カテゴリー:『NHKラジオ深夜便-大人の旅ガイド』

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NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~、岐阜県高山市・荘川町」

こんばんは、浜美枝です。3年続いたこの番組も今夜が最後です。番組でこうしてお話をするので、追体験のように訪ねた村・町でまたたくさんの方々との出逢いをいただき、新たな「日本のふるさと」を再発見した3年間でもありました。

今夜は桜のお話です。

桜の季節になりました。ようやく春がきたと、今年は感慨ひとしおです。本当に今年の冬は日本列島、大雪で大変でしたね。私には東北や北陸、山陰の過疎地にも知り合いがいて、テレビニュースなどで雪下ろしや雪かきで疲れ果てた人びとの様子が映るたびに、そのご苦労を思い、胸をつかれました。

桜は春の訪れを告げる特別な花。それに桜ほど、日本人に愛されている花はないですよね。私も桜が大好きです。1月の下旬には日本列島で一番早い沖縄の寒緋(かんひ)桜。いつだったか沖縄の友人たちと本部町で"お花見"をしました。寒緋桜は、濃い紅色の花で枝にちょこんと乗っているように咲く愛らしい桜です。そして九州、四国、関西、さらに東京、東北、そして北海道と桜前線は北上していきますけれど、山桜、大山桜、大島桜、河津桜、深山桜など、他にもいろいろな桜がありますよね。

箱根では、東京からおくれること2~3週間でソメイヨシノが咲き、さらに1週間ほど遅れて山桜が咲いてくれます。我が家にも豆桜が一本あります。小さな花で恥ずかしそうに、下を向いて咲くのです。その下でゴザを敷き子供が小さいころなど、大きな籠におむすびや卵焼きなどでお花見です。

東京のお花見も楽しいもの。友人とお互い忙しくしているし、桜の開花は予想通りにはいかないので、当日、パッと電話して、パッと会います。桜並木の下をゆっくり歩いて、帰りにワインを一杯味わって。私たちの年齢になると、一緒に今年も桜を愛でることの出来た幸せをかみしめます。

満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがよくあるのです。

「何故そんなことを思うのかしら、不思議ですね」

と、作家の水上勉先生に伺ったことがありました。

「桜は、散って咲くからね。生命が長いと思わせますね。春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのじゃないかなあ。散るはかなさでなく、散ってまた咲くということに、憧れるんですよ」

とおっしゃられました。花の命ははかなくて・・・などという言葉もありますが、たしかに人間の生命のほうがずっとはかない。桜の花は毎年春が来れば必ず生き返って咲きます。

「散る」とは「咲く」こと。

樹齢何百年という木々の桜が花を満開に咲き誇らせている姿に、私たちは生命の永遠を感じ、そのことに深く安堵するのだと思います。

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お花見の季節になると、行ってみたいなと思い出させてくれる桜の木が日本全国にいくつかありますが、水上勉先生の「櫻守」という小説にも登場する、御母衣(みほろ)の荘川桜もそのひとつです。桜へのひたむきな思いによって樹齢四百年の桜の移植を成功させた男たちの姿を、小説「櫻守」に書かれました。そして私がはじめて御母衣ダムに荘川桜を見にいったのは、いまから三十年ほど前、移植されてから十数年が経った春のことでした。

岐阜と石川の県境にある御母衣ダム。荘川上流の山あいの静かな美しい村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖の湖底に沈むこととなり、三百五十戸に及ぶ人びとの家や、小、中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命のなかで、その樹齢四百年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせつづけているのです。

湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。(アズマヒガンザクラ)
ああ、これがあの桜・・・と佇みました。樹齢四百年の老樹とは思えないほどの花が初々しかったのが、とても印象的でした。4月25日頃から5月10日頃まで、荘川桜の荘厳に咲き誇る姿は、その木に秘められた歴史を知る者には格別感動的です。

ふるさとは湖底となりつ移し来たし この老桜咲けとこしへに
                                高崎達之助

木の傍らに刻まれた、ふるさとを偲ぶ歌碑が胸に迫ります。満開に咲く桜の、その花弁のひとひらひとひらが見る私に何かを語りかけてくれます。何度目かに行ったときも、満開の桜の木の下でじっと座り続けているおばあちゃんを見かけました。あの時、おばあちゃんは先祖が育てた木を見ながら、桜の木を相手に、村の思い出話を語りあっていたのかもしれません。

桜の花は散っても、それから芽吹き、緑の葉を茂らせ、さくらんぼをずっと小さくしたような実をつけて、やがて紅葉、そして眠ったようになり、また春がくると、再び花をまとってくれる・・・散るというのは、季節が巡ることであり、花の満開に咲き誇らせている桜に、命の永遠を感じ安堵させてくれるのですね。

荘川に住む方々はおっしゃいます。「今では失われつつある、自然の大切さ、ものへの愛情・尊さをあらためて教えてくれる私たちの大切な宝なのです」と。

今年も行ってみたくなりました、荘川桜を見に。

荘川桜は岐阜県天然記念物に指定され、現在は根が傷まないように・・・と周りを柵で囲まれています。岐阜県高山市 荘川町(旧荘川村)中野の国道156号沿い、御母衣ダム湖岸にあります。高山駅からはバスも出ております。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:46 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~、新潟県村上市」

今回ご紹介するところは、新潟県村上市です。

村上は新潟県最北の市。村上藩の城下町として栄え、城跡、武家屋敷、町屋、寺町が残る、かつての面影を感じさせるしっとりとした町でもあります。人口は約7万人で、鮭で有名な三面川が流れています。実は、私には村上にはひときわ深い思いがあります。村上はかつて、私の心の宝物である村、奥三面の玄関でした。

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話は30年以上も前に遡ります。
奥三面というマタギの村がダム建設で湖底に沈むという小さな新聞記事を見つけました。深い山の懐に抱かれた村の写真も載っていました。私は、なぜか、その村に強くひきつけられ、奥三面に行ってみたいという気持ちが抑えられなくなってしまったのです。やがてその村を記録していた民族文化映像研究所の姫田忠義さんにお会いすることができ、私はその村を訪ねることになりました。

以来、奥三面を何度お訪ねしたことでしょう。夏には、子供たちを連れて3週間過ごしたこともありました。そこには、はるか遠い昔から続けてきた日本の、厳しくも美しい暮らしがありました。自然と共に生き、自然に生かされた暮らしでした。

そして私が村に通うようになって3年目の1985年の11月1日。閉村式が行われました。その日、私はキイばあちゃんと呼ばせていただいていた伊藤キイさんとともに8時間、キイばあちゃんの家の茅が外され、梁が倒され、柱が倒されるのをじっと見守りました。

「前山がかわいそうだ、川がかわいそうだ、これからどうやって生きて行ったらいいんだろう」

キイばあちゃんはそうつぶやきました。しかし、最後にきっぱりとおっしゃいました。

「まあ、子供たちの幸せのためなら我慢するよ」

そしてお孫さんが運転する車に乗り、私に「遊びにおいでね、村上に」と大きく手をふり、去って行かれました。今でもまぶたを閉じると、美しい奥三面の風景が浮かびます。芽ぶきの春、深緑に囲まれ、カンナやダリアが軒先に咲く夏、赤や黄色の色づく秋。さらさらと流れる三面川の透明な水、頬をそっとなでる春風、澄み切った夏の光、リンと冷えた秋の朝......。

先日、村上を訪ね、奥三面ゆかりの矢部キヨさんとお会いしてきました。キヨさんは創業天保10年という大きなお茶屋さんに、同じ町内から嫁がれて55年。教壇にも立たれ、多くの人々を導きつつ、町民文化・民族研究を続けていらした女性です。ちなみに、村上でとれるお茶は北限のお茶であり、北前船で運ばれていったそうです。

キヨさんは「奥三面の人たちが今、村上にすっかり溶け込んでいること。山の厳しい生活を知っているためなのか、奥三面の人々は辛抱強くがんばりやで、村上の人々に高く評価されている」ことなどを語ってくださいました。

また、奥三面がダムに沈む前の話もしてくれました。毎年、1月10日の十日市には、奥三面から村人が山の幸をいっぱい背負ってキヨさんのお茶屋さんに遊びに来て、飲み、食べ、語り、ときには泊っていったというのです。そして三面川が秋、上ってくる鮭で川面の色が変わるほどだったとも教えてくれました。今は3~5万匹ほどですが、大正時代は15万匹を超える鮭がとれたのだそうです。

「村上は三面の川の恵み、森のめぐみをいただいていた」

とおっしゃる表情が、とても懐かしそうでした。

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現在、村上には「町屋人形巡り」と「町屋の屏風まつり」があり、年間10万人もの方々が訪れます。そのまつりの担い手のおひとり、小杉イクさんにもお会いしました。イクさんは多い時には700~800人も見えるお客様に「お茶でも飲んできな」と気さくに声をかけます。お客様......旅人を、イクさんはごく自然にお客様と呼ぶんですね。

イクさんは次のようにいいます。

「人と出会えるから楽しい。偉い先生も見えるし、勉強になる。ためになる。ふるさとに帰ってきたみたいといわれると本当に嬉しくなる」と。家にある屏風が良寛さんの筆であることも、「町屋の屏風祭り」がきっかけでわかったともおっしゃっていました。

キヨさん、イクさん、ともに80歳。おふたりとも素敵に年を重ねられた女性です。

お話を伺った後、私はまた村上の町をそぞろ歩きました。歩きながら、キイばあちゃんのこと、奥三面のことを思い出しました。キヨさんとイクさんの笑顔も思い出しました。この町は奥三面とつながっていて、ここに奥三面が今も息づいていると感じました。そして今も、新たな歴史がこの町で綴られているとも感じました。

旅の醍醐味は人との出会いだと私は思います。目と目を見て話し、ふれあい、笑い、うなずき、肌でそこに住む人の営みを知ることこそ、旅の最大の楽しみではないか、と。

女性たちが、自分たちの文化を、歴史を、自分の言葉で語り継ぐ村上は、そんな旅の醍醐味を、誰もが味わえる場所なのではないでしょうか。そして、この土地のように、日本のどこにも暮らしの語り部がいてほしい。暮らしの担い手である女性の語り部がさらに育ってほしいとも感じました。

町を歩いた後、松尾芭蕉が奥の細道の途中で2泊したというゆかりの宿に併設されたクラシックなカフェに入りました。この宿は国の登録有形文化財でもあり、明治期の町屋の風情を味わうことができます。そしてもちろん夜には、旅をさらに思い出深いものにしてくれる、美味しい地酒もいただきました。

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東京からは新幹線を利用し新潟駅経由で、JR羽越本線に乗り換え、約2時間30分です。

本日は、新潟県村上市をご紹介しました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:31 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~三重県鳥羽市・答志島」

今回ご紹介するところは三重県鳥羽市にある離島、答志島(とうしじま)です。

東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートルの細長い島です。面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾および三重県内では一番大きな島ですが、島内は歩いて6,7時間で一周回れるくらの広さです。先週、私は小雪舞う箱根から行ってまいりました。鳥羽から島へ・・・風があり寒い日でしたが、穏やかな島はなに一つ変わっていませんでした。20年振りの答志島です。

この島へは、大阪や名古屋からでも近鉄鳥羽で下車し、徒歩で約5分の鳥羽港(佐田浜)から市営定期船で島に渡ります。答志島には三つの集落があります。島の北東部に答志(とうし)、南東部に和具(わぐ)、北西部に桃取(ももとり)。和具まで28分そして答志まで32分です。桃取は13分ほどですが、コースが違います。

この島の歴史は古く、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂が

「釧着く答志の埼に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」

と「万葉集」に詠んだ地です。

そして、戦国の将、九鬼嘉隆の悲しいロマンの地でもあります。織田、豊臣に仕え、いくつもの戦功をたてますが、息子の守隆は、家康の陣につき、父子が相対することになり、負けた嘉隆は島に逃げのびますが、自害します。嘉隆の胸中はいかばかりだったでしょうか。古墳、九鬼嘉隆の墓、首塚、胴塚など歴史的スポットが多くあり、潮音寺の観音堂には、弘法大師作と伝えられる観音像がまつられています。

小さな八幡橋を歩いて渡ると八幡神社があり、2月13、14、15日には神祭がおこなわれます。大漁、海上安全を祈願して行われる弓射の神事で、この的を持ち帰り戸口などにかけておくと、魔よけになるといわれており、壮絶な奪い合いが行われます。夏は海水浴、魚釣りなど、家族で楽しめるハイキングコースもあり多くの人が訪れる場所です。整備された見晴らし台からは、鳥羽湾に浮かぶ島々、知多半島が一望できます。

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三つの集落の中でも答志は漁師町です。
ちょうど伊勢湾の出口にあり、魚の種類が豊富で、夫婦単位の船による漁が盛んで、一年を通じていろいろな魚を獲って暮らしています。ですから答志は海女漁が盛んな場所です。以前伺った「海女小屋」でのお話がとても印象に残っており、今回もお会いしたかったのです海女さんたちに。

日本で海女が一番たくさんいるのが志摩半島。漁から上がって、冷えた体を温めたり、食事をしたりする場所が「海女小屋」です。四畳半ほどの小屋の中で薪をくべ、この火場でのおしゃべりが何よりの楽しみとか。60代、70代でも現役です。冬に潜る海女さんたちは答志では14、5人。夏場になると多くなるそうです。夏は、海女は海に潜り、アワビ、サザエを獲っています。冬場はおもに「なまこ漁」1日2時間・2回潜ります。

今回も火場で話の輪に入れていただきました。真っ赤に燃える薪の横に獲れたてのほら貝を焼いてもらいました。美味しかった。

「火場は自分の御殿、オアシス」
「ここで仲間と家庭のことや、漁の情報交換をしてから家に帰るの、ストレスも発散してね」
「夫婦げんかはその日にかえせ・・・ってね、何しろ、分銅20キロくらいつけて潜り、父ちゃんに命綱をたぐってもらうから、けんかなんかできないさ。は・は・は!」

と海女歴60年のおばちゃんのお話に「なんか、うらやましいな!」と思った私です。

そして、この島には庶民が生み出した素晴らしい社会制度があります。土地の人が寝屋子(ねやこ)とよんでいる伝統的な若者宿が残っているのです。かつては広く日本中にあったのですが、昭和30年代から急激になくなりました。若者宿というのは、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りします。その子供を引き受けて暮らすのが寝屋親たち。無償の行為です。実家で夕食をすませてから寝屋親へやってきます。めいめい勉強をしたり、おしゃべりなどをしたり若者同士悩みを相談することもあるでしょう。

「私たち寝屋親と寝屋子は、血のつながった親子ではないけれど、生涯親子のように付き合います」

と語ってくれた山下正弥さん。

「ある暮れに沖で船が横波をくらい女房が海に落ちたとき、真っ先に駆けつけてくれたのが寝屋子でした」と。

いざというときにはみんなで力をあわせ助けあわなければなりません。知識で知ることではなく、身体で覚えなければ身につかないことでしょう。20年前に伺ったときには8人の寝屋親だった山下正弥さん、今は陸にあがりました。その寝屋子が40代になり、また集まってくれました。西川長広さんの息子、長太君は寝屋子で漁師です。山下さん、濱口さんが言います。

「この制度が日本全国にあったら子供たちは悪いことなんてしませんよ」

また、正弥さんはおっしゃいます。

「漁業があるかぎり寝屋子は続きます。人は助けあい支えあって生きているのですから」

世襲でも強制でもない庶民が生み出した生活の知恵です。命を賭けて海で働き、海で生きる答志の庶民の暮らしから、学ぶことがたくさんあります。

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旅の楽しみが景色だけ名所旧跡だけでなく、土地の人に出逢える・・・この喜びが加わって、旅は二倍三倍楽しくなるのですね。

伊勢湾に浮かぶ、離島・答志島・・・朝風が心地よく幸せな気分で帰路につきました。

今回は三重県鳥羽市、伊勢湾に浮かぶ 答志島をご紹介いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:51 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~京都府・大江町毛原」

今回ご紹介するところは、京都から福知山をさらに40分ほど山間に入った鬼伝説で名高い大江山。そのふもとに広がる大江町・毛原集落をご紹介いたします。

北は宮津市、南は綾部市、東は舞鶴市に隣接しています。丹波路の最難所、大江山の峠越えの麓に毛原集落はあります。この毛原集落は奈良~平安~鎌倉にいたる中世の時代に形成された集落といわれ、大江山越えの裏街道として宮津(天の橋立)まで旅する人に親しまれていたそうです。今は幻の峠となっていますが、昔の人はどんな思いでこの難所を行き交っていたのでしょうか。大江の里は中央を由良川が流れ、その山中には聖霊が宿っているような静けさがあります。

"大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立"

歌人・和泉式部の娘が詠んだ歌だといわれます。

さて、毛原集落は「日本の棚田百選」にも認定された、山に囲まれた小さな美しい村です。人口30人、13戸。ここはかつては、千枚以上の棚田があり、千枚田とも呼ばれていた集落ですが、担い手の高齢化が進むととともに、農業への従事が困難になり、その結果、田への植林が増え、また、農地の荒廃化が進み、棚田は、約600枚に減ってしまったそうです。

そこで、毛原の集落の人たちは 「みんなで守ろう・心のふるさとを」との思いから、人口が減り、高齢化してしまった「ふるさと」を守っていくには、都市住民の力が必要!との結論に達しました。現在「毛原の棚田」では「棚田農業体験ツアー」や「棚田オーナー制度」を導入し、都市住民と積極的に交流をしています。

散策路・水車の復元、集落を歩いているだけで心が休まります。私は庭に葉の落ちた、柿の実のなる風景を見ると懐かしさで胸が熱くなります。晩秋の一日、私は村の方々から「ふるさと」を想う気持ちを伺いました。

ビオトープの池、また女性が中心となり道端、法面に水仙の球根を植えておられました。民間企業が参加し、里山を守るためにボランティアで活動も行なってもいます。冬は30cmくらいの雪が積もるそうです。春にはみつ葉つつじの群生が美しく、5月は昔ながらの手植え、秋には稲刈り、さつま芋掘り、また遊休農地ではそばの栽培が行なわれて、真っ白なそばの花が咲き乱れます。

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「自分たちの故郷を守る活動が未来に繋がると信じてやっています」・・・と。

美しいふるさと・・・それは、私たちの先祖が、一生懸命山を切り開いて田んぼを作り、そして山や川をまもってきたことの証なのですね。

棚田は美味しいお米を作るだけの場所ではありません。水を貯えるダムとして、洪水や地すべりなど災害から私たちを守ってくれます。そして生き物の王国でもあります。田んぼの微生物たちが、ゴミや汚れを浄化し、田んぼにたまった水は太陽に照らされてゆっくり蒸発するので気温を調節し、森林や作物など植物の働きで、空気をきれいにしてくれます。

そして、美しい"ふるさとの景色"を守ってくれます。

この毛原集落からほんのちょっと奥に入ると二瀬川渓谷にいけます。大江山連峰・千丈ヶ嶽を源にした水が、勢いよく流れ落ちる二瀬川渓谷。大小の岩と美しい紅葉。きっと四季折々の美しい光景を見ることができるでしょう。山の中、心身ともにやすらぎ、深い緑に吸い込まれそうです。周辺は鬼伝説の遺跡群があり、新童子橋をわたり、散策をお進めします。そして、毛原をはじめとした大江地域で栽培された酒米で作った地酒「大鬼」が今、アメリカで人気になっているとか。

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私は毛原・大江の帰りに福知山市内に戻り、江戸時代には城下町として栄えた町並み、明智光秀が丹波の拠点として築城した福知山城(石垣は光秀時代の面影が残されています)、臨済宗南禅寺派の寺「長安寺」を訪れました。ここは四季折々の景観と枯山水の庭、特に秋の紅葉は見事で「丹波のもみじ寺」として知られています。臨済宗妙心寺派の天寧寺は室町時代の名刹で自然に囲まれ、こちらも四季折々の風情が楽しめます。

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今夜は福知山、大江町・毛原集落をご案内いたしました。
 
今年の紅葉もそれはそれは美しかったです。私の住む箱根はもう冬景色・山歩きのときに、息の白さに、冬がきたことを知らされます。

【旅の足】

京都からJRで福知山駅へ・・・KTR(北近畿タンゴ鉄道)で大江駅へ、そこから市営バスかタクシーで毛原集落へ。

詳しくは「毛原の棚田ホームページ」か、福知山市大江市所内「棚田農業体験ツアー実行委員会」まで

TEL: 0773-56-1101
FAX: 0773-56-2018

投稿者: Mie Hama 日時: 08:57 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県・勝山」

今回ご紹介するところは、岡山県北部に位置する真庭市勝山です。

勝山は、瀬戸内と山陰を結ぶ交通のかなめにある美しい町です。
町を囲む蒜山(ひるぜん)三山をはじめ、山々が檜や杉など森が深く、日本の滝百選に選ばれた、神庭(かんば)の滝は、湯原奥津県立自然公園の一角にあり、落差110m、幅20mの勇壮な滝です。

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てっぺんから流れ落ちる滝の姿はなんと美しいことか。滝の水しぶき、樹木の匂い、辺りに漂う樹齢の空気に清清しさを感じ、思わず深呼吸をたっぷりしました。きっとマイナスイオンが身体中にいきわたったでしょう。一帯には約180匹の野生の猿が生息し、訪れる人に愛嬌をふりまいています。私が訪ねたのは10月でしたので、今頃は紅葉が一段と美しいことでしょう。

勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは木材で賑わっていたそうです。けれども時代が経るにつれ、その賑わいは失われていきました。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつあります。勝山の何が人々を惹きつけているのでしょう。

3月の「勝山のひな祭り」の頃は3万人ほどの人が集まるとか・・・。どこの家々もお雛さまを飾って観光客を楽しませてくれるとのこと。そんな暖かい気持ちが伝わっているのですね。

さらには、白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情でしょうか。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めの暖簾。商店はもとより個人の住宅にも暖簾が揺れています。一軒ごとに違う大きさや柄、たとえば自動車修理工場の軒先にはモダンな自動車の絵柄、幾何学的な自転車柄、タイヤのわだち、野菜、野の花、櫛模様・・・まあ、にぎやかな事。でも全体がシックにまとまっています。今では110軒中92軒が暖簾を揚げています。

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約13年前、東京・女子美術大学でテキスタイルを学び教えていた草木染め作家・加納容子さんが、家業の酒屋を継ぐためにUターン。店に自作の暖簾をかけたのがきっかけで、その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」と暖簾をかける家が増え、今の姿になったといいます。

私が訪ねた時には、どの暖簾の下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれます。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられました。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかったのです。

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そして、私にとっての旅の魅力のひとつに地酒があります。
ここ勝山には創業二百年余年の、この町にただ一軒残る酒屋があります。

辻本店の酒です。

旭川の伏流水がまろやかさを醸し出します。仕込みの陣頭にたつのは辻家のご長女。酒蔵は女人禁制の世界でしたが、現在では見事に長女の麻衣子さんにより酒造りが行なわれているといいます。歴代の杜氏が惜しみなく技を伝えてきたのでしょう。

この勝山には水のよさから、美味しい蕎麦屋もあります。当日私は残念ながら休日にあたり食べられなかったのですが、この蕎麦やは何でも倉敷から、この水のよい勝山に食道楽の人たちの求めに応じてやって来たとのことです。

酒蔵・蕎麦や・そうそう・・・美味しい饅頭屋さんもあります。

もう、これだけあれば、すっかり旅気分。

ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのです。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山まつりでも、それで、まちは少しも汚れないといいます。

勝山は旅人と町の人がお互いを慮り、理想な形で交流ができているのではないでしょうか。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山の人々。そして、訪ねる観光客もけっして土足で入らない・・・理想の町をみました。


勝山の見所はいろいろあります。神庭の滝 町並み保存地区では暖簾や土蔵や格子、旭川沿いには往時を偲ばせる高瀬舟発着場後が残っています。郷土資料館には、縄文時代からの民族資料、旧藩主・三浦藩に関するもの、戦時中に勝山へ疎開していた谷崎潤一郎の資料も展示しています。入り口を入ると、休憩所があり暖かいお茶で迎えてくれます。武家屋敷は往時の姿で現存しています。

のんびり、ゆったり・・・勝山の町を散策してください。
岡山駅前から直通のバスが出ていて便利です。勝山まで約2時間の旅です。

JR岡山駅から伯備線で新見駅へ。姫新線に乗り換えて中国勝山駅下車。
岡山駅から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換え勝山駅で降りる方法もあります。
どちらも所要時間は約3時間。
駅を出て左方向に「檜舞台」と書かれた門をくぐると暖簾の町並み保存地区。
小さな町なので歩いて充分愉しめます。

【お問い合わせ】
真庭市役所勝山支局総務振興課まで。
TEL 0867-44-2607

今夜は暖簾が風にゆれ、暖かなおもてなしで迎えてくれる勝山をご紹介いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:53 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~石川県・金沢」

今回ご紹介するところは金沢です。

あまりにも有名な金沢ですが、今夜は「地図を忘れて・・・金沢へ」です。一枚の地図を持って知らない街を丹念に歩く旅の良さ。また、観光パンフレットを持って店々をのぞく旅も良いでしょう。でもあなたがもし、「金沢の旅」をなさるなら、地図と別れて人に出逢う旅、話を聞く旅はいかがでしょうか。

無名の人の話には、その町の匂いが漂い、先輩の話には、その町の(ここだけの話)の面白さがあります。仕事の合間のエア・ポケットのような日こそ、旅に出るチャンスです。一泊の小さな旅を計画しました。

私は朝の便で、石川県の小松空港へ飛びました。約50分のフライトで到着です。私は年に3,4回石川県に行っていますが、ほとんどが講演・シンポジウムなど仕事でいくことが多いのです。仕事の時はどこにも寄り道せず、真っ直ぐ帰ってくるだけですから、これは旅とはいえません。ですから、本当に何も縛られない旅時間は嬉しくて嬉しくてしかたありません。何を食べよう、どこを散歩しようとウキウキします。

小松空港には市内まで直行するバスがあり、これは大変便利です。バスに乗ったら、必ず進行方向左側に座ります。何故かといいますと、理由はすぐ分かります。空港をぬけるとすぐ、雄大な日本海がバスの横に広がります。このバスの中から何十回、いえ百回以上、海を見てきたなあ、なんて一人感慨にふけってしまいました。

一度として同じ海はありません。だから毎回、海が見たいのです。時には時雨模様のもの悲しい海に、胸がキュンとなるような鈍色(にびいろ)だったり、今回のように秋の日本海が晴れ渡り、思わず深呼吸したくなったり。私の好きな海は「じきに雪が降るよっ」と語りかけてくれる色合の時です。

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北陸の人たちは、微妙な変化で天気予報をよく行うのです。東京にいたらラジオやテレビの天気予報で、傘の準備をしたり、お洗濯はどうしようと心配しますが、金沢の人は何か、体にお天気を当てるセンサーがついているのではないかと思うほど天気を予報します。

さて、街についたら皆さんは一番最初にどこにいらっしゃいますか?
私は「裏口兼六園」です。正面からはいる兼六園はまさに天下の名園の序章です。でも、もしそのならいにこだわらずに気楽にいくつかの入り口を選んで入ってみたら如何でしょう。

そこにはパンフレットにはない風景が展開します。

樹齢何百年の古木が、根元をむきだしにしたその横を、春なら新芽が出ているのを見つけられるし、秋は紅葉した美しい枝に出逢えます。そんな時、私達は万物の生命のつなぎに感動します。

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日本三大庭園の一つ「兼六園」は木々と対話することに気付かされます。ある夜のとばりが降りた頃、金沢城の門のところに佇んでいました。門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや昔の人のワラジ?音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。

その次は大乗寺というお寺です。そこも真っ暗。その時は夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんは出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中、歩いていて、果たしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。


「路地歩き!これも金沢の旅の本命のひとつ」

そうだ、かつて日本のいたるところにあった路地が今も残っているのが金沢の町!家と家との間のせまい一本の道をゆっくりと歩けば、そこから昼や夜の「おかず」を作る匂いが漂います。「茄子とニシンの炊き合わせ」「じゃがいもと玉ねぎの味噌汁」などなど・・・。

これが暮らしというものと一瞬立ち止まる旅人。「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんは、この金沢の路地歩きがお気に入りだったとか・・・。
「庭の千草」を小声で口ずさみながらゆっくりゆっくり歩かれたそうです。

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昼のお散歩は「東の廓」。そこは卯辰山の西の麓と浅野川に挟まれた江戸時代からのお茶屋町です。この一角に加賀格子を正面に備えた町屋が軒をつらねています。当時のお客さまは、豪商や文人でしたから、そういう方のお相手をする女性は、茶の湯はもちろん、華道、和歌、俳句、謡曲、舞、琴、三味線などありとあらゆる教養を身につけていなければなりません。今もこの町並みは当時を偲ばせ、黄昏近くになると、細い格子の中から三味線の音や小唄が聞こえてきます。

金沢は職人の住む町でもあります。

「和傘」に手描きで、客の注文の絵を描く老職人
「加賀友禅」に一筆一筆の筆を置く職人。
「金箔」の根(コン)のいる手仕事。

最敬礼!職人の心意気!
ここに日本の職人の原点を見ることができます。

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旧制第四高等学校があった金沢の町には、当時の赤レンガの建物が今も大切に残されています。幣衣破帽(ヘイハボウ)、寮歌を歌って歩く若者を町の人々は学生サン、学生サンと呼んでその青春を讃えたそうです。

作家井上靖、中野重治もこの「四校」で学び、その作品の中に「我等二十の夢数う」の精神が生き続けています。現存する教室の古い椅子に旅人のあなたも座れば、一瞬、あなたの「青春」が甦るはずです。

さて、旅の終わりは近江町市場。今が旬の美味しいのど黒、甘エビ、ハタハタ、メギス、カレイなど、これから冬にかけてはズワイ蟹。石川県では加賀と能登地方の名を合わせて「加能ガニ」というブランドで出されています。

それから石川の加賀野菜。金時草、加賀つるまめ、甘栗かぼちゃ、加賀レンコンなどは絶品。私はこれらの野菜と魚などの食材を買って宅配で家に送りました。

結局、私の旅は食べて、人に出逢い、また食べるものを買い込む旅だったようです。

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古都・金沢には古い建築物が多いです。
室生犀星、三島由紀夫や吉田健一など、数多くの人々に愛された町が息づいています。

歴史、文化、旧と新、自由自在の旅が楽しめます。
金沢は人の「こころ」が生きているあたたかい町!
今夜はそんな街、金沢をご紹介いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:13 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~静岡県・井川地区」

今回ご紹介するところは、時速300kmの新幹線が走っている現代に、どう頑張っても最高時速25km、平均15kmという、のどかな汽車で行く、静岡県静岡市葵区「井川地区」です。

総面積の8割近くを山地が占める静岡市には、多くの山里があります。
井川の集落は、南アルプスに抱かれた大井川の最上流部に位置しています。市街地から井川までは、峠越えをして車で2時間ほど。

でも、私は素敵な列車の旅をお奨めします。東海道本線・金谷で下車し、ここから大井川鉄道で終点の千頭(せんず)駅まで1時間。時間によっては、懐かしい汽笛に誘われ、SLも走っています。千頭駅に着くと、鮮やかな赤色のミニ列車が迎えてくれます。南アルプス・アプトラインに乗り換えて、雄大な奥大井の山懐へと出発です。車窓に広がる茶畑。大井川流域は古くからお茶の栽培が盛んなところです。1番茶が終わり、2番茶の緑の茶畑が美しいのです。

大井川に沿って上流へ進むと、緑が一層美しくなります。井川線ミニ列車に
1時間40分乗って終点が井川ですが、その道中がまさに「小さな旅」です。
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皆さん「アプト式鉄道」ってご存知ですか?
アプト式鉄道とは、ラックレールという歯型レールを使って急な坂を登り降りするように考案されたものです。アプトいちしろ駅~長島ダム駅までの間は1,000分の90という日本一急勾配を運行するために、車両は勿論のこと、ディビダーグ式橋梁や、枕木など新しい手法を取り入れています。いちしろ駅でアプト連結が見学できます。急勾配を力強く上って行きます。私はこの辺りで持参した「おにぎり」を食べ旅情気分を味わいました。

日本一高い鉄道橋、関の沢鉄橋から見る高さ100mの絶景とスリル、思わず身を乗り出し写真撮影。何しろ窓が開いている・・・。この渓谷の紅葉した景色はさぞ美しいことでしょう。
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沿線はモミの木やモミジに囲まれ、清流にはヤマメも生息するなど、豊かな自然の中をゆっくりと進む山岳鉄道は開放感いっぱいです。

終点の井川に着きます。
駅の階段を降りていくと小さな食堂があります。
私は帰りにおでんを食べました。

さて、この山奥の町、井川では、ここにしかないといわれる貴重な「メンパ(お弁当箱)」が作られています。

私が25年前にお訪ねした時、このメンパを作っていらした海野想次さんは残念ながら一昨年他界され、今は5代目周一さんが継がれておられます。周一さんとは久しぶりの対面です。

井川のメンパとは、天然のヒノキを曲げて輪を作り、サクラの皮で縫い合わせて漆を塗って仕上げるお弁当箱なんです。ヒノキを薄く薄く、3ミリの薄さまで削って、このヒノキを水につけてやわらかくして、曲げていきます。丸めて仮止めし、穴をあけ、細く切った桜の皮を通して縫い合わせます。この状態で陰干ししておきます。底板をはめこみ、上塗りし、陰干ししてから漆をかけます。

メンパの形は丸型、小判型、角形の三種類があります。さらに、男メンパ、女メンパ、おかず入れである、菜(さい)メンパがあります。これは昔から山仕事に出かけた夫婦が食事を終えて、男・女・菜の順序でメンパをひとつに重ねて持ち帰るように作られたそうで、ほほえましいお話ですね。実用品としても、冬、ごはんが冷めにくく、夏は腐りにくい。また、身と蓋、男用、女用それぞれで、米をぴったり計量出来るようになっているというのも大変に優れていますね。

山の暮らしの中で生み出された生活の知恵の結晶です。
この海野さんのメンパはご自宅での販売のみ。手作りですから量産できません。「幻のメンパ」とも言われ遠路はるばるメンパを求めて井川を訪れる人々が絶えないそうです。若い世代の人々にも広く受け入れられているそうです。実用に秀でており、温かい木のぬくもりを普段使いの中で味わいたい・・・そんな日本の工藝は素晴らしいですね。
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駅から井川の町までは歩いて1時間ほど。
バスは井川地区自主運行バスが日に3本運行されています。
駅近く、井川ダムから井川大橋を経由し、井川の中心地「木村」とを結ぶ片道40分の渡船もあり、バスや鉄道で来た観光客も自由に乗船でき、四季折々に見せる新緑、紅葉など楽しめます。
井川の町には旅館、民宿もあります。(観光協会にお問い合わせください)
井川の奥には自噴している「赤石温泉」。
南アルプスの登山。(聖平登山口まで、町からバスが運行されています。)

美しい景色に爽やかな風。
素朴で優しい心のふるさと、井川をご紹介いたしました。 

投稿者: Mie Hama 日時: 10:58 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~富山県・五箇山」

今回ご紹介するところは世界遺産に登録されている合掌の里「五箇山」です。

越中五箇山とは、富山県の南西端にある南砺市(なんとし)の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指します。ここは、まさに「日本のふるさと」です。遥か縄文の時代から人々の営みがあったところ。平家の落人が住み着いたと伝えられています。

初夏の緑豊な中を旅すると身も心も緑に染まりそうです。今回私は、利賀村の民宿・笠原さんのお宅に泊めていただき、菅沼合掌造り集落へと足を延ばしました。

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世界遺産は世界中に五百十数ヶ所あるそうです。日本には最古の木造建築・法隆寺をはじめとして、屋久島など文化遺産や自然遺産が登録されています。これらの遺産は、私たちが暮らす日本という国を通して、身近な自然や文化財をグローバルな視点から見直し、人類が次世代にどう継承していくべきかを、改めて私たちに問いかけます。

私と合掌造りの家とは、切っても切れない関係にあります。合掌のカタチにひかれて、生活のスタートラインに立った、といっても過言ではありません。家の骨格ともいうべき柱と梁は、何か私の心の中の骨組みでもあるのです。自然と共存して生きることの、とてもシンボリックなカタチ。

もう何十年にもなるでしょうか。この集落に通い、さらに日本中を旅し、自分が求める暮らしのあり方や、心の置き場所を探す旅を続けてきました。白川郷や五箇山は冬なら二、三メートルの豪雪に埋もれる雪の里です。雪を深々とかぶった集落は神々しく、よそ者は雪の上に足跡を残すのさえ、ためらわれたものでした。

厳しい豪雪の中に建つ合掌造りの家は静謐な祈りのカタチです。
そして、今回、初夏に訪ねた合掌造りの家は穏やか瞑想のカタチです。

ここに来ると、私はいつも自分の原点に帰ってくるような気がします。日本の歴史の嵐に翻弄されることなく、ずっと身を隠しながら、何世紀も生きてきたものだけが持つ神々しいまでの家々です。集落の中に江戸時代から変わらない道があり、屋敷の間を村道が縫い、昔の姿をとどめていますが、そこには現代の人々が暮らしているのです。

バイパスが通り便利になり、訪れる人も多くなりました。
「おじゃまします・・・」とつぶやいて一歩一歩集落へと踏み出すのです。
見下ろすと、茅葺き屋根が青々とした田園の中に佇んでいます。戸数8戸の小さな世界遺産・菅沼合掌造り集落。集落の中を、庄川が蛇行しながら流れ、背後には急峻な山地が迫り、緑豊な懐に抱かれています。

かつて五箇山では農作物以外の換金産物が必要でした。塩硝づくりと養蚕、紙すきは合掌造りと深いつながりをもっています。耕作地の狭い土地柄、火薬の原料となる塩硝が、加賀藩の奨励と援助を受けて、五箇山の中心産業となったといいます。平野部の農村の米作りに匹敵するほど重要だったのです。

合掌造り家屋は、屋根裏部分を2層3層に区切り、天井に隙間を空け囲炉裏の熱が届くようにして養蚕が行われていました。囲炉裏から上がったスス(煤)が柱や綱に染込んで強度を増す効果もありました。私は合掌造りの家にはいるとこの匂いが何とも好きで、つい囲炉裏の端に座ってしまいます。

今回泊めていただいた利賀村の民宿、笠原さつ子さん手づくりの料理の美味しかったこと。「イワナの骨酒」を飲み、イワナの塩焼き、五箇山豆腐と山菜の煮しめ、うどと身欠にしん、こごみのピーナッツ和え、かっちりいも、山菜ごはんには、すす竹・舞たけ・人参・よしな・椎茸などが入っていました。最後は手打ちそば。美味しかった!!さつ子さんは77歳。お顔はつやつや。笑顔の美しい方です。

「ごちそうさまでした」

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五箇山でこんなに美味しい料理が食べられるのは、かつて村人が報恩講や祭り、正月、そば会などで持ち寄った自慢の味や、郷土料理の数々が伝承されているからなのです。「報恩講」とは門徒が僧侶の講話を聞く法会。その後に必ずみんなで飲み食いするのが楽しみとか。

我が家の囲炉裏も昔々のものです。灰をかき、炭を真っ赤に熾して、家族や友人とそれを囲むひとときは、他のどんな空間にもない時間が流れます。囲炉裏はタイムマシーンのようです。時間を忘れさせる装置であり、時を飛ばすマジシャンでもあります。太い梁や囲炉裏でワインやシャンパンを飲むのも新鮮です。

古くから伝わる郷土の知恵と工夫がぎっしり詰った「五箇山・合掌の里」をご紹介しました。


【旅の足】

~電車~
東京駅(上越新幹線1時間15分)→ 越後湯沢駅(北陸本線2時間20分)→ 高岡駅(JR城端線50分)→ 城端駅(加越能バス40分)→ 五箇山

大阪駅(北陸本線3時間)→ 高岡駅 → 城端駅 → 五箇山

~車~
練馬IC(関越自動車道3時間)→ 長岡JCT(北陸自動車道2時間)→ 小矢部・砺波JCT(東海北陸自動車道25分)→ 五箇山IC

吹田IC(名神高速道路1時間30分)→ 米原JCT(北陸自動車道2時間30分)→ 小矢部・砺波JCT → 五箇山IC

投稿者: Mie Hama 日時: 06:58 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~長野県・信州松本」

今回ご紹介するのは長野県信州松本です。
倉敷とともに、信州松本も私にとっては民芸の故郷です。

松本は安曇平の向こうに北アルプスが屏風のようにそびえ、昔ながらの城下町の面影が色濃く残る町です。松本市は平成17年に合併し、県下で最も広い面積の自治体となりました。

西に日本の屋根といわれる「北アルプス」、東に日本一高いとして名高い「美ヶ原高原」を望む大自然に囲まれた盆地です。安曇地区・奈川地区・梓川地区・四賀地区・旧松本市、豊な緑、澄んだ空気に恵まれた大変美しいところです。

今回は国宝松本城を中心に市内をご案内いたします。

国宝松本城は現存最古の天守閣・戦国時代の姿を残します。1593年頃に石川数正親子により造られました。五重六階の天守・渡櫓・乾小天守は現存する天守の中ではわが国最古のものです。天守閣からは美ヶ原高原・北アルプスなどが一望できます。

今回、松本をお訪ねしたのは「池田三四郎生誕100年~特別展示」を見るためです。

もともと松本は木工で栄えた町でした。特に家具製作は松本藩の商工業政策の一つとして奨励されました。日本有数の豊かな森林、伐採された木を運ぶことができる河川、材木を貯蔵したり自然乾燥するのに適した湿度など、自然条件も揃っていました。江戸末期には、家具に使用される鉄、金具類の飾り職や錠前職も増え、明治初期には町にそうした仕事場が数十軒も店を構えていたそうです。

しかし悲しいことに松本の家具作りは第二次世界大戦後に衰退します。そんな中で、かつての松本の家具作りの栄光を復活させようと力を注がれたのが、池田三四郎さんでした。その池田さんが生み出したのが松本民芸家具です。

池田さんは、欧米の家庭で使われていた家具のデザインを踏襲し、高度な和家具の技術を持つ松本の職人に、洋家具を作らせたのです。松本民芸家具は、美しく完成されたデザイン、確かな作り、年を経るごとに増す味わいで、長く愛されている家具です。

私は松本駅に降りると、いつも女鳥羽川沿いにある喫茶店「珈琲まるも」に伺います。私はこの喫茶店の落ち着いた雰囲気と家具が大好きです。珈琲が薫り高く美味しいことは言うまでもありませんが、この店の椅子に座ると、ほっと力が抜けるような気がします。

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英国ウィンザー調のテーブルや椅子、美しい音楽と上等なコーヒー。その喫茶店はかつては松本深志高校(旧制松本高校)の青年たちが文学やロマンを熱っぽく語り合った場所とのこと。今でも店内の雰囲気に、そこはかとないインテリジェンスが漂っていて、ただ座っているだけで心が落ち着きます。以前、池田さんに「珈琲まるも」の椅子についてお聞きしたことがありました。

「あの椅子はね、私がウィンザー朝の椅子にのめりこんだ最初のころに作ったものです。五十数年のあいだに、浜さんも含めて十万人以上が座ったんじゃないかな。たくさん人に座ってもらって、自然に磨かれて、なかなかの味が出ているんですよ」

池田さんはにっこり笑って、そうおっしゃいました。

中学時代、図書館で出会ったのが柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちに言われるままに振舞うしかなかった時、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。柳さんも松本には何度も足を運ばれています。柳さんを師と仰ぎ民芸家具に打ち込んだ池田三四郎さん。池田さんとは30年あまりのお付き合いでした。お会いするだけで心が安らぐ、そんな懐の広い人でした。

心にふと迷いが出たとき、自分の生き方を見失いそうになったとき、私は列車に飛び乗り、松本に向かいます。

「よう、浜さん、来たかい」と笑顔で迎えてくださいました。

池田さんは、柳宗悦氏との出会いによって民芸の道にはいられた柳先生のお弟子さんでもあります。

「柳先生に私は、『その道に一生懸命、迷わず努めていれば、優れるものは優れるままに、劣れるものは劣れるままに、必ず救われることを確約する』と教えられたのですよ」・・・と。

池田先生はよく柳宗悦のお伴をして松本の町を歩かれたといいます。時々周辺の山々を見渡せる丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま長い間考え事にひたっている宗悦の横顔を思いだされると話してくださいました。

「あの頃の柳先生はいつも『自然というものは、仏か、仏でないか』と同じ言葉を呟いていらした」

そのエピソードに、いつも神の宿る自然というものに敬虔な気持ちを抱きながら、深い思索を繰り返していたであろう、ありし日の柳宗悦の姿がしのばれます。また同じく宗悦に心酔していた版画家の棟方志功は同じ丘にのぼりながら「自然以上の自然が描けたら、それがまさに芸術と呼ぶに値するものなのだろうなあ」と繰り返していたといいます。

私の目の前で、ストーブに薪をくべながら池田先生は、「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」と淡々と語られました。何も問わずとも私の心の内を見抜かれているようでした。

平成11年12月15日。池田三四郎先生はその生涯の幕を閉じました。


松本の町にはそんな精神・文化が今なおしっかり受け継がれています。朝、喫茶店に入ると初老の方々が珈琲を飲んでいるお姿に「いい町!」と思わず呟いてしまいます。

松本市内は時間があれば、のんびり散策ができる広さです。国宝松本城へは松本駅から徒歩20分余り。その松本城二の丸跡にある博物館。途中昔の城下町の風情を残す縄手通りの商店街は千歳橋の左手女鳥羽川沿いに広がる古風な感じの商店街。お店は江戸時代風の建物で懐かしくそして楽しいお店が約40軒。白と黒のなまこ壁が美しい蔵造りの中町通り。ここは、かつて善光寺街道として大勢の人びとが往来した歴史ある道です。土蔵造りのノスタルジックな町並みが広がっていますが、モダンなカフェやクラフトのお店などもあり楽しいエリアです。

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さすが、工藝の町です。そして故丸山太郎氏が、日常の生活用品にある逞しい美に魅せられて収集した民芸品が展示されている松本民芸館。駅からも近いアートミュージアム。城下町松本はこんこんと湧き出る名水の街。いたるところに名水が今も湧き出ています。

"われらの青春ここにありき"旧制高等学校記念館はあがたの森公園にあり懐かしい気分に浸れます。(国の重要文化財に指定されています)

明治9年に建てられた旧開智学校(昭和38年まで小学校として使われていた)。そして深志神社は暦応2年(1339年)の創建で古くからの由緒正しき神社。私が訪れた時は境内に真っ白なやまぼうしの花が満開でした。信州手打ちそばのお店もいろいろあります。

8月8日(土)には国宝松本城で薪能が開催。さぞかし幽玄な世界のことでしょう。また8 月22日(土)にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本で「武満徹メモリアルコンサート」が開催されます。

近くには「日本書紀」に登場する名湯・美ヶ原温泉、松本の奥座敷・浅間温泉、市内を巡るバスが松本駅バスターミナルを拠点に色々なコースがありとても便利です。(1乗車大人190円/1日券大人500円・小児半額)

街を歩いていると住民の方々が気軽に声をかけてくれます。そんな触れあいとやすらぎの街・・・松本をご紹介いたしました。


【旅の足】

《電車・JR松本駅》
東京(新宿)から中央東線(特急2時間30分)
名古屋から中央西線(特急2時間)
大阪から新幹線・中央西線(特急3時間10分)

《車》 
中央自動車道経由→長野自動車松本IC

《飛行機》
大阪から55分
福岡から1時間35分
札幌から1時間35分

投稿者: Mie Hama 日時: 09:05 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~日本の故郷を歩く」

今回ご紹介するところは、静岡県賀茂郡松崎町・石部地区です。

松崎町は人口8,200、戸数3,150の小さな町です。昭和10年以前に建造された外壁が海鼠壁(なまこかべ)の建物が200軒ほど現存しています。
伊豆半島西南部に位置し、三方を天城山稜に囲まれ、西に駿河湾を望み、
屈曲に富む海岸線は富士箱根伊豆国立公園に指定されるなど、豊かな自然は訪ねると心が安らぎます。その松崎町の中心部から5キロほど南下した場所に石部地区の集落が広がります。

この集落は、昭和30年頃まで約18haの棚田がありました。しかし、高齢化、
労働力不足、減反政策などにより耕作放棄地が進み、猿や猪などの有害鳥獣被害の拡大などもあり、荒れ放題となり山林原野化してしまったのです。

石部の棚田が歴史的文献に現れたのは文政7年(1824年)、今から185年前のことです。この年に大規模な山津波が石部の棚田を襲い、ほとんどの棚田が崩壊したと記録にあります。棚田の年貢は免除され、約20年もの長期に渡る過酷な作業により、現在の石積みの畦道を築きあげており、先人の努力や苦労がしのばれます。

「何とかしなくてはいけない・・・この棚田を守っていかなければ」との住民の思いが結集します。

ここまでくるのには並大抵なご苦労ではなかったはずです。反対もあったでしょう。しかし、地元区では「棚田保全推進委員会」が発足し草刈や石垣の補修などが行われ、平成12年5月には田植えを実施、実に十数年ぶりに棚田がよみがえりました。

「日本の原風景・棚田」が脚光を浴び、静岡県の「棚田等十選」に選ばれました。

この石部の棚田は「百笑の里」とよばれています。標高120m~210mのなだらかな傾斜地にあり、駿河湾を眺み、遠くには富士山や南アルプスの山並みを見ることができます。棚田一帯には、図鑑にでている草花や鳥や昆虫と身近に接することができます。

以前お邪魔した時にはなかった交流施設(休憩所・水車小屋など)ができていました。交流棟は松崎らしく、海鼠壁をいかした建築様式で棚田の風景にマッチし、電気はソーラーパネルと風力発電を利用し、環境も考慮した美しい建物です。囲炉裏を囲んでの会話はさぞかしはずむことでしょう。

平成14年からオーナー制度を開始し、現在105件の応募があり、
このオーナーによって、田植えや稲刈りが行われています。

私は知っています。
お米作りの大変さを。
ましてや棚田です。
一枚が小さく、機械が入らない田もあります。

私もかつて10年間、福井県若狭三森に古い農家を移築し、田んぼをお借りして、師匠の松井さんご夫妻に農業のイロハを手ほどきいただきました。私の田んぼはわずか7畝(1反弱)ですが、松井さんたちのおかげで、美味しいお米を育てることができました。

手植え、手刈り、はさかけ・・・。その間の水の管理、草取り、様々な作業があります。また米作りにともなう農村の営みと、折々の機微を教えていただきました。花一本、草一本、虫一匹にも役割があることを、しみじみ感じとれた経験でした。

今回も石部棚田保全推進委員会、代表の高橋周蔵さんにお会いしました。
この地域の活動のキャッチフレーズは

「子どもに夢を 老人に生きがいを」です。

「このような美しい棚田をよみがえらせたのは、静岡県内の学生さん、ボランティアの方々のおかげです。活動を通じ、地域住民も棚田を貴重な地域資源として、都市住民との交流をはかり楽しく守っていきたいです。」とおっしゃる周蔵さんのお顔は輝いていました。
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地元民宿などの観光業と連携したグリーンツーリズム組織も整ったようです。6月に入ると沢沿いに蛍が舞いはじめ、夏にはカブトムシ、セミ等昆虫が捕り放題とのこと。子供にはたまりませんね。

棚田米は天城山からの伏流水と完熟堆肥により美味しいお米がつくられるのです。また、棚田の黒米を使った焼酎・うどん・パンなども作られています。

これからの美しい集落づくりは、ただ生産の場としてだけではなく、グリーンツーリズム、エコツーリズムの拠点として"みんなの財産"という概念が必要だと思います。

先日16日、17日の週末に田植えが行われました。小さなお子さんから大人まで105組総勢550人が集まり、田植えを楽しみました。田植えの後には地元の方々が美味しいおにぎりでもてなしてくださったそうです。夕日に染まる棚田、伊豆西海岸の夕日と棚田の風景は心の故郷です。
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そして、松崎町は見どころいっぱいです。古き良き明治の街並みが楽しめます。海鼠壁の建物はよく見ると左官職人の見事な技を感じます。この技術の保存のため、「松崎夢の蔵(仮)"蔵つくり隊プロジェクト"」が発足し、後継者育成に取り組んでいます。タイムスリップしたような感覚になる街です。

那賀川沿いの時計塔と明治商家・中瀬邸はレトロなデザイン。
外観をそのままに室内は喫茶スペースとなっています。
国の重要文化財、岩科(いわしな)学校。
露天風呂・温泉健康施設(こちらは明治初期まで呉服屋を営んでいた旧商家が現在無料の休憩所として開放され、足湯も楽しめます)
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今回は静岡県賀茂郡松崎町石部地区と松崎町をご案内いたしました。


【旅の足】
列車では
東京~熱海(新幹線55分)~蓮台寺(伊豆急1時間30分)~松崎(バス40分)
東京~蓮台寺(直通電車2時間50分)~松崎(バス40分、30分間隔)
東京~修善寺~松崎(バス1時間45分、40分間隔)

船では
清水港~土肥港(駿河港フェリー65分)~松崎(バス40分)

車では
東名沼津ICより三島経由国道136号。
松崎72km(下田より27km)
松崎から石部までは西伊豆東海バス
0558-42-1190

松崎町観光協会
0558-42-0745    

投稿者: Mie Hama 日時: 07:40 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~飛騨市神岡町・山之村」

今夜ご紹介する飛騨市神岡町山之村は、岐阜県の北端に位置し北は富山県、東は高山、南は飛騨古川町、西は宮川町に境が接しています。近隣都市からは、高山市の北へ44.3キロ、富山市から南南東へ48キロの位置にあります。

市街地から22km山間に入った標高千メートルの楽園、
地図にない村"山之村"です。

雄大な北アルプス飛騨側山麓の高原に点在する7つの集落(森茂・伊西・下之本・瀬戸・打保・和佐府・岩井谷)70戸からなる山之村。

ここは昔ながらののどかな山村風景がひろがります。

辺境の集落、そのどの家にも全面が板造りの伝統的な倉庫「板倉」が残っています。700年の歴史をもつこの地域には、茅葺きの家や、地蔵堂や道祖神などがあり、そこには穏やかな空気が流れ、まさに日本の故郷といった感じがします。

全国的に深刻な過疎化と高齢化が進んでいますが、山之村のみなさんは持続可能な村づくりに一生懸命です。現在、市町村合併が進んだなかで、一般的に中山間地域は行政のきめ細かな支援等が行き届かなくなり、更なる過疎化への道へ、との声もありますが、ここ山之村は神岡町の住民との連携もとられ素晴らしい活動をしています。

この村は「にほんの里100選」にも選ばれています。
選定委員長の映画監督・山田洋次さんは

「にほんの里100選というタイトルをはじめて聞かされたときに感じたのは、なつかしい風景や誇るべき暮らしの文化を残しているような地方が、ぼくたちの国に百カ所もみつかるだろうか、という不安だった。しかし、ふたを開けてみて驚いた。寅さん映画の監督として日本中を歩き回った経験など実に貧弱でナンセンスということを思い知らされた。」

と語られています。私もそう思います。

私がこの村を始めて訪れたのは一昨年の12月、この山之村で作られている「寒干し大根」を求めて伺ったのが始めてです。寒干し大根は1、2月の極寒期に天日干しをし、キツネ色に変わり保存食として、どの家庭でも作られています。冬景色の美しさと共に、その美味しさはまた格別なものです。

その「寒干し大根」を作り続けてきた「すずしろグループ」の皆さんが「食アメニティコンテスト」で農林水産大臣賞を受賞なさいました。軒先に藁で吊るしていたものを串にさして、そろばんを縦型にしたような干し台が工夫されまさに、村の風物詩として全国に知られるようになりました。

「すずしろグループ」も創立20周年を迎えられました。

今は自然食ブームなので売り出せますが、当初は大変なご苦労だったと思います。

「毎日毎日積もる雪、いつになったら春が来るのかと思っていた。雪よけをしながら山々を見ると、木々にも雪が積もっている。いつになったら雪がとけるのだろう。この長い冬を何か利用することがないか、楽しみはないかと思っていた頃、昔から山之村には保存食としての「寒干し大根」がある。これを生かし、冬にしかできない食文化を大切にしよう」

と思い皆さんでとりくまれたのでした。

美しい暮らしを残す・・・という事は、そこに人の営みがあって初めて守られるのですね。

北ノ俣岳(2,661m)登山の中継地としても知られ山之村には、コテージ、バンガローを備えたキャンプ場があり、奥飛騨山之村牧場では白樺の森に囲まれて、牛たちとのんびり、草を食む緑のまきばでのんびりすることが出来ます。(4月29日オープン~11月の頃・雪が降るまで)

旅館や民宿もあり、豊な自然を満喫できます。

先ほど申し上げた「寒干し大根」は山之村牧場で購入できます。3月下旬に再び訪ねたら、まだ小雪が舞い春にはあと一歩・・・というところでしたが、代表の清水利子さんは「今年もいい味になりました!」とおっしゃっていました。さっそく私も帰宅してから料理しました。シンプルに煮物も美味しいし、中華風に椎茸、白菜、キクラゲ、エビを油で炒めてみました。

バスで山ノ村から神岡町に戻ったら、市街地を散策してください。神岡町市街地は大洞山(1,348m)直下の盆地にあるため、湧き水が豊富で至る所に地元の人々が共同で管理している水車があり、年中冷たくて美味しい水が流れています。

疲れたら、平成17年4月にオープンした「平成の芝居小屋・船津座」でひと休み。船津座は飛騨の匠の伝統の技を結集した建物です。

飛騨は春夏秋冬・それぞれの自然が楽しめます。その中にあって"あるがままの自然"と共に暮らす神岡町の奥座敷"山之村"をご紹介しました。

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【旅の足】
富山から~高山本線で猪谷(46km,33分)バス40分神岡市外
        神岡~バス・車(22km,40分)

名古屋から~高山本線で古川(2時間25分)バス45分神岡市外

松本からは車の場合、安房トンネルを抜け乗鞍スカイラインで高山へ

新宿駅西口から高山まで高速バス有。(約5時間30分)
大阪(近鉄なんば)から高山まで高速バス有。(約5時間20分) 
 
【お問い合わせ先】
社団法人 飛騨市観光協会
TEL 0577-74-1192
FAX 0577-73-0099

投稿者: Mie Hama 日時: 07:41 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~神奈川県南足柄市・千津島地区」

今夜ご紹介するところは神奈川県南足柄市・千津島地区です。

千津島地区は南足柄市の北東部に位置し、酒匂川の開口部に位置した美しい農村地域です。

南足柄は私の住む箱根町のお隣の市です。南足柄は「古事記」などによると、官道であった足柄道を通じて、都の文化が東国に伝えられたと記録され、「万葉集」には足柄道をいく旅人の歌がいくつも収められています。

箱根・仙石原から「金時登山口」を経て金時山を抜け、静岡県の県境に、足柄峠・金時山ハイキングコース、足柄峠から万葉ハイキングコースもあり一度は歩いてみたいコースです。

以前、NHK・BSで「日めくり万葉集」に出演したことがあり、箱根にちなんだ歌を選んでほしいとのご依頼があり、

「足柄の 箱根の山に 粟蒔きて 実とはなれるを あはなくも怪し」

を選んだことがございます。「農の歌編」です。私は詠み人知らずの歌がとても好きです。その土地を旅している気分になれるからです。南足柄の地は、古来より歴史とロマンに彩られてきました。

この歌を詠んだ女性は、山を切り開いたような畑で粟を育てていたのでしょう。険しい山間で粟を育てるのはさぞかし大変だっただろうと思いますが、おおらかで、素朴な言葉遊びの歌に読み込まれた女性の心を想像するのは楽しいです。「粟は実ったのに、あはない」の素朴な掛け言葉に、ふられた女性の何か突き抜けた感じ、ちょっとした心のゆとりを感じました。

粟は今だと5月頃に種を蒔き、10月から11月にかけて収穫します。ですからこの女性は、もう半年も、男性との逢瀬が途絶えているのかもしれません。そして、当時の人々は、絶えず神や自然に対する信仰心や恐れを持っていたのでしょう。とりわけ、足柄峠には、荒ぶる神が御座す、と考えられていたと思います。

私は古代料理研究家の方に教えていただいて、当時の農民の方々の主食を再現してみました。粟8、玄米2の割合で釜で炊いてみましたが、美味しかったです。「南足柄市観光マップ」を見ながらそんなことを思い出しました。


さて、千津島地区には小田原から大雄山線に乗って"まさかり・かついだ金太郎"を目指してガタゴトと地味ですが、とても貴重な名物車両に乗り、終点の大雄山駅で下車します。

箱根外輪山や丹沢山系の稜線を遠くに眺め千津島地区まではのんびり歩いて30分ほどです。農道では、夏にはピンクの「ハナアオイ」と黄色の「キンケイギク」が、9月中下旬には「酔芙蓉(すいふよう)」や「彼岸花」が季節の移り変わりを告げてくれます。

ふくざわ公園を中心に四季折々の花々が地域の人により大切に育てられています。この地域は住民による手づくりの地域づくりを行政がサポートして作り上げられてきました。「地域づくりは人づくり」をモットーとし、作業に参加した人々の和が固い絆で結ばれています。

公園とその周辺で「菜の花・春めきまつり」が3月14日~22日まで開催されています。会期中、メイン会場では昔懐かしい童謡が流れ、のどかな農村景観は、まさに美しい農村の原風景があります。家族でゆっくり春の風を感じてください。

そして、大雄山駅に戻り、隣の駅「富士フイルム前駅」から徒歩5分のところに、中沼地区があります。南足柄市を流れる狩川沿いの小道「春木径(はるきみち・右岸)」、「幸せ道(左岸)」に菜の花が河原を埋める黄色いジュータン。そしてピンク色に染まり始めた早咲き桜「春めき(足柄桜)」が満開を迎えています。私は先週行ったので5分咲きでしたが、今週末が一番美しいようです。幅約2m、長さ約200mにわたって続く花ロードは地元のボランチィアグループの人たちが、植栽したそうです。

「あしがら花紀行」は花による地域おこしです。派手な観光資源はありません。
「だからこそ、花というきっかけでこの地に足を運んでもらって、平凡だけど心地よい風景や感動に出会ってほしいのです。」、「歴史に根ざした未来志向の地域づくりを目指しています。」と住民の方は仰います。

都心から80キロ圏の首都近郊都市。
「南足柄」はその利便性でさまざまな旅が楽しめます。
春木道・幸せ道の桜並木でも、「桜まつり」が行われています。

20日(金)、21日(土)、22日(日)には、地場野菜や加工品、足柄人形などの販売の他、名物の焼きそば、こんにゃく味噌おでんなども楽しめるようです。

ちょっと足を延ばすと、さまざまなハイキングコースがありますし、市内散策では

○古え物語コース
○伝承の旅人コース
○故事伝来コース
○天狗伝説コース
○金太郎伝説コース

など、市が発行している「南足柄市観光マップ」に詳しい説明とわかりやすい地図が載っています。JR小田原駅の観光案内所もしくは、大雄山駅で手に入れることが出来ますので、それをお持ちになって歩くことをお勧めいたします。

見所は、あじさい・藤棚・紅葉の美しい「大雄山最乗寺」、万葉集に詠われた足柄道に関連する7つの歌碑がたち、万葉の花木が植えられている「足柄万葉公園」、酒匂川の上流内川にかかる落差23mの滝で金太郎が産湯をつかった滝と伝えられている「夕日の滝」は新緑・紅葉ともに美しく、夏はキャンプ場が開かれ水遊びで賑わいます。

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【旅の足】
~電車~
小田原駅から伊豆箱根鉄道大雄山線で終点大雄山駅下車。
全長9、6km―単線のローカル私鉄。ほぼ終日12分の運転間隔なのでとても便利です。無人駅が多いが、ICカード乗車券Pasmo・Suicaは使用可能です。

~車~
東名大井松田ICから県道78号線で約15分。金太郎歓迎塔手前の交差点を右折してしばらく行くと千津島地域になります。

詳しくは、南足柄観光マップをご覧になるか、南足柄市役所商工観光課にお問い合わせを。

電話0465-74-2111(代表)

投稿者: Mie Hama 日時: 07:34 |

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県美咲町」

今夜ご紹介するところは、岡山県美咲町です。

美咲町は岡山県のほぼ中央に位置する中山間地域です。さらにその中央にある集落が境地区。境地域は、岡山県三大河川の「旭川」、「吉井川」に流れ込む分水界に位置しています。地域の中心部は峠となっています。

この峠から見る集落の美しさは、まさに日本の故郷そのものです。その多くが棚田地域です。住民の手できれいに保存された棚田は全国棚田百選にも認定されていて、「日本のふるさとの原風景」が育まれています。

私はこの40年、日本の農山漁村を歩いてまいりましたが、伺った農村で、おばあちゃんやおじいちゃんと話したり、お茶を飲ませていただいたりするうちに、「日本の美しさは農村景観にある」と、しばしば思うことがあります。

民俗学者の宮本常一は著書「旅と観光」の中でこのように書いています。ご存じだと思いますが、宮本常一は、戦前から高度成長期まで日本各地をフィールドワークし続け、膨大な記録を残した人物です。 ときには、辺境と呼ばれる土地で生きる古老を訪ね、その一生を語ってもらい、黙々と生きる多くの人々を記録にとどめました。

「私は地方の村々をあるくとき、できるだけ高い、見はらしのよい丘や山に上がるようにしている。近頃はそういうところにも車のやっと通れる程度の林道はできている。そして、そういうところで、村人たちのひらいた田や畑、植林の様子などを見ていると、時の経つのを忘れる。そういう村で、村人たちに、春でも秋でもいい、晴れたよい日に村中の者が山の上に弁当を持って上がって、そこから村を眺めつつ、一日中団らんしてみてはどうかとすすめる。これを『国見』とよんだらどうか。」

そして

「その土地の名物や料理は食べておくがよい。その土地の暮らしの高さがわかる」

とも。傾斜地に広がる棚田を見ていて、ふっとそんな言葉を思い出しました。

この集落は「みんなで仲良く」が活動の合言葉になっています。素晴らしいですよね。農家戸数52戸・人口185人。

ここで平成15年に赤そば(高嶺ルビー)の栽培を機に、境地区農業生産者組合が組織され棚田のそば屋「紅そば亭」がつくられました。紅そば亭には年間約1万人が訪れ、棚田の見学やそば畑の景観を楽しみ、毎年新そばが出来る頃、「そばまつり」を地元民が開催しています。紅そば畑の花が咲くころは、県内外から特に県内では倉敷からのお客さまが多く、また写真家や多くの見学者が訪れるそうです。

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そして、「紅そば亭」の お母さん達はいいます。

「この5年間で生活はガラッと変わりました。一人でこつこつ農業やっていたのが、接客業になったのですから。今では、このそばが生きがいになっています。活動のキャッチフレーズは何かと問われれば、『伝統文化とこだわりの味を伝えたい』となりますが、ひらたく言えば、『みんなで仲良く』で頑張っています。」・・・と。素敵ですよね。

何もない・・・といえば何もありません。しかし、そこには確かな"日本人の暮らし"があります。伝統文化がしっかり伝承されています。

岡山県無形民俗文化財「境神社の獅子舞」。
舞は男子と限られていたのが、最近は女の子も笛で参加するようになりより華麗な雰囲気で奉納されるようになったそうです。

岡山県三大河川の一つ「旭川」水系でおこなわれていた古武道の棒術、境神社宮棒も伝承されています。地元では棒使いといわれて親しまれ、代々引き継がれています。宮稽古に参加することは、地区民の仲間入りの第一歩でその意味はとても大きいのです。やはり少子化の問題はありますが、伝承され続けることを祈ります。

周辺にもみどころいっぱいです。

境神社の大杉は樹齢300年といわれ、境地区のシンボルであり、神木として崇められ大切にされています。

集落から、運がよければ「雲海」見られます。

二上山両山寺。
岡山県の中ほどに二つの峰をもってそびえる二上山の頂上にある両山寺は、開祖西暦714年といわれる古刹です。境内にそびえる千年の大杉は信仰の対象として崇められています。寺の「五智如来像」は、知恵を授かるご加護で子ども連れに人気があるそうです。

滝谷池は灌漑と水利保全のために作られた池。
桜と釣りの名所で、白鳥2羽がスイスイと泳ぎ「さくらちゃん」「たきちゃん」と名づけられいつも仲良く泳いでいる姿はなんともほほえましいです。桜の咲く頃にお出かけください。可愛い2羽の白鳥に出会えることでしょう。

今の農村景観は少しずつ美しさから遠ざかりつつあります。でも、今夜ご紹介した美咲町には、そんな美しい集落、人の営みがしっかりと根づいているのです。

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旅の足
車で
国道53号で津山から・・・約30分
国道53号で岡山から・・・約60分

バスで 津山から・・・約30分

空港連絡バスで 岡山空港から・・・約60分

鉄道で
JR津山線で津山から亀甲駅・・・約15分
JR津山線で岡山から亀甲駅・・・約60分

投稿者: Mie Hama 日時: 08:45 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~酒田・室生寺」

今夜ご紹介するのは山形県酒田にある"土門拳記念館"です。

その前に、年末奈良の室生寺を訪ねました。

私と室生寺の出会いは10代の頃に遡ります。
私を骨董の世界へと導いてくれた写真家・土門拳先生が、「室生寺はぜひ見に行ってごらん」といってくれたのでした。それ以前に、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」に出会い、私の宝物のようになっていました。

定価100円のザラ紙に印刷された、一枚一枚のなんという悲しさ。なんという愛らしさ・・・。表紙になっている、るみえちゃんの美しさと底知れない悲しみ。心がくぎづけになりました。

「一度でいい、土門先生にお会いしたい」と当時、思いつづけておりました。念願がかない京都で雑誌の表紙の撮影。が、その日は光の具合がよくなくて中止。そこで先生が誘ってくださり、ある骨董屋さんに連れて行ってくださいました。

その道すがら、土門先生はこうおっしゃられました。「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。これから本物を見に行こう」・・・と。

それが先生との出会いでした。

それ以来先生は、何度病に倒れても不死鳥のように甦り「室生寺」「古寺巡礼」などを世に送り続けました。「女人高野室生寺」の撮影時は3度目の大きな発作に見舞われ、車椅子の上からの撮影となりました。

特に私の好きな
「精神ヶ峰の朝霧」
「雪の鎧坂金堂見上げ」
「室生寺弥勒堂」
「釈迦如来坐像左半面相」

など、数えきれないほどの"室生寺"を先生は正に執念で撮り続けられたのです。

私は奈良での仕事が終わり何故かふっと室生寺に行きたくなり予定を延ばし訪ねてきました。

JR奈良駅から桜井線に乗り、途中で近鉄線に乗り換えました。単線を走る2両仕立ての各駅停車の桜井線はトコトコ、のんびり走り、窓から冬の奈良の景色をゆったり眺めることができました。早朝の朝霧の中、雪はありませんでしたが、先生の作品「雪の鎧坂金堂」の石段にたちたくなったのです。なぜなのでしょうか・・・。

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新しい年を迎え、新しい人生のステージに足を踏み入れるとき、人は祈りの場所を求め、心を整理し、大いなるものに背中をそっと押してもらいたくなるのかもしれません。

まだ他に人もおらず、室生山を仰いで清流をゆっくりと渡ると室生寺。仏様を拝み、建物を鑑賞し、堂内を散策してきました。

先生は写真集「室生寺」のまえがきで、このように記しています。

「この本が祖国の自然と文化に対する日本民族の愛情と誇りを振るい起すささやかなよすがともなるならば、ぼくたちの努力の一切は報いられるのである」

室生寺の別名は「女人高野」といいます。

「室生寺は寺伝にいう女人高野の名にふさわしく、可愛らしく、はなやかな寺である。伽藍も仏像も神秘的で、しかもあやしい色気がある。深山の杉の木立の中に咲く山ざくらにもたとえられよう」(「ぼくの古寺巡礼」小学館)

仏様たちと静かにひとり対話し、元気をいただきました。たった一泊延泊しただけですが、ひとり旅っていいなぁと、その醍醐味を味あわせてもらいました。ひとりでお訪ねしたからこそではなかったか、とも思います。

さて、そんな旅のあと、たまたま1月に入り山形での仕事があり、奈良の旅の延長に酒田の「土門拳記念館」に行ってみたくなりました。

仕事が終わり夕暮れの中、奥羽本線で新庄まで、そして、陸羽西線に乗り換え甘目(あまるめ)。今度は羽越本線で酒田へと。凍てつく冬の旅ですが、車窓から遠くにぼんやり民家の灯りが見え東北を旅している・・・と実感できます。

山形県酒田市の「土門拳記念館」は最上川が日本海に流れる河口間近の川ぞいに位置し、飯森山文化公園の中にあります。遠くに雪をかぶった鳥海山。人口の池(草野心平が「拳湖」と名づけた)にはカモが気持ちよさそうに泳いでいます。

水面に浮かぶように建てられた記念館の設計は谷口吉生。
イサム・ノグチの中庭の彫刻、亀倉雄策による銘板、勅使河原宏の作庭による庭園、周囲の素晴らしい自然と調和した建物です。

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「土門拳記念館」は日本最初の写真専門の美術館として、また個人の写真記念館としては世界で唯一のものとして昭和58年10月にオープンしました。土門先生の育った自然が望める場所にあります。

個人的には私は冬に訪れるのが好きです。今回は何度目になるでしょうか・・・。
「土門拳の風景」「文楽」「古寺巡礼―日本の仏像」が展示されており、もちろん「室生寺」もありました。

展示室の一画にメモしたノート、使ったカメラが展示してあります。そして1974年6月に65歳の土門拳先生が左手で書いた色紙の前で私は体が動かなくなりました。"逞しく・優しく"という文字。

車椅子に乗り、お弟子さんに背負われ、待ち続けて撮影した「雪の鎧坂堂を見上げる」を見るとき、10代に「本物に出会いなさい」と仰っていただき、「日本人の美」を学ばせていただいてから五十年近く経つのに、まだ耳元に先生の声が聞こえてきます。

そんな酒田の「土門拳記念館」をご案内いたしました。

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2009年・・・ 土門拳生誕100年を記念して三人三様展・勅使河蒼風・土門拳・亀倉雄策」が開催される予定です。2009年6月12日~8月23日まで。

旅の足
庄内空港
 東京―庄内空港・・・約60分
 大阪―庄内空港・・・約75分
JR線   
東京―新潟(新幹線)―酒田(羽越本線)・・・約4時間 
酒田駅より  
タクシー約10分
バス約16分

投稿者: Mie Hama 日時: 07:57 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~宮城県 大崎市 鬼首」

今夜ご紹介するところは、宮城県大崎市(旧鳴子町)鬼首(おにこうべ)です。

鳴子ダムの奥に位置し、なだらかな裾野がひろがる山麓の中に三十以上の源泉が湧く温泉郷です。神秘的な景観、山間に湧き出す豊富な湯、周辺一帯にはブナの原生林も姿を残し、大柴山、矢楯山、水沢森など、1,000m級の山々が連なっています。

一帯はカルデラ地帯で、須金岳、禿岳に囲まれ、私の訪ねた6月の上旬も12月の上旬も美しい姿を見せてくれました。今頃は小雪が舞っているそうです。間もなく本格的なスキーシーズンを迎えることでしょう。

鬼首(おにこうべ)、珍しい地名ですね。いろいろな伝説がありますが、はっきりしたことは分かっておりません。かつては鬼切辺(おにきるべ)とも呼ばれていたとか・・・。

アイヌ語的に考えると、荒湯(あらゆ)は壮美な硫黄質温泉、荒湯大神はアラユオンカムイ、オンは大、カムイは神、鬼首はオンネカムイの訳、オンネが鬼と転じ、それを知らずに鬼伝説が起き、いつしか鬼切部・・・鬼首(おにこうべ)になったのでは・・という説もあり、いずれにしても、いかにも古戦場にふさわしい地名です。

地獄谷遊歩道は約600mにわたって小さなかんけつ泉が足元から噴きあげ、渓谷に沿ってあちこちで見られます(約20分ごとに15m以上もの高さまで熱湯を吹き上げ、足止めをくいます。)

6月には珍しい白雲木の美しい白い花を見ることができました。
荒雄川神社には鬼首が生んだ名馬「金華山号」が祭られています。
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さて、今回鬼首の温泉、雄大な自然もそうですが、すばらしいここでの活動をご紹介したいと思います。

鬼首は「食の宝庫」です。

春一番雪解けを待って出てくるフキノトウ、川ふちにスノハ(イタドリの一種)ヨモギを摘みヨモギ餅、桜が咲く頃にはウド、ワラビ、コゴミ等など山菜の宝庫。鬼首では、ゼンマイは、食用ではなく、かつては換金するものだったそうです。

今回も、フキの煮付けやら漬物、自家製の味噌で、きのこいっぱいの味噌汁。そして・・・美味しい美味しい、"おむすび"。冷めても、もちもち感ののこる「ゆきむすび」をご馳走になりました。
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かつては、この一体は人が住めるところではないと言われ、そんな原野に入り開墾をしてきたのです。

生活の中心となった囲炉裏で魚を焼き、餅や芋などを焼き、鉄瓶、鉄鍋を下げて煮炊きをし、馬をとても大切にしていたので、母屋の中に厩(うまや)があったそうです。

ここ鬼頭には、少しづつの変化を経ながらも、自然と共にある、自然に生かされた、はるか遠い昔から続けてきた暮らしが今も残っています。
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さて、今回ご紹介するのは 「鳴子の米プロジェクト」です。

農水省は07年、4ヘクタール以上の大規模農家に集中し補助金をだすという政策を出しました。しかし、鬼首のような山間の地域は対象外になり、農業の継続が難しくなってしまいます。

「食」をめぐる偽装や、輸入食品の安全問題など、今、「食」がゆらいでいます。

作る人、食べる人、みんなの力で地域の農を守りたい。そんな思いで生まれたのがこのプロジェクトです。「食」を人任せにせず、作り手と食べ手が手を繋ぎ、大切な「食」を守り、地域の活性化へ繋げようと立ち上がったのです。今や日本の山間地の美しい田園風景が大きく変化する中で、このような官民一体となった取り組みに胸を打たれました。

そしてこのプロジェクトは、NHK仙台 開局80周年記念としてドラマ化されました。

タイトルは、「おコメの涙」。
来年1月2日BS2で再放送されます。

始めは、ほんの三反部から始まった鳴子の米づくり、「東北181号」は名前を変えて「ゆきむすび」となりました。人と人を結ぶにはふさわしい名前ですね。「生産者・消費者」ではなく「作る人・食べる人」になると、グンと距離が縮まる気がします。

二年前からはじまった「田んぼ湯治」・・・「種まき湯治」から始まり「田植え・稲刈り・稲こぎ・」そして収穫祭を迎え、人々の笑顔が目に浮かびます。

今年収穫された"ゆきむすび"も完売とか。
農村に新しい風がふいてきました。
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【旅の足】
東北新幹線で古川まで。そこから陸羽東線で鳴子温泉下車
バスで鬼首まで約20分。

今回、私は"リゾートみのり"に乗りたくて乗車。
ゆったりとしたリクライニング・シート。
伊達政宗の兜をイメージした「アンティックゴールド」を装飾した力強い車両で、のんびり秋の田園風景を楽しみました。
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12月以降の運転日は時刻表などで確認してください。

投稿者: Mie Hama 日時: 12:45 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~東京都庭園美術館」

「1930年代・東京」アール・デコの館(朝香宮邸)が生まれた時代
  2008年10月25日(土)~2009年1月12日(月・祝)

今夜ご紹介するのは、東京・白金台の「東京都庭園美術館」です。

私は、映画も落語も、ショッピングも美術館も、もっぱら「お一人さま」。たまに気の合う友人とご一緒しますが、ひとりなら自分のペースで気ままに行動できます。

遠出の旅も素敵ですが、私がおすすめしたいのが近場の美術館。介護で疲れているとか、なんとなく鬱々している時など、ぜひ、美術館に一人で行くことをおすすめいたします。美術館は一人でいても誰も不審に思いません。しかも、そこに作品が飾られていれば、心を和ませてくれる力があるはずです。人の少ない平日の午前中がお進めです。

私は以前、NHKの「日曜美術館」のキャスターをつとめたこともあり、お気に入りの美術館をいくつも心のリストに持っています。東京都庭園美術館もそのひとつ。

この美術館はもと、朝香宮邸として昭和8年に建てられたものです。戦後の一時期には、外務大臣公邸、迎賓館としても使われていました。それから半世紀たった昭和58年に美術館に生まれ変わったのだそうです。ラリックのガラスのレリーフや壁面を覆うアンリ・ラパンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフのおもしろさ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線など東京の真ん中にいるのを忘れてしまいます。

そもそも、国立科学博物館付属自然教育園の中に建つ美術館ですから、いかに緑に包まれているかがお分かりでしょう。大きな木がたくさん茂っている庭です。木々の間を抜けてくる風に吹かれながら、本当に贅沢な時間が味わえます。

今回は「1930年代・東京~アール・デコの館(朝香宮邸)が生まれた時代」が開催されていました。私が訪れた日は、空が綺麗に晴れ渡り、気温も湿度もバランスの良いお天気でした。

旅から旅へと動き続けた日々、ちょっとひと休み。晴れ渡った空に誘われて、私は思い立って、白金台の庭園美術館まで出かけてまいりました。陽はまぶしいほどなのに、カラリとした空気はひんやりとして、かといって決して寒くなく、こんなバランスのいいお天気はそうそうありません。暖かすぎる秋が長かったせいか、本当に秋らしいおしゃれが楽しめなかった・・・と思いませんか。「早く晩秋のおしゃれがしたいわ」と、東京の友だちは嘆いていたくらいですもの。

早速、私はちょっとおしゃれをして、そこに行きたいと考えました。なぜかと言いますと、ドレスコード割引「紳士淑女の帽子スタイル」・・・帽子をかぶってご来館されたお客さまは、団体料金でご入場いただけます。と、あったからです。なんとも肌ざわりのいいフカッとしたセーターに、ロングスカートは細身の黒、裾にちょっとスリットが入っています。この場合、靴はどうしましょう。ハイヒールでは疲れるので私はスニーカーを選びました。ちょっと粋なスニーカー。私のお気に入りです。そして帽子をかぶって。目黒駅から歩いて7、8分。イチョウの葉で黄色一色の絨毯です。

東京都庭園美術館は今年、開館25周年を迎えるのだそうです。先の20周年では「アール・デコ様式・朝香宮が見たパリ」展が開催され、やはり、その時にもまいりました。オートクチュルの最盛期から現代までの変化をたどった服飾展「パリ・モード1870~1960年・華麗なる夜会の時代」を見ました。パリ・モードは、いつの時代も女性たちの夢を紡いでくれました。私達が見たこともない時代であってもドキドキするほど美しいのです。

女性がただひたすら美しく優雅であることを求められた時代、ウエストの細さは女性が自我を押し込めた狭い空間そのものだったのかもしれません。20世紀初頭には、ガラっと変わるのです。女性の近代化は服の変化とともに、急激に軽やかになっていきます。シャネルは、服で女性解放を果たしたといわれます。私が始めてシャネルの服を買ったのは、イギリスで007を撮っていた時。週末に出る給料をおし抱いて、白黒の千鳥格子のスーツを買った思い出があります。
 
さて、今回開催されている「1930年代・東京」。私は1943年生まれです。1923年の関東大震災により、東京は壊滅的な被害を受け、1930年には特別都市計画法が作られ、なんとか帝都復興が関されたそうです。

「大東京の出発・1930」で、評論家・作家の海野弘さんは、「1930年に東京は『大東京』になった。東京市は15区で、渋谷、目黒、品川などはまだ区外であった」と書かれています。30年代はまだまだ世界的に暗い時代を想像してしまいますが、今回の展覧会を見て驚きの連続でした。なんとモダンな大東京なのでしょうか・・・。

東京駅を中心に丸の内界隈、銀座など、生まれ変わった(復興した)東京の姿を絵画、写真、彫刻、工芸、書籍、ポスター、絵葉書などから読み取ることができます。近代的な建物が立ち並び、モダンな意匠がそこここに見られます。空の玄関口、羽田国際飛行場が開港されたのもこの時代。カフェ、ダンスホール、劇場、デパートなど、私が10代の頃に憧れていた世界が、今に続くのです。1930年代は、日本が戦争へと傾いていった時代でもありました。

そんな目で改めて都会の風景や、空、人々の暮らしを見つめると、日本のモダニズムから、和洋の融合がみてとれ、胸がキュンとしてくるのは、1943年生まれのせいでしょうか。

余韻に浸りたくて、美術館の庭園の椅子に座り、しばしぼーっとしておりましたら、中年の女性2人はお弁当持参で、楽しい語らいをしておられました。庭には黄色や赤色のバラが咲き、晩秋の一日を楽しみました。

12月6日に記念講演が開催されます。

「アール・デコの東京~震災復興の時代と建築」
松葉一清氏(武蔵野美術大学教授)

午後2時~3時30分 定員250名(先着順・無料)
住所 東京都港区白金台 5-21-9
最寄駅 目黒 白金台
TEL 03-3443-0201
FAX 03-3443-3228
休館日 毎月第2・第4水曜日(祝祭日の場合は開館し翌日休館)、年末年始

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投稿者: Mie Hama 日時: 17:57 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岩手県平泉」

今夜ご紹介するのは、岩手県平泉 中尊寺、毛越寺です。

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平泉は岩手県の南に位置しJR東北新幹線『一関駅』で乗り換え、東北本線で約8分、平泉駅で下車。

中尊寺へは徒歩25分。または巡回バスで約7~8分。近くには北上川が流れ、漂泊の歌人、西行が歌に詠んだ衣川、束稲山が望め、雄大な自然景観の美しいところです。

平泉は、平安時代末期奥州藤原氏四代が約100年にわたりみちのくの都として納め、『この地を戦争のない平和な国にしたい』と仏教を基本に文化的な手法で築いた寺院や浄土庭園などの遺跡群が文化遺産として残されております。

2006年に日本政府は「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」として、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産の推薦状を提出し、今年7月にカナダのケベックで開催された世界遺産委員会での本登録の可決を待っておりましたが、残念ながら登録までには至りませんでした。

今回は世界遺産登録に向けて、気運が高まっていた5月にテレビの番組
「平泉文化 世界遺産へ ~中尊寺貫首と語る」の収録で平泉・中尊寺を訪れました。

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山田貫首さまにご案内頂いた中尊寺「金色堂」。
樹齢300年の杉木立に覆われた参道を登りきるとコンクリートの覆堂に守られた、国宝建造物第一号の金色堂がたたずんでおりました。おもわず息を呑むほどの雅な金色堂。お堂の内外全て金箔で包まれております。

屋根だけは木瓦葺き。当初はたぶん屋根まで皆金色だったのではないでしょうかとのこと。内陣の三つの須弥壇には阿弥陀三尊、地蔵菩薩など合計32体の仏像が安置されています。そしてその須弥壇の下には初代清衡、二代基衡、三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が納められておるようです。

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金色堂からゆっくりと歩きながら本堂横を抜け、北側にある法泉院旧庫裏に向かいます。この庫裏は元禄時代に僧侶の住まいとして建てられ県の文化財になっております。

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萱葺き屋根で土間の広い作りで、つい最近までお坊さんが生活をされていたようです。

当時の僧侶はお寺の仕事半分、農業半分をしながらの生活だったようです。

平泉の文化も、お寺も、地域の農業に支えられてきました。平泉の世界遺産候補の遺跡の一つである「骨寺村荘園遺跡」という水田地域があり800年前からの景観がそのまま残されている地域で、長い間、中尊寺のためにお米を作ってくれていた水田だそうです。文化を支えているのは、「農」、「食」であることも忘れてはならないことですね。

種をまき、生命を育て、その過程で人を育てる。寒さ、暑さに負けない人を育てる。同じように農業を育てる。文化の伝承が人から人へ受け継がれ、その中に自然が介在している。まさに文化は足元にあるということですね。

岩手の食料自給率は高く、学校給食の地産地消率もとても高いようです。

「岩手の水田は、藤原三代の時代から変わらない実りをつけています。また、平泉の世界遺産登録も、この地域のすばらしい歴史、文化を再認識し、誇りをもつきっかけになればと願っております。」と貫首さまからのお話。この10年、後世にこのかけがえのない平泉の文化を伝えるために皆が一体となって、ご努力をされてきました。残念ながら世界遺産登録には及びませんでしたが、これから百年、二百年後にもこの心が、文化が、継承されますよう祈っております。

最後に山田貫首さまより色紙を頂戴きました。「人 中 尊」(じんちゅうそん)

これは天台宗の経典 法華経にでている言葉で、

誰もがもっている 
仏に成るという
尊い性質を
全ての人に認める
心を持つ事だ

この心をもって人々をお迎えし、この心を持って生きていく。
お互いに尊重し、譲り合い、許しあう、その気持ちを持つことが大切です。
とご法話を頂戴いたしました。

その後、二代基衡が平泉の南の玄関口に建立した極楽浄土を地上に表現した美しい庭園のある「毛越寺」、へとお参りさせて頂きました。

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山門をくぐりますと、右手前方に大泉ヶ池があり清らかな水を湛え、水面には暮れ行く太陽の光と四囲の樹木が映し出されます。この庭園は日本最古の庭園書に基づいて作られた大変貴重な庭園です。池周辺には桜、あやめ、萩・・・と四季の美しい庭園が楽しめます。あやめ園では、どこか明治神宮にも似ているかなぁと思いましたら、パンフレットには明治神宮から100種100株を譲り受け、現在は300種3万株の花菖蒲が咲き誇るようでございます。

大泉が池を渡る風が、ゆったりと心地よく、心が洗われ悠久の時を過ごした旅でした。

10月20日~11月15日迄、中尊寺菊祭り
11月01日~03日迄 中尊寺・毛越寺 秋の藤原祭りが開催

平泉へは、JR東北新幹線一関駅から乗換え約8分 JR東北本線平泉下車

平泉町農林商工観光課 0191-46-2111
(社)平泉観光協会  0191-46-2110

中尊寺 0191-46-2211
拝観時間
04月01日~11月10日までは8:00~17:00
11月11日~03月31日までは8:30~16:30
12月31日は14:30まで

毛越寺 0191-46-2331
拝観時間
04月05日~11月04日までは8:30~17:00
11月05日~04月04日までは8:30~16:30

投稿者: Mie Hama 日時: 16:49 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~日本のふるさとを歩く」

今夜ご紹介するのは、秋田県横手市増田町です。

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横手・・といえば「かまくら」。
以前冬の「かまくら」を見にうかがったことがありますが、今回は、お隣の増田町です。平成17年10月1日に、平成の大合併により、横手市・平鹿郡の1市7町村が合併し、新横手市増田町となりました。

秋田県の東南部に位置した、人口8351人の町です。雄物川水系の成瀬川と皆瀬川の流域及び合流点に開けた東西4km、南北19kmの細長い町です。平坦部は水田、東部山麓一帯は広大な果樹園がひろがります。
美味しい「平鹿りんご」の産地でもあります。

増田の歴史は古く、物資、物産の集散地として栄えてきました。大きな特徴として商業の繁栄を今も偲ばせる建造物の数々。古代(1000年以上前)から岩手県を通じて中央とつながるための交通の要衝でした。

そして「くらしっくロード」と名づけられたエリアがあります。ここには、明治~昭和初期に建てられた重厚な蔵をはじめ、古き良き日本の姿が残るレトロな建物が立ち並んでいます。とくに、驚いたのは「内蔵」といって贅の限りを尽くしてたてられた「蔵」です。通りに面した家々は質素な構え。ところが一歩家の奥に進むと、それはそれは見事な蔵。

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かつてそこは数多くの企業や地主が暮らし、繁栄を極めた町から"蛍町"とも呼ばれていたそうです。町をホタルに例えたのでは・・・という人もいます。これほど見事な「内蔵」を拝見したのは初めてです。なぜ、あのような見事な蔵があるのでしょう。

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内蔵は、壁面や屋根が風雨などで傷まないようにつくられております。
「醤油味噌蔵」「酒蔵」「食器や家財道具、帳簿の保管などを目的とした「文庫蔵」「座敷蔵」など。私が拝見した蔵も磨き黒漆喰が光沢を放ち、杉の磨き丸太、栗の柱。酒の国秋田の歴史と伝統を引き継ぐ造り酒屋、「日の丸醸造」の蔵は有形文化財。

一尺間隔に整然と並ぶ五寸五分角のヒバの通し柱は見事です。漆塗りの階段。それにしても見事な職人技です。

七代目当主の佐藤謙治さんは語られます

「文庫蔵が建てられて丁度百年、この蔵には歴史がたくさん詰っています。蔵を守るということは実際問題として、大変なことですが、次の百年に向けて大切にしていこうと思います。先人の残した単なる文化遺産としてではなく・・・。なぜなら、文庫蔵は私どもをずっと見守り続けて来ている訳ですから・・・」と。

増田の町では「内蔵」を競うように建て、これらの建造にあたった工匠たちもまた競い合うように技術と個性を表現しています。

内蔵はそこに住む人の生活の一部です。ですから、常時公開しているのは一ヶ所だけですが、増田町ではその歴史文化価値を生かしたまちづくりを目指し、平成18年5月に蔵の所有者らが、「蔵の会」を発足。1年に1回だけ公開することになりました。

"いにしえの蔵史(くらし)じっくり味わいませんか " 
第3回 蔵の日が10月4日(土)、5日(日)9:30~15:30まで
中七日町商店街・くらしっくロードで開催されます。

公開蔵は18棟(一部扉まで・庭まで含む) 
お出かけの方は、この内蔵は持ち主が生活をする家の中にあり、貴重品を保存する場所です。本来、当主と当主の許可した人しか入ることのできない特殊な場所です。無償で公開してくださる蔵、マナーを守ってご覧になってください。

そしておすすめは 360年の歴史がある朝市、2・5・9のつく日に開かれます。春・秋の山菜のシーズンは特に賑わうそうです。四季折々の特産物、野菜、山菜、果物など、地元のおばちゃんたちとお話ができるのも嬉しいですね。

歴史探訪もいろいろできます。

増田町には歴史の面影をそのまま伝える神社・仏閣が多くあります。
月山神社・万福寺。
また樹齢6百年以上といわれる二本杉など、銘木が町内にいまも多く残っています。

黄金色に輝く稲穂 田んぼの横には、「黒坂兵衛門の碑」があります。
享和元年(1652年)から8年がかりで水田をうるおす農業用水路「黒坂堰」を開さくした業績をたたえる碑が建っています。

東方に高くそびえる奥羽の山並みと、そこから流れる清流。
大地に刻まれた昔人の想いを受け継いでいる町・・・益田。まさに、おとなの旅が楽しめることでしょう。

旅の足
☆列車ご利用の場合
東京から東北新幹線で北上まで(3時間)
北上線で十文字町まで(1時間30分)
増田町までバスで(10分)

東京から山形新幹線で山形まで(2時間30分)
奥羽本線で十文字まで(2時間)
増田町までバスで(10分)

秋田から奥羽本線で十文字町まで(1時間)
増田町までバスで(10分)

☆自動車ご利用の場合
東京から東北自動車道で北上JCT(約5時間)
国道で湯田IC、秋田自動車道から横手JCT、十文字ICから増田町

秋田南ICから秋田自動車道(約45分)横手ICTから十文字IC、増田町

☆飛行機ご利用の場合
秋田空港へは、大阪・名古屋・東京・札幌からでています。
空港~増田町までは自動車で(約1時間10分) 

宿泊は町内に旅館また温泉旅館・・・近郊には多くの温泉もあります。
詳しくは

増田町観光協会までお問い合わせください
TEL、0182-45-5515

くらっしっくロードを散策する場合は観光案内人がご案内くださいますので予め予約をしてください。(所要時間は約2時間) 

投稿者: Mie Hama 日時: 16:17 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~宮崎県綾町」

今夜ご紹介するのは 宮崎県綾町です。

綾町は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、宮崎市の西北約23kmのところにあります。面積の約八割は森林の中山間地域です。

あれは、何年くらい前でしょうか・・・宮崎県綾町からそれはそれは美味しそうな野菜がいっぱい我が家に届きました。ナス・キューリ・トマト・ゴーヤに人参。どれもこれも土の匂いのする野菜ばかり、懐かしい匂いがする野菜です。「とにかく食べてみて・美味しいから」と友人からの手紙がそえられていました

綾町が「自然生態系農業の町」宣言を昭和63年にしたことを知りました。送られてきた野菜には「綾手づくりほんものセンター」の名前が書かれておりました。それから、この町が気になって気になって。

今回、サライ増刊「旅サライ」の取材で伺うことができました。(発売9月26日)

綾の町は「照葉樹林の町」としても知られています。照葉樹林とは、カシ・シイ・タブ・クスなど一年中緑の葉をつけている広葉樹で葉は厚く光沢があります。

かつて日本列島には広葉樹林がたくさんありました。しかし、いつしか間伐され姿を消していきましたが、綾町には太古のままが残っています。その広さ約2,000ヘクタール(山手線に囲まれた地域の約30パーセント)だそうです。

「名水百選」にも選ばれた綾南、綾北川の流れに連なっています。春には若鮎が群れをなし、秋には落ち鮎のくだる清流は町のシンボルとなっています。その照葉樹林には長さ250メートル、高さ142メートルの「照葉大吊橋」を渡っていきます。

私は高いところは大丈夫!です。大吊り橋から見る樹林は陽を浴びキラキラと光っています。渡り終えると、照葉樹林の中へ入っていく散策路につながります。なんだか足元がフカフカしていて土のやわらかなこと。この森には希少なクマタカ・イヌワシ・ヤマネ・ムササビなどが生息しているそうです。

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このような豊な土を通して地下水へ、さらに川に流れ町・そして畑へと流れ美味しい野菜や果物が収穫されるのですね。

しかし、今回お訪ねしてこの「広葉樹林都市」宣言するにあたり大変なご苦労があったことを知りました。かつて人口が激減し、「夜逃げの町」とまで言われた町が見事に甦ったのです。

高度成長期の60年代、その広葉樹林の伐採計画が推進されようとしたのです。その時、当時の町長が先頭に立ち、町民とともに計画に猛反対をしました。

全町長の長女、郷田美紀子さんから一冊の本を頂戴しました。

「結いの心」子孫に遺す町づくりへの挑戦・・・です。

お父様の郷田前町長(平成12年他界)が語られています。

「本物とは地球を汚さないもの。人をだまさないもの。自分の良心に聞いてはずかしくないもの」・・・と。こうして自然生態系農業で育った野菜や果物は美味しいはずです。

今回の旅では畑にも伺いました。「早川農苑」には元気な早川ゆりさんが迎えてくれました。ゆりさんはかつて宮崎市内で種などを扱う資材会社を営んでいたそうです。

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「身体にいいものを食べてほしい」との思いから有機農業をはじめ、娘さん、そのご主人も一緒に作業をしています。「家族がみんなで農業が出来るって幸せです」・・・と。

早川農苑では季節の野菜や果物をいっぱいに詰め合わせたセットを地方にも発送してくれます。
旬の野菜セットは3,500円  
電話0985-77-3485

他にも有機農業で野菜づくりをしておられる方々はいっぱいいらっしゃいますし、その他にも、家族で「養豚業」を営む押田明さんは、1,800頭の豚を愛情そそいで育てています。

大山食品では伝統の発酵食品を昭和5年より造りはじめ「綾の名水」古式醸造法で屋外の巨大カメでつくられている黒酢。1年かけて発酵・熟成されます。お酢大好きな私は今回、アミノ黒酢と玄米黒酢を買いました。こちらも綾町産(85%)有機JAS玄米と焼酒粕(100%)を伝統的な製法で仕上げています。

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町中が体に優しい、美味しいモノであふれております。

お昼を食べるなら、お勧めは「薬膳茶房・オーガニック・ごうだ」。「医食同源」をもっとうに、出来る限り無添加・無農薬のモノで料理されています。漢方薬膳は五味調和"酸・苦・甘・辛・鹹・・を重要に考えた食事です。店主は郷田美紀子さん。薬剤師でもあります。

色あざやかな五穀米に、具沢山のそば汁、おふくろの味がそれぞれ、持ち味を生かして満腹!とにかく味付けも美味しく残さずすべて頂きました。
電話0985-77-0045
定休日・火曜日  昼食は11時30分から20食限定

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宿泊は綾町に流れる綾北川のほとりにたたずむオーベルジュ「風水ファームガーデン・綾の食卓」オーナーシェフの香川文徳さんは宮崎市内から食材の豊富な綾でのオープンを決心し敷地内の畑で収穫された野菜の一部はレストランでの食事につかわれます。オーナーの手による愛情のこもったひと皿・ひと皿も大満足。優しいお人柄に話もはずみます。
夜は満天の星空が眺められる露天風呂。朝のガーデニングの散歩も清清しい。心身ともに癒される宿でした。
一部屋2~5名 一泊2食つき 1万3,750円 ペット可(室数限定)
電話0985-30-7115

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公共の宿もいろいろございます

綾町は歴史・文化の町でもあります。縄文遺跡や古墳が出土する綾は、遥か古代から人々の営みがあったといいます。今をさかのぼること670年前の山城が見事に再現されています。

そして、多くの工芸作家が住んでいることでも知られる綾。

町のあちこちで匠の技を目にすることができるほか、気楽に工芸体験ができる施設も整っています。ガラス工芸・陶芸・織物・染色・木工・竹工・・・私はガラスに挑戦。
綾国際クラフトの城」でも体験できます。(いずれも一人1,000円~)
電話0985-77-1223

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乗馬をなさりたい方は乗馬クラブ「馬事公苑」があります。サイクリング、スポーツキャンプ、楽しみ方はいろいろです。

詳しくは綾町観光協会へお問い合わせください。
電話 0985-77-3464

==旅の足==
JR・バス
JR南宮崎駅下車~(徒歩5分)~宮交シティ(バスターミナル)~国富・綾線~綾町(60分)

空港・バス
宮崎空港~(バス12分)~宮交シティー(バスターミナル)~国富・綾町(60分)

自動車
高原IC~国道268~高岡町~綾町(60分)
宮崎市~国富町~綾町(50分)
都城市~国道10~高岡町~綾町(60分)

まだ充分に整備されてるとは言えない森ですが、だからこそ楽しみ方はいろいろあると感じました。

美しい自然・やさしい風・笑顔いっぱいの人々。"からだに優しい綾町"を楽しんでください。

なお、ラジオ放送にあたりましては、公共性を保つため、お店などの詳しい情報は控えさせて頂きました。

投稿者: Mie Hama 日時: 06:20 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド・ラリックに咲いたシーボルトの"和の花"」

箱根の山がふんわりと山ぼうしの花でおおわれる夏、
見事な開花は十年に一度とか。

我が家の庭のヤマボウシ・・・今年は見事に咲き誇っております。

そして、秋には実がイチゴのように赤く熟します。特にヤマボウシは芦ノ湖周辺に多く見られます。

今夜ご紹介するのは箱根。

たしか、昨年の夏もご紹介したと思うのですが、今年は春から夏にかけて素晴らしい企画展が開催されております。

箱根ラリック美術館では今、
『ラリックに咲いたシーボルトの「和の花」』という企画展が開催されています。
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江戸時代後期に来日したオランダの医師フランツ・フォン・シーボルトは、日本の植物を広く海外に紹介した人物。弱冠27歳のシーボルトは鎖国下の日本にやってきました。

そして、シーボルトは来日して3年目、陽春4月7日、沼津から、美しい富士山を眺めながら箱根越えをしたとか。その箱根でも植物採集を満喫したようです。

植物採集するシーボルトの姿が目に浮かびます。

一方、19世紀末にはジュエリー作家として、20世紀に入るとガラス工芸家に転進したのがルネ・ラリックです。

この企画展では、シーボルト時代から70年を経て、ラリックが日本の植物をどう開花させたか・・が見事に読み取れる素晴らしい企画です。

日本の美しさは"大人の目"があってはじめて花開きます。今回の企画展はそれにじゅうぶん答えてくれます。

ラリックの作品が大好きな上に、同じ箱根に住まいとする私にとって、今回の企画展は皆さまに、是非ご紹介申し上げたいと思いました。

ラリックがお好きな方はもちろん、植物やジュエリィーに興味のある方、ヨーロッパと日本の関係に関心のあるかたなど、多くの人に様々な角度から楽しんでもらえるはずです。

展覧会の主役は日本原産のテッポウユリ、がまどろむような表情・女性を包み込むように咲いている姿をブローチにした「ユリの女」。7月下旬から8月にかけてこのユリを箱根で見ることができます。

そのほかにも菊や藤、桜、松・・・など、日本の植物をモチーフにした繊細な作品数多く展示されています。解説によると、デザインされているものであっても、それぞれの種を特定できるほど明確に植物の特徴をとどめているのだとか。

ラリックが日本の植物をじっくりと観察し、作品を作りあげたであろうこと、ジャポニズムと呼ばれる日本文化が流行していた当時のヨーロッパ、さらにはそのラリックの作品を今日本で見られる不思議さ。そんな風に想像を広げながら作品に接するのも、味わい深いものです。

企画展示室ではお気づきになられるかもしれませんが、ほのかな香りがただよってきます。テッポウユリ、ウメ、フジの花から天然のエキスを抽出して会場はとてもよい香りがします。

今回の企画展は箱根町立箱根湿生花園とコラボレートしており、湿生花園内25箇所にラリック作品の写真と解説がついたプレートが設置され、作品に登場する花々が実際に咲く姿をみることができます。

そして、この夏の箱根では、長かった梅雨も明け、様々な色鮮やかな花に出会えます。コオニユリ、ヤマユリ、レンゲショウマ、ミソハギ、シシウド、コバキボウシ、等など。可憐な花を見ることができます。

不思議ですね・・・。こうした可憐な花を愛でるときの皆さんのお顔には笑みがたえません。

そして、この時期は箱根全山"フラワー美ジェットキャンペーンが開催されております。数ある花の名所を訪ね、美術館を訪ね、箱根の奥深さを堪能していただきたいのです。

箱根湯本駅からあじさい電車で(箱根登山電車)強羅までも素敵です。車窓からあじさいをお楽しみください。約10、000株のあじさいが咲き誇っております。

箱根美術館箱根強羅公園彫刻の森美術館箱根ガラスの森、そしてラリック美術館湿生花園、お時間のある方は、観光船に乗って元箱根へ。

成川美術館では「花物語・極上の名画たち」が9月11日まで開催されています。

旅の足
箱根へのアプローチはさまざまです。
新宿から箱根湯本まで・・・小田急ロマンスカーで85分
新宿から箱根桃源台まで・・小田急箱根高速バスで約130分
湯河原から箱根町まで・・・箱根登山バスで約55分
三島から箱根町まで・・・ 沼津登山東海バスで約50分

箱根強羅・仙石原地区の観光スポットを施設めぐりバスが便利です。ただし夏の箱根は渋滞があり、そこはご理解ください。  

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投稿者: Mie Hama 日時: 12:23 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・明治神宮」

六月の杜(もり)は花菖蒲が見事です。今夜ご紹介する場所は東京、原宿にある明治神宮です。

都会に緑がないなんてウソ、と、思えるくらい鬱蒼とした森が東京のど真ん中にあるんです。

私はこの森が大好き。ニューヨークのセントラルパークや、パリのブローニュに負けない、いや、勝っているかもしれない美しい森です。

先週、私は行ってまいりました。原宿駅に降り立ち、神宮橋を渡り、右手奥に第一鳥居が見えてきます。この鳥居をくぐると、もう一瞬のうちに森に抱かれる感じがして、心がゆったりとしてきます。椎の木、樫の木、楠の木などが、豊な葉をしげらせて私たちを迎えてくれます。

この明治神宮は、大正九年(1920年)今から88年前に、明治天皇と昭憲皇太后を祀るために造られた神宮です。面積約83、000平方メートル。当時、この辺は代々木御料地のあった所で武蔵野の一部だったそうです。

おしゃれの町、原宿も原宿村だったんですね。この辺り一帯は、農地や草地で林は少ししかなく、荘厳な神社を造るためには、林の造成が必要だったのですね。樹木の多くは全国の篤志家の献木だったそうです。

荘厳な森林というのは、すぐにできるわけではありません。神宮造園のために、当時の最先端の林学・農学・植物学者から造園家まで、多くの人々がこの神宮の森造りに参加しました。

テーマは「永遠の杜づくり」だったそうです。今でこそ車や電車、地下鉄で多くの人々が行き交う原宿ですが、その頃、この辺りは畑と雑木林の淋しい寒村だったといいます。農業を営む人もおりました。

庭園というより、もっと昔の森林の状態を再現する方向ではじまりました。植木の寄付というのが全国規模であったそうです。当時の資料によると、東京市の小学生児童の献木が五千件以上あったそうです。それらの樹木が、今の神宮の南北両参道に植えられたそうです。参道を歩いていると、88年前にここに木を植えてと、小さな手でこの造成現場に献木を持って行った小学生の姿が目に浮かびます。

今、鬱蒼たる樹木がこうしてあるのも、多くの人の献木のお陰なんですね。"昔、昔のみなさん、ありがとう"今、明治神宮の豊かな樹木を見ると、思わず大正時代の多くの先達に感謝したくなります。
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六月はなんといっても菖蒲です。

ここの菖蒲は明治26年(1893)年、明治天皇の思し召しにより昭憲皇太后のために、植えられました。優秀な品種を集め、当時は、江戸系の48種だったそうですが、現在は150種にも増え、大株が1500株。今こそ見にいらしてください。

あまりの美しさに息を飲む、そんな感動が体験できます。

花菖蒲といっても一様ではなく、素敵な名前がついているんですよ。
王昭君(おうしょうくん)、立田川(たつたがわ)、九十九髪(つくもがみ)、鶴毛衣(つるのけころも)、五湖遊(ごこあそび)、(写生区域のところに植えられています)雨後の空(うごのそら)、小町娘、江戸自慢、加茂川、利根川、小豆島、酔美人(すいびじん)。この酔美人は、花は小さめですが、白と薄紫が楚々として美しく、私は大好きです。ほかに朝神楽とか大江戸、浦安の舞いなど。

日を追うほどに次々といろいろな菖蒲が咲き誇ります。この菖蒲園を管理し、あれこれお世話なさる方に、感謝したい見事に丹精された菖蒲園です。今週、来週にかけてが一番美しいと思います。私のお勧めタイムは、やはり朝。

私は箱根を早朝に出て開門と同時くらいに行きました。(菖蒲苑開門・8時半)静かでゆっくりお花を見ることができるでしょう。写真を撮る方、写生する方・・・皆さんの眼差しの優しいこと。
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さて、明治神宮をお参りしてから、表参道をぶらりぶらり明治通り方向へ行くと。『浮世絵・太田記念美術館』の看板があります。その看板の所を左へ行くと左手にすぐ見つかります。

6月26日まで特別展「蜀山人 大田南畝(しょくさんじん おおたなんぼ)-大江戸マルチ文化人交遊録」が開催されています。

大田南畝は、狂歌師や戯作者、また学者として活躍した多彩な文化人。

絵師、戯曲者、狂歌師、詩人、歌舞伎役者など、さまざまな人々との交流関係が分かる素敵な展覧会です。午前10時半からですから、明治神宮で花菖蒲をゆっくりご鑑賞されてから、こちらに回るのも一興です。(広重も『名所江戸百景』浮世絵の堀切小高園の花菖蒲を描いておりますね)

旅の足
JR山の手線「原宿」駅「代々木駅」
小田急線「参宮橋駅」
地下鉄千代田線「明治神宮前駅」
大江戸線「代々木駅」
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投稿者: Mie Hama 日時: 08:47 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・小豆島」

香川県瀬戸内海に浮かぶ美しい島、小豆島
"小豆島"・・・といえば皆さま、どんなイメージを抱かれますか?
オリーブとそうめん、醤油、佃煮。そして二十四の瞳。

美味しいものがたくさん生産されていて、気候温暖な、けがれのない島・・・
多くの方がそういうイメージを抱かれるのではないでしょうか?

私にとっても、小豆島という響きは、とても優しいイメージの場所なのです。
そんな小豆島に先日お邪魔してまいりました。

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「オリーブ植栽100周年」記念の行事に参加してまいりました。

小豆島のオリーブの起源は、苗木の試験栽培を始めた1908年、明治41年なのだそうです。それから数えて、なんと100年。当時、農商務省は小豆島だけではなく、三重県や鹿児島県などでも、アメリカから持ってきたオリーブの苗木を試験栽培行ったそうです。けれど、他の地域では、木の成長が思うようにはいかなかったそうです。小豆島の西村地区に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正の初めには搾油が出来るほど実をつけるまでになったとか。

農業の現場を40年近く訪ね歩いてきた私には、わかります。こちらの島で実るオリーブの実は、多くの方々の努力と、苦労のたまものに他ならないと。

日本になかった植物を栽培するのは、並大抵のことではなかったはずです。文字通り、手探りで、一生懸命、試行錯誤を重ねて、今日があるのだと思います。そのご苦労を想像するだけで、胸が熱くなってしまいます。

私は緑の葉を茂らせているオリーブ園をお訪ねしてまいりました。
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何千本と植えられたオリーブの緑の中を歩いてまいりました。木々の間からは美しい瀬戸内の海と青空が垣間見え、不思議な穏やかさに満ちていました。

オリーブの葉の中に、本来なら二枚になるはずの葉が一枚に融合し、ハートの形になるものがあって、それを「幸せのオリーブの葉」と呼ぶのだそうです。ご存知ですか?

さらにオリーブの緑の風に吹かれながら、歩いていますと、この一枚一枚のオリーブの葉に、傷を治し、肌を活性化する成分が含まれ、それゆえに、古代ギリシャ・ローマ時代から生命の象徴とされているということも、思いだしました。

オリーブ園の中には樹齢65年の木もありました。その姿に触発され、イタリアに行ったときに出会った樹齢1000年を越えるオリーブの老木を思い出したりもしました。

イタリアのその老木は、私が見たとき、本当にたわわに実を実らせていたんです。心にわいてくる様々な思いを反芻しながら、のんびり歩みを進めていると、いつしか、小豆島の穏やかな時間の流れになじんでいる自分に気づかされました。

オリーブはご存知のように、ヨーロッパでは、古くから、神様がくれた不思議な力を持つ果実の樹「聖なる木」とされ、平和と安らぎの象徴とされてきました。古代エジプトにおいては、オリーブの枝が、ファラオやツタンカーメンの胸元を飾り、オリーブオイルは清油として神事に用いられたとされています。

古代のオリンピック競技会では、優勝者に授ける冠は野性のオリーブの葉で作られたそうです。
その故事にのっとり、アテネオリンピックのマラソン優勝者には特別なオリーブの冠が贈られましたよね。女子マラソンで優勝した、野口みずきさんにはギリシャ・クレタ島のイエラペトラにある古いオリーブの木から作った冠が贈られたそうです。

「勝者たちは金品ではなく、高い精神性を表すクレタ島のオリーブの冠を得た」

と言われた古代オリンピックにのっとっていたんですね。

"オリーブ大好き"な私。太陽に愛された食卓・・・といわれるイタリア料理ですが、今回お訪ねしたレストランにも、色鮮やかな野菜、豆、新鮮な魚などにも、小豆島のオリーブが使われていました。

小豆島は、瀬戸内海からの島で2番目に大きな島であり、四国の港からも、本州の岡山からも船で渡れる、アクセスだって、とてもいいんです。フェリーも高速船もでています。土庄町、小豆島町どちらにも、ホテル・旅館・ユースホステル、国民宿舎もございます。

小豆島とれとれ市場や、ふれあい産直市場など"美味しいもん満載"の小豆島です。

あの名作「二十四の瞳」の舞台になったロケのためにつくられたオープンセットや壷井栄文学館もあります。

詳しくは、小豆島オリーブ百年祭 観光情報を「小豆島観光協会」にお問い合わせください。
0879-62-6256です。

旅の足は
関西方面からですと  大阪南港・姫路港~
岡山方面からですと  新岡山港・宇野港・日生港・・・等々
いろいろ小豆島へのアプローチはございますし、島内はレンタカー、レンターサイクル、バイク、定期観光バスなどを自由に選択できます。 

私は今回、高松港から高速船で土庄港まで。およそ30分でした。

5月の下旬ころからオリーブの可憐な白い花がみられるとか・・・。美しい情景が目に焼きついております。

今夜は香川県小豆群小豆島をご案内いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 07:43 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・徳島県上勝町」

まだ、花冷えのする頃。日本の農山村を旅すると、ようやく目に若葉が萌え立ち、太陽の光が眩しく感じます。季節の変わり目に旅をすると、日本列島の形がなんていい感じに寝そべっているかが分かります。

一番早い桜を沖縄で見て、四国で見て、関西で見て、そして東京は満開の桜が散り始めました。

私の住む箱根の山桜の見ごろはゴールデンウイークの頃。

今夜ご紹介する町は徳島県上勝町です。

今、日本列島過疎化が進み、美しい村々が消えてゆく・・・・と言われますが、今夜は素敵に元気な町をご紹介いたします。「そうだ、葉っぱを売ろう!」で過疎の町が、どん底から再生したのです。

私が上勝町を訪れたのは、満開の山桜がぼんぼりのように、山々を彩っている、春でした。南天、桃、柚子・・・町のいたるところに、さまざまな花が咲き乱れていました。そして、お吸い物のなかで柚子の花が開く美しさを、私ははじめて体験したのでした。

上勝町が「彩り」という新しい産業を生み出し20数年。今や、上勝町は美しい盛り付けには欠かせないあしらいの産地として、全国に知られるようになりました。

急峻な中山間地域である上勝町が、高齢化と過疎の進む厳しい状況の中、若い農林業の後継者を得るために、経営的になりたつ農林業をめざすために、恵まれた豊かな自然を生かす花卉産業に着目したというところの素晴らしさを、改めて、思わずにはいられません。

村おこしや、ブランド野菜つくりといった取り組みは、今も全国津々浦々で行われていますが、どこかの町で成功した例を模倣してしまう例のいかに多いことか。しかし、上勝町では模倣ではなく、自分たちの地域の特性を知り、そこで働く人々の顔を思い出し、さらには、現代のニーズにどんなものがあるかということを考え、この新事業を起こしました。他に例のない、オリジナルな事業です。 

ある日1冊の本が私の元に送られてきました。徳島にある立木写真館が創立123年を記念して自費出版した「いろどり おばあちゃんたちの葉っぱビジネス」というムック本でした。そこにはおばあちゃんたちの、笑顔・笑顔・・・笑顔!

上勝町は徳島の山間地域にある。かつてはミカンの町でした。しかし、昭和56年の記録的な大寒波により町の主要産業だったミカンの木が全滅していまいました。いつもの年なら、4月、5月はみずみずしい新緑におおわれるはずのミカン畑は見るも無残な枯れ木の山になってしまいました。その後、高齢化と過疎化が進み、地域の活気は失われつつあったとか。

転機は昭和61年、農協{現JA}の営農指導員であった人が、大阪に出張した折、あるお寿司屋さんで食事をしていたら、ひとりの女の子が出てきた料理についている赤いモミジの葉っぱをつまみ上げて 「これ可愛い!きれいねー」「水に浮かべてみてもいいわねー」「持ってかえろー」・・とハンカチにそっと赤いモミジの葉っぱをしまう姿に「これ、可愛い?こんな葉っぱが?」

こんな葉っぱ上勝の山に行ったらいくらでもあるのに・・・。

そこでひらめいたそうです。「そうだ、葉っぱだ!葉っぱがあった!葉っぱを売ろう!」

売れる葉っぱと売れない葉っぱの違いの研究、見栄えのいいパッキングの工夫など、上勝町のおばあちゃんを中心に理解を深め、技術向上に努め、その一方で販路も積極的に開拓していきました。「彩」を立ち上げ忙しくなってくると、上勝の町の様子は変わっていきます。

年金暮らしだったお年よりは「彩」で収入ができて所得税を収めるようになり、毎日のように行っていた診療所やデイサービスも、忙しくてもう、それどころではありません。笑顔が満載されている本を眺めながら、自分が必要とされるときに、人は内なる自信を見出し、心の底から笑うことができるのだなぁと感じずいられない現役の笑顔です。

今では商品のメニューは200を越したといわれます。

自分たちの足元を見つめ、地域の特徴を生かした、産業を見つけ出したのです。地に足のついた、無理の生じない、新産業の発見といっていいでしょう。

だからでしょうか。私が町に伺って、感じたのは、"この町はどの世代も、男女を問わず、はつらつと元気いっぱい暮らしていらっしゃる"ということでした。

上勝町で、ふと思い出した言葉がありました。

美術教育で知られる山本鼎の言葉です。

「自分が直接 感じたものが尊い、そこから種々の仕事が生まれてくるものでなければならない」

上勝町には美しい景観が保たれています。

百間滝・・・間近まで歩道が続いていて、春の新緑と流れ落ちる水のコントラストが美しい

殿川内渓谷・・・清らかな渓流と流れに沿って新緑のなかでの渓流釣り棚田の美しさは急峻な山上まで石積みがなされ、先祖の英知が感じられます。

慈眼寺・・・四国霊場20番目鶴林寺の奥の院。お寺の周辺は桜・ツツジ・紅葉の名所として、巡礼者がたえることがありません。

地元の人にとっては見慣れた日常の風景でも私たち旅人にとっては、美しい農村景観は宝です。しかし、その農村の景観は営農を通してつくられる四季折々の景観です。都市生活にちょっと疲れたら、しばしの休息。

そこにそぐわない看板や耕作放棄地、ミニ都市化は宝を失うことですもの・・・旅人は心して、旅をしたいですね。都市と農村がもっと交流することで、"日本のふるさと"はまもられると思うのです。

旅の足
 徳島空港~徳島駅  バスで約30分{430円}
 徳島駅~上勝町   バスで約1時間半
 車の方は
 徳島駅から国道55号~県道16号、新坂本トンネルを抜け上勝町へ。
 バスご利用の方は
 徳島駅前発{徳島バス}横瀬西行
 横瀬西より{町営バス}乗り換え役場本庁前下車。
 町内はフリーバスです。

投稿者: Mie Hama 日時: 09:55 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便―若狭から美山茅葺の里へ

たくさんの旅をしながらいつも思うのです。

旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・日常の生活時間とは全く違う時間と空間の中に飛び込むと、私という旅人は、現実の私から旅立ったもう一人の自分として旅しているのに気づきます。

旅する先が、何百年もの歴史のあとをひいた町で、しかも過去の歴史が現在も色濃く漂う場所に立つと、私はタイムマシーンにのってやってきたトラベラーという感じになります。

日本海・福井県若狭湾・小浜の町に出会ったのは20年以上前のことです。

今夜は若狭から、京都府美山町までの旅のお話です。

2月下旬友人3人と私・・・冬の日本海から小雪舞う茅葺の里美山町へ。冬の日本海は、美味の宝庫です。ありとあらゆる魚たちが寒流に身をおどらせ、その肉は海の滋養を存分にたくわえて、漁師の網の中に落ちるのです。

20数年前、始めて小浜の冬の市場は、凍てつくような寒さとは別の熱気が充満していました。前夜、宿で飲んだ濱小町という地酒との出逢いに気をよくした私。

濱小町、これを私の酒=自酒にしようなどと一人ぎめし、いつもより少し飲みすぎて{といってもお銚子2本くらい}ぐっすり寝込んでいました。

なのに、夜明け前。ガバッと飛び起き「なんとしても、市場に行こう」食いしん坊の私はまだ暗い朝の町を駆け出しました。

霧笛が俺を呼んでいる、どころじゃなく、塩焼きの匂いが私を呼んでいるのです。

セリ場のかたわらには、何本ものドラム缶に火がたかれ、商いを終えた漁師や仲買人たちが、暖をとり、コップ酒をチビチビやっては、ドラム缶の下のほうから、いい匂いの魚を取り出しては食べていました。

私も仲買のおじさんに頼んでエビやブリ、カマスなど買ってもらい、ドラム缶の中の焼きアミに乗っけてもらいましたっけ。とれたてのエビは、みるみる紅潮し、殻はてらてらと輝いてうまそうな匂いをあげています。

これが若狭との始めての出会いでした。

小浜・めのう細工の工房を訪ねるのが目的だったのですが・・・。小浜は寺と海産物の町です。

昔から中国の高僧の渡来が多く、今日、国宝級の古寺が132寺、別名海のある奈良ともいわれています。老杉木立に溶け込むように立つ、明通寺・本堂{国宝}と三重塔共に鎌倉時代の建築様式。

若狭最古の鎌倉建築として知られる 妙楽寺 僧・行基が若狭を巡礼した際に彫った「千手観音立像」{重文}等など・・・古寺・名刹が数多くあります。

そして
港町として栄えた頃の遊郭跡が千本格子や紅殻格子でしのぶことができます。それがきっかけで若狭通いがはじまりました。

福井県大飯郡大飯町三森に、私の家があります。この家もまた、取り壊される寸前に出くわし、譲っていただいたものです。別の場所にあったのですが、借りた土地が、私の理想の立地・・・"日本のふるさと"とよべる場所だったのです。

背後に竹林、前に田んぼと佐分利川。だから、家の方をこちらの土地によいしょ、よいしょと運んでもらいました。そうしたら、私が夢に描いた、"日本の農家"が出現したというわけです。

若狭・三森の家、ここで、まず、米を作ろう、そう決心しました。米作りは地元のベテランに手とり足取り教えていただきました。田植えは手作業で、苗を植え、雑草とり、カマでの収穫。田植え行事、収穫には大勢仲間が集まってくれました。

「自然に生かされている・・・」と実感し10年続けました。私のお米の先生・松井栄治さんと奥さん、よし子さんのお陰です。土と水と苗、それを支配する天候。見守る人間。こういう営みの繰り返しで人類は生き延びてきたことを思うと、神聖な気持ちになります。

福井県敦賀から小浜線に乗り若狭本郷へは何度も何度も通いました。ときには京都から山陰本線で綾部に降り立ち、松井さんの車に乗せていただき我が家へ。

今回の旅は日本海・若狭湾には白波が立ち、風が頬を打ち付けます。冷え切った体を我が家で温め、それから夕暮れとき、京都府南丹市美山{旧美山町}の北地区へ。この集落は今や"日本一美しい村""茅葺の郷"として、人口113人の村に年間70万人の人々が訪れるようになったそうです。「てんごり」・・助け合い・・精神もしっかりあり、つい長逗留したくなる村です。京都市内から車で1時間半、日本でも多く茅葺民家が残る村です。

「この風景が・この暮らしが出来上がるのに30年かかりました」・・・と友人の元助役、小馬勝美さんは語られます。地域の景観保全や、ボランティアガイド、田舎体験なども実施され京阪神を中心として春、秋の行楽シーズンは大勢の方が訪れます。

2月末はホッコリと雪に包まれ眠ったように静かな美山でしたが、もう春の訪れがそこかしこに。菜の花が芽吹き、蕗のとうもそっと顔をのぞかせているとか。

雪解け水が勢いよく滝から流れ、春の息吹が感じられると小馬さんは仰います。

今夜は欲張りすぎて、美山を充分にご紹介できませんでしたので、次回、田植えの頃か夏にでもご紹介いたしますね。

旅の足は敦賀から小浜線で小浜まで、その先が若狭本郷、そのまま行くと西舞鶴。
舞鶴線に乗って綾部へ。
そのまま山陰本線で京都へ。

美山へは園部駅から南丹市営バスで約1時間。
京都駅からJRバスで周山バス停まで。同バス停より南丹市営バスで計約2時間半。

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投稿者: Mie Hama 日時: 09:43 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・白川郷」

今夜ご紹介するのは、もう皆さんご存知の世界遺産〝白川郷〟です。

白川郷は岐阜県と富山県境にあり、正式には岐阜県大野郡白川村人口1900人の集落です。

私と合掌造りの家は、切っても切れない関係にあります。

合掌のカタチにひかれて、生活のスタートラインにたった、といっても過言ではありません。家の骨格というべき柱と梁は、何か私の心の中の骨格でもあるのです。

自然と共存して生きることの、とてもシンボリックなカタチ。もう何十年にもなるでしょう。この集落に通い、さらに日本中を旅し、自分が求める暮らしのあり方や、心の置き場所を探す旅を続けてきました。    

白川郷は冬なら2、3メートルの豪雪に埋もれる雪の里です。

私は何度も旅をしました。雪の中へ足を入れながら、神聖な気持ちになったものでした。雪を深々とかぶった集落は神々しく、余所者(よそもの)は雪の上に足跡を残すのさえ、ためらわれたものでした。

現在、世界遺産に登録されてからは、集落の様子は随分変わりましたが、でも冬、雪深い白川郷は静寂そのものです。

私はいつも名古屋から高山本線に乗り、飛騨古川を経て白川郷へと通いましたが、道すがら、その道筋自体に私の心をふるわせるものがありました。列車が進むほどに山が迫り、やがて渓谷が深く列車の行く手をさえぎる。かと思えば山間に可愛らしい集落を見せてくれたり。いっときも見逃せない自然絵巻が広がります。

思えば35年ほど前から、このルートの向こうに私が求めるものがあると直感し、何度も何度も足を運びました。最初はひとり旅、結婚後は家族と、あるとき乳飲み子をおんぶして。さらにもうひとり生まれると、上の子はしっかり私の手を握りしめてついてきました。私が進む先に、私の求めるものがあると信じていたから通えたのかもしれません。

それが、白川郷でした。

厳しい豪雪の中に建つ合掌造りの家は、静謐な祈りのカタチです。そこに佇むと、私はいつも自分の原点に帰ってくるような気がします。

かつて中学の図書館で見た、民藝運動の提唱者の柳宗悦先生の本に書かれていたフレーズの「ものを作る人に美しいものを作らせ、ものを使う人に美しいものを選ばせ、この世に美の国をつくろう」という一説が私の胸に宿りました。

白川郷のあるお宅で、大きな柱をさすっていますと、故池田三四郎先生がおっしゃった言葉が浮かびました。「民藝で一番ガラが大きいのが家だ」と。

池田三四郎先生は伝統的な木工技術を生かして広め、用の美の精神を基盤とした「松本民芸家具」の製作を開始した方です。

やがて、旅を続けるうちに、自分の家を作る段になりました。

その頃、各地で後継者がいないからとか、維持できなくて家を手離さざるを得ないという方々がたくさん出るという事態がおきていました。築百五十年もの家がついに壊されるという日、私はその村を通りかかっていたのです。チェーンソーが今にも太い柱を切り裂こうとする寸前、キーンと鋭い音がして、私にはそれが悲鳴のように聞こえました。

その音はまさに民家が号泣しているかのようでした。

昭和四十年代のことです。こうして日本は過去を葬り、高度成長社会に移行していったわけです。このとき、「待って!」と叫んで、譲っていただいた、いくつかの民家の端々が、今、箱根の家で堂々と余生を生きています。

白川郷や五箇山に美しい姿をとどめる民家は八世紀からの遺産だそうです。日本の歴史に翻弄されることなく、ずっと身を隠しながら、何世紀も生きてきたものだけが持つ神々しいまでの家々です。集落の中に江戸時代から変わらない道があり、屋敷の間を村道が縫い、昔の姿をとどめていますが、そこには現代の人々が暮らしているのです。

旅をする時・・・そこが世界遺産ならなおさらのこと、人々は静かにその村を訪れましょう。

1935年(昭和10年)ドイツの建築学者ブルーノ・タウト(1880~1938)が白川郷を訪れました。合掌造りを「極めて論理的、合理的で、日本には珍しい庶民の建築」と高く評価しました。「日本美の再発見」によって広く紹介され、一躍世界の注目を集めるようになったのです。

白川郷にお邪魔すると、我が家の親戚に会ったような安堵感を覚えます。

きっと今頃の白川郷は一面銀世界でしょう。

私の住む箱根は例年より雪が多いようです。雪が降ると、山に登る道がチェーン規制になったりして、不便な面もあるのですが、雪の中の箱根はなかなかきれいです。

雪の匂いに樹木の匂いがまじって、なんだかとてもゆったりした気分になりますし、雪があたりを覆うと、ふんわりと音を吸収してくれるせいでしょうか、いつもより一層、静寂が深くなるような気がします。

寒い季節に雪のあるところを旅すると、普段見えないものが見えてきます。そして、箱根の我が家に帰り、あちこちの柱に報告をします。「あなたたちのお仲間も立派に生きていましたよ」・・・と。

2007年7月現在 世界遺産に登録されているところは
文化遺産  660
自然遺産  166
複合遺産   25    合計851 

人類にとって大切な大切な遺産。 みんなで美しく守っていきたいですね。

旅の足は 東西南北4本の道がありますが、通行止めの場合もありますので必ず確認してからにしてください。マイカーなどの乗り入れ規制もあります。 

道路状況などのお問い合わせは

白川村役場
05769・6・1311

白川郷・合掌造りなどの問い合わせは  
白川村観光案内所
05769・6・1013 

現在は積雪一メートル位ですが、周辺は除雪してあります。ホームページでいろいろ検索できます。 

建築に興味のある方は「合掌造りの構造」に詳しく載っております。

今夜は茅葺の里、白川郷をお届けいたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:45 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く~遠野」(1月24日放送)

今回ご紹介するのは、木も草も石ころも「民話」の主人公に見えてくる岩手県・遠野です。

盛岡、花巻・・・仕事で岩手県に行くと、つい足を延ばしたくなるのが“遠野”です。いろりのそばで聞きたい民話。その民話の世界がそこここに感じられる田園地帯。そこに生きる人と暮らしとの出逢い・・・・懐かしさがこみあげてくるのです。

降るとも舞うともつかない小雪が遠野の里をけむらせる一月、小正月。

春、桜の頃の遠野でおいしい山菜をいただいたことがありました。山からの風がまだ冷たかったのを覚えています。夏、目が洗われるような緑のタバコ畑、たんぼの稲の波。カッパ淵におそるおそる素足を入れてみましたっけ。

でも、冬の遠野は特別。初めて冬の遠野を旅したのは、長女がまだ幼かった頃。

遠野に住む神々と、そこに暮らす人々がさまざまな儀式の中で向き合う正月。ここで暮らす人々がしばし仕事の手をやすめ、一年の労苦をねぎらい、また一年の意気を確かめ合い、神々に祈る小正月。

いつかは訪ねたいと、ずーと思っていました。訪ねたいと思った季節に、好きな所へ旅するのは本当に楽しいことです。

「寒いわ・・・」などと仰らないで。ひっそりと、しかし、ぬくもりいっぱいの遠野に自分自身の昔が重なるような気がするのです。

私が遠野を知ったのは、もちろん「遠野物語」。明治43年、柳田国男先生によって著わされたこの本は、素人ながらも民藝のカタチと心にひかれ、人の暮らしの手ざわりを求めつづける私の、大切な一冊でした。

野づらにも、川にも、山にも、石にも木株にも神様がいて、その神々がときに天狗だったり、雪女だったり、馬だったり、猿だったりしながら人々と出くわし、戒めたり、突き放したり、抱きしめながら、遠野の人々の暮らしに深く深く根ざしているのを、ひとつひとつの民話が語っているのです。

私も、そして多くの人々も生涯、生まれた土地で一生を過ごすことなんてなかなかできませんよね。遠野の方々も、進学、就職でここを離れていくでしょう。

それにしても遠野は不思議な吸引力で郷土の子らをだきつづけるのです。そんな遠野の磁力に、旅人は引き寄せられるのです。

お作立てといって遠野の小正月。お訪ねしたのは小水内家。旧暦正月15日から20日の小正月。ミズの木に栗や粟、マユ玉、豆、餅などを飾ります。農家の広い座敷にきれいな花をいっぱいつけた木が枝を広げて、それはそれは美しいのです。

そして、「お田植え」小雪が舞い、足元から冷えがズンズンと全身に伝わるような寒さの中。一家で前庭へ出て、松の小枝を稲に見立て雪の庭に整然と植えていきます。真っ白な広っぱに濃い緑の苗・・・・、一年で一番寒いこのときに、一年の豊作を祈るのです。

一心に手を合わせて祈るさまは感動的です。

『花巻より十余里の路上に町場三か所あり、その他はただ青き山と原野なり、人煙の希少なること北海道石狩平野よりもはなはだし。{中略}馬を駅亭の主人に借りて独り郊外の村々を巡りたり。{中略}猿が石の渓谷は土肥えてよく拓けたり。路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。{中略}附馬牛の谷へ越ゆれば早池峰の山は淡く霞み、山の形は菅笠のごとく、また片かなのへの字に似たり』

「遠野物語」の序文に、柳田国男先生が馬で遠野郷へ入って、ひとまわりした折の遠野の風景が書かれています。今なら、観光は馬ではなくサイクリングかウオーキングですね。

車で走り抜けてしまっては路傍の石や草むらや川に住む民話の主たちと出会えないかもしれません。

さて、遠野は岩手県の中央を南北に貫く北上山系の真ん中、標高1917メートル、山系のうち最高峰、早池峰山のふもとに広がる盆地です。遠野の昔々、そこにはアイヌが住んでいて、アイヌ語でトオヌップ=湖のある丘原といわれていたことが地名のおこりと言われています。

早池峰神社、駒形神社『昔あるところにサ、長者の家サあったどもな。そこの親父が一人娘に馬の子っこ買ってきたんだって。』・・・・ではじまるオシラサマ。馬を大切にする遠野らしい民話ですが駒形神社も馬産の神さまをまつる由緒ある神社です。

『昔あるところに、川サあったどもな。川のほとりの草っこかじりながら、馬の体サごだァごだァと洗ったり、昼食って、休んだどもな。』カッパ淵のはじまり。

民話の語り部  阿部ヨンコさんに聞いた民話。

「民話はね、母親が教えてくれたの。小学一、二年生の冬の間。囲炉裏のまわりで夜ね。三年や四年でなくて、一、二年生の冬の間だけなの。三年になると雑巾縫ったり本も自由に読めるからね。雑誌もテレビもないからね、母親の昔話は楽しみだった」・・・と語ってくださったヨンコおばあちゃん。

ヨンコおばあちゃんがそうであるように、母から子へ、民話は語り継がれて今日まで生きてきたのですね。夕暮れの遠野の野づらに立つとシンシンと底冷えする寒気が足から全身をはいめぐります。

遠野に来ると、この寒さの底で生きてきた人たちの民話を求めた気持ちが少し、わかります。

「銀河鉄道」の夢をのせて走る電車。メルヘンの世界をほうふつとさせます。

遠野は大人のドリームランド。夕暮れから夜へと移ろう頃、枯野を電車が通り抜けます。小正月の頃、冬は上りも下りも乗客などなく、灯りのついた車窓だけが快活で、あえぐように走る電車はせっせせっせと夜の闇へと向かいます。

冬の遠野。

人々に会う、岩手の冬の自然にふれる。あの初めての遠野の冬からもう何回冬が廻ってきたのでしょうか。私にとってもそうであったように、きっとあなたにとっても心象の風景に出会う旅になるでしょう。

旅の足・・・東北新幹線新花巻下車。遠野へは釜石線快速で45分。車で約1時間。宮沢賢治記念館へは新花巻駅から車で3分。詳しくは、遠野市観光協会のHPをご覧になると、「遠野ふるさと村」や「とおの昔話村」など昔の住宅を移築保存している施設などの情報がたくさんございます。

遠野から花巻へ  イーハトヴを巡る旅もお勧めです。


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投稿者: Mie Hama 日時: 22:36 | | トラックバック (0)

NHKラジオ深夜便-「青森県津軽平野」

今回ご紹介するのは青森県津軽平野です。

今夜あたりの津軽は雪がしんしんと降っているのでしょうか。

私は先週、津軽を旅してまいりました。青森の冬の風物詩といえば、ストーブ列車なのですが、今回は残念ながら、その時間がとれず青森空港に降り立ちました。

友人の西津軽の酪農家、安原栄蔵さんのご案内で津軽平野、浪岡町、黒石、弘前・・と回りました。安原さんとの出会いは「あ、これが本当のアイスクリーム!」と思わず一口、口にした途端、もうぞっこん惚れ込んでしまいました。

安原さんは、青森県では珍しいジャージー牛を導入。自家産の新鮮な牛乳を使ったアイスクリームを作っています。まず向かった先は、一度は訪れたかった津軽の画家「常田健」のアトリエでした。浪岡町でりんご園を営農しながら、生涯農民の暮らしを描き続けてきた常田さん。銀座の画廊で目にした「絵とその画家」展での作品に出合ったとき、感動を覚えました。

胸がキュンどころか、涙があふれんばかりの感動に包まれたのでした。生涯、中央画壇に躍り出るどころか、自分の絵すら売る事もせず、公開することも稀だったそうです。NHKテレビのドキュメンタリーで拝見した常田さんの日常生活は、穏やかなものでした。バッハやムスログスキーのCDを聴きながら絵筆を持つ手を休めず、ひたすら故郷、津軽の人々を描きつづけました。

常田さんは、明治43年生まれ。89歳で亡くなるまで、アトリエで過ごされたそうです。

「土に生き土と暮らし」「「紅いりんごと白い雪ノ下で、ただ絵を描いていれば幸せだった・・・」という常田健。

旧制弘前中学校卒業後、上京して川端画学校やプロレタリア美術家同盟研究所で学び、郷里に戻り、多くの反戦画を描いたことで弾圧も受け、その後は農民が一心に労働する姿を描いてきました。その一点一点に、私は涙せずにはいられませんでした。

1939年の「母子(おやこ)」と題する作品を今回もアトリエで拝見いたしました。頬杖する手は節くれだっています。疲
労困憊する母のそばの赤ちゃんはもるまると太っています。不幸と希望がそこにあるような気がしました。

「土地を守る」という作品は、農民が警官の楯に手をついてふんばって土地を守っている姿が描かれています。常田さんの作品は、反戦や戦いを描くのではなく、淡々と人間を描いているのです。しかしその淡々とした中に、言いようのない人間の苦しみと、さらにそれに屈しないたくましさも描かれているのです。

平凡社から出版されている「土から生まれた」の中の常田健さんの詩を読ませていただきます。

「満足」
冬、春、夏、秋
何回くりかえしてもいい季節だ。
ただくりかえしていてくれれば
それで満足だ。
ただこのくりかえしだけしかないように願う。

「木」
てっとりばやいところ
りんごの木を見るがいい。
音楽などを
かれこれ言うには
及ばないのだ。

木の構造は
生命そのものだ。
そのうねり。
そのわん曲。
その枝。
そのひと枝にまさるものは
ほかにあろうか。
これにまさる音楽もまたないのだ。

底冷えする蔵のアトリエは、お孫さんがストーブを炊き暖めてくださっていました。直前まで飲んでいたであろうカップ、ベッドの横に掛かっていたズボン、ジャケット。壊れかけた土蔵でひたすら絵筆を握り続ける常田がそこに佇んでいるような錯覚が生まれてくる。

制作途中のキャンバス。2000年4月26日突然帰らぬ人となった常田健さんが、そこに笑みをたたえ、背中を丸めストーブに手をあて思索している姿さえ見えてくるのです。ダイナミックな構図に、タッチに、主題に、深くて感動的な思いを味わい、少し戸惑い、作品に歳月があり、その時代に生きてきた人たちの多くの悲しみや痛み、そして喜びや愛も伝わってきたのです。

土蔵の扉を閉めると青森県の信仰の山として有名な岩木山が寒風の青空の中、くっきりとそびえておりました。

「常田健 土蔵のアトリエ美術館」は月に3、4日開館しております。
お問い合わせは  電話―0172-62-2442

交通

町内を縦断する形で国道7号とJR奥羽本線がほぼ並行しています。

鉄道
奥羽本線  大釈迦駅駅~浪岡駅下車

バス 
青森市営バス  弘南バスが出ています。

そして、こちらも以前から訪れたかった商店街・・・黒石市の「こみせ」

こみせの町並みが続く「中町こみせ通り」全国同じような町並みの中で、ごく普通の小さな町が普通の暮らしを守り、人々の暮らしを支えています。幅1、6メートルほどの屋根つきの歩道が美しく、立ち並ぶ屋敷も立派で、国の重要文化財に指定されています。

「こみせ」とは、木製のアーケードのことだそうです。江戸時代の情緒を残し、市民に親しまれております。毎年8月には、日本三大流し踊り「黒石よされ」が三千人の踊り手による「流し踊り」も壮観とか。黒石は温泉郷で、山間に五か所の温泉があります。

次回はゆっくり秘湯に浸かってのんびりしたいものです。黒石町までは弘南鉄道弘前駅から30分。

お問い合わせは 黒石観光協会  0172-52-3488

そして、最後に一度は食べてみたかった「津軽そば」を食べに弘前市内に向かいました。江戸時代に生まれた伝統あるそばの特徴は、大豆をすりつぶした大豆粉を使い練った生地を熟成させてから打ち、出汁は昆布と焼き干しでとった

津軽の素朴な汁。今はあまり食べられなくなったとか。弘前・三忠食堂で前もって予約すればたべられます。小ぶりのどんぶりなので、私はおにぎりと一緒に注文いたしました。

料金は480円  電話  0172-32-0831

弘前市和徳(わっとく町)164

人と出会い心を賜(たぶる)そんな人情豊かな冬の津軽平野を旅してまいりました。

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投稿者: Mie Hama 日時: 00:53 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「石川県能登半島」

ご紹介するのは石川県能登半島の輪島です。6月に能登の付け根の橋立、福浦の港町をご紹介いたしましたが、今回は突端の輪島です。

旅をしていて思うのですが、寒い季節に寒い土地へ行くのも旅のコツ。美味しいもの、人情・・・温かさがひときわ嬉しい旅になります。そこに、伝統工芸の世界があればもっと嬉しくなります。

日本は広く、日本は豊か。私たちが住むこの国は、素晴らしい技と知恵の宝庫です。

“日本の日本的なるもの”に気づいて以来、私はこの小さな島国日本に限りない愛着を持っております。

今回の「能登半島地震」は、大きな被害をもたらしましたが、本当に皆さま頑張って復興されています。あの、本町商店街・輪島朝市のおばちゃんたちも元気・元気!魚や干物、野菜や漬物などおばちゃんや、おばあちゃんが声高く売りさばいています。静かな輪島もここだけは、いつも活気いっぱい。手づくりの漬物や干物の何と美味しいことか。今はカニの季節ですね。

11月6日~3月20まで解禁となるズワイガニや甘エビ、殻つき牡蠣など、贅沢な海の幸をはじめ、奥能登の伝統調味料「いしる」やふぐ、鯖、とびうお、はまちなどの粕漬けも美味。

疲れたら、朝市通りにある自家焙煎コーヒーで冷えた体もここでホッとひと息。趣のある珈琲屋さんがあります。

私が能登、輪島を最初におとずれたのは・・・もう20年ほど前になるでしょうか。旅は最良の師や友を私に与えてくれます。今は亡き 漆芸家 角偉三郎さんに出会い、とても女の片手では持ち余る大きさの「合鹿椀」に出会い、木のぬくもり、漆の肌そのものの質感が手にふれ、カタチの強さがしっかりと手につたわったのです。

漆の原点である椀。 

何に使われた合鹿椀か。そう両手の中にすっぽりと納まる大きさです。飯盛りだけではなく、なんにでも使われたとのこと。合鹿とは地名で、昔は柳田の漆器と呼ばれていたそうです。大正期に後継者が途絶えましたが、その椀を見事に復元し、独自の世界を築いたのが角偉三郎さんです。父は下地職人、母は蒔絵の仕事の家に生まれ、輪島を代表する工芸家でした。

輪島塗の繊細にして流麗(りゅうれい)な椀の対極にある、土臭くて無骨な合鹿椀。寒村の生み出した椀に出会い、そこから輪島の旅がはじまったのです。

輪島はまさに海の文化の拠点。

北前船や遠い大陸から客人が持ち寄ったものを積み上げて歴史が作られてきました。輪島の人はつねに海辺にたって向こうをみていた気がします。

「海からの文化は、又、海から出ていく文化でもありますね」・・と語っていらした角さん。

そんな輪島にはたくさんの魅力がつまっています。おすすめは、輪島塗の「工房めぐり」です。お問い合わせは輪島観光センターまで。「工房めぐりガイド」のマップがあります。ここに載っている工房は輪島塗の奥の深さを知って頂こうと専用の看板をかかげている有志の職人さんの工房です。マップを入手してから必ず電話連絡し、都合をうかがってから訪ねてください。

木地、塗り、上塗り、蒔絵、・・・輪島塗の工程を学んだら、“ギャラリーわいち”へ。朝市がたつ本町通リの商店街と重蔵神社の間にある「わいち商店街」にあります。「うるしはともだち」をキャッチフレーズに木地師さん、塗師(ぬし)さん、蒔絵やさん9名が集まり、伝統の美を伝えながらも従来の枠にとらわれない自由な発表の場として情報発信と交流の場となっています。と同時に、普段使い出来る素敵な器を買い求めることが出来ます。

ちなみに私はスプーンでカレーライスを食べることも出来てしまう、傷のつきづらい器を買ってまいりました。私の友人の桐本泰一さんも、ギャラリーわいちの仲間です。新しい輪島の魅力を教えてくださった若い友人でもあります。
ご紹介いただいたのは、能登の玄そばを石臼でひいた昔ながらの手打ちそばをいただける「輪島・やぶ本店」。

宿は「民宿深三(ふかさん)」宿のオーナーは深見大さん、瑞穂さんご夫妻。

定年後に民宿をはじめたお父様から受け継ぎ、2000年にお二人の思いのつまった民宿にリニューアル。能登ヒバや杉をふんだんに使った柿渋下地の拭き漆の床が気持ちよく素足で歩きたいほどです。数代前までは呉服屋さんだったということで、蔵に眠っていた箪笥、古布、着物が見事に甦り宿に彩りを添えています。冬の寒さでも温かさを充分に感じるのは、暖房だけではなく、漆の温もりと、何よりオーナーご夫妻のおもてなしです。食事は全てお二人で調理を担当されると伺い嬉しくなりました。

美しい輪島塗の器とテーブル・・・地の新鮮な魚や山菜、そして美味しいお米、朝、夕飯共に大満足でした。他にも素敵な宿、民宿がございます。

交通アクセスは

羽田~能登を1時間で。
東京から上越新幹線「とき」で越後湯沢乗換え、ホクホク線「はくたか号」利用
大阪から特急「サンダーバード号」で和倉温泉へ。そこからはバスで輪島へ。
金沢からは能登有料道路にて輪島まで。

おすすめは輪島市コミュニティバス「のらんけバス」各ルートがあります。
輪島、和倉特急バスも1日4往復、和倉温泉始発のJR特急も便利です。
輪島~金沢直通バスもあります。

最後に、今回の災害で大きな被害をうけた輪島市門前町。

震災で法堂や仏殿など建物が傾いたり壁が崩れる被害を受けた曹洞宗の総持寺祖院では、雲水と僧侶の方々が復興義援金を募るため托鉢をし今後は県内各地のほか富山市など県外でも予定しているそうです。

復興に頑張っている輪島を是非訪ねてください。
それも大きな支援になります。

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投稿者: Mie Hama 日時: 21:44 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く」

今回ご紹介するのは愛媛県内子町・石畳地域です。

まず最初に内子町について少しお話しさせて頂きます。

明治の家並みの美しさ、白壁・なまこ壁の町並みは皆さんご存知のことと思いますが、内子町は愛媛県の西南部に位置し、東西15、5km、南北14、5km、に位置しており、68%を山林が占める農山村です。

松山市からは約40キロ
松山から内子まではJR予讃(よさん)内子線で25分
車なら松山インターから高速松山自動車道で約25分

平成17年1月1日に、旧内子町、旧五十崎町、旧小田町の3町が、合併し、新内子町が誕生しました。

町の目指すべき姿として、「エコロジータウン・うちこ」をまちずくりのキャッチフレーズに揚げています。

町中を小田川、中山川、麗川が流れ、農家と農地が散在し、標高200~300米の山腹や丘陵地には、かつては葉タバコから現在現在は果樹、施設園芸など、谷間に美しい自然と農村の景観が形成されております。

町内に目を向ければ「町並み保存地域」にみられるように家々は、見事な鏝絵(こてえ)が残り、漆喰芸術の数々が見られます。

江戸から明治期には養蚕業、木蝋、大正期は生糸で栄えてた町。今でも当時の繁栄がしのばれます。

私は早朝、町並みを歩いたことがございますが、人々が声をかけ合い清清しい空気がそこには流れておりました。

そして、なんといっても内子といえば「内子座」・・・。

地方に残る貴重な芝居小屋。文楽や歌舞伎も演じられる小屋です。昨年は、十八代目中村勘三郎の襲名歌舞伎公演も行われました。なにも開催されていない時には内部を見学できます。

私は舞台下の奈落を見学させて頂き、築90年、木造建築の2階建てのこの小屋をよく改修復元したと感心させられました。地元の方々の熱き思いが伝わってきました。

もともと、この小屋は農閑期に農民が歌舞伎や文楽などを楽しんだ小屋です。こうした背景には地域の人々の伝統文化の保存、継承、農村が持つ信仰の熱さ、念仏講や秋祭り、神社での神楽、子供相撲、炭焼きの復活など、地域の個性的な景観が人々の手で守られております。

「町並み」から「村並み」へをキャッチフレーズにして、"今"・・・という時代にマッチした町づくりが行われております。

さて、今回ご紹介する"石畳地域"は町の中心部から約12km、「小田川」の支流「麗川」源流域に位置する、農林業を主体とした人口380人の小さな地域です。

過疎、高齢化が進むなかで、「このままでは集落が消えてしまう」、「石畳に誇りに思える地域をつくりたい」と昭和62年、農家の若者や町職員12名の有志(現在25名の会員)が「石畳を思う会」を発足させました。

未来を担う子供たちに何を残すべきか・・・未来への投資のために汗をかこう!

そして、

地域の歴史を伝える水車小屋を自費で復元。
水車公園の整備
地域を流れる麗川の蛍の保護。

樹齢350年といわれる「東のしだれ桜」地元の石工職人によって美しい石垣が築かれ、毎年4月には、集落の人々が桜の下の民家で「桜まつり」を開催し多くの人で賑わいます。

そして、地域の名所は「弓削神社の屋根付橋」 杉皮で葺かれた屋根はそれはそれは美しいです。

橋脚も昔ながらの工法で改修され、「結い」の精神が残る集落。従来の「行政におんぶにだっこ」的な考えから自立し
た集落づくりに頑張っておられます。

「地域の文化を大切にしよう」

「自分たちでできることは自分たちの手でやっていこう」

そして、内子町全体では"グリーンツーリズム"に力をいれています。町内には宿が13軒あります。私も泊まったことがございます。

「ゆっくり農村体験をしてほしい」・・・とどこの農泊の方々も仰います。
 
石畳地域には町営民宿「石畳の宿」があります。明治中期の農家を移築復元し、懐かしい雰囲気が漂う宿泊施設。地域の農家主婦が地場の素材を使い手料理でもてなしてくださいます。

こちらは、JR内子駅より車で30分。
定員は12名。
囲炉裏を囲みながら田舎料理、旬の野菜の煮物や山菜のてんぷら、囲炉裏で焼く川魚・・・など山里でのんびりと、地元の人たちの温かなもてなしを・・・心あたたまりますよね。

そうそう、内子には幻の名酒といわれる地元の棚田米使用の純米大吟醸生酒もございます。

肌寒くなった秋、紅葉を見がてら旅がしたくなりました。

投稿者: Mie Hama 日時: 00:59 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く」

今回ご紹介するのは、福島県舘岩村(たていわむら)です。

この村は2006年3月に合併し現在は南会津町 旧舘岩地域となっております。人口2200名。
「ヘルシーランドたていわ」ほんとうの自然と、いろり端の暖かさを残した、素朴でやすらぎのある村をめざし高山植物の宝庫であり、田代山湿原や湯ノ岐川、西根川、鱒沢渓谷の季節の移ろいの美しさは素晴らしいです。

舘岩村は、福島県の西南端の栃木県境に位置し、四方を1.500m級の山々に囲まれ、面積の95%が豊かな森林に覆われた、まさに「山紫水明」の美しい山村です。会津若松から車で、おおよそ2時間。現在は「会津鬼怒川線」が開通しているので東京からは電車・バスで4時間の地点となりました。

冬季は気温が低く雪に閉ざされますが、様々状況を克服するために行政・住民が一体となって、美しい山々、いわなが住む清らかな川、そしてひなびた湯の花・木賊温泉といった豊かな自然を大事にしながら、スキー場もあり若者にも魅力ある雇用の場も確保しています。


交通手段は

電車の場合・・・浅草から東武鉄道鬼怒川温泉を経由して会津高原尾瀬口下車。そこから会津バスで40分。舘岩村下車

車の場合・・・東京から宇都宮・・東北自動車道で西那須野・塩原ICから400号で上三依。そこから121・352号線を経て舘岩村へ。

新幹線の場合・・・東北新幹線郡山。磐越西線で1時間、会津鉄道で会津若松・会津田島経由、会津高原尾瀬口下車。会津バスに乗り換え舘岩村へ。会津高原からのバスの車窓から見える風景は素晴しいです。


村は、4つの地区に大きく分かれますが、どこも自然と調和のある村づくりを目指しています。

① 上郷地区は、スキー場を中心としたヨーロピアンスタイルのホテル、ペンションなどリゾート地環境が形成されています。

② 湯の花地区は温泉地で田代山も近いため自然を生かした滞在型。木賊温泉の共同浴場・露天風呂は700年前からあるとされ、地域住民の井戸端会議の場でもあり観光客・釣り客のふれあいの場になっています。(ちなみに、私はまだ入っておりません。次回はぜひ!)

③ 下郷地区は公共施設が集まっていますが、貴重な「曲家」が数多く残って いる前沢曲家集落もこの地区にあり、景観にあった保存がされています。

曲家とはエル字型の平面をもつ民家で、かつては農耕馬とともに生活をしていました。
囲炉裏のある、うわえん・したえんにある「ユルリッパタ:囲炉裏辺」では家人ないし客の座る場所が決まっていました。

③宮里地区は「さいたま市立舘岩 少年自然の家」があり都市との交流も盛んです。貴重な露天風呂もあり、地域は、2,059mの帝釈山を最高峰とし緑の山と清流に恵まれ、新緑・紅葉と四季折々の景観が美しいです。

伝統文化の保存にも住民の皆さまは積極的に取り組んでおられます。"湯の花神楽"いつ頃から始まったかは定かではありませんが、「舘岩 民俗芸能保存会」によって継承されています。


17歳の私はヨーロッパに一人旅に出たのですが、その農地の広大さに感動し、食料の自給できる国は滅びないと聞いたのも、この旅のときでした。   

イタリアもフランスもドイツも、都市からほんのちょっと離れただけで、農村の風景は変わります。地平線まで真緑の麦が青々と揺れて広がって、まるで麦の海原のように見えたこと。忘れられません。

地方は高齢化、過疎化も進んでいますが、舘岩の方々の「村への想い」には頭が下がります。

今は亡き東京大学名誉教授でいらした木村尚三郎先生は、あるシンポジウムで次のようにおっしゃいました。

「その土地ごとに、暮らしの在り方や知恵があります。全世界どこでも共通する技術、文明を追求する時代から、その土地にしかない生きき方、そこに安心の根拠を生み出す時代に、今、全世界が大きな転換期を迎えています。技術文明の時代から、土地ごとの地方文化の時代です。土の匂いのするものが再び大事となり、ふるさと志向が生まれています・・・・」

この言葉を聞いたときに、私は身体が震えるような感動を覚えました。

「土の匂いのするものを大切にする」

「その土地に生きることを自分の中心に据える」人が少しづつ増えていったら日本は変わる・・・・そう信じております。
舘岩の赤かぶの栽培の歴史は古く、この種類のかぶは舘岩村でしか赤く育たないとか・・・。 伝統的な食べ方として、かぶ飯・かぶ練りなど数多く伝承されています。

集落内の水路や水場は今でもお野菜や洗濯物の洗い場として女性達の交流の場として使われています。

昔、木地師たちが、山仕事を始める前に山の神へ供え、作業の安全を祈願して食べていた「ばんでい餅」も美味。味は、うるち米のあっさりとした食感でじゅうねん味噌の香ばしさが食欲を誘います。

紅葉の季節、露天風呂にでも入り村の方々とおしゃべり・・・なんていいですね。

投稿者: Mie Hama 日時: 01:29 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「箱根」

今回ご紹介致しましたのは、私が住んでいる箱根です。

箱根は、夏がハイシーズン。
箱根のあちこちでたくさんの観光客に出逢います。
そして、山の花や植物を見にいらっしゃる方々も多く、殆ど、女性です。
40代、50代、60代の仲良しグループが、楽しそうに花と一緒に写真を撮ったり、俳句を詠んだり、スケッチをしたり皆さん女学生のように楽しく山や草原を歩いていらっしゃいます。

私の家族が箱根に引っ越したのは、昭和54年、1978年の事でした。
まだ家が6~7分できた頃。
「なんで山の中に住むの?」と、良く言われましたが、これは私の夢でもありました。
箱根に住んで30年がたとうとしております。
小学校を箱根で過ごした子供たちは、お陰さまで、皆な、植物好きな子供に育ちました。
箱根の植物は、私の子供たちの、もう一人のお母さんだったかも知れません
もう皆社会人になっておりますが、小学生の頃、長男は学校帰りに山ほどのつくしを帽子にいっぱい摘んで帰り、
「ママ、つくし、煮てちょうだ~い」って、帰ってきたのも昨日のことみたいです。

箱根の自然は、私自身にも多くの恩恵がありました。
木々や花々、雲や富士の山々はどんな時もやすらぎをくれます。
箱根で暮らしながら、子供たちとしょっちゅ行っていましたのが、
今回ご紹介する「箱根湿生花園」です。

小田原駅又は湯本駅よりバス{湖尻桃源台行き}仙石案内所前下車、徒歩8分くらい。
新宿駅よりバス(小田急高速バス)仙石案内所前下車・徒歩8分
車の場合は東名御殿場ICより20分
強羅からもバスがでています。
施設めぐりバスでのんびり・・・もよいかもしれません。

開園期間  3月20日~11月30日(上記期間無休)

開園時間  午前9時から午後5時まで

標準見学時間  約40分

駐車場    無料

この季節は夏の日差しを浴び、コオニユリが一層色鮮やかです。
園内には、低地から高地まで日本各地に点在している湿地帯の植物1,100種が集められているそうです。
その他、珍しい外国の山草も含めると1,700種の植物が四季折々に花を咲かせます。

園内は
 ○ 落葉広葉樹林区
 ○ ススキ草原区
 ○ 低層湿原区
 ○ ヌマガヤ区
 ○ 高山の花畑区
 ○ 高層湿原区
 ○ 仙石原湿原区 に分かれています。

この仙石原は、江戸時代「千石原」とか「千穀原」と呼ばれていました。
古文書によると、慶長十六年(1611年)には五名の村人が二町歩余りの土地を耕していて、
「耕せば千石はとれる」ということが、ここの地名の由来だそうです。
この地に立つと、昔の人びとの苦難がどんなものだったか、千石の米を収穫することの困難さが、偲ばれます。

山に囲まれた仙石原は、二万年前は湖の底だったそうです。
今は干上がった状態ですが、一部残った湿原が湿生花園として私達を楽しませてくれます。

この時期は、コオニユリ、ヤマユリ、レンゲショウマ、ミソハギ、フシグロセンノウ、シシウド、コバギボウシ、ハス・・・等が咲いています。

そして、夏の企画展「世界の食虫植物展」が8月31日まで開催されています。

今、ガーデニングが盛んです。
湿生花園は巨大な寄せ植えガーデニングです。
初期の湿原から発達した湿原まで、順に見て回れるように設計されています。
いつ行っても、植物の多様な生命に感動してしまいます。
花や植物のにぎわいに鳥や虫、それからきっと、イタチやタヌキやカヤネズミなども棲み、夜になればにぎやかに鳴き合うのでしょう。

箱根に住んでよかったなあ、と、しみじみ思うひとときでした。
植物とふれあって帰る道すがら、もう気持ちが癒されているのを感じました。

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そして、もう一ヶ所

私のお気に入りの場所をご案内いたします。「箱根ラリック美術館」です。

私は、ルネ・ラリックの作品には目がありません。
中でもグラスはどれも造形的に美しく、思わず手にとってしまいたくなります。
 
ルネ・ラリックは、当初、アールヌヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博していました。
豪華なダイヤやルビーではなく、エナメル(七宝)細工や金といった身近な素材をモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリィーをつぎつぎに発表しました。
それまでの宝飾界の常識を破る斬新さに魅了されます。

きっと当時のパリジェンヌたちは、さぞ熱狂したことでしょう。
1500点に及ぶコレクションから230点が常設展示されています。
ラリックの生涯の業績を見ることができます。

 
今、ラリック美術館では特別展として「しあわせの髪飾り・ラリックの櫛、日本の櫛」展が開催されています。

ヨーロッパの伝統と日本的要素、独創性が結集したラリックの髪飾りと
江戸から昭和初期にかけて製作された日本の櫛。
蒔絵や螺鈿、象嵌といった工芸から、ラリックはどのような影響をうけたのでしょうか。

女性の夢やロマンチックな気分をかきたてる、
「しあわせの髪飾り」
11月25日までの開催です。
場所は先ほど申し上げた「仙石案内所前」すぐです。

開館時間 午前9時~午後5時
営業日    年中無休
(展示替えのため臨時休館あり}

私は美術館をひとまわりした後はCAFEで、窓に広がる風景を見つめながら、
軽くシャンパンかワインを飲みながら「私の人生に乾杯!」と、独り言。

箱根にいながら至福の時を頂きます。
箱根湿生花園とラリック美術館をご紹介いたしました。

投稿者: Mie Hama 日時: 08:00 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド」

今回は、能登半島をご紹介させていただきました。

東京から金沢へは、新幹線越後湯沢乗換えも、米原乗り換えもございますが、私は時間がある時は上野から寝台特急「北陸号」で7時間半かけて参ります。
仲間達とワインを持ち込んでおしゃべりしながらの長旅も楽しいものです。
早朝6時に到着後市場に直行。市場の中の食堂で朝食を頂くのです。
刺身定食、煮付け定食など・・・どれもこれも美味。
その土地の活気と旬を味わえるのでどこへ旅しても市場は大好きです。
 
さて、右の親指を反らして、能登半島に見立てますと、その付け根の所が加賀市橋立町です。
私が初めて橋立を訪ねたのは、日本女性として初めて単独でヨットによる太平洋横断に成功した、小林則子さんとご一緒の旅でした。
「北前船の海を行く」をテーマに旅をなさっておられましたので、同じ興味を持つ者として胸が高鳴りました。

北を目ざした男達、船底一枚下は地獄という荒れた海に乗り出す男と、それを見送る女たちのドラマが、時を越えて目の前の海に見えるような気がいたしました。
橋立には往時の北前船のあとがそこここにみられます。
氏神の出水(いずみ)神社には北前船主らが寄進した鳥居や灯篭、こま犬など、絵馬堂には14枚の船絵馬、いずれも航海の無事を祈ってのものです。この町の中には堂々たる風格の船主の屋敷が目につきますが、その中の一軒が現在の「北前船の里資料館」です。

まさに明日資料館へとご自宅を手放す前日に、私達は酒谷さんのお宅にお邪魔いたしました。大きな土塀、広壮なお屋敷の中に静かに佇む酒谷さんがお部屋をご案内くださいました。玄関を入ると上がり框、柱、梁は総ケヤキ。天井にはすす竹が一面にはりめぐらされています。
たくさんの旅をしながら思うのです。

旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・何百年の歴史を持ち、今もそれを色濃く漂わせる場所に出会うと、自分が異次元からやってきたタイムトラベラーになった気がするのです。
その地で出会うおばあちゃん達は、いつも旅立ちの案内人でした。たくさんのことを学んできました。
この港町で出逢ったその方からも貴重なお話を伺いました。

この地方独特の習慣では、家に御仏壇が二つあるのだそうです。男達が、三月梅の頃から船に乗り、年の瀬近くに帰ってくるまで、大きい仏壇は扉をしめておきます。
小さいほうは、夏用のご仏壇といって、留守を守る女たちの仏壇。
男たちが帰って、航海の無事を先祖に報告するときに、初めて大きいほうをあけるのです。
「船がついたぞ!」という声が聞こえると、腰に紐をまいた女たちが、あっちこっちの家々から港へ向かって一斉に走り出すんです。その輝くような顔を今でも忘れられないそうです。

北前船の表むきの仕事を支えていたのは女たちです。
「でも、過去帳に、女の名前はございませんね」そうつぶやく、おばあちゃんの一言が私の胸に響きました。

そして、北上していくと、富来町(とぎまち)があります。
羽咋(はくい)駅からバスで50分、富来駅下車、福浦港行き10分。
この福浦港も大好きな港町です。

日本最古の木製の石垣を含めると約5mの高さがある旧福浦灯台。
三層になった内部。ここから見事な夕日が一望できます。
日本海に面し、能登金剛の名で知られる断崖、荒々しい海岸線は絶景です。
そして、私の大好きなお地蔵様があります。
「腰巻地蔵」です。
旅立つ船員にかなわぬ恋をした遊女が、地蔵に腰巻をかけたところ海がしけ、出航できなかったというロマンティックなエピソードを持つお地蔵様です。そんな昔話に思いをめぐらせながらの、のんびりとした旅の仕方も「大人の旅」ならではではないでしょうか。
この辺りは日本海が一望できるホテルや旅館もございます。
最後になりましたが、この度の災害から一生懸命復興に頑張っておられます、輪島には、私も職人さんや民宿の仲間がおります。大好きなまち輪島は、またの機会にラジオ深夜便でご案内いたします。

投稿者: Mie Hama 日時: 20:48 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便-「美瑛町」

今夜ご紹介するのは 北海道 美瑛町(びえいちょう)です。

”丘のまち・・びえい”と言われる一面麦畑の広がる美しい町で旭川と富良野の中間に位置します。
わたくしはJR富良野線でまいりました。
このJR美瑛駅は全国駅100選にも選ばれている美瑛町の石山の美瑛石で建築した名駅舎です。わたくしが以前訪ねましたのは真冬でございました。

旭川から美瑛、そして、あの富良野まで片道100キロの旅を致しました。
旅の目的のひとつは、私の大好きな風景写真家・前田真三さんの写真美術館を見たかったことと、南富良野にある映画「鉄道員」の舞台になった駅も見たかったからです。
その時は、降り積もる雪の真っ白い世界が永遠に続きそうな道を行きました。

行けども行けども雪。白銀の世界は、自分がどこにいるかを見失いそうになる様でした。

前田真三さんのフォトギャラリーは「拓真館」といいます。
この写真ギャラリーは廃校になった小学校の跡地で、地元・美瑛町の協力を得て開館。
上富良野町付近に広がる丘陵地帯に位置し、周囲は見渡すかぎりの丘です。
1万坪に及ぶ敷地には白樺の並木道やラベンダー園などがあり、今回は早咲きのラベンダーが風に揺れいい香りが漂っていました。これから8月上旬まで咲いているそうです。

「二人の丘・前田真三・前田昇作品集」にはポピー、ひまわり、カラシ菜、そして一面のラベンダーなど初夏の丘を彩る様々な花があり、目と心を楽しませてくれます。
今では、観賞用に、アロマテラピーにと日本にも定着した
ラベンダーは、地中海沿岸地方原産のハーブだそうですね。
上富良野では、1950年頃から栽培がはじまったそうです。
 
前田真三さんの作品の中で、私はやはり冬の世界が好きです。
雪の原が永遠に続きそうな風景の中に、整然と林立する落葉樹。
自然の見事さに感動しました。
なかでも私が好きな作品は「落日の詩」という、淡い夕日が地平線に落ちていく風景。雪ぐもりの中に太陽が煙った光であたりを包み込む、なんともいえない詩情あふれる作品す。
今は2階に展示されています。

写真集の年譜に今は亡き前田真三さんの生涯が綴られていました。前田さんは大正11年生まれ。14歳のときに初めて、当時人気のカメラ、ベビーパールを手にして夢中で野鳥を撮っていました。
戦争の時代を経て戦後、サラリーマンに。
やがて結婚し、お子さんが生まれてから写真を撮り始め、どんどんのめり込んで・・・。

42歳でプロの道を選択します。
「二人の丘」のあとがきに、ご子息である前田昇さんは、こう仰っておられます。「風景写真は技術ではない」というのが父の心情であったから、私自身写真について教わった記憶は、一度もない。

ただ長年撮影現場に立ち会った中で、父から学んだことが、ひとつある。
それは「ものの見方」である・・・と。
「風景の見方」「写真の見方」さまざまな「事物の見方」を学んだと思っている。

前田先生のご本を見ていましたら、こうありました。
ずいぶん時間をかけて撮るんでしょうね。と、言われることがある。が、私の写真は基本的に待つことはしない。出会った瞬間に撮っていくのが身上だ。しかしながら、 「長い時間をかけるかどうか」について聞かれれば、長い時間がかかっていますよ。私の人生と同じだけのと答えることにしている。・・・そして、こうもありました。

 「風景はただ眺めていても見えてこない。」

積極的に風景に働きかけて、やがて風景を見出すことができ、出会いの瞬間がある。
ステキな言葉だと思いませんか。

風景を見る目、それは私たちひとりひとりの人生そのものが関わっているのですね。人生を重ねることは、ものの見方を学ぶことでもありますね。
風景がそこにあるのでなく、自分なりに風景を見出すのだと前田先生は写真を通して教えてくださいます。

写真美術館で、ラベンダー園で、五感を刺激される旅でした。
「拓真館」は入場無料・年中無休   
開館時間・5~10月まで、午前9時~午後5時
11~4月  午前10時~午後4時
車の場合は国道237号線から入ります。
美瑛駅からタクシーで10分ほど。
スポットは四季の塔から地上32、4mの十勝岳連峰に広がる丘の町美瑛が楽しめます。
郷土資料館では、開拓時の農業器具や石器、昭和初期の生活と風俗や商店開拓画なども見られます。

お時間のある方は美瑛から42キロで富良野へ。
さらに30キロ走って、やっと南富良野です。
高倉健さん主演の「鉄道員」はご覧になりました?
浅田二郎原作、降幡康男監督。
あの最後のシーンが忘れられません。そうなんです。映画のクライマックスはなんといっても最後のシーン。そのシーンは根室本線の幾寅駅
この駅が「幌舞駅」となって、ラストシーンが撮影されたそうです。幾寅駅には今も幌舞駅の看板がかかげられているそうです。
私は雪の舞う中で、健さんのようにホームにジッと立ち尽くしましたが、20秒くらいで駅の中に逃げ込みました。
もう凍ると思ったのです。
健さんは零下30度の外のシーンで30分、立ちすくんで、完璧にそのシーンを撮り終えたそうです。
想像を絶します。
高倉健さんの役者魂を見た思いでした。
待合室はあのまんま。そんな寒さの中で町の人たちは、男爵芋をゆでてつぶして、少し澱粉をはたいてこねて、芋饅頭にして油で焼いて、健さんに差し入れしたそうです。健さんは大層喜んでくださったそうです。

駅は、思い出を紡ぐ場所です。
私にも忘れられない駅があります。
それは、初めてひとりで行ったローマの駅、テルミニ。
私は17歳。憧れと好奇心とをバッグに入れて、自分探しの旅に出たものです。
その駅を舞台にした映画、「終着駅」は1953年、アメリカとイタリアの共同制作でした。
監督=ビットリオ・デシーカー、主演=ジェニファー・ジョーンズ、モンゴメリー・クリフト。
テルミニ駅でアメリカ女性とイタリア青年の叶わぬ恋が描かれます。
情感あふるるその映画に、私は夢中になりました。
17歳の自分にどうしてそんな感情があふれ出たのかわかりませんが・・・。

そこが「駅」だったからかしら。
私が大人になっていく途上の駅。まだ恋愛も知らない17歳の頃の駅の思い出です。

こうして、深夜皆さまとお話していると美瑛駅から、テルミニ駅までが繋がってまいります。
故郷、出逢い、別れ・・・。そんな大切な思い出のつまった「駅」が皆さまそれぞれの心の中に一つはあることと思います。

旅っていいですね。

おやすみなさい。

投稿者: Mie Hama 日時: 20:48 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便 第2回

5月16日深夜0時半からNHKラジオ深夜便に出演いたしました。
「大人の旅ガイド~日本のふるさとを歩く」の第2回目です。

今回ご紹介致しましたのは、宮崎県の北部、高千穂の美郷町、北郷区"椎野集落"です。
この集落は「あじさいロード」として知られている村なんです。
アクセスは宮崎市内からですと日豊本線日向市駅下車、宮崎交通バスで北郷支所前下車{所要時間1時間}そこから車で20分ほど。

私は昨年、晩秋の頃、高千穂町を抜けてはいりたかったので、車で、「熊本インター」から国道57号、325号、218号を通り集落にはいりました。おおよそ、3時間半。細い道をぬいながらの道中はそれはそれは美しく、素晴らしいドライブでした。

椎野集落のあじさいロードの見ごろは6月中旬から、7月初旬ころまで。見ごろの時期には全長7㎞に渡って約3万本のあじさいが咲き誇るとの事。1万人の観光客で賑わうそうです。
北郷町の人口はわずか2000名、椎野地区は全部で9戸。
この小さな集落は、全国花の町コンクールで特別賞も受賞しています。
そして、あじさいロードを管理しているのは高齢者の方々です。何より素敵なことは、この集落には本当の意味での"もてなしの心"があるということです。

約20年前、集落近くに観光名所ができ、往来するお客さんの目を少しでも楽しませよう!と「あじさい」を道路に植栽し始め、その活動が徐々に集落全体へ浸透していきました。ここも、高齢化、過疎化が進む村ですが、村人が生きがいをもち、「人を何かでもてなしたい」「村を通る人がきれいだな」と思ってくれたら嬉しい・・・そんな気持ちからの活動なんですね。
皆さまご存知でしょうか。あじさいの手入れは水やり、剪定などなど、重労働なんですよ。
「みんなが喜んでくれるから、がんばれる。花の季節に、村を訪ねてくる人から笑顔をもらっているんですよ・・・」と笑顔で語るお年寄り。すばらしいことですよね。中々出来ることではありません。

自然は寂しい
しかし人の手が加わると暖かくなる
その暖かなものを求めて歩いてみよう
                         宮本常一

都心の再開発が話題です。立派な建物ときらめくネオンもいいでしょう。
しかし本当の豊かさってなんだろう・・・。と考えさせられました。

その日はとても寒く小雨も降っておりましたが、集落から眼下に広がる山々の何と神々しいことか。
炭火で沸かしたお湯でお茶を淹れて頂き、心がほっこりあたたかくなりました。
ポンと移植したあじさいだけなら、人びとの心は動きません。
暮らしを見つめ、そこに自信をみいだし、村を愛し、その良さを他の人にも伝えたい・・・そんな思いがあったからこそ、たくさんの人々の心を動かしたのだと思います。

近ごろ、日本の美しさが話題になることが増えましたが、暮らしの延長線上にある
"もてなしの心"のような美意識にもまた、光があたるような社会であってほしいと切に思います。
農業の傍らのあじさいの手入れは大変です。高齢化もさらに進んでいます。
"サポーターができればいいな"・・・・と仰っておられました。
この町、集落は、あじさいの季節以外も春夏秋冬 それぞれ美しい表情を
みせてくれます。

チャンスがございましたら旅をしてください。

投稿者: Mie Hama 日時: 22:47 | | トラックバック (0)

ラジオ深夜便 第1回

月に一度、NHKラジオ深夜便の「大人の旅ガイド」のコーナーに出演させていただくことになりました。深夜11時20分から早朝までゆったりとしたテンポで大人のやすらぎ時間を感じることの出来る番組内の0時半から約10分間のコーナーです。

4月18日の回では、新潟県柏崎市高柳町(たかやなぎちょう)をご紹介させていただきました。高柳町は、新潟のほぼ中央、十日町と柏崎の中間に位置する山間地域です。平成17年5月1日に高柳町と西山町が合併し新しい柏崎市が誕生しました。

私が初めて高柳町を訪ねたのは15年ほど前のことです。「じょんのび村」とも言われるこの町は、「じょんのび」というお国言葉、「ゆったり、のんびりして芯から心地がいい」が表す通りの場所でした。

茅葺環状集落である荻の島集落は、私の大好きな場所です。山や林、中央の田んぼが一体となってまるでひとつの生命体のようです。四季折々の美しい風景とそよぐ風、そして、美味しいコシヒカリ。お水が美味しいからでしょう、お豆腐も美味。ほんの数日の滞在でも故郷に帰ったようなそんな気持ちにさせてくれます。その美しい景観は「棚田百選」にも選ばれています。この美しい地域には「農」を営む機能と豪雪を克服する知恵がたくさん詰まっているのです。

「なんていい風が吹いているの」と思ったのが第一印象です。当時経済優先から生活優先へ、さらに生活の質の向上を目指して、町民が一丸となってまちづくりに励んでおられました。町民が、この町に生まれ、住み続けていることを誇りに思っている。豊かな自然や生活文化の伝承が根付いているからでしょうか、「住んでよし・訪れてよし」の町づくりを感じるのです。

高柳町内にある門出(かどいで)和紙(わし)工房(こうぼう)「高志(こし)の生紙(きがみ)工房」では、今からおよそ450年前、信州から伝わったとされる門出(かどいで)和紙を漉くだけでなく原料のコウゾの栽培もしています。見学だけでなく事前に申し込みをすれば、体験することも出来ます。
からむしギャラリー、風(かぜ)の座(くら)、ブナ林など、他にも訪れたいところはたくさんあります。
お泊りのお宿は、じょんのび温泉で。ゆったりとした里山風景を満喫できる農村リゾートです。

東京からは、上越新幹線・越後湯沢から上越線・まつだい駅。
上越新幹線・長岡から信越本線・柏崎駅。
また、東京から柏崎間は高速バスも出ています。そこからは、路線バスで高柳町まで。

柏崎では、木村茶道美術館もおすすめです。情緒漂う日本庭園「松雲山荘」の中にあり国宝級の展示品でお薄をいただくことが出来るのです。

紅葉の名所としても知られていますので、私も次回は紅葉の時期に伺ってみたいと思っております。


次回は、5月16日の深夜0時半頃出演予定です。宮崎県の美しいあじさいの里をご紹介いたします。週の真ん中、静かな夜をご一緒出来れば嬉しいです。

投稿者: Mie Hama 日時: 22:04 | | トラックバック (0)