛おしく日常を暮らしていたからでしょうか。

10代の終わりの頃、ヨーロッパ一人旅をし、オランダ・アムステルダムの国立美術館で観た「牛乳を注ぐ女」を観た時の感動!厨房の窓辺で体格のいい女性が器にミルクを注いでいる姿。テーブルの上には硬くなった古いパンが置かれ、青のスカート・・・。「小路」では古い街並みの小路に女性が洗濯でもしているのでしょうか、質素な生活感の中にフェルメールが暮らしたデルフトの街の風景が素敵だったことを思いだします。そして、お金がなかったからですが、街角の屋台のようなところで食べた「スープ」の美味しかったっこと。豆と玉ねぎとベーコンがことこと煮て作られたスープにパンをつけ立ったまま食べました。あのスープはもう一度食べたいです。

フェルメールといえば『真珠の耳飾りの少女』でしょうか。窓からの光を受け、赤い唇の光沢、そして真珠の耳飾の反射光(これはハーグ・マウリッツハイス美術館蔵)も私達を虜にしますね。

17世紀オランダは「黄金時代」でした。スペインから独立したばかり。世界の海へと乗り出していったオランダはプロテスタントを国教として栄え、世界中の品々が運びこまれ豊かな国へとなっていきますが、人々の暮らしは慎み深く、堅実で労働を美徳とされてきました。そのような姿をフェルメールは描き続けたのですね。そして、絵の中に描かれている"箒"をみると、この国の人々の掃除好きで清潔感のある暮らしぶりが分かります。

フェルメールは1632年、画商で宿屋を営む家に生まれ、デルフトの町中で育ち、結婚をし、11人の子供を持ち、30代で多くの絵を描き、43歳で亡くなります。市内の新教会で洗礼を受け、旧教会に眠っています。オランダ人らしく大変几帳面な人だったようですね。何よりも暮らしを大切にした画家だと思います。そうした人柄が絵画の中から読み取れます。

私の友人のKさんご夫妻はデルフトの町から車で15分くらいの町にお住まいです。日本人のご主人にオランダ人の奥さま。もう40年来の友人です。彼女にオランダ人気質を伺うと興味深いお話が聞けます。オランダ人は家は、何といっても居心地の良さを大切にします。贅沢はせず自分達で古い住宅を買ったらドアを外し、ペンキ塗り直し、トイレやバスルームを新しくし、徹底的に快適な家に自分達でリホームします。壊したり、作ったり、ペンキをぬったりということは、たいていの人は自分でします。むしろ新築を買うより高くついてしまうのですが、歴史ある建物を大切にします。

そして、多くのオランダ人は3週間位の休暇をとりますが、ホテルなどに泊まらず車に食料をいっぱい詰めて込んでキャンプ場に宿泊する人たちも多いそうです。倹約家で、"生活を豊かに楽しむ達人"かもしれません。コーヒー好きで知られていますが、カフェでのお茶より家でゆっくり飲み、そのお金はお花にかけます。ほんとうに花好きな国民性です。ここにもフェルメールの時代から"日常の美"はかわりません。もちろん若い人たちは変化してきているのでしょが・・・。日照時間が短く、暗くて長い秋冬の日が続くので、人々は太陽や光に敏感なのでしょう。今回の展覧会でフェルメールの絵を観ながら、前回のブログ『民芸』と共通点があるように思いました。

7、8月はバカンスで町も静かになるそうです。デルフトの町は以前一度だけ行ったことがありますが、短い滞在だったのでフェルメールの世界に浸れませんでした。伺うとアムステルダムのような大都会でなければ古い街並みの中の小さなホテルの屋根裏部屋などは朝食付きで5000円くらいで泊まれるようです。いつものように"暮すように旅する"ことができそうです。

そう・・・夏休みはデルフトに行き、朝の光を思う存分味わってみたい、と思った展覧会でした。

3月31日(木)までです。3階のチケット売り場では30分ほど並びました。


六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーの公式サイト
160304museum.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『美の法門』 柳宗悦の美思想

寒さがゆるみ、春の訪れを感じる午後、打ち合わせを終えその足で渋谷駅へと向かいました。井の頭線に乗り換え2つ目の駅「駒場東大前」で下車し、住宅街をのんびり歩いて10分ほどで「日本民藝館」に着きます。歩きながらミモザや梅の花など見ながら"あ~やっと春が動きはじめたわ"とウキウキしながら道。40年近く何度も歩いた道です。

創設80周年特別展が開催されています。
3月21日までは「美の法門」
4月2日~6月12日までは「朝鮮工芸の美」
6月21日~8月21日までは「沖縄の工芸」
9月1日~11月23日までは「柳宗悦・蒐集の軌跡」
そして最後は来年1月8日~3月26日まで「柳宗悦と民藝運動の作家たち」です。

160226mingei.jpg

私にとっては夢のような1年間です。

中学時代、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるままに振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」を繰り返しよみました。

柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の推進者として知られた方です。西洋美術にも造詣が深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊にも携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民藝」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのです。

私は中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、すっかり感激してしまったのです。もちろん中学生ですから、むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、たしかなものだったように思います。

さらに年月を重ね、工芸の美から、仏教美学へと興味がわいてきました。この世を「美の国」にしたいという願いを抱き「手仕事の工芸」は「精神生活」にもつながるもの・・・と感じました。難しい宗教の話ではなく『美の法門』(岩波文庫版・新編・美の法門)を読み冒頭から「美と醜との二がないのである」で始まり、なんだか私の頭はこんがらがってしまいましたが、『美しさは何も他力的なもののみではない。いわば自力美の一道も別にあるはずである。』という言葉に深くうなずけました。

名もなき人々の生む器への深い愛情と畏敬の気持ちは、こうした仏教・仏への道なのでしょうか・・・。

本館、西館の建物は(登録有形文化財)そして、西館の石屋根長屋門の建物は柳宗悦が最後まで暮らした建物です。民藝仲間と語りあったであろうリビングのテーブル・椅子、そして蔵書の数々。西館(旧柳宗悦邸)も展覧会開催中の第2水曜・第2土曜・第3水曜・第3土曜は入場できます。2階の部屋からは梅、椿の花が美しく咲き誇っていました。

阿弥陀仏・円空仏や柳のコレクションの陶器や布など、"美の空間"に身を置くのも素敵ですね。

10代のころの自分に出会えたような時間でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 CAROL

「キャロル」を有楽町のTOHOシネマズみゆき座で観てまいりました。

私はキャロル役のケイト・ブランシェットのファンです。オーストラリア・メルボルン生まれ。「エリザベス」でイングランド女王エリザベス一世を見事に演じ、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞に輝き、大人の女を見事に演じられる演技者です。また大女優キャサリン・ヘップパーンを演じアカデミー助演女優賞を受賞するなどの実力者です。最近では「ブルージャスミン」(13年ウディ・アレン監督)で主演女優賞に輝いています。

日本経済新聞(夕刊)シネマ万華鏡には「近年まれな、しっとりとした情念をたたえた恋愛映画の秀作である。題材は女性同士の愛だが、これ見よがしの描写はいっさいなく、にもかかわらず、切迫した人間的エモーションを生々しく伝えてくる。本年屈指の一本。」と書かれていました。

舞台は1952年のニューヨーク。その時代の背景・美術、きめ細やかなセット。衣装は華やかではないのですが、シックでその時代の上流社会の大人のエレガンスを堪能できます。

原作は「太陽がいっぱい」で有名パトリシア・ハイスミス(私はこの原作者が女性であったことを知りませんでした)。ミステリー作家で今回の「キャロル」は彼女の唯一の恋愛小説だそうです。心理描写が繊細で、女性にしか書けない・・・と思わせる見事さ。脚本はすべて原作に忠実かといえばそれは違い、トッド・ヘインズ監督の繊細な計算されつくした描写は見事です。

このように書かれています。原作では(ふたりの視線が出会ったのは、ほぼ同時だった)しかし監督は、この出会いの場面で、若きテレーズにキャロルを見つめさせ、その後キャロルが彼女の視線に気づく。監督の言葉をかりれば"視線と視点"「視点の変化」が効果的に観客をこの映画を自然に導いて"心の旅"へと誘ってくれる。

クリスマスを間近に控えた高級百貨店の玩具売り場でアルバイトをするテレーズ役のルーニー・マーラー。彼女の美しさと演技力に魅了されます。二人の出会いはキャロルの忘れた手袋を届けたことから、お礼に昼食に誘われます。初めての会話なのに互いの境遇を知ります。キャロルには別居中の夫がいますが、離婚すれば娘の親権を奪われる可能性があります。ただ飾り物のように振舞うことだけを求められているような上流階級の妻の座。テレーズには結婚を求める恋人がいますが、なにか人生の方向が見出せません。

"心に正直に生きるための旅に出るふたり"

画面展開が素晴らしいのです。
映画ですから詳しくは書きませんね。

ただ、レスビアン・・・とかたずけられない人間のガラス細工のような繊細でもろくで、しかし"真実"に向かう姿勢には感動をおぼえます。

舞台となった1950年代はまだ世の中には偏見があり受け入れられなかった愛。

ちなみに原作者のパトリシア・ハイスミスもレスビアンだったとか。それにしても主演女優の二人の素晴らしい演技。人間が自然に恋におちてお互いを必要とした世界が見事に表現されていて、女性の心理をよく理解している監督が見事です。

ケイト・ブランシェットのファンの私には贅沢な映画でした。

仕事で東京に出かける時は、時間を作って映画館や美術館に足を向けます。ほんとうは舞台もコンサート、落語にももっと行きたいのですが、限られた時間の場合はこの二つが至福の時間に変わります。

今を大事に丁寧に生きたい・・・と切に思うようになりました。
やりたいと思ったら、いつかと先送りせず、即、行動する・・・それが、この頃の私です。

映画公式HP
160219movie.jpg
<画像出典・公式HPより>

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

愛しき人生のつくりかた

映画「愛しき人生のつくりかた」
なんて優しくて、ウイットにとんだ映画なのでしょうか。
これぞフレンチ・コメディーですね。

パリで暮らす、ごく普通の家族、そして普通の暮らしのなかでの人間模様。

クリスマスを目前に最愛の夫に先立たれ、冒頭は葬儀のシーンから。モンマルトル墓地。この墓地には、小説家スタンダールや画家のドガ、多くの有名人が眠っています。そして、映画作家フランソワ・トリュフォーも眠っています。監督は「普通の人々の日常が私を魅了するのです」と語るジャン・ポール・ルーヴ(監督・脚本・(ホテルの主人役)主人公の祖母を演じるのは(マドレーヌ役)アニーコルディー。1928年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ベルギー国王よりパロネス(女性版「男爵」)の称号を贈られています。

彼女は、ある日突然、姿を消してしまいます。親友のように仲の良い孫をマチュースピノジ(ロマン役)が演じています。彼はこう語っています。脚本のどこに惹かれましたか?

「普遍的なテーマの数々に感動しました。生、死、時間の流れの速さ、生命の危機、世代を超えた関係が描かれ、考察されています。それらは僕自身のことと響きあっています。台詞は軽快で可笑しくて、原作よりコミカルです。」と。

そのロマンの両親、退職したことを受け入れられず、自覚できない父。多くの女性が自己投影できるユーモアと感受性豊かな現代女性の母。夫婦の溝。そして再会。

フランス語の分からない私にはそのユーモアのニュアンスが分からず残念ですが、原題は「思い出」「記憶」「かたみ」」などとなっています。人生の哀しさや、理不尽さを主人公のマドレーヌは自分の望みを妨害されることには我慢ができなくなって自由を選び、少女時代の思い出の場所に旅に出ます。年をとったからといって、生きることをあきらめなければならないことはありません。フランス式の「家族の絆」とは日本とは少し違いますね。マドレーヌには3人の息子がいますが、息子たちは老婆(といっていいのかいら・・・)引き取ろうとはしませんし、彼女もそれを望みません。

この潔い生き方に共感できます。

振り返ると、私は人生の節目のときに、よくパリを歩きました。美しい街並み、美術館の数々。マルシェをのぞき食材を買い「暮らすように旅する」ことが最高の贅沢な時間です。そして、思うのです。日本人の慎ましさ、思いやりといった美徳だけでは通じない、個人主義の厳しさ。街ゆくひとがかもし出すぴりっとした雰囲気・・・。適度な緊張感。

この映画はまさにそうした家族のありよう、自分自身の生き方、家族の喪失を乗り越え、新たにつながる絆の予感を感じます。さわやかで温かさのこもる映画。孫が愛する祖母を捜しにノルマンディーへと向かいます。その美しい海辺の町、「エトルタ」その美しい風景に魅せられ画家モネ、クールベらが作品に残しています。

渋谷の文化村の"ル・シネマ"の午後の回で観て、そのままエレベータで地下に降り、吹き抜けになったテラスで白ワインを一杯飲み山に戻ってきました。

孤独って素敵なことですね。

映画の公式HP
160205movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

【イングリッシュ・ガーデン】 英国に集う花々

パナソニック汐留ミュージアムで素晴らしい【ボタニカル・アート】の花々が観られます。

私が「007は2度死ぬ」の撮影でロンドンに滞在していた間、郊外にあるキュー植物園には何度となくも足をはこびました。世界中から集められた植物を広大な敷地内を散歩しながら、また温室の中でもみることができます。225年という歳月をかけ造園された歴史ある空間に身を置くとイギリス人の植物に対する想いが肌で感じることができます。

今回、汐留ミュージアムではキューの美術コレクションの中から"ボタニカル・アート"(植物画)が多く出品されて、その歴史を知るチャンスですし、室内調度や服飾品、日常生活に使うタイルや陶器、植物をモチーフにしたドレスなど身近に感じられとても素敵です。

キュー王立植物園は2003年にユネスコ世界遺産にもされました。

イギリス郊外などを旅すると、小さな家や邸宅など、どの家々も良く手入れされ花が咲き誇り、その美しさに見惚れます。

゙自然の美゙の庭園、庭作りはイギリス人にとって植物への夢と憧れるなのでしょうね。私たち日本人にも共通する点があります。

会場では、アネモネ、チューリップ、ザクロ、ケシ、マーガレット、ダリアなど美しい花々が咲き誇っています。またデザインが素敵です。いつの時代にも植物、花々は心を癒してくれます。

植物の世界を理解するには非常に素晴らしい展覧会でした。新橋駅からも歩いてすぐです。ほんのひととき、花々に囲まれ心を癒してみてはいかがでしょうか。

160129garden.jpg

パナソニックミュージアムの公式HP

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

田中一村 記念美術館

鹿児島で仕事があり終了後、一日休みをとり奄美大島の「田中一村美術館」へ行ってきました。鹿児島空港から約1時間で奄美へ到着。車で7,8分の奄美パークの一角に美術館はあります。

160122isson1.jpg

2001年にオープンしてから今回は4度目です。田中一村のことを知ったのはNHKの「日曜美術館」でした。その時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。「これって日本画?」従来の日曜美術館で観る絵画とはまったく異なり、その画像からうけるあまりにも異端といってもよい画風に衝撃を受け、また感動を覚えました。『実物が観たい』そんな思いをかなえてくれたのが巡回展でした。昭和60年だったと記憶しております。福岡の岩田屋に日帰りで観に行きました。目の前にテレビで見た作品の数々。テレビで見たときとはまた違う静謐で亜熱帯の植物を描きながら、そこには一村の生き方、奄美での暮らしはストイックといってもいいほどの生活なのに、絵の中には人物は描かれていないのに人々の温もりが感じられる作風。ただただ涙がこぼれるほどの感動を昨日のことのように思い出します。

160122isson3.jpg

一村の過ごした奄美での19年の歳月。50歳という年を迎えての奄美行き。"なぜなのだろう"という疑問。奄美の地に深く身をまかせ、ガジュマロの大木、ビロウ樹、鳥や魚、亜熱帯の植生のもつエネルギー。日本画ではあるのにどこかモダン。すべてが驚きと感動の展覧会でした。

これほどの才能の持主がなぜ存命中に世に認められなかったことが不思議でなりませんでした。それからです、「田中一村」の追いかけを始める旅がはじまったのです。本、新聞、映画、売るための絵を描くことなく、誰ひとり看とることなく台所で食事の支度中に倒れその69歳の生涯を終えたのです。生計を立てるため大島紬の染色工として働き、朝、夕と散歩をしその自然を観察し、魚屋さんのご夫婦に鮮度の良い美しい色をした魚を描かせてもらったり・・・そこに一村の純粋で妥協を許さない厳しさ、自然を知り尽くした画家の目を感じることができます。

前回の奄美では終の棲家、倒れた家や一村が歩いたであろうと思われる山にかこまれた熱帯林の道。そこには「南国の明るさ」はなくむしろ静謐な空気を感じ、ただただ一村の存在を感じたくての旅でした。

1908年7月22日栃木生まれ1977年9月11日没。
千葉に暮らし、若きころからその才能はすでに確立されていたように思います。恵まれた家庭環境にはなく、若き日「米邨(べいそん)となのっていた時代」の襖絵を今回見ることができました。南画を描いた時代、東京美術学校(現・東京芸術大学)の同期には東山魁夷、橋本明治などがいました。でも中央画壇からはなれ南の島奄美へ。それはなぜ・・・

かつて読売新聞に「果たせぬ望みへの静かな諦めと一種の悟り」と書かれていました。

水辺の上に立つ美術館。
ひとり静かに思う存分独りじめできた一村の絵との出会い。
エネルギーがわいてきました。
奄美の湿気を含んだ風に見送られ帰路につきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8) | トラックバック (0)

松の内

雪一日 日和一日も松の内   原 石鼎

と申しますが、皆さまは新年をどのようにお迎えになられましたか。

お正月らしい晴れやかな空気は昨日まで(関東では)。我が家では昨日(7日)、玄関のお飾りをはずし2016年仕事はじめです。と、申しましても私は12日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」の収録が仕事始めですが、その前にゲストにお招きする方の本をお正月から読み始めております。

それにしても、暖かなお正月でしたね。

元旦、御節で新年を祝い、私のお正月は「箱根駅伝」で始まります。本格的に箱根に戻り、この十年は2日、3日は私にとっての大事な駅伝応援です。私の住む箱根町は駅伝のゴール・スタート地点です。2日は選手が元箱根に着くまでは、ラジオ、テレビでの観戦。そして、新春の陽光にてらされアンカーがゴールにさしかかる前に家を出て選手をむかえます。

160108newyear1.jpg

昨年、「山の神」としてその名をとどろかせた青山学院の神野大地選手が、あの険しい箱根の山を美しい走りで目の前を駆け抜けてゴール。おめでとう!と思わず声にだしてしまいました。故障に苦しんだ1年、そして重圧。その重圧をはねのけての堂々とした5区のゴールでした。

箱根湯本駅から本格的な坂が始まります。標高差は約860mに及びます。選手一人ひとりにドラマがあります。たった5秒差で襷を渡せなかった神奈川大学の選手はさぞ悔しかったでしょう。沿道にはたくさんの応援する人々、富士山もその走りを応援するような美しさで迎えます。往路は青学の圧勝でした。10位までのシード権争いでは、順大、日体大、帝京大がトップ10に返り咲きました。

160108newyear2.jpg

3日早朝、まだ月、星が見える6時過ぎにはスタート地点に行きました。私は8時スタートまでのこの時間が至福のひと時です。昨年は-5度の寒さでしたが、今年はそれほどの寒さもなく、周辺を歩きました。テレビクルーやラジオクルー、そして各新聞社のカメラマンの方々などがスタートに向けて様々な取材や準備をしています。こうしたことが、画面や紙面、そしてラジオ生中継にいかされるのです。前日の走者が周辺に集まることもあります。私のもっとも好きなところは応援する人たちです。最後の走者が終わるまで大きな声で応援し続けます。

2016年「第92回東京箱根間往復大学駅伝」は往復217.1キロ、
青山学院大が往路に続いて完全優勝で連覇を達成しました。

なぜここまでこられたのか・なぜあれほどまでに"のびのび"と選手が走れるのでしょうか。それはやはり原監督の哲学にあるのでしょうか。原監督はたえず「陸上界を変えたい」とおっしゃっています。監督は奥さんとともに選手寮に住み寝食を共にしています。奥さんは選手達の母親代わり。ビジネスの世界に長く身を置いた監督は陸上界のあしき因習にとらわれることなく、専門トレーナを招き、独自のトレーニングを続けてきたといいます。何よりも、その信頼関係は選手にとってどんなにきつく辛い練習も笑顔に変えられるだけの環境が整っているのでしょう。

「箱根駅伝」は優勝したチームだけではなく、挫折や栄光、さまざまな経験をする若者達選手に私達は眩しいような"何か"を与えてくれます。選手たちはもう来年に向けて始まっているのでしょうね。4年生は人生の新たなスタート地点に立ちましたね。ありがとう!選手の皆さん!

160108newyear3.jpg

そして、4日は夜明けとともに箱根神社に参拝します。
"どうぞ2016年が世界平和でありますように"と、祈願いたしました。

160108newyear4.jpg

5日は恒例の上野「鈴本演芸場・新春爆笑特別興行」で初笑い。落語、漫才、曲独楽、に講談、ものまね、お正月ならではの寿獅子、林家正楽師匠の紙きりでは、お客様からの要望で「箱根駅伝」「猿と門松」など。粋な三味線は小菊さん。そして、落語家の贅沢なこと。柳家権太郎・喬太郎師匠。そして・・・追っかけを自認する柳家小三治師匠に、トリは弟子の柳家三三師匠。並んだかいがありました。

幸せ・幸せ。
さ~あ、今年も"がんばろう"というルンルン気分で山に戻ってまいりました。

160108newyear5.jpg

松の内最後の朝は「七草粥」をいただきました。

春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)若葉をそろえ、包丁でトントントン。豊作や無病息災、長寿を祈ります。

皆さま健康にご留意され今年も佳き年にいたしましょう。


まどろめるわれを見守り福寿草   河部みどり女

160108newyear7.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新年のご挨拶

浜年賀状2016.jpg

新年おめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
今年も佳き年でありますよう 心よりお祈り申し上げます。

70代となりまた一つ歳を重ね、より自然に等身大の自分に向き合えていることに気が付きました。

年齢を重ねるのもよいものだと日々しみじみ感じます。

今の私だからこそできるチャレンジを忘れず、今年も新しいステージに向かって歩んでいきたいと思います。

春風が吹くころ、本が一冊、船出する予定です。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

今年を振り返って

2015年クリスマス

行きずりに聖樹の星を裏返す    三好潤子

「クリスマスツリー」だと音数が多すぎるので、俳句では「聖樹・せいじゅ」と詠まれることが多いそうです。「聖樹」私は山の中に住んでいるのでこの方がしっくりきます。箱根の芦ノ湖のそばに居を定めて40年近くの月日がたちます。子供が幼かったころは小雪舞うなかで雪遊びをしたり・・・、和ろうそくに灯りをともしクリスマスケーキを食べたり・・・懐かしい思い出です。今朝など垣根に植えられた山茶花が真っ赤な花をつけています。クリスマスがなぜ冬なのか、冬至の祭りと深い関係がある、と本で読んだことがあります。

春の訪れを待ちながら、静かにこの2015年を振り返ります。

私はクリスチャンではありませんが、24日のイブの日は築地の聖路加病院の中にある教会で静かに今年を振り返ります。近くに事務所があったから散歩コースでよく行きました。今年も早朝山を降り教会でひとり静かに過ごしました。

151225christmas.jpg

2015年は自然災害や豪雨による多くの方が被災され尊い命も奪われました。世界に目を向ければ無差別なテロで犠牲になられた方々がおられます。

天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられました。

今年の四月、天皇皇后両陛下が、元日本の植民地で太平洋戦争の激戦地だったパラオ共和国を訪問し、元日本兵や遺族の見守る中、日本の慰霊碑だけではなく、アメリカ軍の慰霊碑にも献花されました。そのときの「ここパラオの地において、私どもは、先の戦争でなくなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」というお言葉を聞き、父のことを思いだしました。

私の父は無事、復員することができましたが、しばらくの間、立ち直ることができませんでした。そして亡くなるまでの間ずっと、戦争のことはひとことも口にしませんでした。戦争が終わって帰ってきた兵の中に、過去の辛い経験を生々しく思い出して不安や恐怖、睡眠障害といった精神的ストレスPTSD(心的外傷)を抱えている人が多くいることも知られるようになりました。父もまた、そうした状況にあったのかもしれないと、今になって思います。晩年は穏やかに暮らし83歳で亡くなりました。

皇居・宮殿での記者会見で天皇陛下は「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と仰られておられます。

戦後70年の節目を迎えたこの1年。

世界の平和を祈ります。

イブの日は息子のお嫁さんが作ってくれたクリスマスケーキ(聖菓・せいか)を家族でいただきました。

IMG_0678.jpg

今年も私の思いを綴ったブログをお読みいただき感謝申し上げます。

良い新年をお迎えくださいませ。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

映画 『アンジェリカの微笑み』

今年106歳でとうとう亡くなったマノエル・ド・オリヴィイラ監督の長編映画です。舞台は監督の故郷ポルトガル。監督が101歳のときの幻の傑作です。構想から60年のときを経て、いま私達の前に現れました。

ポルトガル、ドロウ河流域の町を舞台に、ユダヤ人青年イザクが、若くして死んだ女性アンジェリカの遺体の写真撮影を頼まれたことから、彼女の虜になってしまう物語。彼女の美しさに魅入られ、思いを募らせる彼に応えるかのように幻影が現れます。半世紀以上を経て、この脚本を監督自身が現代の物語に書き直し、映画化したものです。

100歳を超えてもこの瑞々しい感性はどこからくるのでしょうか。ドロウ河の印象的な風景、モノクロームの幻想シーン。主演のイザクを演じているのは監督の孫。アンジェリカはスペインの人気女優ピラール・ロベス・デ・アジャラ。

ふたりが抱き合って川の上を飛ぶモノクロームのシーン。夜が来て、明け方近く、イザクがベッドで寝ていると小鳥が迷い込んみ、飛び去るのと入れ違いに彼女が天井近くに現れる。差し伸べてもつかめない彼。そこから一気にストリーは展開していきます。  宗教、生と死、愛、政治的な背景。私はポルトガルのユダヤ人について何ひとつしりませんでした。ひとつ間違えば怪異になるテーマをオリヴィラ監督は見る者を映画的な、映像のもつ至福のときへと誘ってくれます。

この映画の感想はなかなか表現が難しいです。

ただ、生きている幸せを感じさせてくれたこと。平和について。愛について。社会を取り巻く様々な側面をもっと知らなければ・・・と気づかせてくれたこと。イメージの美しさに魅力を感じ、早々と箱根の我が家に戻ってきました。黄昏の山の稜線を眺めて106歳で亡くなったマノエル・ド・オリヴィラ監督は私達にどんなメッセージを託してくださったのでしょうか・・・。
やはり、映画は好きです。人生の一部です。

http://www.crest-inter.co.jp/angelica/

151211movie.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

盛岡への旅

先日、北日本銀行様のお招きで盛岡に行ってまいりました。

151120morioka1.jpg

『きたぎんレディースサークル連絡協議会』の主催でした。
ホテルの会場には220名ちかい女性の方々が出迎えてくださいました。
やはり、"女性同士"始めてお目にかかる気がせず和やかな雰囲気の中での講演会でした。テーマは「明日を素敵に生きるには」です。

今日11月20日は私の72歳の誕生日です。
しみじみ思うのですが、「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになること」を考えるほうが、前を向く行動になるように思います。そう、今日(こんにち)の私の足元を照らし、導いてくださった先輩たち。そんな"人との出逢いが宝もの"としみじみ思います。そんな出逢いのお話をさせていただきました。

子育て時代には「早く家に帰らなくては」と慌しい思いもすることもありましたが、4人の子どもたちが、みな社会に巣立った今は、旅の仕方も少し変わってきました。

これまでのように早く移動して・・・・・ではなく、それぞれの土地が持つ味わいを楽しみたいという気持ちが強くなってきたとも感じられます。

仕事で出かけるときにも、時間がゆるせば前日にその土地に入り、町や村を歩いたり、名所旧跡を訪ねたり、市場に寄ってみたり。夜には地元の居酒屋にふらりと立ち寄ったりすることも増えてきました。

151120morioka2.jpg

今回は盛岡。
まず最初にすることは巡回バスに乗って一巡り。
盛岡は何度もお邪魔しているのですが、農村部が多く街中は数回です。盛岡都心巡回バス「でんでんむし号」は駅前から右回り、左回りと、15分間隔で出ています。1乗車100円、1日フリーは300円。お勧めです。行きたい場所はだいたいどこもバス停があります。

151120morioka3.jpg

そして歩いて楽しむ街・盛岡。

街の中をサラサラと流れる中津川。このほとりや城址の公園がお気に入りの散歩コースだった宮沢賢治。「モリーオ市」と呼んだ、夢の中の盛岡。花巻市に生まれた宮沢賢治は、多感な青春の日々を過ごした盛岡を『ポラーノノ広場』で(うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎら光る草の波)と描いた夢の中の盛岡。花巻に戻ってからも、賢治は青春の地、盛岡をたびたび訪れたそうです。

この街で恋にめざめ、文学に夢を馳せた石川啄木。
新婚生活を過ごした家も(でんでんむし)バス亭からすぐです。

151120morioka5.jpg

中津川をはさんで左岸は、城下町の商人街として栄えた街。周辺の「赤レンガ」の建物は重要文化財です。ザルやカゴ、箒にタワシなどの生活雑貨の店は入り口に箒がきちんと並べられています。江戸時代後期の建物が懐かしく温かみがあります。私は亀の子タワシを買いました。

盛岡名物南部せんべい(私はゴマせんべいが大好き!)、岩手を代表する伝統工芸品・南部鉄器のお店、ムラサキの根を染料につかう「紫根染」の伝統技法でつくられた染物のお店・・・など。

151120morioka6.jpg

ちょっとお腹がすいたので「盛岡冷麺」もいいのですが、せっかく新そばの時期(わんこそば)が有名なお店ですが、さすがに私には無理なのでザルそばと出汁卵焼き、アナゴのそば巻き。ほんとうは、ちょっと"冷酒"といきたいところでしたが、がまんしました。そして、中津川沿いには素敵な小さなギャラリーがいくつもあります。産地から直接仕入れている紅茶専門店でほっとひと休み。

橋を渡って右岸へと。

151120morioka7.jpg

とても行きたかったお店「光原社」
柳宗悦が提唱した「民藝」。柳と交流を深めた故・及川四郎氏創業の「光原社」。本店同様姉妹店でも『北の光原社』には、織物、陶磁器、漆器、鉄器など全国各地の逸品がそろっています。外国の民芸品もあるのでモダンな雰囲気がします。

陽も落ちかけた夕暮れ、北ホテルの近くの"ナイショ"にしておきたい小さな・小さな喫茶店「KARUTA]で、1杯目はオリジナルブレンド、2杯目は深入りのコーヒーをいただき「でんでんむし」に乗って駅近くのホテルに戻りました。

古都盛岡の情緒が残る町歩き、小春日和の一日でした。

旅は賜る(たまわる)もの。
人に出会い人から恩をいただく・・・遠くにいかなくても、驚きや発見、新たな喜びや感動を覚えることこそが私にとっての旅であり、人生の果実を味わうひとときではないかと今、感じています。

『きたぎんレディースサークル』でお逢いした方々、ありがとうございました。

そして盛岡の街なかで出会った皆さま、素敵な宝をたくさんいただきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

秋の京都

この季節は「秋思・しゅうし」とよぶとか。

実りの秋、収穫の秋。花は実となり枯れ葉となりどこか寂しい思いがいたしますが、心が幸せで満たされるような展覧会に行ってまいりました。

『石井麻子のニットアート展』です。

151106kyoto.jpg

石井麻子さんには過去に何度か我が家の箱根やまぼうしで、展覧会をしていただき、そのたびに心惹かれる天使たちが舞い降りてきます。着るとラブリーな気持ちにさせてくださるセーターやベスト。私のクローゼットでは石井さんの天使たちが仲良く一年中微笑んでくれています。

今回の京都文化博物館でのニットアート展では2003年から製作をはじめたニットタペストリー27枚が展示されました。パリからスタートし「京都姉妹都市シリーズ」は9都市。春夏秋冬プラハ、グアダラハラ、韓国、キエフ、フィレンツエ、西安、ボストン、ケルン、京都など。

そして我が家のやまぼうしのために製作してくださった「箱根・HAKONE」。深い青の色が湖や空、そして寄木細工の文様。素敵です。宇(そら)で遊ぶ天使たち、天使の森深く迷いこんだような感覚にとらわれる素晴らしい手仕事。心がほっとして思わず微笑んでいる私。

世界の平和を祈り、そして古都の、歴史、文化、自然に学びながら、「畏敬の念」を持って製作に立ち向かうことは至福という言葉以外ありません。とおっしゃる石井さん。行く秋を足の赴くままに旅をさせていただきました。

151106kyoto2.jpg

そして、翌日は早朝京都御苑の周りを散策し、向かった先は今回の旅の楽しみのひとつであった千年の都に伝わる秘法を紹介する、秋の「京都非公開文化特別公開」のひとつ、来年生誕300年を迎える江戸中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう・1716~1800)の天井画が初公開されているのです。

10月30日~11月8日
江戸中期の奇才と呼ばれた若冲。謎の絵師です。

今回初公開された、浄土宗信行寺の天井絵「花卉図」。本堂の一画に、格子状に区切った167面は一枚が38㌢の角の板で、中央を円形の画面として植物が描かれています。

朝一番で行ったのですが、すでに1時間待ちの行列。頭上に花々が降り注ぐように描かれています。アヤメ、ボタン、ユリ、シュウカイドウ、ヒマワリ、キク、ナンテン・・・若冲らしいこだわりもうかがえます。ボタンは正面から描かず、後ろ姿。アヤメは茎をくるりと丸めて下をむいているのです。本堂で檀家のひとたちが祈る場所にはそのような構図がふさわしいのでしょうね。

それにしても・・・あの「若冲」の本来の作品とはかなり違います。最晩年のこの作品がもしかしたら、もっとも「若冲」の本質的な絵なのかもしれません。信行寺はこれまで、劣化を防ぐために公開せずにきたそうです。美術を学ぶ人たちから『拝観のチャンスを』との願いを受け一度だけの公開となりました。

本堂の一画にすべて異なる植物を外国人も京都の人も、私のような観光客も、若冲のその晩年の絵に魅せられました。

151106kyoto3.jpg

その足で錦小路の市場へと向かいました。
若冲は高倉錦小路の青物問屋の長男に生まれますが、15歳ごろから絵を学び弟に家業は任せ、絵に専念し動植物を描き続け、その手法はだれも真似のできない様々なアイデアで描いていきます。

私は今回の天井画を観て初めて「若冲の心」の入り口にたてたような気がしました。
謎の人物でもなく、奇抜でもなく「人間若冲」をかいま見ることができました。

紅葉にはもう少し・・・冬が間近まできている気配はありますが、心はぽかぽか・・・丹波の栗きんとんとお抹茶をいただき京都を後にしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

落葉美術館

長野から、しなの鉄道に乗り、りんごの実る木々の合間をぬってワンマンカーはひたすら黒姫に向けて走ります。

151030ochiba1.jpg

何度も何度も通った道。

このたび黒姫に住む友人ご夫妻から10年間閉館していた「落葉美術館」が今回を最後に1年に1日だけではなく、1週間開館するので「見にいらっしゃらない?」とお誘いを受け黒姫に行ってまいりました。毎秋、11月3日に一日だけのオープン。なかなかタイミングがなく今まで残念な思いをしてきました。今回は10日28日(水)~11月3日(火)・午前10時30分から午後4時まで。(入場無料)

私は初日の28日に行ってきました。
黒姫駅には友人が出迎えてくださり車で7、8分の「落葉美術館」へと。

151030ochiba2.jpg

紅葉は見事で山の上から裾野に降りてきています。雑木林の入り口から平山英三・平山和子ご夫妻のアトリエへと向かいます。サクサクサク・・・と落ち葉を踏みしめ歩きます。手入れのゆきとどいた庭と建物。入り口を入り磨かれたガラス窓の向こうには紅葉した樹々。土間と画室が展示室になっています。水彩絵の具を使って原寸で描かれている落ち葉の絵。落ち葉の表情は繊細で、その姿が忠実に描かれています。

友人ご夫妻は車を運転し、よく平山ご夫妻と落ち葉拾いをなさったそうです。ご自宅に帰られて色の変わらないうちに奥さまが克明に落ち葉のすがたを忠実に描きしるす・・・。葉の大きさによって描ききれない時は、きれいに包んで冷蔵庫で採ったときの印象を保存されるそうです。

美しい落ち葉に出逢った喜びが絵から伝わってきます。やまぶどう、こぶし、いたやかえで、くり、メイプル、おおばやなぎ、いたやかえで、はりぎり、ほおのき、やまぼうし、はうちはかえで、もみじ、さわぐるみ、おおばかめのき・・・など等。落ち葉の表情が繊細で、こんなに豊かな表情をしているとは驚きです。色が鮮やかさを保つために画室はなるべく暖房をしないようにするとか。落ち葉の季節は零下の日もありストーブはかかせません。落ち葉のしめりけにも気をくばられるのでしょうね。

東京から移り住んで30年あまり。お目にかかったことはありませんが、黒姫の落ち葉に魅せられて描き続けていらっしゃる和子さんのお姿を想像いたします。

敷地の雑木林には沢が流れています。黒姫の雪解け水なのでしょうか。
私も落ち葉のシャワーを浴びながら、こんなに美しい落ち葉があることに感動いたしました。落ち葉は秋だけではなく冬や春、夏の林にも出逢えるそうですね。

箱根の紅葉も美しいのですが、黒姫の雑木林は、また趣があります。
まもなく黒姫も雪におおわれます。

展示室の壁にこんな言葉が書かれていました。

 自然がつくりだした一枚一枚の落ち葉の意匠は美しく不思議で
 林のなかは、つきることのない美術館です。
 私どもは黒姫で出会った美しい落葉のすがたを描きしるして、
 住まいの一隅に落葉美術館としてまとめております。
 小さな美術館ではございますが、林のなかの、ほんとうの落葉の
 美術館の分館のひとつともなればと思っております。

                          平山英三
                          平山和子

やがて消えていく落ち葉に、70代になり自然への敬慕がつのります。

そして長野から途中下車し、上田の玉村豊男、抄恵子さんご夫妻の「ヴィラデスト・ガーデンファーム」にお邪魔して秋の花が美しく咲くお庭を散策し、コーヒーをいただき、晩秋の山の風が心地よい夕暮れ帰路につきました。

151030ochiba3.jpg

80代になられた平山ご夫妻。
もう、落ち葉の絵を観ることはできませんが、どうぞお元気でこれからも黒姫の落ち葉を描きつづけてください。そして、生きていることの幸せを与えてくださったことに深く感謝申し上げます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

輝く農山漁村の女性たち

輝く農山漁村の女性たち
~こだわりの地域特産品はこうして生まれる~

というテーマで、山口県からお招きを頂きうかがってまいりました。

第1部は"農の風景~輝く農山漁村女性たちへのエール~"と題して私がお話をさせていただきました。

第2部は現場で活躍している女性たちとのトークセッション"こだわりの地域特産品はこうして生まれる!" こんなお話を私はさせていただき、また活躍している地元のジャム屋さんをご紹介させていただきました。

151023yamaguchi.jpg

山口県は、豊かな自然環境に恵まれ様々な地域資源が溢れています。ある意味恵まれすぎているかもしれません。山の幸、海の幸、温暖な自然環境。暮らしの中で培った知恵や技、そして地域資源を活かした特産品づくりを進めています。

私はこれまで40年近く農村漁村にお邪魔し女性たちと語りあってきました。歩いていると、農業の半分は女性が支えているのに、「自分の銀行口座」もなく、家族に遠慮して暮らしている・・・と思えることもありました。"もっと光をあててほしい!"と「食アメニティー」を立ち上げ、国にも協力していただき、農山漁村の伝統食など「食」によって経済的自立をはかろうとする女性たちを応援してまいりました。

確かに日本の農業・漁業は高齢化、担い手不足という側面もあります。TPPでの合意で、はたして日本の環境に即した生産ができるのか、安い生産物が輸入されて、確かに消費者としては嬉しいのですが、「食料」は工業品ではありません。海外からの輸入がストップした場合、担い手はすぐにはできません。広大な敷地を持つアメリカやオーストラリアとは違います。そして、世界中たとえばフランスもイタリアも「農業国」です。大型化してできる限界も日本の場合いはあります。何よりも、この美しい日本の景観は何で生まれているのでしょうか。外国からの観光客は何に魅力を感じて旅をしてくれるのでしょうか。そんなことを思いながらの40年でした。

『これからは、生産だけで食べていけない時代がくる!』と思い農村女性たちとヨーロッパへ"グリーンツーリズム"の勉強に13年通い学んできました。いまではあたり前のような「農家民泊・農家レストラン」。そこに女性の活躍の場があります。

女性たちには底力があります。「命を育む」という意味がよくわかります。今回のテーマである「六次産業化」は生産、加工、販売すべて完結いたします。地域に根ざしたやり方で、勢いを失いつつある・・・と言われた時代から、新たな「農業のあり方」を考えはじめ行動に起こしています。

食を取り巻く状況は確実に変化しています。ファーマーズマーケットでの食堂経営など、六次産業化は日本全国で大きなうねりになってきました。大量に生産し、市場に流す、一過性のイベントに頼るのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。

地域の食材を生かした加工品や料理を生み出すことで、地域内に人と人のつながりが生まれ雇用や起業を促進するレストランやカフェが生まれます。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

151023yamaguchi2.jpg

ご紹介した地元、山口県周防大島のジャム屋さんです。
この周防大島は民俗学者、宮本常一のふるさと。私も何度か資料館にはお邪魔しております。

最初にこのジャム屋さんを知ったのは、地元の方からではなく東京でした。「知っている?山口の島で作っているジャム、フレッシュですご~く美味しいのよ」という話でした。私は毎朝、ヨーグルトにジャムは欠かせません。気になってある時訪ねました。

正直言ってジャムは日本全国のどの農村でもよく作られています。果実を栽培する地域では、誰もが真っ先に思いつくのがジャムです。イチゴの産地、りんごの産地、桃、梨、ぶどう・・・果実の産地に行けば必ずジャムを作っています。

「周防大島のジャム」はどこが違い、都会の人も興味をおぼえるのか。
松嶋匡史さんと奥さんの智明さん。ご主人は京都出身の元サラリーマン。奥さんの故郷での開業は新鮮な果物が入手しやすいということで始めたそうです。新婚旅行でパリに行き、たまたまジャム専門店に入ったとき、作り方、売り方が違っていたそうです。

高齢化率日本一の島に現れたジャム屋さん。ここまでくるのは大変なご苦労があったと拝察いたします。ジャムの主原料は、島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れること。契約農家は52軒にのぼり、かつては加工用ミカンでは1キロ、10円ほどしかならなかったのが、ジャムづくりに適した果実を栽培してもらい、キロ100円で買いとるとのこと。お店で試食もできます。パンにつけて食べる焼きジャム。季節の新鮮なジャム。年間120種類。生産量は10万個。店頭で半分売り、ネット販売が2割、卸やパン店への販売が3割。広島のパン屋さんとのコラボ。パテシエの雇用。

「こだわったジャムにはブランド価値がある。お客さんもこだわりのもの作りに価値を感じて買ってくださる」とおっしゃいます。均一化され、どこにでもある物ではなく「つくり手も買い手も喜ぶ」大切なことだと思います。

トークセッションでは、それぞれのゲストの方の事例発表を伺い、地域に根ざしたすばらしい活動をなさっておられました。それを地域の豊かさにどう繋げていくのか・・・大変興味があります。

六次産業化については国が支援し、各自治体で積極的に推進されています。現実的にはまだまだです。販売先の開拓、メニュー開発など六次産業化には問題が山積しています。やはり「無理のない等身大」のところから進み、ひたむきに、愛情をもって、そして消費者のニーズをしっかりリサーチする経営努力も大切でしょう。

ご一緒した方々は何よりも、ご自分の暮らす故郷を愛しておられます。

山口にはまだまだ眠っている宝が山のようにあると感じました。

『輝く農山漁村の女性たち』に参加させていただき、会場の皆さまとご一緒に日本の未来・山口の未来について考えました。次回伺うときには「新たな宝」を教えてくださいね。

皆さま、貴重なときをありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

片岡鶴太郎 四季彩花

片岡鶴太郎さんの展覧会がパナソニックの空間演出ソリューション特別展が汐留ミュージアムで開催されています。
先日拝見しに行ってまいりました。

画業20周年を迎えられた鶴太郎さんは、絵画だけではなく陶器、ガラス器、染色・・・とそれぞれの分野で制作を続けておられます。今回の展覧会は、美しい日本の四季への思いが込められた作品の数々。そして、今回は初めての試み、最先端のテクノロジーによって4Kを含む各種映像・照明、その空間演出は今までの個展とは異なり、新たな世界が広がる素晴らしい展覧会でした。

鶴太郎さんは高校卒業後、片岡鶴八に弟子入り。3年後、東宝名人会、浅草演芸場に出演し。その後、バラエティー番組を足掛かりに大衆の人気者になり、現在は幅広いキャラクターを演じられ役者としても活躍中です。

あれは、7年前のことでした。我が家で対談をさせて頂いたのが始めての出会いでした。なぜか、とても気になる存在でした。展覧会で作品を拝見して、「どういう心の移り変わりがあったのかしら・どのようにしてこの世界にお入りになったのかしら」など等。

『40歳で始めて絵を発表したものですから、40歳というのは、僕にとって人生の区切りであり、新たな始まりでした。恵まれた芸能生活もある時、40歳の手前で、同時に全部無くなり、引き潮の中でポツンと取り残されたような、何ともいえない、無常観がたまらなく悲しかった。これからの人生、何を頼りに、何を求めて生きていったらいいのか・・・人生の中にポツンと置かれた孤独感と焦り、そんな時2月の寒い朝、ロケで家を出る時に、何か視線を感じ振り返ると、お隣の庭に朱赤の椿が咲いていたのです。"花という命"と始めて語り合えた・・・「この花を描ける人になりたい」そう思ったのがきっかけです』と。

不思議なご縁を感じました。

私も40歳の時に演じるという女優業を卒業いたしました。
そして、人生のギアーテェンジをいたしました。17歳で始めて出会った古信楽"蹲"には寒椿を生けます。

鶴太郎さんと偶然新幹線の中でお会いし、おしゃべりをしていたら共通の画家が好きで、思わず私は鶴太郎さんに「我が家のスペースで展覧会をしてください。生活空間の中で鶴太郎さんの絵を拝見したいのです」と、申し上げておりました。描く絵は野に咲く花であったり、野菜や魚、そこには私は専門的なことは分かりませんが、細密画ではなく、深いところを見ていながら、どこかで思い切って省く・・・そこに見る側を優しさで包み込むようなそんな絵。

それから我が家"やまぼうし"の空間で5回の展覧会をさせていただきました。

2015年3月、書の芥川賞といわれる「第10回手島右卿賞」を受賞されました。
絵画だけではなく書も魅力的な展覧会です。

人は人生の中で何度か壁に阻まれます。
その時に救われるのが芸術なのではないでしょうか。

今回の展覧会はそんな優しさに満ちた会場でした。

2015年9月17日~10月18日(日)まで。  
パナソニック汐留ミュージアムにて開催中。
☆新橋駅から歩いて5~6分です。
http://panasonic.co.jp/es/museum/shikisaika/

150925tsurutaro.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「青春18きっぷ・ポスター紀行」  飛騨路への旅

待っていた一冊の本がやっと届きました。
JR「青春18きっぷ」ポスター紀行(講談社)
25年分のポスターが一挙に掲載!されているのです。
皆さんは旅をなさる時、もちろん新幹線や飛行機が多いでしょうね。
私も使いますが、時間が許せば普通列車でのんびり旅がいいですね。
とくに無人駅のようなローカル線に乗り、お互い旅人同士、目があい挨拶を交わす・・・列車がホームに入り、その列車もどこか遠くから旅してきたようなそんな感じ。駅や渡り廊下に貼ってあるポスターに旅情をかきたてられてずい分旅をしてきました。

青春18きっぷ

本を眺めていたら、高山本線も出てきました。

150917hida1.jpg

「そうだ、飛騨に行こう!」と思い立ち2泊3日で行ってまいりました。
小田原から名古屋までは新幹線で。そして高山本線で高山まで。沿線の景色をぼ~と眺めながら。7割は外国の方には驚きました。奥飛騨から乗鞍のほうまで足をのばすのでしょうか。

150917hida2.jpg

「円空さん」に逢いたくて、高山の街のはずれ車で20分ほどの千光寺に向かいます。旅先には宝ものがあります。その宝物に逢いに行く旅もあると思います。飛騨路の旅の宝物は円空さん。飛騨びとの心に住む円空仏は、まさに木から生まれた仏さま。人々はエンクさんエンクさんといって親しんでいます。

円空さんは1632年、岐阜の羽島の生まれといいます。少年期は大飢饉のさなかであったり、美濃の洪水にみまわれて母を亡くしたりで大変不幸でした。幼くして寺に奉公を余儀なくされたのもそんな事情が重なったのでしょう。その寺を後に出奔するのですが、恋愛がからんでいたという説もあります。そのあたりが青年円空の人間くさい一面を想像させえて、私はあれこれと思いを巡らすのです。

生涯12万体の仏像を全国で彫ったといわれています。辺境の地、離れ島、山間僻地・・・人々の貧困、病苦を救おうと一心に彫りつづけました。想像を絶する旅を続けて、村を訪ね、人と出逢い、交流の中で仏の教えを説いたのでしょう。素朴な仏像はおもちゃとして用いられたかもしれません。

千光寺の宝物殿には円空が立木に梯子をかけてそのままオノをふるって造仏したとされる「立木仁王像」。そして、私の大好きな「おびんずるさん」無病息災を願う千光寺のなで仏。表情の優しさは人の心を抱きしめるような安らぎに満ちています。そうなのですね・・・旅の先には宝ものがあります。ここ千光寺の円空さんに会う他に、こちらの住職さんも会いたい人なのです。端正なお顔立ちと良い声の持ち主で、大下住職は12歳のときにこの寺に入られ修行をつんでこられた方。

以前伺ったことがあります。

『人は一生のうち三度ほど生命の無常を感じます。私は12歳のときに死について考えました。つまり生について考えるということです。それが仏門に入ったきっかけです。寺から中学に通い、やがて高野山へ修業にでました。』

今回もお話を伺うだけで何だかとても心が落ち着きました。
"また、おびんずるさん撫でにきます"と心の中でつぶやき千光寺を後にしました。

そして、旅の空の下には友がいます。私を待っていてくれる人が・・・。
秋の陽射しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれます。

150917hida4.jpg

私には心の故郷と呼べる土地がいくつかありますが、この飛騨古川の街に引き寄せられるように、何十回とこの街を訪れ、今ではこの町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染みわたります。

地方創生・・・という言葉さえない時代に若者たちとの町づくりに夢中になり40年が経ち、若者へとバトンタッチされています。
『ふるさとに愛と誇りを』という8ミリ映画が完成して40年。

端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。

『青春18きっぷ』から半世紀がたっても心は変わりません。

「旅情は距離がつくる」と書かれています。
旅先で自分の過去の記憶が現在いまこうして暮らしている私の心を刺激してくれます。

やっぱり旅は素敵です。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

伊藤若沖

江戸中期に京都で活躍した絵師『若沖』

没後200年だった2000年(平成12年)、京都博物館で開催された大回顧展で観て以来、夢中になったのですが、いまひとつ謎の部分が多くよく人物像がわかりませんでした。

この度、作家の澤田瞳子さんが『若冲』(文藝春秋)をお書きになりました。
夢中で読みました。もちろん小説ですからフィクションですが、その大胆な発想は「若沖」の人物像が変化した」ことが執筆の動機になったそうです。
澤田さんに是非ともお会いしたくラジオのゲストにお招きいたしました。

澤田さんは、1977年、京都生まれ、現在も京都にお住まいです。
同志社大学文学部・文化史学専攻卒業。
時代小説 アンソロジー(作品集)の編集などに携わったのち、2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。翌年、第17回中山義秀文学賞を最年少で受賞しました。

2012年、『満つる月の如し、仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。翌年、新田次郎文学賞を受賞。その他『泣くな道真』など、精力的に時代小説を発表しています。

日本美術の人気背景に、女性作家の江戸時代に活躍した絵師を題材にした作品が次々に発表されています。男性作家の描き方とは違うスケール、社会や歴史にも切り込んだ、そして直木賞候補にもなった澤田さんの『若冲』のように絵のもつ奇抜で強烈な印象をさらに"人間若沖"が読み取れ興味深く読みました。

澤田さんは京都暮らしなので子どものころから若沖の絵に親しんでいたそうです。歌手なら、路上ライブからいきなり日本武道館でのデビュー!的なブレーク。

小説を書くにあたって、過去帳などの資料を読み込み、そこに若沖の絵に「翳り」を感じたともおっしゃいます。書かれた記録が少ない中、私など素人は「どうしてこんなお話が生まれるのかしら・・・」まるで若沖そのまんま!のようなストーリー展開なのです。

京都錦市場の老舗青物問屋の長男として生まれますが、家業は2人の弟に任せて、絵を描くことに没頭。84歳で亡くなるまでが謎でしたが、この小説に描かれている『若沖』で小説ですが私自身は納得できる、そして魅力ある内容のお話が伺えました。2週にわたり放送いたしますので、ぜひ澤田さんのお話を楽しみにお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
9月13日、20日放送。

150828.jpg


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

流れ星

150821hosi.jpg

初秋の夜半は一年の中で流れ星が一番見られる季節です。

箱根の森に住み40年近くがたちます。

流れ星は、探してもなかなかみつかりません。
でも、ふっと夜中目が覚め、庭に出て星空を眺めていると一時間もしないうちに見つけられます。
夜空を一瞬流れ飛ぶ「流れ星」。
「流れている間に願いごとをすれば必ず叶う」と聞いたことがあります。

下の息子がまだ赤ちゃんの頃、夜泣きが収まらず、おんぶして庭に出て、「ほら、お星さまキレイね」と背中に語りかけてみると、もうスヤスヤ寝ているのです。あのときも流れ星をみたように思います。

今はひとり、夜半の星空をひとり占めできます。
澄んだ夜空は心地よいのです。

ずい分以前のことですが、詩人でエッセイストの今は亡き松永伍一さんと教育雑誌で「子どもの個性を育てる」をテーマに対談をしたことがございます。自然のふところに親と子が立ち、そんな環境の中での子育てを願ってのことでした。

先生はおっしゃいまいた。

「自然によっていのちが生かされていることを、あまり論理的に言ってしまうと、逆に子どもの物差しが自然に目盛をつけてしまうから、流れ星を見て「流れ星って素敵ね」と子どもが言ったら「ほんとにいいね。でも宇宙の中であれも大変なドラマだよね」というぐらいで止めておくことが大切です。すると、それを受けて子どもは、自分なりに論理づけをしていきます。そうやって子どもが少し論理的に言ってきたら、ようやくこちらも論理的に対応するという「待ちの姿勢」が大事なのです。大人はせっかちに「こうあってほしい」「こうしなさい」と親の願望と命令形で目線が下を向いて言葉が出てきているんです。なるべく、親として子どもと目線を同じ高さにしなくてはいけませんね。」

こんなお話をしてくださいました。

『自然を相手にすると待たされるものです。』

子育てもそうでした。

今のお母さんたちは大変です。
情報はふんだんにあるし、物差しもたくさんあります。
おんぶして「お星さまきれいね」・・・というくらいのゆとりを差し上げたいですね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

映画「あの日のように抱きしめて」

「東ベルリンから来た女」の監督ペッツォルトの今度の作品も衝撃的です。画面転換は淡々としておりますが、アウシュヴィツに収監された女性のベルリンへの帰還という、大変デリケートなテーマでホロコーストの直接的な影響を見せつけられ、心は乱されますし、ドイツでこのような映画が製作されることに驚きます。

主演の二人の芝居が素晴らしいのです。「東ベルリンから来た女」同様主演女優はニーナ・ホス。夫役にはやはり前作と同じロナルト・アフェルト。

ル・パリジャンの評には「心を乱す、胸が張り裂けるような力強いメロドラマ。狂気の愛と失われたアイデンティティー、裏切り、そして残された希望の物語」と書かれています。

漆黒の闇の中を痛々しく包帯に顔を巻かれたネリー。
アウシュヴィツから生還した妻と、変貌した妻に気づかない夫。
再会を果たした二人は、悲しみを乗り越え再び愛をとり戻せるのか。
失われた愛を探すニーナが感動的に演じています。

優しくも切なさすぎます。

明日8月15日、文化村ル・シネマで封切られます。
私は試写で観ましたが、もう一度大きなスクリーンで観ます。
それにしてもドイツ人たちの癒えない傷を引きずっている、そのことに胸が痛みます。

削ぎ落とされたセリフと無駄のない演出、愛の真理。
亡命作曲家による"優しくささやいて、愛を語るときは"という歌詞。

戦争というテーマの中に心が大きく揺さぶられました。
明日は8月15日。
終戦記念日に私たちは何を思うのでしょうか。

公式サイト http://www.anohi-movie.com/
150814.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

長岡の大花火

戦後70年の今年の長岡花火にはどうしても行きたくて、昨年から計画しておりました。「子どもたちに繋ぐ平和の願い・70年祈り続けたふるさとの花火」とあります。いままで何人かの人から聞いておりました。「長岡の花火は一度は観るべき」と。

長岡生まれ、長岡育ちのノンフィクションライター、温泉エッセイストの山崎まゆみさんの著書「白菊」を読みますます観たくなりました。

1945年8月1日午後10時30分から1時間40分もの間にわたった空襲。市街地の8割が焼け野原と化し1486人の尊い命が失われました。花火が空へ向ける花「白菊」。夜空に白一色のきれいな円を描き静かに消えていく様には涙がこぼれました。

長岡花火は空襲で亡くなった人への慰霊・鎮魂の花火です。一日の蒸し暑い日が終わりに近づき、薄くくれ始めた夜空に向け、女性のアナウンスが響きわたります。「平和への祈りと戦災殉職者への慰霊をこめてお送りします。」

150807nagaoka1.jpg

食べていた「花火弁当」とお米の里・長岡のお酒スパークリングワインを飲み終え静かに迎えます。

『打ち上げ、開始でございます』

150807nagaoka0.jpg

「ドン、ヒュー、バーン
 
花火音がゆっくりと、ゆっくりと、静かに鳴った。
花火玉が炸裂する音とともに、白い花弁が飛び出し、白い尾を引く。
空に咲いた一輪の白い花は、ふんわりとしていて、やわらかいで、丸くて、清楚な印象すら残す。
一発目の後、間をあけて、もう一輪の花が咲く。

ドン、ヒュー、バーン。

観客は歓声をあげることはない。胸の前で手を合わせて、まるでじっと見守るように、空を見上げる。」
                                  
山崎まゆみ「白菊」より

この「白菊」は伝説の花火師の生涯をたどり、感動の真実にせまるノンフィクションです。

この花火大会は毎年8月2日、3日の2日間開催され、2日間で2万発が咲きます。全国各地からバスを仕立てて見学に訪れ、市内は大混雑になり、車は全く動かなくなります。訪れる人は30万人近くとか。朝から桟敷席を取る人、信濃川の土手沿いに観覧席が用意されるも全くたりません。ビルの屋上や家の屋根、路地に座る人・人・人。

150807nagaoka2.jpg

正三尺玉花火は直径90センチメートル、重さ300キロ。巨玉が上空に打ち上げられるのは1日2発、2日間で4発です。そして「ナイアガラ」信濃川に架かる長生橋と大手大橋延長650メートルの花火はナイアガラの滝を再現しています。

復興祈願花火「フェニックス」は平成16年10月23日に発生した中越大震災からの復興への祈りを込めて空高く上がります。

シンセサイザーの曲にのり軽やかに打ち上げられる花火。

そんな長岡花火を「裸の大将」の愛称で知られる放浪の画家・山下清が1950年に「長岡花火」と題して貼り絵で描いています。河川敷に座る人は小さく、そして繊細に描かれています。花火は大きく咲いています。川面に映る花火の色の美しいこと。山下清はどんな思いでこの花火を見たのでしょうか。

慰霊と平和への願いを込めて打ち上げられる花火。

私は1943年11月20日生まれ。下町の亀戸の我が家も空襲で全てを失いました。全国で尊い命が奪われました。戦争はぜったいにあってはなりません。

今回、私はお弁当・送迎バスがある宿に泊まることができました。1年前から計画し、この花火を通し、平和への祈りを捧げることに感謝した花火大会でした。

帰りのバスから漆黒の闇の空に星が輝いていました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

夕暮れの美術館

ラジオの収録、打ち合わせなど東京での仕事を終え、ホッと一息。そういうときには東京駅近くの美術館へ。そして、観終わったあとのカフェでの白ワインを一杯・・・至福のひとときです。

1507311.jpg

三菱一号館では 「"狂ってたのは、俺か、時代か?"画鬼暁斎展」が開催されています。

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831-1889)は幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じてその正統的な修業後、幕末には「画鬼」とよばれたそうです。

そして、今回大変興味深かったのは三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)との交流でした。暁斎に弟子入りして絵を学び、師の作品を広く海外に紹介したこと。日本文化をこよなく愛し、日本人の女性と結婚し、そしてその師弟愛。コンドルと暁斎の親密な交流がみられる「暁斎画日記」コンドルが旅先で絵を描く暁斎を写生した作品も素晴らしいです。

100年ぶりにメトロポリタン美術館が所蔵する暁斎の水墨画が里帰りしました。

個人的には暁斎がコンドルに贈った「大和美人図屏風」(京都国立博物館寄託)が好きです。閉館も近かったので早足になりましたが、やはりこの絵の前で見入っていた若い外国の人もいました。

『画鬼』といわれた河鍋暁斎。正直あまり全貌は知りませんでしたが、今回の展覧会で理解できました。

この美術館の展示室は、明治期のオフイスビルが復元されているため、小さな展示室が連なり、作品との距離が近くじっくり向き合えるのが嬉しいです。

1507312.jpg

陽の落ちかけた夕暮れどき、仕事帰りの出逢いの場、美術館。
建物に刻まれた歴史を愉しみながらの一杯の白ワインは人生の幸せを感じさせてくれます。

丸の内を歩きながら東京駅へと向かいました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『思うこと』

先日、スタジオジブリから原稿依頼がありました。
小冊子『熱風』の8月号です。

ご存知のようにスタジオジブリはアニメーションの制作会社で、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」など数々の名作を生みだしている制作会社です。

アニメーション以外にも出版も手がけておられます。『熱風』は「スタジオジブリの好奇心」というキャッチフレーズのもと、毎月書店などに配布している非売品です。

今回の特集は「木の家を愛する者として」です。
皆さまご存知でしたか?
「省エネ法」の義務化により、2020年から「昔ながらの日本の木の家」が建てられなくなってしまうそうです。私は知りませんでした。

省エネ法・・・とは
省エネを推進ということで一般家庭でも2020年から、北海道から沖縄まで「冬は暖房を20度以上、夏は冷房を27度以下」に保てる建築にしなければならなくなり、かかるエネルギー消費量(冷暖房、換気、給油、照明)の上限数値も決められており、基本的には断熱材を完全に入れた建物にした上で、消費電力の少ない新しい省エネルギー対策済み家電(エコ家電)を導入しなければ数値はクリアできなくなってしまうのだそうです。

つまり薪ストーブやこたつ、扇風機などは「省エネルギー対策効果の良くない設備」ということになるそうなのです。断熱材が入らない土壁や真壁、ガラス戸の縁側と障子など昔ながらの日本の家の作りは「省エネルギー対策がされていない建築」としてマイナス判定となり、国が決めた数値をクリアできません。

もちろん省エネへの取り組みはとても大切なのですが、数奇屋造り、土壁、昔ながらの古民家など、日本の伝統的な家作りができなくなってしまう・・・ということだそうです。

信じられません。

日本の景色や建築技術の伝承も変えてしまいかねないのです。

私は「趣のある美しい街並みをつくるのは伝統の力と人々の熱意」だと思っております。

図書館で、柳宗悦先生の本に巡り合い、民藝という美の世界を10代で知り、以来、今まで50年、日本全国様々な町や村をお訪ねしてきました。

日本が高度成長期、私が旅していたころ、古いものは価値がなく、新しいものがよしとされた時代。地方では何百年も人々の暮らしを守ってきた古民家が壊されていった時代でもありました。

ダムの底に沈んだ村もありました。

ようやく日本が、まさにジブリが描いてきた「美しい日本の風景・暮らし」が大切だということで見直されつつある時代、このような法律が成立しようとしているのです。

日本の風土にあった伝統的、あるいは歴史的な家が今後、作れなくなってしまう可能性があるということを知り、胸が痛くなりました。

『家はもっとも大きな民藝』。人々の暮らしの在り方を物語る、私たちの文化の基本です。もちろん、それぞれの暮らしのあり方は様々です。でも、ヨーロッパなどに行くと古き良きものは大切な財産・・・自分たちの手で修理し、壁を塗り、補修しながら暮らしています。美しい景観が保全されています。

最近は海外からの観光客も増えています。
観光地だけではなく、日本の里山に人気が出始めました。

"え、こんなところにも外国の人が"・・・という光景にも出会います。それは、私たち日本人にとっても「心のふるさと」のような場所です。

「国が数値を決め、日本の風景が大きく変わろうとしています」

文化を一度断ち切ってしまうということは、それを作ったり修復したりする技術も手放すことでもあります。

2015年8月10日配布の『熱風』8月号をご覧ください。
そして、このブログをご覧くださっている皆さまのご意見もお聞かせください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (5) | トラックバック (0)

ミュシャとラリック

盛夏
本格的な夏の暑さがやってきます。

ここ箱根は爽やかな風が心地よいです。

先日、あまりにも気持ちよい午後、仙石原にあるラリック美術館まで行ってまいりました。

150717lalique1.jpg

我が家からは、バスで小涌園で「観光施設めぐりバス」に乗り換え、強羅駅を出ると、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けると美術館がいくつもあります。
ポーラ美術館。ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアム、そしてラリック美術館。40年前に箱根に居を定めたときから、折りに触れ、訪ねたのが美術館です。

もちろん美しい風景、そして温泉地の温かなホスピタリティー、ホテルのラウンジでいただく一杯のコーヒー。毎日この幸せを実感しながら暮らしております。

7月14日はフランス革命の記念日。
日本では「巴里祭り」と呼びますね。かの有名な王妃マリーアントワネットも処刑されました。市民は、王や貴族による圧政から自由を獲得しました。

150717lalique2.jpg

時代は1860年。ミュシャとラリックは同じ年に誕生しました。

ミュシャは自然豊かなチェコ南部の村。ラリックはフランスのシャンパーニュ地方の村に誕生しました。今回の展覧会は開館10周年を記念しての世界初の2人の企画展です。2つの才能が箱根で出逢うのです。二人とも長い下積み生活を経て一代で名声を得ます。

150717lalique3.jpg

150717lalique4.jpg
150717lalique5.jpg
出典:箱根ラリック美術館

アール・ヌーヴォーの時代だけではなく、その後も活躍し続けるのですが、共通するのは二人とも大女優サラ・ベルナールにその才能を見出されます。ラリックは、ジュェリー制作から、ガラス工芸家。ミュシャはポスターのデザインから、祖国のための絵画制作へと。今回の展覧会ではそうした時代背景のもと、根底には『芸術で人々の心や生活を豊かにしたい』との想いが共通しています。

私はこの二人を比べてみたことがなかったし、その精神性にまでは思いがいたりませんでした。

素晴らしい企画展です。

「遠国のパリで輝いたユリの冠 百二十年の時を経て、いま箱根に」とあります。これは19世紀末のパリで、異なる分野で活躍していたふたりが、世紀の大女優サラ・ベルナールのために共同制作した唯一の作品です。秘められたストーリーもよく理解できます。

午後の木漏れ日を感じながらのラリック美術館。
お時間があったら、お薦めの展覧会です。

そのあとのカフェでのティータイム、もしくは遅めのランチもお薦めです。

2015年12月13日(日)まで
箱根ラリック美術館:公式サイト

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

農村女性たちと、青森・岩手への旅

「ハッピースマイル川村綾子さんをお訪ねする会」

150710nouson1.jpg

「これからの農村を担うのは女性ではないかしら」と思ったのは30年ほど前のことです。「民藝」の故郷を訪ね、美しい農村風景や日々、日常に使う道具類を見たくての旅でした。

勝手口から「こんにちは~」と訪ね、時にはお宅に泊めていただいたこともありました。桑の木を植え、繭を育て、さらにはその絹糸で美しい紬を織り上げている女性。山からつんできた素材を丹念に処理し、手間ひまかけて、美しい食べ物に作り上げ、素材のよさを生かした味わいにする女性。伝統食の掘り起こしを一生懸命にしていた女性たち。その素晴らしさに感動を覚えました。

こうして生み出されたものが商品となり、地域経済にとって重要な地場産業となり、農村を活性化させてきた女性たち。そうした彼女たちの知恵と工夫が、地方の新しい活力になっているのです。

なによりも、形がそろわない、曲がったもの、熟しかけたもの、加工すれば美味しい餅や味噌になり、ジャムになり捨てていたものが生かされます。
個人の収入は、その女性の口座に振り込まれます。

「女性の力を見直し、光をあてる」

私が農村女性とのかかわりのはじまりでした。「食アメニティー」を立ち上げ、国の協力のもとに「食アメニティーコンテスト」事業の開始やヨーロッパへの「グリーンツーリズム」の研修旅行にも行ってまいりました。

『自分の預金口座を持ちたい』
『自分たちの手で、自由に売れる店がほしい』
『お客さんと直接話をして触れ合いたい』

そんな声をたくさん聞いた時代でした。

今では当たり前のような6次産業化や地産地消。そんなことを全国の「農・食」に関わる生産者、生活普及員の方々、また応援団の方々と共に目指してきました。この20年、旅を通して深い絆で結ばれた仲間たちです。同志です。

世の中の流れが確実にその方向に進んできたので「食アメ・ネットワーク」の会も一応幕を閉じました。でも、その深い絆は「ハッピースマイル・80歳を越えた女性たちを訪ねる」という目的で続いています。今回は、熊本・長野に続き、青森の川村さんをお訪ねしてきました。

農家の嫁として大変なご苦労があったはずです。

82歳の川村さんは元気溌剌、現在は福祉分野で活動されています。
「いつもこころに太陽を・農村で働く女性たちへ」を読ませていただきました。「名川チェリーセンターー101人会」を発足させ、食と関わり、軌道にのせ「自分の口座」を持ち「女性たちが変わった」とおっしゃる川村さん。数々の賞も受賞しました。

後進に道をゆずり、会長である最後の日、トラックの助手席に乗り込むと、ご主人がにこっと笑顔で「ご苦労さんだったね。がんばったね。」と労ってくださり、目から涙があふれでたそうです。

こうして、日本の農業を陰で支え日本の農業の今日があるのです。
お金だけのためではないのです。
子や孫たちの世代へ何を引き継いでいくべきか・・・。

今回の旅では「さくらんぼの摘み取り」、「小岩井農場見学」、「盛岡冷麺の麺打ち体験」など、楽しみながら学びの場でもありました。さくらんぼの種類の豊富さ、ご苦労・・・など。

150710nouson2.jpg

150710nouson3.jpg

そして、私は初めての"小岩井農場めぐり"でそのあゆみを知りました。不毛の原野を創始者たちは土壌改良し、林業・酪農、一世紀以上のたゆまぬ努力が今日の小岩井農場なのですね。

150710nouson4.jpg

今回も仲間たちと素晴らしい旅ができました。
さらに絆が深くなりました。

70歳を過ぎた私にこれから何ができるでしょうか・・・。
「農の国・美しい日本」は守っていきたいと思いました。
そして、若者たちにそんな日本を手渡していきたいと思いました。

皆さん、ありがとございました。

150710nouson5.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

長野・安楽寺での講演

長野県駒ヶ根市上穂栄町にある「安楽寺」で第35回安楽寺佛教講演会に招かれ伺ってまいりました。中央線あずさ号に乗り、茅野で下車。ご住職が駅にお迎えくださいました。車で約1時間。

150626anrakuji1.jpg

前泊し、まずお寺の本堂でお参りをさせていただき、お寺の歴史や本堂壁画を拝見いたしました。12枚の釈尊の生誕から涅槃に至る生涯が描かれており、それは素晴らしい壁画でした。

150626anrakuji2.jpg

ご住職とお話をさせていただくと同じ時代、私は20代~30代にかけてインド北部、お釈迦さまの歩かれた道、悟りを開かれた場所などを10年間、毎年1月下旬の乾季に訪ねていたのですが、ご住職も歩かれ、最近、21年ぶりにいらしたとのこと。

カルカッタ美術館はもちろん、列車を乗り継ぎ土ぼこりにまみれ歩いた地方の小さな美術館など。ガンダーラの仏に感動し、川で身体を洗い、最終バスが来なくてトラックの荷台に乗り街へと戻ってきたこともありました。

「今は昔ほど治安がよいとはいえませんが・・・。」とのこと。
青春時代のよい思い出です。

150626anrakuji3.jpg

当日、本堂には400名ちかくの方々がお集まりくださり『逢えてよかった』というテーマでお話させていただきました。少し先輩の年代、同世代、少し下の方。「かまどでご飯を炊いた経験」のある方々です。

「逢えてよかった」 
私はこのことばが大好きです。

ある時、富山県、宇奈月の手前、裏山という町にある善功寺というお寺の住職さん一家を訪ねたときのことです。無人駅の裏山に5歳の友人の息子さんが、私を向かえに着てくれました。

雪山さんご一家です。
ご主人の雪山さんは以前、新聞記者をなさっていたかたで、私がギリシャでの仕事のときに同行してくださった記者さん、というのが最初の出逢いでした。以来、お寺にはいられてからも今度は家族ぐるみのお付き合いをしていただきました。

コンニチハ、とぺこんと頭を下げて、ちゃんと先に立って私をお寺まで案内してくれます。200メートルくらいなのですが、5歳の坊やがエスコートしてくるのはうれしいことです。

食卓でごはんを食べているとき5歳の坊やがききました。

この中でいちばん先にうまれたのはだあれ
おじいちゃんよ

その次は?
おばあちゃんよ

そのつぎは?
お父さんよ

その次は?
お母さんよ

その次は?
お姉さんよ

その次は?
お兄ちゃんよ

5歳の坊や期待に目を輝かせ
その次は?

ボクよ
みんな、逢えてよかったね。

私はぼろぼろ涙を落としてしまいました。

『みんな逢えてよかったね。』

あれから30年の月日が流れました。
友人の雪山さんは若くして亡くなりました。
いつか、人は別れがきます。
そして、立派に成長されたお子さまがた。

私は、いつもその言葉を、詩のように思い起こすのです。子どものことで悩んだり、育児がうまくいかなかったりした昔。家族関係がちょっとばかりギクシャクしたときなど。

私の子ども時代、物はなかったけれど心は豊かだった・・・ことや、バスの車掌時代、油でまみれた作業着を着て家路に着く人たち、終バスではこっくり・こっくり居眠りをしていましたっけ。そして皆なさんの命をあずかる運転手さん。
みんな働く仲間、同志のような存在でした。

本堂の仏さま。
お釈迦さまの壁画。

静謐な空間の中で心がみなさんとひとつになったような気がいたしました。
皆さんに「逢えてよかった」
ありがとうございました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

10日間のイギリスの旅

この季節のイギリスはバラが満開です。

150612england01.jpg

古きよきものを守る頑なまでの保守性。
ビートルズに代表される音楽。
斬新な発想はいつきてもこの国の魅力です。
交通がどんなに渋滞していても、辛抱強く待つ忍耐力。
きっと波乱にみちた歴史がこのような人間性を生みだすのかしら・・・と思いました。

10代の頃からイギリスを、とくに田舎を歩き、ブラック&ホワイトの木組みの家は、箱根の我が家「やまぼうし」にも大きな影響を与えてくれました。

今回の旅の目的のひとつに、美しい季節の田園風景に出会い、その美しさを思う存分味わいたいという気持ちがありました。村や街は丘陵地帯に点在しています。イギリス人が『心の故郷』と呼ぶエリアのひとつにコッツウォルズ地方があります。ロンドンから西へ約200km。オックスフォード郊外から始まり西端はチェルトナム。

美術工芸デザイナーのウィリアム・モリスが"イギリスで一番美しい村・ハイブリー"だと語っています。

150612england02.jpg

清らかな流れに沿って並ぶ家々。水鳥が遊ぶ清流。花々に彩られた石造りの家。何だか、時がとまったような風景です。森と牧草地の緑に囲まれた村々はどこもため息がこぼれ、イギリスのカントリーサイドの美しさを思う存分味わえました。

そして、かつて羊毛産業で栄えた美しい街バースへ。娘が嬉しいサプライズ!私の大好きなベアーとの出会いをセッティングしてくれ専門ショップへ。
出逢えました、可愛いベアーちゃんに。
箱根の我が家に一緒に帰りましょ。

150612england03-1.jpg

アンティークに囲まれた小さなホテルでの昼食はやはりラム料理。

150612england04.jpg

そして、娘のショップ"フローラル"の買い付けでアンティークフェアが開催されているニューアークへ。途中リンカーンの街に寄り道。この街のリンカーン大聖堂の(夕方なので中には入れませんでしたが)周りを散策いたしました。周辺の家々の庭も手入れされ、花々が綺麗です。

150612england05.jpg

さぁ~、いよいよアンティークフェア会場です。
早朝から初日は開場前からぎっしりの人が並びます。私もアンティークが好きですが、このようなフェアには中々来られないので、もう夢中になってしまいました。

150612england06-1.jpg

ヴィクトリア時代の陶器、ガラス、古い刺繍の布、その他あらゆるものが並びます。このフェアには国内はもちろん、海外からも買い付けや、個人のアンティークファンもみえます。

歩き疲れてカフェでひと休み。
真夏日のような陽射し、青空が拡がり美しい雲。日陰の風は爽やかな涼気を運んでくれます。

150612england07.jpg

2日間のフェア終了後、ロンドンへ戻る途中で2つ目の私の目的「古いレンガ探し」。広いスペースの広場、倉庫にはレンガ・レンガ・レンガ。歴史のある国ですから想像はしておりましたが、けた外れの量です。地域、年代別、形・・・と最初はその量に圧倒されましたが、目がなれてくると、それぞれの表情があり楽しくなってしまいます。

日本の家屋にも合う、特に古い我が家の民家に合いそうなレンガ探し。見つかりました!約150年前のレンガです。我が家とほぼ同じ年代のレンガはシックで落ち着いています。我が家の庭の隅の小さなスペースにこのレンガを使いたいと思います。イギリスの田舎家と日本の古民家、どちらも違和感なくしっくりきます。

150612england08.jpg

翌日は私がぜひ行きたかったレストラン「ピーター・シャムナーサリー」ヘ。ロンドン郊外にあり、温室を改装したり、温室そのままだったり、足元は土のままです。

花の鉢植えやガーディニンググッズも売っているショップがあります。
私は美しい本を見つけました。"イングリッシュローズ"の本です。

150612england09.jpg

このレストランは以前、今は亡き友人、天沼寿子(ひさこ)さんに始めて連れてきていただいた思い出のレストランです。そのときの感動が忘れられません。

バラの花ビラを浮かせたシャンパンで彼女と乾杯!
"貴女とまたここを訪れたかった"  
料理は平目のムニエル・フレッシュトマトとオリーブ添え。

150612england10.jpg

この旅の最後はライの街へ。
その前にロンドンのコロンビア・フラワーマーケットへ。
早起きをしたので朝食はマーケット近くのカフェで。せっかくなのでベーシックなイングリッシュブレックファースト。(でもかなりのボリュームです)

150612england11-1.jpg

男性が新聞紙に包まれた花を手にしている姿はカッコイイですし、道行く人々が花を抱いて家路につく姿は幸せそうです。バラ、ピオ二ー、アジサイの鉢植えやサボテンなど、市場は活気にあふれていて私まで幸せのおすそ分け。

150612england12.jpg

今回の旅はレンタカーを借りて娘の運転での旅です。

午後からはロンドンから南へ約200km南下してライの街へ。
石畳の坂道と中世の家並み。丘の教会を取りかこむように白壁に黒い木組みの家やレンガの家がぎっしり並んでいます。可愛いアンティークショップもたくさんあり、ついつい覗いてしまいます。

このライの街は12世紀には交易のために良港として発展してきました。宿泊するB&Bは手入れされた美しい庭、馬が放牧されているのどかさ。部屋はブルーを基調に可愛らしいです。これまでもイギリスではこうしたB&Bに泊まっておりますが、だいたい朝食付きで2人90ポンド。
(18,000円くらいです)

150612england13.jpg

ライの街に住む素敵な夫人アン・リンガードさんにお会いするために来ました。夫人も亡き友人のご紹介です。夫人はもと大きなアンティークショップのオーナーで今はリタイアされておられますが、娘のために1年かけてアンティークを集めてくださっています。80歳代の夫人は愛らしい手入れの行き届いた家にひとり暮らし。背筋ののびた生き方に学びます。そう・・・こうして私のこれからの歩む道の足もとを照らしてくださるのですね。

150612england15.jpg

今は亡き友人の三回忌を終えて、こうして思い出の地、イギリスを訪ね、友情に深く感謝した旅でもありました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

イギリスへの旅

イギリスの旅に出かけております。

バラのもっとも美しいこの季節、コッツウォルズからリンカーン、ポートベロー、ライの街など田舎を周っております。

今回の旅は鎌倉の娘のアンティークショップ"フローラル"のお店の買い付けに便乗です。

イギリスはグリーンツーリズムの研修で農村女性たち30名ほどで13年間視察で周り、田舎の美しさを勉強しながら堪能いたしましたし、折にふれ訪ねる場所です。

そして、古き良きものを大切に大切に使うイギリス人の暮らしが見えてくるマーケット巡りは至福の旅でもあります。

写真は今は亡き、親友だった「デポ39」のオーナーでありアンティークの世界を世に広めてくださった天沼寿子さんと2010年7月にご一緒に旅したときのものです。

「レナさんがショップをするのなら、私がイギリスを案内してあげる」そうおっしゃって彼女に様々なことを教えてくださいました。

私の楽しみはシャンパンを飲みながら農園のカフェでのランチやおしゃべり・・・もういらっしゃらないのね・・・寿子さんは。

旅のご報告は次回のブログをご覧ください。

そして、多分"フローラル"のダイアリーは随時更新されると思いますのでご覧くださいませ。

150604england.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (1) | トラックバック (0)

山のホテル

ひとりで過ごす静か時間。

青葉を渡る風に、湖面を渡る風に心地よい5月。

40年前に箱根に居をさだめたときから、折に触れ、「山のホテル」を利用させてもらいました。子供たちを小学校や幼稚園に送り出してから仕事に出るまでのわずかな時間に、富士山を望みながら、お茶をいただき、心をリフレッシュしたこともありました。

先日、「山のホテル」がリニューアルしたというので、家から30分ほどテクテク歩いて行ってまいりました。

150515yama1.jpg

杉並木を歩いていると、樹木からは、フィ一トンチッドという芳香成分が発散されるそうですね。この緑豊かな場所を歩いていると森林浴をしているようで、心が安らぎます。

もとは岩崎小彌太男爵の別邸だった山のホテル。長い歴史と伝統、そのホスピタリティが息づいているのでしょう。いつ行っても、すぐに素の自分にもどれるような寛ぎを感じさせてくれます。

子どもたちが大きくなってからは新緑、ツツジ、シャクナゲ、バラ、紅葉など、四季折々美しい姿を見せてくれる見事な庭園を歩くことが増えました。丘陵の特性を生かして造られたホテルの庭園は、旧岩崎邸時代から引き継いだものだとか。芦ノ湖や富士山と庭のコントラストが本当に美しいのです。今の季節はツツジ、シャクナゲが満開です。

150515yama2.jpg

歩いて植物をより身近に感じてもらいたいと、今回のリニューアルでは、園路がよりなめらかになり、階段だったところがスロープに変わり、さらに歩きやすくなっていました。

150515yama3.jpg

ラウンジでの一杯のコーヒーをしみじみいただき、こうして過ごすひとりの時間、自分が活性化していくのがわかります。心を癒し、慰め、そしてそっと背中を押してくれる・・・

私のとっておきの「山のホテル」にいらっしゃいませんか。美しい風景と温かなホスピタリティの中で過ごす時間をぜひゆっくり味わってください。

「箱根やまぼうし」では5月は素敵な展覧会やイベントをご用意して皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

沖縄への旅

 『ジョイネス沖縄創立5周年記念チャリティー』イベントに招かれ沖縄に3泊4日で行ってまいりました。

"暮らしを愉しむ~食・飾・職~"がメイーンテーマです。

『ジョイネス』は「エンジョイ(楽しむ)とジョイフル(嬉しい、喜ばしい)と「ネクセリー(必要)」の合成語です。

ジョイネス沖縄とは、年齢性別問わず、地域社会のニーズに関心のあるメンバーで構成されているボランティア団体です。ソロプチミストやベンチャークラブなど地域で素晴らしい活動をなさっておられる方々とのお付き合いも27年がたちます。その方たちもジョイネスのメンバーです。伺うたびに思うのですが、皆さんボランティアを気負わず楽しんでなさっておられる姿には頭が下がります。

誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える・・・80代の方もお元気に参加なさっておられます。

150508okinawa1.jpg

"うりずん"(爽やかな風)のこの季節、飛行場から真っ先に行く場所、それは公設市場です。エネルギー溢れる市場のおばちゃんたちが"また来たの~"と迎えてくれます。この匂い、言葉、笑顔・・・。美しい色の魚、豚、など等。ユンタク(おしゃべりすること)しながらの至福の時間です。

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは、昭和37年、まだパスポートがいる時代でした。中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は、先生が著書の中で琉球文化と工芸品の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。

この地に最初に降り立った日のことを、私は忘れることができません。苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていたのです。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動を覚えました。

それ以降、何度も何度も、通わせていただいています。そして、気がつくと、いつしか沖縄にすっかり魅了され、心許せる友人にもめぐり会い、沖縄は私の第二の故郷とも思う地になっていました。

工芸品の中で、強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて、穴すれすれに水をいれても、水はこぼれないのに、それ以上いれてしまうと、1滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗です。

人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目、医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのだと思います。やがて、沖縄を深く知るにつれ、八分目という考え方が、暮らしのすみずみにまで彩られていることに気がつきました。

身の丈を知り、八分目を良しとし、他者も生かす、共生共栄の考え方がここにはある・・・と思いました。

150508okinawa2.jpg

市場を出て、"やむちん通り"の壷屋焼物博物館へと向かいます。(写真撮影可)民藝運動の柳宗悦、浜田庄司、芹澤銈介など、大きな影響を受けた壷屋焼きです。人が手を使い、火を使い、自然を素材として作り続けてきた"やきもの"(現在は都市化のために工房は読谷村に移っています)

150508okinawa3.jpg

スージグワー(路地)には緑が輝き、うりずんの風が抜け、ゲットウの花がいい香り。

そして本番の日は大木綾子さんのコーディネートによるテーブルウエア展。やはりゲットウの花に迎えられ素敵な「おもてなし」全て沖縄の工芸品です。

150508okinawa4.jpg

私もお話をさせていただきました。
会場いっぱいのお客さま。笑顔・笑顔・笑顔。本当にすてきな笑顔です。

150508okinawa6.jpg

1階では会員の方、また大勢のかたによる販売ブースも出て大賑わいでした。皆さま"お疲れさまでした"

今回も沖縄料理を堪能いたしました。

150508okinawa5.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6) | トラックバック (0)

鎌倉路地フェスタ

風薫る素敵な季節になりましたね。
ゴールデンウイーク、皆さまは何処か旅をなさるのでしょうか。

私は初夏を思わせる一日、鎌倉まで行ってまいりました。
鎌倉路地フェスタ」が4月25日から5月5日まで開催されています。

鎌倉駅周辺から小町~二階堂~浄妙寺をつなぐ、路地の魅力を再発見しながらの路地散策をし、素敵なショップを覗きながらスタンプラリー。以前も書きました娘のショップ「フローラル」も参加しております。

150501kamakura1.jpg

アートスペース、漆芸を扱うお店、可愛らしい小物やさん、手づくりショップや、カフェ、和食屋さん、鎌倉を拠点に活動する劇団のお芝居、アーティストのパフォーマンス・・・など等。古くて素敵なお屋敷の庭を見ながらの散策は楽しかったです。花が咲き、小鳥の囀り、心がはずみます。

150501kamakura2.jpg

歩きつかれてカフェに入り、ワインをのみながら"春の暮"一日が終わろうとする夕暮れのワインは格別です。そこへ「ねり歩き隊」が楽器を奏でて通ります。

150501kamakura3.jpg

こうして小さな旅は終わりました。
夜は娘と私の大好きなカジュアルレストランで、ピザ・グリルソーセージ、そして緑の濃いサラダ・・・もちろん赤ワインも一杯。鎌倉駅からも歩いて4,5分。お庭があり緑に包まれての食事は気持ちよく美味しいです。

150501kamakura4.jpg

路地フェスタの公式マップは鎌倉駅東口の観光案内所に置いてあります。
ゴールデンウイーク、旅の計画のない方、ブラっと小さな旅はいかがでしょうか。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

パプーシャの黒い瞳

岩波ホールで観た映画『パプーシャの黒い瞳』(ポーランド)。

ロマの女性詩人・・・。放浪の民、ロマ族は文字を持たない民族です。迫害にあい悲劇的な人生を歩むのですが、この映画を観終わったときの感想をどう表現すればよいのでしょうか。モノクロームの映像は上空から幌馬車の隊列や、深い森を俯瞰で捉えていきます。"息をのむほどの美しさ"なんてことばで表してはいけないのでしょね・・・きっと。

実在の人物、ブロニスワヴァ・ヴァイス、愛称パプーシャの悲劇的な生涯が描かれています。

ロマ(ジプシー)の人々の世界を私はほとんど知りませんでした。大昔から迫害され続けている少数民族でロマ人は北インド出身で5世紀頃から放浪を始め、イラン、ピザンチン帝国を経て、ギリシャ、ヨーロッパで生活している人々。現在はほとんどが定住している。そして、優れた民族音楽の才能に秀でている。それくらいでしょうか、私の認識は。

今回この映画を見て初めてしりました。パプーシャの存在を。

解説
言葉を愛したがゆえに、一族の禁忌を破った女性がいた。書き文字を持たないジプシーの一族に生まれながら、幼い頃から、文学に惹かれ、言葉を愛し、こころの翼を広げ、詩を詠んだ少女ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)。

愛称は"パプーシャ"
ジプシーの言葉で"人形"という意味だ。彼女は成長し、やがてジプシー女性として初めての「詩人」となる。しかし、その天賦の才能は、ジプシーの社会に様々な波紋を呼び、彼女の人生を大きく変えることになった。

映画では激動のポーランド現代史と、実在したジプシー女性詩人パプーシャの生涯が描かれる。

はじめは目まぐるしく変わる時代背景に戸惑いを覚えますが、それも、パプーシャの口からこぼれる詩に映画の中へ中へと惹き込まれていきます。

「いつだって飢えて いつだって貧しくて
旅する道は 悲しみに満ちている
とがった石ころが はだしの足を刺す
弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる
すべてのジプシーよ 私のもとおいで
走っておいで 大きな焚き火が輝く森へ
すべてのものに 陽の光が降り注ぐ森へ
そして私の歌を歌おう  
あらゆる場所から ジプシーが集まってくる
私の言葉を聴き 私の言葉にこたえるために」

「父なる森よ 大いなる森よ
私を憐れみ 子宮を塞いでください」

15歳で結婚したパプーシャは夫を拒んだ。

絵画のように美しい映像。 民族音楽の旋律に・・・「終わらないで、もう少し観させて」と心の中でつぶやいていた私。

監督はポーランドを代表する映画監督で、これまで発表した映画全て国際映画祭で受賞している。今回は妻のヨハンナ・コス・クラウゼと共同で脚本・監督を務めた。彼女は昨年12月に61歳で亡くなりこれが遺作となりました。
監督がこのような言葉を残しています。

「この映画は伝記的作品ではありません。社会政治的な映画でも、民族学的な野心を持った映画でもありません。私たちは、創造することの勇気について、それに伴う孤独と痛みについて、さらに報われない愛情について、そして、人間の幸福について描いたのです」と。

ラストシーンは、幌馬車での一行の果てしない静かな歩み、最後の歌。モノクロームの美しい・美しいロングショットの映像。

しばらく席を立つことができませんでした。

あえて私は"ジプシー"と書きました。

現在も世界を震撼とさせている出来事が続き、流浪の民が生まれています。

"ことば"のもつ意味を、偏見について、考えさせられた映画でした。

☆1回目の(11時)上映も満席にちかかったです。

top7.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

桜七日

桜の盛りの短さを「桜七日」というのだそうですね。

花曇の一日、鎌倉に行ってきました。満開の桜は多少散っておりましたが、でも見たい!と思い出かけてきました。前回ご紹介したアンティークショップ「フローラル」は上の娘のショップです。

ね、聞いてください。私は人生始めて「人力車」に乗りました。鎌倉駅から程近くにある彼女のショップまでの30分、下の娘と彼女の愛犬ルビーと一緒に勇気を出して乗せていただきました。桜の綺麗な路地を走っていただきました。

150410sakura1.jpg

歩いて眺めるより多少高いので、花が手にとどきそうです。

四季とともに暮らしている私たち。
誰でも桜にはたくさんの思い出があるでしょう。私も全国各地でそれぞれの桜を愛でてまいりました。この歳になっても新たな感動を覚えます。

150410sakura2.jpg

そして、フローラルに着きました。
イギリスの田舎などを旅しておりますと、小さな街の片隅にあるアンティークショップに出会うともうだめです。ついつい長居をし、おしゃべりしながら手にはカップ&ソーサーを持っているのです。そういうショップはだいたい初老の美しいマダムがオーナーで店番をしています。黒のカシミアのセーターにパールのネックレス。「いいな~、いつか私もこんな人生を歩みたい・・・」何度思ったことでしょうか。残念ながらかないませんでしたが、娘がそんなショップをやっております。ですから暇があるとついつい出かけたくなるのですね、きっと。

150410sakura3.jpg

人力車を曳いてくれた青年は心美青年!でした。

150410sakura4.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

アニョーパスカル 復活祭のお菓子

鶴岡八幡宮からほど近く、静かな住宅街の中の小さなアンティークショップ・フローラルのブログで可愛らしいお菓子を見つけました。フランス・アルザス地方のイースターのお菓子です。

150403.jpg

イースターと言えば、うさぎや卵のモチーフだと思っていた私。

カトリックで、イエス・キリストが3日目に復活したことを祝う行事・イースター。旧約の時代、エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が、モーセに率いられてエジプトを脱出したとき、神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが、子羊の血を戸口に塗ったヘプライ人(ユダヤ)の家だけは過ぎ越したという故事に由来し「過ぎ越しの祭り」に羊がアルザス地方では定着したそうです。

アルザス地方では、この地方特産の陶器の型で焼かれ、粉砂糖をふられて、リボンをつけたなんとも素朴で可愛らしいお菓子です。私は息子達がアルザスの学校に通っていた時期があり何度も訪れているのですが、このイースターの時期には行っていなかったのですね。始めて知りました。

パティシエの田中玲子さんが焼いたこの御菓子、私もいただきました。素朴で優しい甘さ・・・美味しいです。

イースターは、毎年日付が変わる移動祝日で、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と決められているそうで、今年は、4月5日です。"宗教的に大切なお祝いの行事であるのと同時に、厳しい寒さに耐えた冬が終わり、草木が芽吹き、春がやってくることへの喜びと、命を慈しみ感謝を捧げる行事でもあるのではないでしょうか"(フローラルのブログより)

お花見を存分に楽しむ日々、命を慈しみ感謝する心は世界中変わりはありませんね

鎌倉FLORALのサイト
http://www.floral-antiques.jp/ 

パティシエ・田中玲子さんのサイト
http://www.patisserie-r.com/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『インドの仏』

150327india1.jpg

上野の桜は三分咲きくらいでした。
東京国立博物館(表慶館)に特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏仏教美術の源流」を観にゆきました。

まるで"初恋のひと"に50年ぶりに出逢ったようなトキメキです。

私は20歳のころからインドに旅するようになりました。ガンダーラ美術の不思議な力に魅せられ、この美術が生まれた国を見てみたいというそれだけの理由で旅立ったのでした。スニーカーをはき、デイバックを背負い、簡易宿泊所のようなところに泊まり、ひたすら歩きました。

150327india2.jpg

現地の女性たちにまじってガンジス川で水浴びをし、川面を渡ってくる風に吹かれました。インドでは川にはすべてが委ねられていました。川は産湯であり、飲み水であり、体を清めるものであり、遺体や遺灰も川に流れ、自然に戻っていく・・・・・。

150327india3.jpg

頭上に広がる真っ青な空を感じながら、静寂に満ちた流れをみつめ、生きて今、自分がこうしてあることに感謝する気持ちがひたひたと心を満たすのを感じました。

インドの東の玄関口カルカッタ(コルカタ)当時の人口は約800万。失業者も多く道路整備も遅れ、雨季になると町中が水浸しになる(私の10年間の旅は乾季の1月がほとんどでした)しかし、そこには溢れるエネルギーを感じました。地面に吸いつくような力強さ、たくましさがありました。

私は鉄道、バスで地方の小さな美術館を訪ねることが多く言葉には困りました。英語はほとんど通じずヒンドゥ語しか読めない北インドの人たちも困るんです。

アープ カイセ ハイ (おはよう ナマステ)
ダンニャワード     (ありがとう)
ラーム ラーム     (さよなら)
ヤー アドヒク      (高すぎる)

とにかく50年ほど前のこと。農村部はのどかで治安も良く、最終のバスはいくら待っても現われずトラックの助手席に乗せてもらい埃まみれになりながら首都に戻ってきたこともありましたっけ。運転席にはヒンドゥ教の神さまがプロマイドのようにペタペタ飾ってあるのです。

150327india4.jpg

コルカタ・インド博物館には何度も何度も通いました。
インドの仏教美術は日本とは異なります。仏教を開いたブッダの生涯を知りたくて、北インドを何度も訪ねました。29歳で出家し、菩提樹の木の下で悟りを開き、教えを説き、80歳で没するまで、ガンジス川流域を旅し続けました。

150327india6.jpg

タージマハールで夜明けを待ったこともありました。紺、群青と空気の色が変わり、白い光と赤い光が空にさしこみ、白亜の建物がふっと浮かびあがりました。パタパタという鳥の羽ばたきがあたりから聞こえ、不意にその中にかすかな衣擦れの音も交じっていることに気づきました。目をこらすと、建物からまっすぐに伸びる水路のまわりを、色とりどりのサリーを着た女性たが10人ほど歩いていました。祈るように首をたれ、しずしずと歩みを進める姿は建物と一体となって見えました。

あれは夢だったかのか、幻だったのか。限りなく美しく厳かな光景に、地球と人の営みの神秘に肌が泡立つような気がしました。

150327india7.jpg

今回の展覧会では、紀元前2世紀から14世紀の長い期間の仏教美術を観ることができます。私が10代で感動した、ガンダーラでつくられたもの、豊潤で彫りの深い顔立ち、優しさに満ちた仏から、入り口正面に佇む「仏立像」5世紀ごろサルナートでつくられたこの仏にはときめきます。各時代で大きく変化していく「インドの仏」をたっぷり観ることができます。

 インドでは13世紀ころに消滅した仏教美術がアジアに広まり、これから日本の仏像を見るときに今回の展覧会で観た『生命感に宿る美意識』(日本経済新聞)を肌で感じ取ることができます。

ブッダの姿が目に焼きつき、50年前の青春時代の自分自身とも出会え、至福のときでした。
5月17日まで。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィラデストへの小さな旅

日ましに春めくこの頃ですが、我が家の庭は落ち葉の中からクロッカスやスミレが可憐に顔を出し、もうしばらくしたら山桜も咲き本格的な春の到来です。

長野県東御市(とうみし)在住の玉村豊男・抄恵子さん。
「ヴィラデスト」と名づけた農園のオーナー。

その農園では洋野菜、ハーブなど栽培しレストランでいただく料理の野菜はほとんど自家製。2004年には「ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリー」も開設し、いまでは周りの農園でもワイン用ブドウの栽培が盛んに行なわれております。「豊男さん、抄恵子さんに逢いたいな~」と思い、上田まで出かけてきました。

上田から10分も車を走らせるとイタリアやフランスの田舎道のような、ブドウ、クルミの樹々が春を待ちわびています。抄恵子さんに上田の駅にお迎えをいただき、車中これまでのつもる話をしていると、アッというまに到着。

ご夫妻とは旅仲間です。上海、タイ、サンタフェ・・・たくさんの旅をご一緒させていただいてきました。飲み、食べ、笑って・・・とにかく楽しいのです、ご一緒にいることが。

1503201.jpg

2年ぶりにお邪魔させていただきました。前回は初夏だったのでガーデン一面に花が咲き、それはそれは美しく、さり気なく咲いているようで、実は庭作りの大変さはよく分かります。ナチュラルガーデンのように自然の中に自生しているように、さり気なく、でも計算された庭。花・・・・・花の世界がどれほど深遠か、神秘的か。春を待ち温室に咲くミモザやクリスマスローズはレストランのテーブルに幸せをはこんでくれます。

エッセイスト、画家、農園主、ワイナリーオーナーの豊男さんがみずからお客さまをもてなし、抄恵子さんがマダムとして店内のお客さま、スタッフとの心配りなど素敵なカップルです。

1503202.jpg

その日のランチコースメニュー(3,600円)

野菜づくし「春のヴィラデスト」
地元産の野菜のさまざまに黒酢のドレッシング。

鮮魚のポワレ 海老とレモングラスのスープ仕立て。

鮮魚の皮をパリっと焼き、海老の風味とレモングラスの香りを
生かした軽やかなスープ

メレンゲの中のアイスクリーム

すべて地元長野県産の食材にこだわっておられます。
ワインは一杯だけ!  
カフェからの景色もご馳走です。

帰りは「ヴィラデスト・プリマべーラ・メルロー2012」を抱えて帰ってきました。まだ雪を頂いた鳥帽子岳がいつまでも見送ってくれました。

1503203.jpg

豊男さん 抄恵子さん、そして美味しいお料理を作ってくださったスタッフの方々「ありがとうございました」

1503204.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

『愛して飲んで歌って』

昨年91歳で亡くなったアラン・レネ監督の遺作。
愛して飲んで歌って』を岩波ホールに観に行ってまいりました。

世を去る前月のベルリン国際映画祭コンベンション部門に出品されアルフレット・バウアー賞を受賞しています。この賞は新しい視野を開いた映画に贈られる賞。

90歳で監督したこの映画。ちょっと意地悪な人間観察に素敵なユーモア、カラフルで大胆な演劇風のセット。舞台はヨークシャー郊外。ある春の日、ジョルジュ・ライリーという高校教師が末期がんで余命わずか、ということが判明した時から、彼をめぐって3組の男女の物語が始まります。

その昔、「去年マリエンバードで」を観たときは難解でちょっと戸惑った私。今回はレネの遺作だから・・・と思い観にいったら肩透かしをくわされたような軽やかな喜劇。物語の世界は実写で映しだされ、次ぎにイラスト、次ぎは舞台のような書き割りを大胆に使い、舞台空間へと観るものを誘う・・・。ここまで読んで皆さん、この映画のイメージってわきます?ただただレネのしなやかな感性に感嘆し、90歳にして監督は何を観客に伝えようとしたのか・・・

プログラムを読んでいたら翻訳者の南 弓さんが書いておられます。
「この映画が単なる軽いコメディに終わらないのは、うわべの陽気さの陰に、人生の甘くはない真実や過去へのノスタルジー、果たせなかった夢への思いが見え隠れするからだ、理想や情熱を捨て、現実と折り合って生きていく・・・それは誰でも身に覚えがあることだろう。それでも人生には喜びがあるということも、この映画は教えてくれる」と。

そうですよね、人間がもっている嫉妬、滑稽さ、ずるさ、そしてなによりも愛おしさ。『人生っていろいろあっても喜びがある』ことを教えてくれます。
映画ですからストーリーは詳しくは書きません。"ラストシーン"をお見逃しなく。

神保町の岩波ホール、朝の1回目でしたがほぼ満席。中高年の方々が、きっとレネ監督フアンなのでしょうね、エレベーターの中で首をかしげる人、満面の笑みを浮かべるご夫人、私は映画館を出てスキップしたくなるような気分で地下鉄に乗り、三越前で乗り換えの時に遅いランチを「白ワインとニース風サラダ」で乾杯しました。

レネは次回作も準備していたそうですよ、90歳にして。なんて素敵なの。素晴らしい人生に幕を下ろしたアラン・レネ監督に感謝いたします。
原作は、レネの大好きな英国の劇作家アラン・エイクボーーンの戯曲です。

movie.jpg
公式サイト http://crest-inter.co.jp/aishite/index.php

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『冬・山陰への旅』

前回のブログで酒井順子さんの著書「裏が、幸せ。」をご紹介いたしました。「日本の大切なものは日本海側にこそ存在する」とありました。

「あ~行きたいな、日本海へ」

子どもたちが独立し、家族のために食事を作ることから解放され、仕事が終わるやいなや、あわてて家にトンボ返りする必要もなくなりました。

出雲大社や伊勢神宮にも毎年、お伺いできるようになりました。山陰の冬のイメージは、日本海の荒海、雪深い里山、厳しさがまず思い浮かびます。「そうだ、厚着をして日本海を見に行こう!出雲大社にお参りに伺おう」と、小さなバックを持ち4泊5日の旅をしてきました。

150227sanin01.jpg

山陰本線に乗り、出雲へと向かいます。穏やかな海、窓から見える沿線には水仙が咲き、「冬の日本海へ・・・」の意気込みとはうらはらに澄んだ青の海を眺め、石州瓦の連なる集落を見ながらの旅のはじまり。

150227sanin02.jpg

まずは神々の国出雲市へ。バスで出雲大社正門から参道の中程にある「祓戸神・はらえどのかみ」に心身の汚れを祓い清めていただきます。樹齢400年はたつ松の並木の中を進み手水舎で手を清め、拝殿へ。いつもは朝、夜明けとともにお参りをするのですが、今回は昼間の参拝。太陽が真上から照らしてくださいます。神代から続く歴史と脈々と伝承される文化が心に染み入ります。

150227sanin03.jpg

清涼な出雲大社にお参りを済ませた夜、地元の居酒屋で宍道湖のシジミ、ウナギの蒲焼。元気で、ひとり旅ができ、新しい経験を重ね、おいしく日本酒をいただける・・・感謝の気持ちが、私に力を与え、再生してくれるような気がします。

150227sanin04.jpg

翌日は松江へ。「お茶人のもてなしの心を教えられた松江」へ。まず"ぐるっと松江・堀川めぐり"こたつに足を延ばし、やかた舟に乗り込みました。水の都・松江。町中を水が流れるのを見るのがとても好きです。その町の時の流れのように川がゆるやかに蛇行し、さあ、ゆっくりしようよと語りかけてくれるような気がするのです。

150227sanin05.jpg

松江市内には中海と宍道湖を結ぶ大橋川や天神川、京橋川などの堀川が縦横に町を行き交い、他所とは違う落ち着きとうるおいを旅人に味合わわせてくれます。水は風景にいのちをあたえるような気がします。風景ばかりかそこに住む人々に、暮らしのうるおいさえ感じさせます。宍道湖の水面の神々しい輝き、掘割のゆったりした水の流れ・・・松江の歴史と文化の深さを感じます。お昼は割り子蕎麦。蕎麦と日本酒はバツグン、とくにお昼のお酒は。

150227sanin07.jpg
松江では、どこかのお宅へちょっとお邪魔した折に、さり気なくお抹茶をすすめられます。一服のお茶にかわりはないのですが、日常のお抹茶の寛ぎは格別のものです。藩主・不味公は人を修めるには武力よりも文化。つまり茶道を人に勧め、広めたものなのでしょうか。不味流とし、一般家庭すみずみまで茶道が行き渡っているように思います。今回の旅の締めくくりは不味公ゆかりの茶室「明々庵」でゆったりと時間(とき)が流れていくのを楽しみつつ家路へとつきました。やはり、日本海の静けさがそこにありました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』

東京に仕事があり、帰りに丸の内三菱一号館美術館に印象派コレクションを観に行ってきました。私は米首都ワシントンには行ったことがなく、今回の展覧会を楽しみにしておりました。

150212.jpg

印象派のルノアールやモネ、そしてあとに続く「ポスト印象派」のセザンヌなどの作品、今回は日本初公開の作品が半数以上です。ナショナル・ギャラリーを創設した富豪のアンドリュー・W・メロンの娘エイルサ・メロン(1901~69年)が個人的に蒐集した作品を寄贈しました。大変な貢献をした彼女が、私邸の壁に飾っていた作品が多くあります。

私は三菱一号館の佇まいが大好きです。小さな展示室が連なっています。ワシントン・ギャラリー東館1階もそうなのだそうです。親しみやすい小さな作品、家族や友人たちの肖像、庭の景色、果物や花など、親しい友人の邸宅に招かれ観るような作品ばかり。エイルサの死後、彼女のコレクションはギャラリーに入ったのですが、その美意識、数奇な運命など大変興味をおぼえます。

「私的な日常」を感じとることができますし、なによりも"優しい気持ち"にさせてくれます。この美術館は観るものを温かく包み込むような建物。明治期のオフイスビルが復元され歴史に刻まれた建物も楽しめます。

耳寄りな情報。5周年記念イベントでは4月6日は先着555人に記念品プレゼント。午後6~9時は、来場者全員が3階展示室の作品写真を撮影ができ、館内のカフェで生演奏とワンドリンクサービスがあるそうです。

ルノワールの『花摘み』『ブドウの収穫』の前にたち仕事帰りにちょっと寄り道・・・このうえなく幸せを感じました。

2月7日~5月24日まで。
月曜休館(4月6日、5月4日、18日は開館)
午前10時~午後6時。金曜は午後8時まで。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

『箱根ラリック美術館・冬の特別展示』

「ヌーヴォーの灯りとデコの光りー空間で感じるイルミネーション」

150206lalique2.jpg

早朝、目覚めて窓の外を眺めると小雪が舞っていました。夜明けとともに私が一番最初にすることは、小鳥の食事。滑らないように用心しながら裏庭に出て"ひまわりの種"をあげにいきます。木陰から小鳥達がその姿を見つめています。「チッチ、ごはんよ~」と話しかけます。姿が見えなくなるといっせいに何羽も飛び交います。やがて雲の合間から陽が射し青空が見えてきました。

休日の朝、「そうだわ、今日は美術館に行きましょう。」箱根に住んでいて幸せなことのひとつに、美術館があること。バスを乗り継ぎ約1時間、私の好きな「ラリック美術館」があります。

150206lalique3.jpg

「ルネ・ラリック(1860-1945)が活躍した時代、ヨーロッパを中心に、ふたつの新しい装飾スタイルが生まれました。19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡したアール・ヌーヴォーと、1910年代半ばから主流となっていったアール・デコです。」と書かれています。

特別展として、アール・ヌーヴォーとアール・デコのテーマに沿って、イルミネーションを展示しているとのこと。1階には「ベル・エポックの部屋」、マントルピースやテーブル、イス、ドーム兄弟の照明器具など等。落ち着いた灯りの部屋、平日なので一人静かに心和まされました。

150206lalique4.jpg

2階の企画展示室では、ラリックのアール・デコ作品と、新進気鋭の和紙照明作家、柴崎幸次さんの作品が見事にコラボレーションしています。柴崎氏の作品は、和紙を何層にも重ね貼りされていて、陰影があり、その立体感は不思議な世界です。シャープで暖かく、「こんなコラボもあるのね」と、真ん中のイスに座り魅せられました。

150206lalique1.jpg

「美術館でひとりの時間を楽しむ」なんと贅沢な時間なのでしょうか。美術館を出ると、光が木々の枝の間からきらきらと差し込み、青空の中に遠く雪山が白く明るく光を出しています。この美術館にはお洒落なレストラン&カフェ「LYS(リス)」も隣接していて、ここで一杯のシャンパンと美味しいランチをいただくのが至福のひとときです。この日は前菜は甘えびとカニのクネル、ポテトと白菜のポタージュ。そして、めったにいただかない 和牛ロースのグリエ・エシャロットシェリーソース。

本当に贅沢な時間です。こうした時間は、私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のようなものです。帰るときには「さぁ、またがんばってまいりましょう」と元気が戻ってきます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「かながわ里地里山シンポジューム」~未来に引き継ごう!私たちの里地里山

神奈川県主催のシンポジュームが新百合ヶ丘のホールで開催され、私も講演、シンポジュームに参加してまいりました。

150130-1.jpg

450人のホールいっぱいの人。県内で活動を行なっている団体・大学・企業による活動、研究発表もありました。私は講演で「美しい暮らしを通した里地里山の魅力」についてお話をさせていただきました。

箱根の森の中に家を建てて、もう40年になろうとしています。これまで箱根の山の自然に満足していたので、実は地元の里地里山を知る機会が以外に少なく、全国を旅してまいりましたが今回改めて県の方にお願いして、事前に三ヶ所だけでしたが伺いました。

素晴らしい里地里山・・・が皆さんの手で守られていました。里地里山はそう簡単に保全できるわけではありません。集落と農地、水路、ため池、雑木林、それら全てが一体となって始めて「美しい里地里山」になるわけです。長い時間と労力がかかります。

150130-2.jpg

平塚市土屋の「里山をよみがえらせる会」では田畑の復元保全・雑木林の復元・田植え、稲刈り体験・野菜作り体験などに取り組まれています。なかでも素晴らしかったのは雑木林に遊具を手づくりで造り、市内の幼稚園などに開放していること。地元小学校、大学と連携した「生き物調査」などを実施しているとお話をうかがいました。

農家の方やリタイアしたおじいさんたちが孫の笑顔をみるように作業をし、女性たちは手づくりの漬物などを準備し迎えてくださいました。この季節ですと、落ち葉で山を滑り台かわりにするなど、子どもたちにとってその想い出は一生忘れることがないでしょう。

南足柄市大雄町の「五本松・原花咲く里山協議会」は様々な活動を通して地域の活性化をはかっているとのこと。箱根町・畑宿の「箱根旧街道畑宿里山と清流を守る会」など等、足元に「美しい景観」があったのですね。

これまで私は全国を旅し、様々な美しい景観を保全し、守ってこられた地域をみてまいりました。しかし、近年は鳥獣被害、農産物の価格低迷、農家の高齢化、水田の耕作放棄が増加していることも事実です。逆にそうした棚田を利用した再生や付加価値のある野菜作り、6次産業化などで女性が主役になり「農家レストラン・農家民泊」など新たな挑戦も活発ですし、若者がまったく新しい視点で「田舎」を演出しています。

『自然こそは私たちが身動きできなくなった時に飛び込める、おおきなふところ』と私はいつも思っています。そして以前こんな言葉を聞きました。『山が荒れると川が荒れる。川が荒れると海が荒れる。そしていつしか人の心も荒れる』と。人も、ものも、自然も、愛されてこそ輝きをますものだと思います。そして、長くお付き合いをすればするほど、深く、楽しく付き合えることができるのではないでしょうか。

パネルディスカッションでも、活発な意見交換、提案があり有意義な一日でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

旅気分 『東京駅100年の記憶とハヤシライス』

旅に出たいな~!という思いに駆られたときの大切なスポットがあります。
東京駅です。

構内にある「東京ステーションギャラリー」で東京駅開業百年記念「東京駅100年の記憶」が開催されています。(2015年3月1日まで)

150116tokyo.jpg

近代建築史や絵画、写真、東京駅が出てくる文学など、あの赤レンガの丸の内の駅舎がどのように記憶されているか・・・。2012年秋に復元工事が終わり、新しいスタートをきりました。関東大震災と第二次世界大戦をくぐり抜けてきた建築当時のレンガが使われています。

150116tokyo1.jpg

歴史的建造物としての100年の記憶。昭和39年10月1日に新幹線ひかりが東京駅から大阪へと始めて時速200キロで走った記憶。その前の「ツバメ」で京都まで行った記憶。私が初めて新幹線に乗って京都まで行ったのは昭和42年春だったと記憶しています。食堂でカレーライスを食べながら見た富士山の美しさに感嘆しながらのひとり旅。多くの人が食い入るように見つめています。きっとご自分の人生に重ねあわせているのでしょうか・・・。

東京駅は、旅の拠点や毎日通勤に通う駅、というだけではない"何か"を感じさせてくれる場所です。ギャラリー館内を巡れば、当時のレンガが語りかけてくれます。重厚なのにモダン。心地よさと、レンガを通して二度と起こしてはいけない戦争。今回の展覧会も素敵です。

150116tokyo3.jpg

そうそう、もしいらしたらお薦めのスポットを。それは美術館へ入った人しか見られない風景です。ギャラリー2階の回廊からの眺め。美しいドームが干支の彫刻、レリーフなど身近に見る美しさには目をみはります。見下ろすと床面に描かれた文様。以前はジュラルミンと鉄板で仕上げられていたドームの内部を床面に転写したとのこと。おしゃれ。その2階から人々の行き交う姿を見ているだけで100年の歴史を感じます。ギャラリーを出て外から眺める東京ステーションを一望すれば心がウキウキしてきます。

150116tokyo4.jpg

そして、私の秘密基地。
駅中にある日本食堂のカウンターに座り"ハヤシライス"をいただくのです。カウンターには全国の路線地図が置かれています。その地図を見ながら全国にいる友人達のことを思ったり、美しい風景を思い描いたり、壁面にはかつての食堂の写真などが飾られています。もう、もうすっかり旅気分です。

投稿者: Mie Hama 日時: 19:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはどのようなお正月をすごされたでしょうか。
七草粥も食べ、さ~あ、今年も健康で過ごしましょう!などとつぶやいている私です。

1501071.jpg

元旦は家族で祝い2日、3日はそう・・・私にとって欠かせない「箱根駅伝」の応援です。毎年ドラマがあり若者たちの熱き思いとひたむきさには観ているこちらが勇気と感動をいただきます。

それにしても・・・今年の5区を走破した神野選手には驚きました。青山学院の選手一人ひとりが今までのマラソンのイメージを大きく変えましたね。監督は選手たちと寝食を共にし、現代の若者に理解できる指導があったればこそ、と思いました。参加した選手、それぞれにドラマがあり私たちに爽やかな力を与えてくれます。ありがとう!

1501072.jpg

そして、箱根神社に参拝。年末年始の初詣はすごい人なのです。私は毎年4日夜明けとともに静謐な中、神社へと向かいます。凍てつく芦ノ湖周辺を歩き、冬ざれの墨絵のような世界・・・。山の木々は葉を落とし、身の引きしまった空気がたまらなく好きです。

昨年71歳になったとき運転免許書を返納しました。「これからの20年は、よりいっそうスローな暮らしを楽しめばいい。旅もローカル線でいい。」不要なものを整理して、生活を縮小することで、すっきりするだけでなく、エネルギーを蓄えられるような気もします。よどんでいた空気がなくなり、新たに気が巡りだしたような気持ちがします。

1501073.jpg

箱根で静かに暮らすのが、私の幸せのひとつの形。それは確かなのですが、ただ静かにしているのを私はまだまだ望んではいないのでしょう。昨年の冬はとりわけ箱根に雪が多かったのですが、今年はどうでしょうか。でも、箱根のこの山の中に暮らすことで、光が木々の枝の間からきらきらと差込み、青空の中に雪山が白く明るく光り出すたびに、私は毎回、再生のイメージを感じます。10年後の光を目指して、再スタートしてみたいと思ったりもするのです。

1501074.jpg

"皆さまにとって今年も幸多かれとお祈り申し上げます"

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマスクルーズ横浜

24日・25日と「ぱしふぃっくびいなす」でワンナイトクルーズをしてまいりました。雑誌"ゆうゆう"の読者の皆さまとご一緒に1泊2日の短い旅でしたが充実した時間でした。

141226yuyu1.jpg

雲ひとつない青空に真っ白い翼を広げているような優美な船の姿に吸い込まれるように乗船。出港までの時間をお借りし、編集長のリードで読者の皆さまにお話をさせていただきました。

141226yuyu2.jpg

全国からお集まりの皆さま。50代、60代、70代、そして84歳のお元気で素敵なご主人とご一緒に参加なさった奥さま。お一人おひとりがそれぞれの人生を歩んでこられ今回の旅は"ご自分へのご褒美"なのでしょう・・・きっと。

華やかな生演奏と共に、いつもと違った特別なクリスマス。メインダイニングでの夕食。楽隊がパレードして周遊してくれます。船内では映画やダンス、そしてメリークリスマスコンサートなど等。日常をつかの間忘れ楽しみました。

141226yuyu3.jpg

私は25日の午前中は船内で映画を観ました。以前一度観た映画ですが『カルテット!人生のオペラハウス』。監督ダスティン・ホフマン。引退した音楽家たちが暮らす「ビーチャム・ハウス」には、カルテット(四重奏)3人の仲間達が暮らしている。そこへもう一人新たな入居者がやってきた。彼女はかつて仲間たちを裏切り、傷つけ、大スターであったころの影を引きずり心から寄り添えない葛藤をかかえ・・・その先はこれからご覧になる方もおられるかもしれないので、ここまで。2度目だからでしょうか、より内容の機微が深く感じられました。監督は"全ての音楽家に捧げる"そんな思いで撮った映画だそうです。仕事収めの25日にこの映画を観られたのも幸せでした。そして、何よりも同世代の読者の皆さんとお茶をしながらお互いに語り合えたこと・・・嬉しかったです。今年も人々に出会い、ものに教えられ、旅することも多かった年です。


明日何が起こるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれない・・・文字通り、まったく予測がつかない年代、それが70代だと思っています。80代へ向かい、いくつもやりたいことはあります。自分にとって大切に思っていることをさらに追求したいとも思いはじめました。船旅、観た映画のせいでしょうか・・・「命に限りがあることを深く実感」できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら・・・そんなことを思いました。

141226yuyu4.jpg

船は駿河湾を抜け三浦半島から浦賀水道を通りベイブリッジの下を通過し横浜港へと静かに入港しました。

来年は私の干支"未年"です。

このダイアリーをご覧いただきありがとうございました。皆さまにとって来る年も佳い年でありますように。寒さ厳しき折から、いっそう御自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

東京都庭園美術館

この日をどんなに待ち望んでいたことでしょう。約3年に及ぶ休館から11月22日にリニューアルオープンした東京都庭園美術館。

この美術館は建物も庭も本当に素敵です。
建物は旧・朝香宮邸で、アールデコ様式。
ルネ・ラリックのガラスのレリーフや照明器具。
壁面をおおうアンリ・ラバンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフのおもしろさ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線・・・建物全体が宝石といってもいいほどです。

都会の真ん中にこのような美しい美術館があるなんて・・・。
何度この美術館を訪れたことでしょうか。
その空間に自分を置く、そこのソファーに座って自分を休める。
それだけで充分幸せなのです。

141212teien1.jpg

その日は霧雨が降り傘をさしながら目黒駅から歩いて約10分。
初冬の紅葉の名残を踏みしめながら足早になってしまいます。
今回は12月25日までは本館のみ撮影が許されています。
自分の宝箱にしまいたくて、どうしても早く行きたかったのです。
休館中に行なった調査・修復活動から朝香宮邸建築に携わったアーキテクツ(設計・技術者たち)がどのような思いで建設を行い、その改修に携わったかを観られるということです。

141212teien2.jpg

まず外壁の塗りなおしが美しいのです。
「リシン掻き落とし」の手法が見事です。
正面玄関ガラスレリーフの扉はルネ・ラリックの作品。
床全体のモザイクは細かい天然石。
応接室の寄木張り、壁紙、照明器具、隅棚は今回修復されたものだそうです。

各部屋の修復にはどれ程、職人さんたちの情熱と技と愛情が注ぎこまれていることでしょうか。日仏合作の美術館。ひと部屋・ひと部屋を目を凝らしながら見ても、まだまだ観たりません。当時の人でしかできなかったであろう技術を現代に蘇えらせ、輝きを放ってそこに存在している空間。こればかりはぜひ・ぜひ、ご自分で体験してみてください。

141212teien3.jpg

新館には、新たなショップとカフェがオープンしました。
そして小さな子どもたちを美術館に誘うプログラムも用意されています。
これは嬉しいですね。パリの美術館などで子どもたちが床に座り静かに絵を鑑賞している姿は素敵です。カフェでシフォンケーキとコーヒーでリラックス。

至福のひととき、ルネ・ラリックの作品に見送られ帰路につきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

山口県下松(くだまつ)市を訪ねて

下松市制施行75周年記念講演及びシンポジュームにお邪魔してまいりました。

下松市は工業で栄え人口も県内では増加傾向にありますが、これからは第一産業の農業にも力を入れていきたいと町全体で取り組んでいます。"にんにく"の生産・加工にも取り組まれています。

『「まち」と「さと」が共に発展する下松を目指して』がテーマです。

私は「都市農村交流・6次産業における女性の活躍の重要性」について話させていただきました。ちょっと硬いテーマですが、要は「農村は私たちの心の故郷」、そしてそこには女性が担う役割が大きい。女性の活動・活躍なくしてこれからの農村は再生できません」ということです。

日本の農業は勢いを失いつつあります。他方では新たな「農業のあり方」も考えはじめられ行動に移されております。私は、これまで全国各地の農村女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。「農」は自然・環境・食・伝統・歴史・政治・未来・人間・美・健康・教育などあらゆる方向から考えられるテーマです。

農は食であり、食の先には人々の暮らしがあります。どこで、どんな風に育てられた食材を、どう調理して、誰といつ食べているのか、といった食文化は、すなわち日本という国のあり方を物語るものです。さらに土、水、生物によって支えられる農業は、自然循環機能を基礎とするものであり、環境の動脈といってもいいほど非常に重要です。自然災害の多い昨今、だからといって「工場」で生産し、効率をアップ、それでよいのでしょうか。今、食を取り巻く状況は確実に変化しつつあります。大量に生産し市場に流す、一過性のイベントにたよるのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。地元の食材を活かした加工品や料理を生み出すことで地域内に人と人のつながりが生まれ、雇用や起業を促進するレストランやカフェも生まれています。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。

私は3つの事例をご紹介しました。萩・「地域に根ざし三見(さんみ)シーマザースの活動」。"海のおかあさんたち"という意味ですね。浜の人口は630人、高齢化率も40パーセントを超えていますが、様々な工夫がみてとれます。何よりも"美味しい"し皆さんお元気です!

そして、岐阜県山県市の美山地区に残る伝統素材「桑の木豆」を地域の味として伝えていこうと頑張っている「ふれあいバザール」の女性たち。1997年4月のオープン以来の黒字経営です。生産者に85%支払い、残りの15%で市から借りている建物の家賃やスタッフの人件費などすべてまかなっている、つまり「行政に頼らず自立している」そこが素晴らしいのです。他県からも大勢のサポーターがみえます。非常にバランスのとれた「人と産業と環境」を感じ、「農のある暮らし」を、いわゆる観光地とは一味も二味も違う、暮らしの広がりと農村の未来がそこにはありました。こうした活動は全国各地にあり、"女性が主役"です。

今回どうしても訪ねたい場所がありました。下松からおよそ1時間。高齢化率 日本一の島に現われた人気店です。民俗学者の宮本常一の故郷でもある周防大島。『瀬戸内ジャムズガーデン』「よく、ま~こんな不便なところに・こんなお店を・・・」と気になっておりました。正直、全国どこでも作られている「手づくりジャム。」スーパーにはお手ごろのジャムが棚にずら~と並んでいます。何がどう違うのでしょうか。週末などカフェには人が入りきれないほどですし、平日私がお訪ねした時はバスでお客さんがみえていました。

141205yamaguchi1.jpg

ご主人の松嶋匡史さん、奥さまの智明さん。京都出身のサラリーマンだった彼は新婚旅行で入ったパリのジャム屋さんに驚き、品数の多さ、組みあわせの美しさに魅せられます。いつかは・・・・と夢を持ち続け、奥さまの故郷の島での開業。実家はお寺さん。副住職でもある智明さん。お産で実家に帰ったとき、島には豊富な柑橘類があることに気づきます。お産後すぐにジャム作りに挑戦。いまでは年間120種類のジャムが店内に並べられています。

人気の秘密はフレッシュな季節のジャムが試食もでき、不要な添加物は一切使用しない。砂糖は種子島の黒糖。ジャムの原料は島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れる(52軒)。普通、加工用ミカンの出荷価格は1キロ10円ほどにしかならなかったのがジャム作りに適した果実を栽培してもらい、1キロ約100円で買い取る。農家もある程度保障され、意欲が増し、若者も農業へ参入。カフェにはパテェシエの女性も。島の若者とコラボして消費者の嗜好にあった商品開発続けています。

『ここでしかできないことを』

そう、起業する場合は都会の真似をしてもだめですよね。やはり大切なことは足元にある地域資源を活かし、雇用を生む。地方の時代といわれていますが、そこに暮らす人たちが、自分たちの暮らす土地に愛着と新しい発見なくして、輝きに満ちた街づくりはできませんよね。

冬は「東和金時」の美味しい季節。
「焼きジャム」は冬の定番商品。

最後の別れぎわにご夫妻はおっしゃられます。

「島へ移住する人や島で何かをしようとする人を応援することで恩に報いたいです」・・・と。この優しさがジャムにこめられているように思いました。お客さまもその優しさを感じるのでしょう。カフェの前の美しい瀬戸内の海を見ながら、ジャムを抱え幸せな気持ちになりました。そんな女性やご夫婦の活動をご報告させていただいたシンポジュームでした。

141205yamaguchi2.jpg

HPでも商品は購入できます。
瀬戸内ジャムズガーデン

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

会津若松

先日、会津若松商工会議所のお招きで講演に行ってまいりました。

私は地方にお邪魔する時はできる限り前日に入り街を散策いたします。その街の風、匂い、人々の暮らしを拝見いたします。身体にその街の空気が・・・そっと私を包んでくれます。今回も新幹線で郡山へ。

141128aizu1.jpg

駅で"ふくしま路・おとなの秋ごはん"を買い磐越西線快速で会津若松へと向かいました。美しい山々を見ながらの駅弁は最高!です。福島県を三つの地域に分けたとき、もっとも内陸部にあり、猪苗代湖や磐梯山などに囲まれ、四季折々、風光明媚な景色が広がる会津地方。磐梯山はうっすらと雪をかぶり、紅葉した木々、伺うたびにその美しさに胸が震えるようで会津には日本の原風景があるなぁといつも関心させられます。

141128aizu2.jpg

141128aizu3.jpg

ホテルに荷物を置き町中を散策しました。鶴ヶ城には400年前の石垣が残っております。「絵ろうそく」の名人のおじいちゃんとよもやま話をし、酒蔵や奥会津で採れるぜんまいを買ったり、そしてぜったいに外せない味噌の満田屋さんで"みそ田楽"と地酒を少々いただきました。満田屋さんは江戸末期創業の味噌専門店です。実は我が家の味噌は30年ほど前からこちらの味噌を愛用させていただいているのです。店内に囲炉裏があり秘伝の味噌だれをぬり、炭火で焼いてくれます。香ばしく懐かしい味が広がります。「会津さこらっしょ」・・・囲炉裏を囲んで"みそ田楽"と書いてあります。

そしてまた街の散策。七日町駅からの散策路はほんとうに歩いていて楽しいのです。夜はちょっと秘密ですが・・・女将さんひとりでやっている居酒屋に。おでんと日本酒を燗していただき1合だけ。至福のときです。

さて、今回は「会津と日本~食といのち」というテーマでお話しをさせていただきました。じつは事前に関係者の方から2011年3月11日の東日本大震災や放射能事故による風評被害がひどく、農産物を含めその他の商品が売れず、また観光客を含めた来街者も風評被害で少なくなっている状態と伺っておりました。あれからもうすぐ四年の月日がたちますが、今もまだ家に戻れず会津若松で避難生活をなさっている方々がいらっしゃることを、私たちはいつも胸に刻んでいかなくてはならないと思いました。

会津若松は福島第一原発から100kmと離れており、原発と会津の間には阿武隈山系、奥羽山脈など大きな山脈が連なっていて、それが盾になってくれたことなどから、放射線量も東京よりもほんのわずかに高いだけの基準にとどまっています。最初はきちんとした情報が消費者に伝わらなかったこともあり風評被害という未曾有の危機にさらされました。

会津は幕末のときも、本当に大変な思いをなさいましたが、大震災までは、人口約12万5000の地方都市に毎年平均350万人もの観光客が訪れておりました。とくに修学旅行などの教育旅行に関しては大勢訪れておりました。さすが、オンリーワンの歴史と文化を持つ町だと感じさせます。大河ドラマ"八重の桜"効果で放映中は一時、わっと人がおしかけ、おすなおすな状態になっても、放映が終わりしばらくすると人の興味が移ってしまい、波がひくように観光客が減ってしまいます。

もう一度会津に行きたい。
あの町を散策したい。
あの風景を見て、会津の風にふかれたい。
会津の人々に会いたい、あの言葉を耳にしたい。
あの味を味わいたい。

そんな日はそこまで来ています。何よりも町の方々の熱いふる里への想い、情熱があり、「風評被害・・・なんて後ろ向きではいけませんよね!前を向き美しい街、里山を守っていきます」と力強く語ってくださった表情は輝いていました。しなやかな強さを持つ会津人気質。豊かな風土。時間はかかってもいい方向へとしっかり進んでいかれることでしょう。素晴らしい旅をさせていただきました。

『おあいなはんしょ』(いらっしゃいませ)
『よぐきらったなし』(よくおいでくださいました)

この美しい会津弁に魅せられます。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

マダム・マロリーと魔法のスパイス

素敵な映画に出逢いました。

私は月に2回はかならずラジオの収録のために山を降り東京に向かいます。素敵なゲストとのトーク、その高揚感のあとはコーヒーを飲みながらひと息。そのあと時には映画であったり展覧会、そしてチケットが取れていれば"追っかけ"をしている柳家小三治師匠の落語を聴きに。音楽会・芝居・・・など等。幸せな時間です。まっすぐに山に戻ることはほとんどありません。それもひとりで・・・。

今回は映画です。美しい南フランスを舞台に『ショコラ』の名匠ラッセ・ハルストレムが監督、スティーヴン・スピルバーグが制作。おいしい料理が心に奇跡をおこします。

マダム・マロリーのフランス料理店の向かいにインド料理店がオープン。オープニングから美しい田園風景に釘付けになり、やがて文化や習慣の異なる人々のやりとり。映画ですから詳しくは書きませんね。でも、未知の世界の料理でも、それは人の心と技が織りなす料理。もうもう・・・映画が終わったらそのままインド料理かフランス料理が食べたくなります。

ミッシェランの星に輝く名店を守る、誇り高き女主人マダム・マロリーを演ずるのは世界的な名女優・ロンドン生まれでエリザベス二世に扮した「クイーン」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたヘレン・ミレン。

フランスでインド料理店を成功させたい頑固な家長にはインドを代表する俳優オム・プリ。子どもたちや小さな街に暮らす人々。監督・脚本・撮影監督・美術・音楽、特に料理も主役でもありますし、素材がなによりも命。実際にこの映画が撮影された小さな田舎町には、本物のマルシェが週一度ひらかれるそうです。マルシェをお目あてに国境を越えてお買い物に来るひともいるとか。料理や素材の撮影はとても難しいし、食べる姿はもっと難しいと思うのですが、変にアップにはせず、日常の一コマのよう。しかし厨房はリズミカルでスピーディー。画面は繊細で静かな表現が印象的です。何よりも映画を観終わったあと、とても幸せな気分にしてくれることです。グローバリズムが浸透し、多くの人が希望を胸に世界各地に移民している時代。習慣・歴史・文化の異なる人たちを理解するのには、料理を通して知ることも大切なのかもしれません。

お薦めの映画です。
角川シネマ有楽町他で12月12日まで。

マダム・マロリーと魔法のスパイス1414746690637.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

ミラノ 霧の風景

「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。

141107.jpg

横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。

1411072.jpg

私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。

1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。

「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。

「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。

私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。

そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。

そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。

「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」

会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。   

11月24日まで。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

アンティークフェアーIN新宿

10月10日(金)から12日(日)までの3日間、アンティークフェアが新
宿で開催されます。

娘の鎌倉のショップ「FLORAL」(フローラル)も初めて出店いたします。

FLORALは小さなスペースですが、西洋アンティークから和骨董まで、160もの店舗が出店するそうです。とても楽しそうなので、これから私も店番をかねて行ってみようと思います。今日(10日)はお昼ごろから夕方まで。明日(11日)はお昼頃数時間行く予定です。フローラルはエリア「B」だそうです。

私がアンティークに目覚めたのはいつの頃からでしょうか。
「なぜ骨董がすきなのですか?民芸に惹かれるのですか?」
これまで多くの方から尋ねられました。

私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思いこんでいるわけではあ
りません。ただ、私が「いいなあ」とため息をついたり、ちょっと無理してで
もほしいと思うものが、アンティークだったり民芸のものだったりすることが多
いのです。

でも考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながらいきつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。そのものに、人を魅了する力があったから、たいせつに丁寧に、グラス・器なら器が人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。

気が向いたら覗いてみてください。
その前に「FLORAL」のブログをご覧ください。
新宿でお逢いできたら嬉しいです。

http://blog.floral-antiques.jp/

141010floral.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本酒で乾杯

10月1日、「日本酒で乾杯推進会議」が明治記念館で開催されそのフォーラムに私も出席させていただきました。
テーマは『和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~』です。

141013sake.jpg

基調講演は西村幸夫氏(東京大学副学長)、テーマは「世界文化遺産と無形文化遺産のこれまでとこれから」でした。大変興味深く、世界の文化遺産の知らない世界のお話を聴かせていただきました。

パネルディスカッションのテーマは「祭りと酒菜」。料亭「青柳」のご主人、小山裕久氏と京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏。コーディネータは民俗学者の神埼宣武氏。そうそうたる方々ですが「和食と日本酒」について楽しく分かりやすいお話でした。

そもそも、この推進会議は私たち"最近のニッポン人には日本が足りない"、"多くの心ある日本人は今日の日本、明日の日本に危惧の念をいだいているのではないか・・・"ということで日本酒造組合中央会を中心に「100人委員会」が10年前に発足しました。各界の方々が参加し、日本文化や良き伝統を守りたい・・・という思いで生まれました。

日本酒は美味しく飲む前にまず、神仏にお供えします。そこから始まる文化ですよね。日本の四季の行事には、やはり日本酒は欠かせません。そういう意味で日本酒は非常に身近であるのと同時に、特別なお酒だという思いが私の中にはあります。だからでしょうか、私は日本酒をいただきながら、「人々の祈り」たとえば「人々の幸福を願ったり」「人とのつながりを大切にしたい」といった「美しい」心みたいなものを一緒に味わっているような気がすることがあります。こんなお酒はほかにはありません。

私が日本酒をたしなむようになったのは民藝の柳宗悦先生の考え方に憧れ、先生の足跡を追うようになった頃からです。美しい暮らしの道具が見られるのは地方が多くお酒の場のお誘いをいただくようになりました。共にお酒をいただくことで、人は非常に親しくなれることを知りました。そのお宅のおばあちゃんがナスやキュウリの漬物をどんぶりにどっさりだしてくれるんですけど、ほんとうに美味しい!こういう酒の肴が最高です。

それから強く印象に残っているのは、30歳のころ、女性6~7人でで金沢を旅して芸者さんにも来ていただいて(女性割引!があるのですよ(笑))踊りやお三味線、笛などをそのお座敷で聞きながら、懐石料理と日本酒をいただきました。日本酒の作法といいましょうか、飲み方の美しさを、そのときに学びました。以来、人と親しく交わり、美しくいただく。それが私の憧れる日本酒の飲み方となりました。

「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。日本人の食生活も大きく変化してきました。日本では、世界中の料理、お酒を飲むことができます。そこでもう一度『國酒』としての日本酒を考えてもいいかもしれませんね。日本の風土の恵みの米と水でつくられているお酒。「地産地消」そのものですものね。日本酒の海外への輸出も増えているそうですが、それは「日本文化」の輸出でもあります。

女性も日本酒を粋に飲んでみませんか。
シャンパン・ビールで乾杯も素敵ですが「日本酒で乾杯!」なんてお洒落ですよね。皆さんのお話を伺いながら、あらためて「和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~」を考えました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。

ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの"ときめき"です。

15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。

24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。

会場のファンは古典落語はもちろんですが、この"まくら"も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。

そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。

同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。

rakugo.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (9) | トラックバック (0)

仕事帰りの寄り道 美術館

いつもより早く仕事が終わったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。
                      
(自由国民社「仕事帰りの寄り道 美術館」 プロローグより)

そうですね、私はお気にいりの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。ちょっと疲れたとき、何となく鬱々しているとき、美術館の建築をみたいとき、美術館にはオシャレなカフェも併設されていて、ときにはそこでお茶をいただくときも。

私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のような存在が美術館です。素敵な本に出会いました。
それが「仕事帰りの寄り道美術館」です。

たしかに、この20年近くで街にはアートがあふれ身近な存在になりました。
大きな展覧会だけではなく日常的にアートにふれる機会ができました。だから・・・ふらっと寄り道がしやすくなりました。この本には東京の美術館がエリアごとに写真とイラストマップ付きで掲載されています。カフェの情報も素敵です。仕事、仕事、仕事・・・そんな日常、隠れ家的なアートスペースから、明治期のオフィスビルが復元された展示室、新しい才能を発掘しつづける美術館など等、満載です。

つい先日気になっていた展覧会に仕事を早めに終えて娘と一緒に丸の内にある「三菱一号館美術館」に行ってきました。

140919mitsubishi1.jpg

ここの素晴らしいところは、作品との距離が近く、じっくり作品と向き合えるところ、明治の建築が素晴らしく建物、廊下、鉄筋階段、天井など、まるで個人の館に招かれたよう。

9月23日で終わってしまう『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』です。

1865年ローザンヌで生まれ、一時期フランスに帰化し、「アンダーグランドのスイス人」ともいわれ、20年ほど前にブリジストン美術館で版画作品を観て感動したことを覚えています。けっして、広く知られてはいませんが、今回のこれほど大きな回顧展は日本で始めてです。しかも「三菱一号館美術館」での開催はもっともふさわしい場所のような気がいたします。絵の感想は申し上げません。ただ本にあるように「仕事帰りの寄り道」にはふさわしい美術館です。なぜって、アートの余韻をたっぷり楽しめるカフェがあるからです。

140919mitsubishi2.jpg

クラシカルな雰囲気の中で、明治時代のハイカラ文化も味わえ、私は"白ワインとナポリタン"をいただきました。陽が落ちての中庭のライトアップも素敵でした。心がとても豊かになりました。

140919mitsubishi3.jpg

ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」に出版社・自由国民社の徳田祐子さんにご出演いただき企画された意図などお話を伺いました。

『夕方の美術館は、自分を見つめる場所かもしれませんね』というお話が印象てきでした。

放送は文化放送・9月21日(日曜・10時半~11時) 
「浜 美枝のいつかあなたと」

140919mitsubishi4.jpg


投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8) | トラックバック (0)

湯布院映画祭

先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。

140905yufuin4.jpg

かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。

私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。"懐かしいわ~"皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。

暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。

実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。

ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。

140905yufuin5.jpg

翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。

140905yufuin2.jpg


ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま"ありがとうございました"
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。

140905yufuin3.jpg

【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

徹子の部屋

テレビ朝日 『徹子の部屋』にお招きいただきました。
(放送日は9月25日になりました)

9年ぶりの出演です。
1週間ほど前にお声をかけてくださった局のMデレクターが箱根の我が家に打ち合わせにお越しくださいました。「あのとき、10年後の浜さんをお招きしたいと思っていました」と。

子ども時代の空襲で焼け出されたこと、川崎での長屋暮らしのこと、戦争がやっと終わり、ものはないけれども、みんな貧しかったけれど、元気に働いて・・・・・。

昭和がすべてよかったなどとは思いませんし、戦争にとられて死ぬ人がひとりもいない平成には、それだけでかけがいのない素晴らしさがあると感じる・・・こと。

子供たちが社会へと巣立っていき、ハッと気が付くと、60代に。65歳になったとき、今後のことを考え、自分のスペースのリフォームに着手したこと。70代に入ってからいっそう丁寧にくらしたいと思うようになったこと。これからも人々と出会い、ものに教えられ、思索し、旅に出たいです・・・・とそんなお話をさせて頂きました。

当日、スタジオで徹子さんに久しぶりにお目にかかりました。ひとつの番組をあれだけ長く続けておられるのには大変なご努力があられるでしょう。相手を気遣い、"本音"を引き出す話術はやはりプロです。どんな内容が放送されるかは、な・い・しょ!

ただ私は40歳で演ずることを卒業しているので、テレビ出演はやはり緊張いたします。あんなにテレビにお世話になっていたのに・・・。

久しぶりのテレビ出演、ご覧くださいませ。
あ~~終わってよかった。
ホッとしてその日はひとりワインで乾杯!しました。

140829tetsuko.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (8) | トラックバック (0)

-高野山

念願がかない高野山に行ってまいりました。
宗教を深く勉強しているわけでもなく、なぜ高野山なの・・・と自分に問うても分かりません。『お大師さまを慕って』の旅でした。

14、5年前になるでしょうか。一冊の本に出会いました。「空海・日本人こころの言葉」(村上保壽著)です。現代語訳つきでしたので読みやすく心に響く言葉がちりばめられていました。

『人は必ず何かのご縁にめぐりあう』
『現状が変わる時節は必ずくる』
『そもそも冬枯れの樹木は、いつまでも枯れているのではありません。春になれば、芽ばえて花が咲きます。厚い氷でも、いつまでも凍っていることはありません。夏になれば解けて流れだします』(現代語訳)
『生あるものすべてが親である』・・・など。

「この世にいるのも今や残り少なくなった。そなたたちよ、よく暮らして慎んで仏法を守るがよい。わたしは永く山にかえるであろう」と弟子たちに言い残し、御年62歳で高野山奥之院に入定されます。

140801kouyasan1.jpg

大阪・難波から特急に乗り1時間20分、終点の極楽橋に着きます。そしてケーブルカーに乗り換え高野山駅までわずか5分。特急は深山幽谷の深い山間を抜け、ケーブルカーは800m、勾配は急なところで30度。車窓から永年の風雪にたえたヒノキの巨木林・高山植物などを見ながらのぼります。冬はその険しい道を修行僧は歩いて登るとか。日本語の案内の後フランス語での案内。ケーブルでもフランス人が家族でいらしていました。大自然にかこまれた高野山駅。夏の涼風が身体の疲れを包み込んでくれます。弘法大師をここで身近に感じます。きっと今も昔も変わらないのでしょうね、駅って。駅からはバスでそれぞれの宿坊に向かいます。周囲1000メートル級の峰々にかこまれた曼荼羅浄土。

140801kouyasan2.jpg

宿坊に着くと若いお坊さんが「お風呂にはいられますか、それとも夕食を先になさいますか」と丁寧にたずねられましたが「すみません大門まで行ってきます」と、早々に歩いて行きました。夕陽に映える壮麗な大門を見たく、坂を駆け上りました。

「わぁ~間に合った!」数秒ごとに違った色を映し出す大門。千年の昔からこの絶妙な夕陽を目にした人々。高野山の街並みの西端に国の重要文化財大門。両脇に配置された仁王さまは江戸の名工・仏師による大作、三百年近くの永きにわたり参拝者を温かくお迎えしてくれているのですね、睨みをきかして。ここが『聖地への入口』ということを感じさせてくれます。

140801kouyasan3.jpg

人口約4000人、そのうちお坊さまが1000人。
暮六つを告げる六時の鐘の音を聞きながらの夕食は高野山名物の精進料理。翌朝は宿坊での勤行、そして朝ごはん。東西6キロ、南北3キロの盆地に117の寺院、役場や銀行に学校、そしてコンビニもあります。「一山境内地」、総本山の境内に全てが存在します。

140801kouyasan4.jpg

まず向かった先は「壇上伽藍」。ここはお大師さまが高野山を開いたときに最初に整備した神聖な場所だと聞きました。そして「金堂」裏堂の曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」。まだ参拝客も少なく森厳な空気がひろがります。そして「根本大塔」。巨大な朱色の外観だけでなく燦然と輝く大日如来、まわりを取り囲む四仏、柱の十六菩提。壇上伽藍を抜け、通りにでると左手に金剛峯寺など見どころがたくさんあります。天皇・上皇の応接間である書院上段の間、四季の花や鳥、弘法大師入唐の模様が描かれています。豊臣秀次が自決した柳の間、そして2千人分の食事をまかなう台所。奥へ進むと「ひと休みなさいませ」とお茶とお菓子をいただきながら庭をながめ、次は高野山1200年の至宝が見られる「霊宝館」へ。世界遺産高野山に現存する貴重な仏像・仏画をはじめとした文化遺産が収蔵され、一般公開されています。

140801kouyasan5.jpg

商店街の酒屋へ寄り道し「地酒は何がありますか?」と聞き、本場のごま豆腐や高野豆腐などなど帰りに買うお土産の下調べ。

140801kouyasan6.jpg

さぁ~いよいよお大師さまのおわします奥之院へと向かいます。

140801kouyasan7.jpg

奥之院に通じる表参道は静寂そのものです。見上げればあたりを埋め尽くすような杉。あたりはひんやりとした空気に包まれ静寂のひとこと。一歩一歩歩いていくと両側には苔むした石塔が延々と続きます。石塔には皇族や公家、大名などに加え企業の名まであります。始まりの一の橋はたった数メートルの橋ですが、ここから聖地がはじまる・・・と思わず帽子を取り一礼し、歩くことおよそ40分。いよいよ御廟に到着です。合掌、礼拝し、橋を渡り灯篭堂を抜け、お大師まの御廟の前へ。私はここに辿りつくまで何年の月日が経ったのでしょうか。

観光客や外国の人もいらっしゃるし、遍路姿の人、そしてお年寄りや若者も。

私は今回なぜ高野山に行ったのでしょうか。
空海という方はどんな方だったのでしょうか。
宗教を超えプロデューサー的な役割を果たした方・・そう思えました。

「空海・日本人のこころの言葉」の最後にこう記されています。

空海の祈り 高野山万灯会と入定
八三二年(天長九)八月二十二日、空海は、思いをこめて「高野山万灯会の願文(がんもん)」を書き、弟子たちを率いて万灯万華会を修法します。

『虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん』
(生きとし生けるすべてのものが悟りを得て幸せになれば私の願いも尽きるであろう)

人は自らの心に迷う、と空海は述べていますが、迷いの原因が自らの心の中にあることを知れば、人生ってけっこう面白く、興味深く、また優しく生きることができるかも知れません。

行きと同じようにケーブルカーに乗り、特急に乗り、大阪から箱根の山に戻りました。同じ杉の木立をバスの車窓から眺めていたら、"お大師さまを慕って"の旅が身近な旅に感じられ"理屈"はどうでもよく、心の中を心地よい風が吹いていました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

普段着のパリ

パリから戻りました。

昨年は9月に遅い夏休みをアパートを借りパリで過ごし、とても快適だったので、今年は少し早い夏休みを昨年同様アパートを借り9日間過ごしました。着いたらすぐに荷物を置き近所のスーパーで、水・ミルク・くだもの、パン屋さんでクロワッサンとパン・オ・レザンを買います。これは大好きなパンです。今回見つけたコーヒー豆屋さんで1週間分の豆を挽いてもらい、日本から持参したテーブルクロスをテーブルにかけてできあがり。そうそう、お花屋さんで一輪のバラを買えば幸せな気分になれます。

170718paris1.jpg

翌日からはまず美術館めぐり。パリにいると一日、5~6時間はあるきます。20世紀初頭の印象派の殿堂「オルセー美術館」はかつての駅舎を再利用した美術館。ポール・セザンヌの「りんごとオレンジ」、ミレーの「落穂拾い」、ゴッホが療養のために過ごした村の教会を描いた「オーヴェルの教会」などなど。見逃せないのがアール・ヌーボーの家具。時間が経つのも忘れ4時間たっぷり見てからセーヌ川に沿ってシテ島へ。

170718paris0.jpg

ゴシック建築の傑作「ノートルダム寺院」は観光客でいっぱいなのでパスし、裏側から見る寺院の美しさにいつも感動します。そして、サンルイ島に渡りウィンドーショッピング。お昼はオニオングラタンスープが美味しかったです。

170718paris2.jpg

私はパリでは友人と会っての会食はお昼。早寝早起きで快適です。最後の日の夕食をのぞいて、もったいないかもしれませんが夕食は抜き。軽く部屋でチーズと赤ワインを一杯でじゅうぶん。

翌日はオランジェリー美術館へ。オープン30分前に並び一番で入るようにします。静謐な空気の中で絵と向き合うと心が豊かになります。今回もモネの「睡蓮」の前でイスに座り「水平線も岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を表現したといわれる絵の前で、かつて戦争に傷ついた人々に自然の前で瞑想へと誘う安らぎの場を提供したモネ。淀んだ水に花咲く睡蓮の佇む風景には心が穏やかになり、私も疲れが肩からスーと抜けていきます。幸せ・・・。

170718paris8.jpg

帰りの骨董屋さんや、ギャラリーのお店が並ぶサンジェルマンデュプレまでの散歩も落ちつきます。

170718paris9.jpg

日曜日はオーガニック専門のビオマルシェへ。石鹸、ナッツなどをお土産に買いました。

170718paris5.jpg

パリに来たら1度は行くレトロな雰囲気漂うアーケード街、パサージュ。ガラス張りのドーム天井や足元のタイルのモザイクが美しいのです。今回は1826年にオープンしたギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。

170718paris7.jpg

そして7月14日の革命記念日にパリにいたので、凱旋門からコンコルド広場までのパレードを見るために、アパートから1時間近く歩き(周辺は地下鉄もストップ)シャンゼリゼ通り沿いの柵の近くでパレードが見れました。パリ人、地方からパレードを見に来た人、私のような観光客、人で溢れています。騎馬隊の美しい行進が大統領を乗せた車を護衛します。上空には戦闘機がフランスの国旗、三色の色を轟音とともに駆け抜けていきます。今年は第一次世界大戦から100年目の大きな節目の年。テーマは「戦争と平和」でした。各国からパレードに参列していましたが、日本も自衛隊が3名参加したことに私は少なからずショックを覚えました。初めての参加とのこと・・・。

170718paris4.jpg

夜は暗くなる11時からエッフェル塔を中心に花火大会。私もエッフェル塔が良く見える友人の家に招かれ花火を見学しました。テーマはやはり「戦争と平和」でした。夜空に月も美しく輝いていました。打ち上げられる花火を見ながら、"どうぞ、紛争のない平和な世界になりますように"と祈りました。

170718paris3.jpg

この季節はセールの時期でもあります。私はとても気にいった手袋を買いました。秋が来るのが楽しみです。今回の旅も移動はほとんどバスでした。外の風景を眺めながら楽しめました。疲れたらひとやすみ。カフェーでコーヒーを飲みながら街行く人を眺めながら時間が止まったような不思議な気分にしてくれるパリ。時に中世の路地の残る街に迷いこむと「ここがパリ?」という信じられない静けさに出逢います。

170718paris10.jpg

今回の旅は、平和について考える旅でもありました。日常生活に埋没しているとついつい忘れがちのこと・・・。

そして、長年の友情にも感謝した旅でした。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:40 | | コメント (6)

「花咲く ラリックと金唐紙」

箱根ラリック美術館 特別企画展で素敵なルネ・ラリックの作品と金唐紙作品のマリアージュ。

ご案内には「花咲き、鳥たちが歌う。「花鳥風月」の世界あふれるルネ・ラリックの作品。それは自然をこよなく愛する彼がたどり着いた美の境地でした。明治時代、西洋に日本からもたらされた日本工芸の粋、金唐紙。自然の草花から生まれたきらびやかに浮きたつ文様は、まるでラリックに直接影響を与えたかのようです。洋と和の名品が織りなすハーモニーをお楽しみいただけます。」

金唐紙については漠然とは知っていました。江戸末期から明治にかけて日本で発展した工芸和紙。旧岩崎邸や旧前田公爵邸などに使われていて海外に輸出品としてイギリスなど海外でも高く評価されていた和紙。日本国内でも鹿鳴館や国会議事堂といった建築物の壁紙としても使用されていましたが、アール・ヌーボーの衰退、ライフスタイルの変化、その後はあまり見かけることはなくなりました。

もともとはヨーロッパの金唐皮(ギルトレザー)をルーツとしてその皮の質感を手漉きの和紙で表現された高級和紙。1873年にウイーン万博で話題を集めたとの事。その後その金唐紙がどのような道をたどったのでしょうか。

今回の展覧会で謎がとけました。二十世紀半ばに生産が途切れた金唐紙を見事に復元したのが今年80歳になられる上田尚さんです。30年の歳月をかけ復元に取り込まれてきました。明治、大正期の金唐紙は上田氏によって新たな命を吹き込まれました。

140704lalique1.jpg

強羅から施設巡りバスに乗り、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けるとポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森ミュージアムを経てラリック美術館に着きます。我が家からバスを乗り継いで約1時間。「花咲く ラリックと金唐紙」展に行ってまいりました。梅雨の日の合間の晴れた日、木漏れ日が心地よく「幸せだわ~」とつぶやいていました。室内に入ると「花鳥風月」の世界。ルネ・ラリックの花器「きんぽうげ」と金唐紙「鳥とアイリス」。春夏秋冬の上田氏の作品の前にラリックの花器。西洋と日本、和と洋がこんなに似合うなんて・・・明治時代にタイムスリップしたかのようです。

140704lali.jpg
140704lalique2.jpg
140704lalique3.jpg
<写真提供:箱根ラリック美術館>

ラリック美術館の企画展にはいつも魅了させられます。ゆっくり時間をかけ拝見できました。そして・・・その後のお楽しみ。年に数回ではありますが、美術館に併設されてある"カフェ・レストラン LYS"でのひととき。遅いランチをいただきます。ひとり庭を眺めながらのシャンパン。至福のひとときです。「明日からの仕事頑張ろう~」などとかってにつぶやき、冷製トウモロコシのポタージュ、和牛フィレ肉グリエ香草マデラソース、そして・・・普段めったに頂かないデザートはタルトフロマージュ"ル・リアン"美味しいのです、とてもとても。チーズケーキでこんな美味しいの始めてです。山本シェフ、ご馳走さまでした。ティータイムも素敵そうですね。

140704lalique4.jpg

美しい作品に出逢い、美味しい食事ができて・・・本当に幸せです。70代に入ってからはこのような時間を大切にしたいと心から思うようになりました。「本物と出会う」ことの大切さをしみじみ実感できた"小さな旅"でした。

皆さまも箱根ラリック美術館にお越しになりませんか。
期間 2014年6月14日(土)~12月7日(日)
夏の箱根、紅葉の箱根、初冬の箱根、どの季節でも素敵です。
http://www.lalique-museum.com/

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

生誕120年記念  濱田庄司展

駒場東大前の「日本民藝館」で濱田庄司 生誕120年を記念して展覧会が開催されており、初日に行ってまいりました。

140626mingei1.jpg

作家言「個人の作家の仕事には香りが欲しい」  濱田庄司

民藝運動の創始者・柳宗悦は「私の解する限り、濱田ほどすべてに均整にとれた人物はすくない」と濱田を賞し、濱田自身は「自分は或技術を修得するのに十年みっしりかかった。しかし、それを洗い去るのに二十年でも足りない」と語る。「この<技術を洗い去る>という事こそ作家としての大きな良心だと言って良い」と柳宗悦は語っています。

十代で民藝(民衆的工芸)運動に出会い、民衆の(地方の)日用雑器の中から美を見出した民藝運動。柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどその友情は生涯続き、民藝館の初代館長が柳宗悦。そして柳亡き後二代目館長を務めたのが濱田庄司です。

140626mingei2.jpg

民藝館の玄関に立つとそのざわめきが聞こえてきます。
生前濱田庄司の奥様を益子に訪ねたことがあります。「夜遅く、からころからころ・・・と下駄の足音でお客さまの人数が分かり大忙しで酒のつまみを用意したものですよ」と優しく微笑みお話してくださったことが忘れられません。

濱田は二十二歳の時に河井のいる京都へ。そしてリーチとともに渡英。セント・アイヴィスという古い小さな港町の丘に日本風の窯を築き、リーチと共に作陶生活を三年半にわたり続けます。陶芸家というよりご本人は「陶工」と称していたそうです。沖縄・英国・京都・益子・・・それぞれの土地でその土地の土・空気・水で作られた作品の数々。蒐集した作品。それらは無垢の美に裏打ちされています。観るものの心にその美がどれほど大切か・・・を語りかけてくれます。暮らしの大切さを教えてくれます。

時間をかけてのんびり民藝館にいらしたらいかがでしょうか。椅子にかけ吹き抜ける風の爽やかなこと。

五十年、慕いつづけてきた民藝の世界。幸せなひとときでした。

2014年6月17日(火)~8月31日(日)まで
開館時間 10時ー午後5時(入館は16時30分まで)
休館日   月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌日振替休館)
京王井の頭線駒場東大前西口から徒歩7分

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

やまぼうし

140619hakone1.jpg
140619hakone2.jpg

やまぼうしの花が満開です

箱根の山が
ふんわりと
山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私も山法師(やまぼうし)のように
咲きたいのです

これは32年前、育児エッセイ「やまぼうしの花咲いた」という本を出したときに冒頭で書いたことばです。

箱根の森の中に家を建てて、40年になります。
"やまぼうし"は十年に一度見事に開花すると聞き、私もそうありたいと願ったことでした。今年はその十年の一度にあたるのでしょうか・・・。庭一面、箱根の山全体にまるで夏の真っ白な帽子をかぶったように美しく咲き誇っています。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞられたとか。中国では「四照花」。枝いっぱいに花が咲いたときの、四方を照らす様子を表現しているそうです。花言葉は「友情」。

子どもたちは次々に社会へ巣立っていきました。ハッと気が付くと60代でした。さらに、70代になった現在明日何が起きるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれなし・・・文字通り、まったく予想がつかない年代、それが70代です。

自分たちの時代から次の世代へ世の中が移り変わるという一抹のさみしさをふと感じたりすることもありますが、息子たちと住みはじめ、家がもう一度、若やぎ、華やぎはじめました。何百年もの間、人々の暮らしを見守ってきた柱や梁を使った12軒の家に宿っていた"木の精"がそこここに優しく息づいているような・・・そんな家での暮らし。70代に入ってからいっそう丁寧に日々暮らしたいと思うようにもなりました。これからの十年、いくつもやりたいことはありますが、もっとも心惹かれるのはやはり私の原点「本物と出会う旅」といえそうです。

人々に出会い、ものに教えられ、思索する・・・旅は私にとって学びの場。命に限りがあることを深く実感できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら。そう信じながら、常に新鮮な気持ちで、でも無理をせずにこれからも進んでいきたいとおもいます。

この「箱根やまぼうし」はパブリックスペースとして、アーティストたちなど広く活用していただいております。そう・・・80代になったら、90代になっても皆さまを笑顔でお迎えできるよう、せっせと山歩きもいたしましょう。 やまぼうしの花を愛でながら。

140619hakone3.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (5) | トラックバック (0)

横浜イングリッシュガーデン

まるで絵本の中に紛れ込んだよう、イギリスの田舎のガーデンにいるようです。先日早朝オープンが6月8日までと知り行ってまいりました。
(8:00~9:30まで)通常は10:00~18:00までです。

140606bara1.jpg

植物に出逢うのは早朝にかぎります。庭一面、バラの香りに包まれていい匂い。ローズウォーターのシャワーを浴びているようです。横浜駅からわずか15分の都会の中にこんな素敵なガーデンがあるなんて。初めて行きました。1100品種、1600本以上のバラを中心に、横浜の気候風土にあった草花や樹木がちりばめられています。

140606bara2.jpg

色ごとに5つのエリアに分かれて植栽されています。白バラを主役に、白いろの宿根草や白の植物の組み合わせは楚々とした美しさです。純白・象牙色・酔白・青白・・・なんて素敵なの。クレマチス、箱根の紫陽花はこれからですが、アジサイとバラの競演も初夏の装いです。ピンク、紫、黄色、ブルー、オレンジさまざまな色の組み合わせがほんとうに素晴らしいです。早朝だったのでカメラのシャッターを押す方々が6名。そして私と娘。

140606bara3.jpg

帰り際ガーデナーの方々が脚立に乗り、剪定をしている姿を拝見し、細やかな手入れがなされていることをしりました。

140606bara4.jpg

植物は私たちに心の豊かさ、優しさ、潤いを与えてくれます。7月、8月、9月はエキナセアやカンナやダリア・トロピカルブランツなどが見頃だそうです。横浜駅から無料直通バスが運行しているのでアクセスも便利です。
素敵なお花を皆さまにおすそ分け。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

鎌倉散策~鎌倉文学館と報国寺

新緑を揺らす風が心地よく鎌倉まで行ってまいりました。

140516kamakura1.jpg

まず向かったのが娘の小さなアンティークショップ「フローラル」。
私自身がこういうショップをやるのが夢でしたからついつい足が向きます。

140516kamakura2.jpg

そして、歩いて10分ほどの報国寺へ。ここは鎌倉竹の寺として知られ、海外の人にも人気のスポットです(ミッシェラン・三ツ星)。

境内に一歩入ると見事な竹林。
爽やかな5月の風が吹きぬけ気持ちよいお寺の庭です。
そして"やぐら"と呼ばれる鎌倉時代の墳墓も素晴らしいです。
散策はゆっくり抹茶でも頂きながら過ごしたかったのですが、午後は鎌倉文学館に行く予定でしたので、今回は庭散策だけでした。

(鎌倉駅から京急バス乗車10分、浄明寺バス停下車徒歩3分)

140516kamakura3.jpg

そして、お薦めは道路反対側の釜めし「多可邑(たかむら)」の海鮮釜めし。
もう・・・絶品です。

あぶらとり一枚もらふ薄厚かな    日野草城

140516kamakura4.jpg

そんな汗ばむような陽気でしたが、釜めしをフウフウ言いながら娘とお昼を食べて駅まで戻り、江ノ電で鎌倉文学館へと向かいました。

鎌倉文学館は、国登録有形文化財で旧前田公爵家別邸。鎌倉ゆかりの文学者の展示がされており、建物に入るまでの道のりが素敵。青葉を渡る風に"薫風"とでもいうのでしょうか、かぐわしい香りを運んでくれ、心地よいこと。

140516kamakura5.jpg

今回、文学館では特別展「愛とブンガク」が開催されていたのです。

夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、立原正秋、川端康成・・・など館内のご挨拶に「江戸から明治へ時代が移り、西洋から近代的な"愛"の概念が輸入され、日本に"恋愛"という言葉が誕生したといわれます。

それから100年有余年、「ブンガク」の大きなテーマ"愛"について多くの小説が書かれてきました。そうした作品を、現代の女性作家が見つめなおします」このように書かれていました。

中沢けい、高樹のぶ子、小川洋子、角田光代、柳美里など現代を代表する女性作家の方々の解釈が大変興味深かったです。

私、恋愛小説って大好きです。トルストイの『アンナ・カレーニナ』など意味も分からず読んだ少女時代。もちろん、いろいろなジャンルの小説は好きです。柳美里さんは、芥川龍之介を「小説の中の"暮らし"」と題して書かれています。
高樹のぶ子さんは立原正秋を「花と刃(やいば)」と題して書かれています。
立原正秋の「薪能」は好きな小説です。

館内を回ると作家の直筆の原稿を見ることができます。そこに作家の息づかいや、空気間、鼓動など五感が感じられ至福のひとときでした。

愛は一直線である。  夏目漱石「野分」より

140516kamakura6.jpg

そして何より気持ちがよかったのが、広大な敷地に手入れされた庭園とバラ園の散策。ほぼ満開に近いバラ。その薔薇の種類は194種、234株に及ぶそうです。

140516kamakura7.jpg

心地よい風に送られて、江ノ電に乗り鎌倉の散策を終えて箱根の山に戻りました。小さな旅気分。

「愛とブンガク」特別展は7月6日まで。
バラまつりは5月14日から6月8日まで。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

映画のハシゴ

ゴールデン・ウイーク、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。旅に出かけた方もいらっしゃるでしょう。私は先週、今週と映画のハシゴをしました。

「あなたを抱きしめる日まで」
「美しい絵の崩壊(試写)」
「8月の家族たち」
そして見落していた「大統領執事の涙」

ひょんなことで女優になってしまった私。そう、スカウトされたのです。私は中学を出てすぐ働いていました。一年間、バスの車掌になりました。必要に迫られて働きました。 生きることに一生懸命でした。生活がかかっていましたから。中卒でできる仕事というのは、あの時代でも非常にすくなかったのです。バスの車掌になり三年間勤め上げると、試験を受けて、ガイドになることができたのです。なによりもお給料がよかったのです。大卒の方が一万二千円の時代に、私は九千円いただいていました。

それまでに観た映画は「路傍の石」と「赤い靴」ぐらいでした。才能もなければ、基礎の勉強もしていなかった私は、一方でやめたほうがいいのではないかという思いも捨てきれずにあったのです。

そんな頃、仕事で画家の岩田専太郎先生に出会いました。
私はおもわず先生にこう申し上げたのです。
「私、女優をやめたいのです。才能もないし、ちっとも上手なわけもありません。女優を辞めても今なら違う職業につけそうな気がします」と。

すると先生は、「そうだね。君はへただねぇ」とおっしゃるじゃありませんか。先生は、こうもおっしゃいました。「浜君、人生というものは、生涯学ぶものだよ。何をやってもいい。仕事を替えてもいいよ。君は女優として、あまりうまくないから、大成しないかもしれない。でもね、365日、365人の人に出会いなさい。会うことで、キミは何かをみつけていくだろう。答えは自分で探すしかないのだから」・・・と。今、思うと、そのときの岩田先生の言葉が私を前へと進ませてくれたのだと思います。

映画もそうですね。
歳を重ねてから観るとより深く、より愛おしく、そして感動を与えてくれます。
10代から観続けてきた映画。映画のない人生って考えられません。
本と映画が私の青春でした。でも70歳になってから観てこそ胸にさらに響いたのでしょうか。

ストーリーはあえて載せませんが、ハシゴした映画を少しご紹介。

あなたを抱きしめる日まで
50年間隠し続けた秘密を告白し、奪い去られた息子を探す旅に出た主婦フィロミナ。主演はイギリスを代表する女優ジュディ・デンチ。旅を共にする皮肉屋で信仰心がない元エリート記者はスティーヴ・クーガン。監督はやはりイギリスを代表する・スティーヴン・フリアーズ。

美しい絵の崩壊
原作は歴代最高齢(88歳)でノーベル文学賞を受賞した英国の女性作家ドリス・レッシング。彼女が83歳の時の作品。これほどまでに瑞々しい感性にただただ感動しました。美しい絵はいかにして崩壊し、どんな結末を迎えるのか。親友同士の母親と、その若き息子たち。純粋ゆえに禁断の愛の行方は。(5月31日ロードショー)

8月の家族たち
主演はメリル・ストリープとジュリア・ロバーツ。この二人の名前を聞くだけで胸がドキドキします。彼女たちの芝居・演技はただ息を呑むばかり。豊かでリアルで確かな演技力には、最近観た映画の中でも圧巻。信じられない贅沢な2時間でした。家族とは何か?を考えさせられるテーマです。

大統領執事の涙
オバマ大統領が来日したその時間に観ていた映画です。人権問題をこのような角度から捉えた映画も少ないし、見終わった後に生きる強さ、忍耐、優しさ・・・さまざまなことを与えてくれました。

そう、5月10日ロードショーのアカデミー賞主演女優賞受賞のウディ・アレン監督最新作の『ブルージャスミン』も観たいです。

演ずるという女優を卒業し30年がたちますが、ますます映画が愛おしくなります。

140502eiga.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

鎌倉路地フェスタ

鎌倉は四季折々、何度訪ねても新しい発見があり出逢いがあります。

140425kamakura1.jpg

今回はおしゃれ雑貨店からおいしい食事処など、鎌倉駅から路地マップ片手に散策し、スタンプラリーを押していただきながら楽しい一日を過ごしてきました。

140425kamakura2.jpg

7番目は娘のショップ「フローラル」では普段は英国アンティークを中心に作家ものの素敵なアクセサリーを扱っておりますが、フェスタ用に「リバティープリント・ビンテージファブリックとミャンマーの職人さんが手づくりで作ったカゴ」を出品していました。私はカゴが大好き、リバティーの布もラブリーで大好き!思わずひとつ購入してしまいました。

140425kamakura3.jpg

カフェでは美味しいコーヒーを飲み、鎌倉の路地を満喫いたしました。路地ってそこに暮らす人々の匂いがしますし、咲いている日常の花を愛でる・・・素敵な空間だと思います。

140425kamakura4.jpg

そうそう、鎌倉といえば一度はいただきたかった美鈴の和菓子。鎌倉の茶人御用達の名店で知られています。出来上がったばかりの美しい春の生菓子を買い、茅ヶ崎の息子夫婦のところに寄り、コーヒーでいただきました。

花より団子・・・ではないのですが、鎌倉の神社は花を愛でるには「花神社散策」も素敵ですね。桜が終わり今の季節ですと妙本寺の「カイドウ」、光照寺の「レンギョ」、そして4月下旬になれば安養院の「ツツジ」。浄智寺の「シャガ」梅雨どきの「花ショウブ」。大好きな光明寺の「ハス」・・・。

私の住む箱根は今、コメ桜とコブシが満開です。
いつか小さな旅、鎌倉に泊まって「早朝座禅」も経験してみたいです。
4月19日から4月29日まで

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

春の野菜

初春も過ぎ、日差しが増し、湖を渡る風もきらきらと輝いているような季節。
「風光る」この季節は春の野菜も長かった冬からいっきに輝きを増します。

週末に来客があるので、久しぶりに築地市場に行ってきました。子どもたちが小さいころは東京と箱根を往復し、築地での買い物が楽しみでもありました。

私たちの体は食べもので作られます。体だけでなく、心のもちようも、食事の内容で変わってくると思います。

心も?
そう。食べたもので、人の気持ちも変化しますよね。
「食って大切だなぁ」とつくづく思います。

とくに春先の苦味、えぐみ、そして新芽や芽ぶきの香りがします。
これって日本の食の大切な味だと思うのです。

今回のお客さまはレバノンからご夫妻で我が家にお越しくださいます。イスラムの方なので豚は召し上がりません。そして、日本人の方。

市場には春の豆類がいっぱい。絹さや、スナップえんどう、そら豆、グリンピース、やわらかな緑色をした春の豆類は美しいですね。山菜も出回っています。新じゃがと新玉ねぎも美味しいですね。そう、新じゃがと鶏肉のごま煮。きゅうりと鮭のおすしにグリンピースを散らしましょう。野菜がお好きなご夫妻なので、日本の春の野菜をたっぷり召し上がっていただきましょう。根菜のマリネもいいですね。

と、書いておりますが今年の冬は関東も大雪が降り、生産者の方々に甚大な被害を与えました。今回の雪害で農業をリタイアする農家も出てきていると聞きます。

野菜農家も高齢化が進んでいます。重くて、収穫作業が大変な、だいこん、白菜などはとくにそうだといいます。農業者の平均年齢は67歳か68歳です。いつリタイアしてもおかしくないのですが、きつい作業でも黙々と野菜作りをしてくださっています。市場で美味しそうな野菜を見ながら、ふと、これからの日本の農業の未来を考えてしまいました。栽培面積がこれ以上減らないように・・・どうしたらよいのでしょうか。

さぁ「いただく命」を大切に料理をしましょう。旬の野菜で。

140418tsukiji.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6)

長野・善光寺への旅

「食アメ二ティー・コンテスト」がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は「アメニティーってなんですか?」というご質問をいただくこともたびたびでした。

私は40年にわたり、全国の農山漁村を歩いてまいりました。
そんな中で気がついたことがあります。
それは地域の活性化に果たす女性の役割が非常に大きいこと。
特に女性が司る食の果たしている役割が非常に重要であるということです。
新しいチャレンジは、なかなか理解されにくいものです。
それが大変素晴らしいことであっても、家族や近所の人は、日常を共にしているがゆえに、その素晴らしさに気がつかないこともあります。

もし、日本の様々な場所で、女性たちがそれぞれひたむきに活動していることに光りをあてることができたら、活動している人たちを元気づけ、今から活動したいと思っている人たちを励ますことができるのではないかしら。そして、そのような女性たちを指導している人、サポートしている人たち・・・皆んなで力をあわせれば、「日本の農業を元気にすることができる」・・・と思いました。

今でこそ、農村女性に光があたり六次産業化も普通になりました。それでも、表に出たくても出られない女性たちが大勢います。「農業を影で支えているのが女性」であっても。そこで国と農村開発企画委員会の方々のご賛同を頂き生まれたのがこの「食アメコンテスト」という事業でした。

伝統食を守り、地域の食を守り、新たなビジネスを起こし・・・などなど素晴らしい活動がこの20年で活発に動きだしました。
「自分の銀行口座」をもつ人も現れました。

自分たちのための変化だけではありません。
農山漁村の女性たちが、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したために、地域全体が活性化し、生きがいを見つけ、生き生きとした表情で都会の消費者との交流を持ち、意見交換を活発にし、この20年やってまいりました。

そんな中から「もっと勉強がしたいわ」と仲間が集い「食アメネットワーク」の会も生まれました。ヨーロッパや韓国などグリーンツーリズムの勉強や農村女性との交流など多くのことを学んでまいりました。

この会も「そろそろ卒業ね」と私は申し出て一昨年解散しました。
でもこの友情には終わりがありません。
「ハッピースマイルを訪ねる会」として80歳以上のお元気な仲間を訪ねる旅に変わりました。昨年は熊本・天草にお訪ねし、今年は長野で集合しました。

遠く、沖縄から、天草から全国から参集し幸せな2泊3日の旅でした。

140321zenkoji1.jpg

今回は宿坊に泊まりました。
善光寺永代宿坊・常智院。
夜はお寺の奥さまの手づくりの精進料理です。

140321zenkoji2.jpg

弥生 桃の膳
お迎えは さくら茶 結びこぶ さくら餅 かきあられ

夕食は甘酒で乾杯
向付 くるみのおさしみ 生こんにゃく 生わかめ じゃが芋のなます 
梅ぶ 胡麻豆腐 黒豆の含め煮 クコの実 山椒の佃煮
汁 おぼろ月夜汁 わらび豆腐 しら玉 菜の花 おぼろこぶ

そして桃ごはん
八寸風 湯麩田楽 ふきのとう天ぷら くず桜せんべい
煮物 生うど 高松産生うどの豆乳ピーナツクリームかけ

最後のデザートは杏仁寄せ いちごペースト添 杏のシロップ漬けでした。

朝食の精進おとしも、それはそれは美味しくいただきました。
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。

140321zenkoji3.jpg

翌朝は早朝4時に起き「善光寺の朝」を静かに迎えました。
善光寺が一日のうちで最も生き生きとその本来の姿を見せるのは朝だといわれます。古(いにしえ)より伝えられてきた信仰の息吹を、五感で感じられます。太陽が昇ってきます。

法要の前には本堂前で「お数珠頂戴」といって導師を務める住職が数珠を頭に撫でてくださいます。

日の出とともに始まる「お朝事」一時間の毎朝のお勤め。私たちも本堂でご参拝させて頂き朝の清新な空気、静謐な空間。堂内に響き渡る読経や木魚の音を体いっぱいに取り入れ農村女性たちと、すべてに感謝し手を合わせました。

命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いかもしれませんが、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩んでいる貴女たち。

けっして派手ではありません。
華やかでもありません。

けれど、春が近づいたときに、くっと大地から首を伸ばして、寒風にもめげずに、あたり一面に甘い香りを漂わせながら咲き誇る、一本の水仙の花のように。これからも手をたずさえ、私たちの愛しい日本のために生きていきましょう。

みなさん、ありがとう。素敵な旅でした。

140321zenkoji4.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

種蔵棚田の村・宮川村を訪ねて

春の足音があちこちから聞かれるというのにこの大雪。
箱根に住んで40年になりますが初めての経験です。
家の前の道路は1m以上の雪・庭は歩けないほどの雪。

車も通れず、バスは運休。陸の孤島状態が5日間ほど続き、こういう時って"ご近所の力"ですね。皆さん総出でまず歩ける小路の雪かき。
私などはなんの役にも立たず息子に委ねました。

そんな中、中頓別から旭川、そして飛騨の奥へ、そのまま羽田のホテルに泊まり、サッポロへ。前日まで猛吹雪の札幌でしたが私が出発する日は晴天に恵まれ、結局すべての仕事をクリアできました。奇跡ですね。

でも・・・1週間は帰宅できず自然の猛威には人間はなすすべはありませんね。今でも孤立している集落があります。雪とともに暮らしている雪国の方は知恵もありますが、慣れていないとほんとうに大変です。

「棚田と板倉の里  ~伝えたいこの香り、残したい風景~」

板倉が並ぶ風景と石積みされた棚田は深い雪にすっぽり埋まり美しい冬景色。今回も「美の里づくりコンクール」の現地調査で伺いました。

140228tanekura.jpg

岐阜県の北部、飛騨市宮川町にある種蔵(たねくら)集落は、石積みの棚田と板倉郡が特徴的な、日本の原風景とも言うべき農村風景が残り大変美しい山里です。

宮川町内の有志で組織される会「種蔵を守り育む会」はやはり高齢化が進み、地域では管理できなくなったた急峻な斜面や荒廃地などの草刈作業が、ボランティアの人たちによって行なわれています。

不耕作地の水田を利用し植虫環境のためのビオトープの造成、不耕作地は高冷地に適している蕎麦・あぶらえ或いは大豆など昔から種蔵集落にしかない紅かぶ等の栽培をしています。冬の3月には田の石積みの雪庇落などを行い、種蔵集落の保存に集落住民ボランティア・行政が一丸となって守る姿に頭が下がります。

この村で生まれ育ち、最長老のおじいちゃんは95歳、近くの集落から嫁いできたおばあちゃんは93歳。炬燵に入れていただきながら昔の集落、種蔵のことなどお話が伺えました。

人間の背丈ほど積もっている雪。
人口11世帯22人

この美しい集落を次世代に伝えていくために、周辺地域住民や都市住民とともに飛騨文化の原風景守っていただきたい・・・と切望いたしました。

春、深い雪に覆われていた石積み棚田が、雪解けとともに顔を出し始めます。雪解けに始まり桜、夏は深緑に鮎、秋は紅葉、冬は雪景色と自然豊かな村です。

以前お邪魔したのは夏、夕立を待っていましたとばかりにカエルが「ゲコゲコ」と鳴きだし夕焼けに映える棚田の美しさに息をのむ思いがしました。
風のように迫る緑に夏を感じ、ミズバショウの群生地、ブナ林・・・五感で感じることの素晴らしさ。

こうした"村の宝"を私たちはどう守り伝えていったら良いのでしょうか。

宮川村までのアクセスは高山本線坂上駅下車。列車の到着時刻に合わせて村営バスが運行されています。新宿からは車ですと約5時間です。

新芽がむくむくと伸びる音が聞こえてきそうです。
おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでもお元気で!

140228tanekura2.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

音威子府そして中頓別町へ

音威子府・・・と書いて「オトイネップ」と発音するその村の語源はやはりアイヌ語からきているのでしょうか。

旭川から宗谷本線の列車に乗り北上していきます。
アナウンスがかかり「途中野生の蝦夷シカが飛び出し、急ブレーキがかかることもありますからご注意ください」・・・と。

いいな~こういう旅って。

北海道の北の果て、そんな慣れない呼び名の森林の村。
人口826人の村。
列車は天塩川に沿って走ります。
一度は訪れたかった村です。

140221otoi1.jpg

そう、この森林の村で、森の風倒木や海に流れ着いた流木を使って木の彫刻を続けている芸術家がいることを、しかもその人がイギリス人であることを、私はまったくしりませんでした。 衝撃的な出会いはいつもそんな風に、あの日鎌倉に吹いていた心地よい初夏の風のように、さり気なく、そして思いがけなく訪れるようです。

真っ白な雪の上で朽ちた木が赤々と燃える色彩のコントラスト。
積み重ねた流氷の炉の中で威勢よく炎をあげる立枯れた木々。そして、ナラやニレ、ダテカンパなどの風倒木を彫って作った数々の造形物・・・。

その鎌倉の展覧会で見たデビット・ナッシュの芸術世界は、木を素材に選び、自然界を制作の場に選びながら決してありきたりな自然主義者としては片づけられない、ダイナミックな、まさに人の心を魅きつけずにはおかないものでした。

英国はウエールズ地方の鉱山の町に生まれ育ったというナッシュ。
彼が日本の自然に魅せられて、音威子府の森を創作現場に選んだのは単なる思いつきではないようです。その地に生きる村人たちと深い交流を重ねながら、枯れ木や流木や風倒木といった死に行く木々に、新たな生命力を与え続けたナッシュの芸術世界。

鎌倉近代美術館でそれを目の当たりにした私は、何故かいつまでもその場を立ち去ることができませんでした。そう・・・20年ほど前のことです。

音威子府・・・いつかは訪ねたいと思っていました。

今回はさらにその先にある魅力的な町、中頓別町(なかとんべつちょう)に招かれて伺いました。列車は音威子府で降り車で40分ほど走ると宗谷地方の南部に位置する開拓の町。8割が森林です。

町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖からでる川)。
酪農の町でもあります。
人口1,911人。四方を山に囲まれ唯一海に面していない町です。

140221otoi2.jpg

まず最初に迎えてくれたのは中頓別町で捕獲された大きな熊。
公民館には雪深い中、300名近い住民の方々が待っていてくださいました。

140221otoi3.jpg

時には-37℃・・・などとニュースになる町でもあります。四季の自然の中で大地を耕しながら自分たちの暮らしの文化を大事に守り続ける人たち。

こういった町にお邪魔すると、拠って立つ所を見失いがちな都会に住む私たちよりも、豊かさの中に日本人の原点やアイデンティティを持っていらっしゃる・・・そう感じました。

帰り際、この会をお手伝いくださったお母さんたちと1時間ほどおしゃべりをさせて頂きました。手づくりのお新香や絞りたての牛乳、その牛乳で作った熱々のお豆腐のなんと美味しかったことか。

140221otoi4.jpg

"ご馳走さまでした!" 
またお会いしたいですね。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

テーブルウエア・フェスティバル2014

東京ドームで「テーブルウエア・フェスティバル2014」が開催されています。

暮らしらしを彩る器展~ (2月2日~10日まで)

テーブルセッティングによる食空間提案で、石坂浩二さんや料理研究家の江上栄子さんなど各界の著名人が、個性豊かなテーブルセッティングを披露されていますし、食空間コンテストも開催され会期中は約30万人の方々が入場されます。私も15年程前に4回ほど参加いたしました。

140207okinawa1.jpg

今回はその中に沖縄のブースが設けられ、沖縄の工芸品を使っての作品の数々を見ていただいています。

沖縄の工芸に魅せられ通い始めて40年以上がたちます。
柳宗悦の著書の中に「沖縄は民芸のふるさと」と記されていました。
織物・染色・ガラス・漆・焼き物・シーサーなど・・・魅力的な工芸がたくさんあります。

140207okinawa2.jpg

今回は私の大切な「パナリ焼き」をお貸しし会場に展示してあります。19世紀中頃まではつくられていたパナリ焼き。八重山に生まれた焼き物。素朴ですが、かたつむりや貝殻を練りこみ、手捻りてつくられているからでしょうか、素朴な中にも気品と暖かさがありとても好きです。

初日の日にトークイベントに参加いたしました。

140207okinawa3.jpg

沖縄では、「うとぅいむち(おもてなし)」の心で親子孫たびを応援しています。
ヒガン桜が咲く春キャンペーンとして三世代の方に沖縄の旅を楽しんで
いただきたいという趣旨で、私も昨年からお手伝いしております。
来年は二人の孫を息子夫婦と一緒に連れて行きたいと思っています。

そんな沖縄の魅力を会場でお話させて頂きました。
と同時に素晴らしい沖縄の工芸の魅力も一緒に。

週末、ご興味のある方はお出かけください。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

出雲への旅

息子夫婦と三人で出雲へ旅してきました。今回の旅の目的は、出雲大社への参拝と「民芸のふるさと出雲の窯を訪ねる」旅でした。

昨年は二回、ひとりで大社に詣でました。
不思議なことがあります。
かならずお参りする早朝は真っ赤な太陽が社殿の間から照らしてくれます。
まだ夜が明ける前に駅前から一番のバスで「正門前」で下車します。
夜明け前の静謐な空気がとても好きなのです。

遅くなっても前日に駅前のビジネスホテルに泊まります。
そうすると朝一番の駅前から出る6時36分のバスに乗れます。
出雲大社は昨年「平成の大遷宮」「本殿遷座祭」が60年ぶりに行なわれました。バスを降り大鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめ本殿へと向かいます。
行燈の灯りが足元を照らし、そして朝焼けの雲が向かえてくれます。

140131izumo1.jpg

今回は息子がカメラを持参してくれたので、私がいつも旅用のコンパクトカメラではなく、写真が素敵。

どこからともなく"蝋梅"のなんともよい匂いが漂ってきます。
花の少ない極寒期の蝋梅、その在りかを探したくなります。

140131izumo2.jpg

拝殿から本殿へ。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
天照大神の子の天穂日命を祖とする大社。
本殿内北西には御客座五神が祀られています。

140131izumo3.jpg

本殿の周りを一周して神楽殿の注蓮綱はそれは見事です。
お参りをすませて一畑電車・電鉄出雲駅から9時08分の電車で川跡駅で乗り換え出雲市駅に向かいます。

そうそう・・・今回大発見がありました。
私がひとりの時はレトロな駅でのんびり電車を待つのですが、二人が近くのパン屋さんを見つけ、焼きたてのパンを買ってきれくれました。熱々のカレーパンの"美味しかった"こと。早くから開いているのですね。次回は自分で行ってみましょう。

140131izumo4.jpg

午後からは穏やかな田園地帯のなかに窯元があります。
出西窯。風景に馴染む日本家屋の工房で誰でも自由に見学ができ、工房の東側にはレンガを積み上げた大きな登り窯があり現在でも使われています。

明日の暮らしもままならない戦後まもない頃、地元の幼馴染の青年たち5人が「何もないここから、自分たちで何かできないか」と。最初から陶芸に特別な想いがあったわけではないようです。

ある日松江の工芸家に「君たちの仕事には、美しさも志もない」と指摘され、民芸運動の創設者・柳宗悦の本を渡されたそうです。出西窯を訪れた陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎から指導を受けます。後にバーナード・リーチらとも交流をもち 「日常に溶けこむ、気取りのない存在感」を五人の青年たちが探し続けて「用の美」へと辿りつき現在へとつながっています。

私も柳宗悦に出会って50年。
「用の美」を追い求め続けています。
今回息子夫婦とこのような旅ができる幸せをかみしめました。
お嫁さんは目を輝かせ普段使いの器を選びます。
鮮やかな瑠璃色は「出西ブルー」と呼ばれ人気があります。

美意識の革命によって生まれた新しい価値観
暮らしを豊かにする民芸の美

と書かれていました。

140131izumo5.jpg

帰りがけ出雲の豪農、山本家の屋敷を一部改装し藍染め、木工品、農具など暮らしの民芸館を拝見しました。ご当主が遠くで大豆を干し収穫している姿に日本の暮らしの美を感じました。

140131izumo6.jpg

そして・・・夜は居酒屋さんへ。
宍道湖のシジミ、ウナギ、のどぐろの一夜干し、大山の焼き鳥。
お酒は地酒で出雲富士と豊の秋。

翌日は寒風にまじってちらりと舞い降りる雪、"風花"に見送られ家路へとつきました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

工芸からKOGEIへ

これまで、私の生活にはりをもたせてくれ、ときに慰めてくた工芸。
美しいと愛でる心を育んでくれた工芸。

私は以前、毎日放送ワイド番組「八木治朗ショー・いい朝8時」に3年出演し、このショーのなかで追いつづけた「手づくり旅情~日本の伝統工芸を訪ねて」は私の旅への想いのすべてをかけたものだったと自負しています。

お訪ねした家々、何軒になるでしょう。
みつめさせていただいた手づくりする人々の手元、一体幾人になるでしょう。

私が旅というものの得もいわれぬ魅力にのめりこんで三十年余り。自分の足と目で探し歩いてきたものが"日本の日本的なるもの"に気づいて以来、私はこの小さな島国日本にかぎりない愛着を持ちはじめました。

いろいろなヒトやモノとの出逢いもありました。
その方が人間国宝であったり、倉敷・花むしろであったり、大島紬であったり、京都の樽、西陣織、那智黒硯。そして北海道・平取のアイヌの花ござ・・・数えきれないほどの素晴らしいヒトとモノとの出逢い。美しいものをもとめ、日本中を旅してまいりました。

私の胸のなかで浮かんでは光を放ち、また浮かんでは光を放ち・・・・・。

新しいモノがどんどん生産され、あきれば捨てられ、消費することが豊かさであると信じた時代もありました。

ひとつの道具を愛して、使いこみ、人から人へ、そしてつぎの時代に伝えていく「モノとの濃密な関係」が、失われつつあった時代。

暮らしの技や知恵を教えていただくための旅を70歳になった今でも続けています。人恋しく、風景恋しく、モノ恋しく旅行鞄を引っ張り出す私。

先日、北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で開催されている
『工芸からKOGEIへ』を見にいってきました。

日本伝統工芸展60回記念し、「伝統工芸の"今"、そして"未来"を考える」
シンポジュームもひらかれました。

140124kogei.jpg

出品作家97名。
陶芸、染色、漆芸、金工、木工、竹工、人形、など日本を代表する方々です。

『工芸からKOGEIへ』
どんな思いでこのタイトルになさったのでしょうか。
それは見る側、一人ひとりの思いだとおもいます。

会場には外国人が熱心に覗き込み、日本の美に魅せられていたのが印象的でした。

千鳥が淵を散策し、冬の木漏れ日が心地よい昼下がりのひとときでした。

2月23日まで開催されています。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

『寒月』と『穏やかな海』

冷え冷えとした箱根の夜、庭に出て月を眺めるのが好きです。
コートをはおり、研ぎ澄まされた三月月を見ながらその美しさに見惚れてしまいます。

そして朝の凛とした空気に「何だか穏やかな海が見たいわ」・・・と思ってしまう私。

このごろ時間が出来ると鎌倉に行くことが多くなりました。バスで下山し、小田原から東海道本線に乗り湘南の海を眺めながら大船で乗り換え鎌倉へ。

娘が鶴岡八幡宮からほど近く、鎌倉宮に向かう美しい散歩道を歩いていくと静かな住宅街の中に小さなショップをオープンしました。

『FLORAL』

140117floral1.jpg

イギリスのアンティーク・ビンテージをメインにアジア、中東の手づくりの
中々素敵な作品がおいてあるのです。

お昼休みに近くのイタリアンでランチをしながらおしゃべり。
ここはお薦めです。
ランチコースで前菜からパスタ・メインそして夜にはぜったい無理なデザートまでいただきました。

140117floral2.jpg

観光スポットから少し外れているので比較的静かですが、それでも満席でした。

今回の目的の一つは近くの荏柄天神社へのお参りです。
友人たち二人のお子さんが受験生です。
荏柄天神社は学問の神様。

140117floral3.jpg

桜並木の散策道を抜けると左手にあります。
石段を上ると荏柄天神社。
境内には樹齢九百年のご神木の大銀杏と梅の木が小さな蕾をいっぱいつけ一輪が咲き始めていました。

140117floral4.jpg

源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行なったそうです。

学問成就に霊験があると鎌倉時代より信奉され、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とこの鎌倉の荏柄天神社が有名です。

受験シーズンだからでしょうか、親御さんや、おばあちゃん・おじいちゃん、そして受験生でいっぱいでした。私にも子どもが4人おりますので、よく分かります。親が出来ることって、夜食に暖かな、消化によいものを作ってあげる・・・
それぐらいしか出来ませんよね。

そして、お参り。
風邪をひかないように、普段通りで受験に望んでほしい。
友人のお子さんたちに、お守りと祈願鉛筆を買って帰ってまいりました。

そうそう・・・帰り道、娘のショップの近くの八百屋さんで「焼き芋」が焼けて
いました。ホクホクのお芋をバックにしのばせて夕暮れの芦ノ湖を見ながら家路につきました。

140117floral5.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

謹賀新年

140101newyear.jpg


謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
昨年11月で私は70歳になりました。
皆様に導かれ、今の私があると改めて感じています。
感謝の心を忘れず、暮らしを楽しみ、
年齢を重ねたからこそ見える新たな風景を味わい、
『美意識と本当の豊かさ』を求めながら、
人生という旅をこれからも元気に歩んでまいります。

カルチャーの発信地・箱根の「やまぼうし」もおかげさまで、
多くの方に喜んでいただいております。
今年も新たな企画をたくさん用意していますので、どうぞお楽しみに。

今年も笑と希望にあふれた佳き年でありますように。

浜 美枝

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

沖縄への旅

私が初めて沖縄を旅したとき、まだパスポートが必要でした。
民芸に目覚め、そのふるさとともいえる沖縄へ行き、先人(柳宗悦や濱田庄司)の足跡を追ってみたかったのが、私にとっての初めての沖縄でした。

戦争で大きな痛手を受けながらも、多くの生活道具が残されていました。
もちろん生活文化のすべてが。
沖縄を旅して出会った道具は「用の美」そのもの。
ガラス器、焼き物、漆器、紅型、舞踊、琉球の歌の数々、屋根の上に置かれたシーサー。沖縄が激しい戦火に見舞われながらも、決して失われなかった美の継承をみるにつけ、「文化は決して占領されない・・・」と思いました。

今回は沖縄観光コンベンションビューローの企画。
『春のおきなわ 親子まご旅 』 の視察でした。

沖縄は どこよりも早く桜の季節が到来、ヒガン桜が本島北部から咲き始めます。そして、海開きと小さなお子さんを連れての旅にはふさわしい季節です。

私も子供が小さな時に4人を連れてゆきました。どうしても好きな場所に何十回も通ってしまうので、今回あらためて沖縄の魅力の再発見でした。
「わ~、孫を連れてきたいわ」と思わず叫んでしまいました。

131226okinawa1.jpg

最初に向かったのが本島北部の本部町(もとぶちょう)にある「海洋博公園」。
1975年(昭和50年)に「沖縄国際海洋博覧会」が開催され、海の万博ということで覚えていらっしゃいますか?その跡地に作られた公園です。広大な公園の中を電気遊覧車が走ります。

「沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館」ではジンベイ鮫やマンタが泳ぐ巨大な水槽。浅瀬に棲むナマコやヒトデなどには子供たちが直接触れて楽しめます。そして普段見ることのない深海魚もみれ、もう大人が夢中になってしまいます。

131226okinawa2.jpg

そして、それは美しい熱帯ドリームセンターの3つの温室には常時2000株以上の熱帯・亜熱帯の花々が咲きほこっています。ランの種類の多いこと。湿生植物、水生植物・・・今度は一日かけてゆっくり見たいです。

沖縄では、ご家族3世代に優しいホテルが充実しているのには正直驚きました。私もそうでしたが、子供が小さい時は食事や細かいことに気を使います。それをじゅうぶん楽しませてくれるプログラムは有難いですね。

131226okinawa4.jpg

そして、読谷村では陶器市が開かれていました。「読谷山窯」の赤瓦と青い空のコントラストが美しいこと。緑豊かな自然の中で出会う登り窯。日常に使える器が素敵です。

読谷村には20年以上通ったでしょうか。
今は亡き人間国宝・花織の与那嶺 貞(よなみねさだ)さんを訪ねて。

131226okinawa3.jpg

古民家を移築した百年古家 大家・うふやーでは沖縄そば、ソーキソバ。
子供たちが楽しめる工芸体験など・・・
春の沖縄・親子孫旅で、新たな発見、体験、学びができますね。

日常から少し離れ、家族の絆・思い出をつくれることができる・・・と実感致しました。

すぐには無理ですが、私も孫が二人います。
再来年の春には計画をたてたいと思いました。

131226okinawa5.jpg

沖縄には、本州にいては分からない、もうひとつの歴史があります。
一度や二度では分からない深い歴史ではありますが、やはり足を運んで、肌で感じて、沖縄が背負わされた歴史もまた、次世代の子供たちに知って欲しいと思うのです。

今年最後の旅が「沖縄」で締めくくれました。
心惹かれるものがたくさんあって、毎年何回も沖縄を旅します。

今年最後のブログです。
どうぞ皆さま、来年2014年も佳い年でありますように。

投稿者: Mie Hama 日時: 15:00 |

京都・「ギャルリー田澤のクリスマス」

『ギャルリー田澤』は私にとってずっとずっと憧れの場所でした。
お店の前を行ったり来たり・・・
京都は私を骨董の世界へと導いてくれた場所。
10代のころ京都に降りたったとき、思わず立ち尽くしたのを私は覚えています。そこには日本の美しく繊細な街並みが広がっていました。
木造の町屋がずらりと並び表通りには、昔ながらの看板やたたずまいを残したお店がつづいていました。

鴨川の流れが日差しに反射してキラキラと光っていました。
橋を渡り二条通りを歩いていたら「ギャルリー田澤」に出逢いました。
店の入り口のしつらえ、そのセンスの良さに目を奪われました。
それから数年はお店の前をやはり行ったり来たり。

ある夏の日、美しく打ち水がされた店内へと足がひとりでに向くのです。
にこやか迎えてくださる田澤ご夫妻。

そこには『和魂洋彩』を唱えるご夫妻の美の世界が広がっていました。

131220tazawa1.jpg

ガラス・ランプ・古伊万里やラリック・バカラのお皿やグラス・・・
卓上ランプに灯りがともり「なんて美しいの・・・」とつぶやいていました。
赤褐色のバカラのランプの肌にひじょうに細かく描かれた文様を見ているだけで、心が静かになごんできます。

和室には絨毯が敷かれ洋風のしつらえ。
お茶をなさっているからこその美意識。

世界で一番美しいギャルリーだと思います。

「西洋では、アール・ヌーヴォーあるいはアール・デコと決めたら、食器から家具まで全部を統一します。洋食のテーブルセッティングだって全部同じスタイルでフルコースをそろえますが、日本にはそういうのを嫌って、ちがうものを組み合わて、そこに調和のあるテーマを見出すという感覚を大事する傾向があります。これは日本独特の文化です」と、今は亡き田澤長生さんは語られました。

クリスマスの季節が来るのが毎年楽しみです。
美しく飾られた花々・・・昼間と夜とでは表情が変わるセッティング。

胸がぽっーとあたたかくなった気がする午後から夕暮れの時間でした。

131220tazawa2.jpg

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

北海道・置戸(おけと)町への旅

羽田から女満別空港に向かいます。
上空から見る釧路湿原、阿寒湖。
神秘的です。穏やかな午後の陽射しをあびまもなく迎える凍てつく冬を感じさせてくれます。こうゆう瞬間を天からの贈り物・・・と感動を戴きます。

131206oketo01.jpg

今回はオケクラフト30周年記念「暮らしと文化を楽しむサロン」に招かれました。

131206oketo06.jpg

農林業の振るわない過疎化の著しい町村に、住民自らが「心豊かな暮らし」をめざし、町おこしとして、置戸の町にクラフトを・・・と内外の100人以上の人々が学んできました。工業デザイナーの故秋岡芳夫の町づくりの提案がオケクラフトの誕生へと繋がっていきました。

131206oketo02.jpg

とにかく"美しい町"なのです。

面積の87%が森林に囲まれた自然豊かな町です。
清らかな流れの川。
建物、一つ一つは個性的ですが、町全体に気品を感じます。
人口3300人という規模がちょうどいいのでしょうか、看板も木彫りでセンスよく掃除の行き届いた町。
住民が自分たちの暮らす町を愛しているのがよく分かります。
・・・風。ではなく「どま工房」にはどこか人の匂いと温かさが感じます。
オケクラフト共同工房では研究生が自立するまでサポートをしています。
工芸館で拝見した素晴らしい作品のかずかず。

131206oketo03.jpg


1983年には「町民憲法推進大会」が開かれ秋岡さんが「木と暮らしのデザイン」をテーマに講演され、それ以来町づくりに貢献なさってきました。

131206oketo05.jpg

工芸的な視点での町づくり・・・簡単なようで実はとても難しいことを全国をまわってきた私にはよくわかるのです。
得てして同じような駅、道路沿いの看板、田んぼの真ん中に大きな看板。
工場が丸見え。そのことを考えると、この置戸の町の何と美しいことか。

そして、美味しいのです。

NHK「プロフェショナル仕事の流儀」で話題になった"日本一"置戸の給食。40年味覚を育てるプロの技・佐々木十美さんを中心に素敵な器に数々の料理が盛られ、住民の方々とご一緒に昼食をいただきました。
「食器と食のつながり」美しい料理の数々。地産地消、地元で採れた馬鈴薯やタマネギ、ヤーコンなど秋の味覚。

どれひとつとっても、大人たちが「未来をになう子供たち」へ。という思いが伝わってきます。

豊かな自然があり、豊かな自然から生まれる暮らしがあり、季節ごとの祭りや行事を大切にし、そこに暮らす人の笑顔があり、大きく深呼吸したくなる町。私にとっては「手仕事」のある町に出逢う幸せ。

131206oketo04.jpg

素敵な一日を過ごさせていただきました。

置戸の皆さま、ありがとうございました。
また春になったら伺いたいです。

買わせていただいたクラフトもさっそく使わせていただいておりますよ!

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)