カテゴリー:『浜美枝のいつかあなたと』

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宮沢賢治の真実:修羅を生きた詩人

皆さまは「宮沢賢治」ってどんなイメージをお持ちでしょうか?

清らかな心、詩人、教師、あるいは星をイメージする方もいらっしゃるでしょうね。テレビデレクターの今野勉さんが今回お書きになった本「宮沢賢治の真実」は、従来のイメージを一変させ、私たちに真実の賢治を教えてくれるノンフィクションです。

私自身、何冊か賢治の本を読んではおりますが、まったく理解していなかったことに衝撃をうけます。「農業を愛した人・賢治」この部分だけでも私は深く影響を受けたと思っておりましたが・・・本を読みますます"真実"が知りたくてラジオのゲストにお招きしお話を伺いました。

今野さんは1936年、秋田県生まれ。
東北大学文学部卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社。1970年に退社後、日本初の独立系テレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」の創設に参加しました。テレビ草創期から数多くのドラマやドキュメンタリーの制作に携わっています。著書には「テレビで嘘を見破る」「金子みすゞふたたび」などがあります。

本を書くきっかけはある新聞社からのコラム執筆いらいが最初とのこと。宮沢賢治の全集を一から読み直し「文語詩」の巻を読み進めると、とある詩に出会います。

『猥れて嘲笑(あざ)めるはた寒き』で始まる四連の詩には猥褻の「猥」で始まるほか、「潮笑」、「凶」、「秘呪」といった字がでてくるのです。そこに使われている字句を眺めていると、嫌悪や憎悪や怒りなどが入り混じった気配が感じられた・・・と書かれております。これまでとは別人の賢治。何を訴えたかったのか・・・そこから今野さんの真実へのアプローチが始まります。

今野さんはこれまで四人の宮沢賢治に出会ってきたとおっしゃいます。

「生命の伝道者」
「農業を信じ、農業を愛し、農業に希望を託した人」
「野宿の人」
「子どものお絵かきのような詩を作る人」

そうここまではイメージが浮かんできます。そこからです、今野さんの五人目の賢治の謎解きがはじまるわけです。私などまったく知らない分からない賢治像。異様な詩の背景には、賢治の最愛の妹「とし子」の恋があったという、また賢治自身も同性との恋がありそんな複雑な気持ちの表れなのでしょうか。この辺のことはラジオで今野さんの言葉で直接お聴きください。

今野さんは、賢治関連の蔵書百数十冊を読み込み、地道な取材が根底にあり、謎に迫ります。実際に賢治が歩いた道を歩き、旅は続きますし同時にすごいなと思ったのが、謎に迫るときのアプローチの仕方です。例えば、賢治が目にした光景を確かめるために、盛岡地方気象台に大正11年(1922年)の初雪の日を問い合わせているのです。

さらに、今野さんはあのタイタニック号の事件を賢治はいつ知ったのかについても当時の雑誌・新聞を手に入れて謎を解明していきます。「銀河鉄道の夜」と「タイタニック号事件」が結びついている・・・なんて私は全く知りませんでした。

賢治の心象スケッチ「春の修羅」の中で妹のとし子が亡くなる時の場面「永訣の朝」の現場についても今野さんは真実を突き止め、私たちをまるでその場にいるような映像を文章で再現してくれます。『凄腕のドキュメンタリスト』の6年にもわたる"真実"を追う姿から印象に残った言葉は「宮沢賢治が抱いた悩み、苦しみ、孤独などは今を生きる人にも通じるものがある」ということでした。好きな人にも真っ直ぐで、妹を思いやる気持ちも痛いほど伝わってきます。

本を読み、お話を伺い賢治という人は、私たちの身近にいるような存在だったとも感じました。

今回の本は新しい宮沢賢治に会える、まるで推理小説を読むような面白さがあります。

ぜひラジオをお聴きください。
そして本をお読みください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半から11時まで。
4月23日 30日と2回です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

幻の料亭・日本橋『百川(ももかわ)』

「食の伝道師」、「発酵博士」など1994年から日経新聞の夕刊に連載されているコラム「食あれば楽あり」のファンである私。小泉武夫先生はなにしろエネルギッシュです。お生まれは私と一緒の1943年。現在は東京農業大学名誉教授、鹿児島大学、琉球大学などの客員教授も勤めておられ食に関わる様々な活動を展開されていらっしゃいます。

これまでの著書に『不味い!』、『発酵は錬金術である』、『猟師の肉は腐らない』、『醤油・味噌・酢はすごい』などがあります。

これほど貪欲に「食」を追及し続ける原点はすでに子供時代からあったようです。「猟師の肉は腐らない」の冒頭に幼いころに食べた「身欠ニシン味噌」の思い出が綴られています。とにかく活発な子供で、いっときもじっとしていられないほど動き回り、ちょっと目を離すと何をしでかすかわからない子供だったようです。障子紙は破る、茶碗や皿は壊す、辺りに落ちているものは何でも拾って口に入れるなど、生傷も絶えたことがなかったようです。

その子供の難問を解決したのが祖母で、悪戯っ子も朝、昼、晩の三度の食事の時には別人のようにおとなしくなり、ただ一心不乱に食べているのを見逃しませんでした。『この孫は食べさせておけばおとなしい。それじゃ、いい手がある』と胴体を二本つないだ帯で縛り付け、その先を柱に結びつけ、帯の長さの範囲だけで動けるようにして、左手に味噌を、右手に身欠ニシンを持たせたそうです。ご機嫌の彼は静かに味噌をつけながらニシンを食べ続けていたそうな・・・。

そうか!発酵食品の素晴らしさを見つけた原点はここにあり・・・なのですね。味覚に対する感覚は幼いころの体験、納得です。

本題にはいりますね。

お話の舞台は、江戸時代の後半、日本橋でにぎわった料理茶屋「百川」です。「百川」は古典落語の演目でもお馴染みですが、確かな史料が少なく、謎が多いと言われています。六代目の三遊亭園生さんの「百川」がよく知られていますが、私は聴いてはおりませんし、柳家小三治師匠のも残念ながら聴いておりません。「百川」を舞台に、奉公人の百兵衛と魚河岸の若い衆がお互いに勘違いして騒動を巻き起こす噺。

場所は今でいうと日本橋三越の向かい側、コレド日本橋と商業ゾーンのYUITOの間を入ったところで、「浮世小路」という文字は今も地図に残っています。「百川」には、「江戸大衆芸能の水先案内人の大田南畝、戯作者の山東京伝、兵学者の佐久間像山、測量家の伊藤忠敬」など、そうそうたる顔ぶれが句会、大酒大食の会なども開催されていたようです。

私が一番興味があったことは、江戸時代のあの界隈のこと。そして、日本の歴史を動かす大事件。1853年6月のペリー来航です。開国して最初の会談の時に、江戸幕府がアメリカ側をもてなす宴の料理を「百川」が請け負ったということ。そのときの献立は?なんでも日米合計500人分。今でこそ「和食」は世界に認められていますが、当時はどうだったのでしょうか?その「百川」が明治に移って、忽然と姿を消します。謎です。

この度、小泉武夫先生は『幻の料亭・日本橋「百川」黒船を響した江戸料理』(新潮社)お書きになりました。まぁ~、よくここまでお調べになられた・・・と感心しきりの私。さすが食いしん坊のセンセイ・・・克明に料理などが記されております。

詳しく伺いたくてラジオのゲストにお招きいたしました。

最後には私たちの日常の暮らしで身体によい食事などもうかがいました。もちろん発酵食品なのですが、先生は毎日「豆腐の味噌汁に細かく刻んだ納豆・油揚げを入れて」召し上がるそうです。

2週にわたり放送いたします。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時
2月26日  
3月5日 放送

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ハチスカ野生食材料理店

今日は「節分」
そして明日は「立春」

暖かい場所では梅が芽吹き、空にはメジロなどが飛び交い、わが家の庭にも小鳥達が元気に飛び春の到来を告げてくれます。

待ちどうしいですね、春が。

子どもの頃私の遊び場は多摩川の河川敷だったり、野原でノビルを摂ったり、川沿いの土手で野草を摘んでカゴいっぱいにしてわが家に戻り母に料理してもらったり・・・もう春が待ちどうしくてたまりませんでした。

結婚し、四人の子どもを箱根の森の中で育て、学校帰りの息子が帽子いっぱいに土筆を摘んで帰り、はかまを取るのに爪が真っ黒になったり・・・。大都会では中々味わえない暮らしが私の性分には合っています。

これまでも全国各地を歩き、自然からの恵みをいただき、学び、山々を歩いてきました。

黒姫に住む作家、C・W・二コルさんとブナの原生林を歩いたのはある夏のことでした。そのブナは、天をつくかと思えるほどの高さ。その幹の太さは、巨漢二コルさんもスリムに小柄に見せるほど。

私はブナの木にふれました。水をたっぷり含むその木は、太古からの生命の循環を奥深い胎内に受け止め、耳をあてると満々たる水のたゆたいが聞こえてくるような気がしました。その木の肌、木の下のあらゆる生物たちが生き、生態系そのものです。

ハチスカ野生食材料理店』(小学館)  

何ともうらやましい本に出会いました。

蜂須賀公之(はちすかまさゆき)さんは1962年生まれ。武蔵野美術大学を卒業。初代東京都レンジャー(自然保護指導員)として、国立、国定公園を管理し、現在は特定非営利法人「NPO birth」の理事兼レンジャー部長として都立公園の管理にあたり、環境教育、環境保全を担当しておられます。

蜂須賀さんのご本には四季折々の野生の食材を使った料理が数多く紹介されています。日本全国ジープで山に分け入り、私は目にもしたことのない"キノコ"や山菜、魚、ケモノ、"野食"の数々。拝読していると蜂須賀さんが自然を愛し、自然から愛されている様子が文章から熱く伝わってきます。

『東京は今でも原っぱだらけあちこち秘密基地だらけ』とおっしゃいます。とはいえ、空き地とか原っぱには「立ち入り禁止」「管理者〇〇」など看板が立っていますよね。

「子供のころ自然を見方にできたことは必ず大きな力になる。植物や動物たちが生きる姿、みんながひとつの世界で生きる姿、人が生きるための答えがある」・・・ともおっしゃいます。

先日、新聞に「SNS没頭長文読まず」という記事がありました。ある都立高校に通う女子生徒は通学の電車内、帰りの電車もスマホ。就寝前もスマホでその日の出来事などを話す。一日の利用時間は約4時間なのだそうです。

蜂須賀さんの本からは"命"をいただく動物、植物など私たちは「生かされている」ことを実感します。子供や若者にもたくさんチャンスを与えて差し上げたい・・・と思いました。素敵なお話しを伺いたくてラジオにお招きいたしました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
2月19日 日曜
10時半~11時

さぁ~、春はそこまできています。蕗の董でも見つけに出かけましょ!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

一汁一菜でよいという提案

2016年も間もなく終わろうとしています。何かと慌しい日々ですね。そんな中、心がほっこりする本に出会いました。大切にしたいと思える本です。

土井善晴著『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)

ページをめくるとこのように書かれております。

 一番大切なのは、
 一生懸命、生活すること。
 一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、
 純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。

一汁一采とは「ご飯、味噌汁、漬物」を原点とする食事の形。ご飯と味噌汁だけでもじゅうぶんです。塩気が必要なら漬物の代わりにご飯に味噌を添えてください。と書かれ具沢山の味噌汁にご飯の写真。


そうですよね・・・私たちが長年ご先祖から受け継いできた考え方、生き方ですね。どうしてもお話しを伺いたくラジオのゲストにお越しいただきました。

料理研究家の土井善晴さんは1957年、大阪生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後、「味吉兆」で日本料理を修業しました。

土井勝料理学校の講師を経て、1992年「おいしいもの研究所」を設立。変化する食文化と周辺を考察し、命を作る仕事である家庭料理の本質と、持続可能な日本らしい食をメディアを通して提案されています。

NHKの「今日の料理」、テレビ朝日系の「おかずのクッキング」の講師も務めておられ、私は随分参考にさせていただいております。

土井さんはおっしゃいます。日本には、手を掛けるもの、掛けないもの、「ハレとケ」があり、そのけじめをつけることが大切です、と。

「ハレとケ」では食材も使い分け、例えば魚のアラは、ハレの場には使わない。頑張りすぎている若いお母さんの中には、味噌汁は「きちんとダシを取らないと!」と思ってしまう人もいらっしゃいますが、湯に味噌を溶けば、味噌汁になる。

ケの概念は日常の家庭料理。現代社会では(ハレとケ)2つが混乱していますね、と。そして、「家庭の台所」には料理する音、匂いがあります。それが、安心感につながるのです。と。貧しくても

たしかに私たちが子どもの頃は生活の中にけじめのついた日本らしさがありましたよね。貧しくても一生懸命に生活することが、その後の高度経済成長で性能の良い製品を作る土台になったのですよね、たしかに。

3年前に、和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されましたが、私たちはもう一度日本の家庭料理を担ってきたおばあちゃんや母親のもとに行かないといけないのかもしれませんね。

来週はクリスマス。そしてお正月へと「ハレ」の日が続きますが、日常は心が暖かくなる「一汁一采」でじゅうぶんだと私も思いました。

"頑張りすぎないこと"はとても大切です。
未来を担う子ども達の"食"が心配です。

ぜひ土井さんのお話しをラジオでお聴きください。
2週にわたり放送いたします。

文化放送 「浜美枝のいつかあなたと」
12月18日と25日
日曜10時半から11時まで。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

井伊直虎

2017年の大河ドラマの主役は「井伊直虎」です。

皆さま、この井伊直虎という人をご存知でしたか?正直申し上げて、私はしっかり日本史を勉強していなくて直虎という強そうな名前なので男性だとばかり思っておりました。「女性」なのですね。しかも激動の戦国時代に、一族を守ったボスでもありました。「井伊」と聞くと、井伊直正かあるいは幕末の大老・井伊直弼(なおすけ)が思い浮かびます。

安部総理が「女性の活躍」を掲げておりますが、家を守る時代が長かった女性の、はるか前の時代に、直虎のような女性が活躍していたのですね。

そこで、この度「井伊直虎 女領主・山の民・悪党」(講談社現代新書)をお書きになったな夏目琢史さんをラジオのゲストにお招きをし、直虎の魅力を伺いました。

夏目さんは、1985年、静岡県浜松市生まれ。一橋大学大学院・社会学研究科を卒業。専門は日本史です。これまでに「アジールの日本史」、「文明・自然・アジール: 女領主井伊直虎と遠江の歴史」など著書も多数あります。そもそも、夏目さんの生まれ育った浜松は直虎の地元である引佐(いなさ)地方なのです。もう中学時代にこの直虎に興味を持ち、古文書も調べていらしたそうです。

引佐地方の豪族で、直虎の両親には男の子が生まれず、直虎のいいなずけだった親戚の直親も暗殺されたために1565年(永録8年)直虎が女領主になります。

私がもっとも興味深かったのは、引佐地方のもっと山奥、オオカミの遠吼えがこだまする緑豊かな自然で生まれ育ったと推測される直虎の故郷は、ほとんど宮崎駿監督の「もののけ姫」の世界です。"山の民"非農業民。夏目さんにお話しを伺うと教養もあり、魅力的な女性でもあったそうです。「悪党」と言っても現代での解釈とは違うようです。戦国の世、なぜ女性が領主となり、なぜ近世期、彼女は忘れさられたのか・・・そうした直虎の運命をスタジオでたっぷりと伺いました。

いつの時代もその「時代の転換期」があるのですね。「女性の活躍」・・・と声高にいわなくともごく普通に「女性の活躍」のできる世の中になってほしいものです。来年の大河ドラマが楽しみになります。

その前にラジオをお聴きください。

文化放送『浜 美枝のいつかあなたと』
12月11日 
日曜10時半~11時

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

全日本大学駅伝

6日の日曜日、伊勢神宮へと向かう「全日本大学駅伝」が開催され、晩秋の清々しい秋の光を浴び選手たちがひた走りました。私もその様子をテレビで観戦いたしました。

青空のもとでのシード権争い、早稲田が6年ぶりの日本一か・・・昨年の雪辱をはらし青山学院大学か・・・アンカーの勝負でした。伊勢路を走りぬけ、内宮に飛び込んできたのは青山学院のアンカー「一色恭志選手」でした。

「タスキには先人たちの無数の哀歓がつまっている」「その凛とした布は瑞穂の国の正月をこれからも彩りを続けるだろう」と書かれたのはノンフィクション作家・早川隆さんによる『昭和十八年の冬 - 最後の箱根駅伝 - 戦時下でつながれたタスキ』です。

今、話題の一冊!です。

早坂さんは1973年愛知県岡崎市出身。2011年「昭和十七年の夏 幻の甲子園」で第21回ミズノスポーツライター賞・最優秀賞をはじめ、数々の著書があります。素晴らしいノンフィクションに出会いました。昭和18年は、私が生まれた年。そして箱根に住んでいる私は箱根駅伝がないと1年が始まりません。その箱根駅伝の歴史を丁寧に掘り起こした早坂さんをラジオのゲストにお招きして、じっくりお話しを伺いました。

知らないことばかり・・・。箱根駅伝は来年で93回目です。大正9年(1920年)2月14日・15日に始まり、東京師範学校(現在の筑波大学)の金栗四三をはじめ、多くの人物が大会創設に尽力され、その後の関東大震災、昭和恐慌などを乗り越え継続されてきた箱根駅伝。

しかし、1941年、42年は中止になりました。軍部が国道の使用許可をださなかったためとか。そこで青梅で開催されました。それでも選手達は、箱根駅伝の復活に向けて軍部と粘り強く交渉し、許可がおります。昭和18年の箱根駅伝は、1月5・6日開催で、靖国神社と箱根神社の往復だったそうです。伴走は自転車。11校が参加し、1位は日大、最下位は青山学院。1月6日の箱根は凍てつくような寒さだったそうです。多くのランナーが戦争に行き、亡くなった方もいます。また戦争に行くから「これが最後!」と思って走った箱根駅伝。

日曜の「全日本大学駅伝」では爽やかに走り抜ける若者の姿に感慨深いものがありました。

『タスキには先人たちの無数の哀歓が詰まっている』・・・という言葉。
今日の隆盛の陰に「生」と「死」の沁み込んだタスキがあった・・・・・心に響きます。

放送は1月1日  
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

直木賞作家・荻原浩さん

今年7月「海の見える理髪店」で第155回直木賞を受賞された作家の荻原浩さんとラジオの収録と毎日新聞での対談で一日ご一緒させていただきました。

発売と同時に拝読した本。そして受賞なさったときの記者会見での雰囲気・・・自然体で作品そのままのお人柄に魅せられていました。とても緊張していたのですが、穏やかで優しいお人柄にさらにファンになってしまいました。

荻原さんは1956年、埼玉県生まれ。成城大学卒業後、コピーライターを経て、1997年「オロロ畑でつかまえて」で第10回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。

2005年「明日の記憶」で山本周五郎賞、山田風太郎賞受賞など、著書も数多くこの度の直木賞は初めてノミネートされたのが11年前で、今回、5度目のノミネートで受賞されました。

どんなお気持ちで、どこでその受賞を待たれていたのかをまず伺うと「編集者の方々と飲みながら待ちましたが、何度も受賞を逃しているので、落ちるのには慣れていて、その時には何と話そうか・・・と考えていました」と。その時にご自身の携帯電話に受賞の知らせがあったそうです。

「海の見える理髪店」は6つの短編小説からなり、どれも家族のことが描かれています。その中の表題作「海の見える理髪店」は、理髪店の店主ともう一人の主人公『僕』のものがたりです。

よく喋る店主からは昭和の庶民の歴史も垣間見え、店主から見る『僕』と、『僕』から見る店主の描写、海の見える風景をお客さんに見せるための心使いや二人の距離感が絶妙です。

この小説で描かれているのは世の中には、人に言えない何かや、様々な事情を抱えて生きている人がたくさんいると思います。

短編の中の『いつか来た道』では画家の母親に反発した娘が16年ぶりに実家に戻ってくるという物語です。世の中には、仲のいい親子もいれば確執のある親子もいます。様々なパターンがありますが、時間が解決してくれたり、和解に導いてくれることもあります。

ラジオでは「年月の流れ、歳月の持つ重み」などを伺いました。『遠くから来た手紙』では、すれ違いの夫から逃れるように実家でメールや古い手紙を読んで夫との関係を見直す・・・帯にはこのように書かれています。『誰の人生にも必ず訪れる、喪失の痛みとその先に灯る小さな光が胸に沁みる家族小説集』と。

読み終えて、「もっときちんと言葉で伝えておけばよかった」「後悔」「ささやかな幸せ」「家族であっても寂しさがある」「人って愛おしい」・・・「家族と暮した豊かな時間」などなど・・・心の深いところに、ともし火を感じました。

今回の収録は荻原さんで2本でした。

待望の「直木賞受賞第一作」『ストロベリーライフ』が話題になっています。「ストロベリーライフ」は毎日新聞の日曜版「日曜くらぶ」に連載されていました。

イチゴ農家を舞台にした長編小説で、家族、農業、そして人生の岐路などいろいろなことを考えさせられました。岐路に立った時、人はどんな決断をし、そして決断した人を周りがどうサポートするのか、これがテーマの一つになっています。

行動すること、動き出すことの大切さも感じました。迷っている人の背中を押す・・・それらが「ストロベリーライフ」に描かれています。

私たちは「農・食」のことをもっともっと知ることが大切です。

じっくり荻原さんのお話をラジオでお聴きください。
そして、毎日新聞での対談をお読みください。

毎日新聞10月29日(土)朝刊(予定)

文化放送 11月27日と12月4日 日曜10時半~11時

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

コンビニ人間

第155回 芥川賞受賞の『コンビニ人間

大変興味深く読みました。わたしたちの生活に欠かせないコンビニエンスストアを舞台にした小説です。「コンビニエンスストアは、音で満ちている。」で始まります。

受賞なさった村田さんは、1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部を卒業後、2003年、「授乳」で、第46回群像新人文学賞優秀賞を受賞して作家デビュー。2009年「ギンイロノウタ」で野間文芸新人賞、はじめ2013年、「しろいろの街の、その骨の体温の」で第26回三島由紀夫賞受賞。など活躍されている方です。

受賞発表のときの村田さんのはにかんだ感じ、授賞式の日、7月19日もコンビニで働いていた・・・というエピソードに私自身驚いたものです。つまり、私は村田さんご自身が「コンビニ人間」なのかしら・・・と思ったのです。

村田さんが書いた「コンビニ人間」は、36歳の独身の古倉恵子が主人公です。大学卒業後も就職せず、コンビニでバイトも18年目。(この辺は村田さんと一緒)コンビニで働いている時にしか生きがいを感じられません。ある日、そのコンビニに婚活目的で一人の男がやってきて、主人公の古倉に「そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい」と突き付け、物語が展開していくのですが、そのコンビニでの描写や、なにか・・・ちょっと普通ではない人間たち、もしかしたら、私など敬遠したいタイプのように映るのですが、読み進めていくうちにその主人公たちに作家は限りなく慈しみをもち、周囲からは厄介者に映る男に主人公は寛容なのです、とても。

作品の中で、36歳の独身の主人公は「結婚は?」とか「まだバイトなの?」と家族や周囲から異物扱いをされます。この本を読んでいると世の中の「普通であること」や「世間一般の価値観」に対して村田さんご自身はどのようにお考えなのかを伺いたくなりました。登場人物がとても魅力的、人間的に思えてくるのです。

村田さんはコンビニ勤務歴18年、深夜2時に起きて早朝6時まで執筆。午前8時から午後1時までコンビニ勤務。その後、喫茶店で執筆。夕食後、お風呂に入って寝る。週3回のペースで働きながら小説を書くのが、原稿が進むし、バランスが取れる・・・とおっしゃいます。作家歴13年、コンビニ店員歴18年!

ラジオにお招きしてじっくりお話しを伺いました。小さい頃から読書好きな少女で、空想壁があり、少女小説家になりたかったそうです。

みなさんはコンビニってよく利用されますか?

私の場合、住む町にはコンビニがないので、月に何回か箱根神社に参拝に行った帰りには早朝かならず寄ってみます。工事現場に行く前にトラックの助手席でお弁当を食べている人や観光客、時にはお年寄りがひとりで買い物や、様々な人に出会います。一人用の便利なお惣菜、日用品、おむすび、サンドイッチ・・・新聞や雑誌、など等。

「買い物難民」といわれるお年よりが多くいる日本列島。コンビニの役割は大きいですね。最終のバスで小田原から終点の町までバスで帰って来る時など辺りの商店の灯りは消えて真っ暗。バスの中からコンビニの煌々と光る灯りにホッとすることも。そのコンビニの中でくりひりげられているドラマの数々。「コンビニ人間」は大変興味深かったです。

芥川賞作家 村田沙耶香さんにじっくり2週にわたりお話を伺いました。ぜひラジオをお聴きください。

放送日は9月11日と18日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『爺(じじい)のひまつぶし』

作家で評論家の吉川潮さんが、司会者でエッセイストの島敏光さんとともに「爺の暇つぶし - もてあます暇をもてあそぶ極意、教えます - (ワニブックスPLUS新書)」をお書きになりました。

帯には「男の暇つぶしに定年はない!」とあります。落語にも造詣が深い吉川さん。ふ・ふ・ふ・・・と笑いをこらえて読むところもございましたが、そもそも女性には「暇つぶし」などありませんものね!

ご近所のお付き合いや友人達、遊ぶ仲間や、やることがいっぱい・・・でも男性はそうでもないらしいのです。ラジオにお招きしてじっくり伺いました。「暇つぶしガイド」とでも申しましょうか。

時間を持てあましているシニアの方、とくに男性、必読書です(笑)定年を前にして、その予備軍も多いそうです。「安く、楽しく、イキイキと余暇を過ごすには」まず吉川さんは、ご飯を一緒に食べる「飯友(めしとも)」がいらっしゃるとか。

その飯友がいないひとには・・・。映画・音楽・ライブは暇つぶしの三種の神器とのこと。それには足腰が強くないと出かけられませんよね。旅もいろいろ。男性は一人旅を好むそうですね。そういうときには"話しかけない"が礼儀とのこと。

散歩はお金のかからない川べり、日比谷公園、新宿御苑など普段からよく歩かれるとのこと。落語家の亡き立川談志師匠とのお話しは大変興味深く伺いました。師匠が60代の後半になった頃、食道ガンの手術をし、70過ぎると、『人は未練で生きている』とおっしゃったそうです。吉川さんは「未練たらしく生きるほうがいいと思うんです。皆さんも未練をなくさず、未練たらしく長生きしましょう」とおっしゃいます。中々薀蓄のある言葉です。

究極の暇つぶしとは吉川さん曰く「暇つぶしと意識しないで一日が終わること」。この本はかつて流行った「濡れ落ち葉」にならないように奥さまがご主人に贈るのも良いのではないかしら(笑)と私は思いました。

67歳の吉川さんに70歳を前にして思うことなども聞かせていただきました。

スタジオは笑いの渦。ぜひラジオをお聴きください。
放送日8月7日
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

謎のアジア納豆

納豆って、日本だけで作られているんじゃないの?と思われる方がいるかもしれません。私もアジアの国々、インドなどを旅すると豆の料理はふんだんにありますから、納豆があっても不思議ではないのですが、まさか・・・こんなにアジアに納豆があることは知りませんでした。

『壮大な納豆の旅』に出かけた方がいらっしゃいます。それも3年もの時間をかけ、辺境作家が目指した最後の秘境。タイ北部チェンマイで食べた納豆スープ、ミャンマー北部カチン州のジャングルの民家で食べた納豆卵かけご飯。

旅に出かけたのはノンフィクション作家の高野秀行さん。高野さんは、1966年、東京生まれ。1989年、早稲田大学・探検部の活動を記した「幻獣ムベンベを追え」で作家デビューしました。

『誰も行かないところに行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかし
く書く』のがモットーだそうです。

著書も数多く、2013年、「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プラントランドと戦国南部ソマリア」で、第35回講談社ノンフィクション賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。そして「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」をお書きになりました。

納豆は「トナオ」というのだそうです。せんべい納豆、蒸し納豆、納豆味のタレに野菜をつけて食べる「ナッピング・トナオ」タイのシャン族は、納豆をせんべいのように薄くするのだそうです。

あまりにも面白く興味がわき、ラジオにお招きし直接お話しを伺いました。スタジオには薄いせんべいのような納豆を高野さんが焼いて持参してくださいました。(写真に写っているもの)

スタジオ内は香ばしい納豆の香りがします。

インドとミャンマー国境の山岳地帯にあるアジア最後の秘境「ナガ族のエリア(元・首狩り族)にも納豆汁があり、納豆は味噌とダシの代わりに使われているとのこと。

そして、「日本の納豆」を探し求めての旅がはじまります。
私のイメージする「日本の納豆」は稲藁に包まれた納豆・・・が思い浮かびますが、最近は中々見かけなくなりました。それは何故?岩手や秋田、そして京都の山深い集落へ・・・・と、納豆の奥深さに感動しました。

2週にわたり放送いたしますのでお聴きください。そして写真も載っている「謎のアジアの納豆」をお読みください。食文化って素晴らしいですね!

「浜美枝のいつかあなたと」
文化放送 日曜10時半~11時まで。
6月12日 19日の2回です。

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原節子さん

ノンフィクション作家の石井妙子さんが『原節子の真実』(新潮社)をお書きになられました。本の帯にこのように書かれています。

彼女が最も望んだのは何だったのか

その存在感と去り際、そして長き沈黙ゆえに生まれた数々の神話。埋もれた肉声を丹念に掘り起こし、ドイツや九州に痕跡を辿って浮かび上がったのは、若くして背負った「国民的女優」の名と激しく葛藤する姿だった。伝説や憶測に惑わされることなく、真実だけを積み重ねて甦らせた原節子の実像。

石井さんは、1969年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。白百合女子大学を卒業後、大学院修士課程終了。2006年、およそ5年の歳月を費やし、伝説の銀座マダムの生涯を浮き彫りにした「おそめ」が、新潮ドキュメント賞、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補作となりました。これまでの著書や共著に「日本の血脈」、「満映とわたし」などがあります。

原節子さんは私の憧れで、ちょうど私が女優になってすぐに砧の東宝撮影所で何度かお見かけしました。背筋を伸ばし、歩幅は大きく颯爽と撮影所の中を歩くお姿は大輪のバラの花のようでもあり、クレマチス、いえ楚々とした都忘れのようでもあり・・・15歳の私には眩しい存在でした。でも今回、石井さんの本を読みその時原さんは40歳。すでに引退を考えていらした時期だったのですね。

ラジオのゲストに石井さんをお招きし、原さんがどんなことで悩み、何を望んでいらしたのか・・・。じっくりお話を伺いました。石井さんは原さんのお誕生日には花束を持参し、手紙をそえて鎌倉のご自宅を何度もお訪ねになり、甥ごさんに手渡したそうです。そこでの暮らしは「原節子」ではなく「会田昌江」としての慎ましい暮らしだったようです。映画界を去ってから50年以上も沈黙を守り、その私生活は謎に包まれています。

去年9月、95歳で亡くなりましたが、石井さんも直接取材は叶わぬままでしたが、今回の本で、青春時代の戦争との関わりや、小津映画が代表作と言われることえの多少の不満。日独合作映画「新しき土」に出演した時の心模様。よくお調べになり、執筆にあたり、現存するすべての作品を観て、入手困難なものは市井の映画フアンの協力を得たそうです。当然原さんはご自分の本が出版されるのはご存知だったでしょう。恋愛についても私は納得できるものでした。

原節子さんは、「きっと喜ばれたと思います」・・・と思わず石井さんに申し上げてしまった私です。

私も演じる"女優"は40歳で卒業いたしました。

原さんは写真家の秋山庄太郎さんに「ことさら美しく撮ろうとしないでほしい。ありのままの私を撮ってほしい」と何度も念をおしたという。そこにも原節子の真実があるように思います。

ラジオをお聴きください。そして、「原節子の真実」をお読みいただきたいです。私自身、ようやく青春時代を過ごした映画界のことが分かったように思います。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
放送日4月24日 日曜10時半~11時 

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江ノ電

藤沢と鎌倉を結ぶわずか10キロの路線に、年間の乗客の数が1700万人を超えるという江ノ電。

皆さまはお乗りになったことがございますか?

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私は娘のショップ"フローラル"が鎌倉にあるので時々山を下り東海道線で大船、乗り換えて鎌倉へと向かいます。江ノ電には鎌倉から長谷へ。長谷は長谷寺や鎌倉文学館に行きます。でもすご~い人・人。大仏様がおられるから外国の方も多いですね。でもほとんどが長谷で下車されます。

私はお隣の極楽寺が好きです。

長谷駅から極楽寺隋道(トンネル)を抜けると「ここって町中?」とおもえるほどの懐かしい駅が極楽寺駅です。駅を出て徒歩2、3分のところにある極楽寺は趣のある小さなお寺さん。静かにお参りができ人も少なくお薦めです。

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そしてぜひ見逃さないでください「極楽寺の歴史的なトンネル」を。かつて鎌倉側の抗口で土砂崩壊が発生し、長時間にわたり運行が止まったこともあるそうです。それから昭和48年に蛇腹になったドームを11メートルほど突き出し防護されています。

鎌倉市の景観重要建築物に指定されています。この古い趣深い姿に、心が和みます。ここも緊急時以外は現場職員が夜間に点検をしているそうです。煉瓦造りのこのトンネルを守るだけでも大変なことでしょう。

江ノ電には何度も乗っているのに、藤沢から鎌倉までの10キロを乗車したことがありませんでした。今回、江ノ島電鉄(株)前社長・深谷研二さんのご著書「江ノ電 10kmの奇跡―人々はなぜ引きつけられるのか?」を読み、藤沢から鎌倉まで乗ってみたくなりました。観光気分で快適に乗れる裏には会社をあげ、社長自ら年末には徒歩で10キロの線路を歩き安全の確認をされるとか。根っからの鉄道屋・職人気質『鉄道は生き物』です。と語られます。

民家の軒先や駿河湾のそば江ノ島を通り、四季折々、いろいろな楽しみ方ができます。交差点の赤信号停車や住宅ぎりぎりの生垣からは生活の匂いもします。ゆっくりと走る江ノ電は土地と土地、街と街を結びます。何と魅力的な鉄道なのでしょうか。

お話を伺いたくてラジオのゲストにお迎えいたしました。

深谷さんは1949年のお生まれ。日本大学理工学科土木工学科卒業後、小田急電鉄に入社。その後、私の地元 箱根登山鉄道と江ノ電で社長を務め、昨年、江ノ電の相談役を退任なされました。

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親子2代の「ぽっぽや」鉄道への愛情も人一倍です。運転士が指導者を「師匠」と呼ぶ職人の世界。かつては周辺の道路整備で通勤通学の足が鉄道からバスへとかわり、マイカーブームで一時は廃線の危機もあったそうです。江ノ電はどうして生き残ることができたのか・・・。たっぷりとお話をうかがいました。江ノ電を支える地元住民の方々との信頼関係も濃密だとお見受けいたしました。

さあ新緑の季節、江ノ電で小さな旅はいかがですか。

私は早朝のバスで下山し鎌倉で朝食を娘といただくのが嬉しいひとときです。(駅から2、3分のGADENN HOUSE)パンケーキにソーセージとたまご。美味しいのでお薦め。そして早い時間に江ノ電に乗ってください。

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文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
放送日は4月17日
日曜10時半~11時


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紅茶

皆さまは紅茶はお好きですか?

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私は大好きです。でも、若いときには「ちょっとマナーがあって難しそう!」とおもっておりましたが、その思いが一変したのは10代の時にインドを旅したときに飲んだ紅茶です。

ニューデリーから列車に乗り込み5~7時間かけて田舎の石仏を見に行くときなど、一日に数本しか入らない列車がホームに入ると、子供たちが『チャイ!チャイ~!』と舗装されていないホームの横で作りたてのミルクとお砂糖たっぷりの紅茶を売りに来てくれるのです。

素焼きの小さなカップに入れて、たしか5円くらいでしたか・・・とにかく甘くて美味しいミルクティーにぞっこん!体と心が満たされ幸せな気分で旅を続けられました。それからはインドに行くたびにその「チャイ」を飲みました。忘れられない味です。

そして、映画007の撮影のときは10時と3時のお茶の時間はどんな状況でも手を休めティータイムです。日本人の私などは「もう~後ちょっとでこのシーンは終わるのに・・・」などとブツブツ思っておりましたが、慣れてくると「紅茶タイム」の意味、必要性がよくわかるようになりました。ただお茶を飲む、ということだけではなくコミニケーションの場であり、心身をリラックスさせてくれる効用があります。ロンドンの水は硬水ですから紅茶には良く合います。色は濃いのですが、飲むと渋みが少なく、後味に渋みが残りません。

イギリス人にとって最高の紅茶とは、カフェでもホテルでもなく、一家団らんで楽しむ紅茶が最高とのこと。友人の家に招かれて伺うと「ティーウィズミルク?」と聞かれます。そう、私はミルクティーが大好きなのですが、イギリス人はミルクにこだわります。「どんな紅茶もミルク次第」だそうです。そして入れ方は、ミルクが先か、紅茶の後か。

本題にはいります。素敵な本に出会いました。『紅茶の手帖』磯淵猛著(ポプラ新書)です。

磯淵さんは紅茶研究家で1951年生まれ。28歳で紅茶専門店「デンブラ」を開業し、スリランカなどの紅茶の輸入販売を手がけ、各地の紅茶の特色を生かした数百種類のオリジナルメニューを開発しておられ、世界各国を今でも訪ね、実際茶畑での試飲もされています。

大ヒットした「キリン 午後の紅茶」にはアドバイザーとして今でもかかわり、30年に及ぶロングセラーに導いています。

紅茶の効用にはインフルエンザや口臭の予防、骨粗しょう症の改善などにもいいそうです。

そこで、ラジオのゲストにお招きし「紅茶」の素敵なお話をたっぷりお聴きいたしました。そうそう磯淵さんにお聞きした「ティーウィズミルク」の美味しい淹れ方だけお教えいたしますね。

◎ 茶葉はブラックティーよりさじ加減を多めにする。 
◎ 先に注ぐミルクで冷めないよう、カップを温める。
◎ 紅茶はカップの9分目まで注ぎ、温かさを保つ。

紅茶の歴史や意外に合う料理、ティーパックでの美味しい淹れ方等々、楽しいお話でした。ラジオをお聴きください。

文化放送『浜美枝のいつかあなたと』
放送は4月10日(日) 10時半~11時

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『激安食品の落とし穴』

昨年から今年にかけて、日本の農業についてマスコミをはじめいろいろな所で議論が盛んに交わされてきました。それは皆さまもご存知のTPP(環太平洋パートナーシップ)の大筋合意がなされたからです。「人・モノ・お金」が原則自由になることです。

私は40歳から環境・農・食の問題を勉強してまいりました。この20年あまりで農業の現場も大きく変わりました。将来に農業者の人口は減り続けます。農業就業者の平均年齢は66歳です。50歳未満の農業従事者は25万1千人、5年前から比べると23%も減少しているのです。もちろん一部には優れた農業者もいます。輸出にも力をいれ成功している人もいます。「足りなければ輸入すればいい、そのほうが安くすむ」という声も聞こえてきます。

"食は命に直結しています" 

そんな環境のもと、私は心配なことがたくさんあります。全国各地を自分の足で歩くと耕作放棄地のなんと増えたことか。美しい景観が大きく変化し、このままだと日本の農業、食はどうなってしまうのか・・・。日々の暮らしに目をやるとスーパーなどでの安売り競争。たしかに安いにこしたことはないのですが・・・。

「新鮮でおいしく、安全でしかも安い」そんなことはありえないのです。私の子供のころの暮らしには、庭先に鶏が走り回り、牛舎で牛のお乳を搾る光景など生産現場を身近に感じることができました。現代は、たべものを巡る不祥事も取りざたされています。考えたこともない破棄すべき食品を流通に流す。こんなことってあるのでしょうか。私達台所を預かるものとして考えてしまいますよね。『これってどういうこと?』と。

そこで出会った本『激安食品の落とし穴』です。

お書きになられたのは、農畜産物・流通コンサルタント山本謙冶さんです。山本さんは、1971年・愛媛県生まれの埼玉育ち。慶応義塾大学・環境情報学部在学中、畑サークル「八百藤(やおふじ)」を設立。キャンパス内外で野菜を栽培し、この活動は今も後輩に引き継がれています。これまでの著書に「日本の食は安すぎる」「無添加で日持ちする弁当はあり得ない」があります。私も山本さんの本は以前に読んでおりましたので、現在の「農・食、そしてわれわれ消費者」のことなど伺いたくラジオのゲストにお迎えしました。

安くて美味しい食品は家計を助け、一見、理想的ではありますが、これが「安すぎる」となると、生産者や食品メーカーは生産行為を続けられない状況に追い込まれます。「今の事実を伝えたい」と、全国各地の食の現場で取材して書かれたのがこの本なのです。

本の中で「消費者は弱者であり、守られるべき存在というのが日本の消費者運動の趣旨だが、果たしていまの時代に合っているだろうか。いまや消費者が最も強い立場にいるのではないかと思うほどだ」と。(第一次産業からみた)買い手側が圧倒的パワーを持ってしまい、価格を支配している。

そうですよね・・・この安さで安全?だれか泣いている人がいるのでは?と思うことがあります。皆さんはどのように思われますか?たしかに昭和のころとは環境が変容しています。賞味期限は自分達で判断していました。食べ物にたいする基礎知識が変化している・・・というか、頼りすぎていて期限切れは破棄してしまう。破棄する量も日本は桁外れに多いのです。テレビや雑誌に取り上げられると、スーパーではその商品が瞬く間に棚やカゴからなくなります。

山本さんはおっしゃいます。「日本人はたまごが大好きだ。ひとりあたりが年間に消費する個数は世界でトップクラスだし、しかも生たまごを食べる文化がある!」そのたまごは「物価の優等生」といわれてきた。でもそうでなくなる時代がくるか?

私はスーパーでの納豆とたまごの「激安競争」を見ていて心配になります。たまごの生産者は激減しています。わずか2600戸しかありません。農家戸数の0.1パーセントなのです。「激安」にさらされ商売にならないのです。

日本は競争社会になり合理化と大規模化が進んでいます。最初に述べたようにTPPでの合意によりさらに競争社会になっていくでしょう。でも、私達消費者だけが「食」のあり方を変えることができるのです!食卓を守ることができるのです!そして生産者と消費者がお互いを理解しあうことができるのです。

ぜひ放送をお聴きください。
そして「激安食品の落とし穴」(KADOKAWA)をお読みください。

未来を担う子供たちのために私達ができることからはじめませんか。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」 
2月28日放送 日曜10時半~11時まで。

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『正直』

この本をお書きになったのは松浦弥太郎さんです。

松浦さんのことはかねがね"気になる"方でした。「暮らし手帳」の元編集長。民藝運動にたいして、というより「人の手」を感じられる「手仕事の道具」に対しての考え方に大変興味深い文章を読んでおりました。民藝に対して疑問に思うことも私自身と共通しておりました。ひと昔前は民藝は土臭いというイメージでしたが、実は非常には洗練されていて、もしこの民藝という「手仕事」が、また「民藝運動」がなければ私達日本人の暮らしはどのようになっていたか・・・と時々考えるのです。

さて、今回はその松浦さんが昨年春にお書きになられた「正直」を読んで、大変感銘を受け、ぜひスタジオで直接お話を伺いたいとお招きいたしました。

松浦さんは、1965年、東京生まれ。18歳で渡米し、アメリカの書店文化に惹かれ、帰国後、オールドマガジン専門店「m&co. booksellers」を赤坂に開業。2000年、トラックによる移動書店をスタートさせ、その後、中目黒にCOW BOOKS」をオープン。2006年、「暮らしの手帳」編集長に就任。9年間務めた後、去年、日本最大の料理レシピ投稿検索サイト「クックパッド」に入社されました。なぜ180度違う世界に飛び込んだのか・・・・その辺もうかがいたかったのです。

著書も数多く、「本業失格」、「くちぶえサンドイッチ」、「おいしいおにぎりが作れるならば」などがあります。本、雑誌、ラジオ、インターネットなどあらゆるメディアで、今、幅広い世代から注目されている松浦さん。今回の本「正直」には、仕事をはじめ、何かを懸命に頑張っている人たちの背中を押す言葉が数多くつづられています。

仕事とは何か、を考える本でもあります。

成功している人はなぜ成功しているのか、答えをしりたくて1年考え続け『成功している人は、人を助けている』と気づいたそうです。現代社会はお金優先が多いです。「全ての仕事は人を助けること。」そうですね・・・。そしてこうもおっしゃいます。「人生で、自分に関係ないことはひとつもない。学び、そして好奇心をもつこと。無関心が一番怖い」たしかに無関心な人が増えているとおもいます。

「人間はみな、弱くて狡くて不完全だ。全員が悩み、苦しみながら生きている。だからこそ、何かあっても許し、受け入れ、人は信じ合い、許しあってこそ、関係が築ける」と考えているそうです。「成功の反対は、失敗ではなく何もしないこと。」とてもあたたかな人生の応援歌、教科書です。

50歳を迎えるときに、リスクを自覚しながら、新たなフィールドに飛び込む松浦さん。かっこいいです!ぜひ、ラジオをお聴きください。そして本を読んでください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
1月31日 日曜10時半~11時まで。

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『終わった人』

刺激的なタイトルの本。
「定年って生前葬だな」という書き出しではじまります。

この度、『終わった人』をお書きになられたのは、脚本家の内館牧子さんです。正直、「キビシイ・・・タイトルだわ。」と思いましたが、ページをめくると愛と定年男性へのエールであることがよく分かります。

内館さんは1948年、秋田市生まれ。東京育ち。武蔵野美術大学を卒業後、13年半のOL生活を経て、1988年、脚本家デビューなさいました。

「思い出にかわるまで」
「ひらり」
「出逢った頃の君でいて」
「私の青空、」など数々の人気作品があります。

大相撲にも造詣が深く2000年から10年間、横綱審議委員を務め、現在東北大学相撲部総監督を務めておられます。

最新小説が「終わった人」なのです。これから定年を迎える人、あるいは夫とともに歩ん妻や家族、若い世代など、どんな人が読んでもリアリティあふれる描写に引き込まれました。内館さんの観察眼や物語の展開に時間を忘れ読みました。これはぜひ直接お話を伺いたい・・・とラジオのスタジオにお招きいたしました。

本の帯には「大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定を年迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方くれた。妻は夫との旅行などには乗り気ではない。『まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい』と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない。生き甲斐を求め、居場所を探して、戸惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?」・・・とあります。

ジムやカルチャースクールに通ったものの、エリート意識が抜けず、満たされない日々が続いていたところに年下の女性との出会いがあり、ある会社からの誘いがあり・・・と後は読んでお楽しみください。

スタジオでは寺島尚正アナウンサがー『現役時代から、定年後は別の人生が始まると覚悟しておいたほうがいいのでしょうか?』と真剣です。シリアスな話の中にユーモがあり「う~ん、分かるな奥さんの気持ち」・・・など私は普遍的なテーマも内館さんの手によると、・・・こんなに人が愛おしくなるのね・・・と思わずうなずいていました。

スタジオに現れた内館さんはチャーミングで素敵な方。7年前に大病をされて、13時間の大手術をなさり2週間もこんこんと眠り続け、奇跡的に目を覚まされたそうですが、お元気で、今でも何にでも興味を示され、学び、ワイン教室、最近は将棋にも夢中とのこと。すごいバイタリティーです。

「勉強することが大好きなの」とおっしゃられます。

故郷についてや、「終わった人」のラストにも関係してきますが、私は伺いました。

「熟年離婚する夫婦と離婚を踏みとどまる夫婦には、どんな違いがあるのでしょうか?」・・・と。

その答えは、ラジオをお聴きください。
そして、将来避けられないテーマ・・・をご夫婦で語りあってください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 
日曜日、10時半~11時まで。
放送日は12月20日と27日の2回にわたります。
1回目は本を中心に。 
2回目は内館さんご自身についてです。

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『老いの希望論』 

老いの希望論』 森村誠一(徳間文庫)

老いて人は、失う代わりに大いなるものを得る!

1月2日に83歳を迎える作家の森村さん。

仕事や家庭に尽くした日々は終わった。
これからが自分のための純金人生だ。
そうご本の帯に書かれています。

女性と男性では生活習慣も違うし、働き方も違います。そろそろ団塊の世代の方達は定年を迎え、退職後は本物のオフを独りで使いこなさなくてはなりません。よく定年後、夫が家族の中で孤立するケースもあると聞きます。

「リタイアは終着駅ではなく、第二の始発駅」とおっしゃる森村さん。女性として"男の本音"を聞かせていただきたく、ラジオのゲストとしてお越しいただきました。

森村さんは1933年、埼玉県のお生まれ。9年余りのホテル勤務の後、1963年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞。
1973年「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞。
「人間の証明」「悪魔の飽食」、「忠臣蔵」など、多くのベストセラー作品があります。2011年には「悪道」で吉川英治文学賞を受賞。2015年には「運命の花びら 上・下」を発表し、昨年、作家生活50年周年を迎え、『老いの希望論』をお書きになりました。

男の定年後を中心に、第二の人生に入ったら、夫は妻との関係をどのように見直すべきか・・・などお話を2週にわたりお聞きいたしました。

スタジオに現れた森村さんはとてもお元気で、現在も旺盛な執筆活動を続けておられます。ダンディーでソフトな語り口。

朝6時半には起床。午前中馴染みの喫茶店へ。午後から本格的な執筆活動。夕方から散歩や病院(定期健診)など夕食は午後9時ごろから。深夜0時に就寝。昼間30分の昼寝も。

「老いる」ということは、言いかえれば人生の達成に近づくことです。たった一度限りの生涯を達成しきることは、理想的な生き方です。人生の達成こそが理想的な生涯であり、人間として生まれたからには達成したい。 人生八十年時代、誰もが長い老後と向き合わなければなくなりました。極度に恐れる人は、退職後のこの長さが耐え難いゆえに、身体ではなく心が老いていきます」 と本の始めに書かれています。

会社や職場に勤めていた現役時代と定年後で違うの、は人間関係や時間の使い方現役時代のオフは、どこか会社のしっぽが残っている。本物のオフを独りで使いこなさなくてならず、会社以外の人間関係もつくらなければなりません。・・・と。

たしかに男性は仕事ばかりで、地域や町内のことに関心のない方もおられます。まずは町内のイベントから参加してみるのもいいでしょう。祭りの世話役、選挙事務所に来た人の相談役、など。そして若者とのつながりを持ちたいですね。若者と交流することで、現代が見えてくるし、年齢の違いで生じるギャップを埋められます。

森村さんはカメラは若い頃からの趣味。登山、旅行、そして写真と俳句を合わせた写真俳句を公式サイトで発表していますが、やはり「人に見られる」ことは大事なのですね。新聞に投稿するとか。

たしかに妻側は夫抜きの生き方をすでに学んでいます。(今の若い方達は別です)いきなりオフになってもそれぞれの時間、居場所は持っている存在だと理解するから、"つかず離れず・・・がいいですね。そして、相手を"空気のような存在"ではなく、異性としてもみるべきです。

お話はいろいろ伺いました。

さまざまな経験を積み、これまでの人生が濃縮された果実であれば、第二の人生の始発駅からの旅には、この果実を携えていくこともできるのです。身一つで出発した第一の旅よりは充分安定しているのです。

ほんとうに内容の深いお話でした。男性、女性に関係なく人間としてですね。若者のように時間の浪費はできません。

具体的には本をお読みください。
そして、ラジオをお聴きください。

放送は1月10日と1月17日の2回
文化放送「浜美枝のいつかあたなと」
日曜10時半から11時まで

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映画「FOUJITA」

10年ぶりに小栗康平監督の最新作 「FOUJITA」が上映されます。

今から100年ほど前にフランスで活躍した画家・藤田嗣治、フジタが主人公です。

パリが愛した日本人、フジタ
エコール・ド・パリの寵児にして社交界の人気者だったフジタ
戦後の日本で"戦争協力画"を描いて日本美術界の重鎮にのぼりつめて行く

このように書かれています。
タイトルの『FOJITA』は、フジタのフランス語表記。

小栗康平監督は1945年生まれ。
1981年「泥の河」で監督デビュー。1984年の「伽倻子のために」、1990年の「死の棘」はいずれも海外で高い評価を受け、小栗監督の戦後3部作と位置づけられています。1996年には「眠る男」でモントリオール映画祭・審査員特別大賞を受賞。

その小栗監督の最新作は、画家・藤田嗣治の物語です。日本とフランスの合作です。大変興味があり封切は11月14日なのですが、事前の試写会で拝見いたしました。

私は一昨年、フジタが人に会うことを避け、パリ郊外のヴィリエ・ル・バクルで亡くなるまで過ごしたという家を訪ねました。小さな村の一瞬「これがフジタの家?」と思わせる質素でありながらも実にフジタらしい家。夫人と二人きりの隠遁生活で病に冒されたフジタはなぜかとても気になる画家でした。

梁の落書き、ミシン(このミシンが映画では象徴的に描かれています)、筆を洗うシンク、髭剃り用の鏡。すべてがフジタの手づくりなのです。

その画家・藤田嗣治を小栗監督はどのように描くのか・・・と大変興味がありました。

1920年にフジタがパリで「乳白色の裸婦」を日本画的な手法で描いて絶賛された一方、戦時下の日本でフジタは陰影の濃い西洋の歴史画のような絵を描きます。

フジタは"フーフー"というお調子者を意味する愛称で呼ばれ、夜毎にカフェ・ロトンドに繰り出しパリ時代だけでも三人の女性と結婚し、華やかな日々を過ごした画家です。

第二次世界大戦。1940年、フジタはパリがドイツ軍の手に落ちる寸前に帰国し、戦時の日本ではそれまでの裸婦とは異なる"戦争協力画"を描いていくのです。

そこにどのようなフジタの心の葛藤が内包されているのか・・・。
小栗監督はどのように描写するのか。
映画はある意味、そのような先入観念を裏切ります。

これまでの藤田嗣治のイメージとは異なる人物像が描かれ、従来の映像美をしのぐ美しさが全体に広がっています。隅々まで厳しく計算されつくされたワンショット、ワンショット。

『静謐で圧倒的に美しい。絵画と映画とが融合してフジタの知られざる世界が現出した。これはフジタのいわゆる伝記映画ではない』と書かれています。

正直最初は戸惑いました。

『これはやはり監督から直接お話を伺いたい!』そんな思いでラジオのゲストにお越しいただきました。

監督はおっしゃいます。

『フジタが生きた二つの時代、二つの文化の差異。パリの裸婦は日本画的といってよく、反対に日本での"戦争協力画"はベラスケス、ドラクロワなどを手本としてきた西洋クラシックの歴史画に近いものだ。これを、ねじれととるか、したたかさととるか。ともあれ、一人の人間が一心に生きようとした、その一つのものだったのか、を問いたい』と。

主演はオダギリジョー。

資料はざっと読み、早く事実から離れた。映画は独自の時間の中で成立するもの。物語は歴史に縛られがちだが、感情は歴史的事実からは自由であるもの。
 
そして合作ならではのご苦労や、逆に映画を国民的に文化と捉える風土。映画論。など等、大変興味深いお話が伺えました。

戦後70年という節目に上映されることについても伺いました。

封切は11月14日(土)から、角川シネマ有楽町や新宿武蔵野館はじめ、全国各地で上映されます。

ラジオ放送は
文化放送 11月8日 日曜日
「浜 美枝のいつかあなたと」
10時半~11時

ぜひお聴きください。
私は封切られたらもう一度、大きなスクリーンで愉しみます。
映画の公式サイト http://foujita.info/

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秘島図鑑

皆さまは「ひとう」というと温泉かな、という響きがございますでしょ。
今日のお話は「秘島」です。

私は青春時代、"島"にかぎりない興味と愛着をもって、旅を続けた時代がございます。遠い島は、鹿児島県のトカラ列島。何しろ50年ほど前にはたしか10日に1回、運行されている村営船のフェリーのみでした。今は週2回運行されている「フェリーとしま」があるそうですが。鹿児島を出港したフェリーは、口乃島、中ノ島、諏訪乃瀬、小宝島と向かいます。その小宝島では最後の小学生の卒業式があると聞き、「小宝島・子宝島」とのイメージで12時間ちかくかかって行くのです。

まったく、よくそのようなエネルギーがあったものです。デッキから見る島々には何かロマンを感じ、うっすらとした島には興味がわきます。

沖縄の島々はもちろんのこと、海外の島まで足を延ばしました。

今年の四月、天皇皇后両陛下が、元日本の植民地で太平洋戦争の激戦地だったパラオ共和国を訪問し、元日本兵や遺族も見守る中、日本の慰霊碑だけではなく、アメリカ軍の慰霊碑にも献花されました。そのときの「このパラオの地において、私どもは、先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた困難の道をしのびたいと思います」というお言葉を聞き、思わず胸が熱くなりました。

私がパラオへの旅をしたのはまだ10代のころです。美しい海、砂浜、夜は星が輝き、ホテルもない島での滞在はアメリカ軍の官舎のような建物に宿泊ができました。女性はまだ腰に布を巻くだけ。外国人は私とアメリカからの20代の女性だけ。グアムから週2便ある飛行機で行きました。その前にはサイパンにも何度か訪ね、チャモロ人、カナカ人の友人もできました。深い戦争の爪痕も残っていました。

パラオの周りには美しい島々があります。マップ・ヤップ島。小船で連れて行っていただきました。夜になると村の長老が焚き火をおこし、かつて自分たちの先祖が星明かりをたよりにカヌーで島に渡ってきたこと・・・などを語り聞かせてくれるのです。涙がでるほどの美しさです。そして、朝、澄んだ向こうに見える無人島を眺めていると『あ~この先の島にも行きたいな!』と思ったものです。

そんな思い出の島々。今回『秘島図鑑』(河出書房新社)をお書きになった清水浩史さんは、それを実現なさっておられるのです。帯には「本邦初の"行けない島"ガイドブック」遠く離れた小さな島々から、今の日本が見えてくる!!と書かれています。

清水さんは、1971年生まれ。早稲田大学在学中は、早大水中クラブに所属。ダイビングインストラクター免許を取得し、今も国内外の海と島の旅を続けています。テレビ局勤務を経て、東京大学院(環境学)博士課程中退。現在は編集者、ライターとして活躍しておられます。

「私の行けない秘島」のお話を伺いたい!とラジオのゲストにお招きいたしました。数々の文献を読み込み、美しい部分だけではない、南亜黄島など漂流して生き抜いた人や、アホウドリ捕獲のため撲殺があり環境破壊してしまって無人島になってしまった島。沖大東島(ラサ島)は、60年近く米軍の射爆撃場になっていたこと。その歴史や生活、かつて営まれていた人々のドラマ。清水さんが「秘島図鑑」で掘りおこしてくれました。

西乃島は、噴火で今なお成長中。見守りたくなります。 『地球』という星に生きている私たち。地球という星が生き物であり、今も変化し続けています。 そのことをふまえて「秘島」を見ると、旅の愉しみもさらに深くなるのでしょうね。

『この先にはもう行けない!でも行きたい!』そんな55年近く前の思いを叶えてくれた一冊でした。

放送日10月18日(日曜)10時半~11時
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」

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朝が来る

辻村深月さんの「朝が来る」(文藝春秋)を拝読し、ぜひ、お会いしお話を直接伺いたいと、ラジオのゲストにお招きいたしました。

家族のあり方、子どもを持つこと、また子を産みたくとも産めない女性、子供を手放した女性。異なる立場の2人を軸に物語は展開されていきます。

日本ではまだ養子縁組がさほどポピュラーにはなっていません。そして、不妊治療も夫婦にとっては大変です。まして女性の場合、仕事をしながらの通院は負担が大きく大変です。

家族3人で穏やかに暮らしていたものの、ある日、自宅マンションに若い女性が訪ねてきます。ここから先は是非、実際に読んでいただきたいです。

直木賞作家、辻村深月さんは1980年、山梨県生まれです。
2004年、「冷たい校舎の時は止まる」で文学新人賞を受賞し、作家デビュー。
2011年、「ツナグ」で吉川英治文学新人賞受賞。
2012年、「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞なさいました。
作家デビューしてからも6年間はふる里、山梨でOL生活をしていました。
「その間の経験はとても大切な時間でした」とおっしゃいます。

私は辻村さんのミステリー、ファンタジー、青春もの・・・などコンスタントに、いろいろなジャンルの小説を発表する原点と書き続けられる理由を知りたいと思っていました。幼い頃から、読書が好きで、絵本、漫画・・・なんと小学3年生で小説(ホラー)を発表しているのです。

スタジオにいらした辻村さんは妊娠8ヶ月目。第2子を妊娠中でした。「子どもは育てている、というより"育てさせてもらっている"という感じです」と笑顔で語られる姿がとても清々しいです。きっと大変なことも沢山おありでしょう。

女性として、働き方や生き方が問われる時代。
30代の辻村さんの生き方、考え方を知りたく思いました。

そして、今なぜ今回のようなテーマを選ばれたのか。
息切れせずに、いい作品を書き続けることが出来る源は何なのでしょう。

小説のラストシーンがとても素晴らしいのです。
考えさせられる素晴らしい小説でした。
お話はぜひラジオをお聴きください。
2週にわたり放送いたします。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 10時半~11時まで。  
9月27日と10月4日放送です。

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『いい人みつけた』

先週の水曜日、TBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」に生出演させていただきました。

もう30年続いている番組です。そんな 「ゆうゆうワイド」にゆかりの人がその週は交代でゲスト出演致しました。私は20年前まで13年間、その中で10分の帯番組を月曜~金曜日に出演いたしました。

浜美枝の「いい人みつけた」というタイトルで、ゲストをお招きしお話を伺いました。最初の1年間だけでも、そうそうたる方をお招きしているのですね。文園社から『ただいまラジオで放送中 浜 美枝の「いい人みつけた」』という本を昭和59年12月1日に初版で出しております。

淡谷のり子・安野光雅・内海桂子・大塚末子・大貫栄子・佐藤直子・篠田正浩・妹尾河童・高石ともや・中山あい子・姫田忠義・柳家小三治・村松友視・・・さんなど、素晴らしいゲストの方々です。

亡くなられた方もおられます。

走馬灯のように、当時のことが蘇えります。

ブルースの女王とよばれる淡谷のり子さんがスタジオにお越しくださったのは"花曇"の日でした。(ノートにその日の天候と印象に残る言葉を綴っておりました)薄曇で生暖かいその日、もうすぐ桜の花の咲く季節。

"クラッシックをもう一ぺん勉強したい。それが私の夢なの・・・"とおっしゃるスタジオには、すごくいい香りがしたのです。黒水仙」とか。フランスにたった一軒あるんですって売っているお店が。淡谷さんらしい素敵な香りでした。

「音大出て、世の中に出ました。クラッシックやってましたけど、レコーディングすることになって、もちろん流行歌ですが、、レコード会社で少しまとまったお金をいただいたのでまず買ったのが香水なの。」

19歳と17歳のご両親の結婚。すぐに生まれたのが淡谷さん。ご苦労されたお母さまについて「あんなできた母っていないですね。こどものときから勉強しろって一度も言わないの、でも読んでいた本は、新しい女のいく道。平塚らいてうさんだとか、ああいう方たちの本をかくして読んでいましたよ。」

「あの母があったから私がいるんだと思いましたね。今でもそう思っています。」

歌に燃えて、歌いつづけて54年。

「戦時中には警官と軍隊に、ずいぶん始末書書いたり・・・慰問にいくのに、モンペはいてクラッシックとか、そんなみっともない姿でステー出られませんから。ちゃんとイブニングドレスで。最後まで何を言われても。非国民だとかいわれてね。」

若輩の私は先輩の仕事をもつ女性としての男性観、結婚観にも興味がありました。一度淡谷さんは結婚したことがあります。

「私ああいうこと嫌い、結婚は。自分が一番大切なの、私は。歌が大切なの。私には主婦の才能がないのよ、あれは才能がいるのよ、みそ汁つくったり、ご飯炊いたり・・・なんてできない。それでね、私はちょっと自分だけが大切・・・それではいけないかと思うんですけどね、自分だけを大事にしたみたいで。ところがね、私は歌い手になったんだから、やっていかなきゃいけないでしょ。私は大体男を追い回すほうなの。追い回している間が楽しいの。今になってみれば、アラ探しをするのがイヤだったのね、きっと。」

・・・・・女性として今まで生きてこられて幸せでしたか・・・・・と伺ってしまいました。

「女であってよかったと思います。男でなくてよかったと思いますね。女だからこうやって歌を歌って生きていかれるのですもの。女性はきれいに生きていける、美しく年をとりたいの、私は。」

39歳だった私には淡谷さんが出された「生きること」を読んでもほんとうのところ、奥深くまでは理解できていなかったでしょう。「生きることは愛すること。全てを愛せるということは、幸せだと思うんですよ。」

肌は白く、艶があって、シワがないのです。天性の美しさに加えて、毎日のお手入れ。女性としての先輩、淡谷さんに大敬服するとともに、その美しさへのひたむきな努力と歌にかける情熱のかけらを、私なりに頂戴したいなと思いました。

淡谷さんの歌 『恋人』。いまだに耳の底に残っています。
歳月を超え、世代を越え、男も女も超えて、一人の女性の人生を通して歌われる歌の大きさ、深さに、ようやく私自身が意味を理解できるようになってきたのかも知れません。

  ゆで玉子むけばかがやく花曇    中村汀女

こうして、先週はたまたま昔の自分自身を知るきっかけをいただきました。

この秋には72歳になる私。
淡谷さんのように背筋を伸ばして、ひたむきに生きていきたいものです。

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東京の台所

台所という響きに、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
料理や笑顔が生まれる場所、あるいは見られたくないという人もいるかもしれませんね。

東京の台所
台所の数だけ、人生がある。
お勝手から見えてきた、50人の食と日常をめぐる物語。
朝日新聞ウエヴマガジン「&W」で大人気連載が書籍化されました。

収納の工夫・料理道具・便利食材・・・などどれも魅力的です。

著者の大平一枝さんにラジオのゲストとしてお越しいただきました。

どこか昭和の香りのする台所。
作家でエッセイストの大平さんは長野のお生まれ。編集プロダクションを経て、1995年、ライターとして独立なさいました。女性誌などを中心に、大量生産・大量消費社会とは対極に生きる人々のライフスタイルや人物ルポを執筆。

著書も多く、「もうビニール傘は買わない」「日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ」など多数。

若いカップルから高齢者の暮らし。東京暮らしは楽しさだけではなく、孤独もつきまとうとか。ある75歳の女性から言われたそうです。
「豊かな孤独は大事。でも孤立はだめ。とくに年寄りにはね。」

私も我が家の台所を思い出しました。

下町の亀戸でダンボールの箱を作るささやかな工場を営んでいた我が家。父は出征し、空襲の続く下町で、乳飲み子の私と兄、祖母。戦火がはげしくなり、人々がどんどん疎開を始め、私たち親子も神奈川の長屋へと疎開し、工場も全て失いました。

母は仕立ての仕事が忙しく、家事の多くを5~6歳の私が担いました。お米のとぎ方、かまどの火のこと、おかずの心配・・・貧乏のつらさにうちのめされそうになると、母は私に聞かせたものです。

「亡くなった女工さんたちの尊いいのちとひきかえに得たいのち、それが、あなたのいなちなのよ。大切にしなければ・・・・」

6畳一間と板の間。かまど、水道は外の共同水道。みんなの台所を預かることは誇らしく、一日30円の生活費。それを上手にやりくりし、家族で囲むちゃぶ台での食事は幸せでした。

でも、今でも記憶に残る不思議な思いでがあります。夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減みていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいとないたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみを、よく覚えているのです。その時は自覚はなかったけれど深い深い寂しさのようなもの。

夕方になって日が暮れて、お母さんはまだ帰らない。このこと自体、子どもには切ないものだけど、私はこのことより、炎の奥のほうにみたものに心が突き動かされたのです。後になって知る孤独感。かまどの火をみて泣いたという女性の話しを私はずいぶん聞いています。

ごはん焚き、湯わかし、風呂焚き。女の人はいつも火の前にすわりこんで、火に思いの丈を打ち明けているかのように丸く炎と対しています。火に語りかけています。

そんな時代の我が家の台所。お勝手。
現代はシステムキッチン。
明るくて美しくて・・・

この「東京の台所」を読み、お話を伺っていると何だか時代は変わっても、そこに「人間の匂い、営み」がみえてきて幼い頃の自分に出逢い、胸がキュンとしてきました。

放送日:7月5日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 10時半~11時  

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浜美枝のいつかあなたと~具志堅用高さん

誰からも愛されるキャラクターの具志堅さん。

若い世代は、具志堅さんの現役時代を知らない人も多いそうです。昨年、ボクシング界に多大な功績を残した人物を称える「国際ボクシング殿堂」入りを果たされました。6月にアメリカで表彰式がおこなわれ出席なさるそうです。

この度ラジオのゲストにお招きいたしました。

沖縄が日本に復帰してから4年後に、沖縄初の世界王者になり沖縄の期待を一身に背負ったのです。沖縄本島の甲南高校入学後ボクシングをはじめ、3年の時にインターハイ・モスキート級で優勝。

本当は野球少年で夢はプロ野球選手だったそうですが、小柄なためにあきらめ高校卒業後、拓殖大学に入学するために羽田空港に向かったら、協栄ジムに連れていかれそのまま入門。1976年、当時の日本記録、プロ9戦目でWBAジュニアーフライ級王座を獲得。以後、13回連続防衛に成功。現在も日本記録です。

実は私は以前のプロボクシングの大ファンでした。具志堅さんは1955年のお生まれですが、私と同じ年にファイティング原田さん、輪島功一さんがいらっしゃいます。力道山のプロレス。そしてプロボクシングをテレビ観戦するのが楽しみでしたし、直接リングサイドでも応援いたしました。

今回、具志堅さんをお招きしお話を伺いたかったことには、そのお人柄にあります。

石垣島出身ですが、ボクシングのために本島に移り、お風呂屋に下宿し、仕事が終わってから風呂屋での練習。東京に出てきてプロになってもカツ丼屋でアルバイトをしながらの練習。始めての挑戦で大金を手にしたものの知り合いに貸してしまい全額戻ってこなかった時も「相手が困っていたからしょうがないです!」とけろっと言う。

具志堅家は400年以上続く琉球士族の家系。代々、琉球王国の役人だったそうです。お父さまは石垣島でカツオ漁を始め、お母さまは、幼い頃にご両親を亡くし大変な苦労人。本島近くの久高島(神さまのお住まいの島)出身。具志堅さんには大変厳しいしつけをされたそうです。

そんなお母さまが大好きで『母には感謝しています』と。
試合前は神さまに祈り続けてくれたそうです。

「苦しいときに頑張れたのは父母のお陰、感謝しています」と感謝という言葉を繰り返します。

「テレビでバラエティー番組に出させてもらい、友達作りを学んでいます。ボクシングの孤独な世界から、新たな世界へ今一生懸命です」

そして、現在は後進の指導にあたっておられます。

いくつになっても、向学心と感謝の気持ち、明るく前向きな具志堅用高さん。ほんとうに素敵な方でした。たくさんお話をうかがいました。

今回は2週にわたり放送いたします。ぜひお聴きください。

放送日 文化放送「浜美枝のいつかあなたと」

日曜日 10時半~11時まで。
4月26日と5月3日です。

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『食と農でつなぐ』

東日本大震災から、もうすぐ4年。心豊かな生活があった福島。そこでの生活を長年支えてきた女性農業者「かーちゃん」たち。その、かーちゃんたちがスタートした「かーちゃんの力・プロジェクト」。会長の渡邊とみ子さんはおっしゃいます。(彼女は飯館村から福島市に移りましたが思いは飯館村にあります)

「原発災害で全てを失ったかーちゃんたちが立ち上がりました。悔しくって沢山泣いたけれど、かーちゃんの味と技を埋もれさせたくないという強い思い!人間としての生きがいづくりのために頑張るかーちゃんの姿は地域を元気にします」と。

原発事故で避難を余儀なくされた町や村には「かーちゃんたち(女性農業者)」が地域の特産品や加工食品を作り販売する場所がありました。農家民宿で手料理でもてなし都会の人々との交流もはかってきました。厳しい自然環境のなかで生きていくための仕事の場、しかしそうした環境を奪われ、その知恵や技をどう生かしていったら良いのか・・・。

そこで福島大学小規模自治体研究所とともに「かーちゃんの力プロジェクト協議会」を立ち上げ、かーちゃんたちの力・知恵を活かす場をつくりました。その中心的役割を担っていらっしゃる福島大学教授・岩崎由美子さんをラジオのゲストにお迎えし、お話を伺いました。

早稲田大学大学院・法学研究科卒業後、1991年、社団法人「地域社会計画センター」研究員となり、 福島大学助教授に。現在は行政政策学類教授。この度、同じく福島大学の塩谷弘康教授と「食と農でつなぐ 福島から」をお書きになりました。

「福島の今を考えることが、日本の未来を考えることにつながってほしい」そんな思いで書かれた本です。

故郷はいま・・・・・・阿武隈地域は、26市町村にまたがる標高200~700mの丘陵地帯です。しかし、原発災害により、住居が制限されたり、県内外に避難している人もいらっしゃいます。飯館村には私は25年ほど前に何度かお訪ねしました。官民一体となって首都圏の人々の「田舎暮らし」をサポートし、素晴らしい町づくりをしてきました。

「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」では、世界のなかでも厳しいといわれているウクライナ基準(野菜1キロあたり40ベクレル未満)よりさらに厳しい基準を設け、1キロあたり20ベクレル未満の食品のみロゴ入りシールを貼って販売しています。

これまでつちかってきた、かーちゃんたちの技を活かし、「こころざし」とビジネスのバランスをとり、営利事業だけではなく、食文化の継承・発信や、仮設住宅支援など「経済的自立」のための仕組み作りもしている、と岩崎さんはおっしゃいます。

森の恵み、豊かな大地、澄んだ水・・・・・
自然と共にあった暮らしを突然奪われ辛く苦しい日々だけど、仲間とつながればなんとかなる!かーちゃんたち(女性農業者)は、手を取り立ち上がりました。あぶくま地域の味、かーちゃんの味をみんなに食べてもらって福島を元気にしたい。故郷の仲間たち、そして、とーちゃん、じーちゃん、ばーちゃん、こどもたち・・・みんなの笑顔のために今日も元気に腕をふるいます。(プロジェクトの活動より)

全国からも多くの応援があるそうです。
ラジオは2週にわたり放送いたします。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時 3月8日と15日

岩崎さんの本「食と農でつなぐ 福島から」は岩波新書から好評発売中です。

サポーター会員の募集について
年会費1万円で、かーちゃんたちが作った故郷の味を、夏と冬の年2回(1回につき3千円相当・送料込み)でお届けします。4千円分はプロジェクト活動費として商品開発や研究費。活動内容はHP内のブログなどに掲載されています。

TEL 024-567-7273   
FAX 024-567-7283

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『裏が、幸せ。』

来月14日に北陸新幹線が開通し、注目が集まる日本海側。
金沢~東京間は2時間28分で結ばれます。

素敵な本に出会いました。『裏が、幸せ。』(酒井順子著)

エッセイストとして活躍しておられる酒井さん。常に時代を先取りする鋭い視点で、話題作を刊行してきました。今回の「裏が、幸せ。」なぜ、「裏」なのか・・・。酒井さんはおっしゃいます。「日本の大切なものは日本海側にこそ存在する!」と。

私が旅をはじめたころ、50年ほど前は"裏日本"と言っていましたし、その方が私はしっくりします。だって「裏が表」と思っておりますから。本来言葉としての表と裏に優劣はないのですが、ただ裏日本という表現が不愉快な人もいたため、メディアで自粛したのです。

「深く優しくしっとりとした、日本の中の「裏」が抱く「陰」。それは日本に住む全ての人達にとっての貴重な財産なのであり、私達がこれから必要とするものは、そんな陰の中にこそ、あるような気がするのですから。」(本文より)

文学、工芸、鉄道、原発、観光など日本海側の魅力が伝わるエッセーです。私は随分前ですが、毎日放送「手づくり旅情」という番組に出演し、全国の伝統工芸名人の職人さんを訪ねて旅を続けておりました。お訪ねした家々、何軒になるでしょう。みつめさせていただいた手元、一体幾人になるでしょう。"日本の日本的なるもの"と取材で気づかされ、私達が住むこの小さな島国、日本に限りない愛着を持ち始めました。北海道から沖縄まで、どこも愛おしいのですが、日本海側は特別です。だって若狭に農家を移築してしまったぐらいですから。東京生まれ、太平洋沿岸で育った私。自分の体に合った水、空気、風、土・・・とても合うのです。

酒井さんのご本にも出てきますが、金沢の金箔。能登の漆。浄土真宗の信仰が盛んな北陸。仏壇は大きく金箔が施されています。黄金の輝きを放つ仏壇。それには意味があると酒井さんはおっしゃいます。「仏壇がまるで極楽のような存在感を放っているには理由がある」とのこと。東京だったら浮いてしまいますが、広い部屋、広い家にある黄金の輝きを放つ仏壇の背景には"闇・うす暗さ"というものも必要です。金を生かすためための黒、そして黒を生かすための金。私も何度も経験しました、その闇の暗さを。

能登半島、輪島に行った時、輪島はまさに海の文化の拠点。北前船や遠い大陸から客人がもってくるものが寄って寄って文化を伝えて、そういう歳月が、輪島塗の合鹿椀につながるのですね。日本海・城崎に行った時は小雨が降っていました。山陰の城崎を私は志賀直哉「城の崎にて」の文章でしかしりませんでした。電車にはねられ、その後、養生に出た志賀直哉の生と死に対する清冽な視点が、私の城崎旅情の第一印象になりました。かつてこのひなびた温泉町に、日本でただひとつの麦わら細工が、また気の遠くなるような手仕事で作られていました。

今でも大切に持っている麦わら細工の箱。今の私達の暮らしは明るい光のなかにあります。その明かりが眩しすぎ、人の心を落ち着かなくさせている・・・ということもあると思うのです。

北陸新幹線の開業について一抹の不安もあると、酒井さんはおっしゃいます。日本海「裏が、幸せ。」を残してほしい・・・ともおっしゃいます。

ぜひ、ラジオをお聴きください。そして、ご本をお読みください。
裏が、幸せ。」2月25日発売予定 (小学館)

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日 2月22日 10時半~11時

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『ボケてたまるか!』

この度、「ボケてたまるか! 62歳記者認知症早期治療実体験ルポ」をお書きになった週刊朝日編集委員・山本朋史さんをラジオのゲストにお招きしお話をうかがいました。

山本さんは1952年、福岡県のお生まれ。リクルート事件、オウム事件、KSD事件など取材に携わってきた敏腕記者です。その山本さんの認知症早期治療の実体験・300日間の記録です。

今、日本で認知症の方は462万人いて、その予備軍を含めると860万人を超えるそうです。長年、山本さんは活字の世界にいるため、記憶力には自信があったそうですが物忘れがひどくなる。仕事でダブルブッキングをした時にはショックを受けたそうです。きっかけはご自分の責任でペットを死なせてしまい、ペットロスからくる喪失感や無気力感、自己嫌悪。そこから軽い鬱になられたとのこと。そんな山本さんが医療関係者に相談し、大学病院の精神科「物忘れ外来」へと行くのです。

表紙の帯にはこのようなチェックポイントが書かれています。

○ 俳優の名前が出てこない
○ 漢字を忘れてメモが出来なくなる
○ 予定をダブルブッキングした
○ 買ったはずの勝ち馬券を買い間違えていた
○ 認知症かと不安で夜も眠れなくなった

・・・・・こうしてぼくは、「物忘れ外来」に飛び込んだ。と。

う~~ん。
私だって漢字は出てこない、人の名前が出てこない、スケジュールは間違えないようにダブルでメモをする。列車のチケットを勘違いで購入する・・・など等。

「これって年を重ねていけば当然よね」なんてのん気に思っていました。しかし、お話を伺っておりますといかに初期にトレーニングをすれば回復するかがわかりました。本人が自覚する。身近にいる人が感じる。友人達が感じる。様々ですが、本人が自覚し早く治療を受けることの大切さを実感いたしました。そもそも「物忘れ外来」があるなんて知りませんでした。

ラジオでは具体的なデイケアでのトレーニングや生活習慣などの見直し、ご家族の理解を得ることなど大変参考になるお話でしたし、御著書は分かりやすく、美術療法や筋肉訓練、日常生活の中からのトレーニングなどが書かれています。

「ボケ記者といわれてもいいと告白」しそれを支えた同僚。なんと、週間朝日でルポを連載。同じ悩みを抱えている人も多いと思っての連載、出版だそうです。

症状はまだ軽いが認知障害の疑いがあると言われた。まだ認知症まで進んでいない。しかし、このまま放っておくと数年後には症状が進んで認知症になる可能性がある。恐ろしかった。危機一髪だった。
(はじめより)

去年、大きな国際会議でオープニングスピーチをなさったとのこと。そう、他人事ではありませんよね。ご興味があったらご本を読んでください(朝日新聞出版)。そしてラジオをお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
2月8日(日曜)10時半~11時までの放送です。

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食生活

新潟の三条市が学校給食の牛乳を一時やめた、と報道がありました。
皆さまはどのようにお感じになられましたか?

牛乳には鉄分、食物繊維、ビタミンC以外の栄養も含まれています。私は朝起きて一番に口にするのが牛乳です。この時季ですと温めて飲むのがいいのでしょうが、冷たい牛乳を飲むと腸の働きがよくなり気持ちがすっきりするので毎朝かかすことができません。

正しくは分からないのですが、給食のごはんに合わないから・・・と父兄の考えがあったとのこと。私は食生活が変わり、今の子供たちは牛乳を飲み、米飯でも問題はないと思うし、そのままが無理なら牛乳を料理に入れてでも食したほうがよいのでは・・・と思います。

そこで専門家のご意見を伺いたいとラジオのゲストに中村丁次さんをお招きしお話を伺いました。

中村さんは、1948年生まれ。神奈川県立保険福祉大学の学長で現在、日本栄養士会・名誉会長、日本栄養学教育学界・理事長などを務めておられます。今までおよそ5万人の栄養指導を経験なさってきました。中村さんはおっしゃいます。

「戦前戦後にわたり、日本人は食料不足や主食偏重の食生活のために、各種の栄養失調に悩まされていた。しかし、経済状態や食料事情の好転、さらに栄養教育の普及により栄養状態はよくなった。古典的な日本食に、高エネルギー・高脂肪・高ビタミン・高ミネラルの欧米化が導入され、多くの栄養失調は解決した。ところが、近年、肥満、高脂血症、高血圧、糖尿病、動脈硬化等の生活習慣病がでてきた。」

今、50代以上の男女で、男性の3人に1人、女性の4人から5人に1人が肥満とのこと。何が原因かというと運動不足、高カロリー、食べすぎ、だそうです。逆に女性で20~30代の5人に1人が痩せすぎというデータがあるそうです。これはダイエットが原因の一つなのでしょう、とおっしゃられます。そして体型を気にし過ぎて痩せたまま妊娠すると栄養失調の子どもが産まれ、痩せた赤ちゃんは将来肥満になる確立が高いそうです。

そうですよね・・・体内で飢餓状態にあるとリパウンドしてしまう、ということです。また最近では、女性だけでなく、中高年の男性の間でも炭水化物の糖質を制限するダイエットが流行っていますが、それは違います・・・と。私たちが日々取り入れたい、健康的な食生活は、ごはんを主食とし、卵、肉、魚、豆腐、野菜を意識し、1日1杯の牛乳、そして果物を加えれば栄養は偏らないとおっしゃいます。

日本人は戦後様々な文化を取り入れてきたが「左手のお茶碗を忘れなかった」と。たしかにそうですよね。最初の話しに戻りますが、「学校給食での牛乳」では私も納得いくお話が伺えました。「食の楽しみ方」など、有意義なお話を聞かせていただきました。

ぜひラジオをお聴きください。
放送は来年になりますが1月18日放送  
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時です。

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浜美枝のいつかあなたと~館野正樹さん

多く旅をしていると多くの木々に出会います。
あの木は元気かしら、あの木はどんな顔になったかしらと、再会を楽しみにする木が私の旅先には何本もあります。

新潟の山、岐阜の山、山形の、石川の、富山の、北海道の、熊本の山々、そして樹々。また逢ったときの嬉しさは、懐かしい人々に再会したときの嬉しさに似ています。

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春がすぎ夏。緑濃く葉を繁らせて木は豊かな実りを迎えます。人にたとえるなら気力にあふれ充実した時代というところでしょうか。青春時代から壮年までのダイナミック歳月を、木は夏に体験します。

秋、葉は色づき前身がまろやかにおだやかに変貌し始めます。繁り、実り、燃えたあとの一瞬のまどろみ。やがて静かな黄昏。ある日、一陣の風がふき季節は冬の頁をめくります。

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箱根の山歩きを始めて10年になろうとしています。冬でも歩きます。10分も歩くと杉木立の道に行き着きます。この道が、杉の枝の間から朝の光がスーッと差し込んで、とても気持ちいいのです。冬が近づくにつれ、空気が冴え冴えと冷たくなり、真っ白に雪化粧した富士山が水色の空を背景にくっきり見えるようになります。木々は寒風に耐え凛と張り、太い幹は雄々しく大地をつかみます。どんな風にもみぞれにも雪にもひるむことなくひたすら耐える姿は、涙をさそう健気さです。

木の懐かしさ、大きさ、優しさ、いのち、強さ。その魅力にとりつかれたのはいつからなのか、定かではありませんが、私が長いこと恋焦がれた木・・・木。

とても素敵な本に出逢いました。
日本の樹木』館野正樹さんのご本です。
「健気で、したたかで、神秘的。」と帯に書かれています。

植物学者で、日光植物園・園長の館野さんは1958年、栃木県生まれ。現在、東京大学・大学院・理学系研究科で、准教授も勤めていらっしゃいます。専門は生態学です。

私たちにとっては無くてはならない木は、住宅に、薪にと、古くから生活を支えてくれています。静かにたたずむ木を、心の拠りどころにしている人もいるでしょう。一方で、木はしたたかで、たくましく、それぞれに生き方があるそうです。日本には千種類近くの木があるそうです。常緑高木、落葉高木、中低木・・・春になると、どうして毎年多くのスギ花粉が飛ぶようになったのか?など等、ためになる素敵なお話をラジオで聴かせていただきました。

私の大好きな"やまぼうし"についても。箱根は間もなくユキツバキが咲く季節を迎えます。雪解けとともに咲くユキツバキ、今年の雪はどうでしょうか。

ぜひラジオをお聴きください。

そして、壊れる寸前というのが日本の山の現状とも言われています。人と動物が共存できるような森がつくれないものでしょうか。

文化放送 日曜日10時半~11時  
放送は来年1月11日です。

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『50歳からの勉強法』童門冬二さん

50歳からの勉強法』   童門冬二

 「死して朽ちない」ために何をまなぶか

    第一章 柔軟で、型にはまらない勉強法
    第二章 頭をやわらかく、心をゆたかにする思考法
    第三章 人生の余白を広げる学び方
    第四章 「終身現役、一生勉強」の行き方を貫く

童門冬二さんは、1927年、東京のお生まれ。
今年86歳。明後日19日に87歳を迎えられます。

人生の先輩に失礼ですが、「なんてチャーミングな方なの」がお会いしての第一印象です。お顔もツヤツヤ、包容力のある笑顔。1944年、海軍・土浦航空隊に入隊し、特攻隊志願。終戦後、東京都庁に勤務し東京都立大学・事務長、知事秘書などを歴任。1979年、美濃部都知事の退任とともに都庁を去り、作家活動に専念。「小説 上杉鷹算山」「小説 西郷隆盛」、「戦国武将に学ぶ、危機対応学」など、数多くの著書があります。今の視点から歴史をとらえ直し、組織のありかたや人材育成をテーマに、これまで多くの読者の心をつかんできました。

それにしても、お元気です!
朝は4時ころ起床。7時まで新聞やテレビ、朝食。その間に30分ほど散歩にでる。執筆は午前中。ナント「休肝日」はないそうです。・・・よかった!私がそうですから。そして「ここが私の書斎でございますとおさまりかえるには、どうも、ぼくという人間は俗気がありすぎるようで、ぼくは家の外のあちこちに「書斎」をもっていて、そこがぼくの勉強法にとって書斎以上の位置をしめています。」とおっしゃいます。

「電車やタクシーの中など世間のあちこちに学びの場所はあります。そして、駅の売店で新聞や週刊誌などたくさん買い込み、勝手知ったる行きつけの飲食店に行き、そこでかなりの長い時間飲み食いをしながら情報収集。気になったとこはビリビリ・・・と破きあとは店に寄付(笑)です。わっはは」・・・いいですね、こういうの。

つまり「学びの姿勢は自由でいい」、「教科書は世間にある」、「孤独を覚悟せよ」 そして「おのれの精神活動を時計ごときにしきらせるな」、「やりたくないことから真っ先に手をつけよ」・・・そうですね!

「怒りは身の毒、腹がたったら一日置け」と。「でも腹がたち一日置いても治まらないことはないのですか?」と私。「そういう時はオールナイト上映を見て、ビジネスホテルに泊まり一人格闘技などをして狂気を放出します、わっはは。」そうですよね、そうでなければ30年近く都庁のお仕事、知事秘書なんて勤まりませんでしたよね。 映画大好き、落語ファン、人間への深い愛情、洞察力はまるで落語の高座をきいているような心地よいひとときでした。そして、「50歳からは人間関係の絞込みをおこなうべし」には大きく頷き70歳の私は10代にかえったような気分になりました。

童門さんにはラジオへのご出演をいただきました。
本を、そしてラジオを是非お聴きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時まで。
放送は10月26日です。

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春の庭

デビューして15年、4度目の候補で芥川賞を受賞した柴崎友香さんをラジオのゲストにお招きいたしました。

スタジオではいつもあまり打ち合わせはせず、お話をうかがうことにしております。スタジオに入っていらして、ご挨拶をさせていただいた印象が"なんてチャーミングな方なの"でした。

お話もとても素敵でした。柴崎さんは1973年、大阪市生まれ。
大阪府立大学を卒業後、機械メーカーに勤務していた1999年、
短編「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」でデビュー。
翌年、初の単行本「きょうのできごと」を発表。
2007年「その街は今は」で第57回芸術選奨・文部科学大臣新人賞。
2010年「寝ても覚めても」で第32回野間文芸新人賞。
そして先月「春の庭」で第151回芥川賞を受賞なさいました。

私は7年ほど前に読んだ「その街の今は」がとても好きです。今回お目にかかるので読みかえしてみました。大阪を舞台に作中の人々のさり気ない暮らし、人の気配・・・。けっして大げさではなく「時の流れ」のようなものを感じ、あやうさの向こう側にあるものを描いているのが「その街の今は」でした。

今回の「春の庭」は、取り壊しが決まった世田谷のアパートが舞台です。元美容師の主人公「太郎」は、ある時、同じアパートの住人が塀を乗り越え、隣りの家の敷地に侵入しようとしているのを目撃し、そこから物語が展開されていきます。カギになるのは、写真集「春の庭」の存在です。

柴崎さんは高校生のころから小説家になることを志し、大学でも書き続け、就職して3年目に本格的に小説の道に進み、「どこでもよかったのですが、環境を変えたくて知り合いのいる東京にと生活の場を移しました」と。小説の中と同じで4回の引越しも全て世田谷区内。この小説で柴崎さんが描こうとしていらっしゃるのは「時の流れ」そのものではないかと感じました。でも、時間は目に見えません。見えないものを書くのは・・・作品の構想を練るうえで、街を歩くことも多いとか。そこでも人の暮ら、人の気配の感じる場所がお好きとか。街の息づかい、色、匂い・・・『小説が現実世界にはみだしてくる。そんな感覚を味わってもらいたい』とおっしゃいます。

でも、可愛らしく(失礼!)そそっかしい一面も。芥川賞選考当日は浅草のバーで編集者の方と待機。受賞の電話があった時、焦ってスマートフォンの操作を間違えて電話を切ってしまったとか。ひとり旅も不安でできません、と。ただ古地図など見ながら100年前にこの道を誰がどんな思いで歩いていたのかしら・・・と想像するとワクワクします、と。いろいろなお話を伺いました。ほんとうに"チャーミングな方"でした。ぜひご本を読んでください。そして、ラジオをお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時
放送日は8月24日と31日の2回です。


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銀座の学校・新宿の授業

「笑っていいとも!」「今夜は最高!」など、テレビ番組の構成作家としても活躍し、ステージ・ショーや芝居の演出、インタビュー、本や雑誌の編集といった多彩な仕事を手掛けていらっしゃる高平哲郎さん。ラジオのゲストにお迎えいたしました。

久しぶり・・・そう30年振りぐらいでしょうか、お目にかかりました。
恥ずかしい・・・ほんとうに恥ずかしいのですが「笑っていいとも」そして「今夜は最高!」ではこの音痴の私が番組の中で歌わされて?しまったのです。
口説き役は高平さん(笑)思い出しても赤面です。

さて、この度高平さんが素敵な本を出版されました。高平さんが愛した銀座や新宿、映画、そして赤塚不二夫さん、タモリさんとの出会いなど、本の中にはまだ銀座に都電が走っている頃の写真も掲載されています。明治生まれのご両親、昭和8年生まれのお姉さま。映画、落語、歌舞伎、まだ5歳の頃から連れられてご覧になられたとの事。お医者さまだったお父上は大の映画ファン。高平さんとは世代が同じくらいなので、同じようなラジオを聴き、「とんち教室」「二十の扉」など、かつての日劇や宝塚劇場・・・そして、天才的な喜劇役者の三木のり平さん、八波むと志さんのお話など、私も東宝時代にご一緒させて頂いておりますので懐かしかったですし、新宿時代の赤塚不二夫さんとタモリさんとのエピソードなどは抱腹絶倒。

映画、そしてテレビ時代。
私たち東宝撮影所の人たちは、どちらかといえば渋谷・銀座(私はほとんど渋谷)で育ちました。高平さんの「銀座の学校・新宿の授業」を読みながら、戦後文化の変遷を読み解き、懐かしさと、当時のペーソスを感じながら30年ぶりの再会いでした。

ご本は『 銀座の学校・新宿の授業 』(YOSIMOTO・BOOKS)
ラジオは文化放送「浜美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時
放送日 9月7日と14日 2週続けてです。

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紙つなげ

パリ行きの飛行機に乗り込む時、一冊の本をバックに入れ機上の人となりました。

『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている。再生・日本製紙石巻工場』です。

パリまで13時間のフライト、一気に読みました。正直に申し上げて困りました。何度も何度も涙がこみ上げてきてハンカチで目を押さえました。機内は暗くライトをつけて読んでおりましたから・・・なんとかなりましたが。感動・・・そんな簡単な感情ではありません。

考えてみるといつも読んでいる本、書店にはたくさんの本が並び、それが当たり前のように思い、眺め手に取る。「この本の紙がどこからきたのか」・・・考えたこともありませんでした。『この工場が死んだら、日本の出版は終わる・・・』と表紙に書かれています。絶望的状況から、奇跡の復興を果たした職人たちの知られざる闘い。とも書かれています。

著者はノンフィクションライター・佐々涼子さんです。
佐々さんは、1968年生まれ。
早稲田大学法学部を卒業後、日本語教師を経て作家に転身。
2012年、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で第10回開高建ノンフィクション賞を受賞。この本も知らない世界を丹念な取材で世に送り出してくれました。今回の本は東日本大震災で甚大な被害を受けた日本製紙石巻工場の復興を追ったものです。震災当日、日本石巻工場で何が起き、その後工場がどう復興したのかは私をふくめ知る人は少ないと思います。佐々さんご自身もそうだったそうです。出版界と製紙業界を襲った未曾有の大惨事。そこから立ち上がり、工場のため、そして出版社と読者のために力を尽くした人々を佐々さんは丹念に密着取材しました。

プロローグに「2013年4月12日。各地の書店の前に長い行列ができた。この日発売される村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をいち早く手にいれようとする熱心なファンの列である。発売日に花を添えるように、三省堂書店神保町本店の売り場には「多崎つくる」タワーが出現して、人々の注目を集めた。報道によると、これは前夜のうちに入荷した1000冊のうち200冊を積み上げて造ったもので、高さ140センチあるという。」と書かれています。書店の人の思いと使命と愛情を感じます。

壊滅的な被害に遭いながらも奇跡的な復興をとげ、「けっして美談にしないで」と言う彼ら。生半可な復興ではなかったでしょう。犠牲になられた方々も多くいらっしゃる。『今日も、がんばっぺ、がんばっぺ』っと言いながらの復旧作業。私が手にしているこの本も彼らが復興し造ってくれた紙。1ページ1ページめくると何とも優しい手ざわりがします。ノンフィクションですから本の内容は読んでいただくしか伝わりません。私は心から佐々涼子さんに「ありがとうございました。」と申し上げたいです。機内で流れた涙は「生きる力・・・東北の人が持つ特有のもの・・・」表現のしようのない涙でした。

本の中で書かれています。
作家森村誠一は震災後一年を詠んだ

       立ち腐るままに終わらず震災忌

本の帯には
「いつも部下たちにはこう言ってきかせるんです『お前ら、書店さんにワンコインを握りしめてコロコロコミックを買いにくるお子さんのことを思い浮かべて作れ』と。小さくて柔らかい手でページをめくっても、手が切れたりしないでしょ?あれはすごい技術なんですよ。一枚の紙を厚くすると、こしが強くなって指を切っちゃう。そこで、パルプの繊維結合を弱めながら、それでもふわっと厚手の紙になるように開発してあるんです」 本文より。
職人魂をみることができます。

直接お話を伺いたくてラジオのゲストに佐々涼子さんをお招きしました。
ぜひお聴きください。
そして、本を手にとってください。

 「文化放送 浜美枝のいつかあなたと」日曜日10時半~11時
放送は8月10日です。

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英国ポタリーへようこそ

今回も素敵な一冊に出会えました。

「英国ポタリーへようこそ」。

世田谷区深沢にある、現代イギリス陶芸専門店「ギャラリー・セントアイヴィス」店主、井坂浩一郎さんが「英国ポタリーへようこそ カントリー・スタイルの器と暮らし」を上梓なさいました。

井坂さんはかつてはロンドンのアメリカ系金融会社で働いておられました。
ロンドンで暮らしていた1998年初め、休暇を利用してはイングランド南西部へ車で出かけたとのこと。90年代後半は日本の銀行や証券会社が倒産し、日本企業担当だった井坂さんは突然解雇。金融業界にもどるよりも、イギリス陶芸の魅力をそれまで感じていたので、迷わずこの道におはいりになりました。

イギリスには2000以上のポタリー(陶芸工房)があり、ヨーロッパ随一の陶芸大国だそうです。この本は"窯元めぐりの旅"です。イングランド南西部やウェールズなどの息をのむような美しい田園風景の中で暮らす20人の陶芸家を訪ね、伝統的なスリップウェアをはじめ、日本人が馴染みやすい温かみのある陶器の数々が紹介されています。

不思議ですね、日本民藝館で開催されている「濱田庄司生誕120年展」をご紹介いたしましたよね。今から約100年前、英国の陶芸家、バーナード・リーチは東京で民藝運動の中心となった柳宗悦や河合寛次郎らと知り合い、そこで濱田庄司とも出会い、その濱田と一緒に帰国し、イングランド南西部の港町、セントアイヴィスに登り窯を築いたことなどお話ししましたね。その『リーチ工房』は今でも見学可能です。彼らからの影響を受けた陶芸家が数多く誕生し、現在にいたっています。

「日本の美の哲学」は、海を越えて英国にわたり、そして日本との交流によって進化し続けているのですね。使ってこその器、日常の暮らしを豊かにしてくれる器。美しい田園風景の広がる景色の中に工房があります。イギリスを旅して感じることはその農村風景の美しいことです。

このご本では陶芸家の手作りの暮らしを美しいカラー写真でみることができます。やはりお話が聞きたく、ラジオにお招きいたしました。井坂さんはおっしゃります。

「私が英国ポタリーのとりこになった理由は作品の魅力・陶芸家の人柄・多くの陶芸家が風光明媚な田園風景の中に住んでいること・・・など等、そしてもっとも魅力を感じるのは「無理のない暮らし」「ゆったり自分のペースで暮らしていること」「古いものを大切にする暮らし」です。」

そうですね、現代の日本での暮らしは少し忙しすぎますし、自分の物差しでは暮らし辛いこともありますね。ぜひご本を手にとりイギリスの田園を旅してください。そしてラジオをお聴きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」8月3日(日)10時半~11時です。 
それにしても、いつか窯元(ポタリー)めぐりの旅にでたいです。

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有次と包丁

皆さまはご自宅の包丁ってご自分で研いていらっしゃいますか?
ステンレスなら大丈夫でも和包丁だとそうはいきませんよね。

今回は、京都の老舗包丁・料理道具店「有次と包丁」を上梓なさった大阪・岸和田生まれ・岸和田育ちの江弘樹さんをラジオのゲストにお迎えいたしました。

江さんは、1958年のお生まれ。神戸大学農学部を卒業後、京阪神エリアの情報誌「ミーツ・リジョナール」の創刊に携わり、12年間編集長を務めました。主な著書に
「岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記」
「街場の大阪論」
「うまいもんからの大阪論」
「飲み食い世界一の大阪」などがあります。
食い倒れの大阪!江さんならではの関西事情を伺うことができました。江さんは長年、京都や大阪の街場について書き雑誌や本を編集して、今回有次の物づくりに密着し書き上げたのが「有次と庖丁」です。

その始まりは今から450年年以上前の戦国時代!には驚きます。
様々な用途に応じた包丁の種類は、何と400以上もあるそうです。

「有次の包丁」には思い出があります。私は23,4年前に京都の台所「錦市場」にある「有次」の店内に入るとびっくり!左壁は奥まで一面ガラスのショーケースになっていて、中にはびっしり包丁が並んでいます。

私にとって京都は道具屋さん、その他、敷居の高いところ。「有次」の包丁は40年近く「あ~買いたいな!使いたいな~」と憧れでした。思い切って店内にはいり丁寧なご説明をしていただき2本購入いたしました。「包丁は、まだそんな古ない」と十八代当主の寺久保進一郎社長はぶっきらぼうに言う・・・と書かれています。包丁が主力商品となるのは明治から大正にかけて。でも、百年は超えているわけです。「いつまでも小刀・彫刻刀ではあかん」と包丁になり京料理の洗練された料理。仏・伊料理、そして中華料理は京都ならではの味。それも"筍"など京の食材を切る包丁が必要になってくるのです。

錦市場、その原型「錦小路」が作られたのは平安遷都(794年)今から1200年ほど前。スゴイですよね!歴史のスパンが。長さ400m、幅3mおよそ150店舗がひしめき合う場所。朝9時にはお客でいっぱい。鮮魚・野菜・かしわ屋(鶏肉店)、鶏卵店、そして錦市場で唯一、包丁と料理道具を扱うのが「有次」なのです。この頃は外国人が多く訪れています。

さて、料理人から私のような主婦までもが絶賛する切れ味。今回、江さんのお話を伺って包丁の日々のお世話と定期的な「研ぎ」がいかに重要かを考えさせられました。最初に買った包丁でキャベツの千切りをしたときの切れ味の良さに感動したことを今でも思い出すのですが、こと「研ぎ」となると自分では無理!と決め付けて日本橋のデパートに入っている「有次」さんに持っていっていました。

でもお話を伺い研石を買い自分で「研いでみよう」、そして日々の手入れはクレンザーで磨こう!と決心しました。道具は丁寧に手入れすること・・・当たり前のことを私は怠って人に任せていたのですね。深く反省(笑)したしだいです。今回は2回に分けて放送いたします。包丁は堺の職人さんの手で作られていること。大阪と京都の文化の違いなど興味あるお話が伺えました。

そうね・・・今度京都に行ったら小さな出刃包丁を買おうかしら。そして使い終わったら、しっかり洗って磨いておかなくては職人さんに、道具に申し訳ない・・・と思いました。

ぜひラジオをお聴きください。
文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」日曜日 10時半~11時
6月29日と7月6日です。

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スバらしきバス

皆さんは普段バスに乗る時は、家に帰る時、買い物に出かける時、通勤通学の時など、様々だと思いますが、平田俊子さんの「スバらしきバス」を読んで「わぁ~こういうバスの大好きな方がいらっしゃるのだわ!」と感動いたしました。

私もバス大好き人間です。バスには特別な思い入れがあり、社会人デビューはバスの車掌でした。平田さんの心温まるエッセイ「スバらしきバス」はタイトル通り、バスの魅力がギュッと詰まった内容で、東京都内のバスを中心に、車内の光景がユーモアあふれる表現で綴られています。「バスに乗る楽しみの一つは乗客を観察することだ。とりわけ子どもたちを見るのは面白い」・・・と書かれておられます。ぜひ、もっとお話を伺いたいとラジオのゲストにお迎えいたしました。

詩人で作家の平田俊子さん。
1955年島根県のお生まれ。立命大学・文学部を卒業後、「鼻茸について」などで現代詩・新人賞を受賞。数々の文学賞を受賞。詩集・小説・戯曲集など数多くの作品を発表しています。

ご本の中ではバスの中で見られるささやかな日常が書かれています。私は伺いました。「お気に入りの座席はありますか?」と。「まず最前列、運転手さんの横、一番後ろの隅っこ」なのだそうです。

私も一緒。小田原から自宅の箱根町まで帰るときには早めにバス停に行き、まず最前列を狙います。視界が広く、人々の乗り降りが分かり、運転手さんの運転が見れて・・・。平田さんはあるとき後部座席に座ったまま窓の外をふと見ると、大きく立派な虹が西の空に架かっていて、ほかの乗客は誰も気づいていない。「皆さん、虹です。虹がでています」といいたいけれど度胸がない。母親と一緒に途中から乗ってきた小さな男の子が、やがて虹に気がつき「虹が出てるよ、虹が出てるよ」窓の外を指さしてその子は興奮した声で繰り返す。その声にほかの乗客たちも空を見上げて笑顔になりバスの車内が穏やかな空気に満ちたそうです。

分かりますよね、この雰囲気。私もローカルバスに乗った時など、窓の外の景色をぼんやり見ていたり、車内の子供たちの話し声に耳を傾けたり、お年寄りの方言での会話など聞いていると嬉しくなります。そして、町の浮き沈みも分かります。私が行きたかった、乗りたかったバス。東京駅八重洲口からの「犬吠崎太陽の里」にも乗っていらっしゃる。千葉交通の高速バスです。伺うと終点の一つ手前の「犬吠崎」で下車すると灯台は目の前だそうです。夏にはぜったいに"乗ろう"と思いました。目的に向かってひたすら進む日常。

あとがきで平田さんは書かれています。「わたしは気ままな一人暮らしだ。といって満たされているわけではない。からっぽの心を抱え、自分をごまかしながら、一日一日やり過ごしている。バスに乗ったからといってからっぽが満たされるわけではない。むしろ逆かもしれない。誰もいなかった車内に人が集まり、賑わい、また減っていき、最後は誰もいなくなる。何て寂しく、同時に安らぐ光景だろう。からっぽだった場所が再びからっぽに戻るのを見たくて、わたしは何度でもバスに乗るのかもしれない」と。素敵なお話をいっぱい伺いました。

ぜひラジオをお聴きください。  
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 
日曜10時半~11時 
放送は6月8日です。

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『家めしこそ、最高のごちそうである。』

作家でジャーナリストの佐々木俊尚さんの書かれた本(マガジンハウス)です。

毎日新聞の記者時代はそれこそ寝る時間もなかったそうです。
警視庁捜査一課という殺人を扱う部署担当で激務の毎日。
とうとう病魔に襲われ、大きな脳腫瘍がみつかり手術をし、復帰後は取材部署を移してもらっての生活。最終的には退職しフリージャーナリストとして、IT・メディア分野を中心に執筆し、忙しい日々のかたわらほぼ毎日自宅で料理を作っておられます。

本の"はじめに"に「この本のメッセージはたいへんシンプルです。ひとことで言えば次のようなこと。値段の高いスーツを着て食べに行くフレンチレストランみたいな派手な「美食」ではなく、かといって散らかった家でジャージを着てむさぼり食うコンビニ弁当や「鍋の素」でつくった人工的な味の鍋のごとき「ファスト食」でもない。さらにいえば、やたらと無農薬有機野菜やオーガニックにこだわる「自然食派」でもない。その外側に、もっと別の素晴らしい食文化が可能なのでは、というメッセージです。しっくりなじむ洗いざらいの綿のパンツと清潔なシャツを着て簡素な台所に立ち、素早く手軽に、しかもお金をかけずに健康的で美味しい家めしをつくる。そういう生活が、いま求められているのではないでしょうか。」・・・と書かれています。

奥さまと二人暮らしで、外食の予定がないときは朝と晩、毎日作っておられるとの事。私は1943年生まれ。佐々木さんは1961年生まれ。私70歳、佐々木さん52歳。1970年代の家庭料理ってどんな感じだったのでしょうか。ご本の中にも書かれていますが、作家・向田邦子さんのドラマ『寺内貫太郎一家』や『あ・うん』など向田さんのホームドラマに出てくる食卓風景。今ほど食材も豊かではありませんでしたよね。外食なんてほとんどありません。たいへん興味深いご本でしたのでラジオにゲストとしてお越しいただきました。まず「家めし」という言葉の響きがいいですよね。男性的で力強さを感じつつ、誰かと一緒に食べたいという温かさもあります。

バブル時代の外食ブーム以降、家庭料理がどう変化し、どのような状態になっているのか・・・をお聞きした中で、興味深かったのが冷凍食品やスーパーのお惣菜等の進化に押されているものの伝統的な家庭料理が復活しているそうです。

なんとその狼煙をあげたのは「ヤンママ・ギャルママ」たちなのだそうです。

「え~そうなのですか!」と思わず伺ってしまいました。彼女たちはだいたい二十代前半くらいで、なかには十代で子どもを生んでいる人もいます。子育てで忙しいから仕事は難しく、同じように若い夫の収入に頼って生活をしていて、お金には余裕がありません。その分時間には余裕があり、地方などに住んでいればご主人は、そう遠くには勤めていませんから帰宅も早く、家族で食事をする時間がとれるそうです。お金はないけど時間があって、家族で食事ができる。人気なのが「なんちゃって」レシピ。ちくわに海苔を重ねて照り焼きして「なんちゃってウナギの蒲焼」・・・お金がないから冷凍食品もひかえます。醤油・味噌・酢といった基礎調味料を使うそうなのです。佐々木さんはおっしゃいます。「それがギャルママ料理の特徴です」と。

なるほどね・・・。
洋服は自分で作り、食費は「なんちゃって」で倹約。正直私などは地下鉄に子どもをバギーに乗せ、高いヒールで乗り込む彼女達に「???」と思っていましたが、なるほど、と納得できた部分もありました。

最近の家めしって、「手抜き」と「やり過ぎ」の両極端になっていると思います。ともおっしゃいます。本の中には簡単でセンスのいい料理の数々が載っています。参考にしたい料理が満載。中でも本を読んですぐに実践した料理。これはご一緒している寺島アナウンサーも一緒でした。

『天ぷら、たったひとつの冴えたやり方』
なかなか家ではパリっと揚げられませんよね。それはころもに水のかわりに焼酎を、揚げ油にオリーブ油を使うこと。焼酎はなんでもかまいません。オリーブ油は高級品はもったいないので使ってはダメ。ちょうど我が家に友人から「タラノ芽」をいただいたので揚げてみたらびっくりするほどカラッとあがりました。それから春キャベツのお好み焼き。キャベツはざく切り、ボウルに卵を割りいれ塩はきつめににふる。そこにキャベツをドサッといれ手でしっかりかき混ぜます。卵とキャベツがからむまでしっかり焼きます。どっさりキャベツが食べられとても美味しいです。

何だか長々と書いてしまいましたが、とにかくすぐに作りたくなる料理の数々。

テクノロジーと社会の衝突をテーマにした本をたくさんだされてきた佐々木さん。「これからは会社に安住できる時代は終わり、個人と個人がつながってさまざまな生き方を模索していくようになる」とおっしゃいます。まさに「家めし」のあり方を考える時代ですね。

「文化放送、浜美枝のいつかあなたと」
放送は5月11日(日)日曜10時半~11時
ぜひお聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

茶道と競馬

『なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか』

13日は阪神競馬場で桜花賞、来週は中山競馬場で皐月賞があり、3歳クラシック戦線の開幕です。

なんて、私が競馬に詳しいとお思いでしょうか。
いえいえ、まったく疎いのですが、たまにテレビ観戦をしている時に「なんて馬も騎乗している選手も"美しいのかしら"」と魅せられることがあります。その答えが分かる本に出会いました。

それが「なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか: 勝利は綺麗なお辞儀から」を上梓なさった原千代江さん。

原さんは1947年、新潟生まれ。
1982年に設立された、JRA(日本中央競馬会)の競馬学校で、今も茶道を教えています。

『心の整え方 勝負の作法』
心との向き合い方、無駄のない騎乗フォーム・競馬にかかわる人たちへの感謝

「僕は先生に授業から全てを学んだ」と帯で武豊さんが語っておられます。

第一線で活躍するジョッキーたちが、いまなお心に残る授業としてこの茶道教室をあげるそうで、競馬と茶道には、関係がなさそうに見えて、実は相通じるものが非常にあることが、原さんのお話を伺って分かりました。

わずか十五歳にして、覚悟を持って入ってくる新しい生徒たち。騎手という勝負の世界で生きる選択した彼らに必要なのは、お茶の技術ではなく、お茶の礼儀作法や美しい所作です。そして、それはそのまま、現在失われつつある日本人の心でもあります。と仰られます。

最初は「お茶の授業?騎手になんでお茶なんだよ」
イガグリ頭で、ちょっとむさ苦しい男の子たちが、口を尖らせてわたしの前に迫ってくる・・・。それが、JRA競馬学校の第一期生との出逢いだったそうです。

「競馬学校でお茶ですか?」
「いや、そんなに堅苦しくかんがえないでください」
「でも、生徒にお茶を教えるんですよね?」
「騎手を目指している子どもたちに、お茶が必要なんですか」
「お菓子の食べ方だけでいいんです」

原さんは頭の中に「?」がたくさん飛び交ったそうです。

お菓子のいただき方にも作法があります。
それを覚えるだけでも大変なことです。

「こんなの、指でつまんで、そのままパクッと食べればいいじゃん」
そんな彼らに、どうすれば、この子たちに分かってもらえるかしら。

力の入れ加減で型が崩れてしまう、和菓子職人の心を、自分たちの手で扱うことを知ってほしい、など等。一頭の子馬を誕生から育成まで、あらんかぎりの愛情を注いで育てあげる幾人もの方々の気持ちが分かる騎手になってほしい。

そんな思いではじまる授業ですが、掛けた軸、活けた野の花、彼らジャージやジーンズでのイガグリ頭の子供たちも正座には「うおっ・・・」「もう、だめ・・・」「無理・・・」転げまっていても回をかさねていくと驚くほどの早いスピードで、自然に美しいフォームになります。正座の綺麗な生徒は、馬に乗ったときのフォームも綺麗とか。お辞儀も、回をかさねるとごとに美しくなるそうです。

そんな彼らのなかで突然の別れもきます。レース中に起きた事故で亡くなった
競馬学校卒業生。命をかけて生きる若者たち。暖かな眼差しで茶道を教える原さん。スタジオでお話を伺っていると、茶道を通じて、彼らになにを感じとってほしいのかが分かります。

お辞儀が綺麗な人は心も綺麗ですし、人にも自分にも、ときには厳しく、ときには優しくなれます。

お辞儀には、男も女もありません。騎手も、子どもを育てているお母さんも、会社の社長さんもみんな同じです。とおっしゃいます。

背筋を伸ばし、馬に騎乗する選手のたゆまぬ見えないところでの努力は、人に感動を与えてくれるのですね。

ラジオではたっぷりお話を伺いました。
そして、原さんの人生を重ね合わせて読む本に心打たれました。

放送は4月13日・文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日・10時半~11時です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (4)

セラピスト

うつ病患者は100万人を突破したといわれています。

今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できないという方が多いと言われています。

ラジオのゲストにノンフィクション作家、最相葉月さんをお迎えしお話を伺いました。

最相さんは、1963年の生まれ。兵庫県・神戸市出身。
関西学院大学・法学部卒業。

これまでの著書に、小学館ノンフィクション大賞を受賞した「絶対音感」、大佛次郎賞や講談社ノンフィクション賞などを受賞した「星新一 0一0一話をつくった人」、「東京大学応援部物語」、「ビヨンド・エジソン12人の博士が見つめる未来」などがあります。

この度、自らカウンセリングを受け、心の治療のあり方を綿密に記した本
セラピスト」を上梓なさいました。

私は約1週間かけてこの本を拝読しました。正直申し上げて、最初はまったく理解できず、しかし大変興味深く読み進めていくうちに今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できない方がこんなに多くいらっしゃることを知りました。

カウンセラーという人たちが何を考え、どんな風に患者さんと向き合っているのかを明らかにした一冊です。

箱庭療法、絵画療法、風景構成法・・・

河合隼雄さんを特集した雑誌に掲載されていた木村晴子さんの論文から「あなたもこの世界を取材するなら、自分のことを知らなきゃならないわね」と言われご自信もカウンセリングを受けました。

「心の治療のあり方」は簡単にはご説明できません。

自分のことってわかりませんよね。

なぜ最相さんは専門機関に通い、大学で講義を受け 「人はなぜ病むのかではなく、なぜ回復するのか」を知ろうとしたのでしょうか。

ぜひお読みください。
私の言葉の世界ではじゅうぶんにご説明できません。
ラジオでご本人の言葉でお聴きください。

カウンセリングが戦後日本に持ち込まれてから、まもなく65年になるそうです。セラピストの方々のそのご努力に心から敬意を表したいと実感した本でした。

そして・・・悔やまれることがあります。
文化庁長官でいらした、今は亡き河合隼雄先生に2度お目にかからせて頂いたのになんと無知な私だったのでしょう。

その至福の時間はあまりにも心地よく、懐の深さに甘えてしまったのでしょうね。

放送は3月30日「文化放送 浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時です。
ぜひお聴き下さい。

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「おばさん 四十八歳 小説家になりました」

素敵なお客様をラジオのゲストにお招きいたしました。

歴史小説家の植松 三十里(みどり)さんです。

植松さんは静岡市出身。
東京女子大学・史学科を卒業後、出版社勤務、結婚を機にご主人の赴任先のアメリカへ。

二児の母になり、子育てにも悩みはいろいろあったそうですが、何しろ植松さんは、おおらか・・・いえ肝っ玉母さんで、子育てが終わった後に、何をしたらいいのか、分からなくなってしまう女性がいるというけれど、「人のためになる道を探すといいと思うの」・・・と。

植松さんはライター経験はあるものの、カルチャーセンターの小説講座に
通います。そして48歳でデビュー。子どものころから書くことが好きで、お話を書く人になりたかったそうです。本気で修業を始めたのが42歳。すごいですよね。それも歴史小説に焦点を絞ったそうです。でも、講師に罵倒され「もう、もう、それはむかっ腹が立ち悔しい思いをしましたが、指摘されたところを直すと質は格段に上がるの。」

植松さんの書くのは時代に翻弄されて名前も刻めなかった無名の人。こうも仰いました。読者から「元気を貰えました」とか「勇気がでました」と言われるけれど作品の中で「頑張れ」とか「元気出せ」とか、ひと言も
書いた覚えはない。私は無名であるけれど、実際に頑張った人を描く。つらさをこらえて頑張った結果が、たとえうまくいかなかったとしても、それは無駄ではなかったと結ぶ。

たしかに、無名な人には、自分を重ね自分自身を励ます力があるのかも
知れません。スタジオの植松さんには、人を幸せにしてくれるオーラがあります。そして、人生はいくつになってもスタートは切れるということですよね。

2003年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞。2009年、「群青―日本海軍の礎を築いた男」で第28回新田次郎文学賞受賞。「辛夷開花」、「黒鉄の志士たち」など、多くの作品があります。

これまでに、30数冊の本を出しています。
今回の本「おばさん四十八歳 小説家になりました」は植松さんにとってまた新たな挑戦なのではないでしょうか。

「年齢を重ねていくことで、幸せについて考えが変わってきた」とおっしゃいます。そうですね、私も歳を重ねたことで幸せのあり方が変わってきました。素敵なお話をありがとうございました。

どうぞ、じっくりラジオをお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時まで。
放送は3月23日です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

8時間睡眠のウソ

8時間睡眠のウソ
~日本人の眠り、8つの新常識~

皆さまは睡眠についてお悩みはありませんか。
なかなか眠れない・・・。
睡眠がこま切れになってしまう・・・。
そうした悩みを抱えている方って結構いらっしゃるのですよね。

でも、睡眠についての研究は、この20年で格段に進歩しているそうです。

個々人によって睡眠は違うし、ライフスタイルも異なるし、現代社会では朝、夜明けと共に起き、8時過ぎには寝る・・・なんて考えられません。それにパソコンの光やコンビニの光・・・24時間光の中で暮らす都会。体内時計はどうなっているのかしら。

地下鉄などに乗ると、男女とも、こっくりこっくりしている方の多いこと。「治安がいいから安心して寝ていられるのね、日本は」などと思っていた私ですが、"目からウロコ"の本に出会いラジオのゲストにお招きし、お話を伺いました。

文筆家の川端裕人さんが、国立精神・神経医療研究センター部長の三島和夫さんからの聞き書きの形をとって、またさまざまな資料や論文をもとに上梓されました。

三島さんは、1963年、秋田県生まれ。
秋田大学医学部・医学科を卒業後、助教授などを経てアメリカに渡りました。バージンア大学・時間生物学・研究センター研究員、スタンフォード大学医学部・睡眠研究センター客員准教授を務め現在にいたります。

「新常識」

日本人は世界屈指の睡眠不足
「深い睡眠」が「良い睡眠」とは限らない
睡眠時間は人それぞれ、年齢でも変化する
シフトワークは生活習慣病やがん、うつ病のリスクを高める
日本人の体内時計は平均で24時間10分
眠くなるまで寝床に向かってはならない
「不眠=不眠症」ではない
こま切れの睡眠はNG

高齢者の睡眠は、それほど眠る必要がないのに寝床にいる場合いが多いそうです。70歳近くなら正味6時間の睡眠が普通ですが、日本の65歳の平均は9時間も寝床にいるため、不眠が悪化するとのこと。トイレに行く回数など気にする必要はなし。昼間に問題なく生活ができれば心配はないそうです。出来たらお昼寝は20分から30分以内が理想的。
 
つまり、眠れなければ、絶対ベットにいてはダメ。
辛くても、正味眠れる就床時間まで寝ない。

そうそう・・・大事なこと
晩酌と寝酒は別で、アルコールを飲んで、バタン・キューはよくないそうで、できたら4時間はあけてから寝る。う~ん、これは難しいですよね。

子育てをしながら仕事も持っているお母さんが一番寝不足で、子どもの就寝時間も遅くなる。添い寝の際、可能なら一緒に寝たほうがいい。とのことですが、これも難しいのですが、家事は少し手抜きしても睡眠のほうが大事ですよね。私にも経験があります。なんだかいつも立って寝ていたような気がしたものです。

朝起きるタイミングをきちんと合わせ、午前中に光を浴び、食事、運動が大切だと先生はおっしゃいます。

睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安心。

「睡眠薬って、日本の皆さんは怖がるんですが、1950年代から70年代に使われた古いタイプの睡眠薬は、安全性や依存に陥りやすかったが、最近ここ10年くらいに開発された薬は、長期間飲んでも、耐性、つまり効果が減弱したりすることもなく、正しいやり方をすれば不眠症が治った時に減薬や休薬することもできます。」とおっしゃいます。

「すべてを完璧にはできませんが、たったひとつでもいいから手をつけてみてはどうでしょうか」とアドバイスをいただきました。無理は逆効果ですよね。

それにしても「睡眠科学は奥が深い」です。
そして「睡眠学は面白い」です。

私は医師から処方された軽い睡眠導入剤を飲み、寝る体制を整えてから、だいたい11時にはベットに入り、5時には起床し太陽が出ている時にはしっかり太陽を浴び、軽く山歩きをしてから一日がはじまります。

とにかく三島先生のお話をお聴きください。
そして、ご興味があったらご本をお読みください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日:10時半~11時)
放送は3月16日です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (6)

『闇学』入門

『闇学』入門 (集英社新書)
~日本人は「闇遊び」の達人だった~

大変興味深いお話を伺いました。
ラジオのゲストに体験作家の中野純さんをお招きいたしました。

中野さんは、1961年、東京のお生まれ。
「闇」に関する本を数多く発表する一方、夜の山や街を歩く「闇歩きガイド」としても活動中。主な著書に「闇と暮らす。」、「東京「夜」散歩」、「闇を歩く」などがあります。

光と闇だったら、私たちはどうしても光のある方に寄って行ってしまいがちですが、あらためて「闇」の魅力を考えました。
風俗、健康法から文学世界、信仰まで。

高度成長期以降の日本は、すべてが明るくなり、江戸時代やそれ以前の庶民の暮らしは、夜なべしごとがなければ、夕方に夕食をすませたら8時ころには寝ていたといわれます。

東日本大震災の後、東京の夜が暗くなり不安にかられましたが、今はそんなこともなく明るさが戻ってきました。私はあの暗闇の中で蝋燭の灯りで過ごしてみて、「あ~子ども時代の明かり、懐かしい」と思いました。

海外を旅すると、世界中で煌々とこんなに明るいのは日本だけではないでしょうか。それは、中野さんがおっしゃるには、戦時中のB-29の影響。闇の恐ろしさを味わい、それで高度成長期へ突入し、蛍光灯が普及したとのこと。

 "昔は夜が豊かだった"・・・とおっしゃいます。
お祭りは夜やるもの、月待ち、蛍狩り、虫聴きなど。ささやかな光の闇の存在感をより強くしたと。花火大会、夜桜見物は江戸時代から広まったとのこと。

今も続く青森のねぶた(ねぷた)なども、光をとりまく闇を見せるもの。

講中登山(集団で夜明け前に登りご来光を拝む)
百物語(闇の部屋に集まり、百の怪談を語る)
などのレジャー、それに通夜。死者に付き添って夜を明かすものではなく、神仏への祈願、祈祷のためにお堂で徹夜する通夜も盛んだったそうです。

ささやかな光はあったものの、特別な夜には、いろんな闇へ繰り出して闇に親しみ闇と遊んだ、私たちの暮らし。「闇」があったからこそ、ささやかな光を五感でも感じられたとでしょう。

そういえば・・・私も「闇」を深く実感したことがあります。
私は箱根の山の中に暮らしていますから、夜バスを降り家までの道すがら、夜空を眺めれば星や月、虫の声を聴くこともよくあります。でも、それとは違う感覚・・・そうもう20年ほど前でしょうか。

金沢に行った時のこと。金沢城の門のところでした。
門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。
自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや、昔のひとのワラジ? 音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。

そして、次に金沢市内からすぐ近くにある大乗寺というお寺です。
そこもまっくら。夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。
真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんが出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中歩いていて、はたしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。

花虫風月、夜の虫を愛でる文化・・・・
ただ暗いだけで五感が敏感になる・・・と中野さんはおっしゃいます。

私たちの現代の暮らしは、スマホやケータイ、パソコン、携帯ゲーム、タブレット様々な光に頼っています。

中野さんはこうもおっしゃいます。

「夜の山では、自分自身の五感が鋭くなると同時に、人間活動がつくりだす騒音、騒臭、などからも遠ざけるために、微かな音やにおいを自分でもびっくりするほど感じ取ることができ、山百合のにおいも、梅の香りもよくわかるります」

志賀直哉も宮沢賢治もナイトハイカーだったそうです。

しかし、日本人は光が大好きだった。光をふんだんに使ったイベントを好むが
それはあくまで、深い闇の中の光だった・・・と。

『闇と音と匂い、そして光』

疲れたからだにこれほどの優しさはないように思います。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時まで
3月9日放送です。詳しくはラジオをお聴きください。

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私の憧れの「ななつ星」

私の憧れの「ななつ星」
日本初の豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」
3泊4日、九州の各県を周遊する、オリエント急行の九州版ともいえる寝台列車です。

「あ~憧れ・・・一度は乗ってみたいな~」とため息がでます。
室内の装飾は日本の職人さんの美が満載です。

その「ななつ星」の総合デザインを手がけたのが水戸岡鋭治さんです。

水戸岡さんは、1947年、岡山県生まれ。
建築物の完成予想図「パース画」で業界にその名をとどろかせ、1988年、福岡市の「ホテル海の中道」のデザイン担当をきっかけに、JR九州の鉄道デザインにも着手。

「つばめ」「ソニック」といった特急列車や九州新幹線のデザインで注目を集めました。さらに、ローカル線や路面電車、バス、気動車、駅舎から、街づくりなどを通して、地方の活性化にも貢献されています。

私の父は熊本・八代の生まれですから、水戸岡さんのデザインされた列車にはなおさら憧れ、孫を乗せて九州のローカル線で行く旅をいつかは・・・と楽しみにしています。

この度、「あと1%だけ、やってみよう 私の仕事哲学」を上梓されました。
仕事や人生で大切にしたい名言がちりばめられています。

"お逢いできてよかった"です。

「子供たちのために最高の環境を提供したい」・・・と仰られます。

「最近になって、私は、自分が何のために仕事をしているかについて思いあたりました。次世代のため、子どもたちのために仕事をしているいるのだということでした。 いままで経験した最高の仕事を、最高の技を、きちんと形にして、ヒト・コト・モノそれぞれで質の高いものをつくる。その環境で育つ子供たちがそれを使っているうちに、知らない間に彼らの肉となっている。そして、子どもたちがある程度年を重ねたときに、その大人たちがやった仕事に対し、もう一回、あの質を超えてみようと思ってくれれば嬉しい。そうなることを信じてものをつくっているのです。」

いままで生きてきた中で、感動したことを現代に持ち帰ってくる。感動したシーンは色も匂いも形も光も季節も、そのときの景色も、何を食べたかも、思い出の中に鮮明に刻み込まれています。

そうなのですね・・・だから私たちに感動の旅を、感動の景色を与えてくださる
のですね、水戸岡さんは。

そんな「感動の森」の中から探し出してくださる作品の数々。
なんて自由な心の持ち主なのでしょうか。
お話をしたいことは山ほどあります。
それにはぜひ、ぜひ、ラジオをお聴きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」、日曜10時半~11時まで。
放送は2月9日です。

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自由が丘の贈り物

皆さまは"私の好きな街"ってきっとありますでしょ。
私も全国各地を旅していて"好きだな~この街"という町が何箇所もあります。
好きになる条件はだいたい駅前で分かります。
駅がない街でも名残があったり・・・人が集う場所であったり、つまり、無個性ではないのです。最近は郊外などの町は均一化され、一瞬、ここは何処?と思う町も少なくないのです。

「自由が丘の贈り物」

を出版したミシマ社はけっして大きな出版社ではありませんが、良書を出すことで注目されています。

今回ラジオのゲストにミシマ社の編集者をお招きいたしました。
長谷萌(めい)さんです。1983年、東京のお生まれ。
ミシマ社では、店頭で通りすがりのお客さんにどんな本なのかを手書きのパネルなどで説明する「仕掛け屋」に所属しながら、年に一冊のペースで編集を担当。

これまで編集した本は『自由が丘3丁目 白山米店のやさしいごはん

お米屋さんのお母さんが毎週水曜日だけ店の隣でお弁当を販売し、大好評。愛情たっぷりの家庭料理がお嬢さんの手書きでレシピと写真が載っていて、私もとても参考になります。

THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』 などがあります。

この度、『自由が丘の贈り物 私のお店、私の街』を編集されました。

渋谷駅から東横線に乗って15分ほどの自由が丘。
皆さんは「自由が丘」というとどんなイメージをお持ちになりますか?
オシャレな街、スイーツの街、美容院が多い・・・。
そういったイメージを持つ方が多いかもしれません。
事実私が10代の頃、東宝撮影所の帰りやお休みの日などは「モンブラン」でケーキをいただくのがとても贅沢で、店内の東郷青児さんの絵を見ながらの時間は10代の私を魔法の国に連れて行ってくれました。
帰りは本屋さんに寄って・・・。

昔からこの街に住んでいたり、お店をだしている人の声は少し違うようです。
歴史のあるお店もたくさんあり、かつては農村地区で、「自由が丘」と呼ばれるようになったのは、昭和2年だそうです。昔は赤ちょうちんの街だったとか。

自由が丘学園が誕生してから、文化人たちが集まり、自由が丘文化村が始まります。戦時中も、街の人は「自由が丘」という名前を守り抜きます。

街の人々が代々自分たちの暮らす街を愛し、誇りに思い、信条を守り抜く姿勢がこの本を読むとよく分かります。

駅前のロータリー周辺からマップが載っていますし、飲食店、雑貨屋さん、そして興味深いお米屋さんなど満載です。

帯に「この空気、なんだか気持ちいい」 と書かれています。

私は6・7年前にある居酒屋さんに行ったのですが、5時ですでに満席状態。
なんか、いいな~・・・ こういう街って。

近いうちにこの本片手にまた自由が丘に行きたくなりました。

文化放送日曜日 10時半~11時 (1月19日放送)
ぜひお聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

話す力

テレビキャスターの草野仁さんをスタジオにお招きしお話を伺いました。
草野さんはキャスター歴46年。話のベテランです。
草野さんは1944年、旧満州・新京市生まれの長崎県育ち。
東京大学卒業後、1967年にNHK入社。
NHK入社の時は記者希望だったそうです。

アナウンサーになる前、人前で話すことが好きではなかった草野さん。
まずは鹿児島放送局でアナウンサー人生が始まり「話すこと」をとことん突き詰める研究を始められ、翌年の年頭、鹿児島県知事へのインタビュー。緊張しすぎて「県民がほんとうに聴きたいこと」を聞きだせず大きな教訓を得て、そこから「話す力」の大切さを実感したのだそうです。

スタジオの草野さんは、まず相手の目をしっかり見てご挨拶くださいます。
笑顔が素敵です。

草野仁が教える「話す力」のポイント

・挨拶
 ~挨拶はなるべく自分から先に!

・謝り方 
 ~怒られたら、まず「すみませんでん」と謝る。
 ~わからないときは、「すみませんでした」の後に、「教えてください」をつける
 ~こちらが悪いときには、即刻、誠意を尽くして、心から謝る。

・苦手な人との接し方

・雑談力のつけ方

・スピーチ

どんなことでも家族で話せる環境をつける

草野さんは4人兄弟の4番目で運動が得意な青年でしたが、お父様は大変厳しく、目の上のたんこぶのように感じて過ごしていましたが、基本的に信頼感をいだいていらしたとのこと。なぜかというと「自分の話をきちんと受け止めてくれていた」と感じていたからです。真剣に考えてくれているかどうか・・・。これは人間関係でも同じですよね。

草野さんの語り口は、いつでも落ち着いていて、わかりやすく、温かみを感じます。あの「世界ふしぎ発見!」でもそうですね。

有名人のエピソードは役立ちますよ!・・・と。

・松井秀喜さん  
松井さんの言葉には「このことだけは相手に伝えたい」という強い気持ちが入っています。そうですよね、インタビューの言葉ひとつひとつ丁寧に答え人柄の素晴らしさを感じます。

・川上哲冶さん
川上さんは監督時代、インタビューにあまり答えませんでした。選手に同じ話を繰り返すと、だんだんきかなくなってきたそうです。禅を学び、禅に例えて野球の話をしたら態度を改めたとのこと。

・黒柳徹子さん
断然「雑談力」のあるかた。それは半端な勉強量ではないと、「世界ふしぎ発見」で気づかされたとのこと。

・吉永小百合さん
ご挨拶で心をつかまれたとのこと。

などなど・・・。

実は今回収録にあたって、私はとても悩んでいました。
なぜかと申しますと、もう25年ほど前のことですが、草野さんとご一緒の仕事で東北への新幹線の中でのこと。そのころの私は、仕事、子育て、家庭のことなど悩みが多く、それ程親しくはない草野さんにその悩みをお話してしまいました。それは、"暖かく包み込んでくださる"ような、お話にあったからです。

「話す力」は「聞く力」と同じなのでしょうね。

いつかはお詫びを申し上げなければ・・・と思い続けておりました。
もうお忘れかもしれないし・・・と思いながらも思い切ってお話いたしました。

「そうでしたね、お子さん時代に空襲に遭われご苦労なさったのですよね」と。
それだけでした。

私もラジオの番組でお話を聞く立場におります。
とても良い勉強になりました。

話す力」は小学館新書から。

放送は文化放送「浜美枝のいつかあなたと」。日曜の10時半~11時まで。
11月17日・24日の2週にわたり放送いたします。
ぜひお聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お寺ごはん

猛暑日の続いた今年の夏。
みなさまの食欲はいかがでしたか。
体調はいかがでしたか。

私はめずらしく、5日間ほど断食に近い日を過ごし(もちろん断酒!)
体調が回復しました。

そんな最中、読んだ本が「お寺ごはん」です。 
「お寺ごはん」と聞けば「精進料理」を連想しますが、この本は「精進料理」をベースに私たちの日常生活に取り入れやすいよう、アレンジされていて私の胃も心も大喜びでした。

さっそく皆さまに聴いていただきたくラジオのゲストにお招きいたしました。

浅草にある浄土真宗・東本願寺派・緑泉寺(りょくせんじ)のご住職・青江覚峯(あおえかくほう)さんです。

青江さんは、1977年、東京生まれ。
カリフォルニア州立大学で、MBA(経営学修士)を取得後、アメリカで事業をしていらしたのですが、帰国しようと決心したのは9・11のテロ。自らのバックボーンを考え、実家のお寺を継ぎました。

現在、料理僧そして、精進料理や食育にも取り組み、真っ暗な中で嗅覚や味覚などを研ぎ澄まして食事する催し「暗闇ごはん」を主催するほか、宗派を超えた僧侶たちと様々な活動をしておられます。

「心と体の整えかた」

青江さんはおっしゃいます。
「ていねいにつくり、ていねいにいただく」
料理の前にはていねいに「だし」をとる、煮物のするときには「面取り」をする、ごはんのとぎ方には注意をはらう・・・

う・・・ん、分かるけど、時間もないし、手間ヒマかけていられないのよね・・・が正直な気持ち。でも、5日間やってみました。野菜中心ですからヘルシーだし、体の中をすっきりととのえることができました。そして、気がつきました。

一つひとつの作業を積み重ねていくと、からだだけではなく、"心がととのってくる"・・・と。

ひと手間かければ誰にでもできる簡単料理。

「台所に立つ時間は自分の心を見つめ、問いかける貴重な時間です」・・・と青江さんはおっしゃいます。

「家でつくれるお寺のレシピ99」です。
お話もとても素敵でした。

ぜひ本を手にとってご覧ください。
そしてラジオをお聴きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと
放送は9月8日(日曜)10時半~11時です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

奇跡はつばさに乗って

8月6日は広島で、9日は長崎でそれぞれ平和記念式典が行なわれます。
太平洋戦争が終わって、今年で68年。

夏の盛りに、戦争は終わりました。

世界で唯一の核被爆国として、平和への祈りを捧げるとともに、平和であることの有難さ、平和への思いを深めていきたいと思います。

少女の名は佐々木貞子さん。
1945年8月6日、2歳の時に広島の原爆で被爆し、1955年10月25日、
白血病のため12歳という若さで亡くなりなりました。

病が治ることを祈って、病床でけんめいに千羽鶴を折り続けました。
彼女が折った折り鶴は薬を包むセロファン紙や、キャラメルの包み紙など
小さな小さな、1~2センチほどの折鶴、針を使って折った鶴。

"あなたはこの少女を知っていますか"

「奇跡はつばさに乗って」を読み涙がとまりませんでした。
著者はニューヨークで日本文化の発信を行なう民間非営利団体
「ジャパン・ソサエティー」に勤務する源和子さんです。

1963年、奈良県のお生まれ。
1990年、アメリカに渡り、その後、ニューヨーク市立大学バルーク校を卒業。

現在は「サダコの祈り鶴」を各地に広める、平和促進活動など力を尽くされて
います。

彼女が病床で折っていた鶴は21世紀になって日本とアメリカの様々な人たちを、奇跡的に結びつけます。

広島と長崎に原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん。ダニエルさんが貞子さんの折り鶴を手の平に乗せ、じっと目をつぶられ、貞子さんのお兄さんと交わした言葉。
トルーマンさんはサダコのことをよく知っていました。
平和記念式典にも参列しました。

ご本の中に書かれています。

当時、父、繁夫さんが
「あんまり根をつめるて折ると、体にわるいよ」 と貞子さんをいたわると、彼女は笑顔を見せ、こう言って指を動かし続けたそうです。

「いいから、いいから。うちにも考えがあるんじゃけん」

そして今、折り鶴たちは、まるで自らの意思、使命をもつかのように、止まることなく、癒しが必要な場所に向かって、そのつばさを広げ、羽ばたき続けます。
国境や時代、ときには「敵・味方」という厚い壁をこえて。

ニューヨーク在住の源さんは9・11マンハッタンから這うように自宅に辿りつきます。そして、その2日後、テロの跡地に千羽鶴がフェンスにかかげられているのを目にします。

「小さなおもいやり」は、続きます。
千羽鶴は捨てられることなく、ニューヨーク州立博物館のスタッフによって集められ大切に保管されているそうです。

原爆の子の像・台座の上で千羽鶴をかかげる少女のモデルは佐々木貞子さんです。

「サダコと千羽鶴」をテーマにした児童書は三十か国以上で翻訳・出版され、アメリカの小学校の授業でも紹介され海をこえ、世界のこどもたちに知られています。

「サダコ鶴」は9・11跡地へ。
真珠湾攻撃のあったハワイへ。

源さんはおっしゃいます。

ひとりひとりが手をとりあい、自分たちが望む世界を一緒に創りあげていくことができる・・・それを、折り鶴たちが教えてくれているような気がします・・・と。

ぜひ本を手にとってください。
世の中への扉 奇跡はつばさに乗って」源和子著(講談社)

そして、ラジオをお聴きください。 
文化放送 日曜10時半~11時 8月4日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

地元菓子

この本を読んでいたら、なぜか自分自身の子供の頃を思い出してしまいました。今思い出しても、なんて可愛くない子だとあきれてしまいます。

私は天然パーマだったから、ショートカットの頭はどちらかというとチリチリ。
そんな頭で半ズボンをはき、Tシャツのようなものを着ただけで、まっくろになって野を走っていた私は、自分の道は自分で切り拓くしかないという現実をまっしぐらに生きていました。

小学一年生でも、台所を預かり、それをなんとかやりくりする責任を担っていれば、それはある程度、対社会的行為になります。私はすでにそのとき社会人だった気がするのです。

その頃からお菓子屋さんでアルバイトをしていました、日曜日には。
アルミのお弁当箱にご飯をつめ、残り物のおかずを入れ、意気揚々と出かけます。でも、お店に立ち「いらっしゃい」・・・と言えなくてモジモジしているとお店の奥さんが「三枝子ちゃん、無理しなくてもいいのよ」と声をかけ、お昼のお弁当の時間が終わると、そっとその中に"もなかや、甘なっとう"を入れておいてくれるのです。

その最中を家に帰り祖母と食べた記憶・・・。
「美味しい~ね」と喜ぶ笑顔。
そんな懐かしさが蘇えってくる本です。

地元菓子』(とんぼの本・新潮社)
旅して見つけた全国地元菓子。若菜晃子さんのご本です。

若菜さんは、1968年、兵庫県生まれ。
学習院大学・文学部・国文科を卒業後、「山と渓谷社」に入社。
散歩雑誌「wandel」編集長、「山と渓谷」副編集長を経て独立。
これまでに、山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編修、執筆し、現在は「街と山のあいだ」をテーマにした小雑誌「ミューレン」の編集・発行人です。

全国津々浦々、そこでしか出会えない「地元菓子」の世界。
奥深かったです!おまんじゅう、アメ、お餅はもちろん、嫁入り菓子、お供え菓子、地域限定の袋菓子までたくさんありました。

☆この本はお菓子の民俗学だ!

と思いました。
お菓子はその土地の風土気候や歴史、そこで暮らす人の生活や思いを反映しているのだと気づかされます。

ラジオをぜひお聴きください。
文化放送日曜10時半~11時、7月28日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (2)

復興グルメ旅

東日本大震災によって被害を受けた街が、再び立ち上がろうとしています。
がれきの中でいち早く灯りがともったのは、飲食店でした。
「自分たちが営業を再開しなければ復興はならない」と、店主たちは口々に言います。今では、仮設商店街で地域の特産品をいかした料理を出品する「復興グルメ」の大会が開かれるなど、定着してきました。
被災地に行ってみたいけども、ボランティアはハードルが高い。
物見遊山で行っては迷惑がかかるのでは・・・と心配する方も、こうしたお店に足を運んでみてはいかがでしょうか。

(復興グルメ取材班)

この度、震災から立ち上がった東北のおいしいお店を数多く紹介している本「復興グルメ旅」(日経BP)をまとめた本が出版されました。

編集者のお一人、竹内康郎さんにラジオのゲストとしてスタジオにお越しいただきました。

竹内さんは、1975年、東京生まれ。
1998年、東京大学、理学部・物理学科を卒業後、日経BP社に入社。
これまで担当した主な本に、コピーライターの糸井重里さんが監修した翻訳本『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』、解剖学者の養老孟司さんと建築家の隈研吾さんによる『日本人はどう住まうべきか?』などがあります。

竹内さんを中心に、復興グルメ取材班が東北の被災地、50店舗を取材して、まとめた本です。お寿司、とんかつ、ラーメン、中華・・・どのお店も行ってみたいところばかり!

1回の取材で2~3泊。10店強は回るそうです。
1日に4、5食食べる日が続くのですが、お店の女将さんから「よくきたね。これも食べていきなさい」といわれるとなぜか、スルスルとお腹に入ってしまうのですよ(笑)とおっしゃる竹内さん。

リサーチは、クチコミ。
皆さん、明るく前向き。多くの方が
「うちがお店を再開しないと、復興はならない」
「代々受け継いできた味を自分たちの代で終わらせるわけにはいかない」
「とにかく来て下さい。それだけで町の人たちは元気になりますから」・・・と。

一方、お店を再開できなかった方も大勢いらっしゃいます。
復興グルメの取材は、今も継続中です。

この夏休み、こんなグルメの旅もいいですね。

放送は (文化放送・日曜10時半~11時) 7月21日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

腸の不思議

皆さま、私たちの体の腸について、じっくり考えたことってありますか。

私たちの健康に、腸が大切な役割を果たしていることは何となく知ってはいましたが、大変興味深い本「からだの中の外界 腸のふしぎ」(講談社)を読んで驚くことばかり。

著者の上野川修一先生を文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きし貴重なお話を伺いました。

上野川修一(かみのかわ)さんは、東京大学名誉教授で農学博士。
1942年、東京生まれ。
2003年までは東京大学大学院で教鞭をとりました。

食物アレルギーや腸管免疫のしくみ、腸内細菌のからだへの影響などの研究に従事し、数々の役職を歴任しておられます。

正直、本を読んだところ半分も理解できなかったのですが、スタジオでお話を伺っていると「う~ん、なるほど、なるほど」と実に分かりやすく解説してくださいましたし、役立つお話がいっぱい。

まず『からだの中の外界(がいかい)、内なる外、それが腸!』なのですよね。
当たり前といえばあたりまえですが、余り意識をしておりませんでした、私。

"世界中の生命科学者たちが今、「腸」に注目している"と書かれています。
つまり「腸の時代」がはじまったわけです。

腸は「食」を「命」に変える働きをし、栄養分から細胞を作り、エネルギーとなる物質に変えるわけです。そして、「いのち」を守る働き。病原菌の感染や拡大を防いでくれています。

小腸の全長は5~6メートルもあり、何と! 私たちが体内に取り入れる食べものは年間1トンもあるのだそうです。

それを消化・吸収して、絶えず病原菌にもさらされている腸は、他の臓器にはない、重要な役割を果たしているのですね。

「今日はつかれたから、休もう」ということなく、毎日、黙々と仕事をしてくれます。

腸は別名「第二の脳」ともいうのだそうです。
「あ~満腹・満腹」というのも脳に伝えるのは腸から。腸は脳から独立し、完全に自立し、自らをコントロールしているのだそうです。

日本人は長い間、海草を食べてきたので腸内細菌も独特の進化を遂げているそうです。その、腸もストレスによる問題もある・・・とスタジオでお話を先生に伺っていると、思わず自分の腸の辺りに手をやり「ごめん・ごめん・いつも気にせず当たり前のように思っていた腸に感謝」とつぶやいてしまいました。

文章ではなかなかニュアンスは伝えられません。
ぜひ、ラジオをお聴きください。
放送は5月12日 10時半~11時までです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | コメント (3)

一途一心、命をつなぐ

天皇陛下の執刀医・天野篤さんが「一途一心、命をつなぐ」(飛鳥新社)を
上梓されました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きしお話をお伺いいたしました。

心臓外科医として30年。これまでに手掛けた手術は6000例を超える天野さん。去年2月18日には、天皇陛下の心臓バイパス手術を執刀し、その名が全国に広まりました。

そんな天野さんですが、『挫折から始まった』とおっしゃいます。

天野さんは、1955年、埼玉県蓮田市のお生まれ。
日本大学医学部を卒業後、関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)で研修を行なった後、鴨川市の亀田総合病院、松戸市の新東京病院などの民間病院で、20年近く勤務。

昭和大学横浜市北部病院・循環器センター長・教授を経て
2002年から、順天堂大学医学部の教授です。

スタジオに現れた天野先生は穏やかな笑みをうかべ、
ダンディーで素敵な方です。

3浪目で心から医師になりたいと思われたそうです。
挫折もいくつか経験し、最も大きな挫折は、心臓外科を志す動機であり、
支えであったお父様をご自分の判断ミスもあって失ったことだそうです。
お父様は、3回目の手術で亡くなってしまいます。66歳の時。
天野さんは、すでに心臓外科医になり、手術には立ち会ったそうです。
トラブル続きの手術。"今なら絶対に助けられた"・・・と。

2011年3月11日、午後2時46分。
東日本大震災が起こったときも、手術をしていました。
手術室は大きな横揺れに見舞われ手術機器がずれ動き、血液は波打ち、
皆で必死に体を押さえ、中断するわけにはいきません。
なんとしても手術を続けなければなりません。

「お前ら死んでも、この患者さんは助けるからな!持ち場をはなれるなよ」
そんな言葉が口をついて出たそうです。

「患者さんの命は今、自分の手の中にある
心臓を止めたままで終わらせることはできない。
預かった命はちゃんと元気にして戻さなくてならない。
前身全霊を傾けて命を守る義務がある」
そんな思いで手術を無事に終え、
「大丈夫ですよ、きちんと乗り切りました」と家族に告げると、
涙を流して喜んだそうです。

人の役に立つことができる"手術という力"を持てたことを心から感謝している・・・ともおっしゃいます。
手術をするだけが外科医ではない・・・とも。

小学生の頃はプラモデル作りに熱中。家庭科は5。
手先はとても器用だったそうです、子どものころから。

日本中が注目した手術。
2月18日、東大病院において東大と順天堂大学の合同チームによって
天皇陛下の冠動脈バイパス手術が行なわれました。
結果は、皆さまもニュースでご覧になったでしょう。

"いつも通りにしっかりやれば、絶対に何も起こらない。心配しなくていい。"
お仲間と前夜はイタリアンに行き、リラックスして手術に臨んだそうです。

"いつも通り"
これが難しいのですよね。

ここまでがんばってこられたのは、好きなことをやっているから、好きだから、とことんがんばれる。諦めずに、目標に向かって進んでいける。

やっぱり大切なのは「愛」

「この人のために少しでもいいことをしてあげよう」
「がんばっているから、できるだけ力になってあげよう」
相手に対するおもいやり。
「愛」があれば、普段はできないようなことができたり、難しい局面を乗り越えるパワーが生まれるわけです・・・と。

そして、「天皇陛下の執刀医」と呼ばれることについて、「光栄なことですが、脱皮しないといけないと思っています。これまで以上に、一心臓外科医としての道を極め、努力し、得がたい機会の恩返しがしたい」とおっしゃいます。

スタジオを出、通路までお見送りすると「浜さん、僕はお正月は真っ暗な中、家内と一緒に箱根神社に初詣に行くんですよ」と笑顔でお話くださいました。
後姿がとても清々しく、とてもチャーミングな天野先生でした。

「先生、患者さんのために、これからも頑張ってください」・・・と心の中でお願いしました。

4月28日と5月5日、2週にわたり放送いたします。
ぜひ、お聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語

帯にはワーグナーに愛されながら、「消された」楽器の秘密。
と書かれています。
え・・・ヴィオラ・アルタってどんな楽器なの?
ヴィオラとは違うの?

早春の箱根の山で「謎解きの旅」にでました。いっきに読み終えました。
たちどころに、ヴィオラ・アルタの音色が響き、身体中が感動の渦の中にいる自分に気がつきます。

「謎解き」ですから多くは語りません。ただ、どうしてもその音色を聴きたく、ラジオのゲストにお招きしお話を伺いました。

ヴィオラ・アルタ奏者の平野真敏さん。
平野さんは、1967年、福岡県生まれ。
東京藝術大学・音楽学部・器楽科およびドイツ・デトモルト音楽院ドルトムント校を卒業。この度、「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語 (集英社新書)」を上梓されました。

2003年のある日、渋谷の楽器店を訪れたことからはじまります。

「お母さん、こんなに小さなチェロがあるよ」
と小学校低学年の男の子が、古いショーケースを覗きこみ言います。

元々は、ヴィオラ奏者だった平野さん。
10年前のある日、その見慣れない楽器に出会いました。
平野さんは、その後、どうしてこの楽器が音楽史の表舞台から消されたのかを知るため、ヨーロッパに向かいます。

ここから壮大なドキュメンタリーの幕開けです。

平野さんにはラジオでたっぷり語っていただきました。
そして・・・スタジオにその幻の楽器をお持ちいただき拝見し、その音色も聴かせていただきました。

ぜひ、ラジオをお聴きください。
その謎と音色をお楽しみください。

ひと言だけ・・・秘密は、その響きはある楽器の音色にそっくりだったのです。

放送は文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」3月31日、日曜日
10時半から11時です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

『昆布と日本人』

私たちの暮らしに欠かせない"昆布"
昔から日本人の食文化に欠かせない、昆布。

春・この季節では、やわらかく煮える昆布と筍、または豚肉とあわせて煮る昆布など等。沖縄の人は本当に良く昆布を召し上がりますね、国際通りの公設市場に行くと昆布が山盛りに売られていますもの。私も大好きです。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)のゲストに
昆布と日本人」を上梓された奥井海生堂4代目・奥井隆さんをゲストにお招きいたしました。

ちょうど収録の前日、若狭周辺を小浜から敦賀に向かっておりましたので、お店に伺い、また工場で「蔵囲(くらがこい)昆布」を見せていただきました。

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奥井さんは1948年生まれ。
立教大学経済部を卒業後、奥井海生堂に入社。
奥井海生堂は、曹洞宗の大本山・永平寺、横浜の総持寺ご用達の「御昆布司」を勤め、京都や全国の有名料亭などに高級昆布を納めています。

私が伺った時に見せていただいた専用昆布蔵で数年間寝かされ蔵囲いの中で熟成し、夏の浜で太陽による自然乾燥をうけた昆布が静かにときを待っていました。温度と湿度の管理が大変なようです。

昆布の歴史は古く、1200年以上前には蝦夷地(今の北海道)から奈良の都に、昆布は運ばれていたそうです。

江戸時代の中ごろから明治にかけて、北前船で日本海から京都、大阪、薩摩、琉球を経て、清(中国)へ。昆布ロードがあったのですね。

今、世界中から和食が注目を浴びています。
(世界無形文化遺産に登録を申請しました)

とくにフランス人のシェフが「昆布」に注目し、「昆布巻きのコクはチーズに似ている」との話も伺いました。ワインとの共通点もあり、和とフレンチのマリアージュもあるかも知れませんね。

とにかく「昆布は奥が深い」です。
ぜひ、ラジオをお聴きください。
放送は3月17日です。

今夜は白身魚を昆布で〆てみようかしら・・・。 


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投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 |

浜美枝のいつかあなたと~一志治夫さん

鎮守の森で津波を防ぐ
  4000万本の木を植えた男、84歳

宮脇昭先生にお会いしたのは、10年ほど前でしょうか。
森づくりの熱い思いを語ってくださいました。
照葉樹林域で日本の森を回復したい!と。

ノンフィクション作家、一志治夫さんのご著書を読み宮脇先生の業績、想いがよく分かりました。ラジオのゲストにお招きし、じっくり語っていただきました。

一志さんは1956年、長野県松本市生まれ。
1994年、当時サッカー日本代表だった都並敏史さんを描いた
狂気の左サイドバック」で第1回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

たったひとりのワールドカップ―三浦知良、1700日の闘い
小沢征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く

など数々の作品があります。

この度、4000万本の木を植えている植物学者・宮脇昭さんを描いた

宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け─新版─』(集英社インターナショナル)

を上梓。
これまで、その道の第一人者をはじめ、高い志で仕事に邁進する人物を取材してきた一志さん。

宮脇さんは麦わら帽子をかぶり「とことん現場の人」です。

「目で見、匂いを嗅ぎ、なめて、触って調べろ」と書かれています。

横浜国立大学から本場ドイツへの留学。
「日本植生誌」を完成させ、環境保全林へと向かいます。

以前お目にかかった時も
「浜さん、このままでは鎮守の森が消えていってしまいますよ」と語られました。

宮脇さんの願いは、失われていった照葉樹林(タブノキ、シイノキ、カシノキ)など高木がある森を少しでも回復させたいのだと一志さんはおっしゃいます。

本物とは厳しい環境に耐えて長持ちするもの。
人間が本当の英知を持っているなら、その欲望の極限より、少し手前でおしとどめるべきである・・・など宮脇さんから聞いたそうです。

『環境問題はひとつのことでは解決しない。みんなが少しずつ我慢する、それしかない』

「東日本大震災復興構想会議」で「森の防潮提」構想を立ち上げます。
様々な困難の末です。高木は5、60メートルもあります。スギ、マツ、ヒノキ、カラマツなど植林がはじまり、日本の山林は大きく変化しきたわけです。

「いま処理に困っている瓦礫を土台に入れて、その上に土地本来の樹木で森をつくる。もし、そんな防潮林提があったらなら、かなりの命も流されないですんだはずだ。いまからでもそれをやるべきだろう」と本の中で宮脇さんは語っています。

そうですよね。
瓦礫・・・とひと言ではかたずけられません。
家財道具であり、一つひとつに深い想いがこもっているのですから。

財団「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」は2012年5月25日、正式に発足しました。

一志さんの本の最後に

『宮脇昭はいま、命を賭(と)して、最後の闘いを継続している。』と。

詳しくはぜひ放送をお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
1月27日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:17 | | トラックバック (0)

新幹線お掃除の天使たち

来週末からは本格的な帰省ラッシュが始まりますね。
皆さんの中にも新幹線を使って、故郷へ帰る方も多いのではないでしょうか。

私は旅が多いのでよく新幹線を使います。
この3、4年、北に行く際にとても気になる光景を目にいたします。
新幹線の車両清掃している方々です。
特に女性たちの手際のよいこと。それだけではありません。
新幹線が到着すると、整列してビシッと一礼する姿。
なによりも真心がこもっているのです。

こんなことが今年の初秋の頃にありました。
盛岡に行くため、階段を上り新幹線の乗る車両をめがけて歩き始めていたのですが、階段を上りきった所に白い杖をつき、あたりをうろうろしている70代後半らしき男性がいらっしゃいました。

とっさに、あ、号車がおわかりにならないのだわ、と思ったのですが、出発時間になっていたので、私はそのまま乗車してしまいました。窓から心配で見ていたら、清掃の女性が何か話しかけ、切符を確認してから肩をかし歩き始めました。「あ、申し訳ないことをしたわ。それにして何て機敏な行動なのかしら。」と思ったのです。

震災後は「がんばるぞ!ニッポン」のネームプレートを胸につけ
けっして「がんばろう!ニッポン」ではないのですね。

春は桜の小枝、夏季はハイビスカスの花、鯉のぼり・・・と目を楽しませてくれます。

ホームの下に目をやれば、地下をキビキビと足早に歩く姿。
この方々はどのような教育を受け、こうして活き活きと誇りをもって仕事をしているのかしら。気になっておりました。

そこで、出会ったのが「新幹線お掃除の天使たち

「世界一の現場力」はどう生まれたか?
世界最速の「魅せる清掃」!
世界最強の「チームワーク」!
停車中のたった7分間で新幹線をピカピカにする"テッセイ"が各国メディアから大絶賛・・・と帯に書かれています。

さっそく文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)に著者の遠藤功さんをスタジオにお招きいたしました。

遠藤さんは1956年、東京生まれ。
早稲田大学商学部を卒業後、三菱電機に入社し、その後、経営コンサルタントの道に進みます。現在、早稲田大学での教職に加え、ヨーロッパ最大の戦略コンサルティング会社ローランド・ベルガーの日本法人会長としてのお仕事もなさっておられます。著書も数多く、

現場力を鍛える 「強い現場」をつくる7つの条件
未来のスケッチ 経営で大切なことは旭山動物園にぜんぶある

などがあります。

ご本の中には、新幹線の清掃スタッフが紡ぎ出す、心温まるエピソードがたくさん。遠藤さんは何よりも「現場力」を大事になさいます。JR東日本の清掃スタッフの想像を超える仕事ぶり、魅せる清掃、責任感、プロ意識。

これらは一朝一夕にできるものではありません。
女性の包み込むような優しさが大きな戦力になっています。

会社はJR東日本のグループ会社、鉄道整備会社(通称テッセイ)
そこには真心のこもった、日本人の「おもてなし」の心がみえてきます。

どんな仕事にも、情熱と誇りをもつことの大切さを教えてくれます。
日本人の「礼に始まり、礼に終わる」文化も学びます。

ぜひラジオをお聴きください。
12月23日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:49 |

12月25日の怪物

謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて旅した探検家・高橋大輔さんを文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招き致しました。

街中がクリスマスムード一色になるこの季節。
私も4人の子供が幼いとき「サンタさんって本当にいるの?エントツがないのに来てくれるの?」など、質問攻めにあったことを思いだします。

その主役、サンタクロースがなぜ12月25日にやってくるのか。
その謎を解き明かすために世界各地へ3年間に4度にわたって旅に出た高橋さん。

高橋さんは1966年、秋田市生まれ。
現在も秋田に住まわれています。

「物語を旅する」をテーマに、世界各地に伝わる神話や伝説の背景を探るべく、旅を重ねています。2005年、アメリカのナショナル・ジオグラフィック協会から支援を受け、小説ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡を発見。世界的なニュースになりました。

著書に「ロビンソン・クルーソーを探して」、「浦島太郎はどこへいったか」などがあります。

誰しもが子どもの頃から「サンタさん」には憧れを抱きますよね。
でも、その実像はなかなか分かりません。
「いる」「いない」あるいは「本当か」「嘘か」と想像を膨らませてみることはあっても「いた」と過去の人物として考えたことはなかったそうです。

ロンドンの書店街で、グリーンランドの地図を探していた時に、サンタクロースの地図を偶然見つけたところから旅の始まりです。

多くのアメリカ人は19世紀の風刺画家、トーマス・ナストが描いたイラストに強い印象を受けて北極点だと考えていたらしい。フィンランドの人々はサンタの生活はトナカイと無縁でないと信じ、人里離れたラップランドの山中だと主張している。

たとえ架空の存在であっても、何がしかの種があるのではないか・・・
伝説の背景を訪ねての旅がはじまるわけです。

いいな~・・・こういう旅って。

紀元三~四世紀、現在のトルコ領に聖ニコラウスというキリスト教の司祭が住んでいて彼こそが実在のサンタクロースだというのです。遺骨はイタリアに。その後、信仰と祭りという視点から、旅はオランダへ。

そして、高橋さんはアメリカへ。
サンタクロースの追跡の旅は、ダイナミックな展開を見せ、フィンランド、オーストリアへと続きます。そして・・・・「秋田」にまで繋がるのです。

面白い、民俗的な解釈です。
お話をうかがっているとワクワクしてきます。

ぜひ、放送を聴いてください(12月16日、明後日の放送です)
そして、本を読んで「サンタクロース」の世界を旅してください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:03 | | コメント (1)

ウナギの話

大変興味深いお話を伺いました。

古代ギリシャの哲学者・アリストテレスの時代から2400年もの間、人類が誰も見ることことの出来なかった"天然ウナギの卵"を、3年前の夏、ついに発見!ウナギの産卵や生態の謎が解明された瞬間でもありました。

とにかく「神秘の世界」です。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
ゲストに40年に渡り、太平洋でウナギを追い続けた東京大学大気海洋研究所・教授、塚本勝巳さんをスタジオにお招きいたしました。

独自の仮説に基づき、2009年夏、北太平洋・西マリアナ海嶺南端部、海山域で世界で初めて天然ウナギの卵を採ることに成功なさいました。また産卵場所も特定しました。

「世界で一番詳しいウナギの話」(飛鳥新社ポピュラーサイエンス)が好評発売中です。世界のウナギ博士のお話は、ただただ興味深く知らないことばかり。

「うぁぁ、きた、きたぁ~!これは間違いなく来たよォ~!」
そう、心の中で叫んだそうです。

塚本さんは1948年、岡山県生まれ。
農学博士で、専門は海洋生物学、魚類生態学です。
最初は魚類の回遊現象、「なぜ魚は回遊するか」を考えているうちにウナギにたどりついたそうです。

人間以外の動物は、それほどの知能も情報も持っておらず、その時々の気分、あるいは感覚で移動するそうで、動物の移動は目的のない「旅」。  
なぜ旅をするのか・・・

ウナギの嗅覚の良さは定評があり、魚ではウナギは犬並みの優れた嗅覚を誇っているそうなんですが、先生はどうしてそんな事が分かったのでしょうか。

ウナギは生まれた海の匂いを記憶していて「ここが約束の場所だ」と感じて長旅に終止符をうち、その時を待つのでしょう」とおっしゃいますが・・・それにしても不思議・不思議!あの広い海で、ウナギが卵を産み採取なさったなんて、お話を伺っていても、良く分かりません、私には。

何しろ世界のウナギ消費量の約7割は日本人が占めているのですから、この問題は重大です。私たちの食生活にはウナギ文化は欠かせません!

詳しくはぜひラジオをお聴きください。
(放送は10月28日と11月11日の2回です)

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:00 |

スパイシー丸山さん

残暑お見舞い申し上げます。
暦の上では立秋だというのが信じられないほど都心では猛暑日が続いておりますが、皆さまいかがおすごしでしょうか。

夏バテはなさっていませんか。
食欲はございますか。

そんな暑い日、元気になれる方をラジオのゲストにお招きいたしました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと(日曜10時半~11時)

今回のゲストはカレー研究家のスパイシー丸山さんです。
丸山さんは1974年生まれ。北海道のご出身です。

普段は、本名の丸山周さんとしてラジオやテレビ番組、イベントのパーソナリティーとしてご活躍されていますが、趣味のカレー好きが高じて、カレー研究家としての活動もなさっています。

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スタジオにはターメリック・クミン・コリアンダー・赤とうがらしなど等、たくさんの香辛料をお持ちくださいました。
このラジオは毎回収録なのですが、1回目の方は11時から。
その香辛料の香りで私のお腹はグーグーと・・・・。
やはりカレーは夏バテ予防にはぴったり!

ターパンをまいたスパイシーさんはカレーの歴史にも詳しく、知らないことばかり。これまで1000軒以上のカレーを召し上がっておられるとか。

一般的に日本のカレーと云われているのは北インドのカレーで、小麦粉で作られたナン(主食)に合うカレーだそうです。一方、南インドの主食は米でスープのようなカレーだとか。

私は10代から10年間くらいインド通いをいたしましたが、ほとんどが北インドでした。毎日3食カレーでもまったく飽きませんでした。インドの人参ってとても美味しいのです。マーケットに行き、人参を買い、生のままかじっていました。野菜カレーがほとんどでしたが、チキンカレーも大好きです。

先日、我が家のランチは「タイ風チキンカレー」。
鶏もも肉をターメリックやカルダモンパウダーで下味をつけ、夏野菜(なす・トマト・オクラ・パブリカなど)を入れてココナッツミルクをたっぷり入れてコクのあるカレーでした。

食欲のないときにカレーはいいですよね。
スパイシー丸山さんのスパイシーな日々のお話をラジオでお聴きください。
(8月12日放送)

猛暑日がまだ続きます。
皆さま、御自愛くださいませ。

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投稿者: Mie Hama 日時: 11:10 |

英国大使の御庭番

あと1ヶ月余りでロンドンオリンピック!楽しみですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

東京・千代田区にあるイギリス大使館で25年間、専属庭師として美しい庭作りに取り組んだ 濱野義弘さんをお客さまにお迎えいたしました。

1万坪のイギリス大使館の中で、およそ1000坪と最も大きい大使公邸の庭を一人で管理したのち、大使館全体の庭の責任者であるヘッドガーデナーとなり、去年の3月まで従事されていました。

濱野さんは1960年のお生まれ。東京・杉並区のご出身です。

私はイギリス大使館に入ったことはありませんが、千鳥が淵の周辺を、特に桜の季節の散策は素晴らしいです。イギリス大使館の広大な敷地をどんな風に管理され、どんな庭なのかしら・・・と、とても気になっていました。

この度「英国大使の御庭番: 傷ついた日本を桜で癒したい!」(光文社)を濱野さんは上梓されました。

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そもそも、どんなきっかけで大使館の御庭番になれるのか?
新聞で見つけた"英国大使館専属庭師募集"の三行広告だったそうです。
当時、25歳の濱野さん。
「親方にも信頼をしてもらい、仕事も忙しく流れてくる仕事を、ただ"こなす"植木屋に慣れすぎてきたいたのかもしれません。このままじゃダメだな。もっと素敵な庭を作りたい」・・・と思われたそうです。

三行の広告が人生を大きく変えました。
「これっきゃないでしょ!」と未知の世界へと飛び込みます、住み込みで。独学で生み出したバラやランの管理、大使夫人は難題を時には持ちかけます。でも、それはそれは美しい大使館の庭を25年かけて作り上げたそうです。

「多くの客人が大使公邸へと向かう途中を、桜を愛でてもらいましょう」・・・と大使。大使館の四季は美しすぎるほどです。特に桜の季節は・・・と濱野さん。

濱野さんが大使館に入った翌年1986年5月8日、大使館に新婚のチャールズ皇太子とプリンセス・ダイアナ妃がやってきました。

日本庭園の飛び石も丁寧に洗ってお迎えの準備。
バラの美しい季節「ダイアナ プリンセス・オブ・ウエールズ」というクリーム色とピンクの覆輪が鮮やかなバラがあるそうですが、間近で見るダイアナ妃は華のあるとてもチャーミングな方だったそうです。

そして、25年の勤務を終えようとした、2011年3月9日。
退職記念に桜の木を植樹しましょう・・・と公使の申し出に感激し土入れを行ったそうです。

翌々日、3月11日 あの大震災が起こります。

濱野さんは現在、福島県南相馬市の私立幼稚園や他の幼稚園に桜を植樹し
これからも傷ついた日本を桜で癒したい・・・と活動をなさっておられます。

子供たちから「さくらをうえてくれてありがとう!」と手渡された写真付きの手紙に「ありがとう。これからも頑張って植えるからね」
そう伝えるのが精一杯でした。と語ってくださいました。

スタジオでの濱野さんの笑顔がとても美しく輝いていました。 

放送は6月17日です。
ぜひお聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 14:11 | | コメント (2)

小商いのすすめ

「日本よ、今年こそ大人になろう」と提案している平川克美さんを文化放送・「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きしお話を伺いました。

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ」(ミシマ社)を上梓。

実業家、文筆家の平川克美さんは1950年、東京のお生まれ。
早稲田大学理工学部を卒業後、翻訳を主とするアーバン・トランスレーションを友人らと共同で設立。

現在は、ベンチャー企業を支援する会社の代表取締役の他、立教大学MBA特任教授や文筆業でも活躍され、「株式会社という病」、「経済成長という病」などの著書では、右肩上がりの経済成長の信奉者に警鐘を鳴らしています。

私は「小商いのすすめ」を読ませて頂き、タイトルだけみると「ビジネス書かな」と思ったのですが、まったく違い「これからの日本、そして日本人の生き方のヒント」が詰まった一冊で、分かりやすい哲学書のような感じをうけました。

平川さんの生まれ育った町は、町工場の並ぶ京浜工業地帯の小さな街・大田区。みんなが貧しかった昭和30年代の日本の風景。「貧しかったがゆえの豊かさ」を感じられる時代。

まさに私の川崎の長屋での暮らしはそんな豊かさを感じられる子供時代でした。多摩川で水泳を教えてもらったり・・・は平川さんと同じです。

「昭和39年を境に日本の光景ががらりと変化しました。東京オリンピックです。オリンピック以降の高度経済成長の時代に、町の規模、匂い、暮らす人びとの繋がり方、雰囲気・・・以前と以後では、人間と自然との関係が180度転換したということかもしれません」・・・と。


そうです・・・三十年代の町の風景は、「商店街のある暮らし」でした。
私は、小学生になる前からカマドの番を託され買い物かごをさげて近所の商店街にお買い物。魚屋さんでイワシを買い、八百屋さんでキャベツの外側をタダで頂きそこには人々の温もりや匂いがあり、まさに「小商い」の街でした。

平川さんはおっしゃいます。

「ここらで、いったん立ち止まって、自分たちが求めてきたものが何であったのかを考えてみてもいいのではないか、と思っているのです。"立ち止るのには勇気が必要です"」
「拡大均衡の時代は終焉を迎えました、日本人が採用すべき生き方の基本は、縮小しながらバランスする生き方以外にありません。だから「小商い」なのです。」・・・と。

『震災と原発事故』は私たちの暮らしを見直す大きなきっかけになりました。
「小商い」という言葉は、「ヒューマン・スケール」という言葉の日本語訳です。
とおっしゃいます。

スタジオで平川さんのお話を伺っていると、何だか元気がわき、"大人になろう"と心から思えてきました。
たくさん・たくさん素敵なお話を伺いました。
是非ラジオでお聴きください。
 
放送は5月20日 日曜10時半~11時です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:43 |

毛のない生活

幻冬舎でプロデューサー、編集者として文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し、数々のベストセラーを世に送り出した元敏腕編集者・山口ミルコさんをスタジオにお迎え致しました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

生放送の時代から数えるとこの番組も4月で14年目になります。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。
誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!
自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるようなことがあると思います。私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。

多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えます。

この番組では毎回素敵なゲストをお招きしております。
この番組は私の大切な"宝もの"です。

山口さんは1965年、東京都生まれ。
今から3年前に幻冬舎を退社し、その直後、乳がんが発覚しました。
スタジオに現れた山口さんは溌剌となさり、「毛のない生活」からは卒業。
笑顔がチャーミングな素敵な方。
現役時代、山口さんは五木寛之さんの「大河の一滴」、さくらももこさんの「ももこの おもしろ健康手帳」といった話題の本をたくさん世に送り出しておられます。

ご自身の闘病生活を綴った「毛のない生活」(ミシマ社)を上梓。
絶望の淵から希望を見出し、毎日を真摯に生きる姿が読者の共感を呼んでいます。会社を辞めてフリーランスになってからの闘病生活。帯にはこのように書かれています。

「毛=髪の毛、陰毛、自分を守ってくれるものたち(会社やお金)のある生活」から「毛のない生活」へ。再び、「毛のある生活」へ戻ったとき、著者は別人になっていた。

山口さんはおっしゃいます。

「これまでとは違った生き方をするの。乳がんの手術を受けたとき、もう今まで続けてきたクラリネットとサックスの演奏は無理・・・だと絶望したけれど、強引に復帰したの」。時には「どうして私にはこんな試練があるの?」・・・とも思ったそうです。

華やかな世界から取り残され、「もう自分は誰にも必要とされていないのではないか?」そんな不安にかられたこともあるそうです。

分かるような気がいたします。

治療は過酷だけれどガンは血液の病気で、見つかったなら、死なずに済んだのだと喜ぼう。そして死なずに生きているのだから、きっと何か使命がある。

そうおっしゃる山口さんの笑顔が輝いていました。

詳しくは番組をお聴きください。 放送は4月22日です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:15 |

もうすぐ春ですね

寒さもゆるみ、一雨ごとに春めいてきました。

さ~てと・・・冬の間にお世話になった厚手のセーターやダウンジャケット、ブーツ、バッグなどのお手入れの季節です。

主婦歴45年の私ですが、この季節は毎年頭を悩ませます。「同じことの繰り返し」なのですが、世の中便利になり環境に優しい洗剤が登場したり、私の思い違いの手入れ方法など「あらまぁ~知らなかったわ。もっと早く知っていたら・・・」と思うときがたびたびあります。

皆さまはどのようになさっていますか?

私は、料理は大好きなのですが洗濯と掃除はあまり得意ではありません。欧米では、暖炉を使わなくなる春に、スプリング・クリーニングという習慣があるのだそうですね。

「そうか、春こそ大掃除なんだ!」といつも思ってはいるのですが・・・。

そんな時にとても心強い味方をゲストとしてラジオにお招きいたしました。文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

クリーニング革命―すべては喜ばれるために』(アスペクト)を出版された古田武さんです。

東京・南麻布にある、知る人ぞ知る「クリーニングの店アジュイール」のオーナです。古田さんは1939年、長野のお生まれ。中学校卒業後に上京され修行を積み、83年クリーニング店「レジュイール」を設立。クリーニングのクオリティー、営業哲学などが従来の「業界の常識」をくつがえすものだと評判を呼びます。開店当時「高くて、遅くて、でも上手い店」だと言われたそうです。

「すべてはお客さまに喜ばれるために」・・・と古田さんはおっしゃいます。
それは本を読み、お話を伺っていると納得の言葉です。
ネクタイのシミをとるために、一度ネクタイをほどき、クリーニングして、あとで縫いなおすケースもあるそうです。

古田さんは、フランスやイタリアをたびたび訪問され、ヨーロッパのクリーニングを勉強され洋服文化の浅い日本はまだまだ「後進国」とか。

高級ブランドから絶大な信頼を得ているお店なのですが、そんな高級な洋服だけではなく「できる限り、自分で手入れをしたい」と思っている方のために、自宅で簡単にできる衣類のお手入れ方法などもしっかり伺いましたし、本の最後に「難しい技術は必要ありません。ほんの少しの素材に関する知識と、ちょっとしたコツを身につければ、上手に仕上げることができるはずです。」と教えていただきました。

洗濯編
○ 洗剤について
○ 洗濯前にやっておくこと
○ 干し方について

「着古した白いシャツ」が黄ばんでしまった場合の、買い立ての頃の白さに戻す方法やダウンジャケットを自宅で上手に洗う方法、そして、最後にアイロンのかけかたから保管の仕方まで本当にたくさんのことを教えてくださりました。まぁ~知らないことばかり!!!ラジオでは「ビックリする」ようなことも教えていただきましたよ。

古田さんはおっしゃいます。
『どうぞ、今手元にある洋服を大切にしてあげてください。愛してください。手をかければその分、服たちは輝きを失わず、少しでも長くあなたを楽しませてくれると思います』と。

放送は3月25日です。ぜひお聴きください。

私の仕事場は3畳ほどですが、仕事スペースと家事ユーティリティーは一緒の部屋です。仕事の合間に洗濯機を回したり、アイロンをかけたり、子育てをしながら仕事を続けてきたせいなのか、私は両方やれる空間にいると安心できるようです。

さあ~来週は仕事をしながらのクリーニング週間にいたしましょう!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:12 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 本郷和人さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

また素敵なお客さまをお迎えいたしました。
『謎とき平清盛』の著者、歴史学者の本郷和人さんです。

本郷和人さんは1960年、東京のお生まれ。
東京大学文学部および大学院で「日本の中世史」を学び、これまで書かれたご本に「天皇はなぜ万世一系なのか」、「武士から王へ」などがあり、
現在は最新刊「謎とき平清盛」が発売中です。(文春新書)

何しろ・・・中学出の私は歴史をしっかり学んでおりません。
だからこそ「知りたがりやさん」の私にとっては興味あるお話しがいっぱい。

本郷さんは、NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証担当者でもいらっしゃいます。私もあの番組は好きで毎週見ております。

どこかの方から「暗い・汚い」とクレームがついたようですが、私など東宝時代に黒澤明監督のスタジオをこっそり拝見しており「汚しの衣装」など、どれほど手間ヒマかけて美術の方、衣装さんがなさっていたか・・・を知っているだけに「分かってないわね~」っと思ってしまうのですが。

中世日本の重要人物、平清盛の実像はあまり知られていないように思います。清盛自身は64歳の生涯を終えたわけですが、本郷さんは「NHKの大河ドラマをはじめとする歴史ドラマはフィクションであって、歴史を忠実に再現する教育番組ではない。でも、フィクションだからといって、何でもあり、というわけではありません」とおっしゃいます。

時代考証はなかなか難しいお仕事ですね。

私のイメージですと、日本の12世紀戦乱の時代、源平の合戦。
平家一門を巡る物語「平家物語」のなかから

「平家の世をつくり、やがて滅亡に導いた人」
「悲劇的な末路をたどった人」

と、いった感じでしたが、本郷さんのお話によると、清盛は重要な「改革者」であったそうです。「部下思いの優しさを兼ね備えていた人」とも。

ご本の中でも書かれておりますが、

父親は誰だ・・・・白川上皇の落胤説を検証する。

私もドラマを見ていて、そのくだりはドラマチックに描かれていましたが事実を教えていただきたいと伺いました。

経済、海外交易を重視し、目は世界に向けられていたようです。
そして、よく「学ぶ」人だったようです。
伝統を学び、貴族に相応しい観念を学び、他者の振るまいを学ぶ。
あちらの勢力にもこちらの勢力にも気配りをしながら、自らを成長させていったのでしょう。

今の時代、ある程度立場が確立されるとそこまで「学ぶ」ことを重要には思わないですものね。本郷さんのお話で清盛が男としてもなかなか魅力ある人物のように思えました。続きはぜひラジオをお聴きください。3月18日放送です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:12 | | コメント (2)

浜美枝のいつかあなたと ~ ミッキー・カーチスさん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

素敵なお客さまをお迎えしました。
今回のゲストはミッキー・カーチスさんです。

自叙伝『おれと戦争と音楽と』(亜紀書房)が発売中です。
ミュージシャン・俳優として活躍されているミッキー・カーチスさんは1938年のお生まれ。幼少期を上海の租界で過ごし、1945年、第二次大戦の終戦とともに帰国。

15歳のころからカントリー音楽の演奏で舞台に立ち、米軍キャンプ廻りなどもされました。1950年のロカビリー・ブーム以降さまざまな分野で活躍されてきました。

スタジオに現れた彼は黒のセーターにおしゃれなジーンズ姿。胸には多分ご自身が制作なさったペンダント。73歳・・・なんて信じられません!スタジオには奥さまの陽子さんとご一緒でした。
彼女の姿がちょっと見えないと「うちの奥さんどこに行ったの!」と。愛妻家なのですね。

本の表紙には『明日のことは考えてもしかたない 今夜死ねば、明日はない 人生 ダメでもともと』と書かれています。

幼い頃の「アイノコ」ミッキー時代。たくさんのご苦労があったことでしょう。戦争が日常にあった時代。それでもお母様の百合子さん(リリーさん)は当時はめずらしいバイリンガルで、平和主義者で、なぜあの明るさを通してこれたのかは謎・・・とミッキーさんはおっしゃいます。

詳しくはぜひラジオをお聴きください。
(放送2月26日日曜10時半~11時)明後日です。

私も同時代を共有させていただいた世代です。
皆さまはいかがですか?
あの有楽町の「日劇ウエスタン・カーニバル」にはいらしたかしら?
ロカビリーブーム、鮮烈な印象として私の青春時代の思い出です。
もちろん女優時代ですが。
そして、「東宝」と会社もご一緒でしたが、なぜか共演は一本もしていません。

1950年代後半から60年代前半の日本は高度経済成長期。
なにもかもがめまぐるしい程変化した時代でした。

そして「ベトナム戦争」
「音楽の力」についても語っていただきました。
反戦ロックや反戦フォーク、デモ・・・。
「自分達の音楽で変えられると思った」・・・と。

結局紛争のない世の中にはなっていないのですね、いまだに。
それからの彼の人生が素晴らしいのです。
私には少しだけ分かる気がします。
「自分のことを誰も知らない世界へ行きたい」
そこから人生の旅が始まります。

『いつまでも不良として生きたい』とおっしゃいます。

窮屈な現代社会の中で、若者たちに圧倒的な人気を得ています。
「最近は子供からも"カッコいいジ~ジ"なんて言われていますよ(笑)」ですって。

ラジオと本であなたも私と同世代でしたら、ご自分の青春時代を思い出してみてください。胸がキュンとし、自分が愛おしいと思うはずです。

素敵な出逢いでした。

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投稿者: Mie Hama 日時: 13:07 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 小倉美惠子さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

素敵なお客さまをお迎えいたしました。

『オオカミの護符』(新潮社)の著者・小倉美惠子さんです。
今話題の本で12月15日に発売し、現在3刷だそうです。

小倉さんは1963年、神奈川県・川崎のお生まれ。
シンクタンク勤務などを経て、2000年から、自らの生まれ育った町「土橋(つちはし)」の調査を開始。

2008年、「土橋」の映像記録を映画化した「オオカミの護符~里びとと山びとのあわいに」をプロデュース。文化庁の文化記録映画優秀賞などを受賞しました。

発売中の本は映画と同じく、地元・土橋に伝えられた信仰や生活について記された一冊です。

小倉さんは古くからの農家のご出身。
かつては50戸ほどの寒村だったそうです。
その人々によって守られてきたのが「オオカミ信仰」。

まず驚いたことは現在の田園都市線、「鷺沼」と「たまプラーザ」の中間あたりにある「土橋」にいまだに「オオカミ信仰」が脈々と受け継がれていることです。

関東地方に多く見られるというオオカミ信仰。地元の人は「オイヌ様」ともいうそうですが、小倉さん自身も御嶽講の代表者と一緒に、御嶽山詣りをし、「オイヌさま」を追って旅を続けます。

小倉さんはおっしゃいます。

「今でこそ人は山を離れ都市へと向かうが、かつては山は人々を惹きつけて止まない場所であった」と。

「お百姓」は単なる「農民」ではありません。「素朴な農民の手によって何の底意もなくいわば天真自然に作られたときのみ、真に独創的な従ってまた適な質をもち得る」と語ったのは「日本の美を発見」したドイツの建築家ブルーノ・タウトでした。

小倉さんは、お百姓をしていた、おじいさま、あばあさまに大きな影響を受けられたそうです。そんな子供時代のお話も伺いました。

なぜ、この本がこれほど注目を浴びているのでしょか。小倉さんは、高度経済成長期の時代に「何か大切なものを置き忘れてきたかもしれない」とおっしゃいます。

今では行政や専門業者に任せてしまう私たちの暮らし。もう一度足元を見つめなおしたい・・・と思う人々がこの本を手にしているのでしょうか。

じっくりラジオをお聴きください。(放送・2月19日(日曜・10時半~11時)

小倉さんのお話を伺いながら民族学者の宮本常一の言葉を思い出しました。

「人が歩いた後を歩いてもやることは必ずある」

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:03 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 笹公人さん

『浜 美枝のいつかあなたと』 文化放送(日曜10:30~11:00)

1月1日・元旦に放送した番組のお客様は短歌作者・笹公人さんです。

笹公人さんは1975年、東京のお生まれ。
高校生の頃から短歌の創作を始められ、2003年に初めての歌集『念力家族』を発表。斬新な内容で注目を集めました。これまで書かれた本には歌集『叙情の奇妙な冒険』、イラストレーターの和田誠さんとの「連句」作品集『連句遊戯』などがあります。

まったく短歌には疎い私ですが、笹さんからお話を伺っていると日本人のDNAには『短歌』の感覚が誰にでもある・・・と思わせてくれます。

日本人のお正月と短歌は昔から深い関係がありますよね。
上の句を聞いて、下の句をとる「百人一首」。
子供の頃を思い出します。
「百人一首」はなぜお正月に遊ぶかも伺いました。

百人一首は鎌倉時代の藤原定家が私撰したもの。
木版技術が発達した江戸時代に庶民に広がり「遊び」として定着し、お正月の遊びとして親しまれたそうです。

宮中の「歌会始」も鎌倉時代中期にはすでに記録があるとか。
日本人は恋愛、戦(いくさ)、亡き人への回顧、そのほかさまざまな「思い」を短歌に託してきました。

笹さんに百人一首の中でお好きな短歌をご紹介していただきました。

『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』(蝉丸)

『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける』(紀貫之)

またご自身の歌もご披露してくださいました。

『鳥占の鳥を逃した老師いてきらめく正月の中華街』

『春雨に濡れながらゆく青年もとりもどせない景色のひとつ』(原発事故)

お正月はこのように歌が詠めたら素晴らしいですね。
そこで、今回ご一緒してくださっている寺島尚正アナウンサーが詠んでくださました!

『末吉の末の横棒書き換えて 未来の吉と思い込む僕』

なかなか素敵ですよね。

私?・・・う~ん。
来年にはご紹介できるよう勉強いたします。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:15 |

つなみ

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(放送は日曜10時半~11時)

お客さまに、ジャーナリストの森健さんをお迎えいたしました。
現在、「文藝春秋・臨時増刊号」として発売されている一冊の本。

タイトルは「つなみ」

森健さんは1968年、東京のお生まれ。

早稲田大学法学部に在学中からライターの活動をはじめられ、卒業後は「文藝春秋」、「週刊文春」などの媒体で多くのルポルタージュ記事を随筆されてきました。

今年おきた東日本大震災に関しては早くから取材をはじめられ、現在は森さんが企画・取材・構成された子供たちの作文集「つなみ」が発売中です。

これは、森さんが宮城県の石巻市、気仙沼市、岩手県の釜石市、陸前高田市などを訪れ、地震と津波の被害にあった子供たちに作文、あるいは絵を書いてもらい、一冊にまとめたものです。

私はこの本を電車の中で読み始めました。
涙が止まりませんでした。
そして、「子供に辛い思い、いやな記憶を思い出させたのではないか・・・」
との心配もいたしました。
でも違っていました。

子供たち一人ひとりが、真正面から震災や津波に向き合っているのです。ある意味、子供たちのほうが大人たちよりも「心が強い」(立ち直ろうとしている)部分が感じとれました。

番組ではその作文を寺島アナウンサーが紹介してくださいます。

三陸海岸は、明治29年や昭和8年にも大津波に襲われています。ご本を拝見すると、年長者の知恵(津波の予知)で助かった子供たちも多かったことがわかります。

本書は、活字もありますが、原稿用紙をそのまま撮影しているページもあります。その鉛筆の質感から子供たちの息づかいが伝わってきます。

森さんはおっしゃいます
「多くの子供たちが感謝しているのですよ、お世話になった多くの方々に」

家族を失っても元気に遊んでいる子もいます。
元気を装っている部分もあるでしょう。
でも、子供たちには「未来」があるのが救いです。
そして楽しいことを発見するのが子供たち。

この子供たちに私たち大人は何ができるでしょうか。

「つなみ」手にとってください。
そして放送をお聴きください。(10月2日放送)

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:33 |

男も更年期で老化する

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

お客様に、精神科医の和田秀樹さんにお越しいただきました。

和田秀樹さんは1960年、大阪のお生まれ。
東京大学医学部を卒業後、東京大学付属病院の勤務などを経て現在「和田秀樹こころと体のクリニック」の院長をされています。

高齢者のメンタルをケアする「老年精神医学」の専門家として長年研究をされ、現在「更年期」に関する著書『男も更年期で老化する (小学館101新書)』が小学館から発売中です。

正直言って女性の私には「男の更年期」はまったくわかりません。しかし、御著書を拝読すると、「これはむしろ女性もきちんと認識しておくべき」だと思いました。パートナーや仕事場での上司、そして男性自身も。「更年期」という言葉は医学用語として、現在、かなり浸透していますが、それは女性に使われる場合がほとんどです。

和田先生は番組の中で

☆男性も「更年期」に要注意!「更年期の過ごし方」がその後の暮らし方を左右されると仰います。

男性ホルモンの減少
セロトニンなどの体内物質の減少
前頭葉の萎縮(考え、感情の老化)

様々な現象がでてくるそうです。もちろん個人差は大きいです。

番組では、
心がけたい食事
硬直化しがちな感情のコントロール
性のありかた
      
など率直かつ専門的に語っていただきました。
やはり、お互い男女とも精神的には、「自由」でいつまでも若々しくありたいですね。

詳しくは番組をお聴きいただき、本をお読みください。
本の中には《男性更年期》度チェック・シートも載っています。
(放送9月18日)

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:26 |

『日本の花火』

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

お客さまに花火写真家の小野里公成(おのざときみなり)さんをお迎えしました。

小野里さんは1957年、東京のお生まれ。
カメラマン、デザイナーとして早くから活躍をされてきましたが、花火の魅力に魅せられ、1992年に写真集「花火賛歌」発表。以来、毎年、数十回にわたって花火大会の撮影を続けられています。

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とにかく「美しい」のです。

小野里さんはおっしゃいます。
「花火と対話しながらシャッターをきっています」と。

事前に打ち上げられる花火を下調べし、プログラムなどで順序を調査。夜の撮影に午前中からスタンバイし、万全を期してもその通りにはいかない場合もあるとか。

鉄道ファンが全国を旅するように「花火おたく」の世界もあり、花火を追っかけ旅する人もかなりいるそうです。

おススメの花火大会も伺いました。

競技会系は大曲、土浦。
新潟の長岡(川)、柏崎(海)、片貝(山)。
などそれぞれのロケーションで花火もまったく違って見えるそうです。
片貝の場合は神社への奉納が目的。
土地の雰囲気で音をふくめ微妙な違いが楽しめます。

今年は、三月の大震災の影響が「花火業界」にも及んでいますが江戸時代から続く「隅田川の花火大会」(川開き)は慰霊や厄払いの意味を込めて始まりました。今年は8月27日(土)午後7時5分から開かれます。

以前にテレビの生放送の中継で打ち上げを真下から見上げたことがあります。やはり、花火は風や匂い、そして音も楽しみたいですね。そして、「日本の職人の技・魂」をしっかり見たいものです。

小野里さんの主宰するウェブサイトに「日本の花火 (ちくま新書)」があります。
こちらには美しい花火の写真もUPされています。
ぜひご覧ください。

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楽しいお話、放送は8月14日です。
お楽しみに!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:19 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 山本一力さん

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

お客さまに小説家の山本一力さんをお迎えいたしました。

山本さんは1948年、高知県・高知市のお生まれ。
家庭の事情で中学3年の春に上京、新聞配達員をされながら中学・高校を卒業。旅行代理店、広告制作会社、商社勤務など10回以上の転職を経たのち、49歳で小説家デビューをされました。

2002年に「あかね空」で直木賞を受賞。

主に時代小説の分野で数多くの作品を執筆されています。
江戸時代に暮らした人々を、そこに暮らしている息吹が感じられ、
私は山本一力さんのファンです。

このたび、書き下ろし長編小説「ジョン・マン 波濤編」(講談社)が発表されました。

幕末の土佐に生まれ、14歳の時、小船で漁にでて遭難。アメリカの捕鯨船に救助されアメリカ本土に渡り10年後に日本に帰国。紆余曲折の人生。山本さんはその万次郎が上陸したアメリカ・東海岸の町をご自分の足で歩き、取材をなさいました。

「その場所に立ち、空気を吸い、風を感じ、捕鯨の町の匂いを感じました」と。
私は万次郎の家族、とくに母への思いを募らせるところなど、胸が熱くなりました。

今回は2本分の収録です。
1本目は「ジョン・マン」を中心にお話を伺い、2本目はご自身の足跡や、「いまの時代」に対するお考えをうかがいました。

スタジオでは身を乗り出すようにお話しくださいました。「年を重ねることはかっこいい」と仰っしゃいます。どんなに人生辛くても「次の日がくるのが楽しみだった」との言葉には、当然、不安な日々も多かったでしょう。

私もよく分かるのです。家庭の事情で進学を断念し、中学卒業後バスの車掌になり、その後女優の道へと進みます。

5歳の頃にはごはん炊きができて・・・
でも、かまどのオレンジ色の炎を見つめていたとき、唐突に泣けてきました。
おいおいと泣いたのです。
なぜかその底知れない哀しみを、よく覚えているのです。
そのとき自覚はなかったけれど深い深い寂しさのようなもの。
「明日が、楽しみ・・・」と自分に言い聞かせ。

番組の中では60代前半の山本さんは、次の世代に「生きる姿勢」を見せたいとおっしゃいます。日本は(大震災からの復興など)底力をださなくてはならない状況にあります。

『江戸の人々に学ぼう』ともおっしゃいます。

素敵なお話を伺いました。
ラジオで是非お聴きくださいね。
(放送・6月19日と26日)

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:52 | | コメント (2)

免疫力について

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

今回は医学博士・管理栄養士の本多京子さんをお招きいたしました。
「免疫力を高めるための生活習慣」についてお話を伺いました。

「食は社会を反映している・食の状況が病気に反映される」と本多さんはおっしゃいます。

近頃よく耳にするのが「人間の免疫力」。
私たちが健康に暮らすためには「免疫力を高める」ことが大事だと言われます。そして意外なのが免疫力は低すぎても、高すぎてもよくないそうです。

「免疫」と「アレルギー」は大きな関係があるとか。
現代社会は「アレルギーを抱える人」が多い時代です。

子供のころの食生活。
衛生的すぎる環境もおおいに関係していると話されます。

免疫力を高めるには、食生活、生活リズム、習慣も大事とか。
ストレスがたまると免疫力は低下する。
特に男性は医学的にみてストレスには弱いとのこと。

『どんな生活を心がけるのが大事か』など詳しくうかがいました。

ぜひラジオをお聴きください。
(放送・6月5日10時半~11時)

お楽しみに!

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:31 |

浜美枝のいつかあなたと ~山田太一さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)に
脚本家・小説家の山田太一さんをスタジオにお招きいたしました。

山田さんは昭和9年浅草のお生まれ。
昭和33年、松竹映画に入社され、木下恵介監督に師事されました。
テレビドラマの分野で多くの脚本を執筆され、「岸辺のアルバム」、
「早春スケッチブック」、「ふぞろいの林檎たち」などがあります。

山田さんはおっしゃいます。
「もう願いごともいくらも果たせない齢になり、あと一つだけ小説を書いておきたかった」と。

それは二十代の青年が語る七十代にならなければ書けない物語である。
老いを見つめる小説「空也上人がいた」です。(朝日新聞出版)

20代の青年と80代の老人、そして40代の女性が織りなす、切実でちょっと風変わりな現代の物語です。

スタジオでは小説を通して「過去の罪」を抱えた人物像についてや、ご自身が70代になられて見えてきたことなど、山田さんの優しいまなざしが感じられ齢を重ねる素敵さを実感いたしました。

「人間、誰しも何かを抱えているはず、不安になった時に永続的に故郷や国家とつながりたいと思うのですよ。」

大震災後の日本人の言動、「自粛」の範囲や「デマ」など、今私たちが考えなければならないことなどをお話いただきました。
そして、戦争、戦後から学ぶ「これからの日本」についても。

どうぞラジオをお聴きください。
(放送は5月8日と15日です)

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:31 |

浜美枝のいつかあなたと ~増田明美さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

お客さまにスポーツ・ジャーナリストの増田明美さんをお迎えいたしました。

増田明美さんは1964年、千葉県のお生まれ。
高校に在学中、長距離種目で日本新記録を樹立。 注目を集めます。
92年にマラソン選手の現役引退されるまで、数々の最高記録を更新されています。

現在はスポーツ・ジャーナリストとしてマラソン解説や多方面でご活躍です。
現役を引退して20年近くがたつ現在も、ご主人と一緒に毎日10キロはランニングされているそうです。

今頃は目黒川沿いの桜がさぞ美しいことでしょう。
日々走ることは肉体的の維持だけではなく、精神的な充実も味わえるとおっしゃいます。

私がお会いしたい・・・とかねがね思っておりましたことに、増田さんの解説なさる"日本語の美しさ"です。その秘密はラジオでお聴きくださいね。

そして、増田さんの人間的な優しさはどこから生まれるのかしら・・・ということです。増田さんはラオス(インドシナ半島)の子供たちを支援されています。(NGOプラン・ジャパン)では学校建設、予防接種、など特に増田さんは「幼稚園」の建設に力を注がれています。

ラオスでは公用語の他に民族言語があり、慣れない子は小学校進学をあきらめてしまうそうです、特に女の子は。

明美さんには「マラソン」「走る」という技術があります。
最初は中々打ち解けてくれなかった子供たちが「あの坂の上まで走ろうか」というと花びらのような笑顔で走り始め、足元をみると、裸足の子供が多く、小さな子どもが泣いてしまうと少し大きな子がなだめて・・・又走る。
赤土の道を一緒に走っていると「私が幸せをもらえる」とおっしゃいます。

スポーツって言葉以上の心を通わせる力を持っているのですね。

収録の日もご主人とご一緒にスタジオに入られ、スポーツマンの彼はマネジャーとして彼女をサポートしています。

とても・とても、お幸せそうでした。

豊かなこと=幸せ"ではないし   
貧しいこと=不幸ではない

とおっしゃいます。

素敵な時間でした。
明美さん、ありがとうございました。

「放送は4月17日と24日、2回です」  お楽しみに!

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:39 |

浜美枝のいつかあなたと ~香山リカさん

文化放送 浜美枝のいつかあなたと (日曜10時半~11時)

今回のお客様は、精神科医の香山リカさんです。

香山リカさんは1960年、北海道のお生まれ。
東京医科大学を卒業後、精神科医としてお仕事をされているほかに、
臨床経験を生かした社会批評などの執筆活動も多くされています。

今回は、スリランカ出身の僧侶、アルボムッレ・スマナサーラさんとの共著「生きる勉強 (サンガ新書)」について伺いました。

西洋医学の専門家である香山さんと、仏教の長老の対談は大変興味深く拝読いたしました。 本の帯に
「軽く生きること。そのために必要なことは、人間としての勉強」とあります。
「軽く生きる」とはどんなことですか?と伺いました。

「重荷を背負わないで自分らしく生きることが大事ですね」

香山さんは、日本では「患者さんと一緒に泣くカウンセラー」や「精神科医」がいいとされていますが、それはプロからみれば「違う」とも仰っています。

「生きる勉強」の中で「豊かさとは何か」についても発言なさっています。
ラジオをぜひお聴きください。(放送は3月6日)

2本目は香山さんご自身の精神科医として、また個人として素敵なお話を伺いました。

「しがみつかない生き方」

多くの患者さん(それも多くの女性)をご覧なってきて思うこと・・・。
50代~60代になって「自分はどうあるべきか・残りの人生をどう歩むべきか」を考える人が多いそうです。(放送は3月13日)

"人間の心"に子供のころから興味をもっていらしたそうです。
こちらの放送もぜひご期待ください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:15 |

浜美枝のいつかあなたと ~柳家三三さん

文化放送 浜美枝のいつかあなたと (日曜10時半~11時)

先日、来年お正月明け(9日)放送分の収録をいたしました。

お客さまは、落語家の柳家三三さんです。

柳家三三さんは1974年、神奈川県・小田原のお生まれ。
1993年、柳家小三治師匠に入門。
1996年に二つ目昇進し、柳家三三(さんざ)と改名。
2006年、真打昇進されています。

若手落語家の実力者として早くから注目をあつめ、これまでに文化庁芸術祭「大衆芸能部門 新人賞」、国立演芸場「花形演芸大賞」などを受賞され、寄席や高座や、全国の独演会、落語会で大活躍なさっています。

何度かブログにも書きましたが、私は三三さんの師匠の柳家小三治師匠の
"おっかけ"に夢中です。師匠の高座を拝見したとたんに、ときめきが始まったのです。「もう恋なのかもしれない・・・というときめき。そんな小三治師匠の高座で三三さんの落語を聴く機会に恵まれました。

今、年間600以上の仕事をこなす"売れっ子"

この番組には、過去二回、小三治師匠においでいただいたことがあります。以前、「小さん師匠からは落語の稽古を受けていない」と仰っていましたが三三さんもそうだそうです。三三さんの落語は「クラシカルだけどモダンな落語」と言われていますが、まさにそうです。小三治師匠とはまた違った芸風。そして、見えないところで努力の人。古典落語の舞台になった土地に出向き、その空気、風景など体で感じ取ってくることなど興味深いお話を伺いました。詳しくはラジオをお聴きください。

文化放送・1月9日(日曜10時半~11時)

それから・・・8年ほど前になるでしょうか。ここ箱根「やまぼうし」でなんと小三治師匠に落語を聴かせていただいたことがあります。今思えば何と贅沢なことだったでしょうか。知らない強み、あつかましさ。30名限定でした。

そのことを三三さんもご存知で「箱根・三三落語会」をやってくださいませんか?との申し出に「いいですよ」!・・・とのお返事。これから年に春・秋と2回はさせて頂きたいと思っております。お楽しみに。

大の甘党の三三さん、当日はどんな春のお菓子をご用意いたしましょう。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:05 |

浜美枝のいつかあなたと ~近藤文夫さん

文化放送 浜美枝のいつかあなたと (日曜10時半~11時)

今回は銀座「てんぷら近藤」のご主人・近藤文夫さんをスタジオにお招きいたしました。

近藤文夫さんは1947年、東京都足立区のお生まれ。
高校卒業後、「山の上ホテル」に就職。天ぷらや和食の料理人として修行を積まれ1991年に独立し、銀座に「てんぷら近藤」を開店。お店は多くのファンをもつ名店として知られています。

山の上ホテルの時代から、作家の池波正太郎さんとの交流があり、現在、池波さんとの思い出を綴られたご本『池波正太郎に届ける「おせち」』(筑摩書房)が発売中です。

近藤さんが台所に立ったのは6歳の頃。
お父さまを早く亡くされ、4歳年上のお兄さまとで家事を受けもっていらしたそうです。(私もその頃からカマドでご飯を炊き、いわしの煮付けなど家事を任されていました)

日本にはこんなに美味しい野菜がたくさんあるのに、どうしてそれを使わないのだろう。自国の野菜を天ぷらに!それが「海老と野菜の天ぷら」として生まれ、天ぷらを進化させたのです。

池波正太郎の随筆にはたびたび近藤さんのことが書かれていました。
「先生と僕が親しくなれたのは、僕の"失敗"がきっかけです」と語られる近藤さん。心底、先生を尊敬されていらっしゃることがスタジオでも伝わってきます。ある時「未熟ということが大切なんだ。僕だって未熟だよ。天狗になったらおしまいだよ」と池波正太郎さんはカウンターごしに語られたそうです。

そして、池波正太郎さんは、最期に急性白血病で入院されたとき、近藤さんの「天丼」を食べたいとおっしゃられ病院の入り口まで届けていただいたそうです。独自の薄衣でからりと揚げられたホクホクの空豆と海老の天丼。それが最後の近藤さんと池波さんをつなぐ届け物。

早朝から魚河岸に行き、ある時は生産者を訪ねて北海道まで。
「池波先生がいつ訪ねてきてくださっても召し上がっていただけるよう、皆さまに心こめて揚げています」・・・と。

師走の第二週目。十二月十日からおせち作りが始まるそうです。
本の写真はカラーでそれは美味しそう。
素晴らしいお話を近藤さんからたくさん伺いました。
ラジオを聴いてくださいね。(放送日1月16日)

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:43 | | コメント (1)

浜美枝のいつかあなたと ~天沼寿子さん

文化放送いつかあなたと(文化放送日曜10時半~11時)

今回はお客さまにインテリアやアンティーク雑貨の専門家・天沼寿子さんをスタジオにお迎えいたしました。

天沼さんは東京のお生まれ。
大学を卒業後、貿易会社勤務などを経て、アメリカに移住。
8年間のニューヨーク滞在の経験を生かし、帰国されてからはカントリーショップ「デポー39」を設立され、現在はインテリアのアドバイザーとして活動され、
これまで書かれたご本には
カントリーアンティークの家づくり
デポー39ものがたり
などがあります。

現在は最新刊の「人生をリセットする、部屋の片づけと模様替え」(主婦の友社)が発売中です。

今年もあと2ヶ月。そろそろお家の片付けや大掃除を計画なさっていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。私は12月の半ばの週で、1週間かけて計画的にしようと思っております。

そこでスタジオでは天沼さんにお家の片付けや、本のタイトルにもあるように「人生をリセットする、部屋の片付けと模様替え」についてお話を伺いました。

このご本は中高年をターゲットに書かれたそうです。
私もそうですが実際、人生の後半(中高年以降)になってくると「子供の独立」や「夫の定年退職」、「家族との別れ」など生活自体に変化が起きます。そんなとき、どう生活をリセットするかなど具体的にお話を伺いました。

なかなか私達の年齢は物を「捨てられない」世代。
そこで「自分自身のライフスタイルの見直し、リセット」・・・大変参考になりましたのでぜひラジオをお聴きください。

私は子どもたちが巣立った60歳のとき、家族との思い出がたくさんつまった家から人生の荷物を整理して「小さな暮らし」を始めることにしました。残りの人生を大切に、軽やかに生きられたら・・・そんな思いでした。これからは自分の時間を大切に生きたいとも思っております。

天沼さんとはかれこれ30年来のお付き合い。
「デポー39」には随分と通わせていただきました。
イギリス・アメリカのアンティークはすべて天沼さんの審美眼で選びぬかれた物ばかり。

"家を癒しの空間"にするちょっとした工夫。
年末にかけての計画をなさってみてください!
放送は12月12日です。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:02 | | コメント (2)

浜美枝のいつかあなたと ~夏木陽介さん

浜美枝のいつかあなたと(文化放送日曜10時半~11時)

今回はお客さまに俳優の夏木陽介さんにお越しいただきました。

夏木さんは1936年、東京のお生まれ。東宝からデビューをされました。
「密告者誰か」「用心棒」など数多くの作品に出演。
70年代にはテレビドラマの「Gメン75」にながらく出演されました。

現在、講談社から夏木さんの足跡を作家の轟夕起夫さんがまとめられた自叙伝「好き勝手 夏木陽介 スタアの時代」が発売中です。

スタジオにお入りになった瞬間「懐かしいね!浜さん」・・・とお声をかけてくださいました。そう、私は夏木さんより2年後輩にあたり青春時代を東宝撮影所でご一緒させていただきました。1961年に公開された「ゲンと不動明王」という作品で恋人役を演じました。監督は稲垣浩さんでした。

当時のエピソードを語ってくださいましたし、1950年代から60年にかけての映画界のお話も私の知らないことばかり。撮影所の真ん中に噴水があり、お昼休みになると俳優さん、女優達がおしゃべりなどしている横を原節子さんが横切っていらっしゃるのです。「オーラがありましたね」・・・と。

三船敏郎さん、先日、お亡くなりになった小林桂樹さん、加藤大介さん、加山雄三さんや司葉子さんなど、日本映画の黄金時代でした。私はもっぱら植木等さんなど「クレイジーキャッツ」の皆さまとの共演が数多くありました。

黒澤明監督の「用心棒」の撮影中のエピソードや数々の巨匠たちとの仕事。そして三船敏郎さんや巨匠たちとの永遠の別れ。貴重なお話を2回にわたり放送いたします。(11月14日、21日)

どうぞお楽しみに!

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:50 | | コメント (3)

浜美枝のいつかあなたと ~龍村仁さん

「浜美枝のいつかあなたと」(文化放送日曜10時半~11時)

今回はお客さまに映画監督の龍村仁さんにお越しいただきました。

龍村仁さんは1940年、兵庫県・宝塚市のお生まれ。京都大学を卒業後、NHKに入局し主にドキュメント番組を制作されました。

1992年からはライフワークといえる壮大なドキュメント映画「地球交響曲」を発表。地球と人間のありかたをテーマにしたシリーズ作品で、現在、最新作の「第七番」が公開中です。

以前にもゲストにお招きいたしました。

偉大な作曲家は生涯にいくつもの交響曲を作ってきました。監督も、作曲家と同じようなお仕事をなさっておられます。しかも作品はみな自主上映で市民が支えているのです。

今回の「第七番」は「自然治癒力」がテーマに据えられた作品で日本の紀伊半島、グリィーンランド、カナダを舞台に「人間と自然の共生」が描かれています。

出演は日本文化に造詣の深い医学博士・アンドルー・ワイル氏
ツール・ド・フランス覇者・グレッグ・レモン氏
環境教育活動家・高野孝子さん

美しい映像は語りかけます。
大自然の目には見えない力に生かされていることを思い出す時人は素直になり、元気を取り戻すことができるのではないでしょうか・・・と。

木の一本一本までに神が宿るという昔ながらの日本人の考え方。「欧米の文明」や「欧米の科学」が世界のスタンダードになっていることへの警鐘も鳴らされています。

私自身、歩くことで五感を研ぎ澄まされ、心が豊かになります。箱根の自然に力をもらいながら歩くと、ただ体のためだけではなく、魂が浄化されるような爽快さを味わうことができます。歩きながら一本一本の木に語りかけている時もあります。

スタジオで監督は何度も何度も「私たちは生かされているのですね」・・・と語られます。

そう、自然とのつながりを取り戻す大切な時なのだと映画を観て感じました。

現在、全国各地で上映会が開かれています。
(くわしくは「地球交響曲」のHPをご覧ください)

まずはラジオでじっくり監督のお話をお聞きください。(放送9月12日・日曜日)

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投稿者: Mie Hama 日時: 07:32 | | コメント (1)

浜美枝のいつかあなたと ~橋本健二さん

「浜美枝のいつかあなたと」(文化放送日曜10時半~11時)

今回はお客さまに武蔵大学社会学部教授、「居酒屋ほろ酔い考現学」著者の橋本健二さんをお迎えいたしました。(放送日8月29日)

社会学者で「居酒屋を通じた社会研究」をされている橋本健二さん。橋本さんは1959年、石川県のお生まれ。東京大学・大学院博士課程を経て、研究者としてキャリアをスタート。

「居酒屋から見えてくる日本社会」について興味深いお話を伺いました。
そもそも「考現学」(モデルノロジー)・・・ってどんな分野の学問なのでしょう?

「ギャンブル考現学」、「芸能界考現学」などいろいろ使われるが、もともと徹底した観察と、きちんとした記録にささえられるもの。と橋本さんはおっしゃいます。

橋本さんご自身、居酒屋通いがお好きで週2,3回は通い、はしごもなさるとか。

私の場合、都内での居酒屋通いはあまりチャンスがありませんが、地方に行ったときなど、ひとりでぶらっと居酒屋に入ります。その町を知るうえでとても参考になるし、地元の空気や方言を聞きながら、軽く呑んで・・・これは至福の時です。でも、居酒屋ならどこでもいい・・・とはいきません。そこは、五感を働かせ、「う~ん、いいな!」と思える居酒屋を探します。時にはカウンターの横の方と話込んだり、ご主人とおしゃべりしたり・・・と、なかなかいいものです。

さて、詳しくはラジオを聴いていただきたいのですが、居酒屋から社会が見える。東京には、戦後の闇市がそのまま盛り場になったケースが多く、新宿西口の思い出横丁や吉祥寺のハーモニカ横丁などはその典型とか。

"ささやかな贅沢"としてふところを考えながら楽しめる居酒屋。地元の人、ネクタイをしめたサラリーマン、そしてこの頃は若い女性が一人でぶらっと短時間寄る「立ち飲み」スタイルのお店。そんな居酒屋にも「格差社会」がしのびより、客層も変化してきたとのことです。

社会学者の橋本さんのお話に考えさせられることが多々ありました。

職場と家庭の間のほんの少しの憩いの場、「居酒屋」。そんな「居酒屋文化は崩壊のふちにある」・・・・と。インターネットが普及した現代社会でも人と人が触れ合える「場」は大切ですね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:27 | | コメント (1)

浜美枝のいつかあなたと ~嵐山光三郎さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時30分~11時)

今回は2週に分けてゲストに作家の嵐山光三郎さんをスタジオにお招きいたしました。

嵐山光三郎さんは雑誌「太陽」の編集長をつとめられたのち、作家活動にはいられました。旅や食、文人に関する執筆が多く、これまで書かれたご本に「素人包丁記」、「悪党芭蕉」など多数。現在、文春文庫から発売中のご本「とっておきの銀座」から東京を代表する町、「銀座」の魅力をたっぷり聴かせていただきました。

スタジオには、帽子に下駄姿。帽子は多分「トラヤ帽子店」のでしょう。初夏にふさわしいアイボリィーのソフト帽。そして、やはりアイボリィーのジャケット。何でも今まで5つのソフト帽を買い全てがボルサリィーノとか・・・。おしゃれ!

下駄ひとつ買って涼しき銀座かな
                      嵐山光三郎

老舗「ぜん屋」の下駄。
まず下駄の板をきめて、それに合わせて好みの鼻緒をすげるとか。
「毎日はいていると1ヶ月ですりきれちゃいますよ」と。
下駄には嵐山さんは様々なエピソードをお持ちです。
それにしても粋ですね!

番組では銀座の食べ物屋さんや、甘み処、便箋から傘まで。奥が深い大人の街のお話が満載です。

そして、2本目は「新廃線紀行」から今まで歩かれた廃線跡のお話。帯には「廃線旅行は、ノスタルジアではなく、命がけの探検となる」書かれています。嵐山さんはこれまでにも松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅をされたり、温泉(秘湯)を訪ねる旅をされたり・・・旅好きの私はため息ばかり・・・。
もちろん旅先での食べ物のお話もたっぷり伺いました。

あとはラジオをお聴きください。放送日(7月4日、11日)

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:34 |

浜美枝のいつかあなたと ~枝元なほみさん

文化放送 「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)に
ゲストとして料理家の枝元なほみさんをお迎えいたしました。
(放送日6月13日)

枝元さんは大学を卒業後、劇団「転形劇場」で舞台に立たれるかたわら、
無国籍レストランで8年間シェフをされ、劇団を退団後は、料理家の道に歩まれました。

また無類の旅好きとしても知られ、これまで多くの国を旅なさっておられます。

「かくし味は旅を少々」を書かれました。
帯に(食べる)と(生きる)はくっついている。・・・と記されています。

ラジオでは旅を通じて再発見する「食事と人間」。フランス・インドでのエピソードなどを語ってくださいました。ユーモアたっぷりに。ぜひ聴いてくださいね。

「はっきり言いまして私、路地フェチです。」から始まるご本。
そうなの、そうなんです、なほみさん。
私も路地フェチなのです。
しかも読んでおりますと、かなり同じような路地を歩いていることにびっくり!
トルコのカッパドキア・・・のまるで地下都市のような迷路。
インド・ベナレス。ガンジス川沿いの入り組んだ路地。
道には座り込んでいる牛。
ベトナムやバルセロナ・・・ニューヨーク。
ネパール・カトマンドゥでの寒さに「寂しい!寒い!」と本気で泣いたり。
ほんとうに同じようにひとり旅をなさっていらしたのですね。

「頭と心がパンパンになると旅に出たくなるの」と仰っておられましたね。

私もそうです。
母親業と妻業とそして女優業。
身も心も空になり、魂が抜けたようになり「あ・あ・あ、旅にでたいな」と。

なほみさんの「かくし味は 旅を少々」では、そんな旅先で出会った味を「なほみ流」にご紹介されていて思わず作ってみたくなりました。

"記憶の奥"を探りながら。
 
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投稿者: Mie Hama 日時: 09:22 | | コメント (1)

浜美枝のいつかあなたと ~中山康樹さん

私は毎月2回、浜松町の文化放送のスタジオに向かいます。
浜美枝の「いつかあなたと」の収録です。(日曜10:30~11:00)

毎回ステキなゲストをお迎えしての話、そして後半の「浜美枝のよい食と共に」では、日本各地のみなさんに、食べ物や農業に関するお話を伺います。

その日はなるべく早く箱根の山を降り、午前中は展覧会、ときには映画、友人たちとのおしゃべり・・・。全国各地をお訪ねしたり、山にいる時間もあり、東京にいるこの日は至福のひとときです。ラジオのゲストのお話は、それはそれは贅沢な時間です。

今朝は特別早く山を降り、小田原城の藤の花が満開と聞き見てまいりました。
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そして、六本木ヒルズで開催されている「ボストン美術展 西洋絵画の巨匠たち」へ。16世紀から20世紀にヨーロッパ各地で活躍した巨匠たちの80点あまりが見られます。特に私は「日常生活」を描いたルノアールやミレーの作品が好きです。人々の何気ない日々の暮らし、貧しくとも"生きる力"を感じさせてくれる画家の優しいまなざしに惹かれました。

それにしても人・人・人。
真剣に見入る中高年の方々が多くいらっしゃいました。

それからラジオ収録のため、スタジオへ。
今日のゲストは音楽評論家の中山康樹さん(放送6月6日)

中山さんはジャズの専門誌「スイング・ジャーナル」の編集長を経て、音楽の評論活動をされています。これまで書かれたご本は「マイルスに聴け」、「ビーチ・ボーイズのすべて」、新刊は「マイルスvsコルトレーン」、「マイルスの夏 1969」が発売中です。

1991年に65歳で亡くなったマイルス・デイビス。マイルスと同時代を生きた名サックス奏者ジョン・コルトレーン。私たち世代にはゾクゾクするほど魅力的な音楽家です。2人の人生をたっぷり伺いました。放送をぜひお楽しみください。もちろん2人の共演もお聴きください。

そしてもうお一人のゲストは、料理家の枝元なほみさん。
私のだ~い好きな方。来週のブログに書きますね。そちらもお楽しみに。

このような幸せいっぱいの日。
帰りの新幹線の中で飲むビールの美味しいこと!
思わず"人生に乾杯!"です。
ささやかなこと・・・でいいのですね、幸せって。


投稿者: Mie Hama 日時: 08:23 | | コメント (3)

浜美枝のいつかあなたと ~前田美波里さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)の
ゲストに女優の前田美波里さんをお迎えいたしました。
(放送日 4月25日・5月2日) 

前田美波里さんは1948年、神奈川県・逗子のお生まれ。

15歳の時にミュージカル「ノーストリングス」で舞台デビュー。
66年、18歳のとき「資生堂」のポスターに抜擢され一世を風靡。
一躍、日本中の話題をさらいました。このブログをご覧頂いている、
私達世代では強烈な印象が残っていることでしょう。
「積極的な強い女性」というイメージが一人歩きをしましたが、
ご自身は内向的な性格で戸惑いもあったとか・・・。

番組では幼い頃の生い立ち、若くして結婚・出産・離婚・・・なども伺いました。

スタジオに登場した美波里さんは、若々しく、背筋をシャンと伸ばし、内面的な美しさをお持ちの方・・・でした。現在、「ニュージーランド」の先住民族である「マオリ」の人びとの交流を通し「自然との調和」や「先祖への敬い」など、今、私達日本人が失ったものを学んでおられるとか。

今回は2本分を収録させていただきましたが、私は美波里さんの「美しく齢を重ねてこられたこと」「自分自身を保つために、自分と対話する」・・・といったお話、など等。同じ女性として伺いたいことが沢山ありました。

時には涙ぐんだ美波里さん。本当に美しいと思いました。

「今、とても幸せ・・・孫のひと言で活躍の場もひろがりました」と。

人は誰でも寂しがりや、孤独なもの。だから、人恋しく 愛しく 共に感動し、
人と楽しみ、ひとりの時間を大切にするのですね。
ますます大好きになった美波里さんのお話、ラジオでお聴きくださいね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 11:21 |

浜美枝のいつかあなたと ~木の実ナナさん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)のゲストに
女優の木の実ナナさんをお迎えしました。(放送日3月21、28日)

木の実ナナさんは1946年、東京・向島のお生まれ。16歳で芸能界デビュー。72年、劇団四季の「アプローズ」に出演し、本格的にミュージカルの女優の道を歩み始めます。「ショーガール」は大ヒット作品。ほかにも出雲の阿国をモデルにした「阿国」など、舞台やテレビなど幅広くご活躍されています。5月15日からは、ナナさん主演のミュージカル「いかれた主婦」がテアトル銀座で上演されます。

文化放送のスタジオに現れたナナさんは、舞台に備え普段でも"パンク"スタイルとか。「これからギターのレッスンなの!」と。

私はナナさんの大ファンなのです。
詳しいお話はぜひラジオでお聴きくださいね。

ナナさんは、今の年齢になってから「木の実ナナ」ではなく、本名(池田鞠子)に戻る時間を持つようになったと仰られます。頑張り屋さんのナナさん。頑張りすぎて「救急車に乗った回数ナンバー1の女優」と言われているとか。

同じ東京・下町生まれということもありますが、ナナさんに親しみを感じるのです。そして、なんと"チャーミングな女性"・・・なのでしょうか。ナナさんは素敵に齢を重ねてこられました。力強さ、優しさ、妥協を許さない信念、それでいて愛らしい。

でも・・・ナナさんは、これまでの人生たくさんの問題をくぐり抜けてきたのではないかと想像します。舞台の後など、魂の抜けた人のようになり、茫然自失していまうこともあるでしょう。

私自身、同じ世界に身をおいた人間として想像するしかないのですが・・・
そんな時、どのように心の泡立ちを静めるのでしょう。

"太陽のような人"、"ひまわりの花のよう"・・・とも言われます。
でも、私はナナさんは「野に咲く"ひなげし"のよう」とその日感じました。

いつだったか、スイスをローカル線に乗って小さな駅に降り立った時、一面の麦畑が広がる風景の中で、"ひなげし"がポーン・ポーンと音をたてて咲いていたのです。野にあるひなげしは、一輪一輪が違う顔。一輪一輪が毅然と立っているのです。野にあるひなげしを切って生けると、どの花もしらんぷりして、光の方向を見て同じ顔。やはり、野にあって素敵な花なのです。

ナナさんってそんな女性(ひと)だと思いました。
あとはラジオをお楽しみくださいね。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:35 |

浜美枝のいつかあなたと ~小椋桂さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)のゲストにシンガー・ソングライターの小椋桂さんをお迎えいたしました。
(放送日1月10日・17日)

小椋桂さんは1944年、東京・上野黒門町のお生まれ。四半世紀にわたって銀行勤務と音楽活動を両立され、71年にはファーストアルバム「青春・砂漠の少年」を発表。「シクラメンのかおり」、「夢芝居」、「愛燦燦」など数多くの歌を世に送りだされました。その数、2,000曲以上。1月20日、40周年記念アルバムの「邂逅(かいこう)」がリリースされました。私もさっそく入手いたしました。

私は小椋さんのメロディーはもちろんですが、美しいことばに惹かれます。

「邂逅」・・・思いがけなく出会うこと、めぐり逢うこと。

さよならだけが 人生さ
そんな言葉が 真実の
色を濃くして 腑に落ちる 
気持ちが少し 暗くなる

今もこうして 夢創り
祭り創りに  悔いの無い 
汗かく二人 浮かぶ笑み 
出逢い一つで変わる 軌跡道筋
何よりも 幸運な 巡り会い 
ああ それは君 

ラジオの中でも素敵なお話を伺うことができました。
自分の軌跡・・・

「自分の人生を考えると、重要なことは めぐり逢いです。
生きていくことだけではなく  生きてあることを大切にしたいです」

とおっしゃていました。

"生きてあること"・・・

そして、私は先週日曜日のNHKホールのコンサートに伺いました。3階席まで満員のお客さま。
同時代を生きてこられた世代、少し下の世代、会場が小椋さんの優しさに包まれ幸せな気分に浸れました。

私は曲の中でも「泣かせて」が特に好き。擦り切れるほどCDを聴いています。
ラジオのリスナーの方々からも

「聴きました、心に染み入る言葉、日本語の大切さを思いました」

などたくさんお手紙をいただき感謝いたしております。
これからも、皆さまの心に届く番組をお届けいたします。 

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小椋桂さん「邂逅」


投稿者: Mie Hama 日時: 21:41 |

浜美枝のいつかあなたと ~仲代達矢さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

今回はお客様に俳優の仲代達矢さんをスタジオにお招きいたしました。
日本映画の黄金期を彩った名優、黒澤明監督作品「七人の侍」、「用心棒」など数々の作品に出演されました。

仲代達矢さんは1932年、東京のお生まれ。1952年、俳優座養成所に入所され、舞台劇「幽霊」でデビューされました。

これまで「どん底」、「リチャード三世」、「ソルネス」など舞台で芸術選奨文部大臣賞などを受賞。映画やテレビでの分野でも様々な活躍をされています。1975年より、舞台俳優養成のための私塾「無名塾」を主宰。この秋には石川県・七尾の「能登演劇堂」でシェイクスピアの大作「マクベス」が上演されます。

今回はお芝居のお話はもちろん、現在、講談社+α新書から発売中のご著書「老化も進化 」を中心にお話を伺いました。この本には、70代半ばを迎えられた仲代さんの演劇哲学 、人生哲学、そして65歳の若さでお亡くなりになられた奥様、宮崎恭子さんの思い出が率直に語られています。

8月23日と30日の2回分の収録でしたから、寺島アナウンサーと私はこの名俳優の"ひとり舞台"を独占させていただいた気分、至福の時を頂きました。

「妻が逝って、早いもので13年になります。若い時にずいぶん苦労したつもりですが、 今までの長い人生の中でも一番の試練でした。生きるための苦しさと、愛する者を失う哀しさとはまったく別のもので、後者は遥かに大きいようです。」

奥様を失った喪失感は予想以上に大きく、なかなか立ち直ることができなかったようです。病床にあっても常に明るく「人生どのように生きるのが美しいか」「さあ、人生のグランドフィナーレの幕をあけるぞ」・・・と、彼女は最後まで誇り高く、勇気を持って生きようとしたのです・・・と。妻であり、同士、仲間であったご夫妻のお話には崇高さを感じました。

奥様は「男に惚れるようじゃあ、女優はできないわ」と結婚を機にスパッと女優業を辞められました。 後には脚本家・演出家としても仲代さんを支えられてきました。

仲代さんは「今の自分は赤秋(せきしゅう)の時を迎えている」と仰います。一人で老いてゆくことへの不安は確かにあっても、力を抜き、敢えて大きな挑戦に「真っ赤な秋を真っ赤に生きる」と低い良く通る声でこちらをしっかり見据え語ってくださいました。 

ラジオでは素晴らしいお話をたくさん伺いました。ぜひ、日曜10時半~11時まで文化放送「浜美枝のいつかあなたと」でお聞きください。(8月23日、30日放送)

かつて東宝撮影所で10代の私は、遠くの仲代達矢さんを仰ぎ見ておりましたが、目の前にいらっしゃる仲代達矢さんは俳優としての仲代さんではあるのですが、76歳とは到底思えない「人間・仲代達矢」が静かに語りかけておられるのでした。
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投稿者: Mie Hama 日時: 07:25 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 片岡鶴太郎さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

今回はお客さまに俳優・画家の片岡鶴太郎さんをスタジオにお招きいたしました。早くからテレビの世界で活躍され、やがて俳優としても数多くのテレビドラマ、映画に出演されてきた鶴太郎さん。

その一方、30代の後半からは絵の創作をはじめられ、95年には初の個展を開催。鶴太郎さんが創作された絵や書は多くの支持を集め、98年には草津に「片岡鶴太郎美術館」もオープンしました。

実は8月22日から30日まで箱根の我が家で、展覧会を催すことになりました。
「こころ色」と銘うって。
詳しくはホームページでご覧ください。


初めて鶴太郎さんと親しくお話をさせていただいたのは、新幹線の中でのことでした。全く偶然の出会いでしたが、我が家に飾っていた絵の話になり、それがご縁で後日、画集対談でお越しになられました。

鶴太郎さんの作品には、暖かな小さな命がふくふくと息づいています。
花、魚、果物・・・暮らしを美しく彩り、爽やかな風を空間に吹き込むような素晴らしい作品ばかりです。

「作品は人なり」と思わずにはいられません。

生きることにひたむきで、思いやりが深く、優しく、けれど決してやわではない。そんなお人柄が、どの作品からも感じられるのです。


ラジオの中で興味深いお話を伺いました。

全く絵にはふれたことのない鶴太郎さんが30代の終わりのある日・・・、2月の寒い朝5時頃のこと、ロケがあり家を出るときに、何か視線を感じたそうです。その視線の方を振り返ると、隣の庭に朱赤の椿が咲いていて(その頃は花の名前も知らなかったとのこと)

「うわぁ素敵だな、君はひとりで、誰も見てなくてもきちんと咲いているのか」

と思われたそうです。

当時、これからの人生、何を頼りに、何を求めて生きたらいいのか・・・、人生の中にポツンと置かれた孤独感、焦り・・・、そんな日々が続いていたそうです。その時「この花を描ける人になりたいなぁ」と、心底思われたのだそうです。

ものまねでも、役者でも、ボクシングでも、この椿を見たこの感動は表現できない。それで、絵で表現できるようになりたい。美術学校に行って基礎を勉強していたら、もしかしたら感動がないまま絵の世界に入っていたかもしれないと。

私にはとてもよく分かるのです。そのお気持ちが。
私も40歳で演じる女優は卒業しました。あの時の孤独感は私に生きる力を与えてくれました。

お互いに「日本人の美」の本質を感じることができる自分になりたいですね。

話はつきることがありませんでした。
7月5日が放送です。ぜひお聴きください。

今回の展覧会はデパートでの展覧会と違い狭い我が家が会場です。普通に暮らす空間に鶴太郎さんの絵を飾ってみたい・・・との思いでからです。ぜひホームページへとアクセスしてみてください。

片岡鶴太郎展「こころ色」 8月22日~30日 箱根・浜美枝邸にて
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投稿者: Mie Hama 日時: 17:07 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 野坂暘子さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)

今回はお客さまに、小説家・野坂昭如さんの奥様で、
このたび「リハビリ・ダンディ」というご本を書かれた野坂暘子さんをお迎えいたしました。

宝塚歌劇団に在籍中、小説家の野坂昭如さんと知り合い、21歳でご結婚されました。40数年に渡り「野坂昭如の妻」であり、また2人の娘さんの「母」でもあり、同時に画廊の経営者、シャンソン歌手としてもご活躍されています。

このたび脳梗塞に倒れられた夫・野坂昭如さんとの二人三脚の生活を描いた「リハビリ・ダンディー」を上梓。話題の一冊です。


帯には
6年前、72歳の夫が脳梗塞に倒れ、人生の第二幕が上がった。
         半身マヒ、骨折、肺炎・・・・・
    困難にめげず、共演者の野坂に声をかける。

「あなた、私についてきて!二人でカッコいいステージを演じよう」

副題に「野坂昭如と私 介護の二千日」とあります。

脳梗塞で倒れ、緊急入院。
幸いにも命を取り留めリハビリ専門病院に入院された野坂さん。
半年後には「病院を出て家に帰る」ことを決められたそうです。
このままでは、野坂さんの気持ちが萎えてしまう、もう一度書斎の椅子に座らせたい・・・と思われたそうです。

そこから家での介護がはじまります。
スタジオでお会いした暘子さんの素敵な笑顔。
介護がどれほど大変なことかは想像できます。

「何もかもが精一杯だった。それでもがむしゃらに立ち向かっていった日々が思い出される。混乱の渦の中で、私は一人ぼっちだった。よく泣いていた。よく神に祈っていた。私に力をください、私をくじけないように守ってほしいと。私は守られている。今、そう思う。そして私は彼を守っている」

「まかせておいて、私、あなたのお母さんにでも、女神さまにでもなってあげるから」
あら、この先、楽しそうじゃない。

とあとがきに書かれています。

本の表紙の写真は野坂さんが倒れて4年目。次女の亜末さんとステッキを使わずバージンロードを歩かれ、会場には大きな拍手が沸き起こり、幸せな野坂さん、暘子さんの姿が素敵に映っています。

以前、この番組が生放送の頃に野坂昭如さんにご出演いただいたことがあります。

「今朝、出掛けに浜さんとお会いするのよ、と申したら野阪が"リハビリ頑張るからまた呼んでください"とのことづけをあずかりました」と。

野坂昭如さん・・・"スタジオでお待ち致しております"

詳しくは4月26日(日)10時半から11時までの放送をお聴きください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 17:52 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 養老孟司さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日10時半~11時)

今回は2本分を収録いたしました。(4月12日、19日分)
お客様に、解剖学者の養老孟司さんをお迎えいたしました。

養老さんは1937年、鎌倉のお生まれ。
1981年、東京大学医学部教授に就任。
専門である解剖学や脳の働きについての先端的な研究・発言をされ、
注目をあつめます。95年に東京大学を退官されて以降は、社会現象や
人間のありかたに関するご本を多く書かれ、2003年に発表された
「バカの壁」はベストセラーになりました。
 
養老さんの最新刊「読まない力」を1本目は中心に。(PHP新書から発売中)

ちょっと変わったタイトルですので、どんな意味があるのか・・・。
(言葉を信じすぎないこと。言葉に振り回されないこと等。)

養老さんは7歳で終戦を迎えられました。
終戦前と後では、大人たちや学校の先生の言うことががらりと変わり、
その辺りが"言葉"に大きく影響しているとお見受けしました。
「読まない力」のご本の中で、養老さんはアメリカなどの経済大国と中国、
インドなど、近年、エネルギーの消費量が急成長している国との関係も分析されています。

そして、欧米諸国の「欺瞞」が「地球温暖化問題」の語られかたに現れているのではないかとも・・・。また、「文明という秩序は、それと同じ量の無秩序と対になっている」とも記されています。

"人間の脳にも、同じ法則"があるとか・・・。

後はぜひ、番組をお聴きください。
分かりやすい言葉で解説してくださいました。

2週目(19日放送)はプライベートでの養老さんのお話を伺いました。昆虫採集、日本の教育制度、「京都国際マンガミュージアム」の館長として、現代の子供達の置かれている環境、日本の農業・農村の問題、興味深かったのは「現代人も参勤交代」をするべき!とのご発言。

こちらも是非ラジオをお聴きください。

今回も素敵なお話をしていただきました。
養老先生ありがとうございました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:53 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 鷲田清一さん

文化放送 "浜美枝のいつかあなたと" 京都編 
放送3月22日 10時半~11時

今週も、先週に引き続いて、スタジオを飛び出しての外禄で京都に行ってまいりました。先週は、滋賀県・高島市・針江地区をお訪ねし「伝統的な生活に学ぶ、私達の暮らし」の旅。

今週は、京都です。
ここ京都も、伝統的な暮らしが息づいている街です。
寺島アナウンサーと風情ある祇園の石堀小路を歩き、高台寺・圓徳院に向かいました。高台寺、塔頭の圓徳院は豊臣秀吉の妻、寧々が生涯を終えたお寺です。その一室で、生まれも育ちも京都という、哲学者の鷲田清一さんにお話を伺いました。

鷲田さんはご専門の哲学書のほかに、京都の日常の魅力について書かれた「京都の平熱」というご本もあり、生活者から見た素顔の「京都」をお話頂きました。

私自身「大の京都好き」ですが、知らないことばかり。

鷲田さんは「京都市バス206系統」に乗ると京都の素顔がよく分かるとおっしやいます。バスで市街の外側をぐるっと一周すると、周囲に「聖・俗・学」が揃っていると。ぜひ、「京都の平熱」を手にとってみてください。

さて、番組では大変興味深いお話を伺いました。

いまの日本社会からは、「待つこと」「聴くこと」が失われた・・・と。

あまりにも社会が効率優先化、短絡化している。戦後、文明社会が大きく飛躍したが、それと同時に人間の欲望も大きくなり、ここらで「欲望のリセット」が必要なのではないかと提言なさいます。そして、現代の日本人に関して「命の世話さえ自分でせず、サービスを買う消費者になった」・・と。「文明の発達によって、人間一人ひとりはかえって弱くなったのではないか」と述べられております。

詳しくは番組をお聴きください。

鷲田さんはここ10年ほど「哲学カフェ」という場を設けてこられたそうです。10~80代の各世代から男女一人ずつ、15人くらいのまったく見知らぬ人同士で、年齢も職業も名前も出身地も言わず4~5時間議論をするのだそうです。

「他人がわかるということはどういうことか」、「私はだれか」、結論はあえて出さず、世代を超え議論が楽しいそうです。「異質な価値観を知る体験をなさってください」と。私も一度ぜひ参加させて頂きたいです。

帰り際、「僕、007よく観ましたよ!」とかつて映画青年の素顔も見せてくださった、哲学者、大阪大学総長の鷲田清一さんは1949年のお生まれ。

この番組は私にとって"宝もの"です。

今回も素敵な出逢いをいただきました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:47 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 滋賀での外録

文化放送"浜美枝のいつかあなたと"の外録で 滋賀・京都・大阪の旅をしてきました。いつものスタジオを飛び出しての収録です。

1週目は3月15日(日)10時30分~11時放送。
旅のテーマは「伝統的な生活に学ぶ、私たちの暮らし」。
古き良き伝統的な生活風景から、私たちの現代の暮らしぶりを改めて見直してみよう・・・というものです。

伺った先は滋賀県・新旭町・針江という地区。琵琶湖の西側になります。

街の中を縦横に水路が走る「水の街」。いたるところから湧き水が溢れ、それをためて生活に生かしています。これを「川端・かばた」と呼ぶのだそうです。

水の流れと人々の暮らしが密着しています。

水場では飲み水はもちろんのこと、炊事や洗濯にも利用します。
各家庭の元池(もといけ)から湧き出した生水(しょうず)は一番綺麗な水が溜まる壷池(つぼいけ)に入り、お料理・野菜洗い・洗顔などに使われ、そこから水は端池(はたいけ)へと流れこみます。

端池には鯉が飼われ料理の野菜くず、鍋釜の米粒などを食べ浄化してくれます。水は家の前の小川に入り、そして隣の端池に入りまた川に戻りやがて琵琶湖に流れて行くのです。

江戸時代から、この地域は大切に大切に水を守り、暮らしに生かしてきました。比良山系に降った雪、雨水が何年もかかり伏流水となりこの地域に潤いを与えています。

「水の神様に感謝ですね」・・・と語ってくれた、おばちゃん。

地域の子ども達はこの川で遊びます。

水が清らかなので、米・大豆なども美味しく、熱々の揚げたての油揚げの美味しかったこと!あとはラジオで、水のせせらぎの音を楽しみながらお聴きください。

現代社会は水道水になれ、水はペットボトルで・・・というのが日常ですが、「伝統的な生活」から学ぶことは多いのですね。

この地域の家庭へ無断で入ることはできません。
必ずボランティアガイドさんの案内のもとで見学してください。

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投稿者: Mie Hama 日時: 11:42 |

浜美枝のいつかあなたと ~ 康宇政さん

先日も素敵なお客様をスタジオにお招きいたしました。

ドキュメンタリー映画「小三治」の監督、康宇政(カン・ウジュン)さん。

康宇政さんは1966年、東京のお生まれ。
東京写真専門学校芸術科を卒業後、90年代にデレクター・デビューされ、
これまでに数多くのテレビ番組、ビデオ作品を監督、演出されてきました。

本年、はじめての長編ドキュメンタリー映画「小三治」を発表いたしました。当代随一の落語家、柳家小三治師匠をモチーフにした1時間44分の作品です。私は公開前に試写会で拝見いたしました。

おりに触れ「元々、私は自分の落語の記録を残すのが嫌な人なんです。噺家なんて、どんどん変わっていくものですしね。」と語られる小三治師匠。そんな師匠が、上野・鈴本で「歌ま・く・ら」 のリサイタルをする際、「歌を録音してくれるかい」と監督にお願いしたのが始まりとか。

小三治師匠"追っかけ"の私としては、早朝箱根の山を下り東京の試写室へ・・・。

もう、たまりません!フアンには。

鈴本演芸場をはじめとする寄席、全国各地での独演会や落語会、北海道から九州までの旅の道中や舞台裏までありのままの師匠が描かれています。

今まで、自分のことを多く語らなかった小三治師匠でしたが、カメラは師匠に寄り添うように、静かに静かに、そっと奥深く「人間・小三治」に迫っていきます。ふっとした仕草、表情、語られる言葉に、ひとりの名人と呼ばれる噺家・小三治の心のうちを見事に映し出しているのです。

お客様には見せない苦労・苦悩の姿も。

「康監督、ありがとうございました」と思わず心の中で感謝いたしました。

小三治語録を少しだけ。

「芸はひとなり。技術で出来ることはたかがしれている。」

「言葉よりも、ひとの"こころ"ありき。」

名跡について。
「名前が人をつくるんじゃない。よい仕事をしていれば、それがよい名前に見えてくる。」

「遊びは真剣に。」

等々・・・心に染み入る言葉のかずかず。
映画のクライマックスには小三治師匠の落語「鰍沢」の模様がおさめられています。

監督のお話は文化放送「浜美枝・いつかあなたと」
2月15日(日曜) 午前10時30分~11時まで お楽しみに。

映画「小三治」は21日(土)から、「ポレポレ東中野」や「神保町シアター」などで公開されます。また映画のインターネット公式サイトもありますのでご覧ください。 

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投稿者: Mie Hama 日時: 08:12 | | トラックバック (0)

浜美枝のいつかあなたと ~ 板倉徹さん

文化放送・『浜美枝のいつかあなたと』
毎週日曜日・10時30分~11時まで「やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします」で始まります。

先日素敵なお客さまをお迎えいたしました。

板倉徹さん。
和歌山県立医科大学脳神経外科教授で「脳の専門家」です。

これまでも数多くの発言をされ、現在は著書「ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術」(東洋経済新報社)が発売中です。番組の中では、人間が誰しも持っている「脳」。しかし、「脳」の機能はまだまだ未知数、計り知れないともいわれます。

「便利すぎる文明社会は脳を活性化させない」

特に脳の中の「前頭前野」はとても大切で人間の「やる気」にも関係がある場所とか。その「前頭前野」を鍛えるためには、「ラジオを聴く」「落語を聴く」など音経由で想像力を働かせる脳の使いかた・・・など、「ラジオの「ながら聴き」は脳によい」、「インターネットより新聞を読む方が脳にはよい」等など大変興味深いお話を伺いました。

日本は超高齢化社会にすでに入っています。

何歳になっても、はっきりした頭で生活したい・・は誰もが願うことです。

どんなことを心がけるべきか・・・ぜひ番組をお聴きください。

放送は2月1日(日曜)10時30分から11時までです。 

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:27 | | トラックバック (0)

浜美枝のいつかあなたと ~ 井本一郎さん

文化放送 "浜美枝のいつかあなたと" (日曜午前10時半~11時)で毎週素敵なお客さまをスタジオに招いてお話を伺います。

「やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします」で始まり、これまで様々なジャンルでご活躍の方々のお話をお伝えしてまいりました。

今回は11月9日放送の小学館「千年語録 次代に伝えたい珠玉の名言集
」の担当編集者、井本一郎さんです。

井本さんは1961年東京のお生まれ。91年に小学館に入社され、「平家物語」「太平記」などの古典文学担当から、「週間ポスト」の編集まで、さまざまな部署を歴任。2005年から雑誌「サライ」の編集を担当され、昨年、創刊以来の名物連載「サライ・インタビュー」から108人の名言をまとめた「千年語録」を編集・刊行されました。

各界の著名人の味わい深い「言葉」を選りすぐって一冊にまとめた「名言集」です。副題に「次代に伝えたい珠玉の名言集」とあります。

89年創刊以来430人以上。その内108人が登場いたします。
アトランダムにご紹介いたしますが、後は本をお読みください。

■ 数奇屋大工 中村外二(なかむら・そとじ)さん
「まず音が違うんです。ノミ、ありますな。上手な大工は、カンカーンという音を響かせる。下手は、パーン、パーン。ノコギリでもカンナでもみな同じや。下手は音に力がない。間延びしとるんです。」

■ 行司 第二十八代目 木村庄之助(きむら・しょうのすけ)さん
「ただ勝ち負けにこだわり、星勘定しているだけではスポーツです。相撲はスポーツじゃなくて相撲道。戦っているときは獣でいいのだけれど、その前後は常に神聖な力人(ちからびと)でなくては。」

■ 精神科医 斉藤茂太(さいとう・しげた)さん
「賢い子育ては三つの「ゆ」が大切。ユーモア、ゆとり、勇気です。」

■ バイオリンの世界的指導者 鈴木鎮一(すずき・しんいち)さん
「すぐに親たちはこう言うんです。「うちの子はものになりますか」と。実利が保証されないと、子供に投資するのはもったいないとでも思っているんでしょうかねぇ。」

■ 落語家 柳家小さん(やなぎや・こさん)さん
「夫婦喧嘩をした時は、俺は早く家に帰るようにしてたよ。カミサンのほうも心得たもんで、ちゃんと旨い飯の支度をして待ってる。それでおしまい。夫婦喧嘩なんてそんなもんだよね。」

■ 詩人 田村隆一(たむら・りゅういち)さん
「努力しても一流になれるとは限らない。けれども、謙虚に努力をすれば二流にはなれる。一流の意味がわかる人のことを、二流っていうんだよ。一流も二流もわからない人を三流っていうんだから、二流と三流の間はもう無限大の距離だ。」

■ コラムニスト 山本夏彦(やまもと・なつひこ)さん
「オジサンなんて呼ばれて、どうして気にするんです?年齢なんて人間の上っ面で、相手にしなければいいじゃないですか。中身に少年少女の魂があれば、年なんてとる道理はありません。若さに引け目を感じるなら、試しに口説いてみたらどうです。そうすればわかる。きっと口説けます。もし口説けなかったら、それは年のせいじゃなくて、身から出た錆です。自分自身が空っぽだからです。」

■ フランス文学者 河盛好蔵(かわもと・よしぞう)さん
「物事を考えるためには、いつも自分の中にテーマを持つことが大切です。学者でなくても、一生の研究テーマを持っているかいないかで、人生の豊かさが大きく違ってきますね。」


いかがでしょうか。
まさに「珠玉の名言」ですね。


投稿者: Mie Hama 日時: 12:08 | | トラックバック (0)

浜美枝のいつかあなたと ~ 姜尚中さん

毎週、日曜日の10時半から11時まで文化放送にて、素敵なゲストをお招きしております。

やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします。で始まります。

今回は、政治学者の姜尚中さんです。

姜尚中さんは1950年、韓国からの移住者であるご両親のもと、熊本県のお生まれ。早稲田大学の大学院で政治学を学ばれたのち、ドイツ留学などを経て、現在は東京大学大学院情報学環教授。

政治学、政治思想史の研究者としてお仕事をされるかたわら、マスメディアでさまざまな社会現象について発言されています。

現在発売中の最新刊が「悩む力」。現代社会に生きる人間達へ向けて、姜尚中さんがさまざまなメッセージを投げかけた一冊です。

「考え方」「生き方」のヒントが示されています。

日本の小説家、夏目漱石とドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの文章が引用され、姜さんご自身はこの二人からさまざまなものを学んだそうです。

1時間半ほどお話を伺いました。

熊本の子ども時代、「在日一世」の皆さんとの思い出。
お母様(オモニ)との思い出。

姜さんは、人間の知性には「ブリコラージュ」という形があると仰っています。

「伝統的な生活の知恵」

その知恵が現代社会では希薄になっているのかもしれません。

「自己チュー」と「自我」の違い。
「自分の城」を守ることは成長につながらない・・・・とも。
若い人たちが希望を持てる社会にするにはどうしたらいいか。

そして、姜さんご自身40代末ごろ、年を取ることが恐ろしい時期があったそうです。現在は「死」を引き受けて、「怖いものなし」と。

以前、姜尚中さんとは「姜尚中対談集-それぞれの韓国そして朝鮮 」で対談をいたしました。

韓国の道具、美、そして人々・・・・。
「白磁の陰影に感じるものがあった」と。

この番組も300回を超えました。

毎回、毎回、素晴らしいゲストのお話に、学ぶことが多々あります。

今回はご一緒に出演している寺島尚正さんが北京オリンピックの取材で日本を留守にされるため、早めに収録いたしました。

放送日は8月31日、9月7日の2回です。お楽しみに。

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投稿者: Mie Hama 日時: 15:38 | | トラックバック (0)

人生に、銀座に乾杯!

先日私が出演しております文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」に素敵なゲストをお迎えいたしました。(日曜10時30分から11時まで)

銀座「BAR5517」の80歳で現役のチーフバーテンダーの稲田春夫さんです。

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「シェイカーは五感で振る」と仰います。

ただの技術ではなく、絵画や演劇など芸術に触れて感性を磨く。それをシェイクに生かす。

世界各国を歩き、後輩を育て、半世紀以上、シェイカーを振り続けている稲田さんに「良いバーテンダーの条件は?」と伺うと 基本に忠実であること・整理整頓・掃除。これが全ての基本。と伺いました。

ご著書「銀座バーテンダーからの贈り物」を拝見していると「12ヶ月のカクテル」が載っていました。

銀座バーテンダーからの贈り物
銀座バーテンダーからの贈り物稲田 春夫


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3月は"さくらさくら"シャンパンをベースにさくらのリキュール。花びらがグラスに揺らいでいます・・・ああ・・・飲みたい。収録後さっそく「BAR5517」に。

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静かに、静かに・・グラスに注いでくださいます。

東京の下町で生まれ、川崎で育った私にとって、銀座は憧れの街でした。16歳で女優になっても、銀座にはちょっと気後れするような響きがありました。銀座は大人の街。私にとって特別な街なのです。

その私に銀座の門を開けてくださったのは、画家の岩田専太郎先生でした。絵のモデルを頼まれたことがきっかけで、岩田先生は私を娘のように可愛がってくださったのですが、私が二十歳になったとき、岩田先生が誘ってくださったのです。「銀座に行こう」と。

そして、連れて行ってくださったのが当時、文化人が集まることで知られた銀座のバー。「この子に合うものをつくってやって」と黒服のバーテンダーに。あのときのカクテルはなんだったのか、残念なことに覚えていません。記憶に刻まれているのは、雑誌などに登場する文化人たちが、葉巻をくゆらせ、くつろいだ表情でなごやかに談笑する大人の空間に自分がいる不思議さを思いながら、ほんのりアルコールが加えられた、ちょっぴり甘いカクテルを、時間をかけてゆっくりと味わっていたということだけ。

そしてカクテルを飲み終えた私に先生は「ぼくはもうしばらく飲んでいくけど、君はもう帰りなさい」と車を呼んでくれたのでした。お話の中で、シンデレラは夜の12時までの魔法ですが、二十歳の私には、それよりずっと短い、夜9時までの銀座の夢気分だったのでした。

カクテルの味わいと同時に、大人の洗練と気遣い、銀座の優しさと豊かさを、二十歳になったばかりの私に岩田先生は、教えようとしてくださったのでしょう。以来、銀座は憧れの街から、私の大好きな街にと変わりました。

私がひとりの時間を過ごすために、訪れるのが、銀座六丁目にある上田和男さんのバー「テンダー」。 仕事を続けながら、育ててきた四人の子どもたちが、ようやく私の手を離れつつある時期。55歳の誕生日の夕方、家族との待ち合わせの前に「テンダー」によりたくなりました。

子どもたちが、まさに巣立っていくうれしさと寂しさが、私の胸の中で交錯していたのでしょう。これから私はどう生きようか、そんな思いがときおり、ふっと、胸をかすめたりもしていました。

あのとき、上田さんが私のためにつくってくださったカクテル。それは今でも忘れることができません。なにもいわずに、上田さんは見事にシェイクしたカクテルを私の前にすーっとさしだしてくれたのでした。透明感のある淡いピンクの色、口に含むと、ほどよく辛口で、ほのかなスイカの香りとともに、甘く、優しい味わいが広がって・・・。

"大人のスイート"とでも表現したくなるような味がしました。思わず「これはなんというカクテルですか」と尋ねると、上田さんはふっと笑みをたたえて「これは今、マダム・浜と名づけました」とおっしゃってくださったのです。

ウオッカ、グランマニエ、ライムジュース、ウォターメロンリキュール、グレナデンシロップをシェイクした、カクテルに、あの日どれほど慰められ、勇気づけられたことでしょう。

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大丈夫、そのままで。

そんなふうに、背中をそっと支えてもらった気がしました。そして、そんな粋な、素敵さが似合う銀座の魅力、その懐の深さ、温かさを、改めて感じました。

そう、春はカクテルが似合います。
 

投稿者: Mie Hama 日時: 01:30 | | トラックバック (0)

三浦三崎に春をもとめて

先日、文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時30分から11時まで)の収録で三浦半島・三浦市に行ってまいりました。

三浦半島には、伝統的な食材ですとか、地域に調和した農業・漁業が今も息づいています。三浦・・・といえば「三浦大根」!私は自称"三浦大根を守る会"会長。会員は私ひとりですが・・・。

中太りで、昔ながらの白首。大きいのは長さ60cmほど、ずっしりとした重量感もあります。
味は当然ながら、最高。柔らかくて甘みがあり、煮物にすると、味がよくしみて美味しいのです。

我が家では家族みんな「三浦大根」が大好きで、毎年、季節になると生産者の方から直接送っていただいて、おでんのタネにしたり、フロフキ大根にしたりしています。

しかし、「三浦大根」は太らせるのに時間がかかり、しかも重い(太いと7キロくらい)というので、最近では東京などで見かけることがほとんどなくなりました。いまや、幻の大根・・・といっていいほど。

作り手も次第にへっているそうです。

大正14年に三浦産のダイコンが「三浦ダイコン」と正式に命名されて以来、三浦特産の冬大根として長年にわたって名声を維持してきました。

しかし、昭和54年の10月に大型20号台風が三浦地域を襲い、三浦大根が大きな被害を受け、これをきっかけに、「青首ダイコン」が三浦のダイコンの座に取ってかわるようになりました。

今回は生産者の木村陽子さんにお会いしに伺いました。

文化放送の寺島尚正アナウンサーが畑から抜いた大根は7キロもあり、びっくり。

木村さんとは20年来の親友。

日本全国を旅する中で、その土地ならではの野菜に出会うことが、しばしばあります。木村さんの畑には春の風が爽やかに抜け、帰りにキャベツ・ブロッコリーなど頂いてしまいました。

寺島さんは早速帰宅し、家族にキャベツの千切り・塩もみ、芯は餃子の中身・・と料理したそうです。えらい! 

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投稿者: Mie Hama 日時: 10:24 | | トラックバック (0)

浜美枝のいつかあなたと - 野村万作さん

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私の出演している 「文化放送・浜美枝のいつかあなたと」日曜10時30分~11時に先日、和泉流狂言師で人間国宝の野村万作さんをお客さまにお迎えいたしました。

野村万作さんは、1931年、六世の野村万蔵さんの次男として東京にお生まれになりました。

三才のとき「靭猿」の子役で初舞台。以来、これまでに、三番叟、釣狐、花子(はなご)など流儀にあるほとんどの作品を上演されてきました。

当代の人気狂言師、野村萬斎さんのお父様でもいらっしゃいます。大変興味深く、示唆にとんだお話でしたので当日伺ったお話を。

そして、1月17日には宝生能楽堂で「野村狂言座・歌争」を拝見いたしました。

春ののどかな風景を背景に、とぼけた味わいのある作品を見事に演じられ、野村万作さんの鍛錬され尽くした芸を堪能いたしました。

狂言の稽古は、親から子へ・・代々受け継がれてゆくもので、万作さんは子供の頃、お祖父さま(先代萬斎)から稽古を受けられたそうです。狂言の稽古は親子の間柄だと、どうしても厳しくなってしまい、お父様の稽古は厳しく、お祖父さまは優しい記憶があるそうです。今は孫の裕基君(小学生)の稽古もつけるそうです。

万作さんは今も年間200回ほどの舞台を勤められ、健康法はまさに舞台の本番とそれにそなえての稽古が健康の源かもしれません。

野村家では、1950年代から、さまざまな海外公演を行ってきました。フランス・イタリア・ソ連・ギリシャ・ドイツ・中国・・・1963年にはシアトルでアメリカ人に狂言を教えたとのこと。狂言には型があるが、「父の舞台は自在だった。そこに自由を感じた。共演して、酒盛りのシーンを演じる。父親は、飲むふりをしているのに、顔が赤くなって、酒のにおいがするようだった」古典なのだが、自在に演じていらしたそうです。

野村万作さんは、いまから10年ほど前・・・60代の半ばの頃、稽古場に飾ってあった表彰状や記念品をすべてしまったそうです。

それは過去の栄光にすがるのではなく、つねにゼロからはじめるという決意。

「父、六世万蔵も「肩書き」や「権威」を嫌い、つねに庶民の立場で狂言を演じた。決して偉くならない人だった」・・・と。

その姿を思い出し、自分もゼロから狂言に取り組みたいと・・・。

このお話に、万作さんの本質が見えました。

人間国宝、まさに国の宝でありながら、「偉く」ならずに、狂言の道を研鑽する・・・。

厳しく、そして優しい人柄を感じさせてくださる野村万作さんでした。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:00 | | トラックバック (0)

ラジオな日々 (文化放送4月15日放送分)

今回ご紹介させていただくのは、脚本家で作家の藤井青銅さんの最新刊「ラジオな日々」です。会社員時代に「星新一ショートショートコンテスト」に入選したことをきっかけにラジオの放送作家として大活躍することとなる藤井さんの自伝的な小説であり、大変素敵なゲストをお迎えすることができました。


-80’s RADIO DAYS-
サブタイトルにもあるように80年代はラジオ全盛の時代でした。放送作家出身の作家や文化人が綺羅星の如く顔を揃えており、ラジオは多くの人にとって憧れであり、青春そのものでした。そんなラジオの世界の真っ只中にいらしたのが藤井さんです。

「夜のドラマハウス」「オールナイトニッポン」あの時代を共有する世代にはドキドキするほど懐かしい響きです。当時のラジオは、手作りでした。喫茶店を転々としながら手書きで原稿を仕上げ、それをラジオ局に持ち込んで番組が作られていく様子が生き生きと描かれています。IT化が進んだ現在では考えられないような暖かい空気感がそこにはありました。IT化により双方向型のコミュニケーション手段が発達したと言われますが、電波の先には、たくさんのリスナーがいて、その声がハガキや電話で帰って来ます。ハガキや電話の声には豊かな表情がぎっしり詰まっているのです。

私もそれを日々感じながら、長年ラジオの仕事を続けさせていただいています。そして、それを支えてくださっている、放送作家をはじめ、スタッフの方々の奮闘を見ると、その精神はあの頃と変わらない。そう嬉しく感じるのです。これからも、それを忘れずにいようと思うのです。

ラジオな日々ラジオな日々
藤井 青銅

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投稿者: Mie Hama 日時: 12:54 | | コメント (0)

食べる落語

脚本家であり、伝統芸能のジャンルで多くの作品を発表されている稲田和浩さんをお迎えしました。
最新刊「食べる落語 いろはうまいもんづくし」をご紹介させていただきます。

落語に登場する食べ物に焦点をあて、それぞれを落語の面白さとともに解説していらっしゃいます。食べ物に興味のある方はもちろんのこと、落語にまだ馴染みのない方にも是非読んでいただいて落語への入門書としていただきたいと思います。また、江戸の文化風習を知る本としてもおすすめです。

落語に出てくる食べ物、有名なところでは、やはり蕎麦、鰻、秋刀魚、メザシといったこころですよね。それ以外にも、鍋焼きうどん、羊羹、焼き芋、そして、「はんぺん、はす、芋を甘辛く煮たものを丼に二杯」。。お腹がすいてきそうです。

江戸には、精米屋がいて、白米を食べていたこと。それ以外のおかずは味噌汁や漬物ぐらいで質素だったこと。住宅事情により、意外にも外食産業が発達していたことも知りました。ベトナムやタイ、インドネシアなどの国々を訪れると、今でも同じような路地の風景に出会います。

「早朝は、あさり・しじみ、豆腐、納豆。朝になると八百屋、昼間は飴屋、ゆであずき屋、それから屑屋なんかも来て、夕方にはまた旬の食材を売りにくる。夜中は、夜鷹そば、鍋焼きうどん、深夜には稲荷寿司。こうして長屋の一日が過ぎていったのである。」

現代より質素な食事でも、そこに豊かさを感じます。旬の食べ物と地産地消。今私たちが必死に取り戻そうとしていることが、当たり前のようにそこにあったことを思い知らされます。

食べる落語―いろはうまいもんづくし食べる落語―いろはうまいもんづくし
稲田 和浩

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投稿者: Mie Hama 日時: 13:29 | | トラックバック (0)

京須偕充さんをお迎えして

お父様は東京で二代目、お母様は四代目の江戸っ子。というわけで、京須さんは足して二で割っても、四代目の、つまり生粋の江戸っ子です。

本職はCDの録音制作のプロデューサー。特に落語には造詣が深く、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」をはじめ、古今亭志ん朝、柳家小三治などの録音も担当なさり、本職以外でもTBSの「落語研究会」の解説もつとめ、「古典落語CDの名盤」などの著書もしるされていらっしゃいます。
そんな京須さんがこのたびお書きになったのが「とっておきの東京ことば」。この本の中には、懐かしい東京ことばがぎっしり入っています。

「自分の家で炬燵に入ったまま、相撲の本場所を見られるなんて夢にも思わなかったよ。いい世の中になったもんだ」

「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道って言うけど全くだね。五分ぐらいで着くっていうからそのつもりで歩いたんだがね、どうしてどうして、たっぷり十五分もかかるんだ。一杯食っちまったよ」
  
「このごろは、どういうものか挨拶が変わってきたね。玄関開けて、『こんちは』だの『おはようござい』っていうのはまァ悪かァないんだが、『ごめんくださいまし』ってのを、ついぞ聞かなくなったねぇ」
「そう言えばそうだねえ。大威張りで入って来るってわけでもないんだろうが、ごめんくださいぐらい言えなくちゃ、ま、お里が知れるってもんさ」

「儲かるそうだよ、やってみるかい」
「ごめん蒙りましょう。うまい話は危ないから」

目で読むだけでなく、声に出してみてください。耳に心地よく、いいまわしが本当に洒落ているでしょう。
話し手がどんな暮らしをしている人なのか、どんな考え方をしている人なのか、どんな心意気を持っているのか、などなど、これらの会話から、伝わってくるような気がしませんか。

昭和三〇年代、東京オリンピックくらいまでの東京では、こういう豊かな言葉を生き生きと人々がやりとりしていたのですね。
今、東京で話されている言葉は東京ことばではなく共通語。やはり、比較すると、暮らしの肌触りがするりと抜けてしまっているような感じがします。暮らしから自然に生まれてきたことばと、そうでないものとの違いでしょうか。

東京ことばは「べらんめぇ」口調だと思っている人が多いことを、京須さんはとても残念がってもいらっしゃいました。
江戸東京の本来のことばは、相手を気遣い、尊重し、まずは柔らかく繊細丁寧にやりとりするもの。ことをあらわにせず、お互いのことを察しあい、譲り合い、必要があれば相手を傷つけることなく断り、きれいにことをおさめる……それが洒落や粋に通じていくのだとか。それでも通じなかったときには、辛らつな皮肉やちょっとした悪態をつき、それでも通じなければ、はじめて「べらんめぇ」に至るのだそうです。京須さんいわく、「朝から晩までべらんめェじゃ、「江戸文化」が聞いて呆れらァね」

東京ことばが失われていくのは、東京がかつてもっていた人と人とのおつきあいのあり方が消えていくというのと同意義だとも感じさせられました。なんとかして、東京ことばを残し、復活させられないものかしら。下町育ちの私としては、いてもたってもいられないような気持ちになってしまいました。


とっておきの東京ことば
とっておきの東京ことば京須 偕充


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投稿者: Mie Hama 日時: 21:02 | | トラックバック (0)

小松政夫さんをお迎えして

「どうして! どうして! おせーて!」「もう、イヤ、こんな生活!」といったギャグや「しらけどり音頭」、淀川長治さんのものまねなどで人気のコメディアンであり、同時に最近では本格的な演技力が求められる芝居でなくてはならない個性ある俳優としても活躍なさっている小松政夫さん。
その小松さんが「のぼせもんやけん」(竹書房)という本を出版されました。
小松さんはお父様を早くになくされ、俳優をめざして上京したものの、生活のために働くことがまず必要だったため、魚河岸の若い衆を振り出しに、さまざまな職業を転歴、自動車のセールスマンとなりました。そして植木等さんの付き人兼運転手として芸能界に入られました。
この本には、小松さんが植木さんの付き人になられるまでのことがまとめられているのですが、そのおもしろいことったら、ありません。おもしろいばかりでなく、私はぺージをめくるごとに、懐かしさでいっぱいになりました。ああ、こういう人がいた。こういう町の風景があった......。昭和30年代の活力ある日本がどのページからも濃厚に香ってくるのです。

「ブル部長はモーレツな人でした。自分にも他人にも厳しく、仕事一筋に生きた人です。こういうとんでもないバイタリティとこだわりを持った人たちに、日本は支えられていたんだと思います。日本はぎらぎらと燃えていました。明日という明るい未来を信じて猪突猛進しておりました」(小松政夫著「のぼせもんやけん」より)

私も、中学を出てすぐにバス会社に就職。バスの車掌となりました。毎朝5時前に起きて、炭火を入れたコテをおこし、制服の白襟をピンとさせて、6時前には出社。バスの掃除をしました。私の担当するバス路線は、工場との往復で、朝早くから工場勤務の人がのってきました。終バスは遅くまで工場で働いていた人でいっぱいでした。汗と油でどろどろになった作業服を着て、座席に座るなり、窓ガラスに頭をつけて腕を組んで、こっくりこっくり、寝てしまうんです。でも、みんな、同じ時代に働く仲間というような気持ちがあったような気がします。そして、みんな、まっとうに働けて幸せだと思っていたようにも感じます。

私は、クレージーキャッツの映画にたくさん出演させていただいたので、当時植木さんの付き人であった小松さんとも顔なじみでした。いちがいに昔がいいなんていう気持ちはありませんが、シンプルで素朴で、誰もが希望を持ちうる時代が昭和30年代だったような気がします。今、昭和30年代がブームというのも、時代が持っていたあの活力とあたたかさに惹かれるからなのではないでしょうか。
ラジオの収録では、本を書いた思いなどを語っていただきました。お互い、同じ時代を生きてきたものですから、話が弾んで......。枠内におさめるために、泣く泣く切ってしまった話もたくさん。もっともっとみなさまにお聞かせしたかった......。

とにかく元気が出る本なので、ぜひ、本屋さんで見かけられたらお手にとってみてください。ラジオの収録後、「小松政夫とイッセー尾形びーめん生活2006in東京」を拝見しました。これは、現代に生きる人間たちの姿を描くオムニバススタイルの二人芝居。小松さんはその中で、初老になってキャバレーの呼び込みに雇われた男、どこか陰のあるバイオリニスト、妻に養ってもらっている自称小説家、そして、何十年間もロシア演劇だけを上演している劇団のベテラン女優を演じていました。思い描いていたような生活から、どこかで道を外れ、人生の旅路に迷っているような人たち。それは、現代人が心のどこかにその存在を感じている「自分の姿」でもあるかのように思えました。人生の味は苦い、しかし、捨てたもんじゃないというメッセージをいただいたように思います。

のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。
のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。小松 政夫

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投稿者: Mie Hama 日時: 19:07 |

高田宏さんをお迎えして

1990年に読売文学賞を受賞した高田さんの名著「木に会う」を読んだときから、高田さんは、気になる存在でした。前世は木ではなかっただろうかと思うほど、私は木に深く引かれていて、大きな木に出会ったりすると、幹に手をあて、木肌に耳をつけて木の鼓動を感じずにはいられないようなところがあるのです。
人間の歴史に向き合い、生命ある樹木に直接触れ合いながら、木とともにある文化、木とともにある生活、木とともにある生命への思いを綴った高田さんの「木に会う」は、以来、私にとってかけがえのない1冊となりました。
このたび高田さんが「木のことば 森のことば」と知り、早速拝読し、ゲストとしてお迎えすることができました。この本も、読み進むうちに、今、自分が森の中にいるような、木と対峙しているような、そんな気持ちにさせてくれる1冊です。美しさと荒々しさをあわせ持つ森。木や生き物が発する生命の息吹が満ちた森。森という自然のドラマについても、あますことなく教えてくれます。
高田さんは、低く静かに話される方でした。こちらが一心に耳を澄まさずにはいられなくなるような、そんな魅力がありました。高田さんは、森にあっても、木を前にしても、こうして語りかけ、たぶん、私がそうしたように、耳を澄まして、森や木の声を聞いていらしたのではないでしょうか。木や森と共鳴する高田さんの言葉は強く優しく、私の胸に、しみわったっていくかのようでした。きっと、リスナーのひとりひとりの胸にもしっかり届いたのでは。
この本は、人間の生き方をも考えさせてくれる1冊です。本屋さんで見つけたら、ぜひお手にとってみてください。

「わたくしたち木は 
争うことなく生きているのでございます。
嵐の日 強い風に枝を吹き折られることもございます
雪の日 雪の重さで枝を折られることもございます
それでも わたくしたち木は
優しい大地に根を張って
静かに生きているのでございます
(中略)
あなたがた人間は忙しく動きすぎるのではありませんか
ときどきはわたくしたち木のそばにおいでになって
静かに休んでみたらいかがでしょうか
わたくしたちのように争わないで静かに生きてみたらどうでしょうか
あなたがたがわたくしたちの幹に手をあててくださるのを
わたくしたちはいつも待っているのでございます」
(「木のことば森のことば」1章「木のことば」より)

木のことば・森のことば木のことば・森のことば
高田 宏

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投稿者: Mie Hama 日時: 22:39 |

『浜美枝のいつかあなたと』-文化放送

2001年に始まった「浜美枝のいつかあなたと」
文化放送・日曜日朝10:30~11:00)が5年目を迎えようとしています。
その前の番組「浜美枝のあなたに逢いたい」(文化放送)から数えると、
私がラジオの番組のパーソナリティをつとめてから、はや、8年がたちました。毎回、ゲストをお迎えして、さまざまなお話をお聞きしています。
番組をはじめた当初は、こんなに長く続くとは思わなかったのに、今ではすっかり、ラジオのおもしろさに目覚めてしまい、収録が毎回、楽しみです。
ラジオは、リスナーとパーソナリティがある種、とても近いんですね。
ラジオはリスナーとパーソナリティが、ごくごく密な関係になれるメディアなのでしょう。ゲストとパーソナリティの関係もそう。ゲストもナチュラルに、お話しくださいますし、私も構えず、力まず、いつもの自分と同じ感覚で、
質問したり、感心したり。リスナーからいただくお手紙からも、私と同じ気持ちでいてくださることがわかって、嬉しくなることもたびたびです。
これまでに、多くの素敵なゲストとお目にかかってきました。1回きりの放送ではもったいないような素晴らしいお話もたくさん。そこで、このコラムでは折にふれ、とっておきの放送秘話をご紹介したいと思います。

投稿者: Mie Hama 日時: 22:30 |