2008年2月のアーカイブ

Mie's Living

沖縄観光

今日の私は少し「ノリ」が違います。なぜか、と申しますと先週末大好きな沖縄に行き、沖縄のお惣菜を端から端まで、食べちゃったんです。と、言っても真面目な仕事でうかがったのですが。

一年に2、3回は旅する沖縄なのに毎回ウキウキしてしまう私です。

さあ~何食べようと、考える間もなく、テーブルはいっぱいになります。ああ、帰ってきた、そんな感じがする沖縄。なぜ懐かしいのかしらと、自分でも不思議に思うんです。通い続けて36年近くになります。決っして飽きることのない深い魅力は、この地から、この海から、この風から、沖縄の人々がみずから生み出しただろうエネルギィーが伝わってくるからです。

今回の講演の演題は「沖縄に魅せられて」です。

沖縄への観光客の7割がリピーターです。これからのシニア世代、いえ、成熟した大人の方々へ、どのような旅をご提案できるか・・・。そんなお話をさせて頂きました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 18:19 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・白川郷」

今夜ご紹介するのは、もう皆さんご存知の世界遺産〝白川郷〟です。

白川郷は岐阜県と富山県境にあり、正式には岐阜県大野郡白川村人口1900人の集落です。

私と合掌造りの家は、切っても切れない関係にあります。

合掌のカタチにひかれて、生活のスタートラインにたった、といっても過言ではありません。家の骨格というべき柱と梁は、何か私の心の中の骨格でもあるのです。

自然と共存して生きることの、とてもシンボリックなカタチ。もう何十年にもなるでしょう。この集落に通い、さらに日本中を旅し、自分が求める暮らしのあり方や、心の置き場所を探す旅を続けてきました。    

白川郷は冬なら2、3メートルの豪雪に埋もれる雪の里です。

私は何度も旅をしました。雪の中へ足を入れながら、神聖な気持ちになったものでした。雪を深々とかぶった集落は神々しく、余所者(よそもの)は雪の上に足跡を残すのさえ、ためらわれたものでした。

現在、世界遺産に登録されてからは、集落の様子は随分変わりましたが、でも冬、雪深い白川郷は静寂そのものです。

私はいつも名古屋から高山本線に乗り、飛騨古川を経て白川郷へと通いましたが、道すがら、その道筋自体に私の心をふるわせるものがありました。列車が進むほどに山が迫り、やがて渓谷が深く列車の行く手をさえぎる。かと思えば山間に可愛らしい集落を見せてくれたり。いっときも見逃せない自然絵巻が広がります。

思えば35年ほど前から、このルートの向こうに私が求めるものがあると直感し、何度も何度も足を運びました。最初はひとり旅、結婚後は家族と、あるとき乳飲み子をおんぶして。さらにもうひとり生まれると、上の子はしっかり私の手を握りしめてついてきました。私が進む先に、私の求めるものがあると信じていたから通えたのかもしれません。

それが、白川郷でした。

厳しい豪雪の中に建つ合掌造りの家は、静謐な祈りのカタチです。そこに佇むと、私はいつも自分の原点に帰ってくるような気がします。

かつて中学の図書館で見た、民藝運動の提唱者の柳宗悦先生の本に書かれていたフレーズの「ものを作る人に美しいものを作らせ、ものを使う人に美しいものを選ばせ、この世に美の国をつくろう」という一説が私の胸に宿りました。

白川郷のあるお宅で、大きな柱をさすっていますと、故池田三四郎先生がおっしゃった言葉が浮かびました。「民藝で一番ガラが大きいのが家だ」と。

池田三四郎先生は伝統的な木工技術を生かして広め、用の美の精神を基盤とした「松本民芸家具」の製作を開始した方です。

やがて、旅を続けるうちに、自分の家を作る段になりました。

その頃、各地で後継者がいないからとか、維持できなくて家を手離さざるを得ないという方々がたくさん出るという事態がおきていました。築百五十年もの家がついに壊されるという日、私はその村を通りかかっていたのです。チェーンソーが今にも太い柱を切り裂こうとする寸前、キーンと鋭い音がして、私にはそれが悲鳴のように聞こえました。

その音はまさに民家が号泣しているかのようでした。

昭和四十年代のことです。こうして日本は過去を葬り、高度成長社会に移行していったわけです。このとき、「待って!」と叫んで、譲っていただいた、いくつかの民家の端々が、今、箱根の家で堂々と余生を生きています。

白川郷や五箇山に美しい姿をとどめる民家は八世紀からの遺産だそうです。日本の歴史に翻弄されることなく、ずっと身を隠しながら、何世紀も生きてきたものだけが持つ神々しいまでの家々です。集落の中に江戸時代から変わらない道があり、屋敷の間を村道が縫い、昔の姿をとどめていますが、そこには現代の人々が暮らしているのです。

旅をする時・・・そこが世界遺産ならなおさらのこと、人々は静かにその村を訪れましょう。

1935年(昭和10年)ドイツの建築学者ブルーノ・タウト(1880~1938)が白川郷を訪れました。合掌造りを「極めて論理的、合理的で、日本には珍しい庶民の建築」と高く評価しました。「日本美の再発見」によって広く紹介され、一躍世界の注目を集めるようになったのです。

白川郷にお邪魔すると、我が家の親戚に会ったような安堵感を覚えます。

きっと今頃の白川郷は一面銀世界でしょう。

私の住む箱根は例年より雪が多いようです。雪が降ると、山に登る道がチェーン規制になったりして、不便な面もあるのですが、雪の中の箱根はなかなかきれいです。

雪の匂いに樹木の匂いがまじって、なんだかとてもゆったりした気分になりますし、雪があたりを覆うと、ふんわりと音を吸収してくれるせいでしょうか、いつもより一層、静寂が深くなるような気がします。

寒い季節に雪のあるところを旅すると、普段見えないものが見えてきます。そして、箱根の我が家に帰り、あちこちの柱に報告をします。「あなたたちのお仲間も立派に生きていましたよ」・・・と。

2007年7月現在 世界遺産に登録されているところは
文化遺産  660
自然遺産  166
複合遺産   25    合計851 

人類にとって大切な大切な遺産。 みんなで美しく守っていきたいですね。

旅の足は 東西南北4本の道がありますが、通行止めの場合もありますので必ず確認してからにしてください。マイカーなどの乗り入れ規制もあります。 

道路状況などのお問い合わせは

白川村役場
05769・6・1311

白川郷・合掌造りなどの問い合わせは  
白川村観光案内所
05769・6・1013 

現在は積雪一メートル位ですが、周辺は除雪してあります。ホームページでいろいろ検索できます。 

建築に興味のある方は「合掌造りの構造」に詳しく載っております。

今夜は茅葺の里、白川郷をお届けいたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:45 | | トラックバック (0)

雪景色の箱根

この冬は例年より雪の多い季節でした。

雪が降ると、山に登る道がチェーン規制になったりして不便も感じますが、雪の箱根はなかなか素敵です。

小田原からバスに乗り、宮下を過ぎるころには空気も匂いも一変します。

夜空は、時には「冬の月」であったり、樹木の枝に降りつもる雪であったり、「星が」煌々と輝いていたり・・・、まさに「星冴ゆる」夜、静寂な里に暮らす喜びを感じます。

冬ごもりした箱根は静謐そのものです。

でも、早朝の赤富士が見られてた時など"春はもうすぐ"・・・と思います。

春を待ち望んでいる花々との出逢いが楽しみです。

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投稿者: Mie Hama 日時: 01:12 | | トラックバック (0)

浜美枝のいつかあなたと - 野村万作さん

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私の出演している 「文化放送・浜美枝のいつかあなたと」日曜10時30分~11時に先日、和泉流狂言師で人間国宝の野村万作さんをお客さまにお迎えいたしました。

野村万作さんは、1931年、六世の野村万蔵さんの次男として東京にお生まれになりました。

三才のとき「靭猿」の子役で初舞台。以来、これまでに、三番叟、釣狐、花子(はなご)など流儀にあるほとんどの作品を上演されてきました。

当代の人気狂言師、野村萬斎さんのお父様でもいらっしゃいます。大変興味深く、示唆にとんだお話でしたので当日伺ったお話を。

そして、1月17日には宝生能楽堂で「野村狂言座・歌争」を拝見いたしました。

春ののどかな風景を背景に、とぼけた味わいのある作品を見事に演じられ、野村万作さんの鍛錬され尽くした芸を堪能いたしました。

狂言の稽古は、親から子へ・・代々受け継がれてゆくもので、万作さんは子供の頃、お祖父さま(先代萬斎)から稽古を受けられたそうです。狂言の稽古は親子の間柄だと、どうしても厳しくなってしまい、お父様の稽古は厳しく、お祖父さまは優しい記憶があるそうです。今は孫の裕基君(小学生)の稽古もつけるそうです。

万作さんは今も年間200回ほどの舞台を勤められ、健康法はまさに舞台の本番とそれにそなえての稽古が健康の源かもしれません。

野村家では、1950年代から、さまざまな海外公演を行ってきました。フランス・イタリア・ソ連・ギリシャ・ドイツ・中国・・・1963年にはシアトルでアメリカ人に狂言を教えたとのこと。狂言には型があるが、「父の舞台は自在だった。そこに自由を感じた。共演して、酒盛りのシーンを演じる。父親は、飲むふりをしているのに、顔が赤くなって、酒のにおいがするようだった」古典なのだが、自在に演じていらしたそうです。

野村万作さんは、いまから10年ほど前・・・60代の半ばの頃、稽古場に飾ってあった表彰状や記念品をすべてしまったそうです。

それは過去の栄光にすがるのではなく、つねにゼロからはじめるという決意。

「父、六世万蔵も「肩書き」や「権威」を嫌い、つねに庶民の立場で狂言を演じた。決して偉くならない人だった」・・・と。

その姿を思い出し、自分もゼロから狂言に取り組みたいと・・・。

このお話に、万作さんの本質が見えました。

人間国宝、まさに国の宝でありながら、「偉く」ならずに、狂言の道を研鑽する・・・。

厳しく、そして優しい人柄を感じさせてくださる野村万作さんでした。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:00 | | トラックバック (0)